生いたちストーリー

中学校時代も男子の女神(アイドル)!?
歌手誕生ストーリー 思い出ひとつあなたへ

有希子が生まれ育った名古屋 家族 友だち 憧れの人…… いろんな思い出
のアルバムを紐といてみれば 懐かしさが帰ってくる 今思いかえす故郷物語


お茶目でオテンバ 気のつ
よ〜いコだった幼稚園時代
 昭和42年8月22日の正午近く、有希子は難産の末に
この世に生まれた。
「出産直前になって、辺縁性胎盤による異常出産とい
うことがわかったんです。帝王切開では手術に2時間
以上かかるから、なるべく自然分娩でがんばってみな
さいとお医者さんから言われて、必死の思いで生みました。産
声をきいた時は、カンゲキで涙がポロポロこぼれました」(お母さん)
 体重2700g、身長47cmと、小柄な赤ちゃんだったが、その後はよ
く飲みよく眠り、大した病気もせずにすくすくと育っていった。
「赤ん坊の頃は、食べるか寝るかのどっちかで、むずがったり夜泣きし
たりしない、ホント手のかからない子でしたネ」(お母さん)
 有希子が生まれたのは愛知県一宮市の桜助産院。一宮には親戚が多い
ので、有希子は今でもよくここを訪れるという。
「ちっちゃい頃の私は、とても活発で手のかからない子だったみたい!
ただ、ちょっぴりワガママな面もあったらしいの…」
 2歳2カ月の時、おじいちゃんが姉の千佳と有希子を遊園地に連れてい
った時のこと。有希子は“もっともっと!”とせがんだが、おじいちゃ
んは1回だけしか乗物に乗せずに家へ帰ってしまった。
 その晩、有希子は、寝るまでずうっと、おじいちゃんの顔をニラみつ
づけていたという。
 3歳の時はこんな“事件”もあった。よく遊びにいく家のネコが、い
きなり有希子めがけて襲ってきたのだ……!
「ホントは私の方が悪いの。おとなしいネコだったから、私いつもネコ
ちゃんのシッポをつかんで、さかさ吊りにして遊んでたらしいのネ。ネ
コの方はジーッとがまんしてたけどある時、回りの大人がみんないなく
なって、私とネコだけになった時、日ごろのウラミを晴らそうと、襲っ
てきたみたい。でも、小さい頃の出来事だから、あんまり覚えてないの」
 そんな有希子も、4つになり、名古屋市立旗屋幼稚園に入園した。一
家は、有希子が2歳の時名古屋市の熱田区に引越していたのだ。
 幼稚園は、家から歩いて20分ほどの所にあり、冬はスモック、夏はセ
ーラー服の制服を着て、有希子は毎日元気いっぱい通っていた。
「ハーモニカやオルガンもやらず、字も絵も書かせない珍しい幼稚園で
した。やることといえば、オニゴッコやかけっこばかり……」
 ヤンチャな有希子は、幼稚園の運動会で1等賞をとったり、園外活動
のサツマイモ掘り競争でも1位になるなど、ハツラツとした幼稚園生活
を送っていた。
「負けん気の強さもこの頃から目立ってきましたネ。大の注射ぎらいの
くせに、1人でお医者さんに行かせると、“注射おねがいします”“あり
がとうございました”なんてアイサツして帰ってくるし、幼稚園のお友
だちで誰か1人さか上りの出来る子がいると、夕方の5時くらいまで練
習して、とうとう自分も出来るようになったんです」(お母さん)
 そして、一方では、クラシックレコードをかけてバレリーナのまねを
してみたり、親戚の人が遊びにくると、オモチャのマイクを使って桜田
淳子などの物まねをするなど、かなりのタレント性を発揮していた。

学級委員をしたり学芸会で活躍
するなど目立った!?小学校時代
 名古屋に引越してからは、近くに公園がないこともあり、有希子は、
姉の通っていたYMCAの体育教室にせがんで入れてもらった。
「週に二回、一回30分ぐらい、母と一緒に体操したりお遊戯したりする
んです。YMCAは小3までやりましたが、小学校になると、水泳やスケ
ートもやらせてもらえるんです」
 このYMCAでは、運動以外にも夏はキャンプ、冬はスキーと色々な
催しをやる。キャンプは、有希子も、小さい手に包丁を持ってカレーライ
ス作りを手伝ったり、スキーやスケートをしに長野県方面へ出かけたり
……と楽しい思い出をたくさん残すことが出来た。
 二つ違いの姉とは、YMCAの活動でよく一緒に行動したが、家でも
ママごとやリカちゃんごっこをして遊ぶことが多かった。
 しかし、いつもお姉ちゃんは新品の服を着せてもらうのに、妹の私はお
古ばかり、ケンカしても怒られるのはいつも……と、負けん気の強い有
希子は、姉に対してライバル意識も大いに抱いていた。
「だから口ゲンカはよくしました。どうしてもガマンできなくなると、
取っ組みあいになるんです。私はカミつきが得意で、一度、コートを着て
たお姉ちゃんの腕にカミついて歯型をつけちゃったこともあるんです」
 ケンカの原因はささいなことがほとんど! 中でも一番多かったのが
テレビのチャンネルの取り合いだったという。
 この頃から有希子は歌が好きになり、テレビの歌謡番組を熱心に見る
ようになっていたのだ。
 姉とはすさまじいケンカをした有希子だが、父にはぶたれたりひどく
叱られたことは一度もなかった。
「その代り、母には一度、ピシャッ!って顔をぶたれたことがあるんです。
YMCAにとてもマセた子がいて、親に向かって“アンタ”って言って
いたの。私も一度言ってみようかなと思い、母に“アンタねー”と言っ
たら、いきなり平手打ちされちゃいました。あの時はコワかった〜!!」
 大きくなるにつれ、有希子にも少しずつ目立ちたがりの一面が出てき
たのかもしれない。家に知らない人が遊びにくると、親のうしろにかく
れたりせず、前にシャシャリ出て、ペコペコ頭を下げて挨拶したという。
「ウフフ。きっと、“かわいいネ”って言われるのを待ってたのね!」
 そんなオシャマな有希子もやがて名古屋市立高蔵小学校に入学した。
「小学校1年の時の担任の先生が姉も教わったことのある先生だったん
です。姉の方はおとなしい子だったのに、佳代(有希子の本名)はうる
さくて落ちつきがなくて、先生と面接するのがキョーフでした」(お母さ
ん)
 落ちつきがないといえば、家族で動物園に行った時のこと、好奇心旺
盛な有希子は、あっちへチョロチョロ、こっちへチョロチョロ。とうと
う家族から離れて迷子になってしまったことがある。
「親がマイクで何度も呼び出したらしいんですけど、それでも見つから
なくて、大さわぎしてやっと発見された時には、本人は何も知らずに遊
んでたらしいの」
 落ちつきがないというより、有希子は、独立心の強いしっかりした性
格だったのだろう。
 小学校は幼稚園より近く、歩いて10分ほどの所にあった。有希子は2
年生の時から合唱部に入り、6年生の時には合唱部員として地元のテレ
ビに映ったこともあった。
 幼稚園時代にはケンカばかりしていた姉を“上級生”として見るよう
になり、少しずつ身も心も成長していった。絵に本格的に興味を持ちは
じめたのもこの頃だったようだ。
「小さい頃から絵やマンガをかくのが好きで、おじいちゃんが作ってく
れた黒板に毎日落書きしていたんです。幼稚園の頃は速かった足も、だ
んだんおそくなってきたから、運動の方はお姉ちゃんにまかせて、私は
4年生の時から絵の先生の所へ通うようになったんです」
 有希子の絵の才能はなかなかのものだったようだ。小学校の写生大会
では入選するし、6年生の時には宮司賞という一番いい賞をもらったの
だ。
 当然のことながら、将来は絵の道へ進もうか……と、有希子も真剣に
考えた時期があったようだ。しかし、画家になるには、今ひとつ気持ちが
盛り上がらないという事実だった。
 一方、学校の成績は、入学当初はあまりいい方ではなかったという。
「幼稚園で字なんか習わなかったし小学校に入っても遊んでばかり。親
も勉強しなさいなんて言いませんでしたからネ。本格的に勉強を始めた
のは、ずうっとあと、中学校になってからです」
 それでも、国語、図工、体育が得意で、小2の時の通信簿は、4が2
つであとは全部5というくらい良い成績だった。
 2年生の2学期には、人に押されて学級委員になり、3年でも4年で
も学級委員として活躍した。そして、6年生の時には、児童会(小学校の
生徒会)の書記も経験することとなった。
「学級委員や児童会の役員はしたけど、私って、決して自分から人を引っ
ぱっていくタイプではないの。誰か1人リーダーシップをとってくれる
人がいると、そのあとからトコトコついていくっていうカンジでした」
 5年生の時に、遠足で中津川へ2泊3日のキャンプ旅行をしたり、6
年生の時、静岡の焼津へ修学旅行したことも、有希子の良い思い出とな
っている。
まだこの頃は、歌手になろうという現実的な望みはもっていなかったが、
テレビに映るピンクレディーの姿に強い憧れを抱きはじめていた。
 小4の頃から熱心に読むようになったマンガ『ベルサイユのバラ』も
有希子の心に、夢のような世界を運んできてくれていた……。
「オスカルが泣くと私も泣いてしまうの。かわいそうなのよね、オスカ
ル……。特に、ヘルゼンが“もう少しキミに早く会っていればよかった
……”というシーン、あれがたまらなかったわ……」
 マンガだけではない。有希子は地元の図書館へ行き、『次郎物語』や『路
傍の石』などの名作を読んで感動していた。
 また、6年生の時は学芸会で『浦島太郎』の乙姫様の役をやり、学校
中の評判をとるほどの成功をおさめた。このことが、有希子の心に歌謡
界へスターへの憧れを植えつけたのだ……。

歌手になりたい!!という憧れが
現実の目標となった中学校時代
 小学校を卒業した有希子は、名古屋市立沢上中学校に進学した。家か
ら走って5分20秒という近さにもかかわらず、毎日遅刻の常習犯。姉の
千佳もあきれるほど、朝の支度がゆっくりノンビリだったのだ。
「そういえば、中学時代はゆっくり歩いて登校した記憶がありませんネ。
小6の頃から、コテを使って髪をクルリと巻いたりしはじめたんだけど、
それがけっこう時間がかかるんです。遅刻して、よく立たされました……」
 小学校時代はロングにしていた髪を、中1の後期になって、有希子は
バッサリ切り落とした。姉が陸上部に入っていたのにシゲキされ、彼女
も陸上部員になったからだ。
「でも、走るのが遅いので、走り幅とびを専門にやってました。走るの
は何人かでやるから目立つけど、幅とびの方は1人でコツコツやれて目
立たないでしょ?校庭のすみっこでやるしネ……」
 小学校の時は、学級委員などやって活躍していたが、中学に上った有
希子は、勉強でも校内生活でも特別目立つ存在ではなかったようだ。
 しかし、中1の秋、彼女は生まれてはじめてラブ・レターをもらって
しまった。
「直接手渡されたんです。そして、“好きだから付きあってほしい”っ
て言われました。私、ビックリしちゃって、“ちょっと待って下さい”っ
て言ったの。そして、あとからNO!の返事をしたんです……」
 小4の頃から『ベルサイユのバラ』を読み、恋愛にちょっぴり好奇心は
持っていたものの、実際に男の子と話したりデイトしたりなんてことは、
大のニガ手だったのだ。
 このあとも、3回ぐらい、別の男の子からのラブ・レターが机の中に
入っていたことがあったが、有希子の方から振ってしまった。
「男の子とマジに付きあうのがコワかったんです。女の子と遊んでいた
方が気がラクだったし……」
 有希子の場合、同じくらいの年の男の子よりも、28歳になる社会科の
近藤先生に憧れを抱いていた。
「ちっともカッコよくない先生なんだけど、とにかく面白いの。バカば
っかり言ってかざり気がなくて、あったか〜い感じの先生でしたネ」
 初恋とは縁のない生活を送っていた有希子にとって、この頃の最大の
関心事は“歌手になりたい”ということだった。小学校時代から、バク
然と心をひかれていた歌手への夢が時とともに大きくふくれあがり、つ
いには、現実の目標となっていたのだ……。
「でも、家族や友だちに言うのが恥ずかしくて、ずっと自分の心の中に
しまっていました。中1から中2にかけて、私は内緒で色んなオーディ
ションを受けていたんですヨ」
 受けては落ち、受けては落ち……の日々が続いたが、ついにある日、
『ニコン・フレッシュギャルコンテスト』に入賞し、準グランプリの座
を獲得した。そして、グァム島旅行のごほうびまでもらってしまったの
だ。
 それと同時進行の形で、有希子は『スター誕生!』への応募ハガキを出
していたが、待てど暮らせど、予選会の通知は送られてこない。『ニコン
−−』で準グランプリにはなったものの、それだけでは歌手への道は開
かれないと知って、有希子は半ば、歌手になることをあきらめかけてい
た……。
 ところが、何と! 応募ハガキを出して1年以上たったこと、何の前
ぶれもなく『スター誕生!』の予選会の通知が送られてきたのだ。有希子
中3の6月のことである。こうなると、まわりの人にも自分の“秘密”を
話して、予選出場の許可をもらわなければならない……。
「両親は“どうせ落ちるんだから”って許してくれたけど、担任の先生
が猛反対!“そんなものに出たら、お前の高校受験の内申書を書かない
ゾ!”って怒鳴られちゃいました」
 だが、有希子の決心は固かった。内申書なんか書いてくれなくてもい
い!と無断で学校を休み、『スター誕生!』のテレビ予選に出場したのだ。
歌ったのは、北原佐和子の『マイボーイフレンド』そして、有希子は、
両親の予想を見事に裏切って合格し、決勝大会に出場することになった!
「アテがはずれて、両親はあわてたみたいです。父の家系は教育者が多
いので“芸能界なんてとんでもない”ってカンジで反対されました。母も
学校のPTAの役員をしてたから、私が歌手になったら立場がなくなる
し……。とにかく、まわりがみんな反対だったから1人で戦うしかなか
ったんです」
 ガンコで負けず嫌いの性格が、ムクムクと頭をもたげてきた。有希子
は、実力行使に出たのだ!

夢がかなって、短いけどとても
充実してた名古屋の高校時代
 その日以来、有希子は自分の部屋にこもり、ベッドの中で布団をかぶ
ってストライキを決行した。食事は一切とらず、両親とも全く口をきか
なかったのだ。学校へは出かけたが、お弁当は一切口にしなかった。
「ベッドにこもって4日目に、母の方から声をかけてきたんです。決勝
大会に出てもいいが、それには3つの条件があるって……」
 その3つの条件とは、1.学校のテストで、学年で1番を取ること。2.
中統(中部統一模擬試験)で学内5番以内に入ること。3.第一志望の公
立高校に合格すること。
 お母さんとしては、絶対ムリな条件を出して歌手になることをあきら
めさせようという魂胆だった。しかし、有希子は、立ち上った!その日
から、猛ベンキョーを開始したのだ。
 あれほど好きだったテレビの歌番組も見ず、深夜の2時、3時まで机
に向かう日々が続いた。さらには、冬期講習にも通い始め、わき目もふ
らずに勉強に励んだ。
「受験前の3カ月間は、食事時間も5分くらいに切りつめて夢中でやり
ました。そしたら、なんと!学年テストで1番。中統でも5番以内に入
ってしまったんです」
 まさに有希子の努力が実を結んだのだ……!
 あとは高校合格の目標を達成するだけ。このころになると、お母さん
も夜食を作ったりして、有希子を応援してくれるようになった。受験勉
強に精を出し、芸能界もあきらめてくれれば一石二鳥と思ったためだ。
というのも、夜食をたくさん食べてブタのように太れば、決勝大会に出
ても、間違いなく落選するという、お母さんなりの作戦があったから。
 しかし……またしても、お母さんの予想は見事にはずれてしまった。
昭和58年3月19日、有希子は、名古屋市立向陽高校に合格し、あれだけ
夜食を食べてもスタイルはほとんど変わらなかったからだ。
 3月30日、有希子は、後楽園ホールで開かれた第46回決勝大会に出場
し、力のかぎり『スローモーション』を歌った。
「発表が来るまでは、もうソワソワイライラしてました。電話がかかっ
てきたのは、4月に入ってからです。“日本テレビですが……”って声が
聞こえた時、“ああ、やっと来たー!”ってホッとして、“受かりました”と
言われた時は、一瞬信じられませんでした。ボーゼンとしてたみたい
ね……」
 合格の実感がわいてきたのは受話器を置いたあとである。思わず飛び
上り、ウワー!!と叫びながら部屋中をかけ回ってしまった。
 一方、お母さんの方は、“受かっちゃったの? 困ったわねェ……”と
しきりにボヤいていたという。
 しかし、ここまで来てしまったら両親としてもどうすることも出来な
い。歌手デビューの話はトントン拍子に進み、所属事務所はサンミュー
ジック、レコード会社はキャニオンレコードと決定した有希子は、2学
期から上京することとなった。
 上京までの数カ月間は、有希子にとって最もハッピーで、充実した時
期だったかもしれない。彼女は、学校でもイキイキと過ごし、たくさん
の友人たちと大いに語らった。
「クラブは入らず、サッカー部のマネージャーをやらせてもらいました。
マネージャーなら、途中でやめても他の人に迷惑をかけなくてすむと思
って……」
 サッカー部のマネージャーは数人おり、1週間交替で部室の掃除、部
員のユニフォームの洗濯、試合の応援などの“マネージャー業”をやっ
たという。
 このサッカー部の1年先パイに、有希子は淡い憧れを抱いていたが、
気持ちを打ち明ける機会もないまま2学期の終業式は来てしまった。
「終業式の日は、古典の追試があったんです。先生がキビシイ人で、ク
ラス全員満点を取るまで試験をやるっていう方針だったものですから
……」
 その追試が終ったあと、クラスの友だちが、有希子のために送別会を
開いてくれた。
 よせがきを回し書きし、男の子は1人ずつ有希子と一緒に写真をとり、
そのあと、近くのデニーズへ行っていつまでもいつまでも別れを惜しん
だのだ。
「あの時は、みんなが『贈る言葉』を合唱してくれたんです。ホント、
感激して泣いちゃいました。せっかくみんなと仲良しになれたのに別れ
るのはつらかったです。こんなにつらいなら歌手になるのをやめちゃお
ーか、と思ったくらい……」
 それでも、ついに出発の日はやって来た。8月29日、有希子はお母さ
んやお姉さん、友達に見送られて新幹線に乗りこんだのである。
「感動的な別れをするハズだったけれど、荷物を運んでくれたお姉ちゃ
んが下りる前に新幹線が出発しちゃったの! おかげでドジな初日にな
ってしまいました」
 そのまま有希子と共に東京へ来てしまった姉は、有希子を見送るとそ
のままUターンして名古屋へ戻っていった。もしかしたら、たった1人
で旅立つ有希子をかわいそうに思い、天の神サマがちょっとイタズラをし
たのかもしれない。
 上京した有希子は、サンミュージックの社長の家に下宿し、7カ月ミ
ッチリ発声や踊りのレッスンを積んだ。プロになるためのトレーニング
は厳しい。時には、思うように声が出ず、くやしさのあまり涙したこと
もある。ただ歩くだけのステップがうまくいかず、2、3カ月毎日同じ
ステップを踏まされたこともある。
 だが、どんなにつらくとも、どんなに厳しくとも、有希子は念願の歌
手になるためなら……と、これからも、持ち前のガッツでスター街道を
歩いていくに違いない。


168時間ピッタリ追跡!!
ユッコなんでもノート
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