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“ジミー”ジェームス・ディーンが自動車事故で亡くなったのはこの2年近く前の1955年9月。彼のデビュー作「エデンの東」が日本で封切られたのはこの事故の直後だったそうで、不謹慎ですがこれが話題性を高めたという側面もあったようです。で、この曲が驚異のロングヒット(この週既にチャートインは70週を超えています)を続ける中、もう一曲彼が出演した映画のテーマ曲がチャートに登場しています。8位の「Giant」は、本国ではレス・バクスターやアート・ムーニーといったオーケストラのカバー版がヒットチャートに登場しましたが、日本ではオリジナルサントラ盤がヒット。
不勉強で申し訳ないのですが、この文章を書くにあたって色々と調べ、私はこの「Giant」というのが物語の舞台であるテキサス州の通称であることを初めて知りました。それが日本公開の際は何故かタイトルが複数形に。これは映画を知らない人に「東京巨人軍」を連想させて誘き寄せようという映画会社の狙いがあったんでしょうか?当時は「巨人/大鵬/卵焼き」の時代(違った?)。。
続いて2位に入っているのはジョニー・レイの「Just Walking In The Rain(米2位)」。口笛を吹きながら♪雨の中を歩いて、靴下までズブ濡れぇ〜とご機嫌に歌うこの曲は、元々メンフィスの囚人グループ、その名もプリゾネアズが1953年に録音していたもの。雨の中、それも土砂降りの中を歩くってのはある種の高揚感を感じることがあって、この歌ではその感じがよく現れています。そういえば日本では“明るい雨の歌”ってなかなか思い浮かびませんよね。♪ピチピチ、チャプチャプ、ランランランッ!くらいですかね。
なおジョニー・レイは1950年代前半には珍しかった“絶叫タイプ”の歌で評判になった男性シンガーで、現在ではエルヴィスに先んじてR&B色の強いヒット曲を放った白人アーティストとして高い評価を得ています。
3位は女性シンガー、ジョー・スタッフォードの「On London Bridge(米38位)」。彼女は1940年代にコーラスグループ、パイド・パイパーズのメンバーとして活躍を始め、その後独立してこの時迄に100曲近いヒット曲を放ってきた大歌手。ヒットチャートが徐々にR&R中心となるにつれて、彼女のようなアーティストは徐々にヒットパレードから姿を消していくことになりますが、彼女はその後もレコーディング活動を継続。また彼女は夫であるバンドリーダー、ポール・ウェストンとともに「ジョナサン&ダーリーン・エドワーズ」という変名ユニットとしても活動、このコンセプトは“音痴な夫婦デュオ”で、数々の迷作を音盤に残しています。壮絶な音痴っぷりで歌い上げるビージーズの「Stayin' Alive」なんて、彼女の“真の”キャリアを知る人はとても同一人物が歌っているとは信じられないはず。
この頃は音楽の歴史書的には“R&R時代の真っ盛り”に当たりますが、上のリストを見ていただければわかるとおり、時代の波はヒットチャートにまだそれほど大きな影響を与えておらず、エルヴィスもまだ異端児的存在でした。むしろ1950年代の前半から徐々に登場してきた、10代の少女たちにアピールするようなクリーンな好青年たちがヒットパレードを席巻しています。その代表的な存在が4位のエディ・フィッシャー。ハンサムなルックスと甘い歌声で50年代のヒットチャートを荒し回った彼は、当時のトップアイドル。この「Cindy, Oh Cindy(米10位)」も朗々と歌い上げる陽気なタイプの曲で、本国でも大ヒットとなりました。
彼はイメージ上だけでなく私生活でも大変女性にもてたようで、この頃は人気女優/歌手のデビー・レイノルズと結婚しており、後に「スターウォーズ」のレイア姫となるキャリー・フィッシャーももうけましたがやがて離婚。その後エリザベス・テイラー、続いてコニー・スティーブンスとまったくタイプの違う美女たちと次々と結婚/離婚を繰り返しました。世の中の不公平も、ここまでくればなんだか諦めがつきますね。。
・・話を音楽に戻しましょう。「Cindy, Oh Cindy」はフォークグループ、タリアーズのレパートリーのカバーでした。この頃はR&Rと並行するようにフォークソングにも注目が集まっていた時期で、この流れがその後キングストン・トリオ〜ブラザーズ・フォア〜PP&Mへとつながっていくのはこのコーナーで何度も紹介済み。で、様々な地方のフォークソングが紹介される中、一大ブームとなったのがジャマイカの民謡“カリプソ”。ハリー・ベラフォンテが大声を張り上げて♪デェェェ〜オッ!とやった「Banana Boat (Day-O)(米5位)」は大ヒット、アルバムは現在でもオールタイム・ベストセラーの上位にランクインするメガセールスを記録しました。日本でもこの曲を聴いたことがない人は、若い世代でもまずいないでしょう。
エディ・フィッシャーに関連して、この時期に活躍した“クリーンカットな”その他アイドルたちをまとめて紹介しておきましょう。6位のソニー・ジェイムスは「南部紳士」と呼ばれた若手カントリーシンガー。この「Young Love(米1位)」はほぼ同時にリリースされたスポーツ選手出身のアイドル俳優、タブ・ハンターによっても吹き込まれ、こちらもヒットチャートの1位(こちらは6週連続)に輝くという珍しい記録を作りましたが、歌の出来はやはり本職のジャイムス版に軍配が上がります。もう一人、7位に入っているガイ・ミッチェルもジェイムスと似たようなタイプのシンガー。カントリーナンバーをポップなサウンドで歌い上げることを得意とした彼の「Singing The Blues(米1位)」は、現在では「ブルースを唄おう」のタイトルで知られている曲。これは本国で当時としては異例の10週連続ナンバー1のメガヒットとなりましたが、現在ではそれほど珍しい記録ではなくなってしまいました。
で、男性アイドル百花繚乱なこの時代、シーンのトップを突っ走っていたのがここのところこのコーナー皆勤賞のパット・ブーン。今回登場している「Anastasia(米37位)」はイングリット・バーグマンとユル・ブリンナーが共演した映画「追想」のテーマで、非常に感傷的なバラード。なおバーグマンが演じた悲劇のロシア皇女、アナスタシアの物語は度々映像化されており、数年前もアニメ映画として日本でも公開されました。
ようやく最後の曲。当時20代の若き男性シンガーたち、彼らにはキャリアを積み重ねて「いずれは・・」と目標にする存在がありました。それがこの週9位「Hey! Jealous Lover(米3位)」のフランク・シナトラ。1940年代、甘いバラードをスマートに唄う、当時のエディ・フィッシャーでありパット・ブーンであった彼はやがてキャリアの壁にぶち当たり、暫し低迷期を送った後50年代前半にカムバック。この時期には次々と名作“コンセプトアルバム”を発表する一方で、ヒットチャートにも次々と作品を送り込む“別格的存在”にまでなっていました。彼はこの後1960年には自身のレコードレーベルを立ち上げるなど、60年代にロックアーティストがやることすべてを10年近く先駆けてやってのける活躍をみせました。
(2001.4.11)Flashback Homecopyright (c) 2000-2003 by meantime, all rights reserved. |