旅、放浪

      
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■2012/1/21 回想:1990年、はじめての北海道ひとり「放浪」(1)

 12月に自分の荷物を整理している時、1990年、大学3年の時にはじめて北海道へひとりで放浪した際の詳しい旅行メモが出てきました。このメモをもとに、その私にとっては転機になり、同時に「旅行」でも「観光」でもない気分転換、日常を忘れるための「放浪」を時々するきっかけとなった、1990年の北海道放浪の「回想録」を書いてみたいと思います。

 まずは1990年、私がどんな生活をしていたかというと・・・。大学3年22歳、一浪までして入学した大学でしたが、特に目的もなく「大卒の方が就職に有利だから」という理由だけで入学したので、毎日全く面白くなく、特に目標もなく。前から書いているように「人付き合い下手」なので、特別親しい友人もなく、バブル全盛でオシャレでカッコばかりな男ばかりがモテる嫌な時代だったので彼女もおらず、しかも情けないフラれ方をしてちょうど落ち込んでいた頃。唯一の楽しみは19歳の時に出会ったビートルズ、そしてそこから様々なロックを聴くようになった頃なので「ロックを聴くこと」のみ。そんな暗い大学生活を送っていた頃でした。

■気分転換=放浪?

 しかも大学3年の夏休み頃というと、そろそろ就職活動の準備に入る頃。「どんな方向に進むべきか?」考えれば考えるほど分からなくなり、不安になる。「大学に入ればいい会社に入れる」そんな幻想を持っていたけど、「いい会社」ってどんな会社なのか? 高収入の仕事? 大きな会社? カッコいい職業?(バブル全盛期だからこういう認識の人も多かった)・・・・。でもそれって、これから先の人生、会社、会社、仕事、仕事で、全然自分らしく生きることなんてできないってことじゃないの? だとしたら、自由に、自分らしく生活できるのって、もう卒業までの1年半だけ? それ以降は「死んだように生きる」、気がつけば定年、人生も終わるってこと? そう思うと急に生きていくのが虚しく感じられるようになった。頭の中に常に靄がかかっているような錯覚を覚え、世の中すべてが空虚で虚しいものに思われるようになって・・・。今思えば、ちょっと精神的に追い詰められていたのかもしれない。しかも「1999年の7の月に地球が滅亡する」なんて言ってる人もいる。あと9年しか生きられないの? だとすれば「いい会社」に入って、残りの9年を無駄に生きるのは馬鹿らしいじゃないか・・・。とにかく、当時の私は自分でも「ヤバい」と思えるほど気分が鬱になっていた。

 「仲のよい友人などいなかった」とはいえ、「普段よく話す相手」くらいは周囲にいたけど、そういう奴らにも心配されたし、「気分転換でもした方がいいんじゃないか」と言われた。でも、どうやって気分転換する? そこで思いついた。思いっきり遠くに行って、日常生活から完全に離れてしまいたい。何かのテレビ番組でタレントか誰かが「気分転換したいときは遠くに一人旅に出かける」と言っていたのが印象に残ったせいだったと思う。といっても、今もだけど「海外に行く」という発想は私にはない。妹からは「沖縄か北海道」と提案されたけど、当時はまだ飛行機に乗ったことがなく、一生乗りたくないと思っていたので沖縄という選択肢は消えた。残るは北海道。九州育ちで、当時は最も遠くで東京までしか行ったことのなかった私から見れば、北海道はほとんど外国と同じ。知識も土地勘もない場所、そんな「とんでもない遠い場所」に行けば、日常も、自分の現状も、すべて忘れられる。そうすれば気持ちが安らいで、悩みも解消するんじゃないかと考えた。費用に関しては、小学生の頃から祖父や祖母が高額(ひとりあたり1万円とか2万円)のお年玉をくれており、それをしっかり貯金して使わなかったおかげで、自分で全額出すことは可能だった。

■ネットがなかった時代、予定を立てるにも一苦労

 といっても、今と違ってネットがないので「知らない土地について調べたい」と思えば、書店で旅行ガイドを読み漁るしかない。大学の帰りに福岡市内の大きな書店で毎日のように旅行ガイドを立ち読み。とりあえず函館と札幌に行くことに決めた。

 さらに列車の時刻を調べるために最寄り駅の「みどりの窓口」に行き、時刻表を見ながら、どんなルートを使うのか、そのためにはどんな列車に乗ればいいのか、乗り換えはどこの駅?とか、発車時刻とかを調べる。しかし何時間も時刻表を独り占めするわけにもいかないので、何日も通った。

 そして自力で5泊6日の予定を立てた。

(初日)新幹線で大阪へ→大阪〜青森間の寝台特急「日本海」に乗車(車内1泊)

(2日目)「日本海」で青森着→青函トンネルを通る列車で函館へ(2泊)

(3日目)函館市内放浪→特急で札幌に移動(3泊)

(4日目)札幌市内放浪、札幌宿泊(4泊)

(5日目)札幌市内放浪→札幌〜青森の夜行急行「はまなす」乗車(車内で5泊目)

(6日目)青森着→特急で盛岡へ→東北新幹線で東京へ→東海道新幹線で帰宅

■親切な旅行センター

 そしてそのメモと大学の発行した学割を持って、北九州市内の黒崎駅の旅行センターへ。実は黒崎駅って自宅の最寄り駅ではなかったんだけど、同じ1990年3月にポール・マッカートニー来日公演で上京した際にホテルの予約や新幹線の切符を購入した際、親切に対応してくれたので敢えて黒崎駅を選んだ。

 メモを渡すと「飛行機、使わないんですか?」「これ、自分で調べたんですか?凄いですね」と驚かれてしまう。だけど、わざわざ列車の時刻が間違ってないか全て調べなおしてくれたし、宿泊施設も「学生さんならこの辺が手頃ですよ」と安くて、でも便利なところを調べてくれたり、さらに「学生さんなら学割が効くから、北海道内なら何度でも乗車できる周遊券を購入した方がお得ですよ」と勧めてくれたり・・・。20代後半くらいの女性の方と、30代前半くらいの男性(周遊券を勧めたのはこの人、おそらく女性の上司)だったけど、1時間近くもかけてホテルや切符の手配をしてくれました。この「放浪」のことを思い出す時、「忘れられない人」が何人かいるんだけど、このお二人のことも一生忘れないと思います。駅の旅行センターって、今でも事務的な人が多いイメージだし、まして当時はJRになってまだ3年くらいだから、国鉄の頃のような高飛車な人も多かった時代だし。「気持ちが落ち込んだので気分転換したい」というのが放浪を思いついた目的だったけど、この2人の対応で少し気分が晴れました。

■2012/1/28 回想:1990年、はじめての北海道ひとり「放浪」(2)

先日書いた「部屋を整理中に出てきた旅行メモ」の引用も交えて。以下、斜体の文章はそのメモからの引用箇所です。

■まずは大阪まで移動、やたら暑くてゴミゴミした街

1990年9月3日(月)

PM12:00、家を出る、●●駅(最寄駅)まで歩く、PM12:30●●駅着、暑い、汗だく

PM12:56  小倉駅よりひかり16号乗車、2階建て

 正直、メモを見るまでこのあたりの記憶は残ってませんでした。まあ、1990年3月にポール・マッカートニーの来日公演で上京、1991年春〜夏にかけて就職活動で何度も東京や大阪行ったし、1991年暮れにはジョージ・ハリスンの来日公演のため大阪に行ったしで、頻繁に新幹線を利用して移動したから、東京や大阪への移動の記憶は曖昧で・・・。そういえばこの頃はまだ「のぞみ」はなくって「ひかり」が最速だったし、2階建ての車両とかってのが登場したばかりで、なぜか指定席を予約すると偶然その2階建て車両の1階ばかりに乗っていた記憶はある。しかしトイレに立った時間までメモに書いているあたり、自分ながら律儀すぎる(笑)。

PM 15:37新大阪駅着、雨が降っている、蒸し暑い

16:40〜心斎橋→難波のアーケード街を歩く

 そうそう、先も述べたとおり、1990年〜1991年にかけて何度も大阪を訪れているので忘れていたけど、「大阪の街を歩き回った時、異常なほど蒸し暑くって不快だった」「地下街になぜか全く冷房が効いていなかった」「東京以上に道が入り組んでいる上、ゴミゴミしていて案内板なども少ないので、道に迷ってしまった」ことが印象に残っていたんだけど、実はこの「北海道放浪」の時だったんだ。寝台列車「日本海」の新大阪駅発車は夜なので、それまでの時間をはじめて訪れた大阪の街を歩き回って過ごした。

■はじめての寝台特急「日本海」乗車

 20:26 新大阪駅より「日本海3号」乗車

 新大阪駅のレストラン街で食事をして、コンコースの書店で車内での暇つぶしのための「ビートルズを抱きしめたい」という本を購入して、大阪発青森行きの寝台列車に乗る。実は「日本海1号」の方は、青函トンネルを抜けて函館まで行く列車だったので、こっちを予約しようとしたんだけど、当時はまだ青函トンネルが開通して間もないこともあって意外と人気で「満席」と言われたので、仕方なく青森行きの「3号」の方を予約した。今ではこの「日本海」って1往復に減ってしまって、しかも乗客も少なくって今年3月で廃止になるとか、ならないとか聞いたけど(後記:3月で廃止)、この日は新大阪駅のホームに列が出来ていた。ただ、私にとってははじめて乗る寝台列車、とっくに鉄道ファンじゃなくなっていた私といえども「車内はどんな感じなんだろう」と興味津々で乗り込んだ。

 しかし、思った以上に殺風景。B寝台なので二段ベッドが向き合った状態。私は下段だけど、上段にどんな人が来るのか、向かいの上下段にどんな人が来るのかちょっと不安。しかも車内は夜の8時半過ぎなのに既に薄暗い。トイレも狭くてあまりキレイではない、暑かったのでタオルを濡らして体を拭こうと思ったのに、洗面台は「故障中、使用禁止」。「朝は食堂車で食事」と思っていたのに食堂車はない、しかも車内販売もない。ああ、分かっていれば食べ物や飲み物を買い込んで乗車したのに・・・。飲み物もないのは拷問だろう。もっと豪華なものを予想していたので意外。鉄道ファンだった小学生の頃は、ブルートレインといえば憧れだったんだけど、意外なほど殺風景でサービスもよくないなと。まして当時はまだ九州〜東京の寝台列車はいっぱい走っていて、そちらでは豪華な装備やサービスも健在だった時代なので、余計に寂しく思われた。

■うるさ過ぎる、富山のジジイ、ババア3人組

21:30車掌が「お休み放送」車内の照明が落ちる

カーテンを閉め、ウォークマンを聴きながら本を読む

ウトウトしかかるも、富山から3人組が乗車、上段と向かいの上下段に、うるさい

 まさにメモの通り。せっかく眠りかかった時、確か夜11時過ぎだったと思うけど、富山駅着。爺さん2名、婆さん1名の3人組が乗車してきて、私の上の段に1名、向かい上下段に2名が。真っ暗で静かな車内で「どこ、よく見えないなあ」「ああ、こっちこっち、こっちよ」と大声で叫びまくり。思わず私はわざとカーテンを揺らして「下段で寝てるんだぞ、静かにしろよ」という合図をするも「ああ、すみませんねー」とまた大声で(笑)。おいおい「起こされた」事にも腹が立つけど、それ以上に嫌になるのは・・・。

 終点の青森着は明日の朝11:46。つまり朝6時に起きたとして、その後、約6時間もこの「3人組」と顔を突き合わせて過ごさなければならないという事実。うーん、苦痛。やっぱり、寝台列車なんて1人で利用するもんじゃないなあ。このときの教訓があったから2008年、九州〜東京間のブルートレインが全廃される際に「はやぶさ」に乗車した時は(こちら)敢えて普通のB寝台じゃなくって個室タイプのB寝台を予約したわけだけど・・・。そんな私の気も知らず、弁当を広げ、さらにビールまで開けて談笑し始める3人組・・・。俺は食べ物も、飲み物も買わずに乗車したのに・・・。イライラするから尚更眠れず。それに当時は外泊する機会も少なかったので、自宅以外で眠ることに慣れておらず。さらに、時々列車の振動で起こされて・・・。そんな要素が重なって、

2時間くらいしか眠れず

 ほとんど熟睡することが出来なかった。なので、鉄道ファンだった小学生の頃は憧れたブルートレインだけど「どんどん廃止されて姿を消していく」ようになった近年まではあまりよい印象を持っていなかったというのも素直な気持ちです。やっぱり、なくなっていくのも仕方ないだろうな。

■2012/2/13 回想:1990年、はじめての北海道ひとり「放浪」(3)

■起床後、意外と長かった終着駅・青森までの時間

1990年9月4日(火)5:14村上駅到着後、(ほとんど眠れないまま)諦めて起きる

 結局、富山から乗車してきたジジイ、ババアの3人組のせいでほとんど眠れず。「もうすぐ村上(新潟県最北部の町)に着くところか」云々というその3人組のひとりの話し声で完全に目が覚める。その直後に車掌の「おはよう放送」が流れたので、私もカーテンを開けて完全に起きる。しかしここから先、この3人組に囲まれたまま終着の青森まで過ごすのは苦痛。わざと窓越しに座って完全に窓の方を向いて、ウォークマンのヘッドホンを耳に突っ込んでいたけど、居心地は悪かった。しかも食堂車も車内販売もないので朝食もとれない。トイレに行ったら鍵もかけずに爺さん(3人組とは別)が入っており、思いっきりパンツを降ろした状態でケツをこっちに向けていて不快な気分にさせられるし・・・(笑)。鍵くらい閉めろよ!!「列車での長旅」が好きな私だし、北陸〜新潟〜東北の日本海側に来たのははじめてだったから車窓が気になったりもしたけど、この時ほど「車内での時間が苦痛で長い」と感じたことはなかった。

 酒田(山形県)で10分ほど停車したので、ホームに下りて外の空気を吸って、ようやく自販機で飲み物を買ったこと、秋田駅も10分ほどの停車時間があったのでようやく駅弁を買って遅い朝食にありつけたことはメモには書いていないけど、はっきり覚えている。終着の青森に着いたのは昼前、11:42。つまり起床から6時間半もかかったわけだけど、私にはその倍くらいの時間に感じられた。せっかくのはじめての寝台列車だったけど「苦痛」という感想しか持てなかった。

■青函トンネルを抜けて、ついに北海道へ

青森駅下車後、向かいの「海峡7号」に乗り換え

 「日本海」を降りると、向かい側に青函トンネルを通って函館に向かう快速「海峡7号」が停車していた。「日本海」を下車した大半の乗客は私同様「海峡7号」に乗り換えていた。まだ青函トンネルが目新しかった頃だから、関西や北陸から北海道に向かうために私と同じルートを使う人が多かったらしい。関西弁の大学生風の集団、家族連れ、爺さんや婆さんの団体など・・・。この「海峡」は全車指定席(確かそうだったかと)なので、あらかじめ指定をとっていたけど、向かい合わせの4人がけのシート。自分の席に着くと、私の周りの3人は男子高校生の集団。しかもよく見ると、実はこの高校生の集団は4人組。つまり、ひとりだけ離れた席に座ってる。「ここは気を利かせた方がいいな」と思ったので「席、代わりましょうか?」と声をかけて、指定券を交換して席を替わってあげた。「ちびまる子ちゃん」のゲームボーイに夢中な男子高校生だったこともなぜか覚えている(笑)。私が移った先の席には50代くらいの夫婦と、私と同世代(20歳前後)の娘の3人の家族連れ。その3人に囲まれての函館までの移動となった。しかしその50代くらいの夫婦が、娘の前だというのに異様なほど仲がよさそうにいていたのも印象に残っている。

 しかし「青森駅を出るとすぐに青函トンネルに入って、トンネルを抜けるとすぐに函館に着く」というイメージを持ってたんだけど、青森から青函トンネルの入り口の蟹田駅までも30分以上かかるし、青函トンネルの入り口から出口まで1時間近くかかるし、青函トンネルの出口の木古内駅から函館駅までは1時間以上かかるしで、意外と遠い。とはいえ、まだ完成して数年の青函トンネルを抜けていく、しかもはじめて「上陸」を果たす北海道に向かうということで、なんとなく楽しみに思えたものでした。

 ただ、知らなかったんだけど、実は青函トンネルの中、海底に2つ駅があって予約しておけば下車してトンネル内を見学できるらしい。知っていれば降りたかったと後悔。「次に訪れる機会があれば」と思ってたんだけど、21世紀に入って海底駅は閉鎖されたとかで、もうそれも叶わないらしいと知ってまた後悔・・・。トンネルを抜けて北海道に入ると、急に瓦のない平屋の家ばかりになる。屋根には煙突があるし・・・。ああ、北海道だなと実感。とはいえ木古内〜函館間、異常に時間がかかる。単線で「行き違いのための待ち合わせ時間」が多いせいなんだけど。

14:49函館着、電話後、ホテルへ

 そんなこんなで函館駅に着く頃にはすっかり疲れていた。前の日の夜の睡眠不足も重なったこともあるし・・・。「駅周辺を散策後、ホテルにチェックイン」を予定していたので、予約時にチェックイン時間:17:00と届けていた。そこで「早めに行っても大丈夫ですか?」と電話した。「大丈夫」とのことだったので、予約しているホテルに早めにチェックインして昼寝することにした。

■せっかくの函館の夜も、生憎の雨

 駅から外に出る。古めかしい駅にもかかわらず、駅前は異様に広い。路面電車が走っていて、大きなデパートが3軒も建っている。レトロな雰囲気でありながら、華やかで賑っているアーケード街が続いている。そして駅前のバス停、電停、デパート、どこを見てもたくさんの高校生。へえ、凄く賑やかな駅前だなあ。ホテルを予約した駅の旅行センターの方に貰った地図を片手にホテルに向かう。予約していたホテルは徒歩10分、松風町電停近くのホテル函館ロイヤル。旅行センターの方に「安いけど立派なホテル」と聞いていたけど、なるほどビジネス・ホテル並みの値段なのに、まるで高級観光へテルのよう。事実ベルガールが荷物を部屋に運んでくれたけど、こんなサービスを受けたのは「放浪」慣れしている私といえども、最初で最後です。だけどそれ故に「チップをあげる」という知識がなかった(笑)。親切で、いい笑顔の、可愛らしい人だったので「悪いことしたな」と今でも後悔してます。部屋に入ってテレビをつけてドラマの再放送を何となく見ていたら、やはり眠気が。しばらく眠ることにした。

 18:30 外へ出ようとするが激しい雨

 前日、大阪で「日本海」に乗る時点で大阪は雨だった。「日本海」乗車中も、通り過ぎてきたいくつかの場所では雨が降っていた。函館に着いた時点では雨は降ってなかったけど天気は悪かったし、予報でも「夜から雨」になっていた。ああ、やっぱり降り出したか。「函館の夜」といえば函館山からの夜景ということになるけど、雨になったら諦める覚悟は出来ていた。なので、駅まで続く商店街を散策したり、北海道ならではの食べ物でも食べて過ごそうということで、折り畳み傘を持って外に出た。しかし・・・。後に仕事の都合で思いがけず函館に住むことになる私だけど、この町は雨が降り出すと必ず海からの強い風が吹き荒れる。小さな折り畳みだけでは全身ずぶ濡れになりそうなほど激しく風が吹く。ああ、もういいや。諦めてコンビニで食べ物を買ってホテルに引き返した。せっかくの函館の町での夜なのに、堪能出来ずに残念。

 20:00ホテルに戻って「スクールウォーズ2」を見る・・・ガッカリ

 ホテルに戻ってテレビをつけると「スクールウォーズ2」の第1回放送がはじまった。高校生のころ夢中になったあの名作ドラマの続編、とても楽しみにしていたので「まあ、これでも見て気を紛らわすか」と。ところが・・・、おいおい、これがあの名作ドラマの続編かよ?? あまりの情けない出来にガッカリ・・・。いや、旅先で見てガッカリしただけに、その記憶もとても鮮明。今でもこの「駄作ドラマ」のことを思い出すたびに「函館のホテルの一室で感じたガッカリ感」も蘇ってくるんです(笑)。

22:00頃、すぐに寝る

「旅先ではなかなか寝付けない」私だけど、さすがに前日の睡眠不足もあり、ぐっすり眠りました。

■2012/2/20 回想:1990年、はじめての北海道ひとり「放浪」(4)

■懐かしい町並み、路面電車のある街

1990年9月5日(水) 6:18起床 8:00朝食、和定食(たら、いかそうめん等)

 ↑しかしなんで起床時間、こんなに細かく正確にメモしてるんだ?(笑) ホテルには洋風のレストランと和食の食堂があって、朝食はどちらかを選んでとれるようになっていたけど、函館名物のイカそうめん他、北海道らしい食材を使った和定食を選んだ。前日の夜、北海道らしい食べ物を食べ損なったこともあったし・・・。

9:15チェックアウト、駅まで歩きコインロッカーに荷物を置く

 外に出るとまだ曇り空ながら雨は止んでいた。駅まで歩く。賑っていて栄えているけど、1990年当時でも「懐かしい」と感じられる駅周辺。どことなく昭和40年代を思わせる町並みがよいなと。そして路面電車もまた懐かしい。路面電車が函館市内移動の主な手段。駅前の電停から五稜郭方面の電車に乗車、まずは五稜郭に向かった。

 車内は地元の人、観光客などで賑っているけど、朝市で一仕事終えた帰りのようなオバちゃんの集団も。また

オバちゃんの客「細かいの持ってないんだけど」

運転士「両替機があるので両替すれば大丈夫ですよ」

オバちゃん「ああ、そうなの、めったに乗らないから知らなかった」

運転士「じゃあ、今後はもっと利用してくださいね(笑)」

などという楽しい会話も。私も思わず笑ってしまった。

 五稜郭の電停で下車して五稜郭に向かって歩き出す。意外と五稜郭周辺も商店街があって賑っている。この時はまだ駅前がいちばんの繁華街、五稜郭は2番目の繁華街だったけど、90年代半ばに仕事の関係で函館に転勤してきた時は、駅周辺は嘘のように衰退していて、立場が逆転していてビックリしたものだけど・・・。

 五稜郭の敷地内に着いた後、タワー付近まで歩く。しかし時計を見るともう10:30。いや、函館市内には見たいところがいっぱいあるんだけど、14:00には札幌に移動しなきゃいけないので、あんまりここでゆっくりしていると他のところへ行けなくなる。ここよりも海沿いや函館山の方により興味があるので、ここでゆっくりしてはいられない。そう思ったので、敷地内を少し歩いただけで、すぐに電停に引き返し、函館駅を通り過ぎ、海沿いの倉庫街最寄の電停、十字街に向かう電車に乗った。

■生まれてはじめて「景色を見て心が洗われる」

11:00 十字街電停下車、赤レンガ倉庫街へ

 十字街の電停で降りた後、沿岸の方に向かって歩く。このあたりの海岸沿いには明治時代に建てられた赤レンガ倉庫が多く残っていて、昔ながらのひなびた港町の風情が残っている。「ベイはこだて」なる、赤レンガ倉庫を土産物屋やレストラン、ビアホールに改装した商業施設を中心にいろんな施設がある。確かに「レトロな雰囲気」はある反面、団体の観光客でごった返していて、1990年当時のバブルで浮かれた雰囲気もあって「ちょっと微妙かな」と。むしろそこから一本細い路地に入ると、あまり手を加えられていない、昔ながらの倉庫街があったりして、そのあたりの方がはるかにいい雰囲気だった。1990年代半ばに転勤のため引っ越してきた時は、この時以上に手が加えられまくっていて、ひなびた空気はほとんど感じられなくなってしまっていた。そこへいくとこの頃はベイエリアの再開発が始まったばかりだったので、まだよかったのかもしれない。

 ベイエリアで1時間くらい過ごした後、今度は港から函館山に向かう長い坂道、八幡坂の方に向かって歩き出した。しかしこの坂、決して急ではないものの、ダラダラ続く長い坂。いくら曇り空で肌寒いとはいえ、疲れて足が痛くなってくる。ああ、もう疲れた。歩いて登るんじゃなかった。横を車や観光バスが通り過ぎる。ああ、もう嫌だ。そこで、思わず立ち止まって今歩いてきた方=坂の下、港の方を見下ろした・・・・。

 思わず、息を呑む。ああ、なんて素晴らしい眺め。眼下に広がる海、ベイエリア・・・。といっても、写真がないと分からないだろうから、ネットで見つけたサイトにリンクはっときます(こちら)。でも、1990年頃はリンク先の写真のような近代的で高い建物はまだ少なかったように思うけど・・・。しかも、なぜか私が立ち止まって眼下を見下ろした瞬間、それまでの曇り空が嘘のように空が晴れ上がってきた。本当に素晴らしい。(1)に書いたとおり、なんともいえない、もやもやした気持ちを晴らしたい一心で踏み切った今回の無謀な「放浪」だったけど、そうした頭の中の、心の中のもやもやすら晴れていくかのよう。こんな爽やかな気持ちになったのは何ヶ月ぶりだろう・・・。「景色を見て美しいと思う」とか、「美しい景色に心を洗われる」なんて経験は生まれて22年間、一度もなかった。「素晴らしい景色」が、人の気持ちをこんなに感動させ、人をひきつけるなんて、今まで考えもしなった。思わず、坂の途中で呆然と立ち尽くしてしまった。多くの観光客は車や観光バスでこの坂を通り過ぎるんだろう。だとすれば、この景色の素晴らしさはきっと分からないだろう。ダラダラした坂を登って「疲れた」けど、その甲斐があったというもの。急に気持ちが安らいだ。

■今ひとつの昼の函館山

 坂を登りきったところに元町公園、旧函館区公会堂、いくつかの古い教会、そして函館山のロープウェイ駅などがある。そのせいか、坂を登りきったところに観光客がいっぱい。坂の途中にはほとんどいなかったのに。とりあえず時間も限られているので駆け足で一通り見て回る。旧函館区公会堂のバルコニーからの眺めもまた、坂の途中で見たのに負けず劣らずの素晴らしい眺めだったこと、あちこちでソフトクリームを売っていたこと(寒いのに:笑)、聖ヨハネ教会の前になぜか野良猫がいて、その野良猫に「おい、お前がヨハネか?」などと話しかけていた観光客がいて笑ってしまったことなどが印象に残っている。

 その後、函館山ロープウェイで山頂へ。この函館山山頂からの夜景は「日本4大夜景のひとつ」とされているほど有名だけど、昨日の夜は大雨で断念した。さすがに昼間はロープウェイもガラガラ。山頂から下を見たけど、なるほど海岸線が面白い形をしているけど、さっき坂の途中で見た景色と比較すると感動は薄い。まあ、今回は仕方なかろう、また機会があれば、ということで・・・。ちなみに1990年代半ばに転勤のため引っ越してきた際も、夜の函館山には登っていない。「生涯をともにしたいと思える人が現れたら一緒に来よう」と心に決めたんだけど、そんな相手はいまだ現れず、実現していない・・・(笑)。一生実現しないだろうな・・・。

 ロープウェイで下山すると今度は基坂という、登ってきたのとは別の坂を下って港の方に戻る。今度は「港や海がだんだん近づいていく」感じ。この眺めも悪くない。港に戻って時計を見ると、もう13:30。14:35発の特急の指定席をとっているので、あと1時間くらいしかない。だけど、あまりにもいい街、素晴らしい景色。名残惜しくって函館の町を離れたくない。うーん、失敗。札幌で2泊ではなく、函館で2泊の予定を立てておくべきだった・・・。このときからずっと、函館は私の中で「最も好きな場所」になった。その地位は今も揺るがないんだけど、21世紀になった今、街の様子も大分変わってしまったんだろうなと思うと怖くてもう一度、足を運びたいとは思えないというのも正直な気持ちです。

■2012/2/13 回想:1990年、はじめての北海道ひとり「放浪」(3)

■起床後、意外と長かった終着駅・青森までの時間

1990年9月4日(火)5:14村上駅到着後、(ほとんど眠れないまま)諦めて起きる

 結局、富山から乗車してきたジジイ、ババアの3人組のせいでほとんど眠れず。「もうすぐ村上(新潟県最北部の町)に着くところか」云々というその3人組のひとりの話し声で完全に目が覚める。その直後に車掌の「おはよう放送」が流れたので、私もカーテンを開けて完全に起きる。しかしここから先、この3人組に囲まれたまま終着の青森まで過ごすのは苦痛。わざと窓越しに座って完全に窓の方を向いて、ウォークマンのヘッドホンを耳に突っ込んでいたけど、居心地は悪かった。しかも食堂車も車内販売もないので朝食もとれない。トイレに行ったら鍵もかけずに爺さん(3人組とは別)が入っており、思いっきりパンツを降ろした状態でケツをこっちに向けていて不快な気分にさせられるし・・・(笑)。鍵くらい閉めろよ!!「列車での長旅」が好きな私だし、北陸〜新潟〜東北の日本海側に来たのははじめてだったから車窓が気になったりもしたけど、この時ほど「車内での時間が苦痛で長い」と感じたことはなかった。

 酒田(山形県)で10分ほど停車したので、ホームに下りて外の空気を吸って、ようやく自販機で飲み物を買ったこと、秋田駅も10分ほどの停車時間があったのでようやく駅弁を買って遅い朝食にありつけたことはメモには書いていないけど、はっきり覚えている。終着の青森に着いたのは昼前、11:42。つまり起床から6時間半もかかったわけだけど、私にはその倍くらいの時間に感じられた。せっかくのはじめての寝台列車だったけど「苦痛」という感想しか持てなかった。

■青函トンネルを抜けて、ついに北海道へ

青森駅下車後、向かいの「海峡7号」に乗り換え

 「日本海」を降りると、向かい側に青函トンネルを通って函館に向かう快速「海峡7号」が停車していた。「日本海」を下車した大半の乗客は私同様「海峡7号」に乗り換えていた。まだ青函トンネルが目新しかった頃だから、関西や北陸から北海道に向かうために私と同じルートを使う人が多かったらしい。関西弁の大学生風の集団、家族連れ、爺さんや婆さんの団体など・・・。この「海峡」は全車指定席(確かそうだったかと)なので、あらかじめ指定をとっていたけど、向かい合わせの4人がけのシート。自分の席に着くと、私の周りの3人は男子高校生の集団。しかもよく見ると、実はこの高校生の集団は4人組。つまり、ひとりだけ離れた席に座ってる。「ここは気を利かせた方がいいな」と思ったので「席、代わりましょうか?」と声をかけて、指定券を交換して席を替わってあげた。「ちびまる子ちゃん」のゲームボーイに夢中な男子高校生だったこともなぜか覚えている(笑)。私が移った先の席には50代くらいの夫婦と、私と同世代(20歳前後)の娘の3人の家族連れ。その3人に囲まれての函館までの移動となった。しかしその50代くらいの夫婦が、娘の前だというのに異様なほど仲がよさそうにいていたのも印象に残っている。

 しかし「青森駅を出るとすぐに青函トンネルに入って、トンネルを抜けるとすぐに函館に着く」というイメージを持ってたんだけど、青森から青函トンネルの入り口の蟹田駅までも30分以上かかるし、青函トンネルの入り口から出口まで1時間近くかかるし、青函トンネルの出口の木古内駅から函館駅までは1時間以上かかるしで、意外と遠い。とはいえ、まだ完成して数年の青函トンネルを抜けていく、しかもはじめて「上陸」を果たす北海道に向かうということで、なんとなく楽しみに思えたものでした。

 ただ、知らなかったんだけど、実は青函トンネルの中、海底に2つ駅があって予約しておけば下車してトンネル内を見学できるらしい。知っていれば降りたかったと後悔。「次に訪れる機会があれば」と思ってたんだけど、21世紀に入って海底駅は閉鎖されたとかで、もうそれも叶わないらしいと知ってまた後悔・・・。トンネルを抜けて北海道に入ると、急に瓦のない平屋の家ばかりになる。屋根には煙突があるし・・・。ああ、北海道だなと実感。とはいえ木古内〜函館間、異常に時間がかかる。単線で「行き違いのための待ち合わせ時間」が多いせいなんだけど。

14:49函館着、電話後、ホテルへ

 そんなこんなで函館駅に着く頃にはすっかり疲れていた。前の日の夜の睡眠不足も重なったこともあるし・・・。「駅周辺を散策後、ホテルにチェックイン」を予定していたので、予約時にチェックイン時間:17:00と届けていた。そこで「早めに行っても大丈夫ですか?」と電話した。「大丈夫」とのことだったので、予約しているホテルに早めにチェックインして昼寝することにした。

■せっかくの函館の夜も、生憎の雨

 駅から外に出る。古めかしい駅にもかかわらず、駅前は異様に広い。路面電車が走っていて、大きなデパートが3軒も建っている。レトロな雰囲気でありながら、華やかで賑っているアーケード街が続いている。そして駅前のバス停、電停、デパート、どこを見てもたくさんの高校生。へえ、凄く賑やかな駅前だなあ。ホテルを予約した駅の旅行センターの方に貰った地図を片手にホテルに向かう。予約していたホテルは徒歩10分、松風町電停近くのホテル函館ロイヤル。旅行センターの方に「安いけど立派なホテル」と聞いていたけど、なるほどビジネス・ホテル並みの値段なのに、まるで高級観光へテルのよう。事実ベルガールが荷物を部屋に運んでくれたけど、こんなサービスを受けたのは「放浪」慣れしている私といえども、最初で最後です。だけどそれ故に「チップをあげる」という知識がなかった(笑)。親切で、いい笑顔の、可愛らしい人だったので「悪いことしたな」と今でも後悔してます。部屋に入ってテレビをつけてドラマの再放送を何となく見ていたら、やはり眠気が。しばらく眠ることにした。

 18:30 外へ出ようとするが激しい雨

 前日、大阪で「日本海」に乗る時点で大阪は雨だった。「日本海」乗車中も、通り過ぎてきたいくつかの場所では雨が降っていた。函館に着いた時点では雨は降ってなかったけど天気は悪かったし、予報でも「夜から雨」になっていた。ああ、やっぱり降り出したか。「函館の夜」といえば函館山からの夜景ということになるけど、雨になったら諦める覚悟は出来ていた。なので、駅まで続く商店街を散策したり、北海道ならではの食べ物でも食べて過ごそうということで、折り畳み傘を持って外に出た。しかし・・・。後に仕事の都合で思いがけず函館に住むことになる私だけど、この町は雨が降り出すと必ず海からの強い風が吹き荒れる。小さな折り畳みだけでは全身ずぶ濡れになりそうなほど激しく風が吹く。ああ、もういいや。諦めてコンビニで食べ物を買ってホテルに引き返した。せっかくの函館の町での夜なのに、堪能出来ずに残念。

 20:00ホテルに戻って「スクールウォーズ2」を見る・・・ガッカリ

 ホテルに戻ってテレビをつけると「スクールウォーズ2」の第1回放送がはじまった。高校生のころ夢中になったあの名作ドラマの続編、とても楽しみにしていたので「まあ、これでも見て気を紛らわすか」と。ところが・・・、おいおい、これがあの名作ドラマの続編かよ?? あまりの情けない出来にガッカリ・・・。いや、旅先で見てガッカリしただけに、その記憶もとても鮮明。今でもこの「駄作ドラマ」のことを思い出すたびに「函館のホテルの一室で感じたガッカリ感」も蘇ってくるんです(笑)。

22:00頃、すぐに寝る

「旅先ではなかなか寝付けない」私だけど、さすがに前日の睡眠不足もあり、ぐっすり眠りました。

■2012/2/20 回想:1990年、はじめての北海道ひとり「放浪」(4)

■懐かしい町並み、路面電車のある街

1990年9月5日(水) 6:18起床 8:00朝食、和定食(たら、いかそうめん等)

 ↑しかしなんで起床時間、こんなに細かく正確にメモしてるんだ?(笑) ホテルには洋風のレストランと和食の食堂があって、朝食はどちらかを選んでとれるようになっていたけど、函館名物のイカそうめん他、北海道らしい食材を使った和定食を選んだ。前日の夜、北海道らしい食べ物を食べ損なったこともあったし・・・。

9:15チェックアウト、駅まで歩きコインロッカーに荷物を置く

 外に出るとまだ曇り空ながら雨は止んでいた。駅まで歩く。賑っていて栄えているけど、1990年当時でも「懐かしい」と感じられる駅周辺。どことなく昭和40年代を思わせる町並みがよいなと。そして路面電車もまた懐かしい。路面電車が函館市内移動の主な手段。駅前の電停から五稜郭方面の電車に乗車、まずは五稜郭に向かった。

 車内は地元の人、観光客などで賑っているけど、朝市で一仕事終えた帰りのようなオバちゃんの集団も。また

オバちゃんの客「細かいの持ってないんだけど」

運転士「両替機があるので両替すれば大丈夫ですよ」

オバちゃん「ああ、そうなの、めったに乗らないから知らなかった」

運転士「じゃあ、今後はもっと利用してくださいね(笑)」

などという楽しい会話も。私も思わず笑ってしまった。

 五稜郭の電停で下車して五稜郭に向かって歩き出す。意外と五稜郭周辺も商店街があって賑っている。この時はまだ駅前がいちばんの繁華街、五稜郭は2番目の繁華街だったけど、90年代半ばに仕事の関係で函館に転勤してきた時は、駅周辺は嘘のように衰退していて、立場が逆転していてビックリしたものだけど・・・。

 五稜郭の敷地内に着いた後、タワー付近まで歩く。しかし時計を見るともう10:30。いや、函館市内には見たいところがいっぱいあるんだけど、14:00には札幌に移動しなきゃいけないので、あんまりここでゆっくりしていると他のところへ行けなくなる。ここよりも海沿いや函館山の方により興味があるので、ここでゆっくりしてはいられない。そう思ったので、敷地内を少し歩いただけで、すぐに電停に引き返し、函館駅を通り過ぎ、海沿いの倉庫街最寄の電停、十字街に向かう電車に乗った。

■生まれてはじめて「景色を見て心が洗われる」

11:00 十字街電停下車、赤レンガ倉庫街へ

 十字街の電停で降りた後、沿岸の方に向かって歩く。このあたりの海岸沿いには明治時代に建てられた赤レンガ倉庫が多く残っていて、昔ながらのひなびた港町の風情が残っている。「ベイはこだて」なる、赤レンガ倉庫を土産物屋やレストラン、ビアホールに改装した商業施設を中心にいろんな施設がある。確かに「レトロな雰囲気」はある反面、団体の観光客でごった返していて、1990年当時のバブルで浮かれた雰囲気もあって「ちょっと微妙かな」と。むしろそこから一本細い路地に入ると、あまり手を加えられていない、昔ながらの倉庫街があったりして、そのあたりの方がはるかにいい雰囲気だった。1990年代半ばに転勤のため引っ越してきた時は、この時以上に手が加えられまくっていて、ひなびた空気はほとんど感じられなくなってしまっていた。そこへいくとこの頃はベイエリアの再開発が始まったばかりだったので、まだよかったのかもしれない。

 ベイエリアで1時間くらい過ごした後、今度は港から函館山に向かう長い坂道、八幡坂の方に向かって歩き出した。しかしこの坂、決して急ではないものの、ダラダラ続く長い坂。いくら曇り空で肌寒いとはいえ、疲れて足が痛くなってくる。ああ、もう疲れた。歩いて登るんじゃなかった。横を車や観光バスが通り過ぎる。ああ、もう嫌だ。そこで、思わず立ち止まって今歩いてきた方=坂の下、港の方を見下ろした・・・・。

 思わず、息を呑む。ああ、なんて素晴らしい眺め。眼下に広がる海、ベイエリア・・・。といっても、写真がないと分からないだろうから、ネットで見つけたサイトにリンクはっときます(こちら)。でも、1990年頃はリンク先の写真のような近代的で高い建物はまだ少なかったように思うけど・・・。しかも、なぜか私が立ち止まって眼下を見下ろした瞬間、それまでの曇り空が嘘のように空が晴れ上がってきた。本当に素晴らしい。(1)に書いたとおり、なんともいえない、もやもやした気持ちを晴らしたい一心で踏み切った今回の無謀な「放浪」だったけど、そうした頭の中の、心の中のもやもやすら晴れていくかのよう。こんな爽やかな気持ちになったのは何ヶ月ぶりだろう・・・。「景色を見て美しいと思う」とか、「美しい景色に心を洗われる」なんて経験は生まれて22年間、一度もなかった。「素晴らしい景色」が、人の気持ちをこんなに感動させ、人をひきつけるなんて、今まで考えもしなった。思わず、坂の途中で呆然と立ち尽くしてしまった。多くの観光客は車や観光バスでこの坂を通り過ぎるんだろう。だとすれば、この景色の素晴らしさはきっと分からないだろう。ダラダラした坂を登って「疲れた」けど、その甲斐があったというもの。急に気持ちが安らいだ。

■今ひとつの昼の函館山

 坂を登りきったところに元町公園、旧函館区公会堂、いくつかの古い教会、そして函館山のロープウェイ駅などがある。そのせいか、坂を登りきったところに観光客がいっぱい。坂の途中にはほとんどいなかったのに。とりあえず時間も限られているので駆け足で一通り見て回る。旧函館区公会堂のバルコニーからの眺めもまた、坂の途中で見たのに負けず劣らずの素晴らしい眺めだったこと、あちこちでソフトクリームを売っていたこと(寒いのに:笑)、聖ヨハネ教会の前になぜか野良猫がいて、その野良猫に「おい、お前がヨハネか?」などと話しかけていた観光客がいて笑ってしまったことなどが印象に残っている。

 その後、函館山ロープウェイで山頂へ。この函館山山頂からの夜景は「日本4大夜景のひとつ」とされているほど有名だけど、昨日の夜は大雨で断念した。さすがに昼間はロープウェイもガラガラ。山頂から下を見たけど、なるほど海岸線が面白い形をしているけど、さっき坂の途中で見た景色と比較すると感動は薄い。まあ、今回は仕方なかろう、また機会があれば、ということで・・・。ちなみに1990年代半ばに転勤のため引っ越してきた際も、夜の函館山には登っていない。「生涯をともにしたいと思える人が現れたら一緒に来よう」と心に決めたんだけど、そんな相手はいまだ現れず、実現していない・・・(笑)。一生実現しないだろうな・・・。

 ロープウェイで下山すると今度は基坂という、登ってきたのとは別の坂を下って港の方に戻る。今度は「港や海がだんだん近づいていく」感じ。この眺めも悪くない。港に戻って時計を見ると、もう13:30。14:35発の特急の指定席をとっているので、あと1時間くらいしかない。だけど、あまりにもいい街、素晴らしい景色。名残惜しくって函館の町を離れたくない。うーん、失敗。札幌で2泊ではなく、函館で2泊の予定を立てておくべきだった・・・。このときからずっと、函館は私の中で「最も好きな場所」になった。その地位は今も揺るがないんだけど、21世紀になった今、街の様子も大分変わってしまったんだろうなと思うと怖くてもう一度、足を運びたいとは思えないというのも正直な気持ちです。

■2012/2/27 回想:1990年、はじめての北海道ひとり「放浪」(5)

■波止場でひとり・・・

 基坂を下って再び港に戻った私。すぐに駅に戻るには名残惜しかったので、港にあったベンチに腰掛けてぼんやりと過ごす。そしてひとり、考え事・・・。

 

 今回の「放浪」は将来とか人生とか、いろいろ悩んで気分が落ち込んだので、その気分を晴らしたくて踏み切ったもの。だけど全く知らない、地元・北九州から遠く離れた、当時の私から見れば別世界のような場所を訪れ、しかも素晴らしい景色を眺めているうちに、自分の悩みなんて大した問題じゃないような気がしてきた。「将来、進むべき道」「お先真っ暗な将来」「終末=世紀末」考えたってしょうがない。この頃の私は「先のこと」ばかりを過剰に心配して、悲観的になっていた。だけど大事なのは「今、どう過ごすか?」「今を楽しむ」ことじゃないか。「甘い考え方」と思う人もいるかもしれないけど、私のように「先のことを考える=悲観視して鬱になる」くらいなら、それくらいお気楽に生きた方がいいじゃないか・・・。実際今、俺はこんなにも素晴らしい景色を目の当たりにし、素晴らしい街で過ごして楽しんでいるんだから「幸せに生きている」と考えればいい。将来?難しく考えず、自分の好きなことをやればいいだけじゃないか。いい会社とか、カッコいい仕事とか、安定してる仕事とかじゃなく「好き」なこと・・・。そう思うと将来への不安も吹き飛んでしまった。手持ち無沙汰だったのでウォークマンで音楽を流していたんだけど、その時聴いていたのが買ったばかりのThe Best Of Rod Stewart、流れていたのがロナルド・アイズレーとのデュエット・バージョンのThis Old Heart Of Mineだった。そのせいか、今でもこのアルバム、この曲を聴くと函館の波止場の景色を思い出すんです。

 ・・・随分長い時間、ベンチに座って考え事をして過ごしたような気がしたんだけど、時計を見るとまだ15分程度しか経っていない。だけど、函館駅まで路面電車で戻らないきゃいけないので、名残惜しいけどそろそろ行かなきゃ。函館、本当にいい街でした。まさか約5年後、転勤でここに住むことになろうとは、当時は思いもよらなかった。

■意外と遠い札幌、意外と広い北海道

13:50十字街電停より路面電車乗車

14:10函館駅到着、待合室で過ごす

14:35特急北斗11号乗車

 函館駅に戻って、売店で食べ物を買って(昼食もまだだった!!)指定席を予約していた札幌行きの特急北斗11号に乗車する。しかし観光客だけではなく、ビジネスマンなども多くて指定席も自由席も満席。約5年後、仕事の都合で函館に引っ越すことになるけど、その時期には何度もこの「北斗」で函館と札幌を行ったり来たりしたもの。だけどこの時が当然初乗車。まさか、この後何度も乗車することになるとは思いもよらなかった。

 しかし函館〜札幌って意外と遠い。イメージでは「1,2時間程度で着く」くらいに思っていたんだけど、約4時間もかかる。まあ、北海道ってひとつの都道府県だけど、実は九州よりも全然広いわけだし、函館は最南端、札幌は中心あたりだから、それくらいかかって当たり前なんだけど・・・。改めて北海道の広さ、大きさを実感した。

18:48札幌駅着、外は真っ暗

本当に長かった。そして札幌駅から外に出る。街全体がレトロな雰囲気だった函館から一転、やはり札幌は近代的な都会。といっても、駅も、駅前も今のように「近未来」的ではなかったけど。今日から2泊予約しているのは、駅の正面にある第一ワシントンホテル。すぐにチェックインした。

■都会だけどきれいな街、札幌

19:20外へ出る。駅の地下街を歩く

 メモにはこう書いてるけど、正直、チェックインしてすぐ外に出た記憶はない・・・。函館の街で散々歩いたし、既に外は真っ暗だし、街の様子も分からないので、街をゆっくり散策するのはまた明日。とりあえず、駅の地下街を歩き回った、そんなとこだろうな。約5年後に札幌に引っ越してきた際は、すっかり改装されて若者向けのおしゃれな店ばかりになっていたけど、当時はまだまだ「昭和な」(大嫌いな表現だけど)雰囲気のレトロで庶民的な地下街だったもの。人が多くてとても栄えていて、いかにも「大都市」という感じだけど、東京や大阪ほどゴミゴミした印象はない。でも、福岡市(当時通っていた大学があった)ともまたちょっと違う。意外と「きれいな都会」というイメージ、明日またゆっくり過ごそう、ということですぐにホテルに戻った。

0:00頃就寝、足の裏が痛い

確かに歩き疲れていたのはよく覚えている・・・。函館は十分満喫した。今度は札幌、この街もいい街だったらいいなあ・・・。

■2012/3/26 回想:1990年、はじめての北海道ひとり「放浪」(6)

■ちょっと後悔? 親切な若い女性2人組

1990年9月6日(木) 6:30頃起床

8:00ホテル1階の喫茶店で朝食、「北海道ブレックファスト」と「アメリカン・ブレックファスト」のうち、どちらか片方を選べるようになっていたので、「アメリカンブレックファスト」を注文。ズボンのクリーニングをフロントに頼む

9:10外出、大通公園の方へ歩く

 駅から大通り公園に続く道は、大きな道で人も車もいっぱい、なのに並木も生い茂っていてとてもきれい。しかも市街地の近くに有名なスポットもいっぱい。まずはそうした街中のスポットを訪問していく。

赤レンガの旧道庁、敷地内を散策した後、植物園へ。

 植物園の中には森や小高い丘や山道もあって、北海道でしか見ることの出来ない植物がいっぱい栽培されていた。正直、あんまり興味はなかったけど、出発前に本屋で立ち読みした観光ガイドに「絶対外せないスポット」とあったので、「とりあえず」という感じで訪問した。残念ながら私には木や花を見ても「どこがどう珍しいのか?」「どれが北海道特有なのか?」も分からなかったけど、むしろ「街のど真ん中に森や丘がある=思いっきり自然が残っている」ことの方に感動した。

 歩き疲れたので植物園内にある木陰の休憩所で休む。缶ジュースを買って、それを飲みながらぼんやり過ごす。周囲には年配の観光客、そして会話の内容からすると地元の大学生(北海道大学?)と思われる若い女性2人組が。やがて私は席を立って歩き出す。すると後ろからさっきの女性2人組が走って追いかけてくる。おいおい、俺って北海道ではモテるタイプなのか?(笑) 

 「すみません、忘れていませんか?」。よく見ると2人のうちの1人の手に私の財布が。なんと、私はさっきの休憩所に財布を置き忘れたらしい。郵便局や銀行のキャッシュカードも、帰りの交通機関の切符も全て財布に入れていた。つまり、ここで財布を忘れていたら、私は帰ることが出来なくなっていただろう。本当にあぶなかった。「ありがとうございます、九州から来てるんで、なくしたら帰れなくなるところでしたよ」丁寧にお礼を言った。「よかったですね」と2人は笑った。2人ともちょっと派手なファッションだったし、さっきの休憩所でも遊びの話ばっかりしていてあんまりいい印象じゃなかったけど、意外といい人たち。ちょっと嬉しくなった。でもそこで「お礼に食事でも」とか、「札幌、はじめてなんで案内してくれますか?」等の、気の利いた会話が出来なかったあたり、当時の私って駄目だなあと思う。今でもちょっと後悔してるかも(笑)。とはいえ、とても爽やかな気分になった。

■市街地の憩いの場、大通公園

 植物園を出ると、大通公園に向かう。札幌市の、まさに最も賑ってる場所にある、長い長い公園。私の地元・北九州は異常なほど道幅の狭い通りが多い街。それなだけに、こんなにだだっ広い道、しかも道の真ん中にある公園、緑・・・、この光景はカルチャーショックというか、異次元のように映った。思わず、30分近くかけて隅から隅まで歩いた。観光客だけではなく、地元の家族連れ、年配の人たち、ビジネスマンまでもがゆったりとくつろいでいてまさに憩いの場。とても好印象を持った。

 大通公園の隅には、テレビ塔が建っている。当時は「東京タワー、横浜マリンタワーに次ぐ、3番目に高い塔」だったもの。展望台もあるので、エレベーターで展望台に昇ってみた。だけど展望台からの眺めよりも、テレビ塔のガイドの人たち、休憩時間なんだろうけど、制服を着たまま「この前のウッチャンナンチャンの番組、見た?」「見た見た、おかしかったねえ」などと大声でしゃべっていてうるさかった事しか印象に残っていない。いくら休憩といっても、もっと考えろよと・・・。

 その後、時計台へ。立ち読みした旅行ガイドなどにも「ガッカリ・スポット」と紹介されていた。高いビルが回りに建っていて埋没したように見えるからそう書かれていたんだろうけど、前もって知識があったおかげで「ガッカリ」とはならなかった。それに入場料を払って中にも入ったけど、古い時代の建物のわりに立派な建物で、構造もちょっと変わっていてむしろ感心させられた。外に出ようとすると「署名してください」と声をかけられる。なんと、訪れた人全員に名前と住所を書かせている。今の時代なら「個人情報漏洩が怖い」とか「どこに個人情報が流されるか分からない」と警戒して誰も署名しないだろうけど、みんなきちんと署名している。その署名の受付に50代くらいのオッサンが座っていたんだけど、私が住所を書くと「えっ、福岡県って九州?」と声をかけられた。関東や関西、さらには北海道各地から多くの人が訪れる場所ではあると思うけど、さすがに九州の人は珍しいらしい。

■有名なスポットよりも市街の方が魅力的な街

13:30東急デパート前のバス停から、羊が丘行きのバスに乗車

 次に目指したのは羊が丘展望台。クラークの像が建っていることで有名なスポット。だけど札幌市の場合、1日かけてゆっくり有名なスポットを回ってくれる観光バスが何本も運行されているので、一般の路線バスを使って郊外の観光地を訪れる人は少ないようで、路線バスに乗っているのは地元の人ばかり。延々30分以上かかってやっと終点に着いた頃には、バスに乗っている乗客は私を含めて2人だけだった。しかも、有名なスポットなのかもしれないけど「像以外何にもない場所」という印象しか持てず。しかも曇り空で天気も悪いので、あまりきれいな場所にも見えない。なので、すぐにバスで市街地に引き返した。

 市街地に戻った後、市の中心部を歩いてみた。狸小路という若者で賑っているアーケード街、ポールタウンとオーロラタウンという2つの地下街、そしてすすきの・・・。当時はまだバブル期だったので、実に華やかで賑やか。街の規模的には福岡市くらいの街だろうと想像していたけど、むしろ「ミニ東京」といった感じで、もっとおしゃれな印象。派手で都会的な若い人も多いし・・・。それでいて街の中に大通公園や植物園のような、緑の濃い憩いの場もある。都会なのに自然も多い。とてもいい街、住みやすそうな街、住んでみたい街だなと思った。函館の場合、純粋に有名なスポットが気に入ったけど、この街に関しては有名な観光スポットよりも市街のこの雰囲気の方が気に入った。

 さすがに疲れた。どこかで休もうか。そうだ、大通公園に行こう。夕方、大通公園のベンチでぼんやり過ごした後、ホテルに戻った。疲れたけど、とてもよい1日だった。

19:45ホテル内の寿司屋「三十三間堂」で寿司セットを食べる

 部屋に帰ってよく見ると、ホテル内に「三十三間堂」という北海道の食材を使った寿司の店があり、宿泊のお客様に限り、割引になるという券がある。一人旅でひとりで外で食事をしたり飲んだりはなかなか厳しいものがある。でも、ここなら宿泊客であれば気楽には入れそう。ということで、「北海寿司セット」を食べた。九州ではあまりお目にかかれないネタもあってとても旨かった。同時に、軽くビールも飲む。1日歩き通しで疲れていたので意外と回りが早く、眠くなったので、部屋に戻って就寝した。

■2012/4/3 回想:1990年、はじめての北海道ひとり「放浪」(7)

■藻岩山ロープーウェイのガイドさんとのひととき

1990年9月7日(金)6:30起床

8:20 朝食、今日は北海ブレックファストの方を選ぶ、ラムステーキ、男爵いも等、北海道らしい食材ばかり

9:30チェックアウト

 2泊過ごした駅前の第一ワシントンホテルを後にした私は、札幌駅のコインロッカーに荷物を預けた後、地下鉄に乗って円山公園駅で下車。そこからバスに乗り換えて藻岩山ロープーウェイ乗り場で下車した。藻岩山は冬場はスキー場、それ以外の季節は山頂から市内全体が見渡せるということもあり、観光地化している場所。意外と観光客は少なく、地元の年配の方の集団や遠足と思われる小学生の集団ばかり。「夜景を見る」目的で来る人が大半だろうから、平日の午前中にはそんなに人出は多くないんだろう。

 ロープーウェイで山頂に登る。だけど、札幌は山に囲まれた街で海がないので延々山と平地だけが続く景色。まして数日前に函館山を訪れたばかりだから、どうしても「いまひとつだなあ」と。地元・北九州の皿倉山(ケーブルカーもある)からの眺めのほうがむしろよいくらい。

 ということで、すぐに下山しようとロープウェイ乗り場へ。だけど、ロープウェイの出発時間になっても誰も乗ってこない。なんと、乗客は私にひとりらしい。ロープウェイには女性のガイドが乗っていて、マイクで藻岩山や札幌市についての解説をするんだけど、さすがに乗客ひとりでは事務的に決まりきった解説をするのも気まずく思ったんだろう。マイクを置き、私の近くの席に腰掛けて話しかけてきた。

ガイド「観光ですか、どこから来られたんですか?」

私「九州の福岡(北九州といっても通じないので、よその人にはそう答えることにしている)です」

ガイド「へえ、九州ですか・・・。札幌の街ではどこが気に入りましたか?」

私「昨日行ったのは大通り公園、テレビ塔、時計台、羊が丘とか・・・」

ガイド(指さしながら)「大通りはあの辺、羊が丘はあの辺りですね」

ガイド「北海道では札幌以外にもどこか行かれましたか?」

私「函館に行きました」

ガイド(嬉しそうに)「えっ、私、函館出身なんです。今年の4月に高校卒業して、こっちに来たばかりなんです」

私「函館、凄くいいところで、気に入りました」

ガイド「えっ、嬉しいです」

私「でも、札幌をPRしないとまずくないですか?(笑)」

ガイド「あっ、そうですね」

(2人で大笑い)

・・・まだ話が弾みそうだったけど、登り口の駅が見えてきた。マイクを持って「まもなく到着です」とそのガイドさんは仕事に戻った。下には他の職員もいたので、余計なこと言わない方がよかろうと思い「ありがとうございました」と笑顔で声をかけた。まだ垢抜けてない、ちょっと幼さの残る人でした。ほんの2,3分だったけど、いい時間を過ごせました。今でも感謝しています。

■定番のラーメン

 再び札幌駅方面に戻ったら、既に昼時だった。札幌に来たらやっぱりラーメン食べなきゃいけないだろう。普段はインスタント・ラーメンもめったに食べないし、外でラーメンを食べることなんて当時も今もほとんどない私だけど、やっぱり「食べておかなきゃ」と。有名な店がいっぱい集まってる一角もあるけど「どこでもいいや」ということで、駅の地下街へ。そこにも何軒かラーメン屋があったけど、その中の「七福」という店に入って、しょうゆラーメンを食べた。札幌ラーメンは「しょうゆ味」といってもコッテリしているのが特徴。あんまりラーメンの味は分からないけど、「まあ、思ったとおりの味だな」と。

 全くの余談だけど、1990年代半ばにこの札幌の街に転勤して約1年住むことになるけど、その頃、北区の麻生というところで会議に出たことがある。その会議の昼休みに、地元出身の先輩たちに北区の区役所の近くの、爺さんと婆さんが2人でやっている名もない小さな店に連れて行かれた。そこで食べたしょうゆラーメンの味といったら・・・。あの爺さんの秘伝なのか、スープがかなりコッテリしていて、私の味覚にピッタリ。「ラーメンに興味がない」私にも「これは美味い」「よそのラーメンと全く違う」と衝撃を受けた。有名店よりも、そういう庶民的で古くからやってる店のほうがはるかに美味いんだと痛感したもの。店の名前すら覚えてないし、あの2人に後継者がいなかったら、もう店自体がなくなってるかも。「もう一度食べてみたい」と思ってるんだけど、それももう叶わないと思うと寂しかったりもする・・・。

■夕暮れの大通公園

 札幌の街とももうすぐお別れ。今日の夜の夜行で札幌を離れなければならない。人も街も、本当に大好きになった。離れるのは名残惜しい。午後から延々、地下街、アーケード街、大通公園、すすきの等、街中を歩き回った。地元の同世代の若者が楽しそうにしている。本当に、離れ難い。地下街を歩いている時、浜田麻里のHeaven Knows(好きじゃなかったけど、当時よくテレビで歌っていたのとCMソングだったので、何となく馴染みがあった)が流れていたことがなぜか印象に残っている。

 夕方4時過ぎからはずっと大通り公園でぼんやり過ごす。地元の子供が屋台で売っていたとうもろこし(地元の人は「とうきび」という)を鳩にやっていたことも印象に残っている。しかも今日はとてもいい天気だったせいか、きれいな夕焼けに包まれている。ああ、本当にいい光景。周りが暗くなる夕方6時過ぎまでそこで過ごした。さすがに暗くなると肌寒くなってきたので、駅に引き返した。だけど、大通公園を離れる時なんとも感傷的な気分になった。何度も、何度も振り返りながら駅まで戻った記憶がある。もう2度と来ることもないんだろうなと・・・。当時はまさか就職後、ここに転勤になるなんて夢にも思ってなかったわけだから・・・。

■夜行列車のビジネスマン

 夕食でもということで、札幌駅地下のレストラン街へ。「最後は北海道らしいものを」ということで、海の幸を使った料理の店に入る。残念ながら、店の名前は忘れたけど・・・。そこで「鮭の親子どんぶり」を注文。ご飯の上に載っているのは、鮭のるいべといくら。「るいべ」なんて、この時初めて食べた。1990年代半ばに転勤してきた時には駅の地下街は大改装されていたので、この店も、ラーメンを食べた「七福」という店もなくなっていた。他の店にもあるメニューだけど、できればもう一度、同じ店で食べたかった。その後、同じく地下で土産物も買う。家族に土産物を買ったのは、このときが初めてだった。なので、結構真剣に選んだ記憶がある。

21:30頃 改札を抜けてホームへ、急行「はまなす」乗車

22:00「はまなす」発車。

急行「はまなす」は、夜の10:00に札幌を出発、深夜3時頃に函館着、青函トンネルを抜けて翌5時過ぎに青森に着く夜行の急行。この頃は日本全国に、寝台ではなく座席の夜行急行っていっぱいあったもの。ほとんど廃止になったけど、驚いたことに「はまなす」って今でもあるらしい。函館のビジネスマンが札幌に出張して、すすきので9時頃まで飲んで、その後これに乗って函館に帰って、翌朝出勤・・・、なんてやってたもの。当日も満員。床に座っている人もいるほど。私はしっかり座席を確保。売店で買ったビールを飲みながら車内でぼんやり過ごした。私は「ああ、もうこの放浪も終わりか」「また現実に戻るのか」「でももう、暗くなったり迷ったりしない」とか、様々なことを考えていた。

 その時、となりの席に座っていた、私と同世代のビジネスマンが千歳(札幌のベッドタウンともいえる郊外の街)で降りるらしく、席を立った。立ち上がりざまに、ちょっとぶっきらぼうに私に話しかけた。「終点まで行くんでしょ? 先は長いですよ。どうですか、読みませんか?」。自分が読んでいたスポーツ新聞とコミック雑誌を手渡してくれた。ビールを飲みながら何もせず、ぼんやりしていた私が「退屈そう」に見えたのかも。素直に受け取ればいいものを「でも、マンガは読まないので」と余計なことを言う私。「でも・・・、どうぞ、置いていきますよ」、ちょっとぶっきらぼうに。北海道の人って、ちょっと人を突き放すような口調だけど、実はシャイで優しくて親切。この人もそういう人だったんだろう。「ああ、ありがとうございます」と答えて、受け取った。植物園で財布を拾ってくれた2人、藻岩山のガイドさん、そしてこのビジネスマン・・・、本当にいい人たちに巡り合えた「放浪」になった。そして北海道の土地柄や景色や風土だけでなく、「人」も大好きになった。

■2012/4/7 回想:1990年、はじめての北海道ひとり「放浪」(最終回)

■早朝から慌しく乗り換えて、ひたすら南へ

「はまなす」にて、0:00過ぎ、東室蘭を出たあたりで眠ろうとするがほとんど眠れず

函館を出たあたりで完全に目が覚めてしまう

 さすがに座席に座ったままで熟睡するのは厳しく、メモにあるとおり、函館を発車したあたりで完全に目が覚めてしまった。やがて青函トンネルへ。ああ、北海道とももうお別れか。いいところだったなあ、でも、あまりにも遠い場所だから、もう二度と戻ることもない場所なんだろうなと思うととても寂しく思った。

1990年9月8日(土) 5:17青森到着

すぐに向かいのホームに停車中の盛岡行き特急「はつかり2号」に乗車

この頃は東北新幹線がまだ盛岡までしか開通していなかったので、青森〜盛岡間は在来線の特急で移動。しかし八戸、三戸、二戸、一戸と、やたら「戸(へ)」のつく停車駅が続いたことが印象に残った。同時に「はまなす」から一転、こちらは早朝ということもあってガラガラで車内が静かだったこともあって、少しだけウトウトした。

7:50 盛岡着

猛ダッシュで新幹線乗り場へ向かう

8:00発の東北新幹線「やまびこ10号」乗車

切符の手配をしてくれた黒崎駅の旅行センターの方からも「ここは走らないと間に合いませんよ、気をつけて」と言われていた。本当に「猛ダッシュ」してようやく間に合った感じでした。

 しかし「はまなす」の車内で眠れなかったこと、そして慌しい乗り換えの連続も終わってホッとしたこともあってか、席に着くと同時に深い眠りに・・・。盛岡を出発してすぐに検札に来た車掌に起こされたこと、宇都宮に停車した時に団体客の話し声で起こされたのを除けば、ずっと爆睡状態。隣の席には盛岡から上野までずっと、着物を着た上品な感じ(日本舞踊か生け花の先生のような感じ)の婆さんが座っていたけど、きっと「何だこいつ」と呆れていたんじゃないだろうか(笑)。大宮を出たあたりでようやく目が覚めたけどほとんど記憶がない。

10:40 上野着

今思えば、こんなに早く東京に着くんなら青森か盛岡で一旦途中下車して、時間に余裕を持って移動してもよかったんじゃないかという気もする。だけど、当時の私にとって「東京に来る」こと自体がまだ新鮮だった頃。2度の受験やポール・マッカートニーの来日公演で上京したとはいえ、まだ4回目の東京。むしろ東京でゆっくり過ごしたい気持ちの方が強かったのかもしれない。

■はじめての、そして長い放浪の終わり

 そうそう、今書いておいてなんだけど私がこの時、東京でゆっくりしたかった理由がメモの中にありました。

新宿へ向かい、西口を探すも、間違って東口から出てしまう

仕方なく紀伊国屋本店の地図売り場に向かい、西新宿の場所を調べる

西口方面に向かい、目当てのCD店を探すも、どこがどこだか全く分からず

 そうだ「西新宿にはブートを扱っているCD店がいっぱいある」ことを知ったのはちょうどこの頃。ビートルズやストーンズの貴重音源のCDを置いている店に行ってみたい、それがわざわざ東京でゆっくりする時間を作った理由でした。とはいえ、当時の私は東京はおろか、新宿の土地勘も全くなく、どっちが西口か東口かすら分からなかった。歩き回ったけど、結局分からずじまい。時計を見ると夕方4時前だったので、東京駅に向かうことにした。

17:00発 「ひかり25号」乗車

 確かこれが当時の東京〜博多のひかりの最終だったはず。今と違って5時間以上もかかるので、最終が意外と早かったものでした。

 どんどん西に向かうにつれて「ああ、放浪が終わってしまう」「現実に戻るんだ」と寂しい気持ちに襲われる。だけど、後ろに東京ディズニーランドに遊びに来たと思われる、20歳前後のガラの悪そうなお姉ちゃん5人組がタバコをふかしながら大騒ぎしていたので何となく落ち着かず、感傷的な気分に浸れそうで浸れなかったことも印象に残っています。「すぐに降りてくれれば・・・」の願いも虚しく、結局、そいつらが下車したのは広島、4時間半もその状態が続いたことになる。

22:36 小倉着

22:52 在来線各駅停車乗車、23:01最寄駅着、23:20頃帰宅

こうして、私のはじめての、そして異常なほど長く感じられたひとり放浪は終わった。

■この「放浪」がもたらしたもの

 思いつくままに、箇条書き

(1)気分が冴えない時は放浪する:「放浪したおかげで気分が晴れた」こともあり、これ以降、私は気持ちが落ち込んだり迷ったりした時は「放浪する」ようになった

(2)放浪は列車で:小学生の時に鉄道ファンは卒業したので、別に鉄道に拘りがあるわけではないんだけど、「遠方であっても鉄道を使う」ようになったのは、この時の「放浪」が比較的上手くいったからこそ

(3)北海道が好きになった:当時は最も遠くて東京までしか行ったことのなかった私にとっては、外国のように思えた北海道。だけど、この放浪で景色も、風土も、人柄も、全てが好きになった。その後、1990年代半ばに函館や札幌に転勤になった際、「九州出身なのに大変だね」と周囲の人に言われたものだけど、私は嬉しくて仕方がなかった。実際に住んでみて、同時に多くの人と出会って、ますます好きになってしまった。今でも「冬の厳しい寒ささえなければ永住してもよい」と思っているほど、北海道が好き、その原点になったのはやはりこの時の「放浪」といってもよい

(4)「今が大事」:先のことばかり考えて不安になる、というよりも絶望して鬱になっていた私。だけど「今が大事」「今が楽しければ」という、この時至った結論は、今でも私の基礎になっています。特に21世紀に入って、大きな病気をして以降の私は、その思いをより強くしたもの。

とにかく、私にとって転換期の「放浪」だったので、その影響は今でも計り知れないものが。先も書いたとおり「気持ちが冴えない時は放浪する」私だけど、この時の放浪ほど、印象に残っている放浪はありません。まあ、単に「放浪先がいいところだったから」というだけではなく、迷い、苦しんでいた時期だったこと、多感だった頃の放浪だったこと、そして初めての本格的なひとり放浪だったことも、大きかったかもしれません。

■2012/5/6 最果ての地への「放浪」(1)

今回の大型連休は久々に6連休がとれたので、思い切って5泊6日の「放浪」をしていました。目的地は日本最北の街・稚内。

■なぜ稚内??

 年明け以降、1990年の「初めての北海道放浪」に関してここに書いてきましたが、当時のメモと私の記憶だけを頼りに仕上げたわけではありません。ネットでそれぞれのスポットに関する詳しい情報を調べたり、記憶が曖昧になっている地名などを調べなおしたりとか・・・。そうして北海道に関するいろいろなサイトを見ているうちに、「また北海道に行ってみたい」気持ちが芽生え始めたのが今年の2月頃。そして、今まで一度も足を踏み入れたことない道北=旭川よりも北の一帯に興味を持ちました。「旭川〜稚内に延びているJR宗谷本線沿線は、人が全く住んでいない地域、原野のみが広がる地域など、日本とは思えないような景色が広がっている」「留萌〜稚内に向かう日本海沿いの道路=通称・オロロンラインは片側が海、片側は原野が延々100キロ以上続く一本道」とか、やたらスケールが大きい。道東を訪れた際も「はじめて北海道らしい景色を見ることが出来た」と思ったものだけど、それともまた一味違った「北海道らしい景色」。いつか行ってみたいなと。

 そう思っていた矢先、5月上旬に6連休がとれそうな予感が。とはいえ、4年前に道東に行った際「道北や道東の5月はじめははまだ冬が終わったばかりの季節。本格的な春が来る5月末以降にならないと『いい景色』を見ることは出来ない」ことを知った。だから今回もまだ「時期外れ」だとは思ったけど、本当の「いい季節」になる6月以降にこんなまとまった休みがとれることは絶対にない。なので「時期外れ」であろうことを理解した上で、それでも「道北行き」を決意した。

■航空機の予約だけはさっさと済ませたものの・・・

 4年前と同様に、飛行機の予約だけは早めにとった。「先得割引」を使えば片道5万円以上するところ、1万9千円で済むので。ただ「道北」といってもどこへ行く? 道北って道東や道南と比べると、北海道外の人にとってあまり馴染みのない場所。ネットであれこれ調べてみる。

 「JRは旭川〜稚内にまっすぐ一本に伸びる宗谷本線のみ、本数も一日に7,8本しかない」「旭川から1時間程度のところにある名寄市を最後に、稚内までの間に『市』はひとつもなく、『町』と『村』ばかり」「旭川〜稚内、実は4時間もかかる(イメージでは2時間程度)」「国鉄時代には旭川〜稚内間にも多くの路線があったがすべて廃止、今は代替バスが走っている区間が多い」「オロロンラインはバイクに乗る人のツーリングコースとして人気、交通機関は沿岸バスなるバス会社のバス路線のみ」「稚内市内の観光地以外で人気のあるスポットは、豊富町というところにあるサロベツ原野」「稚内からは礼文島や利尻島への航路もある」・・・等々。今回ほどネットでいろいろ調べ物をしたのははじめてかも。

■二転、三転、四転した計画

 次は宿泊地を決める。一泊目は道北への入り口でもある旭川。二泊目はオロロンラインを走るバス路線の終着点でもある豊富か、その隣町の幌延。三、四泊目が稚内。五泊目が札幌。そして計画を立てたんだけど・・・。

(初日)飛行機で札幌へ→JRで旭川に移動して一泊

(2日目)JRで留萌へ→沿岸バスでオロロンラインを北上→豊富か幌延で一泊

(3日目)豊富町内のサロベツ原野へ→夕方、JRで稚内へ移動して一泊

(4日目)稚内市内の有名スポットをまわって稚内で二泊目

(5日目)稚内からJR宗谷本線で南へ→(駅自体が観光地化している)音威子府駅で途中下車後、再び宗谷本線の列車に乗車して札幌まで移動して一泊

(6日目)札幌市内で過ごし、その後、飛行機で帰る

3月中旬に立てた予定はこんな感じでした。でも・・・。

 サロベツ原野について調べると4年前に行った釧路湿原同様、6月にならないと「あたり一面緑」とはならないらしい。バスも6月まで1日2往復、それも朝早い時間と夕方。さすがに5時間以上も「原野」でバスを待つのは厳しい。さらに豊富町にある、サロベツ湿原センターのホームページを見ると、4月半ばであるにもかかわらず「今年の冬は例年以上に厳しく、まだ雪が積もって真っ白」とか、「今日も猛吹雪になった」とか書いてる。いや、これは外しておいたほうがよかろう、ということで3日目と4日目を変更、代わりに礼文島と利尻島行くことにした。

(3日目)朝、すぐに稚内に移動して稚内市内の有名スポットをまわって一泊

(4日目)フェリーで礼文島と利尻島を巡り、その日のうちに稚内に戻って2泊目

 ところが、礼文島と利尻島ってパック旅行などで人気だけど、実は「山歩き」的なスポット。険しい山に断崖絶壁。しかもここもやはりまだ雪が残ってる。私には不向きなスポットだということで断念したのが4月末、出発1週間前のこと。結局、

(3日目)サロベツ原野に寄って、その後稚内に移動するか、朝から稚内に移動するかは現地で決める

(4日目)稚内市内で過ごす

ことにした。ツアーの人たちのように、慌しく有名スポットをまわるのではなく、時間にゆとりを持って、思いつきで行き先を決める。これが私流の「放浪」のはず。まあ、「現地で決める」といっても、1日5往復とか、一度下車すると4時間も5時間も次が来ないとか、交通機関の本数が異常なほど少ない地域なので「時刻表と相談しながら決める」感じで。ということで今回は宗谷本線、沿岸バス、そして稚内の市内バスを運行している宗谷バスの時刻表をしっかり持って出発することにしました。それから、2日目の宿泊地、豊富町の方は温泉地でもある関係上、若干割高のようだったので、敢えて幌延町に宿泊することに決めました。

■2012/5/10 最果ての地への「放浪」(2)

■はじめての旭川へ

 初日JRで福岡市内へ移動、さらに地下鉄に乗り換えて福岡空港へ。そこから札幌行きの飛行機に乗ったわけだけど、飛行機に乗るのは4年前の道東「放浪」以来。相変わらず、空港に着いて搭乗手続き→荷物検査→その後、やっと搭乗という流れが煩わしく感じられる。これは何度飛行機に乗っても慣れない。一方で以前のように「離陸する時と着陸する時に恐怖心を感じてしまう」ということはなくなった。

 新千歳空港に着く。福岡は最高気温が20度以上あったけど、札幌も20度以上あるとかで「遠くまで来た」実感が余計に沸かない。普段なら体感気温が全然違って感じられるのに。空港のレストラン街で食事でもと思ったけど、一方で初日の宿泊地は旭川。実は旭川って列車で通り過ぎたことはあったけど、一度も訪れたことのない街。早く旭川に移動して市内を散策したい気持ちの方が強かったので、すぐにJRの快速で札幌駅に移動、そこから特急に乗り換えて旭川へと向かった。

 札幌〜旭川間はJRの特急で1時間半弱。意外と近い。この日の札幌も旭川も、この時期としては異例の暑さ。しかも晴れ上がっていて日差しも眩しい。何度も述べてきた通り、私は「列車にぼんやりと乗って車窓を眺める」のが好きなので、ぼんやりと車窓を眺めて時間を過ごした。札幌〜旭川間は起伏が乏しくって平地が広がっているだけの単調な景色で、車窓を眺める分には大して楽しくはない。だけど旭川に近づくにつれて、山頂に雪の残った山が見えてくる。ああ、やっと北海道らしくなってきたなあ。そして旭川の隣の市にあたる深川駅を出た後は、急に山奥へと進んでいく。あたりは一面の雪。まだまだ山奥や町外れは雪が残ってる様子。「今年は日本各地、例年になく寒さの厳しい冬だった」と聞くけど、どうやら北海道もそうらしい。いくら北海道とはいえ、こんなに雪が残ってるのは珍しいはず。

 やがてまた雪のない平地に出てくる。すると住宅の密集した北海道第2の都市でもある旭川に到着した。

■まるで1990年代のような旭川・買い物通り

 旭川駅に降り立ったのはいいけど、4年前の道東放浪時に通り過ぎた時とは随分様子が違う。駅は超近代的な新駅になっていて、駅前にも広大な空き地があって何やら工事中。近年は日本中、どこへ行っても駅が「近代的」といえば聞こえはいいけど、旅情の感じられない味気ない建物になり、駅前も「再開発」という名目でだだっ広い空き地があったり慌しく工事していたり、そんな光景を目にすることが多いけど、どうやら旭川も同じらしい。あーあ、この街も味気ない、活気のない街なのかなあ。

 そんなことを考えながら駅前の大通りに出る。そこには「買い物通り」という名称の、広くてきれいな歩行者天国が。その通り沿いには、何件かのデパートや商業施設、個人商店が乱立している。そして、ちょうど夕方ということもあってか、地元の高校生がいっぱい。何人かで連れ立って歩いていたり、ベンチに座って談笑したり、ファーストフードを食べたり・・・。大学生、社会人の20代の人もいっぱいいて、ベンチやガラス張りのビルの1階で待ち合わせしている人も多く見かける。そしてひっきりなしにスピーカーから聴こえる音声広告。へえ、珍しい光景、いや、懐かしい光景だなあ。

 考えてみれば、1990年代初頭〜中盤頃って日本中どこに行っても「駅前」にはこんな光景が広がっていたもの。多数のデパートや専門店、そこに集まる多くの若い人たち、そこに響く音声広告。それが今では、特に21世紀に入って以降は、日本中どこに行っても駅前の大通り、商店街はシャッター通りと化し、歩いている人もまばらで年配の人ばかり、静まり返っていて音声広告どころか、BGMすらなく静まり返っている、それが当たり前。それなだけに、まだ駅前がこんなに賑やかできらびやかで、活気がある街は久しぶりに見た気がする。碁盤のように道が縦と横に伸びているところとか、どことなく札幌に似た街という印象。駅と駅の前の工事にはガッカリだった半面、この「買い物通り」はとても気に入った。

■ジンギスカンのはずが、松屋に?

 夕方5時頃、買い物通り近辺にあるホテルにチェックインした後、すぐに外へ出る。実は旭川はジンギスカンの本場。ジンギスカンって特別好きなわけではないけど、北海道に来ないとなかなか食べることが出来ない。仕事の関係で札幌に住んでいた1990年代半ばに、会社の上司に連れられて食べに行って以来。まあ、ひとりで入りにくいせいでもあるけど。ただ旭川には、ひとりで気軽に入れる、しかも北海道で最も美味いと評判の店があるので行ってみようと思っていたというわけ。

 まずは夕食には少し早いので、買い物通りや駅周辺を歩いてみた。駅の裏には大きな川が流れていたので「水周りマニア」の私はまずそっちに向かって歩いてみた。その川に架かる橋を渡ってみたけど、ここも大規模な工事が終わったばかりらしく、ところどころ土がむき出しになっていたり、橋もコンクリート製の超近代的な橋で全然風情など感じられない。あまりよい印象は持てなかったので、すぐに買い物通りの方へ引き返した。

 買い物通りに戻ると夜7時頃になっていたので、ビジネスマンなどの姿も多くなってきた様子。ストリート・ミュージシャンやダンサーの姿も。こんなところも、21世紀になってあまり見られなくなった光景。とはいえ、今度は買い物通りのずっと奥の方まで歩いてみたけどシャッターの閉まった店舗があったり、ビルが壊されていたり。私の目には「活気のある通り」に見えたけど、これでも全盛期と比べると店舗や人の数は減ってるのかもしれない。そう思うと寂しく思う一方「頑張って欲しい」という思いも。この通り、私は好きです。

 そろそろ、ということで目当てのジンギスカンの店へ。ところが、店の前に行列が。ああ、どうやら満席らしい。さすが人気店だから仕方ないなと。だけど、以前何度かここで述べたことあると思うけど「食べ物を食べるのに並ぶ、待つ」なんてことは絶対したくない性分。なので「もうしばらく様子を見よう」ということで、近くを一回りして戻ってみたけど、さらに行列は増える一方。さらに30分後、そしてさらに30分後と、何度か戻ってみたけど同じ。「しょうがない、諦めるか」ということで、仕方なくホテル近くの松屋で変わり映えのしない食事をしてホテルへ戻った。しかし北海道でしか食べることの出来ないジンギスカンを食べるはずが、どこへ行っても同じメニューの松屋で食事する羽目になろうとは・・・・(笑)。まあ、出費を抑えることが出来たとプラスに受け止めよう。

■2012/5/14 最果ての地への「放浪」(3)

■3連休お出かけパス?

 2日目、旭川のホテルで起床。朝食を済ませた後、朝9時過ぎにチェックアウト。今日の予定は旭川から留萌までJRで移動、そこからオロロンラインを北上する沿岸バスに乗車して、途中のどこかの街で寄り道、その後、さらに同じく沿岸バスで2日目の宿泊地、幌延町に移動する、というもの。まだ旭川から留萌本線の乗換駅、深川までの列車の発車時刻まで1時間くらいあるので昨日と同じ、買い物通りで時間を潰す。この日も相変わらず日差しが強くて暑い。その上、重い荷物を持っているので、早めに旭川駅に移動することにした。

 旭川駅に着いてよく見るとJR北海道では「3連休お出かけパス」なるお得な切符を販売しているというポスターが貼ってある。連休期間や夏休みや冬休み限定「北海道内のJR3日間乗り放題」の切符らしい。「特急用」を購入しておけば、特急も乗り放題。道北へ向かう宗谷本線は1日に7,8往復しか列車がないし、1,2駅移動するだけでも特急を使わないと厳しいものがある。なので、これを買っておくと便利。というわけで、みどりの窓口で明日(つまり3日目)〜5日目までの「特急用3連休お出かけパス」を購入した。これで今後、JRを利用する際の出費を心配する必要はない。

 10時過ぎの普通列車で旭川を後にする。旭川って、有名な旭山動物園(私はあまり興味ないけど)他、大雪山や層雲峡の入り口にもなっている街で、意外と見所の多い街。でも、今回は「道北放浪への玄関口」として一泊しただけだったので、あまりゆっくり出来なかった。機会があれば、もっとゆっくりいろんなところを回りたいし、今度こそ本場のジンギスカンを食べたいなあ。

■「萌えっ子」で行くオロロンライン

 普通列車で30分程度で留萌本線の乗換駅深川に着く。留萌本線の列車に乗り換えるも、一両編成のワンマンのディーゼル。4年前の道東放浪のときに使った釧網本線もそうだけど、北海道には「本線」とは名ばかりで特急も急行もなく、一両のワンマンのディーゼルカーの普通列車だけが運行されている路線が意外とある。しかし留萌本線=留萌は古い港町→きっと海沿いを走る路線だろうと思いきや、深い山の中を走行する。前日も車窓がまだ雪景色だったものだけど、この留萌本線の沿線は足を踏み入れたらズッポリ埋まってしまいそうなほど深い雪が残っていてビックリ。やがて列車は山を降り、雪景色もなくなって、海に近づいていく。そして約1時間で留萌駅に到着する。かつて栄えていた港町の駅前のわりには実に寂しい。はじめて訪れた街なので周囲を散策したい欲求も。

 ただ、ここでゆっくりする余裕はない。バスの発車まで10分もない。沿岸バスの乗り場を探さなければ。てっきり駅のロータリーの中にあると思ったのに見当たらない。駅前の周辺の案内図で確かめる。ああ、駅の構内じゃないんだ。ということで、ようやく場所が分かったので、そちらに向かう。沿岸バス(会社のサイトはこちら)は羽幌町に本社があって、道北の日本海側の沿岸一帯の町や村を結んでいるバス会社。「1日目」のところにも書いたオロロンラインは「絶景」ということで主にバイクに乗る人に人気のあるドライブ、ツーリングのコース。だけど、自分で運転できないペーパードライバーの私は留萌→羽幌→豊富と、オロロンライン数百キロを路線バスを使ってここを北上しようと思ったというわけ。景色を楽しみながら、ゆっくり移動しようと。

 会社のホームページにもあるけど、この会社には2300円で一日乗り放題のフリー切符がある。その名も留萌の「萌」の字に引っ掛けたのか、「萌えキャラ」の絵の描かれた「萌えっ子フリーきっぷ」というらしい(笑)。なんでも秋葉原方面の人とか、萌えキャラ好きの人の間でひそかな話題、人気なんだとか。俺はそういうのにはひとかけらも興味がないんだけど(笑)、今日は長い距離をバスで移動するので、途中どこかで下車することも考えると軽く3000円以上かかる。それなだけに「2300円で乗り放題」はかなりお得。これは買うしかないだろうと。

 窓口で「フリーきっぷの1日券」(こちら)という私。敢えて「萌えっ子」とは言わなかったのに、窓口の人がわざわざ「ああ、萌えっ子きっぷね」って(笑)。周りに聞こえたらちょっと恥ずかしいじゃないか、わざと「フリーきっぷ」としか言わなかったのに。とはいえ、お得だし降車の際に料金を払わずに済むという利点もある。はじめて訪れた街で路線バスに乗った時はいつも料金がいくらかかるか分からず、料金表が見える席にいないと不安だったりするので、その不安がなくなるだけでも安心だし。

■まさに絶景領域

 フリーきっぷを購入してしばらく待っているとバスが来た。出発前にネットを見た際、沿岸バスでオロロンラインを訪れた人の旅行記を多く見かけたけど「乗客がほとんどいない」「乗客は俺一人」なんて書いているのも多く見かけた。なので「1人だったらどうしよう」と思っていたんだけど、留萌駅前のバス乗り場にバスが到着した際、既に10人くらいの乗客があり、しかも留萌駅からも私を含めて10名程度が乗車したので、意外と乗客は多かった。といっても、乗っているのは地元の年配の方や高校生が中心。私のような「よそ者」は少なそうだ。しかし路線バスなのに、なぜかFMラジオが車内で流れていたのにビックリ。観光バスや貸切バスならよくあるけど、路線バスでラジオが流れているのは40年以上生きてきてはじめて。全国区では「ペガサスの朝」の「一発屋」と認識されているけど、実は今でも地元で地道に活躍している五十嵐浩晃の新曲が出たとか、旭川では突然気温が上がったせいで今日、いきなり桜が開花して、その日のうちに満開宣言が出されたとか、ラジオがそんなことを言っていたのが印象に残った。

 バスはしばらくは留萌市内の病院や高校など、市内をクルクル回る。その後、いきなり海沿いの道に出る。ああ、これがオロロンラインか。まさに「右手はずっと海、左手はずっと原野」な景色。時々漁村や集落もあるけど、何キロも民家が全くないところを走行したりもする。時々現れる集落の周辺をのぞいて信号もない。まさに「絶景領域」といったところ。こんな光景、よその地方では絶対にお目にかかれない。まさに北海道、道北ならでは。まあ自分で運転できる人は、こんな道を運転するのはさぞ気持ちいいだろうなと思う。私は海側の席に座ってぼんやり車窓を眺めていたけど、確かに「いい景色」な反面、どこまで行っても「ただ海が広がっているだけ」な景色なので、少し眠くなってしまった。信号もないし途中で乗車、下車する人も少ないので、めったに停車することもないし。でも、のんびりしたいい光景。

 約1時間半後、沿岸バスの本社のある町、そしてこのオロロンライン沿岸の町では最も人口の多い街、羽幌町の本社バスターミナルに着いたので下車してみた。1時間後に次のバスが来るので、それまで周囲を散策してみようと。しかし「萌えっ子きっぷ」って売れているらしいけど、ちゃんと現地に来て、使っている人あまりいないんだろうか? 私が下車する際に運転手に見せたら「ちょっとよく見せてください」といってしばらく隅から隅まで見た後ようやく「はい、どうぞ」と言って下車させてくれた。会社にとっては乗客が少なく、採算が取れないので、起死回生を狙って販売した切符なんだろう。もちろん、切符が売れさえすれば売り上げは上がるかもしれないけど、「切符が売れても乗客が増えない、現地に来てくれない」のはどうなんだろうと。せっかくの「絶景」なんだから、切符を買ってくれた人をもっと現地に呼んでバスに乗って貰う努力も必要なのでは? という気がしてしまう。また買った人も、ただ手元に置いておくだけじゃなく、バスに乗ってこの「絶景」を堪能しないと損だと思う。余計なお世話かもしれないけど、もったいないなと。

■2012/5/17 最果ての地への「放浪」(4)

■もっとゆっくり訪問したかった羽幌町

 羽幌の本社バスターミナルでバスを下車したのが昼の1時半過ぎ。次のバスの発車時間までの約1時間、羽幌町内を散策してみることにした。しかし本社バスターミナルで降りたのが失敗。実は次のバス停「羽幌ターミナル」の方は廃線になった国鉄・羽幌線の旧羽幌駅の建物をそのまま使っているので、コインロッカーがあったらしい。本社バスターミナルの方にはコインロッカーはない。仕方なく重い荷物を抱えたまま外に出た。

 バスターミナル周辺は少しだけ商店があって住宅も密集しているけど、とても静かな港町。歩いている人は小学生や年配の人ばかり。海のほうにも歩いてみた。フェリーのターミナルがある。羽幌町の沖には、珍しい野鳥や植物の宝庫でもある天売島と焼尻島という2つの離島があって、そこまでフェリーが就航しているらしい。私が港に着いた時も、ちょうどフェリーが出航していくところだった。とはいえ、道北にはまだ本格的な春の訪れていないので、島に渡る人もあまり多くはない様子。オロロンライン沿いには、いずれ別の機会に、もっといい季節にゆっくり訪れたいと思っているけど、その時にはこの2つの島にも行ってみたいと思う。

 港から今度は別の道を歩いてバスターミナルに引き返す。バスターミナルには羽幌町の観光案内のポスターやパンフレットがいっぱい。昔は炭鉱の町として栄えた街らしく、炭鉱の跡なども観光スポットになってるらしい。「過疎化の進む港町」と聞いていたので、もっと寂れた街をイメージしていたけど、意外と明るいイメージの街でした。

■カルチャーショックの連続の沿岸バス

 バスターミナルの待合室にいると、意外と多くの人が入ってくる。私の乗る幌延、豊富方面のバスの出発時間と、札幌行きの予約制の特急バスの出発時間がほぼ同じらしい。札幌に遊びに行く地元の人かな?連休だし。しかし多くの人が待合室のベンチに荷物を置いたまま、外にあるトイレに、ジュースの自販機に、喫煙所に向かう。いや、私の感覚なら「置き引きが怖いから、いかなる理由があろうとも荷物は片時も自分の手元から離さない」のが常識。事実、私もジュースを買いに外に出たけど、その時も荷物は持って出た。間違っても「荷物を置いたまま外に出る」なんてことはできない。でも、ここではそういう感覚はないらしい。悪い意味でなく、良い意味で「ああ、田舎なんだな」と実感した。

 やがてバスが来たので乗り込む。今度も「乗客は1人」なんてことはなく、全部で20人程度の乗客がいる。羽幌の市街を出ると、再び「右手は海、左手は原野」な景色に戻る。途中で初山別村、遠別町といった町や村を通り過ぎるけど、そのたびに何人かの乗客が降り、逆に乗り込んでくる。旧国鉄羽幌線の代替バスでもあるので、地元の人にとっても貴重な足らしい。

 しかし、北上すればするほど景色はどんどん「北」っぽくなる。気がつけば田んぼも畑もみあたらなくなり、ひたすら緑の大地だけが広がる景色に。ところどころにサイロが。大半は牧場や牧草地らしい。まだ道北は本格的な春ではないので放牧されている牛の姿は全くないけど、夏場ならこのあたりは人よりも牛の姿の方が多いのかもしれない。事実、牛の絵の書かれた道路標識(牛注意?)なんてものも生まれてはじめて見かけた。さらにバスは車を一台、追い抜いていく。よく見ると普通の車ではなくトラクター。本当に見る景色全てが新鮮。牧草地だの、牛の標識だの、トラクターだの、こんな近くで見たのは生まれて初めてでした。本当に北海道、道北ならでは。

 一方で「元●●中学校」とか「元●●小学校」とかいうバス停がいっぱい。以前は学校があったけど、人口の激減で統廃合されたんだろう。このあたりは逆に寂しい気持ちにさせられました。昼の3時過ぎになると小学生もいっぱい乗ってくる。公立の小学校に通うのにバスを使うなんて、私の感覚では珍しいことなんだけど、統廃合が多い分、校区が広くなりすぎてバスに乗らないと学校に通えないんだろう。

■途中下車はやめて幌延へ直行

 羽幌を出て約1時間半で、天塩町という町に着く。ここは道北を流れる大河・天塩川の河口にある、比較的人口の多い街。「海岸の夕日がきれいな街」と紹介されていたので下車して、約1時間後に次のバスが来るまでの時間をこの町で過ごすというのが当初の予定。だけど、この町のバス乗り場も羽幌町同様、海岸線まで数百メートル離れている。羽幌では暑くて日差しの強い気候と荷物の重さもあって、歩くのに疲れてしまった。ここでも海岸線まで歩いたら、また疲れてしまいそう。そう思ったので下車するのはやめて、今日の宿泊先、幌延までバスに乗り続けることにした。

 羽幌からずっと乗ってきた乗客の大半は天塩で降りてしまった。代わって地元の高校生がいっぱい乗ってきた。だけど都会の高校生のように、周囲の迷惑も考えずに騒ぐ奴もいない、携帯をいじってる奴もいない、実に静か。このあたりもまたカルチャーショックでした。

 天塩を出るとバスは留萌から数百キロ、約3時間も北上してきた海沿いの道・オロロンラインを離れて山道に入っていく。山道といっても景色は牧草地帯。私から見れば現実離れした景色が続く。やがて「北緯45度線」と書いた標識の横を通過、さらに天塩川に掛かる天塩大橋を渡ると、幌延町の市街に入ってくる。ひとり、またひとりと天塩から乗ってきた高校生が下車、幌延駅のバス停で私が下車した時には乗客は私以外、1人だけになっていた。

 留萌から幌延まで約3時間半、実に長いバス路線。だけど地元や東京、札幌に住んでいても絶対にお目にかかれないような景色をずっと目の当たりにしてきた。道東以上に、私のイメージする「北海道らしい」景色を堪能することが出来ました。「萌えっ子」を売りにするのはどうなのか?という気がしないでもないけど、まさに「絶景領域」、このバス会社には頑張って欲しいと思います。「萌えっ子」よりも「絶景」を売りにしたほうがよいのでは?と言うのがホンネです。いずれまたオロロンラインは訪れたいと思っているけど、その時はもっとゆっくり下車しながら北上したいと思います。

■想像以上にのどかな町、幌延町

 幌延駅でバスを降りたのはいいけど、やけに静かな町。「1」で述べたとおり、道北には名寄市より北には稚内以外にはひとつも「市」はなく「町」や「村」ばかり。そんな中では比較的人口が多く、駅も立派なのが幌延町。だから敢えて宿泊先に選んだんだけど、駅周辺にはほとんど人気がない。駅前には民宿兼食堂、文具屋兼書店兼CD店などの個人商店があり、車もほとんど走ってない。大きな荷物を持ってウロウロしてたら怪しまれるかもしれないと思えるほど。じゃあ、今日はすぐに宿泊施設に行ってしまおう。その前に、食べ物でも買っておこう。しかしコンビニもない。いや、さっきバスに乗っていた時、踏切を渡ったけど、踏み切りの向こう側、ちょうど駅の裏辺りにセイコーマート(北海道ローカルのチェーン店)があったっけ。行ってみよう、ということで歩き出す。

 しかし、さっきはすぐ近くに思えたけど意外と遠い。しかも大きな荷物を持って歩いていると、家の前で木を切っているオッサン、農作業しているオバサンが思わず手を休めてこっちを見る。やはりこの辺では「大きな荷物を持ったよそ者」自体が珍しいのか(笑)。なんか申し訳なく思えました。コンビニで買い物を済ませて踏み切りを渡る。踏み切りのところは少し小高くなってるんだけど、実に夕日がきれい。相変わらず日差しは強いけど、風は随分冷たく感じられる。ああ、随分北まで来たんだなと改めて実感した。

 宿泊施設にチェックイン。コンビニで買ったビール、弁当等で腹ごしらえして、早めに就寝した。しかし明日以降は天気が悪くなるらしい。本州の方は「大雨」らしいし、北海道も一部の地域で大荒れになると言っている。明日以降の予定、天候を見て変更も考えなければ。

■2012/5/21 最果ての地への「放浪」(5)

■雨対策で予定変更、稚内市内放浪へ

 3日目、朝6時過ぎに起床。昨日の天気予報では「道内は大荒れ、一部の地域では大雨洪水警報」ということだったので、恐る恐る外を見る。雨は降っていないし、道路も濡れていない。むしろ薄日が差している。テレビで北海道ローカルの天気予報を見ると、大雨なのは釧路や網走などの道東と、室蘭や苫小牧などの道南の太平洋側。道北の予報は「夕方か夜から降り出す」というもの。今日1日、何とか雨に遭わずに済むかも。ただ、明日以降は道北も大雨という予報。出発前は4日目に稚内市内の放浪を予定していたけど、市内の放浪は3日目に変更、4日目はJRの3連休お出かけパスを買ったことだし、列車に乗車して思いつきでどこかの駅で下車して放浪するという予定に変更した。

 ということは、朝8時過ぎに稚内行きの列車に乗車しなければならない。これに乗り遅れると次は10時台までない。ということで早速、ホテルの朝食を食べに食堂へ向かう。ビジネスホテルとはいえ「市」ではなく小さな「町」の宿泊施設ということもあって、まるで家庭料理のような素朴なもの。しかもおかずの量も異常に多くて、朝からすっかり腹が太った。こういう朝食もいいな。これでビジネスホテル並みの安さってのは意外な穴場かも。今回はオロロンライン沿いの町でもゆっくり出来なかったし、幌延町の隣の豊富町にあるサロベツ原野も季節的に微妙という理由でスルーした。なので、このあたりへは何年後になるか分からないけど再度、訪問したいと思っています。その時もぜひこのホテルを利用したいと思う。小さな町に思わぬ穴場を見つけた気分です。

 朝食を済ませるとすぐにチェックアウト。駅へ向かう。稚内行きの普通列車に乗る。乗客はほんの数名。車窓はひたすら原野。家も道もない、電柱も見当たらないような原野の中を走る。その原野の向こうに富士山ソックリの雪を被った山の姿が。稚内沖に浮かぶ利尻島にそびえる利尻山、通称利尻富士。「原野の向こうに利尻富士」って本当にきれいな景色。車内から撮影している人もいたほど。実はこの利尻富士、稚内市内の有名スポットや宗谷本線の車窓からどこからでも、いつでも見ることの出来る山らしい。だけど、実はこの日は午後から曇りはじめ、4日目は丸一日雨、5日目もずっと曇り空だったので、私が利尻富士を見ることが出来たのは、この時が最初で最後になってしまいました。

 約1時間で稚内駅のひとつ前の駅、南稚内駅に到着したので下車した。実は稚内で最初に訪問したかったのは宗谷岬。稚内駅か南稚内駅からバスに乗ればいいんだけど、今乗っている列車との連絡がいいのは南稚内の方だったので、敢えて南稚内駅で下車したというわけ。しかし「栄えているのは稚内駅よりも南稚内駅周辺の方」と聞いていたけど、パチンコ屋やドラッグストアがあるだけで意外と寂しい場所。バス乗り場も何ヶ所もあって、宗谷岬行きのバス乗り場がどこなのかすら分からない。ようやく乗り場を見つけたときは発車した後。次のバスは約2時間半後。2時間以上待つのは時間の無駄。稚内駅行きのバスはいっぱいあるようなので、とりあえずバスで稚内駅まで移動してみることにした。

■キタカラ?

 路線バスで稚内駅に移動。稚内駅といえば、当然日本最北端の駅。「昔は終着駅らしい寂しくて風情のある駅」だった一方、「再開発が進んで新駅になった」という情報はネットで得ていた。なるほど「ひなびた最北の町の駅」という風情はまるでない超近代的なビル。しかも「キタカラ」という駅ビルは、まだ本格オープンから1週間足らずということもあり、駅前で盛大にイベントが行われていて異常に賑っている。私は「駅マニア」「鉄道マニア」でもないし、変貌しているということもあらかじめ知っていたので、特にガッカリはしなかった。ただ、日本全国どこにでもある、ありふれたタイプの「ウォーターフロントの駅前」の景色を見ても「ああ、とうとう最北端まで来たんだ」という感動や感慨を得ることは全く出来なかった。せっかく最北端に来たのに・・・。

 とはいえ、バスに乗っていた時、地元の50代くらいの方が「わあ、駅が新しくなってる。キレイになったねえ。ちょっと見て行こうか」と嬉しそうに話していた。「よそ者」が「風情がある」とか言って無責任に有難がる古い建物も、地元の人から見れば「古臭くて不便で汚く、使いづらい施設」でしかないのかもしれない。何度も利用するのは地元の方。地元の方が喜んでいるのなら、それでいいんだろうなとも思った。とはいえ、ジャグラーなどのイベントとか、テントを使った露店とか、やたら盛り上がっていたけど、この盛り上がりがいつまで続くのかな、という危惧も。実際、「再開発」に失敗した街、私はいっぱい見てきたし。

■ノシャップ岬、防波堤ドーム

 宗谷岬行きのバスに乗りそびれたので予定変更、午前中はノシャップ岬、そして防波堤ドームといった、比較的稚内駅から近いスポットをまわってみることにした。まずはノシャップ岬。バスは本数も多く、10分程度で着くので、比較的気楽に行けるだろうと。本当は夕日のきれいなスポットとして有名なので夕方に行く予定だったけど、午後は宗谷岬に行くことにしたので行けそうにないし、だんだん曇り空になってきたので、どうせ夕日は見えないだろうと。10分程度でノシャップ岬のバス停に着く。そこから歩いて5分ちょっとで岬に着いた。

 しかし、天気が悪くて本当は見えるはずの利尻富士も見えないし、その上、ジャンパーがないと凍えそうなほどに寒い。天気もよくなくって、夕方でもない時間に見ても「ただの海岸」のしか見えない。さらに「観光ボランティア」とか書かれたジャンパーを着た人が大勢。こういう人たちに話しかけられるのはあまり好きじゃない。うーん、本当に「普通の海岸」だし、ボランティアの人たちもいるし、なんとなくゆっくりと1人で過ごすには不向きなスポット。周りには水族館や海鮮丼を売りにした店もあったけど、すぐにバスで駅に引き返した。

 次に駅から海岸の方に向かって歩いてみる。やはり「北の外れの、最果ての寂しい港町」というより「近代的なウォーターフロント」といった感じの景色が広がっていて、全然物悲しさや寂しさは感じられない。そんな中、有名な防波堤ドームが現れる。確かにどこかの遺跡のような巨大な建造物で壮観に見える。だけど、どうも私は「コンクリート製の近代的で巨大な建造物」にあまり魅力を感じない性分なので「凄いねえ」「ああ、本物だ」くらいの感想しか持てず。それに、やはり海岸線は寒い。温度計を見ると「5度」とある。おいおい、一昨日まで23度あった旭川にいたのに・・・(笑)。確か次の宗谷岬行きのバスは1時過ぎだったな。ということで、駅に引き返した。

■2012/5/27 最果ての地への「放浪」(6)

■日本最北の地

 3日目の午後、稚内駅から宗谷岬行きのバスに乗車する。宗谷岬は「日本最北端」の地。稚内市内では最も有名な観光地。市の中心からバスで1時間以上かかる。ただ、定期観光バスや車で訪れる人が多いせいか、路線バスは1日7往復しかない。有名なスポットに行くバスの割には少ない。駅前からバスに乗車したのは私を含めて5人。2時間に1本しかないのに。

 バスは南稚内駅とか、西條百貨店というデパート(といっても、小さなイオンという感じ)のある市街地でもある大黒、空港方面のバスと接続している潮見といった市の中心を通り過ぎる。そのあたりで何名か乗車してきたけど、それでも乗客は10数名。やがて海岸線に出る。すると以降はほとんど民家がなく、左手はひたすら海岸、右手は平原が広がるだけの景色になる。そして1時間弱で日本最北の地・宗谷岬に到着した。

 海岸線に「日本最北の地」のモニュメントがあって、その前で記念撮影している人でいっぱい。家族連れ、カップル等。しかし異常な寒さ。稚内市の中心も肌寒かったけど海岸線で、しかも「最北の地」ということもあって、ほとんど真冬。気温は「5度」とあるけど、体感温度は氷点下並み。そのせいか、多くの人が記念撮影をさっさと済ませて「寒い、早く行こう」とぼやきながらさっさと立ち去っていっていた。さらに天気が悪くなり、雨こそ降ってないけど、今にも降り出しそうなほど空は真っ暗。天気がよければ、海の向こうのサハリン(樺太)も見えるそうだけど、どんよりと暗い海が広がっているだけ。やはりここも「普通の海岸」にしか見えなかったのが残念。

 帰りのバスの時間を調べる。なんと、3時間後までバスは来ない。こんな寒い海岸で3時間も過ごさなきゃいけないのか。しかしよく見ると岬のモニュメントの後ろには小高い丘があって、その上にも丘陵やモニュメントがある様子。なので、その丘の方に登ってみることにした。

■キタキツネとの遭遇

 丘の上には戦前に建てられたという古い灯台、大韓航空機撃墜事件の犠牲者の慰霊碑、日露戦争の頃に旧日本軍の建てた見張り塔などがあり、公園のようになっていた。その公園を歩いていた時、目の前を野良犬のような動物が走り去っていき、私の数十メートル前のあたりで立ち止まった。よく見ると実は野良犬ではなくキタキツネ。いや、野生のキツネを見たのは生まれてはじめて。しかも数十メートルの距離にいる。思わず携帯のカメラで撮影しようと思ったんだけど、相手は野生動物なので逃げる可能性もあるけど、逆に襲ってくる可能性もある。まずは相手の様子を見てみようと思っていたら、一眼レフのカメラを構えたカップルが猛ダッシュしてきた。驚いたのか、そのキツネは逃げてしまった。あの2人のせいで撮影できなかったのは残念だけど、こんなに近くで野生動物を見たのは初めての経験でした。

(↑左の「食堂」と書かれた建物が展望外のある食堂兼土産物屋、右手の三角屋根が「最北のトイレ」、中央に見えるのが最北端のモニュメント、撮影は先に述べた見張り塔前のベンチより)

 さらにその丘の頂上あたりに風車のような建物があり、広大な丘陵地帯が広がっている。本当はこの周辺は牧場らしいけど、まだ稚内は本格的な春とは程遠い季節。ということもあり、牛などは放牧されていなかった。前日通り過ぎたオロロンライン沿い、前日の宿泊地の幌延、そして稚内もいい季節に訪れていれば、そこらじゅう放牧された牛だらけなんだろうけど今回はそうした景色は一切お目にかかれず、そのあたりは残念でした。

■最北のラーメン屋、最北の土産物屋、最北のトイレ?

 海岸線と丘陵地帯、宗谷岬公園内をほぼ周り尽くしたところで時計を見る。まだバスの時間まで1時間半もある。寒いし疲れたし・・・。よく見ると展望台のある土産物屋兼食堂があるので入ろうか、と思いきや、2回の展望台部分のシャッターを閉めはじめている。おいおいもう閉店?(笑)丘の上にラーメン屋もあったなあ。普段は外でラーメンを食べたりしない私だけど、寒いから温まりたいと思い、そのラーメン屋に入ることにした。間宮堂という看板が。間宮林蔵に引っ掛けたらしい。

 メニューの一番上に「ホタテ・ラーメン」とあるので、それを注文。ラーメンの味にほとんど拘りがない私だけど、あっさりしたスープで意外と美味い。そしてやわらかいホタテ。こんな柔らかいホタテは初めて食べた。何の知識もなく入った店だったけど、いや、入ってよかった。しかしよく見ると壁に有名人のサイン色紙がいっぱい。後で分かったことだけど「最北のラーメンの名店」として有名な店らしい。その割には値段も安くて、近所のオバちゃん何人かで店をやっている感じで、気取ったところも頑固で拘った感じもなく、雰囲気も悪くありませんでした。

 さらに丘の下に下りると「日本最北端の土産物屋」がある。ここも後で知ったけど、有名な店らしい。外が寒いので、中に入って商品を物色しながら時間を潰す。テレビがあって、プロ野球の日本ハムの試合の中継が流れている。やっぱり、こっちはファイターズが人気らしく店番していたオバちゃんまでもが夢中になっていた。

 外に出る。すると公衆トイレがある。どうやらここが「日本最北のトイレ」らしい(笑)。記念というわけではないけど、入ってみた。どこを見ても「日本最北」の看板が。3時間も時間を潰すのは寒さもあって大変だったけど「車でやってきて、最北のモニュメントの前で記念撮影だけで去っていく」人が多い中、ゆっくりと過ごすことができた。

 夕方の6時前、ようやく稚内駅行きのバスが来た。バスを待っていたのはわずか4人。そのバスでまた1時間ほどかけて稚内駅に戻った。そこから歩いて5分ほどで、今日から2泊過ごすホテルに到着。すっかり歩き疲れてしまった。

■明日は確実に雨、明日は宗谷本線途中下車の旅に決定

 ホテルで北海道ローカルのニュースを見ると、稚内は今日は一度も雨が降らなかったけど、北海道全土で激しい雨が降ったらしい。釧路などの道東では列車の運休や高速通行止め、河川の増水も。さすがに稚内も明日は一日中雨になるらしい。今日中に稚内市内の有名スポットの大半をまわったのは正解。明日はJR乗り放題の「3連休お出かけパス」もあるので、JR宗谷本線の列車でどこかの駅で降りて周囲を散策して、夜にまた稚内に戻ってくる「途中下車の旅」でもやってみよう。一昨年の四国放浪で雨に遭った時も同じように過ごしたし。

 とはいえ、宗谷本線は2時間に1本くらいしか列車がないし、途中下車しても「市」すらない路線なので、あまりにも何もない駅に降りてしまうと、次の列車が来るまで大雨の中で時間を潰すのが大変。どこで降りる? 最初に道北放浪を計画した際は、駅自体が観光地として有名な音威子府駅で下車したいと思っていたけど、「村」の駅で次の列車が来るまで2.3時間潰すのは厳しい。駅周辺は民家も少ない静かなところ、晴れの日ならともかく、雨天では厳しい。稚内から特急で約3時間南下したところに名寄市がある。ちょっと時間はかかるけど、その名寄まで行って、市内で時間を潰して再び稚内に戻れば、丸一日時間がつぶれる。ということで、明日4日目は、名寄まで列車で南下して戻ってくることにした。

■2012/5/31 最果ての地への「放浪」(7)

■絶景の宗谷本線

 4日目、目が覚めて窓の外を見ると予報通り雨。ということはやはり、今日は「JR宗谷本線途中下車旅」を決行するしかなさそう。とりあえず、ホテルで朝食を済ませて列車の時刻を調べる。稚内発の宗谷本線の列車は、朝7時過ぎの札幌行きの特急が出た後は、なんと10時51分発の名寄行きの普通列車まで1本もない。起きたのは7時過ぎなので、次は10時51分ということになる。

 ホテルを出て稚内駅まで傘をさして歩く。「大雨」というほど激しい降り方ではないけど、海岸が近いせいか、風が強くて歩くのが大変。駅に着くと今日もジャグラーなど新駅ビル・オープンのイベントが行われていたけど、天気が悪くて風が強いので外ではなく、建物の中で行われていた。その分、駅の建物の中の人の数は前日よりもはるかに多い。だけど「列車に乗る」ことを目的に訪れた人は少ない様子。

 やがて列車の時間になったので改札を抜けてホームへ。ここでもやはり普通列車は1両編成のワンマンカー。行き先は名寄、3時間以上の長旅なのに。やがて雨の中、列車は発車した。私は進行方向右側の席に座った。「右側の車窓の方が圧倒的に見応えがある」という情報を出発前にネットで得ていたし。

 稚内を出ると、本当は右手にずっと利尻富士が見えるはずだけど、天気が悪いせいで全く見えず。稚内〜豊富〜幌延あたりの車窓といえば「原野や牧草地帯の向こうにそびえる利尻富士」という絶景が拝めるはずなんだけど。天気が悪くて利尻富士が見えないだけではなく、サロベツ原野もまだ春が遠く枯野原、牧草地帯にも牛がいないので単なる広っぱ。あと1ヵ月後の天気のいい時に来ていればと悔やまれるけど、豊富や幌延といった大きめの駅周辺を除いて民家もない、田畑もない、道路も電柱もないという、日本のよその地域では拝めない景色はそれなりに堪能できた。

 ■更なる絶景、天塩川と雪を被った山々

 やがて天塩中川という特急も停車する大き目の駅を過ぎると、若干景色が変わり始める。進行方向右手の線路スレスレのところを道北を縦断する大河、天塩川が。そして川のはるか向こうにそびえる雪を被った山々・・・。思わず感動。以前から述べている通り、私は川、湖、池などの「水周り」の景色が大好き。しかも民家や道路などの「人の気配」「文明」の感じられるものも一切見えない。思わず携帯のカメラで何枚もの写真を撮影したけど、私の腕ではその素晴らしさを再現することが出来ず。使える写真は皆無(笑)。これじゃあ、全くどこが素晴らしいのか分からないので、このあたりの車窓を撮影した写真の乗っているサイトにリンクを貼っておきます(こちら)。私が見た景色はこれより約1ヵ月後なので、こんなに雪は残ってませんでしたけど。

 私は知りませんでした。宗谷本線の車窓がこんなに素晴らしいなんて。どうしても道北の「絶景」といえばオロロンラインばかりが取り沙汰されるけど、ここもまた素晴らしい。もちろん、オロロンラインの景色も好きだけど、個人的には「海」よりも「川」や「渓谷」が好きなので私はこちらに軍配を挙げたいところです。とはいえ、実はこのあたりは、その厳しすぎる自然と地形ゆえに以前は集落がいくつかあったのに徐々に人が去っていき、今では廃墟や廃村だらけなんだとか。特急停車駅の天塩中川〜音威子府間には小さな駅が2つあるだけだけど、それらの駅の周辺には民家もないし、民家らしきものがあっても全て廃居ばかり。通り過ぎる分には素晴らしい景色であっても「途中下車するのは怖い」と思える。間違っても「次はこのあたりで途中下車したい」とは思えない。

  そうした景色が続いた後、駅自体が観光地化している音威子府駅に到着、天気がよければここで降りたかったけど。この駅で多くの乗客が降りて、入れ替わりに多くの乗客が乗ってきた。そして音威子府駅を出ると徐々に民家が増えはじめ、同時に畑も。ここまで南下しないと農作物も育たないらしい。このあたりまで南下してようやく「他の北海道の地区と同じような景色」になってくる。とはいえ、これ以降も天塩川が線路沿いを流れているので景色は悪くない。さらに南下していくと、美深という少し大きな町に到着、地元の中高生などの乗客も増える。そして始発の稚内から実に約3時間半、「町」でも「村」でもない、稚内市以来の「市」になる名寄に到着した。

■いかにも北海道の街らしい街、名寄

 名寄駅で下車して、稚内に引き返す列車の時間を調べる。約1時間半後に特急がある。その列車の時間までの約1時間半、名寄市内を散策してみることにした。駅は木造の立派な駅、駅前のアーケードも昭和40年代のよう、嫌いな表現だけど思いっきり「昭和」な雰囲気の街。一方で、そのアーケードのある道も、そこから1,2本裏の住宅街の通りも、どの道もとにかく道幅が広く、しかもまっすぐでどこまでも伸びていて見通しが良い。そして碁盤のように縦に横にと道が伸びている。いかにも北海道らしい町だなと。決して賑やかでもないけど寂しくもない。こういう雰囲気の街って嫌いじゃない、いや、むしろ好きです。

 幸い名寄市内は全く雨が降っていないので、傘なしで過ごせる。その碁盤のような道を歩き回る。ここにも稚内同様、西條百貨店があって、とても賑っている。その西條百貨店の近くになぜか「すき屋」がある。私は松屋はよく通うし、吉野屋も何度か行ったことがあるけど、実はすき屋って一度も入ったことがない。考えてみれば今日はまだ朝食の後、何も食べていなかったっけ。というわけで思わず入店、「すき屋は実は牛丼よりもカレーが美味い」という評判を聞いたことがあったので、思わずカレーを注文。まあ、牛丼屋のカレーにしては美味いかも。清算時に「またお越しください」と言われたけど、いや、もう二度と来ることはないんだけど(笑)。「途中下車の旅」で何気なく下車して、1時間半の短い時間を過ごしただけの街、おそらく今後一生来ることもないだろう街、そう思うとレトロな雰囲気の街故に、何か寂しい気分になりました。

 約1時間半後、名寄駅から特急列車に乗車。私が列車に乗った直後、名寄市にも激しい雨が。何となく物悲しく、ノスタルジックで、風情のある街でした。

■稚内にも大雨が

 稚内に戻る特急の車内、今度は進行方向左手の席、つまり行きがけと同じ車窓の見える席に座る。もう一度、あの車窓を堪能したいと。だけど、やはり特急ということもありスピードが出ているので、なかなか車窓を楽しめる感じではない。ところが、音威子府を出て天塩川沿いの峠に差し掛かるとスピードダウン。さすがに特急とはいえ、難所なのでスピードが出ないらしい。おかげでまたあの「天塩川と雪深い山々」を堪能できました。このあたりは鹿の生息地。目の前を鹿が通りかかって思わず急ブレーキ。まあ、JR北海道では日常茶飯事らしいけど、慣れていないのでちょっと驚きました。

 約3時間後、夕方6時過ぎに稚内駅に到着、さて夕食は新駅ビルで、と思いきや一部を除いて店じまい。「放浪」時の定番、「駅弁を買ってホテルで食べる」を実践しようと思ったけど、稚内駅の駅弁は「要予約」なんだとかで買えず。どこか食事どころでも探そうと駅の外に出たけど・・・。朝以上に雨足が強くなっていて強風も吹き荒れている。おとなしくホテルに帰った方が正解。と言うことでコンビニで食糧を買い込んでホテルに戻った。

 天気予報を見る。明日は稚内最後の日になる。昼過ぎの特急で札幌に移動しなければならない。せめて午前中だけでも天気がよくなればと。予報では私の望みどおり「午前中は一旦晴れる、午後から再び雨」とある。予報通りになれば、午前中は市内の散策をしたいな。というわけで、予報が当たることを祈りつつ就寝した。

■2012/6/3 最果ての地への「放浪」(8)

人気のない朝の稚内公園

 朝、目が覚めて外を見ると曇り空。前日の夜の予報では「午前中は曇、午後から再び雨」ということだったので、降り出す前にホテルをチェックアウトして最後の市内散策に出かけよう。ということで、7時過ぎに朝食を済ませて8時前にチェックアウト、稚内駅のコインロッカーに荷物を置いた。稚内駅から徒歩圏内に小高い山の上にある稚内公園という有名なスポットがあるので、そこまで歩いてみることにした。

 しかし、出発前にネットの地図のサイトで見た時「距離:1.8キロ、徒歩20分」とあったけど、どうやら地形は考慮されていなかったらしい。「1.8キロ」なら「軽い散歩」レベルと思っていたのに、想像以上にダラダラ続く山道。もちろん舗装道路ではあるけど、歩いて登ると途中で息切れしそうなレベル。とはいえ、まだ朝8時過ぎ、観光客が来るには早い時間ということもあり車も少なく、人気もあまりなかったので人目を気にせず、立ち止まって休みながら登った。

 観光パンフレットなどでも有名な「氷雪の門」に着く(↑)。普段なら記念撮影する観光客でいっぱいなんだろうけど、人はほとんどおらずカラスばかりだったのが印象的だった。さらに下を見ると海が広がる。稚内駅や防波堤ドームも見える。「海の見える高台」って日本全国にあるので、正直どこも同じような感じ。唯一、函館の高台から海を見下ろした時は感動したけど、稚内の場合は「まあ、こんなもんかな」レベルかな(↓)。

 とはいえ、この稚内公園ってかつてはロープウェイで簡単に登ることが出来、さらに遊園地があったりスキー場があったりで、とても賑った観光スポットらしいけど、今はそうでもないのか意外と見所は少ない。氷雪の門のある広場よりももっと上にも道が続いていたけど、これより上まで登ったら疲れて帰ってこれなくなるかもしれないと思ったので、しばらく過ごした後、下山した。下山して山の上、つまりさっきまでいたあたりを見ると、黒い雲に覆われている。どうやら、天気は下り坂らしい。早めに登って下山したのは正解だったのかもしれない。

■稚内市内での最後のひととき

 下山した後、市内を散策。利尻島や礼文島に向かうフェリー乗り場、駅周辺にある古いアーケード街など。そうするうちに小雨が降り出したので一旦駅に戻る。13:45発の札幌行きの特急に乗車して札幌に移動する予定だけど、今の時間は11時。あと一ヶ所くらいまわってみるか。確か駅からバスで4,5先の停留所の近くに、飲食店や土産物屋の集まった施設「副港市場」ってのがあったな。そこへ行ってみよう。しかしバスの時間を見ると、そちら方面のバスは本数が少ない。徒歩で15分程度。しかもこちらは山道ではなく、大通り沿い。迷うこともないし、坂道でもないので15分歩くくらいなんてことはない。雨もまだ小雨なので折り畳み傘があれば濡れることもない。ということで、副港市場に向かって歩き出した。

 さすがに平坦な大通りであれば15分なんてすぐ。あっという間に着いてしまった。飲食店は2件ほどあったので、そのうちの1件に入る。そこで稚内名物の「たこしゃぶ定食」を注文。考えてみれば今回の北海道放浪中、全然北海道らしい食べ物を食べなかった。これが最初で最後の「北海道らしい食事」になった。

 食事が終わった後は、樺太がまだ日本の領土で、稚内までの航路があった頃の貴重な写真がいっぱい展示されているスペースがあったので、そうした写真を見ながら過ごした。2泊も過ごした街だけど、もうすぐお別れか・・・。昼の1時過ぎ、「そろそろ」ということで稚内駅に徒歩で引き返す。途中から雨が強くなる。とはいえ、午前中は何とか天気がもってくれたおかげで稚内公園にも訪問できたわけで、それを思えばラッキーだったのかも。一方で、稚内に滞在した3日間はずっと曇りか雨。天気がよければ、市内のいろんなところから美しい利尻富士が拝めるはずだったのに、私が利尻富士を見ることが出来たのは、3日目に幌延から稚内に移動した宗谷本線の車窓から見た1回のみ。このあたりはアンラッキーでした。前も述べたけど、オロロンライン沿いの街とか、サロベツ原野とか、道北にはまた訪問したいと思っているけど、その時に稚内市内にまで来るかどうかは微妙。それを思うと、そのあたりは悔いが残る。

■札幌までの遠くて長い移動

 稚内発13時45分の特急列車に乗車。その頃には激しく叩きつけるほど雨は強くなっていた。稚内駅を離れる時、地元の子供が駐車場から手を振っていた。ちょっと物悲しい気分になった。座った席はもちろん、進行方向向かって右側の席。稚内〜幌延の牧草地や原野、そして大好きになった天塩中川〜音威子府の天塩川と渓谷といった車窓をもう一度、堪能した。そして昨日下車した名寄に到着。ここから旭川までは「初乗車」になる。このあたりの車窓はどうかな? と思いきや、ここにもハイライトが。険しい山や渓谷を抜けていく。後で知ったけど、塩狩峠という難所らしい。このあたりの車窓も素晴らしいものが。いや、宗谷本線の車窓って3つものハイライトがあるわけで「車窓マニア」の私には嬉しい路線でした。

 その塩狩峠を過ぎてしばらくすると、連なる住宅街や高層マンション、高速道路にビル・・・。旭川市内に入ってくる。思えば、2日目に旭川を後にして以降、こんなに「文明」の感じられる景色は久しぶりに見たような気がする。大袈裟に思えるかもしれないけど、それほど道北は「日本のほかの地域では見ることが出来ないような景色」ばかりだったということ。まるで「別世界から帰って来た」かのような気分になったし、旭川がものすごい大都会、近未来の都市に見えてしまいました(笑)。

 そして旭川から急激に乗客が増えて、それまでの「ローカル線」っぽい車内の雰囲気も一変する。そして稚内を出て実に5時間半、ようやく札幌駅に着いた。4年ぶりの札幌。駅前や駅前の大通りの工事は終わっていて、4年前に感じた歩きにくさはない。ただ、市内の至るところに空き地が。特に札幌に住んでいた頃、よく遊びに行った西武百貨店は見事に取り壊されていて寂しい気分になった。既に夜7時半過ぎなので夕食をとも思ったけど、荷物が邪魔なので先にホテルに向かった。

■2012/6/4 最果ての地への「放浪」(最終回)

■嬉しく、寂しい札幌の夜

 ホテルに荷物を置いてすぐに外に出る。夕食を食べたかったし、4年ぶりの札幌の街を散策したかったし。だけど既に夜8時。8時で閉店してしまった商業施設も多いので、さて、どこで食事しようか。1990年にはじめて札幌を訪れた際も、1990年代半ばに札幌に住んでいた頃も「外食」といえば札幌駅の地下のレストラン街だった。なので、まずは札幌駅の地下へ。しかし随分様変わり。かつてはラーメンとか、海鮮料理とか、北海道らしい料理の店が多かったのに、今では全国チェーンのうどん屋、蕎麦屋、天ぷら屋などの看板が。さらに吉野屋やスタバまで。うーん、これじゃあ「札幌に来た」という実感も沸かない。むしろ地元の人向けなんだろうな。

 ということで駅から大通り公園、狸小路商店街、さらにすすきのの方まで歩き回ってみる。だけど、既に夜8時過ぎなので「食事の店」というよりも、飲み屋の方が多く目に付く。土曜日の夜、やはり飲み屋目当ての人でごった返しているし、すすきのには客引きまで。というか、昔はこんなに客引き、多くなかったはずなのに。昔と比べて雰囲気が悪くなったように思えた。4年前に札幌を訪れた際「すすきのの交差点のシンボル、ロビンソン百貨店が閉店」というニュースを聞いてショックを受けたものだけど、別の商業施設に生まれ変わっていた。しかも、店内もきれいになっていたので、むしろこれはこれでいいのかな。

 とはいえ、4年前も感じたけど、多くの人で賑う札幌の市街地を歩いていると懐かしい反面、とても寂しい気持ちになる。1990年代の半ば、約1年ほどここに住んでいたけど、忙しくて大変だった反面、まだ若くて希望に満ちた生活を送っていた時期。同時に良い先輩、同僚、部下に囲まれていた、まさに私が社会人になって以降では最も充実した生活を送っていた時期。でも今、私はあの頃と同じ街にたった一人で訪れて、たった一人で街を歩いている・・・。もちろん「1人になりたい」のが私が「放浪」する目的だけど、この街を1人で訪れるのは辛くて寂しい。あんなに希望に満ちていたのに、あんなに多くの人に囲まれていたのに・・・。札幌、好きな街だけど、1人で夜の街を歩くのは辛い。もうホテルに戻ろう。そう思ってホテルに向かって歩き始めた。突然の通り雨。ただですら感傷的になっているのに、雨に濡れるなんて死んでも嫌。思わず通りすがりのドラッグストアに駆け込んで使い捨てのビニール傘を買ってしまった。ああ、無駄な出費だな(笑)。結局、この日の夕食もコンビニの弁当やパン。ホテルに戻ったのは夜の10時過ぎだった。

■放浪の終わりはまさかの搭乗手続き遅れ

 翌朝7時過ぎに起きてホテルの朝食をとる。そして朝8時過ぎにはホテルをチェックアウトした。帰りの飛行機の時間は11時20分。福岡行きの飛行機は午前1本、午後1本。本当は午後の便を予約して、昼過ぎまで札幌でゆっくりしたかったんだけど、生憎満席だったので午前の便。これでは札幌駅を10時過ぎに出る列車に乗らなきゃ搭乗手続きに間に合わない。あんまり市内でゆっくりすることは出来ないのが残念。私が毎回北海道を離れる前に訪れる場所といえば大通り公園。ということで、大通り公園に向かって歩く。

 いつものようにテレビ塔の近くのベンチに座ってぼんやり過ごす。周りの建物などは随分変わってしまったけど、はじめて訪れた22年前と雰囲気はほとんど変わらない・・・。と思いきや、あんなにいっぱいいた鳩の姿はなく、代わりにいるのはカラス(笑)。おいおい、なんかイメージが違う。とはいえ「都会のオアシス」といった雰囲気は変わらず。毎回訪れるたびに「俺は今後、ここに来ることがあるんだろうか?」と名残惜しい気持ちになる場所でもあるけど、今回はなぜか「必ずまた数年後に来るだろう」と思えてしまう。やっぱり俺は北海道が好き。多少無理してでも、何年かに一回は来たいと思う。

 9時40分になったので「そろそろ」ということで札幌駅まで歩く。確か改札の中、ホームに上がるエスカレーターの前に、飛行機の自動チェックイン機が昔からあった。あれを使えば急いで空港まで行かなくっても早めにチェックインができるので重宝していたもの。ところが・・・。どこを見ても見当たらない!! なんと、撤去されたらしい。チェックインは出発30分前までに済ませておかなければいけない。あのチェックイン機があるから安心してゆったりしてたんだけど、ないとなると空港に30分前までに行ってチェックインしなければならない。でも、次のJRの空港到着時間を考えれば、間に合うか、間に合わないか微妙な時間。やばいかも。

 そんな焦る気持ちのまま、JRで新千歳空港駅へ。「もうすぐ離れてしまう北海道に別れを告げる」とか、そんな感傷的な気持ちに浸る余裕もなく搭乗窓口にダッシュして自動チェックイン機の前へ。ところが、時間を過ぎていたらしく「お取り扱いできません」の表示が。仕方なく窓口に行って事情を話したら、ちゃんと手続きしてくれて無事に搭乗することが出来たのでよかったけど。しかし、この飛行機の搭乗手続きの煩わしさ、解消できないものでしょうか。それに、なぜあんなに便利で重宝していた札幌駅の自動チェックイン機、撤去してしまったんでしょうか。あれがあるからこそ、札幌から飛行機に乗る際は時間に余裕を持って行動できていたのに。

 というわけで、「放浪」の最後は随分バタバタしてしまい、「放浪が終わって現実に引き戻される寂しさ」とか、「大好きな北海道を離れて戻らなければいけない」とか、そんな感傷的な気持ちになることはありませんでした。

■もう一度行きたい道北、定期的に訪れたい北海道

  今回の「放浪」は「稚内に行きたい」という気持ちから実行に移したもの。稚内は2泊して結構いろんな場所に行ったけど「最北の地=日本の端の寂しくて、ひなびた街」というイメージは覆されました。有名スポットも「滅茶苦茶気に入った」と思えるような場所もなかったし。むしろ気に入ったのは、その稚内までの「移動途中のルート」に過ぎないはずのオロロンラインやJR宗谷本線の車窓の方。今回はまだ季節的に「本格的な春」という感じではなかったので、もっといい季節、6〜9月くらいにぜひもう一度、訪れたいと思います。あと、今回は「まだ季節的に微妙」ということで見送ったサロベツ原野にも。なので今度道北を訪れる時は、稚内には行かず、オロロンラインをもっとゆっくり北上して幌延か豊富で1泊して、サロベツ原野に寄って、JR宗谷本線の車窓を楽しみながら戻ってくる、そんな「放浪」をしたいなと。

 また、私はやっぱり北海道が好きらしい。何度か書いてきたとおり、冬の厳しい寒さと凍結する道路さえなければ、永住したいとすら思っているほど。今までは「放浪」する際、「行ったことない場所優先」で計画を立てていたものだけど、今後は何年かに1回(今回が4年ぶりだから、4年に1回にするか?)、必ず北海道を訪れるようにするのもいいかなと。まだまだ道内で行ったことがない場所も多いし。でも、北海道に行くなら今後は5月連休は避けた方がいいのかもしれない。前回の道東といい、この季節はまだ「春」じゃないわけで・・・。とにかく同じ「放浪」でも北海道の放浪と、それ以外の場所の放浪では、私自身の気分やモチベーションも全く違う。それほど北海道は私にとって特別な場所のようです。

■2012/6/10 車窓ベスト10

今回の放浪ネタを書いているうちに実は私って「車窓マニア」なんだということを発見しました。「小学生の頃は鉄道ファンだったが、今では別に興味はない」「だけど、鉄道での長旅がなぜか好き」ということは以前から何度も書いてきました。事実車両の型番とか、内装とか、外観とかには全然興味がない。今回もどんな車両の列車に乗ったかなんて全然覚えてないし。駅や駅弁のマニアってのもいるらしいけど、これも興味がない。だけど一方でぼんやり窓の外=車窓を眺めて過ごすのは好き。「列車内で携帯の画面ばっかり見ている」「日が照っていなくっても、ブラインドを下ろしてしまう」人が多いけど、私はどんな時でも車窓をぼんやり眺めて過ごします。

 とはいえ、近年では日本中どこへ行っても同じような景色ばかり。高層マンションにパチンコ屋、郊外には大型店舗に高速道路・・・。なので以前と比べると、車窓を眺めていても日本中どこに行っても変化がなく面白くないというのも事実。そんな中、私が今まで見た中で「ここの車窓はよかった」と思う「車窓ベスト10」を選んでみたいと思います。

1.土讃線(JR四国) 阿波池田〜大歩危付近

 2004年のはじめての四国放浪時に通り過ぎたのがはじめて。吉野川と渓谷沿いを30分近く走る。川や渓谷の景色が好きになるきっかけでした。次回四国に行くことがあれば、大歩危峡で途中下車して散策してみたいと思っています。

2.宗谷本線(JR北海道)

 今回の道北放浪で訪れた記憶に新しい場所。広大なサロベツ原野と(今回はほとんど見ることが出来なかったけど)利尻富士を拝める稚内〜幌延間、天塩川と渓谷が素晴らしい天塩中川〜音威子府間。ぜひまた訪れたいと思います。

3.釧網本線(JR北海道)

 2008年の道東放浪時に何度も通り過ぎた釧路〜網走間の区間。釧路湿原の中を走行する釧路寄りの区間と、冬場は流氷が流れ着き、春は原生花園に花が咲く網走〜知床斜里の海沿いの区間と2つのハイライトが。私が行ったのは5月はじめだったので、網走側の区間がただの枯野原だったのが残念。もっといい季節にもう一度訪れたいと思っています。

4.肥薩おれんじ鉄道

 九州新幹線鹿児島ルートが出来るまではJR九州の在来線・鹿児島本線の一部だった八代〜川内間。今は第3セクターのローカル路線と化していてすっかり寂れているけど、2010年の鹿児島放浪時に使用して、その美しすぎる海岸線に感動。八代〜水俣間は海岸線ギリギリを走っていて、まるで海の中を走行しているよう。そして阿久根〜川内間は断崖絶壁、岩場の連続。基本的に「海よりも川や渓谷好き」だけど「海」に関しては、この路線がダントツに素晴らしいと思います。

5.山陰本線(JR西日本) 益田〜松江間

 下関から京都までという異常に距離の長い路線なので、敢えてその中の一部をピックアップ。2009年の山陰放浪時に使用。太平洋側と比較するとほとんど人の手の入っていないキレイな砂浜や松林、断崖絶壁。私が見た中ではこと「海岸線」に限れば、肥薩おれんじ鉄道と双璧。そして出雲市〜松江間は左手に宍道湖。変化もあるので飽きることもありませんでした。

6.東海道新幹線、東海道本線(JR東海) 静岡〜沼津あたり

 やはり富士山と富士川を渡る橋梁、これに尽きるところ。高3の2月(1987年2月)、受験のため東京に向かう新幹線から富士山と富士川を見たけど「おお、これが本物か」と感動したもの。今でもこのあたりを通り過ぎる時は、思わず車窓に釘付けになる。ただ、新幹線だとあっという間に富士川を通り過ぎるのでやっぱり在来線で楽しみたい車窓。

7.久大本線(JR九州) 日田〜久留米あたり

 大分から湯布院や日田などの九州の人には御馴染みの観光地、温泉地を通り抜ける観光路線だけど個人的には日田〜久留米の手前あたりまで続く、筑後川と併走しながら渓谷を通り抜ける区間の車窓が好き。どことなく大歩危峡にも通じるものが。5,6年前に日帰り放浪したのが初訪問でした。

8.指宿枕崎線(JR九州) 鹿児島中央〜指宿

 2010年鹿児島放浪時に利用。鹿児島湾の海岸線に沿って走行、その海岸線の美しさもさることながら、海の彼方にそびえる桜島。まさに鹿児島でないと味わえない車窓でした。

9.中央本線(JR東海) 松本〜中津川あたり

  中央本線は名古屋〜松本と松本〜新宿は別々の路線のようになっているけど、約2年松本に住んでいたのでどちらもよく利用したもの。実ははじめて利用したのは高校2年の修学旅行の時だけど。そのうち、名古屋に抜ける「西線」は木曽川沿いを走行、木曽山脈の山越えの険しい路線。仕事の関係で住んでいたので、利用するのは仕事絡みのことが多くて車内でゆったり過ごすことはあまりできなかった。だけど、この区間の車窓を目にすると多少気持ちが安らいだものでした。

10.東海道新幹線(JR東海) 品川〜東京

 「なんでこんなところが?」と思うかもしれないけど、先にも述べた高3の初めての上京以来この区間の風景を見ると「ああ、東京だ」と実感してしまう。連なる高層ビル、併走する山手線や京浜東北線の電車、品川駅や新橋駅のホームに溢れるビジネスマン、浜松町の東京タワーに霞ヶ関ビル、有楽町の賑わい・・・。はじめて見た時は「とうとう東京にきてしまった」って感動したし、その後もこのあたりの車窓を見るたびに「ああ、また東京に来たんだ」と実感できる。

 

・・・まだ行ったことがない場所の方が多いくらいなので、まだ見ぬ「よい車窓」はいっぱいあるのかも。

以下は番外編

(思い出の、もう見ることの出来ない車窓)

国鉄時代、昭和50年代の筑豊本線 折尾〜飯塚間

 今はJR九州の通称「福北ゆたか線」の一部と化しているけど、随分風景も変わってしまったもの。私が鉄道ファンだった小学校3〜6年頃いちばん好きだった路線。まだ非電化でディーゼルカーや古びた客車列車しか走っておらず。車窓も折尾〜中間間の、何本ものレールが交錯する複々線区間、中間〜筑前埴生間の遠賀川橋梁、筑前埴生〜直方間のどこまでも広がる田園地帯、勝野、小竹等、明治か大正に出来たと思われる木造の古びた駅舎、直方〜飯塚間のボタ山や引込み線などの炭鉱全盛時を忍ばせる遺物・・・。圧巻は直方駅近くの、SLの現役時代を思わせる造りの機関庫や転車台、無数の車両が停泊する車両基地。昭和50年代当初ですら既にレトロで懐かしさを感じさせる車窓の数々。当時鉄道ファンだった私にとって「何度乗っても飽きない路線」でした。今ではその面影はすっかり消えて普通の路線、普通の車窓になってしまいました。

(バスの車窓部門)

 これはなんといっても今回訪れた道北の沿岸バス。1回通り過ぎただけなんてもったいない。絶対また行きます。


      
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