自分の話

      
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■2000/12/15 (金) 身長に関するコンプレックス

 私が学生の頃、若い女性の間で「3高」なる言葉が流行していました。
これは、「付き合うなら身長が高く、高学歴、高収入の男」という意味。
当時学生だったから、後の2つに関しては「よし、じゃあ頑張ってやろう」と思えましたが、
身長は自分ではどうしようもないわけで。前から書いている通り、
自分が肥満体型であること(今は普通です)に強いコンプレックスを感じてきたわけですが、
それと同じくらい、身長(166センチ)に対するコンプレックスも持っていました。
「170センチなければ男じゃない」なんて理不尽なことを書いた記事が氾濫してたから・・・。
 「●●君ってカッコイイよね」
 「そうそう、背が高いし」
・・・って、背が高けりゃあ、それだけでカッコイイのか? 
だったらジャイアント馬場ってカッコイイか?
などと心の中で突っ込みを入れるのも虚しく(笑)。 あれから10年以上が経ち、
女性の身長は高くなるばかり。160センチ以上の女性なんてザラだし、
私と同じくらいの身長であっても、別に大柄でもない。
それゆえに、私のコンプレックスは強くなるばかりでした。
まして、ようやく痩せて肥満を脱したのはよかったけど、
気がつけば太ってた頃以上に「小柄である」というイメージを
相手に印象づけることが多くなり・・・。

 だけど、最近では女性にとって身長って、以前ほど「男選び」の際の
重要なポイントではなくなってるのかな、という気がします。というのも、女性の平均身長は
急速に伸びているものの、男性の方はそれほどでもない。その分、男性と女性の
身長差も縮まっているなと。だからでしょうか、街を歩いていると、
同じくらいの身長、または女性の方が身長の高いカップルを見かける機会が
多くなっているように思います。私の学生の頃には、ほとんどお目にかかれなかった光景です。
「背が高いからカッコイイ」なんてこと言ってるのを聞くこともないし。
いつもそうした光景を見るにつけ、「いい傾向だ」と、思わず微笑ましくなってしまいます。
でも、やっぱり自分よりも身長の高い人は嫌かなあ。同じくらいまでならOKだけど。
今度は「男のプライド」が邪魔をしてしまう、困ったもんです。
藤原紀香も、松嶋菜々子も、稲森いずみも、大石恵も(好きなわけではないけど、あくまでも例えね)、
みんな俺より身長が高いんだよなあ、じゃあ付き合えないや(笑)
(後記:今挙げたメンバーのうち、大石恵だけはお天気お姉さんだった頃は好きだった。
某所で偶然生で見たが、あまりの美しさ、細さに驚いた)

■2000/12/20 (水) ジャンボ・マシンダーとサンタクロース(幼少の頃のクリスマス話)

 みなさんは何歳までサンタクロースを信じていましたか?
私は幼稚園児、5歳の時に真実を知ってしまいました。

 当時、武器などのパーツの取り換えのできるマジンガーZの大きな人形で
ジャンボマシンダーというのが流行っていました。私も両親にいつもねだっていたものです。
これが高価だったから、簡単には買ってくれない。
ところが、クリスマスが近づいたある日、両親が私に言いました。
「お利口にしていたら、クリスマスにジャンボマシンダーをサンタが持ってきてくれるよ」。
私は喜び、言い付け通りに「お利口に」していたものです(笑)。
当然、その時点ではサンタクロースの存在を信じていたのです。

 クリスマスの迫ったある日、何気なく押入れを開けました。
すると、そこになぜかジャンボマシンダーが!! そう、両親はクリスマス・プレゼントに
ジャンボマシンダーを購入、クリスマスまでの間、押入れの中に隠していたのです。
それを偶然みつけてしまった私。「押入れにジャンボ・マシンダーがあるよ。
まだクリスマスじゃないよね?サンタ、もう持ってきたのかな?」。
両親は必死の言い訳。「●●君(私の従兄弟です)にあげるんだ」。
それを聞いた私は大泣き。「T(私の本名)には買ってくなかったのに、
●●君に買ってあげるなんて〜」。
言い訳が裏目に出て困った両親、ごまかせないと悟ったのでしょう、
「本当はサンタはいないんだ、ジャンボマシンダーはクリスマス・プレゼントに
お前のために買ったんだ」。真実を明かしてしまったのです。
でも、ジャンボマシンダーをみつけてしまった瞬間、
私はそのことを少しだけ悟ったからショックはなかったですけどね。
こうして、5歳にしてサンタはいないことを知ってしまったのです。 

 ちなみに、ジャンボマシンダーがクリスマスを待たず、
その日のうちに開封されてしまったことはいうまでもない(笑)。
そこで両親に「このジャンボマシンダーは今日貰ってしまったから、
クリスマスには他のプレゼント、くれるよね? 仮面ライダーの変身ベルトがいい」。
高価なオモチャを買い、懐の寒い両親が私を怒鳴りつけたのもいうまでもないでしょう(笑)。
でも、その話を横で聞いていた妹は2歳にして真実を知ってしまった訳で、もっと可哀相。
妹は「物心ついた時からサンタを信じたことなんて一度もなかった」と言い切ってるし・・・。

■2001/01/01 (月) アンチ正月

幼少の頃、年が明けてはじめて会う人に対して両親が深々と頭を下げつつ、
「明けましておめでとうございます」なんて言ってるのを見て、
「いつも顔を合わせてる人になんで急によそよそしく接するの?」と思っていたものです。
そのせいか私は新年の挨拶が苦手。いや嫌いです。「礼儀」「社会人の常識」という点から見れば、
やらなきゃいけないから、やるにはやるけど・・・。
昨日まで親しく会話していたのに、何で改まって、堅苦しい挨拶を交わさなければいけないのやら。
で、「新年の挨拶嫌い」が昂じて、「アンチ正月」な変わり者と化してしまったのです。
「正月だから」という言い方もイヤ、正月だからと普段やらないことをするのもイヤ、
この時期には「早く三が日が終わらないかなあ」といつも思っている。
こんな奴は珍しいだろうな。

 でも私が一番嫌いなもの。それはカウントダウン。大晦日の11時半過ぎ、
テレビでは「今年も残りわずかとなってきました。今年はみなさんにとって、どんな1年でしたか?」
とナレーションが流れ、物悲しい空気が。そんな中、カウントダウンが行われ、
12時を過ぎると同時に空気が一変して騒ぎまくる。
それって常識なんでしょうし、あの瞬間が好きな方が大半なんでしょうけど、
私は「変なの。何騒いでんの?」と思ってしまうんです。
さっきまで物悲しい顔をしていて、突然「あけまして」ったって、
「去年」からまだ1分も経ってないのに、なんでそんなに浮かれてんの?
気持ちの切り替え、何でそんなに早いの? 子供の頃から「行く年来る年」を見るたびに、
そんな感覚に襲われていたものです。「そこが風情のあるところ」っていうけど、
なんか割り切れない。さっきまでのことが既に「去年」。ピンとこない。
そんなこんなで、私はカウントダウンが嫌いなのです。ここ数年、その頃には酔っ払って
寝てることが多いくらい。今年は家にいなかったけどね。
おそらく、私がカウントダウン・イベントなどに参加することはまずないでしょう。
変わり者だよねえ、ひねくれ者だよねえ(笑)。今も実は「早く三が日なんて終わってしまえ」と思っているのです。
普通の生活の方が俺は好きだもん。テレビはいつもにも増してつまらないし、
どこへ出かけても店とか閉まってて退屈だし、世間の人のように休めるわけでもない。

■2001/01/19 (金) 「痩せてよかった」は本当か?(急に痩せた私)

 何度も書いてきましたが、私は今でこそ標準的な体型ですが
3年半前まで90キロ近くありました。物心ついた頃から肥満児。
「急に普通の体型になった」というだけでなく、極端に言えば今の私は
「生まれてはじめて普通の人間として生きている」と言ってもよいわけで・・・(笑)
ああ、肥満の方を侮辱してるわけじゃなく、自分のことを「普通じゃない」と思って生きてきたもので
その辺の意識からくる例えですよ。「元デブ」の私だから、みなさんのお気持ちは誰よりよく分かるから。

 とまあ「普通の体型」になって約3年半。生まれてずっと「肥満児」をやってきたので、
慣れないことも多くて。よくなったことは多いです。
例えば
 (1)誰かの笑い声が聞こえた時、「俺を見て笑ってるのか?」なんて気にならなくなった
 (2)夏に汗をかく量が激減した
 (3)走ったり、階段を上ったりしても疲れなくなった
 (4)サイズを気にせずに服を選べるようになった
 (5)「いるだけで目立つ」ことがなくなった
 (6)「一生懸命にやっているのに、いい加減にやっている」風に誤解されなくなった(動作が緩慢になるから)

・・・など。「女にモテるようになった」の項目がないのは寂しいな(笑)

 でも意外といいことばっかりじゃなかったりもして。
例えば、
 (1)ラッシュ時などに人ごみに突っ込んでいっても、以前と違って跳ね飛ばされる
 (2)強風を受けてヨロヨロする
 (3)ずっと自分にコンプレックスを持って生きてきたので、急に痩せてもやっぱり
   意識は変わっておらず、いざとなると弱気になって尻込みする
 
特に困るのが(3)ですねえ。ずっと人目を気にしたり、「どうせ俺はデブだから」ってんで
いざとなると弱気になったり、ずっとそんな感じで生きてきたから
その辺の意識や性格は簡単には変えられないようで。
ただ「コンプレックスが強い」くせに、「自己主張が強くて態度がデカい」ところは
今も昔も変わってないんだよねえ。エステの広告なんかに
「痩せて性格が変わった」なんてコピーがあるけど、あれは嘘でしょう。
でもコンプレックスが若干薄くなった分、前よりも態度がデカくなったかもね(笑)。
その分「笑われる」ことがなくなって、「怖がられる」ことが多くなったかも。
それはそれで困ったことです。   
 

■2001/03/18 (日) 勧誘&セールスに殺伐(同窓会の誘い、一転セールス)

 以前も書きましたが、私は勧誘やセールスの電話が大嫌い。欲しいものであっても、 勧誘を受けると逆に買いたくなくなってしまうんです。 とにかく「自分で選び、自分で決める」のが私のポリシーです。

 ここまで頑なになったのはある出来事がきっかけでした。7、8年前の暮れのこと。 当時木更津在住だった私のところに、不意に高校時代の友人から電話が。 「正月に地元で同窓会をやるので来ないか?」。だけど私は正月には休めない身。 私が「一番楽しかった」と思えるのは高校時代。だから出たい。でも、地元に帰るなんてできない。 泣く泣く断った。「行けないけど、俺を忘れるな」、「あの頃が一番楽しかった」などと熱く語ってしまった私。 長電話が苦手な私なのに長々と話し、また連絡するとお互いに言い合ってその日は電話を切りました。

 約1ヶ月後、また彼から電話がかかってきました。ところが様子がおかしい。 彼は自分の仕事のことを話していたかと思うと、セールス&勧誘の話に。 もちろん、セールスの仕事をやってる以上「コネ」を使うのは常識。 仕事って奇麗事だけじゃできないんだってこと、私も体験上よーく分かる。 それに、強引に勧められたわけでもない。だから彼を責めるつもりは一切ない。 でも、高校時代の友人関係に「仕事」とか「営利」とか、持ち込んで欲しくなかった。 奇麗事だし青臭い。でも、なんとなく殺伐としてしまった。 「悪いけど出かけるところだから後でこっちからかけるよ」。 そう言って電話を切った私だけど、私が電話をかけ直すことはなかった。 彼の方も私に二度と電話をしてくることはなかった。 「付き合いだから」買ってあげるべきだったんだろうか。欲しくないものでもなかったし。 その時、セールスや勧誘って、人間関係にも支障をきたすものなんだという事を痛感しました。 私が以前にも増してセールスや勧誘を嫌うようになったのはその日からでした。 以降「欲しいものであっても、勧誘やセールスを受けて買うことはしない」 頑固者になってしまったというわけです。

 一方で地元の友人の誰とも連絡がつかなくなったのはそれ以来。ただですら浪人したり、 就職して以降地元に帰れなかったりで、誰とも会う機会がなくって音信不通状態なのに・・・。 それなだけに「本当にあれでよかったのか」とも思いますが。

■2001/04/09 (月) 本当の愛情とは?(ファン心理)

 ちょっと大袈裟なタイトルですが、例えばファン心理について。
世の中には、誰かの「ファン」と名乗る人は多いけど、
そのファンにも大きく分けて2通りの人種がいるようです。
まずは自分の好きな人のやることなら、何でもかんでもOKと受け入れてしまえる人。
もうひとつは、気に入らないことにははっきりとNoと言える人。
私の場合は、何に対しても、誰に対しても後者のような接し方をするファンです。
それ故に、時々前者のようなタイプのファンに嫌がられることも多いです。

 でも、私に言わせれば「何でもOK」ってのは、極端に進むととても怖いように思えるんです。
例えば、自分の好きな有名人が犯罪を犯す。それをもOKと言ってしまえる。
これは絶対変です。まあ、それは極端にしても「今度のアルバム、今一つ気にいらない」というと、
「ファンのくせに」と言われる。でも、それは違う。私は絶対に違うと思います。
「何でもかんでもよい」と思う、それは冷静さを失った考え方。
いわゆる「盲信」ってやつでしょう。

 ただし、「これはよくない」などと批判的なことを言う時にも、私には愛情はある。
その批判は愛情に裏打ちされたものです。もしもそこに愛情がなければ、それはファンではないでしょう。
「愛情があればこそ、違うと思えることには違うと言える」、
それこそが本当のファン、愛情ではないでしょうか。

 それは恋愛でも同じ。相手の悪いところははっきりと指摘してあげられる。
それが本当の愛情というもの。私はそう思っています。「悪いところも許してあげられる」と、
「悪いところも黙認する」は別。後者を本当の愛情、優しさだと思ってる人が多いのには
本当に呆れ返ります。それ故に、私は「優しくない」ということになるんでしょうけど、
そんなのは優しさでも愛情でもない。これは断言できます。

■2001/07/21 (土) 浜辺でモテモテの☆TAKE

 浜辺で20代前半のビキニのお姉ちゃんに囲まれて大モテの☆TAKE・・・。
これは嘘でも、夢でもなく、現実です。といっても、もう30年近くも前の話ですが(笑)

 3,4歳の頃だったでしょうか、父の会社の組合が主催した「貝掘り」に連れて行ってもらったことがありました。
私が「デブ」になる(今は違う)のは、小学校入学時。つまり、当時の私はまだ痩せていた。
それに、基本的に「ソース顔」(「いい男」ではない:笑)で、今とほとんど同じ顔をしていた私、
幼少の頃は結構「カワイイ」といわれることが多かったものでした。

 で、この日もいきなり父の会社の20代前半の若い女子社員たちの注目を浴び、
「カワイイ」と連呼されて囲まれ、連れ回されて大変な騒ぎになってしまいました。
で、海に着いてからも同様。ずっと水着のお姉ちゃんに抱きかかえられてました。
とにかく、全然放してくれないし、「私にも抱かせて!」などと言われてたらいまわし。
グラサンの似合うクールなお姉ちゃんもいた、巨乳の眩しいお姉ちゃんもいた(思わず触った覚えあり)。
自分の飲んでいたジュース(懐かしい、瓶のコーラ)を飲ませてくれたお姉ちゃんもいた。
いわば「間接キス」。いや、鮮明に覚えてます(笑)。それに、変に興奮した。

 で、今思うこと。「できるなら今、ああいう想いをしたいぞ」(笑)。
私がモテてたのは、生まれてからデブになる7歳くらいまでのごく短期間。
あの時期に「女運」を使い果たしてしまったんでしょうか。
いやー、惜しい、残念、いや、本気でそう思うぞ。でも、あの時のお姉ちゃんたちも今は50代。
あの時と同じお姉ちゃんに囲まれたいとは間違っても思わないけどね(笑)
それに、青春時代を「デブ」として過ごしてしまったのも後悔する。
この年になって痩せてもなあ。

■2002/01/04 (金) あんな風にはなりたくないと思った

 昨日の昼、何気なく近所を散策した私。スーパーの前を通ると、もの凄い人だかり。
ガキを連れた家族連ればかり。よく見ると「仮面ライダー・アギト・ショー」。
別にそれはいいんだけど、それを見ている、いや、見せている人たちを見て、
ちょっと複雑な想いが胸をよぎりました。

 ガキを連れてる親はみんな私と同世代。本来なら私もこうやってガキを連れて、
こういうところに来ててもおかしくないんだなと再確認。
でも、笑顔でガキを肩車する父親たち。無精ひげ、ジャージにサンダルというラフな服装。
カッコ悪い。もちろんそれを「悪」というつもりは全くありませんよ、念のため。
「微笑ましい」ととれなくもないですからね。
でも私はその光景を見ると、「自分はこうはなりたくない」と思った次第。
ひねくれてるのかな、うん、そうでしょう。でもねえ、「オヤジ化」「所帯じみる」のは、
絶対イヤ。「いつまでもカッコよく、若々しくいたい」と思ってるから。
やっぱ俺には「結婚する」とか、「ガキを持つ」とかってことに、憧れや喜びは感じないんだよ。
もちろん、それに憧れや喜びを感じることのできる人はそれでもいいんだろうし、
そう思う人の価値観を否定するものでもないけど、少なくとも俺は嫌。
ああ、結婚しても子供は持たず、お互い独立した関係でいる夫婦ってのには憧れるけどね。

 でも、私がそうやって必要以上に「カッコ悪いこと」を嫌うのは、「俺はカッコ悪い」という
強いコンプレックスがあるからなのかもしれません。「カッコ悪く」見えることをするのは
何よりも嫌いだし。特に高校卒業以降は、そのコンプレックスをバネに私はこれまで生きてきた。
ずっとデブだったし、痩せて人並みの体型になった今だってそれは変わらない。
これからだってそうだろう。そんな私にとって、あんな風に「仮面ライダー・ショー」に行く、
ガキに見せるという行為は、一生無縁なものだろうし、何の憧れも持てない。
近所に出かけたというのに、黒のスーツ上下、赤いシャツ、ロングコートという
よそ行きのような服装、寒さのために肩を竦め、足早に通り過ぎた私。
彼らとは同じ空間にいたのに、全く別の世界のように見えた瞬間だった。
彼らから見れば、私の方が奇妙な生き物なんだろうね。でも、いい年なんだし、
いい加減斜に構えて生きるのもどうかなとは思うんだけど。

■2002/02/06 (水) 関東に住んでいてよいこと、悪いこと

 先日ボードで「音楽的な生活をする上では、関東に住んでいることは恵まれてるんだ」と書きました。
大きなCD店、中古盤店が多くて手に入りやすい、情報も多い、ライブも多い、イベントも多い。
では、「音楽的生活」以外ではどうでしょうか。

 まず「関東に住んでいるがために被る危害」、つまりデメリットから。
(1)人が多すぎて、どこへ行っても落ち着かない
(2)電車が混み過ぎ
(3)汚い、不健康
(4)物価が高い、特に家賃の高さは・・・
(5)食べ物、特に生鮮食品が不味い
(6)関西系の面白いテレビを全然流さない

もっといっぱいあるって人もいるでしょうけど、私が「嫌だ」と思ったのはこれくらいかな。

 逆に「恵まれてるな」と思うことの方が多いんですよね、実は
(1)マツキヨがある(北九州にはない、福岡にはあるが)
(2)松屋が全くない、吉野屋はほとんどない(よって、「食費を抑える」術をひとつ失った)
(3)電車を使えば大抵のところへ行ける、本数も多い、終電も遅い
(4)深夜番組がいくらかマシ(「面白い」とまでは言わない、プロレスが1週遅れだし、こっちは)
(5)周りの「眼」が気にならない
(6)メガネドラッグの「メガネ無料洗浄機」がある(よく使ってたんだよなあ)
(7)情報が早い(音楽以外にもね)
(8)オフ会などに頻繁に出席できる

 特に大きいのは(5)なんですよね。よく「東京は周りの人に無関心で冷たい」って言いますよね。
でも私は、そっちのほうがいいんですよ。知らない人にいつも見られてる、
その分周りの目がいつも気になる、こっちにいると。でも、関東だと「無関心」な分、
私が何をしていても知らん顔ということは、誰も見てないということ、
そうなると目が気にならない。むしろ私には、その方が気楽なんですよ。
もともと「人目を気にし過ぎる」質だから尚更です。
ああ、決して私は逃亡中の指名手配犯ではないですけどね(笑)。なら実家に戻らないし。

 だから私って、表のボードに書いた通り、「音楽的生活」を送る上でもそうだけど、
それ以外の生活でも実は「東京向き」の性格なのかもしれない。
本当に今すぐにでも、戻れるものなら戻りたいです。地方出身者が上京、その後地元に戻った場合、
「もう東京はまっぴら」っていう人が多いけど、私は逆だなあ、戻りたいよ。
ここは俺の居場所じゃないんじゃないかと思う今日この頃だし。
 

■2002/07/24 (水) 冷房大好き!

 世の中には「冷房が嫌い」という人がやけに多いようです。
うーん、正直私には分からない。何しろ私は、暑いのが大嫌い。
「元デブ」だから、「暑さ」によって受ける苦痛は、物心ついた頃から他人の倍、いや、10倍は大きかった。
ただ座ってるだけで体が熱くなり、汗が噴き出てくる。この辛さは痩せてる人、暑さに弱くない人には
絶対に分かってもらえないだろうなあ。夏場の暑さの中で過ごすことは、
デブだった頃の私にとっては、一日中サウナの中で過ごしてるようなものだったんだよ。
一種の苦行だよ、大袈裟かもしれないけど、火の中を裸足で歩いたり、寒い中を
滝に打たれるのと同じくらい苦しいんだよ(笑)

 確かに今の私は痩せた。もはや「どっちかというと痩せてる方」と見られることも多いほどだ。
だから近年は、あの頃ほど暑さが苦痛ではなくなってるのかもしれない。
「座ってるだけで汗が噴き出る」なんて体験は、この数年は全くないしね。
だけど、物心ついた頃から「暑い日=サウナの中で一日中過ごすのと同じくらい苦痛=
一種の苦行と同じ」という固定観念が根づいてしまっている私。
いくら「痩せたから、もう一時期ほど苦痛ではない」ことは分かっていても、
暑いことに対する苦手意識は拭い去ることが出来ない。

 そんな「暑いことは命に関わるほどの苦痛だ」という固定観念の根づいた私にとって、
冷房は必要不可欠なもの。「夏は暑いんだから、冷房などにかからず、自然に過ごすのが一番」
などという意見も結構目にするけど、「暑い=苦行」な私にとって、「冷房を止める=自殺行為」(笑)。
とてもじゃないが、止める気などしない。俺は冷房が大好きだ、
絶対に「自然に過ごすのが一番」などとは思わないぞ(笑)
とはいえ、独り暮らしじゃなくなった今年の夏、やはり周りの目や電気代が気になって、
一日中冷房をつけっぱなしってことができなくなったのが辛い。

 で、「暑いのはいいけど、寒いのが苦手」とか言ってるそこの人へ、
そういう人は北海道の寒さを体験してから言いなさい(笑)。
本州から南の寒さなんて、「寒さ」ともいえないよ。私はその北海道の寒さを体験した身。
「氷点下にもなってない日に寒いなんて言うな」って感じ。
痩せた分、寒さに関して言えばデブだった頃よりも応えるようにはなったけどね(笑)

■2002/10/06 (日) 俺の居場所

 昨日はちょっと福岡市内まで遊びに行ってきました。このところずっと書いてきたように、
地元・北九州の、あまりの田舎ぶりに嫌気がさしていたこと、久々に金銭&時間に余裕ができたこともあり、
「ちょっと浪費してやるか」と思った次第。JR九州には、特急料金がただ同然で特急に乗れる
割引特急券「2枚切符」ってのもあるから、距離のわりには割安で行けるしね。
福岡市といえば、北九州同様の政令指定都市だけど、「名ばかりの指定都市」の北九州と違い、
真の大都市。大学時代を過ごした場所でもあるので、自分にとっては地元以上に馴染みのある場所。
溢れる人ごみ、モノで溢れかえった大規模店舗、車の大渋滞。そんな「都会でしかお目にかかれない光景」を
関東から離れた1年前以来、久々に体験してきた。「九州にはまだない」と聞いていた松屋も発見、
久々に「カルビ定食」も食べてきたしね(笑)

 で、普通の人って、「人ごみ」「渋滞」などを目にすると、「うんざりする」はずですよね。
北九州の多くの人は、福岡や東京でそれらを体験すると大抵「疲れた」「もういい」とか言い出すんだよね。
ところが、それらを目撃した私の素直な感想「久しぶりに気分が落ち着いた」「気分が晴れた」。
嘘みたいな話だけど、これが1年ぶりに「都会」を体験した私の素直な感想なんですよ。
ちょっと変わってますよね、自分でもそう思います。

 だけど、そこで思った。やはり私のいるべき場所は北九州のような田舎じゃなく、
東京や福岡のような都会なんだと。自分の「いるべき場所」に久々に帰ったから、
私は「気分が落ち着いた」んだと思う。やはり私は、関東に帰るべきなんじゃないか、
その気持ちを改めて強くした。もしも帰れないなら、せめて福岡に住むべきなんじゃないか・・・。

 とはいえ、人ごみに出ると気分が落ち着く、というのは、意外と私が寂しがり屋で、
しかも今の自分が寂しい状態にあるせいかも、という気もしないでもない。
いずれにしても、やはり私の居場所はここではない、そのことがより明らかになった。
■2002/11/07 (木) 自分のことは自分で

 これは私の行動パターンの特徴。ちょっとでも分からないとこがあったり、
困ったりしたら、すぐに他人を頼るという人、世の中には多いようです。
ネット上によくいるのが、パソコン操作に困っ時、すぐにパソコン・ネタのボードで
「みなさん、助けて」と書き込んで頼る人。だけど、何のことはない、マニュアルを見れば
容易に解決できる程度の質問だったりして、他のボード参加者から「すぐに他人に頼るんじゃなく、
まずは自分で調べることも大事です」なんて説教を食らってる。こういう光景に何度出くわしたことか。
プロバイダーのサポート・センターなどにも、そのレベルの問い合わせが多いらしい。

 私はネットをはじめて5年近くになるけど、未だかつてプロバイダーに
「教えて下さい」「助けて下さい」といった電話をしたことが一度もありません。
決して私はパソコンに詳しい方じゃない、おそらく、5年も使ってるけど、
「中の下」レベルの知識しかない。でもねえ、自分でやれることはすべてやってみる、
「もう、どうしようもない」という境地にまで追い込まれてはじめて「他人を頼る」という手段を思いつく。
ちなみに、昨日のADSLの設定も、すべて自分でやった。「画面が重い」云々と書いたけど、
あれから自分で調べて設定を変えたら、信じられないほど軽くなった。
そう、今回も自分で解決したんだよ。

 ただ、じゃあ私が「自立した男」なのかというと、実はそうでもない。
寂しがり屋なのに、「気がつけば孤独」という状態に陥りがちだから、
「他人にかまって欲しい」気持ちも人一倍強い。ただし、そういう自分の弱さを表に出して、
「かまって欲しい」という意思表示をするのが大嫌い。そう、「他人に頼らない」のも、
「教えて、分からない」と言って、他人に頼ること自体が恥ずかしいからに他ならない。

 なので「依頼心の強い人」には、「情けない奴、もっと自立心を持て」と批難したくなる気持ちもあるんだけど、
実は反面、そうやって露骨に弱さを人に見せることのできることが羨ましくもある。
今回のことだって、詳しい人にもっと早く確かめていれば、もっと早く快適な環境が得られたはずなんだから。
だから「自分のことは自分で」な私の性格は、自分の長所である反面、短所でもあるという自覚はある。
目上の人に好かれにくい理由は、その辺にもあるんじゃないかと思ってるしね。

■2002/12/28 (土) アンチ「巨人、大鵬、目玉焼き」

 「巨人、大鵬、目玉焼き世代」というのは私より一回り上の世代。
だけど、私が彼らと同世代だったらきっと「アンチ巨人、大鵬、目玉焼き」になってることは間違いない。

 例えば私はアンチ巨人。アンチになった理由はいろいろある。父が大アンチだったことも理由のひとつ。
だけど最も大きな理由は。小学生の頃、小学館の学習雑誌には野球の記事が載っていました。
その大半は「ガンバレ・ジャイアンツ」。何の疑問も持たずに巨人ファンになるのが普通の子供。
だけど、ひねくれていた私は「なぜ巨人なのか?」という疑問を抱いた。
同級生たちに聞いた。「なぜみんな巨人なのか?」。
大抵はこう言う。「野球ファンの圧倒的多数が巨人ファンだから」。
普通の子供なら「ああ、そうか」と納得するんだろうけど、私はそうはいかない。
「じゃあ、『みんなが好きだから』という理由だけで好きになるのはなぜだ?」。
こう突っ込まれると大半の同級生は黙り込む。逆切れする奴も多かった。
「馬鹿か、そうなんだから仕方ないやろ。お前、みんなが好きなのに巨人が嫌いなのか、仲間はずれー」(笑)。
「みんなが好きだから」という理由だけで何かを好きになる、ということに疑問を持ったのはその時。小1だった。
以降、私はそうした傾向に背を向けることが多くなりました。

 だけど逆に「みんなが好きだから」という理由だけで嫌いになる、というのも同類。
そのことに気がついたのもやはり、小学生の頃でした。「みんなが好きなもの=多数派すべてに反発」というのは、
ロック的でカッコイイことのように思える。だけどその場合も「好き嫌い」を決定する基準は、
「みんなが支持しているか、どうか」ということ。
つまり自分自身の意思、価値観に基づいて「好き嫌い」を判断してるのではない。
主体性などないし「みんなが好きだから好きになる」人と中身は一緒。カッコ悪い。

 というわけで、私は「巨人、大鵬、目玉焼き」的な思考は嫌い。
反面「多数派=すべて悪」というのもまた、好きじゃない。
「好き嫌い」は、自分自身で決めるたい。
人間である以上、「世の中の多数の人がどう思ってるか」ということを完全に無視して、
自分自身の「好き嫌い」を決定するのは難しいけどね。だけど、なるべく冷静に考えるようにはしてるつもり。
でもやっぱり「巨人、大鵬、目玉焼き」的な乗りとは距離を感じる。


      
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