旅、放浪

      
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■2004/10/16 3泊4日の四国放浪(1)

■ なぜ今、四国だったのか?

 

「なぜ唐突に四国に行こうとなんて思ったんだ?」って思ってる人はきっと多いと思います。でも、実はちゃんとわけがある。私は社会人になって以降、九州出身であるにもかかわらず、仕事の都合で関東はおろか、長野県だの、北海道だので生活をしてきた、というのは、プロフィールをはじめ、あちこちで書いてきたのでご存知だと思う。で、結構学生時代には「放浪癖」があったので、全国あちこちに行ってきた。一方で海外旅行には極端に興味がない。「日本国内にすら、知らないところがいっぱいあるのに、なぜ海外に行く必要がある?」というのが私の持論。そこで考えてみる。国内で住んだこともない、宿泊したこともない、訪問したこともない、さらには列車などで通り過ぎたこともない場所といえば・・・、都道府県で言えば北から順に、三重県、和歌山県、鳥取県、四国の4県、長崎県、鹿児島県、沖縄県。実はたったこれだけだったりする。この中で常に気になっていたのは「四国の4県」。つまり、四国という、本州や北海道、九州とは離れた、あの土地に足を踏み入れたことが一度もないということ。既に訪れたことのある北海道、普通に生活していた本州は、自分の住んでいる九州とは地理上は間に海があって繋がってはいないわけだけど、私の感覚の中では既に「陸続き」と化している。単に「行ったことがある」というだけで、そういう気分になるというもの。でも、一度も行ったことのない四国は、私の中でまだ離れたままの状態で、繋がっていない。なので余計に、いつも気になっている場所ではあったわけで。それで今回、「北海道は金がかかり過ぎる、近場で我慢、ただし、まだ行ったことのない場所を」と思った時、真っ先に浮かんだのは、まだ私の気持ちの中で陸続きになってない四国だった、というわけ。

■ 観光旅行にあらず

 

といっても、私の目的は「観光」でもない。実は私、観光旅行というのが好きではない。つまり観光ガイドなどを見ながら、有名な観光地を回る、ということはしないということ。それにはいくつかわけがある。もちろん、一人旅で、団体旅行、グループ旅行ではないので、そういう場所に今一つ足が向かない、というのもある。さらには私自身、遺跡や史跡にあまり興味がない、というのもある。だけどそれ以上に大きいのは、私が函館に勤務した際、地元の人と接して話すうちに感じたことが最も大きい。実は函館には、学生時代の1990年にいつもの「放浪癖」が出て、その際に訪れたことがあった。その時は観光ガイドを片手に、ガイドに従って有名な場所を巡るという、普通の観光旅行を楽しみ、「なんていい場所なんだろう」という印象を持った。ところが、どうした偶然か、1990年代の半ば、なんとその函館に転勤になり、その場所に住むことになった。最初は大好きだった場所に住める、というので純粋に嬉しかったんだけど、実際に住んでみると、不便この上ない街、しかも「観光客を大事にする一方、地元住民は蔑ろ?」という疑問を抱く機会が多かった。この街、実は観光地が集中しているのは街の東半分、市民が生活する、居住する地域は西半分とキレイに分かれている。しかも東半分は交通も便利で、快適に過ごせる環境も整っている反面、西半分はバスは走ってるものの、本数が極端に少なくて全く実用的でなかったり、買い物する場所や金融機関も少なく、車がなければ移動できない、生活できないほどに不便だった。地元の人はよく言っていた。「所詮、この街は観光客で成り立っている街だから、すべては観光客優先なんだよ」。そのことは私も痛烈に感じた。

 それともうひとつ、観光ガイドに載っているような有名なスポットを見て回って、「この街の雰囲気を満喫した」気分になる観光客は多いだろうけど、実はそうじゃないということ。例えば、今述べた函館でいえば、東半分の観光スポットだけを見て、「この街の雰囲気が分かった」ような気分になってしまっては当然、大間違い、西半分の、市民が実際に生活している空間を見てこそ、その街の「真の姿」が見えるとは言えないだろうか。「街を実際に見て、その街を知る=その街に住んでいる人の生活感を身近に感じ、雰囲気を満喫すること」だとすれば、観光スポットを見て回っても、何の意味もないということにはならないだろうか。むしろ逆に地元の一般庶民の生活圏に入り込み、その土地の人がどう生活しているのか、そのことを身近に感じることの方がよっぽど正しい「観光」とはいえないんだろうか。私は常にそう思っている。だから私は、知らない場所を訪れた場合、観光スポットを回るよりも、街一番の繁華街をくまなく歩きまわる、ということの方が好きだったりする。その方がよっぽど、その街の真の姿を知るにはうってつけだと思っている。というわけで、私は「観光旅行」はしないし、今回も観光スポットのようなところはほとんど回っていない。

 あと、有名な観光スポットほど、客寄せのためにコンクリートで固めたり、変な増改築が施されたりして、本来の形を留めておらず、実際に見ても「肩透かし」で「期待外れ」に終わる、というのもありがちな傾向。これもまた、私が「観光スポット回り」の嫌いな理由でもある。

というわけで、随分前置きが長くなったけど、以下、今回印象に残ったことなどを時系列に従って・・・

■ 瀬戸大橋と「瀬戸の花嫁」

 新幹線で岡山へ、そこから四国方面の特急に乗り換えたわけだけど、よく考えれば、岡山県に実際に「降り立った」のもはじめてだった。四国方面の列車のホーム、ベルの代わりに「瀬戸の花嫁」のメロディが流れる。ちなみに、四国に入ってからも、瀬戸内海沿いの主だった駅のほとんどでこの曲が使われていた。おかげで四国滞在中、常に頭の中でこの曲が流れていたんだけど、「昔の小柳ルミ子ならともかく、今の小柳ルミ子には歌って欲しくないなあ」などという余計なことまで考えてしまって・・・(笑)。瀬戸大橋、当然渡ったのははじめてだったけど、10分ちょっとで四国、その間、「海の中を走っている」というよりも、「島と島の間を縫って走っている」という印象。それほど瀬戸内海って、島だらけなんだな、ということがよく分かった。渡り終えると、「ようこそ四国へ」の看板が迎えてくれた。

■ 大ボケ?

 ちなみに初日の宿泊予定地は高知。というわけで私の乗っていたのは土讃線(四国の路線図を参照)の特急。徳島県の阿波池田駅(高校野球の池田高校でお馴染みの池田町)を過ぎると、車窓には険しい山と谷、そしてそのはるか下を流れる吉野川、という、「キレイ」というよりは「壮大」な風景がこの後、約30分以上も続く。実は「観光スポットに興味がない」私といえども、この光景だけは楽しみにしていた。前に宇津井健や三浦洋一が鉄道警察隊に扮したドラマ、「さすらい刑事旅情編」の再放送を見ていた時にこの風景に遭遇、「日本離れした、凄い風景だなあ」と興味をひかれたことがあったから。中でも大歩危(「おおぼけ」と読む)というところの風景は有名らしく、観光地になってるらしい、ということは、実は車内放送ではじめて知った。それほど下調べなしの、行き当たりバッタリの放浪ではあったけど、確かにこの眺めは素晴らしかった。基本的に観光地を訪れて、風景とか見て心を動かされることのない私ですら、心を動かされたくらいだから。

■ 高知は暑い

 そして初日の目的地、高知に着く。10月とは思えぬほど、日差しが強くて暑い。長袖の薄手のシャツ1枚、上着なしで出かけて来た私、出発時は「上着なしで大丈夫かなあ」と思っていたんだけど、上着云々どころか、半袖のシャツでもよかった、と思えるほど。それもそのはず、この日(12日)の高知は最高気温28度だったらしい。後で地図を見ると、高知って宮崎県なんかと同じくらいの緯度らしい。暑いはずだ、と納得。とりあえず、袖を捲り上げて歩き出す。それと、この街にいる間はグラサンは手放せそうにない。実際、かけていても眩しいくらいに日差しが強かった。

■ 川と路面電車のある街

 駅前を見ると、路面電車が走っている。何の下調べもしてなかったので、当然高知に路面電車があることは知らなかった。実は私は「路面電車のある街」を見ると、急に愛着が湧く。というのも、私の出身地、北九州にはかつては路面電車があり、幼い頃からよく利用していて、とても愛着があった。とはいえ、成長するにつれて街は便利になり、次第に利用しなくなった。そして私が地元を離れていた約10年の間に段々縮小され、遂には廃止。私が地元に戻って来た時には、完全に姿を消していた。それなだけに、私にとって路面電車といえば「知らないうちになくなってしまった」ものであると同時に、「郷愁とノスタルジーを感じさせられる乗り物」なわけで。だから、路面電車のある街には、過剰に入れ込んでしまう、私にはそんな性質がある。それなだけに、駅前で路面電車を見かけた瞬間、この街に対する愛着が強く沸いた。

 駅前からまっすぐ7,800メートルほど歩いていくと、「はりまや橋」という古い橋があり、その近辺が街一番の繁華街らしい。だけど私はその近辺を通り過ぎ、さらに奥へと歩いていく。すると大きな川にさしかかった。鏡川というらしい。実は福岡県には、大きな川というものがほとんどない。それなだけに、「大きな川のある街」というものへの憧れも実は強い。思わず橋の上で立ち止まる。そしてその橋の上を走る路面電車。決して観光ガイドには載らない風景かもしれないが、私にとっては最高の風景。自転車で通り過ぎていく高校生を尻目に、私はしばらくそこに立ち止まって過ごした。

■ やはり鯨は高かった

 夜は「はりまや橋」近辺の繁華街を歩き回る。いかにも「地方都市のアーケード街」という印象。昔ながらの個人の商店が中心で、決して有名チェーン店とか、きらびやかな店は多くない。「生活する分には不便だろうな」「若い人はどこで買い物するんだろう?」という印象を持ったけど、でも、これって典型的な地方都市の繁華街の風景。しかし自分がここで生活するとしたら、大きなCD店を全く見かけなかったし、おそらく困りそうだな、とは思った。夜7時前後だというのに、若い人の数が少なく、高校生と年配の人ばかりという印象だったけど、これも地方都市にありがちな風景。高校生が元気な街、という印象で、それなだけに20代、30代の人が目立たず。でも、大学はあるはずだし、学生がもっといてもいいはずなんだけど・・。話してる人の言葉、雰囲気は「武骨で素朴になった関西人」という感じ。というわけで、こうやって街の繁華街を歩くこと、その方がよっぽどその街の雰囲気がよく分かるんじゃないかな、と私は常々思っている、というわけ。とはいえ、これはたった22、3時間だけ滞在した無責任な放浪者の持った印象なので、「本当はこうなんだよ」といった、地元在住者、地元出身者の反論は大歓迎です。

 で、高知といえば鰹と鯨。郷土料理の店に入る。鰹のタタキは比較的安く食べれたけど、やっぱり鯨はここでも高いんだなあ、と思った。個人的には幼少の頃に食べた刺身が好きだったので、楽しみにしてたんだけど、あまりにも高くて手が出ず。「侍ジャイアンツ」の世界ももう遠い昔なんだなあ、などと考えてしまった。

■ よさこいリーグ?

 秋には高知で、プロ野球の若手選手育成を目的とした「よさこいリーグ」ってのが開かれるんだけど、今、開催中なのか、それとももうすぐ開催なのか、興味がないから分からないんだけど、街には歓迎ムードが溢れていた。駅前のホテルには「歓迎、大阪近鉄バファローズ御一行様」の看板もあった。しかしその看板を見て、なぜか寂しくなってしまった。チームはなくなってしまうというのに、一応「よさこいリーグ」には参加している若手選手たち、でも実は「明日をも知れぬ」気持ちでいる、というのもなんだかなあと・・・。

■2004/10/17 3泊4日の四国放浪(2)

■ 列車よりバス?

 で、翌13日は朝から昼過ぎまで高知市内をブラブラして過ごす。そして昼過ぎ、今日(13日)の宿泊予定先の松山へ移動しようと思い立つ。とにかく無計画に出発したので「どの経路を使って移動するか?」は全く決めてなかった。駅で時刻表や料金表を見つつ、考える。おそらく、最短距離は高知→窪川→宇和島→松山という、予土線を利用する経路(こちらの路線図参照)だろう。しかも四万十川など、人の手の加わっていない雄大な車窓が望めるであろう経路でもある。しかし、この経路、直通列車がない、予土線は1日に7,8往復しか列車の走ってない、とても不便な路線であり、しかもちょうどよい時間の列車がないこと、この辺を考慮してこの経路を使うことは断念した。とりあえず、土讃線で高知→多度津、そこから予讃線乗り換えで多度津→松山という、一番時間のかからない、なおかつ本数も多い経路(こちらの路線図参照)を使うことに決め、「みどりの窓口」に向かう。

 「松山までの乗車券と自由席特急券」と言う私に対し、窓口の職員は意外な反応。「バスの方が安くて早いですよ」。???。そのバスは私鉄ではなく、JRバスなので、JR職員である駅員が勧めても不思議はない。とはいえ、仮にも鉄道業務に携わる人が、同じ会社、JR四国が運行しているとはいえ、バスを勧める、なんてことは、九州、さらには関東では考えられないこと。呆気にとられて黙る私。とはいえ、私はプロフィールのところに書いている通り、幼い頃鉄道ファンだったという「血」が今でも残っているので、「列車での旅」を好む。よっぽど急ぐ理由があればまだしも、特にそんな理由はない。なので、こう答える。「いえ、いいんです」。けげんな顔をしつつ、その職員は列車の乗車券と特急券を発行してくれた。後で調べると、四国は主要都市同士の高速バス網が張り巡らされていること、JRは海岸線をぐるっと回るような形で運行されているため(路線図参照)、長距離移動にはあまり使われていないことを知った。なるほど、そうなのか。ちょっとしたカルチャー・ショックだった。

■ 多度津駅の中学生

 土讃線から予讃線への乗換駅、多度津駅(路線図参照)に降り立つと、そこには中学生の大集団。一体、何事? でももちろん、「これは何事?」とは聞けない。すると同じく、予讃線の特急を待っていた年配の男性がいたんだけど、その人がその女子中学生のひとりにこんなことを聞いていた。「どうしたん? 今日はどっか行ったと?」。それに対してその女子中学生は答える。「遠足(えんそく〜)」。「どこに遠足行ったん?」。「高松(たかまつ〜)」。「先生は?」(確かに見当たらない)。「班単位で行動〜」。こんな会話が繰り広げられていた。駅で知らない人同士がこんな会話を交わすというのは、地元でも、関東でもお目にかかれない光景。それなだけに「こんなのもいいな」と思いつつ、それを横目で見ていた。しかも女子中学生の口調も、()内で示した通り、語尾で声を張り上げたりという、悪く言えば子供っぽい、よく言えば無邪気で屈託のないもので、地元や関東の中学生にはない素朴さが感じられたのがよかった。高速バスや飛行機の旅では、こういう光景にはお目にかかれないもの。だからこそ私は列車の旅が好きなんです。

■ 松山は一転して寒い

 で、夜の7時過ぎに松山駅に着く。降りて最初に感じたこと。肌寒い。高知は昨日も書いた通り、前日の12日は最高気温28度、そして高知駅を発った13日の昼も27度あって、長袖のシャツの袖を捲り上げていたんだけど、松山駅に降りた瞬間、私は袖を伸ばした。この日の松山は最高気温21度、夜間は12,3度まで冷え込んでいたようで、同じ四国といえども、南国ムードの高知と、瀬戸内の松山では気候が全く違うようだ。

■ ここもまた路面電車の街

 とりあえず駅から出る。高知と比べると高い建物も多く、道幅も広く、人通り、車の往来も多くて、より都会的な街という印象。とはいえ、しばらく歩くとすぐに静かになる。そうか、「市内いちばんの繁華街」は、この街の場合、駅周辺ではないんだな、と理解する。かつて私が住んでいた函館市も、駅周辺よりも、路面電車で15分ほどの、五稜郭周辺がいちばんの繁華街だったっけ。なので、松山市もそういうパターンなんだろう。とはいえ、予約している宿泊先は駅周辺なので、そっち方面に行くのは明日にして、今日はとりあえず宿泊先へ行こう、というわけで、歩き出した。

 と、よく見ると、この街にも路面電車がある。同時に伊予鉄道という私鉄も走っているようだ。いずれにしても、ここもまた「路面電車のある街」ということで、早くも好感度アップ。さらに歩くと、全国どこの街でも無料配布されているクーポン付きフリー・ペーパー、「月刊イーノ」の松山版の最新号をお姉ちゃんが配っている。「街の様子を知るにはいいかも」ということでそれを受け取る。その夜は宿泊先の部屋でそれを眺めて過ごす。大体街の様子は分かった。

■ 無謀な「徒歩移動」

 翌14日朝、宿泊先を出ると、「とりあえず、松山いちばんの繁華街の方へ行ってみよう」ということで、伊予鉄道松山市駅の方へ歩き出す。街で一番栄えているのは、JR松山駅周辺ではなく、伊予鉄道松山市駅近辺だということは分かっていたから。地図などを見て、「どっち方面に歩けば着くのか」も理解できたし。ところが、「歩いて行こう」とした自分が馬鹿だった。路面電車の電停にして5つ、歩いて1時間近くかかる。おそらく、こんな距離を歩いて移動する人なんていないはず。まあ、貧乏していた関東在住時代に「1駅、2駅なら歩いてしまえ」って生活をしていて、池袋から新宿までしょっちゅう歩いていた私にとっては、特別苦痛になるほどの距離ではないけど、でも、知らない街でこんな距離を歩くのは、体力的だけでなく、精神的に疲れるし。

 で、その松山市駅周辺。駅は高島屋の巨大ビル、その前から延々2,3キロに渡って「銀天街」さらには「大街道」というアーケード街(ふたつあわせて「坊ちゃん通り」というらしい:笑)が続き、その出口付近に三越とラフォーレがある。そしてその前に「大街道」という路面電車の電停がある。この一帯が街一番の繁華街らしい。この辺の雰囲気は意外と都会的で、地方都市ということを感じさせない賑わいと人出。これなら「地元の若者はどこで買い物をするんだ?」なんて疑問を抱くことはない。街の雰囲気や話している人の様子をうかがうと、イメージ的には広島市に近いかも。広島よりは若干、垢抜けてるくらいかも。高知は関西に近かったわけだけど、松山の場合は本当に全然違う。

■ 一応「観光地」にも行ってみる

 その大街道は、実は松山城への「登山口」でもある。城なのに「登山」?って疑問に思う人もいるだろうけど、松山城って、深い堀に囲まれ、なおかつ小高い山の上に建築された城なので、ロープウェイを使用して、「登山」しないと行けないようになってる。うーん、運賃払って見る、というのもなんだし、というわけで、松山城には行かなかった。

 とはいえ、「一応観光地らしい観光地、どこか行ってみるか」というわけで、松山市郊外にある「日本最古の温泉」との噂もある道後温泉にでも行ってみよう、と思い立つ。昨日の夜読んだ「月刊イーノ」の松山版でも、「地元の人もよく通う」って書かれていたほど、地元の人にもお馴染みのスポットのようなので、見てみる価値はあるかも、と。というわけで、はじめて路面電車に飛び乗って移動。どこまで行っても150円、ノロノロ運転、幼い頃によく乗った今は亡き、西鉄北九州線を思い出す。で、終点の道後温泉に着く。坂が多く、静かな温泉街。だけど、古い建物は増改築が施されているし、「古い時計台」といいつつ、明らかに色を塗り替えたばかり、という色をしてる。さらに観光客の行き交う通りに風俗店の呼び込み。ダイエーもある・・・。うーん、結局、「有名な観光スポットって、こんなもんなんだよなあ」という想いの方が強く、特に印象に残らなかった。ほんの40分ちょっと滞在しただけで、すぐに路面電車で大街道方面へひき返した。

■2004/10/18 3泊4日の四国放浪(3)

■ 最高の風景は旅行ガイドには載っていない

 その後、再び路面電車で松山市街に戻った私は、夜7時くらいまで大街道→松山市駅に連なる繁華街を歩いたり、松山城周辺の堀や森を歩いたり、疲れたら路面電車に乗ったりして過ごした。しかし松山城の堀周辺を歩いていたら、不意に競輪場が現われ、胡散臭い人たちばかりのいる一帯に迷い込んでしまったのには参ったが(笑)。とはいえ、その競輪場のあたりから再び電車通りに出ると、そこには市役所や県庁がある。で、そのあたりで信号待ちをしながら振り返ると、なかなかよい眺めが私の目に飛び込んで来た。山の上には松山城、その隣に歴史の感じられる県庁の建物、横には掘、そして路面電車が走っている、しかも時間的に夕暮れ時で、あたりを夕陽が包んでいる。いや、この風景、なんかいい感じではないか。もちろんこんなの、ただの街角の何気ない風景、それが私の見た角度や時間帯のおかげで、たまたま綺麗に見えただけ、別に観光地になるような場所でもなんでもない。とはいえ、実はこんな「何気ない風景」の方が有名な観光名所よりずっと美しくて、なおかつその街の「素顔」が現れている、とはいえないだろうか。私は写真を撮るのも、撮られるのも嫌いだ。自分の写真なんて全く持ってない。なので、「写真を撮る」習慣は全くない。だけどこの風景、完全に心の中に焼き付いているし、きっと一生忘れることはないと思う。ちなみに、今回の3泊4日の中で、「心に焼き付いた風景」といえば、この松山市内の眺め、さらには高知市内で鏡川の橋の上から見た風景、そして土讃線の窓から見た吉野川の急流と渓谷、この3つだ。

■ 帰りたくないので、行き当たりバッタリの計画を

 で、14日の夜になる。今日も松山市内で宿泊。とはいえ、明日にはもう帰らなければならない。そこで思う。帰りたくない、帰ってしまえば「現実」が待っている。明日15日、午前中に真っ直ぐ地元に帰る、という手もあるけど、もう1ヶ所くらいゆっくり回って、夜に地元へ帰る、という選択肢もある。でも、あと1ヶ所って、どこへ寄ろう? というわけで、宿泊先の近くの書店で地図やガイドを見る。高知から松山に移動する時に行きそびれた四万十川方面、うーん、ちょうどよい列車がない上、不便なところ、そっち方面に行くともう1泊せねばならなくなる(こちらの路線図参照)。愛媛県と高知県で宿泊した、じゃあ、残るは香川県と徳島県か。どちらもJRで行くと金も、時間もかかる。そうだ、そんな時こそ四国では高速バスだったよな。というわけで、明日15日は早朝の高速バスで徳島に移動することに決めた。

■ 利用し慣れない高速バス故に・・・

 翌15日、午前中の高速バスで徳島に移動。とはいえ、2泊もした松山、しかも路面電車のある街、滞在中に何度も乗ったということもあって、離れるのが異様なほど名残惜しかった。バスで約3時間、列車だと乗り換えを伴う上、5時間くらいかかる。確かに四国の長距離移動は列車よりバスの方が便利らしい。

 しかし乗って約1時間半後、突然トイレに行きたくなる。乗る前に駅の喫茶店でモーニング・セットを注文、その際にコーヒーをお代わりしてしまった、しかもバスに乗ってすぐにも缶コーヒーを飲んだ。そのツケがここに来て回って来たらしい(笑)。男性の人ならよく分かると思うけど、座っていても我慢できない、という状態は、実はかなり深刻。いや、ヤバイ。列車と違い、走行中に気安く席を立てるわけでもないし。しかも乗る前にもトイレに入ってない。高速バスなんて乗り慣れないから、そっち方面に気を配るのを忘れていた。そのことは大変後悔させられた。昼過ぎ、無事に徳島駅着。なんとかことなきをえたが、一時はどうなるかと思った。

■ 徳島=関西?

 いざ着いたはいいけど、特に無計画に乗り込んできた徳島、何も知識がない。とりあえず駅周辺を歩き回ることにした。しかし街自体は決して大きくないのに、駅がやたら馬鹿でかい。駅前も開けている。街は大きいけど、駅は今一つの松山とは正反対。駅前だけ見れば、徳島の方が都会に見えるほど。しかも現地の人の言葉、雰囲気などは関西そのもの。派手で異様に垢抜けている。おそらく大鳴門橋が開通して関西が近くなり、行来が盛んになったことで、関西に「染まった」のかもしれない。街自体は松山や高知よりも小さいにもかかわらず、垢抜けて見えるのはそのためだろう。

 とはいえ、「じゃあ、次はどっちへ移動して帰るのか?」という課題が私を襲う。まず大鳴門橋を通る高速バスを使って関西へ抜け、そこから新幹線で地元へ帰るという計画が頭に浮かぶ。しかしこの経路を使うと、新大阪→地元という、随分長い区間を新幹線で移動せねばならなくなり、経済的に苦しい。それに、「高速バスはもうたくさん」という想いもありで(笑)。大鳴門橋、使ったことないし、興味はあるけど、これは次回(いつ「次回」が来るのかは分からんが)ということで。なので、オーソドックスに列車で高松に出て、そこから岡山に行き、新幹線に乗り換えて地元へ、というルート(こちらの路線図参照)で帰ることに決めた。

■ 乗り換えのみに使った高松、そして再び瀬戸大橋

 まずは高徳線(こちらの路線図参照)の特急を使って高松へ移動する。高松駅、近代的で、どことなくヨーロッパの映画に出てくる大きな駅みたいな作り。今回は乗り換えのためのみに使ったわけだけど、次回(だから「次回」っていつなんだ?)はちゃんと降りて散策してみたいと思う。

 そこから瀬戸大橋を通って岡山まで行く快速に乗り換え、夕方ということもあり、ビジネスマンや学生も多くて、結構混んでいる。そして行きと同じ瀬戸大橋に差し掛かる。これで四国ともお別れか、とか、これで俺の中で四国も「陸続き」になったんだな、とか、珍しく感慨に浸りながら、車窓の夕焼けの瀬戸内海を眺めていた。そしてまた、高松駅でも発車のベルの代わりに使われていた「瀬戸の花嫁」のメロディと歌詞が頭の中を流れた。「瀬戸は夕やけ、明日は晴れる〜」。とはいえ、あの発車のベルの代わりの「瀬戸の花嫁」、地元の人的にはどうなんだろうか?(笑)

■2004/12/30 自分のルーツを求めて(1)

プロフィールやあちこちに書いている通り、私は「北九州市の出身だ」とは書いているものの、実は生まれは山口県の徳山市(現在は周南市)。だけど両親とも北九州出身で、たまたま父親の仕事の関係で、ほんの数年間、地元を離れて徳山に住んだ頃に生まれたのがこの私、というわけ。その上、徳山市には3,4歳の頃までしか住んでいないので記憶も薄い。つまり記憶も薄く、しかも両親は生粋の北九州人、というわけで、私は「出身は北九州」と公言してはばからないわけなんだけど、厳密には徳山出身ということになるんだろう。

 ところが、たった今「記憶が薄い」と書いておいてなんなんだけど、実はかつて、この落書き帳にこんなものを書いたことがある。これを読んでいただければ分かる通り、実は普通の人から見れば信じ難い、驚異的なことかもしれないけど、普通の人よりは2,3歳の頃の記憶が鮮明。当時の住所も暗記しているし、当時見ていたテレビもおぼろげながら覚えているし、当時住んでいた家の場所も覚えているし、当時バスに乗って買い物に行っていたこと、駅近辺のダイエーや近鉄松下百貨店に通っていたこと、市役所や電話局の場所、家から窓の外に見えた風景:北側は大きな通りが走っている2つの山、南側は一面に広がる田園、山陽本線の線路、その先に工場の赤と白の縞模様の大きな煙突・・・、いや、もっと細かいことをいえば、トラブル・メイカーだった当時の私が起こした些細な事件など、本当にすべて覚えているのである。「親や親戚から聞いたんだろう?」とか、「何年か後にも徳山を訪れてるんじゃないの?」とか思う人もいるだろう、でも、それは違う。中高生の頃、これらのエピソードを両親の前ですらすら話したら「なんで覚えてるの?」ってビックリされたし、それに徳山にはこれ以降、新幹線や高速バスで通り過ぎたことはあるが、訪問したことは一度もない。だから、これらはすべて私自身の当時の記憶。いや、これってすごいことだと自分でも思うし、まだ信じてない人もいるだろうけど。

 前置きが随分長くなってしまった。今週に入って暇を持て余した上、年末年始独特の空気のせいで鬱になりがちな私。というわけで、「日帰りで放浪してみよう」と思い立ち、昨日、約32年ぶりに、その私のルーツである徳山(今は周南市旧徳山地区)に行ってみました。「あの頃のあの場所は今、一体どうなってるんだろう?」という興味と、「果たして私の頼りない記憶だけを頼りに、かつて家のあった場所まで辿りつけるのか?」ということを試してみたかった、その2つが訪れたきっかけだった。

 で、新幹線は使わず、在来線だけで徳山駅へ。3時間弱。思ったより近い。駅を降りる。私の記憶では「徳山駅は高架駅だった」はずが、高架駅ではなかった。建物は結構古いから、決して建て替えられたわけではなさそう。確かに新幹線乗り場は高架だが、私が住んでいた頃はまだ山陽新幹線は開業しておらず、在来線以外には乗ってないはず。いきなり自分の記憶への自信がなくなる私。だけど、駅の前に広がる風景を見て、すぐに自信回復。駅の前のバスターミナルと「バスのりば」の看板、駅の右側の駅弁の店、駅前の大通り右側奥に見える電電公社(今はNTT、当時は「大きくて赤いアンテナのある建物」レベルの認識)、その向かいあたりにある「NISSEI」(当時は赤丸に白抜きの「日本生命」だった)の看板、はるか遠くに見える2つの山・・・。これらは私の記憶と寸分の狂いもない。自分の記憶力に改めて恐ろしくなるとともに、自画自賛。ダイエー(ショーケースのケーキをなめたり、ママレモンを抱えて走り回って店員に怒られた記憶あり)はとっくに閉店、近鉄松下百貨店(屋上でウルトラマンや仮面ライダーのショーを見たり、食堂でお子様ランチを食べた記憶あり)が移転して場所が変わっていることは、通過する新幹線の車窓から確認できていたから驚かなかったけど。

 かつて母は駅の近辺で買い物、バスで家に帰っていた。当時はいつもそれについって行っていた私、確かバスは駅前の大通りを直進、「赤い大きなアンテナ」の建物の交差点を左折して、その後、延々真っ直ぐ行って、いくつめかのバス停で降りていたはず。4年前のログには「バス停の名前も分かる」と書いたけど、よく考えれば曖昧になってきた。とはいえ、私の記憶が確かなら、この通りに歩けば必ず「かつて住んでいた家」に辿り着けるはずだ。よし、歩いてみよう。確かバスに乗ればすぐだったはずだから、今の俺だったら徒歩で30分前後で行けるはずだ。住所もはっきり覚えている。バス停から家までの風景や道も覚えているし。果たして私の記憶はどの程度正しいのか、それを確かめるべく私は歩きはじめる。「赤い大きなアンテナ」の交差点に差し掛かる。向かいは郵便局、斜め前に市役所(学校のような、丸い時計がかかっているのは記憶通り)、うん、ここまでの俺の記憶は寸分の狂いもない。さて、ここから先、本当に私は道に迷わずに「自分のルーツ」に帰ることができるのだろうか。

■2004/12/31 自分のルーツを求めて(2)

 「赤い大きなアンテナ」の建物の交差点を左折して直進する私。向かって右手のはるか向こうに見える「大きな2つの山」、そう、確かにあの頃、バスの車窓から見た風景と全く同じだ。途中、セブンイレブンでトイレと、缶コーヒーで休憩。当然、あの頃はこんなものはなかったが。更に直進すると、右手に消防署が見える。確かあの頃、バスの車窓からこの消防署を見て、「しょうぼうしゃー」なんてはしゃいでいた、そんな記憶が蘇る。田舎街の国道、歩行者なんて皆無。時々、自転車に乗った人が通り過ぎるのみだ。

 そんな道をどれくらい歩いたろう、おそらく30分以上は歩いたはず。そこら中にパチンコ屋、ファミレス、車の販売店、医療施設などがいっぱいある地域に辿り着く。うーん、あの頃は田園風景だったはずだが。そんな中、見覚えのある運輸関係の会社の社名の看板が目に飛び込んでくる。この会社、確かあの頃住んでいた家の近所にあった会社だ。「トラック!」なんていいながら、トラックを眺めてはしゃいでいた記憶がある。まさか・・・、近くにバス停。バス停の名前を確かめる。あの頃母に丸暗記させられていた我が家の住所に酷似している。ひょっとして、この辺り? 道に掛かっている住所の書かれた板や、駐車場に掛かっている付近の地図を見る。いや、丸覚えさせられていた住所とは異なっている。しかし既に30年以上、町名が変わっていたとしても不思議はない。なにしろ、当時は田園と、ほんの少しの運輸関係の会社と、ほんの少しの民家があっただけの場所、今や見る影もないほど巨大な店舗や施設だらけ、人口増加している上、徳山市から周南市に市政も変わっているから、町名が変わるのはごく自然なことだ。というわけで、「この辺りが俺の住んでいた場所ではないか?」と思い立つ私。駅の近くから延々30分以上も歩いてきた大通りに別れを告げ、先に述べた「ある運輸会社」の脇の小道に入っていった。

 しかし、新しい住宅や会社の事務所、医療施設があるだけ。私の見慣れた田園風景とはかけ離れている。だけど粘り強く、付近一帯の入り組んだ細い道をくまなく歩きまわる。正直、地元住民以外は歩かないような寂しい、静かなところ。こんなところに「見慣れない奴」が現われ、1時間近くもフラフラしていたわけで、地元の人から見れば私は相当怪しい奴だったに違いない(笑)。しかし当時の面影は全くない。私の見慣れた建物、看板、風景は全く見当たらない。住所も違う。だけど北側の遠くに見える2つの山、南側に見える大きな工場の煙突と山陽本線の線路、それと例の会社、これだけは私の記憶と完全に一致する。この辺りであることは間違いない。単に再開発と区画整理のせいで、当時の面影が完全に消えただけに過ぎないんじゃないか。初老の男性とすれ違う。思わず「この辺りは昔、●●っていってた土地ですよね?」「この辺りには昔、こんな店があって、田園風景が広がっていて・・・、そんな感じでしたよね?」って聞こうと思ったけど、さすがにそれを実行するだけの勇気はなく・・・。結局、「ここに間違いない」という確信は持てずじまい。出発前に母に、当時の家主の名前とか、最寄のバス停とか、もっと具体的ではっきりした位置関係を確かめていれば、いや、母をここに連れてくればきっと「家があったのはここ」って指差して断言できたんだろうけど。とはいえ、例の会社、線路、煙突、山などの見え方、あの幼い頃に見たものと全く同じ。「確信」までは持てずとも、「ここに違いないだろう」って信じることはできた。人気のない静かな裏通り、地元住民以外いないような通り、そんな場所に私はただただ呆然と突っ立ってしばらく時間を過ごしていた。間違いない、この場所が俺のルーツなんだ。

■2005/1/2 自分のルーツを求めて(3)

 確信までは持てずとも、「ここに違いない」と思った私、「俺の頼りない記憶力では、ここまで分かっただけでも上出来」という満足感も湧いてきた。いや、やはり自分のこととはいえ、私の2,3歳の頃の記憶がいかに鮮明であるか、そしてそれは夢でも幻でもなく、現実だったんだということを確かめることができた。夕暮れが近くなったので、バスで徳山駅まで引き返すことにした。最寄のバス停に着くと、意外とすぐにバスがきた。しかしバス停の位置が、私のあの頃の記憶と違うような気がするけど、まあ、バス停なんて、回りの環境次第で移動するなんてことはありがちなので、別に気にならなかった。果たして私が今後、この場所に戻ってくることはあるのだろうか? 「ルーツの場所」から次第に離れていくバスに揺られながら、そんなことを考えていた。

 所用時間約5分、すぐに徳山駅につく。次にしばらく駅近辺を歩きまわってみようと思い立つ。アーケード街が3つある。最も賑わっている通り、次にバスも通っている大きな通り、その2つのアーケード街を歩いてみるが、全くピンとこない。ようするに、私の記憶の中に、この2つの通りは一切ないのである。おそらく、当時はまだこの2つの通りは、こんなに栄えてはいなかったんだろう。新しくできた繁華街と考えてよさそうだ。最後に、3つめのアーケードに足を踏み入れる・・・。突然、目の前がぱっと開けたようになった。「ぎんなん通り」という名前、幼い頃、私は「ぎんなん」と聞くと、なぜか「茶碗蒸の具」と同時に、「駅前」って言葉を連想する傾向があった。その理由はきっと、この通りの名称のせいに違いない。さらに奥に進むと、何とこのアーケード、2階建てという、かなり珍しい構造だ。私の古い記憶の中に、「クリスマスの飾りに彩られた、2階建てのきらびやかなアーケード」の絵だけが常に焼き付いていた。それがどこの風景なのか、私にはずっと分からなかった。北九州にはそんなところはないから、夢の中で見たのか、テレビで見たのか、そんなところかな、でも謎だなって常に思ってたんだけど、どうやら、その絵の正体は、ここ、徳山の「ぎんなん通り」だったんだ。とはいえ、今では寂れてしまっていて、2階は閉店状態で開いている店もない、人通りも少なく、私の記憶にある「きらびやかさ」とは無縁である。まあ、30年以上も経ってるし、さっきまで通ってきた、新しい2つのアーケード街の方が新しくって若者向けっぽくって、賑わっているようだから、今はあっちに客を取られて、こっちは寂れてしまった、そんなところなんだろう。人気もない寂しいアーケード、そんな場所で私はまたしばらく立ち止まって、今は廃虚同然といってもよい2階の方を呆然と眺めて過ごしていた。不思議そうに近くの書店の初老の男性が見ていたけど、そんなことは気にも止めずに。

 辺りはすっかり暗くなってきた。そろそろ帰ろうと思って駅に戻ってはきたものの、名残惜しい。徳山駅・・・、そういえばあの頃、父と街に出ると必ず、駅ビル2階の商店街のレストランで食事して、3階のゲーム・コーナーで遊び、屋上から列車を眺めていたものだ。しかし今や駅ビルには飲食店街も、ゲーム・コーナーもなく、屋上にも上がれない。何やら周南市の公共施設や事務所になっている。今では自由に上がれないのかな? と思っていたんだけど、よく見ると、近所の中高生や年配の人たちが、エスカレーターで、やけに気軽に2階に上がっている。私もそれについていってみる。なんと、エスカレーターは当時のまま、確かに父に手をひかれて上がっていた、あのエスカレーターである。エスカレーターの前には大きな窓、そこから列車やホームが見える。この風景、見覚えがあり過ぎるくらいあるぞ。ちなみに駅ビルの2階は市の展示場や図書館などの、市民の憩いの場になってるようで、結構多くの人が溜まってくつろいでいる。あの頃のようなレストランや商店こそないけれど。私は大きな窓の前に佇んで景色を眺める。あの頃見ていた景色と全く同じだ。

 さらに「周南市の歴史」と称した、昔の街の様子を写した写真を飾っている一角がある。よく見ると、私がここに住んでいた、昭和46、7年頃の写真も。駅前のバスターミナルを写した昭和46年の写真(角度的に駅の屋上からの撮影と思われる)に目を奪われる。しばし固まってしまう私。そう、あの頃私が見ていた、駅ビル屋上からの徳山市、全く同じである。「赤い大きなアンテナの建物(当時の電電公社、今はNTT)」、その向かいに「日本生命」の看板のビル、駅前のバスターミナルと、そこにかかった「バスのりば」の看板。この辺は私の記憶通り、ついでに、今もほとんど変わってない。だけどひとつ、この写真にはあって、今は消えているもの、それはバスターミナル向かいの「東芝」の看板、あの頃「とうしば〜、サザエさんだ」などと言いながら、この看板を指差してはしゃいでいた、そうだ、確かにそうだ。思わず、胸がいっぱいになる。今にも目が潤みそうになる・・・。確かに俺は北九州人、だが、俺のルーツは確かにこの街にある。今まで徳山に対しては愛着をほとんど感じてこなかった私だけど、急にこの街が好きで好きでしょうがなくなった。横で地元の女子高生2人組が同じく、写真を見ながら雑談している。「へえ、昔の駅前ってこんなやったんやね」。そうだよ、あなた方が生まれるずっと前、この街はこんなだったんだよ、そして俺は確かに、こんなだった頃のこの街で生まれたんだよ。心の中でそんなことを呟いていた私。いつもいつも斜に構え、いきがって、「他人なんて関係ない」かのように一匹狼を気取って、周囲を振り返ったり、立ち止まったりもせずに生きて来た私。たまにはこうして立ち止まって、安らいだ気持ちで過ごすのもいいかな、などと考えてしまった。考えてみれば北九州に移って以降、4歳の時以来、いつもいきがって生きてきたような気がする。こうして30年以上ぶりにルーツの場所を見て、はじめて私は安らいだような気持ちになった。やはり私の本当の故郷はここなのかもしれない。

 時計を見ると6時過ぎ。在来線だけだと3時間はかかる。もう帰らねば。いつまでもその駅ビルの2階でくつろいでいたい、そんな気持ちを振り切って、私は列車に飛び乗った。でもきっと、近いうちにまた、私はここに戻ってきたい、そう思った。俺の故郷は北九州、でももうひとつ、俺には故郷があったんだから。

■2005/5/7 大型連休中の上京

 というわけで、2日〜明日8日まで連休だったんですが、4月29日にも書いた通り、「どこへ行こう」と悩んだ末・・・。実は5月1日は仕事だったんですが、ある後輩が自分の私物を、なぜか関東の人にはお馴染みのディスク・ユニオンの袋に入れて持って来てたんです。それを見た私は、「そういえばディスク・ユニオン、行ってみたいなあ」という衝動に駆られて、本当に突発的に「東京へ行こう」という気持ちになってしまいました(笑)。というわけで、実は3日〜今日にかけて、東京都内にいたんです。本当に突発的に、急遽決めたんですが・・・。

■大した目的もなく・・・

 というわけで、「ここへ行って、これをしたい」という確固とした目的はない。しかも前回関東遠征したのは1年半前。私の中では「たった1年半前」という感じ。まして前回の上京の時のように、「絶対にいずれ戻りたい場所」といったような、思い入れも今では大分薄れてる。だから、はっきりいって、どこへ行っても感慨もなく、特に楽しくもなく、だからといって「つまらなかった」ということもなく、ただ淡々と、馴染みのあった場所をクルクル、フラフラ歩きまわっただけ。後には何も残らなかった。「ライブを見るため」「イベントを見るため」「誰かに会うため」などの目的があればよかったんだけど、ロックン・ロール・ジプシーズと大江慎也が共演するイベントは今月末だし、相互リンク先の管理人の方の在籍するバンドのライブは5月1日だったし、ということで、タイミングも悪かった。「CDを買う」にしても、福岡市に行けばタワーもHMVもあって品揃えは変わらないし、この10年ほどブートに興味は全くなくなったから西新宿に行く必要もないし、辛うじてディスク・ユニオンをはじめとした中古盤屋の在庫が数段充実していることくらいしか地元との違いはない。全く知らない場所に行くとか、もっとご無沙汰してる、北海道まで足を伸ばすとかした方がよかったのかもと、後悔してるとこ

■2006/10/14 俺の「鉄道の日」

 実は今日は「鉄道の日」だったらしい。明治5年の今日、新橋〜横浜間に日本初の鉄道が開通したことが起源になってるんだとか。で、当サイトのプロフィールや、この「落書き帳」でも何度か触れた通り、私は小学校3年〜6年の頃、いわゆる「鉄道マニア」だったことがある。中学生になって以降、あっという間に冷めてしまったけど、でも以降も現在に至るまで、「遠出しよう」と思いたった場合、鉄道を利用することが多いし、「落書き帳」の過去ログにある通り、暇を持て余した時などには、「鉄道でどこかを放浪したい」気分になって、フラッと思いつきで出かけたりする「放浪癖」があったりするし・・・。ようするに今の私は「ぼんやりと鉄道に乗っている」ことが好きなだけで、車両とか、鉄道自体に思い入れがある「鉄道マニア」というわけではない。

 ただ、私が鉄道マニアだったのは、前も書いた通り、小学生の頃。小学生にとっては、お金のかかり過ぎる趣味だったし、なおかつ北九州市の小学校には「子供だけで校区外に行っては駄目」という校則があったので、「いつも親同伴だから、自分が思うように鉄道を乗り回すことが出来ない」のが当時は不満だったもの。もっと「自由」があれば、お金があれば、もっといろんなところに行きたいし、もっといろんな物を買いたいし・・・。いつもそんなことを考えていた。だから当時「今は出来ないけど、大人になったら絶対やってみたい」と思っていたことがいくつかあった。例えば・・・

1.鉄道だけで北海道まで行く

2.ブルートレインで東京まで行く

3.九州を一周する

4.大井川鉄道(静岡県、当時日本で唯一、SFが走っていた路線)に乗る

5.東京の交通博物館に行く

6.碓氷峠(長野県、電車が機関車に後を押してもらわないと登れない難所)に行く

・・・などなど。1.は大学時代に実際に達成したけど、やっぱり「鉄道云々」じゃなく、「何もかも忘れて放浪したくなった」ことがきっかけだった。3〜5に関しては、鉄道マニアから足を洗った後、どうでもよくなったので実践してないし、6は長野新幹線の登場で、この難所から鉄道は消えてる。そういえば5も閉館したんだっけ。で、「まだ達成してないけど、やってみたい」のが2だったりする。だけど、九州〜東京のブルートレインって、本数が減ってしまったし、いろいろ調べると新幹線や飛行機と比較してももちろん、高速バスと比較しても、「遅い上に値段も高い」から、なかなか踏み切れない。でも、「全廃」になる前に一度、達成しておきたいという想いはある。

 などと考えていたら、「放浪」したくなった。ということで、「あの頃」の気分に戻って、思いつくままに九州内の路線を丸1日、乗り回していた。今では車両も駅などの施設も近代化してしまって、人も電車もセカセカしていて、あの頃のような風情も情緒もなくなってしまったけど、でもやっぱり、私にとって「気の向くままに鉄道で放浪する」ことは、この上ない息抜きのひとつであり、ノスタルジックな気分に浸れるひとときだったりする。今の私は「鉄道マニア」ではないけど、「鉄道で気の向くままに放浪すること」、それ自体が「楽しみ」になっている。

■2007/5/6 連休といえば「鉄道での放浪」

 以前から何度か書いている通り、私には昔から「放浪癖」があります。また、これも何度か書いてきたことですが、「放浪」といった場合、「列車での放浪」であること、そして「小学生の頃の一時期、鉄道ファンだった」からこそ、今でも「列車での放浪」が好きだってことももう、今更説明の必要はないでしょう。というわけで、この大型連休中も「放浪」してきました。といっても、ただですら人出が多くて混雑する上、宿泊施設の料金も割高になる時期ということもあって、「泊りがけの放浪」は断念、今回は、連休のうち2日、日帰りでグルグルとあてもなく放浪していました。ちなみに私が日帰りで「放浪」しようと思い立った場合、「今まで一度も行ったことがない場所」で、なおかつ「ひなびた場所」「1時間に1本程度しか列車が走っていない場所」を選ぶのが常。というわけで、今回もそうした場所を選んでの「放浪」でした。

 しかし最近はまた、何年かに一度訪れる「鉄道ブーム」のようですねえ。「鉄道マニア」を扱った特集記事とか、ドラマとか、そうしたものが話題になることが多いようです。ちなみに私は「放浪」することが目的で、「鉄道に乗る」のはそのための手段でしかないので、現役の鉄道ファンだとは思っていません。グッズとか、車両とかには今では全く興味はないし。とはいえ、「元ファン」だから、彼らの気持ちは分からなくもない。今回も「放浪」中、駅や車両の写真を撮りまくってる人を何人も見かけました。まあ、私が「放浪」した場所自体が、景色のいい場所やひなびた場所ばかりだったし、日本にはもうほとんど残っていないスイッチバックまで通過してきたので、鉄道ファンにとっては有名な「撮影スポット」も多かったみたいですし。それを見ながら「ああ、やってるな」と思うと、少し微笑ましくも思えたりしました。

 一方で、「あの人たち、今じゃあ活動しにくいだろうなあ」という想いも。私が「現役ファン」だった頃といえば、昭和53年〜55年頃。当時はまだ国鉄時代。東京や大阪の都心の路線以外は、まだまだ車内も、駅も、のんびりした雰囲気だった。そして土地によって、駅や車内の雰囲気や車窓の風景にも違いがあったりして、その「違いを楽しむ」ことが楽しかったもの。その「のんびりした空気」「お国柄の違い」が出るのが、「鉄道での旅」の醍醐味であり、楽しみだったもの。だけど今では、よっぽどひなびた場所や、1時間に1本程度しか列車が走っていないような地方の鉄道に乗らない限り、そうした鉄道での旅ならではの醍醐味や楽しみを味わうことができないのが現状。技術が進歩して車両が新しくなり、スピード・アップしたのはいいけど、その分、乗っている時間がどんどん短くなるから、「ゆったりのんびり旅を楽しむ」ことができなくなり、そのために車内も、駅も、セカセカした雰囲気、殺伐とした雰囲気になってしまった。スピードが速すぎるから、ゆったりと車窓を楽しむこともできない。それに、日本中どこへ行っても、車内や駅の雰囲気に大差はない・・・。だから、「元ファン」の私から見ると、「今のファンの人って大変だな」と思う。「ゆったりと鉄道の旅を楽しむ」とか、「鉄道の旅ならではの醍醐味を味わう」とか、そういうことをしたければ、わざわざ地方のひなびた場所まで出かけなければいけないんだから。私のように、九州在住だと、日帰りでもなんとかそうした旅を味わうことはできるけど、関東や関西のファンの人は大変だよなあ。

 今の私は「鉄道ファン」というよりは、「鉄道放浪ファン」なのかもしれない。鉄道、それ自体への興味は薄れてしまったけど、「鉄道で放浪する」こと自体が好き。だからこそ、やはり私も、今述べてきたような「鉄道の旅ならではの楽しみや醍醐味」を味わえる路線が年々減少していくことが寂しく思える。小学生の頃、ひなびた雰囲気に心引かれた路線が近所にあったんだけど、最近その辺を通りかかったら、都市部と変わりない、近代化された雰囲気になっていて興ざめしたなんてこともあった。もちろん、「便利になった」かもしれないけど、そのことによって大事な何かが失われていくような気がする。ちなみに、現在「九州新幹線」工事中。これが完成すれば、九州からもそうした場所がまた一段と減少していくんだろうか。

 しかし今回もまた「泊りがけでの放浪」は断念した私。行きたい場所はいっぱいあるのに。変に近代化する前に、行きたい場所には行っておかなきゃなあ、ということも強く感じています。


      
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