ミュージック・ライフPart 6
(2001年9月15日)

ここでは、☆TAKEが音楽について感じたこと、最近買ったCD、自分の音楽の趣味・・・など、音楽についての たわいのない雑談を書いてゆきます。ここに書いてあることは、あくまでも私個人の考えや、感じたことなので、 あらかじめご了承ください。面白い話ではないかもしれませんが、よろしくお付き合い下さい。

      
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Blank Generationー
新世代ビートルズ・ファンとの間に感じるジェネレーション・ギャップ

UP:2001年9月15日
   1999年頃から「20世紀を振り返る」企画が目白押しとなり、そうした中で「20世紀の史実」としてビートルズが、「20世紀の偉人」としてジョン・レノンが語られるケースが目立ちました。一方で、ベスト盤「1」の発売、ジョン・レノン・ミュージアムの開館も。 そのおかげもあってか、今は解散後何度目かになる「ビートルズ・ブーム」が起こっているようで、20代前半、さらにはティーン・エイジャーのビートルズ・ファンが増加傾向。90年代半ばには「ティーンは邦楽ヒット・チャートに夢中で、洋楽を一切聴かない」とか、「オアシスやマライアは聴いても、60、70年代のロックは聴かない」という傾向が主流になり、 ビートルズが見向きもされない時代があったことを思うと、これは喜ばしいことだと思っています。だけど、それら新しいファンと私の間には、「ビートルズ」への接し方に決定的な違いがあるような気がします。

  ビートルズは新鮮で、衝撃的で、現在進行形だった
  私だって「後追い」世代。ジョンが亡くなった時はまだ小学生。当時のことはほとんど覚えていない。だからきっと、リアル・タイム世代や、現役のジョンを知る世代の方から見るとギャップを感じる存在なのかもしれません。

  そんな私がビートルズに出会い、のめり込んでいった過程については「音楽年表」やこの「ミュージック・ライフ」の「1987年6月17日、運命の日」「はじめて買ったレコード」「1980年代、ラジオで聴いたビートルズ」などで述べているので、ここでは省略。聴きはじめた最も大きな理由、それは「今まで聴いたこともないほど斬新で、新しい音楽だったから」。「昔の音楽」、「古い音楽」という意識はひとかけらもなかった。 時代は1987年初頭、CD化やデビュー25周年に伴う、何度目かの「ビートルズ・ブーム」が巻き起こった頃。一方で当時の邦楽シーンは、おニャン子ブームが静まりはじめ、ボウイ、レベッカの人気もあって、バンド・ブームが勃発。 英米のシーンでもMTVブームが終息、チャートは「産業ロック」が主流。「分厚いシンセの壁」「打ち込みによるリズムや深いエコーのかかった機械的なギター」が典型的なこの時代の音。 私はこのテの音が当時も、そして今も大の苦手。そんな中で聴いたビートルズは衝撃的で、また、どんな音楽よりも新しかった。そして、映画A HARD DAY'S NIGHTなどで見たビートルズの姿も、 テレビで見るどんな大スターよりもリアルで鮮烈でした。つまり、私の中でビートルズとは「新しいもの=リアルなもの=現役」。既に解散しているバンド、ジョンはこの世にはいない、そんなのは屁理屈も同然、ジョンは生きてるし、ビートルズは現役バリバリのバンドであって、間違っても「過去のバンド」でも、「歴史に残る偉大なバンド」でもなかった、 その気持ちは今だって変わりません。いわば「今売れてるアルバムのうち、お前らはユーミンやボン・ジョヴィを買った、俺はビートルズの方を買う」。そういう意識。 だから「12月8日になると気が重くなる」とか、「ジョンを思うと涙が出る」といった、私よりも上の世代の方々の気持ちもまた、理解し難かったりします。ビデオを見たり、CDを聴いたりする時、間違いなくジョンを身近に感じるし、私の中では確かに生きているんだから。でも、逆にリアル・タイム世代からみれば、私たちは「CDやビデオでしか、ビートルズやジョンを身近に感じることができない世代」ともいえるわけで、奇異な存在に映るんでしょうけど。

  ビートルズは「歴史上のバンド」??
  私がビートルズに出会って15年近くが経ちました。20世紀から21世紀という時代の変わり目に、またも訪れたビートルズ・ブーム。この1年ほど私のもとに、ティーンエイジャーや20代前半の「新世代ビートルズ・ファン」からのメールがずいぶんと増えてきました。 それらを読んで嬉しい反面、ちょっと気になることがあります。もちろん全員ではありませんが、「最近のヒット・チャートは全然面白くありません。それに引きかえ『歴史に残るアーティスト』であるビートルズはやはり凄い」といった表現。・・・・・うーん、「最近の音楽はつまらない」から、過去を振り返って「昔の音楽」である「ビートルズ」を聴く。遺跡の発掘か。 「はやりの音楽に馴染めない」という部分は私の時と同じ。だけど後半の「歴史的」云々の部分には決定的なギャップを感じます。

  私がビートルズにはまるきっかけとなった1987年6月放送の「11 P.M.」のビートルズ特集の話は、以前こちらで述べました。その番組の中で、若いファン・クラブの会員に、「なぜ昔の音楽を聴くんですか?」と浅田美代子が質問するシーンがあります。 そこで(1987年当時の)20代前半のファンはこう答える。「昔の音楽って意識は全くないです。むしろ新しいかなと」。全部で3人の20代前半のファンが、異口同音に「昔の音楽とは思ってない」と答えています。つまり「新しい」「現役のバンドの音楽」として接していたのは私だけじゃなく、1987年当時の後追いファンに共通する感覚だったということの証明です。 では、2001年現在の20代前半のファンに全く同じ質問を投げかけたら何と答えるだろうか。もちろん、同様の答えをする人も多いでしょうけど、「昔の音楽の方が面白いから」「歴史に残るバンドだから」、こう答える人も意外と多いんじゃないでしょうか。推測ですけどね。

  考えてみれば「1」というベスト盤の発売にしろ、ジョンを「20世紀の偉人」として奉ったミュージアムにしても、ビートルズやジョンを「歴史」に封じ込める行為。いくらヨーコが「あのミュージアムはジョンを奉るものじゃない」と主張しても、そもそも世の中のすべての博物館自体が「人物や史実を『歴史』として後世に残す」ことを目的に建てられるものだということは否定できません。 「1」のコンセプトも「20世紀の遺産:ビートルズを21世紀に受け継ごう」というものであることは明白。もちろん、それらによってファンが増えること、後世に残っていくことは嬉しい。だけど、新たにビートルズに出会った世代、これから出会うであろう世代が、出会った時から既にビートルズを「歴史=過去」としてしか受け止められないのかと思うと、それは寂しいことです。私のように「リアルなもの」として受け止めた者と比較すると、出会った時の衝撃や感動は小さいんじゃないかな。 「今のもの=身近なもの」との出会いではないんだから。もちろん、身近に感じてくれる人もいっぱいいるんでしょうけどね。

  でも怒っちゃいけない、時は流れるもの
  だけど一方で、「若いファンにビートルズを歴史扱いされると腹立たしい」とかって声もよく聞くけど、「それも違うんじゃないかな」と思います。いや、ホンネを言えば私も寂しいですけど。でも、時代は流れていくもの。ジョンとリンゴは私の亡くなった父と同い年、ポールは母と同い年。ということは、今のティーンや20代前半の方にとって、ビートルズのメンバーはヘタをすれば祖父母に近い世代ということになる。 そういう世代に、今から40年近くも前に起こったこと、自らの生まれる20年近くも前のことを「リアル」に感じろっていう方が無理があるんじゃないでしょうか。私の場合は、まだビートルズが活動していた1968年生まれだから、彼らよりは少しはビートルズを身近に感じることができた。だけど一方で、生まれる20年前、1948年の出来事、例えばマッカーサー、映画「青い山脈」、笠置シヅ子の「東京ブギウギ」などは、私には「歴史」としてしか受け止めることはできませんもん。 全くリアリティを感じない。それと同じなんですよねえ。「時代が流れれば、自然と過去に起こったことは『歴史』になる」。残念ながら避けることはできない。もちろん「寂しい」とは思うけど、「時の流れは誰にも止められない」のだから、「過去の出来事が『歴史』になることも誰にも止められない」。 ならば、受け止め方、出会い方が全く違っていても、新たなファンが増え続けること、それ自体を素直に喜ぶべきじゃないのかな。冷静に考えれば、自分の生まれる20年も前のバンドを支持する人がいる、これ自体が大変な奇跡でしょう。世代が違えばギャップが生じて当たり前なんですから。 事実、リアル・タイム世代からみれば、私たちの世代=「20代後半から35歳くらいの後追いファン」だって、十分奇妙な生き物、時には腹立たしい生き物のはずですよ(ですよね?)。 本当は複雑な気分ですけど、私は冷静に考えてるうちに、そういう結論にいき着きました。ミュージアムには全く行きたくないし、「1」は私には不必要なアルバム。でも、それはあくまでも「私にとって」に過ぎない。

  ただし、ネット上を見ると、「ビートルズを『過去のもの』と思ってる人が周りに多くて違和感がある」といっているティーンのファンの方も結構いる。つまり、まだまだ「リアルなもの」として接している人も多いんだなとも思えるわけで、そのことはせめてもの救いかなと思います。

  最後に・・・弁解(笑)
  これをお読みになって「俺は『新世代』だけど、そんなことは考えてないぞ」って思う方もいっぱいいらっしゃることでしょう。確かにそうですよね。 私の書いたのは「●●な人が多いように思う」ということ。「多い=全員ではないが、自分と同世代の人と比べると多い」「思われる=☆TAKEの受けた印象」という程度のニュアンスですよ、念のため。 「新世代はこうだ」という「決め付け」でも、「全員がそうだ」って話でもないですので、その辺はご了承ください。私は「世代が違えば、自然と受け取り方が違ってくる。その違いはどうして起こったのかな」ということを検証しているだけ。 「不思議に思った」ことを検証してみた、それだけのことです。世代が違えば、受け止め方が違っていて当たり前だし、説教垂れようとか、そういう意図じゃないので、その辺もご了承ください。もしこれがそういう文章だとすれば、私って「今の若い奴は〜」なんて説教たれるオヤジみたいでカッコ悪いですもん(笑)。

ジョンの作品? ポールの作品? いや、ビートルズの作品でしょ!

UP:2001年9月15日
 私より下の世代のビートルズ・ファンとネットを通じて話をする時に不思議に思うこと。それは必要以上に「ジョンの作品」「ポールの作品」と分けて聴く、分けて考える人が多いこと。「私の好きなビートルズの曲は、ジョンなら●●、ポールなら▲▲です」などと、自分のサイトに ご丁寧にも分けて書いてるファンの方がいたり、「私はジョン派だから、ポールには否定的だ」というニュアンスのことを平気で述べていたり・・・。それらに対して大変な違和感を持ったこともあったものでした。

  ご存知の通り、私は「ジョン派」。ただし、ポールが嫌いなはずない。「音楽年表」にある通り、私がビートルズにのめり込んだきっかけは、ジョンのあの声の魅力にとりつかれたから。 きっかけがそうだったら、自然とジョンを中心にビートルズを追い、聴き、見てきた。ただそれだけ。だけど初心者の頃、「あの声」の持ち主以外にもうひとり、魅力的なボーカリストがいることに気がつきました。全く違う個性を持ったその声の持ち主が、 「あの声」の持ち主と交互にボーカルをとる、時には2人でハモる。そのスタイルもまた、私にとって「衝撃」だったんです。こんなスタイルははじめて。そのことに感動したからこそ、私は2人とも好きだったし、片方が欠けては絶対にビートルズは成り立たないんだということを痛感したものです。当時は初心者だったから、 2人が別々に曲を書いているという知識は全くなかったし、「どっちが書いた曲」なんて考えたこともなくって、どっちの作品であれ「ビートルズの曲」として聴いていたものでした。それはどんなにビートルズに詳しくなって、 「どの曲がどっちの作品か」分かるようになっても変わりませんでした。もちろん分けて考えることはあるけど、そんな時も「ビートルズの作品」という大前提のもとで考えるに過ぎません。

  ところが近年、曲を聴いてもいないうちから「これはジョンの作品」「これはポールの作品」ということを過剰に意識している初心者ファンが多いように思います。だけどみなさん、大事なことを忘れていませんか。 例えばYesterdayは「ポールの作品」である前に「ビートルズの作品」だし、Help!は「ジョンの作品」である前に「ビートルズの作品」。どうも「ビートルズの作品」いう大前提を見失っている方が多いんじゃないかなと。 少なくともポールはYesterdayを書いた時、「俺の作品」ということよりも、「ビートルズの作品」ということの方を強く意識していたはず。それはジョンがHelp!を書いた時だって同様。ならば、Yesterdayを聴く時、「ポールの作品」として聴くんじゃなく、「ビートルズの作品」として聴く方が、 より正しい聴き方、楽しみ方なんだといえないでしょうか。というよりも、あまりにも過剰に意識して分けて聴くと、「ビートルズを聴く楽しみ」自体も半減、いや、10分の1くらいに減少してしまうんじゃないかと私は思うんです。「ビートルズ」はあくまでもそれ自体がアーティスト名であって、「小室ファミリー」とか、「つんくプロデュース」といったブランド名じゃないはず。 「ビートルズ」というブランド傘下のソロ・アーティストのジョン・レノン、ポール・マッカートニー。 「分けて聴く」というのは、極端に言えば、ビートルズをそうしたブランド名と取り違えた行為じゃないかとすら思えます。

  リアル・タイム・ファンの方は「60年代当時、ジョンの作品だの、ポールの作品だのって分けて聴いた覚えはない」んだそうです。もちろん後追い世代の場合、解散後の両者の確執(これを真剣に受け止める人がいることが、実は最大の弊害)という、リアル・タイム世代が持っていなかった余計な情報がある分、どうしても純粋にはなれないでしょう。ただ、ビートルズを聴くのに、 解散後の情報や近年のポールの発言などを持ち込むってのは、実はビートルズへの正しい接し方じゃないだろうと私は思うんです。 少なくとも、2人が自分の作品を「ビートルズの作品」として発表したその時点では、そんな感情は持ってなかったはず。そんな感情を持つようになるのは、あくまでも解散後なんだから。ならば、そういう情報は邪魔、というより、本来なら入り込む余地もないはず。 まあ、分かっていても難しいんですけどね。いずれにしても「分けて聴く」と、楽しみも減る。そういう習慣がついてしまった方は、一度知識を捨て去って、頭の中を空っぽにして聴き直して欲しいなと思います。だけど、逆に言えばそうやって「分けて聴く」習慣は、 多数存在するデータ本、CDのライナー、ネット上のビートルズを扱ったサイトの功罪かなという想いもあり、だとしたらこのサイトにも責任の一端はあるような気がして、ちょっと複雑なところです。実はこういう弊害を生んでいるのは、「知識先行」に走りがちな 私たちの世代のファンなのかも。


      
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