ここでは、☆TAKEが音楽について感じたこと、最近買ったCD、自分の音楽の趣味・・・など、音楽についての たわいのない雑談を書いてゆきます。ここに書いてあることは、あくまでも私個人の考えや、感じたことなので、 あらかじめご了承ください。面白い話ではないかもしれませんが、よろしくお付き合い下さい。
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MY CD COLLECTIONの前書きにある通り、私は1997年から1998年にかけて多くの手持ちのCDを売却してしまいました。売った枚数は300枚以上。「聴いたけど気に入らなかった」アルバム、
「ほとんど聴かなかった」アルバムもあるけど、「もう少し聴き込みたかったけど、経済的な理由で泣く泣く手放した」アルバムというのも結構ありました。ということで、ここではそうした「手放してしまったアルバム」について述べていきたいと思います。
なお、本文中で一部のアーティストに対して辛辣な言葉を吐いていますが、これは私の「好き、嫌い」というレベルに過ぎず、音楽の質や善し悪しについて述べているものではないということはご了承下さい。私はいかなる音楽もけなすつもりはないですし、どれも一度は関心を持って聴こうとした、好きになろうとした音楽であるということは間違いないのですから。正直、「嫌い」とまでいえるものはひとつもないです。 また、間違ってもこれを「レビュー」としては活用しないで下さい(笑)。「☆TAKEは売ってしまったらしいけど、本当によくないのか?」と疑問に思ったら、御自身でお聴きになって、御自身の感覚で「好き、嫌い」を判断していただきたいなと思います。また、「これが分からないとはお前は鈍い奴だ」といった批判もご遠慮下さい。「これを聴けばきっと鈍い☆TAKEでも分かるよ」といったアドバイスは大歓迎ですけどね。 |
| 「倉木麻衣は宇多田ヒカルのパクリ」「オアシスはビートルズのパクリ」「Bzはパクリばっかりだから大嫌い」・・・。ここ10年ほど、日本の音楽ファン、マスコミはやたらと「パクリ」を探し、吊し上げ、非難することに夢中のようです。でも、そもそも「パクリ」って何なんでしょうか? というか「パクリ」って、当事者ばかりでなく、我々一般ファンまでもが大騒ぎしなければならないほどの大事件なのでしょうか?
ということで私は、近年の「パクリ騒動」に関して感じたことなどを述べていきたいと思います。ただし、私自身は音楽産業とは何の関係もない人間なので権利関係とかを無視した無責任なことも言うし、
単なる素人なので専門知識は全くないということをあらかじめご了承ください。それと、「俺は正しい」と主張する意図もなく、単に「俺はこう思う」と述べているに過ぎないので、そのあたりもご理解いただいた上で気楽にお付き合いいただけると幸いに思います。
・「フォローワー」と「パクリ」の区別もつかないの?? 音楽の歴史を振り返れば分かる通り、「突然変異」的に登場した音楽は皆無。後から登場するアーティストは、必ずいずれかの先輩アーティストに何らかの影響を受けているもの。それは、どんなに独創的に見えるアーティストでも同じはずです。例えばパンクを「突然現れた」と評する評論家もいるけど、溯ればピストルズ→ニューヨーク・ドールズ→ヴェルベッド・アンダーグランド→ビートルズ、ストーンズ、ディラン・・・といった具合に、前のアーティストの後継者なのは明らか。 つまり「いかなるアーティストも、先輩アーティストの影響を受けている」。だから「他の音楽に全く似ていない音楽など存在しない」はず。だとすれば、他のアーティストに「雰囲気が似ている」「スタイルが似ている」のは当たり前であり、それを「パクリ」と呼ぶのは、あまりにナンセンスというもの。事実、オアシスとビートルズ、両方に詳しい人に言わせれば、 「あの曲とあの曲が似ているという具体的な事例は全くない」とのこと。だとすれば「オアシスはビートルズのパクリ」というのは大間違いで、「オアシスはビートルズのフォローワー」といった方が正しいのではないでしょうか。ただし、私個人はオアシスって楽曲は好きな反面、ビートルズに似ているとは全く思えないので、「フォローワー」とも思ってないんですが、この辺を突っ込み出すと話が脱線するので、また別の機会にでも。
・似たような環境で育てば、スタイルが似てくるのは当然 では、得意分野を事例に。ビートルズ登場と共に巻き起こったブリティッシュ・インヴェイジョン。多くのバンドが登場していますが、やはり出身地によって「カラー」がはっきり分かれています。例えばリバプールから登場したバンドは、ロンドン出身のバンドのようなブルース色は皆無、 R&Bの影響はあるけど、モータウンなどのポップ寄りのR&Bの影響が強く、アトランティック・ソウルのような「暑苦しさ」や「いかがわしさ」は全くありません。R&Rナンバーもスマートに、シャープに演奏する、テンポは速い反面、チャック・ベリーのようなねちっこさがない。ギターの音も乾いている。 オリジナル曲はポップで、メロディ重視、ただし「ポップ」といっても突き抜けたような明るさはなく、哀愁の漂うメロディが特徴・・・。まあ、これは初期ビートルズの特徴でしょうけど、不思議なことに同時代のリバプールのバンドのほとんどすべてがこれに当てはまります。「ジョージ・マーティンとエプスタインの戦略なんでしょ?」という人もいるだろうけど、 2人が絡んでいないスウィンギング・ブルージーンズやマージービーツだってこれに当てはまるから、そうとも言い切れない。つまり、これらのバンドのサウンドが似ているのは他でもない、「同じリバプール出身で、同じような音楽を好んでいたから」、つまり「同じような環境で育ったから」ではないでしょうか。 「真似したから」ではないはずです。事実、マンチェスター出身のホリーズ、路線的には似てるバンドなのに、どことなく「カラー」や「空気」が違う。「ポップでありながら明るさよりも哀愁」のリバプール勢に対し、ホリーズは「ポップだけど突き抜けた明るさはない、だけど哀愁もない、無感情でドライな音」。そう、確かに違う。これは他でもない、「育った環境が違うと、似ているようでも実は違う空気を放つ」ということの証明ではないでしょうか。 ということでオアシスとビートルズの事例のように、「後輩と先輩」が似るのはよくあること。一方で同時代のアーティスト同士であっても、同じような環境で育ち、同じような音楽に影響を受けた場合、スタイルが似てしまうことはあるんじゃないでしょうか。これも「パクリ」とはいえないはずです。 というか、このケースもまた「スタイルが似ている」に過ぎないし、「具体的にこの曲とこの曲が似ている」という事例がないわけだから、「パクリ」とまではいえないはずです。これまた言葉を使い間違ってるケースでしょう。この2つのケースは「パクリ」云々の話からは切り離して考えるべき。 それなのに、こうしたケースを「パクリ」と呼ぶ人が多いのには呆れます。まさか「パロディ」や「オマージュ」、果ては「カバー」までもを、「パクリ」だなんて言い出す人はいないだろうな。そんなことになったら、もう「つける薬がない」といわざるを得ない。
・「故意」か、「無意識」か だだし、一方で「故意のパクリ」ももちろんあるでしょう。「どれが故意で、どれが無意識か」を見分けるのも難しい。「明らかに故意だ」と思われるケースももちろんあります。最も分かりやすいのはレッド・ツェッペリン、というか、ジミー・ペイジ。古いブルース・ナンバーを改作して、自作とクレジットして発表する。これはストーンズもよくやる手です。あとは鮎川誠作曲とクレジットされたサンハウス→シーナ&ザ・ロケッツのレパートリーLemon Tea(ヤードバーズなどでお馴染みのTrain Kept A Rollin'が元ネタ)。いや、この曲は「パクリ」というより「オマージュ」なんじゃないかな。 私はそう解釈してるんですが・・・。以上は私の守備範囲ですが、守備範囲外ではBzが有名で、よくあちこちで叩かれているようです。主にエアロやガンズをパクッてるそうで、その辺のファンに毛嫌いされているようです。私も何曲か聴いて「なるほど」と思ったものです。「故意」だとすれば問題なのかもしれない、でも、私はもしもそれが「故意のパクリ」だとしても、守備範囲内、範囲外を問わず、責める気は一切ないんです。なぜかというと・・・。
・音楽の歴史はパクリの歴史 それに仮に「故意」だったとしても、私たちファンやマスコミにそれを責める権利はないと私は思うんです。責める権利のある人、それはパクられたアーティスト、ライター、著作権管理者のみ。パクられた被害者が実際に「パクッた作品」を聴いて 「不愉快だ」「訴えてやる」と思えば大いに問題です。だけど、パクられた側が「面白いじゃないか」「うん、なかなか上手いな」と、パクられたことを喜んだり、嬉しいと思う可能性だってある。腹は立つけど、怒る気がないという人もいるでしょう。または全く何も感じない人もいるかもしれない。その場合、パクッた側を責めることは誰にもできない、そう思うんです。 ようするに「パクッたことを責められるか、責められないかは、パクられた当事者がそれを聴いてどう思うか次第」ではないでしょうか。当事者が怒ってもいない、むしろ喜んでいる、怒る気はない、または全く気にしていないのに、ファンやマスコミのような「外野」が騒ぐのは「余計なお世話」。 ただ、これは音楽ファンとしての私の希望ですが、いくら当事者が嫌がっていなくっても、やはりパクる時には「元ネタへの愛情」が前提にあって欲しいと思います。先に述べたZEPやストーンズには当然ブルースなどの「元ネタ」への愛情はありそうだし、Bzもガンズやエアロへの愛情はあるはず。 だからこそ私は責める気はないのです。まあ、好きじゃないアーティストの作品をパクる人なんていないだろうから、「元ネタへの愛情のないパクリ」があるとは考えにくいけど。万が一、スティーヴン・タイラーやアクセル・ローズがBzの曲を聴いて「不愉快だ」と言ったりすれば問題でしょうが、あの人たちがそこまで目くじらをたてる可能性は低い。 第一、そのエアロだって、ガンズだって、実はブルースやR&Bをパクッてるんだから・・・。そのことは「Bzバッシング派」のエアロ・ファン、ガンズ・ファンも認識すべきだと思います。で、そのエアロやガンズにパクられたブルースやR&Bのアーティストだって、戦前のジャズなどをパクッてるだろうし、戦前のジャズの人たちも、19世紀の伝承歌やクラシックをパクッてるはず。そのクラシックやなんかも、さらに古いバロックとかをパクッてるはず。 おそらく、一切パクった経験のないライターなど音楽の歴史上、皆無じゃないでしょうか。そう、前に述べた通り「音楽の歴史は、後輩が先輩の影響を受けて登場することで続いている」のと同様、パクリもまた、音楽の歴史の中で延々と受け継がれてきたものなのではないでしょうか。つまり、乱暴な言い方をすれば「音楽の歴史はパクリの歴史」。「いけないこと」だけど、「絶対に避けれらないこと」。 当事者でもない者が目くじらをたてて吊し上げたり、騒いだりするのはやっぱり変。まして特定の人だけを吊し上げるのは、私から見れば「そっちの方がよっぽど醜い」とすら思えるんです。
・単なる「パクリ」では支持は得られない
・パクられたら訴える? そんなことするくらいなら・・・ 「ビートルズを笑おう」でご紹介したラトルズのニール・イニスに関するエピソード。あっちのコンテンツでもちょっと触れた話ですが。ラトルズの再結成アルバムARCHAEOLOGY収録のShangri-laという曲のイントロ、いきなりオアシスのWhateverのフレーズをストリングスが奏でる。しかも、エンディングでは今度はイニスがアドリブでWhateverの歌い出しのフレーズを歌う。しかも皮肉っぽい歌い回しで。 どういうことなんだろうと思っていたら、これはニール・イニスからオアシスへの「お返し」だったようです。実はオアシスのWhateverは、ニール・イニスのソロ・アルバムのナンバーをパクッた作品なんだそうです。 私はニール・イニスのソロは聴いてないので知らないんですが、両方聴いたという人の情報によると、本当に全く同じメロが登場するそうです。で、「パクられた」ことに気がついたニール・イニスは、ラトルズのこの曲にさり気なくWhateverのフレーズを入れて「お返し」しているというわけ。 さすが元ボンゾズの中心メンバー、ラトルズの仕掛人で、モンティ・パイソンとも交流のある人だけあって、素晴らしいセンス。「パクるな」とヒステリックに騒ぐよりも、こうやってユーモアも感じられる「皮肉」でやり返す方がどんなにカッコよくって楽しいことか。 きっと、Shangri-laを聴いたオアシスのメンバーも「やられた」とばかりに、苦笑いしたんじゃないでしょうか。「パクリ」なんてものは、こうやって軽く受け流せばいいんじゃないか、私はそんな風に思ってしまいます。「偉いのは元ネタの俺の方だ」くらい思って、パクられてもドッシリと構えていればいいんだよ。 まして「外野」である我々ファンが、面白半分に騒いだり、「吊るし上げのためのパクリ探し」をしたりなんてのは論外。 「あの曲はあの曲に似てるよ」って感じで、もっと楽しく「パクリ探し」をしたいもんです。私はそういう「楽しいパクリ探し」は大好きですもん。 |
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