本当に待ってた!ーザ・フー(ロック・オデッセイ2004)

     
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実現不可能と信じていたザ・フーの来日
 私がザ・フーを知ったのは、ビートルズに目覚めた直後の1987年夏。当時購入したイギリスの人気テレビ番組Ready Steady Goのビートルズ出演分だけを集めたビデオ「ザ・ビートルズ・スペシャル」のライナーに「ザ・フーのピート・タウンゼンドがいきなり楽器を壊して」なんてフレーズがあった。 それが出会い。当時はビートルズ一筋だから別に関心も持たなかったけど、ビートルズに関するエピソードを知る過程で何度かザ・フーの名前が登場したから、常に意識はしていた。1988年末にストーンズを聴きはじめて「もっといろんなロックが聴きたい」と思うようになる。当然ザ・フーにも興味を持つ。だけど当時の日本のラジオでザ・フーの曲がかかるなんて有り得ない。「楽器壊し」だの「ロック・オペラ」だののエピソードばかりが耳に入って来て、肝心の音が聴けない時期が続く。 そんな中、1989年の夏、はじめてラジオでザ・フーの曲を聴く。曲はSummertime Blues。純粋にカッコイイと思った。そしてCD店に寄って彼らのベスト盤THE SINGLESを購入。はじめて聴いていきなりはまる。特に気に入ったのは初期のビート・バンド期のヒット曲だった。

  その後、社会人1年目の年(1992年)までにWHO'S NEXTA QUICK ONETOMMYなどを聴く。ベスト盤を買った頃のように「鰤ビート一筋」でもなくなり、いろんなタイプのロックを聴くようになっていたこともあって、WHO'S NEXTのような、ハード・ロック然とした曲も気に入った。反面、TOMMYは当初、難解で理解できず。そんな感じで、当時の私にとってザ・フーは「ビートルズやストーンズの次くらいに好きなバンド」ではあったけど、思い入れ自体はそれら2組と比較すればずっと低かった。そんな私のザ・フーへの想いが一気に強くなったのは、社会人1年目の1992年の夏、「ウッドストック」のビデオを購入した時。 映画自体に対しては不満を持ったけど、そんな中で唯一、鳥肌が立ち、思わず涙がこぼれそうなほどの強い衝撃と感動を覚えたのがザ・フーの演奏シーン。「ピートはジャンプしたり、腕を回したりと、激しいアクションでギターを弾く」、そういう噂は常に聞いていたけど、正直「まさかここまで」って感じ。身を削っての壮絶なパフォーマンス。もう、そのピートの姿にただただ圧倒され、画面に釘付けになった。完全にザ・フーにとりつかれた瞬間、そして私の中でザ・フーが「永遠の不動の3番目に好きなバンド」と化した瞬間だった。

  とはいえ、この時点では「楽曲が大好き」で、「ライブでの壮絶なパフォーマンスが好き」ではあったけど、まだザ・フーのすべてを本当に理解していたとは言い難い。そのすべてを理解し、さらにザ・フーへの好感度が上がり、「一生つきあっていきたいバンド」にまでなったのは、同年秋にビデオ化されたばかりの映画THE KIDS ARE ALRIGHTを見た時だった。最初に見終わった時には画面の前で涙が止まらなくなり、鳥肌が立ち、他のことを考える余裕すらなくなるほどの感動と衝撃を受けていた。彼らの演奏している姿、コメント、それらのすべてに感動した。何というとんでもないバンドなんだろう、このバンドを聴き続けてきてよかった、いや、ロックが好きでよかった。心の底からそう思った。 以来、ザ・フーは私の中で「特別大事なバンドのひとつ」であり続けた。

  一方でザ・フーといえば欧米と日本で人気、知名度が違い過ぎるバンドであった。欧米ではビートルズ、ストーンズ、ディラン、ツェッペリンなどと同等に評価されているロック史上最高峰レベルのバンド。にもかかわらず、日本での知名度、評価の低さはひどかった。事実、私がはじめて彼らのベスト盤を買った1989年頃、CD店に行っても、よほどの大型店でない限り、ザ・フーのアルバムなんて置いていなかった。 その後、90年代になるとブリット・ポップ・ブームやモッズ・リバイバル・ブームの影響もあってか、若干注目度も評価も上がりはじめ、さらに1994年のデビュー30周年の頃の相次ぐニュー・アイテムの発売ラッシュで、以前と比べると彼らの知名度も人気も格段に上昇はしたけれど、それとて「一部のロックや音楽にうるさい人の間で評価が高い」というレベルに過ぎず、一般レベルでの知名度に関していえばお寒い状況が続いた。

  そんな状況下において、ザ・フーの来日なんて夢でしかなく、あまりにも非現実的であった。チャンスはあった。1989年の大規模な再結成ツアー。ポール・マッカートニー、ストーンズのまさかの復活&来日が実現した時期と重なったこともあり、一部に「今度こそ」という噂、声もあった。それでも実現せず。個人的にはその時の再結成ツアーは、ビッグ・バンド編成の演奏、ナツメロ・ショー風のアレンジ、難聴でエレキ・ギターの弾けないピートなど、往年の彼らと比較してあまりにも寂しい内容だったので、「見たい」という願望はそれほど強くはなかったが。 しかし1999年の再々結成以降の彼らは、ピートが再びエレキ・ギターを手にし、「ドラミングはキース、見た目はリンゴ」なリンゴ・スターの息子にして名ドラマー、ザック・スターキーを得たことで、往年を思わせるハイテンションなライブをやっていることを知り、「どうしても見たい」という欲求は強くなった。さらに2001年の「コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ」の映像ではじめて目にした、再々結成後のライブ映像に感動、その想いは増すばかり。だけど一方で「絶対に実現するはずがない」ということも分かっていた。 「ピートは日本が嫌い」「ピートはイギリス以外での成功には興味のない」という話は頻繁に耳にしていた。そしてそのことと「日本では知名度が低い→当人たちがそんなところへ行きたいと思うはずはない&イベンターとしても『ギャラは高いのに知名度が低くて不入りで赤字』というリスクを背負ったアーティストをわざわざ呼びたいと思うはずがない」ということも、容易に理解できた。 だからこそ「見たいけど、どうせ実現するはずがない」、そう思い続けていたし、2002年6月のジョンの死が、そんな私の気持ちに更なる追い討ちをかけた。


エイプリル・フール・ネタか?
 2004年3月、ネット上に「ザ・フーの来日が実現するかもしれない」という噂が流れる。当然、私はこれっぽっちも信用していなかった。ところが4月1日、一斉にネット上に「本当に決まった」との情報が。・・・ウドー音楽事務所がフジロックなどに対抗して開催する真夏のロック・イベント「ウドー・ストック」(当初はこう伝えられた)の出演者が決定、その中にザ・フーの名がある、というもの。 イベンターにとって「ギャラは高いが集客力に不安」という彼らの単独公演を企画するのはリスクが重いけど、こういう複数アーティストの登場するイベントならリスクは軽いし、まして逆にイベントの目玉にもなる。あり得ない話ではない。だけどやはり、ファンになった当初から「来日など絶対にあり得ない」と信じ込んできた私には、安易にその情報を鵜呑みにすることができなかった。まして今日の日付を見てみると、4月1日。ああ、きっとエイプリル・フール・ネタだろう。 情報源は「ロッキン・オン」に掲載された広告だとのことだけど、その広告自体がネタに違いない。だけどネット上を見ると、意外なことに気付く。その情報を自分のサイトや、よそのボードに書き込みしている顔触れを見ると、普段はクールで熱くならない人、世の中に対して異様なほど斜に構えた人、音楽業界にコネを持っている人などもいる。 こうした人たちが何の根拠もなく、安易にいい加減な情報を信じ込んで、舞い上がってしまうはずはない。きっと「信じ込む」だけの根拠があるはずだ。しかも同じイベントへの出演が決まったエアロスミスのファンの人までもが、同様の書き込みを展開。ザ・フーのファンならまだしも、エアロのファンが「ザ・フーの来日」というガセ情報を流す必然性は一切ないし、ザ・フーの来日に我を忘れて熱くなるはずはないわけで、こんなところからも「もしや」というかすかな期待が。そうやって約半日ほど静観していると、音楽情報サイトなどの公のサイトで「ザ・フー来日」の情報が流れるようになる。 追い討ちはウドーからのメール(デヴィッド・ボウイのチケット獲得時に、ウドーの会員になっていたのでDMが来た)。この時点ではじめて「本当だったんだ」と気がつく。 そして「信じられない」という強い衝撃を受ける。これは行くしかないだろう。ジョンが亡くなった時に感じた「2人のザ・フーじゃなあ」感(追悼文を参照)などすっかり忘れ、チケット先行予約開始の日、ウドーのサイトで大阪公演のチケットを速攻で予約していた。

 その後、次第にイベントの詳細が明らかになる。イベントの正式名称は「ロック・オデッセイ2004」。会場は横浜国際競技場と大阪ドーム。開催日は7月24日と25日、登場アーティストは2グループに分けられており、そのグループが日替わりで両会場に登場する、というもの。ザ・フーは横浜は24日、大阪は25日(そのことは事前に分かっていたので、私の獲得したチケットは25日大阪分)に登場する方のグループに入っており、同じグループにはエアロ、ポール・ウェラーの他、B'zの稲葉浩志までいる。 うーん、メンバー的に随分とっ散らかったイベントだなあ、稲葉を見なきゃいけないのは苦痛だなあ、なんでエアロがヘッドライナーなんだろう、会場も横浜は野外だけど大阪はドーム球場で純粋な「野外イベント」って感じでもなく、この辺も統一感がないなあ。イベントに対してはいかにも「突貫工事」的なものを感じて不満だったけど、そんなことより「どんな内容のイベントであれ、とりあえずザ・フーが見れるだけでよい」、気分はそういう方向で固まった。その後、「サザンやミスチルの出演が決定」というガセ情報が流れたり、大阪のみ稲葉は出演せず、代わりにウルフルズが出演することが決まったりと、 内容は二転、三転して、やはり内容的にはポリシーのない、統一感の感じられないイベントだなあ、という印象が強かったけど。

  とはいえ、「ロック・フェスティバル」自体が私には初体験になる。「とりあえずザ・フーだけ見られればいい」という想いはあったけど、一方で「やはりイベントに参加する以上、純粋に雰囲気を満喫したい」って気分もありで、結局直前までその両方の間で気持ちは揺れ動いた。興味のあるのはザ・フー以外ではウェラーとエアロ、ちゃんと見るとすればこの3組。エアロは1998年に一度、見ている。ウェラー、ジャムは大好き、スタカンはベストを持ってるけど、ソロは全く知らない。一応、予習のために彼のベストを買って聴く。思っていた作風とは違ったこと、今一つ馴染めないこともあって数回聴いて放置したけど、 まあ、一応軽い予習にはなった。一方で「エアロ目当てでイベントに行くけど、ザ・フーも予習しておきたい」というネット上の知り合いの方に、ザ・フーに関していろいろお勧めしたりもしていた。

  ところが、6月末頃になると、ザ・フー関連の新サイトが誕生したり、新曲入り最新ベストの国内盤が発売されたり、THE DIGやレココレの増刊号が出されたりで、単なる「イベントのいち参加者」としてでなく、「遂に初来日する大物」としてザ・フーがクローズアップされる機会がどんどん多くなる。私の心も一気にザ・フー一色に。7月に入って以降、「ザ・フー以外は全く受け付けない」というほど、ザ・フーで頭がいっぱいになる。同年7月には「5年以上も発売を心待ちにしていた」はずのフェイセズのボックスが発売されたにもかかわらず、購入する気にすらならない。そしてそのまま、当日を迎える。 ライブに行く場合、チケット発売から実際にライブが行われるまでの間、インターバルが長すぎて、チケットを獲得した時点での盛り上がった気持ちも、ライブ当日にはすっかり萎えている、というケースが多く、会場入りしてようやく気分が盛り上がるというのが普通なんだけど、今回は違った。もう、7月の最初からずっとザ・フーのことしか考えられない、そんな状態での1ヶ月だった。いつしか「イベント自体を楽しむ」なんて気持ちは消え、「ザ・フーを見に行く」に方向転換していた。よって大阪へは当日の朝新幹線で出発、新大阪駅についた頃にはとっくにイベントが始まっている時間になっていた。

「ロック・オデッセイ」参加全アーティスト(登場順)

7月24日:横浜&7月25日:大阪7月24日:大阪&7月25日:横浜
ラブ・サイケデリコHY
ジョシュ・トッドトラブト
ミッシェル・ブランチブラック・アイド・ビーズ
ウルフルズ(横浜はポール・ウェラー)ラルク・アン・シエル
ポール・ウェラー(横浜は稲葉浩志)レニー・クラヴィッツ
ザ・フーレッド・ホット・チリ・ペッパーズ
エアロスミス矢沢永吉

最高の「オープニング・アクト」、ポール・ウェラー
 在来線で宿泊先のホテルのある大阪駅に移動してロッカーに荷物を置いた私は、駅周辺で食事をとり、休憩。イベントはとっくに始まっていたけど、「ポール・ウェラーの登場する3時20分までに会場入りすればいいや」と、のんびり構えていた。もはや「イベント自体を楽しむ」という発想は消えていた。

  2時になって、大阪環状線に乗って大阪ドームから近い大正駅で下車、ドームへ向かって歩き出す。私と同じく、ロック・オデッセイが目的の人が多いようで、みんな一斉に同じ方向に向かって歩き出す。 当然道は知らなかったけど、その流れに身を任せて無事に会場へ。会場入りすると、チケットと交換で腕輪をはめられる。私は左利きなので、思わず左手を差し出すが、係員のお姉ちゃんが困ったようにしているので、一瞬、固まる。お互い固まって沈黙した後、気がついた私が右腕を差し出す、お互い見合って思わず苦笑い、そんなやりとりも展開された(笑)。会場に入る、ちょうどウルフルズの演奏がはじまっているようで、「バンザイ」を歌うトータス松本の歌声が聞こえていた。ああ、レコードじゃなく、生の歌声なんだな、とは思ったけど、 特に思い入れもないし、薄暗い中、自分の席を探すのは大変なので、とりあえず通路で待機することにする。よく見ると通路には既に私同様「時間待ち」している人で溢れている。年齢的には20代半ばから40代くらいの人たち、きっとウェラーから後の3組が目当ての人たちなんだろう。うち約7割がザ・フーのTシャツを着ていたり、ザ・フーの話をしていたり、ザ・フーのグッズを物色していたりという、明らかなザ・フー・ファン。やはり今日はザ・フー目当ての人が多そうだ。ただし標的マークのTシャツを着ている人に関しては、ウェラー目当てか、 ザ・フー目当てか、区別に困ったけど。

  3時前後になってウルフルズの演奏が終わり、一斉に観客が溢れ出してくる。ティーン・エイジャーや20代前半が大半、通路で待機している層とは明らかに異なる人たち。登場アーティストから考えて、ここで「入れ替わり」が発生するのは想像がつく。私はその人波の間を縫って、アリーナに降りていく。37列137番、自分の席を探す。ステージに向かってかなり右端、ステージ上は何とか肉眼で見えるが、アーティストの表情までは見えない位置。だけど大会場のライブに慣れていて、ましてスタンド席で見る機会も多かった私にとって、 その席は決して不満を感じるような位置ではない。隣に「元ヤンキー」っぽいお姉ちゃん2人と「ワケあり」っぽい30代くらいの男性の3人組。何やらラモーンズ、ジョニー・サンダース、パティ・スミス、ニューヨーク・ドールズなどについて語っていて、その男性がウンチクを垂れていた。「それくらいなら俺でも語れるよ」と思いつつ(笑)、それを聞いていた。この3人は特に誰かが目的という感じでもなさそうで、純粋にロック・イベントを見に来た風。右斜め前の席には40代くらいの男性2人組。当初はクールそうなオトナに見えたんだけど・・・。

  やがてほぼ定刻通りの3時20分頃、ウェラーとバンドのメンバーが登場する。あまりにもあっけなく、特別な演出もなく、さり気なく登場したという感じ。会場も軽い拍手と歓声でこれを迎える。しかしアリーナは一瞬にして総立ち。10列ほど前のお姉ちゃんたちが「ポール」と黄色い声援をあげる。と、なんと、右斜め前のあのクールそうな男性2人がWelcomeなどと叫んで大騒ぎ。以降もこの2人、拳を振り上げ、大合唱して、異様にハイテンションに盛り上がっていた。いや、人は見かけによらないものだ。私はウェラーのソロはほとんど知らない。 だけど事前にベスト盤を聴いていたのは正解、ほとんどベストから選曲されたセット・リストだったので、聴いたことのある曲が大半だった。まさかのスタカン・ナンバーも登場、特に今の季節にピッタリなLong Hot Summerは心に染みる。とはいえ「あまり知らない」のは事実なわけで、途中で「ちょっと気分的に間延びしてきたなあ」と思った矢先、信じられない曲の登場。ジャムのThat's Entertaiment。「ライブではジャムの曲はほとんどやらない」って聞いてたので、これは意外。おそらく会場を埋め尽くした観客の中には私同様、「ジャムは好きだけど、 ソロは知らない」人は多かったのかもしれない、この曲ではそれまでにないほどの異様な盛り上がりに。ずっと退屈そうだった隣のお姉ちゃん2人も「この曲なら知ってる」って盛り上がっていた。さらにラストは、これまた意外なジャム・ナンバー、A Town Called Maliceの登場。そこで一気に盛り上がった後、アンコールもないまま、あっけなく引っ込んでいった。まあ、こういうフェスティバルにアンコールってのはないもんなんだよな。

  ずっと述べてきた通り、正直「ソロはよく知らない」ウェラー。だけど唯一聴いていたベストからの曲が多く、しかもジャムやスタカンの曲までと、サービス精神の感じられるセット・リストだったこともあり、「知らない」なりに楽しめたウェラーの演奏だった。私個人はとても満足している。しかも横浜の会場ではウェラー→稲葉→ザ・フーの順番だったせいで、観客の入れ替えが発生したり、場内の「雰囲気」が分断されたりしたようだけど、ウェラー→ザ・フーと続いたおかげで、観客の入れ替えはほとんど起こらず、しかも一定の「雰囲気」を保ったまま、 ザ・フーの登場へ繋がったわけで、この2組を続けて楽しめた大阪の観客は、横浜の観客よりもラッキーだったのではないだろうか。ただし、おかげでウェラーが「ザ・フー登場前のオープニング・アクト」になってしまったのは、ウェラーにとってはどうだったんだろうか。いや、意外と本人も本望なのかもしれない。


本当に待ってた!
 ウェラーが終わっても、会場を後にする人の数は少ない。やはりファン層が被っている分、2組続けて見ようという人は多いようだ。逆にウェラー終了直前、直後になって会場入りする観客も多い。つまりザ・フー登場前になって、急激に観客が増え始めたということ。アリーナはウルフルズやウェラーの時は6割ほどの入りだったのが、ザ・フー直前までにはほぼ満席に。しかもスクリーンに「次はザ・フー」という旨の最近のライブ映像が何度も流されるたびに、会場から拍手や歓声が起こる。 会場全体に異様な空気が流れる。隣のお姉ちゃんたちはザ・フーはよく知らない様子。連れの30代男性が、そのスクリーンに映される映像を見るたびに「あっち(欧米)ではこうだけど、果たして日本でもこんなに盛り上がるんかなあ」などと漏らしていた。しばらくすると、私の右斜め前に、身長も、体重もかなりある、40代くらいの大柄な男性が現れる。しかもこの男の立ち位置から想像するに、こいつの巨体が陰になってステージが見えなくなる恐れが多いにある。ジャマだなあ、心の中で悪態をつく(笑)。頼み込んで席を代わって貰おうかと本気で思ったほどである。

  ステージ上では器材のチェックが行われている。しかも開始予定の5時が迫ってくると、わざわざ会場内のBGMを止めて、かなり念入りにやっていた。そういえばネット上で見た最近のライブのレポで、「ライブ本番中にピートがスタッフをステージ上に呼びつけて、器材のことで何か怒っていた」というエピソードも読んだ。確かに音に神経質そうなピートだし、そのピートを満足させるには、ここまで念入りにやる必要もあるんだろうな、などと考える。すると急に「本当にもうすぐ出てくるんだ」ってことに気がつき、 心臓がバクバクして、落ち着かなくなる。大学の入試試験の時、就職の面接の時などに感じたのと同じような緊張感。ライブでこんな気持ちになったのは、本当にはじめて。よく見ると開演5分前。と、いきなり例の私の右斜め前の「渋く見える40代男性2人組」のうちのひとりが立ち上がり、手を叩き、歓声を上げはじめる。それにつられるかのように、近辺の席からも拍手と歓声が。更にその波は会場全体へと広がっていく。気がつけばアリーナは総立ち。まだ開演時間前、客電もまだついているし、ステージ上にはスタッフがいるし、アーティスト本人が登場する気配すらない時間帯。 こんな時間帯からこんな異様な盛り上がり方をするライブってのも、私はこれまで体験したことない。しかしその「仕掛人」が、実は私の斜め前、36列の140番くらいに座っていた男だったということを知る人は、おそらく少ないだろう。この時点で会場は大興奮、ピート、「俺たちは日本では人気がない」とかって思ってたかもしれないけど、この拍手と歓声、聞いてくれ、本当にみんな、待ってたんだぞ。心の中でそんなことを呟く。

  そんな異様な盛り上がりの中、事務的な「間もなく開演です」のアナウンスが流れる。さらにヒートアップする会場・・・。ところが、いつまで経っても出てこない。しかもステージ上では依然として続く器材のチェック。緊迫した空気が漂う。きっと器材にトラブルか何か、発生したんだろう。ここで「もうしばらくお待ち下さい」のアナウンス。私を含む、総立ちになっていたアリーナの人たちは、溜息をつきながら一旦、席につく。私の心の中に、嫌な想いが胸を過ぎる。まさか、このまま帰ってしまうのでは? 実はこの時点では、敢えて前日の横浜でのステージの情報を一切シャット・アウトして私は大阪入りしている。 だから「前日のライブでなんか気に入らないことがあったのかも」とか、「前日、思ったほど盛り上がらなかったのかも」とかといった気持ちも胸を過ぎる。もう、「もうすぐ出てくるんだ」という緊張感と、「このまま出てこなかったら・・・」という不安、その2つに押しつぶされそうな私。この待ち時間、本当に、異様なほど長く感じた。

  そして5時20分過ぎ、今度こそ本当に客電が落ちる。総立ち、大熱狂のアリーナ。私の「バクバク」は最高潮に達した。その時、遂にピートとロジャーは登場した。いや、本当に倒れそうだ。

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