ミュージック・ライフPart 16
(2003年3月21日〜4月10日)

ここでは、☆TAKEが音楽について感じたこと、最近買ったCD、自分の音楽の趣味・・・など、音楽についての たわいのない雑談を書いてゆきます。ここに書いてあることは、あくまでも私個人の考えや、感じたことなので、 あらかじめご了承ください。面白い話ではないかもしれませんが、よろしくお付き合い下さい。

      
トップへ
トップ・ページに戻る
リストへ
前のページに戻る

        


リンゴを聴こう!−(RINGO RAMA発売記念)

UP:2003年4月10日
(1)リンゴのソロはなぜ聴かれないのか?
  Monthly Artistジョージ・ハリスン編の「総評」の中で述べている通り、「ビートルズ・サイト」(ちなみに、うちは「ビートルズ・サイト」じゃない)のボードでは、ビートルズ、ジョン&ポールのソロに関しては大変盛り上がる。 新譜が出れば、それらのサイトに集まるみなさんは必ず速攻で購入。なのに、ジョージの話題って意外と盛り上がらない。それに「ジョージのソロは聴いてない」という人も実は多い。昨年のジョージの遺作にして大傑作BRAINWASHEDが出た時でさえ同様。 私は敢えてビートルズ・サイトのボードで、わざと煽り気味の書き込みまでやってみたのに、同時期に出たポールのライブ盤の話題に完全にかき消された。ああ、ジョージのソロって一般のビートルズ・ファンの間では、まだまだこの程度の認知度に過ぎないんだなと。とはいえ、 Monthly Artistでジョージを実施した時、そしてBRAINWASHED発売の頃、ネットを見ていて知ったことなんですが、「コアなビートルズ・ファン」云々とは全く別の次元に、「熱狂的ジョージ・ファン層」というのが存在する。「ビートルズへの興味はそれほどでもないけど、ジョージのソロは好きでたまらない」って人たち。 ジョージの場合はこういう人たちに支えられてる分、まだまだ幸せなのかもしれない。

  そこへいくと、もっと気の毒に思えるのがリンゴ。ジョージのソロに輪をかけて認知度が低い。大型店へ行っても仕切りすらない店があるくらい、リンゴのソロ・アルバムは店頭で見かける機会が少ない。しかも、アップル時代のアルバムはともかく、以降のアルバムの大半が国内盤未CD化。クオリティが高い作品だったにもかかわらず、近作のTIME TAKES TIME(92)とVERTICAL MAN(98)が既に廃盤。 さらにSENTIMENTAL JOURNEYのように、企画色&趣味色の強いアルバムが多いことも、なかなか聴かれない理由かもしれない。しかし、なんといってもビートルズ時代から「アーティスト」というより「エンターティナー」なイメージの強いリンゴだから、「買わなきゃいけないとは思うんだけど、気がついたらどうしても後回しになるんだよねえ」という人が多いということ、 これこそが「あまり聴かれていない」最大の理由ではないだろうか。実際「ジョージをもっと聴こうよ」と呼びかけた場合、呼応してくる人は意外といるんだけど、いざリンゴの番になると、後ろめたそうにする方が多かったりする。

  今述べた「リンゴはアーティストではなく、エンターティナー」ってのは私見だし、必ずしもすべてのファンが賛同してくれる意見ではないだろう。ただ、リンゴって人は、まずキャラクターありきな人。才能を高く評価されているというタイプではない。で、彼はその最大の売りであるキャラクターを生かしてくれる周囲のサポートがあってはじめて、「自分を表現=作品を発表」することが出来る人。 例えば、最高傑作といわれるRINGO(73)。このアルバムのコンセプト、サウンドは、リンゴが自分で作っているわけではない。プロデューサー、リチャード・ペリーがいて、ジョン、ポール、ジョージをはじめとした、多彩で個性豊かなソングライターやサポート・ミュージシャンがいる。そうした周囲の人たちが、あらかじめ「演出」「シナリオ」を用意し、「舞台」を作り上げる。 で、リンゴはその「舞台」の上で「主役」を演じる。その「舞台」と、リンゴのキャラクターが最高に調和し「最高傑作」に仕上がったのがRINGOだと私は思う。逆にいえば、その「舞台」が、リンゴのキャラに合わないければ即失敗作になる恐れもあるわけだけど。

  ただし、これでは「アーティスト」というよりむしろ、「芸能人」「エンターティナー」という言葉の方がピッタリはまる。普通ロック系の人がこんなアルバムを作ったら、誰も見向きもしないか、バッシングされるかのどちらかだろう。ただしリンゴには、あの誰にでも愛される得難いキャラがある。だからこそ、こういうやり方が許され、受け入れられているんだと考えることが出来る。 しかし、だからこそ「リンゴにはあんまり思い入れがない」という人にとっては、「別に金を出してまで買わなくてもねえ」な作品でしかないということも否定のしようがない。 それだけじゃなく、コアで一筋なビートルズ・ファンってのは、ビートルズのキャラクターとか、ユーモアのセンスとか、そういう部分にあまり注目することなく、ひたすら音楽的才能のみを高く評価し、彼らをカリスマ視&崇拝する傾向にある。そういうタイプのビートルズ・ファンには「リンゴの愛すべきキャラクター」なんてものは、 なかなか理解し難いものである可能性が高い。理解は出来ていても、なかなか注目しようという気にもならないだろう。だからこそ「リンゴにはあんまり興味がない」という人はもちろん、「コアで一筋なビートルズ・ファン」を自認する人も、「気がつけばリンゴのソロって聴いてないなあ」ってことになるのではなかろうか。実際、私だってSENTIMENTAL JOURNEYのような企画アルバムに金を払おうとはなかなか思えないし、 彼が「元ビートル」ではなかったら、果たして私は彼のソロ活動を追いかけたか?と問われれば、やはり返答に困る、これも正直な気持ちだ。

(2)リンゴの自立宣言? −RINGO RAMA
購入時期:2003年4月 KOC-CD-8429(輸入盤)
収録曲
1.Eye To Eye、2.Missouri Loves Company、3.Instant Amnesia、4.Memphis In Your Mind、5.Never Without You、 6.Imagine Me There、7.I Think Therefore I Rock N Roll、8.Trippin' On My Own Tears、9.Write One For Me、10.What Love Wants To Be、11.Love First, Ask Questions Later、 12.Elizabeth Reigns、13.English Garden(-I Really Love Her)

主なゲスト:エリック・クラプトン(g:5,6)、デイヴ・ギルモア(g:2,7)、ウィリー・ネルソン(vo:9.)、ティモシー・B・シュミット(bvo:2〜4,9)、ショーン・コルヴィン(vo:8)、ヴァン・ダイク・パークス(アコーディオン:10,12,13.)

  リンゴのニュー・アルバムRINGO RAMA発売・・・。話題はジョージの追悼歌5.Never Without You、そしてこの曲にジョージの大親友クラプトンが参加していること。その2点だけがクローズアップされているようだ。 だけどこのアルバム、リンゴの足跡を考えた時、これまでと随分変わっている点があることに気がついている人、意外と少ないようだ。注目して欲しいのはゲスト陣。一見、毎度お馴染み「豪華ゲストに囲まれてのアルバム」。ところが、「今回はゲストがたったこれだけ?」 という気もしないでもない。明らかに従来より「豪華ゲスト」が少ない。しかも、カバー曲もなければ、他人から贈られた曲もない。これは大変な異変ではないだろうか。

  そう、このアルバム、バックをごく限られたメンツ固め、その中に数名のゲストが加わる、という編成で作られている。基本になるメンバーは、プロデューサーも兼ねるマーク・ハドソン(g,b,key,bvo)の他、スティーヴ・デューダス(lead・g,b)、ゲイリー・バー(b,g,bvo)、ジム・コックス(key)、ダン・ヒギンス(sax)。ほとんどこのメンツで演奏、つまりこのメンバーが事実上の「バック・バンド」といった雰囲気。 こういう構成はリンゴのアルバムとしては珍しい。従来のリンゴのアルバムといえば、曲ごとに豪華なゲストがサポート、その分「バンド・サウンド」にはなりにくい傾向があった。だけど、メンバーがほぼ固定されてるし、しかもギターがメインのシンプルなサウンド。だから「ゲストが作り上げた音をバックにリンゴが歌う」という、従来のリンゴのアルバムとは明らかに趣が違うというわけだ。しかも、すべての曲をリンゴが先に挙げたバック・アップ・メンバーと共作したオリジナル作品ばかり。 従来はゲストが用意した書き下ろし曲や、オールディーズやスタンダードのカバーを歌うというのがリンゴのソロ・アルバムの基本だったわけだから。つまり、このアルバムはリンゴが「ゲストの用意した舞台の上で主役を演じてみせる」という、従来のアルバムとは全く異なり、 「ゲストに依存するのではなく、リンゴが自分で曲を書き、自らの手で作り出したアルバム」といえるだろう。別の見方をすれば、エンターティナーではなく「アーティスト・リンゴのアルバム」と言ってもよいかもしれない。「リンゴ、62歳にして自立」そんな印象すら受ける

(3)リンゴの最もロックなアルバム
  90年代以降のリンゴはTIME TAKES TIME、VERTICAL MANとセールスは振るわなかったが、アップル時代に勝るとも劣らないアルバムを発表してきた。しかもこの2枚、「豪華ゲストの全面バック・アップ」という点はアップル時代と同じだったけど、音は簡素なギター・サウンド、しかもポップでシンプル、つまり 初期ビートルズを思わせるようなバンドっぽいアルバムに仕上がっていた。だからこのRINGO RAMAがバンド・サウンドになっていること、別に驚くこともないのかもしれない。ただし、「豪華ゲスト」が大幅に減り、しかも自作曲ばかり、プロデュースもマーク・ハドソンとの共同ながら自ら行うなど、 「自分と、一部のバックアップ・メンバーで作り上げる」という形態をとった本作では、その「バンドっぽさ」がより色濃く現れるようになっている。

  しかもミキシングの関係か、やたらギターの音がギンギンに響き渡り、さらにリンゴのドラムも思いっきり前面に出ている。リンゴは確かにドラマーだけど、こんなにドラムの音が強調されたアルバムははじめてだ。いや、正確には企画盤I WANNA BE SANTA CLAUS(99)の路線を継承したものだけど。同じバンド・サウンドでも、TIME TAKES TIMEが「軽いポップ・ロック」といったタッチだったのに対し、これはひたすら「ロック」。それが特に顕著なのがオープニングを飾る1.Eye To Eye、ブルージーな3.Instant Amnesia、リンゴのはつらつとしたボーカルと、分厚くちょっと下世話なコーラスがグラム・ロックすら連想させられるハードでポップなブギー7.I Think Therefore I Rock N Roll 。特に3.はスティーヴ・デューダスによるヘビーなブルース・ギター(音が「吹けよ風、呼べよ嵐」風だから、てっきりギルモアが弾いてると思ったぞ!)が炸裂する、リンゴにしては珍しいナンバー。ただ、「ブルージー」といっても、決して重苦しくはならず、「元気ではつらつ」という印象を受けるのは、リンゴのキャラのおかげ。だから決して違和感はない。個人的には明るくて、でもストレートでヘビーでポップな7.が一番のお気に入りだけど。 また、デイヴ・ギルモアが彼にしてはまろやかなスライドを弾く、ミディアム・テンポでマイナー調のポップ2.Missouri Loves Company、物悲しいメロディを持ったクラプトン参加の 6.Imagine Me Thereなどは、思わずジョージの作品かと錯覚するほど、ジョージっぽいナンバー。リンゴはライターとしては、ジョンやポールより、ジョージに影響を受けてるんだなと感心した。他にもカントリー・タッチのナンバーで、大御所ウィリー・ネルソンとデュエットした9.Write One For Meもリンゴらしいし、 ラストのボードヴィル調のEnglish Garden(ポールのLet 'Em Inの歌詞も登場)の後に収められているシークレット・トラックI Really Love Herでは、なんとリンゴ1人で全楽器(ドラム、複数のギター、ベース)を担当。本当に多彩で、全く飽きることはない。最後に、ジョージの追悼歌5.Never Without You(これもジョージの作品みたいなミディアム&マイナーでまろやかなポップ、What Is Lifeのリフも登場)、輸入盤のため歌詞カードがないけど、タイトルがすべてを物語ってる・・・。 クラプトンも全くでしゃばることなく、手堅くサポートしていて好感が持てる。

  ここまで述べてきてお分かりの通り、今回は今までのリンゴのアルバムのように「この曲には誰が参加」なんて情報はほとんど書いてこなかった。つまり、余計な情報やデータを持ち出すことなく、「楽曲そのもの」で語れる、そのことは、それだけクオリティの高い作品に仕上がっている証拠。しかもそれは、いつものようにゲストのバック・アップによって作り上げられたものではなく、 リンゴ自身が作り出した(きっと、マーク・ハドソンの貢献度も高いんだろうけど)ものだということ、これは驚くべきことだ。「リンゴのソロはなあ」なんて思ってるもなさん、騙されたと思って聴いてみて下さい。絶対損はないはずだよ。しかしジョージ亡き今、このリンゴの頑張りは個人的には大変嬉しく思う。


ロック界で最も「いい人」?−ロン・ウッド(ストーンズ来日記念)

UP:2003年3月21日
  ロック界の関根勤。・・・これはネットをはじめた当初に知り合ったある方がロン・ウッドを称して使った言葉。関根勤というタレント、マニアやプロからも「面白い」と評価される実力派であるにもかかわらず、決して「主役」にはならない。いつも一歩引いた立ち位置。共演者が面白いことを言えば、それを聞いて素直に笑い、リアクションする。決して対抗意識を燃やしたり、嫉妬したりする素振りは見せない。 人を悪く言うこともあまりない。大先輩、若手、自分とは全く毛色の違うタレントなど、誰とでも絡むことができる。・・・と、そこで、ロック界で同じような資質を持った人は誰か? と考えた時、真っ先に浮かんだのは、やはりロン・ウッドだった。いつもでしゃばらない、誰とでも共演できる、いつも一歩引いた立場にいる、過去に共演した人を悪く言うこともない。まさに「ロック界の関根勤」。この言葉、本当に名言だと思う。

  とはいえ、後追い世代でありながら60年代、ブライアン時代からストーンズに入った私、ストーンズを聴きはじめた頃の私にとって、彼は「新参者」であり、「なぜそこにいるの?」な存在であり、もっと辛辣に言えば「いなくてもいい人」だった。ブライアン時代、テイラー時代にストーンズを聴きはじめたリアル・タイム世代ならともかく、私は完全な後追い世代である。その私から見てさえ、彼の存在はそんな風に映ったのである。実際、ストーンズ初来日の1990年頃の私は、ロン・ウッドには「部外者」のレッテルを貼って接していたものだったし、「本来ならそこにはブライアンかテイラーがいなきゃいけないんだよ」という目をいつも向けていた。

  そんな私の認識が変わりはじめたのは、90年代初頭。「ロッキン・オン」に彼の単独インタビューが載っていた。自分の過去のキャリアを振り返りつつ、共演者についていろいろコメントを寄せていた。最初はリズム・ギタリストとして呼ばれながら、無理矢理ベースに転向させられたり、突然解雇されたかと思えば直後に呼び戻されたり、最後は結局解雇と「やられたい放題」だったジェフ・ベック・グループ時代。きっとベックのことが大嫌いなんだろうなと思いきや、ベックの才能を高く評価する発言、そしてベースに回されたことも「ベックの方が上手いから仕方ない」と平然と言ってのける。さらにロッド・スチュワートのソロ独立によって自然消滅したフェイセズ、さぞロッドのことが大嫌いなんだろうなと思いきや、「近く共演予定」と口走る(数年後ロッドの「アンプラグド」で共演)。ストーンズでもっと目立ちたいと思うことはないのですか? にも「別に」といったニュアンスの言葉。ロッカー=ワガママ、過去の共演者の話をすれば遺恨に満ちた悪口ばかり出てくるのが当たり前。それなのに、この人のよさは一体??? 正直、そのことはショッキングですらあった。実際インタビュアーが最後に 「あなったって人にはエゴがないのですか?」と、呆れた風に突っ込んでたほど。ちょっとだけ好感度は上がった。

  1992年初頭、ロンが絵の個展のため来日、福岡にもやって来た。その「来福」したロン・ウッドに密着取材を試みたのが、福岡ローカルの若者向け人気情報番組「ドオーモ」だった。当時の司会者のひとり、深町健二郎という福岡ローカル・タレントが密着取材。この人、建築デザイナーだかグラフィック・デザイナー(だったかな?)が本業ということで、クールで渋くて芸術家肌のキャラクターで、当時学生の私から見て「カッコイイ兄貴」という印象だった。まあ、そういう人だったからだろう、ロンは深町氏にかなり心を許した様子で、とてもフレンドリーに話していた。これが下品で無礼な三流お笑いタレントやグラビア・アイドルだったら、いくら人のよいロンとはいえ、ここまで心を許しはしないだろう。個展に訪れた人とも気さくに握手を交わし、写真撮影にも笑顔で応じる。ああ、本当にいい人&明るい人だなあ。極めつけはイベント終了後、中洲の屋台へ向かうロン&深町氏。屋台のサラリーマンとも談笑、 「ロン・ウッド? 知らない」というサラリーマンに「ローリング・ストーンズの人です、ミック・ジャガーのいる」と説明する日本人スタッフ、それを聞いてすかさず、「ミック・ジャガー=ミート・ポテト(つまり「肉じゃが」)」などとオヤジギャグで周囲を笑わせるロン(笑)。誰が教えたんだよ? と思うと共に、またこの明るさに感動。しかも屋台で日本酒を飲む姿が絵になるし。最後はカラオケ屋で夫人を見つめながらエルヴィスのLove Me Tenderを歌う映像で終了、「明日は二日市温泉に行くらしい」と伝えていたけど、 温泉に浸かって頭にタオルを載せて、湯船に浮かんだお盆の上の日本酒を飲むロンを想像、「似合うなあ」と思ってしまった。とにかく、終始いい人&明るい人というのが伝わる、とてもよい番組だった。これが福岡のローカル放送だなんてもったいないよな、ちなみに今、その時のビデオ、持ってます。羨ましいだろう、福岡以外の地方のみなさん(笑)。ちなみに、ロンと深町氏の友情はこの後も続き、1995年のストーンズ福岡公演の時もお互いに再会を喜んでいたらしい。

  この放送を見て、私の彼への好感度は大きく上がった。いや、決定的になった。こんないい人を嫌いになんてなれないよ。「ストーンズのメンバー」といえばやっぱり近寄り難い、スター然としたイメージを持ってしまうけど、この番組での彼は本当に終始親しみやすく、すぐに友達になれそうな人に映った。実際、一緒に見ていた洋楽音痴の妹も「この人、いい人やね」と私に言った。おそらく妹はキース・リチャーズは知らなくても、ロン・ウッドの名前は今でも覚えてるんじゃないだろうか。 そこで彼が加入して以降のストーンズの歴史を思う。すると、彼が「いてもいなくてもいい人」なんかじゃないことに気がついた。いや、彼がいたからこそ、ストーンズはここまで来たんだと。ストーンズのアルバム・ガイドのこの時代の各アルバム解説でも書いてるけど、ストーンズが時代遅れになることなく、ここまでこれたのは、時代の変化に対応出来たことが最も大きい。その要因にもいくつかあるわけだけど、そのひとつがやはり「明るくなった」ことではないだろうか。もちろん、その分ブライアン時代やテイラー時代に持っていた「危険な香り」「アウトローなイメージ」が薄れてしまったわけで、その辺は賛否両論あるだろう。でも、それが「生き残れた」要因の一つであることは疑いようがない。その「明るさ」をもたらしたのはやはり、陽気なキャラのロンの加入だと考えてよいだろう。ブライアンやテイラーでは絶対にこうはいかなかったはずだ。

  もうひとつ、ロン・ウッド加入後のストーンズの大きな動きといえば「ミックとキースの不仲=解散の危機」があったことであろう。それを乗り切れたのはもちろん、ミックとキースの和解があったからこそ、つまり、それを回避したのが当のミックとキース自身であることは間違いない。だけど私には、それだけではないような気もする。その「一歩間違えれば一触即発」な2人の間に、ロン・ウッドというムードメイカー・タイプの人がいたことも大きいんじゃないだろうか。ビートルズにリンゴ・スター、ザ・フーにキース・ムーンがいたのと同様に。チャーリーは職人気質の人、ビルも寡黙&周囲に無関心っぽい人、この2人がそうした役割を果たせたとは到底思えない。また、ミック&キース以上のエゴイスト・ブライアン、音楽的な部分以外においては結局バンドに溶け込んでいたとは言い難いテイラーにもこの役割は無理。そう考えれば、「解散の危機」を迎えた時期の「2人目のギタリスト」がロン・ウッドだったというのは、実はストーンズにとってラッキーだったのかもしれない。ブライアンやテイラーのいた時代では、果たしてこの危機を乗り切れたのかどうか? それを思うと背筋が寒くなる。やはり「ロン・ウッドでなければいけないかった」んだ。

  そう、存在感ではブライアンに、音楽的貢献度ではテイラーに劣るが故に、「存在感がない」とか「いつまでたっても部外者」とかいわれる彼だけど、やっぱり彼の存在はストーンズに必要不可欠。それにこのキャラクター、嫌いになれる人なんているのか? 以来、彼に対する見方は大きく変わった。もう「部外者」とは思わない。もちろん今でもブライアン時代、テイラー時代のストーンズの方が好きなのは変わらないけど、彼の存在も認めてるし好きだ。ソロ・アルバムは断然彼のが好きだし、ソロ・ライブを見てみたいのもミックでもキースでもなく彼。 「会ってみたいメンバー」も断然彼。ミックやキースに会っても上手く話せる自信がないけど、彼となら親しくなれそうな気がする。そう、アーティストとして、ロッカーとしての好感度なら断然キースだけど、人間的な好感度なら断然ロン・ウッドなんです。1995年のストーンズ福岡公演、私はステージの前から8列目の席にいた。とはいえ、「極端に左寄り」に組まれていたのがVOODOO LOUNGEツアーのステージの特徴。席は「前の方」だけど、実は私の席はアリーナのいちばん右端。ストーンズが演奏している場所は「はるか彼方(左端)」というアンラッキーな席だった。ライブ中盤、Miss Youの時だった。ロン・ウッドが間奏のボビー・キーズのサックス・ソロの間、いきなりステージ右側、つまり私の直前の辺りに手を振りながらダッシュしてきた。そして私の目の前に立ち止まってギター・ソロを弾きはじめる。私のいる場所の最も近くまできたメンバー、それは紛れもなくロン・ウッドだった。そのこともまた彼を「最も親近感を覚える」「最も身近に感じる」要因になってるのかもしれない。


女性アーティストと☆TAKE

UP:2003年3月21日
  時々メールやよそのボードで私はこんなことを言われます。「☆TAKEさんって、女性アーティストは聴かれないんですか?」。確かに、うちのサイトで女性アーティストをとりあげたことは一度もない。「そういえば」とばかりに自分の手持ちのCDをチェックしてみる。うーん、少ない、いや、ほとんど持ってない。 確かに持ってはいるんだけど「これは絶対手放したくない」「これが好きでしょうがないんだ」ってほど思い入れの強いアーティストはいない。これはもちろん、「言われてみれば」ってこと。「意識的に女性アーティストを避けている」なんてことは全くない。また、私が「男好き」ってことも絶対にない(笑)。 はて? これは謎だ。検証してみる価値はあるかも、と、軽い気持ちであれこれ考えてみることにした。

  まずお断わりしておきますが、私は間違っても「男女差別主義者」などではありません。とはいえ、誰だって「異性」と「同性」を、全く同じ土俵の上で、同じ尺度を使って見る、ということは不可能だと思います。 例えば「俺は強いプロレスラーが好きだ」という男性がいたとする。その人は男性レスラーに関しては、とにかく強ければなんでも受け入れることができる。見た目が野獣のようにカッコ悪くても、「強いから」という理由だけで好きになる。ところが、女性レスラーを同様に何でも受け入れられるかといえば疑問。もちろん、「受け入れられる」という人もいるでしょうけど。 また、別の例として、「私は演技の上手い俳優が好き」という女性がいたとする。その人は女性タレントであれば、演技が上手ければ即受け入れることができる。だけど、男性タレントの場合、例え演技が上手くとも、ある男性タレントのキャラクターが生理的にどうしても受け付けないとか、微妙に条件が違ってくるかもしれない。 最後にちょっと違うタイプの一例。読書家の女性がいたとする。そしてその人はある女流作家の文章をとても気に入ったとする。ところが、その作家が超美人で、しかもそれを鼻にかけたような高飛車な性格で、豪邸に住んで、青年実業家のダンナと贅沢三昧な暮らしをしていることを知った。途端にジェラシーを感じ、嫌いになった。男性作家が相手なら、こんなジェラシーは絶対に感じないだろう。そう、やはり相手が「異性」か「同性」かによって、 その人への印象、その人の作品、功績への印象は変わってしまうもの。それは「差別心」云々とは全く別次元の話。誰もが絶対に避けて通れない現象だと私は思う。

  と、ちょっと堅苦しいことを書いてしまったけど、ここからが本題。まず忘れてはいけないのは、私はロック・ファンだということ。ロック色の薄いヒット・チャート・ポップスみたいなものはあまり聴かないし、CDも持ってない。嫌いではないけど、そうした音は「趣味の王道」からは少し離れているし、「夢中になって聴く」までにはなかなか至らない。だから自然と購入するCDは、いわゆるロックに偏る。だけど、「ロックをやる女性アーティスト」の数というのは、やはり多くはないもの。しかも私は、女性アーティストにジャニス・ジョップリンのような「壮絶な生き様」とかは求めないし、 ボニー・タイラーのような「男勝りのハスキー・ヴォイス」な女性ボーカリストも苦手だし、ティナ・ターナーのような「ダイナマイト」なキャラ(どんなキャラだ:笑)の女性アーティストも好まない。どちらかというと、「瑞々しく、美しい歌声」とか、「清楚なイメージのキャラ」の方が好きだ。「プロフィール」の「好きな女性シンガー」のところを見てもらえば一目瞭然だ。ちなみに、あそこで挙げてるアーティストのCDって実は持ってない。この辺も「いかにも」だよね。 ただし、これは「差別心」からくるものじゃない、先に述べたように「同じ尺度で見れない」という、誰もが持ってる感覚のせいだと思う。

  しかし、「音楽のスタイルはロック的なものが好き」、そのくせ「女性アーティストには清楚さを求めてる」というのは大変矛盾している。あちらを立てればこちらが立たず、な状態。男性アーティストなら「音がカッコイイ」「ルックスがカッコイイ」「サウンドがカッコイイ」、何か一つ、私を引き付ける要素があればそれでOKなはずなのに。 キャンド・ヒートみたいに「音はカッコイイ、ルックスは汚ったねー(笑)」バンドだって好きになれるのに。つまり、例えば「清楚なアーティスト」の代表ともいえるカーペンターズ。カレンの歌声は大好き、曲も好きなんだけど、やっぱりアルバムを通してまとめて聴くと「ちょっとソフトすぎるなあ」となって途中でダレることもあった。 ベスト盤を持ってたのに売ってしまったという過去もある。「買い直そうかな」とは思ってる反面、「趣味の王道」になるのは難しそう。一方でジャニス・ジョップリンは音は好きなんだけど、どうしても壮絶な生き様とか、キャラクターとかを受け入れることができず。ラジオで何曲か聴いて気に入ってはいるんだけど、「CDを買おう」という発想は起きにくいし、もし買ったとしても「趣味の王道」になる確率は低そうだ。 という感じで、私が特定の女性アーティストの「音楽も、キャラクターもどっちも好き」になるのは、とても難しい。だからこそ、自然と持ってるCDも少なくなるし、「聴きたい」と思いながら後回しになったりするんだろう。

  とはいえ、「聴いてみたい」アーティストの数自体は多い。ロック寄りで「音だけは好き」な人、ポップ寄りでソフトな「キャラクターだけは好き」な人、それぞれ挙げていけばかなりの人数になるから。ただ、その両面を好きになれるアーティストは、果たしてどれくらい出現するのだろう? もしもその出現がなければ、私は今後も「気がつけば女性アーティストは持ってないや」な奴であり続けることになるんだろうな。


      
トップへ
トップ・ページに戻る
リストへ
前のページに戻る

このホームページのホストは GeoCities Japanです。 無料ホームページをどうぞ