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■2003/03/24(月) 私の言えるのはこれだけ、ここまで(イラク戦争勃発) 「イラク問題に関してディープにコメントする気はない」「特に主張したりもしない」としましたが、
これはまさに、私からこの件に関して言えるたったひとつのこと。本当はこのことも
言わずにいようかと思ってたんですが、やはり「溢れ出てくる言葉を抑えることができない」、
また、「それを無理して呑み込むこともしたくない」という、先日書いた通りの想いもあるので、
敢えてこれだけは書いておきたいと思います。
やはりネット上の音楽サイトで、この件に関するディープな議論が行われているボードに
多く遭遇します。「アメリカの大統領は正気じゃない」「どっちが独裁者か?」
「どっちが正義なんだ?」「小泉にもガッカリ」「所詮は石油利権絡みの戦争だ」。
いろんな意見が出ています。でも、正直に言いましょう、私は理由がどうだとか、
アメリカ大統領がどうだとか、正義かどうかとか、利権がどうかとか、背景がどうかとか、
そんなことは「どーでもいい」です。興味もないし、そんなことを主張する気も一切ありません。
無責任? 確かにそうかもしれない。でも、私たち素人に、本当のところの背景なんて分かるわけもない。
「正義」なんて漠然とした定義を巡ってあれこれ言ったところで、何の意味もない。
いや、「正義」なんて個人によっていろんな受け取り方があるもの。
そんなことを議論しあったところで、全く意味はない。
こんなことを言うと、怒る人も多いでしょうね。ただですら音楽サイトの傾向として、
過剰なほどの、過激すぎるほどの「戦争反対論」で渦巻いてることですし。
でもね、私は今述べたようなことについて考えたいとも、主張したいとも思わないんですよ。
私から言えること、それはたったひとつ。いつも犠牲になるのは、そうした正義感とか、
利権とか、独裁とか、侵略とかとは本来無関係のはずの、当事者ではないはずの一般庶民。
一部の権力者同志の争いに巻き込まれ、犠牲になるのは、弱い立場にある庶民。
そのことがやりきれないし、そのことに対しては悲しみを感じるし、同じ「一般庶民」として他人事とは思えない。
私が今回のニュースを見て思うこと、湧き上がる気持ちは、その一点のみであって、
間違ってもどこぞの国の支配者に対する怒りとか、批判とか、そんな気持ちではない。
だからこそ私は、ネット上で特定の国や支配者に対する批判を行う気もないし、
何かを主張する気もない。主張しているサイトをサポートする気も全くない。
私には、そんなネガティブな気持ちは皆無。やってる人を止める気はないけど、
私とは立場が全く違う。だから私は「主張」も、「行動」もしない。
今はただ、罪のない弱い立場にある庶民(国籍は関係ない!)が、これ以上巻き込まれ、
犠牲にならないことを願うのみ。私にできることは、結局その程度なんだと思ってる。
・・・ということで、もうこの件はおしまい。これ以上は何も言わない、言いたくない、言う必要もない。
■2005/05/09 脱線事故(福知山線) 一度もこれについては触れませんでしたけど、連休に遠出したこともあり、移動中、本当に些細な揺れとかでも気になったりして、全く落ち着きませんでした。「日本の鉄道技術は世界一」、小学生の頃まで鉄道ファンだった私は、この神話を信じ続けていたんですが。山陽新幹線が開業した1975年、はじめて大阪の親戚のところに行ったんですが、その頃の小倉〜新大阪間の所要時間は、3時間ちょっと、それが今や2時間かからない、はじめて上京した1987年初頭、小倉〜東京間は6時間半、それが今や5時間かからない。小倉〜博多間、福岡の大学に行っていた1990年頃、快速で55分、特急で45分くらい、それが今や停車駅が大幅に増えたのに、快速で50分足らず、特急で40分足らず。車両が昔と比べて新しくなったし、簡単に加速できるようになったのは、素人で既に鉄道ファンから足を洗っている私にも容易に分かる、しかも乗り心地も本当によくなった。だから「技術の進歩のおかげでスピード・アップしたんだ」って信じてたけど、実は福知山線同様、「スピード優先」するあまり、無理をしてるだけなんじゃないか、そんな風に思うと不安でJRを利用するのが怖くなる。まして小倉〜博多間の場合、停車駅は増えてるのに早くなってるって、なんか怖い気がする。
■2010/09/8 「すごい」って流行ってるのか? 台風が来ると聞いたので(結局ちょっとかすっただけでしたが)、最新の台風情報を見ようと思い立って、珍しく地上波のテレビをつけて見ていた時のこと。台風情報をやっていなかったので、チャンネルを適当に変えながらテレビをつけっぱなしにしていました。
最初のテレビ局でやっていたのは、福岡市に新しく出来たスポット(店か施設)の紹介。女性のレポーターがそのスポットに入った瞬間声を上げる。「わあ、すごーい」。さらにそのスポットのスタッフがなにやら説明をしていたんですが、それを聞いたレポーターの反応。「へえ、すごい」、「すごいですねえ」。なんだよ、こいつ「すごい」しか言えないのか。他の言葉を知らないのか。他に感想はないのか。つまらないし、肝心の台風情報もはじまらないので、思わずチャンネルを変える。
すると次にチャンネルを合わせたテレビ局でやっていたのはグルメ情報。やはりレポーターが店の紹介をしてたんだけど、店に入って最初の言葉は「わあ、すごい、皆さん見てくださいよ」。メニューを見ながらなにやらコメントしてるけど、その際にも「すごい」を連発。更に料理が出てきた瞬間のひとことも「わあ、すごーい」。やはり馬鹿馬鹿しくなってチャンネルを変えてしまいました。その後、3つ目のチャンネルに変えた瞬間、いきなり「すごーい」という女性の叫び声が聞こえたので「もうたくさん」と思い、内容は一切見ずにすぐにテレビを消しました。
あの、この「すごい」って言葉は今流行りなんでしょうか? めったにテレビを見ない母が唯一楽しみにして見ているのが旅番組なんだけど、母も「最近のレポーターはキレイな景色を見ても『すごい』、料理が出てきても『すごい』。『すごい』しか感想を言えない人ばかりだから見ていて面白くない」とぼやいてる。以前だったら、例えば景色を見たら「風が心地いい」とか、「まるで〇〇みたいですねえ」とか、「心が洗われるよね」などと、具体的な感想を述べるレポーターが多かったもの。料理を出されたら「豪華ですね」とか、「まるで〇〇のようにキレイな色彩ですね」などと感想を述べていたもの。でも、今のレポーターって「すごい」って感想しか持てないんでしょうか。それでテレビでレポーターの仕事をやってると言えるんでしょうか。「自分の感じたことを言葉にして表す能力に欠けている」のか「何も感じない」のか「感じているけど、表現するのが面倒くさい」のか、おそらくこの3つのうちのどれかなんだろうけど、こんなレポートだったら素人でも出来るだろう。こんな人たちがテレビに出てる、この程度のレポートしか出来ない、この程度の番組を平気で放送する、ますますもって「今の地上波のテレビなんて面白くもクソもないな」と再認識してしまいました。
■2011/03/13 大震災・・・(東日本大震災) 1〜2月は前から書いている通り、朝8時頃家を出て夜10時過ぎに帰宅する毎日でしたが、3月に入ってからは、時々早朝5時過ぎに家を出て、夕方帰宅する日も増えてきました。その分、帰宅後に時間に余裕のある日も増えつつありますが・・・。
先日、その「早朝に家を出て、夕方帰宅する」勤務の日、帰宅するために夕方5時過ぎのバスに乗っていたところ、女子高校生が携帯のi-modeを見ながら「わあ大変、岩手で地震があったみたい」と騒いでいました。私はそれを聞きながら「うるさいなあ、騒ぐなよ。地震なんて頻繁に日本中で起こってるし、別に珍しいニュースでもないよ」くらいに思っていました。帰宅後、パソコンを起動してネットに繋いだ際も、Yahooなどに大きく「地震速報」の文字が出ていたけど、その時も「まあ、さっき起こったばかりの地震だから大きく載せてるんだろうな」くらいの軽い気持ちで見流してしまって・・・。さらに夕方6時頃、テレビをつける。テレビをつけても地上波にチャンネルを合わせることもほとんどないので、ケーブル局にチャンネルを合わせる。ところが、ここでも画面に大きく「地震速報」の文字。おいおい、勘弁してくれよ。しかし、次の文字が目に飛び込んできました。「マグニチュード8.8」「大津波警報」・・・。そこではじめて事の重大さに気がつきました。
慌てて地上波にチャンネルを変える。大津波に家が、道路が、車が、田畑が飲み込まれていき、高い建物や大木以外の全てのものが沈んでしまう映像。東京でも交通機関が止まってしまったとかで、駅で足止めにされて歩道にまで溢れ返っているビジネスマン。仕方なく歩いて帰宅している様子だけど、車道にまで溢れている人の波。・・・まるで特撮映画かパニック映画のワンシーンを見ているかのよう。でも、これは現実。あの水没していく街は当然、CGでもセットでもない。だとすれば、そこに住んでいる人たちも一緒に飲み込まれてしまったということか。そんなことを考えているうちに、大変な恐怖心に襲われました。直接の被害は東北地方と関東地方、つまり東日本だけだけど、西日本でも津波が来たり、小さいものとはいえ余震があったり、交通機関に遅れが生じたりしているところもあるらしい。幸い福岡県は全く何の影響もなかったので全く実感は沸かないけど、日本の約半分は「壊滅状態」なわけで・・・。逆に実感が沸かない分、「同じ日本で現実に起こっている出来事なんだ」と思うと恐ろしくなってくる。翌日からは死者、行方不明者の情報、さらには地震で壊滅状態になった街の様子なども流される。石巻、気仙沼、大船渡、宮古、釜石、陸前高田・・・。実は去年の春、「放浪」先の候補にあげていたのがこの三陸海岸沿いの街。それが壊滅しているわけで、行ったこともない場所なのに、悲しくなってくる。さらに原発でもトラブル発生・・・。ここから復旧して元通りになるまでには、一体どれくらいの時間がかかるんだろう・・・。
ライブや舞台、ファンの集いなどの様々なイベントが中止になったり、スポーツの大会も中止が発表されたりのニュースも流れている。3/13開催予定だった名古屋国際女子マラソンも。もちろん、東北や関東で行われるイベントや大会は仕方ないだろう。でも、逆に直接の影響を受けていない地区で行われるイベントや大会は通常通り開催すべきなんじゃないかと私は思う。「非常事態なんだからそれどころじゃないだろう」という考え方も分からなくはないけど、直接影響を受けていない地区は、逆に「元気」でいるべきだと私は思う。日本中が深刻で暗く沈んでしまったら、本当に国自体が「暗く、沈んで」しまうし、そのことが逆に復旧を遅らせてしまうんじゃないだろうか。だから私は、こんな時期だからといって暗く、沈んでいたいとは思わないし、普段どおりに生活していたいと思う。いや、自分の仕事もあるので、通常通りに生活していかなきゃいけないんだけど。地上波のニュースも気にしつつ、通常の番組を流しているケーブル局の番組を楽しんで見ている。実は震災の翌日が、九州中が大騒ぎしていた九州新幹線開通の日だった。本来ならイベントが開かれて大騒ぎになるはずが、イベント等は中止されて静かな開業になったらしい。もちろん「祝賀式典」みたいなのは不謹慎かもしれないけど、むしろ暗い時期だからこそ「元気を与える」ようなイベントはやってもよかったんじゃないかと思う。
だから、直接影響のない地区のイベントやスポーツの大会も通常通り行うべきだと思う。こういう辛い、暗い時だからこそ、人々を喜ばせたり、感動させたり、勇気を与えたりすることが出来る、スポーツの大会、ライブ、舞台、映画などが必要なんじゃないだろうか。スポーツといえば、サッカー日本代表が今年の夏、コパアメリカ大会に特別参加する予定だったのをとり辞めるかもしれないとのニュースもネットで見かけたけど、むしろこんな時だからこそ参加して、よい試合をして、人々に勇気や感動を与えて欲しいと思うんだけど。
なんか、脈略もなく長文を書いてきたけど・・・。阪神大震災の時を超える被害になりそうだし、日本の半分近くが被害に遭っているわけで、復旧のメドも簡単にたつものでもないだろうし、今後日本はどうなってしまうのか? という不安もある。だけど私には何かが出来るわけではない。何かしたいとも思わない。深刻になったり暗くなったりするのではなく、いつもと同じように、普段どおりの生活をしていくこと、元気に生きていくこと、それしかないと思う。
■2012/4/16 ペイパー・ドライバー?(京都の交通事故) 先日、京都の繁華街の交差点で車が暴走、運転していた本人を含む8名(だったかな?)が亡くなったというニュースが。ドライバーの持病の発作が原因だとか、いや、直接の原因じゃないとか、まだ情報が錯綜している状態。持病のある人が車を運転するのはどうなのか? というのが正直な感想。まあ、持病といっても、どこまでが運転に支障があるのか、どこまでであれば運転しても大丈夫なのか? という判断基準が難しいわけだけど、やはり車ってのは一歩間違えば凶器にもなり得るわけだから、少しでも支障を感じれば運転しちゃいけないだろうと。もちろん、免許がある人であれば、法律上は誰でも運転できる。免許を取得した後、大きな事故を起こしたとか、違反が多いとかであれば「免停」になるけど、そうでなければ、何年かに一回「免許更新のお知らせ」が来て、事務的な更新手続きさえ行えば「免許更新」となる。でも「凶器にもなり得る乗り物の免許」なのに、こんなに簡単に更新されて大丈夫なのか? 「免許を取得した時は運転しても問題なかったが、今は実は運転できる状態ではない」人だって実はいっぱいいるのに、それを確認することなく更新されていくというのは、何かおかしいのでは?と。
事実私は今、運転免許証を持っているので、私が運転することを誰も止めることは出来ないし、運転しても咎められることはありません。だけど私は、教習所を卒業以来、一度もハンドルを握っていません。具体的な年数はここに書くのを控えるけど、もう10年以上になります。車をどうやって動かすのかも、どうやって止めるのかも、おぼろげにしか覚えてないし、車庫入れ、坂道発進、ほとんど覚えていません。それでも「免許がある=運転する許可を得ている」状態にあるというのは、あまりにもおかしい。はっきりいって私は運転する自信は全くないし、もしも「運転しろ」と誰かに強要されたり、命令されたりしても断固拒否します。自分自身が死んでしまう、周囲の人を巻き込んでしまうのは確実。それでも「免許更新のお知らせ」が郵送されてくる。一度も運転していないので当然無事故無違反、簡単な手続きを行うだけで「免許更新=運転の許可が出る」。うーん、やっぱりおかしい。
「免許はとった」、だけど取得後に「運転していない=技術も知識もない」私のような者だけじゃない。他にも、今回のように「免許取得後、病気や怪我をして運転に支障が出るようになった」人もいる。私のように「今の俺は免許はあるけど、運転しちゃいけない」と自制する人ばかりならいいけど、「そんなの関係ねーよ、免許持ってるし法律に触れるわけじゃないからいいだろう」と開き直ったり、「不安だけど、まあいいか」と安易に考えたり、そんな人が現れれば、大事故、大惨事が繰り返されるんじゃないか。それを思えば「免許更新時に必ず全員に運転させる=実技試験を行う」ことも必要なのでは? という気もします。「そんなことしたら時間がかかってしょうがない」ことは理解できるけど、「車は一歩間違えれば凶器にもなり得る」ことを考えれば、それくらい時間をかけてもよいんじゃないかなと思う。とはいえ、そんな制度になってしまったら、私は更新手続きの際に「免停」になってしまうのはほぼ確実なんだけど(笑)。でも、そうやって、更新の際だけでも、何年かに一回運転する機会があれば「運転する自信が全くない」状態にはならなかったんじゃないかとも思う。それに「病気や怪我をしてしまった人」に関しても「運転に支障があるレベルかどうか?」を判定する機会を設けることが出来るわけだから。
免許取得後、関東地方にいた頃は交通機関が発達していて、車を使わなきゃ不便ということは全くなかったけど、地元・北九州に戻って早10年以上。10年前と比較すると北九州も車がないと行けない施設、場所が増加中。「放浪」でいろんな地方に行った際も、「交通機関ではなかなか行けない有名スポット」が多くて、身動きがとれないケースも結構あった。そんな時「せめてレンタカーくらい運転できればなあ」と何度思ったことか。いや、免許はあるんだから借りることは出来るけど、さすがに運転するのは怖いし・・・。ペーパードライバー講習でも受けようかなと思う一方で、今回のような事故のニュースを聞くにつけ、「俺が凶器になるかもしれない乗り物なんて運転してよいものか?」と考えてしまう。私も運転を止められるような病気ではないし、「運転してはいけない」と病院から止められたりも一切してないけど、一応大きな病気をした身なわけだし・・・。だからやっぱり、実技試験を受けられる場を設けて欲しいと思う。今回のことで「持病のある人から免許を取り上げるべき」といったような論調の意見を多く見かけるけど、むしろ必要なのは「免許取得後も、今後も運転してもよいかどうか判定する場を設ける」ことじゃないのかなと思う。
■2013/2/4 基準は「受け取る側」の気持ち次第? (体罰問題) なにかと「体罰」が話題のようですが。正直、意外と難しい問題だなと。なので私の受けた、見た体験から。
(1)中1の時のこと。当時の社会の教師が、授業中に私がふざけていた同級生を見て笑ったら、いきなり「お前は俺を馬鹿にしているのか」と怒鳴って私に近づいてきた。ただ「●●君がふざけていたから」なんて私が言ってしまったら、そいつが怒られるだろうと思ったので「いや、別に」と答えた。しばらくして、教師に見えないところでその同級生がまたわざとふざけて見せたので、また思わず笑ってしまう私。そうするとその教師はいきなり私に駆け寄ってきて平手打ち。「やりすぎじゃないか」と抗議する同級生や私に対し、「逆らうのか、内申書に響くぞ」と脅してきたので、仕方なく泣き寝入りした。
(2)高校時代の体育教師。とにかく「体罰好き」。体育の授業の際、忘れ物をした生徒を並べて竹刀でケツをぶっ叩くのは恒例行事。廊下ですれ違いざまに「髪が長い」「第一ボタンが外れている」「廊下を走っていた」という理由で、何の説明もなくいきなり頭をひっぱたく。全校集会で整列していたら「私語をしていた」という理由でいきなり頭を引っぱたく。極めつけは「廊下で暴れていた」という理由で、実は暴れていた当事者でもない生徒に濡れ衣を着せて、本人の言い分も聞かずに「お前に決まっている」と決め付けて殴る、蹴る。見かねて止めようとした私たち数名の生徒に向かって「お前ら全員停学にするぞ」と脅してきたので、仕方なく泣き寝入り。
私が中高生の頃って1981〜1986年頃なので「校内暴力全盛」の時代末期だったし、北九州という荒れた地域だったこともあるので、上記のようなケースは氷山の一角でしょう。ただ、私は上記のような理不尽な「体罰」を受けたことにより、大変な精神的なダメージを受けたのは事実。まあ、今の例はどちらも「言いがかり」なので、こちらには全く否はない。ただ、こちらの方に「否」があって上記の2名の教師に叩かれた経験もある。でも日頃の態度が理不尽で、生徒のことを本気で思いやる気持ちが全く感じられなかったので「俺が悪かった」と素直に思うことは出来ませんでした。「叩かれた」痛みよりも「心が傷ついた」ダメージの方が大きく、今でもその不信感は残っています。はっきりいえば、上記2名の教師を信頼して慕ってた生徒なんていなかったと思うし、教師の方にも「生徒のことを思う」気持ちなんてきっと、なかっただろうと思えます。殴っていた時の彼らは、私たちを「憎い」「懲らしめてやろう」「痛めつけてやろう」という気持ちしかなかったはず。それじゃあ「指導」ではなく、単なる「暴力」。
一方でこんなケースも
(3)中学2、3年の時の担任は「熱血体育教師」。以前ちょっと述べたことがある(こちら)。すぐ怒鳴る、手を出す、でも実は生徒思い、そんな人でした。ある日、クラスでちょっと「不良」(というほどでもなかったが)とされていた生徒と言い合いになりました。そして生徒の方が殴りかかってくる。「いつものように殴るのか?」と思っていたら、「止めろ、落ち着け」と言いながら自身は全く手を出さず、必死に押さえつけようとしている。驚いたのは、一切手を出さなかったこと。最終的には私たちが生徒を押さえつけるのを手伝ったので、その場は収まった。そして驚いたのは「今見たこと(生徒が自分に手を出した)ことは絶対に口外するな」と。自分は顔にあざを作っているのに。口外すれば、その生徒の将来がなくなると思ったんでしょう。それを聞いてその手を出した生徒は、即謝罪しました。
今思えば、この教師は同じ「手を出す」といっても「罰」のために手を出したことは一度もなく、「生徒を心配するあまり」とか「周囲に迷惑や心配をかけた」ケースだけだったように思う。高校に進学できなかった連中の仕事まで世話してたし、「実はスポーツが得意」な奴は、当時は珍しかったスポーツ推薦で高校に入れたり。私もこの教師に「手を出された」ことはあったけど、「痛かった」のに「苦痛」とは思えなかった。不思議と素直に「俺が悪かった」と思えたものだし、この教師を「憎い」と思ったことは一度もありませんでした。その「暑苦しさ」や「押し付けがましさ」が「ウザい」と思ったことはあったけど(笑)、意外と今の私の性格を思えば、むしろ影響を受けてるくらいかも。
正直、私は今問題になってる高校のケースや、オリンピック女子柔道の監督のケースに関しては当事者ではないので、簡単に是非を語れません。ただ、どちらのケースも「体罰を受けた側が苦痛を感じた」という事実、これは否定できません。苦痛というのは、先に述べた「叩かれた痛み」よりも、「心が傷ついた」ということ。精神的ダメージや不信感が残ったのでしょう。だから前者からは自殺者が出て、後者からは告発する選手が出てきた。つまり、私や同級生たちが(1)や(2)の教師の行為に苦痛を感じたのと同じ。柔道の監督は「信頼関係を築けていると思い込んでいた」とコメントしていたけど「体罰を下す側がどう感じるか」ではなく、「受けた側がどう感じるか、どう捉えるか」次第じゃないのか。「手を出すのが是か非か」とか「信頼関係が云々」とか、そういう問題ではなく「受けた側の気持ち」が一番大きいと思うんだけど。だからこそ、簡単に「是非」なんて判断できないわけで、やっぱり難しい。
■2014/8/1 「自分たちの」「自分らしさ」に違和感 「自分たちのサッカー」という言葉にうんざりさせられた1か月間でしたが、先日ゴルフ中継を見ていた時、解説の岡本綾子が次のようなニュアンスのことを述べているのを聴いて「またかよ」という気分になりました。「最近の日本人ゴルファーはみんな『自分のゴルフをする』『自分らしいプレーをする』とコメントするけど、全く具体的ではないし、目標としては適切ではない」。そういえば近年は「自分らしく」「自分らしさ」などという人が非常に多い気がします。あんまり使いたくない言葉だけど、特に「ゆとり世代」の人が多く使う傾向にあるように思います。だけど、私にはこの言葉には違和感しかないし、曖昧すぎて何が言いたいのかさっぱり分からないというのが正直な印象です。
「ゆとり教育」っていうのは「過剰に競争させない」「過剰に優劣をつけない」ものというイメージがあります。勝った人だけが素晴らしいわけじゃない、負けた人も自分らしくあればそれでいい。人にはそれぞれ良さがあるんだから、自分らしくあればそれでいい。いつも競争させられ、優劣をつけられてきた私の世代から見れば「いいなあ」と思わなくもありません。私は学校の成績は中の上くらいで「成績が悪くもないけど、褒められたり、誇ったりできるほどよいわけでもない」という微妙なレベルでした。スポーツの方はすべて全くダメ。非常にコンプレックスを持っていました。そしてルックスに関しては、ずっとコンプレックスの塊でした。よって「人よりここが勝っている」と言えるものは全くありませんでした。
だけど一方で「何をやっても誇れない」からこそ、「負けたくない」「見返してやる」という反骨精神も人一倍強かったのも事実。だから勉強や仕事だけではなく、ゲームとかクイズなどでも「負けると悔しい」し、「勝ちたい」がために必死になり、夢中になる。そんな、典型的な負けず嫌いな性格だし「競う」「人に追いつこうとする」ことが自分自身の生きることへの原動力になっているとすら思えます。大きな病気をしたり、いろんな逆境に立たされた時に「絶対に乗り切って見せる」「絶対に負けない」という気持ちでやってきた。コンプレックスをいっぱい抱えていたからこそ、それに立ち向かうような気持ちで生きてきた。極端かもしれないけど、そんな気持ちがあったからこそ、今まで生きてこれたんじゃないかとすら思えます。
だから無理しなくていい、頑張らなくってもいい、「自分らしければいいんだ」という考え方には違和感しかありません。某有名男性グループの歌にそんな歌詞もあったけど、私はあの曲の歌詞にはひとかけらの共感も抱けませんでした。とてもじゃないが、そんな気持ちには私はなれない。それって「頑張ってない」「努力してない」「目の前の困難から逃げている」ことへの言い訳ではないのか?
ましてスポーツをやるものが「勝利」を目指さずに「自分らしさ」を目指すなんて、あまりにもおかしい。自分らしくなくっても、不恰好でも情けなくっても勝つことを目指す。勝つためには自分らしさなど犠牲にする。それがスポーツなのでは? サッカー選手やゴルファーの発言を聴いて、違和感を感じるのはそのせいです。とにかく「自分たちのサッカー」は今後、サッカー界の禁句にして欲しいものです。
■2014/9/25 ダイエー帝国の消滅? 何度か書いてきたとおり、私の生まれは山口県徳山市(現周南市)で、2歳半か3歳くらいの頃までは徳山で過ごしました。そしてこれもまた何度か述べてきたけど、不思議なことに、普通の人なら全く記憶に残っていないはずの、2、3歳頃の記憶が鮮明に残っています。当時、母はバスに乗って自宅から徳山駅前の商店街に買い物に行っていました。駅の近くには丸和という、今も福岡県や山口県に多数の店舗を持つスーパーのチェーン店があって、おかずやお菓子、日用品などはそこで購入していたものでした。
だけどある日、いつものように駅前にバスで買い物に行ったところ、駅前が騒然としている。母が「ちょっと行ってみよう」と私に言いつつ、人ごみの方に歩いて行ってみた。するとそこには、5階か6階建ての高い建物が建っていて、屋上にはアドバルーン、派手なBGM、客を呼び込む騒々しい店員の「いらっしゃいませ」の掛け声、それにつられるかのようにそちらに殺到する人ごみ。まだ3年弱しか生きていない当時の私にとっては、今まで見たこともない大勢の人、大騒ぎ、きらびやかで派手な光景に映りました。母の話を聞いて「ダイエーという大きなスーパーが開店した」んだということを知りました。「じゃあ、ここでもお菓子が売ってるの? じゃあ、入りたい」といった覚えがあるけど、小さな子供=私を連れてこんな人ごみの中に入ること躊躇したのか、母は「また次ね」と言って私を連れてその場を去りました。
だけど私は、家に帰っても「次、絶対ダイエー行こうね」「ねえ、いつダイエーに行くと?」としつこくせがみました。その数日後、初めてダイエーに入店、丸和とは比較にならないほど広い食品売り場、エスカレーターで上の階に上ると、本当にいろんなものが売っている。当時の徳山市には近鉄松下百貨店というデパートもあったので、別に5階建て、6階建ての店舗が珍しかったわけではなかったけど、新店ゆえにキレイで活気のある店に映りました。以来、何度も徳山駅前のダイエーには通いました。ケーキのショーケースを開けてクリームを舐めてイタズラして怒られたこと、何を思ってか「お母さんにあげるんだ」といって、ママレモンを抱えて店内を走り回って店員を困らせたこと…。2,3歳の頃の記憶なのに、異常に鮮明です。それほど当時の私にとってダイエーの中で見た世界は「夢の中の世界」そのものでした。
その後、北九州に引っ越し、市内にダイエーの店舗はいくつかあったけど、家の近くに店舗はありませんでした。だけどダイエーは「庶民的なスーパーの代名詞」でした。高校の頃、「ダイエーの広告のモデル」という一発芸を持った同級生がいました。セーターを着て、笑顔でポーズを決めるだけだけど…。敢えて「スーパーの広告」ではなく、「ダイエーの広告」というあたりにも、私たち世代にとってダイエーがスーパーの代名詞だったことがうかがい知れるというもの。大学生の頃、バブル全盛でみんながブランド物の服を買ったりして高級志向だったけど、その頃、ダサい服、安物っぽい服を着た人をからかう際には「ダイエーで買ったような服」なんて言っていたもの。やっぱりここでも「スーパー」じゃなく「ダイエー」。本当にダイエーは「スーパーの代名詞」でした。
そんな、幼い頃には「夢の世界」に映ったダイエー、1980,90年代には「スーパーの代名詞」だったダイエー、そのダイエーがイオンの傘下に入った時は衝撃を受けたものだけど、この度ダイエーがイオンの子会社化して「ダイエー」の屋号が消滅することになったとのニュースが。正直、別に店舗にも会社にも思い入れや愛着があるわけではないけど、やはり複雑で寂しい気分。しかも、1980年代までははるかに格下だったはずの「ジャスコ」に飲み込まれるというんだから尚更。またしても「一時代の終わり」を思い知らされるニュースでした。
■2015/9/14 賑やかだった家が今や「廃墟」に 私は今、自宅から徒歩10分ほどの最寄バス停まで歩いて、そこからバスに乗車して通勤しています。その「バス停までの道」は表通りではなく、地元住民しか通らないであろう裏道、いわば「抜け道」。実はこの道、高校3年間は私にとって「学校への通学路」だったし、予備校時代もずっと「バス停までの道」だったので、約4年間、毎日のように歩いていた道でもあります。大学時代の4年間→就職して地元を離れていた約9年間の合計13年間は全く通らなかった道だけど、地元に帰ってきた2001年以降はずっと「通勤のため歩く道」になっています。つまり随分長いこと、毎日のように歩いている、私にとっては「通り慣れた道」というわけです。
その道の途中の景色は随分変わりました。まあ30年以上経っているから当然といえば当然でしょう。途中にあった空き地には新しい立派な家が建ち、小さな会社の事務所があった場所に高層マンションが建ち、小さな鉄工所のあった場所が駐車場になり、個人経営の米屋や駄菓子屋は閉店して…。
そんな「何年も通り慣れた道」に、ちょっと立派な一軒家がありました。その家は木造の塀に囲まれ、広い庭があって、その庭には大きな柿の木があり、木造の門柱には大きな表札が打ち付けられていました。そこには家族3代の名前が書かれていました。確か6人か7人家族だったと。高校時代や予備校時代、朝登校時にその家の前を通ると味噌汁のいい匂いがして、小学生くらいの子供が駆け出して行くのをよく見かけました。夕方下校時には夕食の準備をする匂いが漂う。下校が遅くなって7時過ぎに前を通る時は、夕食のいい匂いと、食卓を囲んでの賑やかな声や、テレビの声が聞こえてきて「腹減ったなあ、俺も早く帰って夕飯食べたい」とか「俺も早く帰ってテレビ見たい」などと思いながら前を通っていたものでした。父の出張が多く、祖父母とも同居しておらず、家族揃っての夕食なんてほとんどなかった私にとって、その家はまるでサザエさん一家のような「理想的な家」に映りました。そして庭付きの立派な家はマンション住まいの私には羨ましく映ったものでした。
私が地元に帰ってきた2001年、また同じ道を通って通勤するようになった頃も、この家は健在。表札が外されていたので何人で住んでいるかは不明だったけど、やはり夜遅くこの家の前を通りかかると夕食のいい匂いとテレビの声や家族の話し声が聞こえてきたものでした。その後はあまり気に留めたことはなかったけど、確かに数か月前までは前を通る時には明かりがついていて、テレビの声が聞こえていました。まあ、庭が徐々に荒れ気味になっていたし、賑やかな話声こそ聞こえてくることはなかったけど、確かに「人が生活している」気配はありました。
ところがつい先日、前を通ると木造の塀にロープが張られ、「売物件」の小さな看板が。今は日本全国至るところで「廃墟」化する古い住宅が多いとは聞いています。実際、この「通り慣れた道」はもともと立派だけど古い住居が多かった。その分「廃墟」になった家、家が取り壊されて更地になった土地も多いのは事実。だけどそんな中で最も見慣れた家、そしてあの頃、あんなに賑やかだった家が「廃墟」になってしまったという事実は何の縁もゆかりもない人の家であるにもかかわらず、とても寂しい気持ちになりました。あの賑やかな家族の声、朝食や夕食のいい匂い、私が憧れた庭付きの立派な家、それが今や誰も住む人もいない廃墟に・・・。前を通ってももう、あの賑やかな声も聞こえない、あの匂いもない、明かりもついていない薄暗い廃墟。「30年」という年月を感じるとともに、実に物悲しい気分になって足早にその家の前を通り過ぎて家路を急ぎました。ああ、腹減った、早く帰って夕飯作らなきゃ。
■2017/5/26 「遠足のお菓子」の定番が・・・(カール販売終了) 社会人になった20代の頃から、お菓子はほとんど食べなくなりました。家でコーヒーを飲むときに摘まめるチョコレート、ビールのお供になる柿の種や豆菓子、喉の調子が悪い時に舐める飴類は年に何回かレベルでは買うけど、腹が太るスナック菓子はおそらくもう20年以上は買ってないと思います。
でも小学生〜中学生の頃はスナック菓子が大好きでした。しかも袋物の菓子は一度開封すると一気にすべて食べてしまう。私が小学生の頃、急激に太ったのは「スナック菓子の食べ過ぎのせいだ」と両親はもちろん、学校の先生や医者、親戚のオッサン、オバサン、近所の大人の人からもよく指摘されたものです。おそらく私が20歳を過ぎた頃からあまりスナック菓子を食べなくなったのは「食べるとまた太るから」と思ったことが一番大きかったのかもしれません。さらに30歳を過ぎた頃から急に本当に少食になり、あまり多くの量を食べられなくなりました。こうなると間食にスナック菓子なんか食べてしまうと腹が太りすぎて食事が全く食べられなくなる。だから「スナック菓子なんか買っても食べきれないから」ということで、すっかり買わなくなったというわけです。
ちなみに私が小中学生の頃に好きだったスナック菓子は、油で揚げていないあっさりしたもの。だからポテトチップスのような揚げたお菓子よりも、同じジャガイモを使ったスナック菓子ならサッポロポテトやバーベキュー味の方が好きでした。そしてそれと同じくらい好きだったのが実はカール、しかも「うすあじ」でした。なので、普段「スナック菓子を買おう」と思った時に真っ先に買うのは今挙げた3点。特にカールは1月に5〜10回くらいは買って食べていた記憶があります。しかも買うのは決まって「うすあじ」。チーズ味とカレー味は匂いがきつく感じられたので、ひたすら「うすあじ」ばかりでした。
特に「遠足にもっていくお菓子」を買う時、私は決まってカールの「うすあじ」を買っていました。大抵「200円以内で」とか制限が設けられる。そこでその金額を持って、5年生の頃までは校区内にあったスーパーに行き、計算しながらお菓子を選ぶ。その時、カゴを持って真っ先に向かうのはカールの「うすあじ」の陳列されている棚。まずはカールを買う、そして残りの予算で他の物を買う。いつもそんな風にしてお菓子を買っていたものでした。だけどお菓子を持って行っても、実は弁当を食べるが精一杯。せいぜい食べられるのはチョコレートとかの小さめのお菓子ばかり。ボリュームのあるスナック菓子など食べる暇もない。結局カールはそのまま自宅に持ち帰り。そして帰宅後、開封して食べる…。いつもいつもその繰り返しでした。それでもなぜか買ってしまう、それが私のカール「うすあじ」の思い出です。
しかし袋が大きく、しかもボリュームがあるので、一度開封して全部食べると異常に腹が太る。だからといって開封して数日置くと、意外と早く湿気てしまう。そんなこともあり、高校以降「お菓子離れ」した私が、カールを買うことはなくなりました。最後に食べたのはおそらく高3の頃、文化祭の準備のために放課後みんなで残って準備した時、誰かが買ってきて開封して袋を大きく開いて、「さあ、みんなで食べよう」と言われ、手を伸ばした時ではないかと思います。でも考えてみれば、この頃まではポテトチップスと並んでこんな風にみんなで集まった時の定番のお菓子だったように記憶しています。
昨日ネット上で「カールが売り上げ不振のため、東日本での販売を終了、西日本限定発売に」とのニュースを見かけました。いや「普段買ってなかったくせになくなってしまうと聞いて急に寂しがるな」という人もいるでしょうけど、さすがにこのニュースには衝撃を受けました。確かに今はポテトチップス系のスナック菓子が主流になったし「みんなで大きな袋を囲んでお菓子を食べる」習慣もなくなったので袋菓子の需要が下がるのも理解できるし、メインのターゲットだった子供が減っているし、だからなんでしょうけど、あの頃間違いなく「スナック菓子の定番=あって当たり前のものがなくなる」ことには寂しさを感じずにはいられません。50年近く続いたお菓子ということになると最早「文化」といっても過言ではないわけで・・・。でも寂しい気持ちの一方で、あの頃あんなに夢中だったのに、30年近くも遠ざけていたことを申し訳なく思ってしまいました。まあ、私は九州=西日本在住なので、今まで通り店頭で見かけることあるだろうけど「全国区」の商品ではなくなるわけだし、そうなるといずれなくなってしまう恐れもあるわけで…。思わず「今度スーパーに行ったら久々に買ってみようかな」と思った次第です。といっても、30歳の頃異常に少食になった今の私の胃袋が、果たして受け入れてくれるかどうか・・・。
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