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■2003/11/03 福岡県民のみなさん、目を覚まして下さい(ダイエー・ホークス小久保放出) 今日の午後はサッカー、ナビスコ・カップの決勝戦のテレビ観戦、浦和レッズが初優勝。だけど、見終わった私は、サッカーのことなど、ほとんど印象に残らなかった。ハーフ・タイムにニュースが流れたんだけど、そこで伝えられたプロ野球界に起こった前代未聞の大事件に、大ショックを受けたためだ。そう、ダイエー・ホークスの主砲・小久保の巨人への電撃移籍。しかも、「金銭トレード」でも、「自由契約」でも、「FA移籍」でもない、「無償トレード」だというのだから、これがショックを受けずに入られるだろうか。いくら「福岡県民だが、ダイエー・ファンは辞めてしまった」私といえども、無関心ではいられない。
私がダイエー・ファンを辞めた経緯は、これまでも何度か述べてきた。南海ホークスが福岡に移って、福岡ダイエー・ホークスに生まれ変わったのは、1989年のこと。以来、私は、いくら勝率3割台に低迷しようとも、7対0でリードしてたのに、終わってみれば7対9で負け、そんな情けない試合を見せられようとも、いつも応援してきた。社会人になり、地元を離れてからもずっと、平和台球場→福岡ドームの熱狂ぶりをテレビで見ることで、地元を身近に感じることが出来た。そんな私のホークス熱が冷めはじめたのは、元西武管理部長の根本氏が監督に就任した頃。生え抜きの佐々木、村田を放出、「憎っくき常勝・西武」の顔、秋山との大型トレードを実施、大好きな選手だった佐々木の代わりに、嫌いで仕方がなかった秋山が来た。この時点では「寂しい」程度の感想。だけど、さらに工藤、石毛まで来る。しかも山本和範放出。「一応応援するけど、これでいいのか?」な状態。だけど、その工藤の活躍もあり、初優勝。この時に一旦、「あのチームが良くぞここまで」の感慨が湧き「ホークス熱」は復活しかかった。ところが、そのオフ、その功労者、工藤に対する、あまりにも理不尽な対応、工藤は某Gへと移籍した。この時点で「選手とファンを無視し、大事にしない球団なんて」との怒りが込み上げ、私は「ホークスとの決別」を決意した。まさに愛想を尽かしたということ。そう、今回の件もまた、その時に近い「選手とファンを無視し、大事にしない」という、このチームの経営陣の本性を見る想いがした。確かに「身売り問題」などの、切羽詰まった事情もあるんだろう、だから、佐々木、山本の放出、工藤への心無い仕打ち、それらのケースとは明らかに違うのかもしれない。しかし、「無償トレード」の意味が、私にはさっぱり分からない。「経営が苦しいから」なら、見返りに金銭を受け取る「金銭トレード」という選択もあるはず。なのに、そうではない。某Gの「何でも欲しがる」オーナーが、「小久保が欲しい」とせがんだ形跡もない。小久保本人が望んだとも、到底思えない。一体何があったのやら。正直、全く分からない。そして、オーナーと小久保の会見を見ても、その理由が明確に説明されていなかった。これでは、ファンは納得しないはずだ。
正直、福岡のファンは寛大だと思う。工藤の件の時も、露骨に球団批判を行うファンは少なく、むしろ、工藤に同情しつつも、「それでも応援し続ける」という声が大勢を占めた。気性の荒いファン、辛辣なファンの多い阪神や中日だったらきっと、ファンの間からも大ブーイングが起こっていたに違いない。その後も、度重なる身売りの噂、シリーズを福岡ドームで行えない、近鉄・ローズに対する敬遠問題他、毎年のように醜態が報道され続けたが、それでも福岡のファンはいつも、暖かかった。エラーをした選手を罵る、野次るといったことも、同じ「熱狂的ファン」といっても、阪神や中日のファンのように露骨にはやらないのがダイエー・ファン=福岡のファンの特徴。本当にひたすら「暖かい」のである。
だけど、俺は思う。「批判すべき時は、はっきりと批判すること、それこそが本当の愛情ではないのか?」。そう、今回ばかりは福岡のファンも、本当に怒ってもいいんじゃないのか。いつもいつも、「暖かいファン」で居続けることが、果たしてこの球団にとって、本当によいことなのかどうか、考え直してもよいのではないか。私が「ホークス、ホークス」と盲目的に盛り上がる福岡のファンに対して辛辣なのは、実はそうした「イエスマンばかり」なことも理由のひとつだったりする。確かに、福岡の野球ファンには、「ライオンズに捨てられた」苦い過去がある。だから、関西や名古屋の人のように、地元球団に辛辣になりきれないところがある。でも、これを許していたら、せっかく阪神とダイエーの活躍で「野球人気復活」の兆しが見え始めた今年だけど、今後はまた某Gの独断、暴走がはじまり、今度こそプロ野球界全体の崩壊にだって繋がりかねない。今回のことは、それほどの「大事件」だと野球観戦歴25年以上になる私の目に映ってるんだが。しかし本当に、一体、何が起こったんだろう? 未だに事情が掴めない。
■2003/11/11 バボちゃん、横山樹理、郎平(バレーボール・ワールド・カップ) さて、今現在「バレーボール・ワールド・カップ」なんてものが開催されてるようだけど、私は全然見ていないし、実は興味もない。例によってのフジテレビの独占生中継、しかもジャニーズ系のタレントが登場。何年かに1回の恒例行事と化してますよね。しかし今年は、どの程度の人が注目しているのだろう。ネット上でもほとんど話題にはなっていないようだ。
実はこの大会をフジテレビが独占生中継するようになり、お馴染みのイメージ・キャラ「バボ」ちゃんが登場、恒例行事と化したのは、確か昭和53、54年頃のこと、私が小学生の頃でした。日本の女子バレーといえば、東京五輪の「東洋の魔女」の時代以来、日本人の間では人気スポーツと化していたわけだけど、その何度目かのブームが起こったのが、この年のワールド・カップ。女子バレーといえば、男っぽい頑健な選手が雄たけびを上げながらやるスポーツ、根性論・・・。そんなイメージがあったんだけど、そのイメージを変えたのが、当時の全日本エースの横山樹理。そのプレーぶりからは想像のつかない、「樹理スマイル」と呼ばれた可愛い笑顔。彼女は人気者になり、その人気に支えられての大ブーム。視聴率も20〜30%はいっていたと思う。私もこの「樹理人気=バレーボール人気」に影響を受けてワールド・カップを見て、バレーボールをよく見るようになったというわけ。それから、中国のエース・郎平の「女性離れ」したプレー(とルックス:笑)にも驚かされたっけ。
以降、ボイコットとなったモスクワ五輪(昭和55年)の数年後、横山樹理は引退したけど、日本のバレーボールは常に人気種目だったし、私もいつも注目し続けた。横山の引退後は、レシーブの名手で、やっぱり可愛かった広瀬美代子を贔屓にしてたし、以降もお気に入りの選手(石田、中田久美、斉藤真由美、佐伯美香、山内美加などが好きだった)がいる、いないに関わらず、見続けてきた。ワールド・カップも、最初の頃ほどではないにしろ、安定した視聴率を誇っていたように思う。
だけど、1990年代に入った頃からだろうか、日本はオリンピックで優勝争いはおろか、出場すら危ぶまれるほどレベルが低下してきた。いや、日本がレベルが下がったというより、イタリアだの、ブラジルだの、後進国が台頭して、世界のレベルが上がった言った方が正しい。この頃から私も、あまり見なくなったように思う。私だけじゃない。90年代に入って「国対国で行われるチーム・スポーツ」といえば、「日本を代表するチーム」といえばサッカーの日本代表、そんな風潮に変わってきた。そう、かつて女子バレーボールが担っていた「役割」が、サッカーに取って代わられた。そして、サッカー人気に押されるかのように、バレーボール人気も低下・・・。「実力が下がったから、人気が下がった」のか、「人気が下がったから、実力が下がった」のかは微妙だけど、まあ、両方あるんだろうなあ。それから、プロ化の際にいろいろゴタゴタもあったし、「15点制」じゃなくなったり、「リベロ」なる7人目のポジションが設けられたりと、ルールがコロコロ変わって、「わけが分からなくなった」というのも正直なところだし。ワールド・カップの中継を利用して、ジャニーズの新人を売り出すやり方も変だし。「ブルマーじゃなくなった」のも寂しいし。いや、「スケベ心」からじゃなくって(少しはあるけど、それ以外の要素の方がはるかに大きい)、あの短パンはカッコ悪すぎ、野暮ったすぎ。ブルマーのスポーツ選手って、足がスラっとしてて、精悍でカッコよく映るんだけどな。それと比べると、この上なくカッコ悪い。
というわけで、私も見なくなったし、世間の人もあまり見なくなった。とはいえ、このままじゃあ寂しすぎる。あの「バボちゃん」「樹理スマイル」「郎平」日本中がに湧いた時代を考えると、あまりにも寂しい。「強くなることが先決だ」という声もあるけど、それだけじゃないような気がするし、「サッカー人気に押されたせい」という声もあるけど、私のように、もともと両方好きだったはずの人だっていたはずなんだから。例え、客の入りが悪くなろうと構わないくらいに開き直って、ジャニーズのタレントを排除、ルールも元の15点制に戻し、リベロもなくして6人制に戻して、ユニホームもブルマーに戻す。そうすれば、少なくとも私は「また見てみようかな」と思うけどな。いや、絶対に見ると思う。
■2003/12/26 今こそ大下弘が必要なんだ つい先日、夜中にテレビを見ていたら、福岡のローカル局が制作した大下弘に関するドキュメンタリー番組が放映されていました。といっても、この番組が制作&放映されたのはもう10年以上も前のようで、関根潤三氏が「ヤクルト監督」、仰木氏が「近鉄監督」と紹介されていたし、亡くなった元巨人の青田昇氏や千葉茂氏がコメントを寄せていたしで、明らかに再放送でしたけど。それを見るにつけ、現在の野球のつまらなさを改めて思い知らされると共に、「俺はこんな野球、こんな選手が見たいんだよ」という想いを強く持つに至りました。
で、「大下弘って誰だよ?」と思ってる人も多いと思うので簡単に。戦後の焼け跡の中でプロ野球が再開された昭和21年に東急セネタース(日ハムの前身)に入団、「ホームラン10本でホームラン王」が当たり前だったこの時代に、トレードマークの「青バット」で豪快なホームランを量産、20本以上のホームランを打って日本の野球に革命をもたらした大スター。この時代の20本は、現代に置き換えれば年間70本くらいに相当するはず。2リーグ分裂の昭和25年に誕生間もない西鉄ライオンズ移籍、豪放磊落、自由奔放な「野武士集団」のリーダー、顔として活躍した人。とにかく、この人、プレー・スタイルも、生き様も豪快そのもの。試合が終われば飲み屋街に直行、朝まで飲んだくれたり、派手な女遊びを展開したり。時には翌日の昼頃まで遊び続けて球場に直行、なんてこともあったらしい。実際、前日の昼前まで飲んだくれて千鳥足で球場に現れたデーゲームで1試合7打数7安打の日本記録(今も破られていない!)を記録したという強烈なエピソードも残っている。バッティング・フォームもVTRで見る限り、本当に豪快そのもの。まるでゴルフのスイングのように、思いっきり引き付けておいて、豪快に「打ち上げる」。そう、いわゆる「アッパー・スウィング」ってやつ。現在では「悪いフォームの見本」とされているフォーム。「上から下に叩き付けるバッティング=レベル・スウィングが基本」ですからねえ、今は。事実、松井ですらレベル・スウィング。大下のフォームに近いのは現在では中村紀洋(近鉄)くらいだけど、彼の場合はオーバー・アクション過ぎるし、見様によっては「不格好」なんだけど、大下のフォームはとにかく奇麗。こんなフォームであれだけの成績を残していて、三振も少なかったんだから凄い。大下の移籍した直後の西鉄は高卒の無名の新人(中西、豊田、仰木ら)ばかりの若チームだったわけだけど、そんなチームが自由奔放で豪快な「野武士集団」になったのは他でもない、大下弘という見本が身近にいたからこそだと思う。
とはいえ、そんな豪快な生き様故に晩年は体を壊して引退。監督になって「アンチ管理野球」を掲げてノーサイン、ノー罰金などの放任野球を打ち出すも、チームはバラバラになって、シーズン中に解任された。以降は細々と少年野球の指導をしていたが、56歳での若すぎる死。華々しいスター選手にしては、引退後の彼の人生はあまりにも寂しい。「赤バット、青バット」時代のライバル・赤バット・川上哲治氏が番組の中で「野球は計画性を持って、基本に忠実にやるべきものだ」と、大下の生き様を否定するような発言をしていた。おそらく、現在の野球界の監督、コーチ、評論家はもちろん、選手に聞いてもきっと、全く同じことを答えるだろう。私も彼にそれだけの器用さがあれば、もっと上手い「生き方」ができたのかな、とも思う。だけど、そんな「教科書」のような野球を見せられて、私たちが面白いと思うだろうか? やっている選手たちは本当にそれで面白いのか? と問いたい。大体、野球をそういうつまらないものにした大元は川上流管理野球ではないのか? 以来、ますます面白くない方向に向かい、その結果が「引き抜き」「特定のチームのみの偏重」という崩壊寸前の現状を生んだとは言えないだろうか。
この年末年始、スポーツ、特にプロ野球の選手が多く登場する糞みたいなバラエティ番組が多く放送される。しかし俺はそんな「面白いことを言って笑わせる選手」など見たくもない。俺が見たいのは豪快で豪放なサムライのような選手なんだ。確かに、戦後のゴタゴタ期という貧しくて人々がハングリーだった時代たからこそ、ああいう選手が登場したのであって、「管理統制」が当たり前、その上不況で「打算」なしには生きていけない、そんな現代において、ああいう選手が登場する可能性は低いし、もしも登場しても果たして活躍の場があるのか、と考えれば実現不可能なのは分かる。だけど、プロ野球にしても芸能にしてもそうだけど、そういう世界は、私たちの住む現実の世界とは別世界であって、いつも「夢」を与えてくれる世界でなければいけないはずだ。そう、一時でも「辛い現実」を忘れさせてくれる「夢の世界」。だとすれば、そういう世界において「統制」だの「打算」などというものが垣間見えてしまってはいけないんじゃないか。野球界のニュースといえば、引き抜き、契約を巡る駆け引き。バラエティ番組で見せるコミカルな素顔。そんなものにはもう、付き合っていられない。俺が求めるのは、大下弘のような、現実世界を忘れさせてくれるような真の大スターなんだ。自由奔放に生きるサムライなんだよ。今こそ大下弘が必要なんだ。
■2004/01/18 高校サッカーに旋風 正月明け以降、世の中の流れに疎くなっている私だけど、そんな私が唯一注目していたのが高校サッカー。このネタも、もっと早く書きたかったネタで、みなさんにとっては「何を今更」かもしれないけど。
高校サッカーといえば、Jリーグが開幕する以前は、日本リーグや日本代表の試合以上に注目度、人気が高く、競技場が満員になる大会だったものでした。ところが、Jリーグが開幕してサッカーという競技自体の人気が上がるにつれて、高校サッカーの人気は大きく下落。テレビの視聴率も下がったと聞くし、競技場の客の入りも、Jリーグや日本代表の試合に遠く及ばない状態になっているのが現状。まあ、理由は簡単。Jリーグや日本代表の試合、さらには海外のサッカーまでと、よりレベルの高い試合を気軽に見る機会が増えたため、サッカーを見る人の目が肥えてきて、高校生レベルの試合では満足できなくなった、そんなところなんだろう。
とはいえ、以前から高校生の試合以外もいっぱい見てきた私でさえ、近年の高校サッカーに対する興味が薄れていたのは事実。理由は上記の一般レベルとはまた別。今の高校サッカーは、高校野球と同じく、いわゆる「優秀な選手」を県内、さらには県外からも寄せ集めた私立高校だらけというのが現状。おかげでかつてのように「サッカーの盛んな静岡の代表や、帝京だの国見だの常連校だけが勝ち進む」という状況がなくなったというメリットはあるものの、出場校=地元の代表というイメージが薄れてしまった。事実、この数年福岡県代表として出場し続けていた東福岡の試合を見ていると、「フォワードの●●君は静岡県清水市の出身なんですが・・・」などと言われて、一気に興ざめした、ということもあった。さらに高校サッカーという舞台が、一部スター選手が「プロ入りへのアピール」を行う、自分を売り込む場所になってしまっている、という現状もある。つまりは高校野球と同じ。これでは見ていて面白くはない。そんなこんなで、この数年も一応見てはいたけど、一時期ほど純粋に楽しんで見てはいなかったというわけ。
だけど、今年は違った。とにかく楽しかった。私を楽しませてくれたのは、福岡県代表、筑陽学園。実はこの学校も私立高校。とはいえ、前年までの代表、東福岡のように「全国から有力選手を集める」ことはしていない、しかも、そんなエリート集団の東福岡を破って、初出場を果たしたチーム。それだけでも思わず肩入れしたくなるのに、さらにこのチームの素晴らしいのは、「見て面白い」試合をするということ。初戦の桐蔭学園戦は、開始早々に4点を奪っての快勝、次の丸岡戦は「取られたら取り返す」大乱戦(4-3)の末の勝利、しかも一旦は3-1とリードされてからの大逆転。岐阜工戦もまた大乱戦。とにかくチームカラーは「取られたら取り返す」。まあ、冷静に見れば「攻撃力はあるが、ディフェンスはもろい」ということになるんだけどね、いわゆる「強いチーム」っていうのは、ディフェンスが安定している分、「大量点を取る」ことはあっても、「大量点を取られる」ことはないはずなわけで。つまり、チームとしては未完成、お世辞にも「素晴らしいチーム」「実力のあるチーム」という感じでもない。だけど逆に、その粗削りな感じが魅力。近年の「有力選手の寄せ集め」によって作られたチームの多い高校サッカーにおいては、こういうチームが勝ち進むことは本当に異例。なんか久々に真に「高校生らしいチーム」という感じがして好感が持てた。
ところが準決勝では一転。常連校・鹿児島実業に大苦戦。一方的に攻められ続ける苦しい展開。だけど、相手の攻めのまずさ(指令塔の選手が出場停止)もあったとはいえ、なんとあのディフェンスが不安定だったはずの筑陽は失点を許さない。そして数少ないセット・プレーから前半に1点目を奪う。そして1-1で迎えた終了間際に勝ち越し点を奪って逃げ切る・・・。本当にそれ以前の粗削りなチームとは別のチームのような巧みな試合運び。感心した。初出場だけど、大接戦ばかりを制して勢いに乗り、気がつけば大舞台で急成長していた。そんな感じなんだろう。
結局決勝では国見に歴史的大敗を喫して敗れた。私はこの決勝戦は家におらず、見ることはできなかった。勢いで勝ち進み、「ミラクル」と言われたチームも、最後は普通のチームになってしまったということだろう。とはいえ、それもまた、このチームらしいと思う。最初はあくまでも「福岡県代表だから」という理由で肩入れしていたチームだったはずだけど、途中から私は、そんなことは無関係に、このチームを追い続けていた。本当にこのチームがもしもよその地区の代表だったとしても、私はこのチームに魅了されたに違いない。基本に忠実なエリート集団ばかりで面白味のなくなった高校サッカーに、今年はこのチームの活躍で旋風が巻き起こった、そのことは私に強烈なインパクトを与えた。
■2004/01/26 特別扱いのない代表選考を望む 昨日はいつものように明け方帰宅したにもかかわらず、昼間に起き、眠い目をこすりながら「大阪国際女子マラソン」を見ていた。この大会はオリンピック代表選考会を兼ねている上、東京、大阪、名古屋という3つの選考会の中でも最も「強豪」が多く顔を揃えており、いわば「山場」だと思っていたので、個人的にも注目していたし、世間の注目も高かったよう。結果はご存知の通り、実績のある渋井陽子、弘山晴美、千葉真子らのベテランを抑えて、マラソン3回目の新星、坂本直子が優勝。代表をほぼ手中に収めた。
いや、この結果には正直、驚いた。というか、坂本といえば、昨年のこの大会、初マラソンながらいきなり3位に入って世界陸上の代表になり、その世界陸上でも4位に入るなど、成長著しかったわけだけど、昨年のこの大会で見た彼女はフォームも体型もひ弱で、「まだまだこれから」の感も強かった。それにマラソンの世界って、男女問わず、「1,2回だけ好記録を出し、あとは消えていくだけ」の選手も多いわけだから、彼女の場合もそんな選手かな、という想いもわずかながらあったわけで。しかし1年ぶりに見た(世界陸上は多忙のため見れなかった)彼女は見違えるほど強かったし、落ち着いており、既に貫禄すらただようほどに成長していた。タイムはそんなによくないとはいえ、実績のある渋井、弘山、千葉に「圧勝」した危なげのない勝ち方は、今後に期待が持てるし、「大物の予感」もする。まだ名古屋の結果を待たなきゃいけないけど、文句なく代表に選ばれる、いや、選ばれなきゃいけないと思う。
ただ、それから1日たって、新聞やテレビを見ていると、おかしな文字が躍る。「尚子、代表確定か」。ここでの「尚子」とはいうまでもなく、「坂本直子」ではなく、「高橋尚子」のことである。曰く「これで既に内定が出ている野口みずきに加え、坂本直子が代表に。残るひとつの枠は高橋に決まったも同じ。今回の大阪で2位の千葉よりも、東京で2位に終わった高橋のタイムの方がいいから」とのこと。おいおい、ちょっと待て。私はこれには猛反論したい気分である。
まず「大阪で2位の千葉よりも、東京の高橋のタイムの方がいい」から、「上」ってのはおかしいだろう。東京のレースには、高橋以外に強い選手は出ておらず、本来なら「完勝」しておかなければならなかったレース。そのレースでの2位といえば「惨敗」である。千葉の方は「惨敗」といえるほどのひどい「負け」ではない。しかも仮にも高橋は「前大会のメダリスト」であり、「日本のエース」である。あのレース内容が、その看板にふさわしいレースだったといえるのか? あれが「元メダリスト」しかも「エース」のレースかと思うと、あまりにも不甲斐ない。一方の千葉は、今回の2位の他に、昨年の世界陸上銅メダルという、もうひとつの「売り」がある。今「旬」なのはどっちなのか? を考えれば、一目瞭然ではないのか?
それから、「まだ名古屋の結果を見なければ、何ともいえないだろう!」という想いもある。確かに大阪に「強豪」が集まったこともあり、名古屋の選考会に出る有力選手の数は少なく、故に「例え名古屋で勝っても、選ばれるかどうか」ってのは分かる。だけど、マラソンの世界、特に女子に関しては、「突如として新星登場」というケースが多い。一般参加の、全くの無名選手が、いきなり世界記録樹立、という可能性だってある。それなのに名古屋の結果を待たずに、「惨敗」した高橋が「確定」ってのは実におかしい。
などと書くと、「☆TAKE、お前、シドニーの頃は高橋びいきじゃなかったのか?」という人もいるだろう。確かにそうだった。というより、実はもっと前、1998年のアジア大会で衝撃的なデビューを果たした頃から贔屓にしてきた。だけど、正直に言えば、プロ化以降のこの人からは、かつての「純粋さ」や「型破りさ」が消えて、輝きを失いつつあると感じていて、かつてほど入れ込んではいない。それに、どんなに実績があろうとも、やはり「特別扱い」はいけないと思ってる。「惨敗」した選手を、適当な理由をつけて、無理矢理代表にしようとしている、私にはそんな風にしか映らない。何度も言う、東京は「惨敗」だった、見ていられないほど惨めな「惨敗」だった、この事実は消えない。このまま出場しても、本番でも同じ結果しか生まれないように思えるのだが・・・。
名古屋の選考会、平凡な記録しか出なかったら、すんなり「野口、坂本、高橋」ということになるんだろう。だけど、名古屋で好記録が出た時、また「選考で大モメ」する様が今から目に浮かぶ。いっそのこと、アメリカのように、「一発勝負」で選考会を行ってはどうだろう。アメリカは一発勝負。男子マラソンの元世界記録保持者にして、金メダル最有力候補だったハヌーシが、故障で選考会を欠場した。故に、代表になれなかったというニュースも届いた。例え「金メダル候補」といえども、一切の「贔屓」も「特別扱い」もない、「選考会欠場=代表落選」なのである。何とも厳しい。五輪でハヌーシの走りを見れないことは、個人的には寂しい。だけど、「今回は調子が悪かったから」「今回は故障していたから」などという言い訳も、妥協も許されない非情な世界、それが実は「勝負の世界」の本来有るべき姿ではないのか、私にはそう思える。いかなる人気者も、実力者も、特別扱いされてはいけないのだ。
■2004/03/15 素人には衝撃、でも順当な選考(高橋尚子、アテネ五輪代表落選) というわけで、高橋尚子落選・・・。世の中は「ショック」、「何で?」みたいだし、人によってはブーイングものの決定に映ってるかもしれない。でも、俺に言わせれば「ブーイングしてるのは所詮、素人ばっかりじゃないのかな」と思ってるし、むしろ「陸連、世間体とかを気にせずに、よく順当な選考をしたな」と賞賛したいと思う。
会見を見てると「苦渋の選択」とは言っているけど、実は「あまり揉めずに決まった」と聞いている。つまり、会見では一応、世間体を気にして「苦渋」なんて言ってるけど、実は選考委員の間には「苦渋」なんてなかったんじゃないか。大阪国際が終わった後、突然「高橋有力説」が急浮上してきたわけだけど、あれって単にマスコミが勝手に騒いでいただけで、決して関係者の間では「急浮上」なんてしてなかったんじゃないだろうか。私も大阪の直後、「なぜこんな説が急浮上するのか、理由がさっぱり分からんし不可解で胡散臭い」とした。結局、プロの彼女が出れば、そこに金や利権が動く。「国民栄誉賞ランナー」が出るか、出ないかでは、テレビの視聴率も大きく変わってくる。何しろ彼女が出るとなれば「陸上ファン」「スポーツ・ファン」以外も注目するだろうけど、彼女が出ないとなれば、こういう「素人」の人たちは注目しない。また、そこに「金」は動かない、注目度も落ちる。だから、マスコミ自体が、「高橋をどうしても出したい」と望んでいて、だからこそ、「出すための口実」として、こじつけで「高橋急浮上説」でっち上げて伝え、世の中を煽り、情報操作を企てたのではないか。暴言かもしれないが、そんな推測すらしたくなる、それほど長年マラソン観戦をしてきた私から見て、大阪終了後の突然の「高橋急浮上説」は不自然で不可解なものに映った。あの時、私は書いた。高橋は東京国際でみじめな「惨敗」を喫した。「惨敗の2位」である。その「惨敗」が選考基準になること自体がおかしい。第一、「惨敗の高橋」と、「快勝の坂本」「執念の勝利の土佐」を同じ土俵に乗せて議論する。不自然な話である。過去の実績? そんなものが加味されるのなら、最初から「選考レース」など行う必要はない。なので、今回の選考は、「一切の特別扱いとえこひいきを排除した、ごく順当な選考」、私にはそう思えるのである。補欠にさえ選ばれなかったということ、それほど彼女は今回の選考の対象としては、優先順位が低い存在に過ぎなかったんじゃないか。それこそが現実である。
「☆TAKE、お前、シドニー五輪よりずっと前からの高橋ファンじゃなかったのか? なぜそこまで冷たくなれる?」、そう思う人もいるだろう。画面の前で怒ってる人もいるだろう。だけど、プロ化して以降の彼女からは、「ピュアな魅力」が消えた。彼女のよいところは、常に純粋だったこと。「走るのが好き、だから走る」。本当にただそれだけの人。そして、どんな時も自分なりの目標を掲げ、それに向かって純粋に進んでいく人。そこが最大の魅力だった。そして、これまでの陸上界の常識やスタイルをぶっ壊す型破りで「ロック」で「非常識」な存在であり、そこにも魅力を感じていた。だから1998年のアジア大会での鮮烈な優勝以来、彼女に強く心を引かれた。だが、国民栄誉賞にプロ化、このことにより、彼女の存在は何時の間にか「非常識」ではなく、「マラソン・ランナーの代名詞、象徴」と化した。「好きだから走っている」ようには見えなくなったし、彼女の中で「自分の目標」が何なのか、実は分からなくなっているようにも見えた。事実、今回の彼女からは「どうしてもアテネに行きたい」というピュアで一途な想いが伝わらなかった。シドニーの時は「滑り込み」で最後の最後に代表に決まったわけだけど、そこに至るまでの彼女からは「どうしてもシドニーに行きたい」という熱く一途な想いが痛いほど伝わったものだ。だからこそ「この人にはどうしてもシドニーへ行って欲しい」と私自身も強く願った。
ところが、今回は東京で失速した後、しばらく「大好き」なはずの走ること自体を辞めてしまったり、ようやく練習を再開してからも、口では「アテネへ行きたい」とは言っていたけど、全然シドニーの時のような「熱い想い」は伝わらず、むしろ冷めて、達観したような表情に映った。そして「陸上界の非常識」だった頃の彼女なら、どんなに周囲に反対されようとも、名古屋での最終選考会に強硬出場していたはずだけど、それもしなかった。シドニー五輪の約1ヶ月前、とっくに代表に決定、出場することに何ら意義を見出せない札幌ハーフ・マラソンに周囲の反対を無視して強硬出場して優勝、私たちを驚かせた頃の彼女に感じた「走ることへの熱い想い」は、今の彼女からはほとんど見ることができない。「大事なオリンピック前に、こんな意味のない大会に出るほど走ることが好きなんだな」と、本当にビックリすると共に、その「走ること」への想いに軽い感動すら覚えたものだった。今回「名古屋に出た後、アテネ五輪にベストな体調に持っていくのは難しい、だから高橋は名古屋に再挑戦することを断念した」と報道されていたけど、その名古屋で、後先顧みず、一度脱落した後、「どうしても名古屋に行きたい」想いだけを抱えて、涙を流しながら追い上げて大逆転優勝を果たした土佐礼子の執念。それを見るにつけ、「今現在の高橋のアテネへ想い、走ることへの想いって、果たしてどの程度のものなんだろうか?」と思わざるを得ない。かつてのようなピュアで一途な想いが、果たして彼女にはあるのかと。俺のこんな気持ち、シドニー金メダル以降の「常勝の高橋」しか知らない人には分かってもらえないだろうけど。
ソウル五輪の選考会、失速した瀬古利彦が選ばれた。アトランタ五輪の選考会、より成績のよかった選手が落ち、「前のメダリストだから」という理由から有森裕子が選ばれた。過去にもこのような事例があった。今回はそれらの時のような「過去の実績を加味」という、不可解な「えこひいき」はなく選ばれた。そのことは素直に評価したいところ。ただし、「評価の分かれる選考」であること、それは間違いない。「選考レース」をどう扱うのか、今後も議論を呼びそうかな、という気がする。ただ、「選考レースの結果重視」という現行の選考基準を遵守し、その間に変なこじ付けやえこひいきは持ち込まなかったという事実、私としては評価したい。一方で、「元高橋ファン」としての気持ちを述べるなら、高橋が落ちたことよりも、彼女から「どうしてもアテネへ行きたい」という熱くてピュアな想いが伝わらなかったこと、そのことが残念に思われる。そうした「想い」があったなら、今回の私の印象も変わっていたかもしれないし、ひょっとすると、違った選考結果になっていたのかもしれない。とはいえ、今は選ばれた3人に頑張って欲しいと思う。あと、話題にはなってないけど、もちろん、男子の3人にも。世の中は選ばれた選手よりも、高橋のことで持ちきりのようだけど、このニュースへの正しい接し方はむしろ、そっちの方にあるのかもしれない。
■2004/04/01 スター軍団の功罪(ジーコ・ジャパン) 先月はずっと忙しく、夜は家にいない毎日が続いたせいで、サッカーの五輪アジア最終予選は一度も見ることができず、悔しい想いをしたんだけど、昨日のワールド・カップ・アジア1次予選のシンガポール戦、見ることができました。本当に久しぶりのサッカー国際試合のテレビ観戦ということで楽しみにしてたんですけど・・・。結果は2対1、一応勝つには勝ったけど、FIFAランキング100位以下の弱小国相手にあわや敗戦、引き分けという危うい、最悪の内容。久々に見た、見ることができた、私にとっては待ちに待ったサッカー国際試合観戦だったにもかかわらず、見終わった後の後味の悪さ、今後への不安はあまりにも大きく、「ジーコ解任を求めるデモが起こったのも納得だな」という気分になった。
今回の苦戦の原因、それは「ヨーロッパ組偏重のジーコ采配」、これに尽きる。ヨーロッパのチームで活躍している、いわゆる「海外組」は、代表に戻ってくれば、調子がよかろうと、悪かろうと関係なく、無条件にスタメン=レギュラーが用意されている、それが現状。「海外組」が呼ばれない時の代表の中核として活躍する久保、小笠原、藤田、福西らは、「海外組」が合流すれば即、無条件に「控え」扱い。本当に「無条件に」である。そこに一切「競争」「レギュラー争い」は生じない。これではチーム内には何の刺激もなく、緊張感もない。しかも「無条件に」レギュラーの約束されている「海外組」だけど、中村、稲本あたりは、最近では所属チームでもレギュラー落ち、出場機会すら少ないのが現状。早い話が「実戦」から遠ざかっているのである。しかも、いつも代表に呼ばれる時は長旅を伴っているし、スケジュールも結構ハードで、疲れもとれないまま、他の選手と一緒に練習をする暇もほとんどないまま試合、というケースが多いので、コンディションがよくない、周りとのコミュニケーションが取れず、チームとしてまとまっていないという弊害も生まれている。実際、昨日のシンガポール戦でも、中村、高原、柳沢、稲本のコンディションの悪さ、各選手の技術は素晴らしく、たびたび魅せてくれるシーンはいっぱいあったにもかかわらず、肝心の点が取れない、コミュニケーション不足で、全く息が合っておらず、チームとして機能してないというシーンが目立った。これはすべて「海外組は無条件にスタメンで使う」というジーコ采配のミスが招いたもの。調子が悪いと見れば、最初から中村、稲本、柳沢らは使わず、藤田、福西らでいく、という選択もありではないだろうか。
結局、一試合も見ることのできなかったオリンピック予選。だけど、オリンピック代表の「23歳以下代表」は、本当に急成長したと思う。いわば「谷間の世代」と呼ばれ、飛び抜けた素質のある選手もいなければ、国際大会で実績を積んだ選手も少ない、パッとしなかった世代の選手たちである。その彼らが、なぜあれほどに急成長を遂げ、五輪出場を果たしたのかといえば、「チーム内での競争」があったから。スター不在、故にレギュラーは全く固定しない、それどころか、代表に招集される顔触れすら、数ヶ月でコロコロ変わった。「エース」と呼ばれる大久保ですら、「代表落ち」を経験した。チーム結成当初はレギュラーだったはずの「ナニワのゴン」こと中山(ガンバ大阪)に至っては、最終予選の時には影も形もなく、チームから消えていた。本当に1年前と比較しても、最終予選に出場していた顔触れとはガラッと違う。確かに「スター不在で選手がいないから」と見ることもできるかもしれないけど、だからこそチーム内での競争が激しく、「誰でもレギュラーになれる可能性がある」と同時に、「今レギュラーでも、明日はどうなっているか分からない」わけで、選手たちには危機感もあったはず。つまり、いつも緊迫した状態で、なおかつ競争が激しい。だからこそ、自然とレベル・アップする。「谷間の世代」と呼ばれた「スター不在軍団」が短期間にあそこまで成長した最大の理由はそこにある。
それに対し、「黄金世代」と呼ばれた前回の五輪代表世代、中田、中村、小野、稲本、高原らが中心の現在の「本代表」には競争がない。「戻ってくれば即レギュラー」である。彼らには「いつ代表を外されるか分からない」という危機感はない。国内組の選手たちにも「どうせ海外組が戻ってきたら出番はない」「海外組が戻ってこないことには、このチームがどうなるのか分からない」といった諦めムード、海外組への過度の依存が目につく。いっそのこと、一度「海外組だから」「国内組だから」という枠を取り払って、競争させてみてはどうだろうか。いや、もっといえば、今の日本代表は「まず海外組ありき、それに国内組を絡める」という形でチームが編成されているわけだけど、発想を逆転させて、「まず国内組だけでチームを編成→その中に後から海外組を組み込む」という形でチーム作りをした方がよいのではないだろうか。「めったに帰ってこない」「でも、帰ってくれば即海外組が中心」では、チームなど作れない。「まず国内組ありき」、こっちの方がベストな気がするんだけど・・・。
とにかく、今のままのチーム構成では、チームとして成り立っていない。苦戦の原因はすべてそこにある。それを解消するにはやはり、「海外組偏重を辞める」ことが先決ではないだろうか。スターだらけのドリーム・チーム、見てる分には面白いかもしれないが、「勝つための組織=チーム」としては成り立たないんじゃないだろうか。スターもいれば、泥臭い脇役もいる、だから「チーム」なんじゃないの。そのことをみんな忘れている。現在の代表は、どこぞの野球チームと同じ、スターだらけだけど、「勝つための集団」として成り立ってはいないんじゃないか。
■2004/08/22 「必死」は素晴らしい(アテネ五輪野球) せっかくアテネ五輪が開幕したというのに、開会式の日以降、全く休みがなく、おかげでゆっくり落ち着いてテレビ観戦することなく中日を迎えてしまった私。だけどようやく昨日、8月21日はゆっくりとテレビを見ることができました。最終日になる競泳での男子メドレー・リレーの決勝での銅メダルとか、自転車の銀メダルとか、陸上の予選とか見てたわけですけど、私がいちばん印象に残ったのは、実は延長戦の末、逆転サヨナラで台湾に勝利した野球でした。
正直に言えば、私はオリンピックの野球には、あまり興味もなく、特に期待もしていませんでした。理由はいろいろある。シドニー前にも書きましたけど、「アマチュア・スポーツの祭典」というイメージの強いオリンピックに、プロ選手を参加させることへの違和感は未だに消えないし、まして今回のように全員がプロなんていう、「ドリーム・チーム」のようなものを送り込む行為は、アマ野球の選手のチャンスの芽を摘みとる行為であり、アマ野球の衰退、いやアマ野球の存在すらも否定する暴挙だという想いが強いから。しかも野球なんて、決してワールド・ワイドなスポーツではなく、アメリカと中米、さらにはアジアやオセアニアの一部の地域でのみ盛んな「ローカル・マイナー競技」である。そういうスポーツで敢えてプロを送り込んでまで「勝つこと」に拘る必然性は果たしてあるのか。ましてアメリカ、メジャー・リーグは「所属選手は五輪に出場させない」という方針を打ち出しているので、アメリカは自国の代表チームにメジャー・リーガーを参加させることができない。よって、アメリカはオリンピックの野球に関して、特に強化もせず、一般レベルでの注目度も低いらしい。そのせいでアメリカは五輪出場を逃している。つまり「プロを参加させてまで勝ちたい」日本や台湾に対し、アメリカはそうは考えていないわけで・・・。これでは「五輪の勝者=真の野球の世界チャンピオン」とは言い難いのも事実。つまり、「五輪で勝つ」こと、それ自体、果たしてどれほど重要なのか? という疑問も芽生えるわけで・・・。事実、五輪の野球がこんなに注目を浴びている国は、日本や台湾くらいしかないらしい。まあ、そういうわけで、私は五輪の野球に興味は薄かったし、オリンピックで野球をやること自体にも疑問を持っていた次第。それと、選手たちの意識の中でも果たして、「五輪で勝つ」ことを、どの程度重要視しているのか?という疑問もあった。地位も名誉もあるし、「ペナント・レースで優勝すること」が最大の目標。そんなプロ選手が果たして五輪にどの程度執着心があるのか、大いなる疑問であった。
しかし、昨日の台湾戦を見ていて、今まで思っていたような疑問や違和感は吹っ飛んだ。台湾戦、3点を先制される苦しい展開。しかも相手の投手の調子もよく、「負け試合ムード」が漂う。ところが、そこから地位も名誉もあるはずの、プロのトップ選手たちの「必死さ」が流れを変える。「抜ければあわや駄目押し点」と思われた外野へのライナーをダイビング・キャッチする福留。同点2ランを打ち、派手なガッツ・ポーズを見せる、普段は冷静でクールな「慶応ボーイ」の高橋由伸。普段はやり慣れないのに、絶妙の送りバントを決めてホームランを打った時のように喜ぶ中村紀洋、そして小笠原の犠牲フライでユニホームをドロドロに汚しながらヘッド・スライディングしてサヨナラのホームを踏んだ高橋由伸・・・。正直、信じ難い行為である。自分の地位も、名誉も、財産も、そんなものは一切顧みず、ただ目の前の勝利のためにガムシャラに、必死にプレイするトップ・プロたち、まるでひと昔もふた昔も前の、高校野球の選手か、少年野球の選手のような姿。ペナント・レースの中では絶対にお目にかかれない姿であった。
最近はどの競技の選手もプロ化が進み、多くのスポンサーがつき、参加するだけで多額の金が選手の懐に入る、さらには賞金のかかった競技会も多い。つまり純粋に「金もうけ」云々と無縁なスポーツ選手、競技、大会というものは、ほとんど皆無なのが現状である。だからこそ、純粋に「勝つこと」だけのために、純粋に、ガムシャラに競技に取り組んでいるスポーツ選手というのは、実はそんなに多くはないと推測できる。そんな中、プロ野球という、スポーツ界の中でも異質の、特異体質な「団体」に所属する、しかもトップ・プロたちがそんな姿を見せてくれたというのは、正直驚きだったし、また、「まさかコイツらが」と思えるような人たちの見せた意外な姿に、久しぶりに感動を覚えた。もちろん、オリンピックにも「金もうけ」は無縁ではない時代だし、彼らがメダルをとれば、各方面から「金」が入って来るのは間違いない。だけど彼らの姿は、そうしたものののためにやっている風には見えないし、むしろそんなもののことは忘れて、純粋に「勝つこと」のみのために必死になっている風に映った。なんだか、久しぶりにスポーツを観戦していて、「爽やかな風」を感じたような気がする。
確かに今でも「母国アメリカは本腰を入れていない上、世界的にはマイナーな競技なのに、五輪で行われる意義はあるのか?」という疑問はある。だけど、そんなことよりも、「勝つこと」のみのために、必死に、ひたむきに頑張る彼らの姿には心を打たれたし、そんな彼らの姿を見れば、「意義云々はともかく、なんとか優勝させてあげたい」気分になる。それと同時に、チーム合併問題に1リーグ制移行問題など、「終末感」の漂う日本のプロ野球、そのことで幻滅して、既に見放してしまった私だけど、「選手には罪はなく、むしろその逆境の中で何とか頑張っていこうとしてるんだ」ってことだけは分かったし、彼らの気持ちは伝わった。問題は経営陣が、そんな現場サイドの気持ちをどう受け止めるかなんだろうけど、所詮、どこの世界でも「現場」を知らない「お偉いさん」たちにとっては、そういう最前線で頑張ってる人の気持ちとかって、全然どうでもいいことに過ぎないんだろうな・・・。それから、最近の若い連中、特にティーンの連中は、「必死=カッコ悪い」と思ってる奴が多いみたいだから、きっと彼らの姿を見ても心を動かされることなんて別になく、むしろ「何でそんなに必死なん?」なんて嘲笑して終わりなんだろうな。「必死になる」ことが笑われ、無視される時代。本当にいやな時代になったもんだ。
■2004/09/04 気がつけば終わっていたアテネ・オリンピック (1) 世間一般では「日本勢のメダル・ラッシュに沸いたオリンピック」とされているわけですが、私にとっては「知らないうちにはじまり、気がつけば終わっていた」という印象。確かにメダルの数は、私が物心ついて以降ではダントツに多いし、連日日本人選手の活躍ぶりが報道されてはいましたし。でも、なぜか「記録には残るが、記憶には残らないオリンピックかも」って感も否めないんですよねえ。確かに私自身が夜家にいない生活のため、ほとんどの競技が日本時間の深夜、そのためにほとんど見れなかったことも大きいでしょうし、相変わらず続く「ザ・フーのライブ後燃えつき症候群」のせいで、何を見ても夢中になりきれない私自身の精神状態もその要因かもしれないんですけど。考えてみれば、シドニーの時はこの「落書き帳」に連日、オリンピック・ネタを書きまくっていたもの。そのシドニーをはるかに上回る日本人の活躍があったというのに、なぜこうなのか、よく分かりません。もう終わって1週間近くが経ったわけですけど、一応「開催されたんだ」ってことを記録しておく意味でも、ここで2回に分けて「総括」など書いておきたいと思います。
■ 柔道
メダル・ラッシュだった種目の代表格の一つですけど、結局、生中継で目撃できたのは、初日の男女最軽量級、野村&谷亮子の金メダルのみ。世間では谷の連続金ばかりが報道されていましたけど、私には野村の3大会連続金の方が数段凄いことだと思えた。野村は一度引退してる選手で、しかも「選手寿命が短い」とされている軽量級での快挙ですからね。彼の功績の方が数段凄いし、もっと賞賛されてしかるべきだと思う。とはいえ、それ以外のメダリストの試合は全く見れないまま。連日「今日は何キロ級の誰それがメダル獲得」と報道されていて、それを見つつ、「ああ、今日もメダルか」と思ってはいたんだけど、いかんせん、実際に中継で試合を見ていない上、あまりにも毎日メダリストが誕生するので、「誰が誰だか分からない」状態になっているのは事実。そんな中では、オール一本勝ち、ほとんどが秒殺、しかも古賀コーチ譲りの一本背負いでの豪快な勝利という、女子の谷本の勝ちっぷりは、その報道を見るだけでも「凄い」と思った。こういう人の試合は、ぜひ生中継で見てみたかったものだ。しかし谷亮子も、デビュー当初はこういう鮮烈なキャラだったのになあ・・・。今では「タレントもどき」で好感度低い。それと、確かに日本人の活躍は嬉しい反面、日本の古武道・柔道をやってる日本人選手って、実は少ない気がする。ほとんどが「柔道着を着てやる異種格闘技」のような試合内容。「昔ながらの柔道をやっているな」とか、「選手である前に、柔道家である」といった雰囲気を醸し出してる選手って、野村くらいしかいなかったような気がする。柔道も国際競技になったし、時代によってスタイルは変わるものではあるけど、やはり日本人選手には「本当の柔道」をやって欲しいという気がする。
■ 体操
いうまでもなく、「演技系種目は苦手」な私なので、もしも当日家いたとしても、果たして男子団体金メダルの瞬間を生で目撃していたかどうかは疑問。きっと、見なかったような気はする。しかしダイジェストなどで見たVTR、実に感動的ですよね。いや、選手の演技ももちろんですけど、NHKのアナウンサーによる実況があまりにも素晴らしくて。確かに「大袈裟」で「クサい」といえなくもないけど、民放のアナウンサーのやるような「絶叫実況」や古館伊知郎的な「大袈裟表現」とは一味も、二味も違う、見てる人を高揚させるような表現の連発。きっと生で見ていたら、「演技系種目には興味がない」とかって気持ちは吹っ飛び、のめり込んでいたに違いない。日本の金メダルももちろん、この実況もまた歴史に残る名実況だったんじゃないだろうか。
■ 水泳
シドニーの時は「女子選手たちの躍進と笑顔」が印象に残った種目だけど、今回は男子が頑張ったようで。まあ、ここ数年の世界水泳などでの男子選手の活躍ぶりを考えれば、順当な活躍だったといえるわけだけど。その「順当な活躍」をこの大舞台でやれるというあたりは素晴らしいと思う。結局、生中継を見ることができたのは、最終日のメドレー・リレーのみだったのが残念。北島や山本の活躍は、ぜひ生で見たかったもの。というか、今まで述べた柔道、体操、水泳での日本人の活躍が、今回の日本のメダル・ラッシュのハイライトなわけで、それを考えれば、この3種目をほとんど見れていないことが、「今回のオリンピックは印象が薄い」と私が感じてしまう、最大の要因なのかもしれない。
■ サッカー
最初のパラグアイ戦だけは生で見ることができたけど、この試合で惨敗したのを見て、「ああ、おそらく敗退するだろう」と思っていたら、やっぱり敗退。この「落書き帳」で何度か「軸がいない、派手なスターがいない、未完成なチーム。だからこそ面白いし、チーム内に競争があることで、徐々に強くなったチーム」と書いて賞賛してきた今回の代表だったわけだけど、よりによって本番で、「故に実はもろさも併せ持っている」というこのチームの欠点の方が、もろに出てしまった感じ。それと急遽「オーバー・エイジ枠」として呼び寄せられた小野伸二とキーパーの曽我端だけど、逆に彼らが入ったことで、せっかくまともっていたチームに「異物」が入ったような形になり、チームが壊れてしまったと映ったのは私だけだろうか。といっても、予選リーグで、結局最終的に銀メダルとなったパラグアイ、銅メダルとなったイタリアと同じ組に入ってしまったというのも、考えてみればアンラッキーだったといえなくもない。
■ 野球
台湾戦での全力プレーを絶賛した私だけど、結局、オーストラリアに足元をすくわれて銅メダルに終わる。病気で倒れた、「過去の大スターとはいえ、今はOB、引き立て役」であるはずの人、そこに居もしない人=「監督」を「象徴」のように祭り上げる、「いい選手=プロ選手を集めれば負けるわけがない」という誤った野球感・・・。敗退の理由はそこにあると思ってるんだけど、これってそのまま、現代の日本プロ野球の欠陥そのまま。選手は全力でやっていた、それは認めるけど、アマチュア選手のチャンスを奪ってまでプロで固めた結果がこれ、しかもプロ野球界の弊害をそのままオリンピックという国際舞台にまで持ち込んでしまった。その責任は重い。ゴタゴタ続きで、70周年の今年、遂に終焉を迎える(私の中で)プロ野球、その終末感をさらに強くする出来事だった。それとオリンピックで全力プレーを見せる選手たちを見て、「そういうプレーはペナント・レース=所属チームでこそ見せて欲しい」などという身勝手なことをいう、「自分の贔屓チームのことしか考えていない」えせ野球ファンに対しても強い怒りを感じる。今はそんなことを言ってるような状態ではないだろう! こういう「野球という競技の面白さなどどうでもよく、どんな形であれ自分の贔屓チームさえ勝てばそれでいい」的なファンが一部経営者の暴走の要因であるということ、自覚して欲しい。
■ バレーボール
久々に昨年のワールド・カップ以降、女子バレーの人気が過熱。そして久々の五輪出場だったわけだけど、案の定、あっさり敗退。まあ、人気先行気味だったから、想像できた結果ではあるんだけど・・・。それよりも、何年かぶりに試合を見たんだけど、やっぱり面白くなかった。6人制ではなくなったこと、それと「サーブ権の移動時には点が動かない=点が動かないままサイド・アウトが続いて緊迫感が漂う」というバレーボールの試合で最もスリリングな要素が消えてしまったこと、これが大きい。確かにあれがなくなって試合時間は短くなったけど、あの「一見無駄なようでいて、実は試合の流れを大きく左右する時間帯」が試合に緊迫感を与えていたのは事実。あれがないと試合自体が味気なく、「得点の重み」も随分軽く感じてしまう。今回の久々の五輪出場と、人気復活で、今後人気も実力も向上するかもしれないけど、この辺を改善しない限り、私は「また見てみたい」気分にはならない。
■2004/09/12 気がつけば終わっていたアテネ・オリンピック (2) ■ ソフトボール
前回のシドニーは「あわや金」の銀メダル獲得した宇津木ジャパンの活躍に沸き、一躍注目度の高い種目になったわけでしたが、今回は銅メダル。この種目は日本時間では夕方の比較的早い時間に行われていたので、結構何試合も見ることができましたけど、正直いえば「今回のチームはあんまり強くないなあ」という印象が強かった。前回、さらには前々回のアトランタから出場し続けているベテラン揃い、しかもそうしたベテランに衰えが見えたこと、投手力はいいんだけど、打線は打てなくって「貧打のチーム」という印象が強かったこと、「機動力と守備力では世界一」といわれたわりには、肝心な場面でのエラーが多かったり、せっかく足のある選手が多くても、打力が伴わないために塁に出ることができない、「塁に出る」ためにセフティ・バントを何度も試みていたのに、ほとんど成功しなかったこともあって、全然足を生かしきれなかったこと、これらが敗因だと思う。とにかくメンバーを一新して、全く新しいチームに作り直すくらいのことをした方がよかったのでは? と思えた。
■ 陸上、フィールド種目
100メートルの末続、ハードルの為末ら、世界陸上で活躍した選手が多かったので、「今回はひょっとして」の期待もあったんだけど、今回も世界の壁は厚かったようで、ほとんどの種目が決勝に進むことすらできず。そんな中では、アヌシュのドーピング問題で繰り上げ金メダルになった室伏の活躍がやはり一際目につくところ。ハンマー投げは生で見ていたけど、最後の一投で、「あわや逆転か」という距離を出しながら20センチ及ばず、当初は銀に終わっていたんだけど、投げた瞬間は「勝った」と思ったし、解説者も「これは勝ちましたね」と言っていた。とはいえ、室伏らしい投てきは、結局この最後の一投だけだったような気がする。3投目までは、例の叫び声も出ず、距離も伸びなかったし、4投目に至っては、珍しくネットに当ててたし。果たして彼自身は大舞台で本来の力を発揮できたと感じているかどうか・・・。「発揮できた」末の「繰り上げ金」と、「発揮できず」の「繰り上げ金」では、受ける時の気持ちも全然変わるだろうから、その辺だけはちょっと気になったりはする。
■ 女子マラソン
代表選考でいろいろ揉めた種目だったけど、野口の金の他、土佐も坂本も入賞ということで、結果的には過去最高の成績。今回の選考が間違いでなかったことが証明されて、個人的にもよかったと思うし、陸連関係者もさぞやホッとしてることだろう。一方で「もしも高橋が出ていたら、金銀独占もあったのに」などと寝言を言ってる人もいるみたいだけど、そんなのは馬鹿げた話。もちろん、そうなっていた可能性もないとはいえないけど、一方で「高橋大失速で30位」とか、途中棄権とかの可能性だってあったといえるわけで、今回の結果は「この3人を選んだからこその結果」であることは理解すべきでしょう。「強い選手=勝者」とは必ずしもなり得ない、そのことは失速して途中棄権したラドクリフの姿を見れば明らか。あの暑さと厳しいコース、完走すら難しい環境の中で、全員が完走し、しかも全員が入賞したということ、これは素人ファンやにわかファンが思ってる以上に凄いことなんだけどな。とはいえ、シドニーの高橋の金の時ほどの感動と衝撃はなかった、というのも個人的な感想。そのことで高橋という人がやはり「特別な人」なんだな、印象を強くした。でも、だからといって今回の選考は間違いではなく、そしてこの結果はこの3人だからこそ生み得た結果だということ、その事実が揺らぐことはない。個人的には最近の坂本直子を見るにつけ、ブレイクしはじめた頃の高橋尚子の姿とダブるものがあり、今後に大いに期待したいと思う。
■ 男子マラソン
観客が乱入してトップ独走中のブラジルのリマをとり抑え、その結果、リマは失速して3位に終わる、という前代未聞の大事件が起こった種目。そっちの印象の方が強く残った結果になったわけだけど、個人的には油谷と諏訪の入賞に喜びたい。確かに速い段階で失速するなど、世界のトップとの距離は相変わらず狭まっていない。でも、92年のバルセロナで銀メダル獲得の森下、そしてこの時期に「エース」と呼ばれていた谷口、この2人の引退を最後に、全くいいところがなかった日本の男子マラソン、かつては常に世界のトップ・クラスの実力を備えた選手がいたのに、本当にこれ以降は誰もいなかったし、仮に好記録を出す選手は現れても、1回っきりで、その後はあっという間に姿を消してしまう・・・。そんな状態が続いていたこの約10年だった。そんな中での入賞者2名という結果は「マラソン王国ニッポンの完全復活」とまではいかないまでも、「復活の兆し」は感じられる結果だったといえなくもない。しかもかなり早い段階で失速しながら、前から落ちてくる選手をひとりひとり抜いて順位を上げていくという、粘り強い2人の走りは、「スピードよりも駆け引きでの強さと粘り」という、日本マラソンの伝統の感じられるもので、嬉しく思った。しかし中継の当日は九州地方に台風直撃、何度も台風情報で放送中断とか、画面が小さくなったりで、よく分からない中継になってしまったのが残念だった。
■ テレビ中継
最後に、今回のテレビ中継について。ほとんど見てないから、あまり印象にはないんだけど、今回もまた、民放のタレントを使った、うるさくて競技に集中できない「バラエティ乗り」の放送ぶりに頭を抱える結果に。もちろん、前回のシドニーの時よりはマシだったとは思うけど、何もコメントできない人とか、うるさいだけの人はもう起用しないで欲しい。中居を起用したTBSに関しては、個人的にアレルギーということもあり、スタジオに映像が切り替わるたびにチャンネルを変えさせていただいた(笑)。それとハンマー投げを中継したテレ朝の姿勢に疑問。陸上のフィールド種目の中継といえば、終始あちこちでいろんな種目が行われていて、それらの種目を同時に楽しめるのが最大の魅力。それなのに今回の中継は、ハンマー投げ以外の種目に画面が切り替わりと、平気でCMを入れたり、画面がスタジオに切り替わって松岡修三がダラダラとしゃべり出したり、わざとらしいVTRが流れ出したりで、全く楽しめなかった。「ハンマー投げだけ伝えられればいい」いや「室伏の投てきさえ放送できればいい」くらいにしか考えずに放送権を獲得したんだとしたら、「もう二度と放送権はとらないでくれ」といいたい。
というわけで、前の五輪のように1種目に関して1ログを使って語ったりするほど強烈に印象に残った種目はなかった。私自身が「ほとんど見れなかった」こともあるのかもしれないけど、それ以上に、「記録には残るが、記憶には残りにくい」タイプの五輪だったのかもしれないな、という気がしている。しかしもう少し、落ち着いた状態で見たかったよなあ。
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