ミュージック・ライフPart 17
(2003年11月6日〜12月8日)

ここでは、☆TAKEが音楽について感じたこと、最近買ったCD、自分の音楽の趣味・・・など、音楽についての たわいのない雑談を書いてゆきます。ここに書いてあることは、あくまでも私個人の考えや、感じたことなので、 あらかじめご了承ください。面白い話ではないかもしれませんが、よろしくお付き合い下さい。

      
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☆TAKEよ、なぜ今までルースターズに気がつかなかったんだ!

UP:2003年11月6日
ご存知の通り私は、今年の5月に「サイト更新休止」を宣言していたわけで、これが「復活」後、最初のテキストになる。7月以降「落書き帳」の方はたまに書いていたので、その間の「近況報告」は、そちらの方で随時行ってきたけど、こと音楽に関しては 「聴いてみたいけど、未だに聴けていない」アーティストへの挑戦→多くの新たなアーティストとの出逢いを体験したことが、いちばん大きな変化。しかし、そうした「発掘→出逢い」を果たしたアーティストの中で、私が最も大きな衝撃を受け、はまったのが、私の地元・北九州が、いや、日本が生んだ最高のロックン・ロール・バンド、ルースターズ。

  いうまでもなく、私は北九州育ち。ひとくちに「福岡」といっても福岡市=博多でも、久留米でもない、全く異なる方言、文化を持つ街・北九州。私が地元を離れて全国を転々として9年過ごした後、今はまた北九州に戻っていることも、「プロフィール」をはじめ、あちこちで述べてきたので、みなさん既にご存知かと思う。 その北九州から登場し、今や日本のロック史上、重要なバンドのひとつとされているのがルースターズ。ところが、私はこのバンドに、これまで全く縁がなかったのである。

  「音楽年表」をご覧いただければお分かりの通り、私がロックに目覚めたのは高3の3学期、1987年初頭にビートルズを聴いたのがきっかけ。それ以前は邦楽ヒット・チャート一筋。当然ルースターズが活動していた1980年〜1988年=リアル・タイムには、ルースターズの存在はもちろん、その名前すら知らなかった。しかも、ロックに目覚めた1987年以降も洋楽のみ、それも60、70年代のアーティストのみを聴き漁ってきたから、 この段階でもやはりルースターズのことなど知るはずもなかった。その後、90年代半ばになって、「60、70年代の洋楽ロック」に拘らず、広く、いろんな音楽を聴くようになった。ちょうどその頃、シナロケのベストを買ったのをきっかけに、日本のロックにも目を向けるようになり、その中でルースターズという、福岡=博多でも久留米でもなく、 自分の故郷である北九州出身のバンドがいたことも知った。にもかかわらず、興味を持つこともなく。さらに、このサイトを立ち上げた1998年、ネットを通じて知り合った何人かの方がルースターズを絶賛、特にその声は、1999年のトリビュート盤発売、さらには彼らに影響を受けたと公言してはばからないミッシェルガン・エレファンツのブレイクの頃から更に高まっていき・・・。 さすがにこうなると、「聴いてみようかな」という気になったものの、どうしても予算の都合もあって「60、70年代のロックを優先的に買う」姿勢は変わらなかったし、「今日はルースターズを買おう」と思って店に向かっても、「おお、鰤バーズ(若きロン・ウッドの在籍した幻のバンド)の発掘盤が出てるぞ」みたいな感じで、王道の60、70年代もののレアなアルバムに目移り、結局後回しになって・・・。そのため、いつまで経っても聴くチャンスがないまま、年月だけが過ぎていった。

  そして何と、はじめて彼らのCDを買ったのは今年、「ネット休止宣言」した直後の、5月のことだった。買ったのはファースト。北九州出身ということもあってか「めんたいロック(個人的には嫌いな言葉)の流れの中でも一際粗暴」という聴く前のイメージ通り、R&Bやブルースに根差した、ドクター・フィールグッドあたりに通じる、垢抜けない、モノクロなビート・ロックをやるバンド。純粋にカッコイイと思ったし、私の趣味の王道、気に入った。 で、「もっと聴いてみようかな、どうせなら手っ取り早く聴けるベストでも」と思って、THE VERY BEST OF THE ROOSTERSというベスト盤を買ったのが10月半ば。そして・・・ショックを受けた。私はこのバンドって結成から解散まで、頑固一徹にひとつの音=垢抜けない、直線的なビート・ロックを追求し続けたバンドだと勝手に想像してた。実際、福岡にはそういうバンドが多いし。ところが、全然そうじゃない。セカンド・アルバムの頃には、その「モノクロな音」に若干の「色」がつきはじめる。 そしてデビューからわずか1年後、P.I.L.やジョイ・ディヴィジョン→ニュー・オーダーを思わせるニューウェイヴ・ファンク&サイケ風の斬新なサウンド、シュールでダークな歌詞を持った作品が次々に登場、ストレートなビート・ロックからわずか1年で、こんなにも似ても似つかない音に変わってしまうとは。ビートルズに例えれば、PLEASE PLEASE MEからREVOLVERまでの変化が、たった1年で成し遂げられたようなもの。ビートルズの「変化」だって驚異的なスピードだったのに、このバンドの変化、成長の速さは、それを上回るものがある。 このバンドに一体、何があったんだろう? ベスト盤にはライナーすらなかったので、ルースターズ関連のサイトを探し、あれこれ調べてみた。そして分かった、衝撃的な事実・・・。

  そう、ルースターズや日本のロックに詳しい人なら、「☆TAKE、お前本当に知らなかったのか?」と呆れるだろうけど、本当に全く知らなかった。デビューから約2年が過ぎた頃、リーダーの大江慎也が精神不安定に陥り、以降は何度も入退院を繰り返していたということ。ショッキングな事実だった。海の向こうにはブライアン・ウィルソン、シド・バレット、ピーター・グリーンなど、似たような運命を辿った人はいっぱいいた。でも、この日本に、しかも自分にとっては「ついこの前」のような気がする80年代、 しかも、地元・北九州出身の、身近にすら思えるバンド。それがこんな足跡を辿ったなんて。大江はその後85年に脱退、以降はただ一人残ったオリジナル・メンバー花田裕之を中心に活動するも結局88年に解散、これがこのバンドの足跡。まさに激動の歴史、そしてその歴史を象徴するように、メンバーのみならず、サウンドもクルクル変化していく。こんなに深いバンドだったとは! もっとルースターズが知りたい、大江が知りたい。 連日のように、ルースターズ関連のサイトのテキストを巡回して読み漁った。しかしそれらを読めば読むほど、思い入れは強くなるばかり。そう、ビートルズにはまりはじめた頃と全く同じ、もう、知りたくてしょうがない、しかも、知れば知るほど、のめり込む。こんなに「特定のアーティストにのみに集中してのめり込む」状態になったのは、本当にビートルズに目覚めた頃以来かもしれない。

と同時に、仮にも「ロック・ファン」を名乗り、ロック・サイトをやっている、しかもバリバリの北九州人、そんな俺がなぜ、身近にこんな素晴らしいバンドがいたことに気がつかなかったのか、そう思うと、 情けないやら、恥ずかしいやらで、自分に対して怒りすら覚えた。何を海の向こうの、遠い時代のバンドばかり追ってたんだ、身近にこんな素晴らしいバンドがいたのに。きっかけはあった。トリビュート盤が出た1999年当初、ルースターズ・ネタをうちのボードに連日書いてくれた人もいたじゃないか。シナロケ、モッズまで聴き進めたのに、そこまでで止めてしまったのもマヌケ。なんて、もったいないことをしてたんだろう。

  最早「聴き進めるなら今しかない」とばかりに、大量出費も覚悟の上、続けてオリジナル・アルバムを買い揃えることを決めた。早速セカンドTHE ROOSTERS A-GOGOと、サードINSANEを手に入れようと街に飛び出した。ビートルズと同じく、「時代を溯って聴き進める」のが、このバンドへの正しい接し方のような気がしたので。ところが、私にとってタイミング悪いことに、今年の夏にルースターズの全アルバムの「紙ジャケ」が発売になったばかり。店頭にあるのは紙ジャケばかり。ご存知の通り、私は紙ジャケが好きじゃない、その上、この紙ジャケ盤は従来のCDについていたボーナス・トラック(彼らには重要なアルバム未収録曲や別テイクが多い)が入っておらず、「ちょっと物足りない」のも事実。 でも、だからといって「今すぐ聴きたい」欲求には勝てない。敢えて目をつぶり、即購入した。そしてその出費は、決して無駄ではなかった。「買ってよかった」と素直に思った。

  今後も私は、時代順にルースターズのアルバムを買い揃え、聴き進めていくことになると思う。しかし今年は紙ジャケ発売のみならず、体調を壊して何度目かの長い「隠居生活」に入っていたはずの大江慎也が、自分のバンドを率いてライブ活動を再開、さらには大江を除く3人のオリジナル・メンバー(花田裕之、井上富雄、池畑潤二)と、大江脱退後のルースターズを支えた下山淳という、歴代の主要メンバー4人が結成した「ルースターズよもう一度」な趣のバンド、ロックン・ロール・ジプシーズが活動を本格化するなど、ルースターズ周辺が妙に騒がしい1年だったよう。ジプシーズのライブに、再起不能と思われていた大江が予告もなく飛び入り参加するという夢のようなシーンも実現したそうで、本当に解散後のルースターズにとっては特筆すべきだった年といっても過言ではない。 実はそんな時期にルースターズに目覚めたのは、逆に「情報量が多い」状態にある分、私にとってはラッキーだったのかもしれない。当分、私のルースターズ熱は冷めることはなさそうだ。


LET IT BE-NAKED発売ー
21世紀、ビートルズを取り巻く環境への違和感

UP:2003年12月8日
(1)LET IT BE-NEKEDにときめかない
 そのニュースは2003年夏に伝わった。「アルバムLET IT BEの新装盤発売」。数年前から「LET IT BE新装盤発売予定」という噂は確かによく見聞きしてきたが、その内容に関しては「幻のアルバムGET BACKがそのまま出る」という説、 「ブートなどでお馴染みの未発表テイクやリハーサル・テイク満載の複数枚のアルバムになる」という説、「映画のビデオとの豪華ボックス・セットになる」という説などが入り乱れていた。しかし、実際に出されたものは、そのどれとも違う、あくまでも公式発表された曲のみの収録、しかも「新装」バージョンばかりというんだから、ファンからすれば「話が違う」というもの。 まあ、私の場合は「GET BACKはブート並の超駄作」という持論があるので(こちらの「☆TAKEの独断と偏見」参照)、あれを出さなかった選択は正しいと思う。世間ではこれを望んでいる人が多かったようだが・・・。

  とはいえ、「ビートルズもののニュー・アイテムが出る」ということになれば、世の中のビートルズ・ファンは賛否両論あれど、基本的には「ワクワク状態」になるものだし、特にANTHOLOGY以降は音楽ファン、ロック・ファンのみならず、一般レベルでまで「大騒ぎ」になるのが常。今回も発売前にはそんなムードが流れていたんだけど、 私は今回、全くときめかなかった。理由はいくつもある。散漫で重苦しいムードのテイクばかりの「GET BACKもの」のブートが大嫌いだから、GET BACKものへの思い入れが低いこと。ことある毎にポールがフィル・スペクターのプロデュースへの不満を述べて、幻のアルバムGET BACK的なものを出したがってる、それを望んでいるファンも多いという現実に対して、 私は賛同できずにいたこと。「ANTHOLOGYに収録された音源だけで十分、もうこれ以上GET BACK関連の音源は出す必要なし、出す必要があるとすればDig Itのロング・バージョンだけ」が私の持論。よって「Dig Itのない新装盤なら必要なし」としか思えなかったわけで。というか、私はGET BACKものに限らず、ビートルズの既発の楽曲の「新装盤」、つまり「リミックスもの、リマスターもの」すら「必要なし」と思ってる。 そんなものを出すなら、60年代に発売されながら未CD化のままのモノラル・バージョン、ステレオ・バージョンを出すべき。そんな私だから「こんなの出す必要ないでしょ」という想いがあって「ときめかなかった」というわけ。しかしYELLOW SUBMARINE SONGTRACKの時はもう少し「ときめいた」はずだし、否定的な気持ちで聴いたにもかかわらず、「意外といいな」と思い、それなりにはまったのも事実なわけで、「実際に聴いたら気持ちは変わるかも」と思ってた。だけど・・・。

(2)聴いてみた、やっぱりときめかない
 そんな気持ちを抱えたままネット通販で購入、届いたLET IT BE-NAKED(英盤)、聴いてみた。なんといっても「ビートルズもの」のアイテム、実際に聴いても「ときめかない」なんてことは有り得まい、と思ってたんだけど・・・。はじめて聴いた時の感想「ガッカリ」。2回目に聴いた時の感想「このアルバムのコンセプトは何? 発売意図は?」。

  まず「ガッカリ」。「新装盤」というからには「前よりよくなっている」のが当たり前。だけど「悪くなった」テイクが多すぎ。Get Back、何でシングル・バージョンにあった4回目の間奏と、その後のアドリブ・ボーカルがなくなってるんだ? Don't Let Me Down、何でこんな前のテイクよりも数段劣る出来の悪いテイクを収めるんだ? Let It Be、これよりはアルバム・バージョンやシングル・バージョンの方が数段よくない?  Two Of Usのように、前のバージョンとほとんど違いが分からないテイクもある。「違わない」のなら、わざわざ出す必要なんてないだろう!

  次に制作意図への疑問。確か発売前は「フィル・スペクターの施したコーティングを取り除いたNaked(裸=生身)なテイク集」と聞いていた。だけど、このアルバムはそんな内容とは言い切れない。確かにThe Long And Winding RoadやAcross The Universeは、 ストリングスのないNakedなテイク。だけど、他のテイクはどこがNakedなのかさっぱり分からない。前も述べたTwo Of Usは、前のバージョンと同じにしか聞こえない。Get BackとDon't Let Me Downのシングル・バージョンはフィル・スペクターではなく、ジョージ・マーティンのプロデュースだったはず。よって、この2曲に手を加える必然性は全くないのに、先に述べたような「改悪」が施されているのは全く理解不能。 I've Got A FeelingやOne After 909はボーカルが前面に出ていて、そういう点ではNakedといえるかもしれないけど、そのわりにはDig A Ponyの冒頭とエンディングのall I want is youというポール&ジョージのコーラスの復活はないし、Dig A PonyやOne After 909の演奏前、演奏後にあったはずの メンバーの会話がカットになっている点などは、「むしろフィル・スペクターの仕事の方がよっぽどNakedじゃないの?」との疑問も芽生える。しかも、それら会話をカットしたせいで、どの曲もエンディングの最後の一音が完全に消える前にフェイド・アウトしてしまい、劣悪なブートのような、異様に味気ない、そっけない印象が残る。これではNakedどころか、逆に「作りものっぽい」「手を加えられまくり」ではないの?  と思っていたら、さらに追い討ちをかけるように信じ難い情報を目にした。いくつかの収録曲は「イントロはテイク1、1番はテイク5、2番はテイク7」といったように、複数のテイクを切り貼りして繋いで作ったものらしい。そんな突貫工事のような手法で作られたテイクのどこがNaked? これが「本来メンバーが望んだ音」だなんて、私には全く思えないんだけど。一体、このアルバムのコンセプト=Nakedはどこへいってしまったんだ?  発表の意義はあったのか? 単に「ビートルズの新アイテムを出せば売れるかな」くらいの気持ちで作られたのではないのか? そんな穿った想いも芽生えてくるというものだ。私なら「LET IT BEが聴きたい」衝動に駆られたら、迷わず絶対従来盤の方を聴く。

(3)世間の反応
 とはいえ「ビートルズのニュー・アイテムが出れば一般レベルでも大騒ぎになる」というのは、ANTHOLOGY以来のお馴染みの光景。洋楽やロックなど、普段はほとんど扱わないテレビのワイド・ショーや報道番組でも盛んに「ビートルズのニュー・アルバム」としてNAKEDが取り扱われる。書店へ行けば、音楽関連雑誌を出版している出版社はもちろん、 音楽とは無縁な出版社の出版物にもNAKEDの特集記事、臨時増刊、別冊などが乱発。このところ満足に家にいない生活が続いているから、テレビはノー・チェック。でも書店に行く時間ならあるので、音楽誌以外におけるNAKEDに便乗した「ビートルズ特集」をあれこれ立ち読みしてみる。どれもこれも「絶賛」口調。しかも「歴史上の史実ビートルズの真実に迫る」といった論調。「三国志の知られざる真実」「戦国武将列伝」「新選組の真実」といった、 いわゆる「歴史もの」的な視点から書かれた記事ばかり。うーん、ビートルズって「歴史」なのか? いや、音楽雑誌ならきっと、もっと「リアルで身近なロック・バンド」としてのビートルズを語っているはず。そう思って見てみたが・・・。やはり同じ。「あの歴史に残る偉大なバンド」調。いや、コアな「ロック誌」ならこうじゃないはず。と思って見たんだけど何かが違う。 ほとんどの雑誌が絶賛、褒め方に差はあれど、基本的に「前のLET IT BEよりよい」「これで本来メンバーの望んだ音に戻った」調。いや、別に感じ方は人それぞれだから、それならそれでよい。でも、ほぼすべてが「絶賛」というのは不可解。これ、どう聴いても「賛否両論分かれそう」な内容だし、「大多数が絶賛」ということになるとやはり不信感が。普段は辛口な雑誌、評論家も、決して私ほど辛辣な言葉は吐いていないし。 まあ、音楽マスコミというのは、新譜が出ればそれを「売り込む」のも使命だから、そんなに悪くは言えないもの。仕方ないのかなと思うことにした。

  では、「メーカーへの気遣い」とは無縁の世間一般のファンは果たしてこれをどう受け止めているのか・・・。ネットというのは便利なもので、簡単に多くの人の「声」を集めることができる。ネット上をちょっと「巡回」しただけで、NAKEDの感想は簡単に収集できた。やはりファン・レベルでは賛否両論、真っ二つに分かれていた。「素晴らしい」という声。「The Long And Winding Roadを聴くだけで価値あり」「なんだかんだ言ってもビートルズのアイテム、聴けば気に入らないはずはない」 「生々しさが増した」「忌々しいフィル・スペクターの色を完全に葬り去った」・・・。もちろん、自分の意見とは正反対なわけだけど、まあ、予想された通りの意見。一方で私と同じ「ガッカリ」の声もそれと同じくらい多かった、この辺はマスコミの報道だけでは分かり得ない真実。ほとんどが私と同じような理由での「ガッカリ」だけど、他にも「やはりフィル・スペクターが素晴らしい仕事をしていたということが、よく分かった」「ジョンとジョージ亡き後、ポールが自分のワガママだけで出したに過ぎない(実はこれは当たってない、ポールも制作には関わってないらしい)」「ブート以下」。 もっと辛辣に「ビートルズの音源を使ったメーカーの金もうけ」と斬って捨てる人もいたりで、とても世間で報道されているような「絶賛一辺倒」ではない。はて、この傾向、今回がはじめてではないような気がする・・・。

(4)ANTHOLOGY以降のビートルズを取り巻く環境
 私がビートルズ・ファンになったのは1987年、全アルバムのCD化が始まった年だった。この年は解散後、何度目かになるビートルズ・ブームが巻き起こったわけだけど、以降もニュー・アイテムに伴うビートルズ・ブームは、何年か毎に起こった。1990年のポール初来日時&ジョンの生誕50周年、1993年のポール再来日&赤盤、青盤発売とそれに伴う一部ビートルズのプロモ放映時、1994年のLIVE AT BBC発売時・・・。私の中でもそのたびに「ビートルズ・マイ・ブーム」が到来、 新たな魅力を再発見したり、新たな聴き方を発見したりで、いつも新鮮な「何か」があったもの。そしてそのブームを伝える報道、そのブームを作り出したメーカーなりメディアなりの伝えるビートルズ像、それらに沸くファンの様子、それらの影響で新たにファンになった人たちの想い、それらに共感できていたし、違和感もなかった。ジョンを「愛と平和の人」と捉える風潮にのみ違和感があったけど、それはソロの話だから置いておくとして。今、冷静に振り返ると「あの時のブームはちょっと自分の感覚とは違った」と思えるようなブームもあったけど、それは「今思えば」というレベルに過ぎず、リアル・タイムでは、それなりに楽しんでいたはずだ。

  ところが、はじめて「何かがおかしい」と思ったのが、1995年暮れ〜96年初頭に巻き起こった「アンソロジー・プロジェクト」に端を発した、何度目かのビートルズ・ブーム。長年のファンだった私から見れば、それなりに楽しめたのは事実。音源は「未発表テイク満載の編集アルバム」として楽しめた、映像盤も「初めてメンバー自身が語るビートルズの歴史」として楽しめた。確かに未発表曲の大半はブートでお馴染み、ビートルズ・ストーリーも「何を今更」な話ばかりだったけど、前者は「公式に出る」という点で、 後者は「メンバー自身が語る」という点で興味深かった。だけど、私が違和感を覚えたのは、これらを提供するメーカーの商品の提供の仕方と、これらの話題を伝えたマスコミの扱い方。いや、別に今更「マニア向けのアルバムを大袈裟に売り出して、初心者を混乱させて」云々ということは、ここで言うまでもないけど・・・。それ以上に感じたのは「あの歴史的なバンド・ビートルズ」「20世紀の偉人・ビートルズ」「文化遺産、芸術作品であるビートルズ」、 そういう扱いに明らかに変わったこと。それまでのブームの時は「いつまで経っても古臭くならない、現役バンド以上に新しくて身近なビートルズ」「みんなが大好きで親しみやすいバンド、ビートルズ」「最高のロック・バンド、ビートルズ」という扱われ方だったのが、このANTHOLOGYの頃から明らかに変化した。もはやビートルズは「神聖で崇高」「文化遺産級」な存在と化してしまった。その理由のひとつにANTHOLOGYに対するポール、ジョージ、リンゴの捉え方もあったのかもしれない。 3人とも「改めて自分たちの歴史を紐解く」という姿勢でこのプロジェクトに接している、それは3人のコメントからも窺える。ただしそれは、3人自身の個人的な問題に過ぎず、我々ファンまでもが同じ姿勢でこのプロジェクトに付き合う必要はなかった。ところが、それを受け止めるファン、メーカー、マスコミまでもが、3人と全く同じ姿勢でこれらを受け止めてしまった。ビートルズを伝える側、アイテムを提供する側が「歴史的史実」としてANTHOLOGYを伝え、ファンまでもが、そういう姿勢で受け止めた。この瞬間ビートルズは「現役」ではなくなってしまい、 「歴史」になった。

  そして当然のことながら、このあたりから新たにファンになった人たちにとって、ビートルズは決して「今も現役」でも「身近な存在」でもなく、出会った時から「歴史上の人たち」であり、彼らの作品は「ロック」でもなければ、「ヒット・ポップス」でもなく、「文化遺産」であり「芸術作品」なのである。新たなファンの大半がこう受け止めるようになれば、これが「世間一般のビートルズ観のスタンダード」と化す。当然マスコミも、ニュー・アイテムを提供する側も、そういう伝え方をするようになる。 「あの『歴史的偉人・ビートルズ』のニュー・アルバム」・・・。ANTHOLOGYを境に明らかに変わった。以降に登場するアイテム、ビートルズにまつわる話題は、ほとんどすべてがこの姿勢に基づくものばかり。YELLOW SUBMARINE SONGTRACKも(1999)、ジョン・レノン・ミュージアムも、ミレニアムの際の「20世紀の偉人」としてのビートルズの伝えられ方も、ベスト盤「1」(2001)も、豪華本ANTHOLOGY(2002)も、ポール3度目の来日(2002)も、そして今回のNAKEDも・・・。はっきり言う、今述べたもののうち、YELLOW SUBMARINE SONGTRACKを除くすべてに私は興味は薄く、違和感だらけだった。その違和感はすべて、その伝えられ方、 捉えられ方のせいである。

(5)いっそ嫌いになろうか・・・と本気で思ったりもした
  私がビートルズ・ファンになったきっかけは、リアル・タイム(1987年頭時)の、どんな音楽よりも刺激的&攻撃的で、存在自体が新鮮で、身近で、躍動感のある、「リアル」な存在だったから。そして「マイノリティなもの」というイメージ。私は「偉人」にも、「文化遺産」にも、「芸術作品」にも興味はない。もしも私が2003年の今、はじめてビートルズという存在を知ったとすれば、絶対に「好きになることはない」と断言できる。「崇高で神聖」「絶対的存在」それだけで拒否反応を示すだろう。以下は最近、ビートルズ・サイトで見かけた 若いビートルズ・ファンの言葉。「ビートルズは文化遺産です、ポップ・ミュージックと一緒にしないで」「ビートルズをパロディにすることは冒涜である」「ビートルズをロックだなんて思う人がいるなんて信じられません」「ジョンは歴史上の人物です」、これらはすべて「ファン」を名乗る人の言葉なんだから、思わず溜息&涙がそうで「俺、ビートルズを嫌いになりそう」という嫌な感情が胸を過ぎったりもした。いや、そうじゃない、ホンネはこうだ。 ビートルズの音楽も、存在も好き、その気持ちは変わらない、だけどそれを取り巻く環境、それを伝える姿勢、それが嫌でしょうがない。

  と、ここまで書いてきて気がついた。そういえばベスト盤「1」の発売時にも私は、この「ミュージック・ライフ」で全く同じような文章を書いた覚えがある。その時は「時が流れれば、どれだけ新鮮で斬新なものも『歴史』になってしまう。そのことは悲しいけど、やむを得ないことである」と結んだ。また「出会った時代が違えば、同じものが好きな同士でも、ある程度のギャップが生じるのは当然」とも述べた。やはり今回も、結論はそこに行き着いてしまう。もちろん「仕方のないこと」だとは分かっている。 だけどこうして、ビートルズに関する新たな話題が登場したり、ニュー・アイテムが発売されたりするたびに、寂しい想い、複雑な想いをすることが、この数年段々辛くなっている。個人的には、もう新しい話題はいらない、こういう形のニュー・アイテムならもういらない、旧来のアルバムだけ聴いていればそれでいい、そう思うようになってきた。同じニュー・アイテムなら、LET IT BEの映画とか、「ハリウッド・ボウル」のライブとか、ビートルズを語る上で重要なのに、未だに出てないアイテムはいっぱいある。 これらが出る日まで、私はビートルズに関する話題、ニュー・アイテムとは距離を置くことにする、その方がこれからもずっと「ビートルズを好き」で居続けられるのではないか、今回のNAKEDを聴いてそんな想いを強くしている。そして、そんな私だからこそ「あまりビートルズを語りたくない」と思ったわけで、サイト復活後の「ビートルズ色の後退」も、その辺が要因になっているのである。

 


      
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