あれから10年ーポール・マッカートニー来日回顧録

     
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はじめに
 ポール・マッカートニー初来日公演が実現したのは、ちょうど10年前の1990年3月のことでした。当時を知らないファンの方にはお分かりいただけないでしょうが、本当に、来日が決まった瞬間の私の驚きは、とても言葉では表わせないほど大きかったものです。なにしろ、1980年に成田空港で麻薬不法所持のために逮捕され、 公演中止になった事件(これはリアル・タイムで経験はしてませんが)以降、「入国許可が降りるはずがないから絶対に来日は実演しない」といわれてきたし、ポールもツアーを行わなくなったし、ポールは日本に良い感情を持っていないだろう(80年の事件のことだけじゃなく、My Brave Faceのビデオ他、日本人コレクターに対する批判的なコメントが多く伝えられていた)と思ったし・・・。1989年にアルバムFLOWERS IN THE DIRTが発売され、ワールド・ツアー開始と聞かされても、 「ポール自身は日本には来たくないだろうし、もし望んでも実現しない」と考えていて・・・。だから、来日が実現することはもちろん、まさか私自身が生でポールを見るなんてことは夢でしかなく・・・。うーん、うまく説明できないけど、とにかくポールって遠い世界の、雲の上の人で、生で目撃することなど一生かかっても実現するはずのないことだと思っていたのです。

  それなだけに、ポールの来日が実現したこと、そして私自身がこの目でポールを目撃したということは、本当に信じ難い夢のような出来事だったのです。今でも「あの瞬間は現実だったのだろうか」と思うこと、多いのです。ということで、あのポールの初来日公演は、単なる「ライブを見に行った」という次元の出来事ではなく、 人生の一大分岐点だった、そんな風に思っています。私自身が当時置かれていた状況のせいでもあったんだろうけど・・・。ということで、あの時のことはいずれ当サイトで語ってみたいと思ってきたのですが・・・。ふと考えると、何と今年の3月で既にあれから10周年ということになるようで・・・。何という時の流れの早さ、という感慨もありますが、とにかくよい機会だと思ったので、ここにポール初来日時のことなどを書いてみたいと思います。 私の中では本当に大きな出来事だったので、記憶が鮮明で、何も見なくてもスラスラ書けそうですが、一部、当時私が在籍していたビートルズのファン・クラブ、ビートルズ・シネ・クラブ(以下BCCと記載、現ビートルズ・クラブ)宛に出そうとして出しそびれた、ライブに至るまでの気持ちなども同時に書き殴ったかなり詳しいライブ・レポートの手紙(ライブの当日ホテルに帰って気持ちが冷めないうちに一気に書き上げた)や、会場で売っていたパンフレット、 ポール来日を特集したBCCの会報、ビデオなどを参考にしたいと思います。


予期せぬ驚き
FLOWERS IN THE DIRT
 1989年当時の私は福岡在住の大学2年。目的もなく、退屈で面白くない大学生活、現状にも、将来に対しても悲観的で迷うことも多く・・・。決して明るい生活を送ってはいなかった。というより、私の人生の中で最も暗い時期だったような気がする。 そんな1989年のこと、ポールは復活作FLOWERS IN THE DIRTを発表(発売日に即買った初めての元ビートルの新譜)、その後「夜のヒット・スタジオ・デラックス」への出演、NHKで放送された「エッフェル塔200周年コンサート」なるものへの出演、そしてMTV番組や、深夜の「歌う天気予報」でまで繰り返し流されるMy Brave FaceやThis Oneのプロモ・・・。さらに、BCCのイベント「ビートルズ復活祭」で「ポール来日実現のための署名」なるものに参加・・・。 それはビートルズ・ファンになってはじめて味わう、リアル・タイムでのフィーバー(死語か?:笑)ぶりだった。 しかし、「はじめに」のところに書いた通り、ここまで騒々しくなっても、来日が実現するとは思えなかった。事実「来日の可能性0,1%ってとこだな」などと考えていたし・・・。そんな1989年11月、来日したのはポールではなく、リンゴ・スター&His オール・スター・バンドだった。もちろん、「元ビートル」を生で見るなんて夢だとしか思っていなかった私は大急ぎでチケットをGET。11月3日、地元・北九州市にある九州厚生年金会館のライブに足を運んだ。 「元ビートル」が目の前にいる。そのことは信じ難く、リンゴらしい、ほのぼのとしたステージで楽しめたのは間違いないんだけど、残念ながら「ナツメロ・ショー」のような内容(リンゴには似合ってると思うのでけなしてるんじゃありません、念のため)、そして、ジョー・ウォルシュ、ドクター・ジョン他、アクの強い他のメンバーに押され気味だったのも事実。もちろん、感動はしたんだけど・・・。ちなみに、私が一番好きな「元ビートル」はジョン。なので、「ポールじゃないから感動も小さかった」という訳ではないはずだけど、「人生が変わるほどの感動」とまではいかなかったというのが正直なところだった。そして、「元ビートルを見るのは、これが最初で最後になるだろう」と思った。

  12月、何度かスポーツ誌に「ポール来日決定」という誤報が載り、信じたファンがチケット売り場に殺到するなどの「事件」も起こった。しかし「馬鹿だな、来るわけないだろう」と鼻で笑って・・・(笑)。ところが、クリスマスも終わり、暮れも押し迫った頃、不意にBCCから郵便が届いた。恐る恐る開封すると・・・。「ポール、来日決定。正会員のためにチケット確保します」とある。俺は夢でも見てるのか? それとも、BCCが誤報を信じたのか? 本当に、そのチラシを持ったまま、呆然と立ち尽くしてしまった。 そこに「会員のための予約受付電話番号」が載っている。嘘かホントか、とりあえずかけてみよう。が、それは嘘ではなかった。確かにチケットの予約受付をやっている。舞い上がってしまった私は、「何日の公演を希望されますか?」の問いかけに、真っ先に目に飛び込んできた日付「3月8日、S席1枚」と口走っていた。別にその日じゃないといけないわけではなかったが・・・。ということで、予約は済み、電話を切った私。その時、私の手の震えが止まらなくなっていた。その時、母が作るおせち料理と、今は亡き父の撒き散らすたばこの煙の匂いが漂っていたのもはっきり覚えている。 本当に実現したんだ! しかも、この目で直接目撃することができるんだ! その日から私の頭の中はポール一色。実はポール来日実現直前に、ストーンズの初来日も発表されていた。発表当時はストーンズに行くつもりだったが、私にとってはどちらかといえばポールの方が大事。もちろん、関東に住んでいれば両方見ただろうが、福岡在住の、しかも学生が2度も上京するなんてことはどう考えても不可能だったので、この時点でストーンズは諦めた。年が明けて1990年1月(記憶が定かでない)、チケットが無事到着。 何とアリーナ席、しかも前から13番目。これなら輪郭まではっきり分かるだろうなと狂喜。2月に入りホテル、新幹線の切符も確保。レンタルでポール関連のビデオRock Show、Flowers In The Dirt Special(現在はPut It Thereとタイトルを変更 )などを借りまくり、テレビやラジオのポール関連の番組は全てチェックするなど、気持ちは盛り上がるばかり。あとは公演日を待つだけ、のはずだったが・・・。

(注:ちなみに、当時発表になっていた公演日程は1990年3月2,3,5,6,8,9,11日)


一転の「悪夢」
 1990年1月、大学の後期試験を受けたが結果が芳しくなく、さらに3年進級を前にして「専門分野の決定」に迫られた。再び私に新たな不安の種が芽生えてしまった。その上、90年代に入り、突然「世紀末」だ何だと報じられるようになり、世の中にも暗い空気が漂いはじめていった。私は別にノストラダムスは信じてなかったけど(笑)、ただですら不安な時期だったので、余計に気持ちを暗くさせた。とはいえ、私にはその不安を吹き飛ばすような楽しみも待っていたから、決してただただ暗いばかりの生活でもなく、 3月が来るのを待ちきれないでいた。世の中も、ポールやストーンズの来日に浮かれていた。90年代以降ファンになった方々には想像もできないだろうが、バラエティ番組で、ロックになんて全く興味のなさそうなお笑いタレントがポールやストーンズのことを話題にするのを毎日のように目撃することすら珍しくなかった。

  そんな1990年2月21日、「夜のヒット・スタジオ」で「ポールからの緊急メッセージ」が放送されるとあった。私は「もうすぐ行きます」とか、「シークレット・ギグをやります」とか、そんな楽しいコメントだろうと信じて疑わなかった。しかし、私が見たものは・・・。「アメリカ・ツアー中に体調を壊し、入院してしまった。よって、公演日程を変更したい」というもの。しかも「全7公演のうち、1回を中止とする」という。新たな公演日程が字幕で表示された。 恐る恐る見ると・・・。「3月8日:公演中止」。思わず我が目を疑った。よりによって、たった1回分の中止。その中止の日が、私の行くはずだった日。こんなことがあるのか・・・。この日を選んだのだって、「何となく、目に入ったから」であって、この日じゃないと駄目なわけでも何でもなかったのだから・・・。一転して、天国から地獄に突き落とされたような気分だった。 理由が「ポールの健康上の理由」なんだからポールを恨む気はないし、恨んじゃいけない、でも・・・。この怒り、どこにぶつければいいんだろう・・・。翌日、とりあえずBCCで教えてもらった東京のフジテレビ・チケット・センターに電話して8日分チケットの払い戻し手続きと、3月13日公演分チケット(「8日中止の被害者」のために急遽微量のチケットが用意された)をGET。新幹線の切符、ホテルの日付変更も済ませた。やがて、チケットが郵送されてきた。 「2階41ゲート 9通路 9列131番」・・・。言葉を失った。「とれたんだからいいじゃない」という人もいるだろう。しかし、最初に中止を聞かされた時ほどではないにしろ、おそらく、豆粒のようにしかその姿を拝むことができそうにない席に回された私の気持ちは、完全には晴れなかった。もちろん、最初っから2階席だったんなら気にならないけど、最初がアリーナ、しかも前から13番目だっただけに・・・。2月28日、ポール来日、今は亡き逸見政孝氏と幸田シャーミンがキャスターを務める夕方のニュース「スーパー・タイム」で記者会見と、その会場で演奏されたMatchboxの映像を目撃。だけど、最初に「日本公演実現」が発表になった時ほどの興奮は感じなかった。 確かに嬉しかったし、感動はしたんだけど、どこか冷めた気持ちがあったのも事実。3月に入り、ライブの様子、さらには3月9日に都内の小学校で行われた植樹祭(あの木は今、どうなった?)の様子が伝えられても同じだった。3月12日早朝の新幹線に乗り込んで東京に向かった私。その私の心も、喜びながらも、やはり拭い去れないわだかまりを抱えたままだった。

(注:公演日変更は、2日→13日、6日→7日、8日→中止)


久々の上京、初のドーム入り
 東京に着いたのは昼の1時過ぎだった。東京に来るのは大学受験の時以来だから約2年ぶりになる。だけど、その時に空き時間にいろんなところに行ったし、もともと政令指定都市出身だし、福岡市内で遊ぶことが多かったので、「東京に対する憧れ」みたいな気持ちも持ってはいなかった。なので、特に行きたいところもなく、東京駅周辺で暇つぶしした後、3時半過ぎには予約していた日本橋のホテルにチェック・インした。 その日は確か、部屋で飲んだくれてすぐに寝たんだったと思う。とにかく長時間新幹線に乗っていたこと、冬から早春にかけての東京特有の乾燥した気候が体に合わず、かなり疲れていたこともあって、体調もよくなかったような気がする。何をしたのか記憶にも残ってないし、先に述べた当時書いたレポートにも一切触れられていない。ひょっとすると、部屋に備え付けられていたビデオ(AV)でも見てたのかな?(笑)

  翌日、いよいよライブ当日の3月13日、9時頃に起き、10時半頃ホテルを出た。向かった先は新宿。当時はまだヴァージン・メガ・ストアも、HMVもない(タワーはあったはずだが、福岡にもタワーはあったので、別に行きたいとは思わなかった)時代。紀伊国屋ビル2階のCD店に行くと、BGMはポール、FLOWERS IN THE DIRTが派手にディスプレイされていた。福岡でももちろん盛り上がってはいたが、やはり東京のみの公演だから、盛り上がりようが違う。あちこちフラフラした後、 向かったのは西新宿。東京への憧れは持ってなかった私だが、この場所にだけは憧れていた。もちろん、目当てはブート店。まさに、独特な雰囲気。福岡のブート屋とは全く違う。その雰囲気に圧倒され、ただ見るだけ、ただブラブラするだけで何も買えなかった。この場所で最初に買い物をするのは、翌年、就職活動のため上京した時のことだった。

  夕方4時、私は早くも会場に向かっていた。「開場:4時半」とある。つまり、私は開場と同時に入場するつもりだったのである。今考えると「物好きだな」と思うんだけど・・・(笑)。東京ドームができたのは1988年のこと。つまり、今では全国に存在するドーム球場だけど、当時はまだ目新しいものだったのである。野球も好きだし、ちょっと観光気分もあった。 水道橋駅で降りて向かった先、本当に球場だとは思えない、別世界の建造物に見えた。会場の周りでは、既にグッズ販売、ダフ屋、ビートルズの曲を演奏するストリート・ミュージシャン、私同様開場を待つ人々・・・。とても開演2時間前とは思えないほどの空気に包まれていた。開場は少し遅れて5時近かった。早くも入場する私。グッズには興味がないから、 とりあえずパンフレットとビールを買って、早くも席についてしまった。当然周りには誰もいない(笑)。だけど、気持ちは前以上に冷めていた。「もうすぐポールを見れる」という実感もない、ほとんど観光気分だったのである。しかも、席からステージを見ると・・・。私が想像していた以上に遠い。オペラ・グラスを使って見てもあまり見えないほどだ。 ますます気持ちは冷めていく・・・。


いよいよ開演、だけど私は・・・
 開演時間が近づくにつれて、次第に観客が増えていった。BGMにはなぜかトム・ペティのI Won't Back Down(当時私が大好きだった曲でもある)などが流れている。どうも聞こえてくる話し声からすると、私の周りの人はみんな「3月8日中止の被害者」のよう。「遠いなあ」といった声も飛び交う。客層は私の予想以上に若い。当時の私と同世代(当時21歳)か少し上、とにかく20代が圧倒的に多い。 カップル、ヘビ・メタ・ファッションも目につく。おそらく「来日フィーバー」のせいだろうけど・・・。そんな中では私の前の席に、40代くらいの夫婦が現れたのがとても印象的だった。この時期になり、私の気持ちも「観光気分」から「ポールを待つ」気持ちに切り替わった。

  開演の6時半が近づき、FLOWERS IN THE DIRT収録のOu Est Le Soleilが延々流れて、あのアルバムのジャケットを思わせる淡い、幻想的な照明がステージを照らす。そんな6時40分過ぎ、いきなりA Hard Day's Nightのイントロが会場に響く。歓声が起こり、自分の席に急ぐ人々・・・。それに続いて、同映画のシーンがスクリーンに映し出された。その後も次々に ビートルズ、ウイングス、さらにはマイケル・ジャクソンとのセッション映像などが続く。ようやく、私の中のわだかまりは一気に消えた。「もうすぐ、あの映像に出ている、あの人が間違いなく現れるんだ」。そう思うと冷静ではいられなくなった。・・・が、前の方が沸いている。もう登場したのか? それすら確認できない! もうステージに現れているのか、まだなのか、 それも分からない、確認できないうちにいきなりFigure Of Eightのイントロが響き、ポールの歌声が聞こえる。スクリーンには歌っているポールの姿。だけど、ステージに誰かがいることすら、やっと分かる程度の状態。どうやらもう始まっているらしい。ステージから遠いことももちろんある。だけど、それ以前に実は私はかなりの近視。しかも、当時は「カッコ悪いから」との理由で メガネも持っていなかった。ただですら幻想的な、ぼやけたような照明を使っているのに、この近視のせいでステージ上もぼやけて見える。これは参った。一度盛り上がった気持ちが、またしても冷めてしまった。8日の公演が中止にならなければ・・・。私の周りでも、歓声や拍手はほとんど聞かれず、ボヤキ、ため息ばかりが聞こえてきた。私もしばらくはステージではなく、 スクリーンばかりを見ていた。

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