TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ Cash Box Top 40 Best-Selling Singles: Week ending March 25, 1950

01 Music! Music! Music! - Teresa Brewer with Dixieland All Stars (London)
02 Chattanoogie Shoe Shine Boy - Red Foley (Decca)
                               - Bing Crosby (Decca)
03 Rag Mop - Ames Brothers (Coral)
           - Ralph Flanagan & Orchestra (RCA Victor)
           - Lionel Hampton & Orchestra (Decca)
           - Johnnie Lee Wills & His Boys (Bullet)
04 The Cry Of The Wild Goose - Frankie Laine (Mercury)
05 I Said My Pajamas (And Put On My Pray'rs) - Tony Martin & Fran Warren (RCA Victor)
06 There's No Tomorrow - Tony Martin (RCA Victor)
07 Daddy's Little Girl - Dick Todd (Rainbow)
                       - Mills Brothers (Decca)
08 It Isn't Fair - Sammy Kaye & "Swing And Sway" Orchestra (RCA Victor)
09 Dearie - Ray Bolger & Ethel Merman (Decca)
          - Jo Stafford & Gordon MacRae (Capitol)
          - Guy Lombardo & Royal Canadians (Decca)
10 If I Knew You Were Comin' (I'd've Baked A Cake) - Eileen Barton (National)
                                                   - Georgia Gibbs (Coral)
 このコーナーはこれまでビルボード誌のヒットチャートを中心に紹介してきましたが、同誌の公式記録としてきちんとまとめられているのは現行の「HOT100」がスタートした1958年以降と、もうちょっと遡ってその前身である「TOP100」が存在した1955年以降のみで、同誌定義の“ロック時代”以前の記録は国宝的名著「POP MEMORIES 1890-1954」と、それに付随する資料を除けば現状気軽に調べられる状態にはありません。

 そんな中、ある方に「50年代のチャートが載っているサイトがあるよ。」と紹介してもらった先から情報を得、今回の企画が実現することとなりました。ビルボード誌のライバル的存在として1990年代まで発行が続けられた「CASHBOX」のヒットチャート。まずは1950年のチャートを眺めてみましょう。

 現在見慣れたヒットチャートのスタイルとは印象が異なりますが、それは一曲に複数のアーティスト名が表記されているから。当時はヒット曲の競作盤が盛んに録音され、多くのバージョンがチャートにランクインしたものでしたが、それらをひとまとめにしたのがこれ。

 この週1位を記録していたのはテレサ・ブリュワーの「Music! Music! Music!」。子役出身の彼女が陽気に歌い上げるこの曲には、ディキシーランド・オールスターズによるニューオリンズ・スタイルの演奏がつけられていますが、偶然にもこの週10位に入ってきた(その後1位を記録)やはり子役出身のアイリーン・バートン「If I Knew Were Comin' (I'd've Baked A Cake)」でもディキシーランド風のサウンドがフィーチャーされていました。当時既に“懐かしの”という雰囲気の曲調ですが、こういったものが流行る風潮があったのでしょうか?なおテレサ嬢はその後60年代までヒットチャートに登場し続け、後年はジャズ寄りのキャリアを歩んでいくことになります。一方アイリーン嬢のヒットチャート上の活躍は数年で終わり、多くの人にとって彼女の歌声は「あなたが来るって知ってたら、ケーキでも焼いておいたのに!」というコミカルなこの曲によってのみ記憶に残っています。

 続いて2〜4位の顔触れを見てみると、なんだか当時は“カントリー・ブーム”であったかのような様子が窺えます。この前年あたりからポピュラー系のアーティストが盛んにカントリー・ナンバーを取り上げるようになり、50年代前半はカントリー畑産のポピュラーヒットが多数生まれたのでした。まず2位の「Chattanoogie Shoe Shine Boy」は当時のカントリー界の大スター、レッド・フォーリーの代表曲(カントリーチャート13週連続1位、ポップチャートでも1位)。テネシー州の“チャタヌーガ”という、ここ出身の人は自己紹介するとき「チャタヌーガ出身です(笑)。」と必ず“(笑)”付きでやるであろう明るい語感どおり、非常に陽気で調子のいいナンバー。なおレッド・フォーリーにはシャーリーという娘がいて、彼女と結婚したのがパット・ブーン。やや変則的ではありますが、この一家はレッド・フォーリー、パット・ブーン、そしてその娘のデビー・ブーンと、三代に亘ってヒットチャートのナンバー1を記録した数少ないファミリー(他には「陽気なネルソン」一家くらいのものでしょう)ということができます。

 で、この曲をポピュラーの世界で取り上げたのが、メインストリーム中のメインストリーム、ビング・クロスビー。彼はとにかくどんなジャンルの曲でも“見境なく”取り上げてヒットさせ、それがそのジャンルの音楽を、多くの人々に知らしめるきっかけとなる存在でありました。30年代後半から40年代にかけてハワイアンを本土でメジャーな存在にしたのも恐らく彼の功績でしょうし、カントリーでもそのスタンスは変わらず。余談ですがこの曲は日本でもかなり親しまれたようで、翌1951年には曉テル子の陽気な「東京シューシャイン・ボーイ」というヒット曲が生まれています。

 3位の「Rag Mop」もやはりオリジナルはカントリー・シンガーのジョニー・リー・ウィルスによるもの(カントリーチャート2位)。言葉遊びのようなフレーズの連続が楽しいこの曲でもっとも流行ったのは、なんといってもポップ・ボーカルグループ、エームス・ブラザーズのバージョン。カップリングに収録されたバラード「Sentimental Me」がこの数カ月後に再浮上して1位になったこともあり、彼らのシングルはミリオンセラーを記録しました。しかし、ここで特筆しておくべきなのは、この曲がR&Bでも大ヒットしたということでしょう。上記のライオネル・ハンプトンだけでなくジョー・リギンスなど複数のバージョンがR&Bチャートの上位に登場したという点で“R&R的な広がりをみせたごく初期のヒット曲”という見方をすることができるかも知れません。

 続く4位はフランキー・レインの「The Cry Of The Wild Goose」。彼は非常にサービス精神旺盛な人のようで、この頃から盛んにカントリー&ウェスタン的な作品を取り上げるようになり、それがその後誰でも知ってる「ローハイド」のテーマにつながっていくのですが、個人的な見解を述べさせていただけば、私はこの路線好きじゃないんですよねー。悪ノリが過ぎてて。それによってボーカリストとしての彼の評価が随分歪められている気がします。この曲は前年大ヒットとなった「Mule Train(ポップチャート1位)」同様カントリー・シンガー、“テネシー・アーニー”フォードとの競作。

 そして5位、6位にはイタリア系の男性シンガー、トニー・マーティンが登場。“イタリア系”のイメージ通り朗々と歌い上げるスタイルを得意とした彼の「There's No Tomorrow(6位)」は、イタリアで20世紀初頭に出版された有名なポップソング「O Sole Mio」のメロディを借用したナンバー。この数年後、エルヴィスがまったく同じ手法で「It's Now Or Never」を大ヒットさせたのは、以前このコーナーで書いたことがあるような気がします。順番入れ替わって5位の「I Said My Pajamas (And Put On My Pray'rs)」は、女性シンガー、フレン・ウォーレンとのデュエット。これが微笑ましい。デートの後、おやすみのキスをして、でもまだ一緒にいたい・・という会話が、やがてプロポーズにつながっていくという。ここではトニーさん、珍しく声を張り上げず(当たり前か)囁くように愛を歌っています。

 7位は近年でいえば「Butterfly Kisses」的な“親バカソング”ですかね、「Daddy's Little Girl」。この曲を歌ったミルス・ブラザーズは、ポップチャートで長期間成功を続けた黒人ボーカルグループの元祖的存在。彼らはヒットチャートに登場した1930年代前半からこの時期までギター一本とコーラス、というスタイルを約20年守り続けてきましたが、流石に時代の移り変わりには勝てず、翌51年からはオーケストラをバックにレコーディングするようになります。当時彼らのライバル的存在(というか後輩格)のインク・スポッツというグループがいて、彼らもギター一本からオーケストラへとイメチェンを図ったのですが、それが成功せずヒットチャートをフェイドアウトしていったのに対し、ミルス兄弟は見事に適応、その後も「Be My Life's Companion(52年米7位)」「The Glow-Worm(同1位)」といった代表曲を生みました。彼らが最後にTOP40入りしたのは1968年の「Cab Driver(運ちゃん天国)」ですから、実に約40年、今日のアイズリー・ブラザーズ並みの生命力を持ったグループだった訳です。

 8位はサミー・ケイ楽団の「It Isn't Fair」。彼らは1930年代後半から50年代前半にかけて100曲以上のヒットを生んだメロウな持ち味のビッグバンド。1940年代前半のビッグバンドのレコードは、1コーラス目はバンドの演奏(インスト)、2コーラスめになってようやくボーカルが登場、というスタイルが一般的でしたが、彼の楽団がユニークなのは、2コーラス目の歌が始まる前に「この美しい曲を歌うのは◯◯◯◯」と、フィーチャーされるシンガーの名前を“玉置宏スタイル”でサミーさんが紹介するところ。40年代半ばになって、レコードの主役がバンドからシンガーに代わるとこのスタイルの録音はなくなりますが、この曲はいにしえの人気バンド、アイシャム・ジョーンズ楽団1933年のヒット曲のカバーということで、この“玉置スタイル”を久々に復活させています。フィーチャーされているシンガー(甘い歌声だけど、魅力的とは言い難い・・)ドン・コーネルは長年看板を務めていた同楽団から翌年独立、ソロとしても成功を収めました。日本では1957年の「Mama Guitar(米47位)」が特に親しまれたようです。

 最後9位は舞台「Copacabana Show Of 1950」から生まれた先ほどの「I Said My Pajamas」系の軽〜いポップソング「Dearie」。ということでレコーディングは伝説的なブロードウェイ女優、エセル・マーマンや「オクラホマ!」のオリジナル・キャストなどで活躍したゴードン・マクレーなど、役者畑シンガーの吹き込みが多いようです。マクレーの相手を務めたジョー・スタッフォードは、自身も数えきれないほどのヒットを生んだ大スターでしたが、そのクセのない歌声と、あと恐らく性格も非常によかったのでしょう、頻繁に様々なアーティストのデュエットに駆り出され、マクレーとは10曲のヒットを生みましたし、この年の後半コロンビアに移籍してからも、同じく同社に移籍したフランキー・レインと組んで多くのデュエット作を発表しました。本当にいい人だったんでしょう。


(2002.3.27)

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