ここでは、☆TAKEが音楽について感じたこと、最近買ったCD、自分の音楽の趣味・・・など、音楽についての たわいのない雑談を書いてゆきます。ここに書いてあることは、あくまでも私個人の考えや、感じたことなので、 あらかじめご了承ください。面白い話ではないかもしれませんが、よろしくお付き合い下さい。
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| ・輸入盤派? 国内盤派? ネット上でよく話題になりますよね。私はネットをはじめた当初(1998年初頭)、あるプロバイダーの大型BBSで、この話題に対して次のようにレスしました。「断然国内盤です。歌詞、対訳、何よりライナーが欲しいんです。私の好きなアーティストは、極端に60、70年代に偏っています。当然、リアル・タイムでは聴いておらず、知識がない。だから、そのアーティストに関する情報が欲しいし、 そのアルバムがどんなアルバムなのかだって知りたい」。それに対し、「輸入盤だ」とする人たちはこう述べていました。「輸入盤の方が安いし、あくまで英米盤の方がオリジナルだから」。その後も両派からいろんな意見が出て、面白い展開になりました。「国内盤が高いのはライナーがあるから。そのために金を出してると思えば割高感はない」とは私の反論。 で、結論として(当時のネットでは、意見が割れても口論にはならず、みんなで妥協点を見つけて「まとめ」に入るような空気があった。意見が違うだけで罵り合いになる近年の多くの大型BBSとは大違い)、「アーティストに関する情報が欲しい時は国内盤、音だけ聴ければよい時は輸入盤を買うのがベスト」ということに収まりかかってた。だけどそこで、こんな意見が出た。「でも、金を出してまで『読んでよかった』と思えるようなライナーにはめったにお目にかかれない」、 さらには、「アーティストに関する情報や、アルバムに対する知識なんて、果たして音楽を聴く上でそんなに重要なものなのか?」と。当時の私には全くピンとこなかった意見。でも、ここ1、2年、その方の言わんとしていたことが何となく分かりはじめてきました。果たして、CDを聴く上でライナーって、本当に必要なのかと。
・嫌いなタイプのライナー
持論の振りかざし、押し付け、威圧的な物言い
精神論一辺倒
アーティスト崇拝、思い入れ強すぎ
情報が間違いだらけ
小説付きのライナー
復刻ライナー
比較、批判、否定
貴重な英文ライナーの対訳がない というわけで、こうやって書き連ねてみると、私がライナーに求めているのは、あくまでも情報とデータだということが分かります。ただ、事務的に情報とデータだけを並べられると読んでいて面白くない。だからその中に、適度に筆者の思い入れを入れてくれれば理想のライナーになる、といったところでしょう。「評価」はいらないかな。評価するのは、あくまでも聞き手自身なんだから。
・今では「ライナー<個人の音楽サイト」 そのせいでしょうか、最近はライナーを読むより、個人サイトのテキストを読みながらアルバムを聴いた方がずっと面白いと思えるようになりました。確かに、情報やデータが欲しいんなら、絶対プロのライターが書いたライナーの方が優れている。でも、「嫌いなタイプのライナー」で述べたように、その情報やデータが間違いだらけのものや、思い入れや精神論だけを書き殴ったようなものも多い。 同じ「思い入れだけを書き殴る」のであれば、いくら音楽が好きだといっても、結局は「職業=仕事」として書かれたプロの文章よりも、あくまでも「楽しみ、趣味の一環」として思い入れと愛情だけで書かれた素人の文章の方が純粋といえる。ならば「面白い」「書いた人の気持ちが伝わる」「身近に感じられる」のは、断然素人の文章。それに、素人の場合はプロと違って「仕事」ではない分、書きにくいことだって書ける。例えば、ライナーだと当然メーカーに気を遣って絶賛一辺倒になるけど、 素人であれば「好きなアルバムだけど、この辺だけがちょっと気に入らない」といったマイナスな書き方も出来る。もちろん、自分と意見が違ってて、それゆえに「ちょっと待て」と思うこともあるだろう。だけど、プロのライターが自分と意見が違うと腹が立ったり、「俺の感覚は間違ってるのか?」と迷ったりするけど、素人ファンの文章であれば、「趣味の違いだな」と容易に割り切ることも出来る。 まあ、そんなこんなで、ネットをはじめて多くの音楽サイトを見るようになってから、私は情報、データについて書かれたライナーや、アーティスト自身が手がけたライナー以外は、ほとんど読まなくなりました。また、以前のように「ライナーを読みたいから国内盤派」なんてことはなくなり、輸入盤を購入するケースも増えました。参加メンバーとか発表年などのデータくらいだったら、輸入盤で英文を読んでもちゃんと理解できるし。だから、いっそのことメーカーの人もプロのライターじゃなく、有名サイトの優秀な管理人にライナーを要請してみてはどうかな? 「この人なら、絶対プロよりも面白いライナーが書ける」と思えるような人、ネット上にはいっぱいいるし。ただ、結局はライナーを手がけた時点で、その人も「プロ」になるわけだし、批判的な部分は削除されたりとか手を加えられるだろうから、成功するとはいえないかも。だとすればやはり、アルバムを買ったら、そのアルバムが紹介されてる個人のサイトへ行ってテキストを読む、という今の楽しみ方がベストなのかもしれません。でも、やっぱり情報とデータは絶対ライナーが頼り。それなだけに、 ライナーを手がけるライターのみなさんにはデータと情報の充実、重視を心がけて欲しいと思わずにはいられません。
・私の選ぶベスト・ライナー
ROCK 'N' ROLL /JOHN LENNON(1987、東芝EMI、伊丹宇宙)
COMPLETE SINGLE COLLECTION1964-1966 / THE KINKS(1988、テイチク、加藤ひさし)
IMAGINE / JOHN LENNON(1987、東芝EMI、渋谷陽一)
THE SINGLES / THE WHO(1985、ポリドール、松村雄策)
MUSWELL HILLBILLIES / THE KINKS(1993、MSI、大鷹俊一)
BIOGRAPH / BOB DYLAN(1985、ソニー)
THE BEST OF ROD STEWART(1989、ワーナー)
PET SOUNDS / THE BEACH BOYS(1988、東芝EMI、山下達郎、ブライアン・ウィルソン)
THE RUTLES(1990、MSI)
ANTHOLOGY シリーズ / THE REATLES(1995、東芝EMI、マーク・ルイソン) |
| ザ・フーのジョン・エントウィッスルが2002年6月27日に急死した。世の中はサッカー・ワールド・カップ一色、サッカー観戦歴20年近くになる私も、この1ヶ月間はほとんどロックのことなど忘れてしまい、頭の中はサッカーのことばかり。そんな中「サッカーの記事でも読もう」と思って何気なく広げた新聞の夕刊。ところが、死亡欄に何気なく目を移した私は、思わず我が目を疑った。「ジョン・エントウィッスル氏(ロック・バンド、ザ・フーのベーシスト)」。??? ジョン・エントウィッスル氏? 死亡欄? 何? ・・・えっ? まさか!
すぐにはこの記事が何を意味するのか、私には把握できなかった。そう、それは頭の中がサッカー一色で、音楽モードに切り替えられなかったこともそうだけど、それ以上に、ジョンが亡くなるなんてことは私の中では全く考えもしなかったことだから。THE CONCERT FOR NEW YORK CITYでも見ることの出来たザ・フー再結成ライブでの彼らの往年を思わせるパフォーマンスぶり、今後は新譜を出すなどして本格的に活動再開する可能性があるとの噂、そしてなによりも、ついこの前、「ビートルズ・トリビュート・バンド」なる不可解なユニットの一員としてトッド・ラングレンらと来日したばかりの彼。
そう、「突然亡くなる」なんて要素は、ひとかけらもない。そんな中で目にした死亡記事。決して身近な知り合いだったというわけじゃないから「元気だったのに」とはいえないけど、遠目に見る限りにおいては、「亡くなってしまう要素」は全く感じられなかったわけで。しかもジョンといえば、寡黙で無表情な人。その分、不死身というか、そんなイメージを勝手に持っていた。身を削りながらロックに取り組み、繊細な一面も持ち合わせているピート、スター然としたイメージのロジャーが亡くなってもショックはショックだけど、そのイメージ故に「長生きしないタイプ」といえるし、不思議には思わないだろう。
だけど、無表情で頑強で、不死身な印象のジョンの死。やはりすぐには受け入れることが出来なかったし、今でも実感が湧かないというのが正直なところだ。 だけど、そこでふと考える。私にとってジョン・エントウィッスルってどんな存在だったのだろうか? ザ・フーはビートルズ、ストーンズの次に大好きなバンド、自分にとって大事なバンド。だけど私はこれまで、ジョンに注目した記憶がほとんどない。私の中でザ・フーといえば、=ピート・タウンゼンド。私の考える「ザ・フーの魅力」「ザ・フーのイメージ」を体現しているのは断然ピートだった。だから私の「ザ・フー好き」は=「ピート好き」を意味していた。一方でロジャー・ダルトリーの存在、 それは私にとって「ピートと相対する存在」。といっても彼が嫌いなわけじゃなく、一見粗暴なようでいてアーティスティックで繊細なピートと正反対な要素、スター然としていてタフで男っぽい彼の存在は、ピートに欠けている部分を補うために、絶対に欠くことの出来ない存在だと思ってきた。そしてキース・ムーンは愛すべき奇人。ロック界に奇人と呼ばれる人は多いけど、ハチャメチャで問題児なのにダーティな感じがせず、むしろ愛らしさまで感じることもある彼の存在はロック界において唯一無二のものであり、誰にも代え難い魅力を感じてきた。そう、確かに私はジョンを除く3人にはそれぞれに思い入れがあり、そのキャラクターを愛してもいる。 それに対しジョンにはそこまでの思い入れを抱きにくい。イメージといえば寡黙で無表情でおとなしい、ライブ映像などを見ても他の3人が破天荒なパフォーマンスを繰り広げる中、ただ一人直立不動で無表情に黙々とベースを弾き続けている、その姿は逆に怖い・・・、といったもの。そう、ビジュアル的にも地味だし、キャラクター的にも地味。どうしても映像や写真でザ・フーを見る時、私が彼を見る順番はいつも最後の4番目。ヘタをすると一度も気に留めないことさえある。 だけど一方で、こと音源を聴く場合ということになると、その状況は一変する。1988年頃にベスト盤を手に入れてザ・フー初体験するまでの私には、「ベースの音」を意識するという機会がなかった。多くの人はビートルズのレコードでポール・マッカートニーのベースを聴いて、「はじめてベースの音を意識した」と言っているけど、私はビートルズを聴いて「ベースの音」を意識したことはなかった。というか、ビートルズは私の中で、あくまでも「ボーカル・メインのバンド」である。つまり、まずボーカルありき。ビートルズを演奏面に注目して聴くようになるのは、この後もっと多くのロックを聴き込んだ後のことになる。 初めて買って聴いたザ・フーのベスト盤に収録されていたMy Generationの間奏のソロ、I'm A BoyやHappy Jackのイントロから入ってくるリフ、これこそが私がはじめて意識して聴いた「ベースの音」なのである。凄い音だなあ、ちょっと歪んでるよ、しかもギターよりも馬鹿でかい音を出してる。これは衝撃だった。以降も多くのザ・フーの楽曲を聴き進めていった私にとって、「音が凄い」メンバーといえば間違いなくキースとジョンだった。ピートはライブなどでの派手なアクションを見れば「凄い」と思うし、引き込まれてはいくんだけど、音を聴くだけではそれほど派手だとは思えないし、彼のギターを意識して聴くということはない。そう、つまりザ・フーの映像や写真を見る時に注目する順番はピート→キース→ロジャー→ジョンで、 しかもジョンに注目することはほとんどないんだけど、いざ音を聴く時ということになるとキース→ジョン→ピート→ロジャーと、大きく順番が異なってくる。つまり私の中で彼は、そのキャラクターや存在、パフォーマンスの面では思い入れはあまり持てない一方、ことプレイヤーとして見ると俄然注目度が上がるというわけ。つまり私の中で彼は「プレイヤー」なんだということだろう。 一方で彼が冷遇されたソング・ライターだったという点にも思わず注目してしまう。ソング・ライターなんだけど、バンド内にはピートという絶対的なライターがいる。その分作品を発表する機会が少なく、彼の中にはかなり早い時期から欲求不満があったと聞いている。ビートルズにおけるジョージのような立場。だけど彼の場合、ジョージのような「弟分」だったわけでもないから、その欲求不満はジョージ以上に大きかったんじゃないだろうか。彼がピートやロジャーに対してどんな感情を抱いていたのか、実は私は知らない。ピートとロジャーがお互いにどう思ってたのかはよく語られるし、「メンバー間の不仲」といった時に語られるのもほとんどこの2人の関係について。 だけど私はきっと、ジョンも2人のことをよく思っていなかったと想像している。デビュー前は絶対的リーダーで独善的だったというロジャーに対しては遺恨があったろうし、ピートに対してもライターとして冷遇されることに対する不満を抱いていたはず。だけど、言葉を交わさなかったり目を合わせなかったりと、その不仲ぶりを露骨に人前にさらすピート&ロジャーと違って、ジョンの場合、映像などを見る限りピートやロジャーとも上手くいっているかのような、そんな素振りを見せていることが多い。だからといって彼が「人目に触れるから」意識して仲のよいフリをしていたというわけでもないだろう。「ムカつくけど、とりあえずそれは表に出さない」。 彼が無表情で寡黙な性格だからこそ、それを表に出さなかった、とも考えられるけど。事実いざインタビューなどになると、ピートやロジャーに対して辛辣なことを言っていたというあたりも見逃せないところだ。こう考えると本当にザ・フーは、危うい人間関係の上に成り立ってたんだなあと実感せずにいられない。一方でこんなコメントもある。「俺がピートのソロ・ツアーをサポートした時のこと。ピートがいきなりアドリブ演奏をはじめたら、他のサポート・メンバーはついていけなくなったが、俺だけはついていけた。俺は第六感で奴のプレーが読めるんだ」。仲は最悪で危ういのに、なぜか固い絆で結ばれている。やっぱりザ・フーは奇妙なバンドだ。 結局ザ・フーの一員としての彼の来日は実現せずに終わってしまった。私が彼の死のニュースを聞いて一番残念に思ったのは、まさにその点である。ザ・フーといえば私の中で(いや、「私の中で」だけではないと断言する!)最強のライブ・バンド。だけど、峠は越しているし、キースというパフォーマーとして必要不可欠なメンバーもとっくにいない。だから「再結成ライブを見たい」という気持ちはそれほど強くなくって、1989年の再結成ツアーも特別見たいと思えなかった。ピートは難聴でエレキ・ギターが弾けなくなっていたし、メンバーの老け込みがひどくて逆に見ていて悲しいものがあったから。だけど近年の再結成ライブではピートがエレキ・ギターを弾き、往年を思わせる破天荒なパフォーマンスを繰り広げていると聞いた。 それなだけに「見たい」気持ちが本当に強かった。ポール、ジョージ、ストーンズ、キンクスを見てしまった私にとって、「残るはザ・フーだけ、後はザ・フーさえ見れたら、もうライブは卒業してもよい」とすら思っていた。それなだけにジョンの急死は本当に残念だ。今後の再結成ザ・フーの動向を私は知らない。ピート&ロジャーだけで活動を続けるのか? もちろん続けて欲しいと思うし、2人で来日して見に行くだろう。だけどジョンがいなくなった今、ザ・フーを見るということへの欲求は急速に薄れはじめている。先も書いたように、ジョンのパフォーマーーとしてや、そのキャラクターに対する思い入れは強くないはずなのに。なぜこんな気持ちになるんだろう。きっと「喪失感」からくるものなんだろう。いたはずの人がいなくなるというのは、こんなにも寂しいものなんだろうか。本当に寂しい。 こんなことなら昨年末のビートルズ・トリビュート・バンドでも見とけばよかったかも。でもなあ、なぜ彼がビートルズを歌い、演奏する気になったのか理解不能。やはり私にはまだまだこの人のことはよく分かってないのかもしれない。 うーん、とても追悼文とは思えないような、まとまりのない、変な文章になってしまった。自分が今までいかにジョンに注目する機会が少なかったか、気に留める機会が少なかったかを再認識する結果になったと言えるかもしれない。にもかかわらず、この喪失感は何だろう。いなくなってはじめて私は彼の存在の大きさに気がついたのかもしれない。ロッカーなんて基本的に長生きできる生き物じゃないと私は思ってる。それに60年代に活躍した多くのアーティストが、これから「最期」を向かえる機会を多く目にしなければならないんだな、と覚悟したのはジョージが亡くなった時、あれ以降、ある程度の覚悟を持って新聞の「死亡欄」を見ている自分がいる。だけど彼はやっぱり「若くして亡くなる」ようなイメージの男じゃないから余計だ。 「あの世」を信じない私は「今頃キースと再会してるのかな」なんてことを思う気はないけど、今回だけはそう思うことにしたい。 (後日談):「ザ・フーを見たいという欲求は薄れはじめている」なんて書いてますけど、2004年4月、ザ・フーの初来日が決まった途端、そんなことは忘れてしまいました。 |
MY CD COLLECTIONの前書きにある通り、私は1997年から1998年にかけて多くの手持ちのCDを売却してしまいました。売った枚数は300枚以上。「聴いたけど気に入らなかった」アルバム、
「ほとんど聴かなかった」アルバムもあるけど、「もう少し聴き込みたかったけど、経済的な理由で泣く泣く手放した」アルバムというのも結構ありました。ということで、ここではそうした「手放してしまったアルバム」について述べていきたいと思います。
実はしばらく続いたこのシリーズも、今回で終わりにしようかなと思っています。そろそろ「☆TAKE! お前でもこんなの聴いてたの?」という意外な人の登場もなくなってきたし。これをはじめて以降、「よく自分の手持在庫を手放せますね」なんてネット上で言葉をよくかけられるけど、手放す時はやっぱり「泣く泣く」でした。本当なら1枚だって手放したくなかった、それが正直な気持ちです。ずっと好きじゃなかったものなのに、ある時突然聴きたくなる、好きになるってことはよくあることだし、ここに挙げたもののうち、売った後に聴きたくなったものも後を絶ちません。
なによりも、どれも一度は興味を持ったものばかりですしね。
それに「役目を終えて売却」ってのも、主にベスト盤に多かったですけど、これらだって「聴けばはじめて聴いた頃の気持ちに返れる」わけで、やはり音楽ソフトは私たちにとって、単なる「音の出る持ち物」なんかじゃないんだということを実感します。聴くたびに、これを買った頃の自分はこんなだったなあ、毎日こんなことを考えていたなあ、これはどこの店で手に入れた、その頃の自分はこうだった、どこに住んでいた、自分の周りにはあんな人や、こんな人がいた、あの人たちは今どうしてるかなあ、今では聴き慣れたこの人、この曲だけど、はじめて聴いた時はこんなことを感じたよなあ・・・などなど、そういうことを思い出す。
いわば自分自身の(写真を貼りつける方の)アルバムみたいなもの。「アルバムなんて音を聴くだけのためにあるもの」「音が出ればそれだけでよいじゃないか」「手軽に手に入ればそれでいい」そういうレベルのものでは絶対に(そう、本当に「絶対に!」)ない、ということを再確認しました。例えば今回挙げたCHANGES BOWIEを売却したという行為は、単に「ボウイのベストを売った」というより、同時に北海道旅行の思い出まで一緒に売ってしまったみたいに思えて、売ったことへの罪悪感すら覚えています。できればもう、これから先は1枚も売りたくはないなあ。
実際、売却し終わって現金を受け取った瞬間、自分という人間の一部分が無くなってしまったような、そんな脱力感に襲われます。間違っても、「やった、金が手に入った」とは全く思えない。もうあんな気分は二度と味わいたくないです。
なお、本文中で一部のアーティストに対して辛辣な言葉を吐いていますが、これは私の「好き、嫌い」というレベルに過ぎず、音楽の質や善し悪しについて述べているものではないということはご了承下さい。私はいかなる音楽もけなすつもりはないですし、どれも一度は関心を持って聴こうとした、好きになろうとした音楽であるということは間違いないのですから。
また、間違ってもこれを「レビュー」としては活用しないで下さい(笑)。「☆TAKEは売ってしまったらしいけど、本当によくないのか?」と疑問に思ったら、御自身でお聴きになって、御自身の感覚で「好き、嫌い」を判断していただきたいなと思います。また、「これが分からないとはお前は鈍い奴だ」といった批判もご遠慮下さい。「これを聴けばきっと鈍い☆TAKEでも分かるよ」といったアドバイスは大歓迎ですけどね。 |
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