(1)「無節操=ポリシーがない」のか?
以下の文章は2002年初頭に一度書きかけたものの、アップを見送り、封印していたものです。
私は「聴かず嫌い克服ノススメ」他で、自分の音楽の趣味を「無節操」と例えることがよくあります。何でも聴いてみたい、知らないアーティストの情報を聞けば「聴いてみたい」と思う。中には「知らないジャンル、アーティスト=興味なし」と切り捨ててしまう人もいますけど、私にはできない。逆に「あれも、これも聴きたい」が故に手が回らない、すべて聴き尽せない、
そんな傾向に陥りがち。でも「無節操」には弊害もある。つまり、あれこれいろんなアーティスト、ジャンルに手を出してしまう分、特定のアーティストのアルバムすべてを揃えるとか、特定のジャンルを極めるとか、そういうことができない。そしてその結果「どれもこれも中途半端→広く浅く、聴きかじりばっかり」となる。いろんなものに興味がある、いろんなものを聴いている、知っている、
反面、深く知ることはできずじまい。時々、「一生のうちに聴きたいものすべてを聴き尽せるんだろうか?」という思いが頭を過ぎったりもします。
で、そんな時(つまり2002年頃の話)、とある音楽系サイトの日記で、そこの管理人が「『俺は何でも聴く』と言ってる人がいるけど、それってポリシーがないだけじゃないの? 自分で自分の好きなものも決められないお子様だ」みたいなニュアンスで、実にバッサリと「無節操リスナー批判」を展開しているのを目撃しました。当時の私はまだネット上で血気盛んだった頃なので、メールで猛反論しようかとも一瞬思ったんですが、他人の音楽への接し方にまで踏み込むなんて行為は論外、そういう人の方がよっぽど「お子様」だと思ったのでスルーしたんですが(でも当時自分のボードにちょっとばかり反論を書いた覚えあり)、
「うーん、ひょっとするとそうなのかなあ」と少し考えました。まあ、別に私を意識した文章じゃないかもしれないけど、うちの「聴かず嫌い」の前文のいくつかのフレーズを引用した形跡があったので、意識してる可能性はきわめて高いと思った。
だけど本当に「無節操=ポリシーがない」のでしょうか。確かに「何でも聴きたい」とは思ってる。で、あれこれ聴いてきた。そして、経済的に困った時に「気に入らなかったもの」や「聴く機会が少ない」ものは手放した。で、手元に残った在庫を眺めると、そこには一定の傾向が見えてくる。
つまり残った在庫のアーティストやジャンルを見ると、「自分の好み=自分のツボ」が分かるはず。例えば私の場合、今残ってる在庫を見ると、次の3つのタイプのいずれかに当てはまってるのが分かります。
(1)ストレートなR&R
(2)ポップなメロディ
(3)ブラック・ミュージックやルーツ・ミュージックの影響のある音楽
・・・のうちのどれかひとつに当てはまっている人が大半。一方でプログレ、クラシック寄り、ジャズ寄り、テクノ系は駄目。というか、「無節操」故に、一応これらも聴こうとはするんだけど、はまったアーティストも何組かあれど、はまらないケースの方がが多い。
という風に見れば、いくら自分で「無節操」を名乗っていても、実は自分の「ツボ」というのは確実にあるわけで、その「ツボ」にはまってはじめて「気に入る」のではないでしょうか。
だけどそこでふと考える。音楽を聴くのに果たして「ポリシー」が必要なのか? 先に述べた私の「ツボ」ってのは、「在庫を眺めてはじめて気がついた」レベルのものに過ぎない。俺の「ツボ=ポリシー」はこうだ、だからそれから外れたアーティストは聴きたくもない、興味もない、「ツボ」の範囲内のアーティストだけを聴けばそれでいい、とは私は一切思っていません。
ひょっとすると聴けば気に入るかもしれない。それなのに「俺はこのジャンルは苦手だ、聴かないのがポリシーだ」とばかりに、聴く前から勝手に遠ざけてしまう、
それを「ポリシー」だというのなら、音楽を聴く上での「ポリシー」なんて邪魔でしかない。だったら私はポリシーなんて必要ないと思うし、ポリシーなんて持とうとは全く思わない。第一、「楽しみ」に過ぎない音楽鑑賞になぜ「ポリシー」なんて堅苦しいものが必要なのか、私には全く理解不能だ。
・・・と、以上が当時封印した文章。今敢えてアップに踏み切ったのは、実は以下の話をしたいがためだったりします。
(2)頭で考えて聴く行為
例えば、「ビートルズからロックに入った」というロック・ファンは世界中に無数にいるでしょう。すべてのアルバムを揃え終わった、4人のソロもほぼ聴き終わった、そうするとそこから進む道は多種多様に別れていく。中古盤屋で初回盤とか各国のレア盤を買い集めたり、ブートを買い集めたりしてひたすら「ビートルズ一本」を極める人もいる、アップル関連、ボンゾズなどの「ビートルズ周辺」をひたすら極める人もいる、
ELO、XTC、オアシスのような王道、さらにはスポンジトーンズのようなアングラまでと、幅広く「ビートルズ的」な音を極めていく人もいる、クラプトンにストーンズ、更にはビリー・プレストンやボブ・ディランと、メンバーと交流のあるアーティストを極めていく「関連聴き」をする人もいる。・・・まあ、これは一例としてビートルズを挙げただけで、どのアーティストから入ってもやはり
(1)一筋で極める
(2)周辺を埋める
(3)似たような音を極める
(4)関連聴きする
こういった感じで別れていく傾向にあるように思います。ビートルズと違って、メンバーの入れ替わりの激しいバンドの場合は
(5)歴代メンバーの関連作品
というのも発生するでしょう。例えば、スモール・フェイセズ→フェイセズなら、ハンブル・パイ、ジェフ・ベック・グループ、ザ・フー(ケニー・ジョーンズ絡み)、フリー(山内哲絡み)、ハード(ハンブル・パイ→ピーター・フランプトン絡み)・・・といった感じで限りなく広がっていく。
ただ、そこで思うのですが、(1)の場合は「そのアーティストだけ」なので例外だけど、(2)(3)(4)(5)は「理論的に聴く」聴き方とはいえないでしょうか。(2)(4)(5)は「ビートルズ(スモール・フェイセズ→フェイセズ)とどう関係があるのか?」という情報を集めて、「こう関係があるから」という結論を導き出し、そこではじめて「聴く」に至る。(3)も「音が似ている」という情報を得て、その情報を元に実際に自分で聴いてみて「確かに似ている=自分の求める音だ」ということを知り、聴き進めていく行為。つまり、まず情報を得て、
その情報を元に分析したり、頭で考えたりして「結論」を導き出して、その結論に基づいて聴き進める行為。いわば聴く前に「頭で考える」という行為が入り込んでくる。その行為こそが最初の章で触れた「ポリシー」に当たるのでしょう。これらの聴き方、それはそれで楽しい聴き方だとは思います。でも、私は基本的にこういう聴き方はしません。(1)はアナログ・プレイヤーがないのでレア盤にひとかけらも興味がない、ブートもすぐに卒業した、(2)はCD未発売が多くてほとんど手が出ず、(3)は同じような音ばかりを聴くようになり、音楽を聴く幅が狭くなって窮屈、(4)(5)のような聴き方は初心者の頃はやってたけど、今はそのアーティストはそのアーティスト単独で聴いており、「関連」云々は意識しない・・・。
(3)「気分」で聴く
ある相互リンク先サイトの管理人の方がよく使う言葉に「気分」というのがあります。「このアーティスト、好きだけど、今は『気分』じゃないから聴かない」、「今は●●なジャンルが『気分』だから、そのジャンルのアーティストばかり聴いている」・・・。こんな使い方。私はそれを見て、「おお、これだ!」と思いました。先に述べた通り、私には「頭で考えて理論的に聴く」ということはできません。単に「思いついたものを聴く」のみ。
特に理由もなく「今日はこんな音が聴きたい」と思えばそれを聴く。この場合、「気分だから」ということができるでしょう。一方で「俺の音楽リスナーとしての原点はビートルズ」だと思ってるし、永遠に聴き続けると思えるほどの存在、それなのに「聴きたい」という気が起きずに、1年近くも聴かないこともある。本当に理由は全く分からないのに聴く気が起きない。決して「嫌いになった」わけでもないのに。これは「今は気分じゃないから」ということができるでしょう。そう、私はこの管理人の方同様、「頭で考えるよりも『気分』で聴く」タイプのリスナーということになるんでしょう。
「昨日まで●●ばっかり聴いてたのに、今日は全然聴きたくなく、▲▲が聴きたくて仕方なくなる」ということがよくある。じゃあ「なぜそうなのか?」と聞かれても、本当に理由は分からない。それはまさに「気分だから」といえるでしょう。
(4)「気分」に理由はない
で、「気分で聴く」が故の現象が、先日アップした「聴かず嫌い」のレッチリのようなケース。つまり「頭で考える」と「苦手」なはずのヒップ・ホップ系の音、ミクスチャー・ロックになぜかはまってしまった。おそらく「頭で考えて聴く」ということをやっていたら、私は絶対にレッチリにははまらなかった。つまり、頭の中で「レッチリはミクスチャー・ロック→ヒップ・ホップの要素の入ったロック→じゃあ趣味じゃない」と、実際に聴く前に「考える」という行為が入ってくる。
だから「頭で考えて聴く→ポリシーとやらを持って聴く」場合、こういう現象はまず起こり得ないでしょう。さらに、あっちのテキストにも書いたけど、「ヒップ・ホップの色の濃いGet It Awayには、さすがに1回目に聴いた時は拒否反応を起こした、なのに2回目に聴いた時、逆に衝撃を受け、以降は繰り返し聴くほどはまってしまった」という現象。これも「頭で考えて聴く」ということをやっていたら、絶対に有り得ない。「この曲は1回目に聴いた時に気に入らなかった」と2回目に聴く前に「考える」行為が入り込んでくるわけだから。
とはいえ、本文では「なぜ1回目に駄目だったのに、2回目にはまったか理由は全く分からない」とも書いている。もしも私が「考えて聴く」タイプのリスナーなら、「こう考えながら聴いたらはまった」と説明できるだろうけど。「単に『気分』になったから」、ただそれだけ。理由はない。
一方で「気分で聴く」人というのは、未知のアーティストを勧められたり、自分で雑誌やよそのサイトを見たりして、「このアーティスト、よさそうだな」と思っても、「気分」にならないと手が出ないという傾向もある。例えば昨年末以降、もの凄い勢いではまったルースターズ。そのはまっていった過程はこちらにも書いた。とにかく最初に興味を持ったのは、1999年に彼らのトリビュート・アルバムが出て、ルースターズが再評価された頃。当サイトのボード上でも常連さん数名が絶賛して勧めてくれたし、
しかも私の地元・北九州出身ということも相俟って、親近感すら覚えたほど。「聴いてみたい」とその頃から思っていたし、常に心の隅に引っかかる存在と化していた。何度も「買おうか」と思った。でも、手が出なかった。そしてようやく実際に聴いたのは、なんとそれから4年後の2003年の5月。つまり常に「聴きたい」「興味はある」状態ではあったけど、「気分」にはなかなかならなかったということ。「聴いてみたい=気分」というわけでもないということ。うーん、この辺の説明、難しいなあ。でも、確かに「気分」ってのは「聴いてみたい」っていう「欲求」ともまた別物、本当に複雑で分かりにくいけど・・・。
で、「じゃあなぜ、今頃になって気分になったのか?」といわれても、これがまた説明ができないんだよなあ。本当に「気分」に理由なんてないんですよね・・・。
あと「ライブの予習のために、今はこのアーティストばかり聴いています」とか、「今日はジョンの命日なので、ジョン・モードです」なんていう人もいる。でも「気分」で聴く人には、実はこういうことも必ずしもいつもできるというわけではないんです。いや、確かに「ライブに行くから予習のため」そのアーティストばっかり聴こうとするということはよくある。でも、意外と途中で投げ出してしまう。というのも、今現在、そのアーティストが「気分」ならそのアーティストばかり聴きまくっても全然大丈夫。だけど「気分じゃない」のに、
「予習のためだから」と言い聞かせてそのアーティストばかり聴いても、全然楽しくないし、聴いていても「上の空」になってしまう。そう、それって自分自身の今の「気分」に逆らって、「予習だから」と聴く前に一旦「頭で考えて聴く」ということ。それは私自身の音楽を聴く上での感覚とは全く違う行為。これでは「予習」にも何にもならないし、楽しくもない。そんな時、私は「予習」はやめて、敢えて今現在「気分」な全く別のアーティストのアルバムを優先して聴く。なのに「予習」では気分になれなくとも、いざライブ会場に行けば、ちゃんと「気分」になるというのも、ちょっと不思議だったりはしますけど。
それと「命日だから●●モード」ってのも無理。「気分」じゃないのに、「その日だから」って「頭で考えて」聴くものを選ぶ、やっぱり私にはできない。というか、もともと「悲しい日」を狙って聴くこともないだろう! と思うから、あんまりこういう行為は好まないんだけど。なぜかって言われても「気分」だから。理由? いや、「気分」に理由なんてないわけで・・・。
それから、「気分」で聴いていると、こんなこともあります。フラッと入ったCD店で、偶然にもずっと探していたけど見つからなかったアルバムを発見した。こんな時、あなたならどうしますか?・・・普通の音楽ファンなら狂喜乱舞、何も考えずに即購入するでしょう。でも、私はしない。というのも、そのアルバム、そのアーティストが、今現在の自分の「気分」ならばもちろん買うけど、「好きだけど、今現在は全く気分じゃない」とすれば、おそらく「また気分になった時にでも」ということで見送ります。そのアルバムが「既に廃盤で入手困難」で「今回を逃したらもう二度とお目にかかれないかもしれない」とかなら別ですけど、そうでなければ「気分」を優先させて「買うか、買わないか」を決めることでしょう。
こういう気持ちって、きっと大多数の人には分かってもらえないでしょうけどね。
(5)「気分に忠実に」、これがポリシー
とまあ、そういうわけで「頭で考えて→何らかのポリシーを持って」音楽を聴くという行為、私の肌には合わなそうです。「何も考えずに音楽を聴くなんて変だ」、「例え『楽しみ』『道楽』であっても、ある程度の『拘り』は持っていたいし、それもない奴は主体性も何もないお子様だ」という人もいるでしょう。それでもこの姿勢は変わらない、変えられないと思いますし、変える必要もないと思ってます。ただ、ひとつだけいえること。それは「自分の『気分』に忠実でありたい」。「気分」じゃないものを、周りと話題を合わせるために聴く、「気分」じゃないけど、みんなが「いい」というから聴く、「気分」じゃないけど、予習しなきゃいけないからこれを聴く、そんな「気分に逆らう」ことはしたくない。
一方でずっと好きじゃなかったもの、「自分の本来の趣味からすると、好きな音ではなさそう」なものでも、「気分」になればどんどん聴いていきたい。その時その時の、自分自身の「気分」に忠実でありたい。もしも私に「ポリシー」なんてものがあるとすれば、そのことだけかもしれない。所詮音楽を聴くことは「楽しみ」なわけだし、だったら「お勉強」するみたいに深く考えたり、分析したりせずに、純粋に「気分」に任せりゃいいんじゃないか、私はいつもそう思ってます。ああ、といっても「音楽への接し方」は人それぞれ。私は「気分重視」で聴くけど、「考えて聴くことが楽しい」という人は、それはそれでよいと思います。
私は別に「考えて聴く」聴き方や、「考えて聴く」人を否定しているわけではなく、「自分はそういうタイプじゃない」ということを言いたいだけなのです。音楽なんて、各自が自分の思う方法で楽しめばいいものですしね。
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