スポーツ・ネタ

      
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■2002/02/03 (日) 闘魂三銃士も遠い昔

 かつて新日本プロレスに闘魂三銃士と呼ばれた若手有望レスラー3人がいました。
橋本真也、武藤敬司、蝶野正洋。その後、3人は看板レスラーとして君臨してきたわけですが、
橋本は引退→復帰騒動の末、脱退、ZERO-Oneを旗揚げした。
そして遂に先月、遂に武藤までもが新日離脱、馬場未亡人、元子社長の
全日本への移籍が有力視(後記:後に正式に移籍)されているとのこと。私はネットもゆっくりできず、
スポーツ誌を見る機会すらなかったので、武藤離脱を知ったのはつい先日のこと。
近年は団体の壁が壊れ、誰がどの団体へ行っても驚かなくなりつつある私といえども、
これにはショックを受けました。

 もともと武藤という人は組織の枠にはまらない人。
これまでも新日に所属しながらも海外へ出たり、他団体の選手と組んだりと、
自由奔放にやってきた。彼にとって「新日所属」などという肩書きが邪魔して
自由に行動できなくなるようなことはなかった。
周囲もそんな自由奔放な彼の行動を止めることはしなかったし、
何より、彼の天真爛漫な性格ゆえに、それを許してしまうようなところもあった。
だから「自由にやりたい」といって団体を飛び出していくレスラーは多いけど、
彼がそれをやる必然性はない。だからまさか出て行こうとはと驚いた。
彼についていこうというレスラーも多いようで、今度こそ「新日崩壊」の時がきたようです。

 で、もう一つ驚いたのは、武藤に同調して大量の離脱者が相次ぐ中、
「俺が新日を支える」と言ったのが蝶野だということ。蝶野といえばフロント批判を繰り返し、
「ヒール(悪役)」に転じた人。そのヒール=反乱軍のリーダーだった蝶野が
「新日のリーダー」になるというのも不自然。
もちろん、プロレスってのは演出、脚色のあるものだから、
本当に彼が「悪」だったわけじゃなく、「悪役」を演じていたに過ぎないのは事実。
だけど、いくら「演じて」いたとはいえ、5年以上も貫いていた「ヒール・キャラ」を
こういう形で捨てるというのも皮肉だなと思った。とにかく、気がつけばかつての三銃士は
全く別の道を進みはじめたわけで、今後はどうなってしまうんだろう。
私としては今後もバラバラな団体に属しつつも、お互いの団体に「乱入」したりとかして、
プロレス界全体を引っ掻き回して面白くしてくれるといいと思うんだけど。

■2002/02/11 (月) よく分からない「演技系」種目(モーグルを見て)

 さて冬季五輪日本人最初のメダルはモーグルの里谷多恵の銅メダルでした。
・・・といっても、私にはこの種目はよく分かりません。というか、私は
「演技系」種目って、よく分からないんですよ。つまり体操、新体操、
フィギュアスケートのように、「演技」を見せて、審判員が採点、
その得点で争う競技。こういうのって、「レース系」「格闘系」の種目や、
球技のように「点を取り合う」種目のように、「勝ち負け」がはっきりと分からないから。
今回、モーグルを見ていてまたその想いが強くなりました。

 里谷はご存知の通り、長野五輪の金メダリスト。だけど今大会注目は、
急成長した上村愛子の方でした。大会前から多くの取材を受けていたのは上村の方。
で、本番の上村の演技。とにかく「大技」を決めまくっていた。その分、会場も沸いていたし、
素人の私から見れば彼女の演技の方が数段「凄い」と映った。それなのにそれと比べると
素人目には「無難にまとめた」ように見えた里谷が銅メダル、上村は6位。
うーん、やっぱり素人には分からんなあ。少なくとも素人目には、
贔屓抜きに見ても、銀メダルの選手よりも上村の方が上だったように見えるが・・・。

 ところが、今日の朝刊を見ると「上村は1回目に飛んだあとの着地で若干ミスった」とある。
なるほど、いわれなきゃあ分からない。やっぱり難しいなあ。一方で実況中継に不満が。
解説者は「すげー」とか叫ぶばかり、この辺を見落としていた。だから放送中に
その指摘が一切なかった。こういう人が解説をやっていいもんなのか。
「素人目には凄いと思える」、でも冷静に見ると「失敗があった」、
こと「演技系」種目では、こういうことはよくある。そのことを見つけて指摘、
視聴者に説明することこそが、解説者の仕事ではないのか。
モーグルの解説といえば長野でもこうだったけど、もうこういう人は起用しないで欲しい。
とにかく「演技系」種目は、野球やサッカー、格闘技、タイムを競うレース競技と違い、
明確な「勝ち負け」のでない種目、だからこそ冷静な解説が欲しいと私は思う。
というか、やっぱり「演技系」種目は私には分からないのかもしれないなあ。

■2002/02/19 (火) 早期内定

 女子スピード・スケート1000メートル、日本人入賞者ゼロ。
500で岡崎が6位入手したのがせめてもの救い。
大会前に注目されていたのは岡崎であり、新鋭・大菅であり、中長距離の田畑でしたが、
私が注目していたのは、500と1000に出場した三宮恵利子でした。

 4年前の長野五輪、銅メダルを獲得した岡崎の「スマイル」に注目が集まり、
「カワイイ」などといわれていましたが、私はむしろ、その岡崎がメダル獲得した瞬間、
自分のことのように大喜びして笑顔で抱きついっていった後輩の三宮を見て、
「この人の方がカワイイ」と密かに注目していたんです。
その後、岡崎の故障もあって、事実上「日本のエース」となった三宮、
レースでの意志の強そうな顔と、レースを離れた時の笑顔のギャップがよかったし、
実はネットをやっていて、偶然見たファン・サイトの常連の人とコミュニケーションをはかるなど、
その人柄にも感心したものです。

 で、昨シーズン(2000年暮れ〜2001年初頭)は絶好調。世界スプリントでは初日1位、
総合2位。そんなこともあって去年早々に五輪代表「内定」。
これがいけなかった。以降「内定」のプレッシャーに負けて調子を落とし、
ある大会では「内定を貰ったからって手を抜くな」と野次られもしたらしい。
大菅にも抜かれ、五輪前の特番などでは「有力選手紹介」に彼女の名前は登場しない。
いつも険しい顔をしていたし、どことなく顔つきもキツくなってきたし。
唯一開会式で旗手を務めた時にはかつての笑顔が見れたけどその時だけだった。
大得意の1000で惨敗、大泣きしたらしい。負けて泣いたのではなく、
「重荷がとれた」安堵の涙だったよう。次の五輪の時は30か31になるけど、
その時は重荷を背負うことなく、五輪で力を発揮して欲しいと思う。

 「早期内定」は弊害しか生んでないように思えるのは私だけだろうか。
「有力選手には落ち着いて、早目に調整して欲しい」との願いからなんだろうけど、
むしろ逆に周囲の冷たい目にさらされる上、重荷を背負って調整に失敗するケースの方が多い。
シドニーの時もマラソンの市橋有里に早期内定を出したがために、誰を代表にするか大揉め、
弘山晴美が落選して、市橋は一躍大バッシングされて駄目になったことも
記憶に新しいし。どの競技でも「早期内定」は出すべきじゃないのではないか、
そんなことを考えてしまった。

後記:2002年4月、三宮恵利子引退。引退会見で彼女は、「ソルトレイクで燃え尽きた。今後の選手のためにも、早期内定制度はなくすべき」と涙を流して訴えた。 本当に「早期内定」さえなければ、ソルトレイクで結果を出し、次の五輪までだって頑張れたかもしれないのに・・・。
■2002/02/24 (日) 気持ちを冷めさせたショート・トラック

 ショート・トラックで妙な「失格」の憂き目に合う選手が続出、
日本人だけじゃなく、韓国人も。あれ以来私の中で盛り上がっていた「五輪熱」が
一気に冷め切ってしまいました。フィギュアでも「疑惑の判定」は多かったけど、
もともと「演技系種目」ってのは「地元びいき」になる傾向があるから
別に驚きませんでしたけど、あれはいただけませんよねえ。

 ショートトラックといえば、まだ正式種目になって間もない競技。
つまりまだマイナーな競技。でも見様によっては面白い競技ですよね。
スピード・スケートのように2人ずつ滑ってタイムを競うんじゃなく、
5,6人で滑って順位を競うから「勝ち負け」も分かりやすいし、
トラックが小さい分スピード感もあるし、選手同士がぶつかり合ったり、
激しい駆け引きが展開されたりもする。30代以上の方にとっては懐かしいであろう、
ニュー・ローラー・ゲーム(東京ボンバーズとか、覚えてません?)の
アイス・スケート版といった感じ。
やりようによっては人気の出そうな種目だと個人的には思ってました。

 ところが、あの妙な「失格」の連発は本当にいただけない。
これから普及、メジャー化させていかなければいけない、
そんな大事な時にこんな分かりにくい、疑惑の残る裁定を連発するのは
ショート・トラックという競技のイメージを悪くするだけでなく、
「あの競技は分かりにくい、だから見るのはよそう」という人を増やすだけではないのか。
事実私は、この競技への興味が薄れてしまった。
既にメジャーな競技ならともかく、マイナーな競技でこういうことがあると
本当にマイナスも大きいんじゃないのかな。その辺の自覚は関係者にあるんだろうか。
この辺を改善しないことには、マイナーな競技の場合、
その競技の存続自体が危なくなるんじゃないのかな。

 五輪は明日で閉幕だけど、何だか後味の悪さだけが残る大会になってしまった。
そのことが残念でならない。とにかく私がリアル・タイムで見た五輪の中では、
最もイメージの悪い五輪になってしまった。
 

■2002/02/25 (月) はじけた、「長野バブル」

 さて、テレビでは五輪の閉会式が流れています。
キッスやアース、ウィンド&ファイアが出ていました。で、五輪ネタの締めを。
今回の五輪、日本人選手の活躍からいうと
みなさん「ガッカリ」と思ってることでしょう。長野のメダル・ラッシュから一転
2個ですからねえ。でも私から見れば「バブルは終わった」ってとこです。

 私がはじめて理解して見たのは1984年のサラエボ。当時の冬季五輪への注目度は低くて
話題はスピードスケートの黒岩彰くらい。それも惨敗。NHKの独占中継だったし、
民放は手短に結果を伝えるだけ。88年カルガリーでも同じで
注目が上がったのは92年のアルベールビル、スキー複合団体で
日本が金メダルを採った頃。「日本のウィンター・スポーツも意外とやるんだなあ」
ということになって注目、期待が上がりはじめた。

 なので「バブルが終わった」という思いの方が強いんです。
「ガッカリ」でもない。むしろ「世代交代が進まなかったわりには健闘したな」と。
どの競技も長野の時とほぼ同じメンバー。
スケートの清水、岡崎、ジャンプの原田、船木、葛西、複合の荻原、
森、モーグルの里谷、上村・・・。原田と荻原に至っては、
10年前のアルベールビルから出てる。これだけ世代交代が進まなきゃ
当然の結果でしょう。どの競技も「日本のレベルが下がった」のではなく、
日本は長野の時のまま、周りは新しい世代が出てレベルアップしてる、
という風に映ります。次の五輪への課題は世代交代にあるといえるでしょう。
ジャンプの山田、複合の高橋あたりの次に期待したいところ。

 報道のあり方も課題。もう「馬鹿騒ぎ」「過剰な期待」は辞めて
サラエボやカルガリーの頃のように、静かに見守って欲しい。
ついでに五輪の時しか見ない「にわかファン」どもも
過剰な期待を寄せるのは辞めて欲しい。「一生懸命眠いのを我慢して見てるのに、
これじゃあガッカリだ」という的外れな批判もネット上に出てるもんな(怒)!
そんな奴らには見て欲しくないね。最後に疑問。「冬季五輪の華」といえばアルペン・スキー。
なのに今回は地上波ではほとんど放送されなかった。長野まではやってたのに。
その理由が知りたい。まさか「日本選手が上位に入れないから」なんていう
しょーもない理由じゃないだろうな! アルペンを見ないと
「冬季五輪を見た」って実感が湧かないんだな。 

■2002/05/03 (金) 10番

 久々にサッカー日本代表の試合、キリン・カップ2試合見ることが出来ました。
ワールド・カップまであと1ヶ月、話題は「誰が選ばれるのか、誰が落ちるのか?」に集中、
その中でも最も「崖っぷち」とされているのが中村俊輔のようです。

 ゲーム・メイカーとして、セット・プレーの名キッカーとして評価の高い選手。
私もテクニックは文句なく世界でもトップ・レベルにあると思います。
それに日本には10番の似合う選手は彼を除いて見当たらない。
10番といえば、ペレ、ジーコ、マラドーナ、プラティニ、新しいところでもジダンなど、
「指令塔」といわれる、攻撃の拠点になる選手が背負う番号。
「指令塔といえば中田」ということになるのかもしれないけど、
彼のプレー・スタイルは、歴代の10番と比べると若干イメージが違う。
彼の場合はむしろ、自らも攻め上がっていくタイプ、やっぱり「7番」なんだよね、私の感覚では。
そういう「10番の伝統」を受け継いだプレー・スタイルの選手は俊輔しかいない、私はそう思ってます。

 中田、小野不在のキリン・カップ、中村は指令塔として大活躍、
その存在感と才能を見せつけてくれました。スポーツ・ニュースなどでも賞賛されているし、
「代表入り確定」と報じられてる。でも私はそうは思わないんだよねえ。

 中田、小野が合流すれば、彼にレギュラー・ポジションはなくなる。
しかも彼は途中交代要員タイプでもない。つまり彼の居場所はない。
音楽ファンに分かりやすくいうと、エリック・クラプトンは素晴らしいギタリスト。
だけど彼がビートルズに加入してやっていけるか?といえば、それはあり得ない。
なぜなら居場所がない。バンドのカラーにも合わないし、
ジョージというリード・ギタリストがいるから。それと一緒で、彼にどんなに才能があろうとも、
素晴らしい選手であろうとも、居場所がない。
なので彼は結局「外れる」メンバーになってしまう、そんな気がしてならない。
個人的には彼のプレー・スタイルは中田や小野よりも好きだし、
「あれだけの選手が代表落ちするなんてもったいない」と思うし、
「日本に10番の似合う選手がいない」ことを寂しく思うけど、冷静に見るとそうなのかな。
彼ほどの選手ですら代表落ちの危機にさらされる、日本のサッカーもそれほど
レベルが上がったんだなあと思うと感慨深くもあるけど。

■2002/05/18 (土) 日本代表メンバー決定

 昨日からこのニュースでもちきりですねえ。
私は今、夜型なので、昼間は家にいる。おかげで会見、生で見れました。
いろんな意見が出てるようですが・・・。

>中村俊輔
 落選。下の「10番」で書いた通りになったでしょ?
「にわかファン」ほど「なぜ?」のようだけど、私は大納得ですねえ。
もちろんもったいないと思うし、彼のプレー・スタイル、キャラとも好きなんで、残念だけど。

>中山
 復帰は当然。リードを許した試合の後半、残り15分くらいで途中出場、
諦めムードの他のメンバーに喝を入れてムードを変える。それのできる人は
キャラ、資質の両面から見て、彼を置いて他にいない。
一時期トルシエが「中山は呼ばない」と明言してたけど前言撤回、選ばれたことは嬉しい。
同世代としてもね。でも彼が「10番」ってのは???

>秋田
 これは飛び道具だなあ。前回のワールド・カップの時は主力、
でもトルシエ体制になってからはほとんど選ばれてなかった。
もちろん、彼には代表選手としての能力は十分すぎるほどあるけど、
「トルシエ戦術」をどの程度認識してるのかといえば疑問。
それに「相手を潰すこと」「1対1での強さ」に長けたディフェンダー。
こういうタイプが「組織で守る」トルシエ体制のディフェンスのシステムに馴染めるのか?
結局、ベンチで士気を高める役として選ばれたのかなあ、出番はないのかなあ。

>名波
 もったいない。2年前ならチーム・リーダー。故障からの復帰に時間がかかり過ぎ、
その間に多くの新鋭登場、すっかり「過去の人」になってたってとこ。

>高原
 病気さえなければ・・・。

>カズ
 「年だから」「過去の人だから」落ちた、ってわけじゃあないよね。
「じゃあ中山だって同じ」ってことになるし。ただ、中山との決定的な違い。
残念ながら彼は「キング=スター」なわけで、中山のように「流れを変える」
「ムードを変える」といったタイプではない。今回の若い選手中心のメンバーの中に入って然るべきベテラン、
それは「キング」じゃなく、「リーダー」「ムード・メイカー」の方ってわけで、
そういう意味では「中山が入ってカズが落ちる」のは残念ながら当然かも。

 というわけで、私は秋田の復帰には驚いたけど、それ以外には特に驚くことはなかった。
世間ではいろんな声が出てるけど、凄く冷静に会見を見ていた昨日の私でした。

■2002/07/12 (金) 北海道に野球チーム

 一部で噂になっていた日本ハムが札幌に本拠地を移すという話が本決まりになったとか。
その点に関して賛否両論があるようだけど、私は全面的に大賛成。絶対的に支持します。

 もともと日本のプロ野球チームは関東と関西に集まり過ぎ。日本中にチームが点在していて、
それぞれの地区、それぞれの街の「顔」としてチームが存在し、地域に密着したチーム作り行う、
これが本来あるべき姿。まして東京都内には巨人、ヤクルト、日ハムと3チームもある。
しかも巨人と日ハムは同じ東京ドームが本拠地。こうなれば、どちらかが球団のない地方に
移るべきだというのは誰の目にも明らかだ。で、この2チームを比較した時、
観客動員数、というか、人気という面から見て劣る方のチームが地方に移った方が
そのチームにとってもメリットになるはず。本拠地を移すことで、新たなファンを
開拓できるから。そう考えれば、日ハムの移転は本当に喜ばしいことだと思う。

 反面、ちょっと危惧すべき点もある。私は約1年半、札幌に住んでいたから、あっちの人の
気質をよく知ってる。親切で優しく、かつ武骨なくせに、実は内面は熱しやすい。
そんな土地柄だから、きっと弱くても暖かい声援を送り続けてくれるだろう。、
だけど反面、巨人人気が日本一高い土地柄。「昨日、勝ったねえ」が挨拶代わり。
「何が勝ったか」いわなくっても会話が通じてしまう。そんな土地柄だから、
果たして日ハムを受け入れるか? 

 だけどホークスが移転して来た頃のここ福岡も、実は状況は似ていた。
もともとライオンズ人気の高い土地柄で「何で南海が来るんや!」「南海なんかよう知らん」などと、
移転当時は冷めた声が主流だったのに、年々ファンの数が逆転していった。
移転当時、平和台球場で西武vsダイエー戦が行われると、7:3くらいで西武ファンが多かったんだけど、
わずか3、4年で逆転した。今やこの街で西武を応援している人は少数。
当時のダイエーは万年Bクラスで弱かったのに。つまり「強くなればファンがつく」ってもんじゃない。
やはり地元に根づかせようと努力すること、それがいちばんなんじゃないかな。
その努力を親会社が怠らなければ、もともと生真面目で義理堅い札幌の人の気質を考えれば、
必ず成功すると思う。それに札幌を「第2の故郷」と思っている私としても、
成功して欲しいと思っている。

■2002/10/31 (木) みなさん、プロ野球は見ていましたか?

 野球観戦歴20数年になる私ですが、こんなに関心を払わなかった年ははじめて。
阪神が調子よかったことも、その後失速したことも、巨人、西武が独走していたことも、
カブレラの55本や松井の三冠王が話題になっていたことも、後で知ったと言うほど。
とはいえ、「せめてシリーズくらいは」と思って何試合か見たんですが、巨人の4勝0敗。
これでは「よし、来年は見よう」という気が全く起こらない。私が「アンチG」だからじゃないんですよ。
内容的に全く面白くない、味気ない、興奮しない。こんなの、見てもしょうがないだろう。

 では、なぜこんなにあっけないシリーズになったのか。松坂偏重など、あの堅い、
冷徹な伊原監督が突然狂って、奇襲とエンターテイメントに走ったこともあるかもしれない。
でも、それ以上に、パ・リーグの凋落ぶり。「人気のセ、実力のパ」という言葉は
完全な死語。パ・リーグのレベルの低さ、これは目を覆うばかりだ。
「大味」は昔からだったけど、「力がないのに大味」なのが今と昔の違い。
これを招いたのはFA制と選手のメジャー指向。「力があって大味=パワフル」な、
実力&魅力のある選手はみんな、FAでセへ、メジャーへと流失。
結果、残った選手はB級、C級レベル。西武で規定投球回数に達したピッチャーは
2人しかいない。こんなチームが独走、90勝。最優秀防御率のオリックス、金田の成績は4勝9敗。
余りにも低レベル。ピッチャーのレベルが低ければ、自然にバッティングのレベルも下がる。
苦労をしなくとも好成績が残せるんだから。

 つまり、長く言われてきた「G偏重、セ偏重」の弊害が、FA制とメジャー指向によって、
さらに進行、それがプロ野球界全体を蝕んでいる。それがこの「面白くなさ」の最大の原因。
でも、今年の原・巨人には、アンチの私と言えども、あまり「憎い」という感情は芽生えない。
ちゃんとチームとしてまとまってるから、「金で作り上げた急造軍団」というイメージはなくなったから。
とはいえ、このままでは「来年は見ようかな」という気にはならない。
これだったら他のスポーツを見ていた方が数段面白いから。
いい加減、この構造を変えないとプロ野球は駄目になっちまうよ。
ただですら野球離れが進んでる昨今、このままじゃあ、誰も見なくなるよ。
「プロ野球再浮上」の絶好のチャンスだったシリーズ、それですら、こうなんだもんねえ。

■2002/12/04 (水) トヨタ・カップに興ざめ

 サッカーのトヨタ・カップといえば、クラブ・チームの世界一決定戦。
ヨーロッパと南米のチャンピオン・チーム同士が12月に東京で激突。これは日本にJリーグが誕生するずっと前から、
なぜか日本で行われていた。1980年代、私が中高生の頃、あの時点では唯一、
「身近に見れる世界最高峰のサッカー」だっただけに、
毎年、本当に楽しみにしてたものだった。ジーコやプラティニが日本で見れる、
それだけで「奇跡」だったんだよ。

 だけど、時代は流れて、日本にもJリーグが発足、日本代表もヨーロッパや南米の代表チームと
国際試合をできるだけの実力がついたし、サッカーの人気が上昇したことで、
海外のサッカー情報も手軽に入るようになった。遂にはワールド・カップまで開催。
そのためだろうか、「身近に世界最高峰のプレーが見れる」という
トヨタ・カップのありがたみがこの数年、薄れてしまったような気がする。

 しかも、ブラジル、アルゼンチンなどの南米の強国は、経済的に困窮。
その分、そうした国のスター選手の大半が、自国からヨーロッパのチームに移籍。
そのため、ヨーロッパのチームは強くなるばかり、一方の南米のチームは
選手層が薄くなって弱体化。これでは「ヨーロッパ・チャンピオンvs南米チャンピオンの激突」といわれても、
両者の実力差はあまりにも大きいわけで。

 というわけで、今年のトヨタ・カップ、ブラジルのロナウド、ロベルトカルロス、
フランスのジダン、ポルトガルのフィーゴ、といった外国勢と、ラウル、イエロら、
現役スペイン代表選手を揃えたスペインのレアル・マドリードが、目立ったスター選手が1人もいない
パラグアイのオリンピアに快勝。はっきりいって、「やる前から結果が分かっていた」って感じ。
金の力に物をいわせて無節操に世界中から選手集めをするレアルは、
「サッカー界の某G」と映らなくもない。私には「興ざめなシラケ・チーム」でしかないけどな。
私は昨日の夜は出かけていて見れなかったが、全然悔しくない。
中高生の頃、「ジーコが、プラティニが来る」、そのことだけで舞い上がって釘付けになった、
あの頃のトヨタ・カップが懐かしい。延長にもつれ込む好試合も多かったよなあ、あの頃は。
それにしても、ヨーロッパと南米で格差の広がってしまったこの大会、今後も続けることに意義があるのだろうか。

(後記):やはりといおうか、そのトヨタ・カップは2004年を最後に姿を消した。「やっぱり」と思う反面、サッカー人気が低かった時代に唯一身近にみることのできた「世界のトップのサッカー」だったこの大会が終わることは、やっぱり寂しくもある。

■2003/01/11 (土) ノーサイド

 ラグビーで「試合終了」をこう呼びます。サッカーと同様、反則があったり、ボールがラインを割ったりすると、
一旦プレーが途切れて「リスタート」となるわけですが、その時審判は必ず、どちらかのサイドの手を挙げます。
つまり、反則のあったチームと逆のチームのサイドに手を挙げて、「どちら主導でリスタートするか」を示すわけ。
だからプレーが途切れて、審判が笛を吹く時は必ずどちらかのサイドの手を挙げるんだけど、
試合終了の時のみ、どちらのサイドにも手を挙げない。だから「ノーサイド」。

 私が高3の時、体育の授業でラグビーをやることになりました。その時、当時25歳の体育の教師が、
ルールを解説しつつ「ラグビーとは?」といったことを熱く語りました。
大雑把に言えば、ラグビーは荒っぽい要素はあるが、実は伝統があり、紳士的で、
精神性の高い高貴なスポーツなんだ、といった話。その中で「ノーサイドの精神」を語りました。
その話はなかなか感動的で、普段は反抗的な連中も熱心に聞き入っていました。
ラグビーは確かに荒っぽい。故に、エキサイトすることもあるし、熱くなることもある。
また、「相手を叩き潰す」くらいの気持ちと勇気がなければ出来ない。
だけど、だからこそ、試合が終わった瞬間は、敵、味方の区別なく、
お互いの健闘を称え合い、ねぎらう気持ちが芽生える。
それが「ノーサイド」の意味だ。つまり、試合中は、「敵、味方」を区別するけど、
試合終了の瞬間、その敵味方の関係は消え、同じ試合を戦った「同志」になる。
つまり「サイド」はなくなるんだ・・・。大体こんな話だったと思う。

 私は中学生の頃からラグビーを見ていたから、「ノーサイド」という言葉には、
ごく自然に馴染んでいた。だけど、意味までは考えたことはなく・・・。
なので、この話には感動したし、「荒っぽいが故に、逆に高い精神性を要する高貴で気高い競技」というイメージを
強く持ったものでした。

 もちろん、そんなのは奇麗事かもしれない。ノーサイドの瞬間に、
必ず相手をねぎらう気持ちを持てるというものでもなかろう。
でも、この競技の基本精神が、この「ノーサイド」という言葉に凝縮されているのは間違いない。
イギリスで紳士のスポーツと呼ばれているのも頷けるというものだ。
イギリス人らしい考え方。アメリカ産のスポーツには見られない精神だよね。

■2003/01/23 (木) 相撲を「稀薄」にしたある兄弟

 小学生の頃見ていた正月特番に初代貴乃花一家が出演していた。
登場した私と同世代の小学生の兄弟。「大きくなったら何になる?」「相撲取り」。
堂々と答える2人が憎たらしかった。その後「わんぱく相撲大会」「中学生相撲大会」で活躍する2人の様子は
常に報道されていた。父は大関、子供の頃から相撲が身近だった、それだけの理由で常に世間の注目を浴びる。
嫌いだった、憎たらしくすらあった。単なる嫉妬、その通りだけど。

 その後、大相撲デビューした2人。デビューして間もないのに注目を浴びる。
やはり面白くない。あっさり入幕、しかも初顔合わせで大横綱・千代の富士を倒す大金星。
千代の富士はあっさり引退、その後も北勝海、旭富士らも相次いで引退。
「出来過ぎた世代交代」に映った。「苦もなく頂点に登った」ように見えた。
もちろん影には人知れずの努力があったんだろうけど、2人には「おぼっちゃま育ち」らしい
「汗臭さ、泥臭さの稀薄さ」があった。故に今まで相撲を見なかった人たちをも引き付け、
人気者になったというのは分かるけど、小学生の頃から相撲を見てきたものにとって、
そのキャラクターは「鼻につく」以外の何者でもなかった。度重なるスキャンダル、
それもまた相撲取りらしからぬ感じがして、相撲のイメージが軽く、稀薄になっていくものを感じた。

 そして私は相撲を見なくなった。北の湖、輪島全盛時から見続けていた相撲。
どんなに盛り上がらない場所でも必ず見続けてきた相撲。その相撲への愛着が、
たった2人の兄弟によって、木っ端微塵に打ち砕かれてしまった。

 遂に先日その兄弟の最後の1人、2代目貴乃花は引退した。
「偉大な横綱だった」「ごくろうさま」暖かい、なおかつ業績を称えるかのような
圧倒的世間の声に反し、私の感情は複雑だ。私には「偉大」とは思えないのである。
記録だけを見れば偉大だが、やっぱり「稀薄」に見えるのである。
相撲を「稀薄イメージ」に変えてしまった2人、それは「功」なのか、「罪」なのか。
私には後者に思えて仕方がない。実際、主役の2人がいてこその「稀薄イメージ」の相撲界。
2人がいないままの「稀薄イメージ」の相撲界なんて、成り立つはずもないんだから。
イメージを大きく変える誰かが出てこない限り、相撲界の将来は暗いし、
私も「2人が辞めたから」といって、「見よう」という気にもなれない。

■2003/10/13 神様批判はタブーなのか?

  今月に入って、「今日は昼型、明日は夜型」といった不規則な生活をしています。その分、空き時間が出来て、ゆっくりネットできるようにはなったんですが、調整が実に難しかったりします。

  とまあ、そういうわけで、サッカー日本代表の海外遠征試合、早朝に生中継されたチュニジア戦(1-0で勝利)は生で見て、土曜日の夜に中継されたルーマニア戦(1-1で引き分け)は家に居ずに見れなかった私ですが、この結果、みなさんはどう受け止めているでしょうか? ネット上の意見、新聞などのメディア、選手や関係者のコメントを見ると、「まあ、とりあえずはOKなんじゃないか」という肯定的なものもあれば、「先行きが多いに不安」という否定的なものもありで、意外と賛否両論分かれているよう。じゃあ、私はどうかというと、迷わず「否」な立場をとってしまいます。

  テレビで直接見たのはチュニジア戦のみなので、チュニジア戦から受けた印象のみですが、あの試合はスコア上は勝利を収めたけど、危ないシーンが多くて、「内容的にも勝っていた」とは言い難い。いくら「初顔のメンバーばかりによる急造ディフェンス陣」といっても、あの程度のレベルで「代表」を名乗れても困る、というのが正直なところ。確かに「はじめてのメンバーばかりにしてはよくやった」って意見も分かるけど、一応「代表」を名乗る以上はねえ。中盤には「黄金のカルテット」がいるわりには全然派手さも、華麗さも、強さも感じなかった。うーん、ジーコ監督体制になってしばらく経つけど、今の日本の実力って、トルシエ時代より下がっていないか? こんなひ弱でまとまりのないチームでワールド・カップに挑戦したとしたら、本大会どころか、アジア予選で敗退しても何ら不思議じゃないぞ。

  そこでひとつ、不思議に思うことがある。ジーコ体制になって以降、コンフェデ杯でも予選敗退、国際試合でもほとんど勝ってない。なのに全く「ジーコ批判」が出ないのはなぜなんだろう。私はってっきり、「コンフェデ杯」の後に絶対ジーコ批判が噴出すると思っていたんだが・・・。前任のトルシエなんて、1試合落としただけで「辞めろ」「指導力がない」と派手に批判されたのに。まあ、理由は明確、ジーコといえば、ブラジルの、いや、世界のサッカー界の「神様」といわれる往年の名選手。しかも、ファンやメディアに対する対応も親切で紳士的な人。そう、この人が「神様」といわれる所以は、単に「凄い選手」というだけじゃなく、プレーを離れて、ひとりの人間としてみても大変優れた人格の持ち主だからに他ならない。「選手としては凄いけど、傲慢でいやな奴」だったりしたらバッシングの対象になるのが普通だけど、「人格も優れた人」となると、なかなか批難したくても出来ないのは当然だろう。そう、「ジーコ批判」が出ないのは、彼が「往年の名プレイヤー」であると同時に、人格者だからと考えるべきだろう。

だけど、「本当にこれでいいのかなあ」と私は思う。私もプレイヤーとして、人間としてのジーコは素晴らしいと思ってるひとりだし、以前、ここで「彼の選手の自主性に任せるという采配は支持する」とも書いた。その気持ちに今も変わりはない。だけど、「結果」が出てないのは紛れもない事実。「結果」が出ないのであれば、軌道修正すべきところはしなければならない。そしてファンやメディアも、批判すべき時は批判すべきではないのかな。とにかく、「放任主義で行く」ならそれでもいいけど、どこかで細かな修正点くらいは修正していかなければ、今のまま、何も変わらないまま、次のワールド・カップを迎えることになりかねないんだから。とはいえ、中田をはじめ、数名の選手の中から、「このままじゃダメ」「これではワールド・カップでは勝てない」の声が出ているのは、せめてもの救いかもしれない。


      
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