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■2006/03/28 生スポーツ観戦 テレビでのスポーツ観戦は大好きな私だけど、実は会場で生観戦した経験って、驚くほど少ない。野球とかサッカーとか、フィールド全体を見渡さなきゃいけないから、大事なシーンを見落としてしまう恐れもあるし。テレビだったら、カメラを切り替えながら放送してるわけだから、大事なシーンを見落としてしまうことはないし、選手の姿も常にアップで見ることができるし。というわけで、実は生観戦の経験はたったの2回しかありません。じゃあ、いつ、どこで、何を見たのかというと・・・。
1983年8月、プロ野球公式戦 広島vsヤクルト(小倉球場:現北九州市民球場)
中学生の頃、市内で見たプロ野球公式戦。小学生の頃=「赤ヘル旋風」の頃から広島ファンだったこともあり、亡き父がどういう気紛れか「連れていってやる」と言い出して。「内野席が取れた」というから喜んでよく見ると三塁側=ヤクルトのベンチ上。おいおい、なんで一塁側=広島のベンチ上じゃないんだよ。というわけで、行く前から何となく気が進まず。しかも試合は先発・川口がいきなり先頭の渡辺(進)の頭にデッドボール(当時は危険球退場ルールはなし)、これで動揺した川口が派手に打ち込まれてヤクルトのワンサイド・ゲームに。当時は超弱体チームだったヤクルトのいいとこばかりが目立った試合でガッカリ。まあ、鳴り物の応援はなく、酔っ払ったオヤジが踊りながらヤクルトを応援したり、野次を飛ばしまくったりで、あの時代にも珍しいほどに「古き良き野球場」の雰囲気に包まれてて、その点はよかったけど。あと当時の小倉球場、ボロボロだった上、当日は熱帯夜で暑くて仕方なかったのもよく覚えてる。ちなみに、当時のメンバーは広島は山本浩二(ノーヒット)、衣笠(2000本安打に王手をかけてて、この日も1安打)、高橋慶彦、山崎隆造、長嶋清幸(元祖背番号0)、達川、アイルランド(伝説の駄目外国人)。一方のヤクルトは先発投手は、宮本賢治、大杉(ホームランを打ってオーバーアクションも)、若松、杉浦、角冨士夫(ホームラン1本)、マルカーノ、八重樫など。しかし生で見ると、どの選手も異様に小さく見えたし、テレビで見た方がずっと臨場感があったというのも正直な感想だった。
学生時代にホークスが福岡に本拠地を移したけど、「強くなるまでは生で見ない」ってんで、平和台球場には一度も行かなかった。でも、強くなったらなったで、私自身がアンチ・ホークスになってしまって、今では野球への興味も薄れてしまって。結局、この試合が唯一の私の生野球観戦になりそうだ。もしもあれが広島の勝ち試合だったり、負けても接戦になっていたら、私の以降の野球ファン人生も変わってたかもしれない。
1998年1月、新日本プロレス蒲田大会
私が千葉県柏市に在住の頃に生観戦したプロレス。中学生くらいの頃から新日本プロレスは見てたけど、なぜこの時生で見たくなったかというと・・・。ちょうどネットをはじめたばかりで、新日本プロレス関連の個人のサイトに出入りしてて、そこの盛り上がりぶりを見てるうちに「生観戦しよう、しかも小さな会場の大会がいい」ってんで、1998年の開幕戦を東京・蒲田の小さな体育館に見に行ったというわけ。当時は蝶野正洋&武藤敬司率いるNWOジャパンの人気に沸いていた頃。ということで超満員。試合開始前、まだ当時は下っ端だった、今や総合格闘家として有名な藤田和之がグッズ販売を手伝ってたのが印象に残ってる。試合では大柄な外国人に一方的に押されまくりながら、最後に一瞬のワキ固めでギブアップを奪った大ベテラン、木戸修の渋さが印象に残ったくらい。メインのNWOジャパンと平成維震軍絡みの試合は、意味の分からない乱入と仲間割れがあって、「何が起こったのか分からない」ままの幕切れで消化不良。お世辞にも「楽しめた」なんて言えない。後日、テレビで見てはじめて何が起こったのか理解した。とはいえ、蝶野と武藤、出て来ただけで会場が沸くし、そこにいるだけで周りの空気が変わるほどの強烈なオーラ発していて、「ものが違う」って印象は受けた。どんな世界にも「別格」の人はいるけど、この時代のこのふたりはそんな感じだった。
とはいえ、もっとガッカリだったのは、観客のマナーの悪さ。野次、それも笑えないほどに下品な野次を飛ばす奴は多いし、会場の雰囲気をぶち壊すような掛け声を上げる奴はいるし。究めつけは、前の方の席の客が立ち上がった時、後ろから「立つな、座れ」と怒鳴ってる奴等がいっぱいいたんだけど、まあ、怒鳴るだけならいい。空のペットボトルだの、ゴミなどを投げつけて「立つな」などといってる奴がいた。何の関係もない女性の頭にあたってたけど、本当に無神経だと思った。まあ、その頃行きつけにしてたプロレス・ネタ・サイトの書き込みを見ると、「あの日の観客は極端にマナーが悪かった」という批判が噴出してたから、いつもああというわけじゃあないんだろうけど、私はすっかり、プロレスの会場の雰囲気に幻滅してしまった。以降、行きたいと思ったことはない。
・・・というわけで、よりによってたった2回の生観戦が、どちらも面白くない内容になってしまったせいで、余計に積極的に生観戦したい気が薄れてしまった。「テレビで見た方が分かりやすい」、だからテレビで見てしまう、というわけ。今後も生観戦の機会はないかもしれない。ちなみに、今月初めに書いた、昔駅伝を見たってのは、あくまでも沿道で通り過ぎる選手を見送っただけなので、「生観戦」には入れてません。そういう例も入れると、小学生の時に見た九州一周駅伝や朝日駅伝、1996年北海道在住時に札幌市内で見た北海道マラソンってのもあるけど、本当に一瞬で目の前を通り過ぎていったし、生観戦とはいえないだろうし。
■2006/07/16 中田英寿の引退 もう語り尽されてる感もあるけど、はじめて聞いた時はびっくりした。ブラジル戦の後の涙を見て、「最後のワールドカップという覚悟を持ってたんだな=代表から引退するな」とは思ってたけど、まさか「現役引退」とは。だけど、考えてみれば、「代表引退」後の進路としては、「所属チームのために献身して余生を過ごす=例:中山雅史、福田正博」「弱小チームや弱小国のチームに移籍して、リーダーとしてチーム強化に務める=例:三浦知良」といったパターンが多いけど、もともと、どちらも彼の性格には向いてない。今の所属チームではレギュラーですらないから、そこに居続けるのも嫌だろうし、だからといって日本国内に戻って弱小チームのために尽くすという道も有り得ない。となると残るは「現役引退」しかないわけで。考えてみれば納得できないこともない。
個人的には特別好きでも、嫌いでもない選手だったというのが正直なところ。プロ意識の高さや、勝つことへの執着心、一本筋が通ったところなどは高く評価してた反面、ファンやマスコミへの対応とか、「気持ちは分かるけど、もう少しだけ周りに理解される努力をしてもいいのでは?」と思えるような無愛想な言動には若干の違和感があったのも事実。だから私の中では「好きなのか、嫌いなのか、判断できない」選手だった。とはいえ、いろいろ言われる人ではあったけど、「代表を引退した」瞬間に居場所がなくなって、「現役」すらも引退しなければならなくなってしまったということは、逆に考えればそれほど、彼が代表のために尽くし続けていたということの現われじゃないだろうか。つまり、「代表以外には居場所がない」存在、それだけ代表のために尽くしていた選手だったんだってことが、浮き彫りにされた形。それに辛口コメントが多かったわけだけど、すべて彼のコメント(今のままでは世界では勝てない、など)通りになってしまった=日本が予選敗退してしまったということは、彼の言葉がすべて正論だったということの裏返し。だから、その存在がいかに大きかったか、今になってはじめて痛感した。だから、日本サッカー界が彼を失うことは、技術云々じゃなく、もっと大きな何かを失ってしまうということ。この損失は大きい。と同時に、いつもクールで無愛想に振る舞ってた男ではあったけど、いつも大変な重荷を背負ってたんだなあと改めて気がついた。
■2006/10/12 やっと見れたオシム・ジャパン 昨日から前に書いた「まとまった休み」に入った関係上、はじめてサッカー、オシム・ジャパンの試合を見ることが出来た。もう何試合もやっているけど、直接見るのははじめて。世間では「海外組がいなくってレベル低い」「スター不在で華がない」「代表にふさわしくないチーム」「ドイツで惨敗したチームと比較しても、大きくレベルが落ちた」などと否定的な意見が多く、私自身も新聞での報道を見る限り、同じ印象を持っていたし、実際、芳しい成績もあげていないわけで。ただ、一方で「自分の目で試合を見てみないことには評価できない」と思っていたので、ここで言及することはなかった。
で、昨日はじめてアジア・カップ予選のインド戦、見たわけだけど・・・。確かに「レベルが低い」「華がない」という印象は受けた。軸になる選手がいないし、華麗な個人技を持った選手はいない。だから「代表の試合を見てる」というより、「Jリーグ選抜チーム」を見てるみたいで、ものすごく地味に見える。まるで私がはじめてサッカーを見始めた頃=1980年代の、アマチュア選手ばかりの頃の代表に戻ったかのように華やかさがない。しかもミスが多く、パスが通らない。選手同士の連係も悪く、攻撃も守備も「型」ができてない。だから「代表の試合」とは思えないほど、レベルが低く見える。相手が格下のインドだったからこそ、3-0というスコアになったけど、同格や格上のチームとやったらどうなってしまうのやら・・・。オシム・ジャパンになって以降、「サッカーの日本代表への注目度が下がってる」といわれてるけど、「まあ、これじゃあ当然だろうな」と思える。
とはいえ、決して悪いところばかりとは思えなかった。特に2得点を挙げた播戸。ヴィッセル神戸で三浦知良と2トップを組んで活躍して、今年ガンバ大阪に移ってJリーグで絶好調の27歳のストライカー。27歳といえば既にサッカー選手としてはベテランの域に達するけど、今回が初の代表選出。いわば「苦労人」なわけだけど、とにかく泥臭く、がむしゃらにボールを追いかけて、「得点を挙げる」ことに対する執着心を感じた。この10年ほど、「日本のサッカー選手」といえば、「クールで無表情」な選手が多くて、「必死に泥臭く、汗にまみれてボールを追う」タイプの選手はほとんどいなかったし、「日本代表のFW」といえば、「思い切りが悪く、決定力がない」「得点に対する執着心がない」選手が多くてイライラさせられたわけだけど、こういうタイプこそが今の日本には必要なのでは? という気がする。試合後も、2得点よりも、その前に決定的なチャンスで外したことを悔やむようなコメントを出していたのも好感が持てた。もちろん、今日はインド相手だから、今後、強い国と当たっても同じように力を発揮できるかどうかは未知数ではあるけど、でも、なんとなく期待したくなる存在だった。
まあ、いずれにしても、「惨敗からの再出発」をはじめたばかりだし、「1からのチーム作り」をせねばならないのが現状だから、いきなり結果を求めるのは酷だろう。もちろん、「結果を出さなきゃいけない」んだけど・・・。「いい加減海外組を呼べ!」とか、「実はオシムは海外組が嫌いなんじゃないか?」なんて声もあるけど、「まずは土台を作って、そこに後から海外組を合流させる」方がいいんじゃないかと私は思うし、オシムの狙いもそこにあるように思える。「まず海外組ありき」だった前任者と発想が逆、ってことだろう。あと、「華がないから代表人気、サッカー人気が落ちてる」って声もねえ、私に言わせれば、今までが異常だったんだよ。ただの親善試合でも一大イベントみたいに馬鹿騒ぎして、「サッカー日本代表を応援しない奴は非国民だ」ともいいたげな過熱報道。その「熱が冷めて」、正常な状態に戻った、日本サッカーがどうしようもないほど弱く、人気もなかった頃から見てきた私からすれば、そんな風に映る。だからまあ、私の目にも昨日の試合内容は「華がない」「物足りない」と映ったのは事実だけど、当分は静かに見守っていこうと思う。
■2007/07/29 残念すぎるアジア・カップ・サッカー 「7月以降はまた忙しくなる」と思いきや、意外とそうでもなく、しかも試合開始時間が夜10時以降というパターンが多かったことが幸いして、今回のアジア・カップ・サッカー、大半の日本代表の試合をテレビ観戦することができた。今回の日本代表、見ていて面白い試合が多かったし、オシム監督の戦術が浸透してきたこともあってか、チームとしての完成度も高いという印象を持った。にもかかわらず、結果は「準決勝敗退→3位決定戦で韓国にPK負けで4位」に終わってしまった。今回は3連覇がかかっていただけに、本当に残念に思われる。しかし、チームとしてのまとまり、完成度では、優勝した過去の2回よりも上だったと思えるだけに、本当に残念で、悔しい。
今も述べたとおり、私自身の印象では、チームとしての完成度では、トルシエの時代、ジーコの時代より上だったと思う。トルシエの時代は、監督の指示通りに動くだけのチーム、ジーコの時代は、逆に特別な戦術も持たず、「海外組」の個人技頼みで、まとまりも、ポリシーも感じられないチームだった。それに対し、今回のチームは、確かにオシム監督の戦術どおりに動くチームではあったけど、トルシエのように「選手に押し付ける」やり方ではなかったし、チーム作りも「まずは国内組ありき、そこに海外組をブレンドする」といったやり方だったので、「海外組が後から合流して、既に出来上がっているチームの戦術に合わせる」ことによって、チームがまとまってきた。最初に高原と中村俊輔が合流したときは、どことなく噛み合ってなかったけど、彼らの方が「合わせよう」としたことでチームがまとまって、大会がはじまって以降、ようやく噛み合ってきた、という印象だった。で、いい感じで噛み合い、まとまってきていた矢先だったので、「今回は過去2回より以上に強い、絶対いける」と思ってたんだけど、結果は残せなかった、だからこそ、やっぱり、残念で、悔しい結果だと思う。
とはいえ、まだ「完璧」ではないのも事実。目に付いたのは、闘莉王や水本がいなかったからということもあるだろうけど、DFが手薄で、しかもディフェンスの甘さが目に付いたということ。攻撃面ではオシムの戦術が浸透して、完成に近づいてるんだけど、ことディフェンスに関してはもろすぎた。失点も多すぎるし、その失点も、完全に相手に振り切られたり、微妙にマークがずれたりで、素人目にも「ヤバい」「ガタガタ」という印象が残った。アジア・レベルであれだけやられていたら、ヨーロッパや南米のチームを相手にしたら、もっと悲惨な結果になるのは目に見えてる。あとはメンバー、初期の頃から言われてることだけど、愛弟子ともいえるジェフの選手偏重、そろそろやめるべきでは? 羽生、山岸を出すんだったら、エスパルスの藤本とか、ガンバの二川とかの方が「代表」にふさわしい気がするんだけど・・・。「チームを完成させるまでは、自分の戦術を理解している選手を」ってのは分からないでもないけど、もう、次の段階に入ってるんじゃないかと。で、相変わらず「点が取れない」。高原が4ゴールをあげて、「ようやく得点力不足解消か?」と思われたけど、サウジや韓国のような、真に実力のあるチームから得点できなかった。それに相変わらずみんな「チャンスは作るがシュートを打たない」。この辺は一体、いつになったら解消されるんだろうか。
確かに、過去2連覇してきた大会だから、今回も優勝してこそはじめて評価されるのは当然。だから、結果だけ見れば、「失敗」「失格」「前回を下回った」ということになるのだろう。でも、だからといって「監督を代えろ」とか、「今までやってきたことはすべて間違いだった」とは思っていない。最初に述べたとおり、私自身は今回のチーム、トルシエ・ジャパンやジーコ・ジャパンよりも数段まとまった、いいチームだと思ってる。しかもドイツ・ワールドカップで地獄を見て、「今までのことはリセットして、一からの出直し」を図っている「発展途上のチーム」だから、「どうすればさらに強くなるのか? どうすればよりよくなるのか?」を考えていく段階だと思う。
とはいえ、「アジア王者」ですらなくなった日本。この数年、ごく当たり前のように、日本代表が出場するコンフェデレーションズ・カップを見てきたわけだけど、今回は当然、出場できない。「楽しみが減ってしまった」ような気もするし、「出場して当たり前」のようになっていた自分の感覚が麻痺していたことにも気がついた。とはいえ、「王者」よりも、「発展途上の挑戦者」を見つめていた方が楽しいというのもまた、正直な気持ち。「悔しい」「残念」な反面、「これでいいのかな」という気もしないでもない。この10年くらいの日本代表って、「どうしても勝ちたい」というような、勝利への執念にもかけているような印象を受けることが多かったというのも、偽らざる事実なんだから。
■2007/9/2 残念な世界陸上 今日で世界陸上大阪大会が閉会する。今年は日本での開催、しかも大半の種目の決勝が夜10時台というパターンが多かったことも幸いして、久々にゆっくりテレビ観戦することができた。この大会をこんなにゆっくりテレビ観戦できたのは、本当に久々だったんだけど、正直、ガッカリだった。もちろん、「タレントを使った過剰な演出がウザい」ことや、「大半の種目は日本と世界のレベルの差が大きい」ことなどは百も承知だったし、その辺に関してはもう「仕方ないだろう」という目を向けてはいたんだけど、しかしねえ。
マラソンを中心とした長距離以外の種目の大半は、「世界とのレベルの差がはっきりしている」のは明らか。なのに、女子走り幅跳びの池田久美子、男子棒高跳びの澤野大地あたりを「メダル候補」と過剰に煽る。はっきりいえば「絶好調の状態で挑んだとしたら、ひょっとして」レベルの選手なのに。2人は「力を発揮できなかった」のではなくって、「大会の時期に絶好調な状態を維持できなかった」というのが正しい。さらに自身は「実は今は調子がよくない」ことを自覚している為末大も、テレビが過剰に「メダル有望」と煽るもんだから、仕方なく「メダルを採ります」と宣言せざるを得ない状況に追い込まれて・・・。で、結果は「本人の予想通りの惨敗」なのに、テレビでは「まさかの惨敗」と報道される。「視聴率をとらなきゃいけない」テレビ局としては、「この選手と、この選手の活躍に期待」と、「本当は調子がよくない、そこまでの実力はない」選手であっても、過剰に持ち上げ、煽る。そんなことをすれば、当然選手とすれば、ある者は舞い上がる。ある者は勘違いする、ある者は過剰なプレッシャーに潰される・・・。去年の冬季五輪の時にこんなものを書いたけど、また今回も同じことの繰り返しだったわけで・・・。正直、テレビを見ていても純粋に競技自体を楽しめなかったし、ものすごく後味が悪かった、というのが正直な感想である。
一方で「日本で開催されてるのに、何で盛り上がらないんだろう?」という想いも。これはテレビ云々じゃなくって、大会運営が下手と言わざるを得ない。「夜の10時台まで開催」のおかげで、私自身はテレビで見れたわけだけど、そんな遅い時間に会場で観戦したいなんて思わないでしょう、普通。だから観客の入りも悪いし。まあ「入りが悪い」のは、チケットが高すぎるせいという話も聞いた。海外では陸上といえば、サッカーと並ぶ人気競技だけど、日本ではマラソン以外はマイナー競技。だったら「これを機会に陸上の楽しさを知って欲しい」とか、「多くの人に見て欲しい」と考えて、逆にチケットを安くしたり、ファン・サービスをしたりとか、そういう意味での「煽り」こそ実は必要だったんじゃないかと思う。「スポーツ・イベント=金儲けの道具、視聴率を稼ぐためのアイテム」位にしか思ってないから、テレビ局の妙な「煽り」、そして逆に「サービスの不足」という、誤った形での報道、運営が繰り返されるのだろう。
個人的には、5位入賞の男子4X100mリレーが一番感動した。正直言えば、海外の有望選手に対する興味は、21世紀以降は薄れてるので、タイソン・ゲイやイシンバエワは冷めた目で見ていたし。一番好きな競技はやっぱりマラソンなわけだけど、かなり早い時期に全員がトップ集団から脱落してしまった男子に関しては、いつものように「瀬古、中山、谷口の活躍した黄金時代は遠い昔になったなあ」の思いが強かったし、土佐が銅メダルを採った女子の方も、実はヌデレバの飛びぬけた強さばかりが印象に残ったしで、正直言えば期待はずれだった。特に男子、「素晴らしい粘りで尾方が5位」なんて報道されてたけど、かなり早い時期で優勝争いから脱落してしまうあたりに、寂しさを感じずにはいられなかった。久々にテレビ観戦できそうだってんで、期待してただけに、とにかく「残念な大会」という気持ちだけが後に残った。
■2007/11/18 神様、仏様・・・(稲尾和久氏死去) 元西鉄ライオンズの投手だった稲尾和久氏が先日急逝した。つい先月まで地元・福岡ローカルの昼の報道番組でコメンテーターとして普通に出演していたから、「唐突」「突然」という思いは拭えず、ビックリした。彼が活躍したのは西鉄ライオンズ黄金期の昭和30年代、私は昭和43年生まれだから、もちろんリアル・タイムで彼の活躍を目撃したわけではない。とはいえ、私がプロ野球に本格的にはまりはじめた昭和54年といえば、長く福岡を本拠地にしていたライオンズが西武に買い取られて所沢に移転した年だったから「地元に球団がない悔しさ」をいつも味わっていた。だからこそ「かつて地元に強く、しかも個性が強くて豪快なチームが存在した」という話は、当時の私にとって「単なる昔話」ではなく、「夢物語」であった。だから、西鉄ライオンズの「伝説」は、私にとって、「知らないのに、夢や希望を持たせてくれる」話題でもあったわけだから、やはり彼の死は私にとってはとてもショッキングな訃報だった。
西鉄ライオンズ黄金期の自由奔放で豪快なエピソードは、どれも私にとっては「夢のような話」ばかりなわけだけど、稲尾和久のエピソードといえばやはり、昭和33年日本シリーズの「4連投4連勝」や昭和34年の「年間42勝」に尽きるだろう。先発ローテーションが組まれて中5日、中7日が当たり前、先発、中継ぎ、抑えという完全分業制が確立された、そんな近年の野球界の常識を考えれば「無茶しすぎ」で、だからこそ「選手寿命を縮めてしまった」という風に考えることもできるかもしれない。私もそれは否定できないとは思う。「時代が違う」と言われればそれまでかもしれない。だから、もうこんな「無茶」をする者は今後、現れることはないだろう。
でも、私はスポーツ選手には、「普通の人と違う」スーパーヒーローであって欲しい、見ている人に夢や勇気や希望を与える人であって欲しいと常々思っている。変に合理的で、打算的で、普通の人っぽい存在ではあって欲しくない。私が日本のプロ野球に幻滅し、近鉄が消滅した年を最後にプロ野球から完全に離れてしまったのは、野球界や選手から、そうした夢や希望や勇気を与えられたり、感動させられたりすることが皆無になってしまったからに他ならない。そういう意味では、彼の死は「野球選手が真のヒーローだった、そんな時代を象徴する人がまたひとり逝ってしまった」と感じられる、あまりにも寂しいニュースだった。しかも地元ににゆかりの深い人で、しかも「福岡に地元球団がなかった」小学校高学年〜中学生の頃にその「伝説」を聞いただけ、現役時代を知らないにもかかわらず、夢や希望を与えてくれた、そんな人だったたけに、ショッキングですらあった。
そういえば私が中学生の頃、ロッテの監督就任要請を受けた時、彼は「将来的に福岡に本拠地を移すこと」を条件に、その要請を受けて監督に就任した。結局、彼は数年で退任、ロッテが福岡に移転することはなかったが、その後は「福岡に球団を誘致する会」(正式名称は忘れた)の代表に就任、同会は街で署名活動をやってた。その時に思わず署名をした、そんなこともふと思い出した。今では福岡にはホークスがいるわけだけど、強いチームになるにつれ、「地元密着」の精神を忘れた、嫌なチームになってしまったのがとても残念だ。「懐古趣味」といわれても、やはり私にとっての「地元のチーム」は、リアル・タイムでは全く知らないはずの西鉄ライオンズの方である。
■2008/1/27 土日の「ガッカリ2連発」(岡田ジャパン初戦、女子マラソン) まず土曜日に、岡田監督になってはじめてのサッカー日本代表の試合となる対チリ戦、日曜日に北京オリンピックの代表選考会になる「大阪国際女子マラソン」があるということで、先週の平日はずっと楽しみにして待っていました。最近はスポーツのテレビ観戦を楽しみに待つって機会も少なかったので、本当に久しぶりに「楽しみ」でした。ところが、終わってみればともに「ガッカリ」で、後には何も残らなかったといった印象です。
サッカー日本代表vsチリ
去年は「『落書き帳』を書くことに乗り気でない」気分だったから何も書かなかったけど、オシム監督の緊急入院はショッキングでした。個人的には「大好きでもないけど、まあ、評価できる」レベルの監督という印象だったので、「絶対にこの人でなきゃ」とまでは思ってませんでしたけど、でもよりによって、ワールドカップ予選のはじまる直前に入院→監督交代なんてことになれば、当然不安にもなるわけで。しかも後任は戦術の全く異なる岡田監督なわけだから、なおさら不安も大きかった。で、今回の試合は監督交代後の初めての試合。どちらかというと「地味で保守的」というイメージの岡田監督だけど、「世界を驚かすサッカーをやる」と豪語してたので、「どんな試合をするのか、どんなメンバーか、どんな戦術か」と興味津々で見守ってたんだけど・・・。
はっきりいって、実に退屈で、面白くない試合でした。チャンスらしいチャンスはほとんどない、相変わらずシュートを打つより、ボールを回すことばっかり。相手は主力が来ておらず、ほとんど攻めてこないにもかかわらず。だから「ピンチも少ないけど、チャンスも少ない」、思わず居眠りしてしまいました。しかも、「狭いスペースでチマチマボールをまわしているだけ」だから、むしろオシム時代に「変わりかけた」「よくなりかけていた」はずの部分まで、また逆戻り、「面白くない」上に、「勝てそうにない」といった感じ。正直、「単なる練習を見せられた」ような気分。
といっても、まだ1試合目だから、今後修正してくるだろうし、メンバーも変えてくるだろうし、そうなった時にどうなるか、期待や興味を感じないでもない。もう「オシム・チルドレン」の羽生と山岸はいらないでしょう。そんな中ではジーコやオシムに冷遇されてきた大久保が生き生きとしていたのがせめてもの救いか。ただ、「もうすぐワールドカップ予選開始」という切羽詰った時期に、そんなのんびりしたことも言ってられないわけで。すぐに「結果=勝利」が必要。やはり「大事な時期の監督交代」は痛かったなあ、今後どうなるんだろう、という不安の方が大きい。
大阪国際女子マラソン
今年はオリンピック代表の選考会、世界陸上でメダルの土佐は既に内定、東京で圧倒的強さで優勝した野口も確定、残りの枠は1つ。男子と違って、可能性のある選手は多いし、選考会も大阪の他、3月の名古屋もある。ということで、当然注目の大会だったわけだけど、同時にトラックや駅伝で日本人離れした圧倒的な強さを見せる福士加代子が初マラソンということで、より注目度も高まった。この人のキャラや走りを考えれば、「30キロくらいまで独走して、最後はスタミナ切れして失速するだろう」と想像はついていたけど、「でも、ひょっとすると大記録で優勝」というわずかな期待を感じないでもなかったし、「それ以外の誰かが好記録で優勝して代表を射止めてしまうかも」という期待もあった。
ところが、「それ以外の誰か」の中で一番期待していた加納由理があっさり棄権、福士も「予想通りの飛ばしすぎの独走」。テレビの実況や解説ではそれを賞賛し、「このまま行くのでは?」と言わんばかりだったけど、私は「絶対つぶれる」と思ってた。そして、予想通りに潰れて、最後はロサンゼルス五輪のアンデルセンを思わせるフラフラのゴール。「最後まで走り切った姿に感動」の声もあるかもしれないけど、仮にもトラックでは第一人者の日本を代表する一流選手なわけで、ああいう姿は見たくないし、痛々しいし、むしろショッキングでしかない。「もしも今後トラックでオリンピックを狙うにしても、精神的なダメージが残るんじゃないか?」という気がする。あれは棄権してた方が賢明。日本人トップは天満屋の新鋭、森本友だったわけだけど、ヤマウチに敗れての2位、タイムも平凡だから、代表に選ばれる可能性は低い。それに天満屋って、昔からマラソンで活躍する選手が多い反面、1,2年で短命に終わるケースが多いので、どうしても「今後は大丈夫?」と思ってしまうし。
というわけで、大阪からは誰も代表には選ばれないでしょう。3月の名古屋に有望選手が集まってるから、名古屋の勝者が3人目の代表になるだろう。ということで、見終わって「残念」な気持ちだけが残った。一方で3月の名古屋が楽しみになってきた。
・・・久々にスポーツ観戦三昧の2日間だったわけだけど、後に残ったのは「ガッカリ感」だけだった。ここに「感動した」「嬉しかった」「面白かった」スポーツの話題をたまには書きたいものだ。
■2008/3/9 引き際・・・(高橋尚子失速) 余力を残して「まだやれるのに」と惜しまれながらの引退か、それとも「ボロボロになるまで」続けての引退か、果たしてどちらの「引き際」がカッコいいのか? 潔いのか?・・・どの世界でも意見が分かれるところだろうけど、特にスポーツの世界ではよく議論の的になる。でも、私はどちらかというと、前者を選択する選手の方により好感を持ちます。かつて頂点を極めた人がボロボロになるのは見たくない、とでもいおうか・・・。
今日の名古屋国際女子マラソンで、高橋尚子が27位の惨敗。しかもスタート直後の9キロ地点で既に遅れていくという、一流選手とはいえないような惨敗ぶり。世間では「まさか」と言ってるけど、私の中では彼女は「終わっている選手」という印象だったから、「予想通り」というのが正直な感想だった。同時に「惨敗して引退表明」という予想もしてたんだけど、どうやら引退はしないらしい。正直、私の感覚からすれば、今の段階で引退表明しても、「既に遅い引き際」というタイミングなのに、まだ「引く」ことをしないとは。
2000年のシドニー五輪の金メダル獲得時、レース直後にすぐ「こんなもの」を書いてその興奮冷めやらぬ気持ちを著した私。あの頃の私にとって彼女は思い入れの強い選手だった。私が最初にこの人のことを知ったのは、1998年の名古屋国際で初優勝した時だったけど、その時は「パッと出の選手」くらいにしか思っていなかった。しかし同じ年のタイで行われたアジア大会に出場、35度近い炎天下の中のレースで、棄権者続出する中、当時の世界記録よりも速いペースでスタートから独走してぶっちぎりの優勝。ゴール後も脱水症状で倒れ込むようにゴールする選手ばかりの中、とても炎天下の中をハイペースで飛ばしてきた選手とは思えないような爽やかな笑顔でのゴール。レース後のインタビューでも、そんな物凄いレースをやった選手とは思えないような、愛嬌のある笑顔とコメント。そのレースぶりも、キャラクターも、すべてが衝撃的だった。今までの女子マラソンの世界にはいなかった、いや、スポーツ界にはいなかったニュースター登場。レースぶりも、存在も、キャラクターも今までの常識とはかけ離れており「型破り」「常識はずれ」、つまり「最高にロックな存在」と映り、あっという間に虜になってしまった。多くのテレビ番組でも彼女の特集が組まれ、それらを見て彼女の人となりに触れれば触れるほど、「思い入れの強い選手」になっていった。
そして頂点はシドニー五輪。今までいろんなスポーツを観戦してきたけど、あんなに感動し、激しく心を動かされた瞬間はほとんどないし、今でも「私が今まで見たスポーツの名シーンベスト3」の中に必ず入るであろうシーンでもある。だけど一方で「随分有名になってしまったなあ、これからどうなるんだろう」と少し心配だったのも事実。国民栄誉賞、プロ化・・・。「ただ走るのが好きだから走っている」人が、自分のためだけに走れなくなり、どことなく窮屈そうに見えることも多くなった。「型破り」で「常識はずれ」で「ロックな」存在だったはずなのに、逆に「常識」「絶対的な存在」=昔のプロ野球界の巨人のような存在になっていくことに、違和感を感じるようになった。私自身は「絶対的な存在」を好まない気質なので、次第に彼女に対する気持ちも薄れ、女子マラソンを見る時も、「これから伸びそうな選手」の方に注目するようになった。
とはいえ、まだこの頃は、故障での欠場が多くてめったに走らなくなったものの、「日本の第一人者」であることに疑いの余地はなかった。しかしアテネ五輪の選考会で失速。このあたりから私はその実力の面でも「疑問」を感じはじめた。だからアテネ五輪の選考会の時は「こんなもの」を書いたりもした。この時点で引退していてもよかったかな、と思わなくもなかったけど、「まあ、もう1回くらい再チャレンジしたい」という気持ちは理解できなくもなかった。そして私の入院中の2005年東京で優勝して一旦「復活」したけど、このあたりが「最後の輝き」のような気がしてならなかった。しかも「皆さんに夢を与えたい」などという、哲学か宗教のようなコメントを連発するようになったのもこの頃だと思うけど、かつて「とっても楽しい」「走るのが好き」といっていたあの頃のピュアな彼女とは、随分かけ離れたキャラクターになってしまったような気がして違和感を覚え、この辺で私の中では思い入れが完全に冷めてしまった。実はここが「引き際」だったような気がしてならない。
その後は2006年東京で土佐礼子に惨敗、そして今日の大失速。やはり彼女の「引き際」は、あの2005年の東京での優勝時だったような気がする。かつて私に衝撃や感動を与えてくれた、思い入れのとても強かった選手だけに、「もうこれ以上は・・・」という思いが強い。「現役続行」といっても、もう第一線からは一歩引いた存在になって欲しいと思う。ちなみに今日はテレビ観戦していたけど、私は「有力選手が多数集まった五輪の選考会」として観戦していただけで、彼女にはほとんど注目はしていなかった。本人はまだ続けるらしいが、私の中では彼女は「今日で引退した」ことにしたいと思う。もしも「現役続行」の意味が「市民ランナーとして走り続ける」ということであれば、むしろかつての彼女らしい選択だとは思うけど。
■2008/8/10 はじまったらやっぱり・・・(北京オリンピック開幕) 北京オリンピック、一昨日が開会式で、いよいよ本格的に始まりました。先日も書いた通り、仕事が忙しくって休みも少なく、家にいる時間もほとんどないせいもあって、「もうすぐ始まるという実感が薄い」とか、「見るのが楽しみという気持ちが薄い」状態だったんだけど・・・。おとといの夜、家から帰ってテレビをつけたらちょうど開会式をやっていて、それをなんとなく見ていたら、やっぱり気持ちが盛り上がってきました。やはり根が「スポーツ観戦好き」なので、オリンピックとサッカー・ワールドカップは格別、いざ始まるとやっぱり気持ちが盛り上がってしまいます。
考えてみれば、私は1980年のモスクワ五輪ボイコットのせいで、「オリンピックが待ち遠しかった」世代でもあります。1976年のモントリオールの頃は小学校2年、だからスポーツ観戦には興味がなかったし、オリンピックっていうイベントの意味も理解していなかったから、ほとんど記憶にない。そして小学校5年の1979年頃、翌年のモスクワ五輪を前にやたらテレビで「ガンバレ・ニッポン」キャンペーンをやっていたし、私も「スポーツ中継を見る」ことに興味が沸き始めた頃だったので、翌年のモスクワ五輪を楽しみにしていたのに、まさかのボイコット。だからこそ「生まれてはじめてきちんと見ることが出来た」1984年のロサンゼルス五輪、始まる前から楽しみでしょうがなかったし、大会が始まってからもとてものめり込んで見たものでした。以降、「オリンピックを見る」ということは、私にとっても「4年に1度の一大イベント」になったわけです。
正直、2000年のシドニーの後は、少し「夢から覚めた」様な状態になって、一時期ほどのめりこめないし、21世紀以降「見なくなった競技」も多いので、以前ほど楽しみにして見ているというわけではないけど、やっぱり特別だなと。開会式の聖火の点火者が、その「はじめて見ることが出来た五輪」で活躍した元体操選手の李寧だったのも印象深かったし。
とはいえ、一方で今日は日曜日、久々に一日中家にいるから「ああ、ようやくオリンピック観戦できる」と思いきや、正直「見たい競技があまりない」。うーん、やはり21世紀以降、私は一切見なくなった競技がいっぱいあるから、「いざオリンピックを見よう」と思っても、実は「何を見てよいのか分からない」のである。うーん、今年はお盆に休みなんてないので、おそらく開催期間中、一日中家にいる日って、ほとんどないはずなんだけど・・・。アテネも同じように、あまり見ることが出来なかったから「日本選手は活躍したけど、個人的には最も印象の薄い」大会になってしまったんだけど、今回もそうなってしまうのかなあ・・・。
■2008/8/24 といいつつ、気がついたら終わってた(北京オリンピック閉幕) ・・・先日は北京オリンピックについて書いたんだけど、結局以降は忙しくって、ほとんどテレビを見ることもなく、気がつけばもう閉会式。私自身が「最近は見なくなった競技が多い」ことと、どの競技も日本勢が振るわなかったこともあってか、「あっという間に終わってしまった」「全く盛り上がらずに終わってしまう」という印象。ロサンゼルス以降、夢中になって見ていた大会(ロサンゼルス、ソウル、シドニー)もあれば、忙しくってあまり見れないながらも、新聞記事やテレビ報道などを通じて関心を持って接してきた大会(バルセロナ、アトランタ、アテネ)もあったけど、今回ほど「見ることが出来ない」上に、「関心も薄い」まま終わった大会は初めてでした。
先日も書いた通り「気持ちが盛り上がらない」としつつも、いざ開会式を見ていたら気持ちが盛り上がり、「関心は低くないけど」と思いつつ、最初の頃はいくつかの競技を見ました。柔道の内柴の金メダルに喜んだり、「オグシオ人気」に便乗して、今まで見たこともなかったバドミントンをほんの少しだけ見てみたり・・・。だけどその後、さらに忙しくなってしまって、なかなかテレビを見れなくなるし、日本勢は不調だしで段々テレビも見なくなり、関心も薄れていき、情報も追わなくなり・・・。確かに水泳の北島の活躍は、今回のオリンピックのハイライトだったかもしれないけど、個人的にはあまり好きじゃない選手なので「よかったね」程度の感想しか残せなかったし、陸上の男子400メートル・リレーの銅メダルや、ソフトボールの金メダルは「新たな歴史」「奇跡」ではあるんだけど、残念ながらその瞬間を見ることが出来なかったので、素直に感動できなかったし。
逆に印象に残ったのは、悪いことばかり。男子サッカーの全敗での敗退とか、男子柔道の惨敗ぶりとか。そして従来から私が「アマチュア選手のチャンスを奪う行為」として批判的に見てきたプロで固めた野球の不甲斐ない敗北には怒りを禁じ得ないし、男女マラソンの「スタート地点にすら立てない惨敗ぶり」はずっと追ってきて、楽しみにしていた競技だけに、失望は大きかった。野口はスタートラインにすら立てず、土佐は故障を押しての出場で途中棄権した女子。大崎はスタートラインに立てず、佐藤と尾方はスタートから5キロ程度でトップ集団から大きく遅れて全く勝負にならなかった男子・・・。「谷口、森下、中山引退後、世界との差がどんどん広がって、過去の栄光は見る影もない」状態だった男子はまだしも、「世界的には選手層の厚さではトップクラス」だと思ってきた女子までもがこの状態。考えてみれば、男女とも新しい顔ぶれが出てきてないのが気になるところ。あと、シドニーの時「ギリギリまで自分を追い込む練習」をして、「やり残したことは何もない」状態でスタートラインに立って圧勝した高橋尚子以来、日本では「大きなレース前には故障もいとわない、ギリギリまで追い込む練習」をするのが慣例になっていたわけだけど、今回の故障者続出はその練習の結果ともいえるわけで、そのあたりの体調管理や練習方法の見直しも必要なんじゃないかな、と素人考えながら思ってしまいます。
あと、今回は「テレビ観戦」をほとんど出来ず、見るときもNHKで見てきたので、いつものような「過剰なガンバレ・ニッポン」ぶりやタレントの馬鹿騒ぎぶりは気にならなかった。まあ、単に「見てないから」ではあるんだけど。ただ逆に一方で、今回は「不調」「敗退」の連続のせいで、「敗退した選手への過剰な批判→中傷」の方が気になった。日本人って、いつからこんなに荒んだ心の人ばかりになったのやら・・・、実は今回、一番印象に残ったのはそのことかもしれません。残念ながら、私にとっては「今迄で一番印象に残らないオリンピック」になりそうです。でも、「スポーツ観戦好き」をずっと自認してきた私だけど、いつからこんなに見る競技、興味のある競技が減ってしまったんだろう・・・。
■2008/9/7 シリーズ:私はこうしてこのスポーツを見なくなった(第1回:大相撲) >気がつけば「最近見なくなった競技」が実に多いな、ということに驚かされた
と書きました。小学校高学年の頃からずっと、いろいろなスポーツを観戦してきたし、趣味のひとつとして常に「スポーツ観戦」を挙げてきた。ところが、1990年代半ば頃から「あまり見なくなった競技」が徐々に増え始め、21世紀以降に至っては「むしろ興味がなくなった競技の方が多くなっていく」状況になってきました。
そこで、新企画。「私はこうしてこのスポーツを見なくなった」。つまり「何がきっかけで興味が薄れていったのか?」を自分なりに振り返ってみます。当然「最近は見なくなった=嫌になった」わけだから、どの競技に対しても辛辣な意見を述べていくことになりますが、あくまでも私自身の「好き、嫌い」の範疇の話に過ぎず、特定の競技を批判することが目的ではありませんので、あらかじめご了承ください。
第一回は、今、世間を騒がせている大相撲・・・。
興味を持ち始めた頃(1976年頃〜1980年頃)
大相撲に興味を持ったのは以前もこんなものを書いた通り、「相撲取りらしくない」大関・初代貴ノ花の活躍がきっかけ。まずは「貴ノ花を応援する」ことを目的に見始めた。やがて彼と同部屋の2代目若乃花(最高位は横綱、当時は若三杉)が頭角を現し始めた1978年頃からはその若乃花、そしてテレビやCMでも人気者だった高見山のことも応援し始めた。当時は北の湖が強すぎたこともあって、貴ノ花や若乃花はなかなか優勝できなかったけど、だからこそ2人に肩入れした。ただ当時は相撲の技術的なことなどはあまり分からず、「勝った」「負けた」に一喜一憂して、自分の好きな力士を応援しているだけの状態だった。
1979年、小学校5年の時、ただ「太っている」という理由だけで「相撲部」なるものに入れられる。まあ、お遊びレベルではあったけど、これをきっかけに相撲の技術や技などにも詳しくなっていき、専門用語も覚えていく。若干見方も変わっていき、力士の長所、短所や特徴、個性なども理解できるようになる。単に「人気者だから」という理由だけで力士を好きになることもなくなり、相撲という競技自体への興味も増していく。この頃には若乃花、貴ノ花が衰えて、新たに頭角を現してきた「新世代」の琴風、蔵間を応援するようになり、同時に栃赤城、富士櫻等の個性派や地元出身の大潮にも注目し始める。
最もはまっていた頃(1981年〜1986年)
いちばんはまっていた時期。この頃は中学高校時代、「スポーツなら何でも見る」というほどにスポーツ観戦にはまっていた時期だから、当然大相撲も必ず見ていた。千代の富士全盛時代だけど「絶対的なものが嫌い」な性分なので、常にその「対抗馬になりそう」な人を応援し続けた。若乃花と貴ノ花の同部屋の後輩だった若島津が一番好きで、特にライバル北天佑との度重なる名勝負は、私の相撲観戦暦の中でも最も印象に残る出来事だった。
若島津以外では、井筒部屋の逆鉾、寺尾兄弟、曲者の栃剣、蜂矢、板井、苦労人大関の霧島、地元出身で「大物食い」でほんの一時期とはいえブームを作った益荒雄、横綱に昇進するまでの北尾などが好きな力士だったけど、むしろこの時期は「特定の力士を応援する」というよりは、純粋に「相撲という競技を見るのが好き」だった。「やたら千代の富士一人だけが強すぎて面白くない」「やる前から優勝者が決まっている」様な時代だったけど、それでも毎場所必ず見続けていた。
興味が薄れ始める時期(1987〜1990年)
とはいえ、大学に入学した1988年頃から「スポーツ観戦する」ことよりも「音楽を聴くこと」の方が私の中でより大きな比重を占めるようになって、一時期のように「スポーツなら何でも見る」という感覚が薄れ始めた。特に大相撲は夕方に行われているわけで、その時間に家にいなくって観戦出来ないケースが増えていき、「気がつけばあんまり見てないなあ」な状態に。優勝争いは相変わらずの千代の富士一強時代だし「無理に見なくても」という感じで。一応新聞やニュースで結果は追うものの、一時期ほど見なくなった。
一方でまだ十両であるにもかかわらず、「花田家の兄弟」の勝敗の方が大きくクローズアップされるような報道が増える。こちらで述べたとおり、もともとこの兄弟が大嫌いだったので、そのことが「気に入らない」「面白くない」と感じることも多くなっていった。
完全に興味を失くす(1991年〜)
そして1991年、はじめて幕内上位に昇進した花田兄弟が、当時の上位陣を片っ端からいとも簡単に倒していく。特に同年夏場所、貴花田が千代の富士を倒し、引退に追い込んだ一番は「あまりにも出来すぎた世代交代」に映り、不信感を覚えた。とにかく「昔から大嫌いだったお坊ちゃま兄弟」が、挫折もなく簡単に下克上を成し遂げたことは、「どうしようもないほど面白くない」と映った。この夏場所以降、急速に興味が薄れて、全くテレビ観戦しなくなった。
しかも、同時代に昇進してきた新世代の力士は、体ばかり大きくて、相撲の基本や技術も備わっていない、「大きな体を生かして力ずくで勝つ」だけの無個性な力士や、卑怯な逃げ技、引き技、奇襲を多用するだけの「相撲の取れない力士」ばかりと映った。きれいな四股も踏めない、立会いが下手糞、いつも腰が高い、足腰が不安定・・・。これじゃあ、もはや相撲じゃない、力士じゃない。霧島、小錦、水戸泉等、「よく見ていた頃からいた力士」が一人、また一人と去っていくにつれて、もはや新聞やニュースでも大相撲を追うこともなくなり、完全に興味を失った。特に90年代半ば以降、スポーツ・ニュースなどを見ていて、相撲の話題が出るとチャンネルを変えてしまうほどに。以降、現在に至るまでに登場した横綱の名前くらいは辛うじてすべて分かるけど、大関の名前は全部は知らないし、どんな相撲取りがいるのかすらほとんど知らない。
そして、今
いつの間にやら時代は全く変わって、外国人力士全盛時代になっている様子。不祥事が相次いで大変なようで、「若貴の時代はよかったのに」なんて声も世間では多いようだけど、私に言わせれば「最初に相撲をつまらなくしたのは若貴世代、今の状況はその延長線上にある」と思ってる。外国人力士の多くが「相撲の基本が出来てないから、相撲じゃなくって格闘技をやってるだけ」「伝統や格式は無視され、ただ強ければいいと思ってる人が多い」という批判があるけど、それは私が「若貴世代」をはじめて見た頃に感じた印象と全く同じなんだけど。だから、私は決して「外国人力士が増えたから駄目」なんじゃなく、あの頃、既に生じ始めていた「悪い変化」を改善できなかったことが元凶だと思ってる。
といっても、もう私の中では「完全に興味を失い、終わってしまった競技」なので、今の相撲界のことを云々する気はない。特に今回のロシア人力士の大麻や、それに対する協会の動きに対しても、特に何もいうつもりもない。
■2008/9/15 シリーズ:私はこうしてこのスポーツを見なくなった(第2回:ゴルフ) 興味を持ち始めた頃(1982,3年頃)
正直、昔から興味湧かない競技のひとつでした。ルールが良く分からないのと、テレビ中継を見ていても歩いている時間や、ただ構えたり芝目を読んだりするのばかりに時間がかかって、なかなか打たないあたりが「かったるい」というイメージで。そんな中2の頃、穴の開いた机と消しゴムのカスを丸めて作ったボールを使って、クラスの何人かがゴルフ・ゲームをやっているのを目撃、ちょっと参加させてもらったら意外に面白くてやめられなくなって・・・。
ちょうどそんな頃、1983年のハワイアン・オープンで、青木功が最終日、最終ホールで奇跡的な逆転チップイン・イーグルを決めて優勝を飾るという偉業。当時「奇跡の大逆転」と大騒ぎになったもの。そのニュースと映像を見て感動。それをきっかけに男子プロゴルフを見るようになった。
最もはまっていた頃(1983年〜1986年)
いちばんはまっていた時期。というよりも大相撲編でも述べたとおり、まさに「スポーツなら何でも見る」というほどにスポーツ観戦にはまっていた時期だったので、よくテレビを見てた。ただ、プロゴルフってのは、プロの数もものすごく多いし、2月〜12月にかけて、毎週のように大会があって、土日は必ずテレビ中継があったから、他のスポーツとの「掛け持ち」で観戦するのは大変だった。ただ、今思えばやっぱり「1回打った後、しばらく歩いてボールのある場所まで行って、次に打つまでに芝目を読んだりでなかなか打たない」あたりにじれったさを感じていたし、その空き時間に思わず居眠りしたり、チャンネルを変えたりして見ていたので「本当に好きで見てたのかなあ」という疑問を感じないでもない。
当時は青木功、尾崎将司、中島常幸が「ビッグ3」といわれていたけど、1983,4年に限っていえば、中島が圧倒的に強くって、尾崎は故障に伴うスランプで全く勝てず、青木は海外に行くことが多くって国内の大会にはあまり参加せず、そんな状態だった。だから「ただただ中島が強かった」という印象が強く、主にその対抗馬になりそうな尾崎3兄弟の次男・健夫や三男・直道を応援しながら見ることが多かった。2人とも故障持ちなので、強い時と弱い時では別人のようにムラがあったけど。
一方でなぜか女子の大会は見たことがなかった。今思えば「なぜ?」とは思うんだけど。おそらく「男子だけでも大会数も選手数も多くってフォローするのが大変なのに、この上女子まで見るようになったら大変」という想いがどこかにあったのかもしれない。同じ競技なのに男子だけ見るなんていうこの中途半端さを思えば、やっぱり私はゴルフ自体にそんなに思い入れはなかったのかもしれない。1985年以降になると、青木や中島が頻繁に海外に行くようになって、海外の大会の衛星中継も盛んになったけど、海外の大会はニュースで結果を追うだけで、中継を見ることもあまりなかった。
興味が一気に薄れる・・・(1987〜)
大相撲編でも書いた通り、大学に入学した1988年頃から「スポーツ観戦する」ことよりも「音楽を聴くこと」の方が私の中でより大きな比重を占めるようになって、一時期のように「スポーツなら何でも見る」という感覚が薄れ始めた。なので、もともと「お付き合い」くらいの気持ちで見ていた競技だったこともあってか、自然と見なくなっていった。スポーツ・ニュースでゴルフの話題が出ると、チャンネルを変えることも多くなった。あと、尾崎将司がこのあたりで復活して、しかも完全な「一強時代」になってしまったことも、興味が薄れた理由かもしれない。あまり勝てない時期には、彼の口の悪さや態度のデカさはむしろ「強気で豪快」と好意的に受け止めることが出来たのに、強くなると「偉そう」と映るようになっていき、彼の弟たちや取り巻きを含む「ジャンボ軍団」のことも快く思えなくなっていった。
でも、それ以前にやはり私は、このゴルフという競技自体に実は興味がなかったのかもしれない。よく見ていた時期も単に「スポーツなら何でも見よう」という思いが強くって、お付き合いで見ていただけなのかもしれない。以降、90年代半ばにはタイガー・ウッズ旋風、21世紀に入って宮里藍をはじめとした、アイドル的人気に支えられた女子プロ・ブームなどもあったわけだけど、それをきっかけに「見てみよう」という気にはなれなかった。実際、1987年以降、ゴルフ中継を見たことは一度もない。一方で、1983年からのほんの一時期とはいえ、熱心に大会を見ていたわけで、その時期に見た青木功のまるで魔法のようなパットの上手さ、尾崎建夫のショットの豪快さは今でも印象に残ってるし、今でも思い出すと感動を覚えるというのも事実だったりする。
■2008/9/30 「世界の王」への複雑な感情 先日、ソフトバンク・ホークスの王監督の辞任が決まって、なぜか日本中大騒ぎだったよう。正直、開幕前から今年いっぱいで辞めると漏らしていたらしいし、「福岡のローカル球団」でしかないチームのいち監督の辞任に過ぎないわけで、そんなニュースで東京で号外が出たり、日本中が大騒ぎになっている様子を見て、「騒ぎすぎだろう」と思ってしまいます。
以前から書いてきた通り、私は福岡県出身福岡県在住でありながら「アンチ・ホークス」です。しかも「常勝チーム」になったあたりから徐々に嫌いになっていったので、まさにそんな時代の監督であるこの人には思い入れはない。というよりむしろ、監督としての彼は「嫌い」だし、「実は能力の低い監督なのに過大評価されている」と思っているというのも正直な気持ち。巨人の監督だった頃からそうだけど、まず「戦術に一貫性がない」。城島、井口、小久保、秋山らがチームを去った時、「これからは若手を抜擢していく」「ホームランは望めないので、今後は繋ぐ野球、スモールベースボールを目指す」と言っていたくせに、いざ小久保が復帰してFAで多村が加入した途端に、また若手を隅に追いやって、ベテラン中心のオーダーを組んで「ホームランの魅力」を云々し始める。まるで一貫性がない。そして「投手の起用が下手で、酷使して故障させたり、選手生命を縮めてしまう」傾向もある。特にリリーフ投手にその傾向が強くって、篠原、吉田修二、渡辺正和、岡本、吉武などを酷使して、3年程度で潰してしまって、使えなくなれば「戦力外」。この人を「名監督」という人もいるけど、私はむしろ「迷監督」だと思っています。
こんな人が退団、しかも「優勝候補が一転、最下位争い」という無様な結果を残しての辞任なのに、なぜか世間の声は温かかったりする。この人って、なぜか現役時代から「嫌われない」傾向にある。思えば、私がプロ野球に興味を持ったきっかけは、小学館の「小学1年生」等の学習雑誌で、毎月のように「がんばれジャイアンツ」「がんばれ王選手」的な記事が載っていて、それを読んだことだった。私が小学校に入った頃(昭和50年)は、既に長島が引退していたから、王は野球界のただひとりヒーローだったので、まるで「みんながジャイアンツ・ファン」というより「好きで当たり前」、同時に「みんなが王選手が大好き」というより「好きで当たり前」と言わんばかりの記事が載っていたというわけ。ひねくれものの私は、「なんで巨人だけ?」と疑問を感じてアンチ巨人になったわけだけど、考えてみれば不思議と「王選手大嫌い」にはなりきれなかったもの。「嫌いなチームの選手」だったけど、「嫌いな選手」ではなかった。もちろん、756号のホームラン世界記録のこともあったからかもしれないけど、この人って、なぜか人から「憎たらしい」と思われない「特別な空気」を持っていたと思う。別に人となりを知ってるわけではないから「いい人だから憎めない」わけじゃなくって、「憎まれないオーラ」のようなものがあった。
今回の監督辞任がこれほど大きなニュースになり、しかも「成績不振の中での退団」で、「決して名監督だとは思えない(世間の人は思ってるようだけど、冷静に見れば、とてもそうは思えない)」にもかかわらず、世間の声が温かいのも、やはりその「憎まれないオーラ」のせいかな、という気がする。個人的には福岡に移転以降、ずっと応援し、注目し続けてきたホークスを、強くしてくれた半面、「つまらないチーム」「地元密着よりもアジアや世界進出ばかりを視野に入れたチーム」にしてしまって、徐々に気持ちが離れ、遂にはアンチになってしまった、そのきっかけを作った「憎っくき監督」でしかない。私の場合、監督としての彼は「憎たらしい」と思える。今はプロ野球自体への興味も失ってしまった。「プロ野球への興味を失った」のは、何も「ホークスが嫌いになった」からだけではなく、「不正行為のようなプレーオフ」「選手の引き抜き、不正行為の横行」「某金満球団の金による選手集め」「近鉄の消滅=以前の野球界ではなくなった」「FA制度で選手の移籍が多すぎ」等、いろんな要素があるのは事実。ただ、もしもそんな「嫌なプロ野球界」であっても、せめて「贔屓チーム」のひとつもあれば、完全に興味を失ってしまうことはなかったはず。つまり、「野球に興味を持つきっかけ」も彼なら、「興味を失くすきっかけ」も彼だった。王貞治・・・私にとっては複雑な想いを抱かされる人である。
■2008/11/23 最後の東京国際女子マラソン (事実上「こちら」の続きになります)
ブルートレイン「富士・はやぶさ」を下車した私は、中央線の電車に乗り換えて飯田橋駅に向かう。到着した11月16日は第30回にして最後になる「東京国際女子マラソン」の開催される日でもあったので、沿道でちょっと観戦してみようと思ったというわけ。飯田橋駅前は「行き」の5キロ地点にあたる。しかも道幅が広くて見晴らしがよいので、この場所を選んだ。
「東京国際女子マラソン」といえば、日本では1月開催の大阪、3月開催の名古屋と並ぶ、「国内3大女子マラソン大会」のひとつ。それと同時に、実は「世界ではじめての本格的な女子だけのマラソン大会」としてはじまったという経緯のある歴史も、伝統もある大会。にもかかわらず、一昨年から東京都では「東京の街を世界にアピールする=オリンピック招致のための宣伝」だけが目的の、あの(私の中では)悪名高い大会「東京マラソン」がはじまったので、「都内での大会がいくつもあってもしょうがないから」「後半に急な坂があったり難コースで、記録が望めないので敬遠されがち」という理由から「今年を最後に行わない」ことが決まった。
現代は「記録の出る高速コースの大会」に選手が集まる傾向があるし「女子だけ、男子だけ」の大会より、「男女混合」の大会が増えているから「時代遅れ」とみなされている部分もあったのかもしれない。だけど「男女混合の大会」になると、女子選手の影はどうしても薄くなってしまって「見ていて面白くない」と思ってるし、「後半にきつい坂=難関が待っている」コースだからこそ、そこに駆け引きがあったり、単に「早い」だけでなく「勝負強さ」も必要だったりするので、純粋に見ていて面白いと思っていた。だからこの大会がなくなってしまうことをとても残念に思ってるし、個人的には「単なる観光地巡りのコース=東京の宣伝」でしかないとしか思えない、好きになれない、面白くない、あの「東京マラソン」のせいで、この大会がなくなってしまうという情報が真実なら、腹立たしくすら思ってしまう。
私自身、リアルタイムで第1回大会(1979年)からテレビで見てきた。最初は「女子がマラソンなんて出来るわけがない」と思ってたし、当時多くの日本人がそう考えていたもの。そんな中、第1回、2回大会で優勝したジョイス・スミス(イギリス)の強さと、同時にハンカチで汗を拭いながら涼しい顔で走る「女性らしさ」のようなものに、男子マラソンにはない楽しみや魅力を感じた。そして第4回大会、ソ連のイワノワ、ツフロの一騎打ちになったんだけど、ツフロの方が足がけいれんし始めて、その痛みを散らすためにゼッケンについていた安全ピンで自らの太股を刺しながら走る強さに感動したりもした。その頃の日本人、佐々木七恵や増田明美は全く世界に歯が立たなかったけど、80年代末からレベルが上がって90年代以降はオリンピックや世界陸上でメダリストが誕生するまでになった。それは他でもない、この「世界初の女子マラソン大会」が日本で開催され、この大会が日本人にとって身近で、日本人選手にとって目標になる大会だったからだと私は思ってる。大阪や名古屋だって、東京の成功があればこそ始まった大会でもある。だから、この大会の日本における、いや世界における貢献度はとても高いと思う。何十年後になるか分からないけど、必ず復活して欲しい大会だ。
飯田橋駅で下車した私は駅前の大きな歩道橋の下に12:20頃から待機していた。天気はあまりよくなく、時々小雨が降る。しかも「最後の大会」であるにもかかわらず、目立った出場者は渋井陽子、加納由理くらいだから注目度が高くないんだろう、予想したほどの人出ではない。雨の中、待っていたら渋井、加納他、4人ほどのトップ集団が目の前を通り過ぎて行った。「また渋井が飛び出そうとしてるけど、いつものように後半落ちるぞ」などと鋭いことをいっている人もいたけど、私も「同感」。以降、最後尾が通り過ぎるまで20分近くかかったが、その間、私はそこにいた。
すべて通り過ぎたところで「帰り」を見る場所をどこにするかを考える。同じ場所で見てもいいんだけど、おそらく毎年展開が大きく変わり、勝負が決まるのは市谷付近の長い坂道の前後。なので「坂を通り過ぎた後のどこかにしよう」と決める。でも、具体的にどこにする? 考えた末、国立競技場の入り口付近に行くことにした。
千駄ヶ谷駅で降りて国立競技場に向かう。競技場の入り口付近にはもう人だかりができていた。私はそこからもう少し神宮外苑の方に行き、「あと1キロ」と書いたプラカードを持ったボランティアの人の横に立つことにした。周囲ではラジオ片手に経過を聴いている人がいる。どうやら「渋井が独走していたけど、どんどん抜かれている」とのこと。じゃあ、トップは加納? それともマーラ・ヤマウチとか、海外勢? と思っていると14:30頃、空に多数のヘリコプター、道路にはパトカーが、どうやら先頭が来た様子。なんと先頭は尾崎好美? 駅伝大会などでは見慣れた選手だけど、マラソンでの好成績は初めてでは? しかも電光の時計が乗った車が通り過ぎていくけど、タイムも2時間20分くらい。あと1キロということは、2時間23分台でゴール? かなりよいタイムでの優勝になりそうだなあ・・。やがて2位の加納、3位のマーラ・ヤマウチ、4位の渋井が通り過ぎたけど、ほとんど汗をかいていなかった尾崎に比べると、3人とも汗だくで疲れきった表情だった。
5位以降の選手はなかなか来ない。おそらく以降は大きく遅れているんだろう。時計を見ると14:45分。おいおい、今日のザ・フーのライブの開演って17:00だった、しかもここから大宮まで30分以上はかかる。急いで移動せねば、と我に返って、その場を後にして千駄ヶ谷駅に向かった。最後の大会、途中の展開は結局分からないまま。むしろ家でテレビを見た方が「最後の大会」をきちんと満喫できたのかもしれない。でもまあ「最後の大会を近くで見た」ことは、いい記念になるかもしれない。それにしても、このコース、生観戦してみるとますます「いいコースだったんだな」と実感。返す返す、なくなってしまうのはもったいないと思う。
■2010/1/15 カド番(大関:千代大海&魁皇) 大相撲なんて以前から書いている通り「若貴ブーム」以降、興味を失ってまともに見てないんだけど・・・。なんか、魁皇が幕内勝利数が千代の富士を抜いて歴代1位になったとか、大関在位期間が歴代最長だった千代大海が引退したとか、やたら話題になっている様子。魁皇は福岡県出身、千代大海は隣の大分県出身ということで、地元でも人気があったみたいだけど・・・。「2人ともそんなにたいしたことないでしょ」というのが正直な気持ち。
魁皇は「幕内最多勝」、千代大海は「大関在位が歴代最長だった」ともてはやされるけど、2人に共通するのは「長く大関をやっているわりには優勝回数が少なすぎる」「優勝争いに絡むより、カド番になったり、あわや負け越しそうになったりで話題になることが多い」というのが私の持っているイメージ。私が相撲をよく見ていた頃の大関は「優勝争いに必ず絡む」「10勝以上で当たり前」「横綱にあと一歩及ばないが、誰もが認める実力者」だったはず。この2人はいつも「やっとのことで勝ち越し」ばかり。千代大海にいたっては、14回もカド番になったというし・・・。こういう中途半端な実力の人が大関を張っているような状態だから、盛り上がらない、面白くない相撲界なんだろうなと思う。まあ、「いや、面白いと思う」「いや、この2人は偉大な力士だ」という人もいるだろうし、そう思う人の感覚を否定はしないけど、「私の知っている大相撲」とは違う。やはり今の大相撲は、私には縁がない世界なのかもしれない。
■2010/1/17 小林繁氏急死? さっき、ネット上のニュース・サイトで知りました。特別ファンだったってわけではないけど、私が最もプロ野球に夢中になっていた、昭和50年代〜60年代頃に活躍した選手なわけで、驚くやら、寂しいやら。
なんといっても「江川問題」のあおりで巨人から阪神にトレードに出され、以降は巨人戦にめっぽう強かったもの。ご存知の通り「大アンチ巨人」だったから、あの「憎っくき巨人」を苦しめる姿は、見ていて爽快でした。いや、私自身の巨人への憎悪の気持ちだけじゃなくって、邪険に扱われたことに対して、自らの実力で「復讐」しているように見えて、そういう意味でも爽快でした。細い体、腕で、体を目いっぱい使った美しいサイドスローの投球フォームも印象に残っているし。明石家さんま他、物まねの定番ネタだったもの。だから「特別好きな選手」ではなかったけど、強烈に印象に残る選手のひとりでした。
2ケタ勝利しながら、昭和58年にあっさり引退したのも衝撃でした。まあ、実はスポーツキャスターの仕事の誘いがあって、そちらに気持ちが揺れたせいとの噂もあったけど、でもやっぱり「ボロボロになる前に引退」という引き際に潔さを感じたもの。ただ、解説者になって以降は、なぜか巨人寄りの解説をすることが多くなったように思えたのが残念。ご存知の通り、近鉄バファローズが消滅して、クライマックスシリーズなどというわけの分からないものが行われるようになった2005年以降、完全にプロ野球を見なくなった(いや「プロ野球自体が消滅した」と解釈している)から知らなかったけど、実は現職の日ハムのコーチだったとか。57歳、「早すぎるなあ、病気でもしてたのかな」と思ったけど、本当に「急死」だったらしい。自分自身が多感だった頃に活躍した人がいなくなっていくことは思い入れ云々以前に、「俺の時代が終わっていく」様な気がして実に寂しい。本当に驚きと寂しさを禁じ得ないニュースでした。
■2010/2/6 入る世界を間違った男(朝青龍引退) 朝青龍が遂に引退するという。以前から書いている通り、若貴兄弟が大嫌いで、彼らが頭角を現して以降の相撲は一切見ていないけど・・・。正直、この人は若貴兄弟と同じくらい嫌いだった。「強い」反面「品格」云々といわれて、世間では賛否両論ある存在だったわけだけど、私に言わせれば「この人は横綱どころか、相撲取りですらない」と思ってきた。
私は決して、外国人力士否定派ではない。高見山のことは好きだったし、小錦のことも特別好きではなかったけど、嫌いではなかった。相撲は単なる格闘技じゃない。「強ければそれでいい」わけではない。日本古来の、神事の一環として行われてきた競技なので、「格闘技」「スポーツ」というよりは、能や狂言のような伝統芸能のような意味合いのある独特な世界である。だから、日本の伝統や格式を理解することなく、行うことの出来ない競技だと思っている。「強くなる」よりも先に、そうしたものを学び、身に着ける必然性のある、そんな競技であるとも言ってよい。なので、日本人といえども相撲界に入り、真にそうしたものを理解することは、かなり難しいはずである。だけど、高見山や小錦は、外国人であるにもかかわらず、そうしたものを理解し、溶け込もうと努力した。だからこそ、見ていて応援したくもなったし、ファンからも愛されたんだと思う。
ところが、朝青龍は違う。「品格」云々と言われると、「そんなことは知ったことじゃない」といわんばかりの態度、発言を連発。日本の文化を理解し、身につけようとはせず、「俺はこうなんだ」と開き直り、まるで日本の伝統や文化に対する敬意が感じられなかった。いや、むしろ、そうしたものを踏みにじろうとしているとしか思えなかった。「強いから別にいいじゃないか」という人もいるかもしれないけど、彼の態度、発言は日本を、日本人を見下しているようにしか思えなかった。
そして今回、遂に「素人」に手を出したという。相撲取り云々じゃなく、格闘技を行うものが素人に手を出すなんていうのは、断じてあってはならない行為。事件が発覚した後も土俵に上がり続けていたという感覚、開き直ったような発言を繰り返していたという感覚は、もはや「品格」云々、日本の文化を踏みにじる云々じゃなく、アスリートとして失格といえる。
よって、引退は当然。しかし引退会見でも「品格とかいうけど、土俵に上がったら相手を潰すくらいの気持ちを持っていた。それが自分の個性だ」といったようなニュアンスのコメントを残したという。やっぱりこの人は相撲取りではないと思った。「相手を潰す」つもりで格闘技をやりたいのなら、バーリ・トゥードなど、他の格闘技をやればよい。この人、選んだ世界を間違ったのではないか。「強ければそれでいい」「相手を叩き潰す」というのは、バーリ・トゥードの世界そのもの。なので彼は「相撲取り」ではなく、単なる「格闘家」だったのだと思った。ただし、「素人に手を出した」という行為は、既に「格闘家」としても失格である。一部には「彼が外国人力士だから、過剰に叩かれている」とする向きもあるけど、私は先も述べたとおり、外国人力士否定論者じゃない。そんな私の目にも、彼は相撲取りではなかったんだと映った。
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