パブ・ロック、パワー・ポップ、ニュー・ウェイヴの立役者として知られるブリティッシュ・ポップの職人
このテキストは第3回のDAVE EDMUNDSと合わせてお読み頂くと、より一層楽しめます
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| 私はデイヴ・エドモンズを語ると、どうしてもニック・ロウのことを思い出してしまう。そんな私だから、前回エドモンズを語った以上、ロウのことも語らないわけにはいかない。よって、今回は彼を取り上げてみたい。 ニック・ロウといえばブレンズリー・シュワルツ時代、パブ・ロックという新たなジャンルを確立、その後エドモンズと組んだロックパイル、パンク・シーンの中でスティッフ・レーベルを設立したりしてパンク、ニュー・ウェイヴといった新たな流れに 大きく貢献したアーティストとして知られる。また、この数年盛り上がりを見せている「パワー・ポップ」の立役者のひとりとしても注目を浴びるなど、大ヒット曲もなく、地味な存在でありながら一部のファンにとっては欠かせない存在となっている。 もちろん、そうした彼の功績は計り知れないものがある。ただ、もっと重要なのは彼がイギリスのロック史において最もイギリス人らしいポップ・センスの持ち主であるということであろう。彼の作るメロディは、一見するととてもシンプルで親しみやすいもののように見えるが、 そんな中にも一筋縄ではいかない、ひねくれた感覚が混在していて、このあたりが彼の個性であるとともに、典型的な「ブリティッシュ・ポップ」の特徴であると思う。彼の作風が比較的親しみやすく感じるのに、セールス面ではあまり振るわないのは、そのへんが理由なのかもしれない。 とはいえ、こうしたイギリス人らしい「ひねくれたポップ感覚」を持ち合わせているという点では、キンクスのレイ・デイヴィスやロウがデビューさせたエルヴィス・コステロと肩を並べるものがある。彼の最大の魅力、特徴はそこにあると思う。 |
| ニック・ロウは1949年3月24日、ウエールズのケンブリッジ生まれ。幼くしてスキッフルにのめり込み、10歳の時バンジョーを手に入れて弾きこなせるようになった。学生時代はいくつかのバンドで活動していたが、卒業後はウエイター、新聞記者など職を転々。そんな68年、学校の先輩であったブレンズリー・シュワルツ(g,vo)に誘われ、ブレンズリーのバンド、キッピントン・ロッジにベーシストとして加入。
キッピントン・ロッジは当時既にレコーディング契約を結んでおり、ロウはいきなりプロ・デビューを果たしたのである。このバンドはムーヴのようなポップ・ロックを演奏しており、シングル5枚を発表するも全く売れず。なお、キッピントン・ロッジの音源は現在EARLY WORKS OF NICK LOWEで聴くことができる。69年ロウ、ブレンズリーにボブ・アンドリュース(key)、ビリー・ランキン(d)というメンバーに落ち着いていたキッピントン・ロッジはバンド名をブレンズリー・シュワルツに改め、翌70年には辣腕マネージャー、
デイヴ・ロビンソンと契約、一気に浮上するチャンスを掴んだ。 マネージャーに就任したロビンソンはブレンズリー・シュワルツの華々しいデビューを画策。まだレコード・デビューすらしていない彼らをニューヨークのフィルモア・イーストにヴァン・モリスン、クイックシルバー・メッセンジャー・サービスの前座として送り込み、イギリス人ジャーナリスト150人を同行させて派手なプロモーションを行った。だが、これは彼らにとってあまりにも荷が重いものであった。 演奏はボロボロで大不評を買い、多額の借金を背負わされるなど、前途多難な船出となった。余談だが、このブレンズリーの「デビュー」は、81年に出版されたアメリカのローリング・ストーン誌編の「ブック・オブ・ロック・リスツ」で「史上最悪の大コケ・プロモーション」部門の10位にランクされていたという。こうして、失意のうちにイギリスに帰国したブレンズリーの面々ではあったが、ユナイテッド・アーティスツとレコーディング契約を結ぶことに成功。 以降BRINSLEY SCHWARZ、DESPITE IT ALL(ともに70年)という2枚のアルバムを発表。これらのアルバムで聴けるサウンドはキッピントン・ロッジ時代、及び後のロウからは想像もつかないCSN&Y風のコーラス・ワークを生かしたカントリー・ロックあり、ザ・バンドを思わせるルーツ・ロックありという内容である。作曲は大半をロウが手がけているわけで、ちょっと意外な気もする。しかし、彼がルーツ・ミュージックの愛好家であるというのも事実だし、またアメリカ人のバンドながらイギリスに渡り、ロンドンのパブで活動していたエッグス・オーバー・イージーと親交を深めたことが、そうしたサウンドに傾倒した要因と考えられる。 同時に多くのパブでのライブをこなし、後のパブ・ロック・シーンの基礎を築いた彼らは、いつしか「イギリスのザ・バンド」と評されるようになった。だが、一部で熱狂的なファンを得ながらも、レコード・セールスの方はさっぱりで、借金を返すために変名のシングルも多数発表していた。 72年、新メンバーとしてイアン・ゴム(g,vo)が加入。しかし、これ以降に発表したアルバム SILVER PISTOL(72年)、NERVOUS ON THE ROAD(72年)、PLEASE DON'T EVER CHANGE(73年)、NEW FAVORITE OF BRINSLEY SCHWARZ(74年)もいずれも全くの不発に終わった。とはいえ、重要な出会いもあった。ロウはNEW FAVORITEのプロデュースを担当した同郷の大先輩であるデイヴ・エドモンズと親交を深め、エドモンズの出演した映画「スターダスト」のサントラでブレンズリーの全メンバーがエドモンズのバックを務めたり、エドモンズ&ロウでディスコ・ブラザーズを名乗ってLet's Go To The Discoを発表するなどしている。また、ブレンズリー後期のアルバムになると、ロウは ルーツ・ロック的なサウンドの中にポップ・センスを取り入れたソングライティングを行うようになっており、次第に後の彼のスタイルに近くなっている。これはおそらく、彼が「イギリス人にはアメリカ人と同じようなルーツ・ロックはやれない」と悟って開き直り、ルーツ・ミュージックの中に自分らしさ、つまり「イギリス的なポップ・センス」をとり入れて「イギリス人流のルーツ・ロック」の構築を狙ったのではないかと思う。「ルーツ・ミュージックのエッセンス」と 「イギリス的なポップ・センス」というこの2つの側面は、以降のロウの重要な柱になっていくのである。結局、ブレンズリー・シュワルツは75年に解散。一部で絶大な支持を得ながら成功を手に入れることはできなかった。なお、ブレンズリーとアンドリュースはグラハム・パーカー&ルーモアに加入。イアン・ゴムは地味ながらも良質なソロ・アルバムを発表している。(なお、ブレンズリーのベスト盤はこちらで紹介しています) |
| ブレンズリー・シュワルツ解散後、グラハム・パーカー&ルーモアのHOWLIN' WINDをプロデュース、プロデューサーとしての活動を開始した。また、タータン・ホード名義でBay City Rollersなる皮肉っぽいシングルも発表している。そして76年、元ブレンズリーシュワルツのマネージャーのデイヴ・ロビンソン、元ドクター・フィールグッドのマネージャー、ジェイク・リヴィエラとともにスティッフ・レーベルを設立。このレーベルはパンク、ニュー・ウェイヴ系のアーティストと次々に契約してシーンを盛り上げるのに一役買ったわけだが、ロウはここからダムド、エルヴィス・コステロをデビューさせ、自らプロデュース。
自らの正式なソロ・デビュー・シングルSo It Goesもここから発表している。結局、彼は翌77年にエルヴィス・コステロとともにスティッフを離れているが、この時期ドクター・フィールグッド、プリテンダーズ、ミッキー・ジャップ、レックレス・エリックら、パンク、ニュー・ウェイヴの多くのアーティストのプロデュースを手がけて、このシーンの最重要人物のひとりとなった。 一方、自らもデイヴ・エドモンズ(vo,g)、ビリー・ブレムナー(g,vo)、テリー・ウィリアムス(d)というメンバーでロックパイルを結成。共にルーツ・ミュージックに造詣が深いという共通点を持ちながら、ロックン・ロールを追求するエドモンズ、イギリスらしいポップ・センスを持つロウという、異なった強い個性を持つ2人のフロント・マンを持つこの強力なR&Rバンドは活発なライブ活動により、 パブ・ロック、パンク・シーンで絶大な人気を獲得した。しかしながら、エドモンズとロウが別々のレコード会社と契約している関係上、アルバムは発売できなかった。とはいえ、この時期のエドモンズのアルバムGET IT(77年)、TRACKS ON WAX 4(78年)、REPEAT WHEN NECESSARY(79年)は全面的にロックパイルがバック・アップ。特にロウは作品を提供しており、これらは事実上ロックパイルのアルバムといって過言ではない。 |
| 同時にロウもTHE JESUS OF COOL(78年)、LABOUR OF LUST(79年)という2枚のアルバムを発表。この2枚も大半の曲でロックパイルがバック・アップしているので、事実上ロックパイルのアルバムといえるだろう。またロウが「パンク、ニュー・ウェイヴ・シーンの立役者」としてその名を知られるようになっていたこともあり、チャート・アクションこそ20,30位台と振るわなかったものの、注目を集めて絶賛された。
この2枚はかすかなルーツ・ミュージックからの影響を残しつつも、彼の持つポップ・センス全開の内容で、ひねくれたメロディの曲あり、親しみやすいキャッチーな曲あり、パンク的なハード・エッジな曲あり、ニュー・ウェイヴ的なアレンジの曲ありで、この2枚が彼のベスト作品との声も高い。皮肉とウイットに富んだ詞作もイギリス人らしいものである。特に、後者からシングル・カットされたCruel To Be Kindは、彼にとって唯一の全英トップ・テン・シングルとなった。
私生活でも、ジョニー・キャッシュの養女でカントリー・シンガーのカーレン・カーターと結婚して話題を振りまいている。こうして彼はプロデューサーとして、パンク、ニュー・ウェイヴの仕掛人としてだけでなく、イギリス人らしいポップ感覚を持ち合わせたアーティストとしても注目を浴び、多くのアーティストの尊敬を集める存在となったのである。 だが、こうしてニックが注目を浴びるようになると、盟友・デイヴ・エドモンズとの関係が危うくなった。ロックパイル結成当初は、エドモンズを同郷の大先輩として尊敬し支えていたロウだが、彼自身の地位向上と共に関係が微妙に変化しはじめたのだ。80年、待望のロックパイル名義のアルバムSECOND OF PLEASUREを発表するも、結局その直後にロックパイルは解散。エドモンズとの関係も悪化して、2人は決別してしまうのである。 近いようで遠いキャラクターの2人の関係が長く続かなかったのは当然の結果といえなくもないが、やはり残念に思う。 |
| ロックパイル解散後もエドモンズを除くロックパイル組や元エースのポール・キャラックを従え、妻・カーレンとの共作を含む意欲作NICK THE KNIFE(82年)、キャラックやルーモアのマーティン・ベルモントからなるツアー用バンド、ノイズ・トゥ・ゴーを従え、レゲエ、R&Bのエッセンスもとり入れたTHE ABOMINABLE SHOWMAN(83年)、ブレンズリー時代を思わせるカントリー風サウンドで、一部エルヴィス・コステロも共同プロデュースで参加したHIS COWBOY OUTFIT(84年)、かつてエドモンズに贈ったI Knew The Brideのセルフ・カバー、
コステロやジョン・ハイアットのカバーを含み、一部でヒューイ・ルイスがプロデュースを担当したROSE OF ENGLAND(86年)と、コンスタントにアルバムを発表。ただロックパイル解散、パンク、ニュー・ウェイヴの衰退以降、彼自身で特定のムーヴメントを起こしたり、シーンをリードしたりすることはなくなり、マイ・ペースな活動を行うようになった。よって、もともと彼はチャート上で成功を収めるタイプのアーティストではなかったが、それだけでなく次第に一部の熱狂的なファン以外に注目を浴びることが少ない、マニアックな存在と化してゆく。とはいえ、実は彼はもともとマイ・ペースに活動するタイプであり、
70年代末の「パンク、ニュー・ウェイヴの立役者」だった頃だって、「時代をリードしてやろう」と狙ってやったわけじゃなく、自分がやりたいようにやっていたら結果的に時代の要求と合致していたというのが事実ではないだろうか。私には彼がそこまで計算高いタイプのアーティストには思えないのである。よって、彼のスタンスがこの時期になって大きく変わったというわけではないように思う。ただ作品のクオリティは、70年代末の2枚のアルバムと比べると若干分が悪いという印象は否めない。 86年、一時は共作までして人前で熱いところを見せていた妻・カーレンと離婚。その一方で86,87年の数回のセッションの曲を寄せ集めた88年のアルバムPINKER AND PROUDER THAN PREVIOUSの1曲で、絶縁していたデイヴ・エドモンズがプロデュース。そのエドモンズは、続く90年のPARTY OF ONEでは全面的にプロデュースを担当。2人の関係修復も噂されたが、このセッション中に2人の間に何かあったようで、エドモンズが「今後も一緒に仕事をするかどうかは分からない」と発言、以降2人の共演はないのが残念なところだ。とはいえ、92年には、 ライ・クーダー、ジョン・ハイアット、ジム・ケルトナーとともに「スーパー・バンド」、リトル・ヴィレッジを結成、アルバムLITTLE VILLAGEを発表している。玄人好みのメンバーの集まったこのバンドは、いかにもこのメンバーのやりそうなルーツ・ロック的な渋い内容である。ただし、ロウはボーカルをとっておらず、ライとハイアットの色が強いのでロウのファンには物足りないかも・・・。結局ツアー中にライとハイアットが衝突、このバンドはアルバム1枚のみで解散している。 こうして良質な作品を発表し続けながら停滞期に入った感も強かったロウだが、94年発表のアルバムTHE IMPOSSIBLE BIRDで大きな変化を見せた。ここにはかつて「ニュー・ウェイヴの申し子」として注目された頃の彼の姿はなく、枯れた、渋味のあるサウンド、パーソナルな詞作を打ち出して古くからのファンを驚かせた。その路線は98年発表のDIG MY MOODで完成の域に達した。ここではジャズ・ボーカルを思わせる曲までも収録。50歳に近づき、円熟期に入ったことを実感させられる。正直ノリのよい曲が全くなく、静かで枯れたジャズ風の曲まで収録したこの作品を聴いた私は 大変な違和感を覚えた。だけど、98年3月の来日公演に足を運び、このアルバムからの曲を生で聴いた時、印象は大きく変わった。ウイスキーを片手にこれらの曲を聴いていると、ロンドンのパブにいるような錯覚に陥った。もともと「パブ・ロック」とは音楽のスタイルを指す言葉ではなく、こうした「空気」を表現する言葉であると思う。そうした意味では、これらの曲は「パブ・ロック」という言葉にふさわしいという想いを強くした。どんなに派手な活動をしても、「パブ・ロック」という原点を忘れなかったロウだからこそ生み得た極上のアルバムがDIG MY MOODだったということであろう。 つまり、今のロウはロックパイル時代以来の2回目の絶頂期を迎えているのではないかと思うのである。 以上見てきたように、パブ・ロック、パンク、ニュー・ウェイヴ、パワー・ポップなどのシーンの立役者として活躍しながら、彼自身は大ヒットを出したり、派手な活動をして注目を浴びるということはほとんどなかった。だけど、良質でイギリス人らしいポップ感覚を持った彼の作品は、いつも多くのファン、及びアーティストに影響を与え支持されてきた。残念ながら「最近のレコード制作の方法に疑問を感じる」とかで、プロデュース活動は一時期ほど積極的に行っていないが、 きっとプロデューサーとしても復活してくれるだろう。個人的にはもう一度エドモンズと組んで来日して欲しいと思っている。いずれにしても、今また2度目の全盛期を迎えたこの人からは当分目が離せそうにない。 |
| ブレンズリー・シュワルツ、ソロ時代のデビュー以来発表されたアルバムに関しては本文中で述べてきたが、他に複数の編集盤が存在する。ブレンズリー時代のベスト盤は複数出ているが、収録曲に大差はなく、どれを買っても問題ないと思う。ソロ時代のベストもそれは同様である。他には本文中で述べたディスコ・ブラザーズ、タータン・ホードなどの変名で発表されたレアなテイクを中心に集めたWILDERNESS YEARSという企画盤も発売されている。「オリジナル・アルバムでどれか一枚」ということになれば、 私は迷わず79年のセカンド・ソロLABOUR OF LUSTをお勧めしたいところだ。 |
●LABOUR OF LUST
1.Cruel To Be Kind、2.Crackin' Up、3.Big Kick, Plain Scrap!、
4.Born Fighter、5.You Make Me、6.Skin Deep、7.Switchboard Susan、
8.Endless Grey Ribbon、9.Without Love、10.Dose Of You、11.Love So Fineプロデューサー:ニック・ロウ 日本盤CD:FIEND CD-182(MSI)
購入時期 1997年
ロックパイルの一員としてニュー・ウェイヴ・シーンの立役者として注目を集めていた79年に発売されたセカンド・ソロ・アルバム。全面的にロックパイルのメンバーがバック・アップ、事実上ロックパイルのアルバムといっても差し支えないだろう。また7.Switchboard Susan(パブ・ロック・アーティスト、ミッキー・ジャップの作品)を除く全曲が彼の単独作品、または他人との共作ということで、ソング・ライターとしての彼の実力が発揮された文句なしの名盤である。 とにかく多彩で良質な作品揃い。いきなり彼唯一のシングル・ヒット曲で、ポール・マッカートニーにも通じるポップなメロディの1.Cruel To Be Kind(ブレンズリー・シュワルツ時代にイアン・ゴムと共作)ではじまるが、その後クールでひねくれたメロディの2.Crakin' Up、引きつったようなユニークなリズムの3.Big Kick, Plain Scrap! へと続く。最初に万人に受け入れられそうな親しみやすい曲で引き付けておいて、その後に一筋縄ではいかないような雰囲気の曲を2曲続ける構成は、なかなか心憎く、彼の本領発揮といったところだ。 その後も、ヒューイ・ルイスのハーモニカをフューチャーしたストレートな4.Born Fighter、アコースティックな5.You Make Me、マージー・ビート風の6.Skin Deep、軽やかでキャッチーなカントリー・ポップ9.Without Love、60年代ポップを思わせる10.Dose Of You、ワイルドなR&R11.Love So Fine(ニックとロックパイルのメンバーの共作)と見逃せない曲が続く。エドモンズをはじめとしたロックパイル勢のバック・アップも見逃せないところだ。 このように、親しみやすいポップ、R&R、ひねくれたポップ、カントリーやR&Bなど、多彩な曲が混在しており、彼のソング・ライターとしての底力を思い知らされる。そうした楽曲と、ロックパイル勢の好サポートがうまく溶け合っているわけで、楽曲、演奏ともに文句のつけようがない。R&R、ブリティッシュ・ポップ、パワー・ポップ、パブ・ロックなど、多くのジャンルのファンに聴いて欲しい文句なしの名盤である。しかし、国内発売された当初の日本語タイトルが「いかした愛の放浪者」だったというのはちょっと恥ずかしい(笑)。 *アルバム好感度 90
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| もう一枚、エドモンズの特集の時に触れることのできなかったロックパイル名義の唯一のアルバムSECOND OF PLEASUREにも触れておきたい。 |
●SECOND OF PLEASURE
1.Teacher Teacher、2.If Sugar Was As Sweet As You、3.Heart、
4.Now And Always、5.Knife And Fork、6.Play That First Thing [One More Time]、7.Wrong Way、
8.Pet You And Hold You、9.Oh What A Thrill、10.When I Write The Book、11.Fool To Long、12.[You Ain't Nothing But] Fine Fine Fine、
13.Take A Message To Mary、14.Crying In The Rain、15.Poor Jenny、16.When I Will Be Loved?プロデューサー:ニック・ロウ 日本盤CD:FIEND CD-28(MSI)
購入時期 1994年頃
結成以来エドモンズとロウが別々のレーベルと契約していたがために、バンド名義でのアルバムが発表できずにいたロックパイル。このアルバムは80年になってようやく発売されたロックパイル名義のアルバム。しかし、発表された時には既にエドモンズとロウの関係はこじれており、結局これが ロックパイル名義の唯一のアルバムとなってしまった。 ロックパイル名義でははじめてだが、これまで述べてきた通り、この時期のエドモンズとロウのアルバムは全面的にロックパイルがバック・アップしており、事実上ロックパイルの作品といってよい内容だった。しかし、初めてのバンド名義のアルバムということもあって、エドモンズとロウが交互にボーカルを担当、一部では ビリー・ブレムナーがボーカルをとるなど、よりバンドとしてのカラーを強く打ち出している。エドモンズのカラーはジョー・テックスの2.If Sugar Was As Sweet As You、チャック・ベリーの9.Oh What A Thrillなどのカバー・ソングに色濃く出ている。しかし、当時乗りに乗っていたのはむしろロウの方だったということもあってか、 アルバム全体にはロウの個性の方が色濃く出ている。ロウの単独作品は6.Play That First Thingの1曲のみだが、ロウとロックパイルの共作とクレジットされている3,4,8,10,11も、ロウ主導で作られたことは間違いなく、ここでもソング・ライターとしての実力を発揮している。特にロウらしいポップ・チューン10.When I Write The Book (エルヴィス・コステロの名曲Everyday I Write The Bookは、この曲への返答歌)、オールディーズっぽいメロディで、ビリー・ブレムナーにボーカルを譲った3.Heart(ロウはレゲエにアレンジして82年の自らのアルバムNICK THE KNIFEに収録)は、人気の高いナンバーである。7.Wrong Wayは ロウがプロデュースも手がけたニュー・ウェイヴ・ポップ・バンド、スクイーズのクリス・ディフォード&グレン・ティルブルックの作品である。また、4,8,11などで聴かれるエドモンズとロウのハモリを聴いていると、「パブ・ロック界のレノン=マッカートニー」と呼びたくなってしまう。あと、私の勉強不足でオリジナル・アーティストが誰だか分からないが 1.Teacher Teacher(Pickett/Phillipsとあるのでクリエイションと信じていたが、ライナーに「ウィルソン・ピケットのカバー」とあり混乱している)、ストレートなR&R、12.Fine Fine Fine(F.Soileau/S.Siminersとクレジット)の2曲もこのバンドならではの演奏ぶりで気に入っている。 LP時代のアルバムの本編だったのは実は1〜12。残りの13〜16は、LP時代には付録のEPとして付いていたテイク。全曲エヴァリー・ブラザーズのカバーで、エドモンズ&ロウのみのレコーディング。2人の見事なハモリが聴けるテイクで、とても2人の仲が最悪だったとは思えないほど息の合ったものである。 とにかく、唯一のロックパイル名義のアルバムだし、エドモンズとロウのボーカルを同時に聴けるのは嬉しいところではある。だけど、既にバンド自体は末期状態にあったということもあってか、アルバムとしてのまとまりは今一つ。正直、このアルバムを聴くよりは、同時期のエドモンズとロウのソロ・アルバムのテイクを寄せ集めて自分でオリジナル・テープを作った方が よりよい「ロックパイルのアルバム」が作れそうである。本当に「もっと早くロックパイル名義のアルバムが作られていれば・・・」と悔やまれるところだ。「ロックパイルの魅力はライブでこそ発揮された」とのリアル・タイム・ファンの声もあるようだから、発掘もののライブ盤などが発売されることを期待したいところだ。 なお、先に述べた通りロウのベスト盤は多数出ているが、私が所持しているのはBUSTER;THE BEST OF NICK LOWEというものであり、初心者には最適だと思う *アルバム好感度 70
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*:1998年12月30日UP
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