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ザ・スパイダース・アルバムNo.1
60年代ブリティッシュ・ビートのファンの多くはGSファンである・・・。ネット上で知り合った鰤ビート・ファンの多くはGSのファン、またはファンとまではいえなくとも、それなりに聴いているという図式は確かに成り立っている。ところが、私はずっとGSが嫌いだった。
小学生の頃「ベストテン」にはまり、中でも沢田研二が大好きだった。その沢田研二が「かつてはタイガースというGSバンドのボーカリストだった」ということ、それは当時の私も知っていた。だけど「スターの懐かしの映像」などで見たタイガース、全然カッコイイとは思えなかった。当時私がそう感じた理由は、今となっては分からないけど、とにかく「今の沢田研二の方が数段カッコイイ」と思った。
ブルー・コメッツはどう聴いてもムード演歌。さらにスパイダース・・・。「カックラキン」などでコメディアン・コンビ(当時の私はそう信じていた)として活躍している堺正章&井上順がメンバー、「ダサい髪型の変なオヤジ」というイメージしかなかった、かまやつひろしもいる・・・。どう考えてもコミック・バンド。やがて19歳でビートルズに目覚める。そしてストーンズにはまり、さらにはザ・フー、キンクスなどの鰤ビートにはまっていく学生時代(1990年前後)。そうなると「鰤ビートの影響をモロに受けて日本で巻き起こったGSブーム」にも自然と興味は湧いた。そんなある日、ラジオでGS特集の1時間番組が放送されることになった。きっとビートルズやストーンズに影響を受けた、ストレートでカッコイイ、そんなロックがいっぱい聴けるんだろうな。期待を胸にダイヤルを合わせる。だけど、流れて来たのは・・・。 ブルーコメッツの「ブルーシャトウ」、ゴールデン・カップスの「長い髪の少女」、スパイダースの「夕陽が泣いている」、どう聴いてもムード演歌。「失神バンド」というセンセーショナルな紹介とは裏腹に、大袈裟なストリングスが支配する王子様風歌謡曲、オックスの「スワンの涙」、ほとんど後の四畳半フォークのようなパープル・シャドウズ「小さなスナック」、萩原健一の独特なボーカルが肌に合わないテンプターズの「エメラルドの伝説」、間奏で聞こえる掛け声がダサいタイガースの「シーサイド・バウンド」・・・。 思っていたものとは違い過ぎた。私は鰤ビート・ファンであると同時に、小学生の頃「ベストテン」に熱狂した歌謡曲ファンでもあったわけだけど、それでも受け入れ難いものがあった。まだ日本の流行歌といえばポップスよりも演歌だった時代、「ジャパニーズ・ポップ」の創生期、そんな時代のポップスだから 演歌臭いのも致し方ない。でも「ビートルズやストーンズの日本版」を期待した私にとっては、その期待とのギャップはあまりにも大きすぎた。 それから時は流れ、洋楽のロック以外にも興味を持ちはじめた1990年代半ば、「学生の頃は駄目だったけど、今の俺の耳にはどう聞こえるのか?」という想いもあり、GSの大物バンドのヒット曲ばかりを集めたコンピを購入してみた。 収録曲は学生時代に聴いた、あのラジオ番組でかかった曲とほぼ同じ。しかし「きっと印象は変わるはず」という私の期待はもろくも崩れた。むしろ学生時代に聴いた時以上に「寒い」という感想を持ってしまった。頑なに「ロック」に拘ることをやめはじめた頃の私ですら駄目。こうなれば、このジャンルにはもう二度と手を出すまい。以降、私は前以上にGSを毛嫌いするようになる。 1990年代半ばにダイナマイツというGSバンドのベスト盤は買ったけど、それは「後に村八分に加入する山口冨士夫が在籍していた、海外でも評価の高いガレージ・バンド」という認識で買ったに過ぎなかったし。 1998年にサイトを開設、それから約1年後の1999年の夏頃、当サイトのボード上でスパイダースの話題が登場した。「よく知らない」とレスして話を断ち切ろうとしたんだけど、なぜだかその話題は数日間続いた。いや、やはり鰤ビート好きにはGS好きって多いんだなあ・・・。そんな話題の中で「大半のGSバンドはビートルズやストーンズに憧れてバンド結成、本当はそういう曲をやりたがっていたけど、あくまでもアイドルとして彼らを売り込みたい当時の音楽業界はそれを許さず、職業作曲家の作った歌謡曲風の作品を押し付けられていた。だから シングルはそうした曲ばかりになった。でも、彼らの大半はライブではもっとロック色の濃い曲をやっていたし、オリジナル・アルバムを聴けば、彼らが本来やりたがっていたレパートリーも聴くことができる」という事実を知った。とはいえ、やはり一連のヒット曲を聴いた限り、彼らにロック的な感覚は見出せないし、ましてわざわざオリジナル・アルバムを買いたいなんて気持ちは起きなかった。 そんなわけで「絶対に俺がはまることは有り得ない」と思っていたGS、だけど2004年に2つのサイトとの出会ったことが私の気持ちを大きく変えた。ひとつは私がルースターズにはまる上で大きな影響を受けたkazuyaさんのWould't It Be Nice。このサイト内にはルースターズのみならず、ゴールデン・カップスのコンテンツもある。それを読んでいるうちに「このバンドって『長い髪の少女』だけでは分かり得ない、とてつもない魅力のあるバンドなのかも」と思った。さらにもうひとつ、非相互リンクのサイトなんだけど、「リンク先のリンク先」のとあるサイトでスパイダースが取り上げられていた。スパイダースといえば先も述べた通り、幼い頃からGSの中でも「特にカッコ悪いバンド」というイメージ。 大好きな「太陽にほえろ」のサントラを手がけたり、全盛期の沢田研二をサポートしていた井上尭之&大野克夫コンビや、 タモリなども所属する芸能プロ、田辺エージェンシーの現社長がいたことも知ったけど、マチャアキ&順というフロントマン2人のキャラのせいで、音楽的に云々というよりも、むしろ「芸能ノリ」のバンドだと思い込んでいた。もちろん多くの若手アーティストが、かまやつひろしをもてはやしているのは知っていたし、うちのボードでスパイダース・ネタが登場した時も、みなさん「他のGSとは違う」とは強調していたけど、それでも私には理解できず。だけど、この人のサイトを見て認識が変わった。デビューはGSブーム前、 日本に「ポップス」が入ってきた当初から活動していた(結成は昭和36年、ビートルズのデビューより前)「叩き上げ」であって、ブームに便乗して登場した半端な連中とはモノが違う。デビュー・アルバムは全曲オリジナル曲。しかも鰤ビートを真似るだけではなく、その中に日本的なもの(例:三三七拍子のリズム)をもとり入れて、あくまでも日本独自のオリジナルなロックを構築することに拘ったその意欲と姿勢。「ジャパニーズ・ロックの起源はGSブーム終了後、はっぴいえんどらが登場した頃」というのが通説だけど、GSブーム前のバンドがこんなことをやっていたとは! そのことは私にとっては衝撃的だった。音を聴いているわけでもない、動いている姿を見ているわけでもない、単にパソコンの画面に映る、人様の書いたテキストを見ているだけなのにその凄さが伝わってくる。これは聴かねば。そう思った私はすぐに彼らのアルバムが欲しいと思った。通常ならベストから、ということになるんだろうけど、 ベスト盤だとまた例によって歌謡曲然とした「夕陽が泣いている」などの曲しか聴けないだろうし、それだったら「衝撃の全曲オリジナル」というファーストでも、ということでファースト・アルバムを購入することにした。 冒頭の「フリフリ'66」は、テレビで最近でもかまやつや堺が歌っているお馴染みの曲。しかし演奏が凄い。強靭なリズムを叩き出すリズム隊、ノイジーで荒々しいギター、「ジャパニーズ・パンクの元祖」といっても過言じゃない。しかも変なリズムだな、と思ったんだけど、よく聴いて気がついた。これが噂の三三七拍子。その純日本的なリズムを、兇刃かつ骨太なリズム隊が叩き出す。まさに日本的なものとロックの融合。見事としか言いようがない。さらにバラードの「ノー・ノー・ボーイ」もかまやつや堺が今でもよく歌ってるけど、 「バラード」といっても多くのGSのように歌謡曲的じゃなく、むしろ中期キンクスなどに通じる、けだるくて、曇り空を連想させられるメロディ。「リトル・ロビー」「ビター・フォー・マイ・テイスト」も中期キンクスっぽいし、「ロビー・ロビー」はホリーズあたりがやりそうな、ちょっとスマートなポップ・ロックだけど、ギター・ソロは初期キンクス風。「ミスター・モンキー」「ヘイ・ボーイ」はキングスメンの「ルイルイ」風というか、キンクス風のリフを持ったストレートなロック。かと思えば、「落ちる涙」「ラッキー・レイン」は鰤ビートの中でも最もジェントルなバンド、ゾンビーズあたりを思わせる。そう、鰤ビートの影響云々といっても、 キンクス、ホリーズ、ゾンビーズと渋い。ボーカルも後のように、堺や井上順がソロで歌うのではなく、おそらく2人に、かまやつらを含めた数名のメンバーが時にはユニゾンで、時にはハモリながら歌っているようで、全曲複数の声が重なって聞こえる。故に「未整理」っぽい印象を受けるけど、その「崩れ具合」が逆に「ロック的」。だからこそ、GSという言葉から連想される歌謡曲臭さも、「芸能ノリ」的な側面もない。あくまでもスマートでスタイリッシュでジェントルで、だけど思いっきりロックで・・・。この辺は音楽的リーダー、かまやつの個性なんだろう。そのルックスとは裏腹に、多くの人が彼のことを「スタイリッシュでヒップな人」と形容する理由がはじめて分かった気がする。 噂に聞いた通り「夕陽が泣いている」などからは想像もできない音。確かに「やらされてた」んだな。と同時に、このアルバムはGSブーム勃発前の1966年の発売。直後にブルーコメッツの「ブルーシャトウ」がヒット、それをきっかけにGSブームが起こったことを思えば、実は彼らこそが「先駆者」だったと考えることもできる。 というわけで、私がGSに対して持っていた「歌謡曲っぽくってダサい」という偏見は見事に払拭された。確かにシングル曲はムード歌謡調の、売れ線っぽい作品を押し付けられていた。だけど、彼らの本質はそうではなかった。一般には「ジャパニーズ・ロックの元祖」とされているはっぴいえんどやジャックスよりも前に「日本独自のロック」を開拓しようとしていた、そんな連中だったのである。いや、確かに本当に「単なるブームに便乗して出てきた、特に才能のないバンド」もいたかもしれないけど、少なくともスパイダースに関しては、そうではなかった。ただし、ファースト発表直後に思わぬブームが来てしまったため、 彼らがこのファーストのように「新たなサウンドに挑戦する」ことのできる場所はオリジナル・アルバムの中だけに限られてしまったこと、そして歌謡曲然とした一連のヒット曲のせいで、当時の硬派系の音楽ファンのみならず、私のような後追いの多くのロック・ファンの間でも、偏見を持たれ、無視されたり誤解されたりしていることは大変残念なことである。これをきっかけに、私は今後もスパイダースのみならず、多くのGSを聴いていきたいと思う。だけど、なるべくそんな時はシングル・ヒット曲を聴くのは避け、オリジナル・アルバムを中心に聴いていきたいと思っている。次はGSを聴いてみたいと思ったきっかけを作ってくれたもうひとつのサイトで紹介されていたゴールデン・カップスを聴いてみようか。 |
GREATEST HITS
ロック・ファンになった当初(1980年代後半)の私が聴いてきたのは60、70年代のロックばかり。リアル・タイムのロックはむしろ遠ざけてきたし、興味を持てるものも少なかった。社会人になった90年代以降は若干考え方も柔軟になり、リアル・タイムのロックでも自分の趣味に合えば少しずつは聴いてきた。
とはいえ、やはり60、70年代もの優先、リアル・タイムものは後回しにしてきたし、興味の持てるアーティストの数自体も決して多くはなかった。興味の持てたアーティストも、どこか60、70年代のロックと同じ「臭い」のする人が大半。「全く新しい音」を作り上げているアーティストには、
なかなか興味は持てない。特に苦手なのはシンセや打ち込みを多用したエレクトリック・ポップ、それとダンス・ミュージックの手法を取り入れたロック。イギリスで言えばハウスやテクノとロックを融合したバンド、アメリカで言えばヒップ・ホップとロックを融合した、いわゆる「ミクスチャー・ロック」のバンド。これらは「テクノ自体が駄目だから」「ハウス自体が駄目だから」「ヒップ・ホップ自体が駄目だから」ということもあり、
どうにもアレルギー気味。実際、ラジオなどでそんなバンドの曲を聴いても、全く心を動かされることはなかった。確かに「ロックとは時代時代の流行の音をとり入れて進化してきた音楽だ」ということは理解できる、だからこの手のバンドのやっていることは「ロック的」で、革新性も高い行為だということもよく分かってはいたし、評価できるとも思った。
だけど「好きか?」といわれれば、残念ながら頷くことはできないわけで・・・。そんな私にとって無縁なジャンル、ミクスチャー・ロックの代表的なバンドといえば、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ。評価も高く、なおかつセールス的にも成功している。サウンドの革新性に反して、ビートルズのABBEY ROADのジャケをパロって、全裸&靴下だけを股間に被せた姿で横断歩道を歩くジャケのアルバムを出したりと、お馬鹿なキャラのバンドでもあるということも理解していた。 ネット上でも同世代の多くの人が高く評価している。だけど「ヒップ・ホップが苦手」な私にとっては「その存在感と凄さは認めるけど、聴いてみたいとは思えないバンド」であり続けた。 そんな私の気持ちが揺らいだのは、ネット上のあるボードでの出来事。「ポップ系」の音の好きなはずの人が「聴いてみたら意外なほどポップでビックリ、はまってしまった」と書いていたこと。その人はソフト・ロックとかが好きで、暑苦しい、ヘビーなロックは苦手なはずの人。 うーん、こういう人に受けるというのは意外だ。そのボードで交わされている会話によると、近年はかつてのようなファンキーで暑苦しい作品一辺倒ではなく、ポップかつアコースティックな作品も多く発表しているとのこと。ふーん、そうなのか。更に別のボードでの出来事。70年代リアル・タイム世代、つまり私よりほぼ一回り上の世代の人の集まるボードでのこと。このボードには近年のロックも拘りを持たずに聴いている人も多い反面、 「パンク以降」に拒否反応を示す人も少なからずいる。ところが、その「パンク以降」に普段は冷たいはずのある人が、「最近はじめてレッチリを聴いたけど、想像以上にメロディアスで素晴らしく、はまった」と書いていた。いや、正直、この辺の人までもがはまるというのは、私には考えられない。そこで思った。「そうか、近年はポップな曲もやってるんだ、だからこそ、本来の彼らとは無縁なはずの、 ソフト・ロック系のファンや、近年のロックに冷たいはずの人までもが絶賛するんだな、じゃあ俺が聴いても全然大丈夫かもしれないな」。まして私の場合は、彼らと違ってファンキーなロック、暑苦しいロックというのは、もろ守備範囲。むしろ私がはまる確率の方が高いはずだ。そう思っていた矢先、タイミングよく2003年にベスト盤発売、さらに2004年4月、そのベスト盤の中古を店頭で発見、早速購入して「挑戦」してみた。 家に帰って1回目の再生。このベストは一応オール・タイムのベストということになっているけど、収録曲はむしろ90年代以降の、商業的成功を手に入れて以降の楽曲が中心。ということもあり、「ロックとヒップ・ホップとの融合」という革新的サウンドを確立、「ミクスチャー・ロックの旗手」として注目されはじめた、ブレイク直前&直後の作品は少ない。その分、私が当初想像していたよりはおとなしいというイメージ。Under The Bridge、Californicationなど「ポップ」とか「メロディアス」というより、 むしろ「枯れた」雰囲気すら漂わせている。「暑苦しい」「全裸→お馬鹿」というイメージとはかけ離れている。なるほど、この辺がソフト・ロック好きな人や近年のロックに手厳しい人をも引き付けた要因なのか。納得。一方でスティーヴィ・ワンダーのHigher Groundのカバーなど、思いっきりファンキーなロックもある。この辺は「パンキッシュにファンクを演奏するバンド」という感じでなかなかカッコイイ。だけど・・・。やはり受け付けなかったのがGive It Awayなどの 「ロックとヒップ・ホップを融合」した、いわゆるミクスチャー・ロック・チューン。ボーカルなんて完全にラップ。これは駄目だ・・・。それに先に述べたメロディアスなナンバーも、ファンキー・ロックも、確かに悪くない、好きなんだけど、「この手の曲を聴くなら、むしろ以前から慣れ親しんでる60、70年代のアーティストを聴いていた方がよい」というのも正直な感想だった。レッチリ、俺には無縁だったのかな。このベストも「1回聴いてはまらず→放置→売却」の運命を辿るのか・・・。 いや、結論を出すのはまだ早い。数日後、もう1回再生してみた。1曲目のUnder The Brigde、最初に聴いた時と印象は変わらず。ところが、その空気を引き裂くようなファンキーかつパンキッシュで狂暴なビートが登場、それに強く心を動かされた。しかし、そのイントロに続いて登場したボーカルは、もろラップ。そう、2曲目は、最初に聴いた時にあれほど強く拒絶反応を示したはずのGive It Away。だけど今回は「ボーカルがラップ」「もろヒッポ・ホップ」とかということは一切気にならず、 むしろ「ファンクとパンクを融合させた、最高にアグレッシヴなロック・チューン」という印象しか受けない。そう、つまりは好印象。いや、これは凄い。パンキッシュなロックとラップ、一見すると相対するものを見事に融合させて、最高に革新的で攻撃的なサウンドを生み出している。リアル・タイムでちゃんとミクスチャー・ロックやヒップ・ホップを追って来た人はきっと「☆TAKE、お前今までこんな音楽、聴いたことなかったのか? 2004年においては別に斬新でも目新しくもないぞ」と思うかもしれない。 だけど、私は単に「ヒップ・ホップっぽいから」という理由だけでミクスチャー・ロックを遠ざけてきた。確かに街やTVではこんな音楽は普通に流れている。だから「聴いたこともない音楽」というわけじゃないけど、それは「片方の耳から入って、逆の耳から出ていく」状態で、真っ正面からこういう音楽と向き合う形で聴いたのははじめてといってもよいわけだから。 この件で私はふたつのことを学んだ。(1)1回聴いて気に入らなかったからといって結論を急いではいけない、2回3回と聴き込む毎にはまっていく音楽というものは確かにある、ということ。そんなことは前々から分かってはいたんだけど、改めて痛感した次第。1回聴き終わった後、本気で売却を考えていたんだから。そして(2)一見して苦手なタイプの音楽であっても、ちゃんと正面から向き合って接すれば印象が一変することもあるということ。本当に、まさか私がこの「もろミクスチャー」なGive It Awayにはまったというのは意外だった。多くの人が絶賛していた、近年のポップ系、メロディアス系の作品にはそれほどはまらず、 この手の作品の方が数段気に入ったんだから信じられない。思わずこの曲だけをリピート再生したほどだ。レッチリ、今後はごく初期の、もっと「お馬鹿」だった頃のアルバムを聴いてみたいと思っている。それともうひとつ思うこと。なぜリアル・タイムで初期の彼らのよさに気がつかなかったんだろう。結局、いつも「後追い」でしか新たなアーティストを発掘することができない、そんな自分の鈍感を疎ましく思う。 |
狂気(30周年記念盤)
このコンテンツで「キング・クリムゾン聴かず嫌い克服」話をしたのは2000年5月。あれ以降も決して私の「プログレへの苦手意識」は拭い去られたわけではない。あちらでも触れた通り「有名プログレ・バンドへの挑戦」を試みたのは学生時代の1991年。
その時に唯一馴染めたのがクリムゾンの「宮殿」であって、他のバンドには全く馴染めなかった。そして「再挑戦したいが、果たして再挑戦したい気分になるのはいつのことだろう」と結んだわけだけど、あれを手がけて以降の3年間、とても「再挑戦したい」気分にはなれずにいた。
何よりも、最初に「挑戦」した時に持ってしまった「プログレ=難しくって高尚な、俺には無縁のジャンル」というイメージは、そう簡単に払拭できるものではなかったのである。とはいえ、有名プログレ・バンドの中でも「ひょっとすると、このバンドはいけるのでは?」と思っていたのがピンク・フロイド。このバンドの歴史はロックもののディスコグラフィ本で大体把握していた。最初はシド・バレット率いるサイケ・バンドとしてスタート、そのシド時代唯一のアルバムTHE PIPER AT THE GATES OF DAWN(夜明けの口笛吹き)は、90年代初頭に聴いて気に入っていた。とはいえ、クリムゾンの時に触れた通り、ATOM HEART MOTHER(原子心母)にダレてうたた寝してしまったこと、 次に買ったUMMAGUMMAを聴いて難解なイメージと違和感を持ってしまったこともあり、なかなかシド脱退後の彼らに「再挑戦したい」気分にはならなかった。THE DARK SIDE OF THE MOON(狂気)はロック史に残る名盤であり、誰にでもすんなり入っていける内容だと聞いていたので「これならいけるはず」との想いはあったけど・・・。 「再挑戦したい」気にならない理由は単に「プログレが苦手だから」とか、「最初に挑戦した2枚が駄目だったから」だけではない。「フロイドは高級オーディオで聴いてこそ価値のある音楽である」みたいな「音響こだわり派」の支持者が多くて「敷居が高い」イメージと違和感(「いい音楽」はどんな環境で聴いても「いい」に決まってる、が私の持論)を抱いたこと、 ロックの映像関係の番組で見た、レーザー光線やスクリーン、巨大な豚のセットまで登場する「超バブリーな」ライブに対して大きな嫌悪感を抱いてしまったこと、そして90年代半ばに出会った「大嫌いな上司」が彼らの大ファンだったこと(笑)、ネット上で偶然すれ違ったとある「フロイド信者」がビートルズ、ストーンズ、パンクなどを見下したような高飛車な書き込みを繰り返していて鼻についたこと・・・。 それらのことが私の気分を著しく害し、思わず「フロイドなんて、ケッ!」という気分に陥ってしまった、それこそが最大の要因である。そう、嫌いなのはフロイドそのものではなく、そのフロイドを取り巻く環境、信者の認識の方だったのかもしれない。 そんな2003年春、THE DARK SIDE OF THE MOON(狂気)発売30年を記念した30TH ANNIVERSARY EDITIONが発売されることになり、音楽雑誌やネット上でも「狂気」の話題が溢れるようになった。それに影響されて「挑戦してみようかな」という気持ちが少しだけ湧き起こった。そんな中、行きつけのボードで、このアルバムの収録曲の人気投票が行われていた。「プログレへの苦手意識が邪魔して 未だに聴けていない」とした私に対し、ある方から「このアルバムはプログレへの苦手意識のある人にこそ聴いて欲しいアルバム」とのレスを頂いた。今まで出会った「フロイド信者」の高飛車な態度とは明らかに違う、その対応に心を引かれた私は「よし、今こそ聴いてみよう」と思い立ち、「30周年記念盤」を購入した。 早速家に帰り、恐る恐る再生してみる。いきなり心臓の心拍音のようなSEが聞こえてくる。そして幻想的でフワフワした曲調のBreathe、インストのOn The Run、時計の音のSEに続いてBreatheと似通ったメロディのTime、女性シンガーのファルセットをメインにしたインストのThe Great Gig In The Sky・・・。ここまで曲間の切れ目が一切ない。 しかも終始フワフワとした、幻覚的でシンフォニックな空気が支配する。「シンフォニック」といっても、決して「クラシカル」でも、「難解」でも、「複雑」でもない。あくまでもメロディはポップ。故に難解ではないし、「高尚な」感じもしない。このフワフワとした空気の中に身を委ねていると、とにかく気持ちいい。小難しいことを考えることもなく、 一気に聴き進めることが出来る。うーん、この感覚、文章で形容することが難しいけど・・・。とにかく「難解」ではない、ハイテンションでも、緊張感がみなぎる感じもない、聴いていて「気持ちいい」空気漂う音。確かに「誰にでも聴ける音」だと思う。「好き、嫌い」以前に、とにかく「気持ちいい」、この言葉に尽きる感じである。 ATOM HEART MOTHER(原子心母)やUMMAGUMMAを聴いた時に感じた小難しさとは正反対、いや、「フワフワとして」いて、「ポップ」で、「幻覚的」というのは、むしろシド・バレット時代の彼らのサウンドの特徴ではないか。よく「シド脱退後のピンク・フロイドは別のバンドになった」なんていわれるけど、意外とこれは当たっていないんじゃないかとも思った。 アルバムの後半はデイヴ・ギルモアのブルージーなギターが活躍するMoneyではじまるも、その後はやはり、冒頭と同様の「フワフワとした、幻覚的でシンフォニックな」コンパクトな作品が連なる。「コンパクトでシンプルな曲」を好む私には、むしろこの辺の曲の方が魅力的に聞こえる。ということで、このアルバム、何度も書くけど間違っても「難解」でも、「複雑」でもない、やってることは単純明解、楽器編成はシンプルだし、音はポップ。 なのに何ともいえない幻想的な「空気感」を作り出している。同じプログレといっても、複雑なアレンジや演奏力なんかで勝負するのではない。これは悪くない。疲れた時などにこの「空気」に包まれていたら、本当に気持ちよくなりそうである。音楽的な面での「好き、嫌い」を論じる、そんなこととは別次元のアルバム、そんな印象を持った。いや、この感覚、やはり上手く文章に出来ない。 とはいえ、熱心なフロイド・ファンに言わせれば、このアルバムは「彼らにしては聴き易すぎる」という評価らしく、やはり彼らの作品の多くは難解なのかな、という気はしないでもない。なので今は「とりあえず、このアルバムだけでいいかな」と思ってる。いずれ気が変わるかもしれないけど。あと、このアルバムに限らず、フロイドの場合、ロジャー・ウォータースの書く歌詞の世界も重要なポイントなんだろうけど、 私の買ったのは輸入盤。よって、対訳はなく、このアルバムのコンセプトや詞の世界は分からないまま聴いている。こういう聴き方は邪道なんだろう。でも、これでよかったんだという気もする。彼らはあくまでも「空気感を作り出す」「聞き手の知覚を刺激する」アーティストなんじゃないか、このアルバムを聴いていると、そんな気がするから。だとすれば難しいことは考えず、この「空気感」に浸っているのがいちばんなんじゃないか。 そんな気がしていたりする。まあ、熱心なファンから見れば、私のようなフロイドへの接し方は「邪道」で「分かってない」のかもしれないけど・・・。 |
サイモン&ガーファンクル(以下S&G)といえばSound Of Silence。このあまりにも一元的な図式が、ごく一般的な日本人の意識の中に確かに根付いている。事実、この曲はバラエティ番組などでも頻繁にBGMやジングルとして使われるし、ビジー・フォーの物真似ネタ(全然似てないと思うぞ)などでもすっかりお馴染みである。
しかしこの図式が、私に誤った認識を植え付けてしまったのである。この曲Sound Of Silenceから受ける印象といえば「暗い」「軟弱」。洋楽に目覚める前から、この1曲のためにS&Gといえばそんなイメージが根付いていた。その後、ロックや洋楽に目覚めて以降、Sound Of Silence以外の曲もいっぱいラジオなどで聴いたけど、 ある曲は「日本のフォークに近い、暗くて軟弱な音楽」に聞こえたし、また他のある曲は「典型的な売れ線ヒット・パレードもの」に聞こえたし。その2つの側面を総合して考えた結果、S&Gといえば「日本のフォークに近い、暗くて軟弱な音楽をやる、アメリカン・ヒット・チャートものの人たち」というもの。 そこには「ロック的」な側面、アーティスティックな側面は微塵も垣間見ることが出来なかった。つまり、この時点で「自分には関係のない人たち」と決め付けて、私は彼らを遠ざけてしまったのである。実際、「洋楽音痴」な奴に「ビートルズってS&Gと区別がつかない」という、とんでもない暴言を吐かれたことがあったんだけど、 その時私は「似ても似つかんだろう! 比べるな」と猛反論した。もちろん、彼の意見はとんでもなく的外れなのは事実だけど(笑)、別にそこまで強く否定するほどのことでもないわけで。だけど、私がそんなに強く否定したのは他でもない、私が彼らに対して、今述べたようなマイナスなイメージを持っていたからに他ならない。 ところが、1990年代半ば「ロック以外の音楽だっていいものはある」ことに気がつきはじめた私は、ロック以外の音楽もあれこれ聴いてみたくなった。当然、彼らのことも気になりはじめて・・・。トラヴェリング・ウィルベリーズのアルバム未収録曲Nobody's Childの入ったチャリティ・オムニバスで、ジョージ・ハリスンとポール・サイモンによる 彼らの代表曲Homeward Bound(早く家に帰りたい)を聴いて、「いい曲だな」と思ったのがきっかけだった。ところが、「そろそろS&Gでも聴いてみようか」と思った矢先、日本のドラマのタイアップでA Hazy Shade Of Winter(冬の散歩道)が使われて大ヒット、ベスト盤も売れはじめた。 まだまだ「アンチ・ミーハー」だった私は、「この流れに乗じて買うのはカッコ悪い」と思い、購入を先送りした。ところが、これが失敗。「買いたい時に聴きはじめるのがいちばん」、それに気がつかなかった当時の私、もう一度「聴きたい」気持ちになったのは、なんと2002年、21世紀になってからのことだった(笑)。 たまたま地元の中古盤屋で、A Hazy Shade Of Winter(冬の散歩道)がタイアップ・ヒットした頃に売れたベスト盤を発見。購入した。 聴きはじめる前にライナーを読んでみる。・・・私はS&Gといえば、前も述べた通り、「暗いフォークの人」で、またある時は「軟弱なヒット・チャートものの人たち」という印象。一方で、肯定的なイメージとしては「お上品」「お坊ちゃまっぽい」「瑞々しくて美しいハーモニー」。ところが、各曲の解説を読むと、歌い込まれている世界は実に重い。 例えば優しく、美しいハーモニーで、聴いていて癒される気分になるWednesday Morning, 3.am(水曜の朝、午前3時)だけど、歌われているのは「犯罪を犯した男の気持ち」。もう、この事実だけでビックリ。そして、やはり瑞々しい、上品なイメージを持っていたScarborough Fair、Mrs. Robinson、The Boxerといった曲も、歌われている内容は実にシリアス。ベトナム戦争、ヒッピー・ムーブメントの時代らしいメッセージや主張が織り込まれている。 これにはビックリ。荒っぽく、破壊的なサウンドに乗せて過激なことを歌うより、彼らのようにお上品で美しく、瑞々しいサウンドに乗せて、過激なことを歌うことの方がよっぽど、「過激」な行為ではないかと思った。その詞の世界と音のギャップ、なんて「破壊的」で「過激」な行為なんだろうと。そして極めつけが7 O'Clock News / Silent Night(7時のニュース / きよしこの夜)。 2人の歌う美しい「きよしこの夜」に、暗い事件ばかりを伝えるニュース・キャスターの無表情な声が重なる。そのギャップの凄さ。聴いていて恐くなるほどだ。そう、彼らの作品はちょっと聴いただけでは、「お上品で美しくて瑞々しい健康的な音楽」に思えるが、その実態は、音と詞の世界のギャップを見せつけることで、 60年代の「時代感」を表現しようとした、過激でアーティスティックな連中だったのである。その「素顔」に気がついた時、私は自分の彼らに対するイメージが誤りであったことを悟った。その後、聴き慣れたSound Of SilenceやBridge Over Troubled Water(明日に架ける橋)などを聴き直すと、全く違って聞こえるようになった。 その後も何度か聴き込むに従って、「フォークの人」「ヒット・パレードの人=アメリカン・ポップスの人」と思いきや、「アメリカン」な能天気さ、泥臭さはなく、むしろブリティッシュ・トラッドに近い人たちなんだということにも気がついた。60年代のアメリカ人で、こんな音を作っていた人って、実は皆無。彼らが「単なるヒット・メイカー」にとどまることなく、現在まで聴かれ続けているのは、こんなところにも要因があるのかもしれない。 表面的に聴いて受けたイメージだけで勝手にアーティストを判断するべきじゃないんだということを、再認識させられる出来事となった。今はまだ、このベスト盤を買っただけ。今後、オリジナル・アルバムや2人のソロなども聴いていきたいと思っている。 |
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