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なにもありません。
なにもありません。 NOTHING なにもありません。 |
エッセイストとしてのファンが身辺におおい、宮沢章夫氏の造るものをみてみたくて、いってみました。
私は彼の文章をまだ読んだことはありません。が、彼に関する最初の記憶は、吉野朔実さんが「牛への道」について言及していたところなので、完全にエッセイとしての存在が強いのであります。
舞台は東京。
かつて高校教師だった男は、東京に、東京へ行くといってかえってこない三番目の娘を探しにきている。
事故で視力を失っている彼の案内に、かつての教え子が二人、一緒に東京にきている。
が、彼らは「先生」を見失ってしまう。
目の見えない彼は、そう遠くへはいかないはずだ。かつての教え子達にも聞き込みつつ、「娘」をさがす「先生」の捜索がはじまる。
というのが私が「あらすじ」をまとめようと思ったときに思うお話ですが、見終わった感触は「この中心のお話は別にまるでどうでもよいや。」というもの。
なんだかてんでばらばらな人間達が、ひきよせられたり、ぶつかったり、すれちがったりしていて、その感じがとても東京っぽかった。
舞台のセットがすばらしくて、モダンアートのように組み合わされた色モザイクの、白の部分がスクリーンになったり。その白の隙間から人が出入りしたり。
舞台の奥には縦格子で囲まれた空間があって。その奥は間から雰囲気は伝わるけれど、詳細は見渡せない。時々、その向こう側に俳優が集まっていて、その風景はスクリーンにハンディカメラで映し出されていたり。
しかもそのスクリーンに映し出される風景は、実際の演劇風景をカメラでとっているのでなく、「カメラに映し出す為に、俳優がぐるぐる動きながら演技をする」ドラマ撮影のような手法がとられていたり。
「舞台はどんな風にして見せるもの」という外側の作りが自由で、面白かった。
ということで、全般、物語の筋というよりは、人と人のぶつかったり、すれちがったり、というものと、そのみせかたにうっとりしていた印象のほうが強いです。
そして、なにが一番すきだったかって「詩人」です「詩人」。
わけもなく突然あらわれて詩を読み、去っていくそのすがた。
「資本主義だった男」とぐるぐるタンゴを踊る場面を見れただけでもうどうでもいいや〜というぐらい満足してしまいました。
<リーディング公演 と 本公演>
リーディング公演は、まさに読む公演。
演者は衣装も着けず、台本をもって、自分の番がくるとスポットライトのなかにすすみでて台詞を読みます。
が、後半は結構動きを出したりもしていて、ただ「読む」だけじゃありませんでした。
とはいえ、本公演を見て、「視覚にもたらされるもの」とくに、「面白い動き」のもたらす印象の大きさをすごく感じました。
特に「先生」が、「せまい、でられない!」という場面では笑ったなあ・・・。
本公演では「面白い動きをするだけで台詞のないひとびと」がたくさんいて、それもまた面白かった。