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■2008/10/19 少年の日に憧れた列車(ブルートレイン廃止) ここに何度も書いてきたとおり、私は小学生の頃(昭和53〜55年頃)は鉄道ファンでした。その頃一番憧れ、「いつか乗ってみたい」と思っていた列車が寝台特急=ブルートレインでした。特に私は九州在住なので、当時は九州から東京、名古屋、大阪方面行きの多くの寝台特急が運行されていた。「あさかぜ」「さくら」「みずほ」「明星」「彗星」「金星」「なは」「あかつき」・・・。それが「ただ通過していく」のを駅や線路沿いで眺めては「いつか乗ってみたいなあ」と思っていたというわけ。一方で、当時既に新幹線が開業していたから、関東や関西に出る「足」の主流は既に新幹線の方になっていたので、「身近な乗り物」という感じもしなかった。だからこそ余計に「憧れ」のような気持ちを持っていたのかもしれません。とはいえ、鉄道ファンではなくなった中学生以降は、「まだ走ってるの?」「時間がかかる上に値段も高いし」という程度の、冷めた目を向けていたのも事実。実際、高校以降、受験、就職活動、ライブ、引越し・・・などで地元と関東や関西の間を行き来する機会は何度もあったけど、「寝台特急で移動する」なんて発想は、全く起きなかった。
ところが、その時代の流れに負けてか、1990年代以降、1本、また1本と、九州と関東、関西を結ぶ寝台特急が廃止になっていき、遂に来年の3月で、2本だけ残っていた「はやぶさ」と「富士」が廃止されることが決定。これによって、「九州発」の寝台特急は全部姿を消すことになる・・・。そのニュースを聞いた時、突然あの頃の「ブルートレインへの憧れ」のような気持ちが再燃してしまいました。「大人になったら絶対、必ず1回は寝台特急で東京に行きたい」、いつもそう思い続けていたもの。1990年代初頭、学生時代に北海道旅行した際、大阪〜青森間は寝台特急「日本海」で移動したので、ブルートレイン自体「まったくの未経験」ではないけど、「九州から東京行き」にせめて一度は乗らないことには、きっと未練が残るだろう。
というわけで、来月のザ・フー来日公演のための「関東行き」は、寝台特急を使うことに決めました。しかし、15時間近くもかかるし、しかも5時間で着く新幹線よりもずっと値段も高い、やはり「もうすぐなくなる」ということでもなければ、「使いたい」とは思わない。でも、本当に「もうすぐなくなる」「最初で最後になる」わけだから、たとえ金や時間がかかろうと、たとえ疲れてしまっても、眠れなくっても、それでも「乗りたい」。ザ・フーの単独来日公演は、今後私にとっては「最初で最後の東京行きブルートレイン乗車」とセットで思い出すであろう、一生の思い出になりそうだ。
■2008/11/19 最初で最後のブルートレイン(1) 先日も書いた通り、小4〜中1くらいの頃の私は鉄道ファンで、その頃、最も憧れを抱いていた列車が寝台特急=ブルートレイン。その中でもやはり最も思い入れが強かったのは、地元・九州と東京の間を往復していた「あさかぜ」「みずほ」「さくら」「富士」「はやぶさ」。だけど「料金が高すぎる」ことや「時間がかかりすぎる」こともあって、一度も乗車することもなく、しかも中2の頃に鉄道ファンでなくなって以降は、ほとんど気にも留めていなかった。ところが、90年代半ば以降次々に廃止になり、遂に残るは「はやぶさ」「富士」のみに。しかもその2本も来春には廃止が濃厚・・・。というわけで「なくなってしまう前に、あの頃の『一度は乗ってみたい』という願望を叶えておきたい」と思い立ち、今回の上京時の「行き」は、その寝台特急=ブルートレインでの移動となった・・・、ということは、先月もここに書きました。ブルートレイン自体は90年代初頭、学生時代に北海道一人旅をした際に、大阪〜青森間の「日本海」に乗車経験はあったけど、こと九州で生まれ育った者にとって「東京行きのブルートレイン」というのは「別格」なわけで。事実、多くの映画、ドラマ、小説の舞台として使われたり、チューリップ、甲斐バンド等福岡出身のアーティストの多くが「東京行きの夜汽車での移動」を歌ったりしてきたわけだし。
15日の夕方、最寄り駅→北九州市の中心駅小倉まで各駅停車で移動してコンコースで駅弁を買い、改めて各駅停車で寝台特急「はやぶさ」に乗り込む九州最後の駅、門司駅まで移動する。ホームで「はやぶさ」の到着を待つ。ホームには静岡弁の初老の旅行者の団体、カメラを構えたマニア風の人たちの姿が。そこに入線してきた「はやぶさ」。すると乗客が一斉にホームに降りてきた。実は門司駅で先導する機関車の交換と、大分から来た「富士」との連結作業があるので、20分以上停車する。なので乗客はその「作業」を見たり、カメラに収めたりするために降りてきたというわけ。「既に時代遅れの寝台列車なんかに好んで乗るのは、鉄道マニアしかいない」と聞いていたので、「ああ、やっぱりマニアばっかりなのか」と嫌な予感が。だけど、その作業を撮影したり、見学したりしているのはマニアだけじゃない。新婚カップル風の人、年配の旅行者、家族連れなど様々な人が。周囲の人を押しのけて撮影する、私が嫌いなタイプの無神経な鉄道マニアの姿もあったけど、笑顔で記念撮影する家族連れ、新婚カップルもいたりで、意外と和やかな雰囲気だった。ああ、こういうのも悪くないなあ。私も遠巻きにして、その風景を眺めていた。
作業が終わったので列車に乗り込む。私が予約していたのはB寝台シングル。つまり個室タイプの寝台。以前「日本海」に乗った時は通常のB寝台を使ったんだけど、3人連れの年配の人に囲まれてしまって落ち着かないし眠れないしだったので、「一人旅だし、最初で最後のブルートレインだから、値段が高くっても敢えて個室を使おう」と思って個室を予約していたというわけ。とはいえ、同じ個室といっても広々とした「A寝台」ではないし、「トワイライトエクスプレス」のような豪華で新しい車両でもないので狭苦しく感じる。個室だけじゃなく、通路も狭いし、トイレ、洗面台なども狭く、古い。ところどころにJNR(国鉄)マークまで! まあ、国鉄時代からの古い車両だから仕方ないんだろうけど。でも、だからこそ逆に「昔懐かしい昭和の頃の国鉄」を思わせるものがあって、そこは「かつての鉄道ファン」の私にとっては懐かしく思えた。
早速、小倉駅で買った駅弁を広げる。しかし、駅弁を列車の中で食べるのって何10年ぶりだろう。今では新幹線も、在来線もスピードアップして、すっかり便利になったのはよいけど、逆に車内はいつも「乗っていてもせかされる=落ち着かない」雰囲気で溢れているから、車内でゆっくりくつろぐ、まして「弁当を広げる」なんて気分には全くなれない。鉄道ファンは卒業したけど、今でも「鉄道でのんびり移動するのが好き」な私といえども、「ゆったりした気分で車内でくつろぐ」ことなんてなかなかできない。だけど、今乗っているのはブルートレイン=寝台列車。車内で一晩過ごすわけだから、本当にゆったりした気分で車窓を眺めながら弁当を食べた。
とはいえ「車窓を眺める」といっても、門司駅で乗車したのは夜の7時過ぎ。外は真っ暗で、外の様子は良く分からない。なので、わざと室内の電気を消し、読書燈のみをつける。すると車内の方が外より暗くなるので、いくらか車窓が見えるようになった。山口県内の駅のいくつかに停車するが、夜9時過ぎ=乗車から2時間たってもまだ徳山。新幹線だったら2時間乗ったらもう大阪の手前なんだが。本当にゆったりと、静かに時間が過ぎていく。通路を走り回る小学生の声、駅に停車するたびにカメラを持って走り回るマニアの足音が少し気になるけど、個室にいる分「迷惑でしょうがない」ほどでもない。ベッドに横たわって車窓を眺めつつ、iPodでザ・フーの曲を聴きながら、ゆったりとした時間を過ごした。とてもよい気分。
夜9時半過ぎ、下松駅(山口県内)を出た直後に、車掌の「おやすみ放送」(今日の放送はこれで終わります、という趣旨)が流れた。10時半過ぎに広島駅に到着、土曜日の夜ということでホームに人が溢れかえっていて、セカセカしている。その様子を眺めているうちに眠くなったので、ちょっと早いけど消灯して就寝した。正直、かつて「日本海」に乗車した時は、周りを取り囲む3人連れの会話が気になって全く眠れなかったので心配してたんだけど、今回は個室、途中で2回ほど駅に到着する際の揺れが気になって目が覚めたのを除けば、本当にゆっくりと熟睡できた。とてもよい時間を過ごしている・・・、そんなことを実感しつつ・・・。
■2008/11/20 最初で最後のブルートレイン(2) 途中で2回ほど停車時の揺れで起こされた以外は、本当にぐっすりと寝ていました。そんな中、朝6時半を過ぎた頃、車掌の「おはよう放送」が流れる。それを聞いてはじめて目が覚めました。放送によると「まもなく浜松到着」とのこと。眠っている間に随分移動してきたんだなあと実感。カーテンを開けて外を見る。浜名湖が見える。しかし天気はあいにくの雨。天気がいい日であれば「朝日に映える浜名湖で目覚め」になるらしいけど、天気が悪くてそれがちょっと残念。
同時に「ただいまから弁当、飲み物等の車内販売を開始します」とのアナウンスも。私が寝台特急に憧れていた約30年前は、まだ食堂車が連結されていたから「ブルートレインに乗ったら朝食は絶対に食堂車で」と思ってたんだけど、今やJRで食堂車が連結されている列車など皆無に等しい。なので、車内販売で我慢。とはいえ、12両編成で通路がとても狭いので「廻って来るのを待つ」のでは売切れの心配がある。なので、販売を実施している車両に買いに行くことにした。移動中、他の車両を通り過ぎたけど「平日は乗客がほとんどおらず、空気を運んでいる状態の日もある」という噂がうそのように、通常のB寝台も満席状態。まあ「土曜の夜から日曜日の朝にかけての運転」だからなのかもしれないけど。談笑したり、浴衣姿で歩き回ったり、洗面台に人が群がっていたりと、車内はのんびりムード。そこでまた駅弁を買い、同時に車内備え付けの自販機で飲み物を買う。そしてこの日の朝食も、個室で車窓を眺めながら、のんびりと駅弁を食べる。前日の夜同様、私自身も、車内の空気も、実にのんびりしている。ただ、浜松到着時で朝6時半、東京着は9時58分、この雰囲気を満喫できるのはもう、あと3時間ちょっとしかないのかと思うと急に寂しくなった。
その後、静岡県内のいくつかの駅に停車。実は富士山と富士川の見える、富士市周辺の車窓を眺めるのを楽しみにしてたんだけど、天気が悪くて富士山は全く見えず。これは心残りだった。それにしても静岡県内の各駅、浜松、静岡、富士、沼津で下車する人が実に多い。前日の門司駅のホームでも静岡訛りの人を見かけたし、意外と「九州から静岡県へ」移動する人にとって、寝台特急は今でも重要な足になっているのかもしれない。だとすると、静岡県といえば「無謀」といわれる新空港開港を控えているわけで、「寝台特急廃止」はひょっとすると「空港を成功させたい」静岡の自治体の働きかけもあったのかも、などと邪推してしまった。
目が覚めて以降は車内の時間の流れが急に早まったかのようで、あっという間に関東地方に。小田原を通過する際に小田急の電車が見えたり、横浜が近づいて併走するレールの数が多くなり始めたところで「ああ、もう首都圏か、じゃあもうすぐこの旅も終わりか」と寂しくなった。「少年時代に憧れていた」列車ではあるけど、「金がかかる割に時間がかかりすぎ」「安心して眠れそうにないし、降りる頃には疲れそう」という不安を持っていたのも事実。だけど、想像していた以上に良く眠れたし、何年かぶりに「ゆったりした車内での時間」を過ごせたしで「乗ってよかった」と思った。同時に「本当に心底憧れていた少年時代に乗っておきたかった」という後悔もあり、「もうすぐ廃止になりそうだけど、出来ることならまだ何度も乗りたい」気分にもさせられた。でも、本当に来年3月で廃止になるとすれば、1〜3月が1年で最も忙しい私の生活を考慮した時、その願いが叶うことは絶対ない。「廃止撤回」にでもならない限り、これが本当に「最初で最後」になってしまう。そのことを思うと寂しく、悲しく思われた。横浜駅発車後、車掌が個室の鍵の回収に来た。私は「ありがとうございました。ご苦労様です」と思わず声かけた。
そしてとうとう定刻通り、11月16日午前9時58分、東京駅着。ホームに降りるのも、ホームを後にするのも名残惜しく、思わずしばらくホームに留まっていた。東京駅でも撮影をする人たちがいっぱい。先に機関車だけ切り離されて、「お別れ」といわんばかりに汽笛を鳴らしてホームから離れていく。それを見送って私もホームを後にした。
しかし、やはり廃止はもったいない。飛行機や新幹線の方が時間は3分の1程度しかかからず、しかも安い。だから「なくなってしまう」のは仕方ないのかもしれない。だけど私は、飛行機や新幹線での「移動」は、単なる「輸送」であって「旅」ではないと思う。「旅」というのは、単に「長い距離を乗り物で移動する」ことではなく、途中の景色を眺めて「ああ、いろんな地域を通り過ぎているんだな」とか、時間がかかることによって「ああ、本当に遠くへ来たんだなあ」とか実感する。そういった「旅愁」のようなものを感じつつ、ゆったり、リラックスした気持ちで「移動すること」それ自体を楽しむことではないでしょうか。もちろん「時間をかけずに早く移動する手段」も必要だし、大事だということは良く分かるけど、だからといって「ゆったりした移動手段」は一切不必要ということにはならないはずだ。移動する目的によって使い分ければよいだけ。「ゆったりした移動、旅行」を楽しみたい、そういう時のために、最後の九州→東京のブルートレイン=はやぶさ・富士だけは残して欲しいと思う。「いや、平日はガラガラなんだよ」っていうことであれば、土日祝日のみ運行にするとか、夏休みや春休みのような行楽シーズンのみの季節列車にするとか、何とかして残せないものだろうか。ただ「残す」ためには、料金をもっと安くすること(カプセルホテル並みにすれば、「宿泊しながら移動できるお得なホテル」としてもっとアピールできるはず)、車内をもっとキレイにすること(シャワーが欲しい)も必要でしょうけど。可能性は低いけど、万が一、廃止されずに残った時は、必ずまた利用したいと思う。
「少年時代の夢が叶った」一方で、「また乗ってみたい」「でももう最後」という、複雑な気持ちも芽生えた、そんなブルートレイン初体験でした。
■2008/11/24 その他、2008年11月の上京に関して (事実上「こちら」の続き)その後、すぐに大宮まで移動してザ・フーのさいたま公演を見たわけですが、先日も書いた通り、「音楽ネタはすべてサイト本体で」というポリシーを貫きたいので、ライブに関してはここでは一切触れません。
■よく考えれば上京は4年半ぶり
先日も書いた通り、上京したのは4年前の5月連休の時以来。2001年に住み慣れた、そして永住するつもりでいた関東から地元・北九州に「やむを得ない事情で」戻ったこともあり、ずっと「いずれは関東に戻りたい」「関東にいる方が落ち着く」「関東での生活の方が自分の性にあっている」と思い続けていたもの。だから前回上京した際は「まとまった休みがあるから、自分にとって本当に落ち着ける場所で過ごしたい」と考えて、特に予定もないのに上京したわけだけど・・・。この4年の間体を壊し、一時期は「二度と普通に生活できないのではないか」という状況にまで追い込まれたこともあってか「一生地元から出て行くことは出来ないだろうし、もう無理して出て行く必然性もなかろう」と無意識のうちに悟ってしまった。
だから、別に「久々に上京したから」といって特に感慨もないし、思い入れも感じない、単に「久々によく知っている場所を訪れた」程度で、気持ちは実に冷めていた。特に「音楽的生活」から離れてしまったせいか、「レコ屋に行きたい」という気は全く起きなかった。本当に「久しぶり」だったにもかかわらず。正直、都内で「本気で行きたい」場所なんて、レコ屋くらいしかなかったわけで・・・。そのレコ屋にすら「別に行きたくない」わけだから、上京したからといっても別に「行きたい」ところなんてない。一応ライブの翌日の17日は新宿や御茶ノ水など、かつては「大好きだった場所」を散策したけど、大きな変化もないし「久しぶりに訪れた」って感じもしないし、特別「行きたい場所」もないしだったので、ただブラブラ歩き回っただけだった。いや、あと1日長く滞在できていたとすれば、もっと行きたい場所もあったんだけど。
■味気ない新幹線
東京からの帰りは新幹線を使った。行きは寝台特急で15時間もかかったのに、新幹線では4時間45分程度で地元に着く。確かに「早くて便利」ではあるけど、乗っている間途中で慌しく人が乗り込んでは降りてゆき、また乗り込んでくる、その繰り返しで全く落ち着かなかった。とにかく、長距離列車であるにもかかわらず、車内の雰囲気が慌しく、どことなくせかされているかのような気分だった。だから乗車時に弁当を買って乗ったものの「広げてゆっくり食べよう」という気持ちすら起こらなかった。
先日のブルートレインの時にも述べたけど、やはり新幹線は「目的地に早く移動する手段」ではあるけど、「旅をする」手段ではないなと思った。やはり「移動手段」と「旅の手段」は共存共栄させるべきでは? 少なくとも新幹線は早く便利ではあるけど、「新幹線で旅をしたい」とは私は思わない。実は初代新幹線車両が今月いっぱいで全廃されるとかで、鉄道マニアはそっちにも注目しているらしいけど、私はそっちには興味は湧かない。
・・・というわけで、事実上2泊3日の4年ぶりの上京だったけど、目的が3つもあったせいで、慌しく、落ち着かない3日間でした。
■2009/4/19 はじめての「山陰放浪」(1) 地図で見る以上に遠くて時間のかかる移動
4/3の朝、地元の北九州を出発する。しかしJR山陰本線は本数も少なく、時間も異常にかかるので、とりあえず在来線だけを使って北九州→下関へ、下関から山陽本線(つまり太平洋側)で新山口へ。さらにそこから内陸(山口市)を通り抜ける山口線を経由して日本海側の山陰本線益田に抜けて、鳥取方面に至る「特急スーパーおき」に乗車して移動する、という経路をとることにした。国鉄時代は博多から直通の山陰方面への特急もあったんだけど・・・。
その新山口〜初日の宿泊地・松江に移動するのに使った特急スーパーおき、地図で見ればそれほど長い距離とも思えないのに、実に4時間もかかる。しかもわずか3両編成で自由席は1両しかないし、さらに車内販売すらない、車内の設備も貧弱。観光地ばかりを通り過ぎるので、いつも益田から先はずっと異常に混んでいるし、車内販売がないから途中でのどが渇いても飲み物も買えない。交通の便の悪い地方だから今でも鉄道での移動が主流のはずなのに・・・。昨年5月に行ったJR北海道の特急と比較すると、あまりのサービスの悪さに驚く。「鉄道での長旅」を好む私といえども、すっかり疲れてしまったし、「もう少し何とかならんもんか」と怒りを感じた。
とはいえ、車窓はとてもきれい。ずっと日本海沿岸を走行するんだけど、人の手がほとんど入っていない。太平洋側って、大抵海岸線がコンクリートで固められていたり、堤防だらけだったり、遠くに工場の煙が見えたりするんだけど、日本海側はそれがない。ほとんど人の手の入っていない砂浜、松林、断崖絶壁・・・。荒々しいけどとても美しい景色が続いていたから「車窓を眺める」分には退屈しなかった。
出雲市を過ぎると、車窓は海ではなく、湖、つまり宍道湖に変わる。この景色もなかなかよかった。ただ、この日は生憎の曇り空。天気がよければ、もっとキレイだろうに・・・。
松江での初日
夕方5時前になって、ようやく松江駅に着く。意外と都会的な大きな駅で人もいっぱいいる。宿泊予定のホテルに行く前に、ちょっと市内を歩き回ろうと思って近くを徘徊する。ただ、ほとんど下調べなしに訪問したので「どのあたりが市内で最も賑わっているのか?」「有名なスポットはどのあたりなのか?」ほとんど理解しておらず、どこを歩いても商店もなく、有名なスポットもない。どうも「賑わっている場所」も「有名なスポット」も、歩いて数分で行けるほど近くないらしい。1時間くらい歩いていたら疲れてしまったし、天気もあまりよくないし・・・。「宍道湖の夕日」は有名らしいけど、この悪天候では夕日も見えまい。ということで、この日は部屋で食べるために駅で買った弁当を持って、さっさと宿泊先で休むことにした。
突然の雨の2日目
2日目の4/4は朝から悪天候。テレビの天気予報も「午後から雨」と言っている。「今日も宍道湖の夕日にはお目にかかれないか」じゃあ「とりあえず市内を歩き回ってみよう」と思い立つ。ホテルの朝食、名物のあごちくわ、割子そば(出雲だけど)、シジミ汁が出て、この日の朝は「ありがたい」と思ったけど、結局滞在中どこへ行ってもこの3つばかりが出てきたので、段々ありがたみを感じなくなってしまったのが辛い。
とりあえず宍道湖にかかる宍道湖大橋を歩いて渡って市内の北側の方に行ってみる。地図で見ると「歩けそうな距離」だけど、実際に歩くと30分近くかかる。だけど、ここは「歩かないとこの場所のよさは分からないだろうな」と感じる。四国放浪時にも書いたけど、私の地元・北九州は、湖はおろか、大きな川もほとんどないので、湖や川のある風景には妙に心引かれるものがある。
どうやら「有名なスポット」や「賑わっている場所」は、この宍道湖大橋を渡った、北側らしい。しかもこの日は「松江城400年」のイベントがおこなわれているようで、随分と人出が多い。桜も満開、観光客だけじゃなく、地元の人でもごった返している。あと、私は地上波テレビの興味がないから知らなかったんだけど、3月まで放送されていたNHKの連続テレビ小説「だんだん」の舞台が松江だったそうで、その影響で余計に「大騒ぎ」という感じだった。知っていたら今回の訪問先に松江を選ばなかったんだが・・・(笑)
昼過ぎ「松江城400年イベント」の一環ということで、大名行列がおこなわれるそうで、交通規制が。ところが「もう少しで大名行列が松江城に着く」というところで、突然の雨。ああ、やっぱり予報どおりか。しかも湖の近くということもあって、強風も吹いていて、折り畳み傘だけでは濡れてしまいそう。行列は中止、ごった返していた人たちは逃げ惑っている。私も傘をさしてこんな中にいるのは嫌だと思ったので、近くにあった一畑電鉄(地元の私鉄)の松江しんじ湖温泉駅で雨宿りすることにした。やはり濡れている人でいっぱい。全身ずぶ濡れの中学生の2人組が、ちょっとかわいそうに思えた。
3時過ぎに小降りになったので、宍道湖大橋を渡って再び市内南側、JR松江駅や宿泊先のある方に戻る。小降りにはなったものの、止む気配はない。やはり今日も宍道湖の夕日は拝めそうにないか。諦めて、とりあえず夕方4時過ぎに宿泊先に戻った・・・。
■2009/4/26 はじめての「山陰放浪」(2) 突然の晴天で拝むことが出来た夕日
「天気も悪いし、有名な宍道湖の夕日も拝めないだろうから」と夕方4時に早々にホテルに引き上げた私。ところが、しばらくすると雨が止み、しかも日が射し始める。そして夕方5時には、1時間前まで雨が降っていたとは思えないほどの晴天に。奇跡的なほどのあっという間の天気の回復だった。じゃあ、宍道湖の夕日でも見に行こうと5時過ぎにホテルを出て、午前中に歩いて渡った宍道湖大橋の方に向かって歩き出す。
一度橋を渡りきって、また宍道湖の北側の岸に出る。岸にはジョギング中の人、家族連れなど多くの人がいる。ただ、まだ「夕暮れ」という感じでもない。そのあたりでしばらく過ごした後、よく見ると日が落ち始めている。「雨上がりの夕暮れ」なので、いつも以上に赤っぽい色になり、あたり一面を夕日が照らしている。おお、なんかいい感じだな。ただ、角度的には北側の岸から見るより、南側の岸からの方が綺麗に見えそうだ。
そこでもう一度、宍道湖大橋を渡って南側の岸に戻る。ああ、ここからの方が正面から夕日が差し込んでくるので、より綺麗に見える。周りにはやはり夕日を見ている人でいっぱい。だけど「見る」ことよりも「撮影する」ことに一生懸命の人ばかり。私はそんな周囲の人のことはお構いなしに、ただただ宍道湖に沈む夕日を眺めていた。しばし、当時抱えていた心配事から開放されたような気分になったし、むしろ「今後どうすべきか?」の結論も自分なりに出したりもした。今までも私は、このような「珍しい光景」「きれいな景色」を前にした場合、「撮影する」よりもむしろ、その「いつもと違う場所」に身を置くことによって、嫌なことを忘れたり、困難に立ち向かう決意を固めたりすることが多かった。だからこそ私は「観光旅行」よりも「放浪」という言葉を使いたくなるのである。
日が沈み始めてから約30分後、完全に日が落ちる。普段は「山の向こうに夕日が落ちる」そうだけど、この日はまだうっすらと雨雲が残っていたので、「雲の中に消えていく」ような見え方だったのがちょっと残念。とはいえ、天気が悪いので「絶対に拝めない」と思っていた宍道湖の夕日に奇跡的に遭遇することが出来たのは、ラッキーだったと思う。ほんの数時間前まで雨が降っていたわけだし。
意外と小規模で狭い? 城下町
3日目の4/5は午後から次の宿泊地、鳥取市に移動。それまでの午前中の時間は、前日雨で行けなかった松江城と、その周辺にある武家屋敷等の古い町並みの方に行ってみる。ただ「古い町並み」といえば、一昨年訪問した松本市や高山市の印象が強くって、それと比べるとこじんまりとして狭い地域に密集している。そのせいであまり印象には残らなかった。やはり松江でいちばん印象に残ったのは、宍道湖の方だった。松江を後にする前の約1時間は、再び宍道湖の湖岸と宍道湖大橋で時間を過ごした。やはり私は湖や大きな川のある風景が一番好きなのかもしれない。
昭和40年代を思わせる街=鳥取
昼の2時過ぎに松江駅からJR山陰本線で鳥取へ移動。ここは予算の都合で特急は使わず、各駅停車のみを利用する。途中の米子で乗り継いで約3時間もかかる。地図を見ればそんなに離れていないのに、山陰での移動はやはり時間がかかるという印象。車窓も山口県→島根県の移動時のように、日本海が綺麗に見える部分も少なく、なんとなく単調だったので結構退屈してしまった。ひょっとすると最近は、以前ほど「列車での長旅」に耐えられなくなりつつあるのかもしれない。途中米子で乗り換えたとはいえ、鳥取に着く頃にはかなり疲れてしまった。
鳥取の駅前に出る。バスターミナルがあり、アーケード街があってと、一見するととても賑わっている街という印象。だけど、どことなく街並みが「昭和40年代の地方中規模都市」という感じ。一歩裏通りに入ると、人影がなくなってしまったり、バス通りの両横の歩道に延々屋根がついていたりというのは、やっぱり「懐かしい街並み」という印象。それは悪い意味ではなくって、最近はこういう街並みにはなかなかお目にかかれないから、純粋に懐かしかった。
1時間ほど近辺を歩き回った後、鳥取駅の駅弁(これまた山陰のどこの駅にもある、蟹を使った弁当)を買ってホテルに向かった。
■2009/4/29 はじめての「山陰放浪」(3) とりあえずの鳥取砂丘と予定変更
翌日の4/6最終日、鳥取といえば鳥取砂丘以外には特に有名なスポットもなさそうだったので、「とりあえず行っておくか」ということで、路線バスで砂丘へ。まあ、イメージどおりか、といった印象。特に長居はせずに、1時間程度で鳥取駅に戻る。当初の予定では「すぐに岡山まで特急で出て、そこから新幹線を使って地元に帰る」予定だったんだけど・・・。
鳥取駅に旅行のパンフレットがいくつか展示してある。その中に「もうすぐなくなる餘部鉄橋」とある。鉄道ファンだった小学生の頃、「日本一高いところにある鉄橋」と多くの鉄道関係の本に紹介されていた有名な鉄橋。一方で国鉄からJRに変わる直前の1980年代後半、鉄橋から列車が落下して、鉄橋の真下の水産加工場に直撃して死者を出すという惨事を招いたことでも有名な鉄橋。明治時代に造られ、見栄えも美しくって、観光客も多く押し寄せることでも知られる鉄橋だけど、「老朽化と惨劇の影響で、コンクリートの橋に架け替えられる」というニュースは聞いていたけど、ああ、本当にもうすぐなくなるんだ。
というわけで予定変更。当初は鳥取→内陸を突き抜ける特急で岡山に出て、そこから新幹線で帰るつもりだったけど、鳥取から山陰線で兵庫県の日本海側を通り抜けて京都へ、そこから新幹線で地元に帰ることにした。
あっという間の餘部鉄橋
(1)でも書いたけど、山陰線って直通の列車が実に少ないので、鳥取から兵庫県方面に抜ける列車の本数は1時間に1本あるかないかレベルだし、各駅停車しか走ってない。兵庫県にある城崎温泉という駅まで出れば、特急もあって、本数も多いよう。そこで各駅停車を乗り継いで、城崎温泉に向かう。沿線は初日同様、断崖絶壁だらけの荒い日本海や、「秘境」と呼ぶにふさわしいような山奥ばかりで、車窓は悪くない。
やがて餘部駅に着く。ここで一度降りて崖を下れば、この鉄橋全体の美しい造形も真下から見ることが出来るらしいけど、時間に余裕がないから「ただ通り過ぎるのみ」とすることに。ちょっともったいなかったかも。鉄橋を見に来たのであろう観光客や鉄道マニアらしき人たちが多く乗り込んでくる。そして餘部駅を発車するとすぐに餘部鉄橋を通り過ぎる。確かに下を見ると「物凄く高いところを走ってるなあ」という気はするけど、あんまり実感は湧かないし、通り過ぎる時間もほんの数秒。「ああ、もう終わりか」という感じだった。しかも既に新しいコンクリート製の橋の建設がはじまっているので、ところどころ土が掘り起こされていたり、ビニール・シートが張られていたり、クレーンが止まっていたり、コンクリートの橋桁が既に建てられていたりで、どう見ても「建設現場」「工事現場」にしか見えず、「きれいな景色」には見えなかったのが残念。もう1年、早く来ればよかったのかも・・・。
やがて城崎温泉駅に着く。各駅停車で2時間近くかかって疲れたので、一度どんなところなのか、下車してみることにした。
実はここがいちばん「風情のある場所?」
城崎温泉駅に降りたのはいいけど、「急な予定変更」で急遽訪れた場所なので、この場所の知識が全くない。どうやら大阪からも、京都からも、神戸からも気軽に来ることの出来る温泉地なので「関西人にとっては有名で、身近な温泉地」らしい。私には全くなじみのない場所ではあるけど・・・。
降りて散策してみると、いかにも「温泉地だなあ」という風景。小さな川があって、多くの石で出来た橋が架かっており、川岸には桜(満開)や柳の並木も。そして川の両端には温泉旅館。浴衣のまま歩いている人もいる。とても風情のある場所だったので、思わずもう一泊したくなったほど。とはいえ、特急の発車時間まで約1時間半しかない。とりあえず、発車時間ギリギリまで、あたりを散策して過ごしたけど、今回訪れた場所の中では、いちばん「いいところだな」と思える場所だった。ここは改めて、もう一度きちんと訪問したいと思った。でも、ひとりで来るのは辛い場所だなあ・・・。
城崎温泉からは特急列車で京都駅へ、車両自体は綺麗だったけど、またしても車内販売なし。しかも「山陰本線直通の列車がほとんどない」不便を改めて思い知らされた。京都からは新幹線で地元へ。3泊4日が終わった。
■2009/11/1 はじめての「北陸放浪」(1) 10月末に4泊5日で北陸を「放浪」してきました。何年も前からここをご覧になっている方ならご存知の通り、時々「現実逃避する」「日常から離れる」「気分転換」を目的に「放浪」するのが私の癖。で、この数年は今まで一度も行ったことがない場所に的を絞ってるわけだけど、今回選んだのが北陸。大学時代(1990年)にJRだけを使った北海道放浪の際に寝台列車で通り過ぎたことはあったけど、ちゃんと訪れるのははじめて。一昨年、高山に行った際に富山や石川に足をのばす予定もあったんだけど、その際はまだ震災の傷跡も残っている様子だったので断念。なので、2年越しで叶った念願だっというわけ。
ただ、ひとくちに北陸といっても意外と広い。最初に4泊5日と決め「どこに泊まるか?」考える。金沢、富山、あとは輪島。ただ富山県の有名スポットは、富山市内からは遠く離れたところが多い。黒部、立山、八尾・・・。おそらく1日に一箇所ずつしか回れない。それを考えれば富山だけで2泊か3泊は必要。そうなれば金沢はともかく、能登半島の奥地である輪島に寄るのは不可能・・・。ということは選択肢はふたつ。ひとつめは「金沢1泊、富山で3泊、能登半島はまた次回ゆっくり」の富山中心の計画。もうひとつは「金沢2泊、輪島1泊、富山は1泊のみで我慢して、また次回ゆっくり」の石川県中心の計画。どちらをとるか迷った末、今回は「石川県中心のプラン」で行くことにした。
■意外と楽しくない北陸本線の車窓
初日、朝9時過ぎの新幹線「のぞみ」に地元の小倉駅から乗車、新大阪で「こだま」に乗り換えて米原へ。さらにそこから在来線・北陸本線の特急に乗り換える。前回、北陸本線に乗車したのは寝台列車だったから、車窓が見える状態での乗車ははじめて。ご存知の通り「なんとなく車窓を眺めながら、列車で長旅をする」のが好きなので、やはり車窓がいちばん気になる。琵琶湖の岸を通り過ぎて日本海側に抜ける路線なので、琵琶湖が見えたり、日本海が見えたりという、綺麗な車窓を勝手にイメージしてたんだけど・・・。琵琶湖の岸を通るのはほんの10分程度、しかも日本海側に出てからも、全く海は見えない。実は「日本海側」ではあるけど、海岸の近くを通っているわけではないらしい。春に山陰を訪れた際と同じような車窓を想像していたのでガッカリ。延々、田んぼや畑、住宅街が続くだけの単調な眺めで退屈してしまい、思わず居眠りしてしまった。
約2時間で金沢に到着。到着したのは昼の3時前だった。
■駅と市街地の離れた街
例によって今回も観光が目的ではなく、事前にほとんど下調べもしないままの「放浪」だったので、駅で降りたのはよかったけど「さて、これからどうしよう」となる。とりあえず荷物を駅のコインロッカーに置く。今日の宿泊先は駅のすぐ近く。とりあえず市内でいちばん栄えている場所に行ってみようと思い立つ。
駅前のバスターミナルや観光マップを見ると、駅からバスで10分程度かかる香林坊や片町という一帯が市街地らしい。バスで10分ということは、歩いたら30分ちょっとか。もともと「長い距離を歩く」ことに慣れているから、とりあえず歩いてみることにした。
金沢の街は、想像していたよりは近代的。駅自体もそうだけど、駅前の大通り沿いも、新しい近代的な建物が目に付く。だけど、ちょっと裏通りを見ると「昭和」そのものの寂れた住宅街だし、あちこち工事中。もうすぐ新幹線ができるとかで、急激に開発が進んでるんだろう。とはいえ、「無理に背伸びしている」ように見えて違和感を覚えた。まあ、最近は日本中どこへ行っても、よく見かける光景ではあるけど。
しかし、地図を見ると近いと思われた市街地、意外と遠い。いや、距離自体はそうでもない筈だけど、道幅が狭いし、道がやたら曲がりくねってるし、ところどころダラダラとした上り坂や下り坂があるし、「歩きにくい」「歩いていて疲れる」道だなと。後で知ったことだけど、空襲を受けてないので街並み、道路とも昔のままなんだとか。
歩いて40分くらい行くと、大和(やまと)というデパートや、109が姿を現す。このあたりが香林坊らしい。さらにまっすぐ進むと、まるで昭和40年代頃の都市のような、ちょっと懐かしい感じの商店街が。このあたりが片町らしい。確かに賑わっているし、このあたり一帯だけを見れば、私の地元・北九州市よりは都会に見える。特に若い人の姿が多いのが印象的。ただ、関西弁を使ってる人が多い。意外と関西からの観光客が多いのかも。それに道幅が狭すぎるので、まだ4時前なのにラッシュ時のように渋滞しているし、歩道が狭いから人も溢れているし。個人的には片町あたりの、昭和40,50年代風の街並みは懐かしくて好きだけど、ちょっと狭苦しく感じる。しかも香林坊→片町の、最も栄えてるあたりって、歩いて15分程度で通り過ぎてしまえる。
■路線バスが市民の足?
やがて犀川という、これまたレトロな雰囲気の建物が両岸に立ち並ぶ川を渡る。ところが、向こう岸は普通の住宅街。どうやら、あっという間に市街地を通り過ぎてしまったらしい。意外と狭い街だなあ。ということで、しばらくその一帯を歩いていたんだけど、さすがに歩き疲れた。しかも前日の夜10時まで仕事していたので眠いということもあり、余計に疲れてしまった。駅に戻って、そこから今日の宿泊先のホテルに向かうことにした。もう、駅まで歩くのは嫌なので、北陸鉄道の路線バスに乗ることにした。私の地元・北九州は、交通機関で移動するには路線バスがメインの街。おそらく全国的に見ても、北九州市や福岡市ほどバスの路線が多くて、乗り手の多い町もないと思う。だけど金沢も同じらしく、地元の人の多くがバスで移動している様子。バス停でバスを待っている人でごった返しているし、路線も多い。金沢駅に行くバスに乗ったけど、混んでいるし、本数も多かった。ただ、道幅が狭いので渋滞に巻き込まれて、意外と時間がかかった。
駅に着いた私は、最近は恒例になった駅弁を買ってホテルで食べることにした。しかし疲れと眠気のせいで、弁当を食べながらビールを飲んだら、夜8時ごろには落ちてしまっていた。まあ、最近は全く見なくなった地上波のテレビをつけていたんだけど、あまりにもつまらくなって退屈してしまったせいでもあるんだけど。
■2009/11/6 はじめての「北陸放浪」(2) ■えっ、廃線?
2日目は金沢市内と周辺で1日過ごす計画。起きてホテルの無料朝食ををとりにロビーに降りる。宿泊したのはビジネスホテルだったのに、なぜか修学旅行の高校生がいっぱい。私が中高生の頃は、きちんと料理の出る旅館を使ったものだが、今はこんなところに泊まるようになったのか・・・。金沢市内では修学旅行生を多く見かけたけど、意外と定番なのかな? どこの高校生なんだろう? とはいえ、インフルエンザの流行のせいか、みんなマスクをつけていて、ちょっと異様な光景だった。
午前中、最初に行こうと思った場所は、地元の私鉄・北陸鉄道石川線の終着駅、加賀一の宮。実は先日、ケーブルテレビ局で、80年代、私が高校生の頃に制作された、斉藤由貴主演の「恋する女たち」という映画を見たんだけど、その中のロケ地のひとつだった。渓谷に囲まれた、静かで綺麗な場所だったので、「行ってみたいなあ」と思っていたというわけ。まずは金沢駅のバスターミナルから、北陸鉄道の始発駅、野町駅に移動。ところが、野町駅はちょっと異様な光景。待合室には、カメラを持った、見るからに「鉄道オタク」っぽい人の集団が。よく見ると「鶴来駅〜加賀一の宮間が、10/31で廃線」とのこと。ああ、あと1週間ちょっとで廃線になるのか。いや、全く知らなかった。私は単に「映画を持って興味をひかれた景色を見てみたい」という気持ちだけでここに来たので、「廃線云々」の情報は一切知らなかった。「静かでひなびた雰囲気」を期待して訪れただけに、ちょっとガッカリ。とりあえず、野町駅より、終着の加賀一の宮へ向かう電車に乗ったけど、通路をカメラを抱えて歩き回る人ばかりで、実に騒々しかった。
とはいえ、終着の加賀一の宮駅で降りると、映画で見たままの景色。山に囲まれ、川が流れていて、いくつもの橋がかかっている。映画からは20年以上経っているのに・・・。その近辺で1時間程度過ごしたけど、静かな山奥の集落なのに、線路沿いでカメラを持った人が大勢いて、景色はよかったけど、落ち着かない雰囲気だった。とはいえ、あと2週間遅れて訪問していたとしたら、既に廃線になっていたわけで、それを思うと廃線になる前に訪れることが出来たのはラッキーだったといえるのかもしれない。約1時間後、野町駅に戻る電車で金沢市内に戻った。
■金を取るの? & 意外と狭い街?
金沢市内に戻ったのは昼前。前日行った市街地、香林坊へ出る。そこからしばらく歩くと有名な観光地、兼六園や金沢城があるらしい。確かに観光目的ではないけど、ちょっと散歩するつもりで、そちらの方へ歩いて行く。
まずは兼六園。「庭園」だから、ブラブラ散歩するにはちょうど良い場所だな、と思いきや・・・。「料金所」の看板。えっ、お金取るの? まあ300円だから決して高くないけど、観光が目的じゃないから「金払ってまで入るのはなあ」となる。一気に興ざめしてしまって、とりあえず外側を一周、金沢城の方へ向かう。兼六園の隣が金沢城で、敷地は実に広く、敷地内に野生動物まで生息するという丘や林まである。ここは無料の公園なので、少し歩いてみる。だけど、「城」自体は残っていないようで、あるのは堀や、庭や、石垣だけ。いや、下調べもしてなかったから、正直、ちょっと肩透かしだった。しかもあちこち工事中。そのあたりも、ちょっと興味をそがれてしまった。
あとは少し歩くけど、「東茶屋街」という、江戸時代のままの街並みが残っている一帯があると聞いた。そういえば先に述べた映画でもロケ地として使われていたっけ。ということで、そちらに向かう。歩くには少し遠かったけど、何とか到着。確かに建物も江戸時代のままだし、車も通れないほど細い路地も、昔のままなんだろう。決して雰囲気的には悪くないんだけど、一昨年訪れた高山市の「古い町並み」は、一周するのに2,3時間はかかりそうなほど広い地域なのに対し、こちらはせいぜい3,40分。意外と狭い地域。しかも、その中に普通の家までもがあるし。まあ、いきなりここを訪れていれば「いいところ」と思ったかもしれないけど、先に高山を見ている分、比較してしまう。金沢市って「古都」とか、「小京都」というけど、意外とこじんまりとしているし、街中といい、金沢城といい、「あちこち工事中」のイメージばかりが残ってしまった。
■最後に市街地散策
地元の北九州と比べると、日没が1時間近くも早いので、午後3時過ぎには日が傾き始めた。とりあえず前日散策した市街地、香林坊や片町のあたりに出る。そのあたりを行くあてもなく、2時間程度歩き回った。市街地は意外と狭いし、道幅も狭くて車は渋滞、人はいっぱい歩いているけど、地元の人より観光客が多そう、街並みが昔懐かしい・・・。前日とイメージは変わらなかった。最近は以前と比べると「放浪」することが多くなったせいか、「知らない場所を訪れる」感慨や感動が薄れているような気がする。そのせいなのかもしれないけど、金沢市は私にとって、決して「嫌いな街」ではないけど、印象に残るところのあまりない街だった。書店などで旅行ガイドを見ても、北陸の街の中で唯一、単独の旅行ガイドが出ている町なので、もっと見るところが多くて、広い街だと想像してたし。あと、「どこもここも工事中」だったのも少し興ざめだった。とはいえ、目的は観光じゃなく、「知らない場所を訪問する」ことにあるので、まあ、目的は達成した。
6時前に金沢駅に戻った私は、駅のレンスラン街で金沢名物というハントンライス(オムライスのような食べ物)を食べて、宿泊先に戻った。
■2009/11/8 はじめての「北陸放浪」(3) ■鉄道で移動できない能登半島
3日目起床後、金沢駅のバスセンターへ向かう。金沢では2泊したわけだけど、この日の宿泊地は能登半島の奥に位置する輪島市。金沢から輪島への移動手段といえば、国鉄時代は鉄道があった。国鉄からJRに変わった時に、第3セクターの、のと鉄道という会社が設立されて、しばらくはその会社が経営を引き継いでいたんだけど、赤字のせいで穴水という、能登半島の入り口のあたりの駅までだけが残って、その先は今は廃線になってしまっている。なので、金沢から輪島に向かうルートは、その穴水まで鉄道で出てバスに乗るか、もしくは金沢から長距離特急バスに乗るかの2つしかない。私は金沢からの特急バスを選択、その時間に合わせて金沢駅のバスターミナルに向かったというわけ。
しかし「県庁所在地から奥能登の拠点都市まで」という、いかにも乗り手が多そうな路線であるにもかかわらず、乗客は私を含めて5,6人。しかもうち2名は金沢市郊外の大きな病院のバス停で下車、さらに2名は途中の穴水のバス停で下車、終点の輪島まで乗車していたのは私を含めて2名だけだった。一方で途中、能登有料道路という自動車専用道路を走行したんだけど、山の中の道路であるにもかかわらず、県内ナンバー、県外ナンバーの車が多く走っていた。おそらく、観光で輪島を訪れる人はもちろん、地元の人も車を利用するのが当たり前なんだろう。しかし輪島に向かう道は意外と深い山が多く、しかも民家も少ない。私が想像していた以上に、ひなびた地域のよう。約2時間でかつては国鉄の輪島駅だったという「道の駅輪島」に到着した。
■想像以上に静かな街・輪島
「道の駅輪島」に着いたのはちょうど正午頃。かつては駅だったところだから、ここが街の中心のはず。だけど周囲にはビルも、商店街も、飲食店のようなものも一切ない。江戸末期か明治時代の一般家屋のような建物が立ち並んでいる。その街並み自体は綺麗だけど、およそ「駅前」のイメージではない。近くに高校があるので、高校生はいるけど、特に人の気配もない。「道の駅」だから、車で移動してきて休憩している人はいるけど、普通「道の駅」というと、飲食店や土産物屋、コンビニや売店があるけど、そうしたものもほとんどない。実に静かだ。とりあえず荷物をコインロッカーに入れて、周囲の散策に向かう。
一応置いてあった観光マップで、大雑把な位置関係を確認。まずは海岸線の方に向かって歩いてみる。しかしどこまで行っても先に述べたような、ちょっとレトロな街並みが続く。この街並み、観光用に作られたものと思いきや、大半が一般家屋だったり、個人商店だったりする。「観光用に造られた古い町並み」の多い最近の観光地の傾向を思えば、地元の人の生活と自然に溶け合ったこの感じは悪くない。やがて「朝市通り」なる通りに出たけど、もう昼なので閑散としている。さらに通り過ぎると海岸線に出る。日本海側らしい、綺麗な海岸。ただ、あちこち工事中。いずれはこの辺も観光用に風景が変わってしまうのかもしれないけど、近所の人が自転車で乗り付けて釣りを楽しんでいたりで、なかなかのどかな光景。まずは海岸の辺りに座ってしばらく時間を過ごした。
さっきの「朝市通り」に出てみる。もう午後なので朝市はやってないし、歩いている人も少ないけど、やはりこのあたりもレトロな街並みで悪くない。細い通りがいっぱい入り組んでいるので、あちこち歩き回ってみるけど、本当に静かで、ひなびた光景が続く。輪島川という川があって、いろは橋という赤い橋がかかっている。決して「大きな川」でもないし、「珍しい形の橋」でもないんだけど、やっぱり「川のある風景」には惹かれるものがあったので、思わずそこで立ち止まってしまった。
ただ、よく考えると昼食がまだだった。そこでもう一度「道の駅」に戻って、そこで「ゴーゴー・カレー」なる、地元では有名だというカレー屋でカレーを食べた。味は正直「ソースの味が強すぎる」。「キャベツのトッピングに違和感」「なぜスプーンじゃなくフォーク?」・・・まあ、あくまでも私の感想レベルだけど、これがここの特徴なんだろう。その後、もうしばらくあたりを歩いてみたけど、観光客は少ない。メインは朝市だから、午後に出歩いている観光客は少ないんだろう。だけど、コンビニも、スーパーもなく、地元の小学生や中学生が、たい焼き屋に群がっているのは、ちょっとカルチャーショック・・・。歩いている地元の人は、小中高校生と70歳以上と思われる年配の人が圧倒的に多い。一般の人はどこで、どうやって生活してるんだろう・・・。
■夕食抜き?
疲れたので宿泊先のホテルへ。ほとんどが郷土料理の出る旅館や観光ホテルばかりの町にあっては珍しい、ビジネス・ホテルタイプのホテル。「安い」が選んだ理由だったんだけど、周囲に店らしい店がないことに気がつく。ああ夕飯、どこで食べるん? ホテル内に居酒屋があるのでそこで、ということも考えたけど、運悪く定休日。夕方の6時頃、とりあえず外に出る。
日が沈んでいるのであたりは真っ暗。街灯も少なく、人気がないので、本当に夜中のよう。地元の人は懐中電灯を持って歩いている。観光客相手と思われる郷土料理の店や料亭、寿司屋はあるけど、どれも高そうだし、私のようにひとりで入るのは気が引けるような店ばかり。「料亭旅館」の看板の立っている建物から、魚介類を焼く香ばしい匂いが・・・。こういう田舎町では、高くても料理の出るところに泊まった方がいいんだなあ・・・。コンビニを探したけどない。思わずホテルの人にコンビニの場所を尋ねるも、「車で20分」とのこと。歩くのには厳しい距離だし、そのコンビニの方角を見ると、真っ暗で街灯ひとつない海岸沿いの道。ロビーにビールとつまみの自販機があったので、腹の太りそうなつまみを買う。とりあえず飲んで早寝することに決めた。明日の朝は一応「朝市」に行こうと決めたから、早起きしなきゃいけないし。
■2009/11/12 はじめての「北陸放浪」(4) ■早起きして朝市へ
4日目、朝6時に起きる。ここのホテルの朝食は無料バイキングなんだけど、ネット上の「クチコミ情報」によると「スペースが狭くて混む」ということだったので、朝食サービスのはじまる6時半になると同時にロビーに降りる。ところが、宿泊客はみんな同じ想いだったんだろう、既に席の大半が埋まっている。なんとか席は確保したけど、3,4人で座る広いテーブルしか空いてない。独りで長い時間、その場所を占領することには気が引けたので、10分程度で食事を済ませてすぐに部屋に戻った。
ただ、この日早起きしたのは、朝食を早くとることも目的だったけど、もうひとつの目的は有名な輪島の朝市に行くこと。もちろん観光目的の旅行ではないから、「どうしても見ておきたい」わけではなかったけど、「朝市通り」から歩いて1,2分のホテルに宿泊したから「ちょっと行ってみようかな」という軽い気持ちで・・・。しかし外は小雨で生憎の天気。朝8時過ぎ、小さな折り畳み傘を持って朝市通りに向かった。
朝市通りに行くと、前日とは打って変わって人だかりが。輪島塗のお椀や箸に名前を入れてくれるという店のビラを配っていた。前日は夕方前に閉店していた商店も、早朝から店を開けている。ただ、道端に海産物や農作物を並べて売っている光景は確かに見かけるけど、意外と空いたスペースも多い。想像していたような「露店だらけ」という光景でもない。まあ、この数日があまり天気もよくないから、魚が採れなかったとか、雨が降っているのを見て遠慮した人もいたのかもしれないけど。「日本でも有数の大規模な朝市」と聞いていたけど、高山や函館の朝市と比べると小さく感じたし、活気もなく感じられた。まあ、たまたまそういう日だったんだろう。とはいえ、「畑でとれるものメイン」だった高山、「海でとれるものメイン」だった函館と比較すると、「両方がバランスよく揃っている」という印象だった。途中、蟹を売っているおばちゃん、スルメを売っているおばちゃんに声をかけられたけど、「最初から買う気がないのに立ち止まるよりは、通り過ぎた方が逆によいだろう」と思ったので、立ち止まることなく通り過ぎた。朝市通りを往復したら雨が少し強くなったので、ホテルに戻った。
■能登半島を後に
ホテルに戻って荷物を持ってチェックアウト。昨日と同じ「道の駅・輪島」に向かう。ただ、時間に余裕があったので、敢えてもう一度、朝市通りを通り抜けて、寄り道をした。さっきまでは傘をさすほどでもない雨だったけど、もう傘なしでは濡れてしまうくらいの降り方になっていたので、折り畳みをさして、重い荷物を持って、決して近くない道のりを歩いた。輪島、思った以上に寂れた街だったので驚いたけど、大きな建物もほとんどない、静かな街で「ゆっくり過ごす」にはいいところだったなという印象だった。
「道の駅・輪島」に着く。この日は路線バスで輪島→のと鉄道・穴水駅へ、さらにのと鉄道で穴水→七尾、そこからJRで七尾→金沢、さらに同じくJRで今日の宿泊地・富山に向かうという予定を立てていた。輪島→穴水のバスに乗った。もともとは鉄道が走っていた区間の代替バスだから「多くの人が利用する」「観光やビジネスでの利用者もいる路線」と思いきや、乗っているのは地元の年寄りばかり。途中の道も、山や畑や田んぼが続くだけの景色。終点の穴水駅まで乗車したのは、私と地元の高校生の2人だけだった。
穴水駅に着いた時には雨が大降りに。のと鉄道の列車の発車の時間には30分近くあるから近くを散策したかったんだけど、それは叶わず。まだ輪島まで線路が伸びていた頃には大きな駅だったみたいだけど、今は小さな古い駅。列車が来たけど、1両のディーゼルカー。しかも数名しか乗客はいない。ひょっとすると、この区間も数年後になくなるのか・・・。とはいえ、女性の車掌が乗っていて、乗客一人ひとりに「こんにちは」と声をかけたり、地元の常連客と思われる初老の女性客と談笑したりと、雰囲気はとてもよかった。車窓もずっと海が見えて綺麗だったし。なくなって欲しくない会社だけどなあ・・・。
1時間足らずでJR七尾線と接続している終着駅、七尾駅に到着。ここでJRに乗り換える。意外と大きな町だし、ちょうど昼頃なので、昼食がてらあたりを散策しようと思ったけど、相変わらず雨が強いので断念。七尾線の電車に乗る。北陸地方のJRの普通列車用の電車は、国鉄時代の九州を走っていたのと同じ形の車両なので、なんとなく懐かしい。とはいえ、車窓はのと鉄道とはうって変わって単調なので、思わず居眠りしてしまった。この七尾はまだ能登半島の付け根の辺りだけど、目が覚めると金沢の手前。知らないうちに能登半島からは離れてしまっていた。
■ちょっとノスタルジックな富山駅周辺
金沢から富山までは特急もあるけど、各駅停車でも1時間ちょっとなので、ここは各駅停車を利用する。しかし、またしても国鉄時代に九州を走っていたのと同じ形の電車。別に今の私は既に鉄道ファンじゃないから、車両云々には何の思い入れ、こだわりもないけど、やっぱり懐かしく思う。しかし年寄りの集団が乗っていて、実にうるさい。しかも金沢を出て約3,40分後、車内でその一団の中の一人の爺さんが騒ぎ出す。曰く「金沢で降りるつもりだったのに寝過ごした。何で起こさないんだ、何で誰も気が付かないんだ」と、連れの婆さんたちを怒鳴っている。しかもいつまでも、いつまでもネチッこく(笑)。「今更言ってもはじまらないから、次で降りればいいだけじゃないか」と思わず心の中で苦笑。だけど、その一団が降りた後、その様子をいつまでも笑い飛ばしていた別の婆さんの集団にも呆れた(笑)。
約1時間で富山駅に着く。やはりもうすぐ新幹線が開通するからなのか、駅の構内は工事中でボコボコでガタガタ。だけど、まだ駅の建物には手をつけていないようで、いかにも「昭和40年代のターミナル駅」といった風景。しかも駅前には路面電車。街中工事中だったり、無理やりな近代的な建造物や高層ビルだらけだった金沢と比べると、まだ再開発が進んでいない様子。でも、私はこういう街並みの方が好きかな。外に出ると、まだ雨が降っているようなので、まだ夕方4時でちょっと早いけど、一度ホテルに荷物を置いてきた方がよかろうと、駅の近くのホテルに向かう。
荷物を置いた後、辺りを散策。ただ、この街も駅と市街地が離れている街らしい。駅前や県庁の辺りを歩いてみるけど、道幅が広く、結構賑わっている。ただ、相変わらず雨が降ったり止んだりしているので、駅ビルで地元のみやげ物を見たり、夕食用に地元の名産、白エビを使った惣菜や寿司を買ったりした後、夕方6時ごろホテルに戻った。
■2009/11/16 はじめての「北陸放浪」(5) ■路面電車とアーケード街の懐かしい街並み
5日目は朝はゆっくり8時に起床して、9時過ぎにホテルをチェックアウト。最終日のこの日は富山市内で過ごして、夕方の特急列車に乗って帰る、という計画。(1)で述べたとおり、富山県内の有名なスポットは富山市内からは離れたところが多い。だから「富山県はまた別の機会にじっくり回ってみたい」ので、「今回は富山に関しては、市内をちょっとフラフラするのみ」と決めていた。市内には有名なスポットはあまりないらしい。城は金沢同様、建物はほとんどが残っていないし、前日通りかかった際に「工事中」だったし、松川という小さな川の川下りが有名らしいけど、どちらかというと「花見スポット」なので季節はずれだし。
とりあえず駅前から路面電車に乗って、市街地方面に向かう。路面電車で7,8分くらいのところにある荒町、その次の西町の電停周辺が市街地らしい。西町で降りるとアーケードがあるので、そこを歩いてみる。最近は、昔からのアーケード街はいわゆる「シャッター街」になっている街が多いけど、ここは一部シャッターが閉まっている店もあるけど、まだ営業している店の方が多い。とはいえ、人通りは少ないし、ちょっと裏通りに出るとシャッターの閉まっている店舗が多く目に付く。今はともかく、後5年後に来たらとうなってるんだろう・・・、という雰囲気。大きな交差点にある、大きなビルの取り壊しが行われている。明らかに元デパートだったような作り。今はともかく、数年後には衰退してしまいそうな街並みなのが寂しく思われる。ちょっと昭和40年代風の街並みで、個人的には好感度が高いだけに頑張って欲しいと思う。一方で路面電車の新しい路線を作るための工事があちこちで行われている。廃止される街が多い中にあって、富山市ではまだ路面電車が市民の重要な足になっているんだなということを思い知らされる。
■富山大橋
その後、路面電車で移動し、終点近くの安野屋なる電停で降りる。「観光旅行ではないので、下調べはほとんどしない」私だけど、富山市を紹介したホームページで、神通川にかかる長い橋、富山大橋の写真を見かけて、「ぜひ行きたい」と思っていた。前から述べている通り、「大きな川のある景色」になぜか心引かれる性分なもので。路面電車でいえば、その安野屋という電停と、新富山という電停の間がその富山大橋になる。当然電車に乗って通り過ぎるのではなく、自分で歩いて渡りたいと思っていたというわけ。
ところが、この日は時々晴れたり、雨が降ったりの不安定な天気。電車を降りたところで雨が降り出した。しかも大きな川沿いだから強風が吹く。それでもかまわず、小さな折り畳み傘をさして私は橋を歩いて渡る。向こう岸は遥か彼方にしか見えない。橋がかかっている場所は河口だから川の幅は広く、しかも橋の下で2つに分かれて流れている。こういう光景を間近で見るのは初めてかもしれない。大学が近くにあるから、時々自転車で通り過ぎる学生はいるけど、歩行者はいない。向こう岸に渡りきるまでに10分以上はかかったと思う。
向こう岸についた後、すぐに振り返って来た道を戻る。つまりもう一度、橋を渡る。急に天気が変わって、眩しいほどに晴れ上がる。太陽の光が川面に当たって光っていて、とても綺麗な光景。すぐ頭上を飛行機が通り過ぎる。空港が市の中心部に近いのか、頭の真上を通り過ぎているかのよう。この場所は決して観光スポットなんかではないけど、私にとっては、金沢、輪島、富山の3箇所で見た光景の中で、最も印象に残った。名残惜しかったけど近辺は普通の住宅街だし、大通りだし、向こう岸は工事中だしで、ゆったり過ごせるような場所ではなかったから、すぐに通り過ぎて再び路面電車に乗ってその場を後にした。前も述べたとおり、富山県は必ずもう一度、ゆっくり訪れる予定だけど、その時にもここには必ず足を運びたいと思った。
■名残惜しいけど・・・
路面電車で富山駅に戻り、駅ビルの食堂街で「白エビ定食」を食べる。食券制でカウンターもある店だったので、独りでも気兼ねなくゆっくり食事が出来た。まだ昼の1時半、もう少し時間があるので、再び路面電車で市街地の荒町、西町に戻る。その辺りを歩き回って時間を潰した。今回「石川県中心でいくか、富山県中心でいくか」迷った末、私は石川県中心のプランを選んだけど、個人的には富山の方が気に入った。晴れている日は街中にいても、雪を被った立山や剣山が、街を四方から取り囲むように見えるそうだけど、ずっと天気が悪かったので山は全く見えず、その辺りは残念だったけど。ここから富山地方鉄道という私鉄を使えば、立山にも行ける、黒部にも行ける。どっちのスポットもきちんと訪問しようと思えば、丸1日かかるから今回は断念、「別の機会に」と思ってるわけだけど、ちょうど紅葉が見頃だと地元のローカルニュースでも言っていた。富山の方を選んどけばよかったかなあ。それに、もうすぐ北陸新幹線が開通する。そうすれば、ここも金沢同様「あちこち工事中」「近未来のような建造物だらけ」の街に豹変してしまうんだろうなあ。だから、その「次回の訪問時」は、もうこの街も変わってしまってるんだろうなあ・・・。そう思うと寂しかった。だけど、路面電車と富山大橋だけは変わらないで欲しい。
■2回も置き石? の恐怖と共に「現実」に戻る
昼の3時過ぎ、大阪行きの特急サンダーバードに乗車。帰りは新大阪から新幹線で地元に戻るルートを選んだ。名古屋からの「しらさぎ」と比較すると綺麗で新しい車両で、スピードも速い。ところが、金沢を出たところで「緊急停車」。何事かと思ったら「置き石」とのこと。運転手、よく発見してブレーキかけたなあ。10分ほどして「安全が確認できたので発車します」ということで一安心。ところが、その約30分後、また急停車。「また置き石がありました」。ひょっとして、この列車が誰かに狙われてる? 2回も、しかも同じ列車がターゲットにされると、さすがに恐怖心を覚えた。同時に「今日中に地元に帰れるのか? 明日から仕事なのに」と現実に戻される。結局、すぐに発車、約30分遅れで新大阪に着いた。30分程度ならまあ、帰れなくはないので一安心。しかし最後の最後に恐怖を味わった。
新大阪のコンコースのレストランで夕食後、新幹線に乗り換えて地元に戻る。普段は新幹線を降りるまでは現実を忘れている状態のはずなんだけど、今回は置き石のせいで、いつもより早く現実に戻されてしまった。
■2009/11/22 はじめての「北陸放浪」(まとめ) 結局、今回の「放浪」は「いまひとつだった」というのが正直な気持ち。「今まで行ったことのない場所」だったし、「一昨年も行こうと思ったけど断念した場所」だったし、「旅行ガイドも多く出ている場所」だったので、結構楽しみにして期待していたのに・・・。特に2泊もして、ゆっくり回った金沢が「最も印象に残らなかった」のが痛かった。輪島は想像以上に寂しい場所だったから「ゆっくり出来た」反面、夕食が取れなかったりで不便さを味わったのが痛かった。最もよかったのは富山だけど、肝心の有名なスポットには今回行っていないから、「また次回ゆっくり」といったところ。石川県中心じゃなく、富山県中心に回った方がよかったかなと。「また次回」といっても、その「次回」って何年後になるかも分からないわけだし。
また「知らない場所に行く」ことで、「現実逃避する」「煩わしい現実から離れて気分転換する」のが、私の「放浪」の目的なんだけど、1年に2回も放浪したのははじめてだったから、正直「放浪慣れ」してしまって、あんまり気分転換にはならなかった。「めったに出来ないことをする」からこその気分転換なわけだから、当然回数が増えれば新鮮さもなくなるわけだし。来年以降は、年1回にしておこうとも思った。
ただ「気分転換にならない」のは、近年、日本中どこに行っても同じような景色ばかりだからなのかな、という気もした。どこに行っても古い建物を壊し、新しい建物を建て、道路を拡張したりの再開発目的の工事ばかり。昔からの商店街はシャッター街、大きなパチンコ屋と高層マンションばかり。味気ないし、「知らない場所に来た」という気がしない。特に金沢は全然「古都」っぽくはなかった。むしろ「現実逃避」のためだったら、今回の輪島のように、寂しい、ひなびた場所に行った方がよいのかも。ただ、観光目的ではないから、コンビニや飲食店がいっぱいある、ある程度便利な場所の方がよいし。ただ、そんなことを行っていたら、どこにも行けないし。まあ、今後も「放浪」はするだろうけど、あまり期待せずに行った方がよいのかな、という気もする。
それから、今回思ったこと。「放浪」や「旅行」の好きな人って、単純に「観光地を見たい」という人もいるだろうけど、ある特定の景色を好む人もいる。「城を見るのが好き」な人、「寺を見るのが好き」な人、「仏像を見るのが好き」な人、「海を見るのが好き」な人等・・・。そういう人は、特別有名なスポットではなくっても、敢えてそういう風景を見に行くんじゃないだろうか。じゃあ、私はどうかというと・・・、「川」「橋」「湖」「路面電車」といった風景を好む。今回も全然有名じゃない場所だけど、敢えて輪島のいろは橋、金沢の犀川大橋、富山の富山大橋と神通川に足を運んだし、そうした場所に強く心を引かれた。じゃあ、今後私は「川と橋ウォッチャー」になってしまうかな、と思った。「放浪」したら、必ず放浪先で川と橋のある場所を訪れて記念に写真を撮るとか・・・。そうやって目的を持って「放浪」をすれば、よりよい気分転換になるんじゃないかな、と思う。
■2010/1/11 長崎へ、日帰り「放浪」 1/4からいきなり忙しくなって、当分はゆっくり休めそうにない予感。そんな中、今日と明日は、もう当分ないと思われる連休なので長崎市まで日帰りで「放浪」してきました。
九州以外に住んでいる人には、私の地元・福岡県北九州市と長崎県の位置関係や、移動にかかる時間など、あんまり実感ないでしょうけど、JRや高速バスで3時間ちょっと。「日帰りするにはギリギリ、1泊くらいするのがちょうど良い場所」という感じ。日帰りする人はあまりいません。ただ「朝早く家を出て、夜遅く帰ってくる」、同時に、いつものように「観光旅行じゃないから、観光地を漏れなく見て回ることには拘らない」、つまり「とりあえず行ってみる」程度の計画なら、やって出来ないことはない。しかも、実は同じ九州内であるにもかかわらず、「一度も足を踏み入れたことのない、未知の県」でもあるし、もうすぐ新幹線が開通予定なので、そうなると、移動中の車窓が楽しめないなど、味気なくなる上、料金も高くなってしまうということもある。なので「新幹線とやらが出来る前に、一度行っておきたい」という思いもあったわけで・・・。
JR九州には「2枚きっぷ」という、異常なほど格安になる往復特急券があるので、それを購入して在来線の特急で移動。北九州市内の最寄り駅から博多駅に出て、そこから長崎行きの特急に乗り換える。自由席は満席になるほど混んでいた。まあ、連休中だし、成人式もあったせいだろうけど・・・。車窓は福岡県→佐賀県までは単調だったけど、長崎県に入ると有明海の曲がりくねった海岸線に沿って走るあたりは「車窓ウォッチャー」の私も、引きつけられるものがあった。博多から長崎までたったの2時間。今でも十分速いと思うんだけど、こんなところに本当に新幹線が必要なんだろうか? と疑問を感じた。新幹線が出来ても、せいぜい30分程度速くなるだけだろうし、それでいて料金は倍以上に上がるんだろうから。
しかし、何の知識もなく乗り込んだ長崎市、どこに何があるのかも全く分からない。駅の観光マップなどで位置関係を確認したんだけど、有名な観光スポットは市内のあちこちに点在している。去年の10月に訪れた金沢市みたいに、有名なスポットや市街地が徒歩圏内に固まっていれば、日帰りでも全部回れるだろうけど、これではまず無理。まあ、観光旅行じゃないから、市街地をフラフラ歩いて、観光スポットは時間が許す限り、行けそうなところだけ回ることにした。
市内の移動は路面電車がメイン。しかし路面電車、いつ乗っても座れないほど、まるで都内のラッシュ時のように混んでいる。地元の人も、観光客も、電車が移動の足だからこうなるんだろう。最も栄えているのは観光通りというアーケード街。日本全国どこに行っても近年は「シャッター街」になっていることが多いアーケード街だけど、ここは人を掻き分けて歩かないといけないほどの人ごみ。とても賑わっている。観光地はいくつか「ちょっとさわりだけ」という感じで見たけど、本当に市内の東西南北に散らばっているので、とても全部は回り切れない。しかも例によって入場料が必要なところは敢えて避けたし。とはいえ、「観光地はどこに行っても人の手が入っていて興ざめ」「工事中のところが多すぎる」傾向にあるけどそれがなかったのは好感が持てた。めがね橋も、大浦天主堂も、色が褪せていたり、ちょっとボロボロに見えたりもしたけど、「無理やり作り上げた観光地」「後から手を加えすぎな建造物」が多い中にあって、逆に手の入っていなさ加減が自然な感じがして・・・。「坂の多い街」「異国情緒溢れる港町」というあたりは、私の大好きな函館の町と似通っていたけど、やっぱり「回り尽くせなかった」という想いは拭えなかった。1泊してゆっくり過ごさないと無理なんだろうな。
昼の12時に着いて、夜7時には地元に引き返したけど、長崎県って、長崎市以外にも見所のある場所、街はあるから2泊位しながら、ゆっくり回ってみたいと思う。でも、その頃には新幹線とやらができてるのか。いや、絶対にいらないと思うけど・・・。
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