70年代、当時全盛のパンク・ロックやニュー・ウェーブに対してのブリティッシュ・ロックの伝統を引き継ぐ者たちが立ち上がった!その名もUKユナイテッド・キングダムの名を名乗り完全と軟弱なミュージシャンたちに立ち向かうが如く!圧倒的なバフォーマンスでプログレッシブ・ロックの存亡を掛けて・・。ここでは、短命に終わったスーパー・グループUKの3作品をご紹介致します。
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1. UK /
(78) Eddie Jobson - Violin, Keyboards、 Bill Bruford - Percussion, Drums、 John Wetton - Bass, Guitar, Vocals、 Allan Holdsworth - Guitar、 |
1stにして歴史的名盤である。メンバー構成を見て誰もがキング・クリムゾンの様な音楽と、ロキシー・ミュージックやフランク・ザッパが合体した音楽を想像したが、そのどれもが外れであった。ホールズワースとジョブソンと言う稀代の天才ミュージシャンの参加によって生み出されるそのサウンドは、伝統のブリティッシュ・プログレの香り豊かな独自の世界を構築していたのである。まずは、1曲目の”In the Dead of Night”から” By the Light of Day”、”Presto Vivace and Reprise”までの組曲形式の展開は息をも尽かせぬスリリングなもので聴く者を圧倒する事であろう。ウェットンの重く沈むベースとホールズワースのリフによって導かれるスタートは、一大叙情詩の幕開けにふさわしいものだ。(兄さんは実際この曲のギター・ソロでホールズワースのトリコと成ってしまい、未だにそのすばらしさにメロメロである・・)ブラッフォードの変則的なリズムは、まねしようとしても簡単には出来ないものであり、キング・クリムゾンで培ったアグレッシブさも加わり最高の出来映えである。ジョブソンはキーボードとヴァイオリンとすさまじい活躍で、若き天才のプレイに当時のプログレ愛好家や音楽関係者は舌を巻くばかりであった。後半の聞き所は、ジョブソンのシンセサイザーが冷たい氷河の景色を思い起こさせる”Alaska”から”Time to Kill”へのなだれこむ壮絶な曲展開である。4人が総力を結集して作り上げた名曲であり、何度聴いても手に汗を握る興奮の逸品であります。全て素晴らしい曲で構成されたこのアルバムは78年当時発表されたブリティッシュ・ロックのアルバムの中では、ダントツの話題作だった。このアルバムをひっさげ、UKは英国ツアー、そして運命の米国ツアーに出かけるのであった!!しかし、テクニシャンの集合体であるUKは、米国ツアー中に分解してしまう。(当時、日本に来る計画もあったかもしれないのにーっ。)メンバー間の意見の食い違いが原因と言われている。インプロヴィゼーションを重視するビルとアラン、それに対してバンドとしてのアンサンブル等を最重要と考えるジョンとエディが真っ二つに分かれてしまうのであった。ここで、オリジナルUKは1年という短命に終わってしまうのであった・・合掌! |
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2. DANGER MONEY /
(79) Eddie Jobson - Violin, Keyboards、 John Wetton - Bass, Guitar, Vocals、 Terry Bozzio - Percussion, Drums |
こちらは、セカンド・アルバムにしてキーボード・トリオ・アルバムの超名盤として有名な作品である。ビルとアランが脱退し、ビルのソロ作品作成に着手した頃、ウェットンはジョブソンに最初の構想であるトリオ編成を持ちかける。そして、ドラマーとして参加する事になったのが、フランク・ザッパのグループでジョブソンと一緒だった若き天才ドラマーテリー・ボジオであった。その小柄な体型からは信じられない、パワフルかつテクニカルなドラムスは新生UKにピッタリの人材であった。キーボードを中心としたトリオ編成のグループは、EL&Pという御大が控えていたが、当時EL&Pはまともな活動をしていなかったので(ファンの皆様ごめんなさい)シーンはこのアルバムを大手を広げて歓迎した・・という訳ではなかった。時の音楽情勢はニューウェーブ全盛の時代で一番喜び迎えいれたのは、皮肉な事に極東の島国であるわが日本であった。ジョブソンのすばらしいキーボード・ワークとヴァイオリン・プレイをふんだんにとりいれたその作風は、前出した他のグループとは一線を画し、中身の濃い超絶技巧な作品となった。スタート曲のアルバムタイトル曲” Danger Money ”はジョンの皮肉たっぷりの曲で、「危ない金には手をだすな」と入った所であり、ジャケットも手を洗う大写しのものである。その重く沈み込むベースとドラムスで始まる曲調は、1stではなかった展開を期待させるものだっ。中には、”Caesar's Palace Blues”や”Nothing to Lose”の様にシングル向けの曲もあり、後にジョンが結成するASIAに通じる所も伺える。ラストの長大な”Carrying No Cross”はすでに第一期の米国ライブで基本的な曲は演奏されていたのだが、キーボード主体の一大組曲的な曲に書き換えられており、ジョンとエディがこの曲に惚れ込んでいたことが解る。キーボード主体のトリオ・ザ・プログレ・ロックのファンの方は、是非購入していただき、末代までの宝として・・(←またですか?) |
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3. NIGHT AFTER NIGHT
/ (79) Eddie Jobson - Violin, Keyboards、 John Wetton - Bass, Guitar, Vocals、 Terry Bozzio - Percussion, Drums |
こちらは、最後のツアーとなったジャパン・ツアーを収録した、UKのラスト作品にして謎が含まれたライブアルバムである・・?その謎とは・・ライブをごらんになった人なら解るのだが、私も当時は知らなかった事実がある。それは、曲が大幅に入れ替えられ、ジョンが後から手直しを加えていることだっ。まず、アルバム1曲目の” Night After Night”だが、このライブのために書かれた新曲なのだが、ライブでは最後にアンコール時に演奏されていたのだ。曲が始まる前の「ゆーけー、ユーケー」のかけ声はアンコールに対してのものだったのだ。その真相は、後に出回る多数のブートレッグ・ライブ盤で判明することになる。1曲目は、”Danger Money”を演奏していたのが本当のライブの曲順である。(なぜこのアルバムに収録しなかったかも、解るはずである!)それにしてもボジオの壮絶なドラミングには驚かされる、シークエンスされたキーボードに導かれてリズムを打ち込むのだが、力強いバストラムとスネア、そして正確に刻むハイハット、どれをとっても一級品である。あーっ見たかった・・。誰かビデオに録画とかしてないかしら。そして、気持ちよさそうに歌うジョンはあの名セリフ「キミタチ、サイコーだよ」、「こんばんは」と、言っていた。キース・エマーソン、リック・ウェイクマンの二人をも凌駕するテクニックの持ち主エディ・ジョブソンは、キーボードとヴァイオリンを絶妙に使いわけ、キーボード・プレーヤーを目指す若きファンの注目の的であった。バラード曲である”Rendezvous 6:02”での分厚いシンセの音の洪水はいつ聴いてもゾクゾクさせられる。しかし、ジャパン・ツアーの後解散してしまい、もう二度とわが日本へはその勇姿を見せる事は無かったのである。当時の音楽雑誌を見てみると、その以上なまでのアイドル扱いした記事、ファン倶楽部の結成と英国や米国では考えられないもてはやし様であった。(確かに金髪の貴公子がキーボードとヴァイオリンを自在にあやつれば、ほおっておくはずがないだろう!)そんな、ギャップもまた解散した理由の一つではないかと兄さんは思うのだが、真意のほどは当時の3人にしか解らない所であろう。 |
UKの結成までは、色々と問題が有ったことは有名な話であるが、外せない所なのでここで解説しておく。74年にキング・キリムゾンが突然ロバート・フリップの発言により自然消滅してしまい、残ったビル・ブラッフォードとジョン・ウェットンは様々なグループで出稼ぎを繰り返していた。76年にユーライア・ヒープを脱退したウェットンは、それまで暖めてきた構想をブラッフォードと話合っていた。キーボード・トリオの結成である、元イエスのリック・ウェイクマンとのグループ結成はレコーディング前のリハーサルまでこぎ着けていた、レーベルをA&Mにと考えていたのでいあるが、A&M側は作品発表の条件を「リック・ウェイクマン&×××」でなければ発表しないと通告してきたのだっ。3人とも同等の扱いをしてもらえない現実に対して、そんな条件では契約しない考えだったビルとジョンはここでウェイクマンとのトリオ編成をあきらめてしまうのであった。(もしこれが実現していたのなら現在のプログレ分布図も書き換えられていたことであろう。)しかし諦め切れぬ二人は、エディ・ジョブソンを加えたトリオ編成でスタートさせた、(ジョブソンはロキシー・ミュージックでウェットンと共演した経緯があるので実現した。)しかし、リハーサルを重ねる内にギターリストの必要性を感じたメンバーは、ブラッフォードの提案でアラン・ホールズワースを迎え入れることになる。ここに、偉大なる憂国の四士が誕生するのである。