![]() トップ・ページに戻る |
![]() 前のページに戻る |
■2005/5/7 アナログ盤の音に感心 (こちらの続き)というわけで、上京のきっかけになった、ディスク・ユニオンにも当然行ってきた。向かったのは、関東在住時に足を運んだ回数なら最多になる、新宿本店。で、7Fであれこれ物色してると、ある客が店員にアナログ盤を差し出して「試聴したいんですけど」と言っている。やがて店内には、その客の差し出したトーネイドーズの「テルスター」が流れはじめる。お馴染み、ビートルズ登場前夜のイギリスのバンドで、奇才ジョン・ミークがプロデュースしたインスト・ナンバー。個人的には「お行儀のよい、前ロック時代の曲」という印象を持ってたんだけど、スピーカーから流れてくる音は、いつもの「テルスター」とは違って聞こえる。骨太で、ザラついていて、荒々しいガレージ・ロックのよう。時々入るノイズの音もまた、逆にガレージっぽい猥雑さを盛り上げているかのよう。ふーん、「テルスター」って、こんなにカッコイイ曲だったんだ。ルースターズのバージョンはともかく、トーネイドーズのバージョンは、ギター(リッチー・ブラックモア影武者説が有力)以外は「ダサい」って印象を持ってたのに。今更ながらそう気付いたのは言うまでもない、それが「アナログ盤の音」だったからに違いない。「荒っぽいロックはアナログで聴いてこそ真の魅力が感じられるんだ」、そんなことを言う「音拘り派」「オーディオ・マニア」「アナログ盤コレクター」の声を聞くたびに、「魅力的な音楽は、どんな環境で聴いても魅力的なんだよ」っていう反発心を覚え続けていた私だけど、少しだけ、分かったような気がした。
■2005/06/25 なぜか読書週間(大江慎也 words for a book) 最近は家にいる時間、珍しく読書していることが多いです。いえ、当サイトのプロフィールとか、こちらとかに書いてきた通り、私って昔から「本を読まない」「読書音痴」な奴でした。読むのは音楽雑誌くらい。そんな私が最近、熱心に読んでいるのは、大江慎也と音楽評論家、小松崎健郎によるwords for a bookという本。「大江慎也の本が出る」という情報を最初に聞いたのは、昨年の秋のこと、当初は「12月発売」のはずだった。それがズルズル延期されて、結局、発売は今月。まあ、大江慎也は過去に何度もリタイヤして雲隠れしてきた人だから、「とにかく、無事に発売されればそれでよい、無理はしないで欲しい」とは思っていたから、「まだ出ないのか?」みたいに急かす気持ちはなかったけど、やはり「待望の発売」というのが正直な感想。最初に出版が発表になった時は「自伝」と伝えられていたんだけど、最終的には小松崎健郎氏がインタビューを実施して、その際に引き出した大江自身の言葉を、小松崎氏がまとめた、といった形になった。「思っていたのとは違う」という気はするけど、でも、ありがちな「アーティスト崇拝本」ではなく、「生身の人間、大江慎也の軌跡」といった風な仕上がりになっているあたりは好感が持てる。
内容に関してあまり触れてはネタバレになるから詳しくは触れないけど、度重なる精神の崩壊によるリタイヤに関しても、率直に包み隠すことなく触れている点には、痛々しい反面、本当に「生身のひとりの人間」としての彼の姿を浮き彫りにしている風で好感が持てる。「ああ、この人もカリスマなんかじゃなく、一見尖がった天才っぽいけど、一方で繊細で傷つきやすい内面を持った、俺たちと同じ普通の人間なんだ」って思えて、身近に感じられる。それと、初めて語られる複雑な生い立ち、さらには「新しいものが好きで、ちょっと前まで凝っていたものも簡単にぶっ壊して、前に進もうとする」気質、頭の回転が速く、鋭い感覚やセンスを持っている点など、どことなくジョン・レノンやピート・タウンゼンドに似たものを感じた。尖がってるけど内面はナイーブなところももちろんそう。というわけで、今までの私は「日本が、いや、地元・北九州が生んだカリスマ・アーティスト」として大江慎也を支持してきたわけだけど、何となくひとりの人間として、彼を身近に感じることができたこと、それがこの本を読んでの収穫だった。思わず、何度も何度も読み返してしまう。「読書音痴」の私には珍しいことである。こんなに必死に本を読んだのは久しぶりのような気がする。
とはいえ、できれば当初いわれていたような「自伝」にして欲しかった、という気はしないでもない。ところどころで小松崎氏自身の「主観」が入り込み、さらには小松崎氏自身の「闘病話」まで登場するなど、結果的に「小松崎氏主導の本」になってしまっているという感が否めないのは事実。まあ、それは些細な不満でしかないし、今でも「完治した」といえる状態ではない大江の健康、精神状態のことを思えば、むしろ小松崎氏が大江と読者の間の「媒酌人」として入り込むことで、大江の負担を軽くしていると見ることもできよう。10数年ぶりの復活、UNの結成(既に解散してるらしいけど)、フジロックでのルースターズの1日限りの再結成と、この数年、異様なテンションで突っ走ってる彼だけど、「疲れたらしばらく休む」ことも彼には大事なはず。本当に「無理をしない程度で」活動してくれればそれでよい。そこで「早く次の活動を」なんて急かさず、暖かい目で彼の活動を見守る、それが今の彼へのファンの、正しい「接し方」といえるだろう。いや、当分はこの本だけで満足だよ、本当に。
■2006/03/08 私はこんなラジオ番組を聴いてきた で、先日の更新ネタ「ロック・ファン初心者時代、お世話になったラジオ番組」ですが、これはあっちにも「今回は『1988〜1992年の番組』、あくまでも『ビートルズ以外の洋楽ロック』を聴く上で参考にした番組に話を限定したいと思います」と書いた通り、「洋楽ロックにはまる過程で聴いていた番組」のみを語ったものです。とはいえ、私の音楽遍歴は何度も書いてきた通り、溯れば小学生の頃、「ベストテン」に夢中になって、ヒット・チャートものの邦楽をエアチェックしまくっていた頃に行き着きます。当然、「エアチェックした」ということは、その頃から邦楽ヒット・チャートものの番組は頻繁に聴いていたということで。とはいえ、先日も書いた通り、この辺の話題をロック・サイトたる表のサイトで語っちゃあいけないだろう、ということで敢えて触れなかったというわけです。
ということで、ここでは「1970年代後半〜1980年代半ば、チャートもの邦楽に夢中だった頃に聴いたラジオ番組」について語ってみたいと思います。とはいえ、福岡ローカル番組が多いので、地元の同世代の方以外には馴染みのない番組だらけになることは確実。でもまあ、何度もいうけど、このコンテンツは、表のサイトのテキストと違って、私の自己満足だけのためのコンテンツ。なおかつ普通のブログじゃないってことは、みなさんはよくご存知だと思うので、気にせず進めていきます(笑)。
RKBベスト歌謡50(1978〜1985、RKB)
RKBってのは、TBS系の民放AM放送局。放送開始は1975年、終了は1990年代半ばという、地元の人にはお馴染みの長寿ランキング番組だった。当然毎回50位から1位までを発表、しかも下位の曲は1分ほどでフェイド・アウトするとはいえ、全曲を必ずかけるのが売り。放送時間も長く、毎週日曜日の昼12:15〜夕方17:00までという長丁場の番組だった。人気テレビ番組「ザ・ベストテン」にも協力していた権威ある番組でもあった。ということもあって、「ベストテン」に夢中になりはじめた1978年から聴きはじめ、興味が薄れはじめる80年代半ばまでよく聴いていた。しかも一番夢中だった1978〜1981年頃までは、用事がなくって家にいる日は必ず最初から終わりまで聴き続けていたもの。5時間近くの長丁場、よく毎週飽きずに聴いていたものだと感心する。当時のエアチェック・テープの7割近くはこの番組からのものだった。とはいえ、欠点もあった。ランクの対象になる曲は「日本人作曲家の手がけたオリジナル曲に限定」という条件があった。つまり西城秀樹の「ヤングマン」や田原俊彦の「哀愁でいと」のような、「洋楽日本語カバー」はランクに入らないということになる。さらに「地元出身の郷ひろみに甘い=必ず1位になる」とか、まだ当時は関東から九州に流行が流れてくるのに時間がかかったみたいで、「売り出し中のアーティストがランクに入らない(サザンはサードシングルの「いとしのエリー」がはじめてのベスト10ヒットになった)」などの欠陥も。一方でテレビ番組と違って「テレビに出ない」人たちの曲もちゃんと聴けたのはよかった。
コーセー化粧品歌謡ベストテン(1978〜1986、東京FM系)
これは全国ネットの番組、私はFM福岡で聴いていた。土曜の昼13:00〜14:00の1時間番組で、司会は作曲家の宮川泰。こっちは全国放送だから「売り出し中のアーティストがランクに入らない」なんて弊害もなく、洋楽カバーも流れたから、↑上の番組でエアチェックできない曲をこっちでエアチェックする、という風に「活用」していた。ただし、こっちにも弊害。スポンサーのコーセー化粧品のCMソングは、なぜか必ずチャートに入る、資生堂やカネボウのCMソングはランクに入らない。しかし上の番組で録音したテープよりも、この番組で録音したテープの方が音がよい(FMはステレオ、AMはモノラル)ことに気がつくまでには、数年かかってしまった。そういえばこの番組に続いて、14:00からは洋楽のベストテン番組「ポップス・ベストテン」もやってたみたいだけど、こっちに夢中になった人は多いかも。私は当時「洋楽音痴」だったから聴いてなかったけど。
KBC歌謡曲HOT 100(1980〜1984、KBC)
福岡には民放のAMは今も昔も2局しかなく、ひとつは上で紹介したRKB、もうひとつがテレ朝系のKBC。そのKBCが、RKBの「ベスト歌謡50」に対抗するかのように、土曜日の昼12:00〜夕方18:00に放送してたのがこれ。しかし100位〜1位、当然全曲かけるのは無理、上位の曲もフェイド・アウト、またはイントロにしゃべりが重なる、ということで、あまりエアチェックには適さなかったし、聴いている人の年齢層も高かったようで、演歌がやたら上位に顔を出す傾向もあった。しかも途中に、ばってん荒川がゲストを呼んで街角で歌謡ショーを行う「おヨネばあチャンの歌謡広場」なんていう「番組内番組」があったり(なんと、この番組は未だに続いている!)、「みなさんの電話リクエストで作るコーナー」があったりと、やたら「脱線」が多くて、なかなかランキング発表が先に進まないのもじれったかった。ということで、「毎週聴いていた」とか、「最初から終わりまで聴いてた」ってほど夢中になったわけではないけど・・・。
昼の歌謡曲(1978〜1984、NHK-FM)
これは今も続く超長寿番組。昼の12:15〜13:00、毎日ひとりの歌手、一組のアーティストにスポットを当て、その人、そのアーティストの曲を延々かけ続ける番組。今でもそうだけど、基本的には演歌歌手の特集が多いが欠点。とはいえ、上の3つのランキング番組だけでは、「今流行ってる曲」しかかからないわけだけど、この番組だと「ちょっと前に流行った曲」も聴けるし、同じ人、アーティストの曲をまとめて聴ける、エアチェックできる分、ランキング番組とは一味違った楽しみもあった。
ということで、この時代はほとんど同じ番組からエアチェックすることが多かったから、こうやって特筆できる番組は意外と少ない。ちなみに、「音楽番組」以外の番組って、ほとんど聴いたことがない。同世代の人だと、「オールナイト・ニッポン」みたいな深夜番組とか、地方局が流す、その地方の若者に受けた番組とか、アイドルやタレントがパーソナリティを務める番組とか、そういうのに夢中になった人もいるだろう。でも、そういうのって、ほとんど聴いた覚えがない。「こういう番組を聴きながら勉強した」人って多いんだろうけど、私の勉強の友は、エアチェック・テープだったから。つまり私は、純粋に「音楽を聴く」目的以外で、ラジオを聴いたことがなかったということ。だからこそ、「今のラジオは音楽を聴かせてくれない」なんて不満を持ってしまうんだろうなあ。
■2006/03/25 音楽は「音情報」ではない よくメールで当サイトの感想を送ってくれる方のブログで出ていたネタ。数年前「音楽がネット上でダウン・ロードして聴けるようになった」なんて話をはじめて聴いた時、「まあ、普及するまでは時間がかかるだろうな」と、他人事のように軽く考えていた。「まあ、音楽を大量消費財としか思ってないような人には最適だろう、本当の音楽ファンはこんなの、使うはずがない」と。それが今や「ダウンロードで聴くのが当たり前」といわんばかりの普及ぶり。以前は「コレクター」を自認してた人や、マニア度の高いメルマガを発行している人までもが、最近はこういう形態で音楽を楽しんでるよう。うーん、個人的には少し寂しい気がする。
私がこういう形態に今一つ煮え切らないものを感じるのは、「ダウンロードしてi-podなどで音楽を聴く行為」というのは、「ネット上から音情報を持ってきて取り込んで、音情報を聴いている」ような感じがするから。「音さえ聴ければいい」「音楽は音の情報でしかない」、だから「聴けさえすればそれでいい」かのよう。いや、音楽ってそんなもんじゃないだろう。「聴ければそれでいい」そんなものか? 私は音楽ってのは、アーティストの想いとか、「生命力」とか、そういう熱いもの、血の通ったものがこもった「作品」、いや、アーティスト自身の「分身」のようなものだと思ってる。で、その作品を私たち聞き手は「作品=アルバム」という形で、実際に手にとる。その行為はつまり、アーティストの「想い」とか「生命力」をも実際に「受け取る」という行為ではないだろうか。だから「音さえ聴ければいい」ものではない。「ミュージック・ライフ」の「手放してしまったアルバムたち」の最終回の最後に書いた通り、アルバムってのは、単なる「音の情報の入った『モノ』」ではない。そのことは音楽ファンをやってる限り、絶対に忘れたくないと思ってここまできた。お手軽にダウンロードして聴く、という行為はやはり、「音情報を聴いている」だけではないのか。・・・という気持ちは拭えない。
だけどそうやって否定的な気持ちを抱きつつも、一方で「いや、この形態は音楽を楽しむ一形態に過ぎないのではないか? だからアルバムを買って聴くという行為が廃れてなくなってしまうということはあり得ないかも」という想いもある。というのも、「音情報だけを聴く」ことを否定している私も、実はそうした形態で音楽を楽しんでいた時期があった。というか、「ダウンロード否定派」のみなさんにも思い出して欲しいんだけど、みなさんはエアチェックをしたことがありませんか? 私は19歳になるまで、ラジオからのエアチェックのみで音楽を聴いてきました。あれって、「音楽を音情報として扱う、無気質な行為」ではないでしょうか? そう、ダウンロードしてi-podなどで音楽を聴く行為というのは、ラジオやレンタル店で借りたレコードからカセットに音を録音し、それをウォークマンで聴いてるのと全く同じ行為。それが進化したのがこの形態。ということができるのではないかと。
だから、多くのダウンロード否定派の方が心配しているような、「ダウンロードの普及でCDが死に絶える」なんてことはないんじゃないかと。実際、カセットが普及した頃とレンタル店が普及した頃、レコードの売上が落ちたことがあったらしいけど、今の状態って、それと同じだろうと。だから私たちエアチェック派がやっていたように、これからの音楽ファンは「ダウンロードして聴いてみて、気に入れば実際にアルバムを買う」という形で音楽を楽しむ。逆に「アルバムを買う」ほどに音楽に熱心でない人は、ダウンロードだけで音楽を聴いて満足する、だから相対的に売上が落ちている、そんな時代になってると、そういうことだと思う。それならそれでいいんじゃないか、私はそう思うんだけど。ただし、そのことによってCDが廃れるなんてことになると辛いけど、まあ、「コレクター」の人がいる限り、完全に廃れる心配はないだろう(笑)
で、「そういうことなら俺もi-podとか、MP3とかやってみたい」という気持ちもあるにはある。ようするに、ネット上で試聴してみて、それからアルバムを買うと。昔、ラジオからエアチェックして、気に入ったらアルバムを買っていた頃のように。ただ、私のパソコンは前から述べている通り、1996年製。CDーRも焼けなければ、DVDも見れない、動画サイト、音の出るサイトに繋ぐと「強制終了」。なので、パソコン環境が整っていない。まあ、当分はポータブルCDプレイヤーが手放せそうにない(笑)
■2006/04/08 俺は「ある種の」コレクター? 3月25日付で「音楽は『音情報』ではない」なんてのを書いて、「ダウンロードで音楽を聴く」ということに対して思うことを述べたわけですが、その後、音楽関連の多くのサイトやブログで、同様の意見をあれこれ見てまわったりもしました。大半の音楽ファンの人は、私と同じように「試聴したい時はダウンロード、ちゃんと聴きたいものはCDで持っておきたい」って人が大半でした。でも、一方でこんな意見も・・・。
「別に音さえ聴ければいいし、CDやレコードのようなモノとして持っておきたいという欲求はない。むしろ逆に、アーティストの公式サイトからダウンロードして作品を聴くということは、間に業者などが介在していない分、アーティストから直接作品を受け取っているということになり、リスナーとアーティストの距離感はグッと近いものと考えることが出来る。それはむしろ歓迎すべきこと。それでもモノを持っていたいという人は、実は『所持したい』という欲求を満たしたいだけではないのか」。
・・・これを読んで、「意外とそうかも」という気もしないでもなかったりする。私はこれまで「俺はコレクターじゃない」とずっと主張し続けてきました。確かにレア盤、初回盤、リマスター盤、再発盤、各国盤、紙ジャケ・・・、といった風に、同じ音源、アルバムを何枚も買い直したりしないし、「聴かないけど、とりあえず持っていたい」なんて気持ちでアルバムを買ったことも一度もない。経済的に苦しくなるのを覚悟の上で、CDを買い続けるなんてことも出来ない。そういう意味では確かに厳密な意味でのコレクターではないのは事実だけど、一方で「好きなものは手元にモノとして所持していたい」という欲求は確かにある。だとすれば「俺はコレクター気質はゼロだ」ってことはなく、やはり「ある種のコレクター」であるといってもよいのではないでしょうか。
確か20世紀終わり間際、ネット通販が普及しはじめた頃に私は、当時はまだあったこのサイトのボードに、「ネット通販は味気ない」と書いたことがありました。ようするに私は、「店に行ってCDを物色すること」が好きでたまらないんです。当時私はボード上で、常連さんに「ネット通販をどう思うか?」と意見を募ったんですが、「ネット通販が好き」という人たち曰く、「わざわざ店に行かなくてよい」「欲しいものを探す手間が省ける」そこがメリット、とのことでした。でも私は「わざわざ店に行く」のも好き、「欲しいものを探す」ことも「手間」どころか、「楽しみ」以外の何ものでもありません。特に「探す」のは大好き。基本的には「今日はこれを買おう」って決めずに店に行くことの方が多くて、その場で「あれにしようか、これにしようか」って迷ったり、「おお、こんなものがあるぞ」と喜んだり驚いたりで、店の中を隅から隅まで物色して、短くとも30分はウロウロしてます。それを「面倒」なんて思えないわけで、それ自体が楽しくて楽しくて仕方がない。そしてお目当てのものをみつけて購入。購入したら今度は、帰宅するまでの間、それを大事に抱え、「ああ、早く帰り着いて聴きたいぞ」とワクワクした気持ちで。その「帰宅する間」のワクワク感もまたたまらない。つまり私は「店で買い物をすること」、それ自体が好きだということでしょう。今では通販を利用することはあるけど、買いたい物が事前に決まっている時以外は使用しないようにしてるし。
で、同じように「CDを購入する=自分のものにする」こと、それもまた好きだと。以前はエアチェックで音楽を聴いてたわけですが、確かに「曲を聴く」ことはそれで全然叶う。「音さえ聴ければいい」んだったら、それで満足するはず。でも、それでは「自分のものになった」という感じがしない。レンタルも同じ。レンタルで借りて、カセット(私の時代は主流だった)にアルバムの最初から終わりまで、全部録音する。そしてジャケットをカラー・コピーして、ライナーや歌詞カードもコピーする。そうすれば事実上、CDを買ったのとほぼ同じ条件でそのアルバムを聴くことが出来るはず。音の善し悪しへの拘りはないし。でもやっぱり、満足しない。レンタル店にCDを返却しに行く時、必ず「これが自分のものだったらなあ」という想いに駆られる。つまり、「所持していたい」という欲求。
ということは私が「ダウンロードで音楽を聴く」ことに物足りなさ、味気なさを感じるのはやはり、「モノとして所持したい」という欲求が満たされないからなんじゃないかな、という気がするわけです。「モノとして持っておきたい=集めたい」という欲求が人より強いということはつまり、レア盤を集める人とは性質が違うし、「聴く」目的以外で買い漁ることもしないけど、一応私にも「コレクター気質」があるんだなと。更にいえば、「買いに行く」「探す、迷う」「所持する」、それをひっくるめて好きなんだと。そういえば私って、幼少の頃から、「モノを集める」「自分のものにする」ということに、人と比べて執着する方だったよなあ。
■2006/11/26 単なるコラージュ ? ビートルズのLove この話題には触れまいかと思ったんだけど、一応少しだけ。はっきりいえばこのアイテム、私は全く興味がないし、私にとっては必要のないアイテム。だけど「冒涜」云々とは思わない、というのが私の素直な気持ち。もちろん、買ってもない、聴いてもない、聴こうという気すらしない無責任な奴の意見ではあるけど。
「曲をいじくりまわす」、まあ、あんまり気持ちのいいものじゃないかもしれない。だけどまあ、10年くらい前に流行りましたよねえ、サザンのヒット曲を切り貼りして繋ぎ合わせて作ったメドレー「江ノ島」とかってやつ。あれと同じようなものだと思えば、別に「冒涜」とかって目くじら立てることもないのかなと。ついでに、私も20年近く前にやりましたよ、ダブル・カセットのラジカセを使って、ビートルズの曲を繋ぎ合わせて「メドレー」を作ったりとか(笑)。それって「冒涜」なのか?(笑) そんなアイテムだと思えば、まあ、こんなのもありかなと。ただし、それを「ビートルズの新譜」とかって言って煽るから、おかしなことになる。「ビートルズの曲を使った、エンジニアの作品=コラージュ」って解釈なら、「別にねえ」と思えるわけで。まあ、「こういうのを聴いて、面白い、楽しいって思う人もいるのかもね」とは思う。だから「否定」する気は一切ない。
ただし、私は「ビートルズの作品」には興味はあるけど、「ビートルズの作品を使ったコラージュ」には全く興味がない。「1回くらい聴いてみたら、面白いかも」とは思うけど、逆に言えば「1回聴いてみて、『ああ、面白かった』と思っったとしても、それまで」の作品という気もする。だから、わざわざ手元においておきたいとは全く思わない。おそらく、数年後には「中古盤屋の投げ売りワゴンの定番」になることは、間違いないとは思う。
■2007/5/30 青く澄んだあの空のような・・・(ZARDの坂井泉水急逝) ZARDの坂井泉水の急逝はショッキングなニュースだった。決して「ファン」ではないし、思い入れがものすごくあったというわけではないけど、どことなく寂しい気持ちになった。長く「ロック・ファン」をやってきて、なおかつロック・サイトをやっている私。ロック・サイト、ロック・ファン周囲はむしろ「アンチ」な人や無関心な人の方が多いだろう。でも私は決して「嫌い」ではなかったし、実はCDも手元にあったりする。
私の音楽遍歴は、サイト本体やこの「落書き帳」でもたびたび触れてきたけど、小学校〜高校生の頃は邦楽チャート一筋→19歳の時にビートルズに目覚めて以降、「洋楽ロック一筋」で、その一方で「チャートもの邦楽を蔑んで、遠ざけた」時期がしばらく続いた。そんな私に変化が起きたのは、1992年に社会人になった頃だった。「流行もの邦楽が一日中流れている」そんな中での生活を送らざるを得なくなり、「好き、嫌い」に関わらず、毎日チャートもの邦楽と身近に接する生活がしばらく続いた。当時「自称・硬派ロック・ファン」だった私は、当初は「聴きたくもない、質の低い音楽ばっかり聴かないといけないとは」という想いで、それらに触れていた。だけど、そんな生活をしばらく続けるうちに、そうした「ミーハーな」音楽の中にも「心に引っかかる曲」「気になる曲」「意外と悪くない」と思える曲も、少なからず存在することを知った。もちろん、ロック・ファンになる前に、邦楽チャート一筋な時期を過ごしたという下地があったことも大きかっただろうけど。
そんな「気になる曲」のひとつが、ZARDの「眠れない夜を抱いて」だった。メロディはキャッチーだし、そこそこハードなギターの音もするし・・・。しかしそれ以上に心に引っかかったのは、ボーカリストの歌声。ピュアで、爽やかで透き通った美しい声、それでいてどこか寂しく、はかなげ。その声自体に魅了されたというわけ。間違っても「ファンになった」「この曲が好き」なんてことはなかったけど、でも「なんとなく心に引っかかる」、そんな感じだった。
その後、「ビーイング・ブーム」なるものが巻き起こった。T-Bolan、WANDS、DEEN・・・。キャッチーな曲が多く、しかもタイアップつきが大半、売り出し方も巧妙だったから売れまくった。一方で、テレビにほとんど出なかったり、アーティストの動いている姿すらめったに見せなかったと、アーティストの「匿名性」が高いことや、売り方の巧妙さ故に、熱心な音楽ファンの間で批判の声も少なくなく、殊に硬派系ロック・ファンの間での評判は芳しくなかったように記憶している。だけど私自身は、その売り方には若干の疑問を感じつつも、「曲自体は意外と好き」ということが多かったので、「嫌い」ではなかった。特にZARDに関しては、坂井の歌声故に、新曲が出るたびに、何となく気になる、そんな存在であり続けた。
そんな私の心を完全に掴んだのが、表題のフレーズを含む楽曲「揺れる想い」だった。ポカリスエットのCMソングで、初夏を思わせる爽やかな映像と、坂井の歌声が見事に融合していて、思わず画面に釘付けになった。ちょっとノスタルジックで爽やかな、初夏を思わせる、まさに歌詞通りの「青く澄んだあの空のような」曲調と、ピュアで澄み切った坂井の歌声が見事に溶け合っていて、素晴らしい楽曲だと思った。でも「爽やか」なのに、坂井の歌声はなぜか寂しく、はかなげで、ちょっと無表情。だから明るい曲調なのに、なぜか一抹の寂しさを漂わせてる。そこがまた魅力的に思えた。「ロック・ファンの俺が?」という葛藤を抱えつつも、「この曲が好きである」という事実は、もはや拭い去りようがなかった。そしてそれからしばらくして発売された同曲の収録されたアルバム「揺れる想い」を思わず購入。これを境に「洋楽ロック一筋」という私の拘りは崩れた。「よい音楽、気に入った音楽なら何でも聴こう」と。音楽を聴く上で「質」云々なんてくだらないことを考えることもなくなった。1993,4年頃のことだった。とはいえ、決して私は「ZARDのファンだった」とはいえない。「新曲が出るたびに気になる」状態は、1997年頃までしか続かなかったし、以降発表された曲も、決して嫌いではなかったけれど、「揺れる想い」ほどには私の心を掴むことはなかった。90年代末には私の「流行りもの邦楽に囲まれた生活」も終焉、以降はZARD関連のニュースを身近に見聞きすることもなくなった。
だから、そんな私がここでいろいろなことを語るのはどうなのか、という気がしないでもない。ただ、「揺れる想い」という楽曲、そして彼女の歌声が私の心を捉えたという事実は、消しようがない。この気持ちは偽らざる事実だ。また、彼女の歌声は本当に澄んだ、美しい声である一方、明るい歌を歌っている時でも、なぜか寂しさやはかなさを漂わせていた。デビュー当初を除いて、ほとんどテレビに出なかった人だから、「どんな人だったのか?」分かりづらいところはあるけど、この人の本質はむしろそっちにあって、私の心を掴んだ要因も、むしろそちらにあるのかな、という気がする。毎年、初夏の頃になると今でも私は、心の中で思わず「揺れる想い」を口づさんでしまうことがある。まさにそんな季節に急逝・・・。寂しさを感じずにはいられなかった。一方で私は、これから先もずっと、この時期になるとこの曲と、彼女の歌声を思い出すに違いない。本当にこれからもずっと・・・。
■2007/8/2 阿久悠氏死去 こちらを中心に以前から述べてきたとおり、「ベストテン世代」で、70〜80年代にかけて、日本の流行りものヒット曲が大好きだった私にとっては、とてもショッキングなニュース。一昨年の年末に「作詞家生活40周年特番」ってのをテレビでやっていて、その感想なんかをここに書いたことも記憶に新しい。その際、現在(2005年当時)のインタビューも放映されていたけど、往年のスマートで、堂々としていて、なおかつ「スタ誕の怖い審査員」といったイメージからは程遠い、実年齢以上に老けた姿に少しショックを受けたもんだった。今思えば「最近は弱ってたのかな?」という気がしないでもないけど、でも、あの番組の記憶もまだ鮮明なので、「突然」という感も否めない。
しかし私が「ザ・ベストテン」を見始めた1978年頃といえば、ヒットする曲のほとんどが彼の作詞。特にピンクレディと沢田研二の全盛期で、しかも両者の曲はすべて彼の作詞だった。私自身は「沢田研二大好き、アンチ・ピンク・レディ」だったわけで、「大好きな人の曲も、嫌いなグループの曲もどちらも手がけている人」、そんなイメージだった。よくいえばダンディ、悪く言えば気障ったらしい世界を追求した沢田研二の曲の歌詞の世界、当時の私には「子供だまし」と聞こえたピンク・レディの曲の歌詞の世界、全く異なる世界を「詞」で表現しきっていたわけで、子供心にも「すごい人だな」と思ったものだ。今思えば、当時の沢田研二のキャラクターも、ピンク・レディのキャラクターも、彼の歌詞があればこそなわけで、つまりは両者のキャラクターを構築していたのは、意外と彼だったのかもしれないと思ったりする。それほど彼の「詞」は、大変な影響力を持っていた、ということなのだろう。実はシーナ&ロケッツの「ロックが好きなBaby抱いて」という曲の作詞も彼。鮎川誠&シーナ夫妻が、彼の詞に感銘を受け、敢えて畑違いの阿久氏にコンタクトをとって、作詞を依頼したんだとか。全く畑違いのアーティストの心まで動かした、そのあたりにも彼の求心力を思い知らされる。
先に述べた一昨年放映された特番のインタビューの中で、こんなニュアンスのことを発言していた。「今の流行歌は歌詞を蔑ろにしている。ただ音楽に言葉を載せているだけ、それは歌詞ではない」。90年代以降、彼の活躍の場は減った。それと同時に「歌詞を蔑ろにした音楽」が横行するようになり、次第に私自身は日本の流行歌への興味が薄らいでいった。もちろん、私は「まずメロディありき」な音楽リスナーなので、歌詞を意識することは決して多くない。ただ、「まずは歌詞が気に入る」曲の比率は、少なくなっているというのも偽らざる事実。そんな時代だからこそ、まだまだ彼のような人は生きていて欲しかった。本当に残念に思われるし、それと同時に、「ベストテン」などに夢中になったあの頃がまた遠い昔になってしまったような気がして、とても寂しい気持ちになる。
■2008/4/27 今度はiPod購入 当サイトを立ち上げた1998年以降、パソコンやオーディオ、テレビ、携帯電話等が急速に普及し、それと同時に新しいフォーマットが次々に誕生してきたわけですが、その間、私が常に「遅れてる」状態にあったことは、以前から当サイトをご覧の方ならご存知の通り。90年代末に一時期MDが普及しかけた際も購入が遅れてしまい、廃れかかった頃にようやく購入。携帯電話ですら、「仕事で必要になったから」という理由で仕方なく購入したわけだし。
それが少しずつ変わり始めたのが、昨年1月の新しいパソコン購入以降。それまでは「音も出ない、絵も動かない」パソコンを使っていた上、DVDすら一切視聴できなかった、そんな状態だったわけだから、まさに「急に目の前が開けた」ような状態に。さらにケーブルテレビにも加入。生活が一変したわけです。ただし、そのせいで約1年近くも「音楽を遠ざけた生活」に突入してしまったわけですが・・・。
そして本日、遂にiPodを購入しました。一時期は「音楽をデータとして扱うのは好きじゃない」ってんで、なんとなく偏見や先入観を持っていた「デジタル・オーディオ」ってやつに手を出してしまいました(笑)。といっても、やっぱりネット上から音源をダウンロードして聴くことを目的に購入したわけじゃない。「まずはCD=形に見えるフォーマットありき」という私の音楽に対するスタンスは変わらない。単に「以前のウォークマンの代用品」として使いたかっただけ。最近はCDウォークマンを扱うのが面倒になってきたから、もっと便利で、邪魔にならない物を、と思ったと。
それと「ひょっとして、音楽気分が復活したのか?」と思う人もいるかもしれないけど、これも決してそうじゃない。未だに音楽気分は戻ってこないんだけど、わけあって今回の大型連休は「手元に音楽を置いておきたい」もので。まあ、その辺に関しては後日。
しかし「デジタルオーディオ機器」なんてものにはこれまで縁がなかったので、あまり知識もなく購入したんだけど、取り扱いはあまり難しくなかったことに驚いた。ほとんど説明書などは読んでないし、知識ももともとなかったわりには、全然分からないことなどない。当分はこれをいじるのに夢中かも。それと、こうなれば次はDVDレコーダ購入ということになるのかな。
■2008/11/7 嫌い!!(小室哲哉逮捕) 私は当サイトを立ち上げて以降、「嫌いなアーティストの批判ネタ」は「絶対に語らない、語りたくない」としてきました。「嫌い」を語るより「好き」を語った方が楽しいし、「嫌い」を語ると気持ちが暗く、重くなるから、と。しかし、ちょっとタイムリーなので、あえて「解禁」して、はじめて「嫌いなアーティスト」について語ってみたいと思います。ただし、「ネット上での中傷」はやはりネット上のマナー=ネチケット(もはや死後か)に反するので、あくまでも「批判」の範疇で。
以前から述べてきた通り、1980年代、つまり中高生、さらに大学時代の私は、デジタルビート、シンセなどのテクノロジーを駆使した音楽を「無機質」「人肌のぬくもりを感じない」として、毛嫌いしていたものでした。そんな1980年代の半ば、「最新のテクノロジーを駆使したサウンド」と「コンピューターを使った曲作り」を売り物にしたグループが脚光を浴びた。そのグループはTMネットワーク。サウンド自体も、まさに私の毛嫌いするデジタルビート的なものだったから、それだけで「嫌い」になったわけですが、それ以上に嫌だったのはリーダー、小室哲哉の高飛車な態度、発言でした。
とにかく「俺は最新鋭のテクノロジーを駆使して音楽を作っている」「今までのどの音楽とも違う」といったニュアンスの自信過剰で、他のアーティストはもちろん、リスナーをも見下した態度がどうしようもなく嫌だった。そして私の「小室嫌い」な気持ちを決定的にしたのは、彼のある発言・・・。
作家・村上龍が司会をしているトーク番組をなんとなくつけていたら、ゲストとして、まさに売り出し中の彼が出ていた。正確な話の流れは覚えていないけど、大体こんなニュアンスの会話でした。(*ひょっとすると、私の拡大解釈、20年近く前のことなので記憶も薄く、勘違いも含まれているかもしれないので、この通りじゃないかもしれないけど、ニュアンス的には大きくは違わないと思います。)
村上氏「コンピューターで曲を作るとは、時代も変わったものですね。たとえばビートルズの場合は・・・」
(言いかけたところで小室、薄笑いを浮かべて遮る)
小室「ビートルズ? 一体いつの時代の話をしてるんですか。時代が違いますよ。ここにいる人たち(20代女性ばかりの観客がスタジオにいた)は、生まれてすらいないですよ。そんな昔と比べられても・・・(云々)」
当時の私が「ビートルズ一筋」だったから頭にきたということもあったけど、やはり「他のアーティストを嘲笑する」発言に呆れたし、なにより「良い音楽は時代が変わっても不変」「テクノロジーだけで音楽は作れない」という、音楽に携わる人や、音楽が好きな人なら誰でも分かることが、この人には分かっていない。単に「最新のテクノロジーを使っている」というだけで、「俺は優れている」と思い込んでいる。この人は「ミュージシャン」ではなく、単に「最新流行の商品」を作っているだけの実業家なんだと感じた。以降、彼は私の中で「音楽史上最も嫌いなアーティスト」の地位を不動のものにしてしまった。TMネットワークでは「シティハンター」のテーマ曲だったGet Wildは好きだったけど、それは「TMの曲」としてではなく、「シティハンターの曲」として好きだっただけ。あのアニメのエンディングの絵にかぶさった映像は好きだったけど、彼らがライブ演奏している映像など、見る気も起きなかった。
その後90年代に売れっ子プロデューサーとなった頃の彼は、TMネットワーク時代以上に、ミュージシャン、アーティストというより、「売れる商品を作り出して、お金を生み出すだけの実業家」としての顔が顕著になったと私は感じた。荒稼ぎ、分不相応な贅沢三昧な生活、それを鼻にかけた態度、発言・・・。この頃彼の作って曲で「いいな」と思ったものはひとつもないし、「全部同じ」に聞こえた。ただ売れているだけで中身のない大量生産の消耗品。90年代の私は「流行りもの邦楽」に囲まれた生活を送っていたので、彼のプロデュース作品を聴くことは多かったけど、彼の関わった曲ほど「中身がない」「空虚」に聞こえる音楽は他にはなかった。事実、あの全盛期から丸10年、「未だに歌い継がれている曲」「後世に残る名曲」が、一体何曲ある? おそらくほんの数曲でしょう。ほとんど「ああ、そういえばそんな曲もあったなあ」程度で、「懐かしい」「久しぶりに聴いて感動した」「当時を思い出した」なんて思えない。私だけかもしれないけど・・・。
そして今回の逮捕劇。私があの、トーク番組を見て彼に抱いた「この人はミュージシャンじゃない」という気持ちが間違っていなかったんだと改めて思った。プロデューサーとして馬鹿売れしていた頃、売れまくっている様子を見て、少しだけ「俺の認識って間違っているのかな」と思ったけど、やはり間違いではなかった。なので、「逮捕」のニュースには「堕ちるべくして堕ちた」という思いだった。
■2008/12/6 あんたの時代はよかった(沢田研二再評価) 先日
>私が最も邦楽ヒットチャートものにはまっていた
>1970年代後半〜80年代半ば頃のヒットチャートもの邦楽の映像。
>最初は「懐かしいなあ」「こんな人もいたなあ」「少し好きだったなあ」
>「今見ると意外といいなあ」という感じで、いろんな人の動画をYou Tubeで見てるうちに、
>ある2名の歌手の映像にはまってしまいました。
と書きました。本当に先月末から、その「ある2名」の往年の映像ばかり見ています。
その2名のうちの1名が、沢田研二。以前書いた「シリーズ、私はこんな曲が好きだった」でも述べたとおり、小学校3年〜6年だった1977年(昭和52年)〜1980年(昭和55年)頃、出す曲すべてが大ヒットしていたまさに彼の全盛期で、よく真似をしたり、出演番組をテレビの番組表で追って見たりするほど、はまっていたものでした。よく見ていた「ザ・ベストテン」でやたら一等賞に拘るなど「俺はスターだ」といわんばかりの立ち居振る舞いだったので、クラスでは「アンチ」と「信者」の真っ二つに分かれていたけど、むしろ私は「偉そうなくらいの方がスターらしい」と思えたし。それに曲ごとに変わる衣装やパフォーマンスも「次は何をやってくれるのかな」と楽しみにしていたし、テレビで見たら翌日、すぐに学校で真似をしたりと、とにかく夢中でした。この時代の曲は今でも歌詞を見なくても歌えるほどです。ただ、1981年以降、中学生になったこともあって、むしろ興味は異性=女性タレントの方に移っていったから、その気持ちも冷めました。時々「いいな」と思える曲はあっても「曲が好き」ただそれだけ。特に80年代半ば以降はヒットも出なくなっていったので、徐々に「かつて夢中になったこと」さえ忘れてしまっていました。
それが1990年代半ば、社会人になった頃に偶然、彼の全盛期の曲が流れているのを聴いて、「懐かしいな」と思って1970〜1980年代半ばまでの全盛期の全シングル曲の収められた3枚組ベスト盤を購入。単に「懐かしい気持ちに浸りたい」だけの気持ちで買ったんだけど、ロック・ファンが板についてしまっていた当時の私の耳にすら、「滅茶苦茶カッコいい」と思えました。歌謡曲調の曲でも、エレキ・ギターを中心としたバック・バンドがついているから、サウンドは「ロック」に聴こえるし、彼の歌も「歌謡曲の歌手」じゃなくって、明らかにロック系のボーカル。やっている曲も、その時々の流行を巧みに採り入れていて、「歌謡界の人」というより、「アーティスト」として素晴らしいと思った。それに歌っている姿がなくっても、なんともいえないオーラが漂っていて、物凄い存在感。阿久悠の書いた、あり得ないほどに気障な歌詞の世界も凄いけど、それを歌いこなしているっていうのも凄い。「当時は子供だったから気がつかなかったけど、この人って実は凄い人だったんだなあ」と再評価したものでした。なので、そのベスト盤を購入して以降の私は、彼のことを単に「昔好きだった懐かしいタレント」ではなく、「素晴らしいアーティスト」として、あの頃以上に高く評価してきた。
そして昨年1月に新パソコンを購入してYou Tubeで、久々に往年の彼の映像をあれこれ見てきました。「昔好きだった人の映像を見る」と、「懐かしいな」だけで終わる人、「あの頃はあんなに憧れたのに、今見るとガッカリ」という人も多いんだけど、この人の場合、「凄い、こんなに凄かったのか!」と、感動や衝撃の連続。もちろん90年代にベスト盤を聴いて、「実は凄い人だったんだな」と再評価はしていたけど、音だけじゃなく、歌っている姿、動いている姿を実際に目にすると、もう「再評価」どころじゃない。本当に「凄い!」「カッコいい!」とばかりに、興奮を抑えられないほどの衝撃と感動でした。まあ、もともと衣装とか、パフォーマンスとか、「見せる」部分でのアピールも大きい人ではあるんだけど、そうした部分がプラスされると、その魅力が10倍、20倍にも感じられた。レコードよりも、テレビ番組やライブでの「生歌」の方が遥かに声がよくって歌も上手く聴こえるっていうのも奇跡的。そして、存在感とオーラも、ただ「歌を聴いている」時の数百倍にも感じられた。
「懐かしい」というより「凄いものを見てしまった」という感じ。いや、この人ってこんなに凄かったのか!! どの映像がよかったか? あんまり映像に直接リンクを張りたくないので、曲名を挙げるだけにしますが。具体的には、やはり小学生の時も大好きだった「サムライ」のパフォーマンスのカッコよさ、美しさ、オーラには、思わず鳥肌が立った。「好きになったきっかけ」の曲「勝手にしやがれ」、ニューウェイブに接近した「おまえにチェックイン」「晴れのちブルーボーイ」、和製ロカビリー「おまえがパラダイス」あたりは、リアルタイムでも大好きだったので、今でも見ていると夢中になる。「映像を見て再評価」したのは「カサブランカ・ダンディ」。いや、この曲の気障で、ちょっといかがわしいところなんて、実は最高のロックン・ロール・ナンバーだし、彼のロックン・ローラーっぽいところが出ていてよい。実はリアル・タイムでは、それほど好きではなかったんだけど。
そういえば、この人って今年「還暦記念コンサート」とかっていうのをやったとのニュースを聞いた。正直、今の彼はルックスが変わってしまったし、歌声も若干変わってしまったし、だから今現在の彼の活動自体にまで注目したいという思いは薄い。だけど「現役」に拘って、毎年新作を出し、ツアーも行っている様子。その姿勢だけは変わってないんだなとは思うけど。とはいえ、70年代〜80年代半ばの彼には、他の誰にも持ち得ない存在感とオーラがあったと思うし、特別だったと思う。その時代の映像を見ていると「懐かしい」なんて思えない。何度も何度も同じ動画を見返しているにもかかわらず、いつも衝撃と感動の連続です。
■2008/12/11 天使のウインク、天使の歌声(松田聖子再評価) 先日書いた「ある2名」の一人が前回の沢田研二、残るもう1名が実は松田聖子。以前書いた「シリーズ、私はこんな曲が好きだった」の中でも触れたとおり、私が小学校6年だった1980年(昭和55年)にデビュー、私にとって「はじめて『異性』を意識して好きになったタレント」だった。最初に注目したのはセカンドシングルの「青い珊瑚礁」が出た直後で、その時点ではまだヒットしていなかったけど、むしろそのルックスや仕草などに今まで感じたことのなかった「恋愛感情」(今思えばガキっぽいものだったけど)のようなものを抱いて、以降はテレビ欄をチェックして、彼女が出演する番組はほとんどすべて見ていたもの。正直「嘘泣き」や「ブリッ子」までをも支持していたわけではなかったし(むしろ嫌だった)、もともとポスターやブロマイドを持つ習慣は(今現在もだけど)全くないから、そうしたものは持っていなかったし、曲も「エアチェック・テープ」で聴いたていただけでレコードも買わなかったので、「ファン」とまではいえないでしょうけど。一方で、当時は彼女自身のキャラクターやルックスばかりに目を奪われていて「歌手」として正当に評価していたかといわれれば、実はそうでもない。「アイドル=ルックス先行で歌が下手」というイメージが私だけじゃなく、世間一般でもあったから、勝手に「歌はあまり上手くない」と思い込んでいたし、曲も聴いてはいたけど「好きな歌手が歌っているから」という理由だけで聴いていたような気がする。2年目に出た大瀧詠一作曲の「風立ちぬ」は曲自体も好きだったけど。だから1982年初頭に彼女が髪をバッサリ切った時点で簡単に気持ちが冷めたし、同時に1982年は女性アイドルのデビュー・ラッシュの年だったので、むしろそちらの方に目移りして、完全に気持ちが離れてしまった。一応、1985年の最初の結婚までは評価していたけど、出産→復帰以降のこの人はむしろ「嫌いなタレント」になってしまったので、今では「1985年以降は別人」と思うことにしている。「1985年に神田正輝と結婚、引退して今は人前に出て来なくなった。今活動しているのは『2号』」だと・・・(笑)。
そして昨年からYou Tubeで往年の彼女の映像を見た。最初は沢田研二同様「昔を懐かしむ」くらいの軽い気持ちで。特に「昔好きだった『異性』」を今見返すと「何で好きだったんだろう」と思うことが多いから、期待は全くしていなかった。ところが、最もはまっていた1980〜1981年頃の映像を見ると、「今見ても十分可愛い」と思えることに驚いた。存在自体に華があるし、デビューして間もないのに貫禄すら漂ってる。そこにいるだけで空気が変わってしまうかのよう。でももっと驚いたのは「信じられないくらい歌が上手い」という事実。先も述べたとおり、当時も「好きだけど、歌は上手くない」と勝手に思い込んでたんだけど、声がきれいで、よく伸びるし、力強い。「ハイトーン」「甘えたような声=キャンディ・ボイス」というイメージはあったけど、そういう声質の人って、声が弱々しくって線が細いことが多いし、彼女もそうだと思ってた。でも、軽く、サラッと、何気なく出している声が、澄み切った本当にきれいな声であると同時に、全くかすれたり、上ずったりせずに、「天に突き抜けていく」ほどの力強さがある。「チェリーブラッサム」や「夏の扉」などのアップテンポな曲にそれが顕著。しかもレコードよりも生歌の方が数十倍にも力強いんだから驚く。同世代には同じくらい歌の上手い人(岩崎良美等)は何人かいるけど、これだけキャラクターに華があって、その上歌が上手いという「両方そろっている」人は皆無だろう。まあ、私自身もガキだったから仕方ないけど、ルックスに目を奪われるあまり「歌手としてのとてつもない実力」に当時は気がついていなかったことを悔しく思った。
さらに当時は「冷めてしまった」1982年以降の曲を今改めて聴くと、もう「アイドル」なんて枠では括れないほど、音楽的にもレベルの高い楽曲ばかりだったんだということに驚いた。もちろん作詞は松本隆が担当、作曲は曲によって松任谷由実、財津和夫、大瀧詠一、細野晴臣、佐野元春、尾崎亜美らロック、ニューミュージック界の大物が携わっていることは、当時から話題になってたから理解はしていたけど、「こんなレベルの高い曲を歌ってたんだ」とか、「アレンジがほとんど洋楽と同レベル」とか、新たな発見の連続だった。「シリーズ、私はこんな曲が好きだった」の1983年編の中で「この年のこの人は全体に地味な曲が多かった」だの「パッとしなかった」などと書いているけど、当時まだ中学生のガキだった私の耳には「高度すぎて理解できなかった」んだろう。そういえばこの頃、普段は洋楽ばっかり聴いていて、邦楽を見下していた同級生の中に、なぜか彼女の(シングルではなく)アルバムが出るたびに買っていた奴が何人かいたっけ。その「高度な曲」を難なく歌いこなしている彼女のボーカリストとしての実力も、改めて凄いと思う。デビュー当初ですら凄かったのに、それ以上に歌が上手くなっているし、低音がハスキーになったことによって、高音の美しさがより際立つようになったし。まだ20歳そこそこなのに・・・。ある意味、この時代の彼女はボーカリストとして神がかっている。特に「ただ地味で暗いだけの曲」と思っていた「小麦色のマーメイド」「瞳はダイヤモンド」の完成度の高さには衝撃すら受けた。
ということで、この人の場合「懐かしかった」とか、「今見てもよかった」レベルではなく、「やっと本当のよさ、凄さを理解できた」といったところ。特にあまり注目してこなかった1982年以降の映像は、新鮮な気持ちで見ているので「昔を振り返っている」という感じではない。よく考えればCDは1枚も持ってないけど、「アイドル」というイメージや、最近のこの人のことを考えた時、どうしても躊躇してしまう・・・。とはいえ、今の私のこの人への再評価はルックス云々じゃなく、そのボーカリストとしての実力に対する再評価。「アイドル」なんてレッテルを貼られたせいで、実は損をしてたんじゃないか。「実力派シンガー」としてデビューしていたら、もっと売れていたかも。この人はカレン・カーペンターあたりと並び評したとしても決して過大評価ではないくらいの、唯一無二の美声を持った、素晴らしいボーカリストだと思う。ただ、やっぱり1985年まで。それ以降のこの人は「魔法が解けた」状態。今はともかく、一応1990年代初頭までは声質も大きくは変わっていないけど、85年頃までのオーラは既に消えていると思う。やはり復帰後は今後も「2号」だと思うことにする(笑)。とはいえ、やはりデビュー〜1985年頃までのこの人は「特別な存在」だと思う。事実You Tubeには、当時を知らない10代、20代の人や、海外の人からも絶賛のコメントがつけられていることがそれを証明している。
■2008/12/26 とり急ぎAmazing Journey というわけで、やっと見てきました、ザ・フーの映画Amazing Journey。「ここでは音楽ネタは書かない」のが基本ではあるけど、1回見ただけでは「レビュー」と呼べるほどの、きちんとした文章は書けないので、敢えてここで。
「音楽気分=ロック気分が減退している」云々抜きに見ても、純粋に感動しました、よかったですと言えます。いや、「ロック気分が減退していた」ことすら忘れるほど感動しました。ひょっとすると、先月の来日公演以上に感動したかも。というより、来日前に見ておけば、来日公演ももっと感動的だったろうに・・・。
まずデビュー当初「ドラッグの使用を巡ってメンバーの対立が起こり、ロジャーがあわやクビになりかかった」エピソードに関して、はじめてメンバーのきちんとしたコメントが聞けたのが興味深かったです。かつてピートがロジャーと対立していた頃は、この件に関しては「悪者はロジャー」という論調が多かったんですが、ちょっと違ったニュアンスで・・・(ネタバレになるので、敢えて深くは書きませんが)。実はロジャーって「変人だらけ」のバンドを、自らを犠牲にして守ろうとした人だったのかなと。
一方で1989年の再結成に関しては、ほんの少ししか言及されていなかったり(ひょっとして、なかったことにしたいのか?)、1996年のロジャー主催の「四重人格トリビュート・ライブ」に対して、当時はあんなに否定的で辛辣な発言を繰り返していたピートが、今回は理解を示すような発言をしているあたりは、「おいおい」って感じですが、でもまあ、そこもピートらしいといえばピートらしいかなと(笑)。それと2001年の「コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ」、あのライブをU2のエッジ他が大絶賛してたけど、私もあの映像を当時始めてテレビで見た時、「往年のザ・フーが帰ってきた!!」と感動して、テレビの前で思わず感涙したことを思い出したりもした。
とまあ、語れば語りつくせないけど、THE KIDS ARE ALRIGHTが「ザ・フーの魅力を浮き彫りにする」映像作品だとすれば、これは「ザ・フーの歴史を追う」ヒストリーものといったところ。ただ、ビートルズのアンソロジーですら、あれだけ長大なんだから「もっと時間が長くてもいいのかな」という気がしないでもない。でも「長くなりすぎる」とだれるだろうから、これくらいが丁度いいのかな、という気もします。「1回しか見ていない」けど、THE KIDS ARE ALRIGHT同様、手元において、何度でも繰り返し見たい、そんなとても素晴らしい映像作品だと思う。一刻も早いDVD化を期待したいところです。それと、まだDVDが普及する前、デビュー30周年を記念してビデオで発売されたザ・フーのライブ映像集THIRTY YEARS OF MAXIMUM R&B LIVEも早くDVD化して欲しいところ。AMAZING JOURNEYは、どうしてもライブ映像は出てきても、完奏されないものが多いから、そのあたりに不満を感じるという人には、これをぜひ見て欲しいんだけど・・・。
それと、映画館に行ったのは実に約20年ぶりのことでした。「最近の映画館はスクリーンがきれいで音もよい」という噂だったんだけど、100人も入らないようなこじんまりとした映画館(しかも観客は20人足らず)だったので、あまりそういう実感はありませんでした。ただまあ、逆にそんな環境だったから、落ち着いて静かに見ることができたので、結果的にはよかったのかも。
■2009/12/30 ルースターズ再結成ライブ 実は昨日、ライブに行ってきました。福岡サンパレスで行われたルースターズのオリジナル・メンバーによる、「1日限りの」再結成ライブ。そんなライブが行われるという事実を知ったのは、確か10月頃。「音楽気分」から遠ざかってしまっていたから、「行くべきか、行かないべきか」随分迷ったんだけど、2004年のフジロックでの再結成がザ・フーの初来日と時期が被ってしまって断念したという過去もあったし、音楽シーンに復帰以降も、決して大江慎也の体調は万全ではないようだし、時々一緒に活動はしているとはいえ、ルースターズ名義のライブは最後になるかもしれないということもあったしで・・・。昨年のザ・フーの初単独来日同様、「見ておかなきゃいけないんじゃないか」という気持ちに負けて、11月にチケットを購入していたというわけ。ただ、全然「音楽気分」にはならないし、「こんな気分のままで足を運んで大丈夫かなあ」と心配しつつも、参加してきたというわけです。
始まる前は、相変わらずの「新参者ファンの俺が参加していいのか」という気持ちと「音楽気分の抜けきった俺が参加していいのか」という気持ちが入り混じっていて、なかなか会場に足が向かず。開場の18時半になってようやく会場に向かい、開演15分前の18時45分に席に着くという、私にしては「時間ギリギリ」の行動。席は1階の後方。ただ、以前参加したロックンロール・ジプシーズや大江慎也のUNのライブの時と違い、ちょっと大きな会場だし、本当に「1回きり」で「全国ツアー」ではないからか、「コアなファンばかり」という感じじゃなく、20代前半くらいの観客がいっぱい。私以上の「にわかファン」っぽい人が多い。だからなのか、会場は少し冷めた空気。隣にいた20代の2人も「ほとんど曲、知らん」とか言ってたし、後ろに座っていた女性2人組も「最近の活動は知らん」とか言っているし。いざライブがはじまっても、前の方は盛り上がってたけど、私の周辺はそうでもない。隣の2人組は終始腕組みして突っ立ってるだけだし・・・。本当のコアなファンは、前方にいたようで、前方と後方では盛り上がり方が全然違ってた。
選曲は意外と渋め。代表曲ともいえる「恋をしようよ」「Let's Rock」「CMC」などは演奏されず、カバー曲も多いし。しかもアンコール2回含めても1時間半足らずの短いステージ。MCすらほとんどないし。まあ、普段からコンスタントに活動しているバンドなら、こういう構成でも理解できなくないけど、「一夜限りの再結成」というイベントなのに、この地味で、シンプルで、短いステージ構成は一体・・・。なので「あっという間に終わってしまった」「これから盛り上がろうと思っているうちに終わってしまった」という印象。ちょっと残念だった。ただ、池畑がドラムを叩くSad SongとI'm Swayin' In The Air(いずれも彼の脱退後のナンバー)は貴重だったし、大江の最新ソロ作から2曲演されたのも意外だった。まあ、「再結成ライブ」といっても、実は地元バンドがいっぱい参加するイベントの「第2部」という形でのライブだから時間も限られていたんだろうし、大江も本人のブログでも告白している通り、体調が万全というわけでもないので、まあ、仕方ないかな、という気もする。そのわりにはUNの時のように酸素吸入したりすることもなく、元気に歌い、ギターを掻き毟るように弾き続けていた大江の姿を見ると「元気で安心した」というのも正直な感想だった。大江の声質が変わったことを知らなかった人もいたようで、「声を聴いてガッカリした」なんてほざいてる奴もいたけど、UNの頃と比較すると本当に元気だった。「よく倒れずに最後まで頑張った」などと言っている40代後半の男性3人組がいたけど、私も同じ思いだった。
一方、私はというと。「音楽気分が盛り上がらないままでの参戦」だったことを思えば、意外と楽しめたと思う。ライブの最中は「自分が音楽気分から遠ざかっている」ことは完全に忘れてのめりこんでいたし、少なくとも昨年のザ・フーの単独来日公演よりは、のめりこんで見ることが出来た。ライブに参加している、その瞬間だけは、完全に「ROCK'N ROLL PEOPLEの☆TAKE」に戻って、純粋に楽しんでいた。それと、やっぱり彼らが私と同じ、「北九州人」だからなのか、彼らの叩き出すリズムは、自分が「音楽気分かどうか」とは無関係に、実に気持ちよく、心地よく思われた。特に池畑のドラム、本当に最高だと思った。彼の叩くリズムに身をゆだねているだけで実に心地よい。久々に音楽を満喫し、楽しむことが出来た。時間は短かったし、セットリストは地味過ぎるし、「一夜限りの」というイベントとは思えないほど「そっけない」印象。でも、「観客に媚びない」この姿勢もまた、彼ららしいなと思う。
ひょっとすると、私の「音楽気分」は、しばらくするとまた遠ざかってしまうかもしれない。でも、いい時間を過ごすことができたし、とても満足している。それと「音楽を楽しむにはCDよりライブ」だな。「音楽気分」にならなくっても、ライブには今後も参戦し続けようと思う。「音楽気分」から遠ざかっても、やっぱり私は音楽ファン=ロック・ファンに変わりはないんだということを再認識した。
■2010/8/14 海のYeah 以前から書いている通り、私がビートルズ→60,70年代ロックにはまったのは1987年、19歳の頃。それ以前はずっと流行りもの邦楽ばかり聴いてきました。そのあたりの遍歴や、具体的にどんな曲が好きだったのかは以前「私はこんな歌が好きだった」なんてものを書いたので(詳細はこちら)、そちらを参照していたければと・・・。その中でも触れているけど、あの頃はあくまでも曲単位で音楽を聴いていたので特別誰のファンだった、ということもないし、あちらで思い入れを述べている歌手やアーティストのCDもほとんど持っていなかったりします。近年はむしろ、You Tubeで当時のヒット曲を歌ったり演奏したりしている歌手、アーティストの映像を見ることで、当時を懐かしむ機会は多くなっていますけど・・・。
そんな中、今年の5月頃から頻繁にYou Tubeで見る機会が多かったのがサザンオールスターズ。私にとって彼らは決して「もの凄く好き」という存在でもなかった。ただデビューからずっと、常に身近なアーティストだった。小学校4年生だった1978年にデビュー。「ザ・ベストテン」でよく見かけたけど、いつもおちゃらけてばかりだったので「馬鹿バンドが出てきた」「すぐに消えるコミック・バンドだろう」くらいに思っていたけど、その存在は異彩を放っていたもの。それが翌年の「いとしのエリー」のヒットで「へえ、意外とやるな」と。1980年代に入ると同時に失速、同時期にゴダイゴやツイストもヒットが生まれなくなっていったから「時代が変わって終わった人たち」と思っていたのに、「チャコの海岸物語」で突然再ブレイク。その後の1982〜1985年、私が中高生で最も多感だった時期にヒットを連発していたから「いつも身近に曲が流れていた」「常に自分の生活に密着した、身近な場所にいるバンド」だったので「好き、嫌い」を考える以前の、あまりにも身近な存在だった。1986年、高3の年だけは活動停止して、桑田はKUWATA BANDで活躍していたので、この年だけはKUWATA BANDだけど、中学、高校を通じて、常に身近で・・・。1987年に洋楽ロックに「浮気」してからは、流行もの邦楽をその反動でわざと遠ざけていたけど、桑田の書く曲には実は60,70年代の洋楽のテイストがあることに気がついたこともあって、「なぜか嫌いになれない」アーティストだった。90年代に入って就職、以前から書いている通り「流行りもの邦楽に囲まれた生活」を余儀なくされた頃も、90年代以降にブレイクしたアーティストに混じって、サザンの曲がチャートに入って、ヘビーローテーションされているのを聴くと、なぜか安心できたものでした。・・・という風に、本当にデビュー以来、ずっとずっと常に身近な存在だった。でも不思議なことに、CDを1枚も持ってない。「とりあえずベスト盤だけでもいいから手に入れて聴きたい」そう思ってブックオフに行ったら、1998年に発売されて爆発的に売れた2枚組ベスト盤「海のYeah」を見かけたので思わず購入してしてしまいました。
2枚組で30曲入り。まあ、知らない曲は1,2曲しかないし、嫌いな曲も1曲もないので、あっという間に聴き終わりました。どの曲も「お馴染みの曲」ではあるけど、CDを購入して聴くのははじめて、つまりまとめてこれだけの曲を聴いたのもはじめて。今更「いい曲が多い」とか、「新しい発見があった」とか、「懐かしかった」とか書くと当たり前すぎるけど、いや、それしか言えません(笑)。特に「私はこんな曲が好きだった」の1985年編(詳細はこちら)でも述べている通り、特別な思い入れのあるBye Bye My Loveを聴くと、当時の気持ちを思い出して感傷的になってしまいました。とはいえ、これだけキャリアが長い上、ヒット曲も多いアーティストなので「あの曲がない、この曲がない」を言い出すときりがないのかもしれないけど・・・。そのBye Bye My Loveと同時期のヒット曲で、これまた思い入れの強いMelody、中学生の頃のヒット曲で、むしろ歌詞が今聴いた方が胸に迫ってくるYa Ya、邦楽を遠ざけていた80年代後半のヒットながら、60年代のブリティッシュ・ロック風で「さすが、分かってるな桑田」と感心させられた「フリフリ65」・・・他にも、あんな曲やこんな曲が入っていないのが残念。思わず「もっと聴きたいから、他の編集盤(バラッド・シリーズなど)も探して購入したい」気分になってしまいました。あと、高3の夏を思い出してしまうKUWATA BANDも・・・。
といっても、私の「サザン再発見マイブーム」は、You Tubeで昔の動画を見たのがきっかけ。決して桑田の癌闘病報道の影響ではありません。とはいえ、私がマイブーム状態になった直後の報道だったのでショッキングでした。サザンは活動を休止しているし、なんとなく再集結は難しそうだし、1998年のTSUNAMIを聴いたとき「真夏の果実」にソックリと思って感心しなかったし、21世紀に入ってからの楽曲は明らかに往年の輝きを失っていると思っているというのも正直な気持ち。でも、デビュー以来常に自分の身近にいたアーティスト。おそらく「私はこんな曲が好きだった」で述べている歌手やアーティストのうち、最も長くリアル・タイムで思い入れを持って接してきたのはサザンだけだと思います。桑田氏の回復と復活を心から願っています。
■2010/8/20 あんなに憧れたレコ屋が消えていく 新聞を見ていた時、思わずこんな見出しに釘付けになった。「HMV渋谷店閉店」。近年は「音楽気分」がすっかり遠のいてしまい、レコ屋に行くこともほとんどなくなってしまったけど、思わず寂しい気持ちになったし、同時に「俺がロックに夢中になっていたあの頃が過去になってしまうんだなあ」という想いも湧いてきて、とても複雑な気分になりました。実は渋谷はあんまり馴染みのない場所だし、HMV渋谷店に行ったのって、せいぜい5,6回程度でしかないので、特別思い入れがあるわけではないけど・・・。
私が「ロック・ファン」になったのが1987年、19歳の頃で、その後数年の間ずっと60,70年代ロック一筋だったとういことは、ここに何度も書いてきた通り。ちょうど予備校生〜大学生の頃、1987〜1991年頃が、その「ロック一筋」がピークに達していた頃といえます。当初は輸入盤の存在すら知らず、福岡県内の外資系のレコ屋といえば、福岡市にあったタワーレコードKBCのみでした。その店ではじめて輸入盤の存在を知ってカルチャーショックを受けたわけだけど、同時に「東京にあるタワーレコードは遥かに規模も大きくて在庫が多い」「HMVやヴァージン・メガストアという外資系の店もある」「外資系ではないけど、西武系のWAVEという店もある」という情報を得て「さすが東京は凄いなあ、そんなレコ屋に行ってみたいなあ」という憧れも。しかもHMVやWAVEは、ただ「流行ってる音楽を売る」だけではなく、「次に流行りそうなものをいち早く紹介したり、逆に流行を自ら生み出したりと、情報発信的な販売も行っている」ことを知って、さらに驚くやら憧れるやら。
なので1991年にポール・マッカートニー来日公演で上京した際にはじめてそうした店舗を訪れたときは、嬉しくて仕方がなかったもの。「売れているもの」だけでなく、「その店舗独自のお勧め」を大量に陳列していたり、店舗内にDJブースがあって、そこでCDをかけながらDJがしゃべっていたりとか、店舗内でイベントが行われていたりとか・・・。すべてがカルチャーショックでした。さらに1992年には就職して、最初に関東に配属になった際も、休みの日はいつも、そうした店舗に足を運んでいたもの。もちろん買い物もしたけど「ただ見ているだけ」「ただ店舗の中で過ごすだけ」でも楽しくって、時間を忘れさせられました。90年代半ば頃には、どこの街にもそうした店舗があって当たり前になったので、最初の頃に感じた物珍しさはなくなっていったけど、それでも私にとっては「最高に楽しいスペース」であり続けました。個人的には90年代初頭はヴァージン・メガストア新宿店、池袋WAVE、HMV池袋メトロポリタンプラザ店によく通っていたもの。90年代後半に再び関東に戻って以降はHMV新宿サウス店、HMV数寄屋橋店が行きつけだったもの。今はこのうち、何店舗が残っているのやら・・・。
とはいえ「音楽はダウンロードして聴くもの」になり、「最新情報を発信する」役割も完全にインターネットに奪われた今、「音楽ソフトを売るだけではなく、新しい流行をいち早く紹介したり、流行を生み出したりする情報発信基地」だったそれらの店舗が閉店していくのは、致し方ないのかな、という気はします。もちろん、個人的には寂しいことですけど。特に90年代初頭に、まだああした店舗が新鮮だった頃は、連日どこの店舗も満員で、CD棚の前で他の客を掻き分けながらCDを物色していたものだけど、21世紀に入った頃から、どこの店に行っても意外と閑散としていたもの。自分自身がどんどんロックにはまっていった、そんな頃に急成長したそれらの店舗がなくなっていくというニュースを聞くと、ますます「俺がロックに夢中だった頃がますます遠くなる」様な気分にさせられてしまいました。
■2010/12/17 シリーズ、私はこんな曲が好きだった:1975〜1977年編、その後 昨年末からケーブルテレビで、フジテレビ系のCS局であるフジテレビのONEとTWOの2つのチャンネルが視聴可能になりました。そして同局で放映されている往年の人気歌番組「夜のヒットスタジオ」をずっと見てきました。昨年末に視聴可能になった頃はちょうど1975年(昭和50年)の放送分が放映されていて、それから1年後の現在は1978年(昭和53年)年明けあたりの分が放映されています。「権利の関係」とかで放映できない歌手(山口百恵やピンクレディ)の出演回が飛ばされているので、1年放映されて丸3年分進んでいるわけですが・・・。
しかし以前ここで「シリーズ、私がこんな歌が好きだった」というものを書いて、その「1975〜1977年編」でも述べてきたとおり、この時期は私の42年の人生の中で「最も音楽から遠ざかっていた時代」。父は歌番組が嫌いだったし、私自身は歌への興味はあったものの、小学生だったこともあって子供向けの番組やバラエティ番組優先でテレビを見ていたので、歌番組を最も見ていなかった時期。ドリフの番組や「見ごろ、食べごろ、笑いごろ」などのバラエティ番組で「ゲストの歌コーナー」くらいでしか当時のヒット曲にリアル・タイムで触れる機会がありませんでした。リンク先の1975〜1977年編では一応、リアル・タイムで好きだった曲名を挙げて語っているけど、最も記憶や思い入れが薄い時期。でも、だからこそこうやってまとめて当時の「夜ヒット」を見ると、新しい発見も多かったです。
リアル・タイムでも好きだったけど、今、改めて見るとより魅力的に感じられた人たち
・沢田研二
「勝手にしやがれ」「憎みきれないろくでなし」(ともに1977)あたりでの神々しいまでの存在感は、You Tubeで見て再評価した件でも述べたけど、やはりパソコンの画面で見るのと、テレビの画面で見るのとでは全然違う。テレビの前で鳥肌が立つほど感動した。一方で「コバルトの季節の中で」や「さよならをいうまでない」などを歌う姿はほとんど初見で新鮮でした。しかしこの人の存在感って唯一無二。日本を代表するエンターティナーだと思う。
・西城秀樹
どちらかというとオーバーアクション系の歌ばかりがリアル・タイムでは好きだったけど、この時代の最高傑作は「若き獅子たち」。この曲、一応覚えてはいたけど、子供には地味な曲にしか聞こえなかった。だけど、ドラマティックに歌い上げる感動的なバラード。こういう曲を20代前半の人が歌っていたということに驚き。これまた感動もの。
・キャンディーズ
まあ、歌番組以外でもお馴染みの人たちだったので、大半の曲は覚えていました。リンク先では「哀愁のシンフォニー」が最高傑作だと書いたけど、その印象は変わらず。でもリアル・タイムでは特別好きでもなかった「夏が来た」と「暑中お見舞い申し上げます」の2曲のサマーソングの爽やかさに引き込まれました。こんなに清楚で爽やかな曲を歌いこなせる女性シンガーなんて、他には皆無でしょう。特に前者の曲、あまりヒットしていなくってリアル・タイムでも覚えていませんでしたが、とても好きになりました。
リアル・タイムでは思い入れはなかったのに・・・
・桜田淳子
正直、リアル・タイムでは「デビュー当初は鼻声が嫌だった」「20歳過ぎ頃から中島みゆき作の暗い歌ばかり歌っていて好きではなかった」人。でも1975〜1977頃の彼女って、明るく爽やかでピチピチした典型的な清楚系アイドルという感じでとても華やか。少なくともこの頃までなら山口百恵よりも華やかで人気もあったはず。確か5歳年上の従兄弟もファンだったし・・・。特にミニスカで明るい笑顔で「夏はご用心」を歌う姿はまさにトップアイドル。もしも当時の私が「異性」を意識できる年齢だったら、確実にファンになっていたかも。
・岩崎宏美
「若いのに歌が上手すぎて可愛げがない」「気が強そうで親しみにくい」というイメージでリアル・タイムでは好きではなかった人。特に「聖母たちのララバイ」などがヒットした1980年代以降はそういうイメージで・・・。ところが、この頃のこの人はまだ20歳前で、顔つきや表情はまだあどけなさが残っている状態。にもかかわらず、歌い始めると例の、全くかすれたり上ずったりしない、よく通る美声で堂々とした歌いっぷり。しかも当時歌っていたのは「ドリーム」「未来」などの、まだはつらつとしたアイドルっぽい曲。そういう曲をこの声で歌うアンバランスさ。「歌が上手い人」だとは思っていたけど、この頃のような曲を歌うこの人は悪くないなと。
・林寛子
今はともかく(笑)、「レッドビッキーズ」の女監督役などでもリアル・タイムで目にしていて「かわいい人だなあ」と子供心に思っていたもの。だけど、歌を歌っている姿は全然覚えてなかった。でも、ハスキーで色気のある声で悪くない。ちょっとムチムチした体系といい、異常に色気がある。でも顔は「カワイイ系」なわけで・・・。これって、今のグラビア系のアイドルの特徴そのまま。意外と今デビューした方が人気が出るのでは?
・岡田奈々
正直、私にとってはあまり歌手のイメージはなかった。もちろん、もともとは歌手だったのは知ってた。だけど私が熱心に歌番組を見始めるのは1978年からで、その頃にはもう女優になっていたし。囁くようなボーカル・スタイルだし、決してよく通る声質でもないので、歌手としては「大成功」とはいかなかったのは致し方ないかなとは思う。でも、ルックスだけならこの時代のアイドルでは文句なくNo.1では?「カワイイ」というより文句なしの美少女だし、ちょっとハーフっぽい顔つきなので、むしろ現代のアイドルやモデルに近い顔つき。今デビューした方が当時より売れるんじゃないか?まあ、「スクールウォーズ」などのドラマでも「美人だなあ」と思っていたけど、この頃はまだ10代、「絶世の美少女」といっても過言じゃないと思う。決して歌はうまくないけど「手編みのプレゼント」のような清楚な曲も、「らぶ・すてっぷ・じゃんぷ」のようなはつらつとしたアップテンポな曲も、キャラクターにあっているし、歌手としても決して悪くはないと思う。絶対、今デビューした方が人気の出そうな人。
・高田みづえ
「垢抜けないルックス」「気が強く毒舌」「他人の歌ばかりカバーする人」ということで、リアル・タイムではあまり好きじゃなかった。「垢抜けない」印象は変わらないけど、デビュー曲「硝子坂」を聴いてビックリ。新人離れした歌の上手さ。こんなに歌、上手い人だっけ?リアル・タイムでは気がつきませんでした。思わず再評価。
・郷ひろみ
父の「こいつ、歌下手やのう」の一言と、「西城秀樹のライバル」ということで毛嫌いしていた人。30歳を過ぎた頃から急に歌が上手くなったと思ってたんだけど・・・。いや、この頃から歌、上手いやん。デビュー当時は確かに下手糞だったのに、この頃には「並以上」レベルになってる。きっと、相当努力したんじゃないか。それに派手な衣装やダンス、パフォーマンスでも魅せてくれるし。沢田研二同様のエンターティナーだと思う。
リアル・タイムでは知らなかったけど、「いい曲じゃないか」
・あなただけを(あおい輝彦)
私にとっては「あしたのジョーの矢吹丈の声の人」「ドラマに出ている俳優」「元初代のジャニーズだったらしいけど、別に知らん」レベルの人。この曲も全く知らなかったわけじゃないけど、いや、改めて聴いていい曲だなと。この曲、好きになりました。同時に、楽しそうに歌い、踊る姿も、意外と歌手としてもカッコイイなと。
・思い出ぼろぼろ(内藤やす子)
名前は知ってるレベル。デビュー後、人気上昇中に不祥事で長期活動停止を余儀なくされて地味になってしまったらしい。しかし男性のようなハスキーで独特な声にビックリ。こんな歌謡曲っぽい曲じゃなく、R&Bっぽい曲を歌わせてみたい。そんな事件がなかったら「日本を代表するシンガー」になっていたとしても不思議じゃない声と歌唱力。もったいないなあ。
他にも、歌っている片平なぎさをきちんと見たのもはじめてかも。本人は「歌が下手だから歌手を辞めた」なんていってるらしいけど、いや、「スター誕生」出身ということで、むしろ上手い人だと思う。だけど、歌手としては華も、魅力もいまひとつかな、女優転身は正解かな。あと、全く知らなかったんだけど、メンバー全員が女性のロック・バンド、ガールズなんてのも登場。存在自体を知らなかったので「この時代にメンバー全員女性のバンドがいたとは!」と驚いた。ただ、歌っているのは「ロック」というより「ムード演歌」なのがなんとも・・・(笑)。
本当にリアル・タイムで歌番組を見ていなかった時代なので、なかなか新鮮な気持ちで見ることが出来ました。そしていよいよ私が「歌番組に最もはまっていた」時期といってもよい1978〜1980年の放送に突入。もう、「歌詞を見なくってもフルコーラスで歌える」歌ばかり。ここからは毎週見るのが今まで以上に楽しみです。
■2011/1/2 奇跡の3人組(キャンディーズ再評価) 気がつけば2年以上も前になってしまうけど、You Tubeで、最も邦楽ヒットチャートに夢中だった時代(1978〜1986年頃)の歌手の当時の映像を夢中で見ているということを書いたと思います。その中で「当時も好きだったけど、今改めて見てその凄さを再認識した」としたのが沢田研二と松田聖子でした。実はあれ以降も、その2人を含めて、往年の歌手、アーティストの映像をYou Tubeで見ることは、私の楽しみのひとつになっています。そんな中、最近はまって見まくっているのがキャンディーズ。きっかけは先日書いた通り、ケーブルテレビで放映されている70年代の「夜のヒットスタジオ」。そこで「自分が忘れていた曲」「リアル・タイム時は見流し、聴き流していたけど、今聴くといい曲だなと思った曲」があったので、改めてYou Tubeで見ているうちに、さらにはまってしまいました。
私が邦楽ヒットチャートに一番はまったのは「ザ・ベストテン」がはじまった1978年以降。でも実はキャンディーズが解散したのも1978年だから、この番組でチャートに入ったのは2,3曲のみ。だから「ザ・ベストテンが始まってすぐに消えたグループ」。そんなわけで、ヒット曲のエアチェックなどを始める前に消えたグループなわけで・・・。とはいえ、それ以前の1975年〜1977年には、私が夢中で見ていたバラエティ番組、「8時だよ全員集合」や「見ごろ、食べごろ、笑いごろ」のレギュラーだったから「お馴染みの存在」でした。あと、クラスの女子がよく物真似してたし。だから意外と1975〜1977年のヒット曲も馴染みがあったから、You Tubeで最初に映像を見た頃から「懐かしいな」という気持ちで見ていました。だけど先に述べた沢田研二や松田聖子のように、リアル・タイムで思い入れを持っていたわけでもなかったし、「懐かしい」レベルだったのも事実でした。ところが、今回ケーブルテレビの「夜ヒット」で見て思ったのは「こんなにレベルの高いグループだったとは」という驚きでした。
一昨年だったか、フィルム・コンサートを大きな会場で行ってファンが大集結したとか、テレビで大々的に特番が作られたとか、数年前にちょっと再評価された時期がありました。私は当時、幼かったから下手なことはいえないけど、リアル・タイムではそこまで評価されていなかったように思います。だからそうしたニュースを聞いた時「過大評価」だと思ったものでした。当時の女性のトップ・アイドルはあくまでも山口百恵や桜田淳子。ヒット曲も多かったし、真のアイドル=崇拝の対象だったと思います。逆にキャンディーズは、例えるなら「バラドル」みたいなものだったんじゃないか。「コントで馬鹿なことばっかりやってるグループ」「バラエティ番組やCMなど、常にテレビで見ることの出来る存在」。だから「スター」というよりは、もっと親しみやすい、身近な存在=「お茶の間の人気者」レベルのタレントだったと思います。一方で、当時のオリコン・チャートなどを見ると、実は1位になった曲はほとんどないし、ビッグ・ヒットも少ない。「しょっちゅうテレビで聴いていた」曲でも、実はトップテンにも入っていないケースもある。つまり、リアル・タイムでは「歌手」として評価されていたというよりも、「テレビ・タレント」としての評価のほうが高かったと思う。そして例の解散宣言。確かに「衝撃」だった反面、熱狂的ファン以外の間ではむしろ「無責任だ」「勝手すぎる」という批判的な声が多かったと記憶しています。事実、当時高校生で、彼女たちの大ファンだった従兄弟2名ですら「許せない、もう嫌いになった」と吐き捨てていたし、それまで真似していた同じクラスの女子も「これからはやっぱりピンクレディ、キャンディーズなんてもういい」と言っていたし・・・。よって、この数年の再評価ぶりを見ると「リアル・タイムではそこまでじゃなかったのに、何で騒いでるんだよ」と思っていたのも事実です。
でも、「夜ヒット」で当時の姿を大きなテレビの画面で見て、さらにYou Tubeで見直すと、「いや、再評価されてしかるべき」と思いました。確かにピンクレディのようにビックヒットを連発したわけでもない。でも実は「音楽的にレベルが高い」。まずバックの演奏がどの曲もファンキーだったり、ロック調だったり。「笑顔で可愛らしい曲を歌っている」のに、このカッコいいバックは一体・・・。楽曲のレベルの高さにまず恐れ入る。そして3人の声。ハモりが絶妙で、生放送のテレビでも、ライブでも乱れることがない。そしてユニゾン(全員が同じパートを歌う)も、3人の声の息がピッタリ。実は「ハモり」よりも「ユニゾン」のほうが難しいと私は思ってる。3人のうち1人でも歌唱力が劣っていたら台無しだし、息が合っていないとバラバラに聞こえるはず。ところが、それが一切ない。「3声のハーモニーとユニゾン」の素晴らしさでは、ジョン、ポール、ジョージにも匹敵するのでは? そして何よりも、そんな音楽的にレベルの高いパフォーマンスを、顔をゆがめたり、しかめっ面で見せる、聞かせるのではなく、爽やかな笑顔と、これまた息がピッタリの愛らしい振り付けで見せる、聴かせるあたりもなんとも・・・。そしてそんな人たちが、お馬鹿なコントをやっていたわけだから、まさに「奇跡の3人組」だと思う。リアル・タイムで人気ほど曲が売れなかったり、評価されなかったりしたのは、「テレビでしょっちゅう見ていた」「バラエティ・タレントと見られて音楽的に評価されなかった」せいなのかも。
「私はこんな曲が好きだった」や、先日の「夜ヒット」で特筆した曲ももちろんよいけど、デビュー当初、まだ田中好子がセンターだった頃の、あまり売れなかった曲にはまり気味。歌い出しからエンディングまですべてハモりからなる奇跡のデビュー曲「あなたに夢中」、ファンキーなヘビーロック「危い土曜日」に驚いているところ。この2曲もさっぱり売れなかったというのも信じられないところ。近年の再評価も「当然」「納得」といったところです。 事実、現在高校生、大学生の連中も、You Tubeで絶賛のコメントをつけているし・・・。
■2011/4/24 あなたに夢中・・・だったのに(田中好子死去) 何度か書いてきたとおり、今年の年明けからずっと動画サイトでキャンディーズの映像を見ることが「マイ・ブーム」と化しています。最初に過去ログにこんなもの(こちら)を書いたのは今年の1月。あの頃は毎日のように見ていたものですが、その後も2週間に1回程度の割合で1、2時間ほどキャンディーズ動画を見ています。それほどの「マイ・ブーム」状態の中、新聞を読んでいた時に衝撃的な記事が。「田中好子さん癌で急死」・・・。思わず絶句、でした。いや、今現在夢中で動画を見ているわけだから「過去の映像」「昔の映像」という感覚は全くなくって・・・。だから「あんなに元気なのになぜ?」と思ってしまうし。
ましてキャンディーズといえばブレイク後、伊藤蘭(ラン)がセンター、メイン・ボーカルになって以降の歌、姿しかリアル・タイムでは馴染みがなかったんだけど、1月以降はリアル・タイムではほとんど覚えていないブレイク前、つまり田中好子(スー)がセンターにいた頃の歌や映像の方を熱心に見ていたから尚更。ハイトーンでよく通る声、ボーカリストとしては3人の中では一番私の趣味だったし・・・。この人がセンターでメインボーカルを務める「あなたに夢中」「危ない土曜日」は特に年明け以降、繰り返し見てお気に入りでした。そんなこんなで「マイブーム状態」にあったキャンディーズの3人の中で、最も「魅力を再発見した」状態だったのがこの人。リアル・タイムで見ていた頃に思い入れがあったというより、今現在最も「気分」だった人が逝してしまった、というのは今までに味わったことのない類の寂しさを感じています。
ただ、リアル・タイム、つまり小学生の頃、キャンディーズが人気絶頂だった1976,77年頃のことを思い出してみる。まさに「子供から年寄りまで大人気」のグループだったので、当時小学校2,3年だったけど、クラスでも「3人の中で誰が好き?」なんてことがよく話題になっていたものでした。同級生の間で一番人気があったのはやっぱりセンターで、なおかつ華のある美人のランでした。私は従兄弟がとても多くて、幼稚園児〜高校生まで20人ほどいましたけど、その従兄弟たちの間でもやっぱりランが一番人気。亡き父は一番地味な藤村美樹(ミキ)が好きだといっていました。じゃあ、私はというと・・・。実はスーが好きだったことをふと思い出しました。いや、まだガキだったから「異性」として意識してではなかったけど、天真爛漫でいつも笑顔、健康的で明るく、人懐っこくって、親しみやすいところに魅力を感じていました。あと、「見ごろ、食べごろ、笑いごろ」の「鬼母ちゃん」のコーナーでも「3段落ち」の3番目、つまり一番美味しいところの担当で、「面白い」と思っていたし。正直、今見ると「ミキが一番タイプ」と思うけど、当時子供だった私はその「親しみやすさ」に惹かれていたのかもしれません。
解散後は長年CMキャラを務めた「揖保の糸」でお馴染みだったし、女優としてもドラマや映画で活躍していたので、女優になってからも「お茶の間でお馴染みの人」という印象でした。とはいえ、この人の出ているドラマや映画って不思議と縁がなかったんだけど、昨年ケーブルテレビで見た「ちゅらさん」(詳細はこちら)でヒロインの母親を演じていたことが最も印象に残っています。あの頃と変わらず、明るく、穏やかで庶民的、親しみやすくって優しい、そんな役柄でした。また、同じくケーブルテレビで放映されている「夜のヒットスタジオ」でも、「解散前日の最後の出演回」がつい先日放送されたばかり。解散コンサート前日の会場から、親衛隊数百人を前に「微笑がえし」を歌っていたけど、そこでも「みなさん、一緒に歌ってください」「皆さんの声が聞こえません、もっと大きな声で」と呼びかけて、煽っていた姿が印象に残りました。解散前日でもこの明るさ、同時にファンへの心配り、この人らしいなと思ったものでした。
というわけで、まさに今、最もマイ・ブームなグループ、しかもその中で最もマイ・ブームな人の急死。動画サイトで見る彼女はメンバーの中で最も明るく、元気なキャラなだけに信じられないものがあります。でも、よい歌、よいアーティスト、よいタレントはその歌、出演作品は永遠に残る。今後も私は動画サイトやケーブルテレビでそれらに触れることが出来る。だけど今後、そうしたものを見聞きする時に「でももう、このうちの1人はもういないんだ」という若干の痛みや寂しさを感じることになるんだろうな。そう思うとやはり悲しい。特にまだ若いだけに・・・。本当に残念で寂しいニュースでした。
■2011/7/24 音楽雑誌に夢中だった時代の終わり(中村とうよう死去) 「ミュージック・マガジン」の創刊者で音楽評論家の中村とうよう氏が79歳にして自殺・・・。私自身は「ミュージック・マガジン」の熱心な愛読者だったとは言い難いし、私がロックに夢中になりはじめた頃には「西洋的な音楽を否定して、ワールド・ミュージックを持ち上げる」文章ばかり執筆していた人だったので、特別思い入れがあったというわけでもない。だけど好き、嫌いに関わらず、なんとなく「心に引っかかる人」「無視できない人」ではあったし、一時期愛読していた「レコード・コレクターズ」の「発行人」として誌面に名を連ねていた人なので、「なぜ?」と思ってしまうし、「一時代の終わり」を感じずにはいられないニュースでした。
私がロックに目覚めたのは何度も書いてきたとおり、19歳、1987年、ビートルズに夢中になりはじめた頃。そこから一気に60,70年代のロックを「後追い」で聴き進めていったわけだけど、そんな私の音楽の嗜好に合う音楽雑誌は、ほとんど見当たらなかったもの。「ミュージック・ライフ」「クロスビート」「ロッキン・オン」・・・、当然といえば当然だけど、どれもリアル・タイムの音楽を大々的に扱っていたから、「後追い」の音楽ばっかり聴いていた当時の私の嗜好には「ピッタリ」とはいかなかった。中でも「ロッキン・オン」は、渋谷陽一氏が「リアル・タイムの音楽に関心を示さず、昔の音楽ばかり聴いている奴」に対して否定的、攻撃的だったから、私自身も毛嫌いして遠ざけていたし・・・。
そんな中、1990年末だったと思うけど、ジョージ・ハリスンの来日に合わせて「ジョージ・ハリスン特集」を展開している地味な雑誌を発見。手にとって見たところ、派手なカラー写真やミーハーっぽい文章が一切なく、音楽性を深く、コアに掘り下げ、全アルバムのレビューを掲載するなど良く言えば「渋い、マニアック」、悪く言えば「学究的」な記事が満載。思わず購入してしまった。それが「レコード・コレクターズ」誌でした。おお、コレこそ俺が望んでいた「理想の音楽雑誌」。以降、自分の関心のないアーティストの特集の時以外は欠かさず購入するようになりました。
同時に、この「レコード・コレクターズ」には「ミュージック・マガジン」という「姉妹誌」があるらしい。ということで何度か購入しました。1991,2年頃からは「リアル・タイムの音楽も聴いてみたい」気分になっていたこともあるし・・・。やけにオルタナ系のロックが絶賛されていたりもするけど、記事の半分くらいがワールド・ミュージックの記事。うーん、思っていたのと違う。結局、数回購入しただけで購入しなくなったけど、その評論家の中で気になったのが、中村とうよう氏でした。
「ミュージック・マガジン」誌としては絶賛、プッシュしてるはずのオルタナ系のロックに低い評価を下す、「とうようずトーク」なるコラムの中で政治や社会まで語る・・・。音楽の趣味も、思想に関しても異常に偏った考え方の持ち主、口調もエラく攻撃的・・・。とてもじゃないが賛同できる文章じゃないし、むしろ「違うだろう」「ちょっとそれは・・・」な内容の連続。なのに、なぜか引き込まれてしまう、最後まで読んでしまう、この人の文章って一体・・・。特にボブ・ディランのトリビュート・ライブでの「シネイド・オコナーへのブーイング事件」に関して、なぜかディランやニール・ヤングを批判していたあたりに違和感を感じたものだし、音楽評論家なのに、イデオロギーを語りすぎるのもどうかと思ったし。だけど「賛同できない」「好きではない」のに思わず「読んでしまう」「心に残ってしまう」、こんな評論家は後にも先にも、この人だけでした。同じ「賛同できない」「好きではない」でも、渋谷氏の文章は途中で読む気がなくなってしまうのに・・・。先に述べた「心に引っかかる人」「無視できない人」というのは、以上のような理由からでした。
その後、「ミュージック・マガジン」誌の創刊者で、「レコード・コレクターズ」の発行人がこの人だということを知りました。他の雑誌にはない、よく言えば「渋い」、悪く言えば「学究的」なカラーは、実はこの人のものなんだと。「ミュージック・マガジン」はすぐに買わなくなったし、「レコード・コレクターズ」も1990年代後半になるにつれて、「音楽の中身自体を語る」ことよりも「音の良し悪し」「リマスター、リミックス」などについてばかり語る雑誌になったので、次第にTHE DIGに「浮気」して買わなくなった。だけど「後追いロック」を追求する中で、「レココレ」に受けた影響は大きかったと思います。私が購読するようになった頃には、中村氏は「発行人」として第一線を離れていたし、「ロック」を語ることも少なかったので、特に思い入れがあるわけではありません。だけど、少なからず間接的に影響は受けていると思います。それなだけに、多少の寂しさは感じるし、既に一線を退いていて、79歳になるわけだし、なぜ「自殺」?という思いも・・・。私の「ロックに夢中だった」時代の終焉を感じさせる出来事でもありました。
![]() トップ・ページに戻る |
![]() 前のページに戻る |