ネット、パソコン

      
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■2004/09/25 一度は会ってみたかったマスターの死

 1999年頃だっただろうか、相互リンク先や行きつけのボードに、怒涛の宣伝書き込みをしてる人がいた。「このたび、脱サラして新宿にロック・バーを開店しました」、こんな内容だったと思う。うちのサイトのボードは「宣伝禁止」を掲げていたので遠慮したのでしょう、その方の書き込みはありませんでしたけど、本当にリンク先の至る所に登場されていました。バーの名前はBLACK AND BLUE。明らかにストーンズ・ファンの方なんだな、と分かる店の名前。リンクを辿って店のホーム・ページを見てみる。小さなバーらしいけど、自身のボードの書き込みに対してとても丁寧なレスをつけるマスター、その人柄が理解できた。「宣伝禁止」のうちのボードに書き込みされなかったのきっと、私のへの気遣いだったのだろう。とはいえ、私はただ眺めるだけ。一度も書き込みはしなかった。また、当時は関東在住だったけど、極貧のため、「外で飲む」なんて発想は全くなかったので、「一度は行ってみたいなあ」と思いながらも、店に足を運ぶこともなかった。

 とはいえ、その「宣伝書き込み」が効いてか、いや、それ以上にマスターの人柄のおかげなんだろう、このバーは音楽ネタ、ロック・ネタ・ボードのオフ会が頻繁に開かれる場所と化した。私の行きつけのサイト、3つのボードのオフ会(それぞれのボードには何の接点もない)が開かれたし、私の知り合いの管理人の方は、上京した際、必ずここによっていたようだしで、本当に「音楽ネタ、ロック・ネタのボードやサイト関係者の憩いの場」と化した。私もずっと「いつか行ってみたい場所」だと思い続けていた。

 その後、地元・北九州に戻った私。そんな私が東京で約1週間の休暇を過ごしたのが昨年の10月、宿泊先は新宿だった。やはり気になったのはこの店の存在。「よし、行ってみよう」とばかりに店を探す。だけどマスターがよくサイト上に書いていた通り、「分かりにくい場所」にある店のようで、何時間も、何度も近辺を歩きまわったものの、結局みつけることができず、諦めてホテルに戻った。「今度上京したら絶対に見つけて、必ず行く」そう決心していたし、一度もお店のサイトのボードに書き込みをしたこともなく、まだマスターと接点を持ったことがない私、「次に店に行くまでには、必ずマスターと接点を作っておこう」と思っていた。

 ところが、「店に行く」ことも、「ネット上でマスターと接点を持つ」ことも、かなわぬ夢となってしまった。つい先日、マスターは急逝されたとのこと。亡くなる前日まで店を開け、しかも亡くなる数時間前にボードへの訪問者へのレスをつけている。本当に急だったんだなあ、ということが分かる。結局、一度も接点を作れなかった方、一度も行くことのできなかった店だけど、いつも親近感を持っていたし、本当に行きたかった、会いたかった。それは叶わず、本当に残念に思う。とにかく「接点を作れなかった」ことが最大の後悔。きっと彼は私のことなんて全然知らないだろうけど、心よりご冥福をお祈りします。

■2005/04/06 「ネット上の故郷」の閉鎖で思うこと

 先日も書いた通り、私のネット・デビューの場所、「ソネット談話室」が3月31日をもって閉鎖されてしまった。私がこの場所にはまって連日、書き込みしまくっていたのはネット・デビューの1997年末〜1898年の夏までで、特に1998年の7月にこのサイトを立ち上げた辺りから、私の中での「重要度」がソネット談話室から次第に当サイトの方に移ってしまったこともあって、以降は覗く機会、書き込む機会も激減していたし、しかも1999年辺りからは、ソネット談話室で知り合った人たちとの交流もあまりなくなったこともあって、覗く機会も少なくはなっていた。つまり、あの場所は私の中で「かつて、はまった場所」というか、既に自分の中で過去形で語られる場所になっていたというのはいつわらざる事実。とはいえ、どんなに離れていようとも、自分のことを「ソネット談話室で生まれ、育ったネッター」だと思い続けていたし、自分にとっては「ネット上の故郷」であり続けた。また、私のネットに対する価値観、ネットに接する姿勢などは、あそこで学んだルールやマナーに基づいたもの。ということもあり、いくらしばらく遠のいていたとはいえ、いざなくなってしまうとその「喪失感」はあまりにも大きく、自分の心や体の中の、重要な一部分がなくなってしまったかのような、何ともいえない寂しさを感じています。

 私がネットに接続したその日、最初に覗いた場所、最初に書き込みした場所が「ソネット談話室」の「ミュージック・ゾーン」だったこと、そしてそこで音楽談議で盛り上がったことが、私がネットにはまったきっかけであり、なおかつ、このサイトを立ち上げたきっかけだったということは、過去にここでこんなものを書いてきたので、既にご存知の方も多いと思う。その「ミュージック・ゾーン」と並んで、よく私が出入りしていたのが、同じ「ソネット談話室」にあったフリー・トーク可能な「にぎやかパーティ・ルーム」というボード。身近な話題あり、時事ネタに関する議論あり、日常の何気ない出来事あり、お馬鹿な話題あり・・・、そんないかにもネット創世紀らしいボードだった。ここには1998年はじめから6月頃まで本当によく入り浸ったものだった。まあ、私自身が「顔も見えない、世代も、住んでいるところも違う人と、家にいながらにコミュニケーションできる」というネットというもの自体の魅力に魅せられ、そんなたわいのない会話を交わすこと自体に楽しさや喜びを感じることができたからこそ、ここにはまったんだと思う。同時に、「文章だけでコミュニケーションすることの難しさ」も学んだし、だからこそ、節度を持って書き込まねばならないということも学んだ。今やネット上はみんなが好き放題な言葉を吐き捨てる「無法地帯」と化してるけど、当時は本当に、みんなで注意し合い、アドバイスし合って、「この新しい世界をよいものにしよう」って気持ちが、参加者全員に無意識に働いていたと思う。本当に素晴らしい時代だったと思うし、あの頃学んだ「初心」は、確かに私の中に生き続けているし、乱れ放題な現在のネットの世界の中に生きている私も、未だにその初心は貫き続けている。

 とはいえ、あの場所は私に「ネットの素晴らしさ、楽しさ、その一方にある難しさや厳しさを教えてくれた」、それは大きい反面、それらを知ってしまって以降の私にとっては、既に「いずれ卒業すべき場所」と化していたのかもしれないな、と今になって思う。あそこで私が学び、知ったことは、ネットの基礎中の基礎といっても過言ではない。ネットに限らず、何事でもそうだけど、基礎を会得すれば、次は「応用編」となる。ネットの楽しさや厳しさといった基礎を知った人は、「より楽しいこと」を求める。通販、オークション、ゲーム、個人のサイト巡り・・・、そんな中、私が選んだのは「自分のサイトを立ち上げる」ということだった。そしてサイトを立ち上げてしまった。そうなれば私の中で「基礎」であった談話室から「卒業」するのは、ある意味、必然だったような気が、今となってはしてしまう。「ミュージック・ゾーン」には以降も書き込みしていたけれども、むしろ自分のサイトを通じて知り合った、相互リンク先サイトのボードへの書き込みの方が数段楽しく感じられるようになった。同時期に「にぎやかパーティ・ルーム」で知り合い、仲良くなった人たちとはオフ会を開き、その後、頻繁に会う機会も多くなった。つまり「画面を通じて」ではなく、「実際に会って」コミュニケーションする機会が多くなったということ。そうなれば「画面を通じた=ネット上での会話<<<<<<<<<<実際に会っての会話」と、比重が変わってくるのも必然。そのためだろうか、本来、音楽ネタとは何ら関係なく参加し続けていた「にぎやかパーティ・ルーム」からも、自然と足が遠のいた。おそらく、このボードからは、「ミュージック・ゾーン」よりも早い、1998年の秋頃から、めったに書き込みしなくなったと思う。

 結局、ネット上の故郷、「ソネット談話室」が私に教えてくれたことは、ネットでコミュニケーションすることの楽しさと厳しさ、そんな基礎中の基礎だったのかもしれない。だからこそ、「基礎」を会得し、「自分のサイトを立ち上げる」という、「応用編」に入った頃に、自然と足が遠のいたのも、ごく自然なことだったのかもしれない。今となってはそんな風に思う。私自身にとってだけじゃない、あの場所がオープンし、最も賑わっていたのは、ネット創世紀〜ネット普及の時代だった。ネット人口が爆発的に増え始めた頃からは、むしろ参加者も減り気味で、一時期の勢いはなく、またボードの性質自体も変質しはじめていたように思う。つまり、あのボードが繁栄したのは、世の中でまだ、ネットというものがあまり認知されていたかった時代、その時代に「ネットはこんなに楽しいんだよ」ということを世に知らしめ、同時に「でも難しいんだよ」ということを教えてくれた、それがあのボードのネット社会へもたらした最大の貢献だったのかもしれない。逆にいえば、ボードといえば言葉を書き捨てる場所と化し、なおかつブログの台頭で、ボードというもの自体にかつての輝きがなくなりつつある現代のネットの世界においては、既に「役目を終えた場所」だったのかもしれない。つまり、なくなってしまうことは確かに寂しいけど、「引き際」としては、ちょうどいいのかな、という気もしないでもない。とはいえ、本当になくなってしまったということ、それはこの上なく寂しい。今ではあそこで知り合った人で、今でも交流がある人はひとりもいない。そのこともまた、最高に寂しい。だけど、私はこのサイトを続ける。時々、覗いてくれて、「☆TAKE、まだやってるんだ」って思ってくれたらそれでいい。俺はこの、ソネット談話室生まれの「☆TAKE」というHNを背負ったまま、これからも生きていく。何度か改名しようと思ったけど、私が改名しない理由は、「ソネット談話室で培った初心を忘れないため」、それだけなんだよ、実は。

■2005/04/12 奇妙で素晴らしかったあの頃(1、ソネット談話室の思い出)

 この話は、先日の「『ネット上の故郷』の閉鎖で思うこと」に付随した話になるので、未読の方はあっちを読んでからお付き合い頂けると幸いです。

 あっちにも書いた通り、私がソネット談話室のフリー・トーク・ボード、「にぎやかパーティ・ルーム」に最もはまっていたのが1998年1月〜夏頃。この時期、本当に毎日のように、今や死語となったテレホ・タイムの夜11時になると同時にこのボードにアクセス、書き込みしまくっていたものでした。その書き込みの量も尋常じゃない、確か同年2月には自分の書き込みの数をカウントしていたんですけど、1日辺りの平均書き込み数は6〜7、この1月での書き込み数は100を軽く超えるという「大暴走」を展開。そんな中でいろんな騒動に巻き込まれたりもありで、いろいろ勉強にもなったし、一方でお気軽な雑談のみならず、時事ネタなどの重い話での議論を展開するうちに、自然と親しい「仲間内」というのも出来上がった。一匹狼的性格の私は「必要以上に群れる」ことを嫌った反面、やはり仲のいい人というのも自然と出来上がったし、いつしかこのボード上で自然と出来上がった、とあるグループの一員になっていた。そのグループの最初のオフ会が開かれたのは同年4月頃だったと思う。なぜかメンバーには関西人の占める割合が多かったので、最初は大阪で開かれた。当時千葉県・柏在住の私は参加できずに終わった。

 その後、このグループは「にぎやかパーティ・ルーム」内で「内輪ネタに走り過ぎている」という批判を受けた。私はなるべくその手のネタには参加せず、むしろ自制を呼びかけていたけど、次第にグループ自体に悪いレッテルを貼られていくことに危機感を感じた。そんな矢先、CGIの知識のあるメンバーのひとりが、グループのメンバー専用ボードを自らの手で設立、以降は「内輪ネタはこっちで」ということになった。そしてそのボードができたばかりの1998年6月、そのボードでの話の流れから勢いで急遽、「関東地区の第1回オフ会」が開かれることになり、私も参加した。

 確か土曜日の昼間、待ち合わせ場所は東京の地下鉄・早稲田の出口だったと思う。待ち合わせ時間にそこに行くと年齢、性別、雰囲気もバラバラな奇妙な一団を発見、恐る恐る声をかけると「☆TAKEだ!」と言われる。いや、まだ名乗ってないんだけど、しかも俺はネット上で自分のルックスの特徴を書いたことは一度もなかったのに。普段の書き込みのスタイルと外見に全くギャップがなかったので、一目で分かったんだといわれた。うーん、それって褒め言葉か?(笑) しかし私も一団を見渡して見ると、ほとんど誰が誰だか見分けがつく。つまり、みんなイメージ通りの人たちだったということである。

 とはいえ、「音楽ネタ・ボード」とか、「アニメ・ネタ・ボード」とかのように、「同じ趣味を持った人たちの集まるボードのオフ会」ではない。こういうのって難しいんじゃないの? と思いきや、意外や意外、話は弾む。「あの話題で意見交換したとき」云々、「あの話題に絡んで来た●●さん」云々、もう、そんな話だけで何時間も話し込んでしまった。「どうすればボードやネットはよくなるのか?」みたいな話も飛び出して、私は結構熱く語った覚えがある。あと、「今、音楽サイトを立ち上げるべく(つまり当サイト)作業中なんだ」ということ熱く話したりもした。今思えば恥ずかしい限りだが。結局、早稲田のデニーズに夜の8時頃までいたと思う。その後、車で夜の西新宿へ、高層ビル街にあるファミレスに移動した。いや、アルコールの駄目な人や高校生もいたため、お約束の「飲み屋」とはならなかったというわけ。気がつけば終電の時間。というわけで「解散」となった。そしてこれが私にとって初のオフ会になった。

 しかし、当時はそれほど思わなかったが、今となっては実に不思議だ。参加しているメンバーは年齢も、性別も、職業もバラバラ、まして先も述べた通り、音楽ネタ・ボードのオフ会などの様に、共通の話題や趣味があるわけでもない。はっきりいえば、ネット上で同じボードに書き込みをしていなければ、絶対に永遠に出会うはずもない人たちである。そんなメンバーが実際に会って、長い時間ダラダラと、たわいもない話をして盛り上がっていたのである。しかも当時は今と違ってネット上に「危険」も少なかった時代。お互い警戒心も持っていなかったと思う。さらに、現代のネット上にありがちな「出会い」や「打算」を求めて参加していた人もおそらく、いなかったように見受けられた。自分の職業や本名、実年齢を明らかにしなかった人が大半だった。それでも盛り上がれた、しかも古くからの友達のようにオープンに。一体、あの妙な一体感は何だったんだろうか? それはやはり、まだネット社会が創生期で、ネット人口も少なかった時代だから、仲間意識を持ちやすく、かつ、「みんな仲間」「みんなでこの新しく誕生したネットの社会を良くしよう」って意識が強かったせいだと思う。「ここは所詮、ネット上のボードだから」って意識はなく、みんな、警戒心もなく、自然に振る舞っていた。だから、「オフ会=ネットを離れて実際に会う」ことへの警戒心は薄く、いわば「ネット上の会話の延長」くらいにしか思っていなかったと思う。実際、人見知りが激しく、口下手な私が、初対面のみなさんに対して、全く臆することなく、しかも遠慮なく、言いたい放題のことを言っていた。それは私には「いつも会ってる人たちと、いつも通りに話しているだけ」にしか思えなかったからに違いない。

 今思えば、「あの頃のネットって、健全で純粋だったんだなあ」「俺は素晴らしい体験をしたんだ」と思う反面、「奇妙な体験をしたんだなあ」という想いもあり。あの西新宿のゴージャスな夜景は今でも私の脳裏に焼き付いているが、一方でその現実離れした夜景と、知らない者同士が向き合って盛り上がっているというシュールなシチュエーションを思う時、「あれは夢か? 幻か?」という想いにも囚われる。本当に、今思えば素晴らしくも奇妙な体験に思える。しかしその体験はこれだけには終わらなかった。

■2005/04/14 奇妙で素晴らしかったあの頃(2、ソネット談話室の思い出)

 で、先日の続き。

 1998年6月に初のオフ会に参加して以降、そのグループのメンバーへの思い入れは強くなるばかり。1998年7月に当サイトをオープン、だけど当時の私の中では音楽ネタ・サイトで知り合った人たちよりも、そのグループのメンバーの方をより身近に、大事に思っていたというのは、今だからこそ言えること。もちろん、サイトをオープンして以降、思わぬ盛況に驚くとともに、来て下さるみなさんに対しては心から深く感謝してはいたけれど。そんな1998年の8月、そのグループの第2回関西オフが開かれることになった。先も述べた通り、同グループの大半の主要メンバーは関西在住、または出身者が多かった。しかもこの時期、前にも増して同グループのメンバーの数が激増、さらに同グループに最も勢いがあり、盛り上がっていた時期だったこともあり、関西のみならず、関東やその他、多くの地区から多数のメンバーの集まる、大掛かりなものになることは目に見えていた。

 そこで当時千葉県・柏市在住の私、大いに悩んでいた。当時の私は極貧、その上忙しい。果たして行くことができるのか? 最初は「行けるわけがない」と思っていた。でも、どうしても行きたい。その気持ちには勝てなかった。そこで、「往路は新幹線は使わず、在来線だけを乗り継いで大阪に出る」「復路は深夜高速バスで速攻で帰る」ことにより、時間と金を無駄にしないプランを立てて、参加表明した。とはいえ、かなりのハード・スケジュールで、本当に疲れたけど。

 当日、前のオフ会でも既に会っていた「関東組」の人たちと大阪駅で落ち合う。そこから待ち合わせ場所である難波の戎橋まで移動。そこで「関西組」の人たちと初対面。今回もやはり、初対面ですぐに私を☆TAKEだって、みんな、分かったらしい。一方で私も、初対面の「関西組」の人たち、誰が誰だかすぐに認知できた。本当に不思議なものだ。だけど、それ以上に不思議がっていたのは、そんな戎橋周辺を歩いていたフツーの通行人の人たち。もちろん、大阪では「待ち合わせ場所の定番」になっている場所なので、そこに大集団がいたとしても何ら不思議はない。しかし、年齢も、職業も、雰囲気も、性別もバラバラな20人前後の集団である。高校生もいれば、20代後半の夫婦(ネットがきっかけで結婚した新婚だった)もいる、40代の主婦もいる、キャリア・ウーマン風のお姉ちゃんもいる、ネクタイを締めた普通のサラリーマン風の人もいる・・・、こんな集団、怪しまれて当たり前だ。いきなり、そこで記念撮影をはじめる。「一体、何をやってるんだ?」とでも言いたげに、遠巻きに見ている人がいっぱい。みんな、振り返って見ている。まさに「注目の的」。いや、何度も書くけど、普通に考えれば誰が見たって怪しい。私は人一倍、人目を気にする質。だけど、あの時、私は全く人目が気にならなかった。今思えば、そのことも実に不思議で、奇妙だ。

 その後、関西在住のある人のお勧めのうどん屋で食事。その後、カラオケ・ボックスへ移動。私はひとりで洋楽、邦楽織り交ぜて、10曲近く歌ったと思う。いや、「音楽ネタ」のボードの知り合いは当然、そこにはひとりもいなかったし、音楽に全く興味のない人の方が圧倒的に多かったので、「☆TAKEはこんな音楽が好きなんだ」ってレベルの認知度で聴いていたよう。当時はサイトをオープンしたばかり。「今後、この辺の話も出てくるのかな?」とか突っ込まれたりしながら。そこで解散、ということになったんだけど、そこでみんなと別れるのが名残惜しくてしょうがなかった私。同じく「名残惜しくて帰れない」関西組の人たち数名とともに、関東組のメンバーのひとりが宿泊するために予約していたホテルの部屋へ。この部屋もまた、まるで現実とは思えないような綺麗な夜景だった。そして部屋の中には、「ネットがなければ絶対に交わるはずもない」、世代も、職業も、住んでいるところも全く違う人たちが大勢。本当に信じられない光景だ。私は深夜バスの発車時間直前までそこで談笑して過ごす。バスの時間が迫る。「ああ、もう帰るの? 寂しいなあ」、そんな言葉をかけられる。「うん、明日の朝、仕事だから、バスを降りたらすぐに仕事に向かうよ」と答える私。「大変やね、じゃあ、また明日の夜、会おう」。ある関西組のメンバーにそう声をかけられた。もちろん、「会う」ってのは、ネット上でって意味である。そこで改めて気がついた。

 ネット・デビュー以降、私はソネット談話室の先輩たちに、よくこんなことを言われた。「ネット上の書き込みは単なる文章なんかではない。その書き込みは画面の向こうにいる人の『声』です。人格もあれば、感情もある、間違ってもネットは『無機質で機械的』な世界ではない。画面の向こうには確かに人がいる。だから、いかなる書き込みも軽く扱ってはいけないんだ」と。もちろん、それまでも理屈ではそのことを理解していた。しかし私がこのことを真に理解できたのは、この「明日の夜、会おう」って言葉をかけられた時だったのかもしれない。私たちは単にボードの上に「お互いに文章を書き合っている」のではない。ボード上で「会って」いるんだと。ボードも単なる「板」なんかじゃない、多くの人が集い、談笑する「部屋」のようなものなんだ。だから、「ホテルの一室でみんなで談笑している」様は一見、不自然で奇妙な光景に見えるかもしれない。でも、実は全然、奇妙なんかじゃない。いつもボード上で「会って」「言葉を交わしている」、それをボード上ではなく、実際に会って、やっているだけのこと。単にシチュエーションが違うだけで、「いつも通り」の行動ではないか。私にはそう思えた。私は彼にこう答えた。「じゃあ、また明日ね」、そう言い残して私はホテルの部屋を後にした。

 この話を読めば、私が「最早ボードの時代は終わった」とよく漏らしている理由、私が当サイトのボードを閉めた理由、分かってもらえるんじゃないだろうか。今のネットで「他人の書き込み」を、画面の向こう側にいる人の「声」として受け留めている人が、どれだけいるだろうか? 自分の書き込みを「自分自身の声」として責任を持って発している人がどれだけいるだろうか? ボード上で言葉を交わすことで、画面の向こうの人と実際に「会って」いる人がどれだけいるだろうか? 私のような考え方は時代遅れなんだろうか? 

■2005/04/15 奇妙で素晴らしかったあの頃(3、ソネット談話室の思い出)

 昨日の続き。

 大阪でのオフ会後、ネットの本当の素晴らしさを実感するとともに、あのグループのメンバーとの関係も、単なる「ネット上の知り合い」から、ホンモノの「友達」のようになりつつあった。とはいえ、この頃からちょっと奇妙なことが起こりはじめた。

 ソネット談話室、音楽ネタ・ボードのミュージック・ゾーンはともかくとして、にぎやかパーティ・ルームに参加して書き込みをすることに、以前ほどの楽しみを見出せなくなっていた。それだけではない、グループのメンバーの立ち上げた、グループのメンバー専用ボードに書き込みをすることすら、以前ほど楽しくない。当時はあまり書き込みしなくなった理由を「自分のサイトの更新を優先させたいから」と言い訳していたけど、真実はそうだった。その当時はなぜなのか、私には全然分からなかったけど、今ならなんとなく分かる。そのボードに参加しているメンバーの大半が、既に直接会って話をした人たち。つまり、ネットの楽しさというのは、「居ながらにして、知らない人とコミュニケーションがとれること」にある。極端に言えば、「相手がどんな人だか分からない」からこそ楽しい、と言うことだってできる。だけど、ボードに集まっている人の大半が既に「知らない人」ではない。だったら、当然直接会って話をした方が楽しいに決まっている。だから「以前ほど楽しくない」と感じられるようになったんじゃないか、今にして思えば、そんな風に考えられる。

 私だけではない。誕生以来、毎晩のように大変な賑わいを見せていたグループのメンバー専用ボード、8月の私の参加した第2回関西オフ会、さらには9月に開かれた、結果的に最も大きな規模になった第2回関東オフ会(私は不参加)を境に、徐々に書き込み数、参加者が減少しはじめた。また、当時は「一枚岩」ともいえるほどの結束力を誇っていたはずのこのグループだけど、そのグループ内にも、趣味が近い人同士や、家が近い人同士の小さな「仲のよいグループ」がいくつも形成され、その小さなグループのメンバーだけによるオフ会が頻繁に開かれるようになった。つまり、「仲のよい者同士だけで、実際に顔を会わせて話した方がずっと楽しいから」、みんなボードに書き込みをしなくなり、グループ自体の盛り上がりや結束が弱まっていった、そういうことではないだろうか。「仲がよくなり過ぎると、実際に会う機会の方が多くなるから、逆にネット上のコミュニケーションは不必要になってくる」、ということもできるだろう。

 明くる年の1999年1月に、私は同グループの関東地区のオフ会に参加した。しかしメンバーもかなり入れ替わって、あまり接点のない人が多かったこともあってか、あの前年の夏のような楽しみは全く見出せず、オフ会自体もあまり盛り上がらず、話も弾まず、とても静かなオフ会だったという記憶しかない。「果たしてこの人たちとの関係は、いつまで続くのかな?」そんな疑問が胸を過ぎる中、当日の私は会場だった池袋を後にした覚えがある。ちなみに、当サイトは1998年12月に、期間限定である人たちが立ち上げたジョン・レノンのトリビュート・サイトに、私が毎日書き込みを展開した辺りから急激にアクセス数が伸び、ボードも大変賑わうようになった。そんなこともあり、ますます当サイトの運営と、音楽ネタ・サイトの人たちとの関わりを重要視するようになった。そんなこともあり、ますます同グループと関わりは薄くなる。

 「俺は薄情なのか?」当時は思ったものだ。でも、今思えば、仕方なかったんだと思う。もともと同グループには、趣味の近い人はほとんどいなかった。だから共通の話題といえば、いつも参加しているグループのボードや、にぎやかパーティ・ルームの話のみ。それらのボードは「ネット上でたわいのない話をする場所」ともいえる。「ネット上でたわいのない話をすることに楽しさを見出す」というのは、ある意味、ネットに参加して最初に味わう楽しみである。「へえ、知らない人同士がこうやって、会話できるなんて凄いなあ」、おそらく、ネット初心者が最初に味わう感動ではないだろうか。いわばこうしたコミュニケーションは、「初歩中の初歩」といっても過言ではない。で、当時の私は、初歩を脱して、自分のサイトを設立、さらにそこを媒体にして、多くの音楽の好きな人と交わる、他サイトと交流するといった、いわば「次の段階」に進んでいたのである。そんな私が、そうした「初歩」に対して、以前ほど楽しみを見出せなくなったのは、ある意味、必然だったような気がする。実際、私だけではなく、同時期にネットをはじめた人たちの集まりだったあのグループが、次第にバラバラになって、かつての盛り上がりがなくなっていったのもやはり、みんなが私と同じく、「次の段階」に進みはじめたからに他ならないのではないだろうか。とはいえ、あのグループは私にとって「原点」であり、自分の中では「大事な人たち」だと思い続けていたので、めったに書き込まなくなった反面、たまには覗いて、生存報告の書き込みだけはして、関わりを絶つことはせずにいた、いや、できずにいた、と言う方が正確かもしれない。

 しかし1999年5月頃だったと思う、私は些細な言葉の行き違いから、そのグループのメンバーのある人と、メンバー専用ボード上で口論となった。短気な私は「脱会」を宣言、そのまま飛び出してしまった。以降、私は同グループのメンバーとの接点を全く失ってしまった。それから数ヶ月後、メンバー専用ボードの作成者であったメンバーの方が、多忙を理由にボードを閉鎖したと聞いた。以降、同グループは「自然解散」のような形になったと聞く。その後も小さなグループでのオフ会は開かれているとか、そうした小さなグループの人の集うボードが未だにあるとか、そういう噂もあるけど、今の私とは全く接点はない。正直、些細なことで感情的になってしまったことは、今思えば本当に「痛恨」ではある。だけど、もしもあの時、私が彼とぶつからなかったとしても、あの団体のメンバーの誰かと、今でも親しい関係を続けることができただろうか? と問われれば、残念ながら疑問符がつくところだ。前も書いたけど、ソネット談話室は私にとって、「原点」ではあったけど、既に「通り過ぎて来た場所」、あのグループもやはり同じように思える。同じ趣味を持っている人がいれば分からないけど、残念ながら、そういう人はいなかったわけだし・・・。だから私にとって、あのグループでのことは、すべて「過去のこと」と化している、冷たいようだけど、それがホンネだったりする。私の「脱会宣言」直後、当サイトはネット雑誌に掲載され、その直後にYahooに登録された。まさに私にとっては時代の変わり目だったのかもしれない。

 とはいえ、知らない人同士があんなにも意気投合して盛り上がれた、本当に奇妙だけど、素晴らしい時代だったと思う。ネットを続けている限り、あのグループの人たちのこと、あのグループで起こったことなど、絶対に忘れることはない。反面、ネットの性質が変わったこと、私がネットに慣れてしまったことを思えば、今の私がどんなに頑張っても、ネット上であんな関係は築けないだろうなと思う。いわば、ネットも、私自身もまだ産(うぶ)だったからこそ成し得たことだった、そう思わずにはいられないところだ。

# 先日、荷物を整理していたら、大阪オフ会の時に、あるメンバーの方が作成して参加者全員に配布した「会員証」が出てきた。思わず目頭が熱くなった。

■2005/08/21 「必死」になれない!! (更新意欲減退)

 またしても久々の登場。プライベートもネットも相変わらずの状態。つまりプライベートでは「必死」な毎日。最近はかつてとは生活のリズムが変わったとはいえ、またしても「ほとんど家にいない」状態になった。そうやってプライベートに「必死」な分、ネット時間は減少。しかしかつての私なら、そんな時には「ああ、ネットしたい」「サイトの更新したい」「でも時間がないんだよなあ」という気分になっていたはず。でも今はそうじゃない。ネットしたい、サイトの更新をしたい、という想いが湧き起こってこない。どうしたんだろう、一体・・・。つまりネットやサイトに「必死」になれなくなっているというわけだ。

 じゃあ、音楽を聴くこと、音楽ファンであることにも「必死」になれないのかというとそんなことはない。相変わらず「聴いてみたい音楽」は後を絶たず、暇さえあればレコ屋に足を運んでる。本当にマイルス・デイヴィスを購入、ジャズにも入り込みそうな予感も。そう、音楽に対しては相変わらず「必死」な私である。で、そんな「音楽に必死」な、自分の想いを周りの人たちに知らせたい、見て欲しい、そんな欲求がこのサイトの更新の原動力になっていたはずである。つまり私が音楽を聴くことに「必死」である限り、私のこのサイトに賭ける想いの「必死さ」は尽きことがないはずである。なのにサイト運営に「必死」になれない。俺は一体、どうしてしまったんだろう・・・・。

 もう2年も前になるけど、私はこのコンテンツ内に「必死で何が悪い?」などということを書いたことがある。そう、つまりは「ボードの性質、ネットの性質は変わってしまい、私がネットをはじめた頃のように、参加者がホンネで意見をぶつけ合って熱く語り合う機会が減ってしまった」ということを述べていた。あの時点で私は「ネット上で熱く=必死に語り合う」ことを諦めたのだろう。あの頃から私は行きつけのボードへ書き込むことが楽しくなくなり、書き込む機会が激減した。同時に、行きつけのボード上で意見対立が起こった際には仲裁役を買って出たり、不当な誹謗中傷気味の意見を書き込む人に注意を促したりといったことを進んでやって来たんだけど、あの頃からそういったことはやらなくなった。つまりネットに対しての「必死さ」も放棄したのかもしれない。だけど一方で、「自分のサイトのコンテンツを作成する時だけはいつも『必死』でいたい」という想いを持ち続けていた。その私の想いがあの時書いた「必死で何が悪い?」に表れている。

 だけど、遂にここにきて私は、自分のサイトのコンテンツ内で「必死に音楽を語る」ことに対する情熱さえ失いかけているのかもしれない。さっきも書いた通り、私は今だって音楽を聴くことに関しては「必死」な状態だ。だけどそんな自分の想いをこのサイトを通じて表現するという行為、つまり更新作業を行うということに対しては、今は「必死」になれないのかもしれない。時代はブログ全盛。お手軽に自分の想いや意見を発信することができるようになった。反面、意見を発する時に「必死さ」を伴ってる人ってどれだけいるだろうか。事件、事故、ニュースに対する意見を述べている、自分の聴いたCD、自分の見た映画、自分の行ったライブやイベントなどの感想を述べている、そんなブログはいっぱいあるけど、そこに書かれている意見に、その書いた人の熱い想い、愛情とか、怒りとか、悲しみとか、そういった生身の人間くさい感情がむき出しにされている意見を見かける機会はかつてと比べると少ない。新聞のコラムかなにかのように、無機質で無表情かつ事務的な数行の短い味気ない文章でばっさりと斬り捨てて終わり、そんなブログも多い。そこに熱さ=「必死さ」はない。自分の気持ちをはっきりと述べる=「必死になる」という行為は最早、ネット上から死に絶えてしまったんだろうか。そんな中で自分1人だけが必死になっているような錯覚を覚える。いや、私だけではないんだが、思わずそんな錯覚を覚え、そのことがどことなく空虚に思えてきて・・・・。それが私がサイトの更新に「必死」になれない最大の理由なんじゃないだろうか。

 時代は変わった、じゃあ、開き直って時代に合わせるか、またはそれとは逆に、周りがどう変わろうとスタンスを変えずに、気にしてないふりをして続行するか、道はふたつにひとつだろう。事実、2年前に書いたログの中で紹介した、「嘆いていた管理人」の方はブログに乗り換えた模様。でも私はそんなに器用ではない。「必死さ」を抑えて、カラーを変えてサイトを続行するくらいなら、私はここをぶっ壊してしまう方を選ぶだろう。あのログを書いた頃、ある相互リンク先の管理人の方からメールを貰って「まさにその通り、自分もいつまでも『必死系』の音楽ファンでいたい」と言われた。私も同じ。いつまでも「必死系」の音楽リスナーでいたいし、今でも自分はそうだと思ってる。でも「必死系」の管理人ではなくなりつつあるのは事実。このままではいかんよなあ・・・・。

■2006/01/17 mixiとかいう代物

この1,2年、「ブログの普及によって、個人のサイトやボードが面白くなくなった」としてきた私。その分、ネット上で罵倒、中傷を伴わない、ネチケット(この言葉も最早死語か)の範囲内での「熱い意見交換」が出来なくなったわけで。まあ、私はそのことをかなり早い時期から察知し、トラブルも揉め事も起こっていないのに、ボードをあっさりと閉めてしまった。サイトに関しては、「よそのサイトが閉鎖したり、活気を失ったり、ブログに移行してしまうのは、そこの管理人の考え方次第だから」ってんで、寂しさを感じながらも「仕方ないとこ」と割り切る一方、「俺はどんなに周りが変わっても、このサイトを維持し続ける」ことを決意したばかり。だけど、昨年末頃から、また新たな「天敵」が現れた。それがmixiとかってやつ。

 私はmixiとかってものには一切興味がないので、正直なところ、その実態を完全に把握しきれているわけではないけど、どうやら「会員登録した人だけが見れるサイト、ブログ、会員登録した人だけが参加できるボード」のよう。正直、この手の代物の登場、とても寂しいことだと思う。私がネットをはじめた当初、最も感動したのは「居ながらにして見ず知らずの人たちとコミュニケーションがはかれる」ということだったし、同時に個人のサイトに対しても、「不特定多数の人たちに対して、自分の考えを発表し、公表できる」ということに大変な魅力を感じた。同時に、よそのサイトを閲覧することによって、そのサイトの管理人の考えてることや、その人の知識に触れることが出来る。その内容に時には感心したり、時にはボードで意見を述べ合ったり。そのことこそが「ネットの醍醐味」だと信じてきた。つまり「開かれた世界」。にもかかわらず、mixiってやつは会員制。つまりは「一部の仲間内への情報発信」を目的にしており、意見交換も「一部の仲間内」でしか行われないということ。つまり閉鎖的な世界。これでは楽しくも何ともないよ。

 ちなみに、相互リンク先サイトの中にも、自分のサイトやボードをmixiに移してしまう人、サイトやボードはそのままなんだけど、メインをmixiの方に移してしまって表のサイトの方は更新ストップ、ボードも閑古鳥。そんなサイトが多くなった。ということで、「ネットに繋いだら必ず覗くサイト、ボード、日記」って、最盛期は20ヶ所以上あったのに、ブログ普及後のこの数年では10ヶ所ほどに激減、そして遂に、mixiが普及したこの数ヶ月では5ヶ所ほどに減ってしまった。私自身は「このサイトをずっと維持していく」決意を新たにしたばかりなんだけど、「巡回して、覗くのが楽しみなサイト」がなくなっていくことはこの上なく辛い。「ボードが楽しくなくなった」とした3年くらい前の時点で、私にとって「ネット=参加型のツール」ではなくなったわけだけど、遂にここへ来て、「巡回して閲覧するツール」ですらなくなってしまうということなんだろうか。だとすればこれから、私とネットとの関わりは、もはや「サイトを維持すること」くらいしかなくなってしまうんだろうか。いや、やっぱりそれって寂しい。ネットの普及によって、いろいろと便利になった、新しいツールも増えた、だけどそのことにより、ネットをはじめた当初に感じた、あの感度や喜びがなくなってしまうことは、本当に寂しい。だからこそ、私が今、巡回しているその5ヶ所ほどのサイトには、今後とも頑張って欲しいと思うし、応援していきたいと思う。

 こんなことを書くと、「またでたよ、『昔はよかった』口調が」とか、「個人個人考えがあって、ブログやmixiに移行してるんだから、それをお前が批判する権利はない」なんて声も聞こえてきそう。確かにその通り。ただ、俺は単純に自分の感じたことを包み隠さず書いているだけ。個人個人、事情や考え方があるわけだから、決してブログやmixiに移行する人を批判するつもりも、責めるつもりもない。ただ、純粋にネット巡回してて寂しくなる、その気持ちをストレートに表現しているだけです。

■2007/01/04 ついに購入!!!&悪戦苦闘(新パソコン購入)

 ずっと「俺のパソコンは年代ものの骨董品、いい加減買いなおさねば、買いなおせばDVDだって見れるようになる」などと書いてきた私。昨年暮れからパソコン・ショップや電気屋を巡って、カタログを見つつ、「どれにしよう?」と思案してたんだけど、今日、遂に購入。出費は痛かったけど、欲しかった機能が一通り搭載されている機種を購入して大満足。とりあえずネットに接続できる環境を整えて、今はその新しいパソコンでここにアクセスして、この文章を書いています。

 というわけで、以前使っていたパソコンの最大の欠陥は、「古すぎるので表示されないサイトもある、動画サイトに繋いでも全く動かないか動きがカックン・カックンしてるかのどちらか、音の鳴るサイトでは全く音が鳴らず、しまいには強制終了されてしまう」という点。ということで、早速音楽配信サイトや動画サイトにアクセス、「普通に音が鳴る」「テレビと同じくらい鮮明な映像が表示される」というだけでも、ただただ感動、感動の連続。まさにカルチャー・ショック、ままで自分が見ていたネットの世界と全然違う世界が開けたわけで、それだけで本当に感動しています(笑)。噂のYou Tubeとやらも見たけど、ちゃんと絵が動いてる、それだけで信じられなかったりで・・・。思わず5時間以上も浸ってしまうなど、まるでネットをはじめた頃のような感動を味わっています。当然手持ちのルースターズのDVD(購入しただけで、見れずに何年も放置してた)も再生、「DVDが見れる」そのこともまた、感動的だったりします。これでもう、「DVDが見れない」環境とはオサラバだ!!!

 ただし、いいことばかりじゃない。当然、新しいパソコンを購入したら、「引越し」が必要になる。つまり今まで使っていたパソコンから、これまで受け取ったメールやアドレス帳、当サイト作成に使用したテキスト・ファイルなどのバックアップを取り、それを新しいパソコンに取り込まなきゃいけないわけだけど・・・。旧パソコンはWindows95だから、市販の「引越しソフト」は使えない。旧パソコンはCD−Rの再生はできても、書き込みができないので、CD−Rを使った「引越し」もできない。旧パソコンはフロッピーは使えるけど、新パソコンは別売りのフロッピーのプレイヤーを買わないとフロッピーが使えない・・・。ということで、「引越し」が難しい。旧パソコンが「古すぎる」、新パソコンが「新しすぎる」が故の弊害。後日、別売りのフロッピーのプレイヤーを買って新パソコンに繋いで作業する予定だけど、思わぬところでつまずいた。出費も想定外だし。というわけで、ちょっと困ってる状態。「引越し」が完了するまでは、メール送受信は旧パソコン、更新作業も旧パソコン、ネットを見るのは新パソコンと、使い分けしながらのネット成果うになりそうです。

 というわけで、おそらく今月は更新はできそうにありません。明日から仕事、いきなり忙しくなり、休みも少なくなりそうだから。まあ、パソコンの「引越し」が完了するまでは、このサイトや「落書き帳」も手をつける機会が少なくなるかもしれません。まあ、私にとっては初の「パソコン買い替え」だから、いろいろ新鮮な驚きも多いので、そんな話はここに書いていきたいなとは思っています。ということで、新しいパソコンからの「第一声」でした。

■2007/01/08 パソコン環境のその後(新パソコン購入 2)

 というわけで、先日新しいパソコンを購入以来、行きつけのサイトを見ることはおろか、音楽を聴くことさえほとんどせずに、古いパソコンから新しいパソコンへの「引越し」作業を続けています。先日は「引越しに使うツール選びが難しい」としたんですけど、結局、新たにフロッピー用のアダプターを購入、フロッピーを使っての「引越し」作業。フロッピーって、容量が小さいので、結構時間も手間もかかる、大変な作業です。とはいえ、ようやく前のパソコンを購入して以降、前のパソコンにたまっていたメール約2千通は、新しいパソコンに移し終わったし、ブラウザ、メールソフト、FTPの設定、ワードやエクセルで作成したファイルの移動は完了、あとはこのサイト作成時に作成したファイルをすべて移動させれば、ほぼ「引越し」作業は完了しそうです。

 とはいえ、新しいパソコンを操作する中で、いくつか問題、課題、不明点が出てきました。

 1.i-Tunesの使い方が全くわからない

  従来のパソコンでは一切ネット上の音楽ファイルをダウンロードしたり、聴いたりすることができなかったし、しかもMP3にすら手を出したことがなかったので、使い方が全くわからない。あれこれいじってみたんだけど、よそのサイトの管理人の方がよく書いてるような「自分の好みの曲が勝手に流れる」環境にすることはおろか、自分の好きな曲を流す方法すら分からない。基本的にはマニュアルとか、あんまり読まなくっても、いじってるうちに何でも独学でマスターできる方なんだけど、これは一度マニュアル等をよく読んで勉強したいと思う。

 2.自分のサイトに不具合?

 前のパソコンでは、当サイトはすべてきれいに、自分の思い通りに表示されていたから安心してたんだけど、なぜか新しいパソコンでアクセスすると、ほとんどすべての文章が「中央揃え」で表示され、不自然に真ん中に寄ってしまっている。原因は全く分からない。これに関しては、後日調べて、修正したいと思うけど、まだサイト作成用のファイルを、新しいパソコンに移し変えてすらいない状態なので、作業に入るのはまだだいぶ先になりそう。

 他にもいくつか、使い方の分からないソフトがあったりするけど、さしあたっての疑問、課題はこんなところか。とはいえ、まだ「引越し」すら完了していない状態。まだ落ち着かない状態が続きそうです。なので、サイト本体の更新云々は、当分先になりそうだし、この「落書き帳」も、当分はこの話題ばかりになると思います。

 とはいえ、時々気分転換に、今までは見ることのできなかった絵の動くサイトにアクセス、特にYou Tubeには、音楽もののみならず、懐かしいテレビ番組などの映像がいっぱいあるので、思わず入り浸ってしまったりもしています(笑)。特に数十年ぶりに見た、懐かしいテレビ番組の映像には涙ものだったし、ルースターズやクラッシュの動画には思わず鳥肌、初めて見たスレイドの動く姿には思わず絶句・・・(笑)。ということで、「ネットの世界に新しい感動を見出せなくなりつつあった」この数年の私だけど、なんだかネットを始めたばかりのころの「感動」がまたよみがえってきそうな予感です。

■2007/03/25 動画三昧の日々(1)

 依然として忙しく、しかも「音楽不毛」で「動画三昧」な毎日が続いていますが、i-Tunes(やっぱり使いにくい)ではなく、Windows Media Player(こっちの方が便利)を使って、手持ちのCDの音源を取り込んだり、オリジナルなCDを作ったりという、新しいパソコンの「音楽的な機能」を使った楽しみ方も堪能するようになったこの数日。というわけで、一時期の「動画一辺倒」なネット生活、パソコン生活も一段落といった感じ。というわけで、この約3ヶ月ほど続いた「動画三昧」な毎日を振り返ってみようかなと思ったりして。

■YouTubeにはまりまくり(1月上旬〜2月中旬)

 とにかく、絵が全く動かないパソコンでネット生活を送っていたから、「絵が動く」というだけでカルチャー・ショックだったわけだけど、「レアな映像満載」という噂だけは以前からよく耳にしていたわけで、「ちょっと覗いてみようかな」という軽い気持ちでアクセス。最初は当サイトの更新ネタの影響でその頃「気分」だったスレイド、ほとんど動く姿を見たことのなかったルースターズ、ビジュアル面でも大好きなクラッシュ、相互リンク先サイトの管理人さんが大好きなロリー・ギャラガーなどの、音楽系の動画を見て喜んでたんだけど、それだけでは飽き足らなくなって、小中高校時代に慣れ親しんだアニメやドラマ、「ベストテン」などによく登場していた歌手の動画を検索して見ているうちに、「楽しい上に懐かしくってやめられない」状態に。特に「アパッチ野球軍」だの「旧ドラえもん」だのといった、今ではレアで誰も覚えていなさそうなアニメ、1970年代末〜1980年代初頭にデビューして1,2枚のシングルを出しただけで消えた歌手やバンドの動画には、思わず感涙。いや「もう二度とお目にかかることのない、思い出でしかないシーン」だと思ってきた、そんな動画がゴロゴロ転がってる。単純に「楽しい」「懐かしい」なんてもんじゃなくって、本当に「感動的」だったもので。いつしか「音楽系」の映像以外の映像ばかりを見るために毎晩入り浸るようになってしまいました。

■Yahoo動画(1月末〜)

 懐かしいアニメが見れるとはいっても、YouTubeで見ることができるのは、オープニングやエンディングの歌だけ、というパターンも多かったので、次第にそれが欲求不満に感じられることも多くなってきた。そんなある日、Yahooで調べ物をしていたら、実はYahooに動画配信サービスがあることを発見。「でもお金、かかるんだろうなあ」と思いきや、無料動画もいっぱい。しかも懐かしいアニメもいっぱい。ということで、思わずアクセス。すると「地上波再放送不能」ともいわれている「北斗の拳」の最初の5話がなんと「無料」らしい。そういえば本放送以降、一度も見たことがない。よし、見よう、ということで思わずアクセス。最初の1話を見たら、やめられなくなってその日のうちに一気に5話まで見てしまった。

 他にも「銀河鉄道999」「ドカベン」も1話のみ無料、「バビル2世」「シティハンター」「一球さん」「未来少年コナン」なんかも数話が無料で見れる。ということで、しばらくは入り浸りになってしまった。特に「一球さん」(「一休さん」にあらず)なんて、存在すらも忘れていたほど。数週間待つと、また新たな無料動画も増えるので、ネタが尽きることもないし、飽きることもない。実は今でもここは「1日1回は必ずアクセスする場所」だったりする。これでドラマも懐かしいのが見れるといいんだけど、ドラマはオリジナル作品や個人的には興味のない海外ものが多いから、見たいものがなくって、それが不満かも。

■Gyao(3月末〜)

 お馴染み、Usenのサイトで見れる無料テレビ。ただ、これは最近見始めたばかりなので、どういう画像が見れるのかなどは、試行錯誤中。ここにもはまったりしたら、また「毎日チェックしたい」サイトが増えてしまいそうで怖い。

 ちなみに「動画サイト」と同じくらいはまっているのが、これまたずっと全く無縁だったDVDソフト。というわけで、次の機会(依然として忙しいので、「次」がいつになるのやら:笑)にでも。(「2」はこちらにアップしています)

■2008/07/19 10年ひと昔(1)

 実は去る7月16日で当サイトは開設10周年でした。私がネットをはじめたのは1997年の暮れ、あっという間にネットの楽しさを知ってはまり、10年前の7月にサイトを設立した、そのあたりのいきさつは以前からこの「落書き帳」で書いてきたのであえて詳しく語りませんけど、あれから10年なんて信じられません。同時に、サイトを開設した日は私の30歳の誕生日だったので、ついに私も40歳になったということです。「20歳から30歳の10年もあっという間だった」って印象だったんだけど、この10年はその半分どころか、3分の1程度にしか感じられない、それほど短く感じられます。

 ただ、「私自身のこの10年」は、途中で実家に戻ってきたり、大病を患ったりの大きな変化はありましたが、それ以外にはほとんど変化がなかったという印象なんですが、ことサイトとネットに関して言えば「まるで別世界」のように変わってしまったな、という印象です。いまやネットは、先月の秋葉原の事件をはじめとして、良くも悪くも社会を揺るがすほどの大きな影響力を持つメディアになってしまったわけですが、私がサイトを設立した当初は「仲間内で軽く談笑を楽しむ」程度のメディアだったわけで、この変化には驚きと寂しさを感じずにいられません。

 私がサイト開設に至ったのは、ネットを始めて「居ながらにして多くの人と交流できる」ことに感動と驚きを覚えてネットにはまり、多くの人と交流する中で「自分の好きな音楽への思いを簡単に発信できる」手段として、サイト設立を思い立ったことにある。「人と交わることができる」「自分考えを簡単に人に伝えられる」それがただただ楽しくて・・・。もちろん、今日も言われるような「匿名性が高い」「使い方を誤ると、その匿名性故に誹謗中傷を撒き散らす輩が出てくる恐れもある」危険性やマイナス要素もあったけど、それよりも「素晴らしいメディアである」という思いが強く、ある程度信じることも出来たし、「お互いに注意し合って良くしていこう」という自浄作用もあったので、「素晴らしい」という思いの方が強かった。

 それが21世紀に入った頃からネット人口が爆発的に増え始めたこともあり、「自浄作用」がなくなって、徐々にすさんだ社会になってしまった。私はそれを敏感に感じたので、特に何も問題がなかったのにボードを閉鎖し、コミュニケーション・ツール的なものも徐々に撤去していき、よそのサイトへの書き込みもめったに行わなくなった。この時点で「人と交流する」ことに対して、以前ほど積極的でなくなった。ひょっとすると、当時は無意識でしたが「以前ほどネットやネット上の人々を信用できなくなった」のかもしれません。さらに2003年ごろからはブログ、さらに数年後にはミクシイなんてものまで登場し、テキスト・サイトが廃れ始めた。この頃から明らかに私の中で「ネット信仰」や「サイト信仰」的な気持ちが薄れ始めた。

 だけど一方で、「俺が生きている限りはこのサイトを続ける」という気持ちまでは失っていなかった。このサイトは「音楽ファンとしての自分」の分身のようなものだから、私自身が音楽が好きである限りは、「自分の音楽に対する想いの発信源」としてサイトは当然続けていきたいと思ってきた・・・。「音楽に対する想い」がある限りは・・・。

■2008/07/20 10年ひと昔(2)
  

で、「音楽への想いがある限り、このサイトを続けたい」と思い続けてきた私。ネットの世界が変化して、かつてのように気軽にネット上でコミュニケーションがはかれなくなったり、ブログやミクシイの横行でテキスト・サイトが廃れたりしようとも、「俺は今のままのスタイルを貫いてサイトを続けたい」と・・・。だけど、昨年のパソコン購入やケーブルテレビ加入を境に、その肝心の「音楽への想い」までもが薄らいでしまっています。

 音楽を聴くことも少なく、「聴きたい」という欲求も薄い、関心も薄い。ということになれば「俺の音楽への想いを語る場所」「俺自身の『音楽気分』の分身」としてのみ存在意義のある当サイト自体の存在すら危うくなって・・・。なので、更新はストップしたまま、更新しようにも「音楽への想い」だけが更新の原動力なわけだから、当然更新なんて出来ないし、更新したいという気持ちすら起きない。以前は普通に生活している中でも、常に心のどこかに「ROCK'N ROLL PEOPLEの☆TAKE」としての自分を感じていたはずだけど、今はその自覚もない。だから「開設10周年」といいながら、サイトの方はこの1年近く全く更新がない、というより「死んでしまった」状態のまま。そんな中で「10周年」と言っても、正直実感が沸かないし、特別な感慨もないし、むしろ「こんな状態で10年なんて、胸を張って言えないし、むしろ恥ずかしい」という想いを感じていたりします。第一、こんなに長く更新してないサイトを、定期的に見てる人なんていないだろうし・・・。

 だけど、一方で「じゃあ閉めてしまおう」っていう気にもなれないってのもホンネだったりします。自分の中で、随分長いこと音楽ファンをやってきたので、本当に自分の中の「音楽への想い」や「音楽気分」が完全に死に絶えてしまったなんて、信じられない。だから「きっといつか、戻ってくるはずだ」という思いも拭えない。そして本当に「音楽への想い」が戻ってくることがあれば、その時はまた「音楽が語りたくってしょうがない」気分になるのは目に見えてる。その時はやはり、このサイトで語ることしか私には出来ない。間違ってもブログやミクシイに移行したいなんて絶対に思わない。だとすればやっぱり、ここを完全に閉めてしまうという発想は私には起きないのです。つまり「いつか戻ってくる場所」として、ここは残しておきたいのです。

 それに昨日述べた「ネットを始めた当初に感じた感動、衝撃、喜び」は、やはり私にとっては忘れ得ないものがあります。もちろん、ネットの世界は大きく変わってしまって、あの頃と全く同じ想いを味わうことはもう出来ないでしょう。既に過ぎ去ってしまった過去でしかない。今では私自身も動画サイトで動画を見たり、ケーブルテレビで見ることの出来る懐かしい番組関連のサイトを見たりと、あの頃とはネットへの接し方も大きく変わったから、あの頃の感動を思い出す機会も少なくなってきています。だけど、当サイトを見る時だけは、あの頃の気持ちに戻ることが出来る。つまり私自身の「ネットの原点」が当サイトだということも出来る。最初に入り浸って、ネットにはまるきっかけを作ってくれたソネット談話室がなくなってしまった今、当サイトは私自身にとっての原点でもあるのです。

 以上、2つの理由から、私はこのサイトを閉鎖したいという気はない。「こんな状態で10周年なんて、恥ずかしいし情けないし、もしまだ期待してくれている人がいるんだとしたら申し訳ない」という想いはある。だけどやっぱり、すみません、私はまだこのサイトを続けていきたいんです。たとえ更新意欲が沸かなかろうが、この先どうなるのかすら不透明であろうが、それでも続けたい。だから情けない、恥ずかしい10周年だし、見てくれている人がいるのかすら怪しいけど、でも、まだまだ続けていきたいと思っているんです。

■2012/9/3 「呟く」より「書く」(ツイッター)

 今ではツイッターなるものが流行って、テキスト・サイトはおろか、ブログすら廃れ気味だけど個人的には違和感があると、以前述べたことがありました。とはいったものの、今回のロンドン・オリンピックって「ソーシャル五輪」などといわれて、選手がどんどんネット上でツイッターなどを駆使してリアル・タイムでの「呟き」をネットに公開していて、それを見るにつけ「いや、意外と面白いな」と。選手が試合前や試合後に感じたことを呟けば、それをリアル・タイムで見ることが出来る。そしてその選手と親しい人が、励ましや祝福の「呟き」を返す。それをリアル・タイムで見ることによって、何となくその選手が身近に感じられて・・・。選手の人柄や性格も分かるし。なるほど「見る」分には面白いなと。

 ただ、それはやっぱり有名人の「呟き」を見るからこそ面白いのであって、一般人の「呟き」を見て楽しいか?といえば、私は楽しいとは思えません。どこの誰だか分らない人が「今何処何処にいる」とか、「今こんな光景を見た、こんなことを感じた」なんて呟いてるのを見ても全く面白いとは感じない。私にもかつては、ネット上に「知り合い」「親しい人」といえる人たちがいたので、そういう人たちの「呟き」なら面白いかもと思えなくもないけど、「自分自身がネット上にプライベート・ネタを書かない」主義なので、逆に「相手のプライベートに踏み込まない」ように務めてきた。事実、ネットをはじめた当初はオフ会に参加した話なども何度かここに書いてきたけど、そういう人たちと話をする時も、こっちが聞かなくっても勝手にしゃべる人もいたけど、こっちから聞くことはしなかった。だから「一般の人の呟き」を見るという行為に違和感があるし、同時に「見たいとは思わない」というのも正直な気持ちだったりします。

 一方で、表のサイトを頻繁に更新していた頃=ロック気分が盛り上がっていた頃は、相互リンク先サイトの管理人の方や、自分のサイトのボードの常連さんとの「繋がり」は大事に思っていたのも事実。「同じ趣味を持つ仲間」という意識は、他のサイトの管理人の方よりも強かったんじゃないかとすら思っています。ただ、そうした方に「裏切られた」と思った出来事が2つほどあったことがきっかけで(詳しいことは今でも言いたくない)、2001年頃だったと思いますが「更新中止」、うちのサイトの投稿企画Monthly Artist(「繋がりを大事にしたい」一心ではじめた企画)を中止しました。「多忙のため」と説明してたけど、真実はそこにある。その後、サイトの更新は再開したものの、あまりよそのサイトのボードへの書き込みなどしなくなり、音楽ネタ・サイトの知り合いの方との交流にも消極的になりました。そして2007年には肝心な「ロック気分」の減退。こうなれば最早、そうした人たちとの間には「共通の話題」がなくなってしまった。そうなれば「繋がる」理由もない。いや、もしも「繋がった」としても話が合わないわけで・・・。なのでもしも今、私がかつての音楽ネタ・サイトの管理人だった方の「呟き」を見ても、最早面白いとは思えないだろうし、一方で私がツイッターをはじめたとしても、「一体誰が見るんだ?」「こんなの見ても誰も面白くなかろう」と思える。まして「プライベートに突っ込まない」主義の私だから、「何を呟けばいいかわからない」状態になることは目に見えてる。

 結局、共通の話題があるか、若しくは相手がある程度はどんな人なのか分からないと「呟き」なんて見ても面白くないということ。だとすれば、今の私には最も向かないツールといえる。今後もそうした世界に足を踏み入れることはなさそうです。

 一方で「表のサイトは開店休業状態、最早ロック熱も冷めている状態でなぜ俺はこの「落書き帳」だけは書き続けるのか?」ということになるけど、本当にもう、ここは誰かに見せるために書いているというよりは、完全に自己満足のため。書いている時に「見ているであろう誰か」の目を意識することもない。単に自分の「生存確認」のためのみに書いている感じ。それでいいと思ってます。反面、未だに毎日10〜15名程度がここを見ている様子。まあ、どうせ何らかのキーワード検索で引っかかって飛んできた人ばっかりだろうけど、そういう人たちは「見てガッカリ」だろうな。いっそ、過去ログは消去してしまおうか。いや「残してもよい」と思っている文章は過去ログ傑作集に移動してるんだし。でも、だからといって「非公開」で書く気になれない。ということはそんな私でもまだ無意識のうちに「繋がり」を求めてるのか、それとも「見ているであろう誰か」を意識しているのか?

■2013/12/17 約14年ぶりの「乗り換え」

 実は今日からインターネットの環境が変わりました。1999年からずっと同じプロバイダーを使ってきたんですがこのたび解約、ケーブルテレビ経由でネット接続しています。長くネットをやっている人って、プロバイダー選びに拘りを持っていて、中には1,2年ごとに乗り換えている人もいるようですが、私は1997年12月にネットをはじめて以来3社目。はっきりいえば「繋がればどこでもいい」位の気持ちなので、そのあたりには無頓着なんだけど・・・。ただ、今回の「乗り換え」はプロバイダーには全く不満はなくって、実は電話回線会社に対する不信感が原因。何年も我慢してきたけど、もう我慢の限界でした。

 2004年からADSLを使用してきましたが、その後「光」などという新しいサービスも誕生して、今の私のネット環境は「時代遅れ」になりつつあることは自覚していました。ただ「重い」「遅い」「繋がりにくい」と思ったことは一度もないので、別に不自由はしていませんでした。とはいえ、ルーターなどの機器も古くなりつつあったので「そろそろ光に代えようか」と思ったのが2007年頃。自分で電話して申し込む。だけど「集合住宅の場合、下見が必要」「一度管理人立会いで話をしなければならない」云々でなかなか工事の日程すら決まらず。ちょうど忙しい時期で、平日休みなんてとれないのに「どうしても平日」と。平日休みがとれるように、無理して職場で仕事の調整をして日程の希望を伝える。にもかかわらず、申し込みから10日以上経っても、その日程すら二転、三転で工事はおろか「下見」とやらの日程すら決まらない。「工事完了までは何があっても我慢」と思って我慢したけど、もう限界。「もういいです、キャンセルしてください、今のADSLのままでいいです。その代わり今後一切、光の勧誘の電話などしないで下さい」。集合住宅に住んでいる場合「平日の昼間にいつでも家にいる人」でないと申し込めないのか。何と言う面倒くささ、二度と「光への乗り換え」なんて考えまい。その時、そう思ったものでした。

 ところが「勧誘一切お断り」と言ったにもかかわらず、当然のように勧誘の電話がかかってくる。すかさず電話連絡を入れて「過去に申し込みをしようとしたが、手続きが面倒でキャンセルしたことがある」話と「勧誘電話一切お断り、今後あった時は即契約解除します」との旨を強く伝えたところ、電話はかかってこなくなりました。ところが、今度は訪問の営業マンが。「ドアを開けてくれ、契約書を手渡しするから名前だけ書けばこっちで手続きする」とか。そんなもん、誰が信用する? インターホン越しにやんわりと追い返そうとすると今度は「何でそんな古くて割高で遅い環境で接続してるんですか? なんか拘りでもあるんですか?」と嘲笑するような言い方で・・・。当然私は無言でインターホンを切りました。完全に堪忍袋の緒が切れました。もう、これは解約するしかないだろうと・・・。同時に、次にネット環境を変えるなら、ちょうどテレビを見ているから工事も簡単だろうし、テレビとネット同時契約すると割安になるサービスもあるから、ケーブルテレビ会社しかないと思っていたので、速攻でケーブルテレビ会社に申し込みを済ませました。こちらは申し込みからわずか1週間で工事完了。面倒な手続きもない、実に簡単な「乗り換え」でした。

 というわけで、今回の「乗り換え」は、プロバイダーには一切の悪感情はないけど、「どうしても電話回線会社と縁を切りたい」気持ちからの行動。今のところ、前の環境と比べて「極端に早い」ということもないし、一方で「遅い」「重い」ということもないから、「まあ、よかったかな」と思っています。しかし、前にプロバイダーを変えた時(1999年)は、音楽ネタ・サイト関係者、相互リンク先サイトの管理人、行きつけのボードの常連さんなど、約50名近くに「プロバイダーを変えたのでメールアドレスが変わりました」の一斉メールをしたものだけど、今回はその「変わった」ことを伝える人すらいない。

■2014/4/7 新PCよりの投稿

 昨年末に書いた通り、もうすぐWindows XPのサポート期間が終了するということでPCの買い替えを計画していました。まだPCを買い替えて約7年、大事に使ってきたので悪いところもほとんどないし、自分が使いやすいように設定し直したり、プログラムやファイルをインストールしたりしてきたので愛着もあるので、出来ることなら買い替えはしたくありませんでした。だけど、一度OS入れ替えに失敗して挫折したし、今のケーブルテレビ経由の接続にも不自由な部分もあるので「買い替えるしかなかろう」と。

 ちょうど消費税が上がったばかりだし4月は「春の新モデル」発売の時期なので、実は今は「お買い得」な時期ではないのは分かっていました。やはりといおうか、私が予想していたよりは2,3万ほど出費が多くなりました。だけど、今買わなきゃXPのサポート期間も終わるので、今買うしかないだろうと。今まで私が使っていたのと同じメーカー、同じ型番の「春の新製品」を購入しました。もちろん、最新のWindows 8.1のPC。前回、もうすぐVistaがリリースされる直前でXPのPCを購入してしまって「失敗した」と後悔してしまったので、しっかり確認しました。とはいえ、同じメーカー、同じ型番の機種を購入したおかげで、今までのPCと比較して「使いにくさ」は感じません。

 だけど「たった7年だし、そんなに大幅に変わってなかろう」と思いきや、起動時のスタート画面がタッチパネルになっているし、ネットに接続できるよう設定しようにも「コントロールパネル」がどこにあるのかも分かりにくし、インストールされているソフトを探して起動させるにも苦労するし…。会社で使っているWindows 7の画面以上に分かりにくい。 まずはその画面を理解し、慣れるのに一苦労。「引っ越し」はWindows 95の骨董品PCからXPのPCに買い替えた時と違って、既にPC内に「引っ越しソフト」がインストールされていたおかげで、すんなり完了。ネットの接続もケーブルテレビ会社に貰ったマニュアルを見ながら設定したらすんなり完了。しかも待望の「無線接続」になったし、今までのPCと比較すると嘘のように早くて軽くなったし。ここまでは2007年の買い替え時よりもすんなり上手くできたし、一度Windows 7に自力でOS入れ替えしようとして断念した時のように不具合も生じず。あの時はなぜか動画から音がしなかったり、Exelで作成した自作の家計簿などが開かなくなる原因不明の不具合もあったけど、今回はそれもなかったし。

 ところが、なぜか上手くいかないのがメールソフトの設定。何度やっても「送信はできても受信はできない」状態。仕方なく購入時からインストールされていたOutlook Expressではなく、ネット上からダウンロードしたメールソフトを使うことにしました。そちらを使うと上手く送受信できる。だけど、今まで使ったことのないソフトなので、今一つ使い方が分からないのが不安。それと、前のPCを購入して以降、意外とよく使っていたi-TuneがこのPCにはない。最近は結構使いこなしていたし、i-Podもあるから、i-Tuneがないのはやばいかも。その他、前のPCは長い時間かけて自分が使いたいソフトやインストールして環境を整備してきたけど、PC買い直しでまた一からやり直しになる。今後は「何がないのか?」「何が必要なのか?」自分で試行錯誤しながら環境を整えていくしかありません。

 というわけで、この書き込みは記念すべき新PCからの初書き込みでした。とはいえ、愛着のある2007年のXPのPC、ネットに繋ぐのはサポートが終わるから厳しいけど、まだ悪いところもないし、このPCならi-Tuneもあるので、当分は処分せずに手元に置いておきたいと思います。あと、予想以上に出費が多かったので、当分はなるべくお金を使わないように倹約して生活していこうと思います。

■2014/7/13 私に降りかかった「惨劇」(モニター破損)

 4月に購入した新パソコン、ようやく使い慣れてきたし自分に必要なアプリやファイルを揃え、やっと自分の望むような環境が出来上がってきたんですが・・・。先日、テレビのリモコンを挟んだまま、誤って蓋を閉めてしまいました。すると「ベキッ」という鈍い音が。恐る恐る蓋を開いてみると、うっすらとヒビが。どうも新パソコンの画面、タッチパネル対応の為か、材質が旧PCや会社のPCのように柔らかい材質ではなく、ガラス状の材質だったよう。いや、今まで全く気がつきませんでした。従来のPCなら、おそらく割れていなかったでしょう。実際いろんなものを挟んでしまったり、ぶつけてしまったりしたけど、傷ひとつつかなかったもの。思わず血の気が引く私。まだ購入から3ヶ月あまり、もう壊れてしまうとは。

 購入から2年以上経っていれば、諦めて新しいパソコンを買い直そうという気にもなるけど、とてもじゃないけどそんな気分にはなれない。ちょっと無理して最新の高い機種を選んだし、まして購入以降少しずつ自分の使いやすいように環境を整えて、やっと使い慣れてきたところなのに。いや、これはモニター交換の修理を依頼するしかない。当然「自損」になるから修理代がかかるだろう。「激安」を売りにしている業者もあるけど、せっかく大事に使ってきたので出費を抑えて中古のモニターに変えたりする気も一切ない。もう、いくらかかろうとかまわない、販売店経由でメーカーに修理依頼して新品の画面に交換するという選択肢しか私にはありませんでした。どんなに修理代が高くつこうと、どんなに時間がかかろうと構わない。ネットなどで調べると、新品のモニターと交換すると5万円以上はかかるらしい・・・。購入して何年か経っていれば諦めて新品購入も考えたけど、もう、いくらかかろうと依頼するしかなかろう・・・。

 というわけで、購入した量販店に修理を依頼しました。金額は一旦修理センターに配送して、そこで見積もりをとるというので、まだ分からないらしい。「最低でも5万円」とのことだけど、8万円くらいの出費は覚悟しています。まだPC購入した出費分も取り戻せていない状態なので、この時期の、この出費は非常に痛いです。当分「放浪」なんて出来ないし、高額の買い物も出来そうにありません。私が「画面の材質が違う」ことにもっと早く気がついていれば、こんなことは起こらなかっただろうに。悔いが残ります。

 しかし見積もり→修理→配送までは短く見積もっても3週間、長くて1ヶ月はかかるでしょう。というわけで、今は4月まで使っていた旧PCを使用しています。まあ、5年以上使っていたので「使いにくい」ということはないけど、ネットに繋いだ時の「重さ」と、動画サイトの動画の動きの悪さ、割れたような音声、画面の暗さに違和感があります。というわけで、しばらくは旧PCを使用することになりそうです。

■2016/5/30 簡単に「会える」のも考えもの

  私がネットをはじめたのは1997年12月末のこと。あちこちで書いてきたけど通信教育のPC講座でPCをはじめて、その一環でなんとなくプロバイダーと契約して接続してみたことが、はじめたきっかけ。まだインターネットも創世記だったので、どんな世界か全く知らずに接続、その瞬間まさに「世界」が変わり、「世界」が広がりました。へえ、こんな「世界」があるんだ。まさにカルチャーショックでした。その後、当時契約していたプロバイダー、ソネットの談話室で掲示板にはまって、さらに自分のサイトを立ち上げて・・・、そうした話は何度も、何度もしてきました。

 実はネットをはじめた数日後、私はある有名人の個人サイトに辿り着きました。それは中田英寿と伊藤麻衣子のサイトでした。今でこそ有名人が自分のブログ、ツイッター、フェイスブックを持っているのは当たり前だけど、当時はまだhtmlなどのプログラムを駆使しないとウェブサイトなんて作れなかった時代。だから「自分のサイト」を持っている有名人なんてかなりレアだったし、まして自分自身で文章を書いている有名人などほんの数人しかいなかったもの。それなだけに、この2つのサイトを見かけた時は衝撃でした。私は決してこの2人のファンではなかったから書き込みなどはしなかったけど、これは本当にカルチャーショック、世界がひっくり返ったかのような衝撃。普通に生活していたら絶対に会えない人が文章だけとはいえ、自分の言葉で語りかけてくる。そしてそれを見た一般の人が掲示板にコメントを書く。

 私自身はソネットの談話室で「居ながらにして見ず知らずの人とコミュニケーションがとれる」ことにカルチャーショックを受けたけど、それだけではなくってホームページ、掲示板を使って、普段なら絶対に会えない、言葉を交わすなんて絶対に無理、そんな有名人とすらコミュニケーションがとれる。「有名人なんてテレビの中の人」で「絶対に会えない」「言葉を交わすなんてもっての外」そう信じて大人になった世代なだけに、本当にカルチャーショックでした。

 あれから既に18年近くが過ぎたけど今ではブログ、ツイッター、フェイスブックも普及、有名人がそうしたものをやるのは当たり前、そしてそうしたツールを使って一般の人がコメントする、繋がるのも当たり前の時代になりました。私は自分のサイトにあった掲示板を閉めて以降、ネット上でコメントする、繋がることには全く興味ありませんが、以前こんなもの(こちら)を書いた通り、有名人が何を考えているのか? どんなことに興味があるのか?を簡単に知ることが出来るので、「見るだけなら面白いな」とは思います。また、私はツイッターなんてやる気がないので「繋がる」「フォローする」「コメントする」気は一切ないけど、有名人とファンが簡単につながることが出来る、交流できるというのは、決して悪いことではないなと思います。中には微笑ましい交流や繋がりだって見ることもできるし。

 同時に「有名人なんて絶対に会えない」「言葉を交わすなんてもっての外」だと信じて大人になった私のような世代の者から見ると「時代は変わったなあ」と思わずにはいられません。以前からこんなもの(こちら)やこんなもの(こちら)を書いてきた通り、掲示板全盛時「ネット上で言葉を交わすことは、その人と『会っている』のと同じ」と思ってきた私だから「繋がる」「コメントする」ことは「会って会話している」のと同じだと思えるし。本当に時代は変わったなと。

 だけど、いいことばかりじゃない。そうやってネット上で簡単に「会える」「言葉を交わせる」ようになると、勘違いしてくる奴だって出てくる。1回コメントして、それにコメントを返されただけで「親しくなった」ような気分になる奴だって出てくる。一方的に勝手なコメントをする奴、無理矢理繋がる奴も出てくるでしょう。最近、そうした「勘違い」した者が、とんでもない事件を起こしたようで、そのニュースを見た時に感じたのは「簡単に『会える』のも考えものだな」ということでした。確かに見ていて微笑ましい有名人とファンの交流もあるし、簡単に交流できることは素晴らしいことではあるけど、逆にマイナスな部分もあるんだなと再認識しました。もしネットがなければ、こういう奴は現れなかったんじゃないか。まあ、ネットがなくっても付きまとったりしたかもしれないけど、きっかけはSNSだったみたいだし。こんなんだったらむしろ、昔のように「絶対に会えない」「言葉を交わすなんてもっての外」だった頃の方がよかったのかな?と思ってしまいました。

■2016/7/29 「窓」のアップグレード完了も大差なし?(Windows 10)

  昨年の8月に突然PCを起動すると「Windows 10に無償アップグレードする」という画面が現れました。思わず「新手のスパムかスパイウェアか?」と疑って調べて、「ホンモノだ」ということを知って。「無償だからやってしまった方がいいのか?」「でも不具合が出るのが怖い」と気持ちが揺れた挙句、「当分の間、静観しよう」ということで何もせず放置してきました。

 その後「windows 10にアップグレードしてみた」という人の声をネット上であれこれ見てきたけど、決して評判は良くない。特に7からアップグレードした人には不評で「動かなくなった、使えなくなったアプリがある」とか、「音が出ない」とか、「DVDが再生できない」とか・・・。そんな声を聞くと「手間がかからない」「無償」だからといって、アップグレードする気にはなれず。まあ私のは8.1なので、7の人と同じような不具合はないかもしれないけど。ところが年が明けて2016年になった頃から、まるでアップグレードを急かすような大きな画面まで現れるようになる。さすがに「ウザいなあ」と思うようになってきました。ただですら「今ならお得」とか「今変えなきゃ損」みたいな煽り文句を伴う「勧誘」を激しく嫌悪する性格なので、「こうなったら意地でもギリギリまで様子を見る」と決めて、ずっとその「ウザい画面」は無視し続けました。

 無視し続けて約半年、先月あたりからは「無償アップグレード期間が間もなく終了します」の表示が現れるようになる。そうなるとさすがに「やっぱりアップグレードした方がよいのかなあ」と迷うことも多くなりました。何より以前も書いたけど、Windows95のPCを我慢して使い続けていたら、気がつけばサポート期間が終了、しかもPCが古すぎてXPにアップグレードすらできなくなって困ったことがあった。そしてその後購入した2代目のXPのPC、自力で7にアップグレードしようとしたらお金がかかるわ、手間もかかるわ、不具合続出するわで対応できないなんてこともあった。もうあんな苦労はたくさん。

 ということで今日はその「無償アップグレード期間」最終日の7月29日。ギリギリまで引っ張ったけど、早速アップグレードしてみました。自力でXPから7にアップグレードした時と違い、PCの電源を入れて1時間半ほど放置していたら勝手にアップグレード終了。全く手間もかからずお金もかからず。

 問題は「不具合はないのか?」。しかし電源を立ち上げた後、いきなりアイコンが画面上に並ぶ95以降、7までのWindowsと同じような画面が現れる。いや8.1の場合、それまでのWindowsと全く違う画面だったので実は違和感があったし、未だに使い勝手の悪さを感じていたもの。だからむしろ「以前の見慣れた画面」に戻ったことで安心してしまいました。

 7の人は「音が出ない」とか言ってたけど、音楽系のサイトや動画サイトに繋いでも以前と変わらず画面が動き、音も出る。「DVDが再生できない」という声もあったけど、いや、ちゃんと再生できる。「画面が重くなった」という声もあったけど、いや8.1と比較して「軽くもないが、重くもない」。正直「8.1とどう違うのかよく分からん」レベル。むしろ最初の画面が「以前のWindows」に戻った分、「よくなった」くらい。7からアップグレードした人はいろいろ不満を書いていたけど、8.1を使ってた私にとっては「ほとんど変わらん」という印象です。

 とはいえ、まだアップグレードして1時間程度触っただっけ。今後、何らかの不具合が出るのかも。しかし前も書いたけど、Windows、数年で新しいバージョン出し過ぎ。今回は「無償」だった分、簡単に、しかもお金もかからずアップグレードできたのは良かったけど、やっぱりこういう手間や不安は避けて欲しいものです。しかも電源を立ち上げるたびに出てくる画面、さすがに苦情も多かったよう。本当に最初に見た時は「スパムか?」と慌てたし、怖かったし、ホンモノと分かって以降も非常ににウザく、しつこく感じられました。


      
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