アサヒスーパードライ
Presents "ラジオの挑戦"
インタビュアー:藤田勇次郎アナウンサー
ディレクター:矢野浩美ディレクター
3月13日:出演
田中和彦アナウンサー
【藤田】
ラジオ番組に情熱を注ぐ、南海放送ラジオのクオリティー&チャレンジ。今週は、毎週の日曜日深夜0:30〜1:30のあいだ1時間、18年間を越える超長寿番組になっております、深夜放送のPOPSヒコヒコタイムのメインパーソナリティー、田中和彦さんに来ていただいております。よろしくお願いします。
【田中】
こんにちは。
【藤田】
私が小学校1年生の時から続いている番組なんですがね…
【田中】
(笑)はい。18年にもなりましたね。あのー、始めたのがですね、多分1982年だったと思うんですけど。当時はですね、歌謡曲・邦楽全盛期でね、洋楽が氷河期だったんですわ。1977・8年くらいにアバっていうグループがヒットして以来、また冷え込んだんですよ。したがって、南海放送の当時のレコード室にもですね、洋楽のレコードがほとんど入ってこないくらいな氷河期ですよ。極端に言うとね。それでずっとポップス好きでしたから、この機会にもっとちょっとレベル上げた高校生を相手にして、ポップスの番組をしたいという気はあったんですよ。
毎週のチャート18年つけているんですけど、この表紙読んでください。これ、哲学なんです。
【藤田】
「歌謡曲、プチブル体制に白色革命をもって前進せよ」
【田中】
これ、左翼用語なんですよ。で、私は左翼じゃないので、何でこんな事書いたのかと言いますとね、ちょうど学生時代、左翼最後の学生運動を横目に見ながら卒業してて、よく看板に書いてたんですよ。プチブル体制ってのはですね、彼らが言ってた「レベルの低い小市民が喜ぶような幸せに埋没している」というのが、プチブル体制らしいんです。で、歌謡曲ばっかりだったんで、「歌謡曲を聞く事によって喜んでいるような小市民の、このラジオの体制に対して白色革命をもって前進せよ」は、ポップスというものをもってですね…実はなんか白色革命と赤色革命の2つあるらしいですわ。これは、ロシア革命の頃に赤色は本当の革命で、白色は体制内改革をするという…で、僕はさほど過激じゃなかったんで、白色にして(笑×2)歌謡曲の小市民的な娯楽体制をコツコツと内部から革命していこうと、そのためにポップスをつけようというんで、このキャッチフレーズを18年、これ12冊目のチャートノートなんですけど、ずっと書いてるんですよ。
【藤田】
へぇ〜。
【田中】
もう、こんな用語分からなくなってるんですね。
【藤田】
そうですね。全く分かりませんでした。
【田中】
だから、唯一これが私の魂の根源。
洋楽を知ってればですね、就職とか進学で都会に行ってもねバカにされないんですよ。僕らは田舎言葉が出るじゃないですか、東京とか行ってもね。ところがそいつがですね、なんとかというグループ知ってるとか、ボブ・ディランの事なら少し喋れるとかいう知識があったらね、一発で友達から一目置かれる。そいつらが、東京とか大阪とかに就職・進学で行った後も、なんかこう…「あの番組のおかげで。。」とか思われたらいいな。と思って始めたんですよ。
【藤田】
へぇ〜。
【田中】
実際上、彼らが大学や就職したあとに、遠距離からラジオも聞けないのに、そういうハガキが来た時にね、「もうちょっと続けよう…もうあと何人か卒業生を送り出そう」というのがあってですね、脈々と私立学校を営んでいるという事です。
3月14日:出演 田中和彦アナウンサー
【藤田】
やっているうえで、気を付けている事とかいうのはありますか?
【田中】
しばらく何年かしたあとからですね、もう常連の方が増えてきたので、その常連が主人公みたいになってきてですね、それが楽になったんですよ。すると、自分自身の生活や見た映画や本の感想とかだけじゃなくて、そういうリスナーの方たちの見た映画や本の感動も入ってくるでしょう。だから、末広がってきたなぁと思うのと、えーっと、10年目にですね、「1回パーティーをしたらどうだ?」と当時の上司に言われまして。
【藤田】
はぁはぁはぁ、記念パーティー。
【田中】
「この番組で、別に儲かってないけど、いっぱいハガキ来てるようだし、パーティーやったらどうか?」と言われてですね。(笑×2)松山でパーティーをやったんですよ。で、結局、大分とか広島とかの方はね、南海放送テレビの方で映らない方は、僕の顔も知らずにずっと常連という方もいらっしゃって、それとリスナー同士が顔を合わせたいっていう気もあったし、僕自身も顔見たかったリスナーもいっぱいいましたわ。
【藤田】
はいはい。
【田中】
それで、400人くらいパーティーに集まってきまして、僕、本名はすいません、ほとんど覚えてない。全部ペンネームで、顔見ても言えないんですけど。
いとぐちさんっていう看護婦さん、それから、はれのちくもり君という佐賀大学の学生さんがいたんです。くしくもこの2人は同じ高校の出身だった、八幡浜高校かな。でも、高校時代はですね、各々顔を知ってるくらい、フルネームが言えない程度の、そういう同級生だったのが、「佐賀に行ってて、ヒコヒコが聞けないんだ」と言ったら、「私が送ってあげようか?」っていうので、いとぐちさんが送り始めたんです。その後、結局そのまま恋愛結婚しちゃってね。
【藤田】
へぇ〜。
【田中】
で、もちろん私、結婚式にも出席しましたけど、やっぱりこういうのは、ものすごく嬉しいですよね。あのー、深夜放送のパーソナリティーとしてですよ、その2人が付き合うきっかけになれた事もひとつだし、2人がデートで会ってる時にね、やっぱり話題の半分はこの番組の事から始まるんだそうです、共通の話題だから。そうすると、そのカップルが自分の放送をデートの最中のネタにされてるって事はですね、最高ですよね。
【藤田】
笑
【田中】
僕は、音楽を作る才能ないから分かりませんけど、詞や曲を書いたアーティストが、そういう歌をね、デートでふと口ずさんでくれている状況があったとしたら、それは作り手として最高でしょう!だから、それ以来ねやっぱり言葉とか音楽とか、さらにね一生懸命やろうっていう磨きがかかったのが、10年後から。
3月15日:出演 矢野哲也
【藤田】
今日はですね、このヒコヒコタイムのヘビーリスナー矢野哲也さんに来て頂いております。よろしくお願いします。
【矢野】
よろしくお願いします。
【藤田】
どのくらい前から聞いてらっしゃいます?
【矢野】
あのー、始まった時くらいからですね。
【藤田】
ということは、もう18年前くらいから…年齢は?
【矢野】
30です。
【藤田】
ということは、12歳の時。
【矢野】
そうですね。中学に上がる時でしたね。
正直言うと分からなかったんじゃないですかね?その覚えてないんですけれどもね。
高校の時に投稿している後輩がいて、それでカードを出し始めて、読まれるからハマっちゃった。
【藤田】
このPOPSヒコヒコタイムの中ではハガキをカードと呼んでますけれども、カードを出した時から仲間意識ができるというか…
【矢野】
そうですね。
【藤田】
で、今はですね、このPOPSヒコヒコタイムの公式オフィシャルホームページを作成されているのも矢野さんなんですよね。
【矢野】
はい。そうなんです、実は。一番最初はホント、毎年のベスト10と21世紀に残したい曲のベスト33というシリーズがあったんで、そういうデータを載せようというだけやってたんですよ。掲示板とかチャットとかも今やり始めて、ここ1年くらいは放送を文字にして、毎週。
【藤田】
そうなんですよね。大変な手間じゃないかなと思うんですけど?
【矢野】
そうですね。打ち込むのは、さすがに1年やると慣れてきたんで早くできるんですけれども、やはりテープを起こすというのが、結構時間かかりますね。
【藤田】
オンエアを聞いてて、テープにも録ってると…
【矢野】
録ってますね。速記はできませんからね。(笑)
【藤田】
(笑)それで、一区切り一区切りテープを止めて?
【矢野】
いや、下書きします。
【藤田】
はぁ〜というと、時間のほうもかなりかかると思うんですけど?
【矢野】
そうですね。4・5時間ですね。
【藤田】
そのホームページをご覧になった方からの感想とかは?
【矢野】
「曲名聞き逃したから、良かったのに分かんない」とか、あと聞けない遠距離の人とかには「助かる」とか、あれを見て「また、もどってこようかな?」という感じになったという人がやっぱりいらっしゃるんで、それは嬉しいですね。
【藤田】
まぁ、御自身の都合で聞けない時期もあったとお伺いしたんですけれども?
【矢野】
そうですね。6年ほど大阪の方に仕事で行ってましたんで、その間は妹にカセットテープを送ってもらってましたけどね。
【藤田】
大阪にもたくさんの放送局もあるし、番組もあると思うんですけど、なぜヒコヒコだったんですか?
【矢野】
ヒコヒコでしかかからない曲ってのが、やっぱりありますし、何か出来事があって、そういう事喋りたいなというのをハガキに書くのを、まぁ男ですから男同士あまりそんなことしませんからね、それでやっぱりヒコヒコに書いたということで、やっぱり戻ってきてしまったと。
【藤田】
ヒコヒコタイムに望みたい事?
【矢野】
贅沢言わず、せめて20年と。それは、リスナーみんな言ってますけれどもね。せめて20年、それ以上は何も望まないと。
3月16日:出演 田中和彦アナウンサー
【藤田】
もう、リスアー同士の繋がりが深まっている番組っていうのは、一度聞いた方は分かるんじゃないかなと?
【田中】
そうですね。長いからって事もあるんでしょうけれど、各々が各々の生活の中の感想とかを細かくハガキに書いてきてますから、A君とB君が一緒に会ってもですね、A君がいったいどこで何をしている人で、どんな恋をしてきた人でっていうのがB君には分かる。ですから、友達になり方が早いですよね。で、あのー放送ってすごいなと思ったのはですね、何年も前にですね、1人は松山東高の生徒で蒟蒻煎餅君という…ペンネームしか覚えてないんで、申し訳ない。で、もう1人は山口県の高校生でランジェリー長州君という、同い年の受験生がいたわけですわ。で、カードの中でたまたま2人が同じ大学を受けるということを書いてたんでね、「2人よかったら試験が終わったあと、正門で待ち合わせるってのはどう?」とか言ったんですよ。で、実は待ち合わせたらしいんですよ。で、東京学芸大かな?正門で待ってて、いいじゃないですか!「蒟蒻煎餅さんですか?」「ランジェリー長州さん?」(笑×2)って2人が言いあって別れたんですって。その後、片方は学芸大受かって、片方は別の大学受かってですね、この各々が、蒟蒻煎餅君はこの番組の影響で映画監督になりたいってんで、松竹に入ったんです。ところが、なかなか入っても映画のほうに行けなくて、今は歌舞伎座か何かの営業マンなんですけど。で、ランジェリー長州君はこの放送聞いててアナウンサーになりたいと思って、地元山口で今アナウンサーしてます。
【藤田】
あぁ、そうなんですか。
【田中】
あと、もうひとりアナウンサーいた。ライオン丸ってのがいたんですよ。秋田放送のアナウンサーになったんですね。で、秋田放送に僕、大きな会議があって行ったんです。そしたら彼、新人アナウンサーで受付してたんです。で、僕を見つけて、僕は彼を知りませんから、彼が「あ、田中さん!ライオン丸です」って言ったんです。すると、「ライオン丸か!お前どうしたんだよ」って「いや、秋田放送でアナウンサーしてるんです」って。ランジェリーと蒟蒻煎餅もそうですけど、その奇妙な符号で呼び合う、しかも感動して抱き合うってのも変な風景ですよね。それが、ラジオの良さかな?この放送を通じて、自分の…こうして聞いて職業をそれによって選んで、しかもそうした2人がどっかで出会うなんていうのは、とてもドラマチックでね。
【藤田】
そうですね。
【田中】
そういうところで僕は喋ってんだなと思うとね、変な話勇気が湧くんですよね。バカな事喋ってるんですけど、勇気が湧くんですよね、変ですよね。変だなぁ?と思いながら18年。
3月17日:出演 田中和彦アナウンサー
【藤田】
これから、田中和彦はどうなっていくんでしょうか?
【田中】
えー、ねぇ(笑×2)もうちょっと頑張ろうと思う、1コだけ理由があるのはですね、「歌謡曲に負けない!洋楽はいいんだよ」という事をみんなに教えたいってのがあったでしょ。僕らが中高生の頃はやたら「悲しき…」とかね「涙の・・」とかってタイトル多かったんですよ。ほとんど「悲しき…」とか「涙の…」だったっていうくらい多かったんですが、この頃のタイトルは、日本の歌もそうですけど、原題でカタカナで長く書いてくるでしょ?そういう曲、とても多いんですよ。で、僕それは嫌いなんですよね。それと、なにを歌ってるのか分からない…それで食わず嫌いの方が多いと思うので、極力僕、18年間の選曲とかチャートとかはですね、歌詞で選んだんですよ。歌の内容をとっても大事にしたんですよ。という思いがあったんで、自分でタイトルをですね、つけてたんです。あのー、最近あったんで、思い出したんで言うんですけど、ジョン・パーという方の歌に「ブレイム・イット・オン・ザ・レイディオ」ってのがあるんです。失恋か何かして悲しんでいるんですけれども、「お前悲しいだろう?」って言ったら、「いや、俺は悲しくないよ。ラジオを聞いていて、ちょっとセンチになってるだけだよ。ラジオのせいさ」みたいな内容だったと思うんですが。で、これは「ブレイム・イット・オン・ザ・レイディオ」じゃ誰も覚えてくれないと僕は思ったんで、ジョン・パーの「ラジオのせいさ」っていう事に勝手にしてオンエアしたんですよ。それを何年かして、「あの曲良かったよな」って買いに行っちゃったりする。で、ジョン・パーを忘れてるんですが、リスナーは「ラジオのせいさ」ってのは覚えてるんです。「ラジオのせいさ」ください。って言っても、なかなか無い!あのー、数年前に南海放送の年間チャートの1位曲にヴィンス・ギルの「ユー・カム・アラウンド」っていうのを1位にした事があってですね、これは詞の内容でプッシュして皆が認めてくれて1位になったんですけど、さすがにこのヴィンス・ギルが1位になったという事は、東京の各レコード会社はひっくり返っちゃって、いまだに伝説ですね。洋楽担当の各会社の方に初めてお会いする時にですね、八木誠さんていう大先輩のDJがいらっしゃる、「これが、ヴィンス・ギルを1位にした男です」って必ず紹介されるんです。それはそれで、この番組のすべてなんですよね。このヴィンス・ギルの「ユー・カム・アラウンド」はですね、「きっと君は帰ってくる」ってつけてるんです。これも同じなんでです、さっきの意味と。現状のポップスを皆さんちょっとヒットチャートを見てもらったら分かると思いますし、J‐POP関連のチャートも見たらわかると思いますが、カタカナの原題っぽいのが多い!多いでしょ?
【藤田】
多いですね。
【田中】
分かりやすくしてよ!(笑×2)この気持ちに支えられて、あと2年頑張らせてください。