ブリティッシュ・インヴェイジョン

ビートルズの登場以降、イギリスでは多数のビート・バンドが登場。ひとつのムーブメントにまで発展した。ここでは毎回☆TAKEが最も好むこの時代のイギリスのアーティスト1組にスポットを当てて、独断と偏見で語っていく。

THE DAVE CLARK FIVE

ー過小評価気味のラウド・ポップ・バンドー

単なるポップ・バンドと見られて過小評価されている彼ら。しかし実態はラウドで骨太な個性派バンドであった。
      
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(1)過小評価の理由
 一般にデイヴ・クラーク・ファイヴといえば、大ヒットしたBecauseのみで語られることが多い。実際、活動中もこの曲に代表されるポップで甘いナンバーを次々と発表、 ストーンズやキンクスなどを好む硬派なロック・ファンからは無視されることが多かったようだ。しかしそれ以上に、彼らの今日の評価を不当に低くした原因は、リーダーであった デイヴ・クラークが解散後も作品の原盤権を所持、復刻盤、編集盤の発売をほとんど許可しなかったことにある。特にCD時代になってからも、一切CD発売を許可せず、そのことにより その存在自体が忘れられたり、又は無視されたりということになったのである。そんな状態ではスタンダードと化したBecause以外の曲は一般に聴かれる機会すら失われていたのも当然であろう。

  93年にようやくベスト盤のCDが発売された。しかし、未だに彼らが正当に評価され、語られたことがないように思われる。私の考える彼らの本来の姿はアメリカに進出し、ポップ・バンドの イメージが定着する前の63〜64年頃にあったと思う。この時代の彼らは間違いなく、個性的な「ラウド・ポップ・バンド」であった。


(2)「結成」に至る誤情報
  「デイヴ・クラークが所属していたサッカー・チームの遠征費を稼ぐためにチーム・メイトとともに結成したのがデイヴ・クラーク・ファイヴだった」。 あまりにも有名なエピソードである。しかしこれは、EMIがプロモーションのためにでっち上げた作り話であったことがのちに明らかにされている。にもかかわらず、 きちんと訂正されておらず、そのことを言及していない資料が多いのが現状である。こんなところにも、いかに解散後に彼らのことが語られる機会が少なかったかが忍ばれる。

  デイヴ・クラーク(d,vo)は1942年12月15日、ロンドンの北の外れの下町、トッテナム生まれ。クラークは58年、ビートルズなどと同様にイギリスで巻き起こったスキッフル・ブームに 影響を受けてボーカル兼サックス・プレイヤーのスタン・サクソン、ギタリストのリック・ハックスリーなどとともにスキッフル・バンド、デイヴ・クラーク・ファイヴ・フューチャリング・スタン・サクソンを結成。 地元トッテナムのクラブにレギュラー出演するようになった。とはいえ、まともな仕事は少なく、バンド活動と平行してクラークは映画やドラマのスタント・マンの仕事をこなしていた。またバンドのメンバーの入れ替わりも激しく、 60年にスタン・サクソンが脱退した時点でバンド名はデイヴ・クラーク・ファイヴと短くなり、さらに61年頃にはクラークとハックスリーの2人のみになるという、バンド存続のピンチとなった。 そんな時、同じくロンドンのクラブで活躍中だったインパラズというバンドが解散寸前だと知ったクラークはインパラズのマイク・スミス(vo,key)、レニー・デヴィッドソン(g,vo)の2人をスカウト。 そしてクラークの知人、デニス・ペイトン(sax)を加入させ、さらにハックスリーがベーシストに転向。こうしてクラーク、ハックスリー、スミス、デヴィッドソン、ペイトンという、解散まで 変わることのないラインナップが揃ったのである。

  メンバーも固定し、トッテナムでも注目されるようになった彼らは62年6月、パイ・レコード傘下のピカデリーとレコーディング契約を結ぶに至った。しかし、同レーベルから発売された デビュー・シングルI Knew It All The Time、それに続くセカンドFirst Loveはいずれも全く売れず、一方的にパイから契約を破棄されてしまった。このように当時のデイヴ・クラーク・ファイヴは、一旦はデビューにこぎつけながら 成功とは程遠い状態にあった。


(3)トッテナム・サウンドの確立
  こうして、再びクラブ・バンドと化したデイヴ・クラーク・ファイヴだが、63年1月、EMI傘下のコロムビア・レコードとすぐにレコーディング契約を結ぶことに成功した。まず63年3月、再デビュー・シングルThe Mulberry Bushを発表。 これはイギリスの古い子守歌を改作したものだったが、やはり全く売れず。続いて9月にはコントゥアーズの大ヒット曲、Do You Love Meをセカンド・シングルとして発表。ラウドなサウンド、スミスのソウルフルなボーカルと出来は素晴らしかったものの、 同時期にブライアン・プール&トレメロウズ(62年1月のデッカでのオーディションでビートルズを抑えて合格したバンドとして知られる)がシングル・カットして全英1位に輝いていたために注目されず、30位どまりに終わった。

  こうして「再デビュー」も失敗に終わりそうな危機に陥ったデイヴ・クラーク・ファイヴだったが、そんな状況を救ったのはソング・ライターとしての実力も向上しつつあったスミスであった。彼が書いたオリジナル・ナンバーGlad All Overは63年11月にサード・シングルとして発売されると、64年に入ってすぐにビートルズの I Want To Hold Your Hand(抱きしめたい)を追い抜き、全英No.1に輝いたのである。その途端、イギリスのマスコミは「ビートルズに強力なライバル出現」「ロンドンがリバプールを倒した」などと騒ぎ立て、デイヴ・クラーク・ファイヴは一躍注目の的となったのである。 甘くポップなメロディを持ちながら、ラウドなサックスを中心とした独特で個性的なバンド・アンサンブル、スミスのソウルフル・ボイス、異常に骨太なベースとドラム、フィル・スペクターの影響の強いエコーの深くかかったサウンド。「ビートルズのライバル」という 当時の報道のされ方は大袈裟であったことは否めないが、確かに他の同時代のバンドにはない、個性的なものであったことは紛れもない事実であろう。さらに3月にはGlad All Overと同路線のシングルBits And Piecesを発表すると、これも全英2位まで上昇。この曲の中に 足を踏み鳴らすような音が入っており、ダンス・ホールでこの曲をかけると、そのパートで客が派手に足を踏み鳴らすのが大流行。そのために床が抜けてしまうダンス・ホールが続出したというエピソードまで生まれている。こうしてイギリス国内で人気が爆発、ビートルズなどの リバプール・サウンドに対抗する勢力として「トッテナム・サウンド」と名づけられたこの時期の彼らのサウンドは確かに個性的なものであり、もっと再評価されてよいと思う。


(4)アメリカ進出と「アイドル・イメージ」
   こうしてイギリス国内で確固たる人気を確立したデイヴ・クラーク・ファイヴは64年3月には早くも渡米。ビートルズが出演したことで有名な「エド・サリヴァン・ショウ」に出演、その直後から彼らは本国・イギリスよりもアメリカでの人気の方が高いバンドとなっていく。実際、同年6月にはイギリスのビート・バンドとしては初めて(ビートルズよりも先!)全米ツアーを敢行。 イギリスではGlad All Over、Bits And Pieces以降は大ヒットが生まれにくくなっていったのに対し、アメリカではこの後、67年までの間に実に14曲ものシングル・ヒットを放っている。これはアメリカ進出以降、アルバムやシングルB面では従来のサウンドを保ちつつも、シングル曲ではアメリカ向けにサウンドを修正したためと考えてよいだろう。アメリカでの代表的なヒット曲、Can't You See That She's Mine(カッコいい二人)(64年:全米4位、全英10位)、Because(64年:全米3位)、Catch If You Can(若さをつかもう)(65年:全米4位、全英5位)、 Over And Over(65年:全米1位、全英45位)などを聴くと、デビュー当初のラウドで骨太なイメージが薄れ、元々持ち合わせていた甘く、ポップなメロディを強調するようになっているのが分かる。スミスのボーカルも、ソウルフル一辺倒でなく、曲によって甘い歌声も聞かせるようになっている。こうした変化は「アメリカで売りたいがため」のものなのか、「成長」によるものなのか、 元メンバーのコメントがないためはっきりしないが、そのおかげでアメリカでの大成功をもたらしたことは紛れもない事実である。またクラーク、スミス、デヴィッドソンという3人のソング・ライターの存在も見逃せないところではある。

  同時に「アイドル」としての人気もアメリカではビートルズに迫るほどのものがあった。特に笑顔を振り撒きながら激しいドラミングを聴かせるクラークの人気はすざまじく、ビートルズのリンゴ・スターをも凌ぐものであった。65年には主演映画「5人の週末」(英題:Catch Us If You Can、米題:Having A Wild Weekend)も制作されている。

  ただし、こうしたポップ化によって時代にとり残されてしまったのも事実である。65年以降の「フォーク・ロック・ムーブメント」、67年以降の「フラワー・パワー」などといったロック界の大きなうねりとは一切関係のない存在と化してしまい、67年以降はライブ活動も停止、以降はアメリカですらめったにヒットが生まれなくなってしまった。「ポップ・バンド」としてのイメージ、「アイドル」としてのイメージが 定着してしまったために、路線変更できなかったのは彼らの「悲劇」であろう。70年8月、解散を表明。ハックスリー、デヴィッドソン、ペイトンは音楽業界から引退。クラークとスミスはしばらく2人で組んでデイヴ・クラーク・ファイヴ、デイヴ・クラーク&フレンズなどを名乗りながら活動を続けるもうまくいかず。クラークは映像制作とデイヴ・クラーク・ファイヴの原盤管理を目的とする会社の経営に専念している。 スミスはミュージカルやテレビ番組のテーマ曲を手がけたり、時々アルバムを出したりと細々とではあるが、音楽活動を続けている。

  アメリカ進出以降のアイドル・ポップ・バンドのイメージ、そしてクラークによる厳しい原盤管理が災いして、正当に評価されることのない彼ら・・・。しかし、初期の骨太でラウドなサウンドは間違いなく「ブリティッシュ・ビートの個性派」であったし、また、アイドル路線に進んで以降の彼らも「良質なポップ・バンド」であった。そのことはもっと評価されてしかるべきであると思う。 特に初期のサウンドはひょっとすると「元祖パワー・ポップ」ではないかとすら思ってしまう。「単なるナツメロ・バンド」と決めつけている人たちは騙されたと思って初期の曲を聴き直してもらいたい。


(5)お勧めアルバム
 デイヴ・クラーク・ファイヴの活動期間中、イギリス、アメリカで異なった内容のアルバムが数多くリリースされた。しかし、クラークの原盤管理により現在発売されているCDは2パターンのベスト・アルバムのみである。その2パターンのうち、日本でも発売されているのがこれから紹介するアルバムである。

●GLAD ALL OVER AGAIN

1.Glad All Over、2.Do You Love Me、3.Bits And Pieces、 4.Can't You See That She's Mine(カッコいい二人)、5.Don't Let Me Down、6.Everybody Knows [I Still Love You]、7.Any Way You Want It、 8.Catch Us If You Can(若さをつかもう)、9.Having A Wild Weekend(ワイルド・ウイークエンド)、10.Because、11.I Like It Like That、12.Over And Over、 13.Reelin' And Rockin'、14.Come Home、15.You Got What It Takes(青空の恋)、16.Everybody Knows (青空が知っている)、17.Try To Hard、 18.I'll Be Yours My Love、19.Good Old Rockn' Roll [Medley Of 6 Songs]:Good Old Rockn' Roll〜Sweet Little Sixteen〜Long Tall Sally〜Chantilly Lace〜Whole Lotta Shakin' Goin' On〜Blue Suede Shoes〜Good Old Rockn' Roll、20.Here Comes Summer、21.Live In The Sky、22.The Red Balloon、 23.Sha-Na-Na Hey Hey Kiss Him Goodbye(シャ・ナ・ナ)、24.More Good Old Rockn' Roll [Medley Of 6 Songs]:Rockn' Roll Music〜Blueberry Hill〜Good Golly Miss Molly〜My Blue Heaven〜Keep A-Knockin'〜Rockn' Roll Music、25.Put A Little Love In Your Heart(恋をあなたに)、26.Everybody Get Together

手持ちのCD:TOCP-7796(東芝EMI)

購入時期      1995年頃

  原盤管理にうるさく、CD化にすらなかなか踏み切らなかったクラークが重い腰を上げて93年にようやく発売されたベスト盤CD。選曲は当然クラーク自身が行なっているが、やはりシングル・ヒット曲が中心で、決して満足いくものではない。しかし、現在日本盤で入手可能な唯一のアルバムなので、 この商品をご紹介するのが無難であろう。

  ヒット曲が中心ということもあり、アメリカ進出後のポップで甘いナンバーが多くなっている。4.Can't You See That She's Mine、6.Everybody Knows [I Still Love You]、7.Any Way You Want It、8.Catch Us If You Can、10.Because、12.Over And Over、15.You Got What It Takesなどがその好例でいずれもメロディアスなポップ・ナンバーであり、 彼らの一般的イメージ通りのナンバーだといってよい。スミスも実にソフトに歌い上げているが、実はOver And Over、Everybody Knowsでボーカルをとっているのはギターのデヴィッドソンである。彼の声が実はブラック色の薄いバラードにピッタリで、このあたりもあまり語られることのない彼らの個性となっている。こうしたブラック色の薄いバンドの個性はカバー・ソングの選曲にも反映されている。スティームというバブルガム・ポップ・バンドのカバー23.Sha-Na-Na Hey Hey Kiss Him Goodbye、ジャッキー・デ・シャノンの25.Put A Little Love In Your Heartあたりはブリティッシュ・ビート・バンドがとりあげ得ないような曲だし、レイモンド・フロガットの22.The Red Balloon、ジェシ・コリン・ヤング率いる ヤングブラッズの26.Everybody Get Togetherのようなサイケ・ナンバーですらポップに仕上げている。こうして見ていくと、彼らは「ロック・バンド」というより「ポップ・バンド」といった方が妥当なのではと思ってしまう。

  とはいえ、私が注目したいのはやはり初期の「ラウド・ポップ」なナンバーである。初期のヒット1.Glad All Overや3.Bits And Pieces の素晴らしさは既に述べてきた通りだが、個人的ベスト・テイクは2.Do You Love Meである。コントゥアーズの大ヒット・ナンバーのカバーで、セカンド・シングルとして発売されながら、同時期にブライアン・プール&トレメロウズの同曲のカバー・バージョンが全英No.1になったために不発となってしまった曲だが、その出来は文句なく素晴らしい。特にスミスのシャウトしまくるボーカルは「ハード」というより「やかましい」ほどであり、 一種ガレージ・ロック的な雰囲気すら漂わせている。この曲を同時期にカバーしたアーティストは多数いたが、デイヴ・クラーク・ファイヴ・バージョンが群を抜いた出来であることは間違いない。これ以降のナンバーでも主演映画のサントラとして使用されたラウドなロックン・ロールの9.Having A Wild Weekend、クリス・ケナーの11.I Like It Like That、チャック・ベリーの13.Reelin' And Rockin'などのブラック寄りのナンバーでもスミスのボーカルを中心としたハードなサウンドを聴かせている。さらにスミスはシングルB面曲ではあるが、5.Don't Let Me Downで ジェリー・リー・ルイスを思わせるピアノ連打と激しいボーカルを聴かせている。このように、「ポップ・バンド」のイメージの陰に隠れがちだが、彼らの体内には間違いなく「ロック」な一面が潜んでいるのが分かる。その中心にあるのは、バンドの音楽面でのリーダー的な存在であったスミスの存在に負うところが大きい。クラークがのちにスミスのことをして「ロック史上最も過小評価されている名ボーカリスト」と評したそうだが、その言葉にも素直にうなずかされてしまう。

それ以外で目を引くのはロックン・ロールのスタンダード・ナンバーのメドレー19,24.あたりか。「硬派」な印象は薄いが、楽しげに好きなロックン・ロールを演奏している様が目に浮かんでくるようだ。なお23.Sha-Na-Na Hey Hey Kiss Him Goodbyeは解散後の73年にクラークとスミスがスタジオ・ミュージシャンを使ってデイヴ・クラーク&フレンズ名義で発表したものである。なお、現在発売されている日本盤のCDはこれだけだが、アメリカではTHE HISTORY OF DAVE CLARK FIVEというベスト盤も発売されている。ベスト盤のため、かなりダブりもあるものの、一部選曲が異なっているので興味のある方は買って損はないと思う。 とはいえ、この2枚のベスト盤が出て以降、CD化が全く進んでいない。早期のオリジナル・アルバムの復刻を望みたいところだが、クラークの慎重な態度を見ると当分実現しそうにないのが残念なところだ。

(追記):2000年になって、マイナー・レーベルから、彼らのオリジナル・アルバムの数枚がCD発売された。これは果たして、あのうるさいクラークの許可をとって発売されたものなのだろうか? とっていないとすれば、回収もあり得るかも・・・。(2000年8月20日)

   アルバム好感度     80

                                                                   *:1998年8月23日UP


      
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