THE WHO ALBUM GUIDE

第2回

      
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(3)THE WHO SELL OUT

収録曲
1.Armenia City In The Sky (アルメニアの空)、2.Heinz Baked Beans、3.Mary Anne With The Shaky Hand、4.Odorono、5.Tattoo(いれずみ)、 6.Our Love Was (過ぎ去りし二人の恋)、7.I Can See For Miles (恋のマジック・アイ)、8.Can't Reach You、9.Medac、10.Relax、11.Silas Stingy(けちのサイラス)、 12.Sunrise(夜明け)、13.Rael [1 And 2 ]
                  
発売1967(英)
プロデューサーキット・ランバート
メンバーピート・タウンゼンド(g,key,vo)
ロジャー・ダルトリー(vo)
ジョン・エントウィッスル(b,horn,vo)
キース・ムーン(d)
手持ちのCDP28P-25084(ポリドール)
購入時期1996年頃


  ファースト・アルバムMY GENERATION発表後、シェル・タルミーとの確執によりレーベル移籍、セカンドA QUICK ONEは移籍先のリアクションから発売されたわけだが、その後クリス・スタンプ&キット・ランバートは自身のレーベル、トラックを設立。そのためこのサード・アルバムはそのトラックからの発売。というわけで、デビューから3枚連続で別のレーベルからアルバムが発売されるという異例の事態。デビュー時の彼らを取り巻くゴタゴタを象徴するような出来事ともいえる。 ただし、バンドそのものは好調で、シングル・ヒットも連発、楽器壊しなどの激しいライブ・パフォーマンスも評判を呼んでいた。さらに67年には今や伝説となっているモンタレー・ポップ・フェスティバルでの壮絶なパフォーマンスにより、ザ・フーの名はイギリスのみならず、世界中のロック・ファンにも知れ渡るに至った。そんな中発売されたのがこのサード・アルバム。1967年といえばビートルズのSGT. PEPPERSに象徴されるサイケデリックとコンセプト・アルバムの時代。そんな時代を反映してか、このアルバムもコンセプト・アルバム的なトータル性を持ったものに仕上がっている。 テーマは「海賊ラジオ放送局のオマージュ」。当時のイギリスでラジオといえば国営放送のBBCのみ。ロックはほとんどかからず、若者にとってラジオは退屈なものだった。そうした若者の不満を解消していたのが、違法な海賊ラジオ局だったといわけ。しかしそうした海賊ラジオ局は67年頃には規制によって壊滅状態。その海賊ラジオ局へのトリビュートがこのアルバムのコンセプト。海賊ラジオ局が当時よくやっていたように、曲と曲との間にジングルを入れたり、CMを入れたりして、ラジオ放送風にアルバム全体をまとめあげている。さらにジャケットで、実在する商品の架空の宣伝広告を作りあげてしまっている。 つまりラジオ局のオマージュのみならず、アルバムで実在の商品の宣伝までやってしまうというポップ・アートの手法までとり入れているというわけ。SGT. PEPPERS以降の「コンセプト・アルバム・ブーム」の中で、ロック界には多くのコンセプト・アルバムが生まれたが、こうした広告やラジオなど、他のメディアとの融合を掲げたものは他に例がなく、「単にブームに乗った」内容には終わっていないあたりはさすがである。

  また、サウンド的には決して「サイケ」になっていないあたりも注目。一部でこのアルバムを「サイケ」という人もいるけど、私には「サイケ」な要素は感じられない。むしろここでは、アコースティック・ギターを多用したポップなナンバーが多い。確かに彼らにはデビュー時から「ポップ」な側面はあったが、ここでは初期のような「ビート・ロック」的なポップさは影を潜め、むしろアコースティックで繊細な、ソフト・ロック的な作品すら目につく。 デビュー当初の「モッズ=ビート・ロック」とも、70年代以降のハード・ロック的なサウンドとも、また当時話題になっていた破壊的で破天荒なライブ・バンドというイメージとも大きくかけ離れたサウンドに仕上がっているあたりが面白い。そうした色が濃いのは3.Mary Anne With The Shaky Hand、5.Tattoo、6.Our Love Was、8.Can't Reach You、12.Sunriseといったあたり。ポップなメロディに繊細かつ、アコースティックなサウンドやボーカルが乗る。 一方1.Armenia City In The Skyはこの後、ピートのバック・アップでサンダークラップ・ニューマンのメンバーとしてデビューするジョン・スピーディー・キーンの作品で、この曲のみ若干サイケ的に聞こえなくもないが、それはピートのファズ・ギターとジョンのホーンによるところが大きく、それを考えれば「いつものザ・フー」しているに過ぎない。7.I Can See For Milesはヘビーで破天荒な演奏がザ・フーらしい、シングル・ヒット・ナンバーだが、逆にこのアルバムの中では若干浮いて聞こえてしまう。何重にもダビングされたギター、暴れまわるキースのドラムと、本当にザ・フー以外には演奏できないと思われるような構成、一方でポップなメロディも兼ね備えた大傑作。ピートにとっても自信作だったようだが、アメリカでは初のヒットとなったものの、全英10位と本国では思ったほどの結果は得られず。 ピートがこの後「アルバム中心主義」に走っていくのは、この曲のチャート上の成績のせいかもしれない。 ラストに収められた13.Rael [1 And 2 ]は、いかにも「TOMMY前夜」を思わせるロック・オペラ形式の大作である。

  というわけで、初期のようなビート・ロックでもなく、70年代以降のようにハード・ロック然ともしていない、まさに過渡期の1枚。しかもアコースティック主体のポップ・アルバムという、ザ・フーの全ディスコグラフィの中でも異色のサウンドに仕上がっている。故に初期のファン、70年代以降のファン、双方からもあまり語られる機会がないアルバムでもある。しかも「SGT. PEPPERSの影響で」云々と安易に語られて軽視されがちのアルバムでもある。しかし忘れてはいけないのは、ピートという人は「破天荒な一面と、繊細な一面を兼ね備えた」パーソナリティと作風を持った人であるということ。その後者の色が強く出た結果が、ここで聴けるサウンド、作風だとしたら、 これもまたザ・フーというバンドと、ピート・タウンゼンドというソング・ライターを語る上で重要なアルバムといえるのではないか。確かにザ・フーの歴史を語る上では過渡期、しかも異彩を放つアルバムではあるけど、こうした繊細なサウンドが魅力的な1枚である。個人的には5.Tattooと8.Can't Reach Youがベスト・テイク。ザ・フーの全キャリアを通じて、最も好きな「繊細系」のナンバーである。また、現在では録音されながらボツになったジングルなどをボーナス・トラックとして収録したCDが一般的なようなので、これから購入する人にはそっちをお勧めしたい。

   アルバム好感度     80


(4)TOMMY (ロック・オペラ「トミー」)

収録曲
Disk-1:1.Overture(序曲)、2.It's A Boy、3.1921、4.Amazing Journey(すてきな旅行)、5.Sparks、 6.Eyesight To The Blind(光を与えて)、7.Christmas、8.Cousin Kevin(従兄弟のケヴィン)、9.The Acid Queen、10.Underture
Disk-2:1.Do You Think It's Alright(大丈夫かい)、2.Fiddle About、3.Pinball Wizard(ピンボールの魔術師)、4.There's A Doctor(ドクター)、5.Go To The Mirror ! (ミラー・ボーイ)、 6.Tommy Can You Hear Me ? (トミー、聞こえるかい)、7.Smash The Mirror(鏡をこわせ)、8.Sensation、9.Miracle Cure(奇蹟の治療)、10.Sally Simpson 、11.I'm Free(僕は自由だ)、12.Welcome(歓迎)、13.Tommy's Holiday Camp、14.We're Not Gonna Take It (俺たちはしないよ)
                  
発売1969(英)
プロデューサーキット・ランバート
メンバーピート・タウンゼンド(g,vo,key)
ロジャー・ダルトリー(vo)
ジョン・エントウィッスル(b,vo,horn,key)
キース・ムーン(d)
手持ちのCDPOCP-2333-4(ポリドール)
購入時期1995年頃
  いうまでもない「ロック・オペラ」の大作。アルバム全体を特定のテーマでまとめ上げる「コンセプト・アルバム」という手法は、1967年のビートルズのSGT. PEPPERS以降、一般的になってはいたが、ここでは更にそれを一歩進化させ、まず最初にストーリーを作り上げ、 曲が連なっていくにつれてそのストーリーが進行していくという、ミュージカルやオペラのような手法がとり入れられているあたりが画期的。といっても「ロック・オペラ」という手法は、1968年のプリティ・シングスによるS.F. SORROWの方が元祖で、ピートも同アルバムからヒントを得たことは認めている。しかしプリティーズの同アルバムの場合、 発売当時は全く話題にならず、むしろ後年になって再評価されたので、「元祖」ではないものの「最初に成功を収めたロック・オペラ作品」ということができる。ストーリー自体は「父親が母親の愛人を殺害(映画では「愛人が父親を殺害」となっていたけど、これでは辻褄が合わない)する現場を目撃したがために、目と耳と言葉が不自由になるという三重苦を負った(Disk-1:3.1921)少年トミーが、様々な虐待(Disk-1:8.Cousin Kevin、Disk-2:2.Fiddle About、なぜか共にジョンの作、ボーカル:笑)を受けながらもピンボールの名手となり(Disk-2:3.Pinball Wizrad)、 さらに三重苦が回復した後、教祖と化し、カリスマとなる(Disk-2:8.Sensation)が、最後は失脚(Disk-2:14.We're Not Gonna Take It)、しかしその時、トミーは真の『悟り』を得る(See Me Feel Me)」というドラマティックなもの。いうまでもなくストーリーを考案したのはピートだが、これは当時彼がインド人伝道師、ミハー・ババに入信していたこと、そして彼自身が少年時代に虐待に遭っていたという生い立ちがあること、 そうしたことがこのストーリー誕生の大きな要因になっているのは間違いない。

  曲が連なっていくことでストーリーが進行していくわけだが、その中にはDisk-2:1.Do You Think It's Alright、Disk-2:6.Tommy Can You Hear Me?、Disk-2:13.Tommy's Holiday Campのような、曲と曲との「繋ぎ」の役目を果たす小作もあれば、Disk-1:5.Sparks、 Disk-1:10.Undertuneのようなインストもあり、さらにはストーリー展開上においても、アルバム全体の構成上においてもハイライトともいえるDisk-2:4.Amazing Journey、Disk-1:9.Acid Queen、Disk-2:3.Pinball Wizzard、 Disk-2:11.I'm Free、Disk-2:14.We're Not Gonna Take Itのようなナンバーもある。しかし小作やインストといえども、そうしたハイライト的ナンバーと同等の存在意義を持っており、しかも「この曲順でなければ成り立たない」と思えるほど絶妙な構成力を持っている。「ストーリー性のあるアルバム」というものは、得てしてストーリーを重視するあまり、 「1曲ずつを抜き出して聴くとショボい」とか、「繋ぎとしてのみ存在する、完成度の高くない曲が含まれている」ってケースは多いんだけど、本作にはそうした要素は微塵も感じられない。実際Disk-1:9.Acid Queen、Disk-2:11.I'm Free、さらにDisk-2:14.We're Not Gonna Take Itの最終パート(と私は思ってるんだけど、 実は「ノークレジットで収録されているシークレット・トラックだ」とする人もいるよう)See Me Feel Meのように、ライブで頻繁に演奏され、しかもライブにおいてもハイライトとなっていることや、Disk-2:3.Pinball Wizardがストーリやコンセプト云々抜きのところで、シングル・ヒットしていることを思えば尚更、そのことを強く認識させられてしまう。またDisk-1:6.EyeSight To The Blindは、なぜかブルースマン、サニーボーイ・ウィリアムソンのカバーだが、同アルバムのストーリー、構成にピッタリとはまっているあたりが面白い。

  構成、楽曲の出来もさることながら、演奏力の向上も同アルバムの完成度を高めている重要な要因であろう。当時のライブ映像を見るとよく分かるが、1967〜1969年にかけて彼らは急成長している。1967年の「モンタレー」などの映像では、パフォーマンスこそ破天荒だが、演奏のスタイルはビート・バンド然としたものである。それが68年(例:「ロックン・ロール・サーカス」)、69年(例:「ウッドストック」)と年を追うごとに、急激にハード・ロック的なダイナミックでスケールの大きなバンドへと変化している。 このアルバムでもその変化は確実に現れている。そのコンセプトの壮大さに反し、ここではストリングスやブラス隊などのサポート・ミュージシャンを排し、あくまでも4人によるバンド編成の演奏(ホーンはジョンが担当)に徹しきっている。一歩間違うと「音がペラペラで奥行きや広がりのないサウンド」になりがちなはずだけど、そうはなっていないのは、4人の演奏力の向上によるところが大きい。どちらかというと「ライブでの大暴れ」ぶりばかりが取り沙汰されるバンドではあるけど、たった4人で緻密かつシンフォニックで壮大な音も作り上げたという事実は驚愕ものである。 といっても「緻密」ではあっても、彼ら本来の破天荒な一面もちゃんと垣間見えるわけで、この辺のバランス感覚も素晴らしい。そしてロジャーのボーカルも役柄によってボーカルのスタイルや声色を変えるなどして変化をつけているあたりが見事。彼のボーカリストとしての成功ぶりも注目だろう。

  こうして「ロック界で最初に成功したロック・オペラ」となった本作の成功により、ザ・フーは一気にビートルズやストーンズとも並び称される超大物バンドと化したばかりか、本作はその後もロジャー主演で映画化されたり、ブロードウェイでミュージカル化されたりということで、単なる「ロック界を代表するコンセプト・アルバム」としてのみならず、純粋なアート作品としても高く評価されるに至っている。とはいえ、私の第一印象は決してよいものではなかった。確かに「ロックのアルバムでひとつの文学作品を作ってしまった」ということ、 その凄さはよく理解できた。楽曲自体もよい曲が揃っていると思った。だけど英語が分からない分、ストーリーを追いながらアルバムを聴き進めるという作業は、かなりの労力を要する。そのことは時として「面倒」だと思ったし、「聴く前に襟を正して心の準備をして」向き合わなければいけない、そんな「重い」存在だという感がどうしても拭えなかった。また、同アルバムを先に「緻密かつ、シンフォニックなサウンド」と評した私だけど、一方でライブでの破天荒な彼らの演奏ぶりに心引かれてザ・フーにはまっていた私から見ると 「ライブと比べるとおとなしい」という印象しか持てなかったのも事実。どの曲もライブの方が数段素晴らしいと思ったし、特に「ウッドストック」をはじめとした、高揚感ある名演の多いSee Me Feel Meに至っては、あっさりフェイド・アウトして終わってしまうのがこの上なく寂しく思えた。そうした2つの要因から「確かに凄いけど、でもなあ」という感が強く、私にとっては思い入れの抱きにくいアルバムであった。

  とはいえ、2004年のザ・フー初来日前に出た多くの雑誌のザ・フーの特集を読んでいるうちに気持ちが変わっていった。まず「ストーリーの分かり難さ」について。実は歌詞を読んでも、大雑把なストーリーの流れは分かるが、細かい部分に関してはほとんど言及されていない。つまり「ストーリーは各自で、感じたままに好きなように解釈してよい」ということではないか。事実ピートも「映画盤を見てはじめて(ストーリー的に)分かった部分もあった」なんて述べてるくらい。つまり各自で感じて、解釈すればいいわけで、ならば「襟を正して心の準備をして」向き合う必要なんてないんだということに気がついたというわけ。 また「おとなしい」と思える演奏だが、「ライブとスタジオは別物」と解釈すれば、別に受け入れられないことはない。「ライブでは破天荒に、スタジオでは緻密に」という二面性もまた、ザ・フーの魅力であるはず。そう思えば、この演奏ぶりも称賛に値するものであり、「ライブよりおとなしい」と否定的に捉えるのは筋違いというもの。その2つのことに気がついた時、同作への捉え方は大きく変わった。聞き手各自で感じたままに解釈してよい、決して解釈や聴き方を押し付けたりはしない、だからこそ普遍的に、いつの時代にも受け入れられる。TOMMYとはそんな作品なんじゃないだろうか。「ストーリーの解釈がどうのこうの」などと同作品を前に議論するのはナンセンス。 各自が感じたままに受け取ればよい、そんな作品なのではないだろうか。なお、現在ではピートによるデモなどをボーナス・トラックとしてプラスした「デラックス・エディション」も発売されているので、これから買うという人には、そっちをお勧めしたいところ。

   アルバム好感度     80

                                                                   *:2004年7月22日UP


      
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