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兄と妹がいた。
妹は兄を愛していた。 兄の恋人になりたいと願っていた。 ある日、兄は記憶を失った。 兄の記憶が戻るまで、 妹は、兄の恋人になると、決めた。 | |
| 氷の季節と 花の季節の間に 三月がある 三月は嵐の季節 | |
| それでね、 少女は、赤ちゃんを産むことにしたの。 |
なぜこのフィルムの存在を知っていたかが定かではないのです。上映当時な訳はないし。何回かくりかえし、ささやかにリバイバル上映されたことがあると聞いたので、いずれかの時に何かの雑誌を読んだのでしょう。その紹介の、何の文章に惹かれたのか、それも定かではないのですが。ずっと見たいと思っていたです。そして、見たらきっと痛いだろうなあ、と思っていたのです。最初から終わりを設定された存在とか、絶望とか、期間限定とか、叶わない願いとか、そういう感じがするのかな、と勝手に想像して。
けれど、その想像のどれとも違うのがすごく驚きでありました。
冒頭部、白黒の写真が、まるでスライドのように何枚も紹介されます。小さな男の児と小さな女の児。少しずつ大きくなるその姿。スライドの間にはナレーションのようにいくつかのことばが映し出されます。「兄と妹がいた。」物語の舞台はすべて語られてしまいます。「兄の記憶が戻るまで」限定つきのハネムーン。
この映画に対してはなんだか、たくさん語りたいことがあるのに、どれもつかまえられずにふわふわと流れていってしまいます。その原因のひとつに、ことばがとても少ない、ということがあるかもしれない。ことばに錨を下ろして物事を判断するきらいのある私としては。とどめておくことが出来ず「きのせいだったのだろうか。」とためらっているうちに消えてしまう印象の数々。
全編を通して、何かを壊している音が聞こえます。それは痛々しい音ではなく、すがすがしい音でもなく、眠りや怠惰を誘う音として、私には聞こえます。二人−ハルオ(兄)とアイス(妹)がすむ部屋の周りで始終行われている、新しい建物をつくるために、今の建物を壊す音。建物を打ち砕く鉄球のたてる、ごーん、ごーんという音。
ハルオを抱きしめるために生まれた「アイス」という女の子。いっつもアイスを齧っている。いっつもおおきなアイスボックスをかたから下げている。その中にはアイスがいつもいっぱい。ポラロイドカメラ。電話ボックスにはられた客を誘うための写真。
そして、ハルオが探す自分の過去。積極的に何をするわけでもない彼の姿は、一番最初、ひどく私には怖くて奇異なものでしかなかった。このひとにアイスが、アイスを生んで向かえにいくほどのことが??とか思ってしまうほどわからなかった。「思い出した。誰かを愛していたこと、思い出した。」「それは、あたしじゃない。あたしじゃないよ。」けれど、ハルオは変化します。「思い出し」ます。一度にすべて、ではなく、一度に、少しずつ。「怖かった」という感覚を、「誰かを愛していた」ことを、それから「自分自身の姿」すべてを。その変化が、台詞とかがほとんど無いのに、すごく伝わってきて、表情が全く違ってしまって、すごい、と思った。この俳優さんは何てひとなんだ、と思った。若くして亡くなったという、この方の演技を、もっともっと見たいとも、また、怖いからもうみたくない、とも思ったです。そう、演技の上手さ、でいえば、「無いはずのコカコーラを飲む場面」には凍ったように魅せられてしまったです。
それからあとは、呼吸をするようにしみこんでくる風景の切れ端。
風に不思議な形になびくアイスの髪。アイスの媚態。素足にはいた赤いパンプス。ハルオに贈られた下着を、その場所で、新宿の交差点で、履き替えて喜びを表してみせるところ。
ハルオが繰り返す、1才にもならな子供がするような、おそろしく純粋な「ハイ」という返事。ハルオが歩いているの線路の上。家の解体作業場で働くハルオが決まって目をとめる、鏡。
そういう風景の欠片欠片を見ながら、時間が進むごとに、どうするんだろう?と思っていました。この二人はどうするんだろう。「兄の記憶が戻るまで」そして、そして、どうするんだろう?
・・・・・。私はこの終わり方は好きです。三月は嵐の季節。「おばあちゃん、どうすれば愛し合ったまま年を取れるの?」そう聞いたアイスの表情と同じくらいに好きです。こんな感じがするように、ひとを抱きしめていられたらよいと思います。やっぱり私は、ひとが生きているということが好き。それだけでいいや。そう思わせてくれる、不思議なフィルムでした。