TOP10 HITS OF LAST CENTURY
Presented by meantime

■ SP盤 1952年9月のベスト・セラーズ

1.キッス・オブ・ファイア/ジョージア・ギブス(Mercury)
2.キッス・オブ・ファイア/ルイ・アームストロング(Decca)
3.第三の男/ガイ・ロムバ−ド楽団(Decca)
4.ドミノ/ドリス・デイ(Columbia)
5.キッス・オブ・ファイア/ビリー・エクスタイン(MGM)
6.ハイ・ヌーン/ビル・ヘイズ楽団(MGM)
7.ドミノ/ビング・クロスビー(Decca)
8.エニイ・タイム/エディ・フィッシャー(Victor)
9.トラムペット・ブルース/ハリー・ジェームス楽団(Columbia)
10.セプテンバー・ソング/ビング・クロスビー(Decca)

 昭和27年9月の洋楽シングル・セールスチャート1位は、ジョージア・ギブスの「Kiss Of Fire(米1位)」でした。

 8〜9月にかけて、このコーナーで紹介したチャートを掲載していた「ダンスと音楽」誌は、その名の通り社交ダンスの月刊誌。戦前より続く雑誌だそうで、戦争が終わって昭和24年に「モダン・ダンス」名で復活、翌25年にこの誌名に変更され、1997年(平成9年)まで発行が続けられた超長寿誌でした。ダンスの記事(大会報告、ステップ解説、ダンス教室の紹介等)に加え、ダンスつながりで各地の“キャバレー・シーン”のレポートもあり(中には“××町のキャバレー「〇〇〇」が警察の摘発を受ける”なんて記事も・・)、また洋楽情報も充実していました。ちょうどコロムビアから「L盤(1949年より)」、ビクターから「S盤(こちらは1951年から)」シリーズがスタートし、他社も次々と外国レーベルと販売契約を結んでレコードの発売を始めた時期でしたから、号を追ってリリース記事が充実、現在となっては大変貴重かつ詳細な資料となっています。

 そんな中で1952年2月分(同年4月号掲載)より同誌が“ファンと業界に大センセイション捲起す人気調査”と銘打ってスタートさせたのが「ベスト・セラーズ・レコード・パレード」。調べてみたらイギリスの「New Musical Express(NME)」紙がイギリス初のヒットチャートを掲載したのはこの年の11月のことだそうですから、それよりも半年以上早いという。都内11店鋪を集計対象にスタートさせたこのチャート(因みに最初のナンバー1に輝いたのはナット“キング”コールの「Too Young」でした)は、やがてネットワークを全国に広げ20〜30店舗の売上報告をベースに1973年末まで集計結果の発表を続けました。我が国洋楽シーンの変遷を調べる上で、最古、かつ長期継続的なデータとしてこのチャートの価値は大変なものがあると私は考えています。

 同誌のデータは現在収集&集計中なので、いずれまとめてホームページに掲載したいと思っています(来年中かな?)。では各曲の紹介に参りましょう。これまでも何度かこのコーナーに登場しているジョージア・ギブスはその芸名とは何の関係もないマサチューセッツ出身のポピュラー・シンガー。1930年代からビッグ・バンドで歌ったり、ラジオ番組に登場したりと幅広く活躍していましたが、ヒットチャートに登場するようになるのは1950年代に入ってから。50年代後半には次々とR&Bをカバーしてヒットチャートに送り込み“白人による黒人音楽搾取”の象徴的存在として現在もロック史本にしばしば登場することがありますが、この“芸風”は何もその頃始まったものではなく、この時期だって彼女の得意技は“カバー”。この「キッス・オブ・ファイア」はアルゼンチンのタンゴ「エル・チョクロ」のボーカル版で、以前も書いたことがありましたがこの時期アメリカのヒットチャートはラテン音楽ブームの様相があり、ルロイ・ホルムズの「Blue Tango」なんて曲が全米ナンバー1を記録したのを受けて、ポピュラーの世界に様々なタンゴ曲が登場していました。中でも成功を収めたのがこの曲で、競作盤も紹介しておきますと2位のルイ・アームストロング(米20位)はいわずと知れた世紀のエンターテイナー、5位のビリー・エクスタイン(米16位)はバラードを得意とした黒人シンガー。更にこの月のチャート下位13位には白人シンガー、トニー・マーチン盤(米6位)がランクインしていますし、加えてアメリカのチャートではトニ・アーデン(14位)、ガイ・ロンバード(30位)と、一大競作合戦となりました。

 この曲は当時日本でも大変なヒットを記録したようで、同誌の記事には“レコード屋でこのシングル盤が欲しいけど、タイトルの「キッス」を言うのが恥ずかしくてしどろもどろ・・”なんて店頭の様子のレポートが見かけられます。半世紀前は、まだそんな奥ゆかしい光景が町中で見られたんですね。そういえば“レッド・スネーク、カモ〜ン”の「東京コミック・ショー」が、まだ奥さんが元気だった頃にやっていたヘビ遣いのコントでは、赤と緑のヘビがガッチリとキスするところでショパン猪狩さんが「キッス・オブ・ファイア〜!」って言うんですよね。当時を知る人には、それだけ印象深いヒット曲ということなんでしょう。

 続いて3位は有名な映画テーマ曲、ガイ・ロンバードの「The Third Man Theme(50年米1位)」。オーソン・ウェルズ主演映画のテーマに使用されたのは、アントン・カラスが「チター」という珍しい楽器を使用したバージョン(こちらも50年に米ヒットチャート1位)で、現在は専らこちらが聴かれていますが、ロンバード楽団によるビッグ・バンド版も当時は負けないくらいのヒットを記録しています。逆に、当時の同誌チャートにはアントン・カラス盤が登場していないのが不思議です。不思議といえば、このカラス盤「第三の男」、日本とアメリカでCD化されている録音が違うのも謎です。映画のサントラと、実際にあちらでシングル盤として発売されたバージョンが違うのでしょうか?

 続く4位はドリス・デイの「Domino(米21位)」。これはフランスのシャンソンが原曲で(後に「パパと踊ろうよ」が日本で大ヒットするアンドレ・クラヴォーが歌っていました)、英語に訳されてアメリカではトニー・マーチン盤が最も売れましたが(9位)、日本ではドリス・デイの哀愁溢れるバージョンが圧勝。彼女の日本における代表的ヒットの一つとなりました。競作盤としては“何でも歌う”ビング・クロスビー(米15位)もこのチャート7位にランクインしていますが、この曲はおいといて10位の「September Song」の方を。

 「セプテンバー・ソング」は1930年代にマックスウェル・アンダーソンとクルト・ワイルによって書かれ、39年にはウォルター・ヒューストン(映画監督ジョン・ヒューストンの父)がヒットを記録していますが(米12位)、ここでリバイバルしているのはこの曲が映画「旅愁(September Affair)」に使用されたから。南イタリアで偶然出逢った壮年男女が、その出逢いを楽しむあまり乗り遅れてしまった帰国の飛行機が墜落し、二人が生死不明となったことを機に新しい人生の可能性を考える・・というロマンチックな作品の中で“オールディーズ”としてかけられていたのが他でもないヒューストンのレコード。アメリカではこのリバイバルに乗りスタン・ケントン楽団盤(51年米17位)と“元祖ピアニスター”リベラーチェ盤(米27位)がヒットしました。“人生の秋”を唄ったこの曲はその内容の深さもあって名唱が多く、その後も多くのアーティストが取り上げましたが、一番はやはりフランク・シナトラがビートルズの「Rubber Soul」やビーチ・ボーイズの「Pet Sounds」といった傑作が次々と生まれた時代に発表した名作コンセプト・アルバム「September Of My Years」に収録されたバージョンでしょう。

 残る曲は簡単にいきましょう。6位と8位はどちらかというとカントリー系。6位「High Noon」はゲイリー・クーパー主演の映画「真昼の決闘」主題歌。オリジナルのサントラで唄っていたのはこの月のチャートで12位にランクインしていたカントリー・シンガーのテックス・リッター(米12位)で、アメリカではフランキー・レインのバージョンが更に売れました(米5位)が、日本では発売のタイミングの妙かビル・ヘイズによる盤がヒットしていますね。彼は歌手よりは役者として知られた人のようですが、1955年には「The Ballad Of Davy Crockett」で全米ナンバー1を記録しています。8位エディ・フィッシャーの「Anytime(米2位)」は1920年代に作られた古い歌でしたが、この時期はカントリーのエディ・アーノルドのヒット(48年米17位)としてお馴染みでした。

 最後9位はハリー・ジェイムス楽団の「Trumpet Blues (And Cantabile)」。この曲は彼が1942年に録音したもので、何故この時期にヒット?と思ったら、この曲NHKのラジオ番組「リズム・パレード」のテーマとして使用されていたそうです。そうですか・・。


(2003.9.30)

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