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| あちこちで何度も書いてきたことだが、私がビートルズに目覚めたのは1987年初頭。以降、しばらくは「ビートルズ以外は一切聴かない」時期が続いたわけだが、中でも私が最も目の敵にしていたのがストーンズ。いわば「ビートルズのライバル」という言葉に騙され、踊らされていたわけだ。
そんな「ビートルズ盲信状態」だった1988年3月に実現したのが、ミック・ジャガー・ソロ来日公演。前年のマイケル・ジャクソン、マドンナの来日など「大物来日ラッシュ」だったこともあって、ミックの来日は社会現象と化した。とはいえ、「アンチ・ストーンズ」を公言してはばからなかった当時の私、
「自分には関係のない出来事」と受け取った。まあ、全公演のうち1回分、ギックリ腰のためキャンセル、観客が暴動を起こしそうになった時にミックがステージに現れ、「必ず追加公演を行う」と約束、後日それを果たした、というニュースには少しだけ感心はしたけれど。とにかく、当時の私には無関係なニュースでしかなかった、ジャイケル&アマンドと同様に。
そんな89年暮れにそのニュースは伝えられた。「ストーンズ90年2月に来日決定」。これは行くしかない、いや、ぜひ行きたい。そう思った。だけど、それからしばらくして別のニュースも伝えられる。「ポール・マッカートニー1990年3月に来日決定」。これを聞いた瞬間、「ストーンズを見に行く」という発想は私の頭から消え失せた。いずれも東京ドーム公演のみ、地方公演は全くない。福岡在住の学生に、わずか1ヶ月の間に2回も東京へ行く、 高いチケットを買う、そんな発想は微塵もなかった。ポールが来る以上、ポールを見るしかない、そうなればストーンズを見ることは出来ない。そんなことは深く考えずともすぐに結論を導き出せた。ストーンズに行くことは諦めた。当然ストーンズの来日は社会現象になり、テレビのバラエティ番組の中ですらストーンズが話題になるほどの大騒ぎだった。 だけど、それを聞いて「悔しい」という気持ちはなく、むしろ「俺はポールを見るから」という気持ちで見守り続けた。 ストーンズのステージの模様は、各局のニュース番組の中で流された。大抵がオープニングのStart Me Up。だけど、私には違和感が残った。当時の私にとって「ストーンズ=ブライアン時代=ダーティで危険なガレージ・バンド」。そのイメージに全く似つかわしくない、ショーアップされたセット、わざとらしいポーズを決める、60年代とは別人のようなルックスのキース、ダンスに夢中で歌がおろそかなミック(どちらもあくまでも当時の私の印象)、 打ち込みやシンセなどハイテクを駆使した「らしからぬ」アレンジ、ほとんどミックとハモらないキースと、その代わりにやたらでしゃばるコーラス隊、大勢のブラス隊&複数のハイテクなキーボードに埋没したギター・リフ。私の思うストーンズのイメージとはかけ離れていた。なによりも、このStart Me Upは気に入らん。you make a grow men cryのフレーズの、粘っこさのないあっさりしたミックの歌い回しが大嫌い!(今でもこれだけは許せない:笑) 残念ながら、テレビで見た来日公演には特に感動することもなかった。 行かなくてよかった。ポールにしといて正解。きっと生で見てたら、こんな感想は持たなかったに違いないんだけど。私がまだ80年代以降のストーンズの聴き込みが足りず、80年代の「エンターテイメントなストーンズ」を全く知らなかった、理解がなかったのがいけなかったんだと今なら分かるけどね。 |
時は流れて1994年、26歳、既に社会人になっていた私は仕事の関係で長野県松本市に住んでいた。この頃の私は既にストーンズのアルバムの大半を所持、ストーンズに対する認識も大きく変わっていた。90年代初頭から乱発された各メンバーのソロ・アルバムもほとんど買った。ビルの脱退にも衝撃を受けた。
そしてこの年ストーンズは再始動、VOODOO LOUNGEを携えてのワールド・ツアーを開始した。もちろん、このアルバムは発売日に即購入。そして来日公演の日程も発表された。前の時の「エンターテイメントなストーンズにガッカリ」感もまだ残ってたけど、「いくらイメージが変わろうとも、一度はコイツらを生で見ないことには死ねない」との想いの方が先行。
それに多くのロック雑誌の記事を見ると、今回のツアーは前回と比べれば「バンド・サウンド」に近いシンプルな演奏をしてるそうだし。しかし、今回もまた東京ドーム限定。まあ、松本から東京なんて特急に乗ればすぐだから何の問題もないや、とばかりにチケット獲得に乗り出した。当時の私は出勤時間が朝11時。予約受付開始日の朝の10時、自宅から電話する。しかし、案の定繋がらない。何10回もかけ直したけど駄目。時計は回って10時半。もう家を出なきゃいけない時間だ。仕方なく一旦家を出ることにする。出勤途中の道端に公衆電話発見、もう一度電話してみる。 やはり繋がらない。しばらく歩くと、また公衆電話発見。もう一度、でもやっぱり駄目。そんなことを繰り返しながらも遅刻することなく勤め先に着く。「すみません、ちょっと電話したいところがあるので」と上司に断って電話。やっぱり繋がらない。しばらくしてもう一度電話。ようやく繋がった。ランダムに、目に入った日付を指定して 「S席1枚お願いします」。「売り切れです」と受付嬢。「じゃあ、●日は?」と別の日を指定する私。「すみません、もうS席は全日完売です」。言葉を失う私。「そうですか・・・」と電話を切る。気が動転していたから「A席で我慢する」という発想も起こらず。ああ、俺はストーンズを見ることなく死んでいくんだろうか・・・。その時点では「急な追加公演」への淡い期待を抱きながらも、「今回も駄目だな」とほぼ諦めていた。 (東京公演の日程:1995年3月6日、8日、9日、12日、14日、16日、17日) 「ストーンズに行く」という発想が完全に薄れはじめたある日、北九州の実家に住む妹から不意に電話が。「ストーンズ、行くん?」、「いや、チケットとり損ねた」、「知らんの? 3月22日に1日だけやけど福岡ドーム公演が決まったんよ」、「ホントか? 全然知らんかったぞ」。こんな会話が展開される。どうやら急遽福岡公演が決まったらしい。そのニュースは全国区では全く伝えられていなかったからビックリ。 「発売日、私休みやから、代わりに並んで買ってきてやろうか?」。おお、なんともはや兄貴想いな妹!(笑) というわけで、私は妹の厚意に甘えることにした。よく考えれば、地元にももう2、3年帰ってないよな。数日後、また妹から電話が。「人が多いと思うとったけど、意外と並んでなかったよ。おかげで前から8列目の席がとれたよ」。おお、これは奇跡だ! 東京公演、あれだけ苦労してもとれなかったのに。 もしも東京ドーム公演のチケットをとることに成功していたとしても、「業界関係者御用達」といってもよいアリーナ、しかも前から8列目なんて席をとるのは100%不可能。ああ、東京でチケットとれずによかったのかも。急に福岡公演が決まってよかった。今となれば、東京公演のチケットをとり損ねたことを含めて、すべてが私にとってよい方向に転がったんだと感じた。 公演日が直前に迫った頃、またも妹から電話が。「ストーンズ、3月23日に福岡で追加公演やるらしいよ、チケット、またとろうか?」。少し迷った。2回も見るとなると、当然多く休みをもらわなきゃいけなくなる。3月末といえば忙しい時期だし。だけど、1990年のポール来日時に突然の公演中止に泣かされた教訓が私にはある。 2回分のチケットをとっておくのも悪くないな。「悪い、じゃあまたとっといてくれ」。妹にはそう告げた。何と、こっちもまたアリーナ席。いやはや、来日アーティストを見るんなら東京は避けて地方で見た方がいいんだなと痛感した。大して興味もないくせに(興味のある人は別ですよ、念のため)東京ドームのアリーナ席に陣取るギョーカイ関係者って本当にウザい。最近でも「興味がないけど行ってきた、最前列で見たけど退屈だった」なんて書いたギョーカイ人による書き込み、最近ではネット上の個人サイトですら見受けられるけど、 そのたびに胸クソ悪くなる。読んだ人がどんな気持ちになるかとか、行きたくても行けなかった人がどんな気持ちになるかとか、少しも考えないんだろうね。感覚が麻痺してて、人を思いやることすらできないんだろうか。暴言かもしれないけど、この時一歩間違えば俺は見ることが出来なかったかもしれないんだよ。そんな私だからこそ、そういう人たちへの怒りは拭えない。 |
| 実は1995年初頭といえば、2つの大きな災害、事件が起こった年である。ひとつは東京の地下鉄サリン事件(まさにストーンズ滞在中の3月に起こった!)、そしてもうひとつは阪神淡路大震災。そんなこんなで、当時の日本には「どこで何が起こるか分からない」といった暗い空気が流れていた。特に阪神淡路大震災は「ストーンズを見に福岡へ帰る」私にも、ちょっとした影響を及ぼしていた。というのも大震災の後、交通機関が麻痺、それは3月になってもまだ回復していなかったのだ。私は松本から地元に帰るのに「特急で松本から名古屋へ、名古屋から新幹線で小倉へ」という経路以外、浮かんでは来なかった。
しかし、当時新幹線は震災で受けた損害により、関西で分断された形での運転(東京←→米原辺りか?、岡山辺りか?←→博多)となっていた。つまり、新幹線で帰ることは出来ない。飛行機には乗ったことがなく、「怖いから一生乗りたくない」と公言していた当時の私、普段だったら帰郷は諦めていただろう。だけど、今回はあくまでも「ストーンズを見る」ための帰郷。帰らないわけにはいかない。仕方なく名古屋から福岡の便のチケットを予約した。
飛行機に乗るのははじめて、うーん、恐ろしい(笑)。しかしそれもこれも、ストーンズのためだ。我慢、我慢。 公演前日の3月21日、特急列車で名古屋に出て、そこから決死の想いで(笑)飛行機に乗る私。フライト中、生きた心地がしなかった。その不安を隠すため、ずっとグラサンをかけたまま乗っていたのをよく覚えている。とはいえ、特に揺れるでもなく、遅れるでもなく無事に福岡空港に到着。約3年ぶりの地元である。地下鉄で博多駅へ、さらに在来線で実家の最寄り駅へ。実家に着いたのは夜だったと思う。 まとまった休み自体が久々だったし、しかも慣れない飛行機に乗ったこともあって、疲れてすぐに寝たと記憶している。 |
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翌22日、JR在来線で福岡市内に向かった。学生時代、福岡市内の大学に通っていた関係上、遊ぶ場所といえば北九州市内よりも福岡市の方だった。だから、本当に久しぶりの福岡。だけど、随分と街の様子は変わっている。とりあえず、私の知らないうちに出来たいくつかのCD店に足を運ぶ。
ほとんどのCD店ではストーンズの商品が中央に置かれ、ビデオもストーンズ、BGMもストーンズと、まさにストーンズ一色。松本ではさすがにこうじゃなかったし、東京(当時2、3ヶ月に1回、特急を使って日帰りで遊びに行っていた)の方も今回は2度目ということもあってか、90年の時ほど盛り上がってる風でもなかったけど、さすがに福岡の場合ははじめてということもあって、盛り上がり方も違う。
もともと福岡は伝統的に60年代のブリティッシュ・ビート熱の高い街だから、当然といえば当然なのかも。しかし福岡って、人口のわりに水源が少ないため、昔からすぐ水不足になる土地柄。この時も給水制限中で、トイレに入っても水があんまり出なかったっけ。 日中は天神など、福岡の中心街で時間を潰した私、いよいよ夕方になり、地下鉄で天神から唐人町駅へ移動。そこから歩いて福岡ドームへと向かった。福岡ドームは1993年オープンだから、まだ2年。新しかったし、完成は私が地元を離れた後。だから目新しさもあって興味津々。しかし、唐人町駅からドームって、思った以上に遠い。 ちょっと疲れてしまったし、私が想像していたよりも到着が遅れてしまった。中へ入る。広い、東京ドームよりもはるかに広く見えるし、きれいだ。当時まだダイエー・ファンだった私は「今度は野球観戦で来たいなあ」などと考えていた。よく見ると開演まであとわずか。ゆっくり見物したり、買い物したりするのは明日にしようと決め、とりあえず席に向かった。 しかし、席に着いて軽いショックを受ける。確かに「前から8列目」だけど、ステージに向かって最も右端の一角。確か私の席から10個先くらいが最右端席だったはず。それほどの極端な右寄りだったというわけ。VOODOO LOUNGEツアーのステージの写真やビデオを見た方ならご存知だと思うけど、このツアーのステージは、コブラの頭だの、長いアーチや階段だのの巨大セットがステージ右サイドを占拠、ストーンズが演奏を行うスペースは逆サイド、つまりステージ左端の狭いスペースである。 そう、確かに「前の方」だけど、演奏が行われる場所からは「はるか彼方」というわけ。ドラム・キットもアンプも、巨大セットの陰になっている。おいおい、本当に見えるのかなあ。不安がよぎる。事実、私の周囲の人たちも同様の不安を口にしている。隣には同世代のカップル、後ろには学生と思われる男の集団。後ろの集団の会話に耳を傾ける。「途中でトイレに行く時間、あるかなあ」「キースの歌だって聴きたいしなあ」。 いつものことだけど、こういう会話を聞いていると「もうすぐはじまるんだなあ」と気持ちが盛り上がってくる。なにしろ、いつもひとりでライブに行ってるからね。客層は若い人が多い。当時の私(26歳)よりももっと下の世代が目につく。あと、今回は東京と福岡限定のせいだろう、関西弁、広島弁も結構聞こえてくる。 |
開演時間が近づくと照明の色が変わり、コブラの頭のようなセットが揺れたり、煙を噴いたりしはじめる。さらに会場には、アフリカのパーカッションを連想させる打ち込みの音。ここから会場は沸きはじめ、既に私の周りも立ち上がりはじめたので、私もつられて立ち上がる。さらにそのBGMのテンポが上がったところで、コブラが口から火を噴く(規制の多い東京ドームでは煙だけだったとか)。
と、そのBGMとともに生のドラムの音も聞こえる。そう、チャーリーだけは何時の間にかステージ現われ、ドラムを叩いていた。といっても、私のところからは「ドラムの前に誰か座ってる」としか映らなかったが。ここで更に歓声。そしてチャーリーの叩くビートは、何時の間にかボ・ディドリー・ビートになり、ステージの隅からはじけるように誰かが飛び出してくる。そう、ミックの登場。これは私のところからもすぐに分かった。
中央に進むミック、歌いはじめるI wanna tell you how it's gonna be。ストーンズ初の全英トップ3ヒット、サード・シングルだったNot Fade Away。今回は音楽雑誌などでストーンズのツアーの様子はフォローしていたので、大体のセット・リストは把握していたし、別に驚きはない。だけど、ここで私は多くのビデオでお馴染み、1964年の「ポール・ウィナーズ・コンサート」でこの曲を演奏するストーンズ(ブライアンがハープを吹いて、ミックがマラカスを振りながら歌ってる映像)を思い浮かべていた。随分とルックスも、雰囲気も変わったけど、確かに同じバンドを見てるんだ。そう思うとさすがに感慨深くなる。
とはいえ、やっぱり「極端に右」から彼らを見守る私、まだまだ実感は薄かった。チャーリー、ミックに続いて、
これまたはじけ出るようにキースとロンが登場、この瞬間に3たび歓声は起こる。キース、ポーズなんかいいから、あの「ポール・ウイナーズ」の時みたいにギターを掻きむしるように弾いてくれ、などと考えつつ見守った。しかしなぜにこの曲がオープニング? 長く演奏されていなかった曲、その上、オリジナル曲でもない。これは私の推測だけど、この曲を1曲目に持ってきたのはストーンズの決意表明だと思う。前のツアーからこのツアーの間には、ビルの脱退というアクシデントがあった。毎度のこととはいえ、解散説だってあった。だからこそ「俺たちは決して消えやしない」、その意思表示がこの曲をオープニングに持ってきた理由なんじゃなかろうか。 「極端に右」にいるがために、「ステージから遠くて見づらい→もっと左に寄りたい」想いは、私の周りの連中も同じだったんだろう、なぜか自然と全員が少しずつ左に寄り、振り返ると最初に私が座っていた座席は、私の立ってるところから随分遠くなっていた。しかし、私の周囲は異常に熱い。飛び跳ねてる奴、叫びまくってる奴。となりのカップル、開演前は「クールな男女」風だったはずなのに、既に高揚しまくり。女の方は髪を振り乱してる。後ろの学生の集団も大声を上げている。 当時の福岡って、「音楽に詳しくてうるさい」土地柄である反面、「ライブではクール」ということで、アーティスト受けはあんまりよくなかった。だけど、この日の観客は凄い。1991年のジョージ・ハリスンの時、大阪の観客の熱さに驚いた私だけど、それをはるかに上回る熱さだ。「極端に右端でよく見えない、ストーンズを見ているという実感が薄い」がために、ちょっとクールに見ていた私だったが、次第に周囲の熱い波の呑み込まれていくことになろうとは、この時は思いもしなかった。 |
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