CONCERTS FOR THE PEOPLE OF KAMPUCHEA (2)
[カンボジア難民救済コンサート]

      
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Sweet Ian Dury
 ここからはしばらくニューウェイヴ、パブ・ロック勢が続く。まずはネオ・スカ・ブームの立役者、スペシャルズから。私自身はこの映像で唯一、全くアルバムを持ってないバンドでもある。スカ自体が馴染みのない音楽だから、ってのが手が出ない理由だけど、パンクと融合させることで現代(1979年時点)にスカを蘇らせたバンド。 コミカルなコーラスに合わせて、妙なダンスを見せながら、白人(テリー・ホール)と黒人(ネヴィル・ステイプルズ)のボーカリストが歌っている。黒人と白人の混成バンドというのも面白いし、黒人のボーカリストはコミカルなのに、白人の方はネオ・モッズみたいなスタイリッシュなファッション。いかにも「雑食」なサウンドのバンドらしい。確かにスカといっても、演奏はパンクのように尖がっている。やがて黒人のボーカリストの方は、ステージに上から垂れ下がっている縄を伝わってスルスルと昇りながら歌い続ける。最後にアンプの上に降り、 さらにそのアンプの上から飛び降りる。最後は猿のようなコミカルな動き。音は結構尖がっていて、でもコミカルで、なかなか面白いバンドだとは思うし、会場も沸いている。

  続いてエルヴィス・コステロ&アトラクションズ。コステロ、とにかく若く、痩せているのが印象的。さらに尖がってる。黒ブチメガネにスーツのいでたちなのに、目が鋭くって、見るからに攻撃的で。そういう意味でも若い。さらにThe Inposterも直線的で早口で捲し立てるようなパンキッシュなナンバーなので、 音の方も尖がってる。そしてそれをガッチリ支えるアトラクションズ。やっぱり、コステロはこうでないと。


 次に登場するのはロックパイル。デイヴ・エドモンズニック・ロウ、正確には「ニューウェイヴに接近した、オールド・ウェイヴ出身者」の2人による双頭バンド。意外とこのステージで「ニューウェイヴ勢とオールド・ウェイヴ勢が一同に会した」きっかけを作ったキー・パーソンは、ポールよりもむしろエドモンズ&ロウだったような気がするのは私だけではないだろう(クリス・トーマスの線もあり?)。ロックパイル名義のアルバムこそ1枚しか出せなかったが、お互いのソロ・アルバムのバックを務め、ライブも頻繁に行っていたわけで、ある意味ライブ用のバンドといってもよい。決して派手なアピール、演出もなく、 淡々とストレートなR&Rを演奏してはいるけど、「外す」ことはあり得ない。ここではエドモンズの歌うThree Time Loserが演奏される。中央でギターを弾き、歌うエドモンズは貫禄十分で、「後輩」であるニック・ロウはここでは影が薄い。だけどニックのみならず、ビリー・ブレムナー、テリー・ウィリアムスともども演奏は手堅い。 しかしエドモンズの紹介でゲストのロバート・プラントが登場、ここから急激にロックパイルの4人の存在感が薄くなる。「飛び入りの大物ゲスト」ってのは嬉しいものだし、会場も沸いているけど、ロックパイルの動く映像自体が珍しいので、もっと長く4人だけの演奏を見ていたかった。しかもここでのプラント、やけに太っていて服装はハデハデ、既に往年のような声が出ておらず、悪い意味で「オールド・ウェイヴな人」という感じがしてしまうのが悲しい。 この後、ロッケストラでジョン・ポール・ジョーンズとジョン・ボーナムも登場することを思えば「ペイジはどうした? ツェッペリンで来いよ」と言いたくなるのは私だけではないはず。曲はLittle Sister。手堅く渋いロックパイルの演奏をバックに、時々エドモンズに笑いかけたりしながら、プラントは実に気持ちよさそうに歌っている。しかしエンディングで思わぬフライング、演奏が終わっているのに歌い続けようとしてしまい、思わず苦笑い。うーん、こんなところからもますます彼の存在が浮いて見える。

  最後に、最も「パブっぽい人」ともいえるイアン・デューリーが登場、バックは当然ブロックヘッズとサックスのデヴィッド・ペイン、しかしちょうどチャズ・ジャンケル脱退直後だったんだろう、彼の姿はなく、代わりにクラッシュのミック・ジョーンズが呼び寄せられる。デューリーが歌い出したのはSweet Gene Vincent。偉大なロックン・ローラー、ジーン・ヴィンセントに捧げたナンバー。実は私、イアン・デューリーの音楽を「パブ・ロックといっても、ジャズやダブの色が濃い」と聞いて勝手に「聴かず嫌い」してきたクチで、 この映像が本格的なイアン・デューリー初体験だったんだけど、「曲がどうのこうの」よりも、あまりにもイギリスっぽい、しかも場末のパブのような酒臭さの感じられる彼の存在感にグイグイ引き込まれた。曲はどう聴いても、オールドR&R=アメリカっぽいはずなのに、なぜか彼の存在自体が「イギリスのパブ」そのもののような空気を発散してるかのようで。「パブ・ロックとは音楽のスタイルやジャンルではなく、音楽や演奏するアーティストの放つ空気を表わす言葉」というのが私の持論。だとそれば、彼こそ「究極のパブ・ロッカー」じゃないのか、そんなことも考えた。 そしてその雰囲気にすっかり取り付かれた。不器用そうで、武骨そうで、でも繊細そうで、そんなデューリーのキャラにあっという間に引き込まれてしまった。エンディング付近でブロックヘッズのメンバーとともに1本のマイクに顔を寄せ合ってコーラスしてるけど、客席にケツを向けていたりとか、いかにも不器用、垢抜けてない、この感じが「パブ・ロック」だろうって。しかし全身テディ・ボーイのようなファッションでくわえたばこでギターを弾くミック・ジョーンズ、思いっきり浮いている(笑)。しかも彼のギターの音がオフ気味で、ほとんど聞こえないあたりもいやはや。

  2曲目は彼の代表曲ともいえるダンサブルなHit Me With Your Rythm Stick。ミック・ジョーンズはステージから消えており、デヴィッド・ペインが2本のサックスを同時に吹く「芸」も見せている。しかし妙な編集がなされているようで、そのサックス・ソロの後、突然画像が切り替わるのが残念。とはいえ、会場は大歓声に包まれている。どう考えても大会場には不似合いな、パブの臭いを最も強く感じさせる彼のパフォーマンスで、大会場が沸いているという光景は面白いし、一方でコステロやロックパイルらとのパッケージ・ショー、スティッフ・ツアーの中でも常にコステロとヘッドライナー争いを演じ(そして勝っていた)、 イギリス全土を最も沸かせていたという彼のパフォーマンス、その凄さは確かにこの映像からも伝わる。ビッグ・ネームとはいえない彼、でも彼への歓声は、ポールへの歓声に決して負けていない。この映像を見た直後、私は速攻で彼の2枚組アンソロジーを手に入れた。ぜひライブが見たい、そんなことを考えていた。しかしその直後、デューリーの訃報を聞いた。出会うのが遅すぎた、そのことが個人的には悔しくてならない。


ドラマーの死もものともしない、「世界最強のライブ・バンド」
 画面が切り替わって登場するのはザ・フー。キース・ムーンを亡くし、ケニー・ジョーンズが加入後、まだ始動しはじめたばかりの頃の映像ということになる。キースのいた頃のザ・フーといえば、当然4人のメンバーのみによる演奏に終始していたわけだけど、ケニー加入後はシンセとブラス・セクションを従えたライブが当たり前になっていく。というわけでここでも、 キーボード・プレイヤーとブラス・セクションをバックにしての演奏、キース時代のライブしか知らない人には新鮮に映るかもしれない。1曲目は当時の最新作にしてキースの遺作、WHO ARE YOU収録のSister Disco。「サタデー・ナイト・フィーバー」以降大流行のディスコ・ブームを皮肉った曲で、曲調は「いかにも70年代フー」といえるものだけど、シンセが曲全体をリードするようなアレンジ。 転調の多い曲を見事に歌いこなすロジャーの歌唱力が光る。ロジャーの髪型は2004年の初来日時に近い短髪で、あの日の姿とダブる。ケニーのドラミングも無理なくザ・フーのサウンドにはまっていて音的には違和感はないけど、ピート、ロジャー、ジョンの後ろにいるのがキースではなくケニーという絵の方に違和感が残る。ピートは首に赤いスカーフ、この曲ではギターよりもバック・ボーカルで頑張っている。そしてジョンは・・・、相変わらずアップが少ない(笑)、でもいつものジョンだ。

  演奏が終わると客席から「早く演れ」という声がかかる。「そんなことは承知の上だ」と返すピート、すぐにギターを弾きはじめる。はじまったのはBehind Blue Eyes。暗いステージの中央でスポット・ライトを浴び、時々汗を拭いながら熱唱するロジャー、その声にピートとジョンの美しいコーラスが絡む。映像も終始ロジャーひとりのアップが続く。そこからハードに転調するとステージは明るくなり、ロジャーはマイクを投げ、ピートとともにステージ上を動き回る。 珍しいのはこのパートでロジャーとピートはハモるわけだけど、その時、ロジャーはピートに肩を擦り寄せていく。「ボーカリストとギタリストが肩を寄せ合ってハモる」絵というのは、ある意味ロック・バンドの定番。しかしザ・フーにおいては絶対にお目にかかれない光景でもある。ピートもちょっと戸惑ったような表情でロジャーを睨む。そしてボーカル・パートが終わると、「ジャマだ」といわんばかりに、 ピートはロジャーを肩で払いのけてしまう。このあたりはザ・フーらしいところ。キース死後のライブでは、ロジャーがピートに擦り寄って行くシーンは比較的目にすることがあるけど、後年ピートはそのことを「ムカつく」と評していたっけ(笑)。さらに払いのけられたことでショックを受けたわけではないだろうけど、その直後、マイクを放り上げたロジャーは、そのマイクをケニーのドラム・キットのシンバルに当ててしまい、 思わずポロリと落としてしまう。というわけで、このあたり、ザ・フーの珍しいシーンを2つ、見ることができるわけで、興味深いところ。とはいえ、演奏は本当に「キースがいない」ことを思わせないくらいによい。

  そして最後はSee Me Feel Me。静かなパートでは極端に抑えて歌い、テンポが速くなってからの演奏とボーカルも控えめ。そして間奏のギター・ソロの後、突然テンポ・アップしてボーカルも演奏も激しくなる。つまり、往年のライブ・テイクや公式テイク以上に、よく言えばドラマティック、悪く言えば大袈裟なアレンジ。 長年演奏し慣れてきたこともあってか、「聞かせ方」を心得た演奏と言えるかもしれない。客席も徐々にヒートアップしていく感じである。そして2回目の間奏、この時ピートは突然腕をグルグル回し、ロジャーもマイクを振り回しはじめる。照明も突然明るくなる。すると客席は総立ち、まるでスポーツ大会の会場か、何かの儀式の会場かのように、観客全員が半狂乱で轟音のような歓声を上げ、腕を振り上げている。いや、「ライブで沸き、盛り上がる会場」の絵ってのは、 過去にもいろいろ見てきたけど、こんな異様な盛り上がりは後にも先にも見たことがない。「盛り上がる」「乗りまくる」というよりは、本当に何かにとりつかれたかのような騒ぎ。ライブ会場をこんな雰囲気にしてしまうバンドは、長いロック史の中でもザ・フーを除いて他にはいないだろう。そして長く「この手の感覚は日本人には分かりにくいから、ザ・フーは日本で受けないんだ」と言われ続けてきたわけだけど、2004年の来日時にその定説は覆される。 しかしこの映像をはじめて見た1995年の時点においては、私自身も見たこともないような光景だったこともあり、この観客の異常興奮を見て、大変なショックを受けたのも事実。そして会場をこんな状態にしてしまう、そんなザ・フーの特異な存在感にも改めて驚かされたものだった。エンディングでロジャーはこれまで以上に思いっきりマイクを回し、ピートはジャンプ連発、最後はスライディングで曲が終わる。


  この映像が私にとって「ケニー時代のザ・フーの映像、初体験」となった。1989年のナツメロ・ショーのような痛々しい再結成ライブ映像を見て、「やっぱりザ・フーのライブが凄いのはキースのいた頃までなんだな」と思っていた私だったけど、この映像でその私の思い込みは見事、吹き飛んだ。確かに往年と比べれば、ロジャーもピートもおとなしくはなってる、キースがいない分、往年の破天荒さや破壊的な面もない。しかし、おそらく当日は「観客全員がザ・フーが好きな人たちではない」はずの会場、 その会場をこんな、異様な雰囲気に変えてしまうザ・フーのライブにおけるマジックは、この時代においても不変だった。そのことに改めて気付かされた。そしてこのライブの主役は決してポールとウイングスではなく、ザ・フーだったんだということも思い知らされた。というか、「同じステージに立つ、すべてのアーティストを霞ませてしまう」のがザ・フーというバンド。そのことは2004年の「ロック・オデッセイ」で改めて思い知らされるわけだけど、私のその気持ちを最初に強くさせたのは、実はこの映像を見た時だった。 なにしろ、「主催者」を霞ませてしまうんだから、こいつらときたら全く・・・。ただし、実際のステージではザ・フーは12月28日のトリ、ウイングスは12月29日のトリだったわけで、ライブの進行の上で「ザ・フーのせいでウイングスが霞む」ということはなかったらしい。ただ、こうして1本のビデオで見てしまうとねえ・・・。


主役をも食うほどに目立ちまくりな「変態」
 ここでビリー・コノリーなる髭モジャの男が登場。私はこの男が何者か全く知らないけど、「このメンバーには驚くよ」などと言いながら、紙に書かれたロッケストラのメンバーを読み上げる。ウイングスのメンバー全員に、ザ・フーからピートとケニー、ロックパイルからエドモンズ、アトラクションズのブルース・トーマス。さらにツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズとジョン・ボーナム、元フェイセズ、当時はソロのロニー・レイン、元プロコル・ハルムのゲイリー・ブルッカー、元レモ・フォーのトニー・アシュトン、それに 当時ウイングスをサポートしていたブラスやパーカッション奏者。全員の名前を読み上げた後、「夢じゃないんだ」とその男は締めくくる。アルバムBACK TO THE EGGセッションでのロッケストラからピンク・フロイドのデイヴ・ギルモアやシャドウズのハンク・マーヴィンは抜けてはいるけど、新たなメンバーも加わって十分豪華。

  次にステージが映し出されると、中央にベースを抱えたポール、それを取り囲むようにギターやベースを抱えたメンバーが立っている。真後ろにステーヴ・ホリーとリンダ他キーボード奏者、ドラム、パーカッション、ブラスのメンバーは一段高いところに並ぶ。ポールが歌うのは彼の18番ともいえるリトル・リチャードのLucille。全員が揃いの銀色に光るタキシード、シルク・ハットを被っているメンバーもいる。さらに例の男が読み上げた中に名前のなかった人も数人加わっている。そんな「飛び入り」の中に、ロバート・プラントの姿が。ポールのものと思われるヘフナーのベースを持ってるけど、果たして本当に弾いているのかどうかは分からない。 いつものように高音のシャウト・スタイルのボーカルを聞かせるポール、周りのメンバーは自分の担当楽器を淡々と弾いている。ゲイリー・ブルッカーが激しくピアノを叩く姿が印象に残る。しかしそれ以上に目立ってしょうがないのが、ポールの左側に立つ、長身で髭面、しかもなぜかひとりだけ揃いのスーツを着ていないギタリスト=ピート・タウンゼンド。歌っているポールひとりをカメラが追っている映像に、なぜかさりげなく入ってきて、ポールに寄り添って笑顔。ポールも思わずピートの方を見て笑顔。なぜ「いちオール・スター・バンドのメンバー」がここまで目立つのやら(笑)。他のメンバーは淡々と演奏しているのに。

  1曲目が終わるとポールはステージ右端のピアノの前へ。観客と参加メンバーへ感謝の言葉を述べるとLet It Beを歌い出す。1979年といえば、まだまだポールといえども、ビートルズに対して拘りのあった時代。ビートルズ・ナンバーもそんなに多くは演奏していなかった。この時代に「解散時の暗い影」を漂わせたこの曲を取り上げたというのは、かなり異例のことだろう。80年代以降のポールは「チャリティのお約束」とでも言わんばかりに、チャリティ・コンサートや企画もので必ずこの曲を歌ってきたけど、その先駆けがこのステージだったと見ることもできよう。歌い回しやアレンジもゴスペル色を抑えた、85年の「ライブ・エイド」や、90年代以降のツアーのものに近い。 途中でカンボジアの現地の様子が映し出されたりするのも有りがちな映像効果か。しかしこんな「どう演奏しても、ボーカリストだけにスポットが当たる」曲、しかもバラードをオール・スター・セッションであるロッケストラで演る、なんていうちょっとズレた発想もまたポールならではか(笑)。実際、周りを囲む有名アーティストたちに見せ場らしい見せ場はない。ギター・ソロもウイングスのローレンスがひとりで弾いているし。手持ち無沙汰になったロバート・プラントはベースを置き、リンダと1本のマイクに顔を寄せ合ってコーラス。しかしここでも、ギター・ソロを弾くローレンスの横で派手な動きを見せる、ひとりだけ服装の違うギタリスト=ピートの姿が。本当に、どこまで目立てば気が済むんだ(笑)。

  そんなピートに敬意を表してか、曲が終わると「ありがとうピーター、彼が揃いのスーツを着ないのは、彼が変態だからだ」とポール。両手を横に広げてアピールするピートに、誰かが落としたシルク・ハットを被せるローレンス、ピートはそれを客席に投げる。ポールとピートの仲の良さが表れている、と見ることもできるかもしれない。一方でピートは後に「揃いのスーツを着るようにポールに言われたけど、『こんな趣味の悪いものは着られない』って執拗に抵抗して、俺だけ着ずにステージに出たんだ」と回想しており、オフステージでは「主催者」にたてついた跡も。とはいえ、それが許されたのも「ピートだから」と見るべきだろう。最後の曲Rockestra Theme。この曲でもポールはピアノの前に座ったまま。 よって「主役」は少し引っ込んだ、ステージの右端に座った状態。ましてこの曲は歌詞らしい歌詞もなく、シャウトや掛け声が入るだけで、ほとんどインストといってもいい。こうなれば、中央に堂々と立っていられるギタリストやベーシストの方が目立つのは当然。ローレンスやデイヴ・エドモンズと笑顔で絡んだり、ステージ上を隅から隅まで動き回ったり、ここからはピートの独壇場となる。ロニー・レインがはじめてアップになる。80年代には例の難病に冒されてしまうロニー、ひょっとすると彼の健康な状態での最後の姿はこれでは? それを思うと辛い。それから、翌年には急死するジョン・ボーナムの元気な姿も・・・。いつもはクールなブルース・トーマスの笑顔は貴重かも。曲の途中からエンド・ロールや「募金の受け付け先、連絡先」などの字幕が被って見えにくくなるのが難。 本当に「さっさと公式発売してくれ」といいたくなる。ポールも思いっきりシャウトや掛け声を入れるが、ピアノの前から動けないのでは分が悪い。腕を回す、ジャンプもする、まるでステージ全体を指揮しているかのようなピート。知らない人が見たら「ロッケストラのリーダーはピート」と信じ込んでしまうだろう。最後はポールのHappy New Yearというアドリブ・ボーカルも入るが、 演奏はステージ中央に進み出てきたピートのジャンプを合図に終わる。そして映像もすぐにフェイド・アウトして終わってしまう。

  最初にも述べたが、このエンディングを見て一部ビートルズ一穴主義本に書かれるような「大イベントの中心にいたのは、紛れもなくロック界の中心たるポールであった」なんて結び方は、私には到底できない。どう見てもピートの方が数段目立ってるんだから。それにHappy New Yearと叫ぶポールだけど、翌1980年はポールの生涯において最もUnhappyな1年(活動停止、ウイングス消滅、ジョンの死)になってしまうことを思えば、むしろ皮肉に響いてしまう。


一刻も早い公式発売を願う
  というわけで、一般的には「ビートルズもの、ポールもののレア・アイテム」として語られることの多い映像。確かにそっち方面から見ても、「珍しい最終期メンバーによるライブ映像」「ウイングス最後のライブ」「翌年1月の幻のウイングス日本公演を妄想させる映像」「Every NightとComing Upのベスト・テイクが見れる」「チャリティ・コンサートを指揮し、ロッケストラを率いるポールの姿が見れる」といった、多くの見どころがあるのは事実。 だけどこれを「ビートルズ、ポール・マニアだけが楽しめる映像」だと思ったら大間違い。

  リアル・タイムでは「相対するもの」と見なされ、時にはファン同士が対立さえしていたというのが「ニューウェイヴ」と「オールド・ウェイヴ」。どちらも「後追い」で体験した私のような者からすると「どちらも普通のロック」だと思えるんだけど、リアル・タイム世代の人は、未だにこの時代でロックの歴史を「線引き」して考えがちのようで、もっと頑固な人になると「パンク以降のロックなんて全然興味がない」なんて言い出すほどである。 実際、1989年にポールがコステロと共作活動を行った時、「ニューウェイヴの申し子のようなコステロがポールと共作するとは時代も変わったもんだ」なんて論調の記事を多く見掛けて???となったもの。それなだけに、まだニューウェイヴ勃発して間もない1979年という時代において、 その両方が一同に会する、同じステージに立つというのは、まさに奇跡だったのではないだろうか。「1977年にはエルヴィスも、ビートルズも、ストーンズもいらない」と歌ったクラッシュ、故に「パンク、ニューウェイヴは、オールド・ウェイヴに対して否定的」だと思い込まれていた、そんな時代である。そのクラッシュがポールと同じステージに立つ。大事件だったに違いない。後追いの私から見ると「それは否定してるんじゃなく、それぞれの素晴らしさは認識しつつも、『新しい時代は新しい世代自身で作り上げる』という宣言に過ぎない」ってことは容易に推測できるんだけど、当時はそんな風に思える人は少なかったようだし。 一応実際に「共演」しているのは、ロッケストラに参加しているアトラクションズのブルース・トーマスくらいではあるけど、「同じステージに立つ」だけで十分衝撃的だったはずである。そんな時代にオールド・ウェイヴとニューウェイヴが同じステージに立った、私のような「後追い」には分かりにくいが、実は「歴史的瞬間」だったのではないだろうか。

  そして目につくのは、そうしたニューウェイヴ、パブ・ロック勢の元気さ。まあ、当時が一番旬の人たちだから当然とはいえ、イアン・デューリー、コステロ、ロックパイル、プリテンダーズ、スペシャルズなど、本当に勢いを感じる。しかも普段は小会場で演奏している連中、それが大会場で堂々と、普段通りの演奏を繰り広げて、「本場イギリスのパブっぽく」会場の空気を変えているんだから素晴らしい。中でも会場を異常に沸かせるイアン・デューリーのパフォーマンスは特筆に価すると思う。

  とはいえ、やはり圧倒的な存在感を見せつけているのは、オールド・ウェイヴの代表ともいえるクイーンとザ・フー。まさに貫禄で一歩も、二歩もリードしている感じで、「勝ち負け」でいえば、オールド勢の圧勝ではないだろうか。特にザ・フー。ケニー・ジョーンズ加入後、ブラス隊やキーボードを従えての演奏ということで、往年のように破天荒でも破壊的でもない。一般には「楽器壊しや大暴れしてドラムを叩くキース」など、「破壊的なパフォーマンス」故に「世界最高のライブ・バンド」と評される彼らだけど、 ここは純粋に圧倒的な演奏力で観客を圧倒し、あの「演奏が終わってもしばし呆然」なザ・フーならではの空気を生み出しているのが凄い。ケニー加入後の公式ライブ映像といえば、本格的なものは解散ツアーのものくらいしかない。ただあの映像は「落ちていく巨星」といった、疲れきった、痛々しい演奏ぶりが悲しいというのが正直な感想。それなだけに、キースを失ったとはいえ、まだ往年のオーラを持っていたここでのザ・フーの圧倒的なパフォーマンスには驚かされ、感動を覚える。特に本編でも述べたけど、See Me Feel Meでの観客の総立ちでの熱狂ぶりは、本当に異様なほど。 はじめて見た時は本気でビックリしたものだった。というわけで、「やはり一番凄いのはザ・フーだった」というのが、私個人の素直な感想だったりする。

  しかし「バングラデッシュ」の「映画関係者に受けが悪けりゃ、ロック・ファンは楽しめる??」の最終段落でも述べた通り、この手の「多くのアーティストの参加するライブ」の楽しみは、「聴いてみたいけど、まだ聴いていないアーティスト」「よく知らないアーティスト」を体験できる、そのことによって興味を持ち、アルバムを聴き進めて、そのアーティストが本気で好きになって・・・、といった風に、未知のアーティストと出会えることではないだろうか。私自身にとってはイアン・デューリーが、この映像を通じてはじめて知り、好きになったアーティストとなった。ロックパイルやクラッシュは、この映像が「動いている姿」の初体験になった。 クイーンのことはますます好きになったし、ザ・フーに関しても、キース亡き後に対して持っていた拘りが消えた。ポールに関してもEvery NightやComing Upが前よりも好きになった。おそらく、見る人100人いれば、こういった現象もまた100通りあるはず。それぞれが新たなアーティストと出会ったり、新たな発見があったり・・・。それがこうしたライブの楽しみ方。それなだけに、この映像を公式に出さないことは、未体験の人のそうした楽しみを奪う行為だと言わざるを得ない。一刻も早い映像ソフト化を願う。

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                                                                   *:2005年5月9日UP


      
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