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その家には
人間と豚と犬と鶏と家鴨が住んでいたが、 まったく、 住む建物も各々の食物も 殆ど変っていやしない。 |
坂口安吾の同名の小説の映画化・・・では終わらない一作です。映画館にかかっていた当事から、白痴の娘を演じる甲田さんの凄みと、(眉毛を剃って白く塗って、ものもいわずに泣いている甲田さんを三秒みただけでも固まる。これは断言。)主演する浅野さんの冷徹な存在感に無茶苦茶気になっている作品でした。が、そのときはまだ、原作は原作だと思っていた。のです。
(よくテレビや雑誌で扱われている場面が、甲田さんの泣くところ、と火のなかをくぐっていくところ、のふたつだったので。これは原作のまま。)
そこが手塚さんの手塚さんたるところ、なのでしょうか。SFにもなってます。近未来SFと昭和の大戦のミックス。にそれほどの違和感がないのがすごいのだが、途中一瞬、ここが何処だか(いつだかどこの国だか)わからなくなる。のが心地よいとおもうか雑音だと思うかは好みだと思いますが。
主人公の伊沢(as浅野)はTVの演出助手。テレビ局で撮影されている作品は国民的アイドルであり、視聴率を絶対的に握っているギンガ(as橋本)をもてはやすもの。(そのもてはやしかたは旧帝国時代の絶対性を思わせる。切れてるテレビ局のおえらいさんの態度は、軍そのもの〜な感じ。)伊沢は強く反抗もしないが部屋に首吊りの縄をさげて見つめてみたりする。その目のせいかギンガに愛情と憎悪の両方を持たれたりする。空には焼い弾を抱いた戦闘機が飛んでくる。伊沢は持っているVTRでそれを撮影する。
ある日気付くと、隣に住む白痴の娘(as甲田)が部屋にいる。
彼女は何をしたいといわない。何をするでもない。伊沢も何を彼女にするわけでもない。が、ふたりは一緒の時間を過ごすようになる。
・・・と、あらすじをつまむとたしかにTV番組云々以外は白痴そのままなんですが、でも全然違う。伊沢の疲れきった感じ、未来のないかんじは本当に坂口安吾の「伊沢」の存在感の印象と近いです。甲田さん演じる白痴の妻の存在の希薄さと、矛盾するような存在感の強さも。それから、最後に渡る「火の川」と、火の川をわたったあとの空の寒さの感じも。
でも違うのです。手塚さんの力強さと、あとこのかたが物事をきっと「音楽」でとらえている部分がすごく出ていると思うのです。(火の川をわたる場面、焼い弾が、降る場面、ギンガ嬢が出ている音楽番組のぎらぎらした、けれど本当ではない感じ。)だから、映画なんだなあ、このかたがとるのは。と思ったのでありました。
好きなのは、火の下をくぐって川を歩いていく場面。
それから、伊沢と白痴の妻が二人でからからと音をたてるフィルムを壁にうつしてみる場面。
白痴(as草刈)が嵐のなか、舞を舞う場面。
伊沢が死、の近くまでいく場面。
総じて、まずはインパクト(音と色と表情)。
それから、 二つの時代のギャップ。あったはずのギャップが、いつの間にか消えていく 感触。
それを楽しんだあとに、じわじわと目の裏に残る不思議な景色意味を味わえばよいように思います。
映画とは連続した風景と音楽の綴れのはずなのに、この映画はどこか静止した、切り取られた風景と、いくつかのことばでできているような、印象があるのでした。ああ、あと所々にある絶対的な音楽で。
みてから随分たつのに、ふと思い立ってレポートしているのは、原マスミ氏の「蛍の光」を聞いたら思い出したからだったりします。あんなに幸せな心地ではないけどね、この伊沢くん。でもあの曲と不思議にリンクするのですよ。