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■2007/10/14 信州→飛騨高山放浪(1) 10月の第2週はほぼ丸1週間長期休暇がとれたこともあり、久々に「どこか放浪しよう」という気分に。というわけで、今回は3泊4日で信州→飛騨高山を放浪してきました。まあ、ずっと前から当サイトをご覧の方なら、3年前に四国を放浪した際に、私の放浪癖や「なぜ放浪するのか?」についていろいろ書いたので(詳細はこちら)、「また例の病気が出たか」って感じでしょうけど(笑)。
■なぜに「信州→飛騨高山」を選んだのか?
実は去年の今頃も、同じように長期の休みがとれて、その時も「放浪しようかな」って気分になったんだけど、「よく考えれば例の大病→手術からまだ1年しか経ってないんだ」ということに気がついて、思わず断念した、ということがありました。その際、「放浪先」の候補として、「今まで行ったことがない場所」のいくつかをリストアップしてたんだけど、その候補のひとつが岐阜県の高山市でした。で、最近、ケーブルテレビの中で「懐かしいドラマ」を多く放映している「ホームドラマ・チャンネル」という局が1980年頃に製作された、フランキー堺主演の「赤かぶ検事奮戦記」というドラマを放送しているのを偶然目にしました。実はこのドラマの舞台が高山。というわけで、「今回の放浪先は高山に決定」となった。
で、昨年高山をリストアップした際、「そのまま日本海側に抜けて、富山や金沢(どちらもまだ行ったことのない場所)を回る」というコースを想定していたので、今回もそのコースでの放浪を考えていたんだけど・・・。ネットでいろいろ調べると、まだ北陸地方一体は、能登半島沖地震の後遺症が、ところどころに残ってる様子。じゃあ、今回は日本海側へ抜けるコースは断念。そこで、高山からJRではなく、高速バスや長距離バスで移動できそうな場所を調べてみたら・・・。私が仕事の関係で、90年代半ばに1年半ほど住んでいた長野県の松本市まで、山越えの長距離バスを使えば、2時間ちょっとで着けるよう。もう10年も行ってないし、「久々に行ってみたいな」という気分になった。
というわけで、今回の放浪コースは、
初日・・・新幹線、在来線特急で松本へ、ここで1泊
2日目・・・長距離バスで松本から高山に移動、ここで2泊目
3日目・・・終日高山市内で過ごして、ここで3泊目
4日目・・・在来線特急、新幹線で地元へ帰る
・・・と決定した。
■体に対する不安も拭いきれず
とはいえ、泊りがけでの放浪となると、3年前の四国放浪以来。私が体調を壊したのは、一昨年の今頃。つまり、体を壊して以降、はじめての泊りがけでの放浪、しかも高山の観光といえば、「市内を歩き回る」観光になるわけで、「本当に大丈夫だろうか?」「どの程度、歩けるのかな?」という不安は拭い去れなかった。というわけで、はじめて健康保険証を持参しての放浪になった。
■放浪の理由、目的
私の放浪の理由は、3年前の四国放浪のときにも書いた通り、「現実からの逃避」が目的であるケースが多い。だから「敢えてひとりになる」「ほとんど無計画」「観光地めぐりには固執しない」「ネットや音楽は敢えて遠ざける」というスタンスは、今回も同じ。だから「旅行」ではなく、「放浪」という言葉を使ってるわけだけど・・・。でも、今回は四国のときと比べれば、やはり「観光目的」なカラーは強かったかもしれない。
■2007/10/16 信州→飛騨高山放浪(2) 初日に宿泊したのは、1990年代の半ばに仕事の関係で約1年半ほど暮らしていた、長野県の松本市でした。
■離れてみてはじめて好きになった街
実は1990年代半ばに松本に住んでいた頃は、どうしても私は松本の街が好きになれませんでした。四方を山で囲まれた街ゆえに、「閉鎖的で排他的」な気質。頑固で、ぶっきらぼうで、それでいて、「よそ者」に冷たい・・・。当時知り合った地元の人は、松本の気質をそんな風に評していたし、私自身もそういう印象を持っていた。今にして思えば、九州出身、しかも関東で2年間生活をした後に松本に流れてきた「よそ者」で、「東京かぶれ」、地元の人の目には、当時の私はそう映っていたようだ。まあ、関東で2年間過ごしたこともあって、当時の私は東京的な生活に慣れてしまっていて、松本のことを「不便な街」「住みにくい街」と、はっきり発言していたから、余計にそう思われたのかもしれない。そんな言い方をされれば、そりゃあいい印象は持たれないよなあ・・・。しかも「冬は滅茶苦茶寒いのに、夏も滅茶苦茶暑い」「突然天気が変わって夕立が来る」「地元の方言がぶっきらぼうで無表情に聞こえて、とっつきにくい」「一方通行だらけで道が細く、しかも車の運転が荒っぽい人が多いので、安心して近所を歩けない」ことも相まって、当時の私は「早くよそに転勤したい」「どうしても街自体が好きになれない」そう思っていた。同時に、当時の私は「仕事に必死」だったので、今自分が住んでいる街や風土や景色に触れることに、あまり関心を払ってははいなかった。
1年半松本で生活をした後、北海道の函館へ異動になった私。北海道も函館も、90年代初頭に観光で訪れて以降、大好きだった場所。その「大好きな場所」に異動して嬉しい反面、なぜか離れた途端に「松本が恋しい」気分が湧き上がってきた。街の中のどこにいようとも、遠くを見やれば必ず美しい山が見えた。大きくて美しい川が流れていた。私が住んでいたマンションの近くは、確かに「一方通行だらけで道幅が狭く、道が入り組んだ場所」だった半面、周囲には歴史の感じられる、白壁の土蔵や倉庫、きれいな水が流れている水路がいっぱいある、なかなか風情のある場所でもあった。住んでいる時は、松本の短所ばかりが目に入り、なおかつ、忙しすぎてきれいな景色も全く目に入らなかった。それが離れた途端に、その魅力に気がついたということ。離れてはじめて「大好きな街」になり、「もう一度行ってみたい」「改めてその魅力に触れてみたい」という気持ちに襲われた。別の言い方をすれば、「離れてはじめて恋しさが募った」といっても過言ではないと思う。
■変わらない街を満喫
というわけで、約10年ぶりに訪れた「離れてはじめて恋しさが募る街」、松本だったわけだけど、「よいとこ」「魅力的なところ」は何一つ変わっていなかったのが嬉しかった。10年以上経つのに、本当にあの頃と全く同じ。遠くに連なる美しい山々、大きくて美しい川・・・、街の中を歩き回っているうちに、思わず涙ぐんでしまいそうになった。同時に、かつて住んでいたマンションの近辺にも足を運ぶ。あの頃は忙しすぎて全く気がつかなかったけど、歴史の感じられる建物が周囲にいっぱいあるし、街の中を水路が流れている。なぜあの頃は、この風景が目に入らなかったんだろう・・・。ごく当たり前のように、毎日このあたりを歩いていたけれど、こんな風に立ち止まってゆっくりあたりを見渡す心のゆとりすらなかった。それほど当時の私は「仕事に必死」だったということか? それとも、まだ若くて、突っ走ることしか頭になかったから、周りを伺う心のゆとりがなかったのか? それとも、「東京かぶれ」で、都会への憧れや「戻りたい」気分が先走るあまり、この街の美しさを肯定することができなかったのか? 普通に早足で歩けば、30分程度で通り過ぎてしまえるような一帯、そこを約2時間かけてゆっくり歩き、ゆったりと過ごした。本当にいい所だ、離れてはじめてその魅力に気がついた・・・。
■変わってしまった所も・・・
一方で、あの頃と大きく変わっているところもあった。松本駅周辺の地区のうち、古く、老朽化したアーケード街や飲み屋街のあった一帯が、区画整備されて、街自体が消滅、大きな道路が2本、通っていた。最初その光景を目にした時は、あまりに激変していることにビックリしたが、何度も同じ一帯を歩くうちに、「なかなかよい再開発だな」と感じることができた。
私の住む北九州も、東京も、そして日本中の多くの街でもバブル崩壊後、「街を丸ごと潰して、全く別の街を作り上げる」ほど大掛かりな区画整備や再開発が頻繁に行われているのは、皆さんもご存知の通り。単純に「建物だけ建て替える」んじゃなくって、「街を丸ごと作り変える」様な手法だから、「数年で全然違う街になってしまって、どこがどこだかさっぱり分からない」なんてケースも、結構多かったりする。でも、松本の場合、もともと「道幅が狭く、一方通行だらけ」故に、渋滞が多くて事故も多かった。だから「大きな道路を作った」ことは、街にとっては「よいこと」に思えた。同時に、消滅してしまった「古いアーケード街」てのは、「古くて風情がある」というよりはむしろ、「寂れた、死にかけの街」という印象の街だった。私が住んでいた約10数年前の時点でさえ、普通に営業している店は半分もなく、いつも寂しくって、暗くなってから歩くと、不気味ですらあった。だから、この部分を「ぶっ壊し」て、新しい街を建設したというのは、決して悪いことじゃない。一方で、先に述べた「風情のある風景」もちゃんと残っていたわけだから、「変えるべき部分は変える、残すべき部分はちゃんと残す」という、ちゃんと「考えた」再開発という印象。
だから「変わってしまった=寂しい」という思いをすることは一切なく、むしろ「いい感じで変わっている」という印象を持った。ますますこの街が好きになった。
翌朝、長距離バスで高山へ移動・・・。松本を離れることが本当に名残惜しかった。いつか、必ず戻って来たい。でも、今回は前回から約10年ぶりの訪問だったわけで、次にここを訪れるのは一体、何年後のことになるんだろう・・・。いや、果たして私は今後、またこの街を訪れる機会があるのだろうか。また恋しさが募ってしまいそうだ・・・。
■2007/10/17 信州→飛騨高山放浪(3) ■39年間生きてきて、一番「高い」場所へ
松本から高山までは長距離バスで移動。松本から高山って、直通の鉄道や高速道路もないし、「遠い場所」だと思いきや、乗鞍だの、上高地だのの山を越えるルートを使えば、実は2時間程度、しかも長野県と岐阜県と、県は違っていても、実は「隣町」。バスを使えば2時間ちょっとで高山に着いた。
とはいえ、その途中の経路は、ひたすら険しく、厳しい山道ばかり。道は細く、狭い上、曲がりくねっている。民家もないような場所、平湯温泉のような「秘湯」として有名な温泉地、野麦峠のように、名前を聞いただけで「山奥だなあ」というイメージの場所などを通過してきた。もちろん、こうした「山道」を、バスや車で移動したことは過去にも何度かあった。とはいえ、今回通過してきた場所は、長野県だの、岐阜県だのの「日本でも最も険しく、高い山岳地帯」だったわけで、生まれてこの方、訪れた場所、通過してきた場所の中でも、最も標高の高い場所だったんじゃないだろうか。
時として道が狭すぎたり、険しすぎたりで、車窓を見ていると「怖い」と感じられる場所も多かった反面、純粋にきれいな景色が楽しめる場所が多くって、移動の2時間半、疲れることも、退屈することもなかった。とはいえ、例年なら今頃の時期は、このあたりは既に紅葉が見頃らしいんだけど、今年は猛暑の影響か、最も標高が高いあたりでも、まだ「少し黄色くなり始め」程度だったのが残念。
■町全体が「古い町並」
高山の街は、江戸末期〜明治初期を思わせる「古い町並」が目玉。同じ「古い町並」といっても、白壁の土蔵中心の松本と違って、こちらは木造の家屋が中心。しかも、観光客相手の通りだけじゃなく、町全体がそんな感じだから、どこに行っても独特の風情がある。2日目の昼過ぎに街に着いて以降、そのあたりをずっと散策して過ごした。
この街を訪問するきっかけになった「赤かぶ検事奮戦記」が放送されたのは1980年頃、もう25年以上も前になる。とはいえ、街の様子はあのドラマで見た風景とほとんど変わりない。今述べたその「古い町並」はもちろん、アーケード街も、市内を流れる宮川とその川に架かる橋も、古く低い建物ばかりの街の中で一際目立つ高い鉄塔(実はNTTのアンテナ)も、駅の建物や風景も、ほとんど同じ。ビックリするとともに、「変わらない」ことが嬉しくも感じられた。
■体調への不安
しかし、街中をブラブラ歩いていたら、突然疲れと軽い目眩に襲われた。別に疲れが溜まってたとか、寝不足だったとかというわけでもないのに・・・。以前の私は「長時間歩き回る」ことは全然苦にならなかった。ずっと以前から当サイトをご覧の皆さんなら、関東に住んでいた頃は貧しくって、「電車代がもったいないから」とばかりに、新宿から池袋まで歩いたり、新宿から東京駅まで歩いたりもしょっちゅうしてたことはご存知の通り。それに比べれば、今回私が歩き回ったのは、せいぜい半径徒歩10分以内のごく狭い範囲だし、時間にして1時間ちょっとに過ぎない。なのにこんなに疲れるなんて・・・。
やはり大病した後、一応回復して健康には見えるけど、決して「元通り」ではないんだ、ということを痛感した。これくらいの距離なんて、以前だったら全然苦にならなかったのに・・・。そう思うと、寂しいやら、悔しいやら。だけど「せっかくの放浪先で体を壊してしまっては、楽しみも吹っ飛んでしまう、だったら無理はすまい」と決め、「街の中の散策は、体調を整えてまた明日にでも」ということで、その日は夕方の比較的早い時間に、宿泊先のホテルへ向かい、すぐに就寝することにした。
■2007/10/21 信州→飛騨高山放浪(4) ■休み休み歩けば・・・
というわけで、しっかり休養して、翌日は朝からずっと高山市内を散策。前回も述べたように、街全体が古いたたずまいで、その中をブラブラ歩き回るだけで、ほぼ主だったスポットは廻り尽くせる。ということで、四国放浪時は「観光旅行ではない」とか、「観光スポット周りには興味ない」としたわけだけど、今回は駅前の観光協会に置いてあった「散策マップ」を片手に、主だったところを廻る。といっても、入場料が必要なところなどには無理して立ち入らなかったわけで、やっぱり純粋な「観光旅行」とはいえなかったかもしれないけど・・・。
前日「すぐに疲れた」という教訓もあったから、体にも気を遣って、「30分〜1時間歩いては、15分程度休憩」という感じで、ゆとりを持って歩き回った。観光地だから、街中の至るところにベンチがあったり、休憩所があったりしたし、他にも観光客がいっぱいいて、みんなも同じように休んでいたから、結構安心して休むこともできたし。こうやって休みながら歩いたら無理もかからず、疲れることもなかった。しかも最高気温18度、最低気温9度と、異様なほど過ごしやすく、しかも天気がよかったのも幸いした。最初に今回の「放浪」を計画した頃にネットで見た長期予報では、この時期は雨が降るはずだったから心配してたんだけど、よい天気で、しかも過ごしやすい天気だったのはラッキーだった。
■観光客だらけ
しかしさすが「観光都市」、街全体が観光地みたいなもんだから、どこへ行っても観光客ばかり。地元の高校生やビジネスマンなども見かけたけど、観光地と、地元の人の生活圏や商圏の区別がほとんどない街だから、地元の人はどうやって生活してるんだろう? 生活しにくいだろうな? という印象も。街の中にはいつも香ばしい匂いが。あちこちでみたらし団子の屋台が出ているせいなわけだけど・・・。
2日目は平日ということで、若い人は少なく、60、70代の団体や、修学旅行、あとは異様なほど外国人観光客が多くて驚いた。なんでも、一部の国の日本旅行ガイドには、京都や奈良の次くらいに有名な観光スポットとして紹介されてるとかで・・・。3日目は土曜日だったから、逆に若い観光客やカップルでごった返した。観光バスをやたら見かけたけど、確認できただけでも東京、大阪、名古屋、富山、石川、兵庫、福井、静岡、山形のバス会社を見かけた。
■観光ツアーの味気なさ
歩き疲れて、ある観光スポットのベンチに座っていたところ、どこかの観光バスツアーの一行が通り過ぎる。しかし、有名で風情のあるスポットであるにもかかわらず、立ち止まることもせず、足早に通り過ぎてしまった。正直、あれでは全然風景を見る暇も、この街独特の風情を味わうこともできず、ただ「行った」だけに過ぎず、何にも印象に残らないだろうなあ・・・。
さらに、私の座っている後ろのベンチに、年配の団体客。どうもどこかの別の観光ツアーの参加者らしいけど、こんな会話が聞こえた。
A:「あんた、あっちの方はもう見た? 私は見てきたよ」
B:「うん、行きたいんだけど、もうすぐ集合時間になるから、もう行けないだろうねえ」
A:「え? もうそんな時間? もう1回同じとこ見に行こうと思ってたのに」
B:「もう少しゆっくりしていきたいのにねえ」
・・・どうも「自由行動」の間、それぞれ好きなところを廻ってたんだろう。ただ、時間は限られてるし、「いいところだから、もうしばらくここにいたい」とか、「予定を変更してもう1回同じところを廻ろう」なんてことはできないわけで・・・。
やっぱり、観光ツアーとか、観光ガイドを片手の旅行って、味気ないなあ、と改めて思った。私は高山で2泊3日過ごし、同じところを2回、3回歩き回った。1回目に歩いた時は「とりあえず、来た」だけ、2回目、3回目、同じところを廻ると、新しい発見があったり、違った印象を受けたりして、そこで初めて本当に「満喫した」気分になるもの。足早に通り過ぎたり、時間に追われてバタバタ廻るのでは、「満喫」はできないだろう。私が「旅行」ではなく、「放浪」を好むのは実はそのため。あまり予備知識もなく知らないところに行けば、多くの発見がある。それが楽しいから、私は「放浪」するのだ。
というわけで、高山では2泊3日を過ごした。25年以上も前のテレビ番組の中の街とほとんど変わりのない街だった。古い町並み、朝市、市内を流れる宮川・・・。十分満喫したと思う。ちなみに、岐阜県を訪れるのは今回が初めてだった。またひとつ、国内の「知らない場所」をクリアーしたことになる。まだまだ国内に知らない場所はいっぱいある。だから、海外になんて全く目は向かない。
■2008/5/8 念願の北海道放浪1 実は5月に入って、5泊6日で北海道を「放浪」してきました。
■なぜに北海道?
ずっと前になりますが、こんなものを書いて北海道への想いを語ったもの。大学生の頃に「放浪」してこの土地が好きになり、さらに社会人になった後、転勤で約1年半を過ごして地元の人や風土により深く触れて、さらに好きになって・・・。以降「第2の故郷」と思い続けてきました。
だからこそ、何度となく「行きたい」と思ったんだけど、千葉県柏市在住の頃は「金も暇もない」という理由で行けず。そして2001年秋に地元の九州に戻ってきて以降は「韓国に行くよりも距離が遠くて金もかかる」状態になってしまい、やはり行けず・・・。「行けない」からこそ、「行きたい」気持ちは募るばかり。特に一昨年、長期入院した際、一時期は「ひょっとすると、一生病院から出られなくなるのか?」「もう二度と遠出できなくなるのか?」と思えるほどの事態にもなったわけで、その際も「ああ、もう一度北海道に行きたい」「こんなことなら無理してでももう一回、行っておけばよかった」という想いが頭を何度過ぎったことか。
だから、ようやく普通に生活できるようになった今、「機会があればぜひ行きたい」と思っていた。そんな今年の3月、ネットでいろいろ調べていたら、実は福岡→札幌間の飛行機代は片道5万円以上もするんだけど、「2ヶ月前から受付開始」という「先得割引」という形でチケット予約すれば、なんと片道18000円にまで安くなることを知る。「よし、これを使おう」と。しかし「いつ行くのか?」。私がまとまった休みを取れるのは、春の大型連休、10月、そして年末年始。正直、大型連休や年末年始に遠出したいとは思わない。混雑するのは目に見えているから。だけど、「思い立ったらすぐに行動したくなる」性格なので、「一刻も早く行きたい」とばかりに、5月連休に行くことを決断。JALのサイトで「先得割引」を使って、片道18000円で予約を取ってしまった。
■じゃあ、北海道のどこへ行く?
とりあえずチケットをとったのはいいけど、「じゃあ、具体的に北海道のどこへ行くのか?」が次の課題に。学生の頃に行ったのは函館と札幌、そして北海道勤務になった際に生活をしたのも、全くの偶然だけど同じく函館と札幌。逆に言えば、それ以外の場所に行ったことは全くない。実は北海道から関東に移った際、「なぜ札幌に住んでいた頃に、もっと北の方や、東の方に行かなかったんだろう」と後悔することが多かった。「北海道」という言葉から普通の人が連想するのは「どこまでも続く大地や大空」とか、「オホーツク海の荒波」とかだと思うけど、正直函館や札幌には、そうした「北海道らしさ」はあまりない。なので、「今まで行ったことのない場所、しかもそうした北海道らしい場所に行こう」と決め、ネットでいろいろ調べてみた。
すると、そうした特徴のある観光地が集中しているのは、北海道の東側=道東だと知った。釧路湿原、阿寒湖、摩周湖、知床・・・。じゃあ釧路、網走、北見などで宿泊しながらいろいろ廻ってみようと決めた。
■今回は「放浪」ではなく、「観光旅行」?
以前、四国放浪した際に、「観光旅行にあらず」なんてものを書き、私が「観光地周りはあまり好まない」ことや、「むしろ無計画に『放浪』することが好きだ」と語ったことがありました。今回もそうするつもりだったんだけど・・・。問題はこの道東地区って、交通の便が異常なほど悪い。JRが全く走ってない地区、一応通っているけど1日に7,8本しか列車が通ってない地区、高速道路もないので、一般路線バスしか通っておらず、その本数も異様に少ない地区。極めつけは「6月にならないと道路が凍結していて通行すらできない地区」まである。 そんな地区を「無計画に放浪する」のは、あまりにも危険。ちゃんと下調べをして、ガイドなどに書かれている通りに行動しないと、全く動きが取れなくなってしまうことは必至。なので不本意ではあったけど、あえてネット上の観光ガイド・サイトなどを閲覧してしっかりと下調べをして、計画を立てた。とはいえ、やはり交通機関がなさ過ぎる。レンタカーなどを借りて、車で廻るのが基本のよう。ペーパー・ドライバーの私向きではないのかも。しかも5月といえば、まだ道東地区は「ようやく冬が終わった頃=九州人や関東人の考える3月中旬くらい」のようなもの。「6月以降にならないと通行できない、本当のその場所のよさを満喫できない」スポットも多そうなので、「別の時期の方が本当はよいのかも」という想いもなくはなかったけど、でもやはり「今しかない」「後悔したくない」という想いの方が強かった。
■2008/5/9 念願の北海道放浪2 ここからが本編。今回は5泊6日だったので、1日ずつ書いていきたいと思います。というわけで、初日のあれこれ。
■約10年ぶりの飛行場と飛行機
まずは北九州市内から福岡空港へ向かい、そこから札幌(新千歳)行きの飛行機に乗る。考えてみれば、以前はずっと大の飛行機嫌いで「あんなもの、一生乗りたくない」と思ってきた私。だけど北海道に引っ越した90年代半ば、仕方なしに何度も飛行機に乗るようになり、さらに、いつしか苦にならなくなった。とはいえ、飛行機に乗るのは10年ぶりになる。
以前は「チケットは旅行会社で購入して、当日出発カウンターに行く」という流れだったのが、今回はネットで予約、チケットレスで、しかも搭乗手続きもすべて機械がやってくれる。40歳を前にした私にとって、10年前のことなんて「ほんのついこの前」のような気がするんだけど、えらく時代が変わってしまったことを実感。しかもヘアスプレーをカバンに入れていたんだけど、それがセンサーに反応。「以前だったらスプレーで引っかかるなんて考えられなかったのに」、とそこでも「時代が変わったんだなあ」と実感。考えてみれば、度重なるテロなどの影響で、この10年ほどでいろいろ厳しくなったし・・・。
さらに、たった2時間ちょっとで福岡から札幌、つまり九州から北海道に移動してしまうあたりには改めて驚かされた。しかし、もっと驚いたのは、新千歳空港に着陸、すると思いきや、なぜか滑走路に降りる直前にまた上昇を始め、しかも雲を突き抜けるほどの高さにまで・・・。「なぜ?」「一体何が起こった? まさかハイジャック?」。一瞬凍りつく。しかもしばらく何の説明もない。いや、本当に短い間だったけど、結構恐ろしかった。「滑走路に落下物があったので、撤去が終わったところで改めて着陸します」との案内が。ああ、安心安心。そのせいで到着が約30分遅れたけど、むしろ「安心した」という気持ちが先に立った。約10年ぶりに乗った飛行機、もう「乗り慣れた」とはいえ、やはり飛行機に乗っている際のイレギュラーは、些細なものでもやはり怖い。
■約10年ぶりの札幌
早速新千歳空港から札幌市内まで移動する。JRの快速列車エアポートライナーで約30分程度。かつて札幌に住んでいた頃、千歳と札幌駅の間にある副都心・新札幌に住んでいたということもあって、移動し慣れているし、移動中の車窓も見慣れた光景。懐かしいやら、嬉しいやら。
しかし札幌駅は全く変わっている。近未来風の建物になっているし、駅前にあったそごうは、ビックカメラになっているし。札幌駅から大通公園に向かって歩いてみる。学生時代に旅行で訪れた時も、転勤で引っ越してきて実際に住んでいた頃も、本当に何度となく歩いた道。いつも多くの人で賑わう大きな道であるにもかかわらず、並木が連なる美しい通りで、私はこの道が大好きだった。ところが、道路も歩道もボコボコ、しかも中央分離帯の並木は撤去されて柵が張り巡らされている。この道全体が「大工事中」。一体何の工事なんだ?よく見ると看板があり、「札幌駅から大通公園に通じる地下道建設中」とある。さらには「下水工事中」ともある。おいおい、せっかく10年ぶりに来たのに、工事でボコボコのガタガタで味気ない風景にガッカリ。次に来るのはいつになるか分からないけど、その頃にはその地下道とやらも完成して、また美しい通りになっているんだろうか・・・。
それと、やけに暑い。通りの看板にある温度計に目をやると、「23度」とある。5月上旬で23度ってのは、この辺では考えられない暑さ。実は福岡とほとんど同じ。「きっとまだ涼しいだろうなあ」と想像していたので、結構ビックリした。終始上着を脱いで歩いたけど、それでも汗ばんでしまった。
■住み慣れた街と通い慣れたファミレス
次に荷物を一旦コインロッカーに置き、かつて生活していた新札幌へ移動。しかし新札幌、何から何まで変わらない。駅も、サンピアザ(駅ビルの専門店街)も、私が住んでいたマンションや、その周辺の風景も。あまりに変わっていなかったので、あの頃に戻ったかのような気分になった。
さらに、当時住んでいたマンションの近くにあるファミレス、ヴィクトリアに行く。あの頃、よくここで食事したり、時間を潰したりしていたもの。ヴィクトリアって、北海道にはどこにでもあるけど、それ以外の地域にはほとんどない、ハンバーグとステーキが売りのファミレス。私はここのハンバーグが大好きで、当時よく「ファミレスかもしれないが、ハンバーグは文句なく美味い」と絶賛していた。それを10年ぶりに食べる。とても懐かしい味がした。店内もほとんど変わってない。とにかくここ、新札幌は、ほとんど変化がなかった分、ただただ懐かしかった。新札幌で日没まで過ごし、再び札幌駅方面に移動、初日宿泊予定のホテルにチェックインした。
■名残惜しい「愛すべき街」札幌
札幌は初日のみの滞在、しかも2日目の朝9時過ぎには、特急に乗って釧路に移動しなければならない。もっとゆっくり10年ぶりの札幌の街を堪能したかったんだけど、時間がない。そこでもう夜8時近かったけど、あえて街中を歩き回ることにした。大通公園、すすきの、道庁、時計台・・・。この辺の風景は、10年前とほとんど変化がない。私が大好きだった風景・・・。そして10年前、まだ若くって仕事一途だった頃の自分のことを思い出した。まさに札幌に住んでいた頃が、社会人になって以降では一番充実していたなあと・・・。人間関係にも恵まれていたし、いい環境にいたんだなあと。そんなことを考えながら「大好きな街」を、今はたった一人で歩いている。そのことを思うと、少し寂しくも感じられた。
一方で、大病を患った頃は、「あそこにもう一度、戻りたい。でも本当に戻れるんだろうか?」なんてことを考えた、その場所に今、再び戻って来ることができているということ、そのことを思うと嬉しく、感慨深くもあった。戻って来れて本当によかったなあと。夜9時過ぎまで街中を歩き回りながら、そんなことを考えていた。次はいつ、戻ってくるんだろうか。
などという感慨に浸りながらホテルに戻ってテレビをつけると、北海道ローカルニュースがショッキングなニュースを伝えていた。「すすきののロビンソン百貨店が来年4月に閉店」。正直、ここで買い物したことはないし、中に入ったこともほとんどない。だけど、すすきのの交差点にそびえ立つロビンソン百貨店は、ある意味「すすきのの象徴」のような建物。さっき通りかかった時、その建物を見て「ああ、すすきのだ」って実感したばかりなのに。じゃあ、今回が見納めだったのか・・・。次に訪れた時は、建物はあっても、お馴染みの看板はもうなくなっているのか。そう思うと寂しい気持ちになった。
初日の朝食:自宅で軽く
昼食:なし
夕食:ビクトリアのハンバーグ
■2008/5/10 念願の北海道放浪3 ■はじめての道東
2日目の朝は7時過ぎに起きて札幌駅に向かう。朝9時過ぎの釧路行きの特急に乗るためだ。事前のネット上の情報で「自由席は2両しかない」「指定席はほぼ毎日満席状態」ということを知っていたから、早めに駅に行って並ばないと自由席には座れないと読んで早めに行動したというわけ。やはりといおうか、発車30分前にはもう自由席の案内板の下には長い行列。何とか座れたけど、車掌は車内アナウンスで何度も「今日は指定席もグリーン車も満席です」と繰り返していたし、自由席もすぐに満員になった。いやはや、道東はまだ高速道路も未完成で工事中だったりするから、まだまだ「移動手段の主流は鉄道」らしい。
札幌から約2時間くらい走ってきたあたりから、車窓が大きく変わる。ほとんど道路も、民家も、田畑もない、荒涼とした平原が続く、そんないかにも「北海道だなあ」という風景。これこそが「北海道のイメージ」そのままの風景。札幌や函館に住んでいた頃にはお目にかかれなかった風景でもある。本当に道東に来たんだなあ。
しかし、それからさらに1時間ほど進むと、今度は海の近辺に。するとあたり一面真っ白な霧。そういえば札幌で勤務していた頃の上司が釧路出身で「釧路や道東ってのは、いつも霧が立ち込めているのが当たり前で、曇りの日も多い。快晴ってのはほとんどない」って言ってたけど、まさにその通り。深い霧であたり一面真っ白、何も見えない。そんな霧の中を進み、札幌から約4時間かかってようやく釧路に着いた。いやはや、イメージ以上に遠かった。
■霧に煙った肌寒い街
駅のホームに降り立つと、異様に寒い。札幌の最高気温は20度以上、それに対しこの日の釧路の最高気温は11度。前日は上着を脱ぎ捨て、シャツの袖を捲り上げて札幌の街を歩いたのに、今日の釧路は上着を着ていても寒い。まあ、先ほど述べた昔の上司は「北海道の中でも釧路だけ極端に温度や天候が違う」と言ってたものだけど、これまたまさにその通りだった。
さらに駅周辺を散策してみる。釧路市って人口20万以上いる「中規模の都市」、しかも道東の南側「十勝根釧地方」の拠点都市なので、「大きくて栄えてる街」をイメージしてたんだけど、駅前は閑散としているし、シャッターを閉めてしまっている商店ばかり。歩いているのも観光客か、地元の年配の人ばかり。正直、さっき特急列車で通り過ぎてきた帯広市の方がずっと都会に見えた。しかも街の中まで霧に煙ってどんより曇っているので、どことなく暗く映る。そのまま駅からまっすぐ大通りを進んでいくと、大きな川・釧路川があって、その川に幣舞橋(ぬさまいばし)という橋が架かっている。どうやらこの街で一番栄えているのはこの近辺らしい。とはいえ、やっぱり多くの商店がシャッターを閉めてるし、廃ビルも目立つ。ただまあ、ここがこの街の中心らしい。10年前に札幌に住んでいた頃も、北海道ローカルのテレビ番組で「釧路から現在の天気の中継」でよく使用されていたのも、この橋からの風景だっけ。
とはいえ、この橋からの眺め、なかなか悪くない。深い霧に覆われていてよく見えないけど、その「霧に煙った橋と大きな川」、それだけでも十分絵になるし、幻想的で風情がある。しばらくそこで過ごした。
■釧路湿原を見下ろす細岡展望台
釧路といえば、国立公園にもなっている湿原の観光が定番。その湿原を見下ろす展望台は2箇所あって、ひとつは湿原の西側の端にある釧路湿原展望台、もうひとつが東の端にある細岡展望台。その「東の端」にある細岡展望台に交通機関で移動するには、JR釧網本線で釧路駅から列車に乗って釧路湿原駅で下車して移動するしか手段はない。とはいえ、釧網本線って「本線」とは名ばかり、列車は1,2時間に1本しかなく、しかも「列車」といっても1両のワンマンカー、駅も無人駅ばかりというローカル線。昼の1時過ぎに特急で釧路駅に着いて釧網本線の時間を調べたら、3時半過ぎまでなかった。なので、「その時間まで」ということでとりあえず、市内をウロウロしていたというわけ。で、そろそろ3時を過ぎた頃、「じゃあ今日のうちに細岡展望台に行ってみよう」ということで、釧路駅に引き返し、釧網本線の列車で釧路湿原駅まで移動することにした。いつの間にやら霧も晴れて晴天に。いや、いいタイミングで霧が晴れてくれてこれはラッキー。
しかし本数が少なく、1両編成で、沿線に多くの観光地のある路線のわりには、利用客は少ない。「グチャグチャに混んでるんじゃないか」と思ってただけにビックリ。さらに釧路湿原駅は、掘っ立て小屋のような小さな駅舎と短い簡素なホームしかない無人駅。駅の周りにも道路も、民家も全くない。私以外に数人の乗客が下車したけど、「山奥に取り残された」様な感じだった。
その駅の裏に山道があり、それをダラダラ上っていくと舗装された道路に出る。それを登りつめていくと展望台があった。「展望台」といっても、高台に看板が立っているだけの簡素なもの。とはいえ、確かにそこから下の眺めは壮大そのもの。まるでサバンナのような広大でどこまでも続く草原、その中を釧路川が蛇行している。「本当にここは日本なのか?」と思えるような光景である。どこからかウグイスや丹頂の声だけが聞こえる。姿が見えないのは残念だけど、声だけは確かに聞こえる。いや、凄い。
■味気なく、風情のない団体観光客
とはいえ、それを堪能することはあまりできなかった。足早に大勢の観光客がやって来て記念撮影。撮影が終わるとさっさと去っていく。私はその場に30分程度いたけど、その間に何組も入れ替わり立ち代り。撮影だけ済ませてさっさと去っていくだけなんて味気ない。しかも周囲にいる人を押しのけて。正直、私が「観光旅行」や「団体旅行者」を快く思わないのは、こういう人が多いからである。私が一人なのをいいことに「シャッター押してください」と数人に頼まれた。若い頃の私なら無視したり怒ったりしたろうけど、思わず愛想笑いでそれに答えてしまった自分が悲しくもあった。「ただ撮影するだけ」じゃあ、後に残るのは写真と「実際にそこに行った」という事実だけ。まあ、「それでいい」って人もいるだろうけど、その騒ぎに巻き込まれたこっちはたまったもんじゃない。一方でカメラを抱えた老人が来て、「さっきまで霧がかかって見えなかったけど、今は晴れてきれいに見える。この時間に来た人はラッキーだね」などと解説していた。まあ、そう思うことにしよう。
とはいえ、道東の5月上旬ってのは、九州や本州の3月中旬ごろにあたる。つまり、まだ緑の草や木の葉は見当たらず、あたり一面枯れた野原と緑の葉のない木立のみ。なので、「きれい」とは素直に思えなかったのは残念。5月下旬になれば、少しずつあたり一面緑色になってもっときれいだということだけど。辺りが暗くなったので山を下って再び釧路湿原駅へ。街灯もない薄暗い無人駅で30分ほど待っていたら、釧路方面行きの列車が来たのでそれに乗って釧路駅まで戻る。そして駅近辺のホテルに移動。2日目はそこで宿泊した。
この日の朝食:札幌駅で買ったパン
昼食:なし
夕食:釧路駅で買った駅弁:かきめし、さんま寿司
■2008/5/11 念願の北海道放浪4 ■釧路湿原展望台へ
釧路に来て2日目。先日も述べた通り、釧路湿原の有名な展望台は、西側の端の釧路湿原展望台と、東の端の細岡展望台の2つがある。前日に行ったのは細岡展望台。なのでこの日は釧路湿原展望台の方に向かう。交通機関で行くとなると路線バスで行くしか方法はない。前も述べたとおり、今回は「交通の便が悪い」ことは事前に分かっていたから、出発前にネットで時間を調べる等して準備は万端。釧路駅前のバスセンターからバスに乗る。
しかし、やはりこの道東エリアは交通の便が悪いから「レンタカーで移動」という手段を選ぶ人が多いんだろう、本数が少ないわりにはバスに乗っている人はまばら。しかも、決して「観光用路線」でもない、ごく普通の路線バスだから、地元住民と思われる乗客の方が多いくらい。そのバスで約40分程度、バスはどんどん郊外へ進み、やがて山道に。山を登りつめたところが展望台だった。
しかし釧路湿原展望台は、前日に行った細岡展望台と異なり、大きな塔のような建物があって、しかも入場料まで払わなきゃいけない。ただ、事前にネットで調べたら、「この展望台の周りには遊歩道があり、そこを15分程度歩いて山奥に行ったところにサテライト展望台がある。そちらからの眺めとほとんど変わらない」ということだった。なので、有料の展望台は敢えてスルー、遊歩道を歩いてサテライト展望台に向かうことにした。
しかし「遊歩道」といっても、山の中を延々「木道」が続いている簡素なもの。進めば進むほど深い森の中に。人気もない、車の音もしない、街灯もない。さすがに少し心細くなる。なにしろ、一人歩きしているわけだし。ほんの少し葉や草が「カサッ」っというだけで、思わずビクッとしてしまう。時々、人とすれ違う。しかし連休中だから、家族連れやカップルばっかり。寂しさが増すばかり。
そして15分ほど歩いたら、サテライト展望台があった。ここからの眺めは、前日の細岡展望台からの眺めと同じく、広大な草原が広がっているわけだけど、昨日と違うのは、こちらには川や沼がない。その分、本当に「ただただ広大な大地が広がっているだけ」という印象で、だから悪く言えば「単調」だけど、別の見方をすればより壮大に感じられる。天気も、曇り空や霧の日の多い釧路には珍しい快晴。晴れてはいるけど、最高気温は12度くらい。暑くもないので、とても気持ちよかった。しかも団体客は有料の展望台だけちょっと見て去っていくので、サテライト展望台には昨日のような無神経な連中もいない。とても心地よい時間を過ごした。
■湿原を歩く
で、大抵の人はここで引き返して帰るわけだけど、私は当初から「もう少し歩く」ことを計画していた。実はこの釧路湿原展望台周辺の遊歩道は、展望台周辺を一周するような形で木道が整備されてるんだけど、その道から外れ、山を下る木道もあり、それを下っていくと湿原の中に出る。そして湿原の中には鶴居軌道跡遊歩道という、かつての線路の跡がある。それはまさに「湿原の中の一本道」。「道」といっても、特に整備されているわけでもない、土の上を延々と歩く遊歩道。「上から湿原を眺める」だけじゃなく、本当に湿原の中を歩ける。正直、歩きやすい道じゃないので、観光ガイドなどにもほとんど載っていないらしい。あえてそこを歩いて「湿原を身近に感じてみたい」と思ったというわけ。
まずはサテライト展望台から、さっき来た木道を戻っていくと、分かれ道がある。そこでさっき来た有料の展望台へ戻る道とは違う道の方へ入っていく。この辺も「木道」だけど、終始下り階段と下り坂ばかりで、非常に歩きにくい。森も深くって、さっきの道以上に人気もない。しかも「熊に注意」の看板まで(笑)。「やめときゃよかったかな」と後悔しつつも、さらに木道を下る。途中で自然観測目的と思われるカップルに会う。ただ、人に会ったのはこれが最後だった。その木道を下り終わると、いよいよ「湿原の中の一本道」=鶴居軌道跡遊歩道に出てきた。
しかし本当にまっすぐな一本道。前を見ても人影は一切ない。後ろを振り返ると、はるか向こうに人影が見える。おそらく1キロくらい後ろなんじゃないか・・・。つまり、周りに人気は全くない。当然舗装された道も、車も、そういった「人間の文明」の感じられるものの形跡が一切ない。草と木と青い空があるのみ、その中に鳥の声が聞こえるだけ。ただ立っているだけで心細くなりそう。そこを延々進んでいく。どこまで行っても景色は変わらない。時々後ろで草がカサカサ鳴る音がするので、立ち止まる。ゆっくり振り返ると、鳥が飛んでいく。鳥といっても、鳩やスズメやカラスのような、見慣れた鳥はいない。変わった色の鳥ばかり。野鳥には詳しくないから分からないけど、きっと珍しい鳥もいたんじゃないだろうか。「寂しい」「心細い」反面、自分が「自然の中を一人で歩いている」ことが少し心地よく思われたりもした。ただ、昨日と同じく、まだ草や木が緑じゃなくって、枯れた状態だったのが残念。これが緑だったらきっと、感動的なくらいキレイだったろうに。
しかし、いつまでたってもその景色は変わらない。確かこの道を3キロほど進んだら、音根内ビジターセンターという、自然観測のために来た人たちの施設に辿り着くはずなんだが。そこからバスで釧路市街に引き返す予定だったんだけど、バスの時間も迫っている。「このまま、抜け出せないんじゃないか?」、そんな不安も。ただですら、人気のないところを一人で歩いていて心細いので、余計に不安になった。大体3,40分歩いてきた辺りで、遠くに団体客の姿が。そして看板があり、「約900メートルでビジターセンター」とあった。どうやら、あの観光客はビジターセンターを訪れた人らしい。ああ、何とか着いたらしい。しばらくすると、人の姿がいっぱい。「安心した」反面、「もう終わりか」と少し残念に思えた。基本的に「自然が多く残っている場所」で生活したことがないので、身近に自然を体験できたのは貴重な体験だった。多くの人が言うように、「湿原」=何もない場所ではある。でも「何もない」からこそ、ちょっと神秘的だったりする。これがこの湿原の魅力かもしれない。
■快晴の幣舞橋
ビジターセンター近くのバス停で待っていたら、5分程度で釧路駅方面のバスが来た。事前に時間を調べておいてよかった。バスで釧路市内に戻って、再び昨日行った釧路川に架かる幣舞橋の方へ行ってみる。
昨日は深い霧に包まれていて、向こう岸すら見えなかったけど、今日は快晴。有名な花時計もあったりで、なかなかよい眺め。晴れてるけど暑くないので、風が心地よい。カモメもいっぱいいる。川のほとりにMOOという、バスセンターや商店の入った建物があったので、その中を散策したり、川辺を歩いたりして時間を過ごした。四国放浪の際に書いたけど、「大きな川のある風景」が大好きだから、「もっと長くここにいたい」気分だった。
■3時間もの各駅停車での移動
夕方前に釧路駅に戻る。そこから昨日、釧路湿原駅まで移動する際に使ったのと全く同じ、釧網本線の列車に乗り、今日の宿泊地で釧網本線の終着駅でもある網走へ移動することにした。しかし昨日も書いたけど、釧網本線、「本線」とは名ばかりで、本数は少ない、特急も急行もない。終点の網走まで3時間もかかるのに、1両編成の各駅停車でしか移動できないのは辛い。
昨日と全く同じ列車に乗り込む。昨日と同様、本数も少なく、1両編成、観光地が沿線にいっぱいあるにもかかわらず、決して混雑はしない。しかし観光地ばかりなので、車窓は悪くない。まずは釧路駅を出てしばらくは、左手に湿原が広がる。途中、丹頂の姿も見かけたし、沼や川もある。さらに摩周、川湯温泉等、山の中の温泉地も。大半の乗客はここで降りてしまい、あとは4,5人しか乗客がいない状態に。その後はずっと山の中を進むけど、ところどころに溶け残った雪が。まだ雪が残っているとは・・・。やがて知床観光への玄関口の駅、知床斜里駅に着くと、また乗客が増え始める。そして今度は右手にオホーツク海。原生花園駅という、有名な花畑への入り口の駅もあったけど、周囲はやはり枯れた野原が見えるだけ。やはり道東にはまだ春は来ておらず、「いい景色」になるにはもうしばらくかかるんだなあ・・・。
各駅停車で3時間、網走駅に着く。さすがに「列車での長旅」が好きな私でも疲れきってしまった。しかし網走の街、私が想像した以上に何もない街でビックリ。駅前には宿泊施設しかない、夜の7時前なのに駅の売店や食堂はとっくに閉店、駅前に人通りも、車の通りもない。まるで夜9時か10時頃のよう。もっとにぎやかな街、せめて釧路市くらいの街だと思ってたし、時間もまだ遅くないから、もっと賑わってると思ったのに。まあ、日没が早く、冬の寒さの厳しい街だから、日が落ちただけで一気に人気がなくなるんだろう。駅の近くで夕食を済ませるつもりだったのに何もないから、仕方なく駅前のローソンで食糧を買い込み、宿泊先に向かった。でもせめて、駅の食堂くらいは、この時間まで開けておいて欲しいと思う。「夕方5時閉店」はいくらなんでも・・・(笑)
というわけで、この3日目が今回の5泊6日の中では一番充実した一日でした。
この日の朝食:ホテルの無料バイキング
昼食:生鮮市場「和商」内の蕎麦屋の「かきそば」
夕食:ローソンで買ったパンと弁当
■2008/5/13 念願の北海道放浪5 ■雨と寝坊でイレギュラー
4日目、この日は道内どこも天気が下り坂で、一日中雨の地域や、昼以降雨になる地域も。雨ということになれば、傘をさして外を歩き回らなければならなくなるし、天気が悪いと景色がよく見えなくなるスポットもあるしで、今回のような「観光スポット周り」的な旅行をする上では、不自由この上ない。前日の夜に天気予報を見た時点で、「なんとなく気が乗らない」状態になっていたこともあってか、思わず寝過ごしてしまった。しかし、外を見ると、まだ網走は曇り空で、雨は降っていない。とはいえ、今日行くつもりだったのは、摩周湖や阿寒湖、つまりもっと釧路寄りの地域。釧路方面は朝から雨という予報だったから、「どうせ雨だし、気が乗らないなあ」と思っていたというわけ。
本来は「北見までJRで移動して、北見からバスで阿寒湖に移動、そこからさらにバスで摩周湖に移動、摩周湖からJR摩周駅に移動して、そこからJRで網走に戻る」という計画を立てていた。だけど北見までJRで移動できたとしても、寝過ごしたせいで北見からのバスにはもう間に合わない。なので、このコースは断念。しかも「雨の中、傘をさして山の中の湖を廻る」のも、なんとなく気乗りしない。でも、せっかくここまで来たんだから、阿寒湖か摩周湖か、せめてどっちかには行っておこう。とりあえず網走駅から徒歩7,8分のところにあるバスセンターに行って、「バスはないかな」と調べてみる。しかし、バス路線などない。こうなれば、とりあえず昨日、釧路から網走まで移動するのに使ったJR釧網本線で摩周駅に行き、そこから摩周湖に行こうと決める。とはいえ、交通機関の本数の少ない地域、こういう「行き当たりばったり」の計画で、本当に目的地にいけるのかどうかはすら怪しい。でも、とりあえずやってみることにした。
■摩周駅に行ったのはよかったが・・・
バスセンターから網走駅に歩いて戻り、JRの時刻を調べる。本数の少ない釧網本線だけど、偶然にも30分も待てば次の列車が来る。おお、これはラッキー。安心したところで朝食を、駅弁でも買おうかと思ったら、朝9時過ぎだというのに店が開いてない。おいおい、夕方5時閉店なのに、朝の9時に開いてないって、一体この店、何時間空けてるんだろう(笑)。仕方ないのでローソンでオニギリを買って待合室で慌てて食べる。そして釧網本線の列車に乗り、約2時間ほどで摩周湖の入り口の駅、摩周駅に着いた。網走は曇り空だったけど、やはりこの辺りは雨。折り畳み傘を開いて外に出る。
しかし、駅に着いたのはいいけど、当然近くに湖があるわけじゃない。駅にある観光マップなどを見ると、ここから何キロもあるらしい。しかも駅の周りには何もなく、バスターミナルなどがあって賑わっているのは、駅から車で5分程度かかる摩周温泉という一帯のよう。天気がよければ、「歩こう」とか、「調べよう」とかって気にもなるけど、傘をさした状態なのでよく知らない場所を長時間歩く気にはなれない。タクシーも停まってるけど、「タクシーで観光する」なんて発想は私にはない。よく見るとバス停がある。ひょっとすると、このバス停からバスに乗れば摩周湖の見える展望台や摩周温泉に行けるのか?と思って時間を調べたけど、なんと、ちょうどよい時間のバスがない。あと1時間ちょっと待てばバスが来るみたいだけど、問題は交通の便が悪くて本数が少ないから、「遅い時間になると帰って来れなくなる」という危惧もあるので、迂闊に「1時間以上バスを待って、そのバスで移動する」勇気もない。結局、入り口の駅まで来ながら、そこから移動することは出来なかった。
■計画ミスで空虚な1日に
やはりといおうか、この地区はレンタカーなどで移動して観光する人が大多数のよう。駅には次から次に車がやってくる。だけど、どうやら「ドライブイン代わり」に利用されているようで、駅に備え付けてある観光マップだけ持っていく人や、トイレだけ済ませてさっさと車に乗って去っていく人ばかり。天気がよければ、歩きだろうと、一人っきりだろうと、全然気にならないんだけど、さすがに「傘をさして見知らぬ場所を一人で歩き回る」のは辛かった。結局、私は摩周湖に行くことを断念した。やはりこの日、行く予定だった阿寒湖も、ここから車で移動すれば決して遠くない。しかし、この摩周駅から阿寒湖に移動できる公共交通機関はない。釧路まで出れば行けなくもないけど、今日の宿泊地も網走。もし今から阿寒湖に行った場合、その日のうちに網走に戻る方法は皆無。そこで阿寒湖に行くのも諦めた。
「天気が悪い」「寝過ごした」「交通機関のみでの移動」という、悪い要素が重なり、結局この日はどこへも行けずじまい。「交通の便が悪い」事は事前に分かってたんだから、もっとゆったりした計画=1日に1箇所ずつ、ゆっくり見て廻る計画を立てた方がよかったのかもしれない。または「湿原しか見ないで5泊6日」「阿寒湖と摩周湖だけしか行かないで5泊6日」とか。私の立てた計画は、車で気軽に移動できる人並みの過密な計画だったようで・・・。行けなかった摩周湖や阿寒湖は、また別の機会に・・・。といっても、今回の北海道訪問も、実に10年ぶり。「行きたい」と願っていたにもかかわらず、10年もかかってる。一体「次の機会」っていつになるのやら・・・。
JR釧網本線で摩周から網走に戻る。列車の本数が少ないこともあって、Uターンして戻ってきたら、もう夕方5時過ぎ。やはり例の食堂兼弁当屋は閉店準備。食事をするところがないのか、と思っていたら、駅前にビクトリアがあったので、そこで夕食を済ませ、さっさとホテルに戻る。ホテルに戻る頃になって網走ではようやく雨が降り出す。昨日と一転、何にも収穫のなかった1日にガックリしつつ就寝した。
この日の朝食:ローソンのオニギリ2個
昼食:摩周駅前の食堂の、北海道名物の豚丼
夕食:ビクトリアのハンバーグ
■2008/5/14 念願の北海道放浪6 ■ちょっとだけ「世界遺産」体験
5日目。朝起きたら外は雨。早朝の天気予報では「今日は全道的に晴れ。今はまだ雨が降っている地域も、昼前には回復する」とのこと。昨日、天候を気にしすぎて動けなかったし、予報でも「回復する」といっているので、今日は余計なことは考えず、事前の予定通りに行動することにした。世界遺産にもなった、知床方面に「ちょっとだけ」行ってみるというのが今日の予定。
なぜ、「ちょっとだけ」なのかというと・・・。この地域に詳しい人ならご存知の通り、知床地区は日本で一番春の訪れが遅く、知床半島の北側の拠点ウトロと、南側の拠点・羅臼の間にある知床峠が、雪が完全に消えて、「いつでも自由に通行できる」ようになるのは、5月末〜6月以降。5月上旬はまだ雪が残っているので、その日の天候によって「通行可能」になったり、「通行不可」になったりする。今はまだそういう季節なので、一般車両は純粋に「通行できる日」は通行でき、「通行不可」の日は通行できないから、レンタカーなどで訪問する人は、その情報次第で行けたり、行けなかったりする。だけど私は公共交通機関=路線バスで移動しなければならない。バスに関しては、5月上旬はまだ「通行可能な日」であろうとなかろうと運休中で、運転開始は6月以降。つまり、今の時期、交通機関のみで移動する人が知床峠を通行するのは絶対不可能というわけ。その情報は事前に知っていたし、「今回は知床のみを訪問する」くらいのつもりで、知床半島内で2泊くらいしなければ、この地域を隅々まで知ることは出来ないだろうと思っていた。
だから、今回は本当に最初から「ほんのさわりだけ」のつもりだった。網走空港→網走駅→斜里町→ウトロ温泉を結ぶ路線バスがあるので、このバスで知床半島に北側の拠点・ウトロ地区をちょっとだけ訪問する、それがこの日の予定である。
■空港と世界遺産を結ぶバスなのに・・・
網走駅前で待っていたら、先も述べた網走市内とウトロ地区を結ぶ路線バスが来た。始発は女満別空港、しかも観光地に向かう路線なので「混んでいることだろう」と想像していたのに、なぜかガラガラ。まあ、実は知床観光の玄関口は、網走よりも斜里町=JR知床斜里駅近辺だから、斜里からいっぱい乗ってくるだろうと思ってた。ところが、斜里からもほとんど乗ってこず。結局、乗客は私を入れても4,5人、しかも周りの人は明らかに観光客じゃなくって、地元の人のよう。やはり観光は「車で行くのが当たり前」なのか・・・。しかし立派で豪華で大型のバス車両、しかも最寄空港と観光地を結ぶ路線なのに、こんなにも乗客がいないことは、正直カルチャーショックだった。バスを降りると予報どおり雨はやんでいた。
■観光船に乗車
ウトロ地区でバスを降りて、とりあえず観光船乗り場へ行く。知床半島は、奥の方は車での通行も出来ない地区、さらに奥に行くと人も住んでいなくって人が陸上からは入ることもできない地区もある。つまり、船で海上からしか見ることができない地区がある。その観光船で一番メジャーなのは、道東観光開発が運行している「おーろら号」という大型観光船。大型観光船は乗り心地はよく、セキュリティーも行き届いている反面、「陸の近くまで接近することができない」というデメリットもある。ウトロ地区には、実はそれ以外にも小さな船を出している、小さな船会社があちこちに点在していて、歩いているとまるで夜の街のように「勧誘」を受けたりする。ただ、「安全性」「安心感」という観点から、私は最初から「おーろら号」と決めていたので、勧誘を尻目に「おーろら号」の案内所へ急いだ。
とはいえ、実は今の時期は、やはりまだ「春が来ていない」ということもあって、半島の一番先=知床岬までを往復、4時間近くかかる航路は6月からしか運行しないということで運休中。今は半島のちょうど中間のあたり=硫黄山折り返しの1時間半の短い航路のみしか運行されていない。まあ、事前の情報で分かっていたことではあるし、だからこそ今回は「ちょっとだけ知床」の予定だったわけで。
しかし、チケットを買って船乗り場まで行っても、歩いている人など誰もいない。車で乗り付けて船に乗り込む人や大型バスで乗りつける団体客ばかり。でも、それを気にしても仕方ないので、私は足早に船に乗り込んだ。
幸い、陸地の風景がよく見える進行方向に向かって右側の大きな窓の前の席が取れた。周囲は家族連ればかり。ここから約1時間弱は、窓の外を眺めて過ごす。ちゃんと景色を解説するテープも流れていたので、とても分かりやすい。とはいえ、やはり枯れ草と枯れ木ばかり、遠くに見える羅臼岳や硫黄山などの高い山は雪を被っている。「人が足を踏み入れることのできない秘境」を、海から眺めているわけだけど、なぜか感動が薄いのは、やはり「緑色」じゃないせいだろうか。それとも岸から遠いところを航行していて、ガラス越しに見ているせいで「テレビか映画を見ている」ような感覚だったのだろうか。
硫黄山で折り返すと、目の前はただ海だけ。ここからは逆側の窓の方に廻らないと景色は見ない。とはいえ、さっき来た景色だから、ここからは同じ景色になる。「同じ景色になるなら」ということで、席を立ってデッキに出てみる。デッキに出ると、ガラス越しでない分、同じ景色であっても、やはり臨場感がある。全然違って見える。ということで、帰りはずっと、デッキから景色を眺めていた。しかしまだこのあたりは「春」じゃなく、「冬が終わった」くらいなんだろう、30分以上デッキに立っていたら、さすがに寒かったし、ここは一転してカップルだらけだった・・・。
出発したウトロの港に着く。1時間半、意外と短かった。「同じような景色」が続いていたけど、全然飽きなかったし、「もっと見たかった」「もう一回乗ろうかな」という気分になった。きっと、今回は行けなかった硫黄山〜知床岬の風景は、もっと見応えがあるんだろうなあ・・・。
■やはり車が、やはり季節が・・・
船に乗っていた時は、周りの人は「自分と全く同じような人たち」に映ってたんだけど、船から降りるとある者は車に乗ってさっさと行ってしまう、ある者は大きなバスに乗って行ってしまう。結局、私はまた「一人取り残された」様な格好に。そこから見上げると、小高い丘のようにも、山のようにも見える岩がそびえる。「オロンコ岩」という有名なスポット。簡素な階段がついていて、上まで登ることが出来るらしい。じゃあ、上まで登ってみるか。ということで、登り始めたのはいいけど、半分も行かないうちに疲れてしまう(笑)。体を壊してしまった過去もあるので、無理せずゆっくり上がっていく。途中、後ろから人が来るから、先に通しつつ・・・。上まで約7,8分、登って下を見下ろすと、ウトロの街全体が見える。そこでしばらく過ごして、また下へ降りた。
あと2時間後には、バスで網走まで戻らなきゃ行けない。だけど、このオロンコ岩や観光船乗り場から近い観光スポットは、すべて「ここから4キロ先」とか、「ここから8キロ先」とか、書かれている。とてもじゃないけど、そこまで歩いていって、時間通りに戻ってくる自信はない。「熊出没地域」でもあるし(笑)。一応、バスはバスセンターから出てるけど、本数が少ないので、「行ったのはいいけれど、網走行きのバスに間に合うように戻ってくる」ことは不可能。「ここからは動けないな」と思ったので、この地区をブラブラ歩いたり、近くに観光案内所を兼ねた道の駅があったりしたので、そこで時間を潰したりもした。まあ、今回は「たった半日の知床」だから、「いろんな所へは行けない」覚悟はしてたので、前の日のように「堪能できずに残念」という感じはなかった。あたり一面、潮の香りとカモメの声のする小さな集落、ウトロ。天気もいつしかよくなっていたし、ブラブラしていて気持ちよかった。とはいえ、こんなところを「車じゃなく、歩き回っている」人というのも珍しかったんじゃなかろうか。
やがて網走行きのバスが来たので乗り込む。また乗客は私を入れて3名、途中の斜里で2名乗ってきたけど、それでも5名。この「乗り手の少なさ」は、重ね重ね、ショッキングですらある。
■「黄色」の季節
この日の宿泊先は網走からJRで1時間ほどの北見市。一応北見市の方が、この網走地区の中心都市らしい。JR各駅停車で移動するつもりで待合室にいたら、こんなポスターが。全部で4枚あって、「春=黄色(枯野)」「夏=緑(草と木の葉)」「秋=赤(紅葉)」「冬=白(雪と流氷)」とある。そうか、今は「黄色」の季節。この4枚の中で、最も魅力に乏しい。つまり私が道東地区を訪れたのは「黄色」の季節なわけで、やはり「いちばん外れの季節」に来てしまったんだなあと痛感した。
JRで1時間ほど、北見駅に着く。確かに北見の駅周辺は、大きな建物やアーケード街のある街。「シャッターが閉まりまくっていた」釧路よりも都会に見える。ただ、夜7時前なのに、やっぱり店が閉まっていて、人影も少なく、まるで夜9時、10時のイメージ。純粋に道東地区は「朝早く、夜も早い」地区なんだろう。とはいえ、北見は「ただ寝るためだけに訪れた街」。明日の朝、7時過ぎにはもう札幌にたたなきゃいけない。飲食店頭も少なそうだったので、コンビニで食糧を買って、宿泊先に急いだ。
この日の朝食:網走駅前で買ったパン
昼食:ウトロの食堂で食べた、地元の魚を使った海鮮丼
夕食:北見駅周辺のコンビニで買った弁当
■2008/5/17 念願の北海道放浪7 ■早朝から帰路へ
6日目。朝5時半起床。この日は宿泊先の北見から札幌に移動して、あとは飛行機で福岡に帰るだけ。つまり最終日は「ただ帰るだけ」。正直言えば、「最後の日もゆっくり10年ぶりの北海道を堪能したい」気分ではあったけど、北見から札幌までJRの特急を使っても5時間近くかかるし、飛行機に間に合う時間に札幌に着く特急は、北見発が朝の7時過ぎの始発しかないので仕方ない。起きたらすぐに身支度をして、北見駅に向かった。結局、北見には「ただ一泊しただけ」だった。
北見から特急に乗ったのはいいけど、やけに古い車両、単線で車やバイクに抜かれるほどスピードも出ていないし、かなり険しい山奥ばかりを走るので、「距離のわりには時間がかかりすぎる」という印象。本当に車窓も山奥で、あたり一面、まだ雪が残っている地域や、民家が全くない森などを抜けていく。途中、エゾジカの姿も見かけた。「道東は道路や線路沿いでもよく鹿の姿を見かける」という話だったけど、結局、鹿の姿を見たのはこれが最初で最後だった。
4時間ほどで旭川に着く。旭川〜札幌間は、JR北海道で最も本数も利用客も多い区間。なので、以降は複線だし、平野ばかりだったので、突然スピードが速くなった。地図などを見ると、北見〜旭川間と、旭川〜札幌間って、距離は同じくらいなのに、所要時間は前者は4時間、後者は1時間。旭川までは、いかに険しい山の中ばかり走ってるのかが分かる。しかし列車に5時間も乗りっぱなしってのは、新幹線で東京に行く時くらいしか思いつかない。それほど近年では珍しい経験だったので、さすがに疲れてしまった。
■10年ぶりの「第2の故郷」との別れ
札幌駅に着いたのはいいけど、飛行機の出発までまだ時間がある。あと1時間くらい、札幌駅近辺で時間を潰すくらいの余裕はありそう。そこで私は、初日と同じく、札幌駅〜大通公園の間の地区を再び歩き回った。
大通公園に行くと、天気もよいし、ちょうど昼休み時ということもあって、観光客だけでなく、地元のビジネスマンなども弁当を広げてくつろいでいたりする。街の真ん中にこんな空間がある、この街の雰囲気って、学生の頃に観光で訪れた時からずっと好きだった。なので、私もしばらくベンチに座ってぼんやり過ごした。周りの建物などは、10年前と比べても大きく変わっているけど、不思議と全体の景色は変わらないように映る。学生の頃に旅行で北海度を訪れた時も、10年前、関東への転勤が決まって引っ越す時も、やはり「離れる前に最後に訪れて時間を潰した場所」となったのは、やはり大通公園だった。そして、いつも「名残惜しい」気持ちでここで過ごしたもの。同時に、いつも「絶対にまた、戻って来たいなあ」と考えていたもの。今回もまた、同様に、ここで「最後の時間」を過ごした。いつかまた、戻って来たい。でも、その「いつか」って、また10年後、20年後になるのかな? いや、大きな病気もしたし、ひょっとすると「最後かもしれない」と思ったりもした。
そろそろ空港に移動せねば、ということで札幌駅に戻る。JRで新千歳空港駅へ。そこからまた飛行機で、福岡へと戻った。
この日の朝食・・・北見駅コンビニの弁当
昼食・・・新千歳空港内の札幌ラーメン屋の「ネギ味噌チャーシュー麺」
夜食・・・自宅で
■2008/5/18 念願の北海道放浪:総括 約10年ぶりの、本当に念願の「北海道行き」だったわけですが、「久しぶりに行くことができてよかった」という想いと、「消化不良だったなあ」という思いが入り混じっている、というのが、今の正直な感想です。
■「よかったなあ」
とにかく「好きでしょうがない場所」「絶対に何度でも訪れたい場所」だったにもかかわらず、関東在住時は経済的な理由で、地元の北九州に戻って以降は、その距離の遠さ故に、どうしても行けずにいた場所。しかも一昨年、2度に渡る入院→手術の際は、「ひょっとするともう、二度と行けなくなるんじゃないか」「死ぬ前にもう一回、行っておきたい」なんてことを考えていた場所。つまり、「想い焦がれた」状態で10年近く過ごしたわけだから、「また戻ることが出来た」という事実は、単純に「懐かしかった」というより、「感慨深い」ことだった。だから「また戻ることが出来た」という点では大満足。冬の厳しさ、特に道路が凍結して歩けなくなるなんてことさえなければ、札幌に引っ越して永住したっていいと思ってるくらいだ。まあ、非現実的ではあるけど・・・。
それに、私にとっては「未知の場所」で、「最も北海道らしさを満喫できそうだから絶対に行ってみたい場所」でもあった道東方面にはじめて行くことが出来たのも、素直に嬉しく思う。かつて札幌や函館に住んでた頃は20代後半、「仕事一筋」で、周りのことなんて目に入らなかったから、「せっかく札幌に住んでるんだから、長期の休みに道内のあちこちを見て廻ろう」なんて発想は全く起きなかった。そして、離れた後で後悔したから、本当にその点でも「念願の」という感じだった。
■「消化不良感」
2日目と3日目、2日間かけてゆっくり見た釧路湿原は、本当に「満喫した」といえるけど、それ以外の場所はほとんど思い通りに廻れていない。5日目に行った知床のウトロ地区に関しては、5月上旬では、季節の関係で見ることが出来ない地区があることは承知していたし、本気で知床をゆっくり見ようと思えば、半日程度じゃなく、知床半島内で1泊ないし、2泊くらいして、ゆっくり時間をかけなきゃ見て廻れないことも分かってた。だから今回は頭っから「ちょっとだけ」のつもりだったから、まあ仕方ないと思える。
ただ、4日目に廻る予定だった阿寒湖と摩周湖は、全く行けずじまい。天候が悪くなることを気にしすぎて、予定を変更したのが失敗。交通の便が悪いことや、大半の観光客は車で移動していることくらい百も承知の上で行った筈なのに、いざ現地に行くと、いろいろ考えすぎたり、躊躇したりで。このあたりは大いに後悔しているとこ。やはり私のように「一人旅」で、しかも「交通機関のみで移動」する者には向かないスポットだったのかもしれない。もちろん、上手く予定を組めば行けるはず。なので、阿寒湖や摩周湖は「次に機会があれば」と思ってるし、知床も「またいずれゆっくりと」と思ってる。ただ、今回「10年待ち続けてやっと行けた」わけだから、一体「次の機会」っていつなんだ? という想いも無きにしも非ず。体のこともあるので、「次の機会」なんてないかもしれないのに。それを思うと「思い切って9泊10日くらいで予定を組んだ方がよかったのかな」という気もしないでもない。まあ、私にとっては久々の「観光地を廻る観光旅行」になったわけだけど、やっぱり私にはこういうのは向かないのかなあ。
それと、季節。何度も述べたとおり、5月ってのは北海道にとっては「春先」。札幌はようやく桜が開花する時期、道東にとっては「やっと雪が解けて、春が来た」時期。九州や本州に住んでると、5月=一面緑になる季節というイメージだけど、北海道は実はそうじゃない。本当に緑になるのは6月末以降。だから知床方面の交通機関がきちんと運行し始めるのも6月以降。つまり5月初頭の時点では、どこへ行っても枯野と、葉のない木立ばかりで、殺風景にしか見えなかったのが残念。ちゃんと「満喫した」つもりになってる釧路湿原だって、「枯野」と「一面の緑」では、全然印象が違ったはずだ。まあ、私は6月〜9月に連休を取るのは絶対困難な身だから、今行くしかなかったわけだけど、やっぱり「季節が違っていれば」と思う。だからまた、ここでも「次の機会は季節を選んで」と思うわけだけど、でも「次っていつなんだ?」となってしまう。
・・・というわけで、「10年ぶりに行きたくてしょうがなかった場所に戻ることが出来た」ことは感慨深いことだったけど、一方で「ちょっと失敗したな」と思うところもある。とはいえ「次っていつなんだ?」と思う反面、私が健康で、きちんと生きている限りは、必ず「次の機会」はある。私自身の中に「第2の故郷」という想いがある限り、時間さえ許せば、必ず行く機会はあるはずだ。せめて私が関東在住であれば、2,3年に一回は訪れたいんだけど・・・。
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