![]() トップ・ページに戻る |
![]() 前のページに戻る |
■2011/9/18 いい声(海外、男性編) 音楽を聴いていて「このボーカリスト、いい声だな」と思い、そのシンガーが好きになる。ロックに夢中だった頃って、ギターとか、ドラムとか、ベースとかの各パートや、バンド・アンサンブルにも注目して音楽に接していたけど、近年は「ロック離れ」してしまったせいか、「声」に魅了されて音楽を聴くケースが多くなったような気がします。「声=ボーカル」ってのは、変な話だけど、音波として耳に届くわけだから「耳に心地よい音=いい声」ってことなんだろう。ただ、私が「この人の声、いいな」と思ったとしても、世の中すべての人がそう感じるわけでもないだろうし、逆に私自身が聴いて「不快な声」とか「別に良くも悪くもない」と思っている声を聴いて、「素晴らしくいい声」と感じる人もいるはず。つまり「いい声」と感じるかどうかも、人によって個人差があるんだろうな。例えば「すりガラスを引っかく音」を聴くと寒気がするって人もいるけど、私はなんとも感じない。虫の声を聴いて「うるさい」という人もいれば、「いい声」という人もいる。それと同じかなと。
なんか、難しいことを書いてしまいましたが、4回に分けて、私が「いい声」と感じるボーカリストを挙げてみたいと思います。今回は「海外、男性編」。ただ、繰り返しますが、あくまでも「いい声」を挙げていくので、歌が上手いか下手かとか、やっている音楽が好きか嫌いかとか、その人のキャラクターまでひっくるめて好きか、嫌いかとかとは全く別次元の話。あと、音楽サイトでは昔から「好きなボーカリスト」なんて定番ネタがありますけど、今回はあくまでも「声がよいと感じる人」。「好きなボーカリスト」を選んだ場合、「ルックスが好き」「パフォーマンスが好き」「キャラクターが好き」「好きなバンドのメンバーだから」といった要素も入ってくるけど、今回はそうした要素は一切排除します。
ちなみに数字は1のみは「1位」、それ以下は順位ではありません。あと「この曲の歌声がいい」と私が感じる「代表曲」も併せて書き出してみます。
1.ジョン・レノン(ビートルズ→ソロ)
Anna、Bad Boy、Lonesome Tears In My Eyes、Hey Bulldog、Happiness Is A Warm Gun(ビートルズ)、Jealous Guy
2.スティーヴ・ウィンウッド(スペンサー・デイヴィス・グループ、ブラインド・フェイス他)
Gimme Some Lovin'、I'm A Man(SDG)、Presence Of The Lord(ブラインド・フェイス)
3.スティーヴ・マリオット(スモール・フェイセズ→ハンブル・パイ)
What'cha Gonna Do About It、Hey Girl(スモール・フェイセズ)、Black Coffee(ハンブル・パイ)
4.レイ・デイヴィス(キンクス)
Where Have All The Good Times Gone、Autumn Almanac、Holiday(キンクス)
5.ポール・ジョーンズ(マンフレッド・マン)
Pretty Flamingo、Come Tomorrow(マンフレッド・マン)
6.ヴァン・モリスン(ゼム→ソロ)
Gloria、One More Time(ゼム)、Crazy Love
7.エリック・バードン(アニマルズ)
House Of Rising Sun、Hallelujah, I love Her So、It's My Life(アニマルズ)
8.ロッド・スチュワート(ジェフ・ベック・グループ→フェイセズ→ソロ)
I've Been Drinking(JBG)、I Was Only Joking、People Get Ready9.デヴィッド・ボウイ
Starman、Drive In Saturday、China Girl
10.マーク・ボラン(Tレックス)
Metal Guru、Hot Love、Teenage Dream(Tレックス)
11.ジョージ・ハリスン(ビートルズ→ソロ)
Take Good Care Of My Baby、Savoy Truffle(ビートルズ)、What Is Life
12.デニー・レイン(ムーディ・ブルース→ウイングス)
Go Now、Bye Bye Bird(ムーディ・ブルース)、Again And Again And Again(ウイングス)
13.ブライアン・ウィルソン(ビーチボーイズ)
Don't Worry Baby、Your Summer Dream、Wouldn't It Be Nice(ビーチボーイズ)
14.エルヴィス・プレスリー
Blue Suede Shoes、I Want You I Need You And I Love You、Jailhouse Rock
15.ジム・モリスン(ドアーズ)
Break On Throuh、Light My Fire、Roadhouse Blues(ドアーズ)
16.ロジャー・マッギン(バーズ→ソロ)
Mr. Tumblin' Man、All I Really Want Is You(バーズ)
17.アル・ジャーディン(ビーチボーイズ)
Help Me Ronda、Then I Kissed Her(ビーチボーイズ)
18.ドン・ヘンリー(イーグルス)
Desperado、Best Of My Love(イーグルス)
19.デル・シャノン
Runaway、Keep Searchin'
20.ロイ・オービソン
Not Alone Any More(トラヴェリング・ウィルベリーズ)、Blue Bayou、Only The Lonely
21.ジョン・フォガティ(CCR)
Travelin' Band、Up Around The Bend、Long As I Can See The Light(CCR)
22.イギー・ポップ(ストゥージズ→ソロ)
No Fun、Search And Destroy(ストゥージズ)、Lust For Life
23.グスタフ・ノリアン(マンドゥ・ディアオ)
Sheepdog、Chi GA
24.ブライアン・セッツアー(ストレイ・キャッツ)
I Won't Stand In Your Way、Sexy And 17、Town Without Pity
25.リック・ネルソン
Hello Mary Lou、Lonesome Town
26.ルー・リード(ヴェルヴェット・アンダーグランド→ソロ)
Sunday Morning、Run Run Run(ヴェルヴェット・アンダーグランド)、Walk On The Wild Side
27.リック・ダンコ(ザ・バンド)
It Makes No Difference(ザ・バンド)、Rainning In My Heart(リンゴ&オールスターバンド)
28.トニー・ウィリアムス(プラターズ)
Great Pretender、Smoke Gets In Your Eyes(プラターズ)
29.エルヴィス・コステロ
Accident Will Happen、Punp It Up
30.バディ・ホリー
Maybe Baby、Everyday、That'll Be The Days
「見ているのはロック・ファンが中心」と仮定すれば、別に一人ひとりに解説はいらないかなと。特に今回はロック・ファンには馴染みのある人ばかりだし。
なんといっても1.は不動。幼少の頃「ポンキッキ」の短いジングルとして流れてきた彼の声に衝撃を受けて、食事の手が止まり、思わず呆然としてしまった。今の私にも彼の声は時には「衝撃的」で「感動的」で、それでいて「心地よく」感じられる、そんな声です。おそらく私の感性や聴覚に、彼の声がピッタリな波長なのかもしれません。
それ以外のメンバーは「ロックファン」だった頃に出会ったボーカリストが大半。「美声」「ハイトーン」の人は少なくって、ちょっと鼻にかかった声や、ダミ声の人に惹かれる傾向にあるようです。ハイトーン系の、例えばポール・マッカートニーとか、ロバート・プラントとか、イアン・ギランとか、確かにボーカリストとしては好きだけど、私の考える「いい声=自分の耳にフィットする=快音と感じる」声とは違う。逆に4、5、12、16あたりを「いい声」として挙げる人は決して多くないんじゃないかと。「なんで?」といわれても、あくまでも「感覚」の問題なので、理由は私にも分らないし・・・。
あと、ミック・ジャガー、ロジャー・ダルトリー、ジョー・ストラマー、ニール・ヤングあたりは「好きなボーカリスト」を選べば必ず入ってくるけど、こと「声」だけで選ぶと外れてしまいました。
■2011/9/23 いい声(国内、男性編) 前回の「海外、男性編」はロック・ファンになって以降に出会ったロック系のボーカリストが中心になりましたが、「国内」ということになると大きく分けて、「幼少の頃、子供番組で聴いた声」、「邦楽ヒットチャートに夢中だった小学生〜高校生(1977〜1986年頃)の頃に出会ったヒット曲で聴いた声」、「流行りもの邦楽に囲まれた職場で過ごした時期(1992〜1998年頃)にBGMから聴こえてきた声」が中心になってきます。
前回同様、数字は「1.」は1位、以下の数字は順位ではありません。同時に「この曲の歌声がいい」と私が感じる「代表曲」も併せて書き出してみます。あと、前回は敢えて一人ひとりに解説はつけませんでしたが、今回は「ロック・ファン」の方には馴染みがない人も含まれているので、簡単な解説もつけてみます。
1.沢田研二
サムライ、危険な二人、ヤマトより愛をこめて、カサブランカ・ダンディ、おまえがパラダイス、お前にチェックイン
小学生の頃に憧れた人。もちろんキャラもパフォーマンスも素晴らしいけど、声も最高に素晴らしい。「代表曲」として挙げた曲も、この人の声で歌われるからこそ、曲のよさが引き立っているんじゃないか。
2.大江慎也(ルースターズ)
気をつけろ、Sittin' On A Fence、Let's Rock
数少ない「ロック・ファン」になって以降に出会った「声」。お世辞にも「上手い」人じゃないけど、声を聴くと気持ちが揺さぶられるよう。
3.甲斐よしひろ(甲斐バンド)
ヒーロー、感触(タッチ)、翼あるもの
4.佐野元春
Someday、ガラスのジェネレーション、Sweet Sixteen
以上の2名は、私にとって「耳に心地よい声質」。それに「声がカッコいい」「歌い方がカッコいい」人たち。好き、嫌いが分かれそうだけど・・・。
5.平浩二
バス・ストップ
6.尾崎紀世彦
また会う日まで
以上の2名は、私が幼児だった頃、父がはじめてステレオを購入した際に、叔母(父の妹)から譲ってもらった大量の中古レコードの中にあったシングル盤。当時はいたずら半分に聴いていたけど、幼少の私の心を激しく揺さぶってくれた、最高に素晴らしい声でした。
7.子門真人
勇者ライディーン、飛べガッチャマン、ファイヤーマン
「およげたいやきん」なんて売れなきゃよかったのに!! 私にとってはささきいさお、水木一郎以上の「アニソンの大物歌手」。この人のヒーローもの主題歌での歌声を聴くと、気持ちが高ぶってくる。
8.町田義人
戦士の休息
映画「野生の証明」のテーマ曲。小学生の頃、映画宣伝CMから流れる歌声に心を鷲づかみにされました。
9吉崎勝正
10.田中雅之(ともにクリスタルキング)
大都会、蜃気楼、ユリア・・・永遠に
クリスタル・キングのツイン・ボーカル。低音と高音「世界最強の男性デュオ」だと今でも信じています。
11.松山千春
窓、人生(たび)の空から、長い夜
スキンヘッドになって以降の彼は、キャラも大袈裟な歌い方も鼻について嫌いだけど、1980年代半ばくらいまでの彼の声は素晴らしい。曲自体はあんまり趣味ではないんだけど・・・。
12.桜井賢(アルフィー)
メリーアン、星空のディスタンス、Weekend Suffle
見た目と低音の美声のギャップに驚かされたもの(笑)。
13.上杉昇(WANDS)
もっと強く抱きしめたなら、世界が終わるまでは、愛を語るより口づけをかわそう
「流行もの邦楽に囲まれた職場」にいた頃に人気のあった「ビーイング系」のバンドのボーカリスト。ビーイング系の男性シンガーの声は、私の趣味じゃない人が多かったけど、この人はそんな中でも唯一私の心を掴みました。
14.ジョニー大倉(キャロル→ソロ)
ヘイ・タクシー、レディ・セブンティーン、二人だけ
見た目に反して実に甘い歌声
15.芹澤廣明
真夏なランナー(「ナイン」より)、風のメッセージ、星のシルエット(以上、「タッチ」より)
「チェッカーズのヒット曲の作曲家」として有名だけど、あだち充アニメのサントラの中では、何曲か自分でボーカルをとっています。不安定で決して上手いとはいえないし、キレイな声でもないけど、私にとっては耳に心地よい声。
16.財津和夫(チューリップ→ソロ)
青春の影、夢中さ君に(チューリップ)、Wake Up
この人の声も私には「耳に心地よい」声。15.の芹澤と声質も近い?
17.矢沢永吉(キャロル→ソロ)
ファンキー・モンキー・ベイビー、ミスターギブソン(キャロル)、時間よとまれ
ソロ以降よりも、キャロル時代のちょっと甘い歌声の方が好き。ソロ以降では、全編普段の声と違う、クールな低音で歌う「時間よとまれ」の渋さ。小学校4年の時、資生堂のCMから流れてきた声に衝撃を受けたものでした。
18.西城秀樹
若き獅子たち、ブルー・スカイ・ブルー、傷だらけのローラ
リアルタイムでは絶叫系の曲が好きだったけど、今ではバラードでの壮大な歌声がツボ。
19.藤井フミヤ(チェッカーズ→ソロ)
涙のリクエスト、Song For USA、Oh Popstar
独特の甘くて、それでいて巻き舌ボーカル。私に限らず、同世代の多くの男性がカラオケで真似していたもの。
20.南佳孝
モンローウォーク、スローなブギにしてくれ
当時小学生の私にとって「渋い、大人の声」
21.吉井和哉(イエローモンキー)
悲しきAsian Boy、Jam、アバンギャルドでいこうよ
「流行りもの邦楽の流れる職場」で出会った声だけど、どことなく「沢田研二っぽい」と感じたものでした。
22.草野マサムネ(スピッツ)
君と暮らせたら、青い車、空も飛べるはず
同じく、「流行りもの邦楽に囲まれた職場」で出会った声。聴いていて爽やかで、癒されたような気持ちになる。
23.稲垣潤一
April、1ダースの言い訳、エスケイプ
これも財津和夫、芹澤に通じる、「耳に心地よい声」。
24.織田哲郎
いつまでも変わらぬ愛を、君の瞳にRainbow、Be My Venus(渚のオールスターズ)
当時20歳前後だった私にとって「クールで大人な声」というイメージ。
25.おぼたけし
美しき狼たち、果てしなき闇の彼方に
80年代前半、リバイバル・ブームに乗ってつくられた映画「あしたのジョー」のテーマ(前者)、テレビアニメ「あしたのジョー2」のエンディング・テーマを歌っていた人。声自体が「男の世界」。
26.中村耕一(JWalk)
何も言えなくて・・・夏、君にいて欲しい、思い出に手を振って
「流行もの邦楽に囲まれた職場」で聴いた「渋い大人の声」。
27.世良公則(ツイスト)
性(さが)、宿無し、Love Song
パフォーマンスももちろん、独特のしゃがれた声は唯一無二。「和製ロッド・スチュワート」
28.鈴木雅之(シャネルズ→ソロ)
ハリケーン、涙のスウィートチェリー(シャネルズ)、ガラス越しに消えた夏
ソロよりも、コーラスを従えたシャネルズ→ラッツ&スター時代の方が、その声のよさが引き立つ
29忌野清志郎(RCサクセション他)
スローバラード、Daydream Believer、指輪をはめたい
昔はキャラも声も「嫌い」な部類だったのに、「ロック・ファン」になって以降、急激に「いい声」に聴こえるように。むしろバラードを歌った方が、彼の繊細さが現れていて胸に迫るものがある。
30姫野達也(チューリップ)
僕がつくった愛の歌、金の指輪、心の旅
繊細で甘い声。上記3曲は財津じゃなく、彼の声だからこそ引き立つんじゃないか。
やはり「ロック系」の人は少なくなりました。「リアル・タイムでは知らなかったけど、後追いで聴いて好きになった」人(水原弘、キングトーンズの内田正人、デイブ平尾他)も何人かいたんだけど、30人以内には入りきれませんでした。結局、幼少の頃や中高生の頃に出会った人が中心。そんな、多感だった頃に「いい声だな」と思った人は、やはり一生「いい声」だと思われるものなんでしょう。
■2011/9/25 いい声(海外、女性編) 当サイトを昔からご覧の方なら、ロック・ファンだった頃の私は女性ボーカルものに疎遠で、ほとんど聴いてこなかったことはご存知だと思います。それが昨年あたりからYou Tubeなどでジャンルや海外、国内を問わず、「女性ボーカルもの」の動画を見て、その歌声を楽しむ機会が多くなりました。はっきりいえば、今回のこの「いい声」の企画を思いついたのも、それがきっかけだといっても過言ではありません。だからここからが「本番」。
とはいえ一方で、女性ボーカルものに本格的に親しむようになったのは、事実上去年からということになるわけで、あまり詳しくない、まだそれほど多くのシンガー=声を聴いているわけでもないというのも正直なところ。もっとはっきりいえば「全然詳しくない」わけで・・・。しかも国内ものの場合は一応、小学生〜高校生の頃まで、長く邦楽ヒット・チャートものを聴いていたからそれなりに多くのシンガー=声を聴いているけど、海外ものとなると、ロック・ファンになるまでは洋楽音痴だったし、ロック・ファンになって以降もほとんど女性ものに興味を持ったこともなかったし・・・。だから、「30人」は選べないし、「あまり知らない」中から選んだ20人なので、詳しい人が見れば「あの人も、この人もいない」状態でしょうけど・・・。
今回も数字は「1.」は1位、以下の数字は順位ではありません。同時に「この曲の歌声がいい」と私が感じる「代表曲」も併せて書き出してみます。
1.カレン・カーペンター(カーペンターズ)
Top Of The World、Yesterday's Once More、Close To You、Superstar、I Need To Be In Love、Rainy Days And Mondays
やってる音楽ジャンルは私の「趣味のど真ん中」ではないけど、こと「声」なら断然この人。「この世のものとは思えない」ほど素晴らしい声。
2.スザンナ・ホフス(バングルス)
Eternal Flame、If She Knew What You Want、James
「好きなボーカリスト」を選べば、音楽性、ルックスなども趣味のど真ん中なので、この人が「1位」なんでしょうけど・・・。
3.オリヴィア・ニュートン=ジョン
Have You Never Been Mellow、Jolene、Sam
癒されるクリア・ハイトーン・ボーカル。
4.スキータ・デイヴィス
The End Of The World、I Can't Stay Mad At You
5.シルヴィ・ヴァルタン
アイドルを探せ、あなたのとりこ
6.コニー・フランシス
Where The Boys Are、Who's Sorry Now、Someone Else's Boy(夢のデイト)
7.ダスティ・スプリングフィールド
I Only Want To Be With You、Spooky、Nowhere To Run
8.マリア・マッキー(ローンジャスティス)
East Of Eden、Don't Toss Us Away、Soap, Soup And Salvation
9.メアリー・ホプキン
Goodbye、Those Were The Days、In My Life
10.ダイアナ・ロス(シュープリームス)
You Can't Hurry Love、Stop In The Name Of Love、Baby Love
11.ロニー・スペクター(ロネッツ)
Be My Baby、Baby I Love You、I Wonder
12.ジョニー・ソマーズ
One Boy、Johnny Get Angry
13.ペトゥーラ・クラーク
Downtown、My Love
14.ジュディス・ダーハム(シーカーズ)
Georgy Girl、The Carnival Is Over
15.スージー・クアトロ
Wild One、Can The Can、Devil Gate Drive
16.クリッシー・ハインド(プリテンダーズ)
KIds、Brass In Pocket、Don't Get Me Wrong
17.リンダ・ロンシュタット
Blue Byou、Long Long Time、Tumblin' Dice
18.ジョーン・バエズ
We Shall Overcome、Swing Low, Sweet Chariot
19.アン・ウィルソン(ハート)
Barracuda、Dreamboat Annie、Rock And Roll
20.ロザリー・ハムリン(ロージー&オリジナルズ)
Angel Baby、Lonely Blue Nights、I'm So Young
本当に「ほとんど知らない」中で選んだので、ジャンルや時代に偏りがありすぎますねえ。大きく分けると「ロック・ファンだった頃に知ったロック系のボーカリストやロック・アーティストがらみのボーカリスト」(2,8,9,15,16,17,18,19)、実はロック・ファンになる前に約半年間「オールディーズ(50,60年代ポップス)・マイ・ブーム」期があって、その頃に聴いたボーカリスト(4,5,6,7,10,11,12,13,14)ばかり。
ただ「女性ボーカルウォッチャー」をやっているうちに急激に以前以上に好感度がアップしたのはシュープリームス時代のダイアナ・ロス。それから「女性ボーカルウォッチャー」をやっている時にはじめて知った人が20.の「ロージー」。デビュー以前のジョン・レノンが恋焦がれた「声」だという話は聞いていたけど、まさかここまでの「美声」とは。
とはいえ、やっぱりこの部門は「あまり知らない」のが現状。もっともっと、いろんな「声」を聴いていきたいと思っています。
■2011/10/2 いい声(国内、女性編) この企画を思いついたきっかけは、ここのところなぜか女性ボーカルもの、「いい声」の女性ボーカリストの歌声を聴いて癒される、安らいだ気持ちになることが多くなったことにあります。ひとくちに「いい声」といっても、人によって感じ方は違うんだろうなあ、じゃあ、俺にとって「いい声」ってどんな声? と思ったりもして・・・。
なのでこの数年、ネットなどで「女性ボーカルウォッチャー」をやっているうちに発見した人も多いけど、やっぱり「国内、男性編」同様大きく分けて「幼少の頃、子供番組で聴いた声」、「邦楽ヒットチャートに夢中だった小学生〜高校生(1977〜1986年頃)の頃に出会ったヒット曲で聴いた声」、「流行りもの邦楽に囲まれた職場で過ごした時期(1992〜1998年頃)にBGMから聴こえてきた声」が中心になってきます。
いつものように数字は「1.」は1位、以下の数字は順位ではありません。同時に「この曲の歌声がいい」と私が感じる「代表曲」も併せて書き出してみます。
1.松田聖子
チェリー・ブラッサム、夏の扉、風立ちぬ、小麦色のマーメイド、Sweet Memories、天使のウインク
以前も述べた通り(こちら)、リアル・タイムでも好きだった人だけど(あくまで1980〜1985年限定!!!)、今はその声の素晴らしさに魅了されっぱなし。2年目までのどこまでも伸びるハイトーン・クリア・ボイス、3年目以降のハスキーかつ甘くとろけるようなキャンディ・ボイスも、私の耳には最高に心地よいし、安らいだ気持ちにさせられる。
2.太田裕美
木綿のハンカチーフ、南風、君と歩いた青春
ちょっと弱々しいけど、甘くとろけるキャンディ・ボイスは癒されます。
3.石川ひとみ
まちぶせ、君は輝いて天使に見えた、三枚の写真
ハイトーンだけど甘い声。なんでヒット曲に恵まれなかったのやら。同世代の女性アイドル(榊原郁恵、石野真子ら)よりはるかに歌も上手くっていい声で美人なのに。
4.坂井泉水(ZARD)
揺れる想い、心を開いて、Oh My Love
「ヒット曲に囲まれた生活」を送っていた頃に出会った声。決して上手くはないし、弱々しい声だけど、爽やかで癒される声。
5.石毛恭子
キャンディ・マン、帽子をかぶったおとこのこ、レインドロップス
2代目「ピンポンパン」のお姉さん。今というより、幼少の頃に毎朝、癒され、励まされてきた声。
6.小林明子
恋におちて
一発屋で1曲しか知らないし、不倫は嫌いだし、ドラマも見たことなかったけど、高校生の頃にテレビから流れてきたこの美しい歌声に一発で魅了されたもの。
7.渡辺真知子
かもめが飛んだ日、ブルー、唇よ熱く君を語れ
どこまでもよく通る、それでいて力強いハイトーン・ボーカル。特に1曲目、小学生だった頃の私の心を捉えたものでした。
8.白鳥英美子(トワ・エ・モア)
或る日突然、空よ(トワ・エ・モア)、アメイジング・グレイス
大学生の頃(80年代末)、CMから流れてきたアカペラの「アメイジング・グレース」のクリアな声に衝撃を受けました。その後、ネットでトワ・エ・モア時代の声を聴いて・・・。
9.岩崎良美
I Think So、涼風、青春
姉よりも力強い歌声。なぜか今では「タッチ」の主題歌ばかりで語られる人だけど、デビュー当初、アイドル時代の前の2曲の歌声がむしろ素晴らしい。
10.持田香織(Every Little Thing)
Dear My Friend、出会った頃のように、Shapes of Love
サウンドは苦手な「エイベックス系」だけど、「流行りもの邦楽に囲まれた生活」の末期に出会ったハイトーン・クリア・ボイス。ただ2000年代に入って声が変わってしまったのが残念。
11.宇徳敬子(Mi-Ke→ソロ)
白いX3珊瑚礁(Mi-Ke)、Goodbye Morning、あなたの夢の中そっと忍び込みたい
Mi-Keのメイン・ボーカリストで「ビーイング系」の人。美人な上に声もキレイで歌も上手くって、もっともっと売れても良かった人だと思うけど、同じビーイング系のZARDとキャラが被ったのがソロ独立後に売れなかった理由か?
12.黛ジュン
天使の誘惑、恋のハレルヤ
私が生まれた年に「天使の誘惑」をヒットさせた「和製ポップス」の元祖ともいえるシンガー。ネットで歌声を聴いたけど、当時としては衝撃的な存在だったのでは?
13.薬師丸ひろ子
少しだけやさしく、あなたをもっと知りたくて、メインテーマ
14.斉藤由貴
卒業、May、悲しみよこんにちは
以上の2名は、決して歌が上手いとはいえないし、無表情な歌声だしで、リアル・タイムでは感心しなかったんだけど、今聞くと不思議と癒される声。
15.シーナ(シーナ&ザ・ロケッツ)
Baby Maybe、Cry Cry Cry、涙のハイウェイ
この中では唯一のロック系のボーカリスト。ただ、ロックン・ロールをがなるように歌っている時よりも、ポップな曲でロニー・スペクター直系のドリーミーなボーカルを聞かせている時の方により魅力を感じます。
16.山本潤子(赤い鳥→ハイ・ファイ・セット)
翼をください(赤い鳥)、最後の夏休み、フィーリング(ハイファイセット)
もちろん元々知っていた人だけど、むしろネットで「女性ボーカル・ウォッチャー」をやっている中でそのハイトーン・クリア・ボイスの魅力に気がつきました。
17.林寛子
カモン・ベイビー、素敵なラブリーボーイ、日暮れどき
歌手としてはあまりよく知らなかった人だけど、ケーブルテレビで見た「夜のヒットスタジオ」の再放送で歌声を聴いて、その甘くとろけるような声に魅了されました。
18.尾崎亜美
オリヴィアを聴きながら、春の予感、パステル・ラブ
リアル・タイムではアイドル歌手に可愛らしい感じの楽曲を提供している人というイメージで、シンガーとしてはあまり認識していなかった人。ネットや「ヒットスタジオ」で声を聴いて、その作品のイメージどおりの声の持ち主なんだなと。
19.伊藤咲子
ひまわり娘、乙女のワルツ、君可愛いね
「懐かしの・・・」云々の番組によく出てくる人で、最近の歌声を聴いて「もうベテランだからこれくらい上手くて当たり前」くらいに思ってたんだけど、ネットなどで昔のVTRを見ると、とても10代とは思えない歌唱力と美声。同期の岩崎宏美と比べても遜色ないほど。
20.石川優子
シンデレラ・サマー、クリスタル・モーニング、ふたりのアイランド(&チャゲ)
「アイドル系シンガー・ソングライター」として80年代に人気のあった人。リアル・タイムでは全然熱心に聴いていたわけではないけど、声は純粋に好きでした。結婚→引退が惜しまれる。
21.イリア(ジューシー・フルーツ)
涙涙のカフェテラス、恋はベンチシート、夢見るシェルター人形
ファルセット・ボーカルでテクノな「ジェニーはご機嫌ななめ」は大嫌いな曲だったけど、セカンド・シングルの1曲目での、意外と色気のある、それでいて甘い歌声に引き込まれました。にもかかわらず、売れなくなってしまったのが残念。
22.岩崎宏美
あざやかな場面、二十才前、ドリーム
リアル・タイムでは「若いのに気取った歌い方が鼻につく」と思っていたはずなのに、「夜のヒットスタジオ」で声を聴いてようやくその歌声の美しさに気がつきました。
23.高橋美鈴(Manish)
君が欲しい全部欲しい、もう誰の目も気にしない、声にならないほどに愛しい
ビーイング系のデュオ・グループのボーカリスト。アイドル並みのルックスに似合わぬパワフルなボーカル。もっとロック調の曲を歌ったほうが声に合っていたんじゃないか。多くのビーイング系の人同様、「消費」されてとっくに引退してるとか。残念。
24.本田路津子
風がはこぶもの、耳をすましてごらん
中学時代、「風がはこぶもの」という曲を「音楽コンクール」で歌わされた覚えがあって、ネットで調べているうちに、実は70年代のフォーク歌手のナンバーだということが判明。その歌声を聴いてビックリ。なんという澄み切った、美しい声。以降、はまってます。
25.堀江美都子
明るい私はサザエさん、アクビ娘(ハクション大魔王)、ボルテスV
26.大杉久美子
草原のマルコ(母をたずねて三千里)、ドラえもん、アタックNo.1
27.かおりくみこ
エリカのバラード(闘将ダイモス)、さよなら(銀河鉄道999)
以上3名は「アニソン歌手」。「女王」ともいえる堀江美都子のキャンディ・ボイスはアイドル並みの可愛さだし、「カルピス名作劇場」専属歌手ともいえそうな大杉久美子は美しいハイトーン・クリア・ボイス。今聴いても癒される。かおりくみこは「銀河鉄道999」の中で、1回きり登場のキャラクターのための劇中歌を多く歌っていた人。ハイトーンだけど、どこか寂しげな歌声が魅力。
28.田中好子(キャンディーズ)
あなたに夢中、危い土曜日、Yesterday Once More
29.伊藤蘭(キャンディーズ)
年下の男の子、内気なあいつ、アン・ドゥ・トロワ
30.藤村美樹(キャンディーズ)
あこがれ、One Boy、愛するデューク
最後はキャンディーズの3人。ネットで魅力を再発見したことは何度も書いてきたけど、最初は3人のハーモニーに魅了されたもの。だけど、次第に三者三様の声の違い、魅力に気がついてきました。ハイトーンでクリアな田中好子、甘くとろけるようなキャンディ・ボイスの伊藤蘭、大人の色気も感じられる低音の藤村美樹。それぞれに魅力的で、それがハモってるわけだから、あれだけの素晴らしいハーモニーが聴けるんだと。
今回は30人に絞るのに苦労しました。大きく分けて、ハイトーン・クリア・ボイスか甘いキャンディ・ボイスかのどちらかの人が圧倒的に多いようです。
しかし1990年代後半から、そういう声のボーカリストが少なくなっているのが寂しい。小室系やエイベックス系の人は「ハイトーン」といっても、キンキン声というか、金切り声をあげているような人が多くって、聞いていて「耳が痛い」「心に痛い」というイメージだったし、21世紀に入って多くなった「R&Bの影響を受けて・・・」云々という人たちの歌声は「必死に」「声を振り絞って」「肩肘張って背伸びして」「顔をゆがめて前かがみで」歌っているような人が多くて、聴いてるこっちのほうが疲れてしまうし、聴いていて「痛々しい」感じでどうも趣味じゃない。もちろん「上手い」人はいるんだろうけど、「いい声=聴いていて心地よい」感じはしません。まあ、「良し悪し」ではなく、あくまでも個人的な「好き、嫌い」の問題ですが。
■2011/11/20 天使のウインク、天使の歌声 2(松田聖子再評価) もう3年も前になるけど、こんなもの(こちら)を書きました。動画サイトで小、中、高校生の頃に親しんだ多くの歌手やアーティストの懐かしい映像の多くを見ているうちに、小6〜中1の頃に「はじめて異性を意識して好きになったタレント」だった松田聖子の動画にはまってしまったと。最初はただ「懐かしいなあ」程度で見ていたのに、当時は気がつかなかった歌唱力と声の素晴らしさにすっかり魅了されてしまったと・・・。あ、改めて断っておくけど、あくまでも1980〜1985年、最初の結婚の前まで限定だけど。先日書いた「いい声(国内、女性編)」の中でも述べたけど、この人の80年代前半の歌声を聴いていると本当に安らいだ気持ちになって、とても癒されます。特に今年に入って、あまりいいことがなくって、イライラしたり、気持ちが沈んだりしがちなので、本当にこの人の声に救われているといっても過言ではないほどです。
しかしこの人の声って、なんでこんなに「いい声」なんだろう。そしてなぜ、リアル・タイムでそのことに気がつかなかったんだろう。「アイドル=ルックス先行」。特に1980〜1983年頃のこの人のルックスって、当時の他のアイドルと比べても抜きん出ていたもの。実際、今見ても「ここまで可愛かったっけ」と思えるほどだし。だから、ファンはその可愛さばかりに目を奪われて、きちんと歌を聴いていなかったんじゃないか。また、一方で「アンチ」が多い人でもあったので、「アンチ」の人も同様に、そのルックスや言動を見て嫉妬したりバッシングしたりで、きちんと歌を聴いていなかったんじゃないか。つまり誰もきちんと歌を聴いていなかった、誰もシンガー、アーティストとして評価していなかったのではないかという気もします。そして30年近く経った今だからこそ「客観的なもの」として捉えることが出来るようになって、ようやく正当に評価されるようになったんじゃないかと思います。まあ、そういう私も同じなんですけど。
とはいえ、実は当時、きちんと評価している人もいました。中学の同級生で「洋楽かぶれ」な奴がいました。時代はMTV創成期、中学生といえども「洋楽しか聴かない」連中が多くいたものでした。そいつもそんなひとり。「ベストテン」に出てくるような連中を「レベルが低い」と露骨に批判していたものでした。ところが、こいつが評価してた数少ない日本人アーティスト、シンガーが1982,3年頃の松田聖子。リンク先にもあるとおり、私はこの頃にはもう、気持ちが離れていたので「なんでこんなアイドルなんか好きなん?」「お前だってミーハーじゃないか」と突っ込みを入れたところ「俺は別にルックスに興味があるんじゃない。声がよくって歌も上手いし、曲も一流の作曲家が作ってて、洋楽並みにレベルの高いアルバムを制作してる。だからアルバムが出るたびにアルバムを買ってる。シングル・ヒット曲よりもアルバムがいいよ」と。当時の私には全く理解出来なかったけど、今更ながら「あいつの評価は正しかった」と思うし、ようやくあいつの言っていたことが理解できたような気がします。でも実は「ルックスには興味がない」といいつつ、あいつがブロマイドを持っていたことを私は知っているけど・・・(笑)。まあ、いずれにしても、邦楽チャートやアイドルに興味がある人ではなく、こういう「コアな音楽ファン」っぽい人の間では、意外と正当に評価されていたのは事実でしょう。実際、オリジナル・アルバムが売れたりレビューされたりするアイドルなんて他には誰もいなかったし、テレビで「アルバムからの曲の特集」が組まれてアルバムからの曲を何曲も歌うアイドルもこの人くらいだったと思います。
そして今、動画サイトをきっかけに「声のよさ」「歌の上手さ」そして「曲のよさ」に気がついた私。こうなると今度は「アルバムが欲しい」気分に。リンク先のログを書いた3年前にはまだ「ちょっと前まで硬派ロック・ファンを気取っていた俺が、よりによってアイドル歌手のアルバムに手を出すのは・・・」という抵抗があったけど、今では「正統派シンガー」として評価できるようになったので、もう抵抗はない。もちろんオリジナル・アルバムもいいけど、やっぱりまずはベスト盤から入るべきだろう。だけど、大半のベスト・アルバムは私の中では「別人=松田聖子2号」だと思っている(笑)1987年以降の曲が多く収録されている。いや、「別人」の曲はいらないんだけど・・・。そしてようやく1980〜1985年、つまり私の中の「リアルな松田聖子」の曲だけを収めた4枚組を発見、通販サイトで注文しました。そしてつい先日、届いたところ。新品のCDを買ったのって、4年ぶりくらいか・・・。まだ聴き込んでないので、感想などはまた後日。
■2011/11/26 これが最後? ロック系アーティストのライブ1(クラプトン&ウィンウッド) 11/24、エリック・クラプトン&スティーヴ・ウィンウッドの福岡公演に行ってきました。ライブに行ったのは一昨年の年末のルースターズの再結成ライブ(こちら)以来約2年ぶり、海外のアーティストということになると2008年のザ・フー(こちら)以来3年ぶりになるけど、途中に私にとってはしばらくトラウマになった「ライブ行かなかった事件」(こちら)もあったし、最近ではほとんどかつては夢中だった洋楽ロックが「気分」になることすらなかっただけに、本当に「久しぶりだった」という気がします。
「行こう」と思ったきっかけは、往年のロック界の大物もすっかり高齢になって「今後はもう、見ることが出来なくなるかもしれないので、見れるうちに見ておかなければ」という思いから。要するに「見なければ」という義務感のような気持ち。来日が発表になった直後に速攻でチケットをとったのはよかったけど、「クラプトン気分」「ウィンウッド気分」にならないどころか、ロック自体が全く「気分」にならない状態。「こんな状態で参戦してよいものか?」という迷いもあったけど、「5年後、10年後に後悔しない為にも」という想いからチケットを予約していたわけです。
会場はマリンメッセ福岡。はじめて行く会場でした。しかし会場に着いてビックリ。「演歌のコンサートか?」と思うほど50代、60代の人ばかり。真っ白な頭でヨタヨタ歩く爺さん、スーツ姿の禿げ上がったオッサン・・・。でもまあ、考えてみれば私も40代。90年代にポールやジョージ、ストーンズのライブに参戦した頃の私は20代、周りはリアル・タイム世代=30代、40代の人ばかりだったもの。今や私がその40代になっているわけだから、リアル・タイム世代の皆さんもそれ位になって当たり前。「ああ、俺が後追いロック・ファンになってとんでもない長い年月が経ったんだな」と改めて思い知らされました。一方で20代後半〜30代前半くらいのカップルも多い。「アンプラグド・バブル」でクラプトンに注目した連中か。うーん、まだこういう層のファンもいるんだな。
パンフレットを買って席に着く。アリーナ席で前から32番目なので悪くはない席。だけど、アリーナに全く傾斜がない。総立ちになったら身長の低い私にはステージ上が見えなくなる可能性も。実際、ステージのちょうど真ん中辺りを見ると、そこに50代くらいの男の丸い禿げ頭が(笑)。邪魔だなあ。少し視線をずらせば大丈夫かと思いきや、今度は30歳くらいの長身の男の、異様に尖がった頭が邪魔になる。ああ、ステージの真ん中あたりが全く見えないかも・・・。しかし開演近くになっても、全く「ロック気分」にならない。前日の夜も特にCDを聴いたりはしなかった。家を出る前に1回だけ、BLIND FAITHのアルバムを1回だけ部屋で流してみたけど、あまり気分も盛り上がらなかったし。こんな状態でライブに参加して本当によかったのやら・・・。
■2011/11/28 これが最後? ロック系アーティストのライブ2(クラプトン&ウィンウッド) 開演の19:00を10分くらい過ぎたところで会場が暗くなり、まずは女性コーラス隊2名とサポートの3人、クリス・ステイントン(ピアノ)、ウィリー・ウイークス(ベース)、スティーヴ・ガット(ドラム)が登場、ちょっと遅れてクラプトン&ウィンウッドが・・・。いきなり総立ちになったので、私も立ち上がる。だけどやっぱり「禿オヤジの丸い頭」が邪魔。しかもよりによってステージ中央、肝心の主役2人が立っているあたりが見え隠れしてる状態。こいつが頭をズラすたびに、私も首を右に、左に動かし、時には背伸びしたり・・・。約2時間半の間、ずっとそんな状態だったので肩はこるし、首は痛くなるし・・・。
1曲目はブラインド・フェイスのHad to Cry Today。クラプトン&ウィンウッドはステージ中央にギターを抱えて並んで立っているけど、ステージから遠いのと、オヤジの頭のせいで、どちらがクラプトンでどちらがウィンウッドかもよく分らない。マイクに近づいてる=歌ってるのは左? だとしたら左がウィンウッドなのか・・・? 2曲目のLow Downの時にようやく左がウィンウッドで右がクラプトンだということがはっきり分かる。まあ、3曲目のAfter Midnightからはウィンウッドがギターを置いてキーボードの方に移動したので、ようやくウィンウッドはちゃんと見えるようになった。今回の私はどちらかというとウィンウッド目当てなので、まあいいかと。
4曲目でいきなり私にとっては「ロック史上に残る神曲(←嫌いな言葉だけど)ベスト30を選べば間違いなく入る曲」でもあるPresence Of The Lordが登場。思わず拍手してしまったけど、個人的には「ウィンウッドが歌ってこそ光る曲」だと思っているので、ボーカルを分け合っていたのが残念。以降もブラインド・フェイスの曲と2人の代表曲を交えてステージが進行。予想通りクラプトン・ファンの方が圧倒的に多いので、クラプトンの曲やギター・ソロの時に拍手や歓声が大きくなる。ネット上で「札幌や横浜ではウィンウッドの曲の時は盛り下がって気の毒だった」という声も見かけたけど、福岡はそうでもなかったかな。特に一部に「熱狂的ウィンウッド・ファンの一団」がいて、熱心に声援や拍手を送っていたし。それにクラプトンの昔からの性分「他の大物ミュージシャンと絡むと一歩下がってしまう=サポートに徹する」面がよい方向に出てか、明らかにウィンウッドの方が主導権を握っている。しかし実はサポートにまわった方が光るのもクラプトン。2人の個性や長所がよく出た、よいライブ。
あとクラプトンのギター、ジョージのサポートで見たときは「アンプラグド前夜」の時期だったこともあり、クリアーで洗練された音色のギターを弾いていたものだけど、今回はデレク&ザ・ドミノスやソロ初期のような、ちょっと泥臭くってファンキーな音を出してるのも印象的。個人的にはこういうクラプトンの方が好きかな。ウィンウッドは「声が衰えているかも」という当初の危惧は杞憂でした。相変わらずの「いい声」。この声を生で聴けたのは嬉しかった。同時にキーボードも80年代のヒット曲While You See a Chanceでは「もろシンセ」な音だったけど、それ以外の曲ではハモンド・オルガンのような音を出していて、とても心地よい。サポート・メンバーではコロコロ転がるピアノ・ソロを弾くクリス・ステイントン「さすが」。
中盤Georgia on My Mind(スペンサー・デイヴィス・グループ時代からのレパートリー)をウィンウッドがピアノを弾きながら歌い上げると、観客が座り始める。「静かな曲では座る」というのはうなずけるけど、うーん、座ったら座ったで、今度は「尖がった頭の長身の男」の頭が邪魔でよく見えん・・・。座席的には今回は不運でした。以降は2人がアコースティック・ギターを抱えてのアコースティック・セット。だけどここでWonderful Tonightが歌われたことは違和感。クラプトンのソロ・ライブならともかく、この2人のライブでこの曲は蛇足だろう。会場は沸いていたけど、個人的には感心できませんでした。まあ、別会場ではLaylaを歌ったそうで、それこそ「2人のライブにいらない曲」だから、それよりはマシだけど。むしろその後、クラプトンがエレキ・ギターに持ち替え、ウィンウッドはキーボードの前に戻って演奏されたGimme Some Lovin'の方が数段嬉しく、思わずハンドラッピングしてしまいました。
そしてこのライブのハイライト、ジミヘンのVoodoo Chileへ。20分近くの熱演で、ウィンウッドが歌い、クラプトンはジミヘンが乗り移ったかのような、またはクリーム時代に戻ったかのようなアグレッシヴなギター・ソロ。これこそ「2人で演奏する意義のある曲」じゃないか。この熱演のおかげで単なる「オッサンのミュージシャンによる懐メロ・ショー」にはならなかったというところ。しかし「こんな曲、知らん」とばかりに盛り下がって座って腕組み状態の隣のカップル・・・。前の席のオッサンはトイレに立ちやがった。こういう人を見て怒りを感じたり、「分らん奴だなあ」と呆れている自分に気がつく。こういう気持ちになるということは、俺にもまだ「ロック・ファン」的な感性が残っているのかもしれない。往年のヒット曲だけを求める一部のファンには伝わらなかったのかもしれないけど、これこそこのライブのハイライト、2人が約40年の時を超えて組んだ成果の現れた熱演だったと思う。アンコールでCocaine、Dear Mr.Fantasyを演奏してライブは終了。MCはThank Youくらい、本当に淡々とした進行のライブでした。
■2011/12/1 これが最後? ロック系アーティストのライブ3(クラプトン&ウィンウッド) 前回は大雑把なライブの内容について述べてきたわけだけど、今回は私の感想や「気分」に関して。
頭の中はロックのことでいっぱい、いつもロックのことを考え、暇さえあればロックを聴いている。仕事以外のプライベートの約9割くらいの時間をロックを聴くことに割き、収入の大半はCDを買ったり、ライブのチケットを買ったり、ロック関連の書籍や雑誌を購入するために使う。そんな「ロック気分」にどっぷり使った生活を送り続けていたのがかつての私。だけど今ではロックを聴くことも、ロックにお金や時間を使うこともほとんどない。そんな生活を約4年ほど続けてきた、そんな中で迎えた今回のライブ。
会場に向かう電車の中でもクラプトンやウィンウッドが「気分」にならない以前に、ロック自体が気分にならない。そんな状態では会場に入っても、席についても、照明が落ちてステージに2人が登場しても「ロックを聴く」体勢に全くならず。4曲目のPresence Of The Lordでようやく「ああ、本物だ」になり少し気持ちが傾きはじめる。開始約1時間、他の観客が「すっかりライブにのめりこんだ」「ちょっと疲れ始めた」状態になって、ようやく私の「気分」はロックに傾き始める。そして本編のラストで演奏されたVoodoo Chileの頃にやっと本格的に「ロック気分」に浸って「よし、ライブを楽しもう」という体勢に。だけど時は既に遅く、あとはアンコールの2曲で終了・・・。つまり私にとっては「ようやくロック気分になり始めた頃に終わってしまった」「さあ、今から本格的に楽しもうと思ったら終わってた」という感じ。なので「あっけなく終わってしまった」「消化不良だった」というのも正直な感想です。とても2時間以上も時間が経ったとは思えないほど短く感じました。
そういえばやはり「ロック気分減退」状態で体験した3年前のザ・フーのさいたま公演も「あっけなく終わってしまった」という感想を持ったもの。以前のような「いつもロック気分」だった頃ならまだしも、今のような「いつもはロックを忘れている」状態の私が本気でライブを楽しもうと思えば、数日前から「ロック気分」を取り戻すためにどっぷりとロックに浸って、気持ちが高ぶった状態で当日を迎え、会場に向かわないと今後も同じことを繰り返してしまうかも。せっかくライブに行っても、ライブが始まって1時間以上経たないと「ロック気分」にスイッチが入らないのでは、純粋に楽しめるのは後半の約1時間だけになってしまう。今回もライブ終了間際に「ロック気分」「クラプトン&ウィンウッド気分」になり、その「気分」は2,3日続いた。思わず12月に予定されている武道館ライブに行ってしまおうか、なんてことも考えたほど。もっと早く「気分」になっていれば、もっと楽しめただろうに・・・。
「ロック気分」が減退する中、「もう最後かもしれないから見ておかなければ」という義務感から参戦した今回のライブ。一時期のような「ロックが俺のすべて」というような状態にはもう戻らないかもしれないけど、「俺の中にもまだ、ロック・ファンの血が残っていた」ことを再発見できたのは収穫でした。Voodoo Chileを聴いて退屈そうにしていた連中に「分ってない」「かわいそう」と感じたことで「ああ、俺もまだ・・・」と。一方で私が心底見たいと思っていたアーティストのうち、亡くなった人、引退した人、体を壊してライブが出来ない人、解散してしまったバンドを除いて、まだ生で見ていない人って随分少なくなったような気がします。ポール、ストーンズ、そしてザ・フーを見てしまった今、本当にほとんどいないような気がする・・・。それを思えば「もう、ロックのライブに行くのは今回が最後だったのかも」という気もしないでもありません。
■2011/12/29 天使のウインク、天使の歌声 3(松田聖子再評価) 動画サイトを見ているうちに、1980〜1985年の松田聖子の素晴らしい歌声に魅了され、遂にCDまで購入してしまったと書きました。リアル・タイムでは1980〜81年頃にちょっと夢中になった時期もあったけど、当時はルックスに心を奪われるあまり、全く気がつかなかったボーカリストとしての素晴らしさに今は心を奪われている状態。といっても、あくまでも1985年まで、それ以降のこの人はどうしても好きになれないので、私の中では「1985年までと(1号)、それ以降では別人(2号)」と解釈しているので今回も一切触れません(笑)。あれは「別人」ですので、私の中では。
というわけで私が手に入れたのは「2」でも書いたけど「松田聖子1号」、つまりデビューから最初の結婚、活動停止の1985年までの代表曲を集めた4枚組(こちら)。ということで、1枚ずつ感想などを。
Disc1(1980〜1981)
デビュー1年目、2年目に当たる時期で先も述べたとおり、リアル・タイムでも夢中で追っていた頃。毎日テレビ欄で出演番組をチェックして、ほとんど見ていたから「最も馴染み深い」時期でもあったはず。だけど、動画サイトでこの時期のヒット曲を歌っている姿を見て「懐かしい」と思う一方で、「こんなにパワフルなハイトーン・ボーカリストだったとは!」と驚愕させられたもの。特にリアル・タイムではただただ歌っている姿の可愛さにばかり気をとられていた「チェリー・ブラッサム」や「夏の扉」だけど、ヘビーなギターとベースが特徴のハード・ロック風の演奏をバックに、どこまでも突き抜けるハイトーンで歌い飛ばす、とんでもない「ロックな曲」だったことに気づかされたことも記憶に新しいところでした。
今回、このDisc1で同時期のシングル曲以外のアルバム収録曲も多く聴いたけど、この時期はロック調の曲が意外と多い。あのお嬢様かお姫様のようなルックスとは裏腹に、こんなにパワフルに歌いまくっていたとは驚き。考えてみれば、8年も前になるけどこんなもの(こちら)を書きました。その中で
>瑞々しく、美しい歌声
>清楚なイメージのキャラ
の一方で
>だけど、ロックなボーカリスト
こそが、「理想の女性ボーカリスト像」だとしました。「でもそんな人は誰もいない、いるはずもない」としましたけど、この時期の彼女こそが実は、私の追い求める「理想の女性ボーカリスト」そのものだったんだなと気がつきました。「ロックなボーカル曲」としては、ファースト・アルバムのタイトル曲SQUALL とちょっとだけチャック・ベリーっぽいJe taimeが最高峰。もちろんロック調一辺倒じゃなく、「新人の歌声か!」と思わず驚愕のバラードOnly My Love、リアル・タイムでは地味な曲だなと思ったけど、今聴くと爽やかなメロディとアレンジが心地よい「白いパラソル」など、楽曲自体もクオリティが高くて多彩。この時期のアルバムはコンプリートしてもよいかな。
Disc2(1982)
何度か書いたけど、1982年の年明け(実は1981年の年末)に突然髪がショートになって気持ちが一気に冷めてしまった時期。特に夏場には「近所のオバさん」みたいな頭になってしまって・・・(笑)。しかも前年半ばから松本隆が作詞するようになった関係か松任谷由実、財津和夫、大瀧詠一、細野晴臣ら一流のアーティストが作曲に携わるようになって、当時中学生の私の耳には「若さがない」「地味」「難しい」「アイドルっぽくない」と思える曲が増えてなんとなく親しみにくくなったことも理由かも。
とはいえ、今回このDisc2を聴き直して確信。「1982年こそ最盛期」。今回はじめて聴いた曲も多いけど、アルバム収録曲でさえシングル・ヒットした曲と比較しても遜色がないほどのレベルの高さ。スタンダードなはずの「赤いスイートピー」ですら霞んでしまうほど。原田真二(そういえば「2号」とのスキャンダルもあったっけ)、来生たかお、細野晴臣らの作品ですら「アルバムの中の1曲」って、どんだけ贅沢なんだ! あと、1981年末に喉を潰してしまって、初期のようなハイトーンが出なくなってしまったにもかかわらず、そのことで逆にちょっとハスキーな甘い声=キャンディ・ボイスに変化って、逆境までプラスに働いて・・・。初期のようなロック調の曲は厳しくなったけど、逆にボーカリストしては表現力が増していて「何を歌っても完璧」。
あと、松本隆。この人の歌詞に登場する女性って、男から見て理想的なほど可愛らしい女性が多いわけで、そんな歌詞をこの甘くとろけるような、といってもベタベタいやらしくなく、爽やかで清楚で可憐なキャンディ・ボイスで歌われたら、やっぱり引き込まれてしまう。「最高の楽曲」「最高の歌詞」「最高の声」、実はこのDisk2が最もヘビーローテーション。具体的な曲名を挙げる気もしないほど、本当に全曲よい。敢えて挙げれば来生たかお作曲のP・R・E・S・E・N・Tと財津和夫作曲の「未来の花嫁」か。1982年は2枚のアルバムを出しているけど、この2枚もコンプリートしたいと思う。そういえば「2」で紹介した「中学時代の洋楽かぶれの同級生」が絶賛してたのって、この1982年の2枚のアルバムだったっけ。
■2011/12/30 天使のウインク、天使の歌声 4(松田聖子再評価) Disc-3(1983〜1984初頭)
最も安定した人気のあった頃。女性のファンも激増して「別格」的な存在だったもの。だけど私の場合、前年に気持ちが冷めてしまっていたし、1982年デビュー組の女性アイドルに完全に気持ちが移ってしまっていたので、あまり関心を払っていなかった。しかも中3=ガキだった私には「若さのない地味でパッとしない曲ばかり歌ってるのに、以前より売れている」ことが不思議でしょうがなかった。だけど、動画サイトで1983年のヒット曲を歌っている姿を見て「やっぱり当時の俺はガキだったんだな」と。ルックス的には「カワイイ」というより「神々しいばかりに清楚で美しい」。「ローマの休日」のヘップバーンとか、日活時代の吉永小百合とか「神々しいほどに輝いて見える女性」「いつの時代に見ても普遍的に美しい女性」てのがいるけど、この「1983年の松田聖子」もそれに匹敵するんじゃないか。そしてなんといっても、ボーカリストとしても21歳にして前年よりもさらに安定しているし。
この時代はシングル・ヒット曲のレベルが高すぎる。松任谷由実作曲の「瞳はダイヤモンド」は荘厳なほど美しく、細野晴臣作曲の「天国のキッス」は一点の曇りもないほど明るくて可愛らしい。これが「地味」「よく分らん」と感じられたとは、いくらガキとはいえ見る目がなさすぎ。周りの同級生は男子も女子も夢中だったし、父(実は隠れファンだった:笑)や妹も喜んで彼女の出演するテレビを見ていたのに。そしてもっと驚くのが、当時は「地味で暗くて意味が分らんパッとしない曲」と思っていた「ガラスの林檎」・・・。賛美歌か宗教歌かのように透明感のある荘厳なバラード。にもかかわらず、バックでシンセやギターがうねったような重厚で妙な音を奏で、まるでキングクリムゾンのよう。正直、私はYMOもはっぴいえんども全然趣味じゃないし、細野ってソングライターもよく分らないんだけど、こんな奇跡的な楽曲を手がけているという事実、それだけで「やっぱり凄いんだな」とはじめて気がついた次第。とはいえ、その分「難曲」ともいえるわけで、それをちょっと憂いを含んだ澄み切った声で完璧に歌いこなしているんだから、彼女のボーカリストとしての凄さも思い知らされる。個人的には「この曲こそ松田聖子の最高傑作」だと信じています。
そんな荘厳なボ−カルの一方で、「天国のキッス」ではひたすら甘く可愛らしいボーカルを聞かせ、甲斐よしひろ作曲の「ハートをRock」ではロックン・ロール(モータウン風)を歌いと、曲によって全く違うスタイルのボーカルを聞かせる。それは「曲に合わせて、その曲の主人公になりきって演じながら歌っている」かのよう。「1982年が全盛期」だとすれば、この時代は「安定期」といったところか。うーん、この時代のアルバムもやっぱり揃えたいかも。
Disc4(1984後半〜1985)
デビュー以来ナチュラルなメイクや衣装で、いつも笑顔で歌っている、そんなイメージだったのに、この時期、急に奇抜な衣装や髪形、厚化粧、なんとなくイメージが変わり始めてきた(既に「2号」になりかかっていた?:笑)こともあって、1982,3年もずっとファンだった連中、特に男性ファンが徐々に離れていた時代。動画サイトなどで今見ても「急に変わった」ように見える。ジャケ写の顔がまさにそんな感じだけど。ただCDで曲を聴くだけなら、それ以前と大きな変化はない、はずだけど・・・。
「上手い」「いい声」だけど、前年までのように「輝いてない」というか、「神々しさがない」というか、少しずつ「魔法が解けかけている」というか・・・。理由は分らないし(おそらく、プライベートが影響してる?)分析する気もないけど、どことなく前年までと比べると「何か」が欠けてるように思える。シングル・ヒットした、佐野元春作曲の「ハートのイヤリング」と尾崎亜美作曲の「天使のウインク」の2曲は名曲だと思うし、ボーカルも素晴らしいので、決して「この時期は駄目」「この時期は嫌い」とまでは言わない。特に「天使のウインク」は最後の輝きといったところ。
というわけで、CDを聴くということはつまり、歌っている姿を「見る」ことがないので、ルックスに惑わされることなく純粋に「歌を聴く」「声を聴く」ことに集中できました。それでもやっぱり、「上手い」「声がいい」「歌声を聴くだけで安らぐ」という、同じ感想を持ちました。やはり今の私は、純粋にこの人の歌声に魅せられた状態にあるようです。本文の中でも書いたとおり、もっともっと多くの曲を聴きたいので1980〜1983年までのアルバムはコンプリートしたいと思います。しかし評判どおり、オリジナル・アルバム収録曲にすら「捨て曲」がなく、シングル曲と遜色がないのは驚き。古今東西の、いわゆる「アーティスト」でもそういう人って多くないのに「アイドル」(レッテル貼られただけだけど)でそんな人って他にはいないでしょう。
■2012/1/2 あんたの時代はよかった 2(沢田研二DVD) もう約3年以上前になるけど、こんなもの(こちら)を書きました。動画サイトで、小学校4年〜6年生くらいの頃に好きだった沢田研二の往年の動画を見ているうちに思わず引き込まれてしまい、再評価したと。まあ、この人の場合、先日から書いている松田聖子と違って、1990年代にベスト盤を買って往年のヒット曲を聴き直して、曲のよさやシンガーとしての素晴らしさに関しては再評価してきた。だけど、歌っている姿の神々しさやパフォーマンスの凄さに関しては、動画サイトを盛んに見るようになるまでは気がつかなかったわけで。同時に、ケーブルテレビでちょうど「夜のヒットスタジオ」の1977〜1980年頃、つまりリアル・タイムで彼に夢中になっていた頃の回が再放送されていたので、大きな画面で当時の姿を見ることが出来て、ますます当時のこの人が「昭和を代表するエンターティナーのひとり」だったことを再認識したところでもありました。
そんな彼の1975〜1990年のその「夜のヒットスタジオ」に出演した際の映像を集めた6枚組のDVDが発売されるとの情報を得たのは、昨年の秋頃でした。「6枚組ということは、5万か、6万位するだろうから手が出るまい」と思ってたのに、よく見ると2万6千円、しかも某通販サイトで予約購入すると、1万7千円にまで安くなる。あんまり好きな言葉じゃないけど、この時代の彼はまさに「神」、永久保存もの、国宝級の動画といっても過言じゃない。これは買っておかないと損。ということで、予約していたものが届いたのが昨年末。毎年「大晦日独特の年越しの雰囲気と、紅白が死ぬほど嫌いで、あの空気に触れているだけで気分が鬱になるから」という理由で、もう20年以上前から大晦日の夜はビデオを購入したり、レンタルで借りたりして、それを見ながら過ごすのが恒例行事。なので、今年の大晦日の夜はこのDVDを見て過ごしていました。
まずDisc1は1975年〜1977年。まだ最初の頃は若々しくて「華奢な美青年」風だけど、「時の過ぎゆくままに」で急に退廃的で危ない雰囲気に。徐々に貫禄がついていって、1977年の「勝手にしやがれ」で、私もよく知っている「オーラを発散しまくる」神々しいまでの姿になっていく。ここからDisc2の1977〜1978年、そしてDisc3の1978〜1979の前半「カサブランカ・ダンディ」の頃までがまさに全盛期。ロックの世界ならRUBBER SOULからREVOLVER期のビートルズ、デビュー〜入隊までのエルヴィス、サッカーの世界なら1986年のマラドーナ、あとは先日述べた1980〜83年の松田聖子など「人間の常識を超越したほどの輝きを発する時期」が訪れる人ってのが稀にいるけど、この時期の彼もまさにそんな感じ。大袈裟ではなく、この時期のパフォーマンスは「国宝級」だと思う。
ただ、このDVDのよさでもある反面、欠点にもなっているのが「ほぼ全出演回を、時代順に収録している」こと。つまり「勝手にしやがれ」が5回、「憎みきれないろくでなし」が5回、「サムライ」が5回と、同じ曲を歌っているシーンが連続して登場する。いくら好きな曲だといっても、同じ曲を連続5回も聴いていると「飽きる」ことはないにしろ、さすがに間延びしてしまう。うーん「時系列」の編集も良し悪しだなと。とはいえ、同じ曲でも衣装が変わっていたり、パフォーマンスが変わっていたり、歌い回しが違っていたり、井上尭之バンドの演奏(特にギターソロ)が違っていたりで興味深いところが多い。「勝手にしやがれ」は初回出演時はまだ帽子を投げるおなじみのパフォーマンスがなかったりとか、「カサブランカ・ダンディ」も初回はウイスキーを口に含んで吐く動きがまだぎこちなかったりとか、Love(抱きしめたい)は初期の頃は目を潤ませて歌ってたなとか、いろんな発見があって面白かった。あと「サムライ」の2回目出演時のパフォーマンスは、歌っている最中にカメラに映らないように畳30枚を敷き詰めていく演出でファンにはおなじみの「神回」(嫌いな言葉だけど、この人の場合この言葉が似合う)。カメラワーク、照明、セット、そして本人の鬼気迫るパフォーマンス。すべてがパーフェクト。本人の歌唱やパフォーマンスはもちろん、当時のテレビ番組制作に携わった人の「魂」を感じる、最高の映像だと思う。
Disc4(1980〜1981)は「嫌いになるきっかけ」になったTOKIOと「恋のバッドチューニング」が収められているので、なんとなく見るのが気が進まない。当時は「いくら奇抜なパフォーマンスといっても、やりすぎ」と感じて、心が離れてしまった。特にカラーコンタクトとキンキラ衣装の「恋のバッドチューニング」は当時も今も、思わず「気持ち悪い」と思ってしまう。リアル・タイムではその後の、和製ロカビリー=オールディーズ調の「おまえがパラダイス」が気に入りはしたけど、気持ちは既に離れていたもの。だけど、このあたりからDisc5の1982〜1985年頃って、オールウェイズ→エキゾティックスという、吉田建を中心としたニューウェーブ風の音を出す若いバックバンドを従えて活動していた時期。今見ると井上尭之バンドと活動していた時期よりも若々しく感じられるし、どことなく「バンドのボーカリスト」のように見える。やってる音も当時の先端の音を取り入れているし、歌っている姿がとても楽しそうなのが印象的。1977〜1979年頃のような神々しさは薄れた反面、とても楽しんでリラックスして歌っているように見え、今見るとこの時期も悪くないなと。
ちなみに、あまりにもボリュームがありすぎるので、まだDisc5の途中までしか見てません。それにDisc2や3も同じ曲ばかりが何度も出てくるので、実は飛ばしてしまって、見ていない部分も多々あります。とはいえ、永久保存もののアイテムなので、ゆっくり時間をかけて見ていきたいと思います。どこの動画サイトも最近は「削除の嵐」状態で(いつかはこうなると思ってたので、仕方なかろうと)、そろそろ下火のようなので、今後はこうしたアイテムをもっと出して欲しいと思います。興味がないので買ってないけど、山口百恵、ピンクレディ、中森明菜も同様のアイテムが出ているとか。今後は松田聖子(「1号」限定で、「2号」はいりません:笑)とキャンディーズが出れば、購入したいかな。ただし、3万円以下でお願いします(笑)
■2012/6/18 リヴォン・ヘルム死去、また生で見たアーティストがひとり逝く 表のサイトでも何度も触れているけど、私がはじめて見たロック系の海外アーティストのライブは1989年、北九州市の九州厚生年金会館で行われたリンゴ・スター&Hisオールスターバンドの来日公演。もちろんリンゴ目当てで参戦したライブだったけど、アクの強い他のメンバーの存在感に圧倒されると伴に、今まで知らなかったタイプの多くの音楽に触れることが出来、音楽を聴く幅が広がっていったものでした(詳細はこちら)。
そんな中でも特に「こんな音楽、聴いたこともない」「これもロックか、ひとくちにロックといっても、いろんな音楽があるんだな」と驚いたのがザ・バンド。リンク先にも書いているけど翌日、すぐにザ・バンドのベスト盤を購入してしまったほど。どちらかといえばリック・ダンコのボーカルの方に心惹かれたのは事実だけど、リヴォンの歌うThe Weightのサウンドも、ボーカルも、まさに「今まで聴いたことのないような音楽、ボーカル」で、ちょっとした衝撃を受けたものでした。
1994年にリヴォン、リック、ガースの3人のオリジナル・メンバーを中心とした再結成ザ・バンドの来日公演も行われたけど、「オリジナル・メンバーじゃなきゃ」「故人であるリチャード・マニュエルは仕方ないとしても、せめてロビー・ロバートソンがいないと」というわけで参戦見送り。その直後にリヴォンが体調を壊したと聞いて「行っとけばよかった」と後悔したのも記憶に新しいところです。
なので「リヴォンはもう、ライブ活動なんて出来ないんだろうな」と思っていたんだけど昨年、BS-TBSのSONG TO SOULという番組でThe Weightが取り上げられていたけど、ここにリヴォンが出演。曲に関するエピソードを語っていた他、最近のライブの様子なども紹介されていた。なんと、以前と同じように歌い、ドラムを叩いてる姿が。それを見て「ああ、復活したんだ。まだ頑張ってるんだな」「リックもいなくなったし、ソロでもいいから来日してくれないかな」なんて思っていたもの。そんな元気な姿も記憶に新しい中での突然の訃報だったので、本当にビックリしました。
私にとっては「ルーツロックとの出会いのきっかけを作ってくれた人」「はじめて生で見た洋楽ロック・ライブに登場したアーティスト」、それがいなくなってしまった。私がロックに夢中になったあの頃が、また遠くなってしまったように思えました。同時に、あの時のオール・スター・バンドの10名のうちリック・ダンコ、ビリー・プレストン、クラレンス・クレモンスに続いて4人目の訃報であること、ザ・バンドのボーカリスト3名が全員他界してしまったこと、それを思うと本当に寂しく思えました。さらに1994年のザ・バンドの来日公演に行かなかったことを改めて後悔。そんな様々な想いが・・・。同時に「60年代、70年代に活躍したアーティストは、見れるうちに見ておかなければの想いも。
■2012/7/19 ジョン・ロード逝去、幻のパープル日本公演参戦 表のサイトを頻繁に更新していた頃の私は「アーティストが亡くなったからといって、急にそのアーティストのことを持ち上げるとか、悲観的になるとかってのは嫌」としてきました。だけどやっぱり「語らずにはいられない」ケースもいくつかありました。ジョージ・ハリスン、ジョン・エントウィッスル、ジョー・ストラマーが亡くなった時は「追悼文」のようなものを表のサイトにアップしたもの。そしてつい先日、元ディープパープルのジョン・ロードが亡くなったというニュースをネットと夕刊の記事で見かけました。考えてみればジョン・ロードへの強い思い入れを語ったことはほとんどありませんでしたが、実はかなり思い入れの強いアーティストのひとりでした。なので「ロック気分減退」状態にあるにもかかわらず、意外なほど強い喪失感に襲われています。思わず表のサイトに新作テキストをアップしようかと思ったほどです。
実はディープ・パープルに関する思い入れは、表のサイトの「こちら」のテキスト内で語っています。そちらでも述べているけど・・・。ビートルズに目覚めた1987年、19歳の頃から、60,70年代のロックをあれこれ聴き漁ってきたけど、プログレとハードロックは何となく苦手で遠ざけてきたもの。それが大学3年の頃、講義中に後ろの席に座っていた連中(しょっちゅうロックの話をしていた)がパープルを絶賛しまくっていたもんだから、思わずその日のうちに輸入CD店(今はなきタワーレコードKBC)でDEEPEST PURPLEを購入。一発で気に入り、その後は黄金期ともいえる第2期のアルバムを聞き漁って・・・。それから約3ヶ月の間ビートルズも、ストーンズも遠ざけて、ひたすらパープルばっかり聴き続けました。リンク先にも書いている通り冷めるのも早くて、その「気分」は3ヶ月であっさり遠ざかり、以降は熱心に聴くこともありませんでした。とはいえ、あの3ヶ月間の「のめり込み度」は相当なものでした。「ロック気分」に浸っていた1987年〜2006年頃の「重大ニュース」のひとつだったといっても過言じゃないほどです。
ただ、リンク先ではリッチー・ブラックモアへの思い入ればかり語っています。もちろんリンク先にも書いている通り、楽器音痴で「楽器を演奏したい」と思ったことなんて一度もなかった私なのに、パープルにのめりこんでいた頃はリッチーに影響されて、本気でギターを弾いてみたいと思ったし、ギタリストへの憧れのようなものを感じたもの。こんな気分にさせられたのはリッチーとピート・タウンゼンドくらいしかいない。なので、もちろんリッチーが好きだったのは事実。
だけど、実はリンク先では一切触れていないけどジョン・ロードの存在にも、なんとなく惹かれるものがあったというのは正直なところ。「ハードロックにキーボード」って異色というか、前代未聞というか・・・。クラシカルだけど、プログレ系の人たち、リック・ウェイクマンやキース・エマーソンのように「テクニックをひけらかす」ような嫌味な感じがない(これはあくまでも私の趣味、好き嫌いレベルの話です!)。しかも「クラシカル」なのに、本来ならそれとは相容れないはずのハードロックなサウンドに無理なく融合してるし・・・。ステージでの静かな佇まいからは想像できないほど、リッチーのギターやイアン・ギランのシャウト・スタイルのボーカルと繰り広げる激しいバトルやコール&レスポンス。特にMADE IN JAPANのLAZYのイントロは衝撃で「どうすればシンセも使わずにこんな音が出るんだ?」。その独特なサウンドと存在感に強く惹かれるものがありました。そのことをなぜリンク先のテキストで一言も触れていないのか、自分でも不思議に思います。「パープルは第2期、黄金期が最高」という人が圧倒的に多くて、一方で「ロック通」を気取った人は「いや、第1期が実はいい」「リッチーよりトミー・ボーリンの方がいい、リッチーばかり崇拝するな」と言い出したりもする。私は決して「第2期過大評価信者」ではないし、第1期も、第4期も嫌いじゃないけど、やっぱり「ディープ・パープルといえばリッチー・ブラックモアとジョン・ロードのバンド、2人がいるパープルが最高」という想いが強いです。さらに言えばリッチーは途中で脱退してるので「ジョン・ロードこそがパープルそのもの」というのも正直な想いです。えっ、今も活動してるって? リッチーはおろか、ロードもいないし、あれはイアン・ギラン・バンドでしょ!!! 私にはどうしてもあれをパープルと認めることは出来ません。
そしてなんといっても忘れられないのが、1993年の日本公演。その頃、第2期の黄金期メンバーで復活してツアーを行っていたパープル、来日公演も決定。当時仕事の関係で木更津に住んでいたので、日本武道館公演のチケットを購入。「もうすぐリッチーを、ロードを見ることが出来る」、はじめてポール・マッカートニーを見た、ストーンズを見た、ザ・フーを見た時と同じくらい楽しみにしていたものでした。ところが、来日まで1ヶ月あまりに迫ったある日「リッチー脱退」のニュースが。「急なメンバー交代につき、希望者はチケット払い戻します」という異例の事態。普通メンバーの交代で「返金」なんてしないのに。私は迷わずチケットを返却、払い戻ししてもらいました。先も述べた通り「リッチーとロードのいないパープルなんてあり得ない」と思ったから。「後悔してるか?」と聞かれれば、一切後悔はありません。私の選択は間違ってなかったと、ジョンの逝去のニュースを聞いてもやはり思います。だけど一方で「2人が揃ったライブを一度も見ることが出来なかった」ことは、私にとっては一生の不覚。はっきり言えば、ジョー・サトリアーニがギタリストとして参加した来日公演なんて見るくらいなら、まだジョー・リン・ターナーがボーカルとして参加した1991年の来日公演に行った方がよかったと思える。いや、ボーカルはイアン・ギランじゃなきゃいけないなんて拘りはないし。1991年はまだ北九州在住で、しかも就職活動真っ只中だったので「行く」という気分にすらならなかったけど、今になって後悔する。とにかく「2人揃ったライブに行けなかった」ことは、私が生きている限り「人生の汚点」のひとつになると思います。
というわけで、ジョン・ロード逝去で様々な思いが渦巻いている今日この頃だけど、自分でも嫌なんだけど突然「ロック気分」が復活気味。この2日ほど動画サイトでパープルの映像ばかり見ているし、今もこの「落書き帳」を書きながら聴いているのはパープル。「訃報をきっかけにしばらく遠ざけていたロックを聴きはじめる」なんていい気分はしないし、ジョン・ロードに申し訳ないような気もする。だけど「アーティストは亡くなっても、そのアーティストの残した音楽は永遠に残るし、色あせることはない」とも言えるわけで。またひとり、私がのめりこんだアーティストがひとり逝ってしまったという事実は悲しく、寂しい反面、パープル、ジョン・ロードの魅力を再発見することも出来たわけで、ちょっと複雑な気分です。
■2013/6/10 「聴く」より「やる」? 新しいパソコンを購入した2007年頃からネットで動画サイトに夢中になり、小、中、高校生の頃に好きだった70,80年代の日本のヒット曲ものの動画ばかりを見るようになり、「ロック気分」が薄れていったわけですが・・・。そんな中で、2010年頃からは今までは遠ざけてきた「女性ボーカルもの」を好むようになったと書いたこともありました。最近も一時期ほどではないもののの、たまにそうした動画を見つけると思わず何時間も見入ってしまうことがあります。
もちろん洋楽、邦楽、年代、ジャンル問わず、有名な人の動画もよく見るけど、最近「意外といいな」と思っているのが無名なプロのシンガー、バンドや、アマチュアのシンガーやバンドの動画。ネットの時代、動画サイトの時代だから、例えメジャーじゃなくっても、プロじゃなくっても、自分の演奏や歌をネットを使って全世界に配信できる。同時に私たち「見る側」も、どこの誰だかすら分からないような人たちの歌や演奏を居ながらにして見聴きすることができる。無名な人、プロじゃない人って言ってもレベルは様々。本当に「仲間内で盛り上がっているだけ」のような、お遊び、学芸会レベルの人もいれば、プロレベル、いや、プロ以上に素晴らしい歌声、演奏を聞かせてくれる人もいる。単なる自己満足、ナルシストな連中もいれば、「みんなに聴いて欲しい、見て欲しい」というピュアな気持ちが伝わる人もいる。最初は「無名だけど素晴らしい女性シンガーはいないかな?」というところから入ったけど、最近ではお気に入りのユニット、バンドも増えてきた。直リン貼ったり、実名を挙げたりするのは気が引けるけど、個人的に気に入っている人、バンド、ユニットも何組かいます。あと「ギターカバーもの」とか。そうしたものをあれこれネット上で見ているうちに、あっという間に1時間、2時間過ぎてしまって「ああ、もう寝なきゃ」となる日も多いです。いや、いい音楽を楽しそうに演奏している人たちを見ると、疲れとか、昼間の嫌なこととか忘れて、気分が癒される。
ただ、だからといって「ロック気分」は戻ってきません。私にとっての「ロック気分」というのは、もっぱら「ロックを聴く」こと。前にも書いたけど、生まれてこの方、私の趣味、楽しみって「見る」「聴く」等、すべて受け身で「自分でやってみる」ことをしてきませんでした。今は「音楽を聴く」ことには、あまり楽しみは見出せない。一方で動画サイトで音楽をやっている人たちの姿を見ていると「歌う」「演奏する」ことがとても楽しそうに見える。私がこうした動画にはまったのはもちろんその人たちの歌や演奏が魅力的だからというのもあるけど、むしろ歌っている、演奏している人たちの楽しそうな姿に惹かれたからじゃないかと思える。ああ、俺もあんな風に演奏できたらなあ、この人たちと一緒に演奏できたらなあ、この素晴らしいボーカリストのバックで演奏できたらなあ、この素晴らしいギタリストとセッションできたらなあ・・・。
今になって後悔する。なぜもっと若い時に自分で「音楽をやってみよう」という気にならなかったんだろう。高校時代、同級生が文化祭のバンドのミーティングを「学校から近いから」という理由だけで、私の家に入り浸ってやっていたもの。その後、プロのミュージシャンとしてデビューした別の同級生もいたので、私の周りでは「一足早いバンド・ブーム」が起こっていたもの。身近に「音楽をはじめる」チャンスはあったのに。なぜあの時、始めなかったんだろう。もしも私が「聴く」だけではなく「自分で演奏できる、演奏を楽しむことができる」音楽ファンであれば、こんなに簡単に「ロック気分」が冷めてしまうこともなかったろうに・・・。「音楽を聴いて小難しく語るだけ」、かつての表のサイトの管理人の私って実は「恥ずかしい奴」だったのかなと思えてきました。
というわけで、今更ながら「聴く」ばかりで「やる」という楽しみを知らずに今まで生きてきたことを非常に後悔しています。一方で「音楽を楽しんでいる」人たちを非常に羨ましく思えると同時に、思わず応援したくなります。
■2013/12/31 耳元に触れた囁きは今も忘れない・・・(大瀧詠一急逝) 「振り返る余裕などない」とはしたけれど、12月31日は一応「1年の締めくくり」っぽいことを書くつもりでいたんだけど・・・。ネットで見かけたニュースに衝撃を受けたので予定変更、今年は一切「振り返りネタ」はなしにします。
幼少の頃(昭和48年頃〜53年頃)、テレビで流れていたCMソングはメロディも歌詞も非常に覚えやすいものが多かったので、よくふざけて歌っていたものでした。だけど「メロディはモロにツボにはまったのに、なぜか歌いにくかった」のが三ツ矢サイダーのCMソング。「冷たくされてもいいんですね・・・」そんな歌詞だったような。画面から目をそらしていても、流れてくると思わず画面に釘付けになっていたので、それほど私にとっては「ツボにはまる」メロディだったはずなんだけど。その後中1の時、松田聖子の「風立ちぬ」がヒット。まあ、当時の私は松田聖子に夢中だった頃なので文句なく気に入ったけど、「今までのどの松田聖子の曲とも雰囲気が違う」「今までのどの曲よりも素晴らしいメロディとゴージャスなサウンド」と感じたものでした。もう「松田聖子の曲云々」とは無関係に大好きな曲だったものです。さらに同じ年、ロート製薬の目薬のCMに心を奪われました。リゾートを思わせる南の島の真っ青な空と海、降り注ぐ日差し、そんな映像のバックには、その映像と同じくらい、いや、それ以上に鮮やかでまぶしいBGM。メロディももろにツボだったし、ちょっと頼りないけど甲高い、これまた私のもろツボにはまるような歌声。誰の、何という曲かは分からなかったけど、「すごくいい曲」「ものすごく親しみやすい曲」だと思ったものでした。翌1982年の暮れには森進一の「冬のリヴィエラ」が大ヒット。演歌は苦手だし、その中でも森進一のボーカルは最も苦手だったけど、この曲は「全然演歌じゃない」「もろツボにはまるメロディとゴージャスなサウンド」ということで気に入ったものでした。だけど、これらの曲すべてが「同じ人の作曲」だということは当時、全く知りませんでした。いや、それどころか、これらの曲を作曲した人の名前すら知りませんでした。
1983年、中3の夏休みにラジオを聴いていた時のこと。何気なくつけた番組であの「ロート製薬の目薬のCMソング」が流れていました。曲が終わるとDJが「曲はオオタキ・エイイチで『君は天然色』でした」と紹介。この日はじめて大瀧詠一の名前を認識し、同時に「ロート製薬のCM」で聴いた曲が「君は天然色」という曲だということを知りました。「大瀧詠一特集」の1時間番組だったので、この番組を聴く中ではじめて彼がどんな人で、どんな足跡を辿った人なのかを知りました。前の年にアルバムLONG VACATIONが大ヒットしたとか、伝説のはっぴいえんどのメンバーだったとか言われても、シングルのヒット・チャートにも、テレビの歌番組にも無縁な人のことなんて、当時の私は知るすべもなかったし。その後、薬師丸ひろ子の「探偵物語」(1983)や小林旭の「熱き心に」(1986年)をはじめて聴いた時は一発で「これ、大瀧詠一作曲だな」と認識できるようになりました。さらに洋楽に目覚めた1987年以降、彼の作る音を「ジャパニーズ・ウォール・オブ・サウンド」と言われていると聞いて「ああそうか、なるほど」と納得したり。彼の作る音やメロディって、癖があるから一発で分かる。その癖の強さゆえに「マニアックすぎる」「とっつきにくい」という人もいるけど、私の「感性」や「感覚」からすれば「もろツボ」な音、メロディなので、どんな音楽よりも親しみやすく、すんなり入ってくる。それほど私には「これ以上ないほどど真ん中」な音楽を作っている人なんだと常に感じていました。
だけど、彼のソロ作品やアルバムを買ったことは一度もありませんでした。「メロディは好き」だけど「買って聴きたい」とまでは思わなかったのはなぜだか分からない。彼のボーカルも「もろツボ」なはずなのに。また、実は「動いている姿、映像」は一度も見たことがないし、それどころか、どんな顔をしているのかもはっきりとは思い出せない。なので、間違っても「ファンだった」「大好きだった」なんていえないかもしれない。でも、彼の作るメロディやサウンドは、間違いなく私のツボだったのは事実。それなだけに、大晦日の急逝には本当に驚きました。全曲彼がプロデュースを手がけた松田聖子のアルバム「風立ちぬ」や「君は天然色」収録のLONG VACATIONは「いずれ購入したいCD」の候補だったし。「もろツボ」なメロディやサウンドを手がける作曲がひとり、いなくなってしまった。どうせ今日は紅白のことばかりが話題になるんだろうけど、正直今のアイドルやミュージシャンで、私の「ツボにはまる」ような曲を歌っている人は皆無。それなだけに、この喪失感は大きいです。まさか1年最後の書き込みがこんな内容になろうとは・・・。
■2014/5/22 作品に罪はない チャゲ&ASKAのASKAが逮捕されたとかで大騒ぎな様子。まあ、好きな曲は何曲かあるけど、このデュオ自体には特別な思い入れがあるわけでもないし、むしろタイアップで大ヒットを記録したようなタイプの曲は、全然趣味ではなかった。ましてやってしまったことに対しては一切同情の余地はない。だから特別「残念」とかって気持ちもない。
でも、ひとつだけ気になること。チャゲ&ASKAのCDが店頭から撤去されたとか、テーマ曲を手掛けたかつてのドラマの再放送が自粛されたとか・・・。いずれ「CD廃盤」「製造中止」などの措置がとられることも予想される。過去にもアーティストが事件を起こして逮捕されると同時に、同様のことがあったから。だけど、私はそういう風潮には違和感があります。
罪を犯したのは、その作品を作った、歌った、演奏した本人自身。だから本人が責められるのは当然だし、罪を償うのは当然。同情する気は一切ありません。だけど「作品」自体には何も罪はない。作品=音楽というのはいったん世に出ると、その作者、歌手、演奏者、制作者の手元を離れてしまうもの。それを聴いて感動したり、感銘を受けたり、好きになったり、勇気づけられたり、思い入れを持ったりした、リスナーひとりひとりのものになる。先日まで私が書いてきた「シリーズ:私はこんな曲が好きだった」の中で述べてきたように、受け止めた人ひとりひとりの思い出の中で生き続けるもの。例えば、あの中でも私は「この曲を聴くと●●にいた頃を思い出す」「当時親しかった人やお世話になった人のことを思い出す」と述べた。そう、作者や歌い手、演奏者や制作者のことなんて一切関係なく、間違いなく私の思い出の中で「生きて」いるもの。音楽に限らず、作品ってそういうものではないでしょうか。表のサイトで語っている、最近は遠ざかっている60,70年代の洋楽ロックだって同じ。既に私の思い出の中で生きているものになっているし、もっと大げさに言えば、私という存在の一部になっている。
なのに作者や歌い手、演奏者が犯罪を犯した=自粛、撤去、廃盤、製造中止というのは、何かがおかしい。まるでその楽曲に思い入れを持っているリスナーをも否定し、そのリスナーの人生や思い出までをも否定するようなもの。その作品には罪はないじゃないか。今回「シリーズ:こんな曲が好きだったPART 2」を手掛けるにあたって、ネット上で多少の情報収集をしたけど、その中で1998〜2000年編で3曲も選んだHysteric Blueが、メンバーの中で最もバンドに対する貢献度が低かったはずのギタリストが犯した犯罪(薬物以上の重罪で同情の余地はないもの)が原因でCD製造中止な上、放送も自粛され、残る2名のメンバーが細々としか活動が行えない現実を知ってショックを受けたりもした。スター性十分で実力のある女性ボーカリストと、大半の曲の作詞、作曲を手掛けたドラマー、2人とも埋もれさせてしまうにはもったいない人たちなのに。楽曲もあれだけ大ヒットしたので、思い入れを持っている人も多いはずなのに。
繰り返すけど、作品自体には罪はない。作品自体を否定することは、その曲の好きなリスナーの存在や思い出自体も否定し踏みにじる行為。「ロック気分」からは遠ざかって久しいけど、やっぱり今でも私は「音楽ファン」であることには間違いない。だから主張せずにはいられません。音楽って、一度世に出てしまえば、作者や歌い手、演奏者や制作者だけのものではなくなるもの。「否定」されてしまうと悲しくなります。
■2015/2/15 最も身近だったバンド、だけど二度と見ることのできないバンド… (シーナ逝去) 相変わらず忙しい毎日を送っている私、昨日(2/14)帰宅PCの電源を入れてネットに接続したところ、ショッキングなニュースが。「シーナ&ロケッツのシーナさん死去」。思わず我が目を疑いました。つい最近までライブやイベントの情報をネット上で見かけたような気がするのに…。
福岡県出身で現在北九州市に在住する私にとっては、ずっと昔から「最も身近なロック・バンド」だったし、テレビのローカルCMなどでもお馴染みのバンドだったもの。表のサイトのこちらのテキスト内でもそのあたりについては述べているけど、最初に彼らを知ったのは小学校5年か6年の頃、ラジオから流れて来たYou May Dreamを聴いた時でした。ちょっとテクノっぽいサウンドに違和感があったけど、純粋に「いいメロディの曲」という印象でした。今思えば、ちょっとオールディーズっぽいドリーミーなメロディやシーナのハスキーだけど、ちょっと舌っ足らずっぽいボーカルは私のもろツボなので、当然といえば当然でしょうけど。一方で同時期、これもリンク先にも書いているけど「はかたんもんラーメン」なる福岡ローカルのインスタントラーメンのCMで、ぶっきらぼうな博多弁でしゃべり、ギターをかき鳴らす鮎川誠の存在は非常にインパクトがありました。
その後も夫妻で多くのローカルCMにも登場していたし、高校時代の文化祭でも多くの即席バンドがシナロケの曲を演奏していたし・・・。小学生〜高校生の頃の私はヒットチャートもの邦楽一筋だったし、19歳でビートルズに目覚めて以降の私は「洋楽ロック至上主義者」と化していたので、決して彼らのCDを購入したり、熱心に楽曲を聴いたりしたことこそなかったけど「地元を代表する偉大なロック・バンド」「最高にロックな夫婦」だと思ってきました。その後1990年代半ば頃から、ようやく「洋楽ロック一筋」を脱しはじめた私。そんな私が最初に購入した「日本のロック」のCDは当然のようにシナロケのベスト・アルバムでした。さらに1995年のローリングストーンズ福岡ドーム公演の会場で偶然、鮎川誠&シーナ夫妻に遭遇(詳細はこちら)した、でも当日は気がつがず、後日気がついたなんてこともありました。というわけで本当に私にとっては「最も身近なロックバンド」だったものです。
だけどなぜか体験できなかったのが、彼らのライブ。何度かチャンスはあったし「行きたい」と思うライブもあった。1999年、私がまだ千葉県柏市に在住時、ウィルコ・ジョンソンとのジョイント・ライブが都内で行われたけど、私自身の都合が合わずに断念。北九州に戻った後の2003年11月、私はルースターズに急激にはまって、勢いで元メンバーの結成したロックン・ロール・ジプシーズのライブに足を運びました(詳細はこちら)。その会場の入り口で渡されたのが同年12月に福岡で行われるシーナ&ロケッツデビュー25周年ライブのチラシ。ただのシナロケのライブじゃなく、ルースターズやサンハウス、ロッカーズなど福岡ゆかりのバンドの元メンバーや、シナロケに影響を受けた多くのアーティストも参加する一大イベント。「行きたい」と思ったけど、立て続けにライブに行ける経済的余裕がなかったことや、当時の心境として「シナロケはシナロケ単独で、大江慎也は大江慎也単独で体験したい」気分だったので敢えて断念。さらに地元北九州の若松区(シーナの出身地)にある高塔山で2004年から毎年行われるようになったロック・イベント「高塔山ジャム」にもほぼ毎年登場。何度か「行こう」「行きたい」と思ったことがあったし、何年だったか忘れたけど、知り合いのバンドが参加した年もあったので、その年は本気で行くつもりだったけど結局一度も行けず。「いつかはライブを見たい」と思いつつ「いつでも見れる」という想いもあったので、先送りにして見ないままにしていたというのがホンネです。まして2008年頃から続く「ロック気分減退」と、2010年の「ライブ行かなかった事件」(こちら)などが邪魔をして・・・。
そしてとうとう「いつでも見れる」と思いつつ、一度も見ることが出来ませんでした。私にとっては「痛恨」です。正直言えば2000年代後半頃から、シーナの声が著しく劣化していること、その「劣化」の原因が単なる「不摂生」などではなくって、なんか重大な病気のせいなんじゃないかという「予感」もありました。それなだけに一度もライブを体験できなかったことは、本当に一生後悔しそうです。まさかこんなに早く、シーナが逝ってしまうなんて夢にも思ってなかったし・・・。しかし永遠に私の中ではシナロケは「最も身近なロック・バンド」であり、鮎川&シーナ夫妻は「ロックなカップル」の代名詞であり続けるでしょう。同時に永遠に「地元の誇り」のひとりです。
■2015/6/23 「音楽を聴かせてくれる」ラジオ番組 10年前に「大病」で入院、手術が終わった後、約2か月間「自宅療養」をしていた私。数時間リハビリがてら軽く散歩するだけで、毎日家にじっとしているとさすがに退屈でした。そんな時、ラジオを何気なくつけてみました。するとNHK-FMで月〜金の夕方4時から「ミュージック・プラザ」という番組をやっているのを発見。月曜日は、つのだひろがDJで「昭和歌謡」と称して昭和20年代〜昭和60年代のヒット曲をかける、木曜日は矢口清治がDJで1950〜1980年代の洋楽ヒットをかける、金曜日は太田裕美がリスナーのリクエストに応えつつ、様々な曲をかける。火曜日と水曜日は私の趣味ではないジャンルの音楽かける番組だったのでスルーしていたけど、今時珍しい「音楽を聴かせる番組」をやっていることに感動しました。おかげで月、木、金の夕方はちょっとした「息抜き」が出来ていたものでした。
ラジオ番組には「有名人や地元ローカル局のアナウンサーなどが、リスナーからのハガキやFAXを読みつつ、しゃべりまくる」タイプの「しゃべり」を売りにする番組と、「音楽をじっくり聴かせる番組」に2分されると思います。私は昔から、ラジオで「しゃべり」を聴きたい気持ちはあまりなく、とにかく音楽を聴きたいと願っていました。特に小4〜20代前半くらいまでは「エアチェック」が趣味だったし。どちらかというと「AMはしゃべりの番組、FMは音楽を聴かせる番組」というカラーもあったので、私はむしろFMが好きでした。よく聴いていたラジオ番組は過去ログのこちらや、表のサイトのこちらやこちらでも語りましたっけ。
だけど21世紀に入った頃、いや1990年代半ばから急速にラジオがつまらなくなったと感じていました。その最大の理由は「音楽をじっくり聴かせてくれる番組が死滅した」からに他なりません。かつては「音楽を聴かせてくれる」番組が主流だったはずのFMも「しゃべりの合間に音楽をかける」「その音楽もフェイドイン、フェイドアウトばかりでフルコーラス聴かせてくれない」番組ばかり。いや、おそらく最早ラジオは「音楽を聴かせる」メディアではなくなったんだろうと感じていました。
それなだけに10年前にこの番組を発見した時は心底嬉しかったもの。だけど自宅療養を終えて社会復帰して以降、平日の夕方に家にいることなんてほとんどなくなり、めったに聴くこともなくなりました。ましてこの番組、祝日は特番で休みになるので、祝日は聴くことができないし。ということでいつの間にかこの番組の存在自体をすっかり忘れていました。
ところが今年の4月以降、昨年末から続いた「息つく暇もないほどの激務」から解放されると、生活パターンが少し変わって「週1休みの週は日曜が出勤、月曜日が休み」とか、「週2回休みの週は日月連休」とか、「月木休み」とかのパターンが増えてきました。こうなると出かける予定もなく家にいる月曜日や木曜日も多くなってくるわけで…。そんな時、4月の半ば頃だったと思うけど「そういえばあの番組、まだやってるのかな?」と思い出しました。番組表を見るとなんと、あれから10年も経つのに相変わらずやっているらしい。月曜日のつのだひろの日は「昭和歌謡」ではなく、少し若返って「1970年代を中心とした懐かしい日本のヒット曲」をかける番組に、木曜日の矢口清治の「50年代〜80年代の洋楽ヒット」は変わらず健在。残念ながら金曜日の同番組は消滅しているけど、月〜木はほぼ内容が変わらずに、あの頃と同じように放送されていることに驚きました。
以来私は「平日休み」で特に出かける予定がないときは、この番組を聴くようになりました。いやむしろ「平日が休みの日の楽しみ」になりつつあります。何よりこの時代に「音楽を大事にする」「音楽を聴かせる」番組が存在すること自体が貴重。いつまでも続けて欲しいと願わずにはいられません。
■2015/12/3 現代の「ピンポンパン体操」? 現代の「WAになっておどろう」?(最近のアイドル・ソング) 先月の半ば頃だったと思います。いつものようにYOU TUBEを見ていたら偶然某アイドル・グループ(A●B)のヒット曲(「「こ●●のプ●●ード」なる曲名)に合わせて、ある企業の従業員が踊ってる動画に流れ着きました。いろんな部署の人が踊っている数秒の動画を繋ぎ合わせていき、イントロからエンディングまでを完成させたもので、なかなか良くできていました。その後、同じような動画をいっぱい見かけました。別の会社の同じような動画、大学のサークルのメンバーで踊ってるバージョン、夜のお仕事の皆さんが踊るバージョン、結婚式の余興で踊るバージョン、小中高校生や幼稚園児が体育祭や文化祭、お遊戯会などで踊っているバージョン、どこかの商店街の人たちが踊っているバージョン…。
私は某アイドル・グループには全く興味がないし、どんな曲を歌ってるのかすら知らない。むしろ過去にこんなもの(こちら)やこんなもの(こちら)を書いたように「否定か肯定か?」という2択に迫られたら「否定」だと言っても過言ではありません。いや「よく分からない」という方が正確か。だけどなぜかこれらの動画を見ているうちに感じたのは「みんなで楽しく盛り上がる」ためのツールとしては「悪くないな」と。実際、疲れて帰ってきて夜、ネットを見ている時間、そんな時に「楽しそうに盛り上がっている」動画を見ると、ちょっとだけホッとしたような気分になれます。
さらに「本家」の某アイドル・グループの同曲のPVも動画サイトにあったので、そちらも見てみました。「ハモらずにユニゾンばっかり」「腹から声が出ていない中途半端な歌」で、音楽的に見れば間違っても「高度」とはいえない。「音楽」「流行歌」として云々する気には全くならないし、かつて夢中になったロックや、私が小中高校生の頃に親しんだ「流行歌」と同じ土俵で語ることは私には絶対できない。そしてメンバーの顔も、名前も分からん。全員がわざとらしいまでの作り笑顔、衣装もメイクも「やりすぎ」で全く感心できない。チンドン屋? ピエロ? 仮装行列? 「カワイイ」と思えるメンバーは一人もいない。だけど異常なほど覚えやすいメロディ、派手派手ではないけど、軽快で「心が弾む」「思わず体が動き出す」ようなリズム。なぜだろう、ほんの少しだけ「幸せな気分」になってしまいました。そしてなんとも切ない歌詞。1コーラス目など中高生の頃の私の気持ちそのもの。ちょっと感傷的な気分に・・・。
確かに「ヒット曲」「流行歌」「音楽」としては良いとは思えないし、決してこれで「この曲が好きになる」ことは有り得ません。だけど「みんなで盛り上がれる」「楽しく、ウキウキした気分になれる」「少しだけ幸せな気分になって笑顔になれる」、この感覚って・・・。そこで思った。私が幼稚園児の頃「ピンポンパン体操」なんてのが流行りました。あくまでも幼児番組の中の体操、なのに当時幼児だった私たちだけじゃなく小中高校生も、大学生も、社会人も、年寄りも、みんながこの曲に合わせて踊っていたもの。「なんで大人まで?」不思議に思ったものです。あと1990年代後半に「みんなのうた」から登場して、同じように大人も子供もみんなが踊っていた「WAになっておどろう」なんて曲もありました。そうか、ようするに某アイドルグループの曲は「現代のピンポンパン体操」「現代のWAになって踊ろう」なんだ。「流行歌」「ヒット曲」ではなく、こうした曲って、いつの時代にもありました。「踊るポンポコリン」や「およげたいやきくん」も同じようなものだったよな。
そう思えば頭ごなしに否定する必要もないし「まあ、こんなのもありか」「たまにはいいかな」と思えました。そして私がほんの少し「心を惹きつけられた」のは「流行歌」「ヒット曲」としてではなく、そうした要素に惹かれたからに他ならないでしょう。間違ってもこの曲が「好きな曲」になることもないし、私が某グループのファンになることもない(というか、この年でそうなったら単なるアブない人だけど:笑)けど「こんな曲もあってもいいよな」という気分です。
■2016/1/11 星に帰ったジギー・・・(デヴィッド・ボウイ逝去) Yahooのトップページを眺めていたところ「デヴィッド・ボウイさん死去」の文字が目に飛び込んできました。「デヴィッド・ボウイさん?」「死去?」、一瞬何の事だかわからず、しばらく考えた後、思わず「嘘だろう」と声を挙げてしまいました。同時に、この数年味わったこともなかったような空虚感、喪失感を覚えてしまいました。
「ロックに夢中」だった1988年頃〜2007年頃の私にとって、もちろん好きなアーティストであった反面、「熱烈なファン」だったとは言えません。表のサイトのALADDIN SANEのレビュー(こちら)や2004年の大阪での来日公演のライブレポ(こちら)の最初の章で詳しく述べているけど、私がはじめて買った彼のアルバムは1990年のベスト盤CHANGES BOWIE。でもティンマシーンなどのリアルタイムでの活動にはあまり興味が湧かなかったし、アルバムの数が多すぎるし、時代によってやっている音楽が違いすぎるのでオリジナル・アルバムを購入したりもしませんでした。その後、1990年代半ばに2枚組ベストSINGLESを購入、そこから「とりあえずグラム期を」ということでZIGGY STARDUSTとALADDIN SANEを購入したのは2000年代に入ってから…。2004年の来日公演に行ったのは「往年のアーティストのライブは見れるうちに見とかなきゃ」という強迫観念に駆られたせい。なのでこの時点での私は間違っても「熱心なファン」とは言えなかったと思います。
だけどそんな私の認識が一転したのは、2004年の来日公演。リンク先のライブレポにもある通り、その程度の認識で参戦したにもかかわらず、すっかり魅了されてしまいました。時代によってやっていることは全く違うけど、純粋に「いい曲」ばかり。アーティスティックなことをやっているのに敷居がくなり過ぎない絶妙のバランス。そして何よりも純粋にカッコいい。もちろん「カッコいいロック・アーティスト」っていっぱいいるけど、ルックスがよく、声がよく、ライブ・パフォーマーとしても一流、とにかく非の打ち所がない。当時50代なのに、異常なほど若々しくって20代女性が黄色い歓声を上げる、でもそれも納得できる。新しめの曲の大半は会場ではじめて聴く曲ばかりだったけど、同世代のアーティストのように「往年の作風をなぞる」のではなく、未だに新しいことに挑戦する意欲が感じられる…。こんなアーティストは唯一無二。
2004年といえば私の「ロック・ファン遍歴」では既に末期だったけど、末期になって初めて本気ではまりました。もしも「ロック気分」が今でも続いていたら、ビートルズやストーンズ、フーやキンクスは既に「聴き尽した」感もあったので、もっともっとはまって、多くのアルバムを買っていたことでしょう。「ロック気分」が冷めた2008年以降、YOU TUBEなどの動画サイトを見る機会が多くなりました。今となってはあまりビートルズやストーンズ、フーやキンクスの動画を見ることはないけど、不思議とボウイの動画はよく見ています。しかも2016年1月にはまたしても新作が出るとかで、ケーブルテレビの音楽専門チャンネルでも2015年末から頻繁にボウイの特集が流れていました。それらを見た影響か、年末は久々にボウイのアルバムを聴いたりもしました。「ロック気分」が冷めた今となっては「ロック・アーティストのライブに行きたい」気持ちは薄いけど、なぜかボウイならもう1回見てもいいかな、そんなことを考えていました。
・・・そんな矢先の訃報、それなだけに見た瞬間、何が起こったか認識できなかったというわけです。新作出たばっかりでしょう? プロモーションとかやってるし、元気なものと思ってた。また来日するものと思ってた。それなのに・・・。しかもまだ60代、当然「ビートルズやストーンズのメンバーの後」だと思っていたので、まさかこんなに早くという想いも有りで…。速攻で動画サイトに行って、グラム期のスタジオ・ライブのStarman、私の見たリアリティ・ツアーの時のRebel Rebel、All The Young Dudesの動画を見てきました。そして今、久々にSINGLESを流しながらこれを書いています。そういえば最新作のタイトルは★だったそうだけど、本人の中では「遺作」という覚悟があったのかもしれません。
正直言えば、私が「ロック気分」まっただ中だった頃に夢中で聴いていたアーティストは、既に60台後半〜70台に突入しているので、訃報を聞く「覚悟」はできているし、最近では聞いても驚かないことも多くなりつつあります。だけど、まだあんなに若々しかった、永遠に年をとらないと思っていた人、しかも最新作発表と積極的なプロモーションを行っていた人の訃報を聞くとは思ってもいませんでした。こんなに「ショックを受けた」訃報、激しい喪失感を覚える訃報は久しぶりかもしれません。
■2016/1/20 Heartache Tonight (グレン・フライ逝去) 朝起きてPCをネットに繋いだところ、目に飛び込んできたのが「グレン・フライさん死去」の文字。ボウイの時のように「まさか」とか「嘘だろう」というほどの強い衝撃ではなかったけど、やはり寂しさを感じずにはいられませんでした。「じわじわ来る喪失感」という感じでしょうか。表のサイトの(こちら)のテキストで触れている通り、「ビートルズ一筋」を脱し、様々なロックを聴きたいと思い始めたのは1988年後半。最初に購入したのはストーンズの60年代のベスト、次に購入したのがイーグルスのベストでした。リンク先にも書いているけどHotel Californiaがヒットしたのは、私が小3の頃。洋楽であるにもかかわらずピンクレディや沢田研二の曲に混ざってシングル・チャートの上位に上っていたので、洋楽なんて全く知らない私ですら当時から馴染みのあるバンドでした。なので「もっとビートルズ以外のロックも聴きたい」と思い立った1988年の秋、真っ先に購入したのは「昔から馴染みのある」イーグルスだったというわけです。
Hotel Californiaに限らず、そのベスト盤に収録されていた曲の大半は馴染みのある曲ばかりでした。一方でバンドの足跡やメンバーに関してはほとんど知識がありませんでした。だけどそのベスト盤にはイーグルスの歴史を紹介した長文のライナーと、非常に大きなイーグルスのファミリー・ツリーがついていました。おかげでメンバーの名前や人となり、メンバーの入れ替わり、オリジナル・アルバム、足跡などを一気に知ることが出来ました。どちらかといえば「鰤派=ブリティッシュ・ロック派」だった私だけど、イーグルスのサウンドはなぜか私のツボだったし、ロックに目覚めてごく初期から親しんだバンドだったこともあり、1990年代のうちにオリジナル・アルバムもすべて揃えてしまいました。「鰤派」の私にとって決して優先順位の高いバンドではなかったはずなのに・・・。
そして表のサイトの(こちら)でも述べているけど、1990年代半ばに再結成、そして来日公演も行われることに。当時松本在住だった私だけど、東京までは日帰りでも行ける。テレビの深夜番組を見ていたら偶然「番組をご覧の皆さんのために先行予約受付」との告知を目にしたので迷わず日本武道館公演のチケットを購入しました。私の中ではHOTEL CALIFORNIA期=フライ、ヘンリー、マイズナー、フェルダー、ウォルシュがベスト・メンバーだと思っていたので、ベースがマイズナーではなくティモシーなのが不満だったけど、まあ致し方ないだろうと。そしてライブを心待ちにしていたんだけど…。私自身が突然、北海道の函館に転勤に。さすがに函館から東京までライブのために出るのは厳しく、せっかくチケットを購入していたのに断念・・・。その後も何度か来日公演は行われたけど、フェルダーが脱退、私の思う「ベスト・メンバー」から2人も欠けたイーグルスなど見たくもなくって…。そのことを思えば、1995年のライブを見ることが出来なかったことは重ね重ね「痛恨」です。そして今度はフライ&ヘンリーの「両輪」の片方が欠けてしまった…。ますます持って「痛恨」の極みです。
実は私が最も好きなイーグルスのメンバーは強いて選べばドン・ヘンリーかもしれません。Hotel Californiaはもちろん、Desperadoなど代表曲の多くをどすの利いた声で歌う、その歌声が印象深いせいでしょう。だけど「ハードな曲」「重厚な曲」ではなく、「軽快な曲」「軽やかな曲」を聴きたい気分の時は、時としてドン・ヘンリーの声は「重苦しい」と感じることもあります。そんな時はTake It Easy、Lying Eyes、Tequila Sunriseといったフライの、爽やかで軽やかな歌声が心地よく感じられます。特に「ロック気分」が薄れた2008年以降、なぜか私はフライの声の方に惹かれるようになりました。ひょっとすると私が年をとったせいなのかもしれないけど…。そして数日前も何かのBGMでTake It Easyが流れているのを耳にして「ああ、心地よいサウンド、歌声だな」と感じたばかりでした。
それなだけに「衝撃」とかではなく、なんとなく「喪失感」「寂しさ」を感じた訃報でした。今となっては1995年の来日公演、無理してでも上京すればよかったと後悔しています。
■2016/4/4 春がくるたび・・・(春〜Spring) 先日、昼食時に外食をしていたところ、店内BGMで聴き慣れたメロディーが流れてきました。流れてきた曲は春〜Spring。
この曲に関しては以前「シリーズ、私はこんな曲が好きだった PRAT II 最終回、1998〜2000年編」の中で触れました(こちら)。1999年春、私自身にとってあまりいいことがなく、なおかつ様々な不安を抱えながら生活をしていた頃にヒットした曲でした。当時30歳、既に「若者」ではなくなり、世の中の流行についていけなくなりつつあり、なおかつリアル・タイム邦楽への興味も失いかけていた私。そんな私の心を鷲掴みにしたのがこの曲でした。最初はテレビのCMか何かで聴いたんだったと思うけど、ポップで甘く切ないメロディ、春のワクワク感と別れの切なさを表現しきった歌詞、ハイトーンでキュートな女性ボーカル、そしてハードエッジでストレートなギター・サウンド、そのすべてが私の「ツボ」でした。
気がつけば自然に口ずさんだり、鼻歌で出てきたり、心の中で歌ったり。自分より下の年代の当時の職場の後輩もよく歌っていたし。聴いているだけで心配事や不安も吹き飛んでしまう、そんな不思議な魅力を持った楽曲でした。当時の私は前年に表のサイトを立ち上げてロックやビートルズを語りまくっていたし、流行りもの邦楽への興味もほぼ消えかかっていたはずなのに、なぜかこの曲には惹きつけられたものでした。でも惹きつけられたのは私だけではなかったようで、当時親しくしていた相互リンク先ロック・サイトのかなり「硬派系」の管理人の方までもがこの曲を絶賛、私も彼のサイトのボードで「実は私も・・・」とカミングアウトしたことが昨日のことのように思い出されます。この曲はHysteric Blueなるバンドの楽曲。ヒットを連発したのは1999年とその翌年の2年くらいでした。実は当時、表のサイトでは「硬派系ロック・サイトの管理人」を演じつつ、このバンドのファースト・アルバムを思わず購入してしまいました。ただし「ファンだった」なんてわけではなく、1999年暮れにはこのバンドに心惹かれたことなどすぐに忘れ、「洋楽ロックを語る管理人」に戻ってしまいました。
実は「シリーズ、私はこんな曲が好きだった PRAT II」を手がけた2014年の春、動画サイトで偶然Hysteric Blueの「春〜Spring」のPVを発見、それを見ているうちに久々にこのバンドの曲を聴きたくなってCD棚の奥で眠っていたファースト・アルバムを引っ張り出して聴き返してしまいました。同時に動画サイトで、リアルタイムでは聴いたことのなかったファーストアルバム以降の多くの楽曲のビデオやライブ映像も見まくりました。ファースト以降もいい曲が多くてビックリでした。ということで2014年の春に2回目のHysteric Blueマイブームが来たこともありました。
だけど今回店内BGMでかかったのは、あの聴き慣れたHysteric Blueのバージョンではありませんでした。全然ロックなサウンドではないし、Hysteric BlueのボーカリストTamaのような伸びやかでクリーンなハイトーン・ボーカルでもない、だからこの曲が持っていた躍動感やワクワク感の感じられない寂しいバージョンでした。でもあれから15年以上が経ってもカバーされるということは、時代を超えて親しまれているスタンダードなんだなと実感しました。一方で…。
Hysterc Blueの楽曲は2016年の今の時代、流れることはほとんどない、簡単に聴くこともできない。ギタリストが起こした事件のせいでCDはすべて廃盤、テレビやラジオなどのメディアで流れることもない。この曲で素晴らしい歌声を聴かせるボーカリスト、この曲の作詞作曲を手がけたドラマーの2人のメンバーも、音楽活動は続けているけど華々しい活動を行えないという現実を思う時、辛い気持ちになってしまう。もちろんギタリストのやったことは情状酌量の余地のないものなので、致し方ないことは分かってる。でもやっぱり気分は複雑。2人には罪はない、楽曲には罪はないのに…。でもやっぱり、ある程度は仕方がないのか・・・。
春の定番曲なのに今回流れてきたのもオリジナルのバージョンではなく、カバーバージョンだった。そのことを思うと切なく、悲しい気分になります。この曲のメロディ自体が明るくポップな反面、ちょっと切ないメロディなだけに思わず感傷的になってしまいました。そう、私にとってもこの曲は「春がくるたび思い出す」曲であると同時に「春がくるたび複雑な気分にさせられる」楽曲でもあるんです。外食を終えて外に出ると、晴れ上がっていて気温も高く、いかにも春だなという陽気でした。思わずまたこの曲を口ずさんでしまいたい気分になりました。でもやっぱり、このバンドや楽曲のことを思うと、ちょっとだけ寂しく、切ない気分に・・・。
■2016/6/24 なぜか気分はカバーバンド 以前書いた通り、動画サイトで無名のバンドやユニット、シンガー、ギタリスト等が「音楽をやっている」動画を見るのが2007年以降好きになりました。といっても「いつもいつも見ている」わけではなくって、何か月かに1回ほど突然「気分」が来て、一度気分が来ると約1か月くらい「気分」が続く。1か月ほどで消えるけど、また忘れた頃=数か月後に「気分」が来る・・・。そして今月初めからまた「気分」がやってきました。今主にはまっているのが、ロックやオールディーズなどの洋楽や、昭和歌謡やJ−POPをカバーして演奏しているバンド…。それもライブハウスなどで活動しているバンド。
「ロック・ファン」「ビートルズ・ファン」だった頃は、コピー・バンドやカバー・バンドってあまり好きではありませんでした。ビートルズのコピー・バンドはネットをはじめたばかりの頃に、ネット上で知り合った方に誘われて何度か見に行きました。もちろんその場は楽しかったけど、残念ながらコピー=物真似なわけだから「ここが似ている」「ここが違う」と、どうしても分析してしまうし、何より「ホンモノには絶対かなわない」し。一方でカバーバンドは「カバー=自分たちの解釈で演奏する」分、ホンモノと比較したり分析したりはしないので、コピー・バンドよりは楽しめる。だけど「ロック・ファンまっただ中」だった頃の私は「メジャーデビューしていないバンド」に興味が持てなかったので、残念ながら「面白いけど、わざわざ聴く、見るまでもない」と思っていました。
だけど今、私がそうした動画にはまった理由は「音楽を楽しんでいる人たちを見ることが楽しい」から。おそらく「ロック・ファン」だった頃には持ち得なかった気持ちです。そして同時に「よい女性ボーカリストに魅了されてしまう」のも「ロック気分」が冷めて以降の私の傾向。というわけで最近はまっているのは「よい女性ボーカリストのいるカバーバンド」が中心です。私は表のサイトをやっていた頃から「無断で直リンは貼りたくない」主義なので、直リンは貼りませんが…。
2013年頃から気に入っていたのは東京で活動しているGrayhoundsなるオールディーズ・カバー・バンド。ハスキーだけど美しい低音ボーカルを聴かせるナナというボーカリストの唯一無二の声と歌唱力は、メジャーデビューしているプロ歌手を淘汰するほど。日本語以外のコメントも多くついていて、海外の人も絶賛しているほど。このバンドが専門にしているオールディーズ・ナンバー、特にコニー・フランシスやヘレン・シャピロの曲のカバーももちろんよいけど、個人的にはTop Of The Worldや「青春の輝き」と言ったカーペンターズ・ナンバーでの歌声に魅了されました。
そしてそのGrayhoundsの動画を多くアップしている方が、他のオールディーズ・カバーバンドの動画も多くアップしてしていて、そんな中ではまったのが六本木ケントスのハウスバンド、The Flames。ファッションが「もろテッズ」だし演奏も「ちょっとベタ過ぎて意外性がない」けど、女性ボーカリストのユキエなる人の声が素晴らしくて。歌の上手さ、声の良さではナナと双璧かも。特にコニー・フランシスのFrankieには思わず引き込まれてしまいました。あとはSweet Pop Sodaなるバンド。こちらはキャンディーズのコピー・ユニットで(伊藤)蘭役をやっているナンシーなる人がボーカルを務めているけど、先の2人と正反対の明るくはつらつとしたアイドル声。ナンシー・シナトラとかコニー・フランシスとかの曲にはこの声質の方がはまっているし、何より声も見た目も華があってよいです。他にも関東地方の3つか4つのバンドを掛け持ちしている(というか、複数の動画を見ているうちに同一人物と気がつきました)chikoという人は、声にパンチがないけど、I Only Wanna Be With Youや「パイナップル・プリンセス」での振り付けやBreak Awayのイントロでシャウトしながらジャンプするパフォーマンスが可愛らしくて華があってよいです。
男性ボーカルだったらシックスキャンドルなるバンドのボーカリスト、ポール北京という人が「ヴェルヴェット・ボイス」の持ち主。「いとしのラナ」(ロイ・オービソンのバージョンしか知らないけど実はヴェルヴェッツというグループのバージョンのカバーとか)や「青い影」が絶品。また「昭和歌謡」のカバーバンドならFlowersなるバンドが女性ボーカルと、動きが不審者っぽいけどハイテクニックのベーシストがいてなかなかよいなと。極めつけはロックもオールディーズも、ソウルも歌謡曲もと幅広いジャンルの曲を演奏するDiamond Dogsなるバンド。ティナ・ターナーっぽい女性リードボーカリストは私の趣味とは違うけどパフォーマーとしてもボーカリストとしても上手いし、弾きながら踊り、時々歌う女性ベーシストもカッコいいし、それを支える男性のギター、キーボード、ドラムもいずれも文句なく上手い。おそらくバンド全体のレベルの高さとレパートリーの広さなら、このバンドがNo.1だと思いました。「歌って踊れる女性ベーシスト」の方は既に脱退してるらしく、それが残念ですが。
そうやっていろいろなバンドを見ていると「動画じゃなくって、実際に見に行きたい」気分になってしまいました。だけど今挙げたバンドはすべて東京とその近郊、関東地方のバンドばかり。もちろん似たようなバンドは日本全国にいるのであれこれ動画を見てみたけど、残念ながら福岡県内のバンド、周辺の都道府県のバンドは、私の「気分」にはフィットしませんでした。バンド自体はいっぱいあるんだけど・・・。もちろん私の「好き嫌い」レベルの話であって「良し悪し」ではありません。九州内では鹿児島や宮崎には、先に挙げた東京のバンドに勝るとも劣らないくらい私の趣味に合ったバンドはいましたが、日帰りできる距離ではないし。
ということで2008年にザ・フー大宮公演に行って以降、東京に全く行っていない私だけど、実に久しぶりに「東京に行きたい」気分になりました。といっても、母のこともあるので「宿泊を伴う遠出」は不可能。動画を見るだけで我慢することにします。週末には軽く飲みながら見ているので、気分だけは「ライブハウス」みたいなもの。同時に「やってみる」はずが2月以降忙しくなってほとんど触らなくなってしまったギターだけど、再び「やってみたい」気持ちが復活してきました。「ロック・ファン」だった頃は気がつかなかったけど、音楽を他の敷くことって、「見る」「聴く」だけじゃなく、「やる」ってのもあるんだ。そのことに気がついたのが、この年になってとは…。
■2016/10/14 歌詞は「文学」に違和感 (ボブ・ディラン、ノーベル文学賞) 私のパソコンは電源を入れてネットに繋ぐと最初にYahooが表示されるように設定しています。昨日帰宅してネットに繋いだらYahooのトップにボブ・ディランの写真が表示されました。最近は1960,70年代に活躍したアーティストの訃報も珍しくなくなってきたので、その瞬間「まさか!」と思ってしまいました。でもよく見ると「ノーベル賞」云々とある。はて? ミュージシャンがノーベル賞?音楽賞なんてあったっけ? なんと「ノーベル文学賞受賞」とある。えっ 何で? まさか「作詞=歌詞」が「文学」って解釈されたのか? うーん、やっぱりよく分からん。
記事を開いて読んでみる。やはり「歌詞=文学」と解釈されての受賞らしい。うーん、でもやっぱり違和感。確かにジム・モリソンとかピート・シンフィールド(キングクリムゾン)とか、日本なら松本隆とか、もともとは詩人を目指して詩を書いていた人もいるにはいる。だけど歌詞は「歌に乗っている言葉」に過ぎない。あくまでも音楽のパーツのひとつだと私は思っています。もちろん凝った歌詞、特別な意味を持った歌詞を聴いたり見たりして感心したり、感動したり、いろいろ考えさせられたりすることはあるけど、あくまでも「音楽のパーツのひとつ」として見聞きしているだけ。「文学」「詩」「読み物」として受け止めたことなどありません。時々「ビートルズ詩集」とか「ボブ・ディラン詩集」なんて本も出ているけど、あの手の本にはいつも違和感がありました。歌詞は「読み物」じゃない、少なくとも私そう思っています。やはり激しい違和感が。
さらに別の記事を見る。「『風に吹かれて』などで反戦平和、反体制を歌い・・・」云々。どうやら、そうしたところが評価されたらしい。でもおいおい、そういう解釈されるのってディラン自身は激しく嫌がってたじゃないか。「風に吹かれて」の歌詞だって「答えは風の中」って敢えて結論は聞き手の判断を委ねて、声高に「反戦」を唱えたりはしてない。自分の思想も意見も述べてない。だから「反戦運動、プロテスト・フォークの旗手」のように祭り上げられるのを嫌悪して、エレキギターを持ってロックなサウンドに走ったし、詞作に関しても難解で何を言ってるのかよく分からないもの、単に韻を踏んでるだけのナンセンスなもの、架空の物語調のものなどにシフトしていったはず。私はてっきり、そうした歌詞が「文学的」「詩的」と評価されての受賞と思ってたのに、どうやら違うらしい。うーん「メッセージ・ソング」云々と解釈されての受賞だとすれば、本人が忌み嫌った形での評価→受賞ということになる。ここでもまた激しい違和感。
ディランは多くを語らない人なので、どう思ってるのか分からないし、公式にコメントするかどうかも定かじゃない。今日行われたライブではやはり、何もコメントしなかったとのニュースも見かけた。やっぱり「おいおい、何で?」「そう来るとは思わなかったよ」と思ってるんじゃないでしょうか。2001年大宮で来日公演を見たけど、MCも挨拶もほとんどなし、ライブのエンディングでも挨拶をするでもなく、ただ立ち尽くして観客の方を睨みつけるように見回しただけでステージを後にした姿、さらに1992年のデビュー30周年ライブでも終始不愛想にしていた姿・・・。およそこうした賞とは真逆のところで活動してきた人。キャラ的にも激しい違和感。
それから「歌詞」を「文学」と解釈されたという事実。今や「ロック気分」からは遠ざかったとはいえ、今でも「音楽ファン」を自認する私にとっては違和感だらけ。じゃあ今後ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ピート・タウンゼンド、レイ・デイヴィスなどもノーベル文学賞候補になり、日本でも松本隆や阿久悠、下手すりゃ秋元康なども文学系の賞の候補になるんでしょうか。今後は直木賞や芥川賞を目指して歌詞を書く、作詞家やシンガー・ソングライターが現れるんでしょうか。いや、やっぱり違和感。
■2016/11/4 ガッカリ? つまらん? 何考えてる? って・・・(ボブ・ディラン、ノーベル文学賞) ノーベル賞受章発表以降、本人は一切コメントせず、選考委員が連絡をとろうとしても一切連絡がとれていなったボブ・ディラン。一時期は世間一般、主にネット上では「いらないってことだろう」とか「反体制の人だから受け取らないのが当たり前」などの知ったかぶりな声が大勢を占めていたよう。まあ、私も「ひょっとして『いらない』ってことなのか?」と想像したけど、もともと何を考えてるのかよく分からない人なので、確信までは持てませんでした。それどころか、未だに「反体制の人」なんて誤った認識の人がいることの方に愕然としてしまいました。ついには選考委員の一人が「何もコメントしないのは無礼だ」などと言い出す始末。うーん、分からないのかなあ、「いる」「いらない」とか、「受け取る」とか「受け取らない」とか、「コメントするのが当たり前」という一般常識が通じない、それがアーティストじゃないかと、むしろ滑稽に思えました。
そしてつい先日、今度は沈黙を破って「受賞は光栄だ」「授賞式に行くか、行かないか、まだ分からない」とコメントしたとか。すると世間一般、主にネット上では「こんなの受け取らない人だと思ってたのにガッカリ」「何もコメントせずに焦らした挙句、こんなコメントするって、意外とつまらん奴だな」「いるのか、いらないのかすらコメントしないって、何考えてるんだ?」等々の声が。おいおい、あんたら、アーティストに何を求めてるの? 偏屈で変わり者で非常識な人が多いロック・アーティスト、その中でもディランって飛び抜けて偏屈で有名なの、知らないの? 私はむしろ「ディランらしい対応だな」と、なぜか少し嬉しくなったほどでした。「反体制だから受け取らない」とかって、勘違いもいいとこで失笑してしまう。この「何を考えてるのかわからない」「ほとんど公式コメントなんて出さない」ところがディランらしさじゃないか。
私は2001年に大宮で行われたディランの来日公演に行きました。海外の大物アーティストなのに、グッズなんてほとんどない、パンフレットすら売ってませんでした。ライブ中もオープニングとエンディングの挨拶もない、ステージを去る時もお辞儀もしない、Thank Youもなく観客を睨みつけていただけ、途中のMCも1,2回程度Thank Youと言ったのと、バックバンドのメンバー紹介だけでそれ以外全くしゃべらない、それが当たり前でいつものディラン。ビデオも発売され、世界中でテレビなどで放映され、多くの豪華ゲストが参加した「デビュー30周年記念ライブ」(1992年)の時も、多くの人に祝福されながら挨拶やスピーチもなく、終始うつむき加減で無表情、笑顔ひとつない、それが当たり前でいつものディラン。インタビューや取材もほとんど受けない、何度かあった来日公演の時も日本のレコード会社やイベント会社などの関係者とほとんど会うこともなかった(ネット上で拾った情報)、それが当たり前でいつものディラン。歌詞の解釈を尋ねられて「意味なんかないから、勝手に解釈してくれ」と言ったとか、言わないとか、それが当たり前でいつものディラン。
そんな人なんだから、沈黙してしばらくコメントしなかったことも全然不思議じゃない。「焦らして『拒否』するんじゃないかと周囲を期待させた挙句、結局受け取る」という、周囲をやきもきさせた挙句、強烈な「肩透かし」を食らわせる。逆にディランらしさを感じてしまいます。ここ(こちら)でも私は触れているけど、この人の「不愛想」「ぶっきらぼう」「無表情」は、「照れ屋」の裏返しのことが多いと私は思っています。だからきっと今回も受賞を知って「おいおい、なんか大変なことになったぞ」と慌て、照れて、困ってしまって「沈黙」したんじゃないか。だとしたらやっぱり、今回の「焦らした挙句、『光栄』とコメント」したことは、「ガッカリ」「つまらん奴」「何考えてる?」どころか、「当たり前でいつものディラン」にしか思えません。私はむしろ、そのことを嬉しく思います。75歳になってもディランはディランだなと。ガッカリした輩、つまらん奴云々と思う輩には、一生かかっても分からんだろうけど。常識がない? 当たり前だろう、アーティスト、しかもあのディランなんだから。
■2016/12/8 1990年代もはるか昔に・・・(黒沢健一の訃報) 昨日ネット上で知った訃報。L-Rのリーダーだった黒沢健一が脳腫瘍で亡くなったんだとか。今年の初め頃「闘病中」とは聞いていたけど、まさか脳腫瘍とは、そしてまさかこんなに早く…。実は「シリーズ:私はこんな曲が好きだったPART II」の1995年編(こちら)で、私は彼らについて触れています。1993年頃から、リッケンバッカーを抱えたビートルズっぽい風貌を見て多少興味を持っていたバンドでした。音をはじめて聴いたのは1994年頃だったと思います。まさに私の趣味のど真ん中のサウンド。1995年当時Mr. Children、スピッツと並んで「流行りもの邦楽の中でも限りなく俺の趣味の王道に近いバンド」という認識でした。そしてポッキーのCMソングHello It's Meを聴いた瞬間、完全に取りつかれてしまい、思わず同曲の収録されているアルバムまで購入してしまいました。「硬派洋楽ロック・ファン」を気取りつつ、このアルバム、本当に何度も何度も聴き込んだものでした。特にHello It's Me、何十回、何百回聴いても飽きない、歌詞もメロディもサウンドもボーカルも、すべてが完璧。当時の流行りもの邦楽でこんなに「取りつかれたバンド」も珍しいと思います。
その後、次のシングルが「月9ドラマ」の主題歌に決まった、「ポッキーのCMソングの次がドラマタイアップ」というのはミスチルと同じ流れなので、「次の大ブレイク間違いなしのバンド」と、私の周辺の人たちは騒いでしたし、私にもその確信がありました。だけど、その肝心のドラマタイアップ曲KNOCK'IN ON YOUR DOORを聴いた瞬間、「???」となったというのが正直なところでした。明らかに前曲のHello It's Meと比べるとメロディのキャッチーさといい、クオリティといい、パワーダウンしているように思えました。ドラマ効果もあって大ヒットはしたけど、やはりといおうか、後が続きませんでした。むしろ私にはブレイク前の曲の方がよかったと思えたほど。まあ黒沢健一という人、「ヒット曲狙い」なんて似合わないタイプの人なので、むしろ「ヒットしすぎない」程度の方がよかったのかな、と今になれば思えます。ドラマタイアップで「身の丈に合わない」くらいのヒットになってしまったせいで、以降の活動や作品がパワーダウンしてしまったのは皮肉に思えました。だけど私にとっては、そのKNOCK'IN ON YOUR DOORのヒット前までの曲は今でも「趣味のど真ん中」だし、Hello It's Meは今でも、1990年代の「流行りもの邦楽に囲まれた生活」の中で最も印象に残った曲のひとつであることに変わりありません。
L-R解散後は地味ながら地道に活動を続けていたようで、ようやく身の丈に合った活動が出来るようになったんだなと安心していました。そんな中で聞いた訃報。そして実は1968年生まれ=私と同い年だったことを知って改めてショックを受けました。世間一般では「KNOCK'IN ON YOUR DOORの一発屋」なんて報じられてるようだけど、その程度の認知しかされなかったことがまるで自分のことのように悔しく思われます。まあ、でも永遠に色褪せないキャッチーでポップなメロディーを作る人だったので実は今、何かのCMソングにL-Rの楽曲が使われたら突然大ブレイクする可能性だってあるんじゃないか、そう思わずにはいられません。事実Hello It's Meをはじめて聴いた時、私は「間違いなくミスチル以上のアーティストになる」と確信したんだから。
■2017/1/12 久々の「音楽を聴かせるラジオ番組」に時を忘れて(デヴィッド・ボウイ三昧) 2002年にこんなもの(こちら)、2015年にこんなもの(こちら)を書きましたが、私はずっと昔からラジオ番組には「音楽を聴かせてくれる」ことを期待しています。間違ってもニュース、天気予報、交通情報、タレントやDJの世間話、リスナーからハガキやFAXで寄せられた面白話なんて全く興味がありません。ベストは「曲紹介以外はすべて音楽が流れている番組」。または「曲の合間にそのアーティストや曲について解説したり、出演者がその音楽に対する思い入れを語ったりする番組」のいずれか。つまり「しゃべり」はすべて音楽に関する話のみ。そういう番組が私にとって「聴きたいラジオ番組」です。事実、ビートルズに目覚め、その後多くのロックを聴き進めていった1986〜1992年頃の私は、そうした番組で多くのアーティストや楽曲に出会い、出演者の語る解説や思い入れ話を聴いて、どんどん新しく出会った音楽への造詣を深めていきました。インターネットもなかった時代、ラジオは新しい音楽を知る、そしてもっと好きになっていく当時の私にとって非常に大事な媒体でした。
だけど1990年代後半くらいからそうした「音楽を聴かせる番組」がどんどん少なくなりました。本来「音楽を聴かせる」ことを目的にはじまったはずのFMですら今では「リスナーからのハガキやFAXを読む合間にかかるBGM」として音楽を流しているだけの番組ばかりになってしまったし。2015年のログに書いたNHK-FMの「ミュージックプラザ」までもが終わってしまい、「音楽を聴かせてくれるラジオなんて死滅したんだ」と思っていました。
そんな1月9日月曜日の祝日、休みで家にいた私。ネットを何気なく見ていると10時間デヴィッド・ボウイ三昧なる番組があるとの情報を偶然見かけました。おお、昼の12時からじゃないか。さすがに10時間ぶっ続けで聴き続けるのは厳しいけど、時々つけたり消したりしながら過ごそう。そう思って久々にラジオの電源を入れました。でもまあ時代が時代だから、昔のように「ずっと音楽を流しながら、楽曲やボウイについての話だけをひたすら続ける番組」なんて無理だろうな。きっと「名前だけは知ってます」レベルのうるさいタレントが出てきて騒ぐ、そんな番組になるだろうとあまり期待はしていませんでした。
ところがその私の予想を見事に裏切る、いや予想以上の内容。比較的音楽に詳しそうな女子アナと評論家の小野島大がメイン・パーソナリティで、ゲストとして登場するのもボウイに造詣が深い、若しくは思い入れのありそうな人ばかり。私が夢中でラジオを聴いてロックを聴き進めていた頃=1980年代末〜1990年代初頭に聴いた番組のような構成、内容でまるでその頃にタイムスリップしたかのよう。いや、こんなノリの番組聴いたのって、何十年ぶりだろう。流れてくるのは聴き慣れた曲ばかりなのに、小野島氏の解説や多くのゲストの思い入れコメントを聴きながらそれらの曲を聴くと、いつもと違った聴き方や発見があって非常に面白い。「ずっと聴き続けていたら飽きるから始まって1時間程度経ったところで一度電源を切ろう」と思っていたのに、オープニングからずっと聴き続けて気がついて時計を見たときは既に夕方5時過ぎ、おいおい5時間も聴き続けていたのか。いや「時を忘れてラジオ番組に夢中になる」なんて、20数年ぶり。途中で夕食の準備、夕食、掃除等のために何度か電源を切ったけど、エンディングの夜10時45分までの時間があっという間に過ぎてしまいました。
ああ、もう終わりか。ラジオ番組が終わった後「ああ、終わってしまったと寂しい気持ちになる、余韻がなかなか冷めない」「その日かかった楽曲やアーティストのことが気になって仕方なくなって思わずCD聴いたり動画(当時はビデオ、今はネットの動画サイト)を見たりしてしまう」、こんな現象もまさにあの頃=1980年代後半〜1990年代前半以来のこと。そう、ラジオって、俺にとってかつてはそういうものだったよなあ。久々に「ラジオ番組を聴く喜び」を感じました。
そして今も「ボウイ気分」が続いています。こんなに長くロック・アーティストが「気分」になったのって、昨年のボウイ急逝の時以来。昨年の訃報の時にも書いたけど、2004年の来日公演〜2008年の「ロック気分減退」の頃に思い入れが最も強くなり、「もっと聴きたい」気分になったアーティストは、間違いなくボウイだったので、またしても「CD買おうかな」という気分になっています。私の「ロック気分減退」は、私自身の問題もあるだろうけど、ツイッターやブログがメインになって個人のサイトやボードで音楽を「熱く語る」人が少なくなったこと、「じっくり音楽を語ってくれる」雑誌が減ったこと、そして「音楽を聴かせ、紹介してくれるラジオ番組」がなくなったこともあるかもしれません。そうしたものから「刺激」を受けて、より音楽を聴く幅を広げたり、新しい発見があったりで「ロック気分」を盛り上げてきた私だから尚更です。最早今回のような特番でないと「音楽を聴かせる」番組なんて需要がないんでしょうか。私はそうした番組がもっともっと増えれば、「ロック気分」が復活しそうな予感もあるんだけど。
■2017/3/20 Bye Bye Chuck, Goodbye Johnny Be Good (チャック・ベリー逝去) 朝起きてネットにPCを繋いだら、いつものようにYahooトップページが表示されました。そこに「C.ベリーさん死去」との見出しが。シー・ベリー?、誰だ?、映画俳優? 政治家? スポーツ選手?思わず考え込む。記事を開いて分かった、ああ、チャック・ベリーか。いや、すぐに分からなかったのは決して私の「音楽気分」が減退しているせいではありません。もちろん高齢=すでに90歳からこうなっても全然不思議じゃない。でも70歳を過ぎても、80歳を過ぎてもずっとライブをやり続けていたので「不死身」なイメージを持っていたし、しかもそれはすべて「金のため」とはっきり言い切っていしまうような人だったから「殺しても死なない人」と思っていたので、にわかには信じられませんでした。
私が彼の存在を知ったのは高3の時。表のサイトのテキストにこんなもの(こちら)を書いているけど、そこで触れている「同じクラスの女子が、クラスの出しものの劇のBGM用にとコピーしたテープを持ってきた」としている「アメリカン・グラフィティ」のサントラに収録されていたJohnny B. Goodeを聴いた時でした。同世代の人は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でマイケルJフォックスが歌っているのを聴いたのが「出会い」という人が多いと思うし、同時に当時は「洋楽ファンの中高生」が多い時代だったので、「誰かがカバーしているのを聴いた」とか、キース・リチャーズが制作した映画「ヘイル・ヘイル・ロックンロール」で知ったという人も多いでしょう。だけど当時の私は極度の「洋画音痴」「洋楽音痴」だったので「初めて耳にした曲」でした。以降私はオールディーズ=1950年代のアメリカン・ポップスにのめり込んでいくけど、この曲だけはこのサントラに入っているどの曲とも「何かが違う」と感じていたし、よりアグレッシブでインパクトがある曲だと思いました。
その後、1987年にビートルズに目覚めると実はビートルズのオリジナルと思い込んでいたRock And Roll MUsicがチャック・ベリーという人のカバーだと知りました。どこかで聞いた名前だなあ。そこで気がつく、そうかあのJohnny B Goodeと同じ人だ。さらにビートルズを知るに従って、実は「ロックン・ロールの創始者」のような大変な人であることを知ったし、ジョン・レノンが尊敬してやまない人であることを知りました。ビートルズからメンバーのソロ、ストーンズ、多くの洋楽ロックと聴き進めていけばいくほど、彼の存在の大きさを知りました。多くのアーティストがカバーしている、多くの大物アーティストが彼を尊敬している、多くのアーティストと共演している・・・。ビートルズやストーンズのようなブリティッシュ・ビート・バンドだけじゃなく、ハードロック、パンク、ブルース、ポップ系のアーティストも、さらに欧米だけじゃなく日本のアーティストも・・・。しかもまだ現役で、未だにライブをやっている。実際2000年代まで何度か来日公演もやってた記憶があります。
とはいえ私自身は実は彼のCDなどは持っていません。いや別に「興味がなかった」「好きじゃなかった」わけじゃないんだけど、「いつでも買える」ということで後回しにしてしまったというのが正直なところ。あと、彼の曲はどれも有名すぎるし、あちこちで多くのアーティストがカバーしているのを嫌というほど聴かされてきたので、「今更まとめて聴くこともなかろう」というのもあったかも。それと(これは誉め言葉)全部イントロは同じようなフレーズ、リズムもほぼ同じなので、「敢えてまとめて聴こう」と思う機会がなかったのも事実です。だから今回の訃報、ジョージやジョー・ストラマー、ジョン・エントウィッスル、デヴィッド・ボウイの時のような「思い入れの強い人の訃報」という感じではなく、陳腐な表現だけど「ひとつの時代の終焉」のような寂しい気持ちになりました。
なんといっても彼がいなければロックン・ロールは誕生しなかったはず。ビル・ヘイリーやエルヴィスもいるだろうという人もいるかもしれないけど、作詞作曲を手がけて自ら歌う、ギターを弾きながら歌う、間奏はギター・ソロ、恋愛ばかりじゃなく「ベートーヴェンをぶっ飛ばせ」とか「モダンジャズには恨みはないが・・・」云々といった皮肉の利いた内容の歌詞とか、これらはまさに彼が生み出したもの。そして何と言っても、あのワンパターンだけど一度聴いたら忘れられないイントロとリフ、あれを「発明」した功績は大きいと思います。あれこそロックン・ロールの象徴、あのイントロとリフは私の「ツボ」で、彼の楽曲に限らずあのリフを聴くと思わず体が反応してしまうくらいです。ディランにノーベル賞をあげるのなら、あのリフを発明した偉大な発明家の彼にもノーベル賞を与えるべきではないでしょうか。
まあでも彼のことだから、もし存命でもそんなものは受け取らないだろうし、「そんなものより金をくれ」と言うでしょう。しかしもう高齢なので「いつかこんな日が来る」とは思っていたけど、まさか本当に逝ってしまうとは。でもあのイントロやリフは永遠に残るだろうし、今後もあのイントロ、リフを使用した楽曲は無数に生まれ続けることでしょう。
![]() トップ・ページに戻る |
![]() 前のページに戻る |