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■2010/3/2 1年B組新八先生 つい先日まで、ケーブルテレビで視聴できるTBSチャンネルで「1年B組新八先生」が放送されていたので、第1回から最終回までのすべてを見た。本放送は昭和55年、前年に「きみの朝」を大ヒットさせたシンガー・ソングライターの岸田智史が主演の、いわゆる「桜中学シリーズ」のドラマ。「桜中学シリーズ」といえば、なんといってもいちばん有名なのは「金八」ということになるんだろう。この「新八」が放送されたのは、たのきんや三原純子が生徒役として出演、杉田かおるの「18歳の母」が話題になった「金八」の第1シリーズと、「腐ったみかん」の加藤による「卒業式前の暴力」が今や伝説と化している「金八」の第2シリーズのちょうど間。つまり「場つなぎ」的に放送された番組だったし、生徒役の中から後にスターになる人もいなかったこともあり(一応、後に欽どこで見栄晴になる藤本正則はいるけど、この番組がきっかけでブレイクしたわけじゃない)、後年話題にされることも少なく、再放送もほとんどなく、しかも「桜中学シリーズで最も地味な番組だった」とされることも多かった。私自身も、リアル・タイム放送時は裏番組の「太陽にほえろ」を見ていたし、再放送されたときも一度も見たことがなく・・・。よって、今回が初の視聴だった。
しかし、やれ「地味だ」「生徒役から有名人も出ていない」「金八や仙八(さとう宗幸主演)のような大事件も起こらない」という世間の評判に反し、想像以上に面白かった。確かに大きな事件は起こらない。起こる事件は「思春期ならでは」と思われる、ほのかな異性への想いとか、勉強することに関する疑問とか、今思えば甘酸っぱくすら思わせるような問題ばかり。リアル・タイム放送時、私は小学校6年だったから、今の「41歳の目線」ではなく、「生徒と同世代」という目線で見る分、生徒に感情移入してしまう。新八先生も、大学を卒業して教師になったばかりという設定だから、一緒に悩み、考え込み、生徒にぶつかっていきつつ事件を解決していく。やたら泥臭く、汗臭く、説教臭いところが鼻につく金八先生と大きく異なり、「爽やか青年」という感じで好感が持てる。その新八と、副担任の産休先生(宝塚出身の遥くららが演じる)とのほのかな恋もいい感じだし。確かに大きな事件が起こらないから、全然センセーショナルではないけど、校内暴力や受験といった重苦しい話題も少ないし、説教臭くないので「爽やかな学園もの」といった感じで、「安心して見ていられる」といった感じ。個人的には「金八」よりもずっと好感度が高かった。
また、生徒役から後に大スターになった人がいない分、「極端に目立つ生徒」もいない。よって、「生徒が地味」といえなくもないけど、その分「普通の中学生」という印象で悪くない。入学式以降登校拒否だった山本文夫を演じていた無名の俳優と、新八に、少女らしいほのかな恋心を抱いていた女生徒を演じた牛原千恵が個人的には印象に残った。特に後者の牛原千恵って人は、新八の後もしばらく地味ながら女優を続けていた人のようで、先日までホームドラマ・チャンネルで放送されていた「私鉄沿線97分署」で、時任三郎演じる片山刑事が真犯人と知らずに恋してしまう予備校生の役を演じていたことを思い出した。その時も「なんか、いい感じだな」と思ったもの。大スターはいないけど、他にも「いいキャラだな」と思った生徒役多数。はじめて視聴したけど、世間一般の評価に反していいドラマだったなと思ったし、爽やかな後味を残してくれた。
■2010/3/20 必殺三昧 ケーブルテレビ視聴が可能になって以降、どのチャンネルでもやたら「必殺シリーズ」が放送されている。中学生の頃からずっと、このシリーズが大好きだった。はじめて見たのは、リアル・タイムで放送されていた「必殺仕事人III」だったと思う。もちろん、はまるきっかけはこの番組ではあったけど、同時に福岡県のテレ朝系放送局のKBCでは、平日の昼の3時から「必殺再放送枠」があって、ここで初期の作品の大半を見てきた。そして、当時リアルタイムで放送されていた、ちょっとバラエティ乗りの入った後期の作品よりも、初期のアウトローでダークな作品の方に強く引かれていくことによって、このシリーズのファンになった。その再放送枠は、その後10年近くあったので、この時期に大半の作品はひととおり見ることが出来た。でも、近年は地上波での再放送がほとんどなかった。それなだけに、ケーブルテレビ加入直後、あちこちのチャンネルで久々に同シリーズを見ることが出来るようになり、嬉しくって仕方なかったんだけど、あまりにもしょっちゅう放送されているので、最近は食傷気味になってきた。とはいえ「初見」のものもあり、「今見ると当時よりも面白く感じられた」ものも多くあった。
まず「必殺橋掛人」。これは昭和60年、私が高校生の頃の放送なので、後期の作品ということになるけど、実はリアル・タイムでは見ていなかった。この頃は既に再放送枠で多くの「初期」の作品を見てしまっていたので、リアル・タイムで放送されていたバラエティ色の濃い「後期」作品に嫌悪感を覚えて、「見たり、見なかったり」の状態になっていた。なので、リアル・タイムでやっていたにもかかわらず、今回が「初見」だった。主演は、何度も「必殺シリーズ」で「やられ役」「悪役」として登場していた津川雅彦。彼が表の顔は担ぎ呉服屋という、反物を使った殺し屋を演じている。普段は家で娘や、年の離れた後妻に翻弄される駄目なオヤジ、だけど夜は凄みのある殺し屋に・・・、という設定は、先日亡くなった藤田まこと演じる中村主水に似ているけど、やはり俳優としての格は津川の方が遥かに上だから、その「二つの顔」のギャップの演じ分けが上手くって、とても魅力的なキャラクター。反物を使った殺し技は「手が込みすぎている」気はするけど・・・。BGMも「仕業人」などの初期作品からの、ちょっとダークなものが流用されていたり(特に津川の殺しの際のBGMは名曲)、仕事の時以外は、ほとんど仲間と交わることのないドライな関係も「プロフェッショナル」という感じだし・・・。「後期」の作品にしては重厚で、意外と良い作品だった。
もうひとつ、「必殺必中仕事屋稼業」。こちらは昭和50年の作品なので、初期の作品。私は先に述べた「再放送枠」で高校生くらいの頃に見た記憶がある。でも、その頃見た時の印象はあまりよくなかったし、思い入れもあまり持てない作品だと思ったので、あまり記憶に残っておらず、きちんと見たのは今回が初めてだった。主演は緒形拳で、その相棒が林隆三。2人は博打が大好きな遊び人で、まるで博打のような感覚で、草笛光子演じる女元締めの依頼で殺し屋をやってる。なので、他の必殺シリーズのメンバーのようなプロ意識はゼロ、決して強くもなく、技も華麗なところがまるでない、歴代最も素人臭い殺し屋といえるかもしれない。ストーリーも同シリーズのお約束、「メンバーの誰かが知り合った人が事件に巻き込まれて殺される→死ぬ間際に仕事を依頼される→華麗な技で殺す」というものもほとんどない。だから「必殺っぽくない」「地味だ」と感じられて、高校生の頃に再放送で見た頃ははまれなかったのかもしれない。でも、今見ると「いつもストーリーの展開が違う」し、「相手を仕留めるのに手こずる」、時には「殺す相手が誰なのかも分からない」話もあるし、「プロ意識が低いから感情に流されて平気で掟を破る」こともあるし・・・、なので、「今日はどうなるんだろう」というストーリーばかりで、思わず引き込まれた。また、被害者や悪人の人間性や生い立ちなどがディープに描かれた話も多いので、純粋な「人間ドラマ」として楽しめる回もあった。なので「必殺シリーズ」として見ると、「異色作」だけど、純粋な時代劇、ドラマとして見ると意外と面白かった。一部の人の言うような「最高傑作」とは思わないけど、「異色作」だったし、楽しめた。
4月以降は、また「必殺シリーズ」の放送が増えるらしい。なんだかんだで近年は地上波で見る機会が少なかった分、20年以上見ていない作品もあるから、「枠が多すぎて食傷気味」である一方で、楽しみでもある。
■2010/3/27 時には根性論も必要?(巨人の星) 70年代の「スポ根アニメ」はリアルタイムでこそ見ていないけど、小学生の頃に頻繁に再放送されていたから、その大半は再放送で見てきた。個人的には「タイガーマスク」や「あしたのジョー」は「スポーツもの」「根性もの」云々以前に、純粋にストーリーやキャラクターも好きで、結構はまって見ていた。というか、この2作品は、そんなに根性ものっぽくはなくって、大人向けの人間ドラマとして見ることも出来る。「侍ジャイアンツ」は、ちょっと笑い飛ばしつつも、やはりそれなりに好きだったもの。でも、何度も何度も繰り返し再放送で見てきたけど、なんとなく好きになれなかったのが「巨人の星」だった。「大嫌いな巨人を美化しすぎている」「主人公をはじめ、登場人物が全員ワガママすぎてスポーツマンらしくない」「感情表現や描写が大袈裟すぎて寒い」「過剰に根性やスパルタを賛美する姿勢が嫌い」しかも「見ていて笑えない」・・・・。そんなこんなでストーリーは大雑把には覚えていたものの、もう35,6年は見ていなかった。それが先日、ケーブルテレビのアニメのチャンネルで「劇場版一挙放送」ということで、テレビ放映されたアニメを編集して作られた「映画版」を放送していたので、本当に久々に見た。
しかし、40歳を過ぎた今の私の目にも、小学生の頃感じたのと同じ印象しか残らなかった。過剰なスパルタと根性論の押し付けは見ていて息苦しいし、「俺は猛烈に感動している」だの、「キレイな夕日だ」などという、今ではコントかパロディのネタにされそうな聞いていて寒くなりそうな台詞を大真面目に吐いていたり、すぐに絶叫しながら男泣きするする様や、突然目から炎が飛び出したり、背後から虎が現れて襲い掛かってきたりという大袈裟な描写は、過剰すぎて最早笑いすら出てこないし。何より、主人公をはじめ、登場人物が全員自信過剰でワガママすぎる。「魔球を生み出す」為に勝手に合宿を抜け出して山に篭る、スランプになったら失踪する星飛雄馬、魔球を打ち崩すために命がけの特訓を試みて、その結果重傷を負い長期戦線離脱する花形・・・。チームワークを乱し、チームに迷惑をかけ、チームを蔑ろにする姿勢はプロとして失格。特にあの、管理野球の元祖でもあり、自分の意のままにならないならない選手やコーチ、時にはOBですら「反乱分子」とみなして切り捨てる、そんなV9時代の川上監督が星のような選手を許すはずもなく・・・。いくら「これはフィクションで」と言っても、「あんまり」だと思う。とにかく、久々に見たけど全く印象が変わらなかった。「侍ジャイアンツ」の場合は、久々に見たら「笑える」部分はあったんだけど、こちらは「笑う」ことすら出来なかった。つまり「昔のテレビ番組好きの私」の立場から見ると、感心しなかった。
ただ「昔、プロ野球が好きだった私」という目線で見ると、ちょっと違った想いも・・・。確かに登場人物の態度、発言は「スポーツマンとして失格」ではあるけど、「野球の為に命すら懸ける」気持ち自体は、全否定されるものではないんじゃないかと。今のプロ野球がつまらなくなった理由は、確かに以前から書いている通り「不正行為としか思えないクライマックスシリーズを受け入れがたいこと」「FAで選手の移籍が多すぎること」の2点に尽きるけど、選手の野球に対する姿勢にも違和感を感じていたりする。「完封ペースで好投していても、100球を超えたからとかの理由をつけて自ら降板を申し出る」ピッチャー、「怪我をしてはいけないからといって、スライディングやダイビング・キャッチを故意に避ける」野手、今のプロ野球では決して珍しくはない。ただ、それって「全力プレーをしていない」「手を抜いている」と映る。「プロだから、仕事だから、体に気を遣って仕事をする」のが、果たしてプロなのか? 私にはそうは思えない。別に「巨人の星」のキャラクターのように、命がけで特訓しろとまでは言わないけど、(私も伝説でしか知らないけど)かつて村山実が「魂をこめて投げた、たった1球を『ボール』と判定されたことに涙を流しながら審判に抗議した」ように、もっと熱く、真剣に、魂をこめてプレーする姿勢が欲しいと思う。個人的には「根性論」って決して好きではない方だけど、今の「腑抜け」だらけの日本のプロ野球には、時には根性や闘魂も必要なんじゃないかと思う。
■2010/4/4 最初で最後の連続テレビ小説?(ちゅらさん) 以前ここで「私はこんな番組は見なかった」などというものを書いて、その中で「NHKの連続テレビ小説は一度も見たことがない」と述べた。「なぜ見なかったのか?」はリンク先にも書いている通り、「見ないと非国民」とでも言いたげなノリが嫌いだったということ、家にいない時間に放送されるので見ることが出来ないこと、「たった15分の番組を半年も見続けることが大変」という想いがあったこと等・・・。とはいえ、あらすじを聞いてちょっとだけ興味を持ったもの、主演女優が「いい感じ」だからという理由で興味を持ったものも過去に何本かあったのも事実。そんな中で終了後、1年ほど経って「機会があったら見てみたいなあ」と思っていたのが、2001年の上半期に放映されて超高視聴率を誇った「ちゅらさん」だった。主演女優の国仲涼子に対して「特別美人というわけではないけど、ピュアで明るい笑顔がいいな」と好感を抱いたことが、興味を持ったきっかけだった。放映当初から、街の中や電車の中吊り広告などでその笑顔を目にする機会もあったし・・・。
その「ちゅらさん」がケーブル局のひとつ、「チャンネル銀河」で昨年から放映されていた。「毎日15分の1話ずつ放映」だと見続けるのは厳しいけど、今回は「週1回、6話まとめて放映」ということで、私にも見やすかったので「どれ、ちょっと見てみるか」くらいの軽い気持ちで見始めた。とはいえ、ストーリーは「沖縄に住むヒロインが、小学生の頃に東京から来た少年と交わした結婚の約束を成人しても一途に信じ続け、東京で偶然再会して、遂には約束どおり結婚してしまう」という、まるで少女マンガか少女向けメルヘン小説のような陳腐なものだったので、あんまり期待はしていなかった。得てしてこういうストーリーのドラマは「あり得ない、クサすぎる台詞やシーンの連続で寒い」か、または「ドロドロの愛憎劇が展開する」か、そうでなければ「視聴者に感動や涙を強要するような押しつげがましさが鼻につく」かの、いずれかのものが大半で、個人的には苦手な世界。だから「何回か見て面白くなければ見るのをやめればいいだけだし」と思っていた。ところが、私の予想は大きく覆され、見事にはまってしまった。
まず主演の国仲涼子だけでなく、脇を固めるメンバーも個性的で魅力的。90年代以降のドラマには「主役と、その周辺の主要な登場人物4,5人だけはキャラクターがはっきりしているけど、それ以外は空気のような存在」だったりするものが多いけど、このドラマに登場する人物は全員が個性的でキャラが立っている。個人的には父親を演じた堺正章、馬鹿でお調子者の兄を演じたガレッジセールのゴリ、冷たいフリをしつつも、実はユニークで優しいメルヘン小説家を演じた菅野美穂のキャラがよくって、毎回笑わされるやら、感動させられるやら・・・。特にビックリしたのが菅野美穂。21世紀以降は地上波テレビ、特にドラマは全く見なくなったとはいえ、この人って「主役級のヒロインばかり演じている人」というイメージを持ってたんだけど、こんな風変わりな引き立て役キャラクターも演じることが出来るなんて、実は演技派なんだなと。そうやって脇キャラクターにまで感情移入して見ることもできる。主人公を中心にしたあらすじだけ見れば「純愛ドラマ」なんかもしれないけど、見方を変えれば「コメディ」としても、「家族ものホームドラマ」としても、「友情ものドラマ」としても、本当に様々な楽しみ方が出来る。このあたりも人気の理由だろう。
そしてストーリー展開、演出、登場人物の台詞など、大袈裟で力の入ったところがまるでないので、ごく自然にドラマの世界に入っていける。とにかく、自然体で、押し付けがましくなく、ちょっと言葉は変だけど「さりげない」感じ。なので、例えば感動させるようなシーンを見ていても、知らないうちに自然に引き込まれ、共感させられる。無理やり「泣け」とばかりに、感動を押し付けてくるドラマもあるけど、そういう押し付けがましさが皆無。この「さりげなさ」こそが、人気の秘密なんだろう。朝から「感動を押し付けられる」よりは、「さりげない、爽やかな感動」をもらった方が気持ちよく一日を過ごせるだろうから。「ひとりも根っからの悪い人が出てこない」など、「綺麗ごと過ぎる」ととれないところもないわけではない。でも、そういうところでも全く「わざとらしい」感じがしない。例えば「サザエさん」も同じような世界だけど、あれを見て「わざとらしい」と思う人がいないのと似通っているんじゃないかと・・・。「さりげない」けど「気がついたら引きつけられる」そんな感じ。ちょっと上手く言葉で言い表せないけど・・・。
後半、突然難病になったり、息子が対人恐怖症になったりするあたりは「ちょっと蛇足かな」という気はするし、2人が結婚するところまではグングン盛り上がっていくけど、それ以降はパワーダウン気味というのも正直な感想。「半年引っ張らなきゃいけない」という裏事情を思えば、仕方ないのかなという気はする。ただ、登場人物のキャラが立っている分、「グタグタ」とまではなっていないし、退屈することは全くなかった。
とにかく、最大の魅力は「さりげなさ」「爽やかさ」。私も「個人的には苦手なタイプのストーリー」のはずなのに、嫌味に感じることも一度もなく、爽やかな気持ちにさせられた。それでいてキャラクターに感情移入して、感動したり、笑ったりで、本当に楽しかった。最終回まで見終わった後も「爽やかな感動」と「楽しい時間を過ごした」という満足感が残った。沖縄には一度も行ったことがないけど、積極的に「行ってみたい」と思ったことは一度もなかった。だけど、機会があればぜひ行ってみたいと思う。正直、小浜島のような離島に行くのは気が引けるが、せめて那覇くらいには近いうちに訪問したいと思った。
■2010/5/16 オヨビでないドラマ(オヨビでない奴) ケーブルテレビで視聴できるTBSチャンネルで「オヨビでない奴」という、1987年10月〜1988年3月に放送されていたドラマが放映中。当時の私は19歳の浪人生で受験を控えている時期だったからテレビはあまり見ていなかったけど、この番組は夜7時からの30分番組。夕食が終わって、ちょっと一息ついている時間帯の番組だったので欠かさず見ていた記憶がある。主演は子役出身でアイドル俳優として売り出し中だった当時15歳の高橋良明。アイドル・ドラマ、しかも自分より年下の男性アイドルのドラマなんて、本来であれば私には無縁のドラマのはずだけど・・・。
彼が演じるのは「日本一軽薄で無責任」な中学生、そして彼には同じく「軽薄で無責任」な父親=所ジョージと祖父=植木等がいる。「3代揃って軽薄で無責任」な親子というわけ。私は1968年生まれなので、植木等やクレイジー・キャッツの全盛期を全く知らない。私よりひとまわり上の世代の人たちは「植木等は最高に面白かった、ドリフより上」とやたらもてはやすから、「どれくらい面白いんだろう?」「見れるものなら見てみたい」と常々思っていた。1980年代の植木等といえばドラマで渋いオヤジや頑固爺さんの役をやっている俳優というイメージしかなく、「お笑いをやっている植木等」を見たことがなかった。だけど、この「オヨビでない奴」で演じる祖父は、1960年代に彼がクレイジー映画で演じていた「無責任サラリーマン」がそのまま年をたっとようなキャラクター。ドラマの中でも往年のクレイジーのヒット曲を歌ったり、「お呼びでない」をはじめとした往年のギャグを連発したりで・・・。つまり、私はこのドラマではじめて往年の植木等のギャグやヒット曲、軽薄で無責任なキャラクターに触れたというわけ。「ひょうきん族」をはじめとした、アドリブや内輪ネタ中心の笑いが主流だった80年代、植木等の存在そのものが最高に斬新で面白く感じられてすっかりはまってしまった。つまり、私がこのドラマに当時、夢中になったのは主演の高橋良明云々ではなく、植木等にはまってしまったせいに他ならなかった。当時19歳の私には、中学生が主役の、恋愛や学園生活をテーマにしたストーリー自体には、ほとんどのめりこむことはなかった。
しかしその後、このドラマは再放送されることがほとんどなかった。主演の高橋良明は、このドラマ終了から1年もたたない1989年の1月にバイク事故のため16歳の若さで急死してしまった。大河への出演が決まった中での急死だったから当時は話題になったけど、まだ「有名になりかけ」くらいの存在だったので、その後顧みられる機会も少なく、再放送される機会もなかったんだろう。なので、今回のTBSチャンネルでの放映は、リアル・タイム放映以来の視聴になる。
久々に見たら「バブル時代のドラマならでは」な、楽天的過ぎるノリに違和感が。とはいえ、やっぱりリアル・タイム視聴時同様、植木等が最高に面白く、そして所ジョージとのコンビネーションも最高で、まるで本当の親子のよう。でも、当時はそこまで気がつかなかったけど、その2人と「本当の親子か?」と思えるほどに、絶妙なボケ、突っ込みで渡り合ってる高橋良明に驚かされる。当時14,5歳の中学生でありながら、あの2人に引けをとらない「無責任中学生」を演じているんだから・・・。「台本どおりに演じただけ」かもしれないけど、普通の14歳の俳優がやっても、「お遊戯」レベルにしかならないはず。「惜しい才能を亡くした」と当時、一部の人が言っていたけど納得。この人がこのまま成長していたら、スマップなどと同世代だし、スマップもブレイクできなかったんじゃなかろうかとすら思う。
同時に高橋演じる遊介が密かに想いを寄せている同級生、亜紀を演じている磯崎亜紀子の好感度も大きくアップした。この磯崎も高橋同様、子役出身で1985年には「うちの子にかぎって」という、田村正和主演の小学校を舞台にしたドラマに出演していたらしいけど、私はこのドラマ、大嫌いで見ていない(クソ生意気なガキばかりが出ていて不快だったし「太陽にほえろ」の裏だったので)のでよく知らない。ただ、当時の人気子役で、よくCMなどテレビで目にしていたので記憶には残っている。でも、なんというか将来アイドルとしてブレイクしそうな、そんな「スターのオーラ」のようなものを感じるし、とても輝いて見える。まあ、この年になって中学生を見てどうこうは思わないけど(笑)、でも「いい感じだな」と。確かこの人、1990年代初頭に福岡から全国進出した「カメラのドイ」のCMキャラになっていたけど、その頃には高校生くらいになっていて、なぜかルックスが大きく変わってしまっていたのを覚えている。結局、それで引退したんだろうけど、これまたもったいないと思う。不良中学生、仲村宏次郎(ビーバップハイスクールでブレイクした清水宏次郎と仲村トオルをミックスした?)もいい味出してるけど、この役の人もバイク事故で若くして亡くなっているとか・・・・。高橋とこの人は他界、磯崎は引退、このドラマを見る限りでは3人とも「スターの素質十分」なだけに、なんとももったいなく思われる。植木等ももう、見ることは出来ないし・・・。
とはいえ、見ている間はそんなことは忘れてしまう。植木等と所ジョージを見て大笑いし、高橋、磯崎らの中学生のちょっと幼いけど切ない恋愛話にはちょっとしんみりさせられたりで、あと、担任の先生役の田中美佐子もいいなあとか、嫌な生活指導の教師役の小松政夫もいつもの小松政夫だし・・・。という感じで、リアル・タイム視聴時同様、楽しませてもらっている。でもまあ、余計なこと考えずに「無責任」に見て、笑っていればそれでいいのかな、とも思う。
■2010/5/29 念仏の鉄(必殺三昧:2) 3月に「必殺三昧」なんてのを書いて、その中で述べたとおり、ケーブル局で頻繁に「必殺シリーズ」が放送されています。ただ、私がケーブル・テレビに加入して以降、この2,3年に放送されたのは「後期」の作品が中心。つまり私が中学生〜高校生の頃に見た「仕事人」などの、バラエティ乗り、パターン化して以降の作品が中心。ところが、今年の4月以降はリアル・タイムで視聴していなくって、中高生の頃、再放送で見ることの出来た「前期」の作品が次々に放送されています。特に歴代の殺し屋で最も人気の高い、山崎努演じる念仏の鉄が登場して、藤田まこと演じる中村主水と共演している「必殺仕置人」と「新・必殺仕置人」を連日見ているところです。
まず「必殺仕置人」、これは「必殺シリーズ」1作目の「必殺仕掛人」が成功した後に作られたシリーズ2作目で、中村主水がはじめて登場した作品として知られている。リアルタイム放映は昭和48年で、中学生の頃、夕方の再放送で見たのがはじめてでした。ただ、その時は違和感だらけだったもの。相手を殺すだけではなく、残忍な暴力やリンチで制裁を加えることもあり、そのシーンがあまりにも残忍で陰湿すぎて思わずひいてしまいました。薄ら笑いを浮かべて、まるで制裁を加えることを楽しんでいるかのような中村主水の姿が、当時リアルタイムで見ていた「仕事人」などでの「渋くて、達観したかのようなプロ」というキャラとあまりにもギャップが大きかったし。仕置きされる悪人も「見ていて鬱になる」ほどの悪の限りを尽くすし、被害に遭った人の姿も「痛々しすぎて見てられない」ほど・・・・。「怖い」「暗い」それが初見時の感想でした。一方で、「必殺シリーズ」といえば掟に縛られて生きていたり、普段は身を隠すように、目立たないように暮らしていたりで、登場する殺し屋たちはよく言えばプロ意識が強くてストイック、悪く言えば陰気な感じなわけだけど、この「仕置人」のメンバー、念仏の鉄、主水、棺桶の錠(沖雅也)らは、プロ意識はゼロで「仕置」を自由奔放に楽しんでいるかのよう。そして他のシリーズでは仲間と距離を置いていたり、全然仲間を信頼していないかのような主水だけど、この仕置人のメンバーとはまるで友達のように接しているし、念仏の鉄に至っては「相棒」のようですらある。なので初見の時から「怖い」「暗い」ので違和感を感じつつも、「結束の固さ」「自由奔放さ」に魅力を感じてもいたものでした。
そして今回、約24,5年ぶりに視聴。確かに「暴力的なシーン」「残酷すぎる悪人」「痛々しすぎて救いようのない被害者」に対する「ちょっと怖い」という印象は変わらず。だけど「仲間同士の結束」や「自由奔放に仕置を楽しんでいる」かのような仕置人たちの姿は、躍動感に溢れていて、やっていることは残忍だけど、その破天荒さに魅力を感じます。つまり、高校生の頃に見たときは「暗い>>>>>>>>魅力的」だったのが、「暗い<<<<<<<魅力的」と映ったということ。まあ、いろんなシリーズを見てきて「達観しすぎている」必殺シリーズの登場人物を多く目にして、それらを見慣れたが故に、その自由奔放な姿が新鮮で、魅力的に映ったのかもしれません。特にリーダーの念仏の鉄、それをサポートする主水、という2人のコンビネーションも絶妙。ただ「悪い奴を殺す」だけじゃなく、「制裁を加える」「社会的に抹殺する」というやり方のほうが「生き恥を晒しつつも、生きていかなければいけない」分、実は悪人にダメージを与えることが出来る、と見ることだって出来るし。
もうひとつ「新必殺仕置人」、こっちはリアル・タイム放送が1977年、主水が久々に念仏の鉄と組んだ話。再放送ではやはり高校生の頃に見た。そしてこちらも今回が24,5年ぶりの視聴になる。念仏の鉄が「虎の会」なる闇の組織に属していて、そこで仕事を競り落として殺しを請け負う、という設定。この「虎の会」の設定のユニークさ、そして今度は「仕置人」とは一転して、常に「虎の会」の掟に縛られ、見張られているという緊張感のある設定と、やはり鉄と主水を中心とした仲間意識と結束が魅力で、一部では「必殺シリーズ最高傑作」といわれているとか、いわれていないとか。まあ、私も高校生の頃に再放送で見て「シリーズの中でもかなり面白い」とは思っていたけど、「最高傑作」までいわれると「ホントかいな」と疑いたくもなるし、20年以上も見てないので、今見るとどう感じるだろうと思っていたんだけど・・・。
でもやっぱり面白い。一歩間違うと「虎の会で仕事が競りにかけられる→鉄が落札して仕事を請け負う→最後に相手を仕置きする」という、ワンパターンな話ばかりになりそうな設定なのに、毎回何らかのひねりがある。主水(実は虎の会には正体が知れていない)が競りにかけられる話、虎の会に裏切り者が紛れ込む話、虎の会に出入りしている別のチームと対決する話、鉄が主水を殺そうとする話、仕置人たちよりも被害者を中心に描いて、被害者の目線で作られた話、実はターゲットを間違えてた話・・・・などなど、毎回様々な変わった趣向があって、見ていて飽きない。また、高校生の初見の時は、鉄と主水の2人ばかりに注目していたけど、中村嘉葎雄演じる巳代松も魅力的。一度に一発しか打てない短筒を使った「暗殺者」的な殺し業といい、普段は温厚なのに、熱くなると暴走する人間的なキャラといい、他の必殺シリーズには見られないし、この時点では達観したプロの殺し屋になりつつある鉄や主水との対比もいい感じだし。とはいっても、やはり掟に縛られつつも自由奔放さをなくしてはおらず、しかも人殺しに快楽を感じるという危ないキャラにまでなってしまった念仏の鉄の魅力に尽きるところか。最終回で「必殺シリーズ史上、最もハードな最期」を迎えるけど、その最終回までもう少しなのが寂しい。「最高傑作」かどうかは私には分からないけど、「シリーズの中でもかなり面白い」のは事実だと思う。
「掟に縛られず、自由奔放に仕置きを楽しむ」という、なんとも得がたいキャラ、絶対に後期の必殺シリーズや21世紀の必殺にも登場しないであろうキャラの念仏の鉄。彼の登場する2作品は20年以上ぶりに視聴したけど、あの頃と同じく、最高に魅力的に映っています。必殺シリーズばかり見ていたので食傷気味だったけど、やっぱり面白いです。
■2010/7/17 刑事ドラマへのオマージュ(踊る大捜査線) 織田裕二主演「踊る大捜査線」の新作映画が上映されてるとかで、その宣伝のためかケーブル局でも90年代に連ドラとして放送されていたドラマ版が頻繁に再放送されている。このドラマが放映されていたのは1997年、その頃の私は地上波のテレビは見ていたけど、毎週定期的に見ていた番組はほとんどなかったし、ましてドラマはほとんど見なくなっていた時期。だから放映当初は全く見向きもしなかったもの。その後も頻繁に再放送されていたけど、やはり「見たい」という気持ちは起こらなかった。見なかった最大の理由は「過去の刑事ドラマを否定したアンチ刑事ドラマ」と言われていたこと。私は子供の頃からずっと「太陽にほえろ」他、多くの刑事ドラマを見て育ったし、今でも刑事ドラマは好き。だから、それを否定するドラマと聞いただけで「知るか、こんなもの」となる。まして1990年代以降、全盛期のような刑事ドラマが激減してしまったし、再放送される機会もほとんどなくなってしまった。それは「このドラマのせいだ」という想いもあったし。そんなこんなで一度も見ることがなかったわけだけど・・・。地上波ではほとんど見ることがなかったかつての刑事ドラマを、ケーブル局で頻繁に見ることが出来るようになった分、「このドラマのせいで」云々という気持ちが少し薄らいできたので「どれ、そのアンチ刑事ドラマとやらを見てみるか」ということで、ケーブル局でやっていた再放送を見てみることにした。
というわけで、初放映から13年近くも経ってはじめて見た感想。「刑事ドラマに憧れて脱サラして刑事になった」という新人刑事の青島。所轄の捜査課に配属されたのはいいけど、会社となんら変わりのない警察の現実に幻滅するところから入る。凶悪事件が起こって出動しようにもパトカー1台使うだけで許可が必要、現場に行っても現場検証や聞き込みをするのは本庁の捜査員で所轄の刑事がやることは雑用ばかり。本庁からきたキャリアの警察官僚の言いなり・・・。そんなドラマの世界とは全く違う、リアルな警察の実情が描かれていて、主人公がそれに戸惑ったり幻滅したりする様が描かれているので、見ている者も一緒になって「これが現実か」と戸惑って、幻滅して・・・。そんなところから「アンチ刑事ドラマ」「従来の刑事ドラマを否定している」といわれるんだろう。でも、これって普通の職業ものドラマでは?「医者に憧れて医者になった」「教師に憧れて教師になった」主人公の活躍を描いたドラマってよくあるけど、そうしたドラマにはつきもののお約束の展開。「理想と現実に苦しみながらも、その職業の真の姿や自分の果たすべき使命を知り、やがては成長していく姿を描いた」そんなドラマって多くある。なので、そうした類のドラマだと思えば、決して「刑事ドラマの異端児」とか「アンチ」だとかとは思えませんでした。
また、青島刑事はそんな現実の壁にぶつかりながらも、いつも自分が正しいと信じた方向に突っ走っていく。例えば凶悪事件の犯人逮捕の為に張り込み中の店の中で、女性に暴力を振るっているチンピラを見つける。「犯人逮捕までは手を出すな」という上の命令に背いて、その女性を助けるために飛び出していく、結果、凶悪犯に逃げられる。上司に咎められても「凶悪犯を逮捕するために、小さな事件を見過ごしていいのか」と反論する・・・。例えば「太陽にほえろ」の若手刑事、マカロニ(萩原健一)やジーパン(松田優作)にも同様のエピソードがあったし、他の刑事ドラマでもよく見られるシーンを再現したもの。上からの圧力などに屈することなく、自分の信じた道をつき進んでいく無鉄砲な若手刑事。つまり、青島刑事って、時代やシチュエーションこそ違え、マカロニやジーパン、さらには多くの刑事ドラマに登場する若手刑事と全然変わりない。つまり「刑事ドラマを否定」どころか、私には「従来の刑事ドラマへのオマージュ」にすら映る。現実に近い、キャリアなどの上からの命令が絶対な、現実に近い警察機構、それを1話、2話あたりで描き、それをぶっ壊して信念を通す、刑事ドラマから抜け出てきたような刑事の活躍を描いているわけだから、むしろこのドラマが否定しているのは、しがらみだらけの現実の世界の方だと思う。
ということで「ありがちな職業ものドラマ」として見れば無理なく見ることが出来たし、刑事ドラマとして見た場合も、決して従来の刑事ドラマと比べて変わったドラマという感じもしなかった。「アンチ刑事ドラマ」とか「刑事ドラマを否定している」とかって、一体誰が言ってたんだ? これを見てそう感じた人が本当にいるとすれば、その人の感覚がおかしいんじゃないかと思う。十分に見応えのある、よい刑事ドラマでした。ただ、「所轄署だから大きな事件はめったに起こらない」のがこのドラマの本来の姿。よって、映画版にしてしまうのはちょっと違うと思う。映画版は最新作だけではなく、過去の2作品も見てないけど、やはりドラマ版くらいのコンパクトな話の方が、この作品には合ってるんじゃないかという気がする。
■2010/8/8 「映画音痴」のケーブルテレビ映画鑑賞(洋画編) 7年ほど前、この「落書き帳」で「読書、映画、マンガの本」(こちら)というものを書いて、「昔からこの3つに興味がない、知識もない」と述べました。その中の映画について。その過去ログにも書いているように映画に興味が湧かないのは「映画館にわざわざ足を運びたい気にならない」「洋画に親しみが湧かない」ことが理由でしょうけど、やはり昔からテレビ・ドラマに親しんできた関係上、長時間の1話完結ものよりも、1話1時間程度で、連続ものの方が性に合っているということが最も大きな理由なんじゃないかと、テレビを見る機会が再び増えてきた(といっても、ケーブルテレビで見る昔の番組ばかりだけど)今は思えます。
とはいえ、ケーブルテレビでも映画のチャンネルはある。普段は見る気がしないけど、長時間落ち着いて見る時間がある時は、時々映画を見たりしています。といっても「映画音痴」だから、誰もが知ってる有名な名画であっても、タイトルを聞いてもどんな映画かの知識もないし、国内映画はともかく、洋画の場合は出演者の名前を聞いても、誰なのか全く分からないし・・・。そんな「ほとんど知識がない」状態で、この1ヶ月ほど何本かケーブルテレビで映画を見たので、その感想など。
大脱走
第2次世界大戦中にドイツ軍の捕虜になった英、米などの兵士が、捕虜収容所を脱走した実話を基に作られた1960年代の大作。実は中学校1年の時、クラス対抗音楽コンクールで、この映画のテーマ曲を器楽演奏しました。小太鼓、大太鼓とピアノ、残りのメンバーが主旋律をリコーダーで吹いて・・・。マーチ調のちょっとカッコいい曲でした。で、その当時自宅で笛の練習をしていた時に、亡き父(リアル・タイムで映画を見た世代)が「懐かしい曲をやってるな。オレが若い頃に見た映画だ」と話しかけてきました。そしてストーリーを教えてくれたので、一応の予備知識はありました。
というわけで興味を持って見たんだけど・・・。まず3時間近い上映時間は「テレビっ子」の私には長すぎて辛い。映画好きの人には「あっという間の3時間」なんだろうけど・・・。もっとコンパクトに2時間くらいにまとめてくれた方がテンポもよくなりそう。あと「捕虜」といいながら、過酷な重労働を強制されている感じでもないので、「自由を手に入れるための脱走」といっても切羽詰った感じがしない。それから、登場人物が多すぎるので、誰に感情移入して見ればよいのかも迷うし・・・。そして決定的なのは「収容所からの脱走の話」と父に聞いた時は「武器を奪って戦闘を繰り返しつつ、囲みを破っての逃走」をイメージしていたのに、地面にトンネルを掘って、そこからこっそり逃げる、という地味な脱走劇だったので、あまりにもイメージが違いすぎて・・・。大勢の登場人物の人物像をしっかり描いていたりで、よく出来ていると思うし、「面白いか、面白くないか」といわれれば「面白い」けど、想像していたより地味だったこと、時間が長すぎたことでダレてしまったのが残念。「テレビっ子」の私にはちょっと厳しかったかも。
俺たちに明日はない
カップルの銀行強盗、ボニーとクライドの物語。1960年代のいわゆる「ニューシネマ」ってやつで、「イージーライダー」同様、60,70年代のリアル・タイム・ロック・ファンの間で人気の高い映画だから、さすがにこの映画に関する知識はもともとありました。「自由奔放に生きる」2人に、ヒッピー世代の若者が共感や憧れを抱いた、なんて話もよく聞くし。
でも・・・。個人的には「×」でした。「強盗=犯罪者」とはいえ、もっと華麗でスマートな手口で強盗を繰り返す人たち、例えばルパン3世と峰不二子みたいなカップルを想像してたんだけど、逃走するために一般市民を平気で巻き添えにする。当然のように殺人も犯す。それが「自由」?いや、私には単なる「自己チュー・カップル」にしか見えない。しかも「金がないと自分や家族が死ぬかもしれない」とか「周囲の嫌がらせで居場所を失った」とかの不幸な境遇であれば多少は同情できたかもしれないけど、強盗を犯す動機もないに等しい。ボニーに至っては「退屈な日常から脱したかった」からクライドについていっただけだし。これじゃあ「人を殺してみたかった、誰でもよかった」などという、近年よくいるタイプの無差別殺人者と大差ない。個人的にはこの2人に何の感情移入も出来なかったし、ラストシーンを見ても(知っていたから、というのもあるけど)何も感じませんでした。どうも「イージー・ライダー」といい、ニューシネマってやつは、あの時代を生きてないと理解できないのかも。
波止場
ボブ・ディランがマーロン・ブランドという俳優が好きらしい、「波止場」という映画が代表作らしい・・・、たったそれだけの知識を持って鑑賞した、1954年のアメリカ映画。波止場を牛耳るギャングのボスの下で日雇い労働者として働く元ボクサーの若者が主人公。そのボスは自分に逆らうものを次々に殺害し、同時に波止場を完全に牛耳っているので、誰も彼に逆らえない。そんな中、古い友人の殺害を手伝わされたことをきっかけに、そのボスと対決することを決意する・・・。正直、よくあるタイプのストーリーだし、石原裕次郎や小林旭主演の古い日活アクション映画にもよくありそうなストーリー、なんだけど・・・。
こういう話の場合、主人公が完全無欠のヒーローで、真っ向からボスに戦いを挑んで、最後は格闘や銃撃戦の末、ボスを倒してハッピーエンド、という話が多いんだけど、マーロン・ブランド演じる主人公は、そんなヒーローじゃない。ボスに逆らうべきか、逆らわないべきか迷い、苦しんだりするし、最初にボスの犯罪に関して証言した後は、波止場に住む他の労働者から「村八分」を受けてしまったりもする。「迷い、苦しむ」様は、等身大の若者そのものだし、それをマーロン・ブランドが上手く演じているから、自然に感情移入できる。そして「みんなが煙たがっているボス」を告発したのに、なぜか周囲からつまはじきにされてしまうあたりも、逆に現実的。最後もカッコよくボスを倒すのではなく、ボコボコにやられる、その姿に心を動かされて、ボスに逆らえずに「長いものに巻かれていた」はずの周囲の人たちが団結してボスを追い出してしまう・・・、という展開も現実的。「完全無欠のヒーロー」じゃなく、粗暴だけど内面はナイーブな若者を演じていたマーロン・ブランド、ボブ・ディランが憧れたのもうなずけるし、感情移入もしやすい。「洋画音痴」な私だけど、時間を忘れて見入ってしまいました。
■2010/8/16 風のメッセージ(タッチ) ケーブルテレビのアニメ専門チャンネルで、先日までアニメ「タッチ」が放映されていたので、本当に久しぶりに第1話から最終回の101話まですべて視聴しました。「小学校6年の時に見た『銀河鉄道999』でアニメを卒業してしまった」と何度か書いてきた。よって、それ以降、中学、高校時代に毎週欠かさず見ていたアニメってほとんどない。そんな中では数少ない、高校生の頃に毎週欠かさず見ていたアニメでもある。私自身にとっても高校1年の3学期〜高校3年の3学期に当たる時期に放映されていたので、登場人物と同世代だったことから思わず共感したり、感情移入したりで。特に「双子の馬鹿で駄目な兄貴が、天才投手で女性にモテまくりの弟の亡き後、意思を継いで・・・」という設定に、勝手に「駄目な奴=自分」に置き換えて解釈して共感て見ていたもの。同時に、私自身が小学校6年の時に転校したせいで「幼なじみ」がいないこともあって、「幼なじみとの恋愛」に憧れたりで・・・。とにかく、そんなこんなで毎週欠かさず見ていたし、最もテレビに夢中だった頃に見た番組だったということもあり、ストーリーをはっきり覚えていた。だけど一方で、1990年代前半までは頻繁に再放送されていたけど、21世紀に入って以降は地上波での再放送が全くなかったので「久々に見てみたい」ということで、今回約20年ぶりに全話を見てきたわけだけど・・・。
ストーリーは完璧に覚えていたので、特に新しい発見はなかった反面、それでも当時ほどではないにしろ、感動したり、笑ったりで、楽しめたんだけど・・・。リアル・タイムで見ていたときには感じなかった、ちょっとした違和感も。達也って、弟の和也が亡くなるまでは「ホンモノの駄目で馬鹿な兄貴だった」と思ってたんだけど、実はそうじゃない。野球、というかスポーツ全般、決して苦手なわけでもない。いや、むしろ素質は和也と同じくらいあるはず。なのに、弟を引き立てて遠慮するあまり、敢えて避けている、頑張らない、真剣にやらない。「やればできる」ことを自覚していて、わざとやらないわけだから「馬鹿」でも「駄目」でもなく、実は弟よりも「出来る人」。幼なじみの浅倉南との関係も、周囲からは「和也と南が相思相愛のカップル」と思われている。だけど実は最初から達也と南が相思相愛で、和也は一方的に南を想っているだけ。それに気がついているから和也は必死に野球に取り組んで、気を引こうとしているわけで、実はかわいそうなのは和也。というわけで、リアルタイムでは「駄目な兄貴」に勝手に感情移入してたけど、実は達也は全然かわいそうな奴じゃないし、むしろ「いいカッコしー」で、かわいそうなのは和也。あと、浅倉南が「甲子園に行きたい、連れて行って欲しい」理由付けが全くないので、余計に「甲子園に連れて行きたい」といって頑張っている和也が哀れになってしまう・・・。うーん、ちょっとリアルタイムで見ていた時と違った印象を受けたし、あの頃ほどには強く主人公の達也に感情移入できないのがなんとも・・・。
それと後半、野球や恋のライバル的存在として新田明雄が登場するけど、野球ではともかく、恋愛面では彼が現れても、達也と南の間に全く波風が立たない。2人の気持ちがブレることはない。よって「和也の死→達也が後を継ぐ」あたりまではやたら波乱が起こるけど、達也がピッチャーとして一本立ちして以降は「謎の監督代行」が現れる以外にはほとんど大事件もなく、落ち着いてしまうあたりが残念。「和也は天才、達也はホンモノの運動音痴。和也と南は相思相愛。そんな中で和也が死去。運動音痴の達也は野球を始めるも、なかなか上手くならない。南の気を引こうとするも、和也亡き後は新田に急接近。そんな中で馬鹿兄貴・達也は特訓の末、奇跡的にエースに、そんな姿に南の心は徐々に達也に傾いていく・・・」というストーリーの方が、より見応えがあるんじゃないか、などと勝手に思ってしまった。
といっても80年代って波乱万丈のストーリーとか、努力と根性とかって意外と受け入れられなかった時代。むしろ「安心して見ていられる」「大きな波乱は起こらない」くらいの話の方が万人受けしていた時代。事実、当時の私は今述べたような違和感を感じたことはなかったし、そんなことを述べる同世代の人も誰もいなかった。もしも私が今勝手に創作したようなストーリーだったとしたら、ドロドロした話になってしまう可能性もある。そうなれば万人受けはしなかったはずだし、この作品特有の「すがすがしさ」「爽やかさ」が薄れていただろう。そう、「すがすがしさ」「爽やかさ」こそがこの作品の肝。だとすれば、これでよかったんだろうと思う。
同時に、当時チェッカーズのヒット曲を作曲していた芹澤廣明の音楽もよい。チェッカーズのヒット曲同様の、60年代のアメリカン・ポップスを思わせる、明るく爽やかなサウンドが心地よいし、あの時代に引き戻してくれる。芹澤自身が歌っている軽快なオールディーズ・ポップ調の「風のメッセージ」はチェッカーズっぽくってよい。あとは第2シリーズのエンディング・テーマで、1986年の春のセンバツの入場行進曲にもなった岩崎良美のバラード「青春」を聞くと、気分はすっかり高校時代に。「楽しい日々、お願いこのままStay stay stay、時よ動かないで」のフレーズを聞くと「もうあの頃には戻れないんだな」と感傷的になってしまう。久しぶりに全話鑑賞したけど、気分はすっかりあの頃に引き戻されてしまいました。
■2010/8/22 大追跡ー遊撃捜査班 つい先日までケーブル局で、1970年代後半に放送された刑事ドラマ「大追跡」が放映されていたので全話視聴しました。このドラマが放送されていたのは1978年、小学校4年の頃。火曜の夜9時からの放送でした。ただ、亡き父は「子供は夜は9時に寝るもの」という古い人だったので、当時の私は「ベストテン」のある木曜と、翌日が休みの土曜を除いて、毎日夜9時半頃までには寝ていたもの。よって、この番組はリアル・タイムではオープニングと、後は本編をちょっと見た記憶があるくらい。しかも不思議と再放送もあまりなかったので、実はきちんと視聴するのははじめてでした。一応リアル・タイムでちょっとだけ見た記憶や、ネットで得た情報などでどんな番組なのかの知識はあったけど・・・。
個人的には1970年代後半に日テレでやっていたちょっとコミカルなタッチのアクション・ドラマは大好き。例えば沖雅也や柴田恭兵や神田正輝が貧乏な探偵をコミカルに演じていた「俺たちは天使だ」とか、藤竜也と草刈正雄の探偵コンビが活躍する「プロハンター」とか。それと同じような出演者、スタッフが関わった刑事ドラマだから、「見てみたい」「絶対に面白いだろう」と常々思っていて、だから今回の放映、本当に楽しみにしてたんだけど・・・。
確かに番組のカラーやノリは「俺たちは天使だ」や「プロハンター」に通じる、「コミカルだけどテンポがよくってカッコいい」雰囲気で悪くない。全員が顔を合わせたり、バラバラに分かれて行動に移る前に、こぶしを振り上げるようなポーズで「オットー」とか、「1,2,3、ゴー」などと声を掛け合ったりとか・・・。でも、なんとなく違和感も。例えば「プロハンター」や「俺たちは天使だ」は、メンバーが全員探偵。つまり民間人で、特に何かに縛られているわけではないので自由奔放に、明るく楽しく振舞っている様は、開放的で自由な人たち、という感じで好感が持てた。でも、この「大追跡」では刑事なわけだから、白昼の街の中で銃撃戦が起こって人が死んだり、凶悪事件で不幸になったりする人がいる中で、明るくコミカルに振舞っていることに違和感が。そして「検挙率を上げるためだけに作られた特殊セクション」という設定だから、「事件を解決するためには手段を選ばない非情な集団」なのは仕方ないけど、「西部警察」や「大都会」ばりに激しい銃撃戦の末、犯人を片っ端から射殺してしまうのも疑問。手を挙げて逃げてる相手を射殺したケースもあったし、相手の肩口じゃなく、頭に向かって発砲してるケースもあるし。しかも相手を射殺しまくりつつも、相変わらず笑顔でジョークを飛ばし合っていたりするあたりには寒気すら覚えてしまった。また、「女の耳をそぎ落として送りつけてくる」という残忍な犯行を繰り返す犯人の話もあったけど、結局は「犯人を追い詰めて、ジョークを飛ばしあいながら解決する活躍を描いた」だけに終わってしまったりとか。「この犯人がなぜこんな残忍な犯行に走ったのか?」を掘り下げたりはしないし、耳をそぎ落とされた被害者の苦しみ、悲しみも描かれていなかったりとか。せっかく話を色々広げられそうなシナリオなのにもったいないと思えるストーリーも多かった。
「コミカルかつスタイリッシュなアクションドラマ」として、そのノリを楽しむ分には面白いかもしれないけど、「刑事もの」としては今ひとつかなと。楽しみにしていただけに「思ったほどではなかった」のが残念。ただ藤竜也、沖雅也、柴田恭兵がこういうノリのドラマに出てくることには違和感はないんだけど、リーダーを演じていたのが加山雄三というのは新鮮。「若大将」に代表されるように、クリーンなイメージの役ばかりやる人なのに、よりによって「ハイエナ軍団」のリーダー、いつも部下や犯人に対して冷徹で、グラサンにショットガン、平気で犯人を射殺しまくるハードな役を演じているんだから。でも、意外とこれがはまっていたりするし。ということで、「思ったほどではなかった」のは残念だけど、そこそこ楽しめました。「俺たちは天使だ」や「プロハンター」の方を先に見てしまっていた事も大きかったのかも。あの2つのドラマと比べると劣って見えたけど、考えて見ればこっちの方があの2本より先なわけだから、このドラマの成功があったからこそ、あの2本が生まれたということを思えば、意外と捨てたもんじゃないと思う。
■2010/8/28 昭和の太陽(日活時代の石原裕次郎) 亡き父が石原裕次郎世代の人で、その影響で私も「太陽にほえろ」を見るようになった・・・という話は何度か書いてきました。私にとって「太陽にほえろのボス」こそが彼のイメージでしたが、亡き父にとってはあくまでも日活映画全盛期の「昭和の太陽」だった頃の彼のイメージが強かったようで、そのあたりにはジェネレーション・ギャップを感じていたものでした。私は当然、彼の日活時代の映画なんて一本も見たことがなかったし、「懐かしの映像」などで断片的に見ただけ。しかも、私の世代から見ると「今見ると、そんなにカッコいいとは思えない」とか、「時代を感じる」と思うことが多くて・・・。
ただ1980年代半ば、高校生くらいの頃、彼が亡くなる1,2年前だったと思います。日活時代の映画の断片を使った資生堂の男性化粧品のCMが流れていました。全部で3つのバージョンがあって、ひとつは船の上でウクレレ(マンドリンかも?)を弾きながら歌っている鮮やかなカラーの映像、2つ目がコートを着て、くわえタバコで波止場を歩いているモノクロ映像、3つ目は港町の倉庫街で乱闘している映像・・・。どれも1980年代当時の私の目から見ても「古臭い」「現実離れしすぎな」映像だった半面、逆に新鮮に映ったもの。そんなこんなで「機会があれば、映画を見てみたい」と思ったものでした。とはいえ、そんな機会はその後、全くありませんでした。まあ、たまに上映会などをやってるという情報はあったけど、お金を出して、劇場に足を運んでまで見たいというほどでもなかったし・・・。ところが、ケーブルテレビに加入したことで、日本の映画を専門にやっているチャンネルで、全盛期の石原裕次郎映画が頻繁に放映されているので、ようやくいくつかを目にすることができました。
嵐を呼ぶ男
実は私が「全盛期の石原裕次郎」と聞いて真っ先に思いつく映画がこれ。ということで、かなり期待して見たんだけど・・・。私は「町のチンピラが苦難を乗り越えて一流のドラマーに成長する成功物語」だと勝手に想像していました。「懐かしの映像」でよく出てくる、ドラムを叩きながらマイクを掴んで「オイラはドラマー」とかって歌っているシーンが、この映画のクライマックス、ラストなんだろうと。ところが、最初の30分程度であっという間にスターダムにのし上がって例のシーン登場。その後はショービジネス界を牛耳る黒幕(「料理が得意な気のいいオッサン」というイメージしかなかった金子信雄が演じているというのも意外!)に痛めつけられたりのゴタゴタに巻き込まれていくので、突然抗争もの、アクションものに変わっていく。ああ、じゃあ、こいつをカッコよく倒してハッピーエンド、かと思いきや、手を潰されてドラマーとして再起不能にされる。おいおい、この話って一体・・・。と思っていたら、最後は不仲だった母親と和解してハッピーエンド・・・。「ドラマーのサクセスストーリー」と思いきや、いきなり「アクションもの」に急展開、最後は「親子もののメロドラマ」になってしまうって、おいおい・・・。とにかく「何を描きたかったのか?」がはっきりしなかったので、中途半端で消化不良でした。まあ、「お馴染みのシーンを見ることが出来た」ことと、「今よりもずっとオシャレな、昭和30年代前半の銀座を堪能できる」ことが収穫。でも、脇役として登場した若き日の岡田真澄の方が、裕次郎よりもずっと二枚目に見えたのは私だけだろうか? いや、この頃の岡田真澄、男の私から見てもカッコいいと思うんだけど。
夜霧よ今夜も有難う
こちらは昭和42年、大分年配になってからの作品。名画「カサブランカ」の日本版を狙った映画だったらしく、とても日本とは思えない、無国籍な港町が舞台。ただ、日本人の俳優を使って、日本を舞台にして、この世界を再現しようとしたこと自体に無理が。しかもこの頃の彼って「ボス」の頃ほどではないにしろ、既に体型が変化しつつあるので、余計に似合わない。「ストーリーも、台詞も、キャラクターも気障過ぎて鼻につくし似合ってない」という印象しか残りませんでした。あと、かつての彼女(浅丘ルリ子)と、その今の旦那(二谷英明)を守ることだけに必死で、周囲の無関係の人が事件に巻き込まれて死んだり、不幸になったりしていくのをただ見ているだけ、という主人公の態度にも感情移入できませんでした。主題歌は渋くてカッコいい(亡き父の愛唱歌でした)けど、ただそれだけかなと。
錆びたナイフ
これは再び昭和30年代初頭の映画。ある工業都市を牛耳る黒幕と、それに立ち向かう下っ端の主人公・・・。これって先日感想を書いた、マーロン・ブランド主演の「波止場」を模した映画では? あちらを先に見た分、インパクトが薄かったのが残念。しかも「黒幕に牛耳られる地方工業都市」って、実は今の北九州市? 今は廃止になった路面電車、西鉄北九州線が出てたし、今は閉店した、門司にあった老舗デパート、山城屋の往年の姿が映っていたし・・・。確かにそういう土地柄かもしれないけど、あんまり嬉しくない使われ方・・・(笑)。とにかく「波止場」と見比べてしまって、あまり印象に残らなかったのが残念。「典型的なアクションもの」としては、よく仕上がってると思うけど。
乳母車
父親(宇野重吉、寺尾聡の父親にして名優)に愛人がいることにショックを受けた娘(芦川いづみ)が愛人(新珠三千代)に会いに行ったところ、実はその愛人には父との間に出来た赤ん坊がいて更なるショックを受ける。一方で娘はその赤ん坊を幸せにしようと考えて、愛人の弟(裕次郎)と力を合わせる。・・・という彼には珍しい文芸作品。実は若い頃の石原裕次郎って、「精悍」「ワイルド」というよりは童顔だからアクションよりもこういう爽やか青年の方が似合うのでは? といっても、この映画の主役はむしろ芦川いづみの方ではないかと思う。全盛期の日活の女優といえば、吉永小百合に代表されるような「お嬢様」っぽい人か、北原三枝(後の裕次郎婦人)や浅丘ルリ子のような気の強そうなタイプの人が多いけど、この人って「清楚」ではあるけど、お嬢様というよりは庶民的でとても自然な感じ。今の時代にはいない「古きよき、庶民的な美人」という感じで、私の中では大きく好感度がアップした。リアル・タイムで見てたら、ファンになってたかも(笑)。ということで、芦川いづみだけが印象に残る作品になってしまいました。
俺は待ってるぜ
いわゆる「無国籍アクションもの」としては最も古い、元祖的な映画。波止場で小さな店を営むボクサー崩れの主人公がある日、マフィア(二谷英明)のところから逃げてきた女(北原三枝)を助ける。実はそのマフィアは行方不明になっていた彼の兄を殺した張本人でもあった。彼は兄の復讐を誓い、マフィアと対決する・・・。という、あまりにも分かり安すぎるほどに分かりやすい、典型的な日活無国籍アクション。だけど、個人的には「おお、これこそ俺がイメージした昭和の太陽=往年の石原裕次郎そのものだ」。「嵐を呼ぶ男」は「ひねりすぎ」だし、「夜霧よ・・・」「錆びたナイフ」はあまりにも露骨な洋画のパクリだったがために無理があったけど、それと比較すると「シンプルゆえに安心できる」という印象。まあ、1年に4本も、5本もの主演映画を乱発していたそうだから、ワンパターンにならないようにあれこれ捻るしかなかったんだろうけど、これは「元祖」なわけだからひねりがない。これくらい分かりやすい方がいいのかなと。あと、例の高校生の頃に見たCMの3本のうち「コートを着て、くわえタバコで波止場を歩くモノクロ映像」は、この映画の最初のシーンだったので、そのあたりも好印象をもった理由なのかも。それから二谷英明の極悪人振りも見事。私にとっては「特命課の課長」のイメージが強いけど、ここでの彼の憎たらしさと、ラストの壮絶なやられっぷりは「これぞ敵役」という感じ。
・・・という風に色々見てきたけど、やっぱり全体に時代を感じるものが多いから、思ったほど夢中になれなかったというのも正直なところ。あの時代を生きていないと分からないのかな、という気もする。やっぱり私にとってこの人は「太陽にほえろのボス」のイメージの方がシックリくるようです。
■2010/9/18 子煩悩なプレイボーイ?(パパは年中苦労する) ・・・愛は純粋でなければならない。男も女も純粋に愛に生きるべきだ。だから家庭を持ってはいけない、子供を作ってはいけない。
・・・君はキレイな目をしている。一晩中見つめていたい。
こんな気障な台詞で女を口説くプレイボーイな新進気鋭の作曲家。ところが実は彼には離婚歴があり、子供が4人もいる。そして子煩悩。気障に口説くのはいいけど、酔っ払うと思わず自分の子供の写真を見せて子供の自慢を始める。そして結局フラれてしまう・・・。そんな「子煩悩なプレイボーイ」を田村正和が演じたドラマが1988年放映の「パパは年中苦労する」。当時はバブル全盛、トレンディ・ドラマ全盛の時代で、私自身も「テレビより音楽鑑賞」「ドラマをほとんど見なくなった」時期の放映だったけど、3歳下の妹が好きでよく見ていて、隣で見ているうちにはまってしまったもの。それが最近、ケーブル局で放映されているので本放送の1988年以来、久しぶりに見ている。
時期的には「ニューヨーク恋物語」と同時期。女を口説く時のキャラはまさにそれらと同じく、同性から見ると気障で嫌味な奴にしか見えない。ところが、それが酔っ払うと一転してしまうあたりのギャップや、家に帰れば家事や子育てに悪戦苦闘して振り回されている情けない姿がおかしくてしょうがない。まあ、リアル・タイムではまった理由も「あの田村正和=気障な男が子供に振り回される」姿が面白くてしょうがなかったせいなわけだけど、改めて見ても大笑いしてしまう。料理や家事に失敗した父親を見て「あーあ」と声を上げる子供4人の反応も、そのおかしさを増長させてる。考えて見れば「テレビ・ドラマを見て心の底から大笑いする」なんて経験、もう何十年もなかったような気がする。純粋に「おかしい」という点は、リアルタイムで見てた時と変わらない感想だった。
実はこのドラマよりも前に、田村正和主演で「うちの子にかぎって」や「パパはニュースキャスター」など同路線のコメディ・ドラマがあったし、むしろこの2本の方が人気があった関係上、このドラマの知名度はあまり高くないよう。だけど、個人的には前者は「クソ生意気なマセガキばかりが出てきて、見ていて胸糞悪くなる」、後者は「田村正和演じるニュースキャスターが子供に辛く当たることが多くて後味が悪い」という印象で、正直全然好きじゃなかった。だけどこのドラマの場合、子役の4人が、いかにも子供らしい子供といった感じで好感が持てたし、田村正和演じる作曲家も子供が好きでたまらない人という設定だから、とにかく子供に対して優しいから、父親と子供の関係が見ていて微笑ましかったりする。だから、単純に「おかしい」「笑える」だけじゃなく、見ていて感動させられたり、ちょっと温かい気持ちにさせられるところもよい。子役といえば長女役の子を見て当時、「将来美人になりそう、10年後が楽しみ」なんて思ってたものだけど、実はこの子役、後に「渡る世間」(嫌いだから見てはいないけど)のレギュラーとして子役〜20代後半まで出演し続けていた吉村涼と知ってビックリ。まあ、今の吉村涼も「どちらかといえば美人」レベルかもしれないけど、もっと「凄い美人」になりそうな予感があったんだけど・・・。
あと、この田村正和演じる作曲家、41歳っていう設定だから、今の俺より年下なんだ(笑)! 考えて見れば俺にこんな子供がいてもおかしくないのか。リアル・タイムで見ていた頃は「オッサンのプレイボーイ」と思って見ていたものだけど・・・。「ちょっと前のドラマ」のような気持ちで見ていたんだけど、考えて見ればもう20年以上前なんだと思うと、ちょっと愕然とさせられた。
■2010/9/23 「映画音痴」のケーブルテレビ映画鑑賞 (洋画編、2) オリエント急行殺人事件
名探偵ポアロが活躍する、アガサ・クリスティの推理小説を映像化した1974年のイギリス映画。公開当時は乗客の役でショーン・コネリーやイングリット・バーグマンなど、映画音痴の私でも分かるような大スターを配した超豪華キャストで話題になった大ヒット作なんだとか。走行する列車、しかも豪華なオリエント急行の車内で発生した殺人事件を、偶然乗客として乗り合わせていた名探偵ポアロが解決する、というストーリー。1930年代の車両や衣装を再現しているあたりは見事だと思うし、癖のある乗客たちを演じているのが名優ばかりということもあって、登場人物のキャラクターも立っているし、乗客全員に動機があって「誰が犯人なんだろう?」という謎解きの部分でも引き込まれるものがあるしで、途中までは「面白いなあ」「見所が多いなあ」という感じだったんだけど・・・。
以下はネタバレになるけど「結局、乗客13名全員が犯人だった」というオチは「えっ?」という感じ。ちょっと強引で無理があるんじゃないかと。それ以上に納得がいかないこともある。全員が犯行を認めたのに、実は殺害された被害者が極悪非道な幼女誘拐殺人の実行犯だったこと、そして乗客13名に同情の余地があるから、という理由で「被害者は病死と報告しておく」として13人を見逃したポアロの態度に納得がいかない。推理小説や刑事ドラマでは「理由はどうであれ、殺人は殺人」として罪を償わせる、というのがお約束だし、私自身もそれが当たり前だと思っているので、この結末は逆に後味が悪い。しかも乗客13人も、その後車内で乾杯したりして全然罪の意識がないのも見ていて恐ろしくなる。このあたりは日本とイギリスの国柄の違いなのか、時代(アガサ・クリスティがこの小説を出版したのは1930年代)の違いなのかは定かじゃないけど。途中までは面白いと思っていただけに、この結末のせいで見終わった後に残ったのは、満足感ではなく違和感だけでした。
サタデー・ナイト・フィーバー
ジョン・トラボルタ主演、ビージーズが音楽を手がけて、世界中で一大ディスコ・ブームを巻き起こした青春映画。公開当時は「音楽と映画のコラボ」という点で革新的だったんだろうけど、中高生だった1980年代に同じような映画が乱発されていたので、そのあたりの目新しさはなかったけど、純粋に青春ものの映画としてもよく出来ている、と聞いていたんだけど・・・。正直、ストーリー的には「ベタだな」と。普段は冴えないペンキ屋、だけど土曜の夜にはディスコで遊びまくり。ダンスが上手くて女にもモテる。だけど、ダンス・コンテストで優勝したものの、実は八百長だったことを知ったり、友人が不慮の死を遂げたり、そんな出来事を通じてディスコ浸りな生活に絶望して、そうした生活に見切りをつけて成長していく・・・。この辺は「さらば青春の光」など、多くの青春映画に共通する展開だから、「まあ、ありがちなストーリーだな」と。
とはいっても、主人公にどうしても感情移入できないのが痛い。女にモテることやダンスが上手いことを鼻にかけて周りを見下したような態度をとったり、鏡の前で裸でポーズを作ったりと、ナルシストで、思い上がりで、最高に憎たらしくていやな奴。何より、偶然ディスコで見かけたダンスの上手い年上の女性に一目惚れして、自分のことを想ってくれている(といっても片思い)女性のパートナーをあっさり捨てる、しかも異常なほど冷たい、キツイ言葉を浴びせて。こんな最低な男には感情移入なんて全く出来ない。むしろ殺意を覚えるほど(笑)。どんなに上手いダンスを見せられようが、ビージーズの曲がよかろうと、ひとかけらの好感も持てませんでした。残念ながら、見たことを後悔させられる一本。
理由なき反抗
1955年公開のジェームス・ディーン主演映画。「エルヴィス・プレスリー登場以前のアメリカの若者のシンボル」「ブレイク後、1年ちょっとであっさり事故死した伝説のスター」ということで、なんとなく興味を持っていた人。ただ、映画音痴で映画を観ることもほとんどないので、これが彼の主演映画初体験でした。
まあ、タイトルどおりの「不良が暴走する映画」なわけだけど、反抗する理由が「父親が情けないから」ってのは、気持ちは分かるけど、意外と子供っぽい理由だなと。しかもアメリカの古い映画にありがちだけど、たった1日の間に、話が急展開するのがなんともはや・・・。引っ越してきたばかりの街で泥酔して警察に連行された翌日の朝、転校先のハイスクールに登校。登校早々、不良グループのボスに目をつけられ、喧嘩を売られて、その日の夜に海岸でチキンレースで勝負。レースで誤ってボスが崖から転落して死ぬ。そのことで両親と喧嘩をして家を出て、友人と空家で落ち合う。その友人は銃を持っており、その友人は銃撃事件を起こした末、警察に射殺される・・・。って、これだけのことがたった1日のうちに起こってしまうという展開に「いくらなんでも無理があるだろう」と。それと不良のボスの彼女だったはずのジュディ(演:ナタリー・ウッド、とても美人だけど、彼女も若くして亡くなったとかで残念)が、レースでボスが亡くなる直前までボスにベッタリだったくせに、彼の死後、いきなり主人公に言い寄って、ラブシーンまで演じてしまうのもやっぱり変だろうと(笑)。これが1週間とか、3日とかの間に起こるなら分かるけど、この映画の世界の1日って、一体何時間なんだ?
とはいえ、反抗する不良といってもジェームス・ディーン演じる主人公は、ただ粗暴なだけの不良じゃなくって、父に対する反発、というより、父に甘えて、実は愛情に飢えてる、そんな繊細で子供っぽい少年。その「不良っぽさ」と「繊細な少年らしさ」を上手く演じている彼の存在感って、確かに際立ってる。ストーリーは強引でベタだけど、彼の存在感、キャラクターのおかげで、「名画」と言われてるんだろうと思う。他の人が演じていたら、何てことない内容なのに。ということで、ストーリー的にはともかく、彼の存在感のおかげで、見応えのある映画でした。
■2010/9/26 「映画音痴」のケーブルテレビ映画鑑賞 (邦画編) 踊る大捜査線 THE MOVIE
ちょっと前に書いた通り、はじめて「踊る大捜査線」のドラマを見て「意外と面白いじゃないか」と思ったわけだけど、3本目になる映画が公開された影響か、日本映画の専門チャンネルで1本目と2本目の映画が放映されていたのでちょっと見てみた。この1本目はドラマ終了から約2年後に公開されて大ヒットしたもの。このドラマの舞台は「所轄の刑事は小さな事件ばかりしか担当できない、大きな事件が起こっても本庁からきたキャリアのパシリみたいなことしかできない」というリアルな警察の世界の中に生きる、はみだし刑事の活躍を描いたドラマなわけだから、世間を騒がせるほどの大きな事件、大袈裟なアクションや銃撃、殉職などとは無縁のはず。なので「映画化する」のは無理があるだろうと視聴前は思っていた。
で、予想通り警視庁副総監誘拐という大きな事件が起こって、ドラマ版からは想像できない、よく言えば壮大、悪く言えば大袈裟なストーリー。「あわや殉職?」というショッキングなシーンも・・・。ドラマ版に親しんだものからすると「違う」。アメリカのアクション映画の模倣?これは「踊る〜」じゃないだろうと。とはいえ、命令を無視して突入して刺される青島(織田裕二)、それまでは冷たく、事務的だったキャリア官僚の室井(柳葉敏郎)が我を忘れて青島のところに駆けつけて、刺された青島を担いで走るシーンは「ベタだ」「クサい」と思いつつも、ちょっと引き込まれた。その後の2人の会話、絡みにも立場や地位を越えた2人の絆が感じられてよかったし。このシーンがあったおかげで、多少は救われたかなと。「ドラマと違いすぎる」反面、まだドラマの世界を踏襲して作られている分、「ドラマの完結編」だと思えば無理なく楽しめた。
踊る大捜査線 THE MOVIE 2
1から5年後に公開された2作目。実はこっちの方が1よりヒットしたんだとか。しかし1から5年、ドラマから7年も経っているから出演者が老けていたり、キャラクターが変わっていたり(特に水野美紀)で違和感だらけ。ヒステリックで嫌味な女性キャリア官僚(演:真矢みき)が登場、この人が捜査の指揮を執るんだけど、ただ「嫌な人」として描かれただけ。捜査ミスの責任をとらされて失脚するんだけど、ただそれだけ。普通嫌なキャラの人が出てきた場合、「実は彼女にはこんな過去があり、それがトラウマになって嫌な奴になった」とかのサイドストーリーがあったり、「青島や室井に触れていくうちに改心する」とか、最後に登場して「今回は私の負けね。でも次は負けないわよ」とかのドラマや展開があるものなんじゃないか。ただ「嫌な奴が出てきて、失敗して去っただけ」だったら、このキャラを登場させた意味がないし、せっかくのキャラが生きてない。あと、ストーリーも前作以上に大袈裟になってしまって、ここまで来ると「ドラマの延長」としては見ることが全く出来ない。コミカルなシーンが多いのはドラマの頃からの特徴だけど、笑いをとろうと狙ったようなシーンが多すぎ、しかもそれらが滑ってるし・・・。興行的には「大ヒット」だったのかもしれないけど、これは「大失敗作」。特にドラマを見慣れたものからすると「もう、止めた方がいいよ」。今年公開された3もこのレベルなのか、だとすればもう新作は作らないほうがいいと思う。
新幹線大爆破
1975年公開のパニック映画。確か小学校3年くらいの頃(1977年頃)、夜9時からテレビで放送されていて、ほんの少しだけ見たことがある。以前も書いた通り、当時の私は9時就寝が当たり前だったから、最初の30分くらいを見ただけだったけど・・・。ちょうど私が短期間とはいえ、鉄道ファンだった頃だったので「新幹線がいっぱい出てくる映画」って感覚で、父が見ていた横で見てたんだと思う。東京発博多行きの「ひかり」に爆弾が仕掛けられた。その爆弾は時速80キロ以下にスピードを落とすと爆発する仕掛けになっている。停車することは出来ないし、終点の博多に着くまでに事件を解決しなければ乗員、乗客の命はない。・・・という設定は、小学生当時に見た時から覚えていたし、ハラハラした気持ちのまま、途中で席を立って就寝したことも覚えている。
で、実に35年ぶりに最初から終わりまで見たんだけど・・・。新幹線は全部セットや模型(こんな不謹慎な映画に国鉄が協力してくれるわけもないけど)で臨場感がないし、緊張感にも欠けていて、当時思った以上にグタグタ(笑)。パニックになる観客の描写も甘いし(もっと大騒ぎになるはず)、なぜか身代金を受け取りに来た犯人を捕まえることばかりに躍起になって失態続きの間抜けすぎる警察。「身代金を受け取ったら爆弾の止め方を教える」と犯人が言ってるのに、何で深追いするのやら・・・。そのせいで爆弾を止めるのに時間がかかってしまったわけだし。「身代金取引場所の渓谷に、偶然ランニングをしている柔道部の学生が通りかかり、それを見た刑事が『犯人を捕まえてくれ』と言う。結果、逃げられる」とか、「爆弾の止め方を書いた図面が喫茶店においてあると犯人から電話がかかって、刑事がそこに行くと偶然火事になっていて図面も消失する」とか、ほとんどコント。そんなこんなで「駄作」と言う人もいるとか。うーん、分からなくもない。
なのでストーリー展開は強引、しかも突っ込みどころ満載。パニック映画のわりに緊張感が足りない。だけど嫌いになれないのはなぜ? それは出演者、犯人役の高倉健、事件解決に尽力する国鉄幹部役の宇津井健、爆弾が仕掛けられた新幹線の運転手役の千葉真一など、出演者がやたら「熱い」。暑苦しい。映画全体の空気も「強引」だけど、荒削りで、熱くて、高度成長期(時代的にはもう終わってる頃だけど)ならではのパワーというか、力強さがみなぎっている感じで、見ていて圧倒されるほど。なので、「突っ込みどころ満載」なのに、「笑う」ことができない。出演者や制作した人たちの「熱さ」がダイレクトに伝わってくる。その雰囲気や空気を味わうための映画、敢えて「突っ込みどころ」は突っ込まずに、この時代の日本の空気にダイレクトに触れる、それだけでいいだろうと。
ねらわれた学園
1981年、アイドル的な人気のあった薬師丸ひろ子主演映画。当時私は中1、確か「たのきん映画」と同時上映だったので「女子はたのきんだけ見て退席、男子はこれだけ見て退席」なんてクラスでも話題になっていたもの。私は当然見に行っていないし、後年何度かテレビでやっていたけど一度も見たことがなかった。1983年頃、薬師丸ひろ子の妹分としてデビューした原田知世主演でテレビドラマ版をやっていて、そっちは見た記憶があった。しかし映画版は人気絶大だった薬師丸ひろ子主演、主題歌は大ヒットした松任谷由実の「守ってあげたい」、監督は大林宣彦ということになると、「テレビ版より面白いだろう」と思ってたんだけど・・・。
いや、これこそ「突っ込みどころ満載」って奴(笑)。まず超能力者がいっぱい出てくる話なので特撮が多用されてるんだけど、「いつの時代?」と思えるほど陳腐。ほとんどギャグにしか見えないアニメと実写の合成の連続。さらに「謎の超能力少年・京極」を演じるのが峰岸徹・・・。先に述べたテレビ版は、本田恭章という美少年タイプの人が演じていたのに、こっちは被りものをしたオッサン(笑)。おそらく「笑わせる」つもりで作ってるわけじゃないんだろうけど、全編コントにしか見えないのは辛い。正直、テレビ版の方が数段よかった。薬師丸ひろ子も、まだ顔が真ん丸で、子供っぽい。確かこの次が「セーラー服と機関銃」、本格的に可愛く、キレイになる直前といったところか。むしろこの頃、やたら角川映画に出まくって、薬師丸ひろ子や原田知世と共演していた高柳良一の存在感の方が光ってるかな。むしろ主演は彼といってもよいかも。
■2010/11/7 お茶の間を気まずくさせる、妖しく、ナルシストな名探偵 小学校3、4年生くらいの頃のこと。同じクラスの同級生が図書室にあった江戸川乱歩作の明智小五郎シリーズの少年文庫を借りて読んでいました。その同級生が「これは面白い」「全部で10巻以上あるけど、全部読みたいと思っている」などと言い出したものだから、私のいたクラスではちょっとした「明智小五郎ブーム」「江戸川乱歩ブーム」が起こって、みんなが借りて読みはじめました。私は以前から書いている通り「読書音痴」なので、1巻だけ借りたのはいいけど最後まで読めず、すぐに挫折しましたが・・・(笑)。
ちょうどその頃、今でも土曜日の夜9時からテレビ朝日で放映されている2時間サスペンス「土曜ワイド劇場」で、その江戸川乱歩原作で明智小五郎の活躍する「黄金仮面」のドラマが放送されるとの情報が。例のブームを最初に起こした同級生がクラス全員に向かって「絶対見るぞ」「みんなもちゃんと見ろよ」となぜか宣伝。そのせいでクラス全員が「これは見なければならない」「見なければ仲間はずれにされる」ような気持ちになったようで、放送当日の土曜日の昼間、授業が終わった後「見ろよ」「見るよ」というような話をしながら下校した。「みんなが騒ぐものには背を向ける」私といえども、「今日は見なければ」という気持ちになった。
そして土曜日の9時。うちではこの時間は普段は父が「Gメン75」を見る時間。だけど父はサスペンス・ドラマや推理小説も好きだったので、「今日はこっちを見よう」という私に従ってチャンネルをテレ朝系のKBCに合わせた。いきなり天知茂演じる明智小五郎が現れて「みなさん、黄金仮面はご存知ですね」などとカメラに向かってしゃべりはじめる。少年向けの本を読む限りでは「明智小五郎=カッコイイ、ヒーローのような探偵」を勝手にイメージしていたのに、出てきたのは天知茂。まあ、「カッコイイ」けど、小学生の私から見ればオッサンだし、何よりも気障で、嫌味なほど自信過剰で偉そうなナルシスト。それでいて一歩間違うと妖しい人にしか見えないほど灰汁が強くて、むしろ正義の味方というよりは悪役っぽい。しかも子供のはずの「小林少年」が当時20歳くらいの「大人のお兄ちゃん」。そこでいきなりの違和感。おいおい、あいつはこんなのを「見ろ」って勧めたのかよ。
更にストーリー展開もメチャクチャ。その明智小五郎以上に胡散臭くて、現実離れした怪盗・黄金仮面(伊吹吾郎)。血しぶきが噴出したり、バラバラ死体が出てきたりで猟奇的で陰惨な「グロ」シーンの連発。さらになぜかストーリーと直接関係のない女の裸の連発(笑)。例えば女が胸を銃で撃たれて死ぬ。血が飛び散る。駆け寄る明智。「おい、大丈夫か」。なぜか女のブラウスのボタンを外して上半身裸にして、撃たれた胸をじっと見て「あっ」・・・って、別に脱がせる必要ないだろう・・・・。家族4人で茶の間で見ていたんだけど、なんとも気まずい空気が流れる(笑)。ただですらこういうシーンに敏感だった父が思わず突っ込む。「おい、こんなのまだ見るんか?」。「いや、いい、もう寝る」。結局当日は父がひとりだけ最後まで見ていたよう・・・。月曜日、学校でみんながこのドラマのことを話していたけど、「よかった」と言った奴はほとんどいなかった。むしろ逆に「見ろ」と勧めていた奴に対してみんなが言った。「おい、お前はあんなのが好きなのか? いやらしい奴」(笑)。「いや、本当はあんな話じゃないんぞ」との反論も空しく・・・。私が先に挙げた必然性のないブラウスのボタン外しのシーンは、しばらくクラスの笑いのネタになってしまった。
ということで、まあ私と同世代か、私より少し上の世代の人なら天知茂が明智小五郎を演じた「江戸川乱歩の美女シリーズ」のことは覚えてるんじゃないかと思います。私が見た「黄金仮面」は1978年放送らしいけど、この後1985年に天知茂が急死するまで延々25作も続きました。さすがに小学生には厳しかったけど、中高生の頃は時々見ていたし、昼間や夕方にもよく再放送されていたので見る機会も多かったものです。そういえばよく年明け一発目、正月から「土曜ワイド劇場スペシャル」と称して放映されていたのは覚えています。「正月からエログロかよ」と、ここでも思いっきり引いてしまったわけですが(笑)。まあ、残虐シーンや裸のシーンは「狙いすぎ」「やりすぎ」感もあったけど、でもこのシリーズのお約束だから「ああ、またやっているな」くらいの感じで受け止めていたもの。「他の誰かに変装して登場して独善的な推理を展開し、その後でみんなの前で変装を解く」のもお約束。分かっていても「よし、はじまったぞ、いつものパターン」という気持ちで見入ってしまうし。
一方で天知茂の明智小五郎、小学生の私が思い描いていた「ヒーローのような探偵」とはかけ離れたあり得ないキャラに思えたけど、中高生になって見ると違った印象も。気障で嫌味で大袈裟で自信過剰なナルシストっていうと、普通は笑いのネタにされてしまうものだけど、なぜか笑えない。つまり「笑いのネタにはならない、ギリギリのライン」という感じだし、「実は美女に弱い」という弱点もある分、「ただのいいカッコしーの嫌なオッサン」にはなっていない。こんな「気障でわざとらしいけどニヒル」な味を持った俳優って、今はもちろんいないけど、実は昭和30年代、40年代にも皆無。本当に唯一無二の俳優だと思う。それなだけに若くしての急死が惜しまれる。事実、天知茂の死去以降、北大路欣也、西郷輝彦、陣内孝則、稲垣吾郎などが明智小五郎の役をやっているけど、正直「足元にも及ばない」という感じ。まあ、「それぞれ違った個性があるからいい」と思えなくもないけど、天知茂の個性があまりにも強烈過ぎるので、やっぱり霞んでしまう。原作のファンに言わせれば「原作とキャラが違いすぎる」そうだけど、私の中では「名探偵=明智小五郎=天知茂」になってしまう。
最近、このシリーズがケーブル局で再放送されているのでよく見ている。今や地上波では絶対不可能と思われるエログロな妖しいシーンの連発、変装を解くお約束のシーン、天知・明智の強烈過ぎるキャラクターはもちろんだけど、ストーリー自体も「一生をかけた復讐劇」とか、「悲しい運命に翻弄された悲しい殺人者」とか、救いようのない、悲しい話が多い点や、毎回登場する美女の他、黄金仮面(伊吹吾郎)や復讐に人生を賭けたマジシャン(西村晃)、裸の女を侍らせた新興宗教の教祖(伊東四朗)など敵役も明智に負けない癖のある人ばかりなところもまた魅力。江戸川乱歩作品を映像化したものは他にもいっぱいあるけど、「原作に忠実かどうか」はさておき、こんな独特の妖しい空気のドラマ、映画は他には絶対にないでしょう。
■2010/11/11 和製ヘップバーン?(芦川いづみ) 8月に「昭和の太陽」というタイトルで日活時代、昭和30年代の石原裕次郎の映画をケーブルテレビで見た感想を書きました。その中で「乳母車」という映画で、石原裕次郎の相手役、というより事実上の主役を務めていた芦川いづみという女優に惹かれたと述べました。以降、この人のことがとても気になったので、あれこれネットで調べるとともに、出演した映画の多くをケーブル・テレビで視聴してきました。
日活全盛期の女優といえば北原三枝、浅丘ルリ子、吉永小百合、和泉雅子、松原智恵子などがいるわけだけど、裕次郎夫人になった北原三枝、後に南極探検した和泉雅子はそうした話題とともに語られる機会もある。残る人たちは現役。だけど芦川いづみという人は私の生まれた昭和43年に藤竜也と結婚して電撃引退、以降は全く表舞台にも出てない人なわけだから、この人のことが記憶にあるのは50代後半以降の人のみということになる。だから私にとっては「昔、そういう人がいたってことはなんとなく聞いていた」レベルで全く馴染みがなかったわけで・・・。それなだけに、「乳母車」ではじめてその「伝説の人」の姿を見ることが出来、しかも「昭和の太陽」のところでも書いた通り、すっかり魅了されてしまったというわけです。まさに「一目惚れ」という感じ。よって、ケーブルテレビの番組表をチェックして、この人が出演している映画を見つけたら必ず視聴しています。
■風船
いわゆる「文芸作品」というやつ。今風に言えば「ホームドラマ」って感じ? 金持ちの一家を描いた映画だけど二股をかけた上、その一方の女性を自殺に追いやっても平気な顔をしている、どうしようもない長男(三橋達也)、その長男を誘惑する悪女(北原三枝)、息子を甘やかす母親、50歳を過ぎて人生に迷い、最後は家を捨てる父(戦前から活躍していた森雅之という名優が演じていて、事実上の主役)・・・、という見ていて気持ちが沈んでしまいそうなドラマが展開される。そんな中でただひとり、純粋で健気に生きる長女を演じているのが芦川いづみ。とにかく暗い映画の中で、彼女の健気さ、純粋さだけが救い。だからこそ、思い入れ云々抜きに、彼女の存在が際立って見えるし、後味の悪さを拭ってくれる。
■あじさいの歌
クレジット上の主役は石原裕次郎になっているけど、事実上は芦川いづみが主役。金持ちで厳格な父(初代黄門様こと東野英治郎、こういう役が似合う)に、20年以上も屋敷に閉じ込められて育てられた(=いわゆる「箱入り娘」ってやつ?)お嬢様を演じるのが芦川いづみ。そのお嬢様が外に出ることを許され、女子大に通いはじめるところからはじまるドラマ。やがてデザイナーの男性(裕次郎)と出会ってほのかな恋心を抱いたり、親友(中原早苗、なぜか芦川いづみの恋敵役多い)との三角関係に悩んだり、家を飛び出して、いまや売春宿の女将になってしまった母親と再会したりという出来事を通して成長していくというストーリー。いや、「箱入り娘」なんて非現実的だろうという気もするわけだけど、もっと突っ込みたくなるのは、その「箱入り娘」のお嬢様の性格。普通、社会から隔絶された世界で成長したのであれば、ワガママで周囲への気配りゼロ、ちょっとしたことで挫折してしまうはず。ところが、三角関係に悩みつつも、親友を傷つけてはいけないと身を引こうとする。売春宿の女将に成り下がった母のことを知っても落ち込んだりもしないし、母を全く憎んだりもせず、優しく接する。そんな「人格者になるはずはないだろう」「あり得ない」とは思う。
だけど、ここでも芦川いづみの存在が、そんな不自然さを吹き飛ばしてくれる。ネットを見ると、芦川いづみのことを「和製ヘップバーン」と称しているサイトをよく目にする。正直、私には違和感があった。「乳母車」や「風船」の彼女はむしろ庶民的だから、ヘップバーンのようにお嬢様っぽくもないし、芯の強さのようなものもあまり感じなかった。だけど、この映画で演じたキャラクターはまさに「和製ヘップバーン」。キャラクターもそうだけど、「大学に通い始める」時に髪をバッサリ切って、当時は珍しかっただろうショート・カットにした姿は、その見た目の美しさや凛々しさとも、ヘップバーンとダブるものがある。ここまで多くの彼女が出演する映画を見てきたけど、ここでの彼女がいちばん美しいし、最早現実離れして見えるほど。「乳母車」での庶民的な感じとは全く逆。同じ人でもここまで違うのか・・・。
■喧嘩太郎
■青春の椅子
どちらも石原裕次郎主演の熱血サラリーマンもの。へえ、裕次郎って、こういうパターンの映画もやっていたらしい。「相手役」を芦川いづみが演じている。正義感に燃えるサラリーマンが、会社の上司の不正を正すという内容で、内容的にはとりたててどうこう言うほどでもないかなと。高度成長期前の昭和30年代前半のサラリーマンの姿なんて、今となっては時代を感じるし。
ただ、やはりここでの注目は芦川いづみ。前者では婦人警官、後者では会社の同僚のタイピスト。どちらも今でいうキャリアウーマン的なキャラで、気が強くて行動的な女性の役。ここでもまた違った顔を見せてくれる。ガキ大将がそのまま大人になったようなキャラの、裕次郎演じる主人公と衝突しつつも、惹かれあっていく。前者では夜の遊園地でデートしているシーンで、ジェットコースターで怖くて悲鳴を挙げて裕次郎にしがみつきたい気持ちをじっとこらえている表情に、後者では屋上で逆プロポーズするシーンの表情に、すっかりやられました。
■あした晴れるか
なんと、今度は裕次郎演じるドタバタ喜劇映画。ここでも相手役を務めているけど、へえ、裕次郎がこんな映画までやっていたとは。アクションもの一辺倒でもなかったんだなあ・・・。裕次郎がカメラマン、彼に仕事を依頼した会社の社員で、彼の仕事を手伝うことになる女性社員を芦川いづみが演じている。ここでの彼女のキャラは「三枚目=お笑いキャラ」。野暮ったい黒縁メガネをかけ、難しい専門用語でまくし立てるようにしゃべる、お高く留まったキャリアウーマン。それでいて酔っ払うと酒乱だったり、意外と抜けていてドジだったり。正直「美人女優」の演じるような役じゃない。でも、こんな役までこなしてしまうあたりが凄い。しかし裕次郎の相手役といえば、初期は北原三枝、後期は浅丘ルリ子のイメージが強かったんだけど、贔屓目じゃなく、裕次郎といちばんお似合いなのは芦川いづみのような気がするのは私だけだろうか?
・・・私もリアル・タイムで見ていないし、今やリアルタイムで見ている人の方が少ないだろうから、ネット上でよく見かける「和製ヘップバーン」ってのが一般的イメージなのかもしれないけど、実際は映画によって全くイメージが異なる。確かに「あじさいの歌」での彼女に限っていえば「和製ヘップバーン」だけど。個人的には「乳母車」や「風船」のような、素朴で庶民的でピュアなイメージの彼女がいちばん魅力的だと思う。「お嬢様」とか「お笑いキャラ」とか「キャリアウーマン・キャラ」なら彼女と同等か、それ以上に演じられる人はいるけど、あの味を出せる人は皆無なんじゃないかと思う。「昔の人」かもしれないけど、今の姿を知らず、リアル・タイムも知らない人なので、私の中では「最近、出会った人」。今後も多くの映画を観ていきたいと思う。
■2010/11/21 お前はもう、死んでいる(北斗の拳) 高校1年の頃、「少年ジャンプ」を愛読している者が多くて、掲載されている漫画の事がよく話題になっていました。ただ私は以前から何度も書いてきたとおり「読書音痴」。それは漫画も全く読まないということなので、それらの話題には全くついていけませんでした。そんなある日、同級生が突然「アチャー」などと叫びながら指で私の体を突いて、「秘孔を突いた、お前はもう死んでいる」などと言い出しました。「こいつ、何言ってるんだ?」と心の中で思っていたところ、続けてこう言われました。「ノリが悪いなあ、そういう時は『ヒデブー』って叫んで死んでくれないと」。「何や、それ?」と聞いた私に、「お前、北斗の拳も知らんのか!」「ジャンプ読まんのか」と突っ込まれました。「俺、漫画なんか読まんし・・・」。その場はしらけてしまったわけですが、「へえ、北斗の拳なんて漫画が今、人気があるんだ」ということをはじめて認識した瞬間でした。それから数ヵ月後、フジテレビ系列で「北斗の拳」のアニメの放送開始。「どれ、どんな内容なんだ?」と興味を持ってチャンネルを合わせました。以前から書いている通り、小6の時に見た「銀河鉄道999」以降、アニメなんてほとんど見なくなっていたし、まして「ジャンプ」などに連載されている漫画への知識も興味も全くなかった私、あの時同級生に「突っ込み」を受けなければ、私がこのアニメを見ることはなかったと思います。
実はつい昨日まで、ケーブル局のアニメ専門のチャンネルでその「北斗の拳」が1話からずっと放映されてきました。そして昨日が最終回。考えて見ればこのアニメって、私が高校1年だった1984年にはじまり、私が高校を卒業する直前の1987年の3月までという長きに渡って放送された、私にとって以前書いた「タッチ」と並んで、「高校時代を思い出してしまうアニメ」でした。放映が始まってからは、私も秘孔を突かれた際は「ヒデブー」と叫んで死んであげるようになったし、金曜日登校した際は前日の内容の話題でもちきりになったし、大袈裟すぎる絶叫口調の予告編のナレーションの物真似をしたり・・・。そんな思い出深いアニメではあるけど、一方で、人が潰れたり、血が噴出したりする残虐シーンのせいで地上波ではあまり流せないとか、1話ずつ放映すると2年半もかかることもあるため、第1部(シンとの対戦まで)だけで再放送が終わったりというケースも多かったので、1話から最終回まで通して視聴したのは、実はリアル・タイム放映以来でした。久しぶりに全話見ることが出来て大満足でした。
しかしリアル・タイムで見ていた頃は原作を知らなかったので、全く知識がないままで見始めたもの。指先ひとつで相手を死に至らしめる必殺拳、北斗神拳で悪人どもを倒していくケンシロウだけど、弱者には優しい一方で、相手が命乞いしようとも容赦なく倒していく非情さ、無感情で無表情、正義感を振りかざした台詞を吐いたりもしない。私が幼少の頃に慣れ親しんだ70年代のアニメや特撮のヒーローとは一味もふた味も違う姿に引き込まれた。悪人のアクの強さ、大袈裟な描写やナレーション・・・、独特な世界観にも惹かれた。一方で、南都聖拳シンとのユリアを巡る三角関係の話かと思いきや、その後もストーリーがどんどん膨らんで、気がつけば南都に6つの流派が現れたり、同じ北斗の中でも継承者の地位を争うラオウが登場したり・・・。気がつけば「世紀末救世主」だの、「星の宿命」だの、悪く言えば大風呂敷がどんどん広がっていって、第2部、第3部と進むうちに「第1話の頃って、こんな話だっけ?」「最初の頃と辻褄が合わなくなるんだけど」という部分も出てきました。でも、やっぱり「来週はどうなるんだろう」と、実に2年半もの間楽しみに見てきた。あの頃の気持ちが蘇ってきたし、大雑把なストーリーは覚えていたけど、細かい部分までは覚えていなかったので、新鮮な気持ちで見ることが出来ました。
リアル・タイムで見た頃は、ケンシロウばかりに感情移入して見たものだけど、今回見返すと最初は悪役として登場したシン、サウザーそして宿敵ラオウですらも、宿命のままに生きた結果、道を誤ってしまった哀しいキャラなんだな気がついて、以前よりは共感できる部分があったのは新鮮でした。あと同級生に圧倒的人気だったのは、今風に言うと「イケメン・キャラ」の南都水鳥拳レイだったけど、今見ると確かにカッコイイ反面、ラオウにあっさり敗れたあたりは「意外と強くないのか?」という気がするし、むしろラオウに善戦した南都五車星の雲のジュウザの方がはるかに強くてカッコイイじゃないかと思ったり。このあたりも再発見でした。ただ、リアル・タイムで見た時も、今回も不可解で疑問を感じずにはいられないのは・・・。南都聖拳って、あくまでも「拳法」のはずなのに、なぜ「南都の最後の将」がユリアなのか?確かに「南都乱るる時、北斗現れり」「北斗と南都は表裏一体」なので、北斗の伝承者+ユリアで、はじめて世紀末の世が救われるってのは分かるけど、拳法を使えない人が「南都の将」ってのはやっぱり不自然でしょう? うーん、その辺だけ、もう少し上手くまとめてくれればよかったかなという気はする。
とはいえ、まあ、多少の「突っ込みどころ」があるのも、このアニメの世界観だから、まあ、些細な問題。最近は先も述べたとおり、再放送されることもなく、逆にパチンコやらゲームやらでの人気や、「外伝」に過ぎないはずの、平成になって制作された新作ばかりが注目されるけど、私にとっては「ラオウとの決戦」までが「北斗の拳」。その直後に放送された「北斗の拳2」ですら見向きもしなかった私なので、本当に久しぶりに全話視聴することが出来て大満足でした。
■2010/11/27 太陽にほえろ(再び) 実は2002年にも、この番組への思い入れをここで語ったものでした(こちら)。確か2002年に日テレ系の福岡の地方局、FBSで久々に再放送されて、それを本当に久しぶりに見て感慨深くて思わず書いたものでした。そして今、ケーブルテレビで毎週のように当たり前にこの番組を見ることができるようになりました。今はファミリー劇場というテレビ局で、石原裕次郎が2回目の闘病で降板→番組終了が決まった後、代役として渡哲也が登場した末期分と「デジタルリマスター盤」と称して第1回からもう一度放送が始まった初期分という2枠で放送されています。長寿番組だから昭和47年の「最も初期=マカロニ編」と昭和61年の「末期分=橘警部(渡哲也)編」ではメンバーも時代も、番組の雰囲気も全く異なっているので、まるで別の刑事ドラマのよう。だけど「変わらない何か」もあるわけで、だからこそこの番組、いつの時代のものも嫌いにはなれないし、見応えがあります。
2002年にも書いたけど、この番組を見始めたのはやはり亡き父の影響。石原裕次郎の好きだった父が第1回から見ていたわけだけど、当時4歳の私には内容は理解できませんでした。ただ、一度聴いたら忘れられないカッコいいオープニング曲、それに合わせてメンバーの紹介、最後には街を歩く貫禄たっぷりのボス・・・。このオープニングだけで思わず惹かれるものがあったし、意味が分からなくてもオープニングだけは必ず見ていたもの。そしてお互いをあだ名で呼び合うので、4歳の子供でも登場人物を簡単に覚えることが出来た。約1年後、マカロニ(萩原健一)に代わって登場したのがジーパン(松田優作)。まさに特撮ヒーローのような派手なアクションは子供心にもカッコイイと思ったもの。そして小学校に入る昭和50年頃からは「刑事ってなんなのか?」が分かるようになった分、ストーリーも多少は理解できるようになったし、小2の昭和51年にはほんの一時期とはいえ、警官に憧れた時期もあったので、この頃からは「父が好きな番組」というより、「自分自身も好きな番組」になっていった。特に沖雅也演じるスコッチのクールなカッコよさと、山さん(露口茂)の渋さに憧れたものでした。以降、メンバーがどんなに入れ替わろうと、私自身がどんなに成長しようと、金曜日の夜8時には当たり前のようにこの番組にチャンネルを合わせ続けた。
10周年の年にゴリさん(竜雷太)、長さん(下川辰平)が、そして高校3年の昭和61年の春には山さんまでいなくなったときは寂しかった反面、それでもメンバーを代えて番組が存続していくのを見て、「この番組、俺が30歳になっても40歳になっても続くのかな」と思ったりもしたものでした。いや、4歳の時に始まって、18歳になっても続いていたわけだから・・・。それなだけに、山さん降板からわずか数ヵ月後に石原裕次郎が2回目の入院後に降板、番組終了が決まったときは信じられなかったものです。まさに私は「この番組とともに成長した」といっても過言ではありません。
じゃあ「どこが好きか?」ということになるんだろうけど、2002年の過去ログでほとんど語りつくしてしまっているので、ここでは詳しくは述べない。だけどケーブルテレビで久々に見て気がついたことも。リアル・タイムで見ていた頃は、さすがに10周年以降にメンバーが大きく入れ替わっていく中「別の番組になってしまった」と思ったものだけど、実は一貫したテーマがある。それは「命の重さ」。この番組に登場する刑事は、「悪い犯人を懲らしめるヒーローのような刑事」でも、「派手なアクションを見せつけてカッコつける刑事」でもない。「人命を重んじる刑事」。人の命を守り、人命を尊重する刑事の姿を描いたドラマ。時代やメンバーによって番組の雰囲気は大きく違うし、過去ログにも書いた通りストーリーも様々。だけど、このテーマは一貫している。だからこそ「全く違う番組」にはなっていない。石原裕次郎抜きには無理だったのかもしれないけど、できることなら最も末期のメンバー、橘警部を責任者として続けて欲しかったと思う。
12月には「末期枠」は最終回を迎える。「初期枠」は年内にマカロニ殉職、年明けからはジーパン編になる。年明け以降はジーパン編のみになるわけだけど、今後もまた最終回まで続けて欲しいと思う。とはいえ、ジーパン編から最終回まで13年もかかるけど・・・。
■2010/11/28 マカロニ・ウエスタン(太陽にほえろ、マカロニ編) 昨日書いた「太陽にほえろ」の初期枠、昨日でマカロニが殉職。約1年にわたって週に1話ずつ放送されててきた「マカロニ編」が終了しました。本放送は昭和47年7月〜48年7月までのちょうど1年、私は当時4歳〜5歳。見ていた記憶はあるし「マカロニ」というニックネームの若い刑事がいたことも理解していたけど、きちんと内容を理解できる状態で見たのは小学校の3,4年ごろの再放送だった思います。同時に昨日リンクした過去ログにもあるとおり、2002年に地上波で再放送されたばかりなので「久しぶりに見た」という感じでもなかったし、内容を覚えていた話も多かった。
とはいえ、この時期ってまだ番組創成期なので、後の「太陽にほえろ」とはイメージが違うところも多い。例えば、「ボスはいつもデスクに座っているわけではなく、現場に出て指揮を執る、場合によってはひとりで暴走する」「山さんは後の無口で渋いキャラではなく、短髪でべらんめえ口調でガラが悪い怖いベテラン刑事、雀荘に入り浸り」「殿下(小野寺昭)が女にモテる遊び人キャラで、特に初期は女に冷たい一面も」「番組開始当時、『萩原健一と石原裕次郎のダブル主演のドラマ』としてはじまった関係上、マカロニ主演の話が圧倒的に多い」「他の刑事の登場シーンは多くなく、メンバー全員が揃わないストーリーの方が多い」「元ボスの同僚刑事だった宗吉(ハナ肇)経営の大衆食堂がメンバーの憩いの場になっていて、最初の数話ではハナ肇もレギュラー扱い」「最初の数話で山東昭子演じる事件記者が準レギュラーとして登場」・・・などなど。そうした人物設定もそうだけど、昭和50年代「お化け番組」になって以降のこの番組って、「家族で安心して見ることができる番組」を目指したそうだけど、この時期はまだ暴力的なストーリーあり、「タブーに挑戦した」様な話もありで、まだまだ手探り状態だったんでしょう。でも、だからこそ「この時期ならでは」の面白さもあったわけで・・・。
というわけで、この「マカロニ編」、全部で52話あったわけだけど、52話を振り返ってベスト・エピソード10話を選んでみました。
1.そして愛は終わった(20話)
ゲストは沢田研二。彼が叔母との近親相姦の秘密を知って強請った老婆を殺した犯人役で登場。しかし近親相姦なんて「タブー」なネタを扱っていること自体、この番組にしては異色。最後マカロニは人質を救うために、彼を射殺してしまう。はじめて人を撃ち殺してしまって子供のように泣きじゃくるマカロニの姿が痛々しい。衝撃なテーマや豪華ゲストよりも、最も印象に残ったのはそのシーンでした。
2.ある日女が燃えた(41話)
山さん主演のエピソード。山さんが政界の大物の犯罪を暴くため大暴走。ヤク中の女から薬を採り上げて「欲しければ吐け」と脅したり、自白させるために運転中の女の助手席に乗ってアクセルを踏み込んで車を暴走させたり・・・。この頃の山さん、イメージが全く違っていてアウトローで怖い。違った意味での「落としの山さん?」。でも、この頃の山さんも好き。
3.マカロニ刑事登場(1話)
記念すべき第1話。暴力組織のメンバーを誤って殺してしまった少年(水谷豊)を追う新任のマカロニ。少年は組織にも狙われているので、逮捕することが少年を救う早道。少年を追う中で「人を捕まえることではなく、命を救うことこそが刑事の仕事」と悟るマカロニ・・・。昨日も書いた通り、「人命の重さ」が番組のテーマ。第1回からそのテーマに沿ったエピソード。水谷豊の犯人役もよい。
4.時限爆弾街に消える(2話)
第2話。マカロニが山さんと組んだエピソード。爆弾を仕掛けた犯人に仕掛けた場所を自白させようと感情的になって問い詰めるマカロニ、「まあまあ」とのらりくらりと付き合う山さん。ところが、犯人が思わず口を滑らせそうになった瞬間、鬼の形相で問い詰める山さん。その迫力に驚くマカロニ・・・。「刑事とは何か?」を言葉ではなく、態度で山さんから学んだマカロニ・・・。やはりこの頃の山さんって怖い。
5.怒れマカロニ(45話)
ヤクザになってしまった旧友を心配し、救おうとするマカロニ。旧友が事件に巻き込まれた時、怒って暴走する・・・。「正義感に燃えて暴走する若手刑事」、刑事ドラマにありがちなストーリーだけど、マカロニの場合、自分自身も不良が刑事になったような人だから、ヤクザになってしまった旧友を仲間のように気遣うあたりがこの人らしくっていい。
6.黒幕は誰だ(46話)
ボス大活躍編。ボスが麻薬密輸の黒幕を暴くため、古い知り合いでもある売人(藤竜也)と手を組んで、部下の目を欺いて単独行動。部下の刑事たちまでもが「ホンキで売人と手を組んだのか?」と疑うほどの暴走。こういう話も、この時期ならではでは? しかも「最後に全員が相撃ちで死んでしまい、ひとり生き残ったボスがタバコに火をつけて去っていく」というエンディングは、まるで日活時代の映画のよう。
7.48時間の青春(7話)
最初は少年課の刑事として登場した(後に捜査1係に)内田伸子巡査(関根恵子)主演作。脱走した少年(火野正平)を保護したものの、母親に会いたい、会ったら必ず戻るという少年の言葉を信じて、行動を共にする。他の刑事はほとんど出てこず、本当に伸子の独壇場。こういう話も、この時期ならではか?でも、この頃の関根恵子って、本当に魅力的。
8.殺したいあいつ(13話)
「犯人を殺したい」と思って犯人を撃ってしまい、結果的に射殺してしまったことを悔やんで刑事を辞めたという宗吉(ハナ肇)。マカロニにも遂にそうした瞬間が訪れて・・・。簡単に犯人を射殺してしまう刑事ドラマもあるけど、一貫して命の重さを訴えてきた、このドラマならではのエピソード。
9.ボスを殺しに来た女(32話)
タイトルに反して、主役はマカロニか。捜査1係にボスの命を狙う女が現れる。実は彼女が狙ったのは前任の係長(佐藤慶)。その前任の係長が指揮を執るが、強引なやり方にマカロニが反発して・・・。「自分の信じるままに突っ走る」マカロニらしいエピソード。
10.そのとき、時計は止まった(49話)
山さんの「謎解き、推理もの」。難解な事件の謎を解いていく、山さん主演でなければ成り立たないエピソードだけど、同時に事件の中で知り合った不遇な若者に同情し、共感する山さん・・・。ここでの山さんは、むしろお馴染みの山さんの姿に近いかも・・・。
もちろん、10話に絞るのは難しいし、別の日に選んだら別のエピソードを選ぶかも、という気がする。主演話が2話しかなかった長さんはともかく、ゴリさんや殿下の主演作は一個も出てこなかったけど、まだ殿下は「引き立て役」っぽいし、ゴリさんも「マカロニの兄貴分」という感じだから、やはり脇に回った方が光ってる気がする。まだ番組のスタイルが出来上がってないからこその異色作が多いので、丸1年、楽しんで見ることができました。
■2011/1/9 「映画音痴」のケーブルテレビ映画鑑賞 (3) 年末年始はケーブルテレビの各局が通常の番組を中止して「一挙放送」ばかりやっていたので、見るものがほとんどなくって・・・。というわけで、普段はあまり見ることのない映画の専門チャンネルで映画を多く見ていました。
クレイマー・クレイマー
私でも名前と顔が分かるダスティン・ホフマン主演の70年代の名画。エリート・サラリーマンが突然妻に離婚を言い渡されて、幼い息子と2人暮らしになって、家事や子育てに悪戦苦闘する話、という知識も一応ありました。でも私は「喜劇」だと思ってたんだけど、息子との心の触れ合いが描かれていて「感動もの」ぽいところもあったり、後半は別れた妻が突然「子供を引き取りたい」と申し出て裁判沙汰になったりと、意外と深いドラマ。前半は「心温まる感動もの」なのに、後半は裁判でドロドロした話になるあたりが「現実的」といえるかもしれないけど、なんとなく気が重くなってしまった。まあ「いい映画」であることに異論はないけど、子供がいるわけではない私が見ても感情移入できるところはありませんでした。「父親」な人が見れば、共感できたり、感動できたり、考えさせられたりなんじゃないかな・・・。
狼よさらば
「マンダム」のCMに出ていたので、幼少の頃から「ヒゲのおっさん」として馴染みのあったチャールズ・ブロンソン主演映画。当時は「ヒゲのおっさん」というイメージだったけど、今の私には「渋くて男臭い、ハードボイルドの似合う男」というイメージ。主演映画を一度も見たことがなかったので、ちょっと見てみました。
ごく普通のサラリーマンが、街のチンピラに妻を殺され、娘を暴行されたことから復讐の鬼と化す・・・。と聞いていたんだけど、そんな単純な話じゃない。主人公の男は、真犯人を探して復讐するわけではなくって、街で強盗を働くチンピラを見かけると、片っ端から殺害していく。「目には目を」ってことなのか、いかにも「アメリカ的」だなと。正直、共感できないけど、このあたりは国柄の違いか。「犯人を捜して復讐する」なら納得できるんだけど。そして、そんな彼の行為を英雄扱いする一般市民、そして「超法規的措置」で彼の犯罪を闇に葬る警察・・・。このあたりも腑に落ちないものが。よって、ストーリー的には共感できず。私にとっては、渋いブロンソンの魅力だけが印象に残りました。
乱暴者
以前「波止場」の感想を書いたけど、これもマーロン・ブランド主演映画。「波止場」でマーロン・ブランドのかっこよさに惹かれたので、楽しみにしてたんだけど・・・。
マーロン・ブランド演じるリーダーが率いる暴走族がある街に流れ着いて街を占拠、そこに対立する暴走族が現れて騒動を起こす・・・、悪く言えば、ただそれだけ。まあ、公開当時、まだジーンズや革ジャン=テッズ・ファッションが物珍しかった時代なので、そうした新しいファッションや、新しい若者像を描こうとしたんだろうけど、あまりテッズ的なものには感情移入できないし、「傍若無人で身勝手な若者の映画」としか映りませんでした。ひょっとすると20代くらいのときに見れば、もっと感じるところもあったのかもしれないけど。
荒野の7人
黒澤明監督の名画「7人の侍」に感動したユル・ブリンナーが企画した「西部劇版・7人の侍」。ところが、私はその元ネタの「7人の侍」を見たことがないので、純粋に「西部劇の名作」として見ることが出来ました。
無法者に襲われた村人が、それに対抗するために7人のガンマンを雇って無法者と対決する、という単純明快なストーリー。その「7人」が実に個性的で魅力的なので、自然に惹き込まれていきました。特にリーダー格のユル・ブリンナーの渋さと正義感、ちょっとオチャラケている一方で生真面目なNo.2のスティーヴ・マックイーン、無口で渋いナイフ投げの名手ジェームス・コバーン、そしてぶっきらぼうだけど子供に優しいチャールズ・ブロンソン・・・、特にこの4人が魅力的。純粋にかっこよくって、楽しく見ることが出来ました。同時に元ネタの「7人の侍」もぜひ見てみたいなと。
ローマの休日
もう、いうまでもないほど有名なオードリー・ヘップバーン主演の不朽の名作。特に日本では世代を超えて人気があって、確か1990年代にもちょっとしたブームが起こったもの。正直「恋愛もの」って20代の頃は避けていたし、「女向けの映画」と思ってたので、今まで一度も見たことがありませんでした。まあ、もちろん「ある国の王女が遊説先のローマで宮殿を脱走して、街で出会った男性記者と1日限りの恋愛を楽しむ」というストーリー自体は知っていたけど・・・。
内容的には「イメージしたとおり」。しかしヘップバーンが時代を超えて、いつの時代にも若い女性から憧れられる理由はよく分かりました。誰が、いつの時代に見ても、「カワイイ」「美しい」と思える。特に日本人が西洋の女性を見た場合、「実年齢より上に見える」「全然身近な感じがしない」のがパターンだけど、この人の場合、ちょっと童顔だったりするので「日本人受けしそう」な顔立ちだし。ファッションも含めて、いつの時代も日本人の若い女性に憧れられる理由はよく分かりました。
あと、ストーリー的には「思ったとおり」ではあったけど、この映画の主役って本当にヘップバーン? 私にはむしろグレゴリー・ペック演じる男性記者の目線で描かれてるような気がする。最初は街で偶然出会った身元の分からない女性に迷惑がっていたり、「実は女王では?」と気がついた際も「特ダネのネタ」くらいに思っていたのが、面倒を見ているうちにどんどん彼女に惹かれていく、その心の動きが上手く描かれていると思う。だから私はむしろ、彼の目線で、彼に感情移入して見入ってしまいました。これは私が男だからなのかもしれないけど、これはむしろ「女王と1日限りの叶うはずのない恋愛を楽しんだ男の映画」だと思いました。事実ラストシーンも、記者会見を終え、寂しく1人で去って行く彼の姿で締めくくられているわけだし。まあ、「ベタ」なストーリーだけど、時間を忘れて楽しむことが出来ました。
■2011/1/16 テレビの革命児の死(横澤彪氏死去) 地上波のテレビを見なくなったことに加えて、年明け以降忙しすぎて世の中の動きに疎くなりつつある今日この頃だけど、朝起きて新聞だけは読むようにしています。そんな中、元フジテレビのプロデューサーだった横澤彪氏が亡くなったとの記事を発見。とても寂しい気持ちにさせられました。私は1980年代に中高生、最も多感な時期を過ごしたので、この人の作った番組はいつも夢中になって見ていたもの。それなだけに「ああ、あの頃ももう、遠い昔になってしまったんだな」と痛感させられた次第です。
80年代、この人はとにかく「最先端」で「革新的」だったもの。1980年頃「火曜ワイドスペシャル」の枠でTHE MANZAIなる番組を制作。私にとってそれまで全く馴染みがなく、「演芸場で爺さんや婆さんの客を前に、オッサン2人組がマイクの前でしゃべってるだけの地味な芸」というイメージしかなかった漫才。それをMANZAIと表記して、若い女性の観客を前に、若い芸人たちが早口でまくし立てるようにしゃべったり、ジャズっぽいBGMに合わせてステージに登場したりと、まるでアイドル歌手のショーのような感覚で見せる。そうすると突然「最先端」でオシャレに見えたし、私も思わずのめりこんで見てしまいました。まあ、当時好きだったドリフなどとは全然違う笑いが新鮮だったこともあるけど、やはり「見せ方」も大きかったんじゃないかと。もしも従来と同じような、演芸場のような場所からの中継だったとしたら、私は絶対見なかったと思います。
そして昼の12時からB&B司会で「笑ってる場合ですよ」、いや、昼の12時に若者ターゲットの番組というのも当時としては珍しかったもの。学校が早く終わる日や祝日、夏休み春休みなどにしか見ることが出来なかったから、たまに見ることが出来る日は朝から楽しみにしていたものでした。そして漫才ブームが終わりそうになった頃に、そこから出てきた芸人を集めてはじめたのが「ひょうきん族」。当時人気があったのはB&Bやザ・ぼんちだったのに、この番組で中心に据えたのはビートたけし。当時出てきた芸人の中でも数少ない既婚者で、年齢も30歳を過ぎてたし、毒舌で不謹慎でブラックなネタばかりの人だったので、「何でこんな奴がメイン?」とビックリしたもの。でも、始まってみればこの人が実はとんでもない天才だったことが分かってきて感心。さらに「笑ってる場合ですよ」の後に始まったのは「笑っていいとも」。当時はマニアックでアングラなタレントでしかなかったタモリがメイン司会・・・。はじめて見た時は「何でタモリ?」と驚いたし、「すぐに終わるに決まってるのに」と思っていたのに、意外にもトークの才能があることに気がつかされてビックリしたし、結局長寿番組になったし。タモリにこんな才能があることに気がついていた人なんて、当時は皆無だったはず。
なので、私から見ると横澤氏のイメージは「誰も思いつかない、とんでもないことをしでかす人」。周囲から見れば「冒険」「無謀」と思える企画、「抜擢」としか思えない人選がすべて当たってしまう。まさに「革命児」「魔術師」だったと思います。テレビの歴史を遡れば、昭和30年代、テレビが普及し始めた頃にさまざまなことを仕掛けた人たちがいて、その人たちこそが本当の「革命児」「魔術師」なんだろうとは思う。だけど、そんな時代をリアル・タイムでは知らず、80年代に最も多感な時代を過ごした私から見れば、そうした「先人」の作ってきた常識をぶっ壊して全く新しいものを生み出そうとしたこの人こそが「革命児」「魔術師」だと思えます。事実「ひょうきん族」を始めた頃、敢えて裏番組の「8時だよ、全員集合」と真逆のことをやろうと考えたと、どこかで聞いたことがあります。綿密な台本よりもアドリブとハプニング、片や公開生放送、片やスタジオ録画等・・・。今の地上波のテレビが面白くない理由はいろいろあるけど、やはりこの人のような「新しいことをやって驚かせてやろう」という気持ちを持ったプロデューサーやディレクターがいないことも大きいんじゃないだろうか。今のプロデューサーやディレクターって、この人の作った番組を見て育った世代のはずなのに・・・。この人の作った番組を真似るのではなく、そうした革命精神を真似て欲しいと思うけど、まあ無理なんだろうな。
今、ケーブルテレビで「ひょうきん族」をやっていて時々見ているけど、正直、今見ると懐かしい反面、心の底から笑えないのは事実。アドリブやハプニング、楽屋ネタや時事ネタに頼った笑いは、リアル・タイムでは楽しめても、後から見ても今ひとつなのかなと。とはいえ、リアル・タイムで「ひょうきん族」を見ていた頃、特に1982〜85年頃、私にとってこの番組は「1週間で最も楽しみな番組」だったし、「最も好きな番組」だったし、この番組を見ている時間は、土曜日の夜ということも相俟って、1週間で最も楽しい時間だったものです。学校でのあんな嫌な事、月曜日以降の学校で起こるだろうあんな嫌な事、そんな全ての嫌なことを忘れさせてくれるひと時。亡くなったというニュースを聞いて寂し買った反面、今は感謝しています。「楽しい時間を私に与えてくれてありがとうございました」。
■2011/1/22 伊達直人??(タイガーマスク) 昨年末〜年明けにかけて「伊達直人」の名前で児童施設にランドセルなど寄付する人が続出しているとのニュースが。さすがに忙しくて世の中の流れに疎くなりつつある私でも、このニュースを見聞きする機会は非常に多いわけで。正直、私は「奉仕の精神」が著しく欠けている人間なので「真似したい」とは全く思わないけど、人と人とのつながりが希薄で、むしろ周囲の人のことに無関心だったり、人を思いやるより批判したり吊るし上げたりすることに夢中になりがちな21世紀の世の中を思えば、久々に「世の中捨てたもんじゃないな」と思えるニュースでした。でも、私がより強く感じたのは、久々に「伊達直人」の名前を聞いて、懐かしいいやら嬉しいやら、という気持ち。
伊達直人とは言うまでもなく、アニメ「タイガーマスク」の主役の名前。つまり覆面レスラー、タイガーマスクの「正体」。このアニメが放映されたのは、昭和44年〜46年というから、私が1歳〜3歳の頃ということになる。「物心ついた頃から何度も見てきたアニメ」という記憶があるけど、おそらくリアル・タイムで見ていたのではなく、再放送で見たのが最初だったと思う。昭和40年代、50年代前半くらいまでは頻繁に再放送されていて、何度も何度も見た記憶がある。
特に小学校5年の頃だから昭和54年だと思うけど、夕方に再放送されていた際は、クラスの男子全員が夢中になって見ていたので、私も結構はまった記憶がある。梶原一騎作だから「スポ根」と見られがちだし、確かに「悪役レスラー養成所」でもある虎の穴の悪役レスラーとの抗争が話のメインではある。奇抜なコスチュームと奇妙なレスラーたちとの戦いにワクワクさせられたのは事実だし、私が夢中になった理由も、そうした部分に惹かれたことだったのもまた事実。伊達直人は完全無欠で、思わず憧れてしまうようなヒーローに映ったもの。以前から何度も書いている通り、私がアニメに夢中になったのは小学生の頃までだったけど、その頃までに見た全アニメの中でもトップ3に入るほどに好きで、夢中になったアニメのひとつでした。
その後、中1の時(昭和56年)にも平日の夕方に再放送が。確か裏で「ガンダム」の再放送をやっていたので、みんなはそっちを見ており、「タイガーマスク」の方を見ていた人はほとんどいなかった。だけど私は「ガンダム」は嫌いだし、思い入れの強い「タイガーマスク」の方を夢中で見ていました。ところが、小5の頃、ほんの2年前に見た時は「カッコいい、プロレスのアニメ」くらいにしか思っていなかったのに、中学生になった私の目には、ちょっと違った印象も。
主人公の伊達直人は「みなしご」で、孤児院である「ちびっこハウス」の出身。幼い頃の彼は、過酷な運命の中で育ったので「強くなりたい」とちょっとひねくれた性格になってしまい、「虎の穴」に入門。悪役レスラー、黄色い悪魔ことタイガーマスクとして大暴れ。一方で正体を隠したまま伊達直人は自分の育った「ちびっこハウス」に資金援助したり、寄付をしたり。その結果、虎の穴に納めるべき金をも寄付してしまい、「裏切り者」として命を狙われるようになる・・・。そしてクリーンなファイターに転身するんだけど、実は伊達直人は「完全無欠のヒーロー」じゃない。窮地に陥ると思わず昔のラフファイトが出てしまったり、自分の生い立ち故のコンプレックスに悩んだり迷ったりという、なんとも繊細な心の持ち主。そうした心の葛藤が描かれているので、1人の繊細な男のドラマとして見ることも出来る。ただ、そうした弱い部分をも感じることが出来たことにより、伊達直人は私の中のヒーローではなくなったものの、より身近に感じることが出来、高感度も大きくアップ。また、地方巡業先での貧しい、不幸な子供たちとの出会いも。そうした子供との触れ合いが描かれている話や、当時の社会問題(交通戦争、公害等)を浮き彫りにした話までもあって、思わず考えさせられたりもしたもの。小5と中1って2年しか違わないけど、やはり大人になりかかった多感な時期に見ると、ただの「プロレス・アニメ」ではない部分が見えて、ますますこのアニメが好きになったものでした。私にとっては「銀河鉄道999」と並んで、「好きなアニメ」というよりも、「影響を受けたアニメ」といっても過言ではありません。
そんな「影響を受けまくったアニメ」の主人公の名前を久々に聞いて、思わず嬉しくなってしまいました。おそらく「偽善」とか言う奴もいることが予想されるけど、素直に感動しました。私が大好きだったキャラ・伊達直人の精神が現代にも生きていた、それだけで嬉しく思います。しかしこのアニメ、「残酷なシーンが多い」からか「不適切表現がある」からか、あの中1の時に再放送で見て以来、一度も目にした事がない。地上波で難しいなら、せめてケーブル局のアニメの専門チャンネルでやって欲しい。自分のことばかりで周囲の人を思いやる気持ちが希薄で、批判してばかりの今の世の中、そんな時代だからこそ、こういうアニメを現代の子供に見せることも必要なんじゃないだろうか。
■2011/3/29 贈る言葉(金八先生) つい先日、地上波テレビで「金八先生も遂に定年」ということで「3年B組金八先生ファイナル」なる特番のドラマが放送されていたようです。正直、私は「金八」って「説教臭い」「押し付けがましい」という想いもあって、あまり好きではありませんでしたし、1990年代になっても何度も何度も新作が放送されているのを見るにつけ「いつまでやってるんだ」と思っていたというのも事実。ということで、この特番は見ませんでしたし、特別思い入れがあるということもありません。
ただ、昭和54年〜55年にかけて放送された第1シリーズと、昭和55年〜56年にかけて放送された第2シリーズには「好き、嫌い」抜きにちょっと思い入れがあります。といっても、リンク先(こちら)でも述べている通り、リアル・タイム放映は金曜日の夜8時、つまり「太陽にほえろ」の裏番組だったので、まともに見たのはもっと後、昭和56年頃。卒業生の中から「たのきん」他、スターが多く登場したことで再注目されて、夕方や夏休みに繰り返し再放送されるようになった頃からでした。ちょうど昭和56年といえば私自身も中学校に入学した年。それなだけに、金八に対する思い入れ云々とか、生徒役の誰かが好きだったとかというより、自分自身にとってもリアルで身近に思えるテーマを扱ったストーリーが多かったことが、見始めるきっかけだったように思います。どちらかというと第2シリーズの方は「腐ったみかん=加藤」のセンセーショナルな話題に惹きつけられて見ていたような感じだったけど、第1シリーズの方は「15歳の母」の件以外は、比較的当時の等身大の中学生の悩みとかがリアルに描かれた話が多かったので、かなり身近に感じて見ていたものでした。
その特番放映前の番組宣伝を兼ねてのものだったのかもしれないけど、今年の1月〜3月にかけて、ケーブル局のTBSチャンネルで、第1シリーズが再放送されていたので本当に久しぶりに、おそらく約20年ぶりに全話視聴しました。内申書、受験地獄、初恋、夜遊び・・・、まさに昭和56年ごろに再放送され、身近に思ってきた話題が登場して、自分自身が中学生の頃、どんなことを思って生活してきたか久々に思い出させてくれました。中でも数学の乾先生のエピソードは、中2の頃に私の中学校でも同じような事件があっただけに、当時を思い出させるものがありました。授業が分かりにくくて難しい、そのくせ試験でも難しい問題ばかり出して出来ない生徒を罵る、質問すれば「何で分からないんだ」と怒るだけ。中2の頃の数学の先生も乾先生と同じような先生だったもの。ドラマの中の生徒たちには、そんな時も生徒の側に立って一緒に悩み、考えてくれる金八がいたけど、私たちにはそんな先生はいなかったので、黙って我慢するしかなかったもの。結局、その時の先生はPTAの抗議がきっかけで明るみに出て退職させられたけど、私が「理数系嫌い」になったきっかけになった出来事だっただけに「あの時、こんな先生がいてくれたなら・・・」と今見ても思ってしまいます。第1シリーズ、確かに「15歳の母」以外は大して大きな問題は起こらないけど、後に芸能界で成功しなかった生徒役の中にも個性的な人が多いし、「当時の等身大の中学生の悩み」がリアルに描かれているしで、むしろ昭和50年代に見た時以上に楽しんで見ることが出来たし、同時に自分自身の中学時代を思い出すことも出来ました。
それと同時に感じたこと。当時は生徒と同世代だったので、生徒にばかりに感情移入して見てきたし、金八=オッサンと思って見ていたけど、いや、この頃の金八は若い! いや、確かに見た目はオッサン臭いし、カッコ悪いけど、当時29歳という設定。1990年代以降の金八って、「生徒のお父さん」といった佇まい。時々感情的になることはあっても、常に「大人」として生徒に接しているし、生徒を躾けているかのよう。それに対して、第1シリーズの金八はまだ生徒の兄貴分のように接している。だから問題を起こした生徒に対しても、「説教する」前に、相手の目線に立って考え、一緒に悩んだり、考えたりする。反発してくる生徒には体を張って、体当たりでぶつかっていく。「大人として」「上から目線」じゃなく、「同じ目線まで降りてこよう」とするあたり、「ああ、若いんだな」と思う。「金八=説教」というイメージだったけど、意外と「理屈っぽい説教」が少ないし、精神論=体育会系っぽい話が中心。それに当時感じたほど「長い時間説教垂れまくり」という感じでもない。当時は「理屈こねまくり」「説教が長い」と感じたものだったけど、意外とさっぱりしてて体育会系っぽい。という風に、この頃の金八って「体育会系の兄貴分」という感じで、後のような「屁理屈こねるオッサン」ではない。イメージが大きく変わりました。
4月からは第2シリーズが放送されるそうで、こちらは8年前に地上波で再放送されていて、当時感想を書いたもの(こちら)。ただ、今回は「卒業式前の暴力」だけじゃなくって、他のストーリーにも注目して見てみたいと思います。最初に書いたとおり、私は第1シリーズと第2シリーズ以外はほとんど見たこともないし、思い入れもない。それは私自身が中学生だった時代と同時代に制作、放映された分、感情移入しやすいせいなんだろうと思います。1990年代に中学生活を送った人から見れば、1990年代の第5、第6シリーズあたりの方がリアリティがあって感情移入できる内容なんだろうし、逆に第1、第2シリーズを見ても「古臭くて面白くない」と映るんじゃないかとは思います。まあ、そのあたりは時代の違い、世代の違いだから仕方ないかな、とは思います。ただ、やはり金八のキャラは、80年代の「体育会系の兄貴分」の方がはるかに好感を覚えます。しかし1980年代に第1、第2シリーズを視聴していた頃、ここまで続く番組になろうとは思いもしませんでした。でも、何度も言うけど、私にとっての金八は第1、第2シリーズまでです。
■2011/7/16 私にとっての「最後の特撮もの」?(ゴレンジャー) 今、ケーブルテレビで視聴できるファミリー劇場というチャンネルで「秘密戦隊ゴレンジャー」が放映されていて、ずっと視聴しています。この番組がリアルタイムで放映されたのは小学校1年〜3年の頃。私は物心ついた頃(昭和46,7年頃?)から「ウルトラマン」「仮面ライダー」をはじめ、「ヒーローもの」を夢中で見てきたものでした。「男なら、やっぱり『戦い』だろう」が口癖だったし(笑)。それまでの「ヒーロー特撮もの」といえば、ひとりで大勢の敵に立ち向かうのが当たり前。ウルトラ兄弟勢ぞろい」とか、「歴代ライダーが助っ人として登場」なんてパターンはあったけど、基本的には「主役=ヒーロー」はひとり。それが5人、いわゆる「戦隊」ってのは、アニメでは「ガッチャマン」があったけど、実写ではおそらくほぼはじめてだった筈。だから新鮮だったし、それぞれ5人に個性があったしで、はじまった頃からずっと好きだったものでした。特に「No1よりNo2を好む」性格だったことと、演じているのが大好きだった仮面ライダーV3で主役だった宮内洋だったことから断然青レンジャーを支持していたものでした。
ただ若干違和感があったのも事実。それは今までのヒーローものは硬派で「正義のためなら命がけ」なノリだったはずなのに、このゴレンジャーには黄レンジャーという「お笑い担当」のようなメンバーがいる。カレーが好物で、敵が用意したカレーを思わず食べてしまって罠に落ちる(笑)。敵のゾルダー(戦闘員)になぞなぞを出す。さらに後半になるにつれて、敵の黒十字軍も変化。最初の頃は「怖い」「残虐」な敵が多かったのに、徐々に蒸気機関車の形をした機関車仮面とか、ゾルダーと野球をする野球仮面とか「笑える」「間抜け」「情けない」敵が増える。しかもゴレンジャーハリケーンで敗れる「負けっぷり」も笑えるものが多くなり・・・。そうしたノリに違和感を感じ、後半、一時的に黄レンジャーが別の人に代わったあたりから急速に冷めてしまい、徐々に「見たり、見なかったり」になりました。そしてこの「ゴレンジャー」の後番組、「ジャッカー電撃隊」を「お付き合い」程度で見ていたけど、「夢中で見ていたヒーローもの」は「ゴレンジャー」が最後だったといってもよいと思います。
それ以降に放映されたヒーローものは、80年代に放映された何本かの「仮面ライダー」の新作を除いて全く見たことがないし、知識も実は全くありません。まさに「ヒーローものとの決別」のきっかけになった番組が「ゴレンジャー」だったといっても過言ではありません。今思えば、小学校3年になって子供向け番組が幼稚に映ることが多くなったこともきっかけかもしれないけど、「ゴレンジャー」のあの「お笑いノリ」に違和感を感じ、「馬鹿らしく思えるようになった」ことが「ヒーローもの」を遠ざけるようになった理由のひとつでした。
とはいえ、久々にゴレンジャーを見てみると、意外と悪くない。最初の頃はどことなくスパイ・アクションものっぽい硬派なノリだけど、それなだけに途中に挿入されるなぞなぞや黄レンジャーの「コメディ・リリーフ」的なキャラがいいアクセントになっている感じ。黒十字軍の司令官(将軍)、鉄人仮面テムジンは悪役だけど硬派でよいキャラ。中盤あたり、将軍が火の山仮面マグマンに変わったあたりから徐々に笑いの要素が増えて、先に述べた機関車仮面や野球仮面が登場するけど、ただ「笑える」だけじゃない。機関車仮面は当時、廃止されて姿を消してしまったSLの悲哀の感じられる悲しい話だし、野球仮面の話は「娯楽もの」と考えればよくできた内容。「敵の苦手なものに変形して飛んでいく」ゴレンジャーハリケーンも、間抜けだけど面白い。特に「将軍」のはずの火の山仮面が「ゴレンジャーハリケーン、卵」でやられるシーンは大爆笑(笑)。ゴレンジャー5人でかかっても倒せないほど強い将軍が、生卵に変形して飛んできたゴレンジャーハリケーンを見て「生だ、茹でてやる」と頭に放り込んでゆで卵をつくって、食べた瞬間に爆発・・・。確かに馬鹿馬鹿しいけど、「ヒーローもの」じゃなく、「エンターテイメント=娯楽作品」と思えば、楽しめるし「よく考えたな」と。一方で、黄レンジャーが一時的に入れ替わるあたりとか、黒十字軍総統を演じる俳優が八名信夫に代わって、突然ガラが悪くなる(笑)あたりとか、最初の頃は4人いたのに、ひとり、またひとりと姿が見えなくなる女性諜報員とか、一時的にいなくなる江戸川総司令とか・・・、そのあたりはリアル・タイムで見ていた時も感じた違和感が。
とはいえ、リアル・タイム視聴時は「初期は硬派だったのに、徐々に馬鹿馬鹿しくなって、最後は全然別の番組になった」と思っていたけど、意外とそうでもない。初期の頃から馬鹿な部分はあったし、後半もただの「お笑い番組」になることはなく、ちゃんと硬派な要素も残っているし、「破綻して駄目になった」というほどでもない。最初から「エンターテイメントで楽しめるヒーローもの」を目指していたというし、2年以上も続いた番組であるにもかかわらず、ブレた感じもしない。今でも「戦隊ものの元祖にして最高傑作」という人もいるらしいけど、なるほど頷ける。今放映されているのは終盤。リアル・タイム視聴時は「見たり、見なかったり」だった時期。今度は最終回まで付き合っていきたいと思います。ただ、私はこれ以降、つまり昭和53年以降のヒーローものはほとんど知らないし、今後もケーブルテレビで放映されても見ないと思う。つまりこれがやはり私にとって「最後の特撮ヒーローもの」であり続けるでしょう。
■2011/7/18 「憎かった」はずなのになぜか「寂しい」、一時代の終わり(水戸黄門終了) 「水戸黄門」が遂に終わるとのニュースが。地上波のテレビにほとんど関心がないので「まだやってたのか?」な反面、なぜか「寂しい」気持ちも拭えないというのが正直な感想です。
「シリーズ、私はこんな番組を見てきた」の中では一切触れていないけど、実は幼少の頃、私はこの番組が大嫌いでした。理由は大河ドラマ(詳細はこちら)の次に亡き父が好きだったのが、月曜夜8時の時代劇枠。昭和50年代初頭「水戸黄門」と「大岡越前」、そして西郷輝彦主演の「江戸を斬る」、この3つが交互に放送されていて父はこれを楽しみにしていたものでした。だけど私は「シリーズ、私はこんな番組を見ていた」でも触れているように、その裏番組だった「紅白歌のベストテン」(昭和50〜56年頃)、「見ごろ、食べごろ、笑いごろ」(51〜53年頃)「爆走ドーベルマン刑事」(55年頃)、「鉄道公安官」(54年頃)などが好きで、見たくて見たくてたまらなかったもの。だけど見せてもらうことは出来ず、無理にチャンネルを変えようとすれば怒鳴られ、ぶっ叩かれるしで・・・。「見ごろ・・・」だけは父が加山雄三やキャンディーズが好きだったおかげで、たまに見ることは出来たけど・・・。まあ、父は出張の多い人だったから、「見れなかった」といいつつも、1年の半分くらいは見ることが出来てはいたけど、それでも「毎週見たいのに・・・」という不満が募っていたものでした。
拗ねたり怒ったりしつつも、仕方なくそれらの時代劇を横で見ていたものだけど、「江戸を斬る」は西郷輝彦が子供心にもカッコよく映ったし、松坂慶子の紫頭巾もキレイでカッコよかったので、「仕方なく見ている」うちに、気がつけばはまってしまったもの。だけど、どうしても好きになれなかったのが「水戸黄門」。「この番組のせいで見たい番組を見ることが出来ない」悔しく、歯がゆい気持ちでテレビを見ていたら、憎たらしくて偏屈で頑固なジジイが意地の悪そうな口調で偉そうにしゃべってる。もう、見ているうちにますます憎々しく思えてくる。そして例の高笑い・・・。もう、馬鹿にされているような、本当に嫌な気分・・・。そう、私の「水戸黄門」に対するイメージは、「憎たらしくて頑固なジジイ」。ワガママを言って助さんや格さんを困らせたり、町の人や時には悪人をも困惑させる・・・。間違っても「正義の味方」でも「庶民の味方」でもない。いや、もちろん「庶民の味方」だけど、決して「聖人」でも「人格者」でもない。口調といい、表情といい、「憎たらしい頑固ジジイ」そのもの。演じていた東野英治郎という人が元々悪役や頑固ジジイばかり演じていた俳優だったこと、そして脚本家も「頑固ジジイ」なキャラクターに描いていたから、小学生のガキにもそんな風に映ったんだろう。ただですら「この番組のせいで・・・」という想いがあったのに、あのジジイのキャラのせいで、その「憎さ」が倍増したというわけです(笑)。やがて演じる俳優が西村晃に代わっても、そのイメージは変わることはありませんでした。
にもかかわらず、なぜか真似をしてしまう。小学校5年の時、遠足で山登りをしたんだけど、山道を歩き慣れず、しかも太っていてすぐに疲れてしまう私は、大きな木の枝を杖代わりにして、クラスでも体力に自信のあった2人に守られるようにして山を登りました。その時、誰かが「まるで助さんと格さんをお供にして旅してる黄門様みたい」と言いました。私は思わず調子に乗って、横にいた2人に「助さん、格さん参りますかな」と言ったところ大受け。以降、「水戸黄門の台詞の真似」が私の「持ちネタ」になりました。その後、以前も何度か書いたけど、小学校6年の時に急に転校。転入先の学校での挨拶の際も、「何か笑いをとらなければ」と思い、思わず「頭(ず)が高い、俺を誰と心得る、俺は〇〇小学校から来た●●だ」と自己紹介してしまいました(笑)。もちろん、思いっきり「ドン引き」されたけど・・・。つまり「嫌い」といいながらも、一時的に自分の「持ちネタ」にしていたというわけで・・。
そんな番組が終わる・・・。「まだやってたのか」と思う反面、「俺が物心ついた頃から当たり前のようにやっていた番組が終わる」という事実は、やはり寂しさを感じずにはいられません。なんでも、今では立ち回りや格闘のシーンがほとんどなかったり、黄門様のキャラも親子の絆や人の道を説いて聞かせる聖人君子のようなキャラになってしまったりと、往年の番組とは全く別物になってしまったと聞く。それじゃあ、まるで教育テレビで小学校の頃にやっていた道徳テレビじゃないか。「水戸黄門」って「娯楽時代劇の王道」のはずだったのに・・・。よって、番組の終焉は「時代の流れ」というより、「制作者の勘違い、自滅」だろう思う。これで地上波から大河を除く時代劇が消えてしまうらしい。地上波って、バラエティとは名ばかりの、タレントが大勢出てきて馬鹿騒ぎしているだけの番組か、ニュースなどの情報番組以外はほとんど衰退気味。「地デジ化」と同時に、地上波テレビも役目を終えたんじゃないか?
■2011/7/30 「映画音痴」のケーブルテレビ映画鑑賞 :邦画編(2) 青い山脈
昭和24年に公開された、戦後間もない頃の大ヒット作。テーマ曲に合わせて自転車をこぐシーンがよくパロディにされているので、なんとなく馴染みはあったし、女子高を舞台にした爽やかな学園ものというイメージもあったし、伝説の女優・原節子が教師の役をやっているというのもあったしで、思わず視聴したけど・・・。
「都会から地方の女子高(まだ女学校?)に転校してきた女生徒が恋愛騒動を起こして街中大騒ぎになる」ストーリーとは聞いていたけど・・・。「恋愛騒動」といっても、誰かがいたずらで書いたラブレターが見つかったとか、男子大学生(当時30歳の池部良、無理ありすぎ:笑)と一緒に歩いているのを見た、などという、昭和40年代生まれの私から見ればなんともたわいのないもの。それがPTAや街全体を巻き込んで大騒ぎになるというあたりが理解できず。まあ、「男女7歳にして席を同じうせず」な戦前的な価値観を持った人が圧倒的に多かった時代ならではなんだろうけど、当時を知らない私にとってはカルチャーショック。
とはいえ、逆に考えればその「時代の変化」や「新時代への夢や希望」を、若者や原節子演じる女性教師を通じて描こうとしたのがこの映画の趣旨なんだろうということは理解できる。だから、当時大ヒットしたのも納得できるし、この映画を見て「新しい時代」への夢や希望を感じつつ、戦後の復興期を生きる人々の活力になったであろうことは想像できる。でも、私の世代にそのことを理解できるものではないし、登場人物にもあまり感情移入できなかったというのも正直なところでした。
竜二
1983年公開のヤクザ映画。脚本兼主演の金子正次が、がん闘病の傍ら、ほぼ自主制作のような形で完成させた映画で、公開期間中に本人が他界したことで一部で伝説視されている映画。私はこの人のことは、ほんの数年前まで全く知らなかったけど、ネットなどで知って興味を持っていたので視聴したみた。
まず驚いたのは、しゃべり方や細かい仕草などが、1980年代後半頃、テレビ・ドラマ「とんぼ」や「しゃぼん玉」の頃の長渕剛ソックリだということ。いや、あの時代、突然長渕剛のキャラクターが変わったので、「なんかの影響なのか?」と思ってたんだけど、実はこの映画の金子正次だったとは。だけど「世の中に物申す」ようなところは一切ない。一旦はヤクザから足を洗おうとするけど、上手くいかずに苦悩する。弱くて、情けなくって繊細、金子正次が演じているのはそんなキャラクター。この映画を見て「カッコいい」とか、「憧れる」という人もいるのかもしれないけど、彼が描こうとしたのはそんな情ない、繊細で弱い男の生き様や苦悩する姿なんじゃないかと思う。結局、最後は足を洗えず元の世界に戻ってしまうあたりも切ないけど、実は現実的だし。「ヤクザ映画云々」抜きに、ひとりの弱くて情けない男の姿を描いた映画と考えれば共感できる。
チ・ン・ピ・ラ
1984年公開の柴田恭兵主演の映画。監督は「竜二」と同じ人らしいけど、私がリアル・タイムで「見に行きたい」と思った映画でした。当時高校1年、男女問わず、同級生でこの映画を見た奴がいっぱいいて「カッコいい」「憧れる」と言ってたもの。柴田恭兵とジョニー大倉が、ホンモノのヤクザになるわけでもなく、自由気ままに生きるチンピラを演じた映画。舞台になったのはバブル全盛時、まだ中高生が押し寄せる前の、本当にオシャレだった頃の渋谷。私に限らず「自分の将来に不安」な世代には「生き様」もカッコよく思えたし(今思えば非現実的だけど:笑)、一度も行ったことのなかった東京、渋谷の風景も憧れだったし・・・。でも、リアル・タイムでは見には行かず、テレビでも見たことなかったので、今回が初視聴でした。
うーん、今見れば「バブルだなあ」と。お気楽過ぎ、楽観的過ぎな登場人物のキャラ、浮かれすぎた町の風景。今見れば「懐かしい」反面、チープに思えるし・・・。なので、感情移入はあまり出来ないし、「竜二」と同じ監督が手がけたとは思えないほど軽い。だけど、柴田恭兵の「カッコつけてるのに、ダサかっこ悪い(決して「カッコいい」ではない)」キャラは魅力的。いや、褒め言葉です。この味はこの人にしか出せないし、この2年後の「あぶない刑事」の大下勇次刑事に通じるものが。高校時代には憧れた映画だったけど、今の私には「あの時代」を懐かしむための映画といったところで、別の意味で楽しめました。
銀座カンカン娘
これも「青い山脈」と同じ昭和24年公開の大ヒット作。昨年の大晦日に亡くなった高峰秀子追悼ということで放映されました。その高峰秀子の歌うテーマ曲はジャンル問わず、多くの歌手、アーティストがカバーした名曲なのでよく知ってたけど、映画ははじめて。曲の方は「名曲」なので、映画の方もよっぽどの名作だろうと思ったんだけど。
なんと1時間ちょっとの小作。ストーリーもあってないようなもの。主演の高峰秀子と笠置シズ子(戦後一世を風靡したブギの女王、私には「家族揃って歌合戦」の審査員のオバさんのイメージしかない)が、突然歌いながら踊りだしたりという、この時代には画期的なミュージカル仕立て。その2人が偶然知り合った太った男(戦前、戦後を通じて活躍した名コメディアン:岸井明、私ははじめて知った人)と組んで、銀座の街で「流し」で歌うようになって・・・。「ああ、この2人が歌手としてデビューして人気者になる話か」と思いきや、最後に高峰秀子演じるヒロインが唐突に結婚。最後は下宿先の落語家の爺さん(5代目古今亭志ん生、その筋のマニアに言わせれば「伝説の名人」)の小噺で終わり・・・。???本当にストーリーなんてほとんどない。
だけど当時の大スター、笠置シズ子や灰田勝彦(ヒロインの結婚相手)の歌あり、「名人」の落語あり、名コメディアン、岸井明もいい味出しているし、ヒロインの高峰秀子もこの時代の女性にしては明朗快活、それでいて気の強い、好感の持てるキャラクターを演じているし・・・。なんといってもテレビのなかった時代、娯楽の少なかった時代に、一度にこれだけのスターの姿を見ることが出来る、それだけでも大変な贅沢だったんじゃないか。いわば「映画館で上映するバラエティ番組」のようなものだと思えば、今となっては貴重だし、楽しめる。むしろ「時代」の色が強く出すぎている「青い山脈」よりも純粋に楽しんでみることが出来ました。それにしても舞台は東京のはずなのに、家の周りに広っぱや畑や林があるあたり、「昭和20年代だな」と思う。昭和30年代の映画になると、さすがにこんな光景はもう、お目にかかれなくなるし・・・。
■2011/8/14 「映画音痴」のケーブルテレビ映画鑑賞 (4、SF超大作) 毎度御馴染み、ケーブル・テレビで視聴した映画の感想なんだけど、今回は前置きを。
1976,7年頃、私が小学校2,3年生の頃、日本テレビの「木曜スペシャル」で頻繁に超能力とか、超常現象とかの特集が組まれていたものでした。翌日はそうした番組の話題で大騒ぎ。「昨日、見た?」「怖かったのー」等・・・。私はこういう番組は好きではない、というより「怖くて眠れなくなる」ので(笑)なるべく見ないようにしてたんですが、亡き父が好きでよく見ていた関係上、見たくなくっても、見ざるを得ない環境にあったわけで・・・。といっても、父は超常現象などは全く信じていなくって、むしろ「馬鹿らしい」「コレはこういうトリックを使ってるぞ」などと突っ込んだり茶化したりしながら見ている感じでした。
そんな中でも「恐ろしくって夜も眠れなくなる」「一人で留守番も出来なくなる」ほどの恐怖を感じたのが、実は「UFOもの」。「私はUFOにさらわれた」「記憶を抜かれた」等・・・。今思えば異常なほどインチキ臭かったけど、「自分もさらわれるんじゃないか?」「実は自分も宇宙人にいつも見張られてるんじゃないか?」「宇宙人は地球を侵略しようとしてるんじゃないか?」という強い恐怖心に襲われて・・・。同時に、なぜか小学館の学習雑誌「小学3年生」等でも、超常現象の記事が多くて、怖いなら読まなきゃいいのに「怖いもの見たさ」で読んでしまって、その結果、また恐怖心が・・・。以来、「UFO」「宇宙人」と聞いただけで耳をふさいで逃げてしまう、そんな時期が続きました。
そんな私の「宇宙人、UFO=侵略者=怖い」というイメージを払拭してくれる出来事が。1977年にアメリカで公開されたスティーヴン・スピルバーグ監督の映画「未知との遭遇」が大ヒット、日本でも上映されるということで大騒ぎに。当時買っていた雑誌「小学3年生」の中でもこの映画の特集が組まれていました。いや、今思えば「ネタバレ」な上、肖像権侵害のとんでもない記事だったんだけど、映画のシーンの写真が約3ページ近くにわたって20枚以上も掲載されて、しかも映画のオープニングからエンディングまでの詳しいあらすじが書かれていました。しかも、なんと結末まで・・・。「UFOが地球に来る→目撃した子供がUFOにさらわれる、同じく目撃した一般人(主役)がコンタクトを試みる→音楽を使ってコンタクトを取ることに成功、友好的な関係を築くことに成功→一般人の男はUFOに乗り込んで旅立っていく」・・・。そうか、考えてみれば宇宙人=侵略者=悪と決め付けているから恐怖心が先にたつけど、「地球人と友達に成るために来た、平和的な人たち」の可能性だってある。そう考えれば、別に怖がることないじゃないか。その日からUFOや宇宙人に対する恐怖心は消えていきました。
同時に「この映画、面白そうだな」と。亡き父もSF映画が好きだったから見に行きたがっていたし、行きたいと。だけど当然、洋画ということは字幕スーパーを読みながら鑑賞しなければならないわけで、小学校3年生レベルでは難しいだろうということで断念。同級生で見に行った奴もいっぱいいたけど、私は結局、行きませんでした。ただ、同級生の「よかった」(どの程度理解していたかは怪しいが)の声に「行きたかったな」という後悔が。というわけでこの映画「未知との遭遇」は私にとって「見たかったのに、見そびれた映画」だったわけです。前置きにしては随分長くなったので(笑)本題。
■未知との遭遇
その幼少の頃に「見そびれた」映画がケーブルテレビで放映されたので、本当に「ようやく」見ることが出来ました。内容は既に述べてきたとおり。ただ、小学生の時に見ても理解できたかな?と思える部分も。
まずUFOを偶然目撃してしまった一般人の男。UFOのことしか考えられなくなって、仕事もクビになって、精神的に不安定になって、妻子にも逃げられたりとまさに「転落の人生」。現実的だと思うけど、この辺は子供が見ても分かるまいと。あと、実は政府がUFOとコンタクトをとる準備を国民に隠して行っており、その計画がばれないように毒ガスが発生したと嘘の情報を流す。その「謎」を解明し、政府の追っ手を振り切ってUFOとコンタクトをとる瞬間に立ち会おうとする主人公の男。「政府の情報隠蔽」「それに対する一般市民の抵抗」、こんなのも子供が見ても分からないかなと。ただ、そうした「男の人生の転落」「情報を隠す政府とそれを暴こうとする主人公」、この2つはこの映画の「宇宙人との遭遇を描く」という本来のテーマとはかけ離れている。それに1時間半近くも時間を使っていて、その辺は見ていて少しだれてしまった。
とはいえ、後半のUFOが降りてきて、宇宙人とコンタクトをとるあたりからは「聞いていた通り」とはいえ悪くない。言葉が通じないから音楽を使ってコンタクトをとる、というあたりも感動的だし。最後は一般人のはずの主人公の男が「地球人の代表」に抜擢される。そしてUFOに乗り込んで宇宙に旅立っていく・・・。このあたりはむしろ純真だった小学生の頃に見た方が感動できたかも。というのも、43歳の私にはこの宇宙人、地球に友好的な振りをしているだけで、やはりその正体は侵略者の可能性もないとはいえないのでは?「このUFOに乗った男、宇宙人に人体実験の道具にされるか、はたまた標本にでもされるんじゃないか?」「友好的といいながら、じゃあ何でその前に子供とか、第2次大戦中の兵隊を拉致したんだ?」・・・、そんなことを考えると逆に後味が悪く感じられてしまう。果たして監督は純粋にファンタジー=夢物語としてこの映画を制作したのか?それともそういう「裏」も描きたかったのか?
でも、やっぱりリアル・タイムでは「ファンタジー」と解釈した人が多かったようだし、もしも私が小学校3年生の時に見ていたとしたら、やはりそう解釈したんじゃないか。だったらそれでいいのかな、という気もする。ただ、ファンタジーとして見た時に、男の転落とか、政府云々のシーンが邪魔に思えなくもない。だから前半は1時間半くらいは正直、退屈。後半の宇宙人とのコンタクトの部分は、侵略云々なんて「裏読み」せずに純粋に宇宙人と友好関係を結ぶ「SFファンタジー」と解釈して見れば、よく出来ていると思うし、「よかった」と思う。でもやっぱり、もっと純真だった頃に見れば、きっともっと感動できたんだろうなあ。
ついでと言っては何だけど、もう一本
■2001年宇宙の旅
1968年公開のスタンリー・キューブリック監督のSFの古典。一部には「SF映画最高傑作」さらには「映画史上最も優れた映画」だとの評価もある一方で「難解」「見る人が自分なりに解釈して見る映画」とも言われているようなので、映画音痴の私は「心して」鑑賞した(笑)。
「猿人が正体不明の物体(モノリス?)に遭遇して道具を使うことを覚える」シーン、「2001年、月で謎の物体(モノリス?)が発見され、その調査のため博士が月へ調査に向かう」シーン、「木星探索に向かう、意思を持ったコンピューターHALに制御された宇宙船の中での人とコンピューターの攻防」のシーン、「木星に辿り着いた飛行士(博士)が物体(モノリス?)によって急速に年をとって亡くなり、進化した新しい人類に生まれ変わる」シーンという、大きく分けて4幕からなる。ストーリーだけ追えば「モノリスって結局何?」「最後のシーンの意味が良く分からん」「2時間以上も使ってやるほどの話じゃないし」「だから何?」。まあ、モノリスは人を進化させる「何か」なんだということは分かる。ネットを見ると「神」とか「宇宙人」とかいろんな解釈があるけど「何か」で別にいいと思う。「猿人が道具を使うことを覚えて進化した」のと同様、最後も飛行士が木星で「新しい人類」に進化した、ただそれだけだろうと。深読みする必要もなかろうと。
ただ、そうすると第3幕「人とコンピューターの攻防」のシーンだけが浮いて見える。おそらく「コンピューター化する21世紀への警鐘」のつもりなんだろうけど、他のシーンと全く繋がらない。何のために挿入したのか? ちょっと趣旨が分かりかねる。
だけど、この映画の制作意図は「ストーリーを見せる」とか、「メッセージを送る」とかってことではなく、「映像を見せる」ことにあるんじゃないか。公開は1968年だけど、制作が始まったのは1965年ということだから、宇宙旅行や宇宙開発がまだろくに進んでいなかった時代。そんな時代に作られた「宇宙」の映像だとは思えない。宇宙を漂う宇宙船や人工衛星、その造形や宇宙空間を漂ったり進んだりしていく映像はとてもセットや作り物とは思えない。無重力空間で過ごす人々。4つ目の木星のシーンでモノリスから光線が飛び交う映像。はっきり言えば10年以上後に作られた「未知との遭遇」や「スターウォーズ」よりも数段素晴らしい。個人的には2番目の「月」のシーン、宇宙旅行中に居眠りする博士のポケットから飛び出てしまった(無重力だから転がらずに、宙を舞っている)ペンを添乗員が拾ってそっとポケットに戻すシーン、「良く思いついたな」と感心。そうした映像美やそのバックに流れる荘厳なクラシック中心のBGM、そうした映像や音を楽しむ映画なんじゃないか。ビートルズがMAGICAL MYSTERY TOURを制作して「意味不明」と批判された際「見る映画じゃなく、映像を感じる映画だ」というような反論をしたそうだけど、これもそうなのかな。
ただ、映画音痴の私には厳しいかも。できれば「解説」のようなナレーションをつけてくれるとかすれば、もう少しとっつき安くなるんじゃないか。少なくとも、繰り返し見たいという気はあまりしない。というか、時間にゆとりがあるときでないと「ストーリーがほとんどない」映画を2時間以上も見続けるのは辛い。でも、「このシーンは何度でも見たい」と思えるシーンがいくつもあるのは事実。やっぱり「映像を見て、感じる」ための映画なんだろう。ということは実は「SF映画」でもないのかもしれない。
■2011/9/2 殉職シーンが名場面ってふざけるな(太陽にほえろ) 地上波でよく「昭和を懐かしみ振り返る」趣旨のテレビ番組が放映されています。この手の番組は21世紀に入った頃から多くなったように思われます。私は最初の頃、つまり2000年代前半くらいまではこの手の番組が放送される際は楽しみにして見ていたものだけど、近年はほとんど見ることがなくなりました。見なくなった理由はいくつかある。「VTRを短く編集しすぎていて楽しめない」というのも理由のひとつ。「懐かしのヒット曲」といってもワンコーラスだけでフェイドアウトするとか、「懐かしのコントやギャグ」といっても「落ち」の部分だけ見せて、前後の「流れ」をカットしているので全然面白くないとか、「懐かしの名作ドラマ」といっても、有名なシーンの断片だけ繋ぎ合せていて、はじめて見た人が見ても、何の話だかさっぱり分からないような編集が施されていたり・・・。これでは私のようなリアル・タイム世代が見ても全然楽しくないし、当時のことは知らない「後追い」の平成生まれの人も、よく分からんだけだろうと。そしてもうひとつ、これらの番組を見ない理由は、その番組なり人物なりの、ほんの一部のみを、さもその番組や人物のすべてであるかのような伝え方をしている=正しく伝えていないと思われるような編集が多いこと。
例えば、昔を懐かしむ歌番組に太田裕美が出演すれば、歌うのは「木綿のハンカチーフ」のみ、渡辺真知子が出演すれば必ず「かもめが翔んだ日」しか歌わない、柏原芳恵が出演すれば絶対「春なのに」しか歌わない・・・。これではまるで「ヒット曲はこれしかなかった」といわんばかり。「後追い」で見ている人たちはこれしかヒット曲がない、これさえ聴けば他の曲なんていらないと誤解してしまう。まあ、ここは本当はロック・サイトだから「ジョン・レノンといえば『愛と平和の人』という一面だけしか伝えられずに腹立たしい」「ビートルズといえばYesterdayが代表曲といわれると腹が立つ」と感じているファンが多いのと同じだといえば分かりやすいかも・・・。とにかく「昭和の魅力を伝える」という番組には、そういう「ある一面だけを強調しすぎていて、その人物や物の本質を正しく伝えていない」ものが多すぎる。「実はこの番組のスタッフは知ったかぶりしてるだけなんじゃないか?」「さすが地上波の番組のスタッフはレベルが低いな」と悪態のひとつもつきたくなってきます。
「太陽にほえろ」といえば即「殉職シーン」というのも私は違和感と強い憤りを感じています。「この番組の名場面といえば、なんといっても殉職シーン」と称して、殉職シーンのVTRだけで番組の紹介が終わってしまう。おいおい、これじゃあ知らない人、特に平成生まれの人たちに誤解を与えてしまうじゃないか。この番組の名場面は他でもない、「刑事の活躍」と「命の重要さを訴えたストーリー」ではないのか? それは完全に無視して「殉職」「殉職」って、この番組は「刑事がどんどん死んでいく」のが売りで名場面だとでも言うんでしょうか? この番組の魅力に関しては、過去に何度も書いてきたのでここでは改めて述べないけど・・・。
今年の1月からずっと「ジーパン編」がケーブルテレビで視聴できる「ファミリー劇場」で放映されてきました。今週末で殉職になるんだけど・・・。松田優作演じる2代目新人刑事、ジーパンは元警官だった父親が拳銃で撃たれて殉職したことから、登場時から拳銃を憎み、拳銃を持つことを断固拒否する、ちょっと陰のある新人刑事でした。ゴリさんに殴られようと、ボスや山さんに説得されようと、頑なに自分の拳(空手の達人)だけで事件を解決。同時に死を恐れず、ひとりで暴走してしまう無鉄砲な面も。それが72話「海を撃てジーパン」で、自分が拳銃を所持していなかったことが原因で、同僚のシンコ(関根恵子)が撃たれてしまったのをきっかけに、「犯人を殺すためではなく、人の命を守るために警官には拳銃が必要」なことを悟り、はじめて拳銃を使用して事件解決。一方で76話「おふくろ」ではじめて犯人を射殺してしまったり、78話「恐怖の瞬間」でいつものように無鉄砲にひとりで犯人に挑んだことが原因で命を落としそうになって、はじめて「死の恐怖」を味わったり・・・。そして「命の重さ、大切さ」と、それを守る刑事の本当の使命を知り、一人前の刑事として成長していく・・・。
といったように「新人刑事が登場→様々な事件を通じて刑事として成長していく」その過程を描いた物語。それもまた、この番組の魅力のひとつ。20代の人ならば、新人刑事に共感して見ることが出来るだろうし、もっと上の世代の人ならば、新人刑事の成長を見守るような目線で番組を見ることが出来るだろうし、私のようにリアルタイム視聴時は新人刑事より年下だった世代は「憧れのカッコいいお兄さん」を見るような目線で番組に親しむことが出来る。そうやって約1年間見守ったり、共感したりしてきた視聴者と、新人刑事との「別れ」の瞬間が殉職シーン。ずっと見守ってきた、共感してきた、憧れた、そんな新人刑事が命を落としてしまう。だからこそ、殉職シーンは悲しくて寂しいもの。ああ、初登場の頃こんなだった、あの事件の時はこんなだった、あのジーパンが、こんな形でいなくなってしまうなんて・・・。成長していく過程、活躍するシーンあってこその殉職シーン。「殉職シーン」だけかき集めたVTRを見ても全く意味がない。だから私は殉職シーンだけをかき集めて「名場面」と称して放映するような番組を激しく憎悪します。私に言わせれば、この番組は「後追い」世代の人に誤解されている番組だと思います。その誤解を生んだのは地上波の低レベルな「昭和を振り返る」番組。せっかく貴重なVTR使ってるんだから正しく伝えろよ!!!
■2011/9/4 汚れなき刑事魂(太陽にほえろ、ジーパン編) 先日も書いたとおり「ファミリー劇場」で放映されている「太陽にほえろ」、昨日でジーパンが殉職、「ジーパン編」が終了しました。「マカロニ編」と「ジーパン編」は2002年〜2003年頃、福岡県の日テレ系ローカル局、FBSで再放送されていてこの「落書き帳」でもその感想を書いていたものです。そのいくつかは今も「過去ログ傑作集」の中で今も見ることが出来るようになっています。
なので、ジーパン編は「久しぶりに見た」という感じでもなかったし、ストーリーを覚えているエピソードも多数あった。とはいえ、ジーパンは番組に登場した歴代刑事の中でも好きな部類に入るし、番組創生期でこの番組の本来のカラーからすると「異色作」と思えるエピソードも多かった「マカロニ編」と比較すると大分「太陽にほえろ」らしくなってきたなと思える時期でもあるし、「マカロニ編」ではまだキャラが確立していなかった殿下(小野寺昭)や長さん(下川辰平)のキ個性も確立してメインのエピソードも増えたし、山さんやゴリさん主演の話にも面白いものも多いしで・・・。そんなこんなで、楽しんで視聴することができました。
というわけで、「マカロニ編」が終了した時も、今の気分で選ぶ「マカロニ編のベスト・エピソード10」を挙げる企画をやったので、今回は「ジーパン編」でベスト・エピソードを10話選んでみたいと思います。
1.燃える男たち(100話)
実はこれ、2003年に地上波再放送された時も感想を書いたもの(こちら)。リンク先に書いた感想がすべて。相手が令嬢だからではなく「命を救う」ために奔走する刑事たち。事件が無事に解決しても、ひとりの名もない機動隊員の死を前に、沈んだ表情の面々・・・・。この番組のテーマ「命の重さ」を訴えたエピソードで、私にとっては「ジーパン編」のみならず、この番組の約14年間の長い歴史の中でもベストと思っているエピソードでもある。おそらく、今後もその地位は不動だと思う。
2.海を撃てジーパン(72話)
これは先日も書いたとおり、ジーパンがはじめて拳銃を使って事件を解決したエピソード。エピソードの素晴らしさは先日も書いたとおりだけど、長さんから拳銃を借り、モーターボートに乗って逃げる犯人を追って長い桟橋を走り、モーターボートに向かって発砲する・・・。ジーパンの走る躍動的な姿を捕らえた映像もまた素晴らしい。
3.恐怖の瞬間(78話)
これも先日書いた、ジーパンがはじめて死の恐怖を味わうエピソード。無鉄砲に突っ走ることをたしなめる山さんに対し、「死など恐れない」と犯人にひとりで挑むジーパン、だけど逆に犯人(殺し屋)に襲われ、死の恐怖に怯える。間一髪で山さんに救われるものの、恐怖に震えて・・・。「演技を極める、拘る」タイプの松田優作らしく、その怯え方は無様でかっこ悪いほどだけど、ただ、だからこそ恐怖がリアルに伝わる。
4.非情の一発(90話)
山さん主演エピソード。「殺し以外の犯罪なら何でもやる」犯罪のプロ(内田良平)と山さんの対決。同世代で、山さん曰く「生い立ちも性格も似ている」故に、思わずその男を自分と重ね合わせて見てしまう山さん・・・。最後、その男を射殺してしまうけど、山さんにとっては「自分を殺した」も同じなのかも・・・。実にハードボイルドで渋い大人の男の話だけど、今の私はこの頃の山さんやこの男と同世代になってしまった。「(奴や俺は)自分の先が見えてくる年代でもある」という山さんのひとことが非常に重く感じられました。しかし私は、この2人ほど渋い大人ではない、そのことも情けなく感じられたりして(笑)
5.マカロニを殺したやつ(65話)
マカロニを殺した通り魔強盗は逮捕されないまま逃走中、事件は迷宮入り、だけど山さんは一人、粘り強く手がかりを求めて捜査を続けていた・・・。その山さんの執念、マカロニの敵を討ちたい一心で珍しく冷静さを失う殿下、ただひとりマカロニを知らないことから思わず嫉妬するジーパン、そして思わず「俺が死んでも同じように・・・」と口走ろうとした瞬間、激怒して仲間を失う悲しみを訴える長さん・・・。ようやく犯人を追い詰めた山さん、だけど駆けつけた時には、その犯人も「キレた」行きずりの若者によって殺された後。「なぜお前ら若い連中は命を粗末にする」と激しい口調で詰め寄る山さん。命の重さ、この番組ならではのエピソードだし、それぞれのキャラも生きた名作。
6.どぶねずみ(55話)
理由なき無差別殺人発生。本庁のお偉いさんも登場して「射殺もやむを得ない」。だけどその犯人は迷い犬を拾って世話していた若者だった。「犬を可愛がるような奴だから、きっと何か理由があるはず、話を聞いてあげたい」と説得を試みるジーパン、だけど犯人がジーパンに心を開こうとした瞬間、本庁の配備した狙撃班が犯人を射殺・・・。「理由なき無差別殺人」はどことなく時代を先取りしたような感じだけど、そんな奴に対しても、話を聞いてあげようとする、そんなジーパンの誠実でナイーブな面が描かれていました。また、視聴者も結局、犯行の動機が分からずじまいで、「謎」を残したまま終わるあたりも印象に残ります。
7.愛が終わった朝(102話)
シンコ(関根恵子)主演話。七曲署の少年課の婦人警官が実は麻薬の密売組織の少年の恋人で、手入れの際には情報を流している疑いが。一途に年下の少年を想う婦人警官に同じ女性として共感しつつも、シンコはなんとかその婦人警官を救おうと試みる。しかしその婦人警官は組織の手で、しかも恋仲であるはずの少年によって殺されてしまう。彼女の死を知って呆然と早朝の海岸を歩き、泣きながら少年に発砲するシンコ・・・。マカロニ編の頃はまだ幼い感じだったシンコだけど、ジーパン編の頃にはよりキレイで、大人っぽくなったし、「女性ならでは」「女性らしい」エピソードが増えた。だけど、個人的にはシンコはジーパンよりも、マカロニの方がお似合いだったと思うけど・・・。
8.その灯を消すな(56話)
ゴリさん主演話。七曲署配属前にゴリさんが勤務していた街に、数年前ゴリさんが刑務所送りにした、街を牛耳っていたヤクザの親分が出所して帰ってきた。奴が戻ってきたら、また街は恐怖と暴力で支配されてしまう。ゴリさんはその街と、その親分が逮捕されるきっかけになる証言をした若者の安全を守るために休暇をとってひとり街に乗り込んでいく・・・。正直、いち所轄署の平刑事が、よそ街で単独行動をとるなんてことは非現実的だから、ストーリー自体は強引。だけど、たった一人で不当な暴力に立ち向かうゴリさんの正義感と男気の感じられる、いかにもゴリさんらしいエピソード。
9.おれは刑事だ(91話)
これもゴリさん主演話。非番の日に偶然引ったくりを捕まえて「七曲署の石塚です」と名乗って犯人を交番の巡査に引き渡しているゴリさんを見て感動した元スリの失業中の男(伊東四朗)。思わず「七曲署の石塚」を名乗って人助けをするようになり、いつしか「にせ刑事」に。最初は「にせ刑事」に怒り心頭だったゴリさんだったけど、その男の誠実に惹かれていく。そして「にせ刑事」は、捜査に協力して・・・。コミカルだけど、思わず人情に流されてしまうところもゴリさんの魅力。8.とはまた違った、ゴリさんの魅力が描かれてる。
10.新宿に朝はくるけど(60話)
どことなく「世紀末」の感じられる異色作。これは2002年にも感想を書いた(詳細はこちら)。リンク先で感想は書きつくしているけど、殺人を犯した娘役の桃井かおりの空虚で無感情なキャラクターが強烈で、主役のはずのジーパンが霞んでしまうほど。
・・・やはり10話に絞るのは難しい・・・。特に「女性と子供に優しい、優男」のキャラを確立して、女性がらみでピンチになる印象的なエピソードの多い殿下主演の話はひとつくらい入れたかったんだけど。
そして「ファミリー劇場」ではいよいよ「テキサス(勝野洋)編」に突入。8,9年前に見ているので新鮮味のなかったマカロニ編やジーパン編と違い、テキサス編を見るのは約20年ぶりになる。ほとんど覚えていないエピソードも多いので、とても楽しみです。
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