舞台・映画フィルム保存室(room38)



40:アカルイミライ(cinema)




   
  
イケ

イケ

マテ

イケ。


嵐が、くるかもな。


  

 

   
  
ここにいて、いいでしょ?




監督・脚本・編集
 黒沢清 2003年 日本
キャスト
オダギリジョー/浅野忠信/藤竜也


アカルイミライ HP



◎総評◎ S
  「どこがすきなのかいってごらん」
  「それができないくらいすきみたいで。」



  『回路』『CURE』をみたあたりで、「次回はオダギリジョーと浅野忠信で「アカルイミライ」という題らしい。」という記事がちらほら目に入り。浅野氏が好きなので気になるなーとは思っていたのですが、広告ちらしを見て期待度が高まり、珍しく前売券を確保してみにいってしまいました。
 けして「海月が出ているから」好きなだけ、ではありません。

   眠ると未来の夢を見るという仁村雄二(オダギリジョー)は、いつもなにかにイラついていた。

 そんな彼にとって同僚の有田守(浅野忠信)は、心を許せる唯一の存在だった。ある日守は「嵐が来るかもな」と言い残し、突然姿を消す。そんな雄二の前に、守の父、真一郎(藤竜也)が現れ、雄二はいつしか彼のもとで働き始める。世代も考え方も違う二人だったが、次第に守の残したクラゲを東京の河川で繁殖させるということに熱中していくのだった。

  ある日、雄二は暴風吹き荒れる砂漠の中で一人歩く夢を見る……


 というのが公式HPに載っている「ストーリー」。かなりニュアンスが違うのですが、このストーリーを読んだだけで、気になるなあという方は是非見にいっていただきたい。
 それでもって、公式HPの画像の数々をみて、ひとつでもうわー、と思った方にもみていただきたい。
 そのふたつの好印象は、裏切られることはないと思う。




 「映画は小説とは違う」
 「人間は他人のことを理解できるわけがない」

 という監督に非常に尊敬と納得を覚えました。
 そこに他者が生きていて、それは自分と違うという感覚。其々を、好きだと思ったり疎ましく思ったりする感覚。

 ラストの幕切れは非常に不思議ですが、それこそ「映画と小説は違う」んだろうなあ・・と。
 その画面のなかに映っている誰かを、理解できるなんて思ってはいけない。




 なんにもしない簡素な部屋のなかにいるときの空間。
 海月に触ろうとする水槽のなかの手のこと。
 雄二の棲んでいる家。
 憎しみ。孤独。何もかもうまくいかない感じ。ふりまわされる鉄棒。
 針金でぐるぐる巻いた矢印。

 「解き放たれる海月」の場面の、雄二と真一郎とそれぞれの気持ちのこと、その反応。
 真一郎が修理している姿。
 夕ご飯。お昼ご飯のお弁当。

 時間が前に、進んでいくこと。
 


 全くもってオダギリジョーに期待していなかったのに、見終わったあとものすごく大好きになっていました。捨てられた大きい犬系なのにも関わらず!
 それでもって、藤竜也にもすごくうっとりしてしまいました。
 でも、ふたりとも他人なのだ。私ではないのだ。
 そしてやっぱり、浅野さんはすごいなあ。と思いました。存在がね。色で、くっきりそこに在る感じ。




 蛇足。
 男ばっかりの映画なのでプロデューサーに「ゲイにしたらどうだ」「せめて浅野氏のシャワーシーンだけでも」との話があったのをきっぱり断ったらしい。その対談記事を読んで大受けしてしまった。

 衣装が格好よかった。宇多田ヒカルのPVで活躍なさってるかたです。DVDに出ていたので見覚えがあったのであります。
 はなわが出ていた(笑)。雄二の妹の恋人?役。嫌な感じの「できる」サラリーマン。佐賀について歌ってる姿は好きだったんだけど(笑)
 エンディングテーマ、THE BACK HORNの「未来」は書き下ろし曲ですが、そんなに嵌まるわけがない〜と思っていたけどやっぱり欲しくなっている・・。
 でもなんだか、パンフレットは嫌い。写真は素敵だけど。




   なんで好きなのか。
 説明できない部分で、説明できないくらい好き。
 結論が欲しくて映画を見るひとには、好きになってもらえないかもしれない。
 題材が明らかすぎるように見えたり、主題が気恥ずかしかったり。

 ただいつだって、同じ風景をみても、感じる心はそれぞれのもの。




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