60年代のモッズ・ムーヴメントを象徴する存在だった彼ら。しかし、そのレッテルゆえに短命に終わってしまう運命をも背負っていた
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| スモール・フェイセズといえば、いうまでもなくザ・フーと並ぶモッズ・ムーブメントの代表的なバンドということになるのだろう。また、「ザ・フーの場合は本物のモッズではなかったが、彼らは本物のモッズであった。だから彼らこそが究極のモッズ・バンドである」といわれている。もちろん、これは紛れもない事実である。
実際、60年代の彼らはモッズ・ムーブメントが生んだ最大のヒーローであり、彼らがいたからこそ60年代のイギリスの一過性のムーヴメントでしかなかったモッズが、ネオ・モッズなどのフォローワーを生み得たと考えて間違いないだろう。 だけど、私には彼らが短命に終わったのは、彼らがこの「モッズ」というイメージ、というかムーヴメント自体をも背負ってしまったからではないかと思うのである。例えば、モッズ・ムーブメントのもう一方の大物であったザ・フーは、あっさりとモッズのイメージを脱ぎ捨て、ロック界をリードする大物バンドとして君臨するに至ったわけだが、これは彼らが「本物のモッズではなかったから」こそ成し得たと考えられなくない。 一方、スモール・フェイセズの方も67年以降、ドラッグにのめり込んでサイケ・ポップなサウンドに大胆に方向転換したにもかかわらず、結局この「モッズ・バンド」というイメージを完全に拭い去れないまま、あっさりと解散の時を迎えてしまった。そう考えると、確かに彼らは「ザ・フーと違って本物のモッズだった」からこそ、究極のモッズ・バンドであったといえるだろうし、そこが魅力である反面、 逆にそのイメージ故に自らの命を縮めてしまったと考えられなくもない。いつの時代も、流行というものはいつかは終わるものであり、その流行を背負ってしまった人なり物なりも、その流行の終焉とともに消えていく運命にあるものである。彼らとて例外ではなかったのだろう。 モッズ・バンドとしての彼らは文句なくカッコよく、文句なく素晴らしかった。しかしながら逆にそのイメージ故に短命に終わってしまったとも考えられるわけで、そう考えるとスティーヴ&ロニーがもうこの世にいないことともあいまって、ちょっと切ない気持ちにさせられてしまう。 |
| スモール・フェイセズの顔ともいえるスティーヴ・マリオット(vo,g)は1947年1月30日ロンドンの東の外れの下町、イースト・エンドに生まれた。8歳の頃父親におもちゃのウクレレを買ってもらって以降、音楽に熱中。人前で演奏したり、タレント・コンテストに出場するなどしていたスティーヴは12歳の時、ライオネル・バート制作のミュージカル「オリヴァー」へ出演するチャンスを掴む。その後もイタリアの演劇学校に入学したり、テレビ・ドラマに出演するなど、子役俳優としての道を歩きはじめた。
しかし、彼の興味はやはり音楽にあり、13,4歳にして早くもレイ・チャールズなどのR&Bに心酔。同時にモッズに染まりはじめ、高価なスーツを着こなすなど、ファッションにも関心を持ちはじめた。そして63年、デッカからソロ・デビュー・シングルGive Her My Regardsを発表。その後、モーメンツというバンドを結成してシングル2枚を発表するが、これらは全く売れなかった。 やがてスティーヴはJ60ミュージック・バーという楽器店で働くようになった。そんなある日、この店にモッズ・ファッションできめた小柄な少年がやって来た。それがスモール・フェイセズのもう一人の中心人物となるロニー・レイン(b,vo:1946年4月1日生まれ)であった。店員でありながらいきなりロニーを捕まえて音楽の話をはじめたスティーヴは、すっかりロニーと意気投合。ロニーは当時、アウトキャッツというバンドでギターを弾いていたが、ベースに転向するためにベースを買いに来たのだった。 そこでロニーはスティーヴをギタリストとして迎えたいと思い、ギグに誘った。このギグでスティーヴ、ロニー、そしてもう一人、アウトキャッツのドラマー、ケニー・ジョーンズ(d:1948年9月16日生まれ)の3人は、新バンドの結成を決意。さらに、J60の客でスティーヴ同様、子役俳優として活動していたジミー・ウィンストン(key)を加えて活動を開始。バンド名をスモール・フェイセズと決めた。バンド名の由来が、モッズ用語の「クールな奴」という意味のFaceに、メンバー全員が小柄だったところからSmallをつけたものであるということは 周知の通り。その後、ロンドンを中心とした過酷なクラブ・サーキットを続けるうちに、あっという間にモッズを中心に絶大な支持を得るようになった。そして、契約を交わすために拷問を行うことも珍しくなかったという、悪名高いマネージャー、ドン・アーデンにスカウトされ、あっという間にレコード・デビューが決定。こうして65年8月、デッカからデビュー・シングルWhat'cha Gonna Do About Itを発表。実は結成からこのデビュー・シングルの発売までは、わずか1ヶ月半ほどの間に起こった出来事であった。 ソロモン・バークのEverybody Needs Somebody To Loveをパクッたリフに乗せて、スティーヴが荒々しくシャウトするこのデビュー・シングルは全英14位まで上昇。幸先のよいデビューとなった。 |
| 続くセカンド・シングルI've Got Mineはヘビーでアグレッシブな反面、親しみやすさに欠けるためか、チャート・インせず。ここで早くもメンバー・チェンジが行われた。ジミー・ウィンストンが脱退。事実上のクビであった。代わって、ボズ・バレル(後にキング・クリムゾン→バッド・カンパニー)率いるボズ・ピープルにいたイアン・マクレガン(key:1945年5月12日、ミドルセックス生まれ)が加入したのである。なぜこんなに早くウィンストンがクビになったのかには諸説があり、中には「スティーヴが彼のデカイ顔を嫌ったため」などという説まであるようだが、
脱退後に彼が自らボーカルをとるソロ・シングルを出しているところを見ると、おそらく彼はリーダーになりたくてスティーヴと対立したのではないかと私は思う。一方のイアンは、モッズではなく、また基本的にはブルース・ファンだったようだが、当時ボズ・ピープルのリーダーであったボズ・バレルにプロとして活動する意思がなかったため、喜んで誘いを受けたといわれている。とはいえ、イアンの加入はバンドにとって大きなプラスとなった。モッズ・バンドにとってオルガンというのは重要なパートであるし、実際、イアンのキーボードは以降のスモール・フェイセズのサウンドの要となるのである。 こうして、イアンが加わったスモール・フェイセズは翌66年になるといよいよ快進撃を始める。まず65年暮れに発売となったサード・シングルのSha-La-La-La-Leeが全英3位の大ヒット。この曲の作者はシンガー兼俳優のケニー・リンチであったが、ポップで親しみやすいメロディ、歯切れのよいギター・サウンド、スティーヴのソウルフルなボーカルとコーラス・ワークを生かした佳曲であり、濃厚なブラック・フィーリングとポップ性が同居した曲調は、スモール・フェイセズのサウンドを確立することに成功している。これ以降はスティーヴとロニーの共作による シングルを次々と発売、若々しくポップなHey Girl(全英10位)、トラッド風の曲調とソウルフルなボーカルのAll Or Nothing(全英1位)、甘く切ないメロディのMy Mind's Eye(全英4位)といずれも大ヒット。ファースト・アルバムSMALL FACESも発表。さらに、ライブ活動、テレビ出演などもこなすなど、この66年のイギリスは「スモール・フェイセズの年」だったといっても過言ではない。モッズに支持されたことはいうまでもなく、「ウエスト・エンドのザ・フー、イースト・エンドのスモール・フェイセズ」などとも称された。しかし、彼らを支持したのはモッズだけではなく、 彼らは多くの少女ファンに追い掛け回されるアイドルともなったのである。特に、この年限りでビートルズはライブをやめてしまったし、ハーマンズ・ハーミッツなどのアイドル系バンドもアメリカでの活動を重視するようになっていたことなどもあり、少女ファンたちはスモール・フェイセズの方を注目するようになっていたのである。 だが、実はそうした「アイドル・イメージ」は悪徳マネージャー、ドン・アーデンによるところが大きかったようである。まあ、アーデンという男、先にも述べた通り悪名高い男で、スモール・フェイセズにもブティックの前で演奏させたり、モッズ・ファッションの宣伝に利用したりという、とんでもない仕事もさせていたらしい。音楽面にも口を出し、スティーヴとロニーにいつもポップな曲を書くように圧力をかけ続けていたそうである。だけど、この時期の彼らの作品を聴くと、先にも述べた通り 「ブラック・フィーリングとポップ性のバランスがとれている」という印象を受けるのだが、そのうちの「ポップ性」という部分はその圧力によってもたらされたということなのだろうか。だとしたら、彼らが本当にやりたかった音楽はこれ以上にアグレッシブなものだったのだろうか。だが、私には、この「ブラック・フィーリングとポップ性が同居」したこの時期の彼らの作品がとても好きだし、そこが彼らの魅力だと思う。また、「モッズ」というと「クール」「おしゃれ」という印象が強いんだけど、彼らの場合は意外と泥臭くて、荒々しい。こぎれいなファッションに身を包んで荒々しく歌い、演奏する。 そんなところも彼らの魅力ではないだろうか。特に、All Or Nothingは「ブリティッシュ・ビート最後の名曲」だという想いが強い。ブリティッシュ・ビート・ブームはビートルズの登場とともにはじまったわけだが、 いつをもって「終わり」と判断するかは意見の分かれるところだ。しかし、私にはこの66年が最後の年だったように思われる。この年大ブレイクしたスモール・フェイセズは間違いなく「ブリティッシュ・ビート」だが、翌67年には、もはや「ブリティッシュ・ビート」的な新人は登場していないところからそう判断している。その「ブリティッシュ・ビート時代最後の年」にヒットしたこの曲にはブリティッシュ・ポップ、ブリティッシュ・トラッドといったイギリス的なものと、R&B、ソウルなどのアメリカ的なものが上手くブレンドされたサウンドが構築されている。そうしたサウンドこそが実は 「ブリティッシュ・ビート」の特徴ではないだろうか。それを思う時に私はスモール・フェイセズこそが「ブリティッシュ・ビート時代最後のスター」であり、All Or Nothingこそが「ブリティッシュ・ビートの完成を見た曲」といえるのではないかと思わずにはいられないのである。 しかし、スティーヴをはじめとしたスモール・フェイセズの4人は、アイドルのイメージを押し付けられることにも、絶え間ない少女ファンの歓声の中でのライブ活動にも嫌気がさしはじめていた。そして遂にドン・アーデンと対立。67年3月発売のシングルI Can't Make Itを最後にアーデンとデッカ・レコードと決別、ローリング・ストーンズの初代マネージャー兼プロデューサーだったアンドリュー・ルーグ・オールダムの設立したイミディエイト・レーベルへと移籍するのである。結局、イミディエイトに移籍後の彼らはモッズのイメージを葬り去ることになるわけで、彼らのモッズ・バンドとしての活動はわずか1年あまりで終焉を迎えたのである。なお、デッカからは67年になってファースト・アルバム未収録のシングル曲や未発表曲を集めた編集盤FROM THE BEGINNINGが発売されている。 |
| スモール・フェイセズがイミディエイトに移籍した67年はドラッグ・カルチャーの花が咲いた「フラワー・パワー・イヤー」であり、既にモッズも過去のものとなりつつあった。彼らもその時代の変化を敏感に感じとっており、ドラッグに深くのめり込んでいった。イミディエイトもデッカのように彼らにアイドルのイメージを押し付けるようなことはせず、ソング・ライティング作業用にと別荘とドラッグまでもを提供、それまでになく自由な創作活動を行える環境が整った。そんな中67年7月、イミディエイト移籍後第一弾シングルHere Comes The Niceを発表。フォーク・タッチのサウンド、ドラッグ体験を歌った歌詞など、それまでの彼らの
イメージとは全く異なるこの曲により、彼らは完全にモッズ・バンドからの脱却を世間に知らしめることとなった。なお、イミディエイトからデビューを飾ったキース・エマーソン率いるナイスは、スティーヴがこの曲のタイトルを引用して命名したものである。続いてアルバムSMALL FACES(なぜかファースト・アルバムと全く同じタイトルだが、別のアルバム)を発表。シングル曲を1曲も収めず、シングルとアルバムを分離してトータル性も重視するなど、時代の変化を敏感に感じ取った内容に仕上がっており、サウンドもメロトロンやホーン・セクションを駆使したサイケ・ポップ調の曲が中心である。この頃になると、バンドの主導権はスティーヴからロニーに移ったと考えてもよいのではないか。この時期、最もドラッグに深くのめり込んでいたのはロニーだったらしいし、また、イギリス人らしいポップ感覚や
トラッド風の作風はもともとロニーの持っていた資質である。そうしたロニーの音楽性が開花、それがこの時期の彼らのサウンドの原動力になったと考えられる。 そのアルバムと同時期に発売されたシングルがItchycoo Parkであった。露骨にドラッグ体験を歌った歌詞、ノスタルジックでちょっととぼけた感じもするメロディ、SEの駆使など、実に斬新なサイケ・ポップ・ナンバーで、全英で3位まで上昇した他、全米でも16位を記録。彼らにとって唯一の全米ヒット・シングルとなった。この曲もロニーの色が強いナンバーだが、続くTin Soldierはリフに乗せてスティーヴがソウルフルに歌い上げるハードなナンバーであり、スティーヴもしっかり存在感をアピールしている。そして68年に入ると、シングルLazy Sundayを発表。シュールな歌詞、露骨なイギリス訛り、SE、ストーンズのSatisfactionのリフを吹き鳴らすカズーの音、 さらにはトイレを流す音まで収録するなど、細部にわたって多くのアイデアが詰め込まれたこの曲は、イミディエイト時代の彼らの代表曲というのみならず、ブリティッシュ・サイケ・シーンの代表曲の一つといっても過言ではない大傑作である。この、全英2位まで上昇したヒット曲を含むアルバムOGDEN'S NUT GONE FLAKEも発表。このアルバムは曲調を全曲サイケ・ポップに統一、さらにはビートルズのSGT.PEPPERS以降、多く生まれた「コンセプト・アルバム」的な構成に仕上がっており、この時代のイギリスを象徴するような1枚ともいえる。円形のジャケットも話題を呼び、全英6週連続1位。まさにデビュー以来の絶頂期を迎えていたのである。 しかし、彼らの人気はデビュー以来イギリスに限定されており、Itchycoo Parkがヒットした以外は全くの不発で、アルバムOGDEN'S NUT GONE FLAKEですら全米では100位以下。これは確かに、彼らのサウンドがあまりにもイギリス臭かったこと、モッズという文化自体がイギリス独自のものでアメリカでは受け入れられていなかったことなども原因の一つだが、それ以上に、スティーヴがアメリカに行くことを恐れていたからだといわれている。彼の当時の私生活はファッショナブルでクールという、モッズ本来のイメージとはかけ離れたドラッグ、女、酒に明け暮れた荒れ放題のものであり、アメリカに行くとさらに荒れてしまうのでは、という恐れがいつも彼につきまとっていたという噂がある。そうしたアメリカ進出に積極的でないスティーヴの姿勢に他の3人は不満だった。また、イミディエイトに移籍してイメージ・チェンジをはかって以降も、 相変わらず「モッズ・バンド」、「アイドル・バンド」のイメージが付きまとうことに4人ともうんざりしていた。ちょうどそんな頃、スティーヴはアイドル・バンド、ハードのメンバーだったピーター・フランプトンと出会った。ともに自らの「アイドル」のイメージに嫌気がさし、また、ロックの流れが「サイケ・ポップからよりハード&ヘビーな方向へ」と変わりつつあることを敏感に感じとっていたこともあって意気投合。こうして、ピーターとともに活動することを決意したスティーヴは、スモール・フェイセズの他の3人にピーターを新メンバーに迎えたいと提案。しかし、他の3人の猛反対に遭うとスティーヴはスモール・フェイセズからの脱退を決意。69年になってライブと未発表のスタジオ録音テイクからなる編集盤IN MEMORIAMを発表するものの、69年1月、スティーヴはスモール・フェイセズ脱退を発表したのである。なお、同年5月には、シングル曲や未発表曲を集めた編集盤THE AUTUMN STONEも発売されている。その後、スティーヴはピーターの他、 ストーンズを脱退したブライアン・ジョーンズを加えた新バンド結成に乗り出したものの、ブライアンの急死で実現せず。結局、スティーヴ、ピーターに元スプーキー・トゥースのグレッグ・リドリー、それにジェリー・シャーリーとともにハンブル・パイを結成。ソウルとハード・ロックをミックスさせたような猥雑なロックを追求したこのハンブル・パイは、スモール・フェイセズ時代に実現しなかったアメリカでの成功を手に入れ、絶大な支持を得ることになるが、このバンドについてはいずれゆっくり語ってみたいと思うので、ここでは詳しい歩みについては省略したい。一方、スティーヴに去られ、解散の危機を迎えたスモール・フェイセズの方は、 元ジェフ・ベック・グループのロッド・スチュワート(vo)、ロン・ウッド(g,vo)を迎え、バンド名をフェイセズと改名して活動を再開。2人の強烈な個性を迎え、ルーズなロックン・ロール・バンドとして生まれ変わったフェイセズもまた絶大な人気を得ることになるが、彼らについてもまた、機会があればゆっくり語ってみたいところだ(フェイセズに関しては、相互リンクを張って頂いているサイトの中に詳しく述べたサイトもあるので、後ほどご紹介します)。こうしてスモール・フェイセズは、スティーヴ率いるハンブル・パイと、残った3人とロッド&ロンによるフェイセズに「分裂」するという形で姿を消したのである。しかし、ともに以降もロック・シーンにおいて重要な存在であり続けたことはいうまでもない。 |
| ハンブル・パイは75年に解散。フェイセズの方もロッドのソロ活動の活発化、ロン・ウッドのストーンズ加入により76年に解散している。その後、イアンとケニーはスモール・フェイセズの再結成を計画。73年にフェイセズを脱退してソロ活動を開始していたロニーは参加しなかったが、スティーヴはこれに合流。ベーシストの座にはロキシー・ミュージックのサポート・メンバーだったリック・ウィルス(後にフォリナーに加入)を迎えた再結成スモール・フェイセズは77年アルバムPLAYMATESを発表。さらに78年には元ポール・マッカートニー&ウイングスのジミー・マッカロー(g)を加えて78 IN THE SHADEを発表するもいずれも不発で、この再結成は事実上、失敗に終わった。この後、ケニーは亡くなったキース・ムーンの後釜としてザ・フーに加入、イアンはストーンズ、ロッド・スチュワートをサポートしたり、
ソロ・アルバムを発表したりと、地道に活動を続けた。73年にフェイセズを脱退したロニーは、ブリティッシュ・トラッドに根差した牧歌的なサウンドのソロ・アルバムを多く発表。地味ながら一部で絶大な人気を誇った。しかし80年代に入り、多発性脳脊髄硬化症という難病に冒されたロニーは、満足な活動が行えなくなってしまった。一時はイアンにサポートされて車椅子のままで来日公演を行ったり、3大ギタリストなどの友人たちによるベネフィット・コンサートが開かれたりもしたが、長い闘病生活の甲斐もなく97年6月4日、51歳でこの世を去った。残るスティーヴは、スモール・フェイセズの再結成失敗後、ハンブル・パイの再結成にも失敗。相変わらずの酒、女、ドラッグ三昧の荒れた生活を続けていたが、音楽活動はパブなどで気ままな演奏活動をするなどにとどまり、かつての栄光からは想像のつかない状態であった。そして、ピーター・フランプトンとの再会、ハンブル・パイ再々結成の噂が浮上しはじめた矢先の
91年4月20日、いつものように酔っ払ったまま眠ったスティーヴは、自らの寝タバコの不始末により焼死してしまった。44歳であった。こうして、60年代のモッズ・シーンのヒーローであったスモール・フェイセズの中心人物のスティーヴとロニーは、若くして命を落としてしまい、もうその姿を目の当たりにすることは出来ないのが本当に辛い。なお81年、再会したスティーヴとロニーはセッションを行いアルバムを制作。しかし、どこのレコード会社に持ち込んでも「発表後にツアーを行うこと」を条件として提示された。ロニーは既に病状が悪化していたため、ツアーを行うことは不可能であり、結局未発表に終わっている。ぜひ、このアルバムの発売も望みたいところである。 結局、スモール・フェイセズの活動はわずか3年あまり。まさにモッズ・シーンからサイケ時代へという、イギリス、そしてロンドンが、最も輝いていた「スウィンギング・ロンドン」の時代をあっという間に駆け抜けていった存在という印象が強い。彼らの短い活動期間は、その一瞬の「スウィンギング・ロンドン」とともにあったということだろうか。彼らが「究極のモッズ・バンド」なんかじゃなかったら、もっと長く活動できたのかもしれない。本当に切ない気持ちにさせられる。とはいえ、リアル・タイムではイギリス以外ではほとんど注目されなかった彼らが、この7,8年で急速に支持を得るようになったのは嬉しいところ。私が彼らの存在を知った80年代後半の頃は、CDを探すのに一苦労したものだった。 だから、現在の高評価は嬉しい反面、それを知ることなく亡くなってしまったスティーヴを思うと、やはり切ない。そう、私はこのバンドのことを思う時、どうしても切ない気持ちを拭い去ることができないのである。 |
当サイトと相互リンクして頂いているHazexさんのサイト。ロッド・スチュワートとフェイセズをメインに扱っていますので、フェイセズに興味のある方はこちらをご参照下さい。 |
| 彼らのアルバムについては本文中でも述べてきたが、再結成盤や編集盤を除くと、彼らのオリジナル・アルバムは事実上デッカから発売されたファーストSMALL FACES(66年)、イミディエイト移籍後の第一弾SMALL FACES(67年)、それにOGDEN'S NUT GONE FLAKE(68年)の3枚のみということになる。ただ、アルバム未収録のシングルも多く、その上、短い活動期間にもかかわらず、途中でレーベル移籍があったために全曲を集めるのにかなり苦労する。ベスト盤や編集盤も近年の再評価以降、乱発気味だし初心者を混乱させている。 そんな中、デッカ、イミディエイト、それぞれのレーベルから2枚組アンソロジーが発売されているので、この2セットを購入するのが一番手っ取り早くて確実ではないだろうか。ということで、ここではそのCDをご紹介しておきたい。 |
●THE ANTHOLOGY 1965-1967
Disk-1:1.What'cha Gonna Do About It、2.What's A Matter Baby、3.I've Got Mine、
4.It's Too Late、5.Sha-La-La-La-Lee、6.Grow Your Own、7.Hey Girl、
8.Almost Grown、9.Shake、10.Come On Children、11.You Better Believe It、12.One Night Stand、
13.Sorry She's Mine、14.Own Up Time、15.You Need Loving、16.Don't Stop What You're Doing、17.E To D
Disk-2:1.All Or Nothing、2.Understanding、3.My Mind's Eye、4.I Can't Dance With You、5.Just Passing、6.Patterns、7.Runaway(悲しき街角)、
8.Yesterday, Today And Tomorrow、9.That Man、10.My Way Of Giving、11.[ Tell Me ] Have You Ever Seen Me、12.Take This Hurt Off Me、
13.Baby Don't You Do It、14.Plum Nellie、15.You Really Got A Hold On Me、16.Give Her My Regards(by Steve Marriott)、17.Imaginary Love( by Steve Marriott)、18.Sorry She's Mine (by Jimmy Winston & His Reflections)、19.It's Not What You Do(by Jimmy Winston & His Reflections) 96年に発売されたデッカ時代の2枚組アンソロジー。デッカ時代の彼らは8枚のシングルとデビュー・アルバムSMALL FACES、それにイミディエイト移籍後に発売された編集盤FROM THE BEGINNINGをリリースしているわけだが、ここにはそのうち7枚目のシングルI Can't Make It以外のすべてのテイクを収録しているので、これさえあればデッカ時代、つまりモッズ・バンド時代の彼らの全てが分かるといっても過言ではない。さらに、63年に発表されたスティーヴのソロ・デビュー・シングルのA、B面であるDisk-2:16,17、ジミー・ウィンストンが脱退後の66年に発表したシングルのA、B面Disk-2:18,19というレアなテイクまで収録、 コアなファンにとっても見逃せない内容といえる。 まず、Disk-1:1〜8.にデビュー・シングルから4枚目のシングルまでのA、B面曲が順番通りに収録されている。A面曲に関しては、セカンド・シングルのDisk-1:3.I've Got Mine以外はヒットを記録しており、いずれも彼らの初期の代表曲でもあるので聴き逃せないところ。特に作者はケニー・リンチでオリジナルではないものの、親しみやすいメロディ、ストレートなノリというヒット曲の重要な要素とブラック・フィーリングが同居したDisk-1:5.Sha-La-La-La-Leeは、この時期の彼らのサウンドを決定づけた1曲といえ、彼らにとって初のトップ・テン・ヒットとなった曲。 個人的にはちょっとアイドルっぽくもあるものの、シャッフル・ビートが印象的な初のマリオット=レイン名義によるトップ・テンヒット、Disk-1:7.Hey Girlが気に入っている。B面曲の方はGrow Your Own、Almost Grownの2曲がインストなのが注目。この2曲で中心になっているのはギターではなくイアンのオルガンであり、そのグルーヴィーなプレイを聴くと、ジミーを切ってまでイアンを加入させたことが成功していることを再確認させられるところだ。Disk-1:9〜17.はファースト・アルバムSMALL FACES収録曲。なお、先にご紹介したシングルA、B面曲中、Disk-1:1,4,5.も このアルバムに収録されていた。アルバムの冒頭を飾っていたDisk-1:9.Shakeはサム・クックのカバーだが、ボーカルをとるのはロニー。ところどころ声が裏返るなど、不安定なボーカルながら当時のバンド自体の若さと勢いを感じさせる出来であり、好感が持てる。以降、一連のシングルヒット曲同様のポップな出来のYou Better Believe It、One Night Stand、Sorry She's Mine(12.のみマリオット=レイン作品で残る2曲はケニー・リンチの作品)、イアンのオルガンを中心としたDisk-1:14.Own Up Timeのような、いかにもモッズ・バンドらしいというか、この時期の彼ららしい曲が並んでいる。 しかし、もっと注目すべきはハード・ロックにも近いヘビーなサウンドのCome On Children、You Need Loving、Don't Stop What You're Doing、E To Dあたりではないだろうか。ここに聴かれるヘビーで粗暴で、ある種猥雑な感じすら受けるこれらの曲は、「スマートでスタイリッシュ」という本来の彼らのイメージ及び、モッズのイメージからはかけ離れたものである。だけど、スティーヴはデッカ時代のスモール・フェイセズは、意図的にポップな作品を作らされていたというようなことをコメントしている。ということは、この手の路線こそが彼らの本来やりたかった音楽ではないのかと思う。実際、これらの曲におけるスティーヴのボーカルはのちのハンブル・パイにも通じるものがある。ハンブル・パイ以降のスティーヴが「急激に粗暴で猥雑になった」と思っている人にこそきちんと聴いて欲しいところだ。なお、これらのうちDisk-1:15.You Need Lovingは 曲調、展開とも後のレッド・ツェッペリンのWhole Lotta Loveにそっくりであり、歌詞の一部に至っては全く同じだということを付け加えておく。 Disk-2:1〜4.は、5,6枚目のシングルのA、B面。先にご紹介した通りDisk-2:1.All Or Nothingは彼らの最大のヒット曲で、トラッド調の曲調にスティーヴのソウルフルなボーカルが絡むブリティッシュ・ビート最後の名曲。Disk-2:3.My Mind's Eyeは甘いメロディの印象的な曲であり、ともに必聴といえよう。明らかにDisk-1:収録曲よりもワンランク上の出来である。B面曲ではアトランティック・ソウル風のDisk-2:4.I Can't Dance With Youがなかなかの出来。Disk-2:5.Just Passingは67年3月発売のシングルI Can't Make ItのB面だが、 A面はイミディエイトで録音しながらデッカから発売になるといった移籍時のゴタゴタがあった関係上、ここには未収録。Disk-2:6.Patterns は67年5月発売のデッカからのラスト・シングル。特に前者はアコースティック、かつサイケ調の出来で、イミディエイトへの移籍を前に早くもサウンドが変化しつつあることを物語っている。Disk-2:7〜15.はイミディエイト移籍後にデッカが強引に発売した編集盤FROM THE BEGINNINGより。いきなりデル・シャノンのオールディーズのカバー、Disk-2:7.Runawayという、彼らのイメージとはかけ離れた曲でスタートするが、アイドルのイメージを押し付けられてやらされたものだと思う。むしろ、ドン・コヴェイのDisk-2:12.Take This Hurt Off Me 、 マーヴィン・ゲイのDisk-2:13.Baby Don't You Do、スモーキー・ロビンソンのDisk-2:15.You Really Got A Hold On Meなどの方が彼らに合っているし出来もよい。特にDisk-2:15.You Really Got A Hold On Meはビートルズに負けず劣らずの素晴らしさである。それ以外がオリジナルだが、全体にポップ色の濃い曲が多い。とはいえ、後のサイケ路線を思わせるYesterday, Today And Tomorrow、That Man、クリス・ファーロウに贈ったDisk-2:10.My Way Of Giving(イミディエイト移籍後に再度レコーディングされてイミディエイト移籍後初のアルバムSMALL FACESにも収録)あたりはなかなかの出来。さらにイミディエイト移籍後のファースト・アルバムにも収録されるDisk-2:11.[ Tell Me ] Have You Ever Seen Meの別テイクなども注目である。 そして、超レア・テイクがスティーヴの63年のデビュー・シングルGive Her My Regards、Imaginary Love、ジミーの脱退後のシングルSorry She's Mine 、It's Not What You Doということになるが、もちろん「珍しい」ということ以外、とりたてて騒ぐような出来ではない。 デッカ時代の彼らはファースト・アルバムにシングル8枚、それに編集盤しかリリースしていないわけだが、シングルがアルバム未収録というケースも多く、その上現在発売中の大半のベスト・アルバムがイミディエイト時代のテイクを中心に集めたものなので、こうしてまとめてデッカ時代、モッズ・バンド時代の彼らのほとんどすべてのテイクをまとめて聴くことができるというのは嬉しい限り。「モッズとは何か?」を知りたい人にとっても必携の1枚といえる。 *アルバム好感度 100
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●THE IMMEDIATE ANTHOLOGY 1967-1969
Disk-1:1.Here Comes The Nice、2.Talk To Talk、3.[ Tell Me ] Have You Ever Seen Me
Disk-2:1.Ogden's Nut Gone Flake、2.Song Of A Baker、3.Happiness Stan、
4.Rollin' Over、5.The Hungry Intruder、6.The Journey、7.Mad John、8.Happydaystorytown、9.The Hungry Intruder こちらはイミディエイト時代の音源を集めた2枚組アンソロジー。この時代の場合、編集盤が乱立気味でしかもどれも決め手に欠けるが、これは95年に発売されたボックス・セットTHE IMMEDIATE YEARSをコンパクトにまとめた形の日本編集盤。ということで、代表曲とレア・テイクが混在した内容になっているので、初心者向けのベスト盤にもなるし、マニア向けのレア・テイク集にもなるという、なかなかの優れものである。ただ、デッカ時代のアンソロジーのように「ほぼ全曲を収録」とまでは至っていない。 まずDisk-1:1,2がイミディエイト移籍後初のシングルのA、B面。Disk-1:1.Here Comes The Niceはアコースティックでフォーク風の曲であり、いきなりモッズのイメージからの脱却を印象づけられる。続くDisk-1:3〜13.がイミディエイト移籍後初のアルバムSMALL FACES収録曲で、同アルバム収録曲のうち2曲を除いてすべて収録されている。うち[ Tell Me ] Have You Ever Seen Me、My Way Of Givingはデッカ時代にもレコーディングされており、 先にご紹介したデッカ時代のアンソロジーにも収録されているが、別テイク。またDisk-1:3,4,6,8の4曲は、そのアルバムSMALL FACES収録バージョンとは別ミックスや別テイクがおさめられている。キーボードを中心にした軽目で気だるいポップ・ナンバーDisk-1:4.Something I Want To Tell You、フォーキーなDisk-1:6.Things Are Going To Get Better、イアンがデッカ時代はほとんど弾かなかったピアノを担当したサイケ・ポップ風のDisk-1:8.Green Circles、 メロトロンをフューチャーしたDisk-1:9.Become Like You、親しみやすいメロディのDisk-1:10.Get Yourself Together、後のロニーを思わせるトラッド風のDisk-1:11.Show Me The Way、ホーンをフューチャーしたDisk-1:13.Eddie's Dreamingなど、多彩な楽曲が並んでいる。おそらく彼らにモッズ・バンドというイメージしか持っていない人が聴いたら驚くこと間違いなしというほど、そのイメージからはかけ離れた曲ばかりである。Disk-1:14.The Pig Trottersは同時期に バック・トラックのみ録音されながらボーカル録りされないままに終わった未完成の未発表テイク、Disk-1:19.Picaninnyは未発表のインストでイアンがギターを弾いている。そしてDisk-1:15,17,20は67年から68年にかけて発売されたヒット・シングルでDisk-1:16,18,21がそれぞれのB面に当たる。特に唯一のアメリカでのヒットを記録した曲であるDisk-1:15.Itchycoo Park、SEや特殊録音など、細部にわたって遊び心の感じられるDisk-1:20.Lazy Sundayの2曲は、イミディエイト時代の彼らの代表曲というだけではなく、 ブリティッシュ・サイケ・ポップを代表する名曲で必聴。Disk-1:17.Tin Soldierはこの時期の彼らには珍しいブラック寄りの曲で、バック・ボーカルでPP・アーノルドが参加(Disk-1:18.I Feel Much Betterにも参加)。B面曲もピアノを中心としたバラードながら、途中スティーヴの激しいボーカルも聴けるDisk-1:16.I'm Only Dreaming、ホーンをフューチャーしたヘビーなDisk-1:21.Rollin' Overも隠れた名曲といえそう。 Disk-1:22.、Disk-2:1〜8.は68年のコンセプト・アルバムOGDEN'S NUT GONE FLAKE収録曲。ただし、ポップなDisk-1:22.Afterglowは69年解散後にシングル・カットされているが、ここで聴かれるのはそのシングル・バージョン。また、先にご紹介したシングルDisk-1:20.Lazy Sundayもこのアルバムの収録曲であった。ということで、せっかくのコンセプト・アルバムなのに順番通りに収録されなかったのが不満ではある。ただDisk-1:3〜8.の ナレーションを挟んで、組曲風の展開を見せるあたりはそのまま収録されており、ある種のちの「ロック・オペラ」をも先取りしてしまった革新性は感じ取ることができる。作品も多彩で、セカンド・シングルI Got Mineのインスト・バージョンでストリングスを導入したDisk-2:1.Ogden's Nut Gone Flake、ハープシコードをフューチャーしたDisk-2:3.Happiness Stan、ボーカルに特殊録音を施したDisk-2:6.The Journey、ボードヴィル風のDisk-2:8.Happydaystorytownなど、その幅広さには恐れ入る。これらを聴くと彼らを単に「モッズ・バンド」というレッテルを貼ってそのイメージの中に閉じ込めておくのがもったいなく思えてくる。 なおDisk-2:4.Rollin' Overはアルバム・バージョンでDisk-1:21.とは別テイク、Disk-1:23.Wham Bam, Thank You MamはDisk-1:22.AfterglowのB面、Disk-2:9.HappydaystorytownはDisk-2:5.の未発表だったインスト・バージョンである。オリジナル・アルバムとしてはOGDEN'S〜がラストということになるが、この後しばらく編集盤が多く出されることになるが、そうした編集盤THE AUTUMUN STONEに収録されたのが Disk-2:10〜17.。ただしDisk-2:10,12,13,15.は別テイクが収録されている。全体にロニーが主導権を握ったと思われるフォーク・タッチの曲が多く、スティーヴが既にスモール・フェイセズから離れつつあることが分かる。またDisk-2:13,15.の2曲はインストだが、これもボーカル録りを前にスティーヴが脱退してしまったために結果的にインストになってしまったといわれており、正直、単に寂しい気持ちにしかなれない。だが、聴くべきところもある。スペンサー・デイヴィス・グループもカバーしていたブレンダ・ハロウェイのカバーDisk-2:11.Every Little Bit Hurtsでのスティーヴのソウルフルなボーカルは素晴らしいし、 デッカ時代の大ヒット曲のライブ・バージョンであるDisk-2:16.All Or Nothingにおける、ゆったりとしたテンポでヘビーな演奏や汗臭さも感じさせるスティーヴの熱唱は、既に後のハンブル・パイにも通じるものが垣間見え、聴き逃せないところ。なおDisk-2:17.The Universalは未完成品っぽい曲だが、事実上のラスト・シングルDisk-2:18.Donky Rides, A Penny, A GlassはそのB面である。残るDisk-2:19,20.は解散後に出された編集盤などで発掘された未発表曲、Disk-2:21.はPP・アーノルドのバックをつとめたシングルのテイクの別テイクである。 ということで、乱立するイミディエイト時代の編集盤の中では最もまとまった、そして充実した内容なので、「どれから手を出していいか分からない」という方は、デッカのアンソロジーとこのCDを購入することをお勧めしたい。ただOGDEN'S〜に関しては、アルバムを通して聴かないと分かりづらいところもあるから、これを聴いて気に入ったらぜひ入手することをお勧めしたい。ただ、この時代の編集盤を聴いていていつも思うんだけど、解散直前の「結果的にインストになってしまった」テイクなどを聴くと、とても寂しくなってしまう。いっそ、封印してくれていた方がよかったと思ってしまうのは私だけだろうか・・・。 *アルバム好感度 80
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| (追記):1999年にはBBCセッション、2000年には旧西ドイツでのテレビ・ライブ集NICEも登場しています。(2001年7月1日) |
*:1999年3月26日UP
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