「3大ギタリストのいたバンド」としてのみスポットを浴びる彼ら。でも、本当にただそれだけのバンドなのか?この続き、The Yardbirds (2)はこちら
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| ヤードバーズといえば「3大ギタリストのいたバンド」、「レッド・ツェッペリンの前身」としてよく語られる。だけど反面、それだけの情報しか持たずに聴いた人の大半は「3大ギタリストのいたバンドにしては、なんかダサい」とか、「ツェッペリンと比較するとショボい」という感想を述べ、バッシングの対象にされることも多いようだ。
だけど、ちょっと待て! よりによってあのツェッペリンと比較すること自体が無謀でしょ。ツェッペリンと比較して「同等だ」とか、「勝ってる」っていえるバンドなんてロック史上ほとんどない。それに「3大ギタリスト」に注目して聴くのも結構だけど、
このバンドって「ただそれだけ」のバンドじゃない。「3大ギタリスト」云々ってのは、このバンドの魅力のごく一面でしかない。その一面だけに注目して聴いておいて、知ったかぶりして「つまらない」なんて言わないで欲しい。乱暴な言い方だけど、私はいつもそう思ってる。 とはいえ、このバンドが正当に評価されないのは、実は「3大ギタリスト」「ZEPの前身」とかいう大袈裟なレッテルを貼られたためばかりではない。ヤードバーズはデビューから解散までの間、3人ものマネージャーの元を渡り歩いた。しかも、交代時にはいつもゴタゴタが起こって。 そのため、現在でも時代毎に版権所有者が異なっており、未だにデビューから解散までの全時代をフォローできるベスト盤、編集盤は皆無。その上、楽曲毎に権利関係が入り組んでいるという複雑な状況にあるため、「これとこれを買えば全テイクをフォローできる」という最適な組み合わせがないという事実が追い討ちをかける。 「じゃあオリジナル・アルバムを揃えればいいのでは?」という声もあるだろう。ところが困ったことに、彼らはオリジナル・アルバムをほとんどリリースできずに解散してしまったバンドでもあるのだ。正規のアルバムは、クラプトン時代のライブ盤FIVE LIVE YARDBIRDS、ベック時代&2代目マネージャー、サイモン・ネピア=ベル時代の THE YARDBIRDS (ROGER THE ENGINEER)、ペイジ時代のLITTLE GAMESの3枚のみ。しかもFIVE LIVE YARDBIRDSはリアル・タイムではイギリスのみの発売、LITTLE GAMESはアメリカのみの発売。最もシングル・ヒットを連発していたクラプトン→ベック時代&初代マネージャー、ジョルジオ・ゴメルスキー時代に1枚もスタジオ録音のアルバムを残していないんだから信じられない。 ビートルズ、ストーンズ、キンクス、ザ・フーなどと違って「これがヤードバーズだ!」と、声を大にして言えるような、そんなオリジナル・アルバムを出せなかった、それゆえに「ロック名盤ガイド」などにヤードバーズの名前が登場しないというケースも多いんだから、本当に悲劇としか言いようがない。 だけど私は、このバンドを聴くのが楽しくて仕方がない。時代によって様々な顔を見せてくれるし、歴代ギタリストの個性を生かして同時代の他のバンドには絶対に出し得ない魅力を発散しているし、後世にフォローワーもほとんど生まれていないといっても過言じゃないほど個性的なサウンドを聴かせてくれるし・・・。 本当にどのバンドとも全く異なる、様々な顔、魅力を発散しまくっていたバンド、それがヤードバーズの本質ではないだろうか。ということで、今回は2回に分けてゆっくり劇的な変化を伴った歴史と、奥深い魅力を探っていきたいと思う。 |
| 「ブリティッシュ・ブルースの父」といわれるアレクシス・コーナーと、それを取り巻く後のストーンズをはじめとした若者たちによって活気づいていたロンドンのブルース/R&Bシーン。そんな1963年5月、2つのバンドの合体によって誕生したのがヤードバーズだった。メンバーはメトロポリス・ブルース・カルテットからのキース・レルフ(vo,har、1943年3月22日生)、ポール・サミュエル=スミス(b、1943年5月8日生)、
サービントン・リズム&ブルースからのジム・マッカーティ(d、1943年7月25日生)、クリス・ドレヤ(g、1946年11月1日生)、アンソニー・トップ・トーパム(lead・g)の5人である。2つのバンドを結び付けたのはマッカーティとサミュエル=スミスで、2人は1959年頃に一緒にカントリー・ジェントルマンというバンドを組んでいた旧知の間柄だったのである。バンドの名付け親はレルフで、チャーリー・パーカーのニックネームに由来しているという。しかし結成早々、メンバー・チェンジが起こる。
親の猛反対に会ったトーパムが学業に専念するために脱退。結局トーパムを含むメンバーでのレコーディングは叶わなかったが、トーパムは1970年になって、マイク・ヴァーノンのブルー・ホライズンからソロ・デビューを果たしている。 結成早々リード・ギタリストを失ったヤードバーズだったが、後任としてレルフのアート・スクール時代の顔見知りでケイシー・ジョーンズ&ジ・エンジニアーズにいたエリック・クラプトン(1945年3月30日生)が参加することとなった。ブルースへの頑ななまでのこだわりはもちろん、「女にモテたい」一心でギターをはじめたということもあって、ファッションに対する頑ななこだわりも兼ね備えたクラプトンの加入により、 ヤードバーズへの注目は高まっていった。そんな1964年1月、ロンドンのクロウダディ・クラブのハウス・バンドに抜擢される。このクラブの経営者はジョルジオ・ゴメルスキー。実はヤードバーズの前のクロウダディのハウス・バンドはローリング・ストーンズ。ところが、そのストーンズはアンドリュー・ルーグ・オールダムにさらわれ、オールダムのプロデュース&マネージメントで華々しくデビューを飾った。 ストーンズをさらわれて悔しがったゴメルスキーが、ストーンズの代わりに夢を託したのがヤードバーズだったというわけ。ということで、レギュラーに抜擢すると同時に、即座にマネージメント契約を締結、ゴメルスキーがヤードバーズの「すべて」を取り仕切るシステムを確立してしまった。今考えれば、そのことが権利関係云々をややこしくしてしまったわけだが・・・(笑)。 野望に燃えるゴメルスキーの積極的な売り込みにより、様々なチャンスが訪れることとなる。まずクロウダディのレギュラーになる直前の1963年12月、本場のブルース・マン、サニー・ボーイ・ウィリアムソンIIをイギリスに招いたゴメルスキーは、ヤードバーズをバック・バンドに抜擢。その時ライブ録音されたテイクは後にSONNY BOY WILLIAMSON & THE YARDBIRDS(66年)というアルバムとして陽の目を見ているが、やはり「ホンモノ」を目の前にしてビビッているのか、 謙虚にバックに徹しようとしたためなのか定かじゃないけど、完全にウィリアムソンに貫禄負けしていて、ヤードバーズに注目して聴いてもさして面白いものではないというのが個人的な印象だ。さらに1964年2月には、ゴメルスキーとマイク・ヴァーノンのプロデュースでデモ・レコーディング。これはゴメルスキーが、レコード会社へ売り込むために録られたテイクといわれており、現在ではいくつかの編集盤で聴くことができる。ただ、後の公式レコーディングものと比較すると稚拙な演奏が目立ち、 あまり聴くべきところはない。また、このセッションが行われたのは63年11月とする説もあり、未だに謎の残るセッションではある。 だけど、この時期で一番重要なのは、1964年3月に行われたマーキー・クラブでのライブ録音。これが65年1月になってアルバムFIVE LIVE YARDBIRDSとして発売される歴史的なライブである。つまり、レコード・デビュー直前に行われたライブ音源が「デビュー・アルバム」になったというわけで、これはロック史上稀に見る事実だ。 ビートルズでいえば、スター・クラブでのライブ音源がデビュー・アルバムになるようなものなんだから、いかにとんでもないことなのかが分かろうというもの。詳しくはアルバム紹介の方で触れるが、サニー・ボーイ・ウィリアムソンIIとのセッション、デモ録音と比較すると格段に熱く、はちきれんばかりの若さの感じられる演奏ぶりが素晴らしいし、「伝説のマーキー」の当時の空気が身近に感じられるという点でも嬉しいアルバムだ。特にクラプトンの急成長ぶりが目覚しく、司会者の「エリック・スローハンド・クラプトン!」のMCの後の ひときわ大きな拍手と歓声を聞けば、彼の存在が既に特別なものになりつつあったということが分かる。だけど、もっと大事なこと。それは、クラプトンのギターとレルフのハープがコール&レスポンスを聞かせたり、アドリブっぽい長尺な演奏が展開されていたりという点。1964年といえば、ビートルズやストーンズのライブ映像を見れば分かる通り、ライブでは演奏よりも歌に重きを置いたり、スタジオ・テイクよりも簡素な演奏に終始したりというのが常識だった。その時代にこんなスタイルを確立していたというのは 驚愕もの。ロックにアドリブとか、バトルを持ち込んだのはクリームということになってるけど、そのさらに原点はヤードバーズ、そう言っても過言ではないだろう。また「ロックの主役」はあくまでもボーカルで、ギターは「伴奏」でしかなかった時代に、これだけの注目を浴びたクラプトンは「元祖ギター・ヒーロー」だったとも言え、その点でも彼らがいかに革新的だったかが分かるというものだ。 |
| しかし、ヤードバーズを「ヒット・メーカー」にしようと企てるゴメルスキーにとって、「ブルース求道者」のクラプトンは邪魔者でしかなかった。クラプトンをもてあましたゴメルスキーは、実は63年12月に一度彼を追い出し、後任にセッション・ギタリストだったジミー・ペイジを迎えようと企てたが、ペイジが「そんなことをしたら、俺は悪者になってしまう」と嫌がったために実現しなかったというエピソードも残っているほどだ。
またゴメルスキーとの関係のみならず、クラプトンはバンド内でも孤立しがちだった。ピュアなブルースだけでなく、R&Bなどのよりポップなブラック・ミュージックも嗜好する他のメンバーとの間に溝が生まれていたという。ただ一人、リーダーのレルフがクラプトンを庇うこともあったというが、この溝は埋めようがないほど深いものだった。 しかし、内部の事情とは裏腹に、バンドの勢いは増すばかりだった。1964年4月、EMI傘下のコロムビアと契約締結、7月にシングルI Wish You Wouldでデビュー。チャート・インこそしなかったが、レルフのハープを前面に押し出したサウンドは、当時としては斬新だったはず。B面のクラプトンのハードなギター・ソロとビートルズ風掛け合いコーラスが印象的なA Certain Girlともども個人的には大好きだ。 セカンド・シングルはサニー・ボーイ・ウィリアムソンIのカバーGood Morning Little School Girlで、ブルース・カバーなのにキュートなポップ・ソングにアレンジされているのが印象的だ。おそらくゴメルスキーの仕業だろうけど・・・。だけど、ヤードバーズのポップ化を推し進めていたのは、実はゴメルスキーだけではなかった。1964年12月にレコーディングが行われた、サード・シングルのセッションで用意されたのが、当時モッキンバーズというビート・バンドにいたグラハム・グールドマン(後に10CC)が書いたFor Your Love。 実はこの曲を選んだのはサミュエル=スミスだった。メンバーの中で最もポップ指向の強かった彼が音楽面でのリーダーの座に座ったことで、バンドのポップ化はより決定的となった。この選曲に猛反発したクラプトンは、ふてくされたままサビでギターを弾いた(「クラプトン不参加説」もあるけど、本人が「弾いた」と言っている)。この時点で脱退を決意したクラプトンは、65年3月のライブを最後にジョン・メイオール&ブルースブレイカーズに移籍することとなる。 当時のクラプトンは「革新的なことをやるよりも、ブルース道を極めたい」気分だったはずだから、「ブルース学校」への移籍は大いに頷けるところだ。「脱ブルース」をめざすヤードバーズにとっても、「ブルースを極めたい」クラプトンにとってもプラスな選択だったといってよいだろう。だけど、そのクラプトンも後に「ブルース学校」を「卒業」して、クリームという、ヤードバーズ以上に革新的な方向に進んでいくんだから分からないものだ。ヤードバーズでは中途半端に終わった「ブルース道の追求」をブルースブレイカーズで実現できたからこそ、 クリームへと進んでいくことができたとも考えられる。事実、クラプトンが急成長したのがブルースブレイカーズ時代だったところからも、それが証明されている。 クラプトンが嫌ったFor Your Loveは皮肉にも大ヒット。ゴメルスキーの願いは叶った。こうしてセールス面でもトップ・バンドの仲間入りを果たしたヤードバーズだが、バンドの看板だったクラプトンを失い、一部では「もう終わり」と陰口を叩かれもしたという。そこで、再び後任に指名されたのが売れっ子セッション・ギタリストのジミー・ペイジ。しかし「セッションで多忙だ」との理由で(ペイジの言うことだから、つい裏読みしてしまう:笑)またもこの誘いを辞退、代わりにトライデンツのジェフ・ベック(1944年6月24日生)を推薦した。 トライデンツは全くの無名バンド、ジェフ・ベックも全くの無名ギタリスト。後任の名前が発表された時も、「誰?」「ヤードバーズも終わりだ」と評されたらしいが、この「革命家」の登場が、イメージ・チェンジをはかっていたヤードバーズの方向性とピッタリとマッチしたんだから分からないもんだ。 |
| 実はベックを加えての最初のセッションは、クラプトンが正式に脱退を発表する前の1965年2月に行われていた。この時レコーディングされたのは、これもグラハム・グールドマン作曲のHeartful Of Soul。エスニックなメロディを持った曲ということで、「何か変わった音を加えよう」ということになり、間奏でシタールを導入。何と、
ビートルズのNorwegian Woodでジョージ・ハリスンがシタールを弾く9ヶ月も前のことである。しかし「このまま発売されていたら、ロック史を変えたのでは?」とも思われるこのテイクを没にした彼ら。ベックが代わりにエスニック色の濃い、攻撃的なギター・ソロを弾いてみせ、このテイクがシングル発売された。再びヒットを記録、こうして「クラプトンがいなければヤードバーズは終わり」との声を吹き飛ばすとともに、
ジェフ・ベックという革新的かつ、エキセントリックなギタリストを得たことで、ヤードバーズはバンドとして更なるパワー・アップを図ることに成功したのである。事実、現在聴くことのできるこの時代のテイクは本当に素晴らしく、Train Kept A Rollin'、I'm Not Talking、Shapes Of Things、You're Better Man Than I、I'm A Manなど、いずれもベックの攻撃的なギターが炸裂、ブルースを脱却しつつも、
単なるポップスにはならず、全く新しい境地を開拓することに成功している。ライブでもベックがフィードバックを多用したり、腕を振り上げたりステージ中を動き回ったりと、以前にも増して荒っぽさを増していくこととなった。 だけど、ここで一部の人の「勘違い」を正しておく必要がある。どういうわけか「ベックがリーダー・シップをとってバンドのサウンドを変化させた」と思い込んでいる人が多く、しかもそうした論調の専門家による資料すら目立つのが気になる。でもそれは違う。この時期のヤードバーズで一番弱い立場にあったのは、他でもないベックだったはず。むしろ、「ブルースのコピーからの脱却を図っていたヤードバーズのオリジナル・メンバーの4人が、 ベックの才能を『利用して』バンドをパワー・アップさせた」といった方が正確であろう。加入した時点で全く無名だったベックが、いきなりリーダー面できるはずはなかろう。ベックはレルフ、サミュエル=スミス、マッカーティよりも年下。ましてレルフは歴代ギタリストに対してコンプレックスを抱きつつも、リーダーとしてのエゴを爆発させていた人。そして、音楽面で主導権を握っていたのはサミュエル=スミス。つまり「まとめ役」としてのレルフがいて、音楽的リーダーのサミュエル=スミスがいた、 そして才能を爆発させつつも「新参者」扱いされていたベック。当時のヤードバーズはそんな状態にあったと私は推測している。つまり、クラプトン時代にはなかった「緊張」がバンド内にあり、それが好結果をもたらしていたのではなかろうか。特にこの時代のテイクを聴くと、ベックのギターを挑発するかのように絡み付いていくサミュエル=スミスのベースが変に印象に残ってしまう。誰も語らないけど、私以外気がついてないんだろうか? こうして「攻撃的で革新的なロック・バンド」と化していくヤードバーズだったが、ゴメルスキーは依然として彼らに「ヒット・メーカー」、「ポップ・バンド」のイメージを押し付けようとした。1966年1月、ゴメルスキーは彼らをなんと「サン・レモ音楽祭」に出演させたのである。「課題曲」Questa Voltaをレコーディングさせられるが、ベックはレコーディング当日に逃亡。ドレヤが危なっかしいギター・ソロを弾いている。コンテストでもふてくされたままステージに上がり、全員やる気なさそうに演奏したという。 度重なる金銭トラブル、ポップ・バンドのイメージを押し付けるような仕事の持ち込みもあって、次第に冷え切ったものとなっていたヤードバーズとゴメルスキーの溝は、この「サン・レモ」の件で埋められないほど深いものとなり、遂に1966年4月、両者は決別することとなる。しかし、デビューからこの時期までの全曲、全テイクの版権はゴメルスキーが所持して渡さなかった。これが現在まで続く「権利関係の複雑化」を招いているわけでタチが悪い。しかも ゴメルスキーは彼らにヒット・シングルを出すことばかりを強要した結果、この時期にスタジオ録音アルバムが1枚も出せなかったという、異例の事態を招いてしまった。一部の方がオリジナル・アルバムだと勘違いしているHAVING A RAVE UPとFOR YOUR LOVEは、どちらも実はアメリカ編集盤であって、オリジナル・アルバムじゃない。FIVE LIVE YARDBIRDSがゴメルスキー期唯一のオリジナル・アルバムだけど、実はゴメルスキーが「クラプトン脱退」のニュースに便乗して「今なら売れるだろう」とばかりに 発売したというんだから全く・・・。60年代のイギリスって、なぜこうも「悪徳マネージャー」が多いのか。本当に困ったもんだ。 こうして無事にゴメルスキーと手を切ることのできたヤードバーズは、2代目マネージャー、サイモン・ネピイア=ベルと契約、バンドとしてもさらに「進化」を遂げていくことになる・・・。 |
| まずはゴメルスキー時代唯一のオリジナル・アルバムにして、「ロック史上の元祖・ライブの名盤」のこれから。 |
| ゴメルスキー時代の彼らは「ヒット・メーカー」でもあったわけで、やはりベスト盤は外せない。 |
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●THE GREATEST HITS 18
手持ちのCD:30CP-114(テイチク)
購入時期 1989年
まず1,3,6,7,9,14,17がクラプトン時代のテイク。本編で述べた通り、6.I Wish You Wouldがデビュー・シングル、17.Good Morning Little School Girlがセカンド・シングル、1.For Your Loveが クラプトン脱退に繋がった最初のヒット曲である。 Good Morning〜はFIVE LIVEではクラプトン&サミュエル=スミスのボーカルだったが、ここではレルフもボーカルで加わっている。意外にもデビュー時には既に「ブルース・コピー」は脱してるようで、ブルース色の感じられるテイクは皆無。だけど、クラプトンは「いかにも」という 高音の粘っこい音色を聞かせていて、「この頃からクラプトンはクラプトンだなあ」と思ってしまう。一方、ブルース色が薄い分、レルフのボーカルの弱さは気にならない。世間ではいろいろ言われる彼のボーカルだけど、私は嫌いじゃないし、バンドのサウンドにも合ってると思う。この時代のベスト・テイクはクラプトンのギンギンのギターとビートルズ風コーラスが素晴らしい9.A Certain Girlということになるが、 クラプトンのギターの炸裂するインスト3.Got To Hurry、マンフレッド・マンがプロデュース、マンフレッド・マンのポール・ジョーンズがバック・ボーカルで参加している超ポップ・ナンバー7.Sweet Musicも聴きどころといえよう。 残る2,4,5,8,10〜13,15,16,18.がベック時代のナンバー。大ヒットの2.Heartful Of Soulと16.Evil Hearted Youももちろん注目だが、それ以前に全テイクが聴きどころと言っても過言じゃない。 個人的にはつんのめったようなリズム、ベックの尖がったギターとそれを挑発するサミュエル=スミスのベースが絡む11.I'm Not Talking、間奏でドラマティックに転調して、ベックの東洋的で荒々しいギターが炸裂する10.Shapes Of Things(ベックはジェフ・ベック・グループ時代に再録)、エンディングでベックの弦をかきむしるようなギターとレルフのハープがバトルを展開する13.I'm A Man、 レルフひとりによるツイン・ボーカルが印象的で、エアロのバージョン、鮎川誠による改作「レモン・ティー」などでお馴染みのスタンダード15.The Train Kept A-Rollin'あたりを強く推したい。暗く沈み込むようなメロディの5.You're Better Man Than I、グレゴリオ聖歌風コーラスが個性的な8.Still I'm Sadなどは、 彼らにしか作り得ないオリジナル作品。これらはレルフ、サミュエル=スミス、マッカーティの音楽性に負うところが大きいんじゃないかな。「歴代ギタリスト以外は無能」というような一部の論調には疑問を抱かざるを得ないところだ。なお、4.Jeff's Bluesはネピイア=ベル時代に発表されるアルバムTHE YARDBIRDSに収録される The Nazz Are Blueのバック・トラックのみの演奏だが、このテイクは実はゴメルスキー時代に収録されたもの。18.Heartful Of Soulは本編で述べた2.の未発表シタール・バージョン。確かに実験的な試みではあるけど躍動感に欠け、出来自体は2.の方が実は斬新で出来もよく、 お蔵入りにしたのは正解だったといえる。 最後にちょっと悪態。私の持ってるこのアルバムの日本語ライナーはひどい。ヤードバーズを「生粋のリバプール産ビート・ロック」と称したり、ザ・フーまで「リバプール・サウンド」呼ばわり、おまけにデータは間違いだらけ。60年代に書かれたライナーならともかく、80年代にこれはないだろう。初心者だった当時の私は大変な混乱に陥ってしまった(笑)。私の手持ちのCDの、 すべての日本語ライナーの中で最低、最悪のものだ。 *アルバム好感度 80
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| 他にも、本編で述べたサニー・ボーイ・ウィリアムソンIIとの共演、マイク・ヴァーノンのプロデュースによる初期デモ・テイクなども出回っているが、
個人的にはどちらも退屈な内容。「ヤードバーズに関するものはすべて欲しい」というコアなファン以外にはお勧めできない。また、1992年にはゴメルスキー時代のほぼすべてのテイクをフォローした4枚組ボックス、SHAPES OF THINGSも発売されているが、今は廃盤。
とにかく編集盤が乱立、しかも複数のアルバムを買ってしまうとダブりが生じてしまうというこの不便さは何とかならないものか。ゴメルスキーの罪は重い(笑)。アップルもの&60年代ストーンズものを牛耳るアラン・クライン、未だにザ・フーの名盤MY GENERATIONのCD化を許さないシェル・タルミーともども、
「60年代を代表する悪人」の一人であることは間違いない(笑)。
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*:2001年4月15日UP
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