音楽い〜たいほ〜だい

  私の音楽との接し方を中心に書いたページです。あまり参考になることは思えませんが、私の音楽に対する思いが解かってもらえると思います。少し長いですがぜひお読みいただいて、ご感想・ご意見をいただければ幸いです。

  MASAYAと音楽の出会い

  •  初めて本格的に音楽を聴き始めたのは、やはり私の年代共通の認識というか、ご多分に漏れずもれずというか、「YMO」である。当時、1980年代初頭は、日本は工業製品では世界のトップレベルに到達したが、文化面ではまだまだ西欧文化第一主義で、日本のものといえばドメスティクなものでしかなく、ホントにカッコイイものは洋楽を聴くしかないという状況であったと思う。
     そのような状況下、「YMO」の世界席巻というのは、文化面でも日本が一流と認められたと、子供心にも日本も世界に通用する国になったと思ったものであった。(その後、ここで調子にのった日本は実態のないバブル状態に突入していくのである。)
     ただ、「YMO」も「SOLID STATE SURVIVOR」に代表されるテクノポップものから「BGM」・「テクデリ」に路線変更し、ブームを終焉させ、ついには散開、以降1980年代後半などは、その名前を出すだけでダサイというような不遇の時代を迎えるに至ったのである。

    高橋幸宏を聴きつづけて

     そのような時代の中でも、私は頑なに高橋幸宏を聴きつづけた。そもそも私の知る限りでは、「YMO」のファンの中でユキヒロのファンというのは一番少ない。身近な人間にも「YMO」ファンだったというのは結構いるが、大方が教授ファンで、たまに細野さんという感じで、積極的にユキヒロというのはほとんどみられない。彼らに言わせると「教授と細野さんは唯一無二だが、ユキヒロは変えが利く」というのである。天才二人にそこそこのレベルの人間が緩衝材として入っているのであるということである。確かにユキヒロ本人の談などをみても、そのような面が否めなくもない。しかし、そのユキヒロがいなくては結局は「YMO」は成立もしなかったし、世界に影響をあたえることもなっかたというのは事実である。これは、何も「YMO」最大のヒットである「ライディーン」がユキヒロ作であるとか、「赤の人民服」(どうも明治時代のスキー服がモチーフらしいが)デザインはユキヒロであるとかいったレベルの問題ではなく、教授と細野さんという二者間では絶対に音楽的に共存できない才能を、合成しなおかつ単独ではなし得ないレベルまで到達させる(むしろ緊張感を緩和させるということかもしれないが)ことができるのはユキヒロしかいないという点でユキヒロも「YMO」にとって唯一無二の存在なのである。
     しかし、私にとって今述べたようなことは実はどうでもいいことなのである。というのも、私自身は「YMO」のファンというよりはむしろ高橋幸宏ファンだからである。もちろん、「YMO」も好きだし、ユキヒロへの導入はとりもなおさず「YMO」なのであるが、やはり「YMO」のなかでも惹かれる部分はユキヒロ的ポップセンスであることが大半である。(散開前のほぼ各人のソロ寄せ集めともいえる「サービス」において、当時ほとんどの人間は、一番の出来を教授作の「Perspective」としていたが、私はユキヒロ作の「Chinese Whispers」挙げていた。)
     そんなこんなで、中学時代から高橋幸宏的世界(大人のワビ・サビの世界)を聴き続けてきた訳だが、年を経るにつれ、字面の理解から頭の理解そして心の理解へと、より幸宏的世界の味がわかるようになってきたが、それにともなってさらに深い世界が続いていることもわかってきて、より一層の人生修養を積まなくてはいけないと認識させられてしまうのである。(でも、まだまだ高橋幸宏を追いつづけていけるということに、期待も広がるということでもある。)

    谷村有美とGIRL POP

     このような感じで、中学・高校と高橋幸宏とその周辺(Steve JansenやICE HOUSE等含む)聴きつづけてきたが、大学に入ったころから、少し音楽の幅を広げてみようと思い、何か別ジャンルの音楽を探すようになった。当時カラオケに行ったときなどはよくサザンなどを歌っていたが、それはどちらかというと身近にサザン好きが多かったからで、積極的に聴く音楽とは違うと感じていた。ただ、何か良いものはないかと幸宏系をメインとしながらも、広く音楽を聴いていた。そのような状況の中で、谷村有美の曲との出会いがあった。谷村有美をなぜ聴くようになったかというのは、ほとんどどうしようもない理由である。はっきり言ってしまうと、大学のクラスの友人が「谷村有美の顔が当時クラスのマドンナ的(?)存在であった女性に似ている」と言ったからである。それまで、谷村有美については、FM横浜の番組やTBSの朝の番組などで名前ぐらいは知っていたが、はっきり言ってその程度で、ほとんどアイドルと同じようなものだと思っていた。だから、初めてCDを買ったのは、楽曲に惹かれたといよりは、初回特典版についているブックレットが欲しかったからといってもまんざらウソではない。しかし、そのCD「愛は元気です。」を聴いてみると、今までの幸宏系からは得られない等身大の世界がそこにあった。確かに高橋幸宏の音楽は、楽曲も非常に凝っていて詞の世界もいかにも大人の世界なのだが、それはあくまで構えて聴くものであり、自分の日常とは係わり合いの薄いものであった。それに比べ、谷村有美は気軽に聴ける、いわば女の子の友達とおしゃべりをしている感覚で楽しめるものという感じをうけた。といっても内容が薄いのかと言うとそうでもなく、むしろ内容が等身大であるが故に余計に心に響くものがあった。
     これをきっかけとして、谷村有美の世界にはまっていった。これ以前にリリースされたアルバムはもちろんのこと、同時期に発売された本「愛は元気です。」やラジオ(またこちらはいい意味で音楽とのギャップがありそれはそれでよかった)などからどんどん世界を吸収していったのである。今思うとこの時期が多分私を含めて谷村有美のファンが一番増えた時期で、いわば谷村有美の第一期の頂点ともいえる時期ではなかったのではないか。「カジュアルで前向きでみんなに元気を与える谷村有美」というイメージが出来上がった時期だと思われる。特に私などは大学も同じということもあり、ホントに身近な女の先輩という感じで聴いていたという感じである。
     ただこのような感じを受けたのは私だけではなく、むしろ時代が求めていた感覚なのか、このあといわゆる「ガールポップブーム」なるものが巻き起こるのである。(しかし私は当時学生で実感はまったくといっていいほどなかったが、時代はバブル崩壊で暗い方へと突き進む中で、明るく元気なものにすがろうとしていたのではないかと思うと何か消える前の炎みたいな現象だったのかも知れない)そのような中で、谷村有美自身は、カジュアル・元気路線から女性としての自分・生き方を素直に捕らえ直す方向に転換していくが、結局自分(あるいは当事者)の感情をできるだけ直線的に訴えかける路線というのは周りに浸透していき、久宝留理子・橘いずみ・井上昌己をはじめとしたガールポップアーティストが音楽界(特にキャンパスミュージック界)を賑わし、それぞれのフォロアーを広げていくようになった。(特に久宝留理子に関しては、私は大ブレイク曲である「男」の前作で、恋人と肩を並べて一緒に人生を歩んで行こうという「涙の数だけ」を非常に気に入っていて、当時ほとんど無名だった久宝を絶対ブレイクするから、注目しておけといっていて、やはり本当にブレイクしたのを誇っていた思い出がある。)ちょうど「GIAL POP」誌が創刊されたのもこのころである。余談ではあるが今手元にガールポップの2号があるので見てみると、(実は創刊号も持っているのだがどこか行方不明になってしまった。)発行が1992年で表紙が、奥居香と森高千里、谷村有美・永井真理子らが特集になっている。今は名前もほとんど聞かなくなってしまったが、ブームでは中核選手であった佐藤聖子・相馬裕子などの名前も載っている。
     しかし、自分の気持ちを素直に歌い上げるというガールポップの世界も、私が大学を卒業した頃からだんだん変わってきて、時代の受け入れる音楽は小室系が代表する辣腕プロデューサーとその高度な要求に応えられる歌唱力のあるシンガーという図式に変わり、音楽的なレベルよりは自分の心情を重視したいわゆる「ガールポップ」はだんだん時代の表舞台から遠ざかっていった。それを表すように現在の「ガールポップ」誌はほとんどその手のシンガーが中心であり、創刊当時からの「ガールポップアーティスト」はほとんど見受けられなくなった。(そのような流れの中で、私も「ガールポップ」誌を購読しなくなってしまったので、現在同誌がどのような内容になっているのか詳しくは知らない。)ただ私個人としては、身近な気持ち・等身大の世界というものに惹かれていたため、今のような状況はあまり好ましいと思っていない。ある意味、辣腕プロデューサーのお仕着せの世界ならば、私には、音楽との出会い以来常に聴きつづけている高橋幸宏があり、それに勝るものは今の所ないのである。逆にプロデューサーが作り上げる世界のなかでは、技術力はまだまだだが、その有り方・ある意味等身大の世界が常に報道され露出している「モーニング娘。」の方が興味深い存在なのである。

    プリンセスプリンセスとローリングストーンズ

     このようにガールポップを聴いてきたうちで、ひとつまた新しい世界への扉を見つけるきっかけを作ったのがプリンセスプリンセスである。本質的にプリプリがガールポップなのかということには疑問が残るが、私がガールポップを詞の内容中心に聴いていたという視点からみれば、中山加奈子・富田京子の2大作詞家を要していたプリプリは自分としては、ガールポップの範疇に含めて考えても差し支えないと思われる。ただ他の、いわゆるガールポップアーティストとプリプリとの違いは、やはりプリプリはバンドであるために、各人の楽器演奏というものに注目せざるを得ない。他のガールポップを聴く時は、演奏そのものを特に傾聴していたわけではないが、プリプリをきくようになって、楽器というものを改めて認識させられた。そうは言っても、YMOや高橋幸宏を聴く時は、演奏にこだわるという聴き方をしていた訳で、ここで改めて曲に注意を払ったという訳ではないが、ある意味等身大の人間が、楽器を演奏する、そのことを通じて楽器の音色・タイミング等の演奏的なことがより身近に感じられるようになったのは、プリプリを聴くようになってからである。
     しかし、プリプリに関してもガールポップに注目するようになる前は、深く聴いたことがなっかたため、またかえって「ダイアモンド」などのヒットナンバーがあったため、バンドの形態をとったアイドルのような認識しかなかった。だが、やはりかなりの下積みを積んできたバンドだけあって、表現力それも楽器での表現力もかなりあり、私もバンドという表現に興味を抱くようになった。そこでよりバンドものを聴くべく、空いた時間等にバンドものを広く聴いていたが、その中で私を強く惹きつけたのは、月並みといえばそれまでだが、「ローリングストーンズ」である。
     ストーンズを聴くようになったきっかけは、また例によって大した理由ではなく、プリプリの本「たった5つのさえたやり方」の中山加奈子の写真にストンーズのベロマークがついていたのが印象に残り、ストーンズでも聴いてみるかと思ったからである。ところで、ストーンズの何に惹かれたかというと、言葉に表すのは非常に難しく抽象的になってしまうが、やはり「バンド」としての一体感だと思う。ご承知のようにストーンズは個々のメンバーのプレイに注目して聴くと、メンバー各々がばらばらの個性をもっている。簡単に言ってしまえばまとまりがないのだ。だが、バンドとしてストーンズを捕らえると、まさしく一体そのものなのだ。このことは、私も音楽の感受性と文章の表現力が未熟なためうまく表現できないが、逆にこのうまく表現できない感覚こそストーンズの音楽の魅力なのだと思う。特に60年代のビートルズの2番煎じだった頃よりも、70年代以降にこの傾向が強いような感じがするため、ストーンズと言えば、私にとっては70年代以降という感じである。(もちろんベッガーズバンケットなども聴くが)そして、この「ばらばらの個性が作り出す一体感」という感覚が後述するが、今一番興味をもって聴いているJAZZへ通じるものだと思っている。とにかくストーンズと出会ったことでこの「一体感」という感覚をつかみ、音楽を聴く・楽しむということに、非常に大きな要素を加えることができた。またそれを導きだしたプリプリにも感謝している。ともすると、プリプリなどはなから馬鹿にしてしまいがちだが、やはり何の音楽でも興味を持って聴いてみることは思わぬ広いものがあると言うことかもしれない。

    JAZZ−よりヒップな音楽を求めて−

     前項でも述べたように、「個性が作り出す一体感」それが私の現在音楽に求めている最大の要素だ。この感覚こそが、私にとってのヒップなのだ。ストーンズを聴くようになって、この感覚を得た私は、よりヒップな音楽を求めて、ストーンズのルーツでもあるブルース(特にシカゴブルース)やその他R&Bなども聴くようになった。やはりこの分野も奥に進めば進むほど、よりヒップな音楽を聴くことができた。しかし、そこで得られるヒップ感はどちらかというと、個性重視で音楽としての一体感はストーンズほど絵得られないものが大半であるといわざるを得なかった。それでも、この分野もほんのさわり程度しか聴いていないこともあって、さらに精進を重ねようとしていた。私のJAZZとの出会いはそんな時であった。
     JAZZを聴き始めたのも、やはり些細な理由で、ちょうど近所のコミニティFMとして、G-Windという放送局が開局し、夜はNON-STOP JAZZと称して、6時間位JAZZを流しっぱなしにしていた。まだ基本がポップス・ロック系であった私は、JAZZを難しい音楽、大人の音楽(というか年配者の音楽)という認識で、ラジオを聴いている多くが若者であるこの時間にこんなものやらなくてもいいんじゃないかと正直思っていた。だが、ここでは話題がそれてしまうので触れないようにしていたが、実は私は地元意識が非常に強く、郷土発展を強く熱望しているので、地元にできたFM局を応援する意味でこのNON-STOP JAZZを聴くようになった。しかし、やはりJAZZは今まで聴いてきた音楽と違いただ聴いているだけでは、今一つ聴き所も解からず正直退屈な時間を過ごしていたともともいえる。特に当時のNON-STOP JAZZはブルーノートの4000番台のかけっぱなしで解説などはなく、初心者には不向きの番組であった。(今にして思えばあの時JAZZ鑑賞の基礎知識を身につけてもっと真剣に聴いていればよかった。)とにかく私はJAZZの入り口で挫折しそうになった。しかし、その時に幸運にもすばらしいCDにめぐり合った。それはビクターから出されている『勝手にジャズ』というもので、内容はビクター所有のレーベル(プレステッジ・リバーサイド等)の超有名曲をダイジェストしたサンプル版みたいなもので、ある意味このCDで金取るのもなんかなーというものだが、まったくの初心者にはお勧めの一枚である。マイルスやコルトレーン等JAZZファンでなくとも知っているようなビックネームが目白押しで、このCDを聴くとJAZZってこんなものなんだという感覚がつかめる。何しろ帯に書いてあるキャッチが「JAZZがむずかしいとだれが言った」である。そしてこのCDと後藤雅洋氏や寺島靖国氏の著作などを参考にJAZZの知識面も増やすことによって、なんとかJAZZにとっかかることができた。
     しかし、一度JAZZの世界に入ってしまうと、このヒップ感は正直病み付きになってしまう。JAZZに何を求めるかは人それぞれであるが、私はこのヒップ感である。「個性のバトル&全体の一体感」である。ただここでの一体感というのは、音楽的な統一感とは違うのではないかと思う。統一感ではなく、むしろ個々人の気迫というか熱気の方向が同じ方向に向かい相乗効果を上げている状態である。故に私はピアノソロなどのソロものはあまり得意としていない。また60年代以降のマイルスや後期のコルトレーンのように強烈なリーダーシップで他のプレーヤーの個性をつぶしてしまうのもあまり芳しく思っていない。同じ強いリーダーシップならサイドマンを鼓舞し最高の状態へ導くように取り計らうアート・ブレーキーのようなものなら大歓迎である。私の求めるヒップ感はまさしくここに生まれるからである。
     という感じで、JAZZを聴くようになってから足掛け3年、まだまだ掛けだしなので、できるだけオーソドクスのものを中心にJAZZを勉強して行こうと、今はブルーノートのヴァンゲルダーシリーズなどを中心にCDを購入し、あとは休日に「DUG」のコーヒータイムや「マサコ」あと地元の「あんず村」等で過ごしている。(ここのレコードの感想等は別にコーナーを設けて、そこでまた言いたい放題したいと思っている。)なにあせることはないと思っている。流行に左右されるロックやポップスではないのだ。じっくり一生聴きつづけるためにもこのように聴いて行くのが一番良いと自分では思っている。

    現在そしてこれからの音楽生活

     長々と私の音楽の付き合い方を述べてきたが、現在の音楽の接し方は、やはり今一番はまっているJAZZが9割方を占めている。そうは言っても、他の音楽を聴かないと言う訳ではなく、特に今まで述べてきたアーティストについては(プリプリとストーンズは最近ほとんど聴いていないが)ずっと聴きつづけている。特に幸宏の世界や谷村有美の素直さなどはJAZZを聴くだけでは味わえないものだからである。再三述べたように、私はJAZZにはヒップ感を求めているが、逆にヒップ感以外のものはそれにふさわしいものがあってそこから聴けばよいのである。そしてこれからもしばらくの間はこのJAZZ9割、幸宏・GIRLPOPで残りの1割という音楽の接し方は変わらないだろう。ただ常に新しい何かを求めて、アンテナだけははっておきたい。これを読んでいる方たちにも、ぜひこれはと言うものがあれば教えていただきたい。そしてその何かにぶつかった時、聴くジャンルの比率は変わるかもしれない。しかし、比率がかわっても、幸宏・GIRLPOP・JAZZはそのなかにずっと入りつづけていくだろう。それだけ私の心を捉えて離さないものだからである。
     最後にここまで長々付き合ってもらったみなさまに心から感謝すると共に、少しは私の音楽鑑賞への情熱が解かっていただけたのではないかと思う。この文章を読んだからといってたいして役に立つこともないと思うが、多少なりとも音楽の世界の幅を広げることができることができれば幸いです。

  • 1999年2月20日