ブリティッシュ・インヴェイジョン

ビートルズの登場以降、イギリスでは多数のビート・バンドが登場。ひとつのムーブメントにまで発展した。ここでは毎回☆TAKEが最も好むこの時代のイギリスのアーティスト1組にスポットを当てて、独断と偏見で語っていく。

THE YARDBIRDS (2) (1966年4月〜1968年)

ーギタリストの交代とともに、劇的な進化を遂げた奇跡のバンドー

「3大ギタリストのいたバンド」としてのみスポットを浴びる彼ら。でも、本当にただそれだけのバンドなのか?
      
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(6)唯一無二のヤードバーズ・サウンド確立
 1966年4月、ゴメルスキーと決別したヤードバーズのマネージャーに就任したのがサイモン・ネイピア=ベル。その直後から、ネイピア=ベルと音楽面でのリーダー、サミュエル=スミスの共同プロデュースで セッションが行われていた。そのセッションの結果生まれたのがアルバムTHE YARDBIRDS。ゴメルスキー時代には叶わなかった、彼らにとってはじめてのスタジオ録音の公式アルバムであるが、クリス・ドレヤが手がけたジャケットのイラストから通称ROGER THE ENGINEERとも呼ばれている。 まさにベック加入以降の彼らが推し進めてきた「ベックのギターを利用してブルースを脱却、革命的で全く新しいサウンドの追求」が完成した瞬間が収められているといっても過言ではない。ここに至って、初期のブルースの影響は全くなくなり、 ベックの革命的かつ、攻撃的なギターを生かしつつ、オリジナル・メンバーの持つグレゴリオ聖歌やエスニック調の音楽性が融合したサウンドは、同時代の他のどのバンドも生み得なかったものであり、また、そのサウンドがあまりにも独特のものであるが故に、後世にフォローワーも見当たらない。世間では「サイケっぽい」などといわれているけど、 ビートルズのSGT. PEPPERSとも、初期ピンク・フロイドとも、シスコ系のサイケとも似ても似つかない。よって私は、このアルバムを「サイケ」の枠に当てはめて語るべきではないように思われる。まさに唯一無二の「ヤードバーズ・サウンド」を確立した瞬間の彼らの姿がここに収められている。

  だけどネイピア=ベルによると、セッションの雰囲気は最悪だったという。これまではオリジナル・メンバーがベックの才能を「利用する」という形でバンドが成り立っていたわけだが、その関係が崩れはじめていたらしい。オリジナル・メンバーの4人、特にレルフは世間の注目がベックにばかり集まることが面白くなく、 ドラッグにのめり込み、やる気のなさそうな態度をとることも多くなったという。そんなこともあってケンカが絶えず、メンバー間の関係が揺らぎはじめていた。ベックの方も、いつまで経っても「新参者」扱いされることに不満が爆発しつつあった。ネイピア=ベルは、「いちばん才能があるのがベックであることは明らかなのに、 押さえつけられ、才能を殺されているのはおかしい」と感じたという。そこでネイピア=ベルは、このセッションの間、ベック中心のサウンドを形成できるようにいろいろと仕向けたり、気を遣ったりしていたという。その結果生まれたのが、ここで聴かれるような革命的なサウンドだというのだから、 ネイピア=ベルの貢献度も見逃せないところだ。しかし、そのことでオリジナル・メンバーの4人、特にレルフの不満は爆発、彼の心は次第にヤードバーズから離れていく。事実、1966年5月にはソロ・シングルも出しているが、サウンドはトラッド、フォーク調の、ヤードバーズとは似ても似つかないものである。


(7)ペイジの加入で短いツイン・リード体制へ
  1966年6月13日、デビュー以来音楽面でバンドをリードしてきたサミュエル=スミスが脱退。「ツアー先での喧嘩騒ぎなどに嫌気がさした」というのがその理由だったが、 実は彼はプロデューサー業に目覚めつつあり、そちらに専念したいという気持ちもあったのではないだろうか。事実、THE YARDBIRDSのセッション時もほとんどベースのパートはスタジオ・ミュージシャンに任せ、 自分はコントロール・ルームに座っていることが多かったという。彼はこの後、キャット・スティーヴンス、クリス・デパー、ジェスロ・タル、カーリー・サイモンなどのプロデューサーとして活躍することになる。

  ここで後任のベーシストに指名されたのが、三たび要請を受けたジミー・ペイジ(1944年1月9日生)。「バンド内に味方が欲しい」と考えたベックの強い要請もあってか、ペイジは今度はすんなりこれを受けて正式加入した。しかし、加入から1週間で 「ベースは飽きた」と主張しはじめるペイジ。ペイジとドレヤのギタリストとしての資質を比較すると、誰もこれを拒絶することはできなかった。結局彼はギターに持ち替え、ドレヤがベースに回されることとなった。一部には、「ベックが倒れてステージに立てなくなった日にペイジが代わりにギターを弾き、その日からペイジがギタリストになった」という説もあるが、 ネイピア=ベルはそれを否定し、先のエピソードを述べているので、私はそっちを採用した。「味方が欲しい」とペイジを誘ったベックだったが、こうなれば立場は変わる。ベックは次第にペイジを嫌うようになり、 レルフ、マッカーティ、ドレヤはベック、ペイジの2人とも気に入らず、ペイジは「オリジナル・メンバーを追い出してもっと上手いメンバーを入れたい」と願った。こうしてバンド内の人間関係は以前にも増して悪くなっていった。なお、世間では「ツイン・リード」といわれるけど、 あくまでもリード・ギターはベックで、ペイジは「セカンド・ギタリスト」だったということは忘れてはいけない。

  1966年9月、シングルHappenings Ten Years Time Ago(幻の10年)を発売。間奏でベック&ペイジのツイン・リードが炸裂するこのナンバーは、今でこそ人気が高いものの、当時としては「早すぎた」のか、ヒットには至っていない。 しかしこの傑作も実はネイピア=ベルの苦心によって生まれたものだという。あのツイン・リードは、ベックの帰宅後にこっそりペイジをスタジオに呼び、ベックがギターを弾いたテイクの上にペイジのギターをオーバー・ダビングすることによって生まれたものなんだとか。 一緒に演奏させれば2人のエゴが爆発して喧嘩になりかねない、だけど2人のツイン・リードを生かさない手はない、そう考えたネイピア=ベルの苦心の末の産物というのが事実のようだ。 また、先も述べたように「ツイン・リード」といっても、あくまでもベックがリード・ギターで、ペイジはベックの弾いたフレーズを繰り返したり、少し崩して弾いたりしているもので、やはりペイジは「セカンド・ギタリスト」に徹している。

  さらにネイピア=ベルは、ヤードバーズをミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画Blow Up (欲望)に出演させた。この映画は「スウィンギング・ロンドン」を描いたものだが、アントニオーニ監督は本当はザ・フーを出演させて、ステージ上でギターを壊すシーンを撮りたがっていた。 ところが、ザ・フーの出演交渉が難航していると聞きつけ、ネイピア=ベルが割り込んで来て仕事をさらっていったというわけだ。アントニオーニ監督は彼らにTrain Kept A Rollin'を演奏するように命じた。ところが、この曲の版権を所持するジョルジオ・ゴメルスキーが 頑なに曲の使用を許可せず、仕方なく彼らはこの曲を改作したStroll Onをレコーディング、映画で使用することとなった。これまたベック&ペイジのツイン・リードの炸裂するナンバーとしてパワー・アップしているが、「ザ・フーの代役」として出演したがために、 ベックは映画の中でギターを壊して暴れなければならなかった。ところが、映画でギターを壊したがために、ライブでも「ギター壊し」を期待されるようになったベックは、ステージ上で毎日のようにギターを壊す羽目となった。なお一部で「Stroll Onではペイジはベース、ドレヤがギター」という説があるが、 ドレヤがベックと互角に渡り合うギターを弾けるとは到底思えず、これはデマだと断言したい。

  ツアー先での騒ぎ、他のメンバーへのフラストレーションもあってか、1966年11月のアメリカ・ツアー中、ベックは倒れて入院。ディック・クラーク司会の前時代的なツアーに嫌気がさして仮病を使ったとの説もあるが、帰国後の1966年12月、ベックはヤードバーズからの脱退を発表した。メンバー間のゴタゴタ等に嫌気がさしたというのもあるだろうけど、 それよりも、自分自身の更なる飛躍のために脱退したと考えた方がよいだろう。 こうしてツイン・リード時代は半年と持たずに終わり、残されたテイクもHappenings Ten Years Time AgoとそのB面のPsyco Daisies、そして映画Blow Upのサントラに収められたStroll Onの3曲のみ。それが残念でならない。この時代のライブか何かが残っていれば嬉しいんだけど・・・。「CMソングを手がけた」という情報もあるけど。 また、度重なるメンバー間の対立に嫌気がさしたネイピア=ベルも彼らと手を切った。もともと「ベック派」で他のメンバーを嫌っていた彼がベック脱退とともにヤードバーズから手をひいたのも頷ける。彼はベックと行動をともにしようとしたが、 新バンド結成に失敗、その時点でベックとも別れているが、ベックの方はロッド・スチュワート、ロン・ウッドらとジェフ・ベック・グループを結成することとなる。なお、ネイピア=ベルはジャパン、ワム!のマネージャーを務め、その後も大物として君臨し続けていく。


(8)ペイジ、主導権を握る
  ネイピア=ベルに代わってマネージャーに就任したのがピーター・グラント。この時点でグラントがマネージャー、プロデュースをそのパートナーのミッキー・モストが手がけることとなった。 ミッキー・モストといえば、アニマルズやハーマンズ・ハーミッツを手がけた大物。だけど一方で、バンドのカラーやイメージはそっちのけで、どんなアーティストにもアメリカ然としたポップ・ナンバーを押し付けることで悪名高い男。1967年になって発売されたシングルはLittle Games、Ha Ha Said The Clownなど、 ハーマンズ・ハーミッツあたりに似合いそうな軽薄ポップ・ナンバーばかり。セールス的にも振るわない上、レコーディングでもマッカーティとドレヤは排除されて、レルフ&ペイジにジョン・ポール・ジョーンズ他のセッション・ミュージシャンを加えて行われるのが当たり前になっていった。ますますやる気のなくなっていく レルフ&マッカーティ。その一方で、音楽面をリードしていたサミュエル=スミスも、絶対的リード・ギタリストだったベックも、「親ベック、反ペイジ」なネイピア=ベルもいなくなったことで、ペイジがリーダー・シップを握るようになっていった。ただ、見逃してはいけないのは、ペイジにはクラプトンやベックにはなかった「リーダーの資質」があったということ。 クラプトンやベックには才能はあったけど、その点が欠けていた。だからオリジナル・メンバーたちに頭が上がらなかったわけだけど、彼は計算高く、政治力もあり、その上長いスタジオ・ミュージシャンの経験のおかげで、音楽の知識もあった。それに加えて「俺がリーダーだ」な性格のレルフの心がヤードバーズから離れつつあった。 こうなればペイジは全権を掌握、悪い言い方をすればペイジはバンドの「乗っ取り」に成功した、といったところか。彼が3回目にしてようやく加入を承諾したのは、「今ならいける」という綿密な計算と読みがあったからではなかろうか。

  1967年7月、アメリカのみでアルバムLITTLE GAMESが発売された。いかにもミッキー・モストの好みそうなポップな作りが気になるが、その中でペイジがしっかり自己主張しており、実験的な面も見え隠れする。特に露骨にマディ・ウォーターズのRollin' And Tumblin'をパクった曲調と、マディ・ウォーターズをおちょくったようなタイトルのDrinkin' Muddy Water、 エスニックなギター・インストで、ギターの「弓弾き」やシタールも交えたWhite Summerなどでは、後のツェッペリンで開花する彼の才能やセンスが既に見え隠れしている。ここでもマッカーティ&ドレヤ不在のテイクが多く、「バンド・サウンド」からは程遠いけど、ペイジがレルフのボーカルを「素材」として上手く利用していることもあってか、 レルフのボーカルの弱さは感じられない。ツェッペリンでは「プロデューサー的ギタリスト」と評されることになるペイジだけど、彼のそうした才能は既にここで芽生えている。とはいえ、本国イギリスでは未発売。時代はクリーム、ジミヘン。彼らへの注目度はもはや低いものになりつつあった。


(9)ニュー・ヤードバーズの誕生によるバンド消滅
   1968年3月シングルGoodnight Sweet Josephine発売。例によって軽薄なポップ・チューンだが、これが彼らのラスト・シングルとなった。1968年5月、ニューヨークで行われたライブは録音されていて、1971年になってライブ盤LIVE YARDBIRDS FEATURING JIMMY PAGEとして一度発売されたが、 断りもなく発売されたことにペイジが激怒、わずか10日間で回収になっており、「幻のアルバム」とされる。ブートでは出回っているので聴くことはできるが、レルフ&マッカーティが既にやる気をなくしてドラッグ漬けになっていた事もあって演奏も今一つで、ミックスも闘牛場の歓声をダビングするなど、杜撰な面も多い。 だけど、後のツェッペリンのDazed And Confusedの原曲I'm Confused、70年代のハード・ロック・バンドを思わせる長尺な演奏のI'm A Manなど、ペイジの目が既に70年代に向いているのが分かる。逆にいえば、ペイジ一色の内容であり「ヤードバーズのライブ」という印象は薄い。

  1968年7月、遂にレルフ&マッカーティがフォーク、トラッド・デュオ、トゥゲザー結成のため脱退を表明。これがヤードバーズの事実上の「解散」と考えてよいだろう。残ったペイジとドレヤはピーター・グラントの協力を得て新メンバーを探した。 その結果、プロコル・ハルムのドラマー、P・J・ウィルソンと、ソロ・アーティストのテリー・リードに参加要請。しかしウィルソンはプロコル・ハルムを抜ける意志はないと拒否。リードの方もソロ契約があるからと断った。代わりにリードがボーカリストとして推薦したのが バンド・オブ・ジョイのロバート・プラント。バンド・オブ・ジョイのステージを見てプラントを気に入ったペイジは彼に参加を要請。ドラマーが決まっていないことを知ったプラントはバンド・オブ・ジョイの同僚・ジョン・ボーナムを推薦したのである。 こうして、プラント&ボーナムのヤードバーズ参加が決定したが、さすがにドレヤは自分のミュージシャンとしての力量を悟ったのだろう、フォトグラファーへの転身を決意して1968年8月に脱退を表明した。そこでペイジはベーシストとして、たびたび一緒にセッション活動をしていたスタジオ・ミュージシャンのジョン・ポール・ジョーンズに参加要請。 こうしてペイジ以外のメンバーが一新され、全く新しいバンドに生まれ変わったヤードバーズは1968年9月、ニュー・ヤードバーズ名義でツアーを行った。しかし、あまりの好反応に「もはやヤードバーズを名乗る必要はない」と判断したペイジはバンド名をレッド・ツェッペリンと改め、 1968年10月には、歴史的&衝撃的なファースト・アルバムを発表することになるのである・・・。その後の彼らについては述べるまでもないだろう。

  ちなみにレルフ&マッカーティはトゥゲザーの後、レルフの妹、ジェーン・レルフらとともにルネッサンスを結成。しかしこのバンドは成功を収めることはなく、後にプログレ・バンドとして成功するルネッサンスは、全メンバーの入れ替わった「第2期」である。レルフはその後もメディシン・ヘッド、アルマゲドンなどで活動するも成功を得られず、 1976年5月14日、エレキ・ギターの感電事故で亡くなっている。バンドを仕切ること、組むことに関しては積極的な人だったわりに、ヤードバーズ時代には3大ギタリストやサミュエル=スミスに、ルネッサンス時代にはマッカーティや妹のジェーンに主導権を握られるなど、音楽面の才能で他のメンバーに押されてしまう、ちょっと不幸な境遇の人だった。 マッカーティは1976年、亡くなる直前にレルフが企画していたオリジナル・ルネッサンスの再編成バンド、イリュージョンを結成、レルフの遺志を継いだ。その後、1983年にはマッカーティ、サミュエル=スミス、ドレヤが集結してヤードバーズ再結成が実現。その後ボックス・オブ・フロッグス名義でアルバムも2枚発表、ベックとペイジもゲストとして参加している。 なお、マッカーティは最近でもロンドンのパブで「ジム・マッカーティ・バンド」を名乗って気ままに演奏活動をしているという。

  ブルース・コピーからスタート→ベックの加入でよりヘビーで粗暴なバンドに変身→ペイジの加入で実験的なサウンドも確立。まさにギタリストの交代とともに劇的にサウンドの変化したバンドだった。その変化は、ある意味ビートルズ、ストーンズ、クリームなどの王道から若干外れたものであった。 であるにもかかわらず、彼らの取り入れた手法は、常にその数年後に「王道」になっているのが分かる。唯一無二のバンド、だけど実は時代を先取りしていたバンド。やはり「3大ギタリスト」云々だけで語られるべきバンドじゃない。正当な評価を望みたいところだ。


(10)お勧めアルバム
●THE YARDBIRDS-ROGER THE ENGINEER

1.Lost Women、2.Over, Under, Sideways, Down、3.The Nazz Are Blue、4.I Can't Make Your Way、5.Rack My Mind、6.Farewell、7.Happenings Ten Years Time Ago、 8.Psycho Daisies、9.Hot House Of Omagararshid、10.Jeff's Boogie、11.He's Always There、12.Turn Into Earth、13.What Do You Want、14.Ever Since The World Began、15.Mr. Zero (Keith Relf)、16.Knowing (Keith Relf)、

プロデューサー:サイモン・ネイピア・ベル、ポール・サミュエル・スミス

手持ちのCD:IMCD 9.00137(ライン)

購入時期      1991年
  ヤードバーズにとって、唯一の本格的オリジナル・アルバム。ROGER THE ENGINEERというのは、ドレヤが手がけたジャケットのイラストに由来する「通称」だったんだけど、何度か再発されるうちに正式なタイトルになってしまっている。 また、日本では一時期「ジェフ・ベック&ヤードバーズ」というタイトルで発売されていたとか。こういうタイトルが、このバンドに対する多くの誤解を生んでいる原因なんだろう。とはいえ、本編でも述べた通り、ネピア=ベルがベックのギターを最も前に押し出そうと企てたこともあってか、 ゴメルスキー時代のテイク以上に、ベックのギターが前面に出て来ている。その結果、全くどのバンドにも似ていない、唯一無二のサウンドを確立することに成功している。

  オープニングの1.Lost Womenから既にジャンル分け不可能。ベックのサイケなギターと、レルフの全く黒さのない不思議なハープが絡み、間奏で転調、フィードバック・ギターも登場するという手の込んだナンバー。続く2.Over Under Sideways Downは彼らの得意なエスニックなナンバー、グレゴリオ聖歌風のコーラスとテープ逆回転、SEなどの実験的な音の絡む9.Hot House Of Omagararshid、 ピアノをバックにしたトラッド調のバラード6.Farewell、ベックのファズを利かせたギターがカズーのような音を奏でる11.He's Always There、グレゴリオ聖歌風の暗く、沈み込むようなメロディの12.Turn Into Earthなど、ベックの才能と オリジナル・メンバーの音楽性がうまく融合した結果、個性的なナンバーが生まれているのが分かる。また、ここで聴かれるようなブラック色の薄い曲には、レルフのボーカルははまっている。一部にある「レルフ・バッシング」に私が疑問なのは、まさにそのため。上手くはないけど、ひどいとまでは思えない。 そんな中、ネイピア=ベルのはからいでベックが主導権を握っているのが3.The Nazz Are Blueと10.Jeff's Boogie。前者はエルモア・ジェイムスのDust My Bloomの改作で、 ベックがボーカル。気の抜けたようなボーカルと、間奏の後のOh! Yeahというフニャフニャのシャウトにはズッこけてしまうが・・・(笑)。後者はインストで、単調な曲の中にブレイクを入れ、そこでベックがアドリブを聴かせるというもの。学校の始業のチャイム風のフレーズ、「メリーさんの羊」風のフレーズを織り込みながらベックが伸び伸びとプレイしているのが分かる。 (追記)「Jeff's Boggieはチャック・ベリーのGuitar Boogieの改作であり、そのチャック・ベリーのバージョンにも『メリーさんの羊』風のフレーズが登場するので、ベックはそのチャック・ベリーの曲をコピーしようとしてるのでは?」とのご指摘をテラワダさんよりいただきました。まあ、いずれにしても遊び心の感じられるテイクですねえ。(2007年1月2日追記)

  なお、このCDにはボーナス・トラックとして、ベック&ペイジのツイン・リード時代のシングル7.Happenings Ten Years Time Ago(幻の10年)とそのB面の8.Psycho Daisiesが収録されている。前者については本編で詳しく述べているが、ベースはドレヤではなく、スタジオ・ミュージシャンのジョン・ポール・ジョーンズ。 後者はそのB面で、ベックがボーカルをとっている。 このナンバーについては語られる機会が少ないけど、私はむしろA面よりも凄いテイクだと思う。狂暴に切れ込んでくるベックに対し、重いリズム・ギターで応えるペイジ。このコール&レスポンスが展開されるが、2コーラス目になるとペイジも我慢できなくなったのか、リズムを崩したフレーズでベックに挑んでいく。それに真っ向から応じるベック。2分にも満たない短い曲だけど、2人の意地がぶつかり合っていて鳥肌が立つ。また、15.Mr. Zeroと 16.Knowingはレルフのソロ・シングル。どちらもトラッド調のナンバーで、後のルネッサンスなどに繋がるサウンドに仕上がっている。なお、「ツイン・リード」時代のもう1曲、Stroll Onはここには未収録。どうもこの曲のみ他のネピア=ベル時代の音源とは版権所有者が違っているらしく、なぜかゴメルスキー時代のテイクを収めた編集盤に収録されているケースが多い。この曲はそっちでぜひ手に入れて欲しい。

  まさに本編で何度も述べた「ベックのギターや才能を利用して、唯一無二のサウンドを確立した」ヤードバーズのサウンドがここにはある。ただし、ベックのギターは既にこのバンドの枠をはみ出しつつあり、ベックの脱退も必然と思われる。なお、現在では国内盤はソニーから発売されているようだ。

   アルバム好感度     90

●LITTLE GAMES

1.Little Games、2.Smile On Me、3.White Summer、4.Thinker Tailor Soldier Sailor、5.Glimpses、6.Drinking Muddy Water、7.No Excess Baggage、 8.Stealing Stealing、9.Only The Black Rose、10.Little Soldier Boy、11.Goodnight Sweet Josephine (UK Version)、12.Puzzles、13.Ha Ha Said The Clown、14.I Remember The Night、15.Ten Little Indians、16.Think About It、17.Goodnight Sweet Josephine (USA Version)、18.Together Now

プロデューサー:ミッキー・モスト

手持ちのCD:TOCP-6691(東芝EMI)

購入時期      1992年
  ペイジ時代のオリジナル・アルバムだが、リアル・タイムではアメリカのみの発売。ここではアルバム本編1〜10.に、ピーター・グラント時代のシングルや未発表テイクがプラスされている。 後年、さらに多くの未発表テイクをプラスした2枚組なども登場しているが、熱心なコレクターじゃない限り、この1枚もので十分だと私は思う。本編でも述べたが、この時期にはマッカーティ&ドレヤの参加していないテイクも多いので、バンド色は極端に薄れている。だけど、レルフのボーカルを「素材」として 上手く料理する「プロデューサー的ギタリスト」のペイジの才能が発揮されている。ミッキー・モストに押し付けられたポップなイメージの中にも、しっかりと実験的な要素を取り入れていくペイジのしたたかさが感じられる。だけどペイジのカラーが強くなっている分、オリジナル・メンバー3人の色は 極端に薄い。もちろん、サミュエル=スミスがいないことも大きいんだろうけど・・・。

  まずアルバム本編が1〜10.。ポップでサイケな1.Little Games、ストレートなR&Rながら、間奏で転調してペイジのハードなギターが炸裂、エンディングでは「弓弾き」も聴かせる2.Smile On Meなど、ポップな曲調の中でもしっかりペイジが自己主張、一方でレルフのボーカルを生かすことも忘れていないのが注目。 この辺がペイジの上手さ。4.Drinking Muddy Waterは歌詞こそ違うものの、曲はマディ・ウォーターズのRollin' And Tumblin'そのまま。しかもこのタイトル、作者はメンバー4人とクレジット(笑)。つまりZEP時代にペイジが何度も使うことになる「あの手」をここで早くも炸裂させているわけ。 さらにWhite Summerはペイジによるギター・インストで弓弾きやシタールも交えたエスニックなナンバー。これは中期以降のZEPに通じるものがあり、興味深い。5.Glimpsesもペイジの実験的なギターが炸裂する曲だが、そこにレルフたちのグレゴリオ聖歌風のコーラスが被さってくる。つまりこの曲では、ペイジの実験性とオリジナル・メンバーの個性が無理なく融合しているというわけ。 こういう方向性で両者の音楽性をもっとうまく融合させていれば、もっと面白いアルバムになっていたかもと思われ、その点は残念なところだ。ボンゾズを思わせるようなボードヴィル調の8.Stealing Stealing、レルフの単独作品でトラッド調の9.Only The Black Roseもレルフらの個性を生かした曲だけど、逆にこれらではペイジの顔が見えてこない。 「バンドのアルバム」という色が薄い理由はそんなところにあるのかも。

  11〜18はボーナス・トラック。うち14,18が未発表曲で、残りは当時のシングルA、B面曲。シングルの方は、ミッキー・モストの意向もあってポップ色が濃く、マンフレッド・マンもレコーディングしている13.Ha Ha Said The Clown、ニルソン作の15.Ten Little Indiansなど、彼らのイメージからはかけ離れた曲が並ぶ。 ラスト・シングルのGoodnight Sweet Josephineは2テイク入っているが、11がメンバー4人で録られたイギリス盤のバージョン、17.はレルフ&ペイジにスタジオ・ミュージシャンの加わったアメリカ盤バージョンである。曲の方は「ここまできたか」と嘆かわしくなるほどの軽薄なポップ・チューン。で、未発表曲の14I Remember The Nightは、 マッカーティの昔の同級生がサックスで参加したお遊びっぽいナンバーで、本来はアルバムに収録されるはずだったが、ミッキー・モストの反対に遭って未発表に終わっていたもの。18.Together Nowの方は、実はヤードバーズではなく、レルフ&マッカーティが脱退後に組んだデュオ、トゥゲザーの未発表曲である。

  随所にZEPに繋がるところがあったり、実験的なことをやっていたりはあるけど、アルバムとしては決して誉められた出来じゃないし、「ヤードバーズというバンドのアルバム」という印象も薄い。よって、間違っても「お勧め」なんて私には言えないけど、「ペイジ時代のヤードバーズを知りたい」という方、「熱狂的ペイジ・ファン」という方は聴いておくべきだろう。

   アルバム好感度     70

 他にも、本編で述べた最終期のライブ盤THE YARDBIRDS FEATURING JIMMY PAGEも1971年に発売されているが、ペイジの怒りに触れてわずか10日で回収されており、現在も未CD化。また、BBCセッション音源集ON AIRも発売されているので、これも必聴だ。

                                                        *:2001年4月15日UP


      
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