これが『レインボーライジング号』だ!

ライジング正面 こいつが『レインボーライジング号』
正式な名前はYAMAHA DT50という。そう、れっきとした”オフ車”だ。名前があっていないのは承知の上だ。
バイク(原チャリ)なんて下駄同然と考えていた俺はライジング号に乗ることにより移動範囲とともに自分のバイクに対する視野を広げていくことになる。
手軽さ、便利さも手伝って次第にバイクに轢かれて、もとい惹かれている自分に気づいたとき、俺はこいつに当時最大の”リスペクト”を込めてこの名をつけたのだ。
データ はっきし言ってよくわかんない 
排気量 50CC
馬力7.2馬力らしい
最高速度メータに80とある。懐かしき時代の50CC
価格4万円税込みぽっきり。現金現状渡し
メモ 軽くてもグイグイ走る。
りんご畑とか、大鰐スキー場の夏場の道
(どちらも弘前周辺。ローカルだ)などの
起伏の激しい道もいける。さすがオフ車だ。
スキー場くらいの急で高さのあるところでは
もう2速が限界ではあるが。
でも、水冷の効きが良いのか温度メーターが真
ん中あたりから先には進まない。
砂利道でもコントロールしやすい。
さすがに雪道は俺のテクニック不足で怖かった。

燃費はたぶんリッター20近くまで行ったのでわ?
貧乏学生にはありがたかった。


右側面から
rainbow_rising_横1
元々はタンクにバイク屋のお姉さんが書いた"スナフキン"が。
ペンキ直描き。ガソリンのシミあり…。
白とピンクの趣味全開ばいくであった。
本来の色は水色と黒、黄色だったのは大昔のバイクのカタログ
を見た際知った。正直、これが良かったナー。
以前はそのおねいさんの"初めてバイク"だったらしい。
派手にコケた為荷台、泥除けの根元の金具が曲がっている。
ま、メインのフレームは大丈夫っぽかった。
ライトが変な方向を向いてもいたな…。

その後、別のバイクから外装を取り、自らスプレーで塗装。
コンセプトは「ガンダム、連邦軍量産機」
冷却機部分の黄色がポイントですな。


左側面から
rainbow_rising_横1
サイドカバーはあとで手に入れたので未塗装。
メットは下宿の大家さんからお古を貰った。
明らかに安全性の保障期限は過ぎていた。
メットにそんなものあると知ったのはバイク乗り始めてしばら
経ってからだった…。


何もかもがはじめての俺にバイクを教えてくれたバイクでした。
こいつのおかげで中免も結構すんなり取れました。

何より"スナフキンバイク"は人気者(?)だったため、店の常連さんたちに
「あのバイクまた乗ってるの?」
とオネいさんはよく言われてたそうです。
2代目になってたんです。なんかタイガーマスクみてぇ。

納車後30分で即修理の為お店の人に来てもらうという新記録樹立バイクでもあります。
俺じゃない。
下宿の友人M君が「乗せて」と。
「ここが、アクセル、クラッチ、ブレーキだ」とかやってたんです。
で、「Mさ、バイク乗った事あんの?」 車の免許は持ってたんだよね、M。
「うん、スクータなら」
「え?おい、ちょっと待て!」
走り去るM。20メートル先で横転するM。下敷きになるM……。

「だいじょうぶか??」
Mは無事でしたが、我が愛車は…冷却水漏れてるし、べダル変な方曲がってるし…。
エンジンの止め方をMは知らなかった為俺がKILLスイッチで強制ストップ。
なるほど、こういう時も使うのか…。
で、お店に電話。さすがに初めての俺にはどうにもできなかった…。

「新記録だよ」とは店の兄ちゃんの言葉。嬉しくないよ、そん記録は。

この頃から「自分の物は必ず他人に壊される」ジンクスが。
俺自身が物を壊すことはめったにないのに…。

なんと13年位前(実際もっと古いだろう)の50CCバイクであることを知ったのはその後
しばらく経ってから。
50CCにはノーヘルで乗って良く、スピードだって60キロ以上出せた時代。
良い時代だのぅ。
そんな前世紀の遺物、レインボーライジング号。友人らの多くが400CCだったが、
おかげでかなりのスピードで付いていくことができました。
ただ、80キロまで持ってくのは少々時間がかかり、一度スピードが落ちるとMAXまで
戻すのにまた少し時間がかかったけど。
絶対80以上はでてたよな、しかし。
「50ccなのに気持ちわるー。」
とよく言われてました。

タイヤは減ってたし、サスペンションはさすがにヘタっていた。
そういうのもあって、高速走行は安定性がかなり悪く、結構怖い。
雨が降ってなくても道路の白線なんかでかなり滑ったりもしたな…タイヤは大切だ。
しかも、クラッチとエンジンの癖なのか、つなぐのに凄く微妙なコントロールを必要
とする。初めて乗る人はスタートがまず上手くいかない。
しかもわけわからない回転数からいきなり急加速したり…。
「これ乗れたら中免なんかすぐだ。大体のバイク乗れるよ(笑)」
とは先輩ライダーでもある友人らの談。
こういうトラブルバイクだったのである程度最小限のメンテは必要に迫られて覚えた。
そういう意味でも色々勉強したバイクだった…。

大学時代を通しての3年ほど、俺を乗せてくれた我が愛機も時間の流れには勝てず、
ついにマフラーに穴があいた。
部品取り車も見つからず、溶接するのも難しい。さらに、買うとこいつより高くつく(苦笑)
だましだましガンガムとかで補修しながら乗ってましたがついに限界が。
暴走族のような音を出して走るわけには行かんし。
さらに、クランクケースを止めるネジの付け根にもひびが入り、オイル漏れが…。
そういうのをだましだまし乗り続けたが、ついに大学卒業して実家に帰ることになった。
実家まで乗って帰ることもできたが、恐らく途中で力尽きる可能性が高かった為、
泣く泣く買ったお店に引き取ってもらうことに。

恐らく、廃車になっただろう。せめて代車としてでも生きて走っていて欲しかった。
本当に、良いバイクだった。楽しいバイクだった。
その後オンロードバイクR1―Zに乗ることになるが、未だにオフロードには惹かれる。
いつかまた乗りたいな。…たぶんもうこの世にはヤツはないのだろうが。
大切な思い出のバイク、レインボウライジング号。
決して忘れない。



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