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| GS(グループ・サウンズ)に対しては長年偏見を持ち続けていた私、それがようやく解消されたのは2004年、スパイダースとゴールデン・カップスをたて続けに初体験してからでした。 その辺の話は「聴かず嫌い」のスパイダース編で述べた通り。そちらを「前書き」代わりにお読みいただいた上で、以下をお読みいただけると、より私のGS観が分かるものと思います。 |
ダイナマイツは1965年東京・阿佐ヶ谷で、ソウルフルな声を持ったリーダーの瀬川洋、後に日本を代表するガレージ・ロック・ギタリストとなる山口富士夫を中心に結成された。相模原や厚木などの米軍キャンプで米兵を相手に演奏、そうした環境で育ったこともあって、他の同時代のGSバンドのようにビートルズやストーンズを経由するのではなく、直にR&Bなどに触れることができたことが、 彼らがデビュー前、10代にして、いきなり本格指向のバンドに成長した最大の要因だったのかもしれない。しかし時代はGS全盛。本人たちの意思とは関係なく、あくまでも「GSバンド」としてデビューさせられてしまう。1967年から1969年にかけて5枚のシングルとアルバム1枚発表するもヒットに恵まれず解散、リアル・タイムでは売れなかった。彼らが注目を浴びるのは70年代、日本のロックの創生期以降。いわば「早すぎたバンド」だったのかもしれない。 この編集盤は彼ら唯一のアルバム「ヤングサウンド・R&Bはこれだ!」の全テイク(1〜12.)に、シングルのみで発表されたテイクをすべて追加収録したもの。つまりこれ1枚で彼らの全公式テイクを聴くことができる便利なものである。 まず「ヤングサウンド・R&Bはこれだ!」(寒いタイトル:笑)収録曲を見渡すと、そのタイトルに反し、モンキーズの3.デイドリーム・ビリーバー、6.恋の終列車、ビージーズの2.マサチューセッツのカバーも収録されている。もちろんこれらは本来のレパートリーではなく、「やらされた」もの。演奏もボーカルもかったるそうなのが印象に残る。 さらにファースト・シングルのA、B面にあたる1.トンネル天国 / 4.恋はもうたくさん、セカンド・シングルA、B面8.ユメがほしい / 12.大人の戦争は、鈴木邦彦、すぎやまこういちといった、職業作曲家が手がけた、いかにも「GSだなあ」といった作品で、これらも「やらされた」曲。しかしストレートに歌謡曲調の8.ユメがほしい、はともかく、 その他の3曲に関しては「ささやかな抵抗」を試みて、瀬川、山口、吉田による巧みなコーラス・ワーク、瀬川の暑苦しいまでのシャウト、山口によるエキセントリックでガレージ風のファズ・ギターなど、「ダイナマイツらしさ」を発揮しているので、ダークな「ガレージ・ロック」に仕上がっている。特にデビュー・シングルの1.トンネル天国、は彼らの全公式テイクの中でもべスト・テイクともいえる仕上がりである。歌詞が能天気な分、そのアンバランスさがシュールでもあったりする。 メンバーのオリジナルは瀬川作の11.のぼせちゃいけない、のみで、あとはカバー。まだ無名だった日野皓正によるブラスが効果的な9.ジュディのごまかし(ジョン・フレッド&プレイボーイズ)、10.マーシー・マーシー・マーシー(バッキンガムズ)、山口が歌う有名曲7.マイ・ガール(テンプテーションズ)とどれも素晴らしいが、最高なのはルーファス・トーマスの5.ウォーキング・ザ・ドッグ。 ストーンズのカバーが有名だけど、イントロで山口が「結婚行進曲」のフレーズを弾いているから、おそらくストーンズ経由じゃなく、直にオリジナルをカバーしたものだろう。瀬川の熱く、エモーショナルなボーカルが素晴らしく、「当時の日本でよくここまで」と感心させられる。ボーカル、演奏とも、ストーンズのバージョンを軽く上回っている。残る13.以降は、シングルのみで発表されたテイク。瀬川作の15.恋は?、16.世界中にほほえみを、を除けば、 どれも職業作曲家の作品ばかりで、歌謡曲調、しかもストリングスなどが導入され「バンド色」も薄くて悲しくなる。20.は1.の、19.は4.のシングル・バージョンだが、アルバム・バージョンよりもおとなしく、彼らの個性が消されていて、これまた悲しい。そんな中では「アフロ・サイケ・ロック」とも呼ぶべき異色の仕上がりの13.真夏の夜の動物園、だけは個性的で面白いナンバーに仕上がっている。 とはいえ、こうやって発表された全テイクをみると、本当に「GSバンド」のイメージを押し付けられるあまり、彼ら本来の魅力を引き出せてはいないという感は否めない。ところどころで「ささやかな抵抗」は試みているものの、「本当に彼らがやりたいように100%やれたテイクって、20テイク中、どの程度あるのか?」と問われれば、意外と「ウォーキング・ザ・ドッグ」だけだったんじゃないかという気もする。もう少し、後の時代に現れていたら・・・、そう思うと悔しい。とはいえ、「やらされた曲」の中で「ささやかな抵抗」を試み、その結果、 「メロディや歌詞は歌謡曲調なのに、サウンドは斬新」という個性的なナンバーが生まれ、彼らの意図とは違うのかもしれないけど、結果的に彼らの個性になっているのは事実ではある。 *アルバム好感度 90
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先も述べた通り、このアルバムは日本のロック、ポップス界において、はじめての全曲オリジナルのアルバムである。発表は1966年4月、GSブーム直前のことである。12曲中9曲がかまやつ作曲、2曲が大野作曲、作詞もかまやつ、田辺の他、彼らと近しい関係者や当時は無名の新人作詞家だった阿久悠が手がけており、後のGSのように有名職業作曲家の作品は一切ない。当然カバーもない。 日本のロックやポップスにオリジナリティが確立していなかったこの時代としては、本当に異例のことである。しかもこれらのオリジナル曲、確かに当時日本でもブームになりつつあったブリティッシュ・ビートの影響はあるものの、既に洋楽の模倣を超えたオリジナリティを発揮しているあたりが凄い。この辺は1961年の結成以来、当時の日本では珍しかった、今でいうモンド・ミュージック的なサウンドを採り入れて活動してきたという下地があったこと、 父親にジャズ・ミュージシャンのディーヴ釜范を持つ、ヒップでスタイリッシュなかまやつの天性の音楽センスがあればこそだろう。ロックと三三七拍子を融合して生まれたという、前年発表のデビュー曲のリメイク1.フリフリ'66、当時の日本には珍しい、歌謡曲臭の全くない、中期キンクスを思わせるけだるく憂いのあるメロディを持ったバラード2.ノー・ノー・ボーイの2曲に、そのかまやつのセンスと独自性が現れている。 特に前者の発表は1965年、「ジャパニーズ・ロックの元祖」と呼んでも差し支えないだろう。他にもキンクスのSet Me Freeなどを思わせる憂いのある3.リトル・ロビー、4.ビター・フォー・マイ・テイスト、9.落ちる涙、ホリーズ風のポップなビート・ロックに初期キンクス風のハードなサウンドの絡む5.ロビー・ロビー、6.ミスター・モンキー、 7.ヘイ・ボーイ、12.ゴー・ゴー、ソフト・ロック風のジェントルな10.ラッキー・レインとクオリティが高いオリジナル曲が並ぶ。同時に、1.フリフリ'66のような「若さ炸裂」なアップ・テンポな曲と、2.ノー・ノー・ボーイのような「憂いのあるバラード」、この2パターンが後のGSの典型的なサウンドになっていくわけで、 ある意味、後のGSのイメージを決定付けたのもまた、彼らだったといえるかもしれない。実際、彼らのこの2パターンの作風に職業作曲家的歌謡曲臭をプラスすれば、典型的GSな音に仕上がるわけで。 とはいえ、彼らは先駆者。プロデューサーでも職業作曲家でもなく、彼ら自身でこの新たなサウンドを生み出したという事実、これはもっと評価されてしかるべきではないだろうか。「日本のロックの夜明けは70年代初頭、はっぴいえんどらの登場した時期」とされているけど、洋楽の影響を受けつつも、既に単なる模倣を超え、オリジナルなものを生み出そうとしていた彼らこそが「元祖・ジャパニーズ・ロック」だったのではないだろうか。 とはいえ、このアルバム発表後、すぐにGSブーム到来。彼らもまた職業作曲家の手がけた歌謡曲風の作品を発表してヒットを放ち、表向きは(あくまでも「表向き」だが、イメージ的には)「普通のGSバンド」になっていってしまう。つまり先駆者ではあったんだけど、彼らがこのファーストで示した方向性がそのまま「典型的なGSの音、イメージ」になってしまい、残念ながら「芸能」の波に飲まれてしまった、と見ることもできる。フロントマンの堺&井上順のタレント性もあって「芸能乗り」にも無理なく対応出来る器用さがあったが故に、ますますそのイメージは強くなっていった。 それによって人気バンドになったわけだけど、それは彼らにとっては不幸だったのかもしれない。一応オリジナル・アルバムでは実験的なことをやって「抵抗」を試みてはいたけど、そのあたりが注目される機会は残念ながら多くはなかったようだ。とはいえ、このファーストは「GS=芸能乗り」という私の偏見を解消してくれた、その事実にも揺るぎはない。 *アルバム好感度 80
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一応7.長い髪の少女の他、3.銀色のグラス、6.陽はまた昇る、18.クールな恋、21.愛する君に、と職業作曲家が提供した歌謡曲調の作品もある。 ロック・ファンとは無関係な、世間一般の人がゴールデン・カップスと聞いて最初に連想するのはこれらの曲だろう。とはいえ3.銀色のグラス、はムード歌謡調の曲に強引にガレージ・パンク風の演奏に乗せてデイヴが激しくシャウトするイントロをつけて「抵抗」を試みているあたりはさすが。故にかなり風変わりな曲に仕上がってるけど(笑)。 「巨人の星」に登場する「オーロラ3人娘」がアニメの中で歌っていた18.クールな恋、とサード・シングルの21.愛する君に、の2曲は、確かに歌謡曲調ではあるんだけど、ゴージャスなブラスがデイヴのボーカル(演歌にもヴァン・モリスンにも聞こえる微妙なスタイル)と相俟ってファンキーな仕上がりになっていて、「ジャパニーズ・ブルー・アイド・ソウル」と呼んでも差し支えない、好テイクである。 普通のベスト盤に収められそうな曲は実はたったこれだけ。あとはブルース、R&B、ガレージ・パンク、サイケの色が濃い、彼ら本来の魅力の感じられるテイクばかり。メンバーが手がけたオリジナル作品は1.ジス・バッド・ガール、5.LSDブルース、11.過ぎ去り恋、13.午前3時のハプニング、 17.テイク3。作詞はハワイ系日系人で片言の日本語しかしゃべれなかったという故・ケネス伊東が手がけているので、すべて英語詞。だけど、そのことを差し引いても、「洋楽のカバーか?」と思ってしまうほど思いっきり「洋楽」している。スパイダースのように、良質なオリジナル作品を手がけていたGSバンドって実は結構いるけど、 ここまで洋楽臭の強いオリジナル作品を残したバンドは他にない。メンバーの大半が横浜出身、デイヴ平尾他、海外放浪経験者も多い、しかもデビュー以前に腕を磨いていたのが、米軍キャンプが多くて最高にヤバい場所だったという本牧。そんな背景もあるとはいえ、ここまで本格指向なGSバンドは他にいないし、これらのオリジナル曲にスパイダースの確立した「GSっぽい」空気はひとかけらもない。 スパイダースの人気絶頂期、デビュー前のカップスのライブを見たかまやつひろしが「俺たちの時代は終わった」と思ったそうだけど、それも頷ける。オリジナリティではスパイダースの方が上かもしれないけど、「ホンモノ度」「洋楽度」では彼らの方が上といえる。残りは洋楽のカバー。中でもジミヘンでお馴染みの2.ヘイ・ジョーは圧巻で、海外のガレージものオムニバスにも頻繁に収録されている名演。 加部の驚異的なベース(この人のベースは歌謡曲調の曲の中でも常に大暴れしてる)、ファズで潰れまくったエディのギター(日本ではじめてファズを使用したギタリスト)、間奏でのフィードバックやSEを駆使したサイケでアバンギャルドな展開。 本当に「世界に誇れる」出来である。他にもデイヴ&ケネス(2人の声はソックリ)のソウルフルなダブル・ボーカルが素晴らしいウィルソン・ピケットの10.ミッドナイト・アワー、サイケ度もブルース度もクリームのオリジナルをはるかに超越した12.ストレンジ・ブルー、ゼムの直球コピーに挑んだデイヴのボーカルの素晴らしい15.ワン・モア・タイムなど、名演ばかり。 この時代の日本で各人がホンモノと同等に渡り合えるだけのテクニックとフィーリング、さらにはこの時代の日本にはあり得ない「ヤバさ」を兼ね備えていること、これは驚異的である。 「本格指向のGSバンド」という点では、ダイナマイツと被る。だけど彼らの場合、チャートでも成功を収めたメジャー・バンドだったということに驚きを禁じ得ない。スパイダースですら、GSというイメージや芸能乗りを押し付けられることを完全に拒絶できなかった、そんな「ロック不毛」のGSの時代において、しかもダイナマイツのような アングラな存在でもない、超メジャーな彼らが、こんな音楽をやっていたということ、本当に信じられない。なお、GSブーム終焉後はメンバー交代が激しくなり、最初から最後までメンバーであり続けたのはデイヴのみで、後にアイ高野、柳ジョージなどが加入していた時期もあった。だけどこのベストは、最もカップスがカップスらしかった、オリジナル・メンバーの5人(ミッキーは遅れて加入)のいた時代のテイクのみからなる。 1972年初頭、「洋楽を上手くコピーする」とか、「英語のオリジナル曲を歌う」という時代は終わり、はっぴいえんどや頭脳警察のような「日本語による日本独自のオリジナルなロック」をやることが当たり前になった頃に解散。ある意味彼らは「役目を終えた」のかもしれない。だけど「ロックとは名ばかり」なバンドの多かったGS時代において、彼らの存在は抜きん出ていたということ、そしてそんな彼らがいたからこそ、70年代になって日本に「ロックの夜明け」がやってきたんだということ、それは否定できないはずである。 *アルバム好感度 100
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*:2004年12月15日
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