テレビ、芸能

      
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■2004/2/16 イージー・ライダー

 偶然休みで家にいた日の深夜、この映画がテレビで放映されていたので見た。ご存知、バーズやステッペンウルフ、ザ・バンドの曲が使用された、ヒッピー感覚溢れる、あの時代ならではの映画。でもねえ、共感も、感動もなかったし、それほど面白いとは思えなかった。まあ、もともと俺は「ウッドストック」のテキストなんかでも述べてる通り、ヒッピーに共感を覚えないから当然といえば当然だろうし、「あの時代のアメリカを生きていないと分からない」部分もあるんだろうけどね。でも、唯一引き込まれたのが、ピーター・フォンダらがドラッグでラリッて、幻想の世界をさまよってる絵。なんか、ジョンのCold Turkeyの後半の展開、あれを音じゃなく、絵で描写したかのようで、「よくできてるな」とは思った。もちろん、共感はしなかったが。でも、それ以外には特に印象にも残らず。「衝撃のラスト・シーン」といわれるけど、もっと壮絶なのを想像してたので、意外に「あっけない」と思った。なんか、あの時代を体験した人と、そうでない人では評価の分かれそうな映画だなあ、というのが素直な感想。

■2004/3/23 ああ、土曜8時(いかりや長介死去)

  「土曜8時といえば全員集合」、同世代の方の多くがそうだったのではないでしょうか。ところが、私の場合、「土曜8時といえば全員集合」だった時期は、他の同世代のみなさんと比べるととても短かった気がします。ただし、期間は短かったとはいえ、その時期の熱中度と思い入れの強さは、他のみなさんと同じか、ひょっとするとみなさんよりも強いくらいかもしれません。

 以前、この「落書き帳」で「私はこんな番組を見てきた」ってのを書いてたんですが、そこで触れた通り、物心ついた頃から土曜の8時には「全員集合」を見ていた記憶があります。おそらく、昭和46、7年頃でしょう。ところが、昭和47年の秋の番組改正時、フジテレビが土曜8時から「人造人間キカイダー」を、8時半から「デビルマン」を放送するようになり、私はそっちに乗り換えました。ちなみに、当時は7時から「怪傑ライオン丸」、7時半はNET(現テレ朝)にチャンネルを変えて「仮面ライダー」、そして8時からは「キカイダー」「デビルマン」と、私にとって土曜日は「ヒーローもの三昧の日」だったというわけです。しかも私はこれらの番組に夢中だったので、「これを見ると全員集合が見れないよー」などという残念な気持ちも別になかったように思います。とはいえ、この時期のドリフといえば、加藤茶の「ちょっとだけよ」や荒井注の「This is a pen」の全盛期なわけで、幼稚園でもこれらのギャグのことが話題で、幼稚園の中では「ドリフ派」と、「キカイダー&デビルマン派」に分かれていたものです。その後、「キカイダー」の後番組として「キカイダー01」が、「デビルマン」の後には「キューティー・ハニー」や、その他永井豪アニメに変わっていったわけですが、「01」は好きだったけど、「デビルマン」以降の永井豪アニメはあんまりのめり込めなかったので、8時半になったら「全員集合」にチャンネルを変えるというテレビの見方をしてたものです。でも、こんな見方をすると、「全員集合」のメインともいえる前半のコントは見れず、後半のショート・コントとゲストの歌しか見れない状態になってしまうわけで・・・。

 この「土曜8時に子供向け枠」というフジテレビの「打倒全員集合枠」も、昭和49年秋で廃止されたため、以降はちゃんと8時から「全員集合」を見るようになった。とはいえ、ようやく8時から「全員集合」を見れるようになったのも束の間、直後に荒井注の脱退、志村けんの加入というメンバー交代があり、しかも加入直後の志村けんは「滑りまくり」「全く受けない」ギャグ連発でパッとせず、ドリフ自体も「今後どうするのか」手探り状態だったようで、彼らにとっては最もパワーのなかった過渡期。正直、「あんまり面白くない」というのが当時の素直な感想だった。

 ところが、私が小学校2年生になった昭和51年頃から、志村けんが「東村山音頭」で大ブレイク、「グループNo.1のボケ役」の地位が加藤茶から志村に移った頃から、ドリフに、というより「全員集合」に往年の勢いが戻りはじめた、いや、この番組の全盛期を迎えた。いよいよ私も、本格的にこの番組にのめり込む。「東村山音頭」にはじまり、志村が婆さんの格好をしてディスコ調の音楽に合わせて奇声を発しながら踊るダンスとか、「国語算数理科社会」のコントでのデタラメなことわざとか、宮崎美子のCMの物真似とか、いや、よく真似をしたものだし、真似をして遊ぶとよく怒られたもの(笑)。とはいえ、実は父親は大の欽ちゃんファン。ちょうど同時期にフジテレビは再び「打倒全員集合」策を打ち出し、裏で「欽ちゃんのドンとやってみよう」を放送。これを見たがる父と私の間で、激しく、壮絶なチャンネル権争いが繰り広げられることになった(笑)。でも、今よく考えると私が夢中になっていたのは「ドリフターズ」ではなく、「志村けん」だったのではないか、という気もする。その当時、志村けんの面白さは理解していたけど、グループとしてのドリフの面白さを本当に分かっていたとは思えない。だから「全員集合」で連発される志村のギャグには大笑いできても、「大爆笑」などで見れる、純粋なドリフターズのコントには、心の底から笑えてはいなかったような気がするし、「高木ブーや仲本工事って、いてもいなくても同じ」だと本気で思っていた節もある。しかし昭和50年代前半の数年間、私にとって「土曜8時といえば全員集合」という時期が続き、この間は本当に夢中で見ていたものだった。

 そんな熱が冷めたのは昭和55年秋のこと。ある事件がきっかけで、志村けんと仲本工事がしばらく番組を「お休み」した。「志村のいない全員集合なんて」ということで、ちょっとよそのチャンネルに「浮気」してみようとしてつけた番組が、日本テレビの「爆笑ヒット大進撃」。いわゆる漫才ブームで登場した連中や、「お笑いスター誕生」出身者たちが出演する、三波伸介司会の番組。クラスでも漫才ブームが話題になっていたこともあって、「ちょっと見てみようかな」程度の気持ちだった。ところが、私の今まで親しんできたドリフとも、伊東四朗&小松政夫とも全く違う、異質な笑いの世界は私にはあまりに新鮮で鮮烈だった。私はすっかりその魅力にとりつかれ、一気に漫才にのめり込んだ。そして志村が復帰しても、私が「全員集合」に戻ることは二度となかった。中学生になった、翌年の昭和56年からはフジテレビが「打倒全員集合第三弾」として登場させた「ひょうきん族」にのめり込み、この時点で「全員集合」は私にとって「昔夢中になった懐かしい番組」と化してしまった。そう、小学校を卒業すると同時に私は「全員集合」をも卒業したのである。でも、「ひょうきん」って、はじまった当初は人気がなくって、しばらくは「全員集合」の圧勝だったということ、実はつい最近知った。いや、私の周りでは、中学の頃にまだ「全員集合」を見ていた奴なんて、ほんの一握りだったし。

 とはいえ、そうやって「全員集合」を卒業して、はじめて発見したこともあった。それは「ドリフ自体の面白さ」。さっきも述べた通り、「全員集合」に夢中だった頃の私は「ドリフが好き」というよりは、「志村だけが好き」だった。だけど、「全員集合」を卒業した後、「大爆笑」を見てみた。すると志村のギャグ云々じゃなく、ドリフのコント自体が面白い。「大爆笑」では、「全員集合」のように、「お決まりのギャグ」で笑わせるのではなく、純粋にコントで、ネタで笑わせることを売りにしている。その分、過剰に志村だけが前面に出ることはない。そこではじめて私は、ドリフというグループ自体の面白さを知った気がした。実はこのグループの本質は、「全員集合」よりも「大爆笑」からの方がよりはっきりと分かるといえるかもしれない。以降、私は「全員集合」を卒業して「ひょうきん」にのめり込んだにもかかわらず、「大爆笑」は必ず見る習慣がついた。

 80年代末、「全員集合」も終わり、後を追うようにその「打倒」を果たした「ひょうきん」も終わった。以降、「土曜8時」から活気が消えた。型破りな「8時からの子供向け番組枠」、「欽ドン」を見たがる父と繰り広げたチャンネル争い、「全員集合」vs「ひょうきん」・・・。それらの時代とは比べるべくもない、現在の「土曜8時」は寂しい限り。私は今でも土曜の8時にテレビをつけ、あまりにも勢いも、華やかさもない番組ばかりが放送されているのを見るたびに、あの頃が懐かしく思われるとともに、心にポッカリと穴が開いたような寂しい気持ちに襲われる。本当に「未だに」である。あれから15年近く経ったというのに・・・

■2004/3/24 「アドリブ」と「計算」(いかりや長介死去)

  で、昨日の続きだけど、「全員集合」はしっかりとしたシナリオがあり、それに忠実に演じられており、一見アドリブに見えるギャグであっても、実は一字一句事前の稽古の段階で練りに練られた末に生まれたギャグだったとのこと。とにかく、台本と違うことは一切しない、すべては事前のリハーサルで決められた通りに進行する。いわば「計算し尽された笑い」だったといってもよい。

 一方で「ひょうきん」は、敢えてその逆をいくことで、新時代を築いた番組だった。確かに事前に大雑把に進行は決められていたし、もちろん「タケちゃんマン」などのような、ストーリーのあるコーナーにはシナリオも、台本もあった。だけど、出演者もスタッフも、その台本をぶち壊すことにスリルと楽しみを感じていたというし、その壊された台本を書いていた高田文夫らの作家たちも、壊されることを逆に楽しんでいたという。そして、そうやって本番で突発的に生まれたアドリブを見て、私たちも本気で笑っていたわけだし、そうしたギャグが生まれるのを楽しみにして番組を見ていたものである。実は私も「ひょうきん」にはまって以降、「笑いにアドリブは必要不可欠」と信じてきたわけで、「事前に決められた通りに演じるだけの笑いなどスリルも面白味もない」と思っていた。

 だけど「果たしてそうなのかな?」と思いはじめたのは、90年代の半ば頃。この頃から急激にお笑い番組がつまらなくなってしまった。90年代以降のお笑い番組って、大半が「ひょうきん」の路線を踏襲したものだ。つまりアドリブ重視。ただし、「ひょうきん」と決定的に違うのは、「ぶっ壊されるべきシナリオ」が陳腐すぎること、そして「ぶっ壊すシナリオ」すら事前に用意されていない番組も多いこと。「ひょうきん」は、確かに「アドリブ重視」ではあったけど、高田文夫ら才能のある作家の手がけた、最高にクオリティの高いシナリオがちゃんとあった。つまり「アドリブ重視」とはっても、シナリオは確かにあった。しかもそのクオリティは「計算され尽したシナリオ」のあった「全員集合」にも匹敵するほど高い。つまり、なんだかんだいっても、「最初にシナリオありき」だったということ、これは見落とされがちである。ところが、近年はそのシナリオが陳腐すぎる。さらには、「素人いじり」だの、「対決」だの、「ゲスト芸能人いじり」だの、「やってみないとどうなるか分からない」ことを題材にして笑わせる番組、つまりシナリオがないに等しい、アドリブだけのような番組(もちろん事前にリハーサルくらいはあるだろうけど)も多いわけで、こんなものが面白かろうわけがない。ひょっとすると、見ているその瞬間は思いっきり笑える、面白いかもしれないが、数日後、いや数年後、更に数10年後に見返してみて、同じように心の底から笑えるはずはない。

 近年、「ひょうきん」も「全員集合」もDVDボックスが出たそうだけど、見た人の感想は「今見ても充分面白い」というものが多く、リアル・タイム世代じゃない若い人の間からも「面白い」という声が上がっている。果たして近年のお笑い番組のDVDボックスが20年後に出たとして、何人の人が「面白い」というだろうか。きっと誰も言わないんじゃないか。とはいえ、「ひょうきん」のネタのうち、楽屋ネタ、芸人のプライベート・ネタなどのアドリブ性の強いネタに違和感を覚えたという感想も見受けられる。結局、アドリブでは「その瞬間は面白いけど、後で見るとちょっと」という感想しか持てないものなのかもしれない、そのこともまた近年、私が気がついたことである。

 ・・・と、ここまで昨日からいろいろ書いてきたけど、これは言うまでもなく、いかりや長介死去のニュースを聞いて思いついたネタ。世の中では「近年は渋い俳優として」云々と伝えられてるけど、近年のドラマには一切興味のない俺は、そんなことは知らん、興味もない、どうでもいい。いかりや(「長さん」なんて不自然、この呼び捨てが一番自然だろう!)といえば、俺の中では声がでかい上にどすが利いていて、他のメンバーより体格がよくって、いつも他のメンバーを怒鳴り、殴っていた「怖いオヤジ」である。決して渋くなんてない。そう、ある意味「怖いオヤジの代名詞」だったといってもよい。そして演じるのは、ある時は鬼かあちゃん、ある時は怖い学校の先生、ある時は軍隊の怖い隊長、そう、いつも「怖いリーダー」ばかり。そのリーダー・シップでドリフを引っ張ってきた人。いわばドリフの象徴。志村や加藤茶のいないドリフは成り立つことはあっても、彼のいないドリフは絶対に成り立たないと私は思ってる。もはや残った4人で集まってコントをやったとしても、それはドリフではないとまで言いきりたい。「全員集合」終了前後から、志村とは何かと確執があったと聞いている。そのためか、志村はその後、単独で、時には加藤と組んで、ドリフとは一味違う笑いをやろうとしていた時期があった。でも「リハーサルがすべて」「アドリブは排除」という、いかりやの打ち出したポリシー、これだけは守り続けてきたらしい。数年前、偶然見たトーク番組で志村は「最近のテレビは『計算され尽した笑い』が欠如している。時代は求めてはいないんだろうけど、もう一度、そういうものをやってみたい」と、珍しく熱く語っていた。いろいろあったけど、いかりやの「精神」は、この人にも受け継がれているようだ。俺も今、そうした笑いをもう一度見てみたいんだよ。

 でも、この人の死は、今まで直面してきた「有名人の死」の中で、俺の中では1,2を争うほど大きいかもしれない。ジョージ、ジョー・ストラマー、この辺の死よりも身近に感じられる。きっとこの人と共有した時間って、自分が物心ついた頃からだったわけだし、だからこそこんな気分になるんだろう。俺の中での「もう1人の怖いオヤジ」が逝ってしまった、そういっても過言じゃない。

■2004/4/4 もうひとりの「長さん」逝く(「太陽にほえろ」の長さん死去)

 「太陽にほえろ」で長さんこと、野崎太郎刑事を演じた俳優、下川辰平氏が亡くなったとのニュースが。前から何度も書いている通り、父親が裕次郎ファンだった影響で、物心ついた頃からこの番組に親しんできて、物心がついてからもずっとこの番組が大好きだった私にとって、この人の死は実はいかりや長介の死と同等のショッキングな出来事でした。他にも「スクール・ウォーズ」の初代校長とか、自分が親しんでいたドラマにいっぱい出てたしねえ。

 「太陽」がヒットし、後続の刑事ドラマに大きな影響を与え続けた理由って、いくつもある。その日によって「推理もの」にもなる、「アクションもの」にもなる、「人情ドラマ」にもなる、「青春ドラマ」にもなる、そうしたいろんな要素を持っていたこと、それも大きい。だけど、それと同じくらい大きかったのは、「登場する刑事たちが個性的で、キャラクター分け、役割分担がはっきりしていたこと」ではないかと思う。頼り甲斐のあるリーダー、ボス(石原裕次郎)がいて、それをサポートする渋くてキレるベテラン、山さん(露口茂)がいて、若手に兄貴のように慕われる熱血刑事、ゴリさん(竜雷太)がいて、殉職などですぐに入れ替わっていたとはいえ、まだ未熟で成長過程にある新人刑事が常にいた。そして最年長、ベテランだけど山さんのように冷静な推理力はなく、でも地味で、人情派で、いわば他のメンバーにとって「オヤジ」のような存在の長さんがいた。このキャラクター分けが絶妙で、「誰が欠けても番組が成り立たない」といってもよいほどのまとまりがあった。そして、これだけ様々なキャラの刑事がいるからこそ、若手が主役の日は「アクション」が作れる、山さんが主役なら緊迫感のある「推理もの」が作れる、長さんが主役なら「人情もの」が作れる、という環境にあったからこそ、「刑事ドラマの、考え得るすべての要素が詰まった番組」となり、「刑事ドラマの王道」に君臨し続けることができた、私はそう思っている。実際、後続の刑事ドラマの多くが、「頼れる上司がいて、頭のキレるベテランがいて、熱血漢がいて、若手がいて、人情派がいて」というキャラクター設定を打ち出していた。つまり、それほどこの番組が示した「キャラクター分け」は絶妙だったということである。

 とはいえ、個人的には長さんというキャラへの思い入れは、実はあんまり強くないというのもいつわらざる事実。どうしても注目するのは、その時々の若手であり、いるだけで強烈なオーラを発する渋い山さんでありで、この辺が主役のストーリーの方が今でも印象深いし、「太陽」を思い出す時に真っ先に思い浮かぶのも、そうした人たちの活躍ぶりの方である。実際、長さん主演作は少ないし、あったとしても地味な「人情もの」の、悪く言えば「オヤジ臭い」話が多いので、実は印象にもあまり残ってない。だけど、他のメンバー主演の話の中で、目立たないながらも、印象に残るセリフをいっぱい吐いていて、そうした時の存在感は際立っていた。一昨年から昨年にかけて福岡で再放送されていたマカロニ編、ジーパン編の中だけでも、本当にいっぱい。マカロニの死後、彼を殺した犯人は逃亡、事件は迷宮入りしてたんだけど、その犯人を実は山さんがひとりで追っていた・・・というストーリーの「マカロニを殺した奴」という話。「死後も先輩たちに想われている」、そんなマカロニのことを「羨ましい」と口走り、「俺が死んでも・・・」と言いかける、マカロニの後任・ジーパン。その時、突然長さんがぶち切れてジーパンを怒鳴る。このシーンは最高に印象深いものがあった。また、どの話か忘れたが、ボスが珍しく弱音を吐くシーンがあった。その時、普段は控えめな長さんが、「あなたは私の上司だけど、敢えて年長者として言わせて頂きます」と断ってボスを叱咤激励するシーン。さらにマカロニがはじめて犯人(犯人役は沢田研二)を射殺してしまう話「そして愛は終わった」では、犯人射殺後、ショックのあまり半狂乱で号泣するマカロニがすがりついた相手は長さんだった。つまり、一見存在感のない役に見えるし、普段は印象に残らないんだけど、こういう瞬間に「やはりこの人は番組に」なくてはならない人なんだなあと実感したものだ。

 結局、下川辰平氏は番組10周年の年に、「現場を引退、警察学校の先生に転身する」という設定で番組を降板。以降、長さんの担っていた役割は、地位武男演じるトシさんが引き継ぐことになるけど、それなりに味わいのある役ではあったけど、やはり「長さんの抜けた穴は大きい」という感は否めなかった。私がはじめてこの人の存在感を実感したのは、実は降板後だったような気がする。しかし下川氏の亡くなる1日前、もうひとつ「太陽」ファンにはショッキングなニュースが伝わった。番組終了直前の看板刑事、ブルースを演じた又野誠治氏の自殺。正直、彼が登場した頃のこの番組は、既に「晩年」、しかも彼のキャラ、演技、台詞回しはすべて松田優作ソックリ。もともとこの人は「松田優作のソックリさん」として芸能界に現れた人ではあったけど、あまりにも露骨だったので、「ちょっとなあ」と思ってたし、思い入れも強くなかった。しかし、結局「優作のソックリさん」の域を脱せなかったのがネックになったのか、以降ほとんど名前を聞く機会はなかった。ブルース刑事、個人的には印象に残らないキャラだったけど、最終回のストーリーが、ブルースあわや殉職→突然復帰したボス(一時退院した裕次郎氏、直後に死去)のおかげで九死に一生、という話だっただけに、それを思うと悲しい。そういえばブルースって、「警察学校時代は先生になった長さんの教え子だった」って設定だったよなあ・・・。

 ドリフ、「太陽」、子供の頃に夢中になったこれらの番組、そこに登場する人たちは、当時小学生だった私にとってヒーローだった。「太陽」の刑事たちも、決して「所詮芝居の中のキャラクターだろう」とは思えないほど身近な存在だった。そうした人たちの相次ぐ死去、これからはこんなニュースを耳にする機会がもっと増えていくんだろうなあ・・・。

■2004/10/2 映画「バックビート」鑑賞

 先日書いた通り、福岡ローカル局で深夜に放送されていたので、ビデオに録画して見た。まあ、公開された1993年には既に年季の入った中級レベルのビートルズ・ファンになっていた私だけど、サントラは買ったものの、映画館に見に行くことはしなかったし、これまでもレンタルなどでも一度も見たことのなかった映画。だけど当然、ネット上をはじめとして、あちこちで多くの人のこの映画の感想を読んでいたから、どういう内容だかは大体想像してた。確かに多くの人の言う通り、ジョン役とポール役、結構特徴を掴んでいて、とてもよかったと思う。セリフとかも「いかにもこのふたりが言い出しそうだなあ」と思えるような内容だし、キャラクターも完璧でしょう。「ポールがいやな奴っぽく描かれているのが不満」って人も多いけど、でも私的には「確かにこんな感じだったに違いない」って頷けるけどなあ。それに別に「いやな奴」っていう風にも映らなかった。普通、成功を夢見てバンドをやってるのに、足を引っ張る奴がいて、しかもそいつと特別仲がよいってわけじゃなかったら、あの反応はごく自然で、普通だと思うけど。それにしても「ビートルズ・ストーリー」云々と切り離しても、とてもよくできた映画だと思った。とにかく、想像以上によかったという感想を持った。まあ、「トニー・シェリダンとのセッションは1960年じゃなく、1961年だろうが!」とか、「スチュが亡くなった時点では、まだEMIとの正式契約すら決まってなかったのに、なぜ亡くなった当日、スチュがビートルズのデビュー・シングルを持ってるシーンがあるんだ?」などと、事実と違ってる部分はあるけど、それは「事実をもとにしたフィクション」と考えて大目に見てあげられるレベルだと思う。

■2005/1/3 大晦日のビデオ鑑賞

 大晦日はテレビは一切見ずにレンタルでビデオを借りて鑑賞。実は地元に帰って以降、レンタル店に足を運んだのははじめて。当然、会員証も新規作成。とはいえ、某有名全国チェーン店なので、「どこへ行っても使えるだろう」ってのもあるから、これから先も行く、行かないは別にして、作っておいて損はないだろうと。で、借りたのは以下の2作品。「映画を見る」習慣のない私、そんな私が珍しく借りた映画は、やはりロック絡みでした。以下、ネタバレありなので、「まだ見てないけど、いずれ見てみたい、それまではストーリーを知りたくない」という人は読まないで下さい。

■ 爆裂都市(バーストシティ、1982、日本)

 「狂い咲きサンダーロード」でお馴染み、バイオレンス映画の監督である石井聰互の手がけた作品。といっても、私の関心は主演がロッカーズ時代の陣内孝則、そして映画の中でルースターズとロッカーズの混成バンド、バトルロッカーズが結成されていて、その演奏シーンが楽しめるということ、その1点のみ。今や「ダサめのトレンディ俳優」と化した陣内だけど、この頃は殺気立った目つきをしていて、今よりずっとスリムでカッコイイ。そしてバトルロッカーズのリーダー、フライング風戸を演じる大江慎也の存在感。虚ろな目つき、無表情、棒読みで無感情なセリフ、なのに異様なオーラを発していて、やっぱりこの人って普通じゃない。ロッカーズの陣内、鶴川仁美、ルースターズの大江、池畑潤二、全員「コテコテの九州訛り」なのも嬉しい。いや、バトルロッカーズに関しては文句なくカッコイイ。ビートルズの写真を踏みつけてステージに上がるシーンとか、本当に鳥肌ものだし。

 とはいえ、全編暴動と乱闘のシーンばかりで、ストーリーらしいストーリーもなく、登場人物のセリフも少なく、しかも聞き取れないようなぼそぼそとしたしゃべり方なので、「何を言ってるか分からん」シーンも多い。はっきりいえば、ストーリーなんてどうでもよくって、単に暴動と乱闘を見せたいだけ、そんな映画なんだと思う。まあ、正直「面白い」ってものではない。でも、登場人物がすごい。本当に「逝って」しまっている「キ●ガイ兄弟」なんてのも登場、その弟を演じるのが当時はパンク・バンド、「イヌ」のリーダー、今や作家先生の町田町蔵で、この人の壊れ方も強烈。そしてバトルロッカーズのライバル・バンド、マッドスターリンを演じているのが、ステージ上で放尿、豚の生首や臓物を観客に投げつけるパフォーマンスで有名な遠藤ミチロウ率いるカルト・バンドのスターリン。他にも泉谷しげ・とか、上田馬之介とか、コント赤信号(懐かしの「アニキー」ってネタも登場)とか、「ロックな」人だらけだから、全体にロックな空気が充満してて、ようするに、その「雰囲気を楽しむ映画」なのかな。個人的には「目茶苦茶すぎる」って感じで、決して支持したい映画でもないけど、面白いシーンはそれなりにあったし、「一度見ておいてよかった」というのが正直なところ。

■ さらば青春の光(1979、イギリス)

 実はこれ、今まで見たことがありませんでした。いうまでもない、ザ・フーの「四重人格」をストーリー化したもの。うちのサイトを見ている人で、この映画を見てない人は少ないかもしれないから、敢えて詳しい解説は省略。で、とりあえず率直な感想。うーん、もっと若いうちに見ていれば、いろいろ感じるものがあったのかな。多くの人がいう通り、モッズの生態を描いていて、でも、後半、主人公のジミーが描いていたモッズへの幻想は次々と壊れていき、そんな中で絶望を感じて、最後にはモッズであること=少年時代から卒業する、そんなジミーの心の揺れと絶望感を描いた作品。いわば、「誰もが少年時代に味わう感覚」をストーリー化してるわけで、誰もが共感できる内容といえる。でも、既に年をとってしまった今の私は、あまりジミーに感情移入することができなかった。前半の「モッズの生態」を描いてる部分は、モッズに疎くて、モッズ的思考とはかけ離れた性格の私には「いつまで続くんだ?」っていう感じだし、後半の「追いつめられていくジミー」を見ても、気持ちは理解できるものの、「ああ、馬鹿だよ、お前は」って、どうしても冷めた視線を送ってしまって。おそらく、20代前半くらいの人が一番、ジミーに共感できて、この映画に感情移入できるのかもしれないと思う。そして一緒に少年時代を卒業して大人になれる、そういう見方ができる世代の人、そういう人が見ると一番共感できるはず。

 ただ、この映画を見て「モッズってカッコイイな」と短絡的に盛り上がる人もいるみたいだけど、むしろここでは、モッズって、「ファッション=幻想に過ぎない」「いずれ卒業しなければならない」っていう感じで、否定的に描かれていると思う。「俺たちはモッズじゃなかった」って公言してはばからないピートが、大元のコンセプトを作っているので、当然といえば当然だろうけど。ちなみにラストシーン、スクーターに乗って断崖絶壁を走るジミー、その後、スクーターは海に落ちるわけだけど、「ジミーは身投げした」という解釈、「ジミーはスクーターだけを海に捨てて、モッズから卒業したんだ」という解釈とに分かれてるけど、私はやっぱり、後者を支持したい。いや、単に「崖下に叩き付けられているのがスクーターだけだから」っていう物理的な面からだけでなく、「ジミーの心の動き」を追っていけば、そう解釈するのが一番自然に思えるから。いずれにしても、「もっと早く見ておきべきだった」と思う。私にはこの映画より、アルバムの方がずっと心に響いてくるものがある。ストーリーは賛否両論あるけど、思ってた以上によくできた映画だと思った。ザ・フーを知らない人だって、純粋に青春映画として見れるかも。

■2005/2/22 公共放送、国営放送、一体何様?

  私は週の初めに、必ずYahoo!テレビで1週間のテレビの番組表をチェックする習慣がある。「最早今のテレビは面白くない」とは思っていても、時々、深夜とか土日の昼などに唐突に自分の興味のありそうな番組が放送されることがあるので、それらをフォローしたいという想い、そしてスポーツ中継はないかな?という想い、その2つからの行動なんだけど。で、もう数週間前の話になるんだけど、そうやってチェックしていた時、土曜日の昼間にラグビーの日本選手権の中継がNHKであることを知った。ちょうど休みだったので「よし、見よう」と思ってた。ところが、当日新聞のテレビ欄を見ると、なぜかその中継は行われないことになっており、しかも深夜の「録画中継」だけに。不審に思っていたところ、その「生中継中止」の理由が、「審判が朝日新聞のロゴの入ったジャージを着ることが決まったので、公共放送たるNHKが特定企業の広告の入ったロゴを映すのはいかがなものかということになり、生中継が中止された」という事実を知った。しかもそのことに対し、NHKはラグビー協会に抗議したと。そのことを知った瞬間の私の感想。NHKって一体何様なんだ? はっきり言って「自社の都合」による放送中止、普通の企業なら周囲にお詫びするのが先なのに、そんな素振りも全く無しに、「ラグビー協会が悪い」と言わんばかりの高圧的な態度。本当に何様なんだ?

 もちろん、NHKの「企業名、ブランド名は出さない」という体質は誰もが知っていること。小学生の頃、「レッツゴー・ヤング」に出演した山口百恵が「プレイバック・パート2」を歌う際、「真っ赤なポルシェ」とは歌わず、「真っ赤な車」と歌うことに違和感を覚えた、そのことがそれに気がついた最初の事例。以降も同じく「レッツゴー・ヤング」のサンデーズの中からデビューした松田聖子が、デビューから3曲連続してCMタイアップ曲だったことから、同番組でヒットシングル曲を歌えないという事態もあった。さらに社会人野球の最高峰、都市対抗野球の中継でも、両チームの企業名よりも都市名の方を大きく報じたり、サッカーの「ヤマザキ・ナビスコ・カップ」のことを「Jリーグ・カップ」と報じたりと、疑問や違和感を抱く機会は多かった。だけど、これだけならまだ「まあ、そういう放送局だからなあ」と割り切ることもできないこともない。ただ、その基準が曖昧であること、そしてその時その時で対応がまちまちだったりすること、そのことに対する疑問や違和感の方がもっと大きかった。例えば、都市対抗野球で「松下電器」とか、「住友金属」などとチーム名を報じることには消極的なのに、Jリーグ発足前の日本リーグ時代のサッカー中継では「読売クラブ」「日産自動車」などと普通に企業名を連呼していた。バレーボールでも同様。そしてプロ野球。「ロッテ対日本ハム」って、もろ企業名だろう? なぜこっちはOKなのか? ゴルフの「太平洋クラブマスターズ・ゴルフ」などのスポンサー名の入っている大会も普通に報じられている。ヤマザキ・ナビスコ・カップとどこが違うのか? はっきり言って意味不明。「どこからどこまでが駄目で、どこからどこまでがOKなのか?」の基準は何? 決めているのは誰? 仮にも「公共放送」を名乗り、視聴者から受信料なるものを徴集している放送局である。いわば視聴者はスポンサーである。そのスポンサーに対し、そのことを説明し、明確な基準を示すことは当然の義務ではないのか? それを怠っていること、それはただの怠慢&傲慢だと思う。

 しかも今回の件。別に「朝日新聞カップ・ラグビー選手権」などと大会名が変更になったわけではない。単に審判がロゴ入りのジャージを着ているだけである。それが「画面に映るのはまずい」ってあまりにもアホらしい。普通に町の風景を撮影した映像を流しても、そこには街中に溢れている企業名の書かれた広告塔や看板が映ってしまう。また、同じくスポーツの大会の中継でも、競技場や球場、体育館には企業名の書かれた看板や旗、横断幕で溢れている。それを避けて放送するのは絶対不可能である。それとも「朝日新聞」だから駄目なのか? じゃあ、もう高校野球の中継も二度とできないというわけだ。でも、当然そんなことはない。今までもそれらは普通に流れていた。今回の件だって、それらのケースと何ら変わりはない。それなのに「ラグビー協会に抗議」、しかも、視聴者のことなどお構いなしに「放送中止」というんだから、本当に何度も言うけど、「あんたら、一体何様?」って気分である。結局、視聴者からの抗議が殺到して生中継は普通に行われたらしいけど、奴等の言い分、「悪いのはラグビー協会だ」って姿勢は一向に変わらず、最後はラグビー協会の方が謝罪したというんだから、信じられない。明らかに非はNHKにあるはずなのに。本当にアンタら、何様なんだよ。謝罪するのはアンタらの方だよ。民放の番組がくだらないものばかりになり、「頼みはNHKだけ」と思ってきたこの数年、実際、2年ほど前にそんなことも書いたと思う。でも、前言撤回。こんな高圧的な放送局など民放以下だ。「番組の内容が云々」以前のレベルで、この局には失望させられた。最終的には「勝手にロゴを入れたラグビー協会が悪い」ということで収まったようだから「朝日新聞」の看板が乱立、バックスクリーンに旗まで立てられる夏の高校野球の中継もNHKでは行われることは当然、常識的に考えれば、二度とないはずである。まさか、放送されるなんてことはないよな。

■2005/12/06 スウィング・ガールズ

去年ヒットした映画。多くの音楽サイトの管理人が公開当時、大絶賛していたし、中には「2004年の音楽10大ニュース」に挙げてる人もいたほど。私が突然ジャズに興味を持ったのも、行きつけのサイトの管理人の方が、この映画に感動して、ジャズにはまったのに影響されてのこと。ということでこの映画、11月5日に「ゴールデン洋画劇場」枠でテレビ放映されていたので、「どれ、本当に面白いのか」ってんで見てみた。確かに面白い映画だとは思った。楽しく、乗りのよい映画。でも私には「音楽映画」というより、「青春コメディ映画」という風に映った。「音楽」はみんなで集まって盛り上がるための「手段」、つまり「高校球児の物語」における「野球」、「暴走族の物語」における「バイク」、「相撲部の物語」における「相撲」、「ボート部の物語」における「ボート」のようなもの。つまり、「音楽を題材にした映画」という印象はあまり持てなかった。確かに楽しい映画ではあるけど、「これをきっかけに楽器をやってみたくなる」とか、「ジャズをもっと聴きたくなる」とかといった、「音楽的行動への欲求」を駆り立てる類の映画ではないな、というのが私の感想だった。

■2005/12/06 本田美奈子死去

 思い入れはない。でも、同世代(私より1歳上)で、なおかつ、私の青春時代に活躍したアイドルの他界。ということで、とてもショッキングな出来事だった。年配のタレントが亡くなったのとは違った種類のショック。リアル・タイムでは彼女には思い入れはなかった。時代はおニャン子全盛。スター然とした人よりも、身近で素人臭いアイドルが好まれた時代だった。そんな中にあって、一際高いプロフェッショナルとしてのプライドを持った人だったから、「生意気」と映った。パフォーマンスや衣裳は「マドンナのパクリ」と映った。後で知ったことだけど、ブライアン・メイやゲイリー・ムーアの作品を歌っていたというのも驚きの事実だった。確かに、あの時点においては「時代に合わない」ちょっと浮いたアイドルだった。でも、あのプロ意識の高さ、今思えば周りの連中とはどこか違った雰囲気を持った人だったんだなあとプラスに捉えることができる。また、あの高いプロ意識があったからこそ、後年、舞台などで際立った活躍ができたんだろうと思う。自分自身が闘病中の出来事だっただけに、思い入れはそれほどではなかったとはいえ、同世代の人の他界はショッキングな出来事だった。


      
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