TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ Billboard Best-Selling Popular Retail Records May 10, 1947
01 Heartaches - Ted Weems (RCA Victor/Decca)
02 Linda - Ray Noble with Buddy Clark (Columbia)
03 Mam'selle - Art Lund (MGM)
04 Mam'selle - Dick Haymes (Decca)
05 My Adobe Hacienda - Eddy Howard (Majestic)
06 Anniversary Song - Al Jolson (Decca)
07 Linda - Charlie Spivak (RCA Victor)
08 Heartaches - Harry James (Columbia)
09 Mam'selle - Dennis Day (RCA Victor)
10 Mam'selle - The Pied Pipers (Capitol)
昭和22年5月第2週の全米チャートナンバー1は、テッド・ウィームス楽団の「ハートエイクス」でした。
前回同様このチャートが発表された頃の我が国の状況を紹介しておきましょう。前年に引き続き戦後の体制が立ち上がりつつあったこの年、4月にはまず国民学校が廃止され、小・中・高の6・3・3制が発足、最初の統一地方選、参院選、衆議院議員選挙法に基づく最初の総選挙と立て続けに選挙が行われ、5月3日には日本国憲法が施行されます。政局ではフランスやイタリアで閣僚から共産党の排除が行われ“東西対立”の種が蒔かれる一方で、我が国では第1次吉田内閣が総辞職し、総選挙で勝利を収めた社会党委員長の片山哲を首相に据えた連立内閣が成立。流行歌ではこの年の後半に“ストリート・ソング”♪こんな女に誰がした〜の菊池章子「星の流れに」と、笠置シヅ子の「東京ブギウギ」という極対照的に時代の空気を反映した名曲がリリースされ、スポーツでは“フジヤマのトビウオ”古橋廣之進が国民を熱狂させ・・と、社会の教科書のようになってきたのでコチラの昔話はこのくらいにしつつ「その頃海の向こうでは・・」の話題に移りましょう。
前回もちょっと触れましたが、この時代はヒット曲が生まれると人気アーティストが挙ってそれをカバーし、ヒットパレードに送り込むという“大競作時代”でして、この週はその傾向が特に顕著でTOP10に登場している曲が実質5曲しかない!今回はこの5曲をじっくり語ってみることにしましょう。まずトップのテッド・ウィームスは1920年代から活躍を続けているベテランのバンドリーダー。その人気の最盛期は20年代半ば〜30年代前半の10年間で、ものの本によればこの時代に彼は20曲以上のヒットを放っています。第2次世界大戦がはじまり、楽団員が次々と戦地に赴くと彼は暫しバンド活動を停止しますが、終戦を機に再編。偶然にもこの年ノース・カロライナのラジオDJが、ウィームスが1933年に録音していた「ハートエイクス」を気に入って繰り返しオンエアしたところこれが全国的に火がつき、ヒットパレードのトップに踊り出るという珍事が起こってオールドスタイルな彼のバンドは一躍注目の的となりました。
「ハートエイクス」は1930年代当時としてはモダンなラテン・リズムのインストで、ノンビリしたメロディがなんとも心地いいナンバー。人々の耳を捉えた最大の要因は、2番のメロディをユーモラスな口笛で吹き通している点にあるのでしょう。この思いがけないヒットのお礼に、ウィームス楽団は件のラジオDJの誕生パーティーで出張演奏をプレゼントしたそうですが、10年以上前に録音した曲を100万枚以上売ってくれたんですから、これくらいするのは当然ですよね。この時期彼はマーキュリーに所属していましたが“インスタント・スマッシュ”を機に各社は競って彼の過去のカタログを再発。RCAだけでなくデッカも1938年に再録音された「Heartache」をリリースしましたし(ヒットチャートには両方のレコード番号が並記されていたようです)、39年に録音した「I Wonder Who's Kissing Her Now(米2位、ボーカルは若きペリー・コモ)」も大ヒットと、ウィームスにとって1947年は人生最大の賑やかな年となりました。このブームに便乗する形でハリー・ジェイムス楽団盤もリリースされましたが、オリジナルの人気には遠く及びませんでした。
続いて2位、そして7位に入っているのは「リンダ」。この曲はイギリスのジャック・ローレンスというソングライターが彼の顧問弁護士の依頼に基づいて1943年に書いたもの。その動機としては「2人の友情説」と「顧問料代わり」説の2つがあるのですが、ここでは美しい「友情説」を採用してみましょう。ローレンスは弁護士に「妻のルイーズも、息子のジョニーも、娘のローラも、自分の名前が歌い込まれた曲があってそれを誇りにしているのだが、末娘のリンダだけ自分の歌がない。彼女のために曲を作ってもらえないだろうか。」と依頼され、意気に感じて書いたのがこの曲なんだとか。作られて暫くこの曲は誰にも見向きされませんでしたが、1946年にイギリスのトップ・ダンスバンドのリーダー、レイ・ノーブルの目に止まり録音が実現。これが大西洋を跨る大ヒット(アメリカでもナンバー1)となりました。但し出来上がったバージョンは当時5歳だったリンダちゃんが主役ではなく、ボーカルのバディ・クラークが道ばたで女の子をナンパし「ねぇ、君の名前なんていうの?」「あんたには関係ないでしょっ!」「じゃ、リンダでいいや。」といきなりリンダに捧げるラブソングを歌い始めてしまうという、なんとも可笑しなものになっていましたが。
で、このエピソードが面白いのはその依頼主である弁護士がリー・イーストマンといって、その娘“リンダ”が実はリンダ・イーストマン、後のリンダ・マッカートニーである点。1947年、リバプールのジェームズ・ポール・マッカートニー少年はまだ5つになるかならないか。そんな時期に彼の将来の伴侶は全米チャートを制覇してしまっていたという・・。ヒットチャートファンの間では有名なこぼれ話でした。
そして3位以下4位、9位、10位と凄い勢いでチャートを独占しているのが「マムゼル」。これはイギリスの作家サマセット・モームの小説「The Razor's Edge(剃刀の刃;1944年)」を映画化したものの主題歌で、アメリカからヒマラヤまで世界各地で物語が展開される壮大な(しかも10年以上に亘る)小説の主舞台であるフランスに因んで「マムゼル(=マドモアゼル)」というタイトルになっています。主演の“オリジナル「怪傑ゾロ」”タイロン・パワーの大戦からの復員第一作であり、主題歌を歌ったアート・ランドも元数学教師からベニー・グッドマン楽団のシンガーとなり、その後出征して復員後この曲を吹き込みと、舞台は第1次大戦ながら当時のリアルタイムな空気を多分に反映したものであることが想像できます。
物凄い競作合戦となったこの曲、記録を見ると全部で7つのバージョンがこの年のヒットパレードに登場していますが、アート・ランドのバージョンがミリオン・セラーを記録して一番人気。続いてこのチャートには登場していませんが大戦中夫や恋人を戦地に送り出した婦女子たちの“仮想恋人”としてヒステリックな人気を誇ったフランク・シナトラのバージョンもナンバー1を記録しています。が、この“バーチャル”な熱狂も映画や音楽界同様続々と男臭い連中が本土に復員してくるとたちまち下火となり、シナトラは低迷期に陥ることに。その後イメチェンを果たし、新天地キャピトルからリリースしたシングル「Learnin' The Blues(1955年)」で彼が再びヒットチャートのトップに返り咲くには、なんと8年もの歳月を要することになります。
余談を一つ。映画「剃刀の刃」、映画評を観るとあまり評価は芳しくないようですが、この映画(原作?)にほれ込み、80年代に制作と主演両方をこなしてリメイクを果たしたのがビル・マーレー。「サタデイ・ナイト・ライブ」で売り出した彼はこのリメイク権(プラス資金援助)と引換えに「ゴーストバスターズ」への出演を承諾したんだとか。結果的にどちらが彼のキャリアにプラスになったかは、言うまでもありませんが。現在最新作「ロスト・イン・トランスレーション」が大変な人気で、渋谷の映画館に行っても人多すぎで観ることが出来ないといわれる盛り上がりの効果なのか、当時本邦未公開に終わったマーレー版「剃刀の刃」が今月DVD化されることになったようです。「〜トランスレーション」を観てこのDVDを手にとる人が果たしているのかどうかは、甚だ疑問ですが。
5位のエディ・ハワード「マイ・アドビ・ハシエンダ」は1941年にルイーズ・マッセイというカントリー・シンガーがヒットさせていた曲のカバー。メキシコ風味のコーラスがなんともいい感じです。この時代を代表するクルーナーの一人であるハワードは物凄い数のヒット曲を残していますが、中でも印象深いのが1953年、ハワイの日系2世服部レイモンドが作曲した「Gomen Nasai (Forgive Me)(最高17位)」ですね。「ゴ〜メナサ〜イ〜」という日本語(?)もそうですが、ラテン風味がこれまたいい感じで、私は時折棚から彼のCDを引っ張り出し、この曲を聴いています。
最後6位はアル・ジョルスンの「アニヴァーサリー・ソング」。ヴォードヴィル出身で顔を黒く塗り黒人のように声を張り上げて歌うスタイルで1910〜20年代に絶大な人気を博し“アメリカ最初のポップ・スター”と言われる彼は、膨大な数のヒットを生みました。30年代以降ヒットパレードから姿を消した彼がこの年になってTOP10に返り咲いているのは、彼の伝記映画「ジョルスン物語」が公開され、大ヒットを記録したから。俳優ラリー・パークスがジョルスンに扮し、歌はジョルスン本人が吹き替えたこの映画のために用意された「アニヴァーサリー〜」は19世紀の古い歌をベースにしたものでしたが、その後サントラからは往年のジョルスンのヒット曲が再録で次々とカットされ、都合3枚のシングルと1枚のアルバムがミリオンセラーを記録、アルバムチャート(当時既にあったんです)では3枚のアルバムが入れ替わり立ち替わり合計49週間1位を独占するという当時“レコード産業始まって以来”と言われた劇的なカムバックになりました。
(2004.5.11)
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