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01 Sentimental Journey - Les Brown and His Orchestra (Columbia) このコーナーでは毎回20世紀のヒットチャートを取り上げ、当時リアルタイムで洋楽を聴いておられた方にノスタルジックな感慨に浸っていただこう、そしてこの時期を知らない方には未知の音楽との出逢いのきっかけとなっていただければ・・などという意図はあまりなく、筆者の興味の赴くまま、可能な限り古い時代までカバーし、出来るだけ珍しいヒットチャートを発掘することに情熱を燃やし続けております。 昨年は1950年代のキャッシュボックス・チャート10年分を紹介し、ごく一部の方から激励のお言葉など戴きましたが、今回は更に昔のヒットチャート資料が入手できましたのでご報告&ご紹介。洋楽チャートマニアの頂点に君臨する男、ジョエル・ホイットバーンの経営する「Record Research」社は、ビルボード誌のヒットチャートをネタに何十種類というチャート本を発売していますが、昨年末に出たのが「POP HITS 1940-1954 SINGLES & ALBUMS」という本。この時代に関するチャート本は過去にも出ていましたが、これの凄いところは、カバーする年代のヒット曲すべてをリストしているだけでなく、その15年間に発表されたTOP10チャートを全週分掲載している点!素晴らしい!まさに「フラッシュバック」のために出版された本といっても過言ではない!!一般に“ロック時代”といわれている1955年以降のヒット曲ばかりでなく、それ以前のヒットチャート状況に興味のある音楽ファンにとってパーフェクトな情報提供をしてくれるに違いないこの本、是非とも入手をお薦めします。掲載内容の詳細は「Record Research」社サイトでサンプルをご覧下さい。
それではヒットチャートの紹介に移りましょう。太平洋戦争末期にあたる昭和20年7月のこの週、ビルボード誌ポップチャートのナンバー1はレス・ブラウン楽団の「センチメンタル・ジャーニー」でした。
手許にある「大東亜戦争年表」によれば、このチャートが集計されたのは熾烈を極めた沖縄戦が“組織的戦闘の終結(この言葉、最近もニュースで耳にしましたね)”となって約1ヶ月後、そして広島、長崎に原子爆弾が投下される約半月前という時期。こんな時でもビルボードは毎週ヒットチャートを発表していたんですね。
そんな時期ですからヒット曲にも当時の戦局が反映されていたりします。故郷にやっと帰れることになり、道中ちょっとセンチな気分になっている・・という歌詞の内容は、ヨーロッパ戦線からアメリカに帰国する兵士たち、そしてそれを待つ家族たちの気分にフィットし、この時代を代表するヒットとなりました。ドイツでヒットラーが自決したのが4月末、ベルリンで無条件降伏の調印があったのが5月に入ってからでしたから、この頃は戦地から本国への引揚げが本格化していた時期なのでしょう。この曲は多くの楽団による競作となりましたが、中でもドリス・デイのボーカルをフィーチャーしたレス・ブラウン楽団盤が大変な人気を博し、当時のチャートで9週連続のナンバー1を記録しました。競作アーティストも紹介しておくと、5位のハル・マッキンタイアはグレン・ミラー楽団から独立し自身の楽団を結成したサックス奏者。7位のメリー・マックスは戦中期に成功を収めたボーカルグループで、ジョー、テッド、チャドのマクマイケル兄弟に女性メンバーのチェリー・マッケイと全員の名前に“マック”が付いたことからこのグループ名となったようです。
戦局の終結に向けて着々と作業が進むヨーロッパに対し、極東では日本がただ一国意地を張り続けている状態。軍隊のラジオからはヨーロッパの戦況と「センチメンタル・ジャーニー」が・・。太平洋の各地で意固地な日本人を相手に戦闘継続を強いられていた米軍兵士達はいい加減「この戦い、終わりにしようよ・・」という気持ちが強かったのではないかと思われます。勿論米国内の世論も。国民のそんな雰囲気が、アメリカ政府及び軍部を戦争の早期終結に走らせたのでは・・?なんてこともこのチャートを見ると感じてしまいます。
なお8月に日本が降伏し、ようやく本国に帰れることになった兵士たちのBGMとなったのは、ビング・クロスビーらによって歌われ、10月にナンバー1を記録する「It's Been A Long, Long Time(お久しぶりね)」。「センチメンタル〜」は終戦直後の日本でも占領軍の放送を通じて盛んに流され、多くの日本人に“戦後の洋楽ヒット”として記憶に残されているとのことです。
もう一曲戦争関連の曲が登場しているので続いてご紹介。4位と8位に入っている「Bellbottom Trousers」は歌詞に“ラッパズボンとネイビー・ブルーのコート”とあるように、水兵を歌ったもの。元々「その勇姿は父親譲り〜」みたいな海の男の歌だったのを「故郷に帰れば幼馴染の彼女が待ってるよー。帰ったら毎日デートだよー。」と非常に明るく軽い歌詞に変えた一曲。「センチメンタル〜」とはまた別の視点から戦地引揚げの喜びや安堵感を歌っています。演奏しているトニー・パスター(4位)は様々なバンドを渡り歩いた後に1940年代に入って楽団を結成したサックス奏者で、ボーカリストとしても独特な濁声がいい味を出していた人。この曲でもその“濁声”が楽しめます。8位のガイ・ロンバードの方はビッグバンド・ジャズ以前、まだ“スイートバンド”なんて呼ばれ方をしていた1920年代後半から成功を続けている大ベテランで、30年近くにわたるチャート・キャリアで1億枚以上のレコードセールスを記録したといわれるアーティストです。
残る曲を順に紹介していきましょう。2位のジョニー・マーサーは多くのスタンダードを生み出した(日本では「ムーン・リヴァー」がもっとも有名でしょうか)ソングライターで、現在もメジャー・レーベルとしてヒット作を送り出しているキャピトル・レコードの創立者。アーティストとしての彼は、彼が遺した数々のスタンダードとはちょっとイメージが違う感じのノヴェルティやジャンプナンバーを得意としていて(ルイ・ジョーダンやルイ・プリマに通じるものがあります)この「サンタフェ鉄道(アメリカの中部と西部を結ぶ実在した鉄道)」も歌詞に地名を折り込んだ軽快なナンバー。この翌年に公開された映画「The Harvey Girls」では主演のジュディ・ガーランドがこの曲を歌っており(44年に「The Trolley Song」という電車の歌を大ヒットさせていたので、その続編という意味合いもあったのかもしれません)その年のアカデミー最優秀歌曲賞を受賞しています。
3位は1940年代の10年間に約50曲ものヒットを放ったバリトン・シンガー、ヴォーン・モンローの「There! I've Said Again」。この曲は1963年にボビー・ヴィントンが再び取り上げてナンバー1を記録、その後ビートルズ初の全米ナンバー1ヒット「抱きしめたい」にその座から蹴落とされて“時代の移り変わりを象徴する一曲”となりましたが、その時点で既に20年近い歴史を持ったヒットの焼き直しvsビートルズ、という判りやすい“新旧対決”が、より新時代の到来を印象付けたという面もあったように思われます。
6位は日本でも人気の高いピアニスト、カーメン・キャヴァレロの出世作「ショパンのポロネーズ」。この曲はタイトルにある通りショパンが祖国ポーランドの民族舞踊“ポロネーズ”のリズムをもとに作曲した18の作品の中の一つ(1842年作曲)で、正式名称は“ポロネーズ第6番変イ長調opus 53「英雄」”というそうです(まったくの受け売り)。現在もCMなどで頻繁に耳にするこのメロディをビッグバンド用にドラマチックにアレンジしたこの曲には歌詞がつけられ、この年の後半には「Till The End Of Time」のタイトルでペリー・コモ盤が大ヒットを記録しました。
残る2曲は簡単に。9位は1930〜1940年代にかけてポピュラー界のナンバー1に君臨したビング・クロスビーが登場。彼は盤上で様々なジャンルの音楽に挑戦し、また多くのアーティストと競演を果たしましたが、ここではスペインはバルセロナの出身、日本でもお馴染みのバンドリーダー、ザビア・クガートと競演してラテン・リズムに挑戦。ドナルド・ダックが道中知り合った鳥二羽と共にラテン・アメリカの各地(実写)を珍道中、という政府の中南米友好政策のプロパガンダ的匂いのするディズニー映画「The Three Cavalleros」からのナンバーです。最後10位はベニー・グッドマン楽団の「Gotta Be This Or That」。有名楽団の名がズラッと並ぶこのチャートですが、戦争が終わるとリスナーの音楽趣向の変化もあったのかビッグバンドは次第にヒットパレードの主役から退き、そこから独立を果たしたソロシンガーたちが勢力を拡大していくこととなります。
(2003.7.22)Flashback Homecopyright (c) 2000-2003 by meantime, all rights reserved. |