11位 East Of Eden - Victor Young and His Singing Strings
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昨年に続きランクイン。ジェームス・ディーン主演映画3作のうち「理由なき反抗」のみテーマ曲がヒットした記録がないが(スコアは「エデンの東」同様レナード・ローゼンマン)、これは当時サントラ音源を発売する権利を持った会社が日本になかったからのようだ(60年代に入ってからシングルが発売されている)。「理由なき反抗」のプロデューサー、デヴィッド・ワイスバートはディーンを亡くした翌56年にポピュラー界の新しいスター、エルヴィス・プレスリーと契約を結び、彼の初主演作「やさしく愛して」を制作している。南北戦争を背景にした西部劇で、戦争がもとで起こった兄弟の諍いがピストルによる決闘に至るまでを描く・・というストーリーはすぐさまジェームス・ディーン映画を思い起こさせ、エルヴィスが「ニュー・ジミー」の役割を期待されていたことが判る。
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12位 Teacher's Pet - Doris Day('58米56位)
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第二次世界大戦末期にレス・ブラウン楽団のボーカリストとして「センチメンタル・ジャーニー」を大ヒットさせたドリス・デイは、楽団独立後も数多くのヒットを放つばかりでなく、女優としてハリウッドにも進出、音楽を上回る成功を収めた。この時期の彼女はアルフレッド・ヒッチコック監督の「知りすぎていた男(56年;ここから『ケ・セラ・セラ』の大ヒットが生まれる)」に出演するなど“演技派女優”の風格も漂わせていたが、「先生のお気に入り」では本来彼女の得意とするラブ・コメディ路線(近年でいうならメグ・ライアン的存在?)に復帰。曲の印象に反し、映画で彼女が演じているのは「先生(大学教授)」の方で、その彼女に熱を上げ「生徒」として授業に潜り込む新聞記者役は、なんとクラーク・ゲイブルが演じている。ハリウッドが幸福だった時代の雰囲気が伝わる佳曲。
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13位 April Love - Pat Boone('57米1位/英7位)
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パット・ブーン自身が主演したミュージカル映画「4月の恋」主題歌。この曲を作ったのは55年に「Love Is A Many Splendored Thing(慕情)」でアカデミーの最優秀歌曲賞を獲得したサミー・フェインとポール・フランシス・ウェブスターの2人で、パットのために書き下ろされたもの。とあるカップルが4月に遭った夕立ちが草木を育て、やがてそのカップルの花嫁姿を飾るブーケとなる・・という「風が吹いたら桶屋が儲かる」的なものを思い起こさせる歌詞のロマンチックなバラードである。余談になるが「4月の恋」でパットと共演したシャーリー・ジョーンズは70年にTVドラマ「人気家族パートリッジ」に出演、パートリッジ・ファミリーの一員として「I Think I Love You(悲しき初恋)」の大ヒットでパットと同じく「全米ナンバー1アーティスト」の肩書きを得ることとなる。
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14位 Viens Valser Avec Papa - Andre Claveau
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「父親と娘がママに内緒でダンスを踊る」という微笑ましい光景が歌われたこのシャンソンは、実は「Come Pretty Little Girl」のタイトルで56年に作られた、れっきとしたアメリカン・ポップスなのだそうで、作曲者の一人ガイ・バートレットはビル・ヘイリーが54年にヒットさせた「Shake, Rattle & Roll」やシュレルズ62年の大ヒット「Baby It's You」の作者としても知られている。アンドレ・クラヴォーは戦前から活動を続けているというフランスのベテラン・シンガーで、彼が50年代初頭に吹込んだ「バラ色の桜んぼの木と白いリンゴの木」はペレス・プラードにカバーされ「Cherry Pink And Apple Blossom White」のタイトルで世界中にマンボ・ブームを巻き起した。クラヴォーの優しげなボーカルと、終始挿入される子供の楽しげな笑い声が幸せな家庭の雰囲気を感じさせる一曲。
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15位 Beyond The Sunset - Pat Boone('59米71位)
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パット・ブーンが珍しく取り上げたカントリー・ナンバーで、1950年にはスリー・サンズの演奏でロザリー・アレンとエルトン・ブリットが歌ったバージョンがカントリー・チャートで7位を記録している。日本におけるこの曲のヒットは本国に先駆けたもので、アメリカではそれから約1年後の59年10月にようやくヒットチャートに登場という珍しい現象が起こった。“不良代表”エルヴィスに対しパットは常にその育ちのよさが強調されており、血筋は有名な西部の開拓者ダニエル・ブーンの血を引くとされ、大学在学中に結婚したシャーリーはカントリー界の名シンガー、レッド・フォーリーの娘。アーティスト活動の傍ら学業も怠らずこの年にはコロンビア大学を卒業という“スーパー優等生”のイメージとトレードマークの白い靴で、R&Rの嵐が吹き荒れるポップ・シーンを渡っていった。
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16位 Crazy Love - Paul Anka('58米15位/英26位)
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「君は我が運命」と並ぶポール・アンカのロッカ・バラード代表作。激しく歌い上げる様は非常にステージ映えし、当時日本で盛り上がった“ロカビリー・ブーム”でも多くのアーティストに取り上げられた。この年の彼の人気は物凄く(「ダイアナ」「君は我が運命」とこの曲がヒットパレードの上位3曲を独占したこともあった)、9月には早速初来日公演が実現。日本市場向けに特別に録音された「クリスマス・イン・ジャパン(洋楽年間チャート66位)」という非常に貴重な音源が残された一方で、巡業で廻る先々で彼と女性ファンが巻き起す騒動や、彼の素行(見境なく女の子にちょっかいを出す)は悪評として世間に広まり、それは今なお語り種となっているほど。“ロカビリー≒ポール・アンカ”といってもいいくらいの我が国におけるブームは、これをもってひとまずは一段落する。
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17位 Gunfight At The O.K. Corral - Frankie Laine
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こちらも昨年に続きランクイン。日本でこの曲が人気を集めていた頃、本国アメリカでは彼の人気は一旦下降線をたどるがイギリスには根強いファンがおり、この前年もイージー・ライダースと共演した「Love Is A Golden Ring(英19位)」やジョニー・レイとの「Good Evening Friends(英25位)」がヒットを記録している。なお余談中の余談となるが、近年流行語として認知されている(使っているのはガッツ石松本人だけだが)「OK牧場!!」、実はこの映画が元で生まれたのではないのだとか。ガッツは幼少の頃TV映画「ララミー牧場」、特に主人公ジェスに扮するロバート・フラーが大好きだったそうで、後年念願叶ってフラーに対面した時に彼が思わず発してしまった言葉が「OK牧場!!」だったという「ガッツ語録」の産物らしい。そんなことを知っても、何にもならないけれども・・。
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18位 Till - Bert Kaempfert and His Orchestra
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ドイツではベルト・ケンプフェルト楽団のセカンド・シングルとしてリリースされた曲で、本国の発売順でいけば「真夜中のブルース」より先に出ていたもの。「愛の誓い」は1956年にカール・シグマン(詞)とチャールズ・ダンヴァース(曲)によって作られた曲で、この当時はロジャー・ウィリアムス('57米22位)やパーシー・フェイス楽団(同63位)、そしてこのケンプフェルト楽団などに取り上げられインスト曲として親しまれたが、61年にトニー・べネットがイギリスで(英35位)、62年にガールグループ、エンジェルスがアメリカで(米14位)ボーカル盤をヒットさせて以降はそちらが主流となり、その後ヴォーグス('68米27位)、ドロシー・スクワイアーズ('70英25位)、トム・ジョーンズ('71米41位/英2位)と、数年おきにヒットチャートに登場している。
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19位 Hard Headed Woman - Elvis Presley('58米1位/英2位)
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エルヴィス4作目の映画「闇に響く声」挿入歌。ニューオリンズが舞台の映画だったためディクシーランド・ジャズ調のアレンジが施されたサウンドと、エルヴィスの♪ハ、ハ、ホッ!というシャウトが印象的なこの曲を書いたのは、黒人ソングライターのクロード・デメトリアス。1940年代から活躍するベテランで、エルヴィスにはこの曲の他「Mean Woman Blues」や「I Was The One」といった作品を提供している。この曲がヒットしている時点(58年6月)でエルヴィスは既に陸軍に入隊してテキサスで訓練を受けており、基地の近くに両親を呼び寄せて生活を送っていたが、やがて母グラディスの体調が悪化。彼女はメンフィスに戻り入院したが病状は悪化の一途をたどってこの年の8月に他界した。これまで順調にキャリアを築いていたエルヴィスにとって、初めての大きな挫折であった。
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20位 Jailhouse Rock - Elvis Presley('57米1位/英1位)
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MGMで制作された初のエルヴィス映画「監獄ロック(日本ではこの当時公開されず、62年が初上映)」は、ミュージカルを得意とする同社らしくダンス・シーンが印象的な映画となった。我が国では「粋な看守の計らいで・・」という日本語詞もつけられたこの曲は、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーのペンによるハードにロックする作品。エルヴィスのメイン・ライターと見なされる彼らだが、それまでカバーの形で作品が取り上げられたり、間接的に作品提供の依頼が届いたりという形だったため、この映画の撮影現場(ストーラーはこの曲の演奏シーンでバンドのピアニスト役で出演している)で初めてエルヴィスと対面したのだという。この曲が全米チャートのトップを独走していた57年12月にエルヴィスの許に陸軍から召集礼状が届き、翌年3月に入隊することとなる。
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