12位 Marianne - Terry Gilkyson & The Easy Riders('57米4位)
|
 |
エルヴィス・プレスリーの登場で盛り上がったR&Rに続き、57年にアメリカの音楽界で“次のブーム”として注目されたのがカリブ海の音楽「カリプソ」。ブームで最大のスターとなったのは後述のハリー・ベラフォンテだが、他にも様々なアーティストによるカリブ海の国々に題材を得たヒット曲がこの年生まれている。シンガーソングライターのギルキーソンとカリフォルニア出身のフォークグループ、イージー・ライダーズが組んだ「マリアンヌ」もその系統で、こちらはバハマの民謡を元に作られたもの。明るい曲調がウケて多くのアーティストに取り上げられ、日本でも人気を博した。ギルキーソンは作曲家としても数々のヒットを残しており、55年の全米ナンバー1ヒット、ディーン・マーチンの
「Memories Are Made Of This(想い出はかくの如く)」は彼のペンによるものである。
|
12位 Giant - Ray Heindorf and The Warner Bros. Orchestra
|
 |
55年10月に事故死したジェームス・ディーンの遺作ということで、長篇ながら大変なヒットを記録した映画「ジャイアンツ」は、日本では56年暮に公開され、延々とヒットパレードに居座り続ける「エデンの東」と競うようにテーマ曲も人気を集めた。本国でこの曲はレス・バクスター('56米63位)やアート・ムーニー(同77位)のバージョンがヒットチャートに登場したが、日本ではレイ・ハインドーフが指揮した映画のサウンドトラックがそのままレコード化され、大ヒットを記録。ディミトリ・ティオムキン作曲の陽気なオーケストラ・サウンドに、テキサスやメキシコの音楽が巧みに織り込まれている。なお「Giant」とはテキサス州の別称で、歌詞もテキサス賛歌になっているが、日本で公開される際に何故か複数形の「ジャイアンツ」となったのは、やはり「読売巨人軍」人気の影響だろうか?
|
14位 Theme From "The Proud One" - The Three Suns
|
 |
スリー・サンズ(マネージャーはプラターズを手がけたバック・ラムが務めていたそうだ)はいわゆる“イージー・リスニング”グループで、当時流行したインスト曲を片っ端からカバー。シングルカットされた曲は日本で次々とオリジナルを超えるヒットを記録し、人気グループとなった。「誇り高き男」は西部を舞台にした同名映画のテーマで、作曲はアルフレッド・ニューマン(ランディの叔父)。このグループは曲にリスナーの耳を惹く効果音を入れるのが巧みで、ここでも終始鳴り響く「ビョ〜ン、ビョ〜ン」という音が非常に耳に残る。なおメンバーのアル・ネヴィンスはその後裏方に転じてボビー・ダーリンのマネージャーだったドン・カーシュナーと組み音楽出版社を興すことになるのだが、その会社こそが「アルドン・ミュージック」。彼は60年代ポップス黄金期の立役者となる。
|
15位 All Shook Up - Elvis Presley('57米1位/英1位)
|
 |
エルヴィスが日本に初めて紹介されたのはRCAビクターがサン・レコード時代の音源を買い上げた時に再発したシングルの中の一枚「I Forget To Remember To Forget(忘れじの人)」と「Mystery Train(ミステリー・トレイン)」のカップリング盤。当然のことながらこれはヒットせず、その後リリースされた「ホートブレイク・ホテル」でブレイクすることになるのだが、残念ながらこのチャートはその時期までをカバーしてはおらず。ちょっとコミカルな印象もある軽いナンバー「恋にしびれて」は、「冷たくしないで」他エルヴィスに数多くのヒットを提供した黒人ソングライター、オーティス・ブラックウェルの作品。リーバー&ストーラー同様この時期のエルヴィスの作風を決定づけた存在といえるが、意外にも両者は結局一度も顔を会わせる機会がなかったという。
|
15位 Tammy - Debbie Reynolds('57米1位/英2位)
|
 |
1950年代のMGMミュージカル黄金期を飾った女優の一人、デビー・レイノルズの代表作といえばなんといっても「雨に唄えば(52年)」だと思うが、代表曲を挙げるとなればやはり「タミー」だろう。この曲は彼女が主演(共演は近年の強烈なコメディ演技が印象的なレスリー・ニールセン)した映画「Tammy and the Bachelor」の主題歌。ミュージカル映画の中ではつらつと唄うシーンが多い彼女にしては異色の“囁き歌唱”で、これは日本で特に人気が高い(参考までに書いておくと、彼女の地声は結構低い)が、当然のことながらアメリカでも熱心なファンは多く、中でも有名なのがモータウンの社長ベリー・ゴーディ。彼はこの翌々年設立したレーベルに「タミー」と名づけたかったが既に使われていたためそれが叶わず、泣く泣く「タムラ」にしたという逸話が残されている。
|
17位 Theme Musique de "Jeux Interdits" - Narciso Yepes
|
 |
1952年にフランスで制作された映画「禁じられた遊び」が日本で最初に封切られたのは翌53年(昭和28年)のこと、その後度々リバイバル上映されており、これはおそらく最初の“リバイバル・ヒット”。子供二人を主人公に戦争の無意味さを訴えたこの映画に、スペイン民謡を元に作られたというクラシック・ギターによる物悲しいメロディは非常にハマり、世代を超えて愛聴される名曲となった。ギター奏者ナルシソ・イエペスはこれ一曲で世界的な名声を博したといってよく、特に根強い人気を誇った日本には1960年以降度々訪日、死の前年の96年までに20回近く来日公演を行ったという。ギター初心者にはメロディと開放弦何本かをつま弾くだけで曲のさわりが弾けた気になってしまう曲、ということで、最初の練習曲として選んだ記憶のある人も(世代を超えて)多いのではないかと思う。
|
17位 Anastasia - Pat Boone('56米37位)
|
 |
我が国のヒットパレード黎明期に次々とヒットを放ったパット・ブーンだが、記録を見るとその認識は本国とは違いかなり“映画スター寄り”だったような印象がある。アメリカでは「Don't Forbit Me('56米1位)」のカップリングとして中ヒットを記録したこの曲だが、日本での評価はまったく逆、イングリット・バーグマンが悲劇のロシア皇女アナスタシアに扮した映画の主題歌であるこちらが、物悲しいメロディも日本人の琴線に触れたのか大ヒットを記録している。1918年に革命軍に惨殺されたとされるアナスタシアだが、その後根強く生存説が全世界で囁かれ続けたそうで(日本でいう義経的存在?)、その生死の判定をめぐる裁判はヨーロッパで70年代まで続き、「アナスタシア」を題材にした映画は今から数年前にディズニーがアニメ化するまでに何回もリメイクされ続けている。
|
17位 Only You - The Platters('55米5位/英18位)
|
 |
「オンリー・ユー」は元々プラターズがR&Bレーベル「フィデラル」から発表した泥臭いドゥ・ワップだった。彼らのプロデューサー兼マネージャーのバック・ラムは、同じくマネージメントを務め「Earth Angel」で人気を博していたペンギンズと抱き合わせでプラターズをマーキューリー・レコードに紹介。移籍後ペンギンズは一曲もヒットを放つことが出来なかったが“オマケ”だった彼らはオペラ・スタイルのボーカルを得意とするトニー・ウィリアムスをフィーチャーしポップにイメージ・チェンジ、当代随一の人気グループに成長した。日本では当初マーキュリーが関西のマイナーレーベルと配給契約を結んでいたため全国ヒットとはならなかったが、この年メジャーのビクターが配給を始めて浸透。以降オールディーズのスタンダードとして際立った人気を誇っている。
|
20位 Cindy, Oh Cindy - Eddie Fisher('56米10位/英5位)
|
 |
エルヴィス登場以前、1950年代前半の男性アイドルの中で間違いなくナンバー1はエディ・フィッシャーだろう。50年のソロデビュー以降トップ・アイドルとして多くのヒットを放った彼はR&Rの時代に入っても人気は衰えず。「いとしのシンディ」はフォークグループ、タリアーズのレパートリーのカバーで、元は水兵たちが海に出て好んで唄った曲から採譜されたものだそうだが、このレコードの雰囲気は明らかにこの年の“カリプソ・ブーム”を意識したものだろう。なお彼はアメリカ芸能史上に残るプレイボーイとしても知られており、この時期は前述のデビー・レイノルズと結婚生活を送っていたが59年には夫を亡くしたエリザベス・テイラーと深い関係に陥り再婚、その後はティーン・アイドル、コニー・スティーヴンスと結婚・・と、60年代以降は専らその方面で健在ぶりをアピールした。
|
20位 Boy On A Dolphin (Tinafto) - Sophia Loren
|
 |
今年の前半に日本で公開された映画「ライフ・イズ・コメディ! ピーター・セラーズの愛し方」でもセラーズが家庭を放り出してソフィア・ローレンにメロメロになる様子が描かれていたが、彼女に夢中になったのはイギリスの野心的なコメディアンだけではなかったようだ。前年イタリア映画「河の女(ここから彼女の代表的なヒット「マンボ・バカン」が生まれている)」でブレイクした彼女はこの年アメリカに渡って今度は「島の女」に出演。物語の発端となる「イルカに乗った少年」のブロンズ像を唄ったこの曲は狂躁的な「〜バカン」とはうって変わって、物悲しいメロディのギリシャ民謡調が味わい深い。ただし当時映画館に足を運んだ映画少年たちは彼女の肢体(&濡れコスチューム!)に気もそぞろで、とてもこの曲を味わう心の余裕などはなかったと思うが・・。
|
20位 Banana Boat (Day-O) - Harry Belafonte('57米5位/英2位)
|
 |
ハロルド・ジョージ・ベラフォンテ・ジュニアはニューヨークのカリブ系移民の家庭に生まれた。少年時代をジャマイカで過ごし、帰国後海軍に入隊(その後ドロップアウト)した後俳優養成学校にも通ったがこちらも挫折。ちょっとしたきっかけでブロードウェイにあるジャズ・クラブで歌ったところそれが好評で彼の契約は半年近く続き、これをきっかけにニューヨークの音楽シーンを根城とすることとなった。様々なミュージシャンとの交流を通じて各地のフォークソングをレパートリーに取り入れた彼は自分のルーツであるカリブ海の音楽、とりわけ「カリプソ」に注目し、56年にアルバム「カリプソ!」を発表。これが歴史的な大ヒットとなって一大ブームを巻き起した。ジャマイカの労働歌を元にしたこの曲は「デーオ!」というかけ声がウケて大ヒットに。彼のトレードマークとなった。
|