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■2014/3/10 アマゾン&MJ

 最近ケーブルテレビで放映されていて、よく見ている番組の感想などを。

■仮面ライダー・アマゾン

 リアル・タイム放映は昭和49年〜50年なので、幼稚園の年長組の時ということになります。「仮面ライダー」は最初の1号&2号から「ストロンガー」までは夢中で見ていたものです。リアル・タイムで一番好きだったのは最もヒーローらしかった「V3」で、次は「X」でした。よく幼稚園でもV3やXの絵を描いていたのも覚えています。実写特撮ヒーローものの中でも「人造人間キカイダー」と「ストロンガー」までの仮面ライダーシリーズが一番好きで、思い入れも強かったものです。カッコよかったけど、ストーリー的には今ひとつだった「X」が終わって「さて、次はどんな仮面ライダーが出てくるんだろう」とワクワクしながら土曜日の7時半、チャンネルを合わせて待っていたこと、今でもはっきり覚えています。そして現れたのがターザンか原始人のような半裸で、言葉もしゃべれない、野獣のような男、そしてそんな男が変身するのが、とても正義の味方とは思えない、グロテスクないでたちのライダーだったことでショックを受けたことも、今でもはっきり覚えています。「こんなライダーは嫌だ」「かっこ悪い」「怖い」と。でも「まあ、一応ライダーだから」という理由で我慢して翌週からも見続けていたらだんだん見慣れて、それなりに楽しんで見ていたもの。一方でたった半年で最終回(やっぱり不評だった?)を迎えた時は「よし、来週からはまたもっとマシな新しいライダーがはじまるだろう」とホッとしたこともはっきり覚えています。

 そんな「仮面ライダー・アマゾン」がケーブルテレビで放映されているので、30数年ぶりに見ています。子供の頃はかっこ悪い、むしろ怖いと思ったものだけど、今見ると「異色作」という感じで悪くない。最初の頃は言葉がしゃべれないからナレーターが大活躍、例えば「その時アマゾンは思った・・・」とかいった感じでアマゾンの気持ちを代弁する。ちょっと斬新で新鮮。そして言葉が分からず、半裸な野生児がいれば、当然迫害されたり、事件が起これば疑いをかけられたりと不審者扱いされるのは当たり前。そのあたりの描写もリアルだったりする。リアル・タイム視聴時は「ヒーローなのに冷たく扱われる」ことに違和感があったけど、今見ると当然だなと。周囲に理解されないことに苛立って、新宿の地下街を半裸で奇声を発しながら走り抜けるというシュールなシーンがあるけど、本当にやばいだろう(笑)。そうした「日本に馴染めない」「理解してもらえない」ことに悩み、苦しむ、そんな「苦悩するヒーロー」路線を貫いた方が面白かったんじゃないかと思う。ただ、リアル・タイム視聴時に感じた私の違和感や嫌悪感は、当時の多くの子供の共通のものだったのかもしれない。まさひこという少年との友情とか、敵の獣人ながら寝返ってアマゾンに味方するモグラ獣人のコミカルなキャラクターとか、徐々に路線変更。まあ、これはこれで面白いけど、最初の路線を貫いた方がよかったのかな、という気がしないでもありません。さらに10話過ぎあたりから普通に言葉をしゃべるようになって・・・。リアル・タイムでは「ようやく仮面ライダーらしくなった」と安心したものだけど、今見ると「これじゃあ他のライダーと変わらないし、つまらん」と思えてしまう。

 というわけで、リアル・タイムで見た時は「こんなライダーは嫌」と思ったものだけど、今見ると「異色作」という感じで面白い。「X」はマンネリっぽいし、「ストロンガー」は最終回近くの「歴代ライダー集結」くらいしか見所がないので、それと比べるとはるかに面白いと思う。ただ、路線変更から徐々に普通のライダーっぽくなるのが残念。リアル・タイムで見ていた時と全く逆の感想だけど。しかし1号〜V3まではともかく、それ以降のライダーとも偶然知り合いになる立花藤兵衛(演:小林昭二)って一体・・・。まあXやストロンガーはともかく、アマゾンと知り合いになるってレアだと思うんだけど(笑)。あと今の私の目で見ると、リアル・タイム視聴時は最初アマゾンに冷たかったので「嫌な女」だと思っていた、まさひこの姉のりつ子さんが美人でいい感じ。結構おしゃれな服装の回も多くて、意外な見所かも。

■マイティ・ジャック

 リアル・タイム放映が昭和43年というから、私が生まれた年。「ウルトラセブン」と同時期に円谷プロが制作した特撮ドラマらしいけど、今まで一度も再放送ですら見たことがなかったので今回が初視聴になります。ケーブル局のチャンネルNECOが「円谷プロ最高傑作」とあんまり煽るので、思わず見てしまいました。

 秘密組織MJ(マイティジャック)が、空飛ぶ巨大戦艦MJ号を駆使して悪の組織Qと対決するという、スパイ・アクション風のドラマ。海外ドラマの「スパイ大作戦」が人気のあった時代なので、大人向けのアクション・ドラマのつもりで制作したんだろうなと思えます。隊長が二谷英明だし、アダルトな雰囲気の女優・久保奈穂子とか、「ウルトラセブン」で渋い倉田隊長を演じていた南廣とか、渋みのあるキャストが揃ってるし。他にも「ウルトラマン」の井手隊員役でお馴染みの二瓶正也もコミカルでいい味出してるし、天本英世も例によって怪しいし、春日章良演じる「ドクター」も貫禄あるしで、個性的なメンバーも揃ってる。一方で巨大戦艦MJ号の戦闘シーンは、当時最先端だった円谷プロの特撮技術を駆使しているし。だけど・・・。

 これだけの要素が詰まっているにもかかわらず、残念ながら全く面白くありませんでした。悪の組織Qの目的は「世界征服」といいながら、ある時は世界中の金塊強奪、ある時は戦艦を使っての襲撃・・・。一貫性がなさ過ぎて何がしたいのかよく分からない。それに対するMJも、単に相手のアジトに乗り込んで作戦を阻止してアジトを破壊すればよいだけの時でも、最後は必ず巨大戦艦を出撃させて大規模な空中戦を仕掛ける。「事件を解決する」ドラマの部分と「戦闘シーン=特撮」を無理矢理ひとつの番組の中に収めようとした分、「アクションドラマ」としても「特撮番組」としても中途半端になってしまったのかな、という気がしてしまう。どちらかというと特撮よりもドラマの好きな私から見れば、せっかくよいキャストを揃えたんだから、巨大戦艦や戦闘シーンはいらないからドラマだけをきちんと作って見せてくれればよいのにと思ってしまいます。「特撮好き」な人は真逆のことを考えるんじゃないでしょうか。「スパイ大作戦」と「サンダーバード」を一緒にしても面白くないのと同じ。アクションドラマとしても中途半端、特撮としても中途半端、本当に残念な作品でした。

 それから、MJのメンバーが全部で11人もいるんだけど、全員が揃う回は第1回だけ。南廣演じる副隊長がいない日、さらに隊長の二谷英明すらいない日もある。怪優・天本英世も登場回数が少なすぎるし、中には空気同然のメンバーもいる。毎回全員が揃う必要なないにしても、もう少し何とかならなかったのか・・・。もうひとつ、MJのメンバーが科学特捜隊やウルトラ警備隊のような隊員服とヘルメットを着用しているけど、MJという組織にはあまりにも似合わない。やっぱり大人向けアクションドラマなのか、特撮番組なのか、いまひとつよく分からないという印象を持たざるを得ないところです。

■2014/3/16 さらば高倉主任、謎の男、高杉警部・・・・(宇津井健逝去)

 宇津井健死去とのニュースを聞きました。最後にこの人が出ている番組を見たのは、2012年の「世にも奇妙な物語」だったような気がします。まあ、地上波自体をあまり見ていないのでよく分からないけど「つい最近まで元気だった」様な気がしていたので、驚くやら、寂しいやら。

 ケーブルテレビを視聴できるようになったのはもう7年も前のことになるけど、その加入したての2007年頃、ファミリー劇場でよく放送されていたのが「ザ・ガードマン」。1965年〜1971年に放送された人気アクションドラマではあったけど、実は一度も再放送などでも見たことがなかったので、その2007年にファミリー劇場で見たのが初視聴でした。しかし刑事でも探偵でもなく、警備会社の警備員であるにもかかわらず、いつもいつも自分たちが警護する店や銀行に賊が入ったり、人が殺されたり、金庫が破られたり。まあ、最終的にはかっこよく犯人を見つけて捕まえて事件を解決するんだけど、警備員の仕事は犯人を捕まえることでも事件を解決することでもなく、「守る」ことのはず。だったらこのドラマに登場する東京パトロールという会社、警備会社としては失格じゃないのか? という矛盾を感じていたし、何度も何度もどんでん返しが起こるワンパターンな脚本もあって、それほどのめり込んで見ることがなかったというのも正直なところです。だけど一方で、登場する7名のガードマンたちの渋く、オシャレな佇まいは内容云々抜きにかっこよく感じたものでした。若手の藤巻潤や川津祐介もよかったけど、やはりリーダー=高倉主任の貫禄と存在感は別格に映ったものでした。その高倉主任を演じていたのは、私の世代にはいろんなドラマやCMでもお馴染みの俳優・宇津井健でした。

 まあ、私が見ていた多くのドラマに出ていたので、別に「思い入れがある」とか、「大好き」というほどではないにしろ、「テレビをつければ当たり前のようにテレビの中で見かける顔」だったもの。人によっては別のドラマを挙げるかもしれないけど、私にとっては・・・・。小泉今日子主演の大映テレビの「ありえない系」のドラマ「少女に何が起こったか」に登場した「謎の男」。なぜか小泉今日子演じる主人公の周りに現れてピンチを救う正体不明の男。最終回に正体が分かるけど、クラス(当時私は高1)では「宇津井健、怪しすぎる」と話題になっていたものでした。「力が入りすぎ」「力みすぎ」な台詞回しは、この人独特のもので、強烈なインパクトがあったものでした。あとは1980年代末〜1990年代半ばまで放映された鉄道警察隊のドラマ「さすらい刑事旅情編」の高杉警部。クレジット上は宇津井健主演のようになっていたけど、事実上の主役は三浦洋一演じる香取警部補で、宇津井健が演じた高杉警部はその香取他、部下を影で支える「頼れる上司」といった役回りでした。大映テレビもののドラマとは真逆で、優しくソフトなキャラクターがよかったものでした。

 私の中で印象に残っているのはそれくらいだけど、本当にテレビをつければいつも、当たり前のように見ることが出来た顔。「大正漢方胃腸薬」のCMなんかも印象に残ってるかなあ、年末になるといつも流れてたっけ・・・・。いつの頃からでしょうか、かつて最もテレビに夢中になっていた時代=1970年代半ば〜1980年代末に「テレビをつければ当たり前に見ることが出来た人」が次々にいなくなって、寂しい気持ちになる、そんな気持ちをたびたび味わうようになったような気がします。最初にそうした想いに駆られたのは2004年の、いかりや長介死去の時だったように思う。あれ以来、同じような気分を何度味わっただろう。特に近年は「最低でも1月に1回」ペース。まあ、私自身も40代半ばなんだし、当たり前といえば当たり前なんだろうけど、なんとなく「俺の知っている時代とは別の時代になっていく」様な気分です。

■2014/4/14 さらば望月源治、星人ブニョ(蟹江敬三逝去)

 もう1週間くらい前の話題になるけど、俳優・蟹江敬三が癌で急逝したとか。世間では「渋い脇役俳優」だとか「連続テレビ小説の祖父役」などと紹介されているけど、私は大変な違和感を感じます。確かに1990年代以降は悪役はほとんどなくって、渋くて地味ながら味のある脇役ばかりを演じていたし、ドキュメンタリーなどのナレーションもこなしていたのも知ってる。だけど1970年代に小学生だった私にとっては「夜も眠れなくなるほどの恐怖」を覚えたキャラクターを演じた、気味が悪くて恐ろしい俳優というイメージの方がはるかに大きいし、未だに強烈に記憶に残っているからに他なりません。

 幼稚園年長組だった1974〜1975年に放映されていたのが「ウルトラマンレオ」。「昭和第2期ウルトラ・シリーズ」最後のウルトラマンだったけど、元ウルトラセブンのモロボシ・ダンが「鬼の隊長」になってレオをしごいたり、所属する警備隊・MATが主人公を除いて全滅したり、後半は「円盤生物シリーズ」なるオカルトものっぽいストーリーになったり・・・。はっきり言ってあまり面白くなかったし、リアル・タイムで視聴した時も、2010年頃にケーブルテレビで久々に視聴した時も、あまり良いイメージがなく、特に見どころもない番組でした。だけどリアル・タイム視聴時、当時幼稚園児だった私にトラウマになるほどの衝撃を与えたのが第50話。「円盤生物シリーズ」の中の1話だったんだけど、星人ブニョなる宇宙人が人間に化けてレオを倒そうとするんだけど、その「ブニョが化けた人間」を演じていたのが蟹江敬三。不気味で気が狂ったとしか思えないような表情、奇声、薄ら笑い…。もう、気持ち悪いやら怖いやら。本当に「キ●●イ」にしか見えない。極めつけはレオを氷漬けにして、奇妙な笑い声を発しながらノコギリで体を切り刻む。「正義のヒーローが切り刻まれる」というストーリーも衝撃的だったけど、それ以上に当時の私がトラウマになったのは、その蟹江敬三の薄気味悪さ、怖さ。「ウルトラマンレオ」は、ウルトラ・シリーズの中で最も思い入れも低くってあまり記憶に残っていなかったんだけど、この50話、特にブニョの気味悪さだけはその後も忘れることはありませんでした。2010年頃にケーブルテレビで何10年ぶりかに視聴した際も、そのあまりにもヤバい、気味の悪いブニョは強烈なインパクトでした。

 さらに小学校6年の時、1980年、父が好きでよく見ていた刑事ドラマ「Gメン75」。この番組には「香港空手シリーズ」とか、いくつかのシリーズものがあったけど、山奥の静かな過疎の村で次々に猟奇殺人が起こるという、どことなく横溝正史の世界を思わせる「黒谷町シリーズ」というのがありました。当時はもう小6だったので、どんなにオカルト色が強くってもそれほどトラウマになったり夜眠れなくなったりはなかったけど、このシリーズは意外と不気味な話、描写が多くって、ちょっと苦手でした。そのシリーズに登場したのが、斧を振り回して無差別殺人を繰り返す極悪非道な殺人鬼、蟹江敬三演じる望月源治。奇声を発して目をむいて、斧を振りかざして無差別に殺人を繰り返す。自分を愛して協力してくれた女さえも情け容赦なく殺してしまうほど、どこまでも極悪非道。多くの刑事ドラマを見てきたけど「最も狂ってる」「最も極悪非道」な犯罪者なんじゃないでしょうか。どこまでも憎らしい、どこまでも恐ろしい・・・、こんなキャラを演じられるのはこの人以外いないでしょう。これも当時、強烈に印象に残っていたものです。そしてケーブルテレビ視聴が可能になった2007年、ちょうどファミリー劇場というチャンネルで「Gメン75」が放映されていて、しかも加入後はじめて見たのが、その望月源治が登場する「黒谷町シリーズ」でした。40歳前の私の目にも、どこまでも極悪非道で不気味で恐ろしく映りました。

 もちろん、1980年代以降に見た多くの番組で人の良い中年オヤジ、渋いオヤジの役もやっていたのを見たし、それらも印象に残ってないわけではありません。「スケバン刑事II」の西脇さんとか、「さすらい刑事旅情編」の山さんとかも嫌いじゃなかった。だけどやっぱり、あまりにも猟奇的で、本当に狂ってるんじゃないかと思えるほどのブニョや望月源治の前では、そんな印象も霞んでしまいます。しかし、「本当に狂ってるんじゃないか?」と思ってしまう、「恐怖で眠れなくなる」ほどのキャラを演じきることができるというのは、それほど演技力が優れていたことの証拠でしょう。まさに唯一無二の存在でした。同時にまたしても、幼いころから「テレビをつけるといつも、ごく当たり前のようにテレビの中にいた」お馴染みの人が一人いなくなってしまったことに寂しさを感じました。

■2014/6/10 さらばブラック、御崎課長、西野竹次郎・・・(林隆三逝去)

何度も書いてるけど、ここ数年「幼少の頃から当たり前のようにテレビで見ていた人」が次々に逝去してしまい、寂しさを感じると同時に「時代が変わっていく」「俺の知ってる時代と違う時代になろうとしている」ことを実感させられるんですが。今日は林隆三が逝去ということで、またしても寂しい気持ちにさせられました。

 私がこの人を最初に意識したのは小学校4,5年頃(1978か1979年)に放映されていたトマトジュースか野菜ジュースのCMだったと思います。同時期に「噂の刑事とトミーとマツ」を夢中になって見ていたけど、トミーとマツの上司・御崎課長を演じていたのがこの人でした。最初は「あ、ジュースの人」と思ったものでした。子供心にいつも眉間にしわを寄せてタバコをくわえて低い声でしゃべる、その渋さが「カッコいい」と映ったものでした。失敗だらけのトミーとマツを叱り飛ばしつつも、温かく見守る、そんなキャラクターもよかったし。それなだけに途中で降板して、高音でヒステリックに怒鳴りまくる相模管理官(演:石立鉄男)が課長に就任(降格)したあたりから、以前ほど熱心にこの番組を見なくなった覚えがあります。

 その後1980年には「ザ・ハングマン」というドラマがはじまりました。「必殺シリーズの現代版」というコンセプトで制作されたらしいけど、当時の私は必殺シリーズを知らなかったので「警察が裁けない悪人の悪事を暴いて闇に葬る死刑執行人」というコンセプトが純粋にカッコよく思われました。父が好きで見ていたので横で一緒に見始めたけど、一気にはまりました。そのハングマンのリーダー・ブラックを演じていたのが林隆三でした。御崎課長同様、渋くてカッコよかったものです。対照的な軽いキャラクターの「相棒=No.2」のマイト(黒沢年男)とのコンビネーションもよかったし。この番組でもリーダー=主役であるにもかかわらず、途中で殉職して降板。ブラック=林隆三のいなくなった後の「ハングマン」は、コミカルで軽い話が多くなって初期のハードボイルドな要素が消えてしまったので、やはり以降はあまり熱心に見なくなった記憶があります。このドラマ、ちょうどケーブルテレビで放映されていて久々に見ているけど、やっぱり「ブラックのいた頃が一番」という印象は変わりませんでした。

 というわけで、どちらかというと「二枚目で渋い役者」のイメージを持っていたんだけど1985年、高校2年の時に放映された「たけしくん、ハイ」では、ビートたけしの父親、西野竹次郎役で登場。いつも酔っ払っている下町のペンキ屋のオヤジという、いつものこの人からはかけ離れた役をやっていて、ちょっとびっくりしたもの。特に息子のたけしが食べていたアーモンド・チョコレートをほおばった後、「なんだよ、種が入ってやがる」とアーモンドを吐き出したシーンには大笑いしてしまったものです。その後も高校3年の時、1987年1月〜3月にかけて放映された「あまえないでよ」でも、けんかっ早い下町の頑固オヤジを演じていたので、こういう役もこの人の「もう一つの顔」として印象に残っています。

 ちなみに、後年知ったことだけど「トミーとマツ」や「ハングマン」をあっさり降板したのは「同時に2つ仕事を掛け持ちしたくない」というこの人のポリシーのためなんだとか。「ひとつの役に没頭する」タイプの俳優だったんだろうと思います。ブラックや御崎課長に憧れたし、西野竹次郎にはいつも笑わせてもらったし、ものすごく思い入れが強かったわけではないけど印象に残る俳優の一人でした。またして「お馴染みの顔」がいなくなってしまった。本当に寂しいです。

■2014/8/4 十津川警部=立花警部?

 亡き父は推理小説好きでした。出張の多い人で、乗り物での移動時には必ず駅の売店で推理小説の文庫本を買って乗車する習慣がありました。おかげで、一時期推理小説の文庫本ばかり家の中に100冊近くある状態に。今のようにブックオフもなかったので、亡くなる数年前に廃品回収に出してしまい、今は1冊もありませんが。好んで読んでいたのが高木彬光、西村寿行、そして西村京太郎。特に西村京太郎の十津川警部シリーズ=トラベル・ミステリーが好きだったようで新作が出るたびに必ず購入していました。このシリーズは今も新作が出続けているロングセラーだけど、同時に2時間サスペンス枠でたびたびドラマ化されてきました。

 テレ朝の土曜ワイド劇場枠では十津川警部が三橋達也、亀井刑事が愛川欽也のコンビで1980年代から放映されてきて、キャストが十津川警部が高橋英樹、亀井刑事が高田純次と変わったものの、今でも放映中。TBSでは1990年代から現在まで十津川警部が渡瀬恒彦、亀井刑事が伊東四朗のコンビで継続中。他にもいろんな局で、いろんなキャストで放映されているみたいだけど、亡き父は三橋達也&愛川欽也コンビがお気に入りだったものでした。私も元鉄道ファンでなおかつ「放浪好き」なので、このシリーズは意外と好きで、毎回欠かさずというほどではないにしろ、比較的よく見てきたものです。今でも時々見るけど、2000年代以降の作品は今一つかなという印象。だけどケーブルテレビでは1980年代、90年代の作品も多く放映されているので、よく見ています。とはいえ、1980年代初頭、中学生の私がはじめてテレビで見た十津川警部は三橋達也ではなく、若林豪だったという記憶がありました。亀井刑事も坂上二郎。しかも「旅号」なる、日本一周ツアーの中で連続殺人が起こるという、スケールの大きな話だったという記憶もある。どうやら1980年代初頭にテレ朝の土曜ワイド劇場の裏でTBSで放映されていた2時間サスペンス枠「ザ・サスペンス」の中のものらしいことは、ネット上の情報で知ることが出来ました。だけど知名度も低いし、同じTBSが今は渡瀬恒彦主演で同シリーズを制作していることもあってか、再放送される機会もない。ところがこのたびTBSチャンネル2というCS局でまさかの再放送。しかも私がワクワクしてながら見た「旅号殺人事件」も。これは見なければ、ということで約31年ぶりに視聴しました。

 とにかく最近のトラベル・ミステリー・シリーズは、スケールが小さい。列車での移動には大して時間を割かないし、時刻表を使ったトリックも少ない。単に地方の名所の景色や宿などを見せたいだけ、最早「旅番組と推理ドラマをミックスした」だけのような内容になってしまっていて、見終わってガッカリさせられるものが多い。だけど、この「旅号殺人事件」は日本一周。東京を出発してブルートレイン「はやぶさ」でいきなり鹿児島へ、その後特急で別府へ、私の地元・小倉駅で今はなき山陰線急行「さんべ」に乗り換えて米子へ、そこから余部鉄橋を通って京都へ。そして日本海側を縦断していた今はなき特急「白鳥」で青森へ、青函連絡船で函館へ、さらに特急で網走、釧路へ。常磐線経由の寝台列車で上野に戻る…。「ああこんな旅、してみたいなあ」。当時中学生で、もう鉄道ファンは卒業していたはずだけど、ちょっとだけ小学生の頃の気持ちに戻って、そんなことを考えながら見ていたことを思い出しました。しかし今見ると、なくなってしまった特急、急行ばかり。余部鉄橋や青函連絡船ももうない。新幹線があちこちに出来て便利になったのはいいけど、やはり旅愁や旅の情緒がなくなったことに寂しさを感じました。同時に「これじゃあ、昔のような壮大なトラベル・ミステリーを書くのも難しいだろうなあ」と納得。さらに地元の小倉駅は今とあまり変わらないなあとか、鹿児島、山陰、釧路、網走、函館など、「放浪」で行ったことのある場所の昔の姿を見ることが出来たのも収穫でした。

 一方で事件はすべてこの長い日本一周の旅の最中に起こる。そして旅の終わりと同時に解決する。いや、これこそトラベル・ミステリーの真骨頂。ストーリーも壮大で非常に良くできていました。そして若林豪の十津川警部は久々に見たけど、やはり今では三橋達也、渡瀬恒彦、高橋英樹を見慣れたせいか、何となく違和感がある。いや、カッコいいとは思うけど、どうしても「Gメン75」の立花警部とダブってしまう。キャラクターもほぼ同じだし。そして坂上二郎の亀井刑事は「夜明けの刑事」「明日の刑事」の鈴木刑事に見えてしまう。それに亀井刑事というと愛川欽也が最強、最もはまり役だったので、どうしても分が悪い。もうひとつ、三橋&愛川にしろ、渡瀬&伊東にしろ、深い信頼関係で結ばれた名コンビという感じなんだけど、若林&坂上は2人で絡むシーンが少なすぎるし「信頼し合っている」ような描写もなかったので「コンビ」という印象が薄いのも残念。亀井刑事は単なる「十津川警部の多くいる部下の中の一人」に過ぎないような感じ。

 ストーリーも脚本も映像もいいし、文句なしの大作、力作ドラマだと思うし、見終わった後31年前と同じように満足感と余韻が残ったんだけど、その1点だけが残念なところでした。とはいえ、久々に見ることが出来て非常に嬉しかったです。こんな壮大なトラベル・ミステリーは、長距離列車が少なくなった今では実現不可能なんだろうなあ…。あと下川辰平=「太陽にほえろ」の長さんが、山本刑事=愛称・山さんなのは、ちょっと笑ってしまいました(笑)。

■2014/8/25 立花藤兵衛あってこそのライダーシリーズ?

 今年の3月にケーブルテレビで視聴できる東映チャンネルで「仮面ライダー・アマゾン」を約30年以上ぶりに視聴したと書きました。その後、同チャンネルでは「仮面ライダー・ストロンガー」が放映されていたので、やはり約30年ぶりに視聴しました。

 リアル・タイムで「仮面ライダー」の第1期シリーズを視聴していた幼少の頃の私、最も夢中になって見ていたのは「V3」、その後の「X」もまあ普通に見ていたけど、「アマゾン」には拒否反応を示しました。その次の「ストロンガー」は、始まった当初は「アマゾン」の後だけに「やっとまともな仮面ライダーになった」と嬉しかったけど、一方で当時としては斬新だった女性変身ヒロインの電波人間タックルの存在が「足手まとい」にしか見えなくって好きになれなかったし、ストロンガーに変身する城茂が、ちょっと冷たくって嫌な奴に見えたしで、だんだん気持ちが冷めていきました。まあ、昭和50年頃といえば、実写の変身ヒーローものよりもロボット・アニメの方が人気だったし、私もむしろそうしたものに夢中になり始めていたからというのもあるだろうけど。事実「ストロンガー」は視聴率も低迷して、最終回近くで歴代の仮面ライダーすべてが客演、そのまま「仮面ライダー・シリーズ」自体が終わったので、下火だったのかもしれません。

 そして30数年ぶりに見た感想も、リアル・タイム視聴時と同じ。前半はあまりにも「お約束」な展開で、見ていて退屈な話も多い。まあ、あまり強くはないけど健気にストロンガーをサポートするタックルの好感度が少し上がったけど。最終回に向けて歴代ライダーが集結してくるあたりは、幼少の頃は興奮気味に見ていたものだけど、今の私の目には「ウルトラ・シリーズの真似か」「こういうのがあると肝心の主役のストロンガーが霞んでしまうじゃないか」としか映らず、あまり感心しませんでした。だけど・・・。

 最終回、立花藤兵衛が敵に捕らえられる。もともとは1号ライダー=本郷猛の所属するバイク・クラブのオーナーとして初登場後、なぜか歴代ライダーと知り合いになって、サポートする重要人物。まあ、もともと知り合いだった1号や、その1号とつながりのある2号、1号と2号に改造手術を受けたV3はともかく、それ以外のライダーとは「偶然知り合った」というあたりは強引だけど(笑)。その、歴代ライダー共通の「おやっさん」を救出に向かう歴代ライダー。そして無事に救出。気を失っていた立花藤兵衛の意識が戻って目を開けると…。歴代ライダー全員が変身前の姿で取り囲んで立っている。「おお、茂、猛、隼人、志郎、丈二、敬介、アマゾン」一人一人に呼びかける立花藤兵衛。全員が名前を呼ばれるたびに立花藤兵衛に笑顔を向けて頷く・・・・。いや、このシーンには思わず感動しました。

 それと同時に「ああ、仮面ライダーシリーズは、ここで終わらなきゃいけなかったんだ」。その後、昭和54年から「スカイライダー」と「スーパー1」、昭和末期〜平成にかけて「BLACK」、そして未だに平成ライダーも続いている(らしい)けど、立花藤兵衛あってこその仮面ライダー、立花藤兵衛に支えられていたこの7人だけが本当の仮面ライダーなんじゃないか。ここで終わるべきだったんじゃないか。そんなことを考えてしまいました。

 事実私は昭和54年から放映されていた「スカイライダー」や「スーパー1」、さらに平成初期の「BLACK」も見ていたけど、正直、あまり夢中になれませんでした。まあ、昭和54年には小学校5年だったし「BLACK」の頃は20歳だったので、ヒーローものに夢中になる年齢でもなかったというのもあるけど・・・。「スカイライダー」と「スーパー1」は純粋に「面白くない」と感じたし、「BLACK」は意外と異色で面白かったけど「これは仮面ライダーじゃない」と思えたし。事実「スカイライダー」も今、東映チャンネルで放映されているけど・・・。

 「空を飛ぶライダー」という設定は斬新だけど「バイクに乗るのに飛ぶ必要はない」と思えるし、結局途中から全く飛ばなくなったし。ライダーを支える立花藤兵衛的な人物が途中で降板して入れ替わるのも唐突で強引、そのせいで立花藤兵衛のような強い絆や愛情が感じられない。途中から過去のライダーの客演ばっかりになるし。主役を演じる無名時代の村上弘明の棒読み演技、唐突でとっ散らかった稚拙な脚本、回によってシリアスになったり、コミカルになったりではっきりしない路線・・・。リアル・タイム視聴時から、すべてにおいて中途半端で「思い付き」で作られたとしか思えなかったもの。そして今、視聴しての感想も当時と同じ。まあ、「立花藤兵衛的な人物が入れ替わった」のは、実は演じていた役者の急病のせいだとネット上の情報で知ってリアル・タイム視聴時から30数年来の謎は解けた。歴代ライダーの客演はきっと、視聴率低迷のせいだろうなと思うし、急に空を飛ばなくなったのも「この設定は失敗」と後で気がついての路線変更だろうけど…。いずれにしても「やっつけ仕事」なイメージは拭えません。

 まあ、私が「第1期世代」だからなのかもしれないけど、やっぱり「第1期=立花藤兵衛こそが仮面ライダー」だと思ってしまいます。あの、立花藤兵衛を取り囲んだ7人の画は、今の私から見ても鳥肌ものだったし。あの時点で終わった方がよかったのかも、その方が伝説になったのかも。とは思うけど、平成シリーズに夢中になった世代から見れば「平成シリーズがすべて」なんだろうし。やっぱりそう思うのは、私が「第1期世代」だからこそなんでしょう。それに、あの立花藤兵衛を囲んだ画を見て感動できるのも、私たち世代だけなんだろうな。

■2014/10/12 退屈な、退屈な6時間

 つい先日、母の手術が行われました。手術の間「家族控室」で終わるのをじっと待ってるんだけど、個室になっているので比較的ゆったりと過ごしていました。といっても、特に暇つぶし用のアイテムなどは持ち込んでいなかったので、仕方なく部屋に設置されているテレビをぼんやりつけていました。「地上波のテレビを長時間つけっぱなしにして過ごす」なんて10数年ぶりのこと。最初のうちは見慣れないCM(地上波を見ないのですべて物珍しい)を眺めては「へえ、こんな商品があるんだ」とか「このタレント、久しぶりに見たけど老けたなあ」とか「このタレント、別人みたいに顔が変わったなあ、まさか・・・」とか感心したり、料理番組を見て「また冷蔵庫の中の食材を使って自炊しなきゃいけなくなったから、参考にしようかな」と真剣に眺めたり…。

 ところが、手術時間が予想以上に長い。はじめは新鮮な気持ちで見ていたんだけど、次第にイライラ。いや、イライラしたのは「時間が長いから」ではなく、昼間の地上波の番組があまりにも内容が薄っぺらくてワンパターンで、子供だましだから。いくら「日本人がノーベル賞受賞」「御嶽山の噴火で大変」「台風が来る」からといっても、どこのチャンネルに変えても同じ内容ばかり。コメンテーターと称する連中が好き勝手にしゃべっているけど、専門家でもないので知ったかぶりなコメントばかり。「LDE」とか、平気で言い間違いする奴もいる。はっきりいえば「テレビを見ながら隣近所の人が集まって勝手に雑談をしている」のと大して変わらん。こんなののどこが「コメンテーター」なんだ? こんな仕事なら、別に有名なタレントではなく、道を歩いている人をスタジオに連れてきても勤まりそう。いや、俺だってできるけど。

 さらに「地域の特産品をレポートする」という趣旨の番組、レポーターが現地からレポートをしてるんだけど、なぜか画面の下に小さな「窓」がある。そしてそこに妙ないでたちの男(タレント?)がずっと映っていて、いちいち「へえ」「わあ」などとレポートに突っ込んでくる。こいつの仕事って、ただレポートに相づちを打つだけ? そのうち何かしゃべるだろうと思いきや、エンディングで「●●さん(レポーターの名前)、今日はありがとうございました」としゃべっただけ。おいおい、こいつって番組に必要? 別にいなくっても番組成立するんじゃないの?

 さらに別の番組。それまでノーベル賞や台風情報をやっていたのに、いきなりCM明けに「芸能情報」に突入。「俳優の●●さんと女優の▲▲さん熱愛疑惑?」・・・。21世紀にもなって、まだこういう「昭和のワイドショー」みたいなことやってるのか? そのことも驚きだったけど、最早梨元、福岡翼みたいな感じのレポーターもいないので、スタジオにいる司会者やコメンテーターが「こうなんじゃないか?」「ああなんじゃないか?」と勝手に推測でしゃべってるだけ。そこには一切根拠も証拠もなく、やはり「テレビを見ながら勝手にしゃべってる近所のおばさんの井戸端会議」レベル。しかもそんな「憶測だけの話」を延々20分以上も続ける。たった一つの話題で、しかも根拠や証拠のない憶測だけでよくもこんなに長く話が出来るもんだ。思わず「クドい」とつぶやいてしまいました。こんなの、公共の電波を使って流してもいいんですか? 

 もう、平日の昼間って、情報番組しかやってなくって、どこのチャンネルに変えても同じような乗り。相変わらず何を聞いても「すごい」しか言わないレポーター、日本語のおかしい司会者、みんなが好き勝手にしゃべって、結論が出ないうちに次の話題へ、しゃべり方がやかましくって騒々しいだけのタレント…。これ、いったい何ですか? 本当にテレビ? 高校生の放送部だって、もっとまともな番組作れそうだけど…。

 結局手術終了まで6時間、控室でじっとしていただけなのに、ドッと疲れが出ました。なんで「暇つぶしにテレビを見ていた」だけなのにこんなに疲れるのやら…。日本のテレビ局の皆さん、こんな番組作っていて虚しくなりませんか? もう、オイルショックの頃(昭和47,8年頃)のように、「昼間は電力消費を抑えるために放送休止」とかしてもいいんじゃないでしょうか。

■2014/10/15 消化不良の「ベスト・セレクション」、やっぱり「全話放送」を熱望 (特捜最前線)

 「特捜最前線」のベスト・セレクションが放映されるということで、ケールテレビのオプション・チャンネル(別料金必要)の東映チャンネルに加入したのが昨年8月。2007年にケーブルテレビに加入した当初はファミリー劇場の「刑事劇場」でちょうど放映されていたものの、私が加入したころはすでに番組は中盤から後半に向かうところだったせいで、加入後あっという間に終わってしまいました。なので「ぜひもう一度第1話から全話視聴したい」と思い続けてきたけど、全く放映される気配もなし。ところが昨年から全話ではないにしろ、約3分の1か4分の1くらいの話が放映されることが確実な「ベストセレクション」がはじまったのでこの1年、毎週楽しみに視聴してきました。

 第1回〜80話くらいまで、つまり番組が始まって最初の約1年半(1977〜1978)くらいの話は、2001年に地元に帰ってきたばかりの頃に地上波の深夜枠で再放送されていたので、その頃以来の視聴。まあ、まだ記憶も鮮明なので比較的話の内容も覚えていました。まだ後のようなエリート集団ではなく「はぐれ者軍団」だし、西田敏行演じる高杉刑事のようなエリートとは程遠い野暮ったい人情派の刑事がいたり、いきなり発砲→犯人射殺で終わる話があったり、回によって脚本にバラつきがあって、とても後の「特捜」と同じ番組とは思えないようなイメージが違いすぎるエピソードも多々ある。だけど逆に言えば創世記ならではの試行錯誤がうかがえて「何が出てくるかわからない」面白さもある。特に実の娘を目の前で殺された神代課長(演:二谷英明)が、命令無視、部下をも無視して一人で犯人を追いつめるべく暴走する前後編は、後の番組や特命課、神代課長=渋く冷静な紳士のイメージを大きく覆すような話で何度見てもショッキングに思われます。

 そして81話〜200話くらいまで(1978〜1981)は、リアル・タイム放映時も、再放送も、そしてケーブルテレビでも一度も見たことがないので今回が初視聴になりました。リアル・タイム視聴時(1983年末頃)、この番組は「メンバー固定」のイメージが強かったもの。神代課長、橘警部(演:本郷功次郎)、桜井警部補(演:藤岡弘)、船村刑事(演:大滝秀治)、紅林刑事(演:横光克彦)、吉野刑事(演:誠直也)、叶刑事(演:夏夕介)が不動のメンバーという感じだったし。だけどこの80話〜200話の間、メンバーの入れ替わりが実に激しい。アメリカへ栄転になっていたはずの桜井が100話頃に舞い戻ってきて、しかもアウトローな一匹狼の刑事に変貌。桜井不在の間に特命課に着任した橘や紅林とたびたび対立する。個人的には「メンバー固定期」の特命課って、時々ぶつかり合うことはあっても基本的に一枚岩でエリート集団のイメージだったので、違法捜査ばかりの桜井のキャラにはビックリしたし、罵倒し合ったりする展開も意外でした。だけど逆に常に張りつめたような緊張感があるし、何が起こるか分からない展開でハラハラさせられてしまうしで・・・。100話〜120話くらいはそんな緊張感のある話が多くって非常に面白く感じられました。「特捜=地味、エリート」そんなイメージをぶっ壊された想いでした。個人的には一匹狼のアウトローを気取りつつも、実は犯罪に巻き込まれた悲しい人たちを自分を犠牲にしてまで守ろうとする、今風に言うと「ツンデレ」なキャラのこの頃の桜井が非常に魅力的に感じられました。正攻法で人情味もある橘、生真面目な紅林という、それと全く相反する、相容れないキャラの2人もいい味出してるし。

 その後も「特捜」に似つかわしくない、まるで「太陽にほえろ」の新人刑事のような猪突猛進の新人刑事・滝刑事(演:桜木健一)が登場して「新人刑事の成長物語」のような展開になったり、捜査をひっかきまわしたり、津上刑事(演:荒木茂)が殉職して代わりに登場した叶も最初はメンバーとの対立を繰り返したり・・・。この辺りも後の「特捜」に対して持っていたイメージとは大きく違うもの。このあたりも非常に新鮮に映りました。

 200話を超えたあたりから固定メンバーに完全に落ち着いて、対立も減って徐々に私がよく知っている「エリート集団」「一枚岩」なイメージ通りの「特捜」に。だけどこの辺りから違和感が。今回の東映チャンネルの「ベスト・セレクション」って長坂秀佳が脚本を手がけたエピソードの比重が多すぎる。「特捜」の特徴って「愉快犯、知能犯、テロリスト、爆弾魔、猟奇連続殺人犯、警察や国家権力への挑戦などの凶悪で特殊な犯罪に立ち向かう、センセーショナルで急展開なエピソード」と、「社会的弱者や追い詰められた人がやむ得えず犯した犯罪や、事件に巻き込まれた人の悲しい運命を描いた、地味な人情ものエピソードや後味が悪いエピソード」にあると私は思っています。この2パターンが他の刑事ドラマにはない個性だし「2枚看板」じゃないかと。その2つのパターンが交互に登場する。それがこの番組の醍醐味、面白さだと思っています。全然違う2つのカラーが入り混じる、だから飽きない。どちらかというと長坂氏の脚本作品は前者が多く、後者のような話は塙五郎という脚本家が手がけたものが多い。だけど、極端に長坂作品ばかりが偏って放映されているので「センセーショナル系」の話ばかりで、最近はマンネリに感じられるようになりました。個人的には「地味な人情もの」の方により魅力を感じていたので、もっとそういうストーリーも流して欲しいと思ってしまいます。それに「2つの看板」のうち、片方ばっかり放送したのではいい加減飽きてくる。それに人情系の話でこそ本領発揮する船村刑事と吉野刑事の見せ場がほとんどないのも寂しい。

 ということで「初見」な過渡期のエピソードは興味深く、楽しんで見ることが出来た反面、「安定期」以降に入って消化不良を感じているというのも正直な感想です。こんなことなら「ベストセレクション」ではなく、「全話放映」に踏み切って欲しいと思わずにはいられません。でもなんでこの番組って、このベスト・セレクションでもそうだけど、「特捜」ファンの個人のホームページも、東映の発売したDVDのベスト・セレクションも、極端に長坂作品ばっかりを取り上げるんでしょうか。でもこれじゃあ「片手落ち」だと思うんだけど…。

■2015/1/18 スコッチ復帰&「鍵のかかった引き出し」 (太陽にほえろ)

 ケーブルテレビで視聴できる「ファミリー劇場」で第1回から全話放映されている「太陽にほえろ」、いよいよ12月末から「スコッチ復帰編」に突入しました。夏場に書いた通り、住んでいるマンションの構造の関係で5月〜10月頃までファミリー劇場の映りが悪くなって、せっかく30数年ぶりに見るチャンスの訪れた「ボン・ロッキー編」は、約3分の1の話を見ることが出来ず、非常にガッカリでした。ようやくまともに映るようになった11月には、既にボンが殉職して、スニーカー(演:山下真司)が登場したあたりでした。

 スニーカー登場をリアルタイムで視聴したのは小5の時だったけど、どうしてもスニーカーが好きになれませんでした。自分の思い込みだけで勝手に誰かを犯人と決め付けたり、逆に容疑者を庇ったり。まあ、歴代若手刑事も同じような傾向はあったけど、スニーカーの場合は先輩やボスにたしなめられても聞く耳も持たずに露骨に逆らう。そのため多くの人に迷惑をかけ、傷つける。そして自分の間違いに気がついた時、異常なほど落ち込む。しかもウジウジと泣き言を言ったり、辞表を出したり。「身勝手」なのに「根暗」って・・・。テキサスやボンのような爽やかさや誠実さはゼロ、だからといってマカロニやジーパンのような愛すべきキャラでもない。5年もレギュラーだったボンの後釜なだけに、余計にこのキャラは受け入れることが出来ませんでした。今の私の目で見ても、ただの「ウザい奴」にしか映りません。実際、当時は裏で「金八先生」がはじまったことと相まって、視聴率が下がり始めたそうだし…。

 そんな中、おそらくテコ入れの意味もあったんだろうけど399話と400話の前後編で、転勤という形で降板していたスコッチ(演:沖雅也)が復帰。今と違って事前の情報もなかったので、リアル・タイム視聴時はビックリしたし、同時にとても嬉しかったもの。ただですら大好きな刑事だったし。今回久々にその「復帰編」を見たけど当時の興奮が蘇りました。確か399話は前の家で、400話は今の家で見ました。つまり間に私自身の引っ越しを挟んでいたことも思い出しました。前編の399話では、スニーカーが追っていた強盗犯人を、山田署に転勤になったスコッチが別の事件で追っていることが判明。スニーカーは情報提供せずに単独で犯人を追うスコッチに不信感を抱く。だけど、この話の中ではスコッチはなかなか姿を現さない。そして399話のラストシーン、沖縄まで犯人を追ってきたスニーカーが犯人と思われる男を海岸に追い詰めて背後から襲う。だけど一瞬の隙をついた男は逆にスニーカーから拳銃を奪う。実はその男は犯人じゃなく、スコッチ。もう、この登場シーンからしてカッコ良すぎる。当時は鳥肌が立ったものでした。そして400話ではスニーカーとスコッチが対立しながら犯人を追う。人質に拳銃を突きつけた犯人に「5つ数える、その間に拳銃を捨てろ」、「ひとつ」「ふたつ」・・・、うーん、このシーンも鳥肌ものでした。さらに最後は敢えてスニーカーに手柄を譲って、無言で背を向けて去っていく…。相変わらず気障だけど、やっぱりかっこよすぎる…。

 スコッチが戻ってきてくれたおかげで、当時の私はまた「太陽にほえろ」を見るのが楽しみになったもの。実は今の私も同じ気持ちです。そして復帰直後の404話「鍵のかかった引出し」、実はこの話は私がスコッチ主演作で最も好きな話です。リアル・タイム視聴時は感動したし、高校生の頃再放送で見たときは思わず涙が出たものでした。そして久しぶりに見た今回も、やはり感動ものでした。

 ・・・スコッチが暴走行為を働いた暴走族の浪人生を捕まえる。だけどスコッチの取り調べはただの暴走族への取り調べとは思えないほど厳しい。その夜、その少年の焼死体が発見される。厳しい取調べに耐えかねて自殺したのでは?とマスコミや遺族である少年の両親から責められるスコッチ。それでもスコッチは執拗に少年の交友関係や行動を調べ、挙句の果てには少年の部屋の机のカギのかかった引き出しの中を見せるように両親に迫る。当然両親はこれを拒否、同時に「あなたを告訴する」。

 ・・・ここまで見ると転勤前の「冷徹で非情な一匹狼」の頃のスコッチを彷彿とさせるものが。だけどスコッチは誰にも言わなかったが、実は浪人生や高校生に覚醒剤を売る組織があるとのタレこみを受けており、少年の挙動からその組織に関係があるのでは?と睨んでいた。「誰にも言わずに」ってのはスコッチらしいし、「もしも少年が事件に関係がなかった場合、自分ひとりが悪者になればそれでよい」と思っての行動だったというあたりがまたカッコよすぎる。結局、その少年はやはり覚醒剤を組織から買っており、少年は組織に殺されたことが分かる。鍵のかかった引き出しの中には覚醒剤が・・・。ラストシーン、少年の両親はスコッチに詫びる。同時に父親は「引き出しの中に覚醒剤があるかもしれないと疑っていたのであれば、なぜ事情を話してくださらなかったんですか?」と問う。それに対してスコッチは「私も信じたくなかったんです。鍵のかかった引き出しの中には、きれいなものだけがあって欲しかった」。改めて涙を流し、スコッチに頭を下げる両親。スコッチの冷徹で非情な顔の下に隠された優しさが垣間見える、素晴らしいストーリーだと思います。暴走族との格闘シーンもカッコいいし、スコッチの魅力全開といったところ。リアル・タイム視聴時、この話を見てますますスコッチが好きになったものでした。

 というわけでせっかくの「ボン・ロッキー編」が消化不良に終わり、ようやく映りが良くなったころには、見ているだけでイライラさせられる「スニーカー編」に突入していてガッカリさせられていたけど、いよいよスコッチが復帰。あの頃と同じようにまた、毎週放送が楽しみな時期がしばらく続きそうです。

■2015/4/11 柔の道は一日にしてならずぢゃ

 昨年12月からずっと、ケーブルテレビで視聴できるアニメ専門チャンネル、アニマックスでYAWARAが放映されているのでずっと視聴しています。1日1話ずつ、全部で124話もあるので、ようやく半分を過ぎたくらいのところですが。リアルタイムで放映されていたのは1989〜1992年、今回の視聴はそのリアルタイム視聴時以来になります。当時の私は大学2年〜社会人1年目、21〜24歳。小6の時に「銀河鉄道999」で「アニメからの卒業」を果たして以降(こちら)、欠かさず見ていたアニメなんて数えるほどしかないし、まして20歳を過ぎてから毎週欠かさず見たアニメなんて実はこれだけかもしれません。

 当時高校生だった妹が第1回からずっと熱心に見ていて、それを横でなんとなく見始めたんだったと思います。妹は「同じ高校生」ということで猪熊柔に親近感を持って「高校生の恋愛もの」という感覚で見ていたようでした。だけど私はむしろ「見た目も、性格も普通の(普通よりは可愛いけど)女子なのに、柔道の実力者」という斬新な設定に惹かれました。今でこそ「可愛すぎる●●」とかって報道されて「実力とルックスを兼ね備えたアスリート」って珍しくない時代になったけど、1980年代当時には全く考えられなかったもの。新体操やフィギュアスケートならともかく、それ以外の競技ではあり得ない。もちろんバレーボールの三屋裕子とか中田久美などが「カワイイ」と言われることはあったけど、それはあくまで「アスリートにしては」レベルの話でしかなったし。それなだけにこの斬新な設定に強く惹かれました。しかも柔道のルールや技も、試合内容も多少の誇張はあれ、きちんと描かれていたし。

 だけど、それ以上に私を惹きつけたのは、その猪熊柔の祖父にして柔道7段(時々8段になる:笑)、日本選手権5連覇(時々8連覇になる:笑)の伝説の柔道家、猪熊滋悟郎のキャラクター。「頑固で偏屈なジジイ」なのに、なぜか憎めない。自分の過去の実績はいつも誇張して自慢する、食い意地が張ってるし、自分が指導した者が活躍すれば「ワシの指導の賜物ぢゃ」、呼ばれもしないのに勝手にテレビの放送席に座って解説をはじめる、押しかけて来た記者を前に聞かれもしないことまでベラベラしゃべる・・・。特に私がリアルタイム視聴時も、今回のケーブルテレビ視聴時にも大笑いしてしまったのは、大きな大会の試合前に「模範演技」と称して自身の柔道の「型」だけを延々30分以上も披露するシーン、そしてワールドカップで柔が金メダルをとった後、口では「こんなもの通過点」と言いながら、金メダルを首にかけたまま外出して、外で会う人会う人に見せびらかすシーン。この2つは、当時も強烈に印象に残っていたし、今回も大笑いさせられました。脇役にも個性の強い、面白いキャラクターの多いアニメだけど、実は私が今も昔も一番好きなキャラクターは他でもない、滋悟郎かもしれません。

 だけど一方で、滋悟郎の説く「1本を狙わない柔道などワシの柔道にはない」という教えは「技ありや効果などのポイントをとって、あとは逃げ切る柔道」がスタンダードと化してしまった今「もしこの人が実在の人物なら全柔連の連中や指導者にこそ言ってやってほしい」と思ってしまいます。「ワシは敵討ちのための柔道など教えた覚えはない」という柔への説教も、近年オリンピックや国際大会で頻繁に目にする「相手にケガをさせるための技」「相手を痛めつけるための技」を繰り出す海外選手に向けて言って欲しい言葉。実は今の日本の、そして世界の柔道に必要なのは猪熊滋悟郎のような人なのでは? と思ってしまいました。表題の「柔の道は一日にしてならずぢゃ」は、実はこのアニメの世界では「世界中の柔道を志す人たちなバイブルになっている」滋悟郎の著書。もしもこんな本が本当に存在するのなら、世界中の柔道家に読ませたい心境です(笑)。

 しかし久しぶりに見ると、純粋に柔道アニメとしても楽しめる、風祭と松田の間で揺れる柔の恋愛を描いた恋愛ものとしても楽しめる、多くの友人や祖父、家を出た父親との絆を描いた人間ドラマとしても楽しめる、なかなかいろんな要素が詰まったストーリー。それなだけに124話もあるにもかかわらず、飽きることなく楽しめます。考えてみればリアルタイム視聴時、最後の1年=1992年は社会人1年目で非常に忙しかったこともあって終盤のストーリーはほとんど覚えていません。それなだけに、まだまだ後半に向けての楽しみもあります。

 それにしても今見ると「可愛い女性アスリート」なんて考えられなかった当時、でも今は珍しくなくなってしまったということもそうだけど、スポーツ紙の記者である松田が「ワールドカップサッカーもウインブルドン・テニスも日本人には無縁の舞台」云々という台詞があったけど、これも今見ると「当時はそうだったんだな」「でも今はどっちも無関係じゃなくなったんだな」と。そう思うと時代が感じられる一方、感慨深いものがありました。

■2015/4/25 「それからどうした」、亀さん、最高の司会者が・・・ (愛川欽也逝去)

 愛川欽也が80歳で亡くなったとのニュースが。「地上波テレビ離れ」して10年以上になる私だけど、母が「アド街ック天国」をよく見ていたし「つい最近までテレビに出ていた」印象だったので非常にビックリしました。私の世代だと「物心ついた時から当たり前のようにテレビに出ていた人」なので、好き、嫌い云々を超えた存在でした。

 幼少の頃からいろんなCMで見かけた顔だったし、(彼が担当していたことは後から知ったけど)「ハクション大魔王」の「それからどうした」のオジサン、「いなかっぺ大将」のニャンコ先生、「おはよう子供ショー」のロバ君などの声でもお馴染みだったし。だけど私が愛川欽也というタレントをはじめて認知したのは、小学生の頃、昭和50年代前半に平日の昼間に放送されていた「キンキン・ケロンパシャボン玉こんにちは」でした。学校の夏休み、いつも「ベルトクイズQ&Q」というクイズが好きでいつも見ていたけど、この番組が終わってチャンネルをそのままにしていると始まる番組でした。一応表向きは歌番組だけど、司会の2人、愛川欽也とうつみ宮土里の軽妙なしゃべりが印象に残る番組でした。口が悪いけど、ちょっとしゃれた、軽妙な愛川欽也の語り口は独特だったものでした。

 その後小学校5年の頃、昭和54年からは月曜夜7時半からの「人生ゲームハイ&ロー」という番組に夢中になりました。視聴者が家族対抗でクイズやゲームに挑戦、しかも次々に賞品を獲得できるという番組。自分と同世代の小学生も当然挑戦していて、しかも次々に豪華な賞品をゲットするのを見て「いいなあ」「うらやましい」と思っていたもの。実際、両親に「出たい」とせがんだほどだけど、父に「馬鹿!」と一喝されたことも思い出深いです。

 だけどやっぱり私にとっては、司会者としてのこの人で一番印象深いのは「なるほどザ・ワールド」。今思えば「海外の珍しい話題を取材して、クイズを出題」「タレント2人組の回答者が答える」って、特に斬新でも何でもない、シンプルな番組なのに、なぜか人気もあったし長寿番組になりました。当時は中学生〜高校生、知らず知らずのうちにいろんな国や風土、文化を知ることが出来て勉強になりました。教養番組ような「押しつけがましさ」もなく、「楽しみながら知らず知らずに勉強になる」というのは、実に絶妙。だけどそれ以上にこの番組が人気番組になったのは、やはり愛川欽也の司会のおかげでしょう。ゲストにタメ口、呼び捨て、毒舌、なのに全然嫌味でも偉そうにも感じられない、軽妙で洒落た語り口・・・。この人独特のものでしょう。「はい消えた」とか「おまっとうさんでした」とか、よく真似してる同級生もいたものでした。

 あと、ドラマでもお馴染みの顔だったけど、最も印象深いのは土曜ワイド劇場枠の「西村京太郎トラベルミステリー」の亀井刑事でしょう。前もこのトラベルミステリーに関しては触れたことがあるけど(こちら)、亀井刑事役は伊東四朗とか坂上二郎なども見てきたけど、最もはまり役だったのは間違いなくこの人だと思います。何より、最も長く亀井刑事を演じていたのはこの人だし、三橋達也&愛川欽也のコンビ時代は十津川警部より亀井刑事の方が目立っていたし、事実上亀井刑事の方が主役扱いだったし。父はこの「土曜ワイド劇場」枠の2時間サスペンスが好きでよく見ていたけど、実は愛川欽也はこのトラベルミステリーだけじゃなく、多くの作品に出ていました。私自身は亀井刑事役以外の彼が出ていた作品は全然好きじゃなかったけど、どの作品でも「人情派の優しいオッサン」の役ばかりでした。しかも「なぜか若い女性にモテる役」が多かったので、当時高校生〜20代前半だった私は嫉妬しながら見ていたけど、父はむしろ共感して感情移入して見ていたようでした。当時の多くの40代、50代の人たちはきっと、同じような気持ちで見ていたのではないでしょうか。

 21世紀に入って地上波の番組を見なくなったので、2012年まで出演していたトラベルミステリー以外の近年の彼をあまり知らないというのも正直なところです。ただ、もう10年くらい前になるけど偶然つけていた、みのもんた司会のバラエティで雛壇に座らされているのを見て、ちょっと悲しくなったのを覚えています。「おい、みのもんた、場所代われ」と。私の中ではどう考えても司会者としては愛川欽也の方がはるかに格上(メジャーリーガーと日本の二軍選手並みの格差があると思える)だと思っていたので、非常に寂しくなりました。

 近年まで「アド街ック天国」を見ていた母からは「愛川欽也は最近ほとんどしゃべらなくなった」と聞いていたので、「さすがにもう司会は無理なのか」とは思っていました。そして遂に降板、だけどそれから1か月程度で…。それなだけに、本当に驚きました。決して「大好きだった」わけではないけど、「テレビをつければ、ドラマでも、CMでも、バラエティでも、クイズでも、いつも当たり前のように見かける顔」だった人がいなくなってしまった。毎回同じことを書くけど、本当に一つの時代の終わりを感じずにはいられません。同時に、いなくなってはじめてその存在の大きさに気がつかされました。

■2015/5/3 「天皇の料理番」といえば堺正章?

 地上波のテレビはほとんど見ない私だけど、先日新聞のテレビ欄を見ていたら「天皇の料理番」という文字をみつけてビックリ。なんと懐かしい。「天皇の料理番」といえば、明治、大正、昭和の3つの時代を生き抜き、昭和天皇の料理長を長く務めた実在の人物、秋山徳蔵の生涯を描いたドラマで1980〜1981年にかけて、堺正章主演でTBSで放映されていたものです。へえ、あれのリメイクの新作ドラマがはじまるんだ。

 とはいえ1980年版、堺正章版は日曜の夜8時=大河ドラマの裏という何とも厳しい時間帯に放映されていたので、実は視聴率が低迷して短縮、打ち切りになったドラマでもある。「大河を見るために生きている」と言い切るほどの大河ファンだった父がいた私にとっても、リアルタイムでは全く馴染みのないドラマでした。その後、1982年か1983年、私が中2か中3の時、夕方に再放送されていてそれを見ているうちに一気にはまってしまいました。

 何よりキャスティングがよい。徳蔵役の堺正章も、妻のトシ子役の檀ふみも、修業時代の仲間で画家志望の新太郎役の鹿賀丈史も、同じく修行仲間でお調子者の辰吉役の明石家さんまも、師匠でフランス料理のシェフの宇佐美役の財津一郎も、徳蔵の兄役の近藤正臣も・・・、いや、1回しか登場しないような役ですらはまりすぎていて強烈に印象に残る。そして明治、大正、昭和初期という3つの時代、激動の時代の波の中で翻弄される人々、本当に様々なドラマが展開される。ドキュメンタリーのような、大河のような歴史ものでもあり、人と人との強い絆を描きつつも、愛憎入り混じった泥沼のような人間関係も描かれていて…。徳蔵とトシ子も強い絆で結ばれていながら、何度も離れたりくっついたり。徳蔵と新太郎や辰吉との関係も「友情」だけでなく、時として憎しみ合ったり、遠ざけたりで、単なる「友情物語」には終わらないし。なんともスケールの大きさを感じさせるドラマです。

 個人的に印象に残ったシーンはいくつもあるけど(以下リメイク版が初見になる人はネタバレ注意)、第1回、明治時代の福井の片田舎に住む徳蔵が偶然口にした当時としては珍しい西洋料理、カツレツを食べて感動のあまり涙を流すシーンが最も鮮烈でした。それをきっかけにこのドラマにはまったようなものだし。そして宇佐美シェフの元での修業時代、宇佐美の一番弟子・荒木(演:志賀勝)に殴る蹴るの激しいシゴキを受ける。「ただの嫌な奴」「パワハラおやじ」と思いきや、歯向かった徳蔵を殴り付けながら「俺はこんな形でしかお前に教えてやれんのだ」と言いながら涙を流すシーンも印象的でした。あとは後半、昭和天皇の料理番になった後のエピソード。海外の外交官を招待しての晩さん会の席で、徳蔵は昭和天皇に出す肉に調理用の糸をつけたまま出してしまう。昭和天皇は怒るかと思いきや「糸をとるのを忘れたようだね、他の人のも糸をつけたまま出したの?」と徳蔵に聞く。「いえ、糸をとり忘れたのは陛下の分だけです」と恐縮しつつ徳蔵が答えると「そう、それはよかった」と昭和天皇・・・。もちろんこのシーン自体が印象的だったけど、それ以上に昭和天皇役の俳優が話し方も顔もそっくりだったことに驚きました。そして最終回、地位を手に入れて天狗になっていた徳蔵、絵の道をあきらめた新太郎が開いた小さな町の洋食屋を訪ねる。そこでカツレツを注文、カツレツを食べながら「ワシはこの味を忘れておった」と再び涙を流す…。いや、本当に忘れがたい、感動的な最終回でした。

 というわけで再放送ですっかりはまって、心酔したドラマでした。2008年頃、ケーブルテレビで視聴できるTBSチャンネルでも久々に視聴して、その時もまた同じく非常にはまったものでした。だけどこのドラマには一つだけ、本当に唯一不満が。それは視聴率低迷で打ち切り決定→放送短縮されたせいか、後半、特に昭和に入ってから急に駆け足になって、描き方が浅いというか、あっさりしているというか、そういう感じで最後が少し味気なく感じられる点。本当に、唯一の不満な点です。

 それなだけに今回のリメイクの話、意外と悪い気がしません。近年多い「過去のドラマのリメイク」って、「思い出を壊すな」「どうせ元祖にはかなわない」とどうしても否定的に見てしまいがち。だけどこのドラマの場合、「元祖」である1980年版=堺正章版自体が、世間一般では「打ち切り」に終わったマイナーなドラマ。だから「元祖」と比較してああだ、こうだいう人は少ないのでノビノビやれるんじゃないか。私自身も「元祖」の方が、後半が駆け足になってしまったので、今度こそちゃんと後半もきちんと描いてほしい、きちんと作りこんでほしいと思ってしまいます。なので「いい素材をみつけてきたな」「今度こそ元祖が果たせなかった分までリベンジして欲しい」と思います。問題はキャストと脚本。「元祖」はこの2つに関しては「鉄壁」だったので、そこさえクリアすれば、話自体は小説が原作で素材自体が面白いのは間違いないから絶対いいものになると思います。

 だけど「見るか?」と言われれば、やっぱり見ないとは思います。私にとっては「元祖」がすべてだから。だけどその「元祖」を知らない人が大半だから、このリメイク版を見てはまる人が増えればそれでいいのかなと思います。

■2015/11/4 一矢とエリカのバラード(闘将ダイモス)

以前「グレートマジンガー」(こちら)や「グレンダイザー」(こちら)について語った時にも触れたように、私がロボット・アニメに最も夢中だったのは昭和48年頃〜昭和50年(5歳〜7歳)くらいでした。マジンガー・シリーズ以外にも「ゲッターロボ」や「勇者ライディーン」もあったしで、この時代が全盛期だったことは間違いないところでしょう。それよりも少し遅れて始まったのが「コンバトラーV」や「ボルテスV」でした。もちろんこのシリーズも毎週見ていたけど、既に小2〜4くらいだったので、ヒーローもの=「戦いもの」(当時の私がそう呼んでいた)に対して少し冷めた目で見ていたのも事実。以前ならただただ「カッコいいな」と憧れたり、格闘シーンや次々に登場する武器に熱狂したりしていたけど、もうそれだけで感動できる年齢でもなくなりつつあったし。

 とはいえ「コンバトラーV」は5人の登場人物の乗る5台のメカが合体するという斬新さがあったし、次々に新しい武器が登場するワクワク感があったし、敵キャラ(=ガルーダ)にも悲しいドラマがあったりでそこそこ楽しんで見ていた覚えがあります。「ボルテスV」は最初は「二番煎じ」と思っていたけど、途中から乗組員の中の3兄弟が実は敵であるボアザン星人の血を引いていることが判明するという、それまでにない衝撃的なドラマがあったりで当時としては非常に斬新なストーリーだったので、既に「戦いもののアニメなんて子供だまし」と思い始めたいた小3〜4のマセガキの私でも思わず引き込まれてしまった覚えがあります。何より「土曜日の夕方6時=休みの前の日」のワクワクした気持ちを盛り上げてくれる番組というイメージがあったものです。

 その「コンバトラーV→ボルテスV」の後に始まったのが「闘将ダイモス」。「合体もの」が続いた後なだけに、操縦するのが一人だけ、しかもトレーラーが変形するだけというシンプルなロボットに肩透かしを食らったし、敵司令官リヒテルのキャラクターもガルーダ→ハイネルの「3番煎じ」のようだしで「微妙だなあ」と。それ以上に私を困惑させたのは、ダイモスの操縦者である竜崎一矢と敵司令官リヒテルの妹エリカの悲恋。「敵味方に分かれた恋愛関係」って、当時のヒーローものやロボットものにはなかった設定ではあるけど、当時の私には「軟弱」「女々しい」と映りました。何かにつけて「エリカ、エリカ」と叫んだり悩んだりする一矢、血気盛んで好戦的な「ヒーローものの主人公」の理想像とは大きくかけ離れている。エリカも自意識過剰で夢想家で「頭の中がお花畑」な世間知らずのお嬢様。当時小4、まだまだ恋愛なんてものとは無縁で理解できなかった私には「見ていて恥ずかしくなるアニメ」「見ていてイライラさせられるアニメ」という印象でした。学校の同じクラスの連中も「面白くない」と言っていたものでした。一応最終回まで見続けたけど、あくまでも「お付き合い」「時間潰し」くらいの気持ちで見ていたというのが正直なところ。その後、何度か再放送もやっていたけど、その初見の時の「面白くない」「軟弱」というイメージが邪魔したので、一度も見たことはありませんでした。

 ところがケーブルテレビで視聴している東映チャンネルで「コンバトラーV→ボルテスV」と放映されて、それに続いて「闘争ダイモス」も放映されました。前者2作品は何度も再放送で見たし、今回久しぶりに見た印象も昔と変わりませんでした。一方でダイモスはこれまで一度も見たことがなかった。だから「今の40代の目線で見たらどんな風に映るんだろう」ということで実に37年ぶりに視聴してきました。つい先日最終回まで見終わったところですが、リアル・タイム視聴時よりもはるかに好印象でした。

 エリカ、「頭がお花畑なお嬢様」どころか意思が強くて凛々しく、それでいて献身的で健気。平和を願い、バームの一般市民を救うために自分を犠牲にしようとすることも厭わない。優しくて強い、理想的な女性。そして竜崎一矢、軟弱なんてとんでもない。決して恋愛に溺れて「地球を守る」任務を忘れたり、おろそかにするような男じゃない。当時は「戦いよりもエリカばっかり」そんな風に映っていたはずなのに…。おそらく「バーム星人であっても傷ついた者や戦う意思のない者には攻撃しない」とか「戦いと関係のないバームの一般庶民を救うために戦う」といった態度は当時のヒーローものの主人公にはなかったもの。そういうところが当時の私には「軟弱」と映ったのかもしれません。しかし「敵を倒すために戦う」のではなく「地球を守るために戦う」一方でバーム星人とは理解し合い、協調したいと考え、平和を願う一矢の方が「ただ血気盛んなだけ」の主人公よりもよっぽど「強くて優しい」真のヒーロー見えます。それとは真逆に「バーム星人など皆殺し」「バームを倒すためなら地球人の一般庶民を犠牲にすることも厭わない」という地球防衛軍の司令官・三輪長官のような「地球側の悪役」も登場する。なんとなく「勧善懲悪」というより「リアルな戦争」のよう。いや、こういう設定は「時代が早すぎた」んじゃないかという気もします。同時に当時の私にも「早すぎたアニメ」だったのかもしれません。小4では恋愛云々だけじゃなく、こういうリアルなストーリーなんて理解できるはずがない。むしろ小6〜中学生くらいに見たら、きっと理解できたのかもしれないし、もっと感動できたかもしれません。

 ということで30数年ぶりに「コンバトラーV→ボルテスV→闘将ダイモス」の3部作を見てきましたが、最も好印象だったのはリアル・タイム視聴時に最も好感度の低かった「闘将ダイモス」でした。確かに世間一般の評価同様「ボルテスV」が最高傑作だとは思うけど、設定の斬新さとリアリティでは「ダイモス」の方が上かなと。私だけではなく、当時の小学生たちには不評だったそうだけど、ターゲットを中高生くらいに設定して放映していればもっと人気も出たんじゃないかと思うし、「ガンダム」などよりも後に制作されていたらすんなり受け入れられたんじゃないかと思えます。早すぎた名作、37年ぶりに視聴した私の素直な感想です。ちなみに私がリアル・タイムで「毎週欠かさず見た」ロボット・アニメは、この「ダイモス」が最後でした。「時々見ていた」とか「はじめだけ」「途中から」「最後の方だけ」見たものはいくつかあったけど・・・。

■2015/12/14 夜明けの・・・(刑事)

 12月になってケーブルテレビでは「おお、こんな番組が始まる」の連続。そんな中のひとつがTBSチャンネルではじまった「夜明けの刑事」。リアル・タイム放映は1974〜1977年、私が幼稚園年長組〜小3の頃。刑事ドラマ好きの父がずっと見ていて、それを横で見ていた記憶はあるけど、内容を理解して見ることが出来るようになったのは1976,7年頃だったかも。といっても当時の私に完全に内容を理解できるはずもなく、むしろ1978〜1980年代に何度も再放送されていて、その頃見た記憶の方が鮮明です。一応丸4年と長く続いた番組だし、続編の「新・夜明けの刑事」「明日の刑事」まで含めると6年も続いた長寿人気刑事ドラマだった割には、あまり語られることもなく、ビデオ化やDVD化もされず、1990年代以降は再放送も皆無に近い。そんな「忘れられたドラマ」、私自身も約30年ぶりの視聴になります。

 小学生くらいの頃に再放送で見た印象は「見た目のカッコ悪い刑事ばかり」「地味な人情もの」という印象でしたが、中高生の頃再放送で見た際には、大きく好感度が上がりました。鈴木刑事(演:坂上二郎)は確かにカッコいいとは言えないけど、人情家なだけではなく、熱い心を持った魅力的なキャラクター。鈴木ヒロミツ演じる小林刑事もカッコ悪いけど味がある。そして「犯人逮捕のためなら辞表覚悟で違法捜査ギリギリのリスクもいとわない」クールで冷徹な石立鉄男演じる相馬課長のキャラがあまりにもカッコいい。いや、見た目はホームドラマのコミカルなキャラクターや「トミーとマツ」の「モジャモジャ課長」と同様、決してカッコいいとは言えないんだけど、その存在感もキャラクターも強烈。再放送で見た時、すっかり魅了されてしまいました。そのカリスマ性も感じられる課長を信頼してついていく鈴木刑事や小林刑事、絶妙なチームワークが感じられました。そしてその課長や鈴木刑事に時に反発しながらも成長していく若手の池原刑事(演:石橋正次)もいいキャラクター。初期のこのメンバーの頃のこの番組は、タイプは違えど「太陽にほえろ」や「特捜最前線」などと並び称されてもよいほどのクオリティだと思います。にもかかわらず「語られない」「再放送されない」「DVD化されない」のは、不可解に思えるほどです。

 その後、池原が転勤していなくなり、さらに相馬課長が違法捜査の責任をとって辞職という形で降板。メンバーの入れ替わりが激しくなっていくけど、そのあたりから完全に「普通の人情もの刑事ドラマ」になってしまうのが残念。個人的には「池原、相馬課長のいた頃まではちょっとハードボイルドな名作、それ以降は普通の人情もの刑事ドラマ」という印象を持っています。

 といっても以上は30年近く前、中高生の頃に再放送で見た頃の印象。果たして今の私の目で見るとどんな風に映るのやら。ということでTBSチャンネルで先週から放映されているこの番組、久々に見ています。今のところ12話まで放映されているけど、毎日2話ずつ放送なので録画して少しずつ見ています。6話まで見終わった印象は、やはり昔と変わらない。相馬課長はカッコいいし、池原もギラギラしていていかにも若手刑事らしいし・・・。だけど、40代になった今も私の目で見ると、叩き上げ中年刑事の鈴木のキャラクターに妙に感情移入できました。不器用で鈍くさいけど、人情家で粘り強く、時として熱い。やっぱり初期のこの番組は文句なく「傑作刑事ドラマ」だと思います。あと台詞の熱さとか、ストーリー展開とか、いかにも「大映テレビだな」と思えるところもあり、第2回放送ではキャロルが出演したりでゲストも豪華だなと。それから音楽は元モップスのギタリスト、星勝が担当してるようだけど、いかにも70年代ロックっぽくってカッコいい。特にインストのオープニングテーマ曲は「太陽にほえろ」のテーマ曲に匹敵するほどのカッコよさ。なぜかポール・ロジャースが歌っている劇中のたどたどしい日本語の歌ばかりが取沙汰されるけど、もっと音楽面でも評価されてよいのでは?

 ということで久々に見ているけど、とても楽しく見ることが出来ています。今後気になるのは、メンバーチェンジして番組のカラーが変わるあたり。中高生の頃に見た時は「初期と比べるとパワーダウンした」と感じたけど、果たして今の私の目にはどう映るのか? ちょっと興味があります。しかし全111話もあるので、まだまだ先は長そう…。

■2016/1/4 モチベーションを上げるために・・・(バンドもの青春映画感想)

  ケーブルテレビのお目当ての番組の半分以上が自分が家にいない時間や眠っている深夜に放映されているので、基本的には「ブルーレイ・レコーダ内のHDD内に録画しておいて時間のある時に見る」という形で視聴しています。ドラマやアニメや歌番組、バラエティ番組は録画後、あまり間をあけずに見ていますが、映画に関しては時間が長いので時間がある時、じっくり時間をかけて見てもよいかなという「気分」にならないとなかなか見ることが出来ません。なので映画は「録り溜め→連休などでゆったりできる時にゆっくり見る」ことが多いです。

 今年の年末年始、特に年が明けて以降は行くところもない、やることもほとんどない、テレビも見るものがないということで、久々に長編映画をゆっくり見ることが出来る時間が。録り溜めした映画は邦画、洋画、時代も1950年代〜2000年代まで実に幅広いので、とりあえず「今の気分」なものを選ばなきゃ。ということでHDD内のタイトルを見ていくと…。

 なんと、まさに今の自分の「気分」にピッタリなものが2本。「ギターをこれからはじめる」そんな私のモチベーションを挙げてくれそうな映画なので、その2本を年明け後、1/1の昼間に視聴しました。

青春のデンデケデケデケ

 1992年公開の大林宣彦監督作品。舞台は1965年、ラジオから流れてきたヴェンチャーズのサウンドに衝撃を受けた四国の観音寺在住の高校1年生の主人公の少年が4人組バンドを結成、その4人がロックに明け暮れる高校生活を描いた青春映画。楽器を手に入れるためにアルバイトに精を出したり、練習場所の確保に悪戦苦闘したり、徳島の山奥での合宿あり・・・。そして3年生の文化祭でのステージ、その後の卒業、別れ…。ロック云々以前に「青春映画」としてはまさに王道でお約束な展開。かつてバンドをやっていた人はもちろん、バンドをやっていなかった人にとっても高校時代を思い出してちょっと感傷的になれる、そんな映画ではないでしょうか。大林監督の映画にしてはテンポが速く、展開も目まぐるしくって一気に引き込まれ、気がつけばあっという間に2時間以上が経っていた、そんな感じでした。

 しかし大林監督の映画といえば青春映画、しかもノスタルジックな気持ちになる映画が多い反面、ちょっとエロっぽいエピソードや空気が支配しているものが多くて、個人的にはそのあたりが今一つ好きになれないんだけど、この映画にはあまりそうした要素がない。まあ、ドラムの奴が偶然キスした同級生に片思い→フラれるとか、ストーカーっぽい女子にリードギターの奴(演:浅野忠信、今の姿と違い過ぎて気がつかず)が付きまとわれるとかのエピソードもあるけど、あくまでもそれは「横道」。卒業前に主人公のバンドリーダーが突然同じクラスの女子に誘われて海に行くエピソードもあるけど、それもその女子が「卒業前に思い出を作りたかったから」ということで、一緒に海に行って泳いで、弁当を食べるだけ。特別な展開が起こるわけでもない。まあ、私にはその女子の行為がとってもいじらしく、可愛く映りましたが。

 それよりもバンド活動に打ち込む4人の姿と、4人の友情、その前にはそうしたエピソードも霞んでしまう。別に「プロになりたかった」わけでもなく、ひたすらバンドに明け暮れ、打ち込んだ「青春」という感じ。打算も計算もなく純粋に「何かに夢中になる」「何かに打ち込む」ことが出来るのはこの世代の特権。改めて「もっと若い頃に俺も『打ち込める何か』をみつけることが出来ていたらなあ」と後悔してしまいました。

リンダ・リンダ・リンダ

 2005年公開の映画らしい。まだ「ロック気分」まっただ中だった2005年頃、行きつけのCD店に行ったら、女子の声で歌われるブルーハーツの「リンダ・リンダ」がかかっているのを聞きました。「上手い」とは全く思わなかったし、まるで文化祭バンド・レベルだとは思ったけど、なぜだか印象に残っていました。家に帰ってネットで検索したら「今、公開中の映画のサントラ」とのことで納得。もちろん映画館に行ってまで見たいとは思わなかったけど、「機会があれば見てみたいな」と思ったものです。だけど、そんなことなどすっかり忘れてしまって久しい2015年に映画専門チャンネルで放映されていたので録画していたもの。約1年間眠らせていたけど「見るなら今しかなかろう」ということで。

 高校の軽音楽部の女子高生バンド、文化祭直前にギターのメンバーがケガをしたこととメンバーの対立で分裂。仕方なくキーボードを担当していたメンバーがギターに回り、新たなボーカルを探していたところ、思わぬ形で韓国からの留学生をボーカルに迎えることに。メンバーが決まって文化祭のライブを成功させるまでの3,4日を描いた青春映画。しかしほとんど大きなハプニングも事件も起こらない。淡々と文化祭までの4日間ほどの日常を追っただけ。

 にもかかわらず、というか、だからこそ妙なリアリティを感じました。感動させようとか、泣かせようとか、そんな要素は微塵もない。ひょっとすると「単調」「退屈」という人もいるかもしれない。でもギターのメンバーがギターを上手く肩に掛けることが出来ずに苦労しているのを元カレが手伝っているのを見て思わず微笑む他の3人とか、ベースのメンバーが作った夕食を食べて「味付けが濃い」とボヤく他の3人とか、河原を歩いて学校に向かう途中の4人が歩きながら何気なく「リンダ・リンダ」を口ずさんでいるシーンとか、文化祭のステージ前日、ボーカルの韓国人留学生が校内をぶらぶら歩いて無人の体育館のステージに上って「メンバー紹介」するシーンとか・・・。

 とにかく「どこにでもあるごく当たり前の日常」を繋ぎ合わせただけ、だからこそバンドをやったことのない私でも「高校時代、こんな風に同級生と過ごしたなあ」と思ってしまう。むしろ「感動を押し付けられる」よりも、こうした「何気ない日常」を見せつけられた方がはるかに感傷的になってしまいます。バンドのことを巡ってギターのメンバーとドラムのメンバーが議論しているのを聞いて、ベースのメンバーが「きっと将来、ライブのことなんかよりも、こういう時のこと(こういう何気ない会話、の意)の方が思い出に残るんだろうね」というニュアンスのことを呟く。それを聞いてほかのメンバーは「今の話、面白くないよ」と嘲笑するけど、実はそうなんだよな。あのセリフに、制作者のメッセージが込められているように感じました。高3の文化祭、うちのクラスは寸劇をやったけど、本番よりも練習や準備でクラスメイトと交わした何気ない会話や、片思いの女子と談笑したことの方をより鮮明に覚えているし、より懐かしく思えるし。

 ということでこちらもやはり「バンド」云々以前に、打算も計算もなく、先のことを考えるでもなく「目の前のことに打ち込む」、そんな4人の姿に惹きつけられてしまいました。しかし「もうすぐライブなのに、まだメンバーが来ていない→ようやく到着、ライブが始まり、大盛況でフィナーレ」という展開はひょっとしてビートルズのA HARD DAY'S NIGHTのオマージュでしょうか。ネット上のレビューを多数見たけど、誰も言及していなかったのが意外でした。絶対、そうでしょう?

・・・ということで「ギターを始める」モチベーションを上げるために見た2本でしたが、バンド云々、ギター云々以前に、純粋に「青春映画」として楽しんで見ることが出来ました。一方で「もっと早く始めればよかったな」の想いも有りでした。

■2016/1/25 「ある日わたしは」魅了されて

 1983,4年頃、私が中3か高1の頃だったと思います。いつものように「欽ちゃんのどこまでやるの」を見ていたら、ゲストに松原智恵子が出演していました。この番組にはゲストが「萩本家」の茶の間に座って、萩本欽一や真屋順子、見栄晴などとトークするコーナーがあり、毎回いろんなジャンルのゲストが登場していました。当時の私から見れば、松原智恵子といえば母親と同世代の人なので「ああ、オバサン女優ね」くらいのイメージ。まあ、2時間サスペンスによく出ていて、いつも事件に巻き込まれて不幸になって泣いている役ばかりやってるなとか、石立鉄男主演の「天まであがれ」というドラマでは石立演じる主人公に勝手に片思いして、池上季実子演じるヒロインとの間に割り込んでくるウザいバツイチ女の役をやっていたな、というくらいの認識はあったけど、特別印象に残る女優でもありませんでした。

 だけどこの日、ゲストとして登場した松原智恵子を見て、なぜか心惹かれるものが。確かに母親と同世代の「オバサン」なんだけど、なんとも言えない気品やオーラがあって「キレイ」というより「カワイイ」なと。声もキレイだし話し方も気品がある。しかもトークを聞く限り、気さくで飾らない人柄で親しみやすい。「趣味はドライブ、高速を思いっきり飛ばすのが気持ちいい」などと、ちょっと「お転婆」「男勝り」な一面もあって、そのアンバランスさもまた魅力的。実際、私と同世代(2歳上)の見栄晴もデレデレになっていたし。私も思わず一緒にテレビを見ていた父に「この人、若い頃滅茶苦茶美人やったんやない? 今でいうアイドルみたいな人?」と聞いてしまいました。父は「昔の日活の看板女優で吉永小百合と人気を二分していた」と説明してくれました。とはいえ、当時中学生か高校生だった私が、母親と同世代の女優にそれ以上興味を持つはずもなく、そんな会話を交わしたことなどとっくの昔に忘れていました。

 昨年末、ケーブルテレビで視聴できるチャンネルNECOというCS局で「ある日わたしは」なるドラマが放映されるとの告知が。なんでもVTRが行方不明になっていたとか、いないとかの「幻のドラマ」とか。リアルタイム放送は1967年〜1968年4月、1968年7月生まれの私にとっては「生まれる前」のドラマ。当然知らないドラマだけどチャンネルNECOが熱心に宣伝している。放映前、チャンネルNECOで番組宣伝が流れる。いきなり画面に大映しされた主演女優の顔アップを見た瞬間、思わず息が止まりそうに。なんとお美しい、なんてカワイイ、とてもこの世のものとは思えない。字幕を見ると「出演、松原智恵子」とある。ああ、そうだ、この人、昔「欽どこ」見た時に「母親と同世代だけどキレイ、カワイイ」と思ったあの人だ。そして例の美しい声、気品のある話し方、もう、これは絶対に見なければ・・・。

 というわけで昨年の秋から始まったこのドラマ、毎週欠かさず見ています。ストーリー自体は金沢から上京して大学に通う、松原智恵子演じる女子大生が大学生活や恋愛を謳歌するという、時代の感じられる内容。とにかく恋愛観も価値観も、私の年代から見れば古いという印象しか持てないというのは正直なところ。あと幼なじみの男子学生、隣の家に住む歯科医の長男、ちょっとグレた次男など多くの男に「想われている」ことを分かっていながら気持ちが揺れる主人公って、男の私から見るとあまり良い印象は持てないし。それに昭和40年代前半の古いドラマにありがちな「緩い」展開にも何となく波長が合わないし。なので「面白いか?」と言われれば「うーん、まあ、こんなものなのかなあ」レベルというのも正直な感想です。

 だけどストーリー云々じゃなく、やっぱり松原智恵子がひたすら美しくてカワイイ、見ているだけで幸せな気分になれます。友達や妹(演:ジュディ・オング、若い頃のこの人もカワイイ)にからかわれてふくれっ面になる、すねたような表情になる、隣の歯科医の長男の診察を受ける時「口を開けて」と言われて恐々とした表情で口を開ける表情、その後ちょっと気恥しそうにうがいをする表情、隣の次男に説教する時の凛とした表情、もう、すべてが可愛らしくて美しい。あと茶色いリボンの形をした髪留めもとってもお似合い。ファッション・センスもよくって、今の時代に現れてもみんなが振り返ること間違いなし。このドラマの主人公の性格も、気品があって美しくて優しい、でも芯が強くてちょっと男勝り、とっても庶民的で気さくで親しみやすい。ほとんど素の松原智恵子そのものなんじゃないか。あの「欽どこ」のトークのままのイメージ。だからストーリー云々というより「松原智恵子という女優のイメージビデオ」のようなものと思えばいいのかも。とにかくどのシーンにも松原智恵子の魅力で溢れている、そんなドラマだと思います。

 自分がリアル・タイムでは見ていなかった古い時代のドラマや映画を見て、こんな気持ちになった女優は過去に芦川いづみ(こちら)くらいしかいませんでした。でも芦川いづみの場合は「和製ヘップバーン」という感じで「雲の上の人」という印象なのに対し、この人の場合はもっと庶民的なので、より親しみやすさもある。本当にこのドラマの中の松原智恵子にすっかり魅了されています。チャンネルNECOはもともと日活と提携しているので、往年の日活の映画も多く放映している局。今後は往年の松原智恵子主演の映画も見ていきたいと思っています。しかし同じ日活の吉永小百合と同期で同い年らしいけど、なんでこの人ではなく吉永小百合の方が「大女優」になってしまったんでしょうか? 私にはどう見ても逆じゃなきゃ納得できないんだけど・・・。実際、80年代にはサスペンスの「汚れ役」ばっかりやっていたわけで、その「差」が不思議でなりません。

■2016/2/25 昭和40年代の風景と明治生まれの爺さん婆さん

 先日ここに書いた1967年〜1968年(昭和42年〜43年)放送の「ある日わたしは」の他、最近は昭和40年代前半〜半ばのドラマがケーブルテレビで多く放映されていて、よく視聴しています。

 チャンネルNECOでは1969年(昭和44年)放送の「見合い恋愛」。私が1歳の頃のドラマなので、当然全く見たことがなく今回が初視聴です。「結婚は恋愛より見合い」と信じて疑わず、見合いをセッティングして縁談をまとめることを生き甲斐している主婦(演:藤間紫)と、それに反発して見合いを拒否して恋愛に走る長男(演:まだモジャモジャ頭ではない石立鉄男)と長女(演:由美かおる)を描いたドラマ。恋愛観、結婚観の世代間ギャップをユニークな視点で描いてるし、見合いを拒否した長男が「幻になった見合いの相手」である生け花教室の先生(演:山本陽子)と偶然に出会って恋に落ちてしまったりという展開もなかなか凝ってるし。昭和40年代初頭のドラマにありがちな「大きな事件も起こらず、ストーリー展開がゆったりしすぎ、のんびりしすぎ」な印象は拭えないけど、忙しすぎる今の私にとっては「疲れて帰って来た後、ちょっとだけホッとできる」、そんな空気がむしろ心地よく感じられます。昭和40年代初頭の、ちょっとオシャレっぽいBGMや登場人物のファッションと相まって、なかなかいい雰囲気のドラマだと思います。

 そしてもうひとつはBS 12で放映されている「ありがとう」。こちらは1970年(昭和45年)放送の「第1シリーズ」。第2シリーズ以降は幼稚園に入るか、入らないかの頃にリアルタイムで見た記憶があるし、この第1シリーズも幼稚園児〜小学生くらいの頃に何度も何度も再放送で見た記憶はあります。なんといっても視聴率50%越えの「おばけ番組」だったし、当時生きていた人で知らない人はいないくらい有名なドラマでしょう。最後に見たのは小5くらいの頃なので約36,7年ぶりの視聴になります。しかしこちらも「あまり大きな事件も起こらず、ストーリー展開がゆったりしすぎ、のんびりしすぎ」。登場人物が異常なほど多くて、そのそれぞれの家が朝目覚めて、朝食時に長い長い会話を交わして、それぞれの一日が始まって、その途中でいろいろな出来事が起こって、最後に帰宅して一日が終わる、それで1話が終了。それどころか、回によっては「午前中の出来事のみ」で終わることすらある。だけどこのドラマは「ストーリー展開を楽しむドラマ」ではなく、登場人物の会話を楽しむドラマ。その会話を通じて、それぞれの人物の心が動く、心が通う、人と人とが触れ合う。何気ない日常、そんな中での人と人との触れ合い、心の通い合いを描いたドラマ。だからこそ身近で親しみやすい。橋田●●子の脚本のように「口喧嘩」「いがみ合い」じゃなく、とっても温かみのある会話が展開されるから全くギスギスしてない。そこが「おばけ番組」になった理由なんでしょう。久々に見ると幼少の頃は「男みたいで怖い」と思っていた水前寺清子が意外と可愛く思えたり、「鬼のように怖い」と思っていた山岡久乃演じる母親が口は悪いけど実は優しく、温かみのある「日本のお母さん」のイメージそのものに映ったり。意外な発見がありました。

 そんなこんなでなぜか今の私は昭和40年代前半〜半ばのホームドラマばかりを見ています。まあ「ある日わたしは」は「ホームドラマ」ではありませんが。昭和43年生まれの私から見れば「生まれる前〜物心つく直前」の時代なので、リアルタイムでは見ていない世界。なので「そういえば昔はこうだったな」と思える光景もあれば、「へえ、昔はこうだったんだ」という景色もあります。「ある日わたしは」で、松原智恵子演じるヒロインが思いを寄せるちょっと不良っぽい隣の家の次男(演:和田浩治)がひとりで暮らすアパートを訪れると、部屋には丸い小さなストーブがひとつだけ。そのストーブの上に置いた鍋でおかずを作って振る舞い、ストーブの上にやかんを置いてお湯を沸かし、コーヒーを入れる。そういえば昔はよく見かけた光景だなあ。「見合い恋愛」で石立鉄男演じる長男が仕事を終えて夜遅く帰宅すると、藤間紫演じる母親が蓋のついたお櫃を持ってきてご飯をよそう。そうか、この頃は保温機能の付いた炊飯器などなかったんだっけ。保温専用のジャーはあったけど、物凄く高価だったよな。ついでに母(実は結婚前まで大手家電メーカー勤務)に聞いてみたら、「昭和40年代の炊飯器はご飯が炊けたらすぐに出さないと固くなっていた」との情報が。なるほど、だからこそのお櫃なんだなあ。「ありがとう」では当時スポンサーだったからでしょう、やたら瓶の原液のカルピスが登場する。あれを水で薄めて氷を入れて飲んでたなあ。いつからだろう、あの瓶のカルピスがギフトを除いて姿を消したのは。久しぶりに飲みたくなってしまいました。

 それから「ありがとう」で山岡久乃&水前寺清子母娘が住み込んでいるのが保育園なんだけど、その保育園の園長を演じているのが伊志井寛なる爺さん俳優。ちょっと口ごもったような独特の話し方をする、非常に味のある俳優。決して「頑固ジジイ」という感じではなく、ちょっと愛嬌があっていい味を出しています。なんでも石井ふく子プロデューサーの父親だった人らしく、このドラマの放映から2年後には亡くなってるらしい。今ではこんな「いい雰囲気」の爺さんなんてお目にかかれなくなりました。さらに「見合い恋愛」には石立鉄男&由美かおるの祖母が登場するけど、これまた上品で近年お目にかかれなくなった味のある婆さん。なんと演じているのは英(はなぶさ)太郎なる女形なんだとか。つまり男性らしい。いや、全くそうは見えないんだけど、だとするとこれは「名人芸」。若い女性を演じる「女形」は珍しくないけど、婆さんを演じる女方なんて実に貴重。しかも、ばってん荒川などのようなコミカルな婆さんじゃなく、品のある婆さんを演じているんだから。そしてこの2人の口癖「明治生まれだから」「明治生まれには昭和は分からない」。近年は「昭和は遠くなりにけり」なんて言われるわけで、それを思えば「時代は流れたんだな」と実感してしまいます。しかし明治生まれの爺さんや婆さんって、現代の「昭和生まれの爺さん、婆さん」とは全く雰囲気が違ってたなと懐かしくなってしまいました。

 というわけで何度か述べている通り、この時代のドラマって「展開が緩い」「時間がゆっくり流れている」ので、時として「緩すぎる」「退屈」と映ることもあるのは事実。だけど今の私自身が「異常に忙しい」せいか、その「緩い」空気が心地よく感じられます。同時に「時代は変わったんだな」と実感させられ、感傷的な気分になってしまいます。

■2016/5/3 ホームタウン急行(鉄道公安官)

 私が鉄道ファンだったのは小4〜小6の頃、1978〜1980年頃のことでした。そんな鉄道ファンまっただ中だった1979〜1980年にかけて「鉄道公安官」なる刑事ドラマ(正確には「刑事」ではないけど)が放映されていました。月曜夜8時。当時はまだ家に1台しかテレビがなかった時代。裏番組(TBS系)に「水戸黄門→江戸を斬る→大岡越前」の「時代劇枠」がありました。以前こんなもの(こちら)を書いた通り、父がこの時代劇枠の大ファンだったので、父が家にいる日は絶対に見ることが出来ませんでした。それだけではなく日テレ系では「紅白歌のベストテン」が放映されていて、妹はこっちを見たがっていたし、私もゲストにお目当ての歌手が登場する時はむしろこっちを見たかったものでした。そんなこんなで「鉄道公安官」、「見たい」けど「めったに見ることが出来ない」番組でした。

 当時の私には、私以上に「鉄道マニア度」の高い同級生の友人がいました。その友人はこの番組を毎週欠かさず見ていて「お前、なんで見てないの?」などと突っ込まれていたものです。とはいえ彼は鉄道以外に関心がない(今でいうオタク・レベル)奴だったのでドラマの内容なんてどうでもいいらしく、ドラマの中で登場する車両や駅などを見ることだけを楽しみにしている様子でした。さらにオープニング・テーマ曲に乗せてブルートレインや新幹線が疾走する迫力のある映像や、エンディング・テーマ曲であるサーカスの「ホームタウン急行」をバックに列車が走る映像や車内でくつろいで談笑する高校生や行商のオバサン、線路の隅でくつろぐ保線区員を映した旅情を誘う牧歌的な映像が好きだったらしく、「番組本編を見ることが出来ないんなら、オープニングとエンディングだけでも見ろよ」と強く勧められたことも覚えています。結局、リアル・タイム放映時は全42話のうち、5話程度しか見ることが出来ませんでした。だけど鉄道ファンであると同時に刑事ドラマファンでもあった私なので「再放送があれば絶対に全話見てみたい」と願っていたものでした。

 その後、放送終了から1年もしないうちに再放送があったので、その時に全話見ることが出来ました。ブルートレインをはじめとした、当時憧れていたけど乗ることが出来ずにいた多くの列車が登場する話が多くて嬉しかったし、例の同級生が絶賛していたオープニングとエンディングの映像も素晴らしく、目を惹きつけられました。ドラマ自体も王道人情もの刑事ドラマという感じで、特に石立鉄男演じる榊公安官のキャラも「口が悪くてちょっと乱暴だが人情に熱くて根は優しい」という「いつもの石立鉄男」という感じで魅力的に映ったしで、本当に夢中で見ていました。まさに鉄道も好きで刑事ドラマも好きな私には「一粒で二度美味しいドラマ」という印象でした。ということで、私の中では「今まで見た中でも10本の指に入るほど好きなドラマ」のひとつでした。

 だけど平成に入って国鉄からJRに変わって、鉄道公安官も解散、そんな時代の変化のせいでしょうか、不思議と再放送される機会がなくなりました。もちろん「さすらい刑事旅情編」なる「鉄道警察もの」が同じテレ朝で放映されるようになったことも理由でしょうけど、また違った魅力と味わいがあるから「再放送して欲しい」と強く願っていました。その後、2000年代に入ってネットの時代になった後「旧国鉄が協力しているので権利関係が複雑」という嘘かホントか分からないような情報もネット上で見かけました。事実、私がケーブルテレビに加入した2007年以降も、どのチャンネルでも放映されることはありませんでした。

 そんな再放送を熱望しながら「もう見ることは出来ないのか」と諦めていた「鉄道公安官」、なんと東映チャンネルで4月から放映が始まりました。本当に「権利関係」云々という情報を鵜呑みにして完全に諦めていたので、まさに待望の再放送です。おそらく約30年ぶりの視聴、テレビの前で正座して(それくらい神聖な気持ちで)放映を待ちました。

 だけど初期の頃はオープニングもエンディングも「ホームタウン急行」が流れる。疾走感のあるオープニングテーマと、迫力ある列車が疾走する映像のイメージが強かったのでいきなり肩透かし。さらにストーリーも微妙・・・。いやストーリー云々じゃなく、脚本が今一つ。ストーリー展開が突飛だったり、突然話が飛んだり、辻褄が合わない台詞があったり、ストーリーと全く関係のないいらないエピソードが挿入されて(例:榊が国鉄マンになった理由を告白するくだり、それで改心するとかの展開もなし)話が横道にそれたり。榊主任のキャラもよいと思うし、鉄道を舞台にした刑事ものという設定も独特で悪くないのに、見終わって消化不良になる話が多い。あと三橋達也演じる室長、別のCS局で頻繁に「西村京太郎トラベルミステリー」が放映されているせいか、どうしても十津川警部に見えてしまうのも気になるし…。

 リアルタイムでは視聴率の面では苦戦したそうだけど、それは決して「裏に水戸黄門があったから」だけじゃないような気がします。うーん、「残念なドラマ」「何かがひとつ足りないドラマ」という印象。むしろ「元鉄道ファン」の私から見ると、今や姿を消してしまった、昭和な車両や駅の姿を見ることが出来ること、そちらの方にばかり目を奪われてしまいます。特にあんなに憧れたブルートレイン、そして一度も行くことのできなかった食堂車、一度だけ奇跡的に行くことが出来た上野駅地下ホーム、そしてエンディングの、今と違ってゆったりと時間が流れていたのんびりとした車内と、その中でくつろぐ乗客の姿、それらを見ると涙が出そうになります。

 20年以上も待ち焦がれた分、期待が大きすぎたせいかもしれないけど、ちょっと残念な気分です。とはいえ、中盤でオープニング・テーマ曲が変わり、豪華ゲストが増えて、レギュラーに「大都会Part3」で虎田刑事を演じていた星正人が若手公安官として加わるなどテコ入れがあるようなので、そこで多少ストーリーは良くなるかもと期待しています。なにより、以前視聴した時はもっと面白いドラマ、良いドラマだという印象を持っていたので「こんなはんずはない」「こんなもんじゃない」と思ってしまいます。

■2016/6/14 桃子様、章子様・・・(「ありがとう」の河内桃子)

 2月に約30数年ぶりに視聴した往年の人気ホームドラマ「ありがとう」について触れました。2月に触れたのは1970年放映の第1シリーズでしたが、4月以降はずっと1972年〜1973年に放映されていた第2シリーズ=病院編が同じBS12で再放送されています。1972〜1973年の私といえば4歳の頃、つまり幼稚園にも入らないくらいの年齢だったので、リアルタイム視聴していた記憶がかすかにある程度。でも視聴率50%越えの「お化け番組」だったせいか、その後1975,6年頃までは頻繁に再放送されていて、それを見ていた記憶ははっきりとあります。そして今回、約40年ぶりに見返して思い出したこと。

 それは「十(つなし)まさるが羨ましかった」ということ。このドラマの舞台は十(つなし)病院という総合病院。爺さんの院長がいて、その息子で長男の竜之介(演:児玉清)と次男の虎之介(演:石坂浩二)も医者、そこに看護婦で主役の水前寺清子をはじめとした病院関係者や、病院に出入りする様々な登場人物が絡むドラマ。先に述べた「十まさる」というのは長男の竜之介の一人息子で小学校1年生。「院長の孫」、つまりお坊ちゃまなわけで、十家の人々はもちろん、病院の職員や出入りする人からも可愛がられている設定。再放送でこの番組を見ていた私も小学校1年か2年、同世代のガキからみれば多くの優しい大人に囲まれて可愛がられ、愛情を注がれている彼が羨ましく、時として疎ましく思われたものでした。部屋には当時の子供が簡単には買ってもらえなかったような様々なおもちゃがあるし、病院に来たお客や様々な人がお土産だと言って高価なお菓子や果物を持ってくるけど、それを美味そうに食べる。核家族で決して裕福とは言えなかった、そんな家庭に育った私には、本当に憎らしいほどに羨ましく映りました。

 そしてもうひとつ、羨ましくてしょうがなったことが。彼の母親、つまり児玉清演じる竜之介の夫人でもある章子さん、キレイで気品があって、物腰が柔らかくって、これ以上ないほど優しい。ああ、こんな人がお母さんだったら…。当時の私はそんなことを思っていたものでした。甲高い声、品のある口調で「まーちゃん」とまさるを呼ぶ、俺もあんな風に呼ばれたい、そう思っていました。といっても、その「まさるが羨ましくて憎たらしかった」ことと「章子さんが理想の母親だった」ことは、まさに今回、約40年ぶりに視聴しているうちに「そういえば」という感じで思い出したという感じ。そして当然、今の40代後半の私の目から見ると、最早まさるを「羨ましい」とか「憎たらしい」ということは感じませんでした。

 だけど「章子さん」の上品さ、気高さには改めて魅了されてしまいました。ちなみに「章子さん」を演じていたのは河内桃子。中高生くらいの頃、よくドラマや映画でお母さん役、お婆ちゃん役をやっていたなくらいの記憶はあったけど、特に気にも留めたことのない女優でした。名前は聞いたことがあったけど、顔も思い出せないレベル。「菊池桃子に似た名前の人」、その程度の認識でした。「ありがとう」の頃は40歳くらいだったようだけど、「昭和の40歳」の人は「平成の50歳」くらいの人にしか見えないので、今の目で見ると「ちょっと老けてる」という感は否めません。確かに美人なのは間違いないけど、もう少し若作りな方がいいなあ。だけど物腰の柔らかさ、細かい仕草や話し方に何とも言えない気品があって、見ているだけで、声を聞いているだけで、なぜか幸せな気分になってしまいます。なんなんだ、この気高さ、上品さは。とにかく癒される。

 ということで「河内桃子」でネット検索してみました。そして分かったこと、戦前の子爵だかの良家のお嬢様だったとか。なるほど、あの気品と気高さは演技じゃなく、自然に滲み出たものなのかと納得。また特撮好きの人の間では「ゴジラ第1作にヒロインとして出演していた女優」として人気があるんだとか。当時の写真もネット上で見かけたけど、確かに昭和20年代の女性にしては長身でスタイルもよく、しかも美しい。ラジオの朗読番組も持っていたとか、なるほど声も美しくてしゃべり方にも気品があるので納得。だけどもう20年近く前に亡くなっているとの情報もあって、ちょっと悲しい気分に。

 ということで4月から見てきた「ありがとう」の第2シリーズ、第1シリーズ同様、人と人の絆や結びつきを描いた「安心して見ることが出来るドラマ」という感じです。だけど一方で、大きな事件が起こったりもしないし、ストーリー展開も緩いので「ぼんやり見ている」のがちょうどよいドラマかな、と当初は思っていました。だけど途中から私にとっては「桃子様=章子様を見るためのドラマ」と化してしまいました。「ゴジラ・シリーズ」って今までは全然興味がなかったんだけど、今後機会があればぜひ見てみたいと思っています。お目当てはもちろん、ゴジラでも特撮でもなく、20代=全盛期の桃子様に他なりません。

■2016/7/19 名医と日本最西端の魅力的な人々 (Dr.コトー診療所)

 私が最初に「大病」を患って入院したのは2005年10月のことでした。入院から最初の1週間は風邪をこじらせて肺炎を併発していたこともあり、異常に気分が悪くて苦しかったし、同時に「これから大手術を受けなければならない」不安もあって、気分が沈みがちで「人の生死」に関してあれこれ考えてしまいがちでした。同じ部屋に入院していた人たちは手術前の人も、手術後の人もみんな明るくて、命にかかわるほどの大病の専門病棟とは思えないほどでした。その頃同室にいた人たちは50代〜70台の人ばかりだったけど、なぜかその人たちみんなが熱心にテレビで見ていたのが夕方3時か4時からやっていた「Dr.コトー診療所」なるドラマの再放送でした。

 私は1998〜2004年は「夜型生活」をしていたので夜のテレビ番組には疎くなっていたし、21世紀に入った頃からは地上波テレビ自体に全く興味がなくなっていました。そんな私でもこのドラマのことは何となく知っていました。2003年に吉岡秀隆=「北の国から」の純役の俳優が離島の診療所の医者を演じたドラマで、若い人だけじゃなくって幅広い年齢層に人気のあったドラマだったという知識くらいはありました。へえ、この病院に入院しているような年配の人たちが夢中になって見るドラマなんて今時珍しいなと。それだけではなく、病棟の看護師や病院の職員たちも「このドラマ、大好き」だと言っていました。へえ、実際に医療の現場に携わってる人にすら受け入れられているなんて。「バブル(1990年代)以降のドラマなんてクソ」「21世紀以降のドラマはさらに論外」と思っていた当時の私ではあったけど、少しだけ興味が。だけど「自分の生死」に関して深刻に考えてネガティヴになっていた入院当初の私。当然医療の現場を舞台にしたドラマとなると「人の生死」がリアルに描かれているに違いない。今の俺がそんなものを見たらますます深く考え込んでしまいそう。ということで、その時は敢えて見ないようにして過ごしました。

 そしてそんなドラマのことなどすっかり忘れていたんだけど、このたびケーブルテレビで視聴できるフジテレビTWOというCS局で放映が始まることに。おお、そういえば入院した頃に再放送されてみんな見ていたよなあ、と懐かしく思えたので、「どれ、ちょっと見てみるか」ということで、とりあえず1話と2話だけ見てみることにしました。いや、なんで「とりあえず1話と2話だけ」なのか? というと、やっぱり私の中で「21世紀以降のドラマなんて」という先入観があったからに他なりません。1話と2話だけ見てみて「ケッ」と思ったら見るのやめればいいやと。

 ・・・ところが、1,2話を見終わった時点ですっかりはまってしまいました。21世紀以降のドラマといえば「某事務所のゴリ押しタレントが主演」「陳腐な脚本と子供だましのストーリー」「お遊戯会の劇並みの演技」というイメージを持っていましたが、個性の強い俳優揃いでキャストも絶妙だし、登場人物全員が個性的で魅力的だし、脚本も隙がないし、ストーリーも「お涙頂戴」の大袈裟なものではなくって「ほのかな感動」というか、「優しい気持ちにさせられる」し・・・。いや、21世紀にこんなによくできたドラマがあったなんて。1話目を見た瞬間、すっかり心を鷲掴みにされてしまいました。

 とにかく離島に住む人たちすべてが魅力的で個性的。個人的には「普段の泉谷しげるんまんま」な漁労長、この人にしか出せない個性が懐かしい故・仙石規子演じる島の長老の産婆の内さん、柴咲コウ演じる、コトーのことを医師として信頼し、実は密かに想っているのに、それを隠して時として思わずキツく接してしまう姿がなぜかカワイイ看護師の彩佳さん、(若い頃からちょっと陰のあるキャラがはまっている)大塚寧々演じるスナックを経営するバツイチ女性、この4人が実に良いです。そして「北の国から」の純同様、頼りなくって線が細いけど、実は凄腕でなおかつ島民を救うためならどんなリスクも厭わない主人公は吉岡にはまってるし。確かに本当の医療の現場に携わる人でもはまってしまうのもうなずけます。ロケ地は日本最西端の島、与那国島とのこと。ドラマでは「本土まで船で6時間」という設定だけど、実は石垣島から船で4時間半、沖縄本島から飛行機でも約1時間半もかかるらしい。まるで異国のような景色や自然を見ることが出来るのもまた魅力です。

 とまあ、そういうわけで「とりあえず1,2話だけ」どころか、一気に6話まで見終わってしまいました。そしてこの土日月は放送がなかったので「早く続き見たくて仕方がない」気分です。いや、まさかこんなにはまってしまうとは思っても見ませんでした。キャストは昭和や20世紀から活躍している人が中心。だから「21世紀のドラマ臭=某事務所ゴリ押し、演技のチープさ、脚本の陳腐さ」とは無縁なので、あんまり「21世紀のドラマ」という感じはしません。だけどたった11話しかないのが残念。11話しかないせいか、たった3話程度で最初はコトー先生に拒否反応を示していた島民との間に信頼関係が出来上がってしまうし、全体に話の流れが「早すぎる」ような気がします。うーん、遠隔地での長期ロケで撮影したんだろうし、じっくり腰を落ち着けて半年くらい放映してもよいんじゃないかと思うけど、今は「ドラマは3か月で終わるもの」というのが常識になっているので致し方ないんでしょう。

 この後2004年には長編の特番、さらに2006年には続編も制作されたらしいし、今回のフジテレビTWOでもそこまで放映されるらしい。でも21世紀のドラマなのでネットにもこのドラマのデータや感想はいっぱいアップされているけど、2006年版はあまり評判がよくなさそう。なによりヒロインのはずの柴咲コウがスケジュールの関係だか、長期ロケを渋っただかでほとんど参加してないというのは致命的。とりあえず私は「初見」だから2006年版まで見てみるつもりです。

■2016/7/21 大人な会話、大人の世界、羨ましい人生(大橋巨泉逝去)

 永六輔、大橋巨泉とテレビ黄金時代を支えた大物が相次いで逝去。2人とも私が物心ついた頃から「当たり前のようにテレビに出ている人」だったもの。といっても永六輔に関しては彼の出ている番組を夢中になって見た記憶もないので、訃報を聞いても特別感想などもありませんでした。だけど大橋巨泉に関しては、出演している番組の多くを夢中で見ていたので、昨日からずっと「喪失感」に襲われています。まるで心にポッカリと穴が開いたかのよう。さすがに私がテレビに最も夢中だった時期=昭和40年代末〜平成一桁の頃に「テレビをつければ毎日のように見かける」顔だっただけに、寂しさを感じずにはいられません。

 私が大橋巨泉の存在をはじめて知ったのは、おそらくハウスのインスタントラーメン本中華のCMか「クイズダービー」かのどちらかだったと思います。昭和50年か51年=小1か小2の時。しかし体はデカい、声もデカい、平気でゲストを呼び捨て、口が悪い言葉が汚い、誰に対しても上から目線、態度がデカい、この人いったい何様なんだ? そう思っていたし、決して好感は持っていませんでした。でも実は亡き父は巨泉が好きだったようで「クイズダービー」の前番組でやはり巨泉司会の「お笑い頭の体操」からずっと見ていたし、「クイズダービー」も夢中で見ていました。あと当時の父は夜11時就寝だったけど、月曜と金曜だけは12時就寝でした。後で知ったことだけど、月曜と金曜といえば「11.P.M.」の巨泉司会の曜日。それを見るために起きていたというほど。「こんな偉そうな人のどこがいいんだ?」と聞いたけど「人としてじゃなく、番組が面白いから見ている」と言っていたものでした。そうか? こんな偉そうな奴が? 土曜日の夜といえば夜7時から「まんが日本昔話」7時半から「クイズダービー」8時から「全員集合」9時から「Gメン75」とTBSの番組を続けて見ていた同世代の人も多いだろうけど、うちの場合は「クイズダービー」のみ父が見たがっていた番組。まあ、横でいつも見ていたので、「好き嫌い」云々じゃなく、お馴染みの番組だったのは事実です。

 その後、1984年=高1の頃にはじまったのが「世界まるごとハウマッチ」。高1の頃から11時まで起きていることが許されたんだけど、今までなら寝ていた木曜の10時から放映されていたのがこの番組。番組自体はいろんな国に行って珍しいものをVTRで紹介して、その値段を回答者が当てるというシンプルなもの。一歩間違うと堅苦しくて単調になりそうな内容だし、「海外に取材に行って珍しいものを紹介しつつ出題する」ってのは「なるほどザ・ワールド」の二番煎じだしで新鮮味もない。だけど巨泉の例によっての偉そうで独善的で知ったかぶりの司会、それに対して偉ぶらずに豊富な知識を生かして蘊蓄を述べつつ視聴者に分かりやすく説明する石坂浩二、それに茶々を入れたり引っ掻き回したりするビートたけし、この3人の絡みが絶妙。司会者、回答者の腹の探り合いも高度で楽しい。しかも「海外の珍しいもの」や「各国の通貨(ドルやフランだけじゃなく、ペソとかルーブルとか)」を知ることが出来たりで、いつの間にか知識もついていく。

 やってることはシンプルだけど、実に内容が濃くって3人の会話の内容も知的レベルが異常に高い。現代のテレビでも「出演者同士のトークバトル」を見せる番組は多いけど「罵り合い、自慢話の応酬」レベルで子供じみていて品がなく、レベルが低いものばかり。それに比べて3人の会話は知識のレベルも高いし、罵り合っていても品があったもの。当時高校生の私には3人の会話はただ「楽しい」「面白い」だけじゃなくって「大人の会話」に聞こえたものでした。この番組、後に木曜8時に変わるけど、木曜10時=大人の時間にやっていた頃の方が格調高く感じられたものでした。あと今や「ご意見番」面してる小倉智昭のVTRにかぶせるナレーションもただ「楽しい」だけじゃなくってハイセンスに感じられたものです。実は私が「大橋巨泉逝去」と聞いて真っ先に思いついた番組は「クイズダービー」でも「11P.M.」(結局一度も見ること出来ず)でもなく、この「ハウマッチ」でした。

 そしてその「大人の世界」と思った3人の会話、番組の雰囲気を感じた時、なぜ父が巨泉の番組が好きなのか、理解したような気がしました。私も「人としては嫌い、でも番組は好き」、この頃からそう思うようになりました。その後「巨泉のこんなものいらない」なんて番組もありました。巨泉自身が「いらない」と思うものについて語り尽す番組、その「いらない」とされるものを擁護するゲストも登場して意見を述べさせるけど、巨泉は全く耳も貸さずすべて打ち消してしまう。同時通訳がいるのにわざわざ海外のキャスターに英語で質問する。そして1990年代には「キミアぶれいく」なる番組もありました。これは巨泉と取り巻きの人たち(関口宏、石坂浩二ら)がやりたい企画を勝手にやる番組。面白い企画もいっぱいあったし好きな番組ではありました。この中でも「女子プロゴルファーとゴルフコンペ」という企画があった時、なぜか現役ゴルファーに巨泉がバンカーショットの打ち方を指導しているのを見て呆れ果ててしまいました(笑)。プロに指導するって・・・。いや、やっぱり人として「・・・」と思えるシーンがいっぱい思い出されます。そして突然のセミリタイア、おいおい、こいつってどこまで自分勝手なんだ? 本当に呆れ返ってしまいました。やっぱり「番組は好きだけど、人としては・・・・」。

 だけど今回の訃報を聞いて真っ先に思ったこと。絶対この人、悔いのない人生だっただろうな。自分のやりたい番組をやりたいように制作、指揮。自分の趣味や関心事をそのまま番組にする。出演者もスタッフも思いのまま。そして「もう働きたくない」からセミリタイア。セミリタイア後は好きなゴルフ、釣りに明け暮れ、好きな土地=カナダのバンクーバーに住み、店を出す。時々テレビに出たくなったら昔馴染みの石坂浩二などに声をかけて番組にゲストで出る。本当に「やりたいように生きた」人生。こんな人生送れる人なんて絶対いないでしょう。もちろんそれは「ワガママ」だからこそ成し得たことなんでしょうけど、羨ましい人生だなと。「こんなものいらない」の中で「延命措置などいらない」と語っていたから、何の悔いもなく、安らかに「逝った」んじゃないかなと思います。亡くなった人に不謹慎な言い方かもしれないけど、羨ましい一生、羨ましい最期だと思います。

 一方で「ハウマッチ」でのあの「大人な世界」、今ではどこにも存在しません。あんな会話のできる30代、40代なんて今の時代に(私も含めて)いやしない。今日もテレビから流れてくるのは大人げない子供の喧嘩レベルの罵り合い、やかましいだけのボケと突っ込み、教養の欠片もなく、むしろ教養のないことを売りにするタレント。テレビの中の世界も随分変わってしまったものです。もうあんな「上品な大人の世界」はテレビの中には存在しません。そうテレビは終わったんだな。

■2016/8/31 「夜明け」「ホームタウン」「日本最西端」・・・その後

 ずっと「録り溜め」していたドラマを見ていました。以前「もうすぐ始まる」とか「始まったばかり」としていたドラマ、最後まで見て印象が変わったもの、期待通りだったもの、期待外れだったもの、様々ありました。

「夜明けの・・・」その後

 昨年12月にこんなもの(こちら)を書きました。「夜明けの刑事」、100話以上あったけどようやく最後まで視聴。リンク先の過去ログでは「相馬課長(演:石立鉄男)と池原刑事(演:石橋正次)のいた頃の、人情刑事ドラマなのにちょっとハードボイルドな雰囲気が好き」としました。その印象は変わらないけど池原が転勤後、まだ「傷だらけの天使」でブレイクしたばかりの頃の若き水谷豊演じる山本刑事が登場。以降は山本刑事の成長物語のようになるけど、このあたりも決して悪くない。

 ただやはり相馬課長降板後、柴田課長(演:佐藤充)と大野刑事(演:長山藍子)が登場する87話以降から急に「緩い」感じに。柴田課長、登場時はどっしり構えた貫禄あるキャラクターだったのに、回によっては「バカモン」「バカモン」と怒鳴るだけのパワハラ上司になったりで、なんか脚本家によってキャラクター設定がバラバラなのが残念。とはいえ、基本は「人情刑事ドラマ」だし主役は叩き上げの人情家・鈴木刑事(演:坂上二郎)なので、むしろ87話以降の路線の方が鈴木刑事のキャラクターが生きているようには感じられるので、決して「面白くない」というわけでもないし、約30数年ぶりの視聴でしたが最終話まで楽しむことが出来ました。できればTBSチャンネルには続編の「新・夜明けの刑事」と「明日の刑事」も放映していただきたいところです。

「ホームタウン急行」その後

 過去ログで触れた通り(こちら)、鉄道ファンだった小5〜6の頃に大好きだったドラマ、再放送を何十年も待ち焦がれていたドラマ「鉄道公安官」、ようやく見ることができたドラマでしたが・・・。リンク先にもある通り、私の期待が大きすぎたせいでしょうか、最初の10話くらいを見た時点では「この程度のクオリティだっけ?」と肩透かしを食らいました。リンク先にもある通り、脚本に難があり過ぎ。まず鉄道=車両、列車、駅ありきで、後からストーリーをつけ足したような話が多すぎ。おかしいなあ、もっと面白いドラマだったはずなんだけど。

 ただ20話前後から路線変更したのか「事件に無理矢理鉄道を絡める」ことをしなくなって、そしたら普通に「刑事ドラマ」として視聴できるレベルの話が増えてきました。ただリンク先に視聴前「過去に見たドラマでも10本の指に入るほど思い入れの強いドラマ」と思ってきたと書いたけど、正直言えば「そこまでは・・・」という感じ。やはり鉄道ファンまっただ中だった頃、しかも小学生の頃に見てはまったドラマ、今の「大人の目線」で見るとあの頃と同じ目線で視聴するのは難しかったようです。そうそう、家出した子供2人が大井川鉄道(当時としては珍しいSLを復活させた私鉄)を訪れ、そこで強盗犯と遭遇して事件に巻き込まれるエピソードがありました。リアルタイム視聴時「わあ、いいなあ、俺も行きたいなあ」、そんな目線でこのストーリーを見ていた覚えがあります。やっぱり今の私とは視点が違う、その視点で見た「面白かったドラマ」なわけで、まあ印象が違うのも無理はないでしょう。今の私には街で張り込み、尾行するシーンでBGMとしとして当時のヒット曲「ホップ・ステップ・ジャンプ」(西城秀樹)、「さよなら」(オフコース)、「SACHIKO」(ばんばひろふみ)などが何度も何度も流れる、そのことの方が懐かしく思われるくらいです。

「最西端の名医」その後

 過去ログで触れた(こちら)「Dr.コトー診療所」、2003年第1シリーズ、2004年の特番、2006年の第2シリーズすべて見終わりました。いや、やっぱり2003年の第1シリーズは素晴らしい出来でした。医療の現場を扱っているのに全く重苦しくなく、温かみがあって、癒される。特に第8話、末期がんの島の老人を救うことが出来ず、老人は亡くなってしまう。だけどひたすらコトー(演:吉岡秀隆)を信頼して「あんたの手にかかって死ぬなら本望」とまで言う老人、最後は静かに、安らかに逝く。遺族も「ありがとうございました」と頭を下げる。「患者が亡くなった話」なのに、こんなに重苦しさがなく、温かい気持ちになれるストーリーって過去に全く見たことがない。もう、このストーリーがこのドラマの真骨頂だと思います。

 だけどそんな明るく温かい「世界」が2004年のスペシャル前編の途中から一変してしまう。前編の最初の方は「コトーと彩佳(演:柴咲コウ)を結婚させる」ためにあれこれアイデアを練る漁労長(演:泉谷しげる)ら島民、嬉しいくせに怒る彩佳、そんな空気に全く気がつかない鈍感なコトー、そんな和やかで楽しい展開なのに、彩佳の母で星野課長(演:小林薫)の妻の昌代(演:朝加真由美)が脳内出血で倒れて右半身不随になったあたりから話が一気に重苦しく、暗くなってしまう。

 そして2006年の第2シリーズに入っても彩佳の乳がんとか、とにかくやたら暗い。もちろん医療ドラマだから病気、死=不幸はつきものだけど、第1シリーズにあったあの温かさや「癒される」空気がなくって見ていて息苦しくなるほど。うーん、ネット上にあった「1は傑作、2は微妙」という声は当たりだったのかも。あと最終回を見終わった時の「えっ、これで終わり?」感も。「医者は患者と家族のようになってはいけない」という東京の医師・鳴海(演:堺雅人、今や主役級なのに、こんな役をやっていたとは)の言った言葉に反論できず、答えのないまま島に戻ったコトー、その結論に行きつかないことには終われないのでは? 後輩の三上先生の言った「なぜ私たちは医者なのか?」への結論も出てない。あと彩佳も乳がん手術は無事に終わったけど、やはり島に戻るシーンがないのも「尻切れトンボ」。まあネット上の噂にある通り、「北の国から」のように何年かに1回続編を作り続けるつもりだったけど、出演者の都合や予算の都合で続けることが出来なくなったというのが真相なんでしょう。でも、それならむしろ「2003年の第1シリーズの最終回までで終了」の方がよかったような気がします。せっかく「良いドラマ」だと思ったけど、2004年版以降の重苦しさ「尻切れトンボ」感故に、なんとなく後味が悪いのが残念に思います。

■2016/9/20 「映画音痴」のケーブルテレビ映画鑑賞(5、音楽系洋画)

スクール・オブ・ロック

 アメリカでは2003年公開、日本では2004年公開のコメディ映画。まさに私自身が「ロック気分」まっただ中だったので、こんな映画が公開されて人気だったことは知っていたけど、基本的に「映画を見る」習慣がないので当時は特に見たいと思ったこともなかった。でも「ロックをテーマにした映画」なので「まあ、機会があれば見てもいいかな」と思っていたもの。それが昨年、映画専門チャンネルで放映されていたので録画、しばらく寝かしていたものです。

 売れないバンドのギタリスト・デューイが所属バンドから解雇され仕事を失う。しかもルームシェアしている臨時教員の男・ネッドからも家賃を払うように迫られて。そんな時、ネッド宛に名門私立小学校の臨時教員の依頼の電話があり、その電話を偶然代わりに受けたデューイは金欲しさからネッドに成りすまして教員として学校へ。そこで厳格な校風の真面目な小学生たちにロックを教え、バンドを組ませてバンドバトル大会に出場させる…。というのがストーリー。公開当時はロック・ファン・サイトでも比較的好評だったけど、今見るとあんまり「音楽映画」「ロック映画」という感じではないかな。BGMでロックの名曲が流れたり、デューイが生徒に楽器の弾き方を教える時にドアーズやブラックサバス、パープルなどの曲のフレーズを弾かせるところとか、有名なバンドのCDを「これのここを聴け」と言いながら生徒に渡すところとか、そのあたりは多少心惹かれるものはあったけど。

 ただ自信なさそうに弱音を吐く生徒に「大丈夫、出来る」と励ましたり、ともすると反発しそうな優等生の学級委員の女生徒に「君は優秀だから」といっておだててマネージャーを任せたりと「偽教員」のはずなのに子供の心を掌握するのが上手い。それ故に生徒たちとの信頼関係を築いていくあたりがなかなか面白い。音楽もの映画というにはマニア度が低いし、私自身が「アメリカの笑いのセンス」に肌が合わない性分なので「コメディ映画」としても中途半端に見えるけど、そうした「ダメ男と優等生なはずの生徒たちの心のふれあい」を描いたドラマとしては楽しめました。また、見終わった後にネット検索して知ったことだけど、ター、ベース、ドラム、キーボードを担当していた子役、実は本当に自分たちで演奏していたとか。それを知って急に好感度アップ。いやギターとドラムの少年、あの年齢にしては上手すぎるだろうと。

ブルース・ブラザーズ

 1980年代の音楽もの映画の代表作だし、私が中学生の頃(1981年)ヒットしたので周りでも見た同級生が多かったし、社会人になった当初よく「お前はジョン・ベルーシに似ている」と言われたしで、実は前々から気になっていた映画。「似てる」と言われても全然知らなかったのでリアクションに困ったし「喜んでいいのか、悪いのか分からん(笑)」というのが正直な感想だったし。でもロック・ファン、洋楽ファンには評価の高い映画なので「機会があれば」ということで、やはり昨年ケーブルテレビで放映されたものを録画して寝かしていました。

 ストーリーについては今更なので触れませんが、やはり「コメディー」な要素は「アメリカ的な笑い」と波長が合わないので、あまり笑えなかったというのが正直なところ。特に人を騙したり、巻き込んだりして周りに迷惑をかけっぱなしな2人のキャラクターにも、正直言って感情移入できませんでした。アメリカではこういうのを見て笑ったり「頑張ってる人」と評価したりする傾向があるみたいですけど、こういう感覚について行けなくって。あとハリウッド映画特有の「派手なアクション、カーチェイス」ってのも、あまり心惹かれない。だけどこの映画の中の「ショッピング・モール大崩壊のカーチェイス」とか、「パトカー数百台がグチャグチャなカーチェイス」は逆にここまで見事にやられるともう「呆れた」というか。こういうシーンに爽快感を感じることはほとんどない私でも、さすがに「参りました」という感じでした。

 使用されている音楽は私が決して造詣があるとは言い難いR&Bやブルースが中心なので、あまり感動はありませんでした。もしもロックで同じようなことをやられたら、かなり夢中になったかもしれません。レイ・チャールズやジェイムズ・ブラウンは今や故人だけど、私が「ロック気分」だった頃はまだ元気で現役だったので決して意外性はありませんでした。それよりも戦前に活躍した伝説のジャズ・シンガー、キャブ・キャロウェイの歌い踊る姿に驚愕。戦後のR&Bやジャズの人とも全く違う、独特な雰囲気と存在感。映像が現存しているというだけでも驚きなのに、晩年でもこんなに元気だったとは。実は見終わって一番印象に残ったのは、そのことだったかもしれません。終始ドタバタしたした映画という印象だったし「繰り返し見たい」というほどではなかったけど、まあ「見て楽しい映画」という感じでしょうか。「空き時間」を過ごす分には最適な映画でした。

グリース

 1978年公開の青春映画。「サタデー・ナイト・フィーバー」を成功させたロバート・スティグウッドが製作、主演もジョン・トラボルタ。以前「サタデー・ナイト・フィーバー」を見てガッカリしたので、あまり期待はしていませんでした。だけどトラボルタの相手役として私が「いい声」な女性ボーカリストの一人と思っているオリヴィア・ニュートン=ジョンが出演していて、ミュージカル仕立てで2人で歌い、踊っていると聞いて「一度は見ておかなければ」ということで、やはり昨年ケーブルテレビで放映されたものを録画、この機会に見てみました。

 しかしストーリーはありきたり、しかも喧嘩したと思ったら仲直りの繰り返し。悪く言えばストーリーなんてあってないようなもの。1978年公開なのに流れる音楽はオールディーズ(シャ・ナ・ナが登場)、ダンスパーティーだの「度胸試しレース」だの1950年代「アメリカン・グラフィティ」の世界。まあ、それはそれでいいんだけど、ディスコ全盛の時代になぜ? 能天気で開放的「古き良きアメリカの青春」、製作時期を思えばやっぱり時代錯誤。あとジョン・トラボルタ(当時24歳)もオリヴィア・ニュートン=ジョン(当時28歳)も高校生には見えないし・・・(笑)。

 でもストーリーなんてどうでもよくって「サタデー・ナイト・フィーバー」で成功した「音楽と映像のコラボ」を「1950年代の世界でやってみました」といったところ。狙いはそこにあるので「ストーリーが」「時代が」なんてどうでもよくって、軽快な音楽と楽しく能天気な映像があればそれだけでいいんじゃないか。なので「何も考えずにぼんやり見る」のがこの映画への正しい接し方なのかもしれません。「アメリカ的」な明るく開放的な青春、アレルギーを感じる世界だけど、オリヴィアの美声と美貌、それだけで私は満足でした。一方でジョン・トラボルタ、「サタデー・ナイト・フィーバー」に引き続いて受け入れられませんでした。あの映画のようなナルシストで勘違い野郎ではない分マシとはいえ、やっぱり無理。「カッコいい」というのが世間一般の評価のようですが、ダンスもキャラも爬虫類みたいと感じてしまうのは私だけでしょうか?

 
■2016/12/12 昭和40年代の風景に憧れて (キイハンター、若い川の流れ)

 今年の2月に昭和40年代に放映されていたドラマをケーブルテレビで視聴する機会が多いと書きました。10月からは同じ昭和40年代、それも私が生まれた昭和43年頃のドラマをケーブルテレビで見る機会が非常に多くなってきました。

 ひとつめは「キイハンター」。実は10年以上前に書いた「シリーズ:私はこんな番組を見てきた」の「再放送編」の中(こちら)で触れたけど、このドラマをはじめて見たのは1983年、中3の頃の再放送でした。リンク先には「刑事ドラマ」云々と書いているけど、実は「刑事」ではなく「国際警察直属の秘密諜報部員」だということに気がついたのはごく最近。とにかくオープニングの映像と音楽や無国籍な世界観、気の利いたセリフ回しなど「古臭い」どころか、オシャレでスマートでひたすらカッコよく映ったものでした。あの時再放送で流れたのはカラーになる1970年以降のみで、モノクロ時代の1968〜1969年放映分のストーリーは再放送されずじまいでした。だけど今回の東映チャンネルでの放送はモノクロ時代、第1話=1968年=昭和43年=私の生まれた年に放映されたものから放送されているので、ほとんどが初見のストーリーばかりになります。

 やはり初期のモノクロ時代は、後のカラー時代と比較するとスパイ・アクション色が強くって、明らかに刑事ものと違う。あと川口浩演じる吹雪もいないのでメンバーも少ない。その分、カラー時代はいつも部屋から指示を送るばかりだった黒木(演:丹波哲郎)が現場で格闘や銃撃、カーチェイスを繰り広げるなど体を張ったアクションもやっていて新鮮。そしてカラー時代にはもう「熟女」なイメージだった津川啓子(演:野際陽子)も妖艶でありながらも若々しくて、小悪魔っぽくてカワイイ。カラー時代とは2年しか違わないのに、2人とも若々しくってオシャレでカッコいい。千葉真一はいつもの千葉真一で変わりないけど…。また、夜の店が犯罪者のアジトになっていて、そうした店に潜入するシーンも多いけど、時代が時代なだけにGSっぽいバンドが演奏していたり、客がゴーゴーを踊っていたりで、まだまだ60年代な雰囲気。見る人が見ると「古臭い」と思うのかもしれないけど、私には「カッコいい」「オシャレ」で洗練されていて、それでいて熱気があって憧れてしまいそうな世界。いや、タイムスリップしてこんな店に行ってみたい、そんなことを考えてしまいました。キイハンターのメンバーたちはもちろん、ゲストの人たちのファッションもオシャレでカッコいい。ストーリーやこのドラマの世界観も大好きだけど、同時にこの時代のオシャレで洗練された「空気感」も大好きなので、毎週楽しみに視聴しています。

 もうひとつのドラマは、チャンネルNECOで放映中の「若い川の流れ」。こちらはやはり今年初めにここに書いた「ある日私は」に続いて放映されている全盛期の松原智恵子様主演のドラマ。リアルタイム放送は1968年10月からということなので「ある日私は」終了の半年後から放送されていたドラマらしい。「ある日私は」から一転、当時としては珍しかったであろう大手リース会社の営業職として働いているキャリアウーマンを全盛期の松原智恵子が演じる。もう「ある日私は」について触れた時に書いた通り、全盛期の松原智恵子様を見ているだけでストーリー云々抜きに幸せな気分になれます。しかも「ある日私は」のようなお嬢様ではなく、清楚で気品がありながらも活発で気の強いキャリアウーマンって、リアルな智恵子様そのものという感じで、よりはまり役でしょう。

 ストーリーは四角関係な恋愛が中心だけど、正直言ってストーリー的には私の趣味ではないかなあ。ただですら恋愛ものは苦手だし、まして恋愛観などが自分の世代から見ると古臭く感じるし。恋愛対象になる2名の男性を演じているのが浜田光男と川口恒の2人だけど、2人とも全くカッコよくないし魅力を感じないので「智恵子様とじゃあ釣り合いがとれないじゃないか」と悲しくなってきます。特に後者は松原智恵子絡みのドラマや映画でよく共演してたみたいだけど「なんでこんなイノシシ男が?」という感じ。まあ前者は吉永小百合の相手役の定番の人なのは知ってるけど、相手が松原智恵子では不釣り合いだろうと。

 だけど「発見」も。その「四角関係」になる松原智恵子演じるヒロインの親友で専務のお嬢様を演じているのが磯部玉枝なる女優。昭和40年代初頭にほんの4,5年程度活動して引退した人らしいけど、まさに「お嬢様」という感じで美しくて気品がある。そういえば「キイハンター」にもゲストとして出演していたけど、その時も「お嬢様」の役でした。全盛期の松原智恵子と並んでも見劣りしないレベルで、数年で引退したのがもったいないほどの美人。もう一人、浜田光男演じる曽根健介の姉を演じているのが池田昌子。話し方に気品と色気があるし、物腰が柔らかい大人の女性という感じ。しばらくして気がついた。この声、この名前、声優? そうだ「銀河鉄道999」のメーテルの声の人だ。ネット情報では本人は声優に力を入れ始めた頃から「イメージを壊したくないから素顔を見せない」として女優の仕事は止めてしまったんだとか。いや、でも「絶世の美人」ではないかもしれないけど「気品のあるしっかり者の大人の女性」という感じで私には「リアル・メーテル」に映りました。

 そしてこのドラマでも頻繁に夜のお店が出て来るけど、非常にオシャレで洗練されていてカッコいい。時々、あの曰くつきのホテル・ニュージャパンが出てくると複雑で嫌な気分にはなるけど。やはりこの時代=自分の生まれた年の若者文化や街の雰囲気、どうしようもないほど好きで、憧れてしまいます。なので最近よく思います。俺は生まれる時代を間違ってしまったんじゃないだろうかと。

■2017/1/6 もはやテレビなんて年寄りしか見てないのに・・・

 もう約16年前、2000年の年末のことになりますが「大晦日の某歌合戦なんて小学生の頃以来見たことがない」と書きました(こちら)。とにかくこの番組、嫌いだし興味がないし、見たいなんて全く思わない。私が今住んでいる実家に帰って来たのは2001年の10月のこと。以降も当然私はこの番組を一度も見たことがありませんでしたが、母は毎年楽しみにして見ていました。「今年の小林幸子と美川憲一の衣装はどんなのだろう」とか「誰がどんな歌を歌うんだろう」とか、始まる前からこの番組の話ばかり。当日も食い入るように見ていたものでした。

 ところが、いつの頃からでしょうか、おそらく2010年代に入った頃からだと思うけど、そんな母ですらこの番組、ほとんど見なくなりました。そして遂に今年に至っては、一瞬たりともテレビをつけていませんでした。なんで見なくなったのか? 聞いてみたところ「知らない歌手ばかりしか出てこない、見たい歌手が出てこない」「歌以外のドタバタが多すぎて面白くないし、意味が分からないし、見ていて落ち着かない」「その年のヒット曲を歌う場のはずなのに昔の歌ばかり歌ってる、しかも毎年同じ歌ばかり」・・・。確かに私も興味がないとはいえ、新聞やネットのニュースで出場歌手や曲目を見て同じ感想を持ったのは事実。まあ「歌以外の演出が多すぎる」のは今始まったことではない気がするけど、近年はその「演出」ですらかつての荘厳さや格調が薄れて三流バラエティ番組並にレベルが低下しているであろうことは想像できます。

 この番組に限った話じゃない。私が実家に帰って来た2001年頃、母が「毎週欠かさずに楽しみにしていた番組」って、非常に多かったものです。主に演歌の番組か、旅番組、対談番組、時代劇が中心でしたけど、少なく見積もっても7〜10程度あった筈。でもそのほとんどが終了してしまった。今も継続している番組もあるけど、母曰く「内容が薄っぺらくなった」「『すごい』しか言わないレポーターばっかりでつまらん」「スタッフの笑い声が聞こえたり、しゃべっている内容が字幕で出てきたりで鬱陶しい」「司会者のしゃべりがやかましい」「大勢のタレントが並んで(雛壇?)勝手にしゃべっていてうるさくて落ち着かない」等々、内容が以前と変わって「面白くなくなった」ので「もう見たくない」ということで見なくなった番組も多いらしい。まあ、この辺の感想は私も同じなんだけど。

 しかし今のテレビ番組って一体、誰を、どの年齢層をターゲットに制作してるんでしょうか。1990年代には(当時の)20代、30代=私たちの世代はテレビを見ないのでターゲットから外しているとの話を聞いたことがあります。つまり今の30代後半〜50代前半。まあ、熱心に見ている人は少ないでしょう。それよりも下の世代=今の10代〜30代前半の人たちは、物心ついた頃からインターネットのあった世代だし、スマホも普及しているから「テレビを夢中で見る」「テレビに影響される」習慣なんてまずないはず。だとすれば「テレビを見たい」世代は60代以上の人なんじゃないんですか? 

 なのにどの局の番組を見ても「すごい」と絶叫する馬鹿なレポーター、お笑い芸人(←この言葉の意味、間違って使われていると思う)が大勢出て大騒ぎしているやかましいだけの番組、某事務所や某作詞家関係のアイドル・タレントが必要以上に出てくる番組ばかり。それってまさか、若者=20代や30代をターゲットにしてませんか? どうせテレビなんてまともに見ない世代の人たちなのに。それよりも60歳以上の人が喜ぶような番組を作った方が受けるんじゃないでしょうか。なんでそんな単純なことが分からないのか? 私には理解できません。「テレビ見たいのに、見たい番組がどんどんなくなる」とぼやいている母を見るにつけ、そう思わずにはいられません。

 しかし某歌合戦、いろいろ不評で不満の声がネット上に溢れている様子。でもそうした声を見るにつけ「ああ、みんななんだかんだ言いながら結局見てたのね」と思ってしまいました。いや、私は本当に「一瞬たりとも見てない」ので、内容なんて分からないけど、不満を書き込んでる人は「見てた」からこそ書けるわけで。なんだかんだ言っても、まだまだ「国民的番組」なんですかねえ。しかしそうした人たちですらそっぽを向くようになったら、本当に某歌合戦も終わることでしょう。まあ、終わった方がいいけど。

■2017/2/28 約40年ぶりの本郷猛

 私が初代の「仮面ライダー」を見始めたのは、いつ頃だったのかあまり記憶にありません。なんといっても第1作の放送開始が昭和46年=私が3歳の時だったので「気がついた時には見ていた」感じ。だけどきっとデパート屋上でウルトラマン・ショーを見たのがきっかけで当時放映されていた「帰ってきたウルトラマン」を見始めた、それと同じ頃だろうと思います。初代の「仮面ライダー」は全98話、実に昭和48年=私が幼稚園に入る直前まで丸2年続きました。つまり私3歳〜5歳の間、正直言えばストーリーを理解して見ることが出来る年齢ではなかったので、はじめて「理解して見た」のは第2作の「V3」からだったと思います。「V3」や「X」は夢中になって見た記憶がはっきりあるし。

 そんな第1作の「仮面ライダー」だけど、昭和50年代=私が小学生になった頃からなぜかあまり再放送されなくなりました。たまに再放送がはじまっても、なぜか「2号初登場」からはじまって「来週から1号が復活」という直前の話までで終わってしまう。おかげで2号=一文字隼人は見飽きてしまいました。最初は「きっと話数が多すぎるから敢えて2号編だけを流してるんだろう」と思ったけど、毎回毎回なので「何かあるな」と。その後、中学生になった頃に知ったんだけど、実は1号=本郷猛を演じる藤岡弘が「ヒーローものに出ていた」事実を「黒歴史」と思ってるらしくて、1号の出る1話〜2号登場直前の初期の話と、復帰〜最終回までが放映されないことを知りました。まあ「特捜最前線」や映画で「本格派俳優」として活動していた彼なので、何となく分からなくもないなと。だから「リアルタイム視聴時の記憶が薄いからもう一度見たい」のに「見ることが出来ない」のが初代「仮面ライダー」、特にライダー1号でした。ところがこの数年はその藤岡弘が一転して「仮面ライダー1号=本郷猛だった」ことを「売り」にするように・・・。そのおかげもあってか、東映チャンネルで久々に1話から放映されていたのでずっと視聴してきました。

 初期=第1話〜藤岡弘重傷でリタイヤするまでの話は、おそらく初見だと思います。変身ポーズのない変身、「改造人間である」ことに苦しみ、葛藤する本郷猛とか、言葉を発さないショッカーの怪人とか、全身タイツじゃないショッカー戦闘員とか、「話には聞いていたけど」レベル。でも小さな子供だけをターゲットにしていないこのダークな雰囲気、新鮮で悪くない。ヒロインの緑川ルリ子(演:森川千恵子)も存在感もあるし華もあるしで、後のライダー・ガールズのような「空気」「お飾り」のような存在じゃないのもいい。キャラもルックスも好きです。藤岡弘の事故による「急場しのぎ」なんだろうけど、彼女の主演ストーリーまである。この路線のまま続いていても面白かったかも…。とは思うけど同時に、このままだったら2年も続く人気番組にはなってないだろうし、当然「V3」以降の続編、さらには現在まで続く平成ライダーなんて作られてないだろうとも思います。

 「2号編」になると空気が一変、ライダーは「完全無欠なヒーロー」になって、番組のカラーも明るくなる。変身ポーズ、グロテスクなだけでなくコミカルにも見える怪人、全身タイツの戦闘員、ライダーに協力する子供やライダー・ガール・・・。まさに「ライダーシリーズのお約束」が出来上がっていく。そのカラーは1号=本郷猛復帰以降も不動。今の40代の、ヒーローものを多く見てきた後の現代の目で見ると「ワンパターン」「お約束すぎる」「子供向けすぎる」と思えて、残念ながら退屈と思えてしまったというのも素直な感想でした。何よりウルトラ・シリーズのような「社会への警鐘やメッセージ」もないし、後のライダー・シリーズやヒーローもののような「登場人物の人間ドラマ」のようなものもなく、ただ毎回怪人が現れ、それをライダーが倒す、それだけの話が延々と続くわけだし。

 まあでも、この「基本路線」あったからこそ、後までライダー・シリーズが続いたわけだし、同時に多くのヒーローもの特撮が制作されたわけで、もちろんこの番組の功績は大きかったんだとは思います。つまり今の目で見れば「お約束すぎる」けど、この「お約束」を作り上げたのは他でもない、この番組なんだし。また「ほぼ初見」になる本郷猛には期待していたんだけど、正直言えば今の私には2号=一文字隼人の方が明るくて武骨で魅力的に思えるし、もっと言えばライダーに協力するFBI捜査官の滝和也(演:千葉治郎=千葉真一の弟)の方がアクションのキレもよくってキャラも人間味があって、一番カッコよく思えます。というよりこの滝和也、出来ることなら立花藤兵衛同様、後々のシリーズまで登場させて欲しかったと思ってしまいます。それが無理ならゲストで登場させるとか。ライダー・ガールズや小学生の子供、何の説明もなくメンバー変わりすぎで「空気」なのもなんだか。ショッカー→ゲルショッカーの最期もあっけなさすぎるし。あと少年ライダー隊って、子供を「悪の秘密結社」との戦いに積極的に参加させるなんていいのか? むしろ止めろよと・・・。

 約40年ぶりにようやく見ることが出来た「初代」、今の目で見るといろいろ突っ込みどころもあるし、40代の目で見ると「王道過ぎて退屈」に思える部分もありました。でも「ようやく見ることが出来た」、それだけで満足でした。

■2017/5/8 もはやテレビなんて年寄りしか見てないのに・・・ (2、土ワイ終了)

ちょっと前にネット上で拾ったネタだけど、テレ朝で日曜夜9時から放送されていた「日曜洋画劇場」が2月に終了、土曜夜9時から放送されていた「土曜ワイド劇場」が4月で終了したんだとか。私はすっかり「地上波テレビ離れ」して久しいし、まして年明け以降あまり休みもなくって忙しかったので、実は最近知りました。正直、私は今も昔も「映画音痴」特に「洋画音痴」なので前者を夢中で見たことはほとんどなかったし、後者も「江戸川乱歩美女シリーズ」とか「西村京太郎トラベルミステリー」のように「見たい」内容の時以外はほとんど見なかったので、そんなに思い入れがあるわけでもない。

 だけどどちらも亡き父がよく見ていたので、それを横でなんとなく見流していた記憶はあります。土曜日の夜9時、あの印象的なテーマ曲が流れるのを聴いたり、殺人事件が起こったり、エログロなシーンが飛び出したり(1990年代以降は減ったけど)するのを見ると「ああ、明日は休みだなあ」という安心感というか、ゆったり、のんびりした気分になったもの。同時に「今日はちょっと夜更かしできる」と少し楽しみだったりしたたもの。また日曜日の夜、淀川長治による独特な語り口の小難しい(映画音痴で洋画音痴の私には難しかった)解説を聞くと「ああ、もう日曜日の夜もいよいよ終わりか」と寂しい気分になったし、「もう寝なきゃ」という気分になったもの。しかもこの時間に放映される映画は、1980年代まではフジテレビの「ゴールデン洋画劇場」や日テレの「金曜ロードショー」と比較すると時代が古くて(1950年代くらいの映画が多かった)、マニアックな映画が多かったので「大人向け」という印象を持っていました。まさに「土曜日の夜の風物詩」「日曜の夜の風物詩」のような番組。しかも「休み前日の夜にゆったり夜更かし、ちょっとだけドキドキ=長時間サスペンス」「休みの夜の最後を飾る時間=大人向けでマニアックな洋画」って、時間と番組の内容がこれ以上ないほどマッチしていて「この時間じゃなきゃいけない」感のある番組でした。

 もちろん時代が変化して「誰もがテレビを見ている」時代でもなくなってきたので、いつまでも「テレビ黄金期」のまま同じ番組を続けるのが難しいことは理解できます。だけど終了後にはじまった番組がいただけない。結局、後番組は土曜日の9時も日曜の9時も1週間のニュースを振り返る単なるワイドショー、ニュースショー・・・。今のテレビって、平日だろうが、土曜日だろうが、日曜日だろうが、朝だろうが、昼だろうが、夕方だろうが、ゴールデンタイムだろうが、深夜だろうが、何曜日に、何時にテレビをつけても同じような番組ばかり。しかも「ニュース」といっても三流週刊誌のような下世話なゴシップ・ネタが中心だし、社会問題を扱ったものも偏向的だし、内容が浅くて無教養だし、ほとんどバラエティのようなノリのものばかり。コメンテーターといいながら、お笑いタレント(芸人なんて名乗って欲しくない!!)や評論面したえせ知識人が単なる井戸端会議してるものばかり。単なる時間とお金の無駄遣い。いや、こんな番組、本当に面白いと思って制作しているんだとしたらとんだ勘違いだろう。どう見ても単なる時間の浪費にしか思えない。

 もちろん私はとっくに「地上波離れ」してるし、最早「面白い番組」なんて期待はしてません。だけど「風物詩」といえるような番組を次々と終了させていくあたりにも疑問を感じるし、しかもその後番組はことごとくそんなワンパターンな「えせ報道番組」ばかり。そのうちドラマや音楽番組も一切なくなって「24時間ニュースショーやワイドショーだけ」になってしまうんじゃないでしょうか。いや、そんなんだったらもう、地上波テレビなんていらないでしょう。いっそのこと、もうなくなってしまってもよいのでは? 「なくなって困るか?」と聞かれれば「重大な事件事故、災害の時だけ緊急放送流してくれればそれだけで十分」という気もします。最近はスポーツ中継も専門チャンネルで見ることの方が多くなったし、それ以外の番組はケーブルテレビどころか、ネットの動画サイトの方が地上波の番組よりも数十倍面白いと思うし。

■2017/6/16 恋も夢も望みも捨てて・・・(野際陽子逝去)

テレビをほとんど見なくなった母が、毎日昼間楽しみに見ているのが倉本聰脚本の「やすらぎの郷」なるドラマ。近年はテレビをつけても全く知らないタレントしか出ていないけど、この番組は自分でも知っている人ばかりが出ている、しかも超豪華キャスト。また同年代の年寄りをテーマにしているので、共感できる点も多いんだとか。そんな理由ですっかりテレビを見なくなった母が毎日楽しみに見ているというわけ。さすがに私は見ないけど、なるほど、出演者を見ると往年の大スターばかり。一方で「この人たちが年寄りの役?」と衝撃を受けてしまいます。そんな豪華出演者の中に名前を連ねていた一人が野際陽子・・・。

 正直、私はこの人が出ているドラマ、あまり見たことがありません。バブル期以降は「姑役、お母さん役の定番女優」だったそうだけど、私はバブル期=1980年代末以降のドラマはほとんど見ていないので、あまり馴染みがありません。だけど実は、昨年末にこんなもの(こちら)を書いた通り、最近はずっと東映チャンネルで「キイハンター」を見ています。リンク先に書いている通り、モノクロ時代のこの番組は今回が初見。出演者がみんな若々しくて、丹波哲郎は後年と比較するとアクティブだし、千葉真一もアクションは「いつもの千葉真一」だけどやっぱりまだ若々しくて「お兄ちゃん」というイメージ。そして津川啓子=野際陽子は、美しくておしゃれで、小悪魔っぽい可愛さがある。いや、この時代に洗練されていて生活感がなく、西洋っぽい雰囲気を醸し出すキャラは新鮮。いや、カッコいいなと思い、私の中で「再評価ブーム」が起こっていたのに・・・。

 そんな矢先の訃報。もちろん、現在放映中のドラマに出演中の現役バリバリの女優が、という衝撃もあるけど、同時に、現在進行形で再評価していた女優が、ということの方が私にとっては衝撃でした。事実、昨日の夜も帰宅後、録画した「キイハンター」を見たばかりだけど、実はそのストーリーも津川啓子主演の話だったので…。ニュースや情報番組では姑役ばかりが取り上げられ、もてはやされているみたいだけど、私にとっては「あの津川啓子が・・・」一色です。そんなこんなで、昨日から彼女の歌う「キイハンター」のテーマ曲、「非情のライセンス」がずっと頭の中を回っています。またしても「物心着いた時から当たり前のようにいつも見ていた」人の一人がいなくなってしまいました。この数年、何度も味わった寂しさを、またしても感じています。


      
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