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■2002/03/20 (水) 今はボードに未練なし!

 結局ボードは再休止にしました。悩んだ末でもないし、
悲しいとも寂しいとも思ってないんですよねえ。
休止しておいて、こんなにさっぱりした気持ちなのははじめてです。

 先日書いた「個人のサイトは既に下火?」にも通じる話だけど、
ネットが普及したことによって、ネットをはじめる目的、ネットをやる理由が、
昔とは変わってきたのかな、なんて思ってしまいます。
私がネットをはじめた1997年末の頃、「知らない人とコミュニケートできる」こと、
それ自体に驚き、感動したものでした。知らない者同士が、一つの話題で
一緒に喜んだり、悲しんだり、悩んだり、意見を交わしたり。本当に凄いことだと思った。

 個人のサイトって、管理人にとっては「見せるもの」、
訪問者にとっては「見て楽しむ」ものだった。
で、ボードというのは、サイトを見た人が管理人にメッセージを送り、
管理人がそれに応える、いわば管理人と訪問者の交流の場でした。
つまり「見せること」が個人のサイトを運営する目的、
一方「見ること」が個人のサイトを訪問する目的だったのではないでしょうか。
で、ボードは、その「見た人」と「見せた人」の交流の場。
つまり、「見ること」「見せること」の方が優先されていた。

 ところが今は違う。出会いを求めて、ものを買うため、ゲームをするため、
メディアを楽しむため、など、ネットをはじめる目的も多種多様。
その分「見せること」「見ること」のみを目的とした個人のサイトは
「下火」というより、押され気味なのではないでしょうか。
そして「見ること」や、そこの管理人と交流するために「ボードに参加する」こと、
そうした「前時代的」な目的でネットをやってる人も減っているんじゃないか。
ボードはある人にとっては自己主張の場であり、告知の場である。
きっと、そのサイトのコンテンツや管理人の人柄など関係ないんでしょう。
そこで思う。私は前に述べた通り、いくら個人のサイトが下火になろうとも、
サイト自体を閉めるつもりはない。だけど、以前のようにボードが
「交流の場」として機能しないのであれば、続ける必要はない。
だから今の私はボードに未練はありません。時には「今日はこんなことがあったんだよ」
といったたわいのない話で泣いたり、笑ったりできた、
ネットをはじめた当初のようなボードが懐かしい、その想いばかりが先走っています。

■2002/04/21 (日) 寂しいリンク先サイト事情

 ちょっと前「個人のサイトは既に下火?」というテーマで書いたばかりだけど、
この数日は余計にその気持ちが強くなっています。

 今月に入って、3年近く親しんだサイトのうち1つが閉鎖、2つが休止。
今の私は自分のサイトのボードを閉めた関係上、ネット上の知り合いのみなさんと直接対話できる場所は、
行きつけのボードだけ。それなだけに、行きつけのサイトがなくなることは、
これ以上ないほど寂しく、悲しいことです。もちろんボードだけじゃない。
よそのサイトのコンテンツを読んでヒントや刺激を得て、その影響で
自分のサイトの次の更新ネタを決めるってことをよくやっていました。
そんな時に「ああ、個人のサイトっていうのは、こうやってお互いに影響し合うことで、
お互いに発展していくもんなんだな」と思っていた。
それなだけに、行きつけのサイトが同時にこんなに閉鎖、休止してしまうこと、
そのことが本当に、心の底から残念に思えます。

 もちろん、閉鎖や休止にはそれぞれの理由がある。
単純に「やる気がなくなった」とかじゃなく、やりたいけど、事情があってできない人もいる。
だから「辞めないで」なんて絶対に言えない。私だって約半年前、「今度ばかりは辞めるしかない」と
思った時期もあったわけだし、今だって半ば強引に運営し続けてるような状態だから、
いつ「閉めざるを得ない」状態になるかもしれないんだから。

 「俺はワガママで運営してるだけ」といくら力説したって、テキストを作成する際、
私は「見てくれている誰か」を意識する。
で、「見てくれている誰か」というのは、かつてのボードの常連さんであり、
相互リンク先サイトの管理人だったりする。
だけど閉鎖&休止が相次ぎ、そういう人たちが今後、ネットを離れていくようなことがあったら、
私は一体誰を意識してテキストを書けばいいんだろう、という想いもよぎるわけで。
そうなると余計に寂しさは強くなる。

 だけど、きっと見てくれていることを信じたい。
それに、そういう方々がまたネット上に戻ってくることがあれば、
「帰って来る場所」としてサイトを開けておき、更新を続ける、
それが「残された者」である私の使命かな、などとも思っています。
「使命感」なんて持って運営はしないけど、とりあえずこうやって続けておけば、
きっとまた「会える」日が来る、私はそう思いたい。

■2002/05/09 (木) 私が死んでも・・・

 今日までは暇な私、ご無沙汰な音楽ネタ以外のサイトなどを巡回。
相互リンク・サイトは音楽ネタばかりだけど、好きなサイトは音楽ネタばかりじゃない。
スポーツ、ビジネス、昔のテレビ番組、タレント・ネタなど、管理人の方と交流もなく、
ボードにも書き込んだことがないけど、親しんでるサイトは実は多い。
そんなサイトのひとつにアクセスしてみました。

 ところが、トップ・ページを見て心臓が止まりそうになった。
管理人の方が急逝(事故)されたとのコメントが、ご遺族の方によって書かれていたんです。
今年の初めまでは更新されていたはず。一方的に私が見てただけ、
当然その方は私のことなんて全く知らない。だけどショックでした。
ご遺族の方の意向か、コンテンツはそのまま残っていました。
つまり、主はいなくなり、サイトだけが残る。
サイトはデータ・ベースとしては超一級品だから、コンテンツを残してくれたことは嬉しいし、
亡くなってもサイトが残る、支持され続けるということは本当に素晴らしい。
だけど反面、何となく悲しい。

 例えば私が今、死んでしまったとしたら、誰かが削除しない限りサイトは残るでしょう。
当然見ているみなさんは、私がいなくなったことを知らないまま、
アクセスし続けることでしょう。いなくなった後にサイトを発見して見て下さる「新規のお客様」もいるでしょう。
そこで、私がいなくなってもサイトはこのまま残るんだなあとはじめて気がついた。
それは嬉しいこと。つまりこのサイトは、私が生きていたことの証しとして残り、
多くの人が楽しんでくれる、好感を持ってくれる。いわば、亡くなったアーティストの作品が、
後世の人にまで聴かれ続けるのと同じなわけだし。だけど果たしてうちのサイトは
その方のサイトのように、管理人がいなくなった後も多くの人に支持され得るものなのか?
という疑問もありで。だけど「自分が急死しても何も残らない」と思っていたんだけど、
実はサイトがある、そのことに気がついた。

 それにしても、その方のサイトは素晴らしい。私は今後もデータ・ベースとして利用するつもりだし、
その方が生きていた証しとして、今後もそのサイトを支持していきたいと思う。
全く私とは接点がなかったから、その方も、その方の遺族も私のことなんて知らないだろうけど、
私はその方のご冥福をお祈りしたいと思います。

■2002/08/04 (日) リンクの性質も変わってしまったのか?

 私がネットをはじめた1998年頃は、ネット人口も少なかった反面、
「ネットの世界の住人はみんな仲間」といった空気が支配していたように思います。
一歩間違うと「匿名を隠れ蓑にやりたい放題」になりそうな無法地帯、
だけど参加者全員がネチケットを守り、「同じ世界の住人」同士で団結して
みんなで楽しめる、住みやすい世界にしようと心がけて行動する・・・。
同じボードに集まる人同士の絆は強かったし、まして相互リンクを貼っている管理人同士の結びつきは、
下手をすれば家族以上かも、と思えるほどだった。

 私は先日、不愉快なメールを貰いました。メールには守秘義務があるので
大雑把にしか明かせないけど、メールの主は店のオーナー。
店のサイトにリンクを張ってくれ、当店の割引券を挙げます、とのこと。
大変不愉快。それは「相互リンクしましょう」でも、「リンクを張ってよろしいですか?」でもない、
「リンクを張ってくれ」ですから。魂胆は見え見え。ようするに「うちの店をお宅で宣伝して下さい、
お礼しますよ」って意味。これって失礼だと思いません?
リンクって「宣伝」なんでしょうか? 私がこれまで信じてきたリンクの意味を
根底から覆されてしまいました。

 そもそもリンクとはサイトとサイトの交流の証。いや、もっといえば管理人同士の絆の証。
リンクは「宣伝のためにある」なんて思ったこともなかった。
でも今やネット人口が増え、「ネットの世界の住人はみんな仲間」という
考え方は通用しない時代になった。それによってリンクの意義すら変化してしまったんでしょうか?
もしもリンクの意義が変わったんだとしたら、私は今後、リンクを増やさない、
つまり今リンクを張っているサイトを最後に、もうリンクは張らない方針に転換すべきなんでしょうか。
「自分の思うスタイルが時代に合わなくなったから」とボードを閉めた私、
今度はリンクすら凍結しなければいけないんでしょうか。いや、そんなことはない。
実は私は「リンク・フリー」としながらも、これまでも相手方のサイトを閲覧して
「これはちょっと」というサイトからのリンクはお断わりしてきた。
今後は相手方がリンクを希望してきた場合、宣伝目的なのか、
純粋に私と交流したいからなのか審査、判断するようにした方がいいのかな。
寂しいけど、そうするしかなさそうだ。嫌な時代になったもんだ。

■2002/08/06 (火) 失礼な訪問者

 ちょっと前、あるサイトの管理人が次のようなことを日記に書いていました。
「ろくにコンテンツも見ないでボードにだけ参加して書き込みする行為は失礼ではないか」と。
ボードを閉めた今だから正直に言うと、私も実は同じ考え方。ボードにいつも書き込んでくれる、
でも実はコンテンツを一度もちゃんと読んだことがない人、書き込みを見ればすぐに分かるんです。
コンテンツで既に述べてることを平気で質問してきたり、「更新情報」の書き込みをしても
感想を一度も書いてくれなかったり・・・、すぐに分かる。こういう人は不愉快でした。
もちろん、「大暴走、大盛り上がりボード」が売りになってるサイトもあるし、
うちがそうならいいけど、そうじゃないですからね。

 で、そうした書き込みのうち最も不愉快なもの、それは広告と宣伝。
広告の方は金銭などが絡むから面倒ということで、嫌う管理人は多いです。
でも私は「今度サイトを作りました、見て下さい」といった、金銭の絡まない宣伝も嫌いです。
もちちんボードに何度か書き込みをして下さっているお馴染みの人による宣伝とか、
最初にうちのサイトの感想を書いてくれてて、最後に付け足しのような形での宣伝を書き添えるんなら
全く不愉快じゃない。でも、はじめて登場しておきながら、自己紹介も、うちのサイトの感想も書かずに、
いきなり自分のサイトの宣伝を書き込む、というのは失礼極まりない。
「自分のサイトを売り込みたい」一心、書き込まれたこっちの気持ちとか、人格とか、
そういうものは一切関係なしですからね。こういう人は、自分のとこは熱心に売り込むけど、
人のとこを見る気なんて最初からない。そう、自分のことしか考えてないんだ。

 で、そういう人が開設したサイトなんて、全く見たいとは思わない。
もしも面白かったとしても、その管理人の人間性を信用出来ない。
自分のことしか考えられない人にサイト運営は絶対無理、きっとすぐに潰れる。
「偉そうだぞ」と思うかもしれない、でも私は4年間、当サイトを運営してきて、
ネット上でいろんな人に会い、いろんなことに巻き込まれ、多くのサイトを見てきた。
その経験上、私には分かるんだよね。私もそういう管理人だけにはなるまいと思ってこれまでやってきたし。

■2002/12/27 (金) 魔性の管理人

 「次回のMonthly Artistは○○を希望」「次は○○のレビューに期待します」。
サイトの管理人である以上、ボードやメールでこんなリクエストを貰う機会はとても多い。
だけど、そんなみなさんにひとことアドバイス。「本当に『やって欲しい』と願うのなら、
何も書かない方がよいですよ」(笑)。私は性格がひねくれているせいか、「誰かに言われて行動する」ことが、
昔から大嫌いなんです。

 昭和の頃、プロレス界では「王道の馬場=全日本」「期待を裏切る猪木=新日本」という図式があって、
支持者もそれぞれに分かれていたものでした。私は圧倒的に後者。「ファンの期待に応える」
「ファンの望む通りに事を運ぶ」「安心して見ていられる」馬場にはスリルを感じなかった。
むしろ「常識や既成のイメージをぶっ壊す」「ファンの期待を裏切る」「いつもハラハラさせられる」猪木的なものに
私は強く心を引かれたものでした。

 だから私も「見てる人はこう期待しているだろうな」「こうイメージしてるんだろうな」
と思えることを徹底的に避ける。見てる人を「えっ? なんでこれなの?」とか、
「うわー、こんなネタでくるとは信じられない」と驚かせる、スリルを味わっていただく。
「次は何が出てくるか見当もつかない」とワクワクさせたい。それが私の基本スタイル。
いや、これはサイト管理人としてのポリシーとかスタンスとかいうレベルじゃなく、
私自身がそうした「飛び道具」を見せられる、体験させられることに「楽しみ」を感じる人間だから、
自然とそういう行動をとってしまう性分のようです。

 だから先に書いた通り、本当に私に「あのネタをやって欲しい」と思うのなら、
その希望は私に伝えない方がベターでしょう(笑)。「期待してます」といわれれば、
「よし、そのネタは当分やるまい」になってしまいますからね(笑)
実際、「よし、次のMonthly Artistはザ・フーでいこう」と決めた矢先、
偶然「来月はザ・フーに期待」との声をいただいてしまい、ネタを急遽変更した、
なんてこともありました。なので、「リクエスト」はしないに限ります。
しかし「見てる人の期待を裏切り続ける管理人」って、ある意味相当不親切だよな。
でも、その方が見てる方も楽しいんじゃないか、と私は思うんだけど、「馬場派」の人は
そういうのは好まないんだろうなあ。 

■2003/01/06 (月) 「ここはビートルズ・サイトではない」!?

 私が開設以来、あちこちで訴えてきたこと。
Yahoo!に最初に登録した時は「ロック全般」のところに登録されていたのに、
何時の間にか「ビートルズ」に移動されていて落ち込んだり、相互リンク先サイトのリンクのコーナーで
「ビートルズ」のコーナーに入れられ、「ビートルズの項目に入れないで」とお願いしたり。
でも、今では気にならなくなりつつあります。

 確かに私は「ビートルズ・サイト」とは思っていません。私の考える「ビートルズ・サイト」とは・・・
(1) ビートルズ・オンリー、または8割方がビートルズネタ
(2) ビートルズ周辺で動きがあった場合、すべてに対応する
(3) 「何はなくともビートルズが最高」という結論に至る人が管理人
(4) ボードはいつもビートルズ・ネタ

といったところです。でも、この4項目すべてに当てはまってません。
確かに「メインはビートルズ」とは思っています。でも「オンリー」でもなければ
「偏重」「偏向」もしていません。
「このサイトのポリシーだから」そうしない、というのではなく、私自身の趣味、関心が「オンリー」じゃないから。

 はっきり言えばここは「私のやりたいことしかやらない」サイト。
ビートルズ周辺で動きがあっても、それに関心が持てなければ一切コメントしません。
事実、昨年のポール来日はほとんど無関心だったから何もしてないし。
ボードをやってた頃も、私がビートルズ・ネタを振ることは少なかったはず。
やっぱり「ビートルズ・サイト」とはいえないでしょう。

 でも、今はそんなに「ここはビートルズ・サイトじゃないんだ!」と強調する気はなくなりました。
サイトなんて、公開してしまえば管理人の手を離れてしまうもの。
で、見ているすべての人のものになる。だから、ある人がここを「ビートルズ・サイト」だと思ったとすれば、
その人にとってうちは「ビートルズ・サイト」なんだろうし、別の人が「ビートルズ・サイトじゃない」と思ったとすれば、
その人の中で「ビートルズ・サイトじゃないということになるんじゃないか。
その辺は「見てる人の解釈次第で、どちらにも解釈できる、解釈してよい」んだと思う。
サイトもボードも生き物。必ずしも管理人の思い通りにばかりはいかないんだよ。
でも、私の中ではここは「ビートルズ・サイト」じゃない。その気持ちは変わらないけど、
判断は各自にお任せ、です。

■2003/01/17 (金) サイト管理人へ質問

 あなたはサイトを持っていることを、プライベートの知り合いに話したことがありますか?
見せたことがありますか? 「話してない、見せてない」というあなた、サイトを見せることが出来ますか?・・・
管理人によって意見が割れそうですよね。ちなみに私は、サイトを持ってることは誰にも言ってない、
見せてもいない、でも見せることにあまり抵抗はありません。

 前から述べている通り、現実の私(「S」としておきます)と☆TAKEは、キャラクター的に大差はない。
Sは素直じゃないから、☆TAKEの方が本当の自分に近いくらいだし。
基本的にネット上でキャラを作ってない。きっと「キャラを作ってる人」は
間違ってもサイトを見せることはできないでしょうけどね。あと、匿名を隠れ蓑に
誹謗中傷や罵倒、雑言ばっかり撒き散らしてる輩は、間違っても自分のHNを外で言えないだろうけどね。
私は「☆TAKE」とは名乗ってるけど、「S」という立場でも同じことを言える、
そういうレベルでネット上でものを言ってるから。
プライベートの知り合いに「☆TAKEはSなんだ」とバレても別に構わない。

 なので「見られて困ること」は、このサイトには一切書いてない。この「落書き帳」で、
「ボヤキ、独白」を書くこともあるので、それを見られることはちょっと恥ずかしいけど、
絶対イヤでもない。むしろ「こいつにはサイトを見せてやろうかな」と思う時もある。
「趣味は?」と聞かれて「音楽鑑賞」と答える、そこで「ジャンルは? どんなの聴くの?」と聞かれた場合、
答えるのが面倒だから、URLを書いて「ここを見てくれ」と言った方が手っ取り早いし。
今のところ、そういう話題になったことがないから誰にも言ってないけど、
機会があれば言ってもいいかなと思ってるくらいだ。

 ただし、もしもボードがあったら、果たして本当に教えられるかな。
前から述べてる通り、私はネット上にプライベートは持ち込まない。
プライベートの知り合いにURLを教えたとすると、きっとボードにプライベートなネタを
書かれてしまう可能性がある。そうなるとポリシーは崩れるし、同時にボードは
「内輪ネタ」一色になり、それ以外の人はどんどん引いていくという結果を招くことは間違いない。
だから、ボードがあればやっぱり教えないかもしれないな。今は別に教えても構わないと思ってるし、
見られて恥ずかしいこともない。

■2003/10/05 「必死」で何が悪い?

 月が変わって、ようやくゆっくりネットできるようになった私。あちこちのサイトを巡回してるんだけど、 先日、ネットをはじめた当初に親しくしてて、相互リンクもしてるんだけど、 この数年は疎遠になってる、ある人のサイトを約半年ぶりに覗いて見た。 普段は軽妙な語り口とウイットに富んだ、ちょっとひねくれた文章が売りのはずのその人が、 珍しく自分の日記でシリアスなことを書いていた。そして、それを読んでいるうちに大きく頷いている自分に気がついた。

  その人は大体こんなニュアンスのことを書いていた。「ネットをはじめた当初はボードに書き込むことが 楽しくてしょうがなかった。近い趣味の音楽ファンのサイトを見つけてはボードの覗き、 自分の意見を熱く語った。時には反対意見も書いたけど、決して「口論」でも「罵り合い」でもなく、 本当に楽しく、かつ有意義な意見交換が行われていた。ところが、今はどうだ。 個人のサイトのボードといえば、親しい仲間同士の馴れ合いのボードか、そうじゃなきゃあ 子供の喧嘩ばりに「馬鹿、死ね」などの言葉が飛び交う罵り合いのボードか、そのどちらかしか存在しないじゃないか。 あの頃のように熱く語り合えるボードが恋しい、私は熱く語り合いたい」と。 これってまるで、私自身の心情をそのまま書き映したかのように、全く私と同じ意見。 彼がネットをはじめたのは私と同時期だったし、彼がネット・デビューした場所も私と同じ。 だからやっぱり、考えてることは同じなんだろうなあ。

  で、私が気になること。特に中高生などの若い層が集まるボードってのは、 どうしても意見がぶつかると最後は「馬鹿か」「死ね」などといった罵り合いで終わってしまう傾向にあるようなんだけど、 それを見かねて誰かが止めたり、咎めたりすると必ずこういう反応が返ってくる。 「なんでそんな必死なん?」。それだけじゃない。何かに関して「熱く語る」行為というのは、 彼らから見れば「必死」と形容され、嘲笑の対象にされがちのよう。だけど、私には分からない。 なぜ「必死」が駄目なんだ? 「一生懸命=熱い」ことが「必死」と形容されて、 笑われる風潮というのは、私にとっては大変腹立たしいことだ。もはやネット上で「熱く語り合う」ことは不可能なのか? だとしたら私のとった行為「ボード閉鎖」はやっぱり正しかったんだと改めて痛感した。

  とはいえ、私は全然気にしない。というか、自分の好きなものにさえ「必死」になれない奴は可哀相だと思う。 とはいえ、ネットに復帰したにもかかわらずネット上を巡回しても「ボードに書き込みたい」 という気が起こらないのは、先に述べた通り、「仲間内の馴れ合いボード」か、 「罵り合いボード」しか存在しなくなったせいなんだろうな。 そういえば、ネット歴の長い人ほど「最近はボードに書き込みすることがほとんどなくなった」って言ってる。 最早ボードというものの性質自体が変わったんだろうし、私たちが親しんで来たようなタイプのボードは 死に絶えたということなんだろう。そのことは寂しく思う。けど、いくら笑われても 馬鹿にされても「必死」な態度だけは改める気はない。「必死」で何が悪い?

■2004/01/05 Long Long Long

 この三が日、ネットをはじめた当初に知り合ったある方から突然メールが来た。その人とは音楽ネタ以外のボードで知り合い、身近な話題などを語り合っていたものだった。そして久々にその人から届いたメールには、その人の近況などが書かれていた。その人は既に何年も前にネットも辞めてしまった、置かれている「立場」(プライバシーに関わるので具体的には書けないけど)も変わった、本当に自分を取り巻く環境も、そして自分自身も変わってしまったと。そして偶然、暇を持て余して正月にネットに接続してみたら、「あなたは全く変わらずネットを続けていて、サイトも続いている、そのことに驚き、嬉しくなって思わずメールした」と。

 私がネットをはじめたのは1997年の12月末。つまり、ちょうど「ネット開始6周年」ということになる。そのことを思う時私には「気がつけばとんでもなく長い年月が経ってしまったんだなあ」という想いが芽生えた。「6年」といえば長い。ましてネットの世界は一時期「ドック・イヤー」(犬の一生並に時間の流れが早いという意味)なんて言葉も流行したほど、日常の世界以上に時間の流れの早い世界。そんな世界にもう6年もいるなんて・・・。いや、これを読んでる人にとっては「何を今更」でしょうけど、今はネットを辞めてしまった人から見ると、私は「まだやってるなんて!」という風に映るんだな、それほど月日が経ってしまったんだな、本当に遠くまで来てしまったな、そんな想いに襲われる出来事だった。

 その人はまた、「ネットの世界がかつてと変わってしまった」ことを嘆いてもいた。あの頃、「ボードに書き込む」ことによって「他の参加者の方と、家にいながらにして会話を楽しめる」、そのこと自体が新鮮で、素晴らしいことだと私は思った。そして、その頃ネットをはじめた人の大半は、私と同じ理由でネットにはまったはずだ。事実、プライベートに悩み、苦しんで、救いを求めるような書き込みをしている人を、ボードに参加しているみんなで一晩中ボード上で励まし続けた、そんな経験もした。つまりネット、特にボードは、コミュニケーション、それ自体が目的だった。いわばボードは「画面上に映される板」なんかじゃない、みんなが集まって歓談する「広場」「部屋」そのものだった。

 ところが、今はどうだ。ボードなんて、ある時は広告と告知の場でしかなく、またある時は罵り合うだけの場所と化している。本当に嘆かわしいというか、悲しく腹立たしい。ボードって、今では「画面上に映し出される一枚の板」でしかないんだよな!!! 日常の世界で、同じ部屋にいる、その中で今、多くの人と向かい合っている、そんなシチュエーションで無機質に「広告、宣伝」をする人、知らない相手に対して「必死だな」「馬鹿、死ね」などと言える人っているだろうか? こういうことを出来る人ってきっと、「ネットはコミュニケーションの場」という当たり前のことも分かってないんだと思う。「時代は変わったんだよ」、こう言う人もいるだろう、でも「絶対に変わらない、変わってはいけない基本」ってのはあるはず。それもが変わってしまった。もはやボードの時代は終わった。そう思ったからこそ、私は何のトラブルも起きてはいなかった自分のボードを閉めた。

 その人は2000年頃にネットを辞めたという。「ネットに参加していることが日常生活以上に苦痛だったから」とのこと。気持ちはとてもよく分かった。私も「ボードの楽しさ」に魅了されてネットをはじめた奴だから、もしもこのサイトがなかったら、同じ選択をしていたかもしれない。今では「ボードに書き込むこと」に、ほとんど楽しさを感じないのは偽らざる事実だから。私の場合は「サイト運営」という別の楽しみを見つけた、だからこうやってネットを続けていられるんだと思う。そう思うと、このサイトと、そしてこのサイトを見て下さる、支持して下さるみなさんへの感謝の気持ちでいっぱいになった。ネットをはじめて6周年、このサイトも今年7月で6年になるけど、久々に「初心」を思い出すと共に、これまでネット上で出会った人たちへの感謝の想いを強くした。

■2004/02/22 ボードから日記へ?

 最近は私が使用しているこの「はてなダイアリー」に限らず、ネット上には日記フォームが激増中。そしてネット上で日記を書いて公開している人も、この数年でもの凄く増えてるな、という気がします。私が「落書き帳」をオープンしたのは2000年7月でしたが、あの頃はネット上で日記を書いてる人なんて、ごく稀にしかいなかったもの。でも、今じゃあサイトを持ってる人の約7割くらいは日記、または「日記のようなもの」(この「落書き帳」も日記じゃない)を書いてるんじゃないでしょうか。で、そこで思ったんですが、ボードというものが衰退し、廃れていくにつれて、段々日記を書く人が増えてるような気がするんです。そういえば、以前は私がネット上を巡回して行きつけのサイトを見る時、真っ先に覗いていたのはボードだったはずですが、今では日記を真っ先に見てるし、ボードを見るより、日記を覗くことの方が多くなってる、これは否定しようのない事実です。

 考えてみれば、かつてはボードって、「管理人と参加者のコミュニケーションの場」であると同時に、私たち管理人にとっては、「プライベートの知り合いには言えない独白を書く場所」でもあったもんなんですよ。私もよく書いてましたよ、「今日(クリスマス・シーズン)は久々に出かけたけど、賑わってる街を見てると、独り暮らしの寂しさが身に染みた」とかって。いや、私の場合はネットをはじめた当初から「プライベートは過剰に持ち込まない」ポリシーだったのでこの程度しか書かなかったけど、もっと露骨に自分自身の心情を告白してる人もいたもの。

 でも、何度も書いている通り、ボードというものの存在意義や常識は何時の間にか歪んで、変質した。広告、宣伝の場と化し、罵り合い、揚げ足の取り合いなどの醜態の繰り返される無秩序な場所と化した。「下手なことを書くと付け込まれかねない、叩かれかねない」そんな場所と化した。当然、管理人の意識として、「ボード上で弱音を吐いたりしたら、付け込まれる」という意識が働く。「自分のボードでリラックスして、自然体でいる」ことが不可能になった。いつも肩肘はって、「しっかり者の管理人」を演じなければ、ボードを維持することができない、そんな時代になった。結局、管理人にとって唯一「自然体でいられる、ホッとできる場所」はボードではなくなってしまった。そして多くの管理人は「日記フォーム」を借りることで、「唯一自然体でいられる場所」を確保しようとした。こうして「日記フォーム」が増殖し、なおかつ「ボードを見るより、日記を見た方が面白い」という現象が生じたんじゃないだろうか。事実「ボードでは音楽のかしこまった話以外書けなくなった」ので、そうしたことを書く場所を欲して「落書き帳」をオープンしたというのが、「落書き帳」誕生の経緯だったりする。

なので、ボードが衰退し、一方で日記フォームが増殖していること、そして日記の方が面白いと思える理由は、なんとなく分かるような気もする。とはいえ、この「はてなダイアリー」の場合、いろんな独自のシステムが多いため、「知らない人に見られている」可能性はかなり高い。「はてな」には、「アンテナ」ってのがあるんだけど、この「落書き帳」を自身の「アンテナ」に登録している見ず知らずの人がいっぱいいること、実は私はしっかり把握している。「☆TAKEとは何者なのか?」も知らない、ROCK' N ROLL PEOPLEも知らない、なのにこの「落書き帳」だけを見てる、何の接点もない人がいるというのもなんだかなあと。なので、トップ・ページへのリンクをこのフォームの上部につけてみたりして、なんとかROCK' N ROLL PEOPLEを強調しようと試みたりしてる。いや、「ROCK' N ROLL PEOPLEあっての落書き帳」なわけだし、ROCK' N ROLL PEOPLEも見ずに、いきなり「落書き帳」を見られるのは抵抗があるわけで。

 それに日記フォームとボードの決定的な違いは、日記フォームはボードと違って、一方通行で、見てる人とコミュニケーションをはかれないシステムだということ。だから、ここだけこっそり見てる人も、できれば連絡して欲しいな、と思ったりする。ボードが衰退したことで、「ネット=コミュニケーション・ツール」という性質が薄れつつある昨今、もっといろんな人とコミュニケーションをはかりたいという欲求も、以前より強くなりつつあるし。

■2004/06/02 個人のサイト事情など

■ 老舗サイトの管理人の方が溜息・・・

 先日、ある行き付けのサイトのボードを覗いていたら、「最近は書き込みがめっきり少なくなった」ということが話題になっており、その中でそこの管理人の方が「分かってはいるんだけど、寂しいこと」とされていました。そこのサイトは、うちのサイトと同じくらいの長い歴史を持つサイトです。何度も書いてきた通り、近年ではネットの性質が変わってしまったので、かつてと比べると個人のサイトから熱気が薄れつつあるし、ボードというものの性質も大きく変わって、「最早ボードの時代は終わった」(私の持論)わけで、その辺のこと、その方もきっと実感されてるんだろうな、と思った次第です。でも、その方のボードの場合、まだ1日に20件近くも書き込みがあるし、しかも「古き良きボード」の時代のような、そんな雰囲気を維持しておられる。だから第三者である私から見ると、「頑張ってるなあ」と感心させられるんですけど、それでも、「寂しさ」を感じてるのかと思うと、それを読んでいるこっちの方が寂しく感じたりして・・・。

■ サイトは縮小傾向

 一方で、別のリンク先サイトの話。開設当初から「多種多様な話題を扱う」ことを売りにしてきたサイトだったはずなのに、久しぶりに見ると、その「多種多様な話題」のうち、約半分をバッサリと「切り捨て」て、「縮小運営」されているのを目撃しました。何年もやってきた末の、そこの管理人さんの決断の結果が「コンテンツ=話題の縮小」だった、というわけでしょう。その方が積極的に、「もう、これと、これ以外の話題には興味がなくなったから」とか、「これと、これだけをディープに語りたいから」という感じで、前向きに話題を限定、縮小されたんならいいんですけど、「もう駄目だ」みたいな、そんな気分で縮小されたんだとしたら、ちょっと寂しいなあ、と思った次第。もちろん、他サイトの運営に干渉する権利はないので、何も言えませんけど、でも「寂しいな」と。

■ 人は変化するもの

 更に他のリンク先サイトの管理人の方の話。その方と知り合ったのは、このサイトを立ち上げた半年後くらいのことでした。ところが、久しぶりにその方のサイトを見ると、「ロック・ファンの方々はきっと、●●でしょうけど、私の場合は▲▲」というような表現があってビックリ。いや、確かにこの方、当初はバリバリのロック・ファンでしたけど、次第に、ちょっと違う方向の音楽にも興味を持つようになっていくなど、趣味が変わっていく様は、サイトを通じて分かってはいた。でも、「ロック・ファンの方々」という表現には、「最早私はロック・ファンではない」という意味が込められているわけで、この表現にも一抹の寂しさを覚えました。確かにあれからもう5年以上経つ、趣味が変わるのは当然。それに、誰が何を好きになろうと、それを止めることは他人にはできない。とはいえ、「過去形」で「ロック」を語られていたこと、このことはある意味、ショッキングにすら映ってしまいました。

■ 書き込みをしない

 実は最近、よそのボードに書き込みを一切してません。いや「一切」というのは嘘で、行きつけのサイトで更新があった時に、その感想を書いている程度。それ以外の書き込みは全くしてません。正直、私自身も「よそのボードに書き込む」ということに対する興味は、かなり薄れてるんですよねえ。実際、コロムビアのサイト内に開設されたルースターズのオフィシャル・サイト、ほぼ毎日のように覗いているのに、一度も書き込みしたことがありません。昔の私なら、開設と同時に大喜びで書き込みしていたでしょうに。それ以外にも、「最近覗きはじめた音楽系サイト」って、実はいっぱいあるんですけど、それらのボードに書き込みしたいとか、管理人の方とコミュニケーションをはかりたいという気持ちがすごく薄い。昔だったら、気に入れば即「はじめまして」って書き込みしてたはずなのに。最早私は、ネットに「コミュニケーション」を求めてないのかなあ。確か私がネットにはまったきっかけって、「家にいながらにして、多くの人とコミュニケーションをはかれる」ことへの驚きと喜び、そして感動。そんな気持ちからだったはずなのに。

■ 薄れゆくネット上の「絆」

 とはいえ、当サイトを立ち上げた1998年頃といえば、まだネット人口も少なかった時代。そんな「人口の少ない世界」で、同じ音楽ファン、ロック・ファンに偶然めぐり合う、ということは、ある意味「奇跡」に近いことでした。だからこそ、多少趣味や価値観が違っていても、「同じアーティストが好きである」というほんの些細な接点だけで、誰とでも親しくなれた。あの頃はそんな時代だった。だからこそ、ネット上で知り合った人同士の絆は、とても強かった。だけど、今ではネット人口は何百倍、何千倍、いや、何万倍にも増えた。だからネット上で「同じような音楽が好きな人」を見かける機会も、以前とは比べものにならないほど多い。だから、ただそれだけの理由で親しくなる、ということなど、なかなかない。まして「考え方が違う」「価値観が違う」ということになると、「親しくなる」どころか、逆に反発心しか覚えない。だからかつてのような「ネット上の絆」は生まれにくなっているし、むしろ対立や罵倒合戦が展開される機会の方が圧倒的に多いんだと思う。

■ それでも続ける

 でも、このサイトを辞めてしまいたいという気分にならないのはなぜなんだろう。ボードがないから、反響を貰う機会も、実はあまり多くない。単なる自己満足なのかなあ。ひょっとすると、そうなのかもしれない。でも自分自身が「続けたい」と思ううちは、当然続けていくし、むしろまだまだ手を広げていくつもり。「よそのボードに書き込みする気があまりしない」のは事実だけど、それでも、まだまだ多くの方と出会ったり、コミュニケーションをはかったりしたいという意欲もある。最近は「古くからのルースターズ・ファン」という方からの反響も多いけど、「初心者は語るな」って怒られるかと思いきや、「好きになってくれて嬉しい」って好意的なものが多いこと、それはかなり励みになってたりします。まあ、細かいことは考えず、やりたいようにやるだけです。これまでもそうだったし、これからだって同じです。リンク先の変化を見て、ちょっとひとりであれこれ考えてしまっただけで、別に深刻になってるわけでもないですよ、はい。

■2004/06/05 まだまだ続くネットの話など

■ ネット・デビューの頃

 ネット・デビューした頃、私は音楽以外の、「なんでもあり」なボードにもよく書き込みをしていた、ということは以前も書いた通り。で、「なんでもあり」ということは、逆にいえばボードのテーマが限定されていないということ。つまりは、テーマが限定されているボード以上に、様々な思想、価値観を持った人が集まってくる。だからこそ、すごく難しかった。当然「価値観の違う人同士の意見対立」というのも、しょっちゅうある。だけど、当時のネットの世界は、今と違って「みんなでこの、新しく誕生したメディアを盛り上げて、住みよい世界にしよう」という意識が参加者全員にあった。だから意見がぶつかっても、決して罵り合い、中傷合戦になることなく、単にお互いが言いたいことを言い合って、最後には「お互いの理解を深めて議論終了」というのがパターンだった。実際、「議論」の末に仲良くなった人というのもいっぱいたもんでした。

■ 文字だけのコミュニケーションの怖さ

 といっても、やはりトラブルも多かった。ネットは当然、「文字」「文章」だけを使用したコミュニケーション。だから、自分の真意が相手に伝わらない、その意思もないのに、なぜか相手を不愉快にさせてしまう、そんな機会もまた多かったもの。例えば、ネット上で相手に向かって「馬鹿みたい」と書いたとする。当然、言われた側はこれを見れば不愉快な気分になる。だけど、実は、この書き込みをした人は、別に相手を侮辱してるのではなく、相手への愛情表現の裏返しで、ジョークのつもりで書いたものだった。つまり、「馬鹿みたい(笑)」と書いていれば、相手を不愉快にさせることはなかったはずなのに。これが日常会話、つまりお互いに顔を突き合わせての会話の中で発された「馬鹿みたい」という言葉なら、相手の表情、言葉の調子、語気などからすぐに「冗談半分の表現」と分かるんだけど、ネット上では文章だけ。だからお互いの「気持ち」までは伝わりにくい。だからこそ、文章の表現には気を付けなければいけない、ネットとは、手軽な反面、とても難しいコミュニケーション・ツールなんだということ、これはネットをはじめた当初に痛感させられた事実だった。実際、私は当時、こうした些細な表現の不備がもとで、その意志もないのに、相手を怒らせてしまったことが多々あったし、逆に相手の表現を誤解して受け取って、勝手に不愉快になってしまったこともあった。

■ もともとは「大人向けのコミュニケーション・ツール」だった

だからこそ、ネットというのは、本当に難しい。「相手を不愉快にさせる表現はなるべく避ける」とか、「批判と中傷の区別をつけて、良識ある発言を心掛ける」とか、「意見が対立した時も、相手の身になって」とか、本当に難しい。ある意味、「心が未成熟」な状態では、参加するのが難しい世界なんだな、ということを痛感した。近年はティーンなどの低年齢層のネット参加が進んでいるわけで、それはそれで素晴らしいこと。だけど、この辺の、参加する上で絶対必要なマナーとか、相手への心遣いなど、「大人」でも難しい部分を会得することは、とても難しいんじゃないかな、と思う。それに、かつては「この辺を勉強せずにネットに参加してはいけない」ような空気があったんだけど、今はそんな考え方自体がないように思う。でも、この辺を学ぶことって、実は大事なんじゃないかな。学校でパソコンを教える、ネットを教える、というケースも多いようだけど、技術面だけじゃなく、こういうことも教えるべきかなと。いや、むしろこういうことを教えることの方がずっと大事なんじゃいのかな。先日起こった、例の小学校の事件(小6による、掲示板の書き込みに端を発した同級生殺人)も、「原因はネットの掲示板にあった」みたいな論調に傾きつつあるようだから、尚一層、その想いを強くしているところ。

■ 個人の音楽サイトに一筋の光

実は最近、「リンクしました」ってメールが来た。なんと、ザ・フー来日に触発されて、ネット上で仲のよい管理人4名が共同でザ・フー・サイトを開設されたとのこと。複数の管理人による共同サイトって、個人サイト全盛の1998〜2000年頃にはいっぱいあったし、複数の管理人が集まってグループ名まで名乗る人たちがいたりもしたけど、近年ではごく稀なこと。なによりも、先日書いた通り、ボードの衰退などによって「ネット上の絆」が生まれにくくなり、ネットに参加している人同士の関わりも薄くなっていく昨今のネット事情を思えば、奇跡的なことと言ってもよい。ただですら日本には数少ないザ・フーの専門サイトの誕生、それだけで嬉しいのに、久々に「ネット上の友人同誌の深い絆」を思わせる「共同サイト」の誕生に感動してしまった。このサイト、後日うちからもリンクしますんで、完了時に改めて、みなさんにはご紹介させていただきます。

■ ザ・フー・サイトは日本には生まれにくい?

 なぜかそうなんですよね。私がネットをはじめた当初は、今や老舗とも言える、当サイトとも相互リンクさせていただいている、ほっしーさんのとこくらい。以降はいっぱい、ザ・フーのサイトが誕生、中には誕生直後からものすごい勢いで更新してたサイトもあった。でも、意外と更新がストップするのも早く、あっという間に閉鎖してしまう、というケースもかなり多い。「なぜなんでしょうね」と、ある相互リンク先管理人の方と意見交換したこともありましたけど、「語るのが難しいバンドだから」という結論に至りました。確かに、私自身も語っていて難しいと思うことは多いし。その方も同様らしい。でも、来日を機会にザ・フーの話で盛り上がってることだし、この新サイトには頑張って欲しいと心の底から思う。

■ もっと積極的に

で、実はこのサイトを立ち上げた4名の管理人の方のうち、2名の方のサイトは、実はうちの相互リンク先の、そのまたリンク先。つまりは「知り合いの知り合い」ということ。で、私はこのお2方のサイトは以前からよく存じ上げていた。その、「実は知っていた」方からの不意の連絡ということで、実はちょっと驚きでした。でも、先日も書いた通り、最近の私は「気に入ったサイトを見つけても、ボードに書き込みもせず、メールで連絡もしない」傾向になっているので、こういう、「実は覗いているけど、一度もコミュニケーションをはかったことのないサイト」って、結構な数に登る。うーん、もっと積極的になった方がいいのかなあ。明らかに最近は、ネット上でのコミュニケーションに臆病になっているような気がする。実は「やりたいようにやるだけ」といいつつ、自分のサイトへの自信は減退気味なのかなあ。


      
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